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このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。

この作品はオリジナルキャラクターを含みます。

この作品は執筆を終了しています。

学生戦争Ⅱ

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  1. 1 : : 2016/02/26(金) 00:26:25

    本作品は学生戦争ったー
    http://shindanmaker.com/293610
    を元に独自に組み上げた作品です。


    本家にはほぼ準拠しておらず独自の設定を数多く含むため、原作を重視する方は閲覧を控えることをお勧めします。


    これは、わたせんさん、べるさんとの合作です。



    本作品は3部作の2作目です。


    投稿中のコメントは非表示にしますが、必ず読んでいますので悪しからず。
  2. 2 : : 2016/02/26(金) 00:27:41
    1885年3月。長かった冬が終わりを告げ、山間にも春が訪れようとしていた。


    もうすぐこの辺りの山にも桜が咲き、軍にも新入生がやってくる。喪った学生の多さに閑散としていた学校にもやっと活気が戻るだろう。


    黒軍軍師である知恵は自身に与えられた執務室の窓から学校の敷地を見渡していた。手には戦死者名簿と4月に入学する新入生の名簿がある。


    「はぁ……参ったわね。来年は全然ぱっとしないわ」


    大きく溜息をつき、知恵は愛用の椅子に腰を下ろした。かなり精神が参っているのか、僅かな頭痛すら覚える。


    「ねぇ、轟木くん。戦場の方はどうかしら?」


    「――その質問はもう3度目だろう。少し休んだ方がいい。気を張りすぎだ」


    扉に近い壁には剛健の姿がある。格調高い調度品で品よく整えられた知恵の部屋には少々無骨が過ぎるその姿。それが自分でもわかっているのか、剛健はこの部屋に来た時だけ壁際を好む。


    「駄目なのよ私、自分が戦場にいないなんてどうしても我慢出来なくて。上には私が前線に出ることにあまりいい顔をしない人も大勢いるけれど……それでもみんなが戦っているのに自分だけ安全な場所にいるだなんて耐えられない」


    「軍師になって一体何年になる。お前の采配がなければ軍は動けない。少しでも安全なところにお前を置くのも立派な戦略だとわかっているだろうに」


    「そうね……。ここ最近の戦局はお世辞にもいいとは言えないし、白軍の軍師が何を考えているのかも私には読めない。それなのに上は「押されているのなら今度はこちらから白軍の拠点を攻めろ」と無茶を言ってくるばかりで」


    再び大きな溜息をつくと、知恵は机に崩れ落ちるように身体を預けた。剛健はその様子に何も言わない。


    知恵と剛健は歳も違えば歩んできた道も違う。上司と部下という関係でここまでの信頼関係があるのは何も剛健が心身共に成熟しすぎていることが原因なのではない。


    元々、剛健は知恵が長くいた黒軍本部の学生であり、昔から知恵の采配で武器を振るう機会が多かったのだ。周りが戦死していく中で共に生き抜いてきた二人には年齢や過去という壁が最早存在しない。


    「私は白軍の彼のように、戦に勝つための駒として部下を扱いたくはない。そこまで外道にはなりたくないわ。だから以前からみんなと交流するように努力してきた。だけど、まさかここでそれが弱みになるなんてね……」


    「お前とは俺が隊長候補生として本部で特別訓練を受けていた頃からの付き合いだ。ただの司令官だった時代からお前はよくやってきた。何も間違ってはいない」


    剛健だけでなく、今この地に集まっている黒軍の幹部たちは全国から集められた精鋭だらけだ。数々の戦場を生き抜いてきた彼らは最終決戦に臨むためにこの地に集められ、軍師である知恵の下で戦っている。


    そのため彼らは互いに顔馴染みですらない、ただの共に戦うだけの仲間だった。しかしそれではいけないと自分から部下たちに歩み寄ったのが知恵だ。


    「ここまでくるのには随分と苦労したわ。一年と少しの間でクセのある子たちをまとめるのは。……でも、今はみんなが私を慕ってくれていると思ってる」


    「他の軍にはない連携の強さが我が軍にはある。ここまで軍を育て上げたのはお前だ。今も戦場で戦っている連中はこの学校に帰ることを目標に戦っているだろう。お前は奴らに帰りたい場所を与えたことを誇るべきだ」


    「今は武田くんと瀧姉妹と清志郎の率いる三部隊が戦場にいるわ。……正直若い子に隊を預けることに不安はある。それに私もいないのだから、それだけ心配になってしまって。だけど彼らを送り出す時にみんなを信じようって決めている私もいて、その気持ちとの板挟みになっているのよ」


    黒軍は三軍一人口が多く、学生もその分多い。しかしけして裕福ではないため、数多くいる学生を一流の兵士に育てる資金が足りないという欠点があった。


    そのため最近では兵士の育成は軍の養成機関ではなく現場次第ということになり、質のいい学生というものがだいぶ少なくなってしまった。今戦場にいるのはそんな一握りの奇跡のような学生だった。


    「せめて……去年の秋に彼らが生き残ってくれていれば、こんな状況なんてすぐにひっくり返してみせるのに」


    一般兵100人の命と自分の命を天秤に懸け、自分を切り捨ててしまった部下のことを思い出す。


    命の価値は本来ならば平等だと思いたいが、戦場ではそうはいかない。当然隊長はそれ以下を全て切り捨ててでも逃げ延びるべきなのだ。特に黒軍のような一般兵に対して幹部が不足しているところでは特にそうするべきだった。


    「……困るわよね、自分の価値がわからないって」


    戦場に自ら出向く自分に対しても戒めるように呟き、知恵は机の上で手を組む。
  3. 3 : : 2016/02/26(金) 00:28:23
    「もうすぐ俺が武田と入れ替わって戦場に出る。そうなれば白軍の奴らへの牽制になるだろう。――安心しろ。この戦いは勝ってみせる」


    「ええ、伝令は朝のうちに出しておいたわ。彼が騎馬隊の隊長で本当によかった。今日は彼女の姿も見えないと言うし」


    「……あの一年の戦闘狂か。武田め、随分と奴に入れ込んでいるようだな」


    剛健は鼻を鳴らす。去年の春から姿を見せるようになった白軍の槍使い。まさに戦闘狂と呼ぶに相応しい理性が吹っ飛んだような戦い方をする彼女のことを騎馬隊隊長である武田は特に気にしている様子だった。


    「彼女を倒せば我々が進軍しやすくなるからって言っていたわ。馬では相性が悪いのだから退くように言っているのだけど、武田くんは特に軍に貢献したがる節があるから」


    「奴は白軍の中でも特に危険だ。とても武田に相手が務まるとも思えん。もっと強く言うべきだ」


    「そうするわ」


    困り顔のまま返事をし、知恵が頭を抱えようとしたその時、剛健の隣にある扉が軽く叩かれた。


    「はい、何か用かしら?」


    「軍師。武田であります。ただいま帰還いたしました」


    廊下に立っている男は規則に書いてある通りの正しい返答をし、知恵の言葉を待っている。


    「入ってちょうだい」


    剛健と顔を見合わせ、扉の向こうの人物の真面目さに苦笑した。


    その後静かに扉が開かれ、帽子を脱いだ男が現れる。騎馬隊隊長武田信助(たけだしんすけ)。七三に分けた黒髪の高校2年生だ。


    信助は扉を閉めると知恵に向かって敬礼をする。堅苦しい空気を嫌う知恵は片手でそれを制すが、信助は不服そうな顔をしてみせた。


    「お疲れさま。帰って早々で悪いけど、報告を聞かせてちょうだい?」


    「はい、では。まず白軍の動向ですが、予定通り奴らを廃村に追い込みました。現在は柳刃と瀧姉妹の姉が前衛、後衛に瀧姉妹の妹が布陣しております」


    他の部屋より壁が厚く、防音性も高い知恵の部屋に信助の声はよく響いた。彼が不満そうにするにも関わらず、無理を言って知恵が信助を伝令として使い続ける理由の一つがそれだ。


    信助は黒軍の中でも特に真面目だが、黒軍の思想に傾倒していて軍功をあげることに躍起になるという危ない一面を持つ。そんな彼を上手く扱うのは知恵でもそれなりに苦労した。


    馬に強く、その扱いに至っては右に出る者はいないという実力を持つ信助。彼の騎馬隊は今まで多大な功績をあげていたが、危なさを知っている知恵は出来るだけ手元に置くことで彼の行動を縛っていた。


    「まずまずの成果ね。こちらの損害は?」


    「前衛の一部隊が半壊しかけましたが、何とか援軍が間に合い立て直しました。現在敵との戦力は互角と思われます」


    「そう……」


    知恵はやっと胸を撫で下ろす。だがすぐに気は抜けないと背筋を正した。それだけの不安が未だに胸に残っているのだ。
  4. 4 : : 2016/02/26(金) 00:29:13
    宿敵である白軍、その軍師は一言で表すなら外道な男である。柔和な笑みを浮かべた優男の形をしているが、実態はとてつもなく頭の良いただの外道。少なくとも知恵はそう見ている。


    黒軍は掲げる思想からもわかる通り国を守りきることを目的としている。そしてこの国に住まう民も国の一部として考えているため、無闇やたらと周りに被害を出さないよう考えるのが常だ。


    あまりよくは知らないが、赤軍を見る限り周囲に手を出している様子はないため、その辺りは黒軍と同じような考え方をしているのだろう。


    しかし白軍は容易く民を蹂躙する。白派でない者は徹底的に排除するのが彼らのやり方らしい。そんな白派が政府軍とのたまっていることを黒派の政治家たちは悔しく思っている。そして知恵も同じように感じていた。


    「これで白軍がどう出るか、気になるところではあるな」


    「そうね、まだ気は抜けない。轟木くん、貴方の隊を率いて戦場へ向かってちょうだい。着いたら清志郎を援護して」


    「双子はどうする」


    「そのままでいいわ。あの二人は好きなようにやらせるのが一番だから。女の子は貴方が行くと思うように動けないのよ」


    剛健の熊のような姿を茶化すように言って笑った。剛健もほんの僅かに口角を上げると、何も言わずに知恵の部屋を出て行く。


    「武田くん、悪いけど貴方には轟木くんの穴を埋めてもらうわ」


    後に残された武田は自分も戦場に戻りたいとばかりにそわそわとしていたが、知恵の言葉を聞いて不満そうに眉根を寄せた。


    「貴方の方が適任なのよ。新入生を迎えに行くために馬がいるのだけど、気性の荒い馬や人慣れしていない馬がいては困るから今のうちに選別しておきたいの。ほら、適任でしょう?」


    「馬、ですか。なるほど、確かにそれなら轟木隊長より遥かに知識があります。お任せください」


    本当は馬の選別に武田をわざわざ使うほどでもないのだが、武田は馬のことに相当な誇りを持っているらしく嬉々として引き受けてくれる。知恵にとっては好都合だった。


    「ありがとう。じゃあお願いね」


    「はい、それでは失礼いたします」


    「ええ」


    忘れずに敬礼してから武田も部屋を出て行った。後には知恵が一人残るだけである。


    「みんなが帰ったら、久々に全員で食卓を囲みましょう。一応進級のお祝いもしなければいけないし……」


    寂しさを紛らわすように一人呟き、知恵は席を立つ。窓を開け放つと遠くに隊を引き連れた剛健の姿が見える。これから彼らは戦場へ向かい、おそらくその何人かは帰らぬ者となるだろう。


    ――不安はあまりに多い。白軍はかつてないほど強大な壁として立ち塞がっているし、赤軍の動向は掴めない。特に赤軍にはあの剛健を破った少年がいるという。剛健はその少年を気に入ったようだが、敵軍である以上警戒しなければならない。


    そんな中でも知恵は部下のことを気遣う精神を忘れないつもりでいた。命の価値が違うとはいえ、黒軍として死地へ出向く者たちは皆等しく仲間だ。志を同じくする仲間ならば、せめて敬意を払うのが知恵の信条であった。


    「大丈夫。次は私も出陣するのだから……」


    呟いて、壁に立て掛けた愛用の薙刀へと視線を向ける。先の見えない不安が知恵の胸に重く渦巻いていた。
  5. 5 : : 2016/02/26(金) 00:29:49




    「お姉ちゃん、下がって!」


    弓に矢をつがえながら、一人の少女が叫んだ。


    髪を短く肩上までに切り揃えたその少女は戦場に似つかわしくないほどに控えめでおとなしそうな雰囲気を纏っていた。


    しかし、その雰囲気とは裏腹に迫り来る敵に向けて躊躇無く矢を放つ。


    その矢で倒れた敵を踏まないようにしながら、少女の隣に髪を二つ結びにした姉が並ぶ。


    「すみれ、怪我はない?」


    「わたしは大丈夫、どこも痛くないよ。それよりもあやめお姉ちゃんは大丈夫なの?」


    「この天下のあやめ様が怪我なんてするわけないでしょ?」


    あやめと名乗る少女は手にした刀に付いた血を払うように一振りしながら冗談めかして笑う。


    「……もう。気をつけないと今に怪我するんだから。でも今回の戦いは少しだけ余裕があるね」


    すみれがそう言ったのにはちゃんとした理由があった。
    二人が属している黒軍は、今とある廃村に敵軍である白軍を追い詰めていた。
    小ぢんまりとした廃村に白軍を追い込み、柳刃隊と瀧姉妹の隊がそれを閉じ込めるように包囲網を張っている。
    白軍は尚も抵抗を続けているが、退路を絶たれている今、それも時間の問題だろう。


    すみれは近接戦闘が不得手であり、それ故に弓を武器として選択しているが彼女の本当の武器はその冴えた頭脳だ。
    事実、軍師が戦場に居ない今回の戦いで白軍を追い詰め、包囲網を張ると提案したのは彼女だった。
    姉のあやめを含めて、単純で血気盛んな隊員の多いこの部隊において彼女の存在は不可欠だ。


    しかし、頭脳明晰な彼女だからこその不安要素も無い訳ではない。


    ――上手く行き過ぎている。


    すみれは隣で休憩するあやめを横目にしながら手を顎にあてて熟考する。


    白軍の兵は一般兵だとしても黒軍のそれよりも練度の高い動きをする。
    一般兵でも黒軍を上回っているのだから、部隊長となると一筋縄ではいかないのだ。


    だが今回は違う。白軍の動きがどこかぎこちない。指揮系統が上手く機能していないのか、もしくは偶然弱い白軍の兵が出陣しているのか。


    それとも――。


    「すみれ、眉間にしわ寄せてると可愛くないよ」


    そう言ってあやめはすみれの眉間を指でつつく。


    「もう、やめてよ。まだ戦闘は終わってないんだよ?」


    そう言いながらもすみれは嬉しそうに笑った。


    それを見てあやめもにっこりと笑う。


    「あたしは馬鹿だからすみれの考えてる事はあんまり分かんないけど、悩み過ぎるのもあんまり良くないと思うんだ。まずは目先の事から!ってね」


    あやめはそう言うと刀を再び握り締める。


    すみれもあやめの言葉を聞いて、力強く頷く。――お姉ちゃんの言う通りだ。先の事を気にしすぎていたら目の前の敵に足を掬われてしまう。


    「……そうだね。分かった、お姉ちゃんは部隊と合流して再び白軍を殲滅しに当たって。……でも、緊急事態に備えてあまり深く入り過ぎない事。部隊の皆が取りこぼした敵を倒すようにして」


    「了解っ!また後でね!」


    そう言ってあやめは廃村の中へと走り去っていった。


    すみれは直ぐに近くにいた騎馬兵を呼ぶ。


    「柳刃くんに、『合図と共に全部隊で白軍を全滅させる。それまで柳刃くんは後方で待機』と連絡して下さい」


    「はっ、了解であります!」


    騎馬兵の彼は敬礼して直ぐに駆け去っていった。


    武田が連絡用に使えと残した騎馬兵だったが、居るのと居ないのとでは大きく違う。


    数分待つと騎馬兵の彼が戻ってきた。


    「柳刃隊長より伝言です。『了解、お互い生きて帰投しよう』との事です」


    「ありがとうございます。後ろで休んでて貰っていいですよ」


    騎馬兵の彼は礼を述べて後ろへ下がって行った。


    「……よし、このまま行けばきっと大丈夫」


    不安は多少残るものの、すみれはこの戦いに対して確かな手応えを感じたのだった。
  6. 6 : : 2016/02/26(金) 00:30:21


    「よっと!」


    あやめは白軍を囲む様にして戦っている隊員達の後方で、包囲を抜け出した白軍を仕留めていた。


    本来であればあやめも包囲の中心で暴れている所であるが、今回はすみれの命令がある。
    あやめはお世辞にも頭が良いとは言えないが、聞き分けが無い訳では無い。
    それが大切な妹であるすみれの命令やお願いとあればあやめは決して断らないし、それを破る事はないだろう。


    あやめが隊長のこの部隊には血気盛んで暴れたい盛りの隊員が多い。
    あやめが自分と気の合いそうな兵を見繕っていった結果である。
    粗暴で少しばかりおつむが足りないが、戦闘に関してはその性格に恥じない働きをする。


    しかしその為に眼前の包囲から漏れる敵などは殆どおらず未だに二人しかあやめは仕留めていない。


    「ん~……」


    あやめはつまらなさそうに刀を振り回しながら唸る。


    そうしていると包囲の中にいた隊員の一人があやめのいる所まで下がってきた。


    「あやめ姐さん、どうしたんすか?」


    その隊員の穴を埋めるように、あやめと同じく後方で待機していた別の隊員が包囲に加わる。


    あやめは下がってきた隊員の方を見ずに、激しい戦闘が繰り広げられる包囲の方を眺めながら言った。


    「あたしも包囲に加わりたいな~って……いやすみれの命令を無視する訳にはいかないんだけどさ」


    「ああ、すみれ姐さんの御命令でこんな後ろに陣取ってたんすね。道理でつまんなさそうな顔をしてる訳だ」


    「……顔に出てる?」


    「そりゃもうガッツリ。駄目っすよ、飛び出したら」


    「そんなの分かってるよ」


    とは言うものの、あやめは刀を杖替わりにしながら落ち着きなさそうに体を揺すっている。
    目を離したら直ぐにでも飛び出していきそうな様子だった。


    横にいる隊員はそれを見ながら苦笑し、太刀を握り締めた。


    「じゃ、俺はまた行ってきます。頑張って我慢するんすよ!」


    「……死ぬなよー」


    あやめはその隊員の背中を見送りながら気の抜けた声援を送る。


    全く持って緊張感の無い戦闘だった。敵はどんどんその数を減らしているし、黒軍側の損害もあまり出ていない。
    廃村に包囲する前は一瞬、ひやりとする場面があったのだがいざ包囲してみればこのざまである。
    すみれの立てた作戦で楽に損害無く勝てるのはあやめからしてとても喜ばしいことではあったが、しかし彼女にとっては少し物足りないものであった。


    「お姉ちゃん!」


    あやめが落ち着かないと言わんばかりに身体を動かしていると、後方にいたすみれが走ってこちらへ向かってきた。


    「すみれ!どうしたの?」


    すみれは乱れた息を整えながら言った。


    「今からわたしが合図を上げるから、それと同時に白軍を完全に殲滅しに行って。柳刃くん達の部隊も同じように突撃する手筈になってるから連携を取りながら戦って」


    そうすみれが言うとあやめの顔はパッと明るくなった。
    それを見ながらすみれは溜め息混じりの苦笑を浮かべる。


    「……油断しないでね?」


    「分かってる分かってる!よーし、腕が鳴るなあ!」


    すみれはそんなあやめを横目に制服のポケットから球体を取り出す。
    その球体から出ている導火線に、近くで燃えている家屋を使って火を灯す。


    それを急いで矢に括りつけ、弓に番えて空へ向かって放った。


    その球体は空中で破裂し、周りに大きな音を響かせた。その球体はかんしゃく玉と言い黒軍の中でもまだ流通していない珍しい物資だ。


    だが事前の打ち合わせで『合図を上げる』と言ったら、『かんしゃく玉を打ち上げる』という事だとすみれは全員に説明済みだった。


    大きな音に萎縮した白軍は一瞬その動きを止める。だが黒軍の兵士達は好機とばかりに全部隊を以て白軍を討ちに出た。


    すみれはその様子を後方で眺めながら、黒軍の勝利を確信したのだった。
  7. 7 : : 2016/02/26(金) 00:38:42






    新年度が始まり、早々にしてまたしても心護は救護班の天幕にいた。全身数カ所に及ぶ打撲痕をその身に刻み、頰には季節外れの真っ赤な紅葉が浮かび上がっている。


    その姿を見て、救護班に所属する顔馴染みの上級生である一之瀬 咲(いちのせ さき)もあまりの惨事に目を丸くしていた。


    「心護くん今度は何やらかしたのかな?」


    「あ、あはは……ちょっと色々ありまして」



    心護は咲の質問に目をそらす。何分今回ばかりは話しづらいだけの事情があった。


    心護の様子からそれを察したのか、咲は悪戯っぽく笑いながらもそれ以上追求しようとはしなかった。


    「うーん。でも今、私する事があるんだよねー」


    そういって頭頂から生える黒いアホ毛を揺らしながらわざとらしく考え込むような素振りを見せる。


    「あーそうだ!しおりちゃーん。ちょいちょい。こっち来てー」



    咲の声に反応して、ひとりの少女が早足で近づいてくる。


    「い、一之瀬先輩。およびでしょうか……?」


    困ったような表情で心護と咲の間を視線をうろつかせる可愛らしい少女は小動物を思わせる。それに反して肉付きの良い身体つきで、女性らしさも感じられた。中でも特徴的なのは髪で、肩にかからない程度の短めの髪の両側を目にした事のないようなツヤのある布紐で小さくで結わえているのもそうだが、その髪が白軍以外には珍しく見事な桃色をしていた。


    困惑している少女の髪をひとなですると、咲は心護を指差して言った。


    「いま、私どうしても手が離せない用事があるから、しおりちゃんがそこの心護くんを治療してあげてくれないかな?」


    「え、あっ……はい!わかりました。でも心護さんってもしかして……」


    不安そうに心護の名前を口にするしおりの様子に心護はなんとも言えない気持ちになる。そんなことを知ってか知らずか、咲は彼女の言葉を笑い飛ばした。


    「あはは。だいじょぶだいじょぶ。心護くんは喧嘩の仲裁に入ってはここに運び込まれるようなおバカな子だから」


    咲の言葉にしおりは少し安心したような胸をなでおろす。心護にとって非常に不本意ではあったが、否定できないのが辛いところだ。とはいえ、怯えられるよりはいいかと諦めることにした。


    「んじゃ。しくよろー」


    それだけ言い残すとひらひらと手を振って咲は去って行き、心護としおりのふたりが残される。
  8. 8 : : 2016/02/26(金) 00:39:09

    すると、ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。


    それに耐えきれなくなってか、しおりが慌てて口を開く。


    「あの……えっと……ち、治療しますね!」


    しおりはそのぎこちない話し方とは裏腹に、手際よく治療をこなしていく。


    「なんだか慣れてるみたいだけど、1年生……だよね?」


    心護が恐がらせないようにと、控えめに声をかけた。しかし、彼の思惑に反してしおりの肩が大きく跳ねる。


    「ご、ごめん!驚かせちゃったね……あはは」


    慌てて取り繕うが、しおりは涙目で少し距離を置いて身構えていた。


    「そんなに僕って怖いかな……?」


    「え、えっと……だって、淺凪心護さんですよね……?」


    心護の問いに対して、恐る恐ると言った様子でしおりは問いを返す。


    「う、うん。そうだけど……なんで?」


    「だ、だって……"熊殺し"なんて呼ばれてるから、怖いひとなのかなって……」



    心護はしおりの言葉に絶句した。そんな渾名を付けられた覚えも聞いた覚えもない。それどころか熊を殺したことなどあるはずもない。


    おそらく、剛健を退けた時の熊のような大男というフレーズが巡り巡って熊殺しになったのだろうが、酷く物騒なことこの上ないため勘弁して欲しいものだった。


    「僕、熊は勿論だけど、人や小動物だって碌に殺したことないんだけど……」


    呆れ気味にそう話すと、しおりは驚いたような顔をする。


    「え?本当ですか……?」


    「本当本当。僕は誰も死なせない為にここにいるんだからね」


    訝しげに尋ねるしおりに心護は訴えるように告げた。


    すると半信半疑な様子だったが、しおりは再び恐る恐るながら心護に近づいて治療の続きを始める。


    治療中少しずつ会話を重ねているうちに、治療が終わる頃には会話に支障がない程度には打ち解けていた。


    「ご、ごめんなさい。先程は先輩に失礼なことを言ってしまいました」



    「もう気にしないで。わかってもらえたならいいんだ」



    頭を下げられるとそれはそれで居心地が悪くて、慌てているような口調になる。



    「まあ、僕のことだからどうせまたお世話になることになる気がするけど、その時はよろしくね。えっと……」


    「しおりです。安藤しおり。こちらこそよろしくお願いします」


    そう告げるとしおりは控えめに笑う。酷く怯えられていた始めよりは幾分かマシになっただろうかと考える。そ心護は手を振りながらしおりに別れを告げ、救護班の天幕を後にするのだった。
  9. 9 : : 2016/02/26(金) 00:41:43
    高校二年生に進級した心護は、万次郎との約束通り小さな隊を任される隊長となっていた。


    相変わらず生傷は絶えなかったが、黒軍の隊長である剛健を退けた一件から驚くほどその腕は上がっている。


    「『熊殺し』ねぇ。そりゃまた大層な渾名を付けられたもんだ。怯えられるのも無理ない」


    外で心護が小太刀を手入れしていると、その背中に聞き慣れた声が掛かる。振り返った心護の肩を親友の徹が叩いた。


    「見てたのか徹。って、何だよその格好」


    「ふふん。女の子と心護が話してたからつい。どうだよこれ、オレにぴったり馴染んでるだろ?」


    徹はこれから白軍の学校へ潜り込むとでもいうように白軍の制服を得意げになって着ていた。


    諜報部に引き抜かれて工作員として活動する徹はもうだいぶ前に赤軍に帰ってきていて、また次に白軍へ行くまでには当然時間がある。第一、徹はもう白軍へ行くこともないかもしれないのだ。制服を着る意味がない。


    「まさか、お前白軍に……」


    「違う違う。ほら、心護はまだ見たことないだろ? オレがこの制服を着ているところ」


    この上着はブレザーって言うんだぜ、と徹は自慢げに制服を見せつける。それを見て周りの学生たちはひそひそ話を始め出した。白軍の制服を着た人間がいるのだから当然のことだろう。


    「そろそろ着替えてきなよ……みんな不信がってるし」


    「え? あー……」


    慌てて周りを見渡す徹。しかしその視線を避けるように学生たちは散っていってしまう。


    「着替えてくるわ、オレ」


    「うん。僕は暫くここにいるから」


    徹を見送り、心護は再び小太刀へと向き直る。春の柔らかい風が前髪を揺らした。


    「……一年か」


    遠くには新入生同士が集まって騒いでいる姿がある。まだ所属部隊が決まって間もない頃のため、上級生と接する機会も少ないのだろう。


    心護は彼らの姿に去年の自分を重ねた。確実に強くなった自分を再確認し、あの頃の情けなさを思い出して苦笑する。


    「待たせたなー。あれ、そういや千夜ちゃんは?」


    最近自分たちと行動を共にするようになった千夜の姿がないことに徹はやっと気付く。


    「えっと、月ヶ瀬さ――千夜とちょっと色々あってさ」


    不遇な事件に見舞われた心護の頬に赤い紅葉を残して去っていった千夜を思い出す。――後できちんと謝ろう。そう心護は思った。


    「まあ、お前の顔みりゃ何となくはわかるよ。本当によく一緒にいられるよな。隊も結局一緒なんだろ?」


    「いや、千夜も一つ隊を持ってる隊長だよ。ただ二人とも前衛だし学年も同じだから一緒にいることが多いってだけで」


    爽を含めた精鋭部隊を根こそぎ失った赤軍は決定的な戦力を欠いてしまった。その穴を塞ぐために万次郎が目を付けたのが、中学を首席で卒業して尚も変わらず優秀な千夜と『熊殺し』という功績をあげた心護だった。


    未熟な一年生に一つの隊を任せるのは不安との声もあって、結局二年生になるまで心護たちは隊長昇任を見送られた。その間心護たちは隊長として必要な知識を上級生たちから叩き込まれ、地力を底上げすることに冬を費やし、この春晴れて隊長となったのだ。


    「オレなんてまだ諜報部の一兵士なのに、千夜ちゃんはともかくお前はすごい出世したよなぁ。正直全然予想してなかった」


    「毎日が命懸けの諜報部ってだけでも僕らよりすごいんだけどね、徹は。僕はまだまだ何もしてないから、すごいとか言われてもあまり実感なくて」


    困ったように笑う。夢はまだ遠く、戦争もどう転ぶかわからない状況。最近は目に見えて黒軍が押されていて、このままいけば白軍が残るだろうと予想されていた。そんな中で心護はただひたすら小さな自分に何が出来るかを考えているのだ。


    心護が小太刀をいじっていると、徹が急に声をあげた。徹の見ている方向には本部の天幕がある。そこに誰かが入っていったらしい。


    「あ、そいやもうすぐ軍議だっけ? どうなんだよ今の赤軍。オレ諜報部で滅多に帰らないからここのこと全然知らなくてよ」


    「うーん。ちょっと気になるところがあるって感じかな。それがどうなってるのかよくわからなくて」


    「なるほど。極秘って感じか? まあ、話してもいいようになったら少しくらいオレにも教えろな」


    そう言って徹はひらひらと手を振った。そろそろお前も行けと言いたいらしい。心護もそれを察して小太刀をしまうと席を立つ。


    「あのナナフシ野郎と同じ空間にいるってだけで頭がおかしくなりそうだな」


    徹は万次郎の真似をしてくねくねと不自然な動きをしてみせる。


    「はは……案外そうでもないよ。それじゃあ」


    「おう、頑張れ。くねくね、くねくねー」


    ふざけた様子の徹をたしなめてから心護は本部天幕へと向かった。
  10. 10 : : 2016/02/26(金) 00:42:58


    「淺凪、参りました」


    もう入り慣れた万次郎の天幕をくぐる。
    既に心護以外の隊長は集まっており、じろりと心護へと視線を集める。
    大勢の年上から一度に見られると流石の心護でも少しばかり萎縮した。
    恐らく一番年下の癖に来るの遅いんだよと言いたいのだろう。
    場の空気がそう物語っていた。


    心護は少しばかり居心地悪そうに千夜の隣に座った。
    だが千夜はまるで一年前に戻ったかのように心護に興味を示さず一寸たりとも首を動かさなかった。
    完全に周りの全員を敵に回している事を悟った心護は、それでもおずおずと千夜に小声で謝罪する。


    「ち、千夜さん?……あの、さっきはごめん。決して悪気があった訳では――」


    そこまで心護が言うと、それを遮るようにして千夜は言った。


    「五月蝿いわよ淺凪――もといバカ凪くん。そのまま無駄口を叩くようなら縫い付けるわよ」


    無論、一切心護の方は向いていない。それどころか目線もくれていない。
    心護は直感的に危険を感じ取り、大人しく口を閉じる事にした。


    そんな居た堪らない空気の中、ようやく天幕の奥から万次郎がやって来た。
    ようやく会議が始まる事に、心護は少しだけほっとしていた。


    「みんな、心して聞いて欲しい」


    だが万次郎はいつもの様なふざけた様子を感じさせない真面目な顔つきで話を切り出した。
    その様子に天幕内は驚きと緊張感が入り交じる。
    心護も例外ではなく、万次郎のただならぬ様子に緊張する。


    「昨日、白軍に諜報部隊を三人送り込んだのはここにいる皆も知っているね?」


    万次郎がそう言うと周りの全員が頷く。もちろん心護も頷いた。
    心護は徹が昨日選ばれなかった事を喜んでいたのを思い出していた。


    「先程、その内の一人が大怪我を負って帰ってきた。彼によると、白軍の本拠地への道中に自分らを待ち伏せていたかのように白軍が配置されていたそうだ。彼は命からがら逃げ帰ったそうだが、もう二人は彼を庇って亡くなったそうだ」


    「なっ――!?」


    そう声を出したのは誰なのかは分からない。だが、誰かがそう言った瞬間、天幕内がざわめきに包まれる。


    万次郎は淡々と話したが、それは赤軍にとって衝撃を禁じ得ない出来事だ。
    何故ならば白軍が待ち伏せていたという事は、それは即ち作戦が白軍に漏れているという事に他ならなかったからだ。
    作戦が漏れる――それだけで赤軍にとっては致命的な一撃となりうるのだ。
    そもそも赤軍の持ち味は相手の予想の裏をかく奇襲や奇策だ。
    故に赤軍にとって作戦は生命線なのだ。無論、黒軍や白軍が無策で戦闘している訳では無い。だが他軍と比べて兵士の数が圧倒的に足りていない赤軍の作戦が破綻するという事は敗北に直結するという事だった。


    だがそれよりも心護はもっと他の事が気になっていた。


    作戦が漏れていた。ならば――。


    「……赤軍の中の誰かが、僕らの作戦を漏らしている――?」


    ぽつりと心護が呟くと、場は嘘のように静まり返った。


    一瞬の静寂、そして先程よりも遥かに大きな音量で誰が漏らしただとかこいつが怪しいだとかの声が飛び交う。


    千夜は依然として口は閉じたままだったが、何かを考えるように顎に手を当てている。


    色々な憶測が飛び交う中、突如万次郎が大きな声でそれを遮った。


    「静かに!……今ここで色々言っていても仕方が無いよ。でも悲しいことに赤軍の中に間諜がいるのは間違いない。積極的に捜せとは言わないけど君達も注意を払いながら過ごしてくれ。あと、しばらくは戦闘もないと思っていてくれ。作戦が漏れてしまう以上、下手にこちらから手は出せないからね。今日はこれまで、解散していいよ」


    そう言って周りの声も聞かないまま、万次郎は奥へと戻っていった。


    その背中からはどこか悲しそうな雰囲気を感じさせた。


    心護達も万次郎が去っていった後、ぞろぞろと天幕から出ていった。
  11. 11 : : 2016/02/26(金) 00:43:52


    次の日、作戦開始直前の口頭伝達の徹底が始まり、作戦に関する情報に対して箝口令が敷かれた。


    そうする事で間者に与える情報を極限まで減らし、情報が漏れればどこから漏れたかがある程度特定できる。


    また直近に伝達する事で、情報共有までの時間を稼がせないという目的もあった。


    この作戦は予想以上の効果を表し、間者も発覚を恐れたのか漏洩は全くと言っていいほどなくなり問題は収束したかのように思われた。


    それから1週間が過ぎた頃の事。


    間者の一件はまだ犯人がわかってはいないものの、問題が起こるというような事もなく、皆の記憶から薄れ始めているようだった。


    そんな時に犯人は再び赤軍に牙を剥く。


    所謂赤軍の幹部に当たる人物たちが毎晩次々と殺害され始めた。このままでは軍全体として大きな損失となる。


    このままの勢いで万次郎にもしもの事がありでもすれば、赤軍の存亡にかかわるだろう。


    本格的な捜査が開始され、身体検査や個人の身辺調査に至るまでかなりの範囲拡大がなされる事となった。


    そんな中、1人の少女がその疑いの目を受ける事となる。安藤しおりである。


    被害者の幹部が死んだであろう深夜帯に幹部の天幕周辺をうろついていたという目撃証言が警邏の口から出たのだ。


    さらに、彼女の髪色はその疑いに拍車をかけた。彼女の桃色の髪は日本人としてはあり得ない。但し、白軍を除いては。


    白軍は海外との交流をが盛んなため髪の色は自由であり、特異な色であってもどうという事ではない。


    その事が白軍の間者である証拠だという人間まで現れる始末だった。


    その後も捜査が続いたが、犯人の犯行は留まるところを知らなかった。


    何人もの幹部の命が奪われ続ける。


    心護はそんな状態に嫌気がさしていた。


    確かにこの場合最も怪しいのは彼女だろう。だが、その身体的特徴をあげて犯人に仕立て上げるような真似を良しとはできない。


    それ以上にしおりが人を殺したり、間者のような真似ができるとは心護には思えなかった。先日話したときの彼女は臆病でありながら、優しいな少女だった。そんな子が本当に犯人だとはどうしても思えないのだ。


    しかも決定的な証拠は何ひとつとして見つかってはいない。誰かを叩いていなければ、身の危険を前に精神の安定を保てないというのが目に見えていた。


    その上、人の命が奪われようとしている。心護が黙っていられるわけもない。


    苛立ちを隠せていない心護に千夜が訝しげな視線を送る。


    「よほど例の1年生が気になるのね」


    「だっておかしいじゃないかこんなの!」


    心護が身を乗り出すようにして告げると、千夜はまたかと言わんばかりに頭を抱え溜息をつく。


    「わかったわ。あなたひとりに任せても碌なことにならないだろうし私も調べるのを手伝うわ」


    なんだかんだ言いながら千夜は面倒見が良い。心護の我儘に手厳しい言葉を浴びせながらもいつも付き合ってくれるのだ。そんな彼女の優しさが嬉しくなって心護は笑う。


    「ありがとう千夜」



    心護と千夜は聞き込みや、現場の検証から始めたが既に知れている程度の情報以上のことはわからなかった。


    あまりの証拠のなさに2人はすっきりしないものを感じる。まるで綺麗に証拠隠滅を図られたかのように全くと言って良いほど犯人の痕跡がない。


    ここまで周到な犯行を行っている犯人が警邏に見つかるようなヘマを犯すとも思えない。


    「困ったわね。あとは安藤さん本人に聞くしか……」


    どれだけ探しても犯人を特定できるような要素は見つけられない。あとはしおり本人を訪ねるくらいのことしか今の彼らにできることはなかった。


    「……行ってみようか」


    心護は今回のことで精神的にまいっているであろうしおりに話を聞くというのは気が進まなかったが、彼女の無実を証明するためには仕方がないと、渋々ながら彼女の元へ向かう事決めた。
  12. 12 : : 2016/02/26(金) 00:44:19
    しおりは以前と変わらず救護班の天幕にいた。しかし、その表情からは覇気が感じられず、あまりに不憫に見える。周囲は彼女を遠巻きから見るだけで、近寄ろうとはしない。


    「くっ……」


    千夜はしおりの胸元に目を向けると、彼らとはまた違った理由で彼女から悔しげに顔を背けた。


    心護は千夜のことは無視してしおりに声をかけようとしたが、生気のない顔に一瞬躊躇ってしまう。しかし、後ろから急かされるように背中を押されて覚悟を決める。


    「こんにちはしおりちゃん。突然だけど、事件の話を聞かせてくれないかな?」


    心護の言葉にしおりの肩が跳ねる。また疑われているとでも感じたのか、小さな体を小刻みに震わせながら逃げるように後ずさった。



    「あ、えっと……違うんだ。僕は君の無実を証明したいんだ!しおりちゃんは人を殺せるような人じゃないと思うから」



    慌てて心護が自らの本意を告げ、疑っていないことを伝える。すると、しおりは驚いたように目を丸くした。



    「あの……先輩はわたしを疑わないんですか……?」


    「疑っているのなんて碌に頭も使えない猿か、臆病なネズミくらいのものだよ」


    心護は野次馬が集まり始めているのに気づき、周りに聞こえるようにわざと大きな声を出す。


    そんな心護を見て千夜はおかしそうに笑った。


    「少しはやる様になったじゃない」


    「誰のせいだと思ってるんだ……」


    呆れる心護に対して千夜はどこ吹く風といった様子で答える。


    「さあ、誰のせいかしらね」


    心護は暖簾に腕押しというのはこういう事を言うのだろうと思いながら溜息をつくと、再びしおりに視線を移す。


    すると彼女は今にも泣き出しそうなほどに目尻に涙を溜めていた。


    「あら。淺凪くん女の子を泣かせるなんて最低ね」


    「ええ!僕のせいなの!?ご、ごめん!」


    千夜に煽られて慌てて心護はしおりに頭を下げる。しかし、それに彼女は首を横に振った。


    「違うんです。わたし、もうどうしていいかわからなくて。みんなわたしが犯人だって……」


    そういうと彼女は顔を手で覆って泣き出してしまう。


    慌ててなんとかしようとするが、どうにかできるほどの甲斐性が心護にあるはずもなく、彼女が泣き止むのをただ待つ事しか出来なかった。
  13. 13 : : 2016/02/26(金) 00:44:52

    しばらくしてしおりが泣き止んだため、心護たちは事件の事を聞く事にする。しおり自身もそれに快くうなづいてくれた。


    「わたし。捜査協力の時に話せていない事があるんです」


    胸の前できゅっと小さな手を握りしめて、しおりが身を乗り出す。


    そして、自分の資料をまとめているところから手紙を取り出して心護に手渡した。



    それを見た心護達は絶句する。



    「こ、これは……」


    「幹部の方が亡くなられた当日にわたしその手紙で呼び出されたんです。その場に行っても誰もいなくてその日は帰ったんですけど。そしたらこんな事に……」


    再び泣きそうに目を潤ませる彼女をなんとか宥めていると、千夜がなんとも腑に落ちないといった様子で心護を押しのけて身を乗り出した。


    「なぜこの事を話さなかったの?」


    「だって、すごい剣幕で質問責めにされて、わたしこんな性格だから怖くて言い出せなくて……」



    千夜の質問に答えると、しおりは申し訳なさそうに俯いてしまう。


    「しおりちゃんが悪いわけじゃないよ。でもこれで、少しは疑いが──」


    「無理ね」


    心護が言いかけたとき、千夜がそれを遮った。そして続ける。



    「今頃言い出せば、偽造を疑われるわ。下手をすれば相手の心象を悪くするのがオチね」



    「じゃあどうするのさ。僕達には発言力もないし……」


    心護が告げると、千夜は首を振って溜息を吐く。


    「そんな事だからあなたはバカ凪くんなのよ。簡単よ私達で真犯人を捕まえましょう」



    千夜は不敵に笑って告げた。
  14. 14 : : 2016/02/26(金) 00:46:04




    校舎の窓から見える空は黒く濁っていた。
    例えあの雲に触れても自分の腕では支えきれないだろうな――すみれは呑気に頬杖を付きながらそんな風に思っていた。


    彼女が2年生に進級したのは2週間前程前だが、進級してすぐに隊長として戦場に立った為、まだ2年生であると言う実感は無かった。


    とは言え、彼女の心は晴れない。初めて隊長として抜擢された戦で勝利を収めた事は良かった。軍師もすみれの活躍を聞き、笑顔で喜んでくれた。
    だが、2年生に進級してすぐに命を落とした同僚が数多くいる事に彼女は酷く心を痛めていた。


    黒軍に入隊してからというもの、友達を作ってもすぐにいなくなってしまう。
    本当に自分が生き残っていていいのか、こんな風に束の間の平和を謳歌する資格が自分にはあるのか、先の戦い以降そんな事を考えてばかりだった。
    自分が隊長として率いた部隊、その中の隊員を死なせてしまったのは自分のせいなのかも知れない。そんな私が隊長を務めていても良いのだろうか等と延々と考えてはため息を漏らす。


    そんな事をしていたら、また姉から老けるぞだの不細工になるぞだの茶化されるかも知れない。だが今のすみれにはそういう言葉が心を癒してくれるのだった。


    そうしてぼうっとしているといつの間にか授業は終わっていた。
    日直が号令をかけ、教師に礼をする。
    授業が終わると周りの人達は嬉しそうに荷物をまとめて教室を出る。


    ――ああ、今日は訓練休みだったっけ。


    黒軍はその人数の関係から、どうしても訓練出来ない人間が出てくる。
    その為、偶に訓練の出来ない日が回ってきて、その日は休みとなるのだ。


    すみれはそんな事も忘れていた自分に半ば呆れつつ教室を出て、食堂へ向かおうとする。


    だが、その道中ですみれの部隊の隊員達数人と出くわした。


    彼らはすみれを見つけると、顔を輝かせながらのこのことすみれに近づいていく。


    「すみれ姐さんお疲れ様です!今から昼飯ですか!?お供しますよ!」


    「お疲れ様っす!姐さん、今日は訓練休みなんですか!?残念ですね、運動しないと身体も鈍るでしょうに」


    姐さん姐さんと嬉しそうに彼らは騒ぎ立てるが、すみれは嫌そうな顔で彼らを睨みつける。


    「ちょっと、姐さんは止めてって言ってるでしょ?あとお昼は私一人で行くから。と言うか貴方達今から訓練でしょ?早く行った方が良いよ」


    すみれはそう言って彼らを避けて、再び食堂へと向かった。
    後ろから彼らが楽しそうに謝る声が聞こえてくるが無視して歩く。彼らの声は全く反省しているようには聞こえなかった。


    あやめとすみれが二人で隊長をすると決まった時、先にあやめは隊員の選抜を任されていたらしい。
    すみれはその時は大して気にしていなかったが、いざ隊員と顔合わせをしてみると驚いた事に先程の様な騒々しく血気盛んな兵士が殆どであった。
    あやめは満足そうに頷いていたが、すみれは気が気でなかった。
    お世辞にもあやめは頭が良いとは言えない。そんなあやめと気の合う人達と言えば、つまりあやめに似たような人ばかりだと思ったからだ。


    案の定、その考えは的中しており作戦も何度も説明してようやく分かってくれたという程だ。


    別に嫌いではないのだが、姐さんと呼んできたり意味も無く絡んでくるのはすみれとしては遠慮してもらいたかった。


    と、考え事をしているといつの間にか食堂の前に着いていた。
    中に入ると意外にもがらんとしていて、人の数は少なかった。


    混んでなくて良かったと、すみれは思いながら配給されていた昼食を受け取る。


    適当な席を選んで、いざ食べようとした瞬間向かいの席に誰かが座った。


    「すみれ、お昼一緒してもいいかしら?……あら、今は一人の気分? 」


    隊員のうちの誰かかと思い、すみれが露骨に嫌そうな顔を作ってから見上げると、そこにいたのはすみれの最も尊敬する先輩、軍師の烏丸知恵だった。


    「い、いえ!すみません!大丈夫です!」


    慌てて頭を下げる。尊敬する先輩に勘違いとは言え酷い顔を見せてしまったことがとても恥ずかしくなったのか、頬が熱くなるのを感じた。


    知恵はありがとうと微笑み、昼食を食べ始める。
    すみれもそれを見て、いただきますと一言述べて食べ始めた。
  15. 15 : : 2016/02/26(金) 00:47:10


    「と、とも……あっ、軍師、私に何かご用ですか?」


    「知恵でいいわよ。今は非公式な場だし、私だって名前で呼ばれたい時くらいあるわ」


    「わ、分かりました……じゃ、知恵先輩、私に何か?」


    すみれがそう言うと知恵は一瞬辛そうな表情を浮かべた。
    それを見逃さなかったすみれは一体どうしたのだろうと不安が過ぎる。
    だが知恵はすぐにその表情を消して、話を切り出した。


    「実はまた近々戦いがあるわ。それも大規模な戦いが。まだ詳しい作戦は決まっていないのだけれど隊長である貴女には先に伝えておこうと思って」


    「また、ですか……」


    すみれは思わずそんな事を口走ってしまう。
    慌てて訂正しようとしたが、知恵が大丈夫と言ったので、大人しく引き下がった。


    「大丈夫よ、今度は私も戦場に出向いて指揮を取るわ。この戦はきっと大きな転機になるでしょうしね」


    知恵の口ぶりからして恐らく次の戦いが厳しくなるのだろうという事は容易に想像出来た。
    すみれは、前回の様に一筋縄ではいかないのだと気付いた。
    もしかしたら今度こそは死んでしまうかもしれない――ほんの少しだけ死への実感が湧いた。
    すみれの様子を見ていた知恵は優しくなだめるように言う。


    「戦の前から死ぬ事を考えてはいけないわ。貴女は頭が良いから、きっと大丈夫。私も貴女を頼りにしているもの。いなくなられたら困るわ」


    「知恵先輩……ありがとうございます。だいぶ気が楽になりました」


    知恵はそれは良かったと言って微笑んだ。
    思わず、すみれも笑顔になる。


    二人は昼食を片付けた後もお茶を飲みながら、今度は戦争とは関係の無い他愛な会話をした。
    知恵はすみれに色々な話をした。
    彼女が軍師になる前、まだ戦場で薙刀を持って駆け回っていた時の武勇伝や実は轟木は意外と手先が器用で手芸が特技であるという与太話など、すみれが知らないような話を多くしてくれた。


    気づけば二時間前も話し込んでいて、知恵がこれから会議に行かないといけないと言って席を立ち上がると、すみれも立ち上がる。
    すみれは別れを告げて立ち去ろうとする知恵を呼び止めて言った。


    「あの……もし次も生きて返ってこれたら、またこうやってお話してくれますか……?」


    知恵はそれを聞くとにこりと笑顔を浮かべた。


    「勿論。――だから生きて帰って。私との約束よ」


    知恵がそう言うとすみれはぱっと笑顔を咲かせた。


    「はい!頑張ります!」


    知恵はそれを聞くと微笑みながら手を振って、食堂から出ていった。
    すみれはし知恵との約束が出来た喜びにしばらく浸っていた

    「おー、すみれー!どうしたの――なんで一人でにやついてるの?そりゃしわ寄せてたら老けるって言ったけどさ」


    突如目の前に現れたあやめに、指摘されてすみれはようやく我に返る。
    あやめの指摘で、初めて一人でにやついていた事に気づいたすみれは急に恥ずかしくなったのか耳まで真っ赤にした。


    「……誰かに見られたかな?」


    「んー、まあこんな時間で今も誰もいないし、多分見られてないんじゃないかな?それより、何があってそんなに嬉しそうにしてるのさ。お姉ちゃんに言ってみな?ん?」


    にやにやしながらあやめが聞いてくる。大方男絡みの事だと勘違いしているのだろう。
    すみれはそんなあやめを見て、ようやくいつも通りの調子を取り戻す。



    「実は知恵先輩とさっきまでずっとお話してて、次の戦で生きて帰ったらまたお話聞かせてくれるって約束したの。ふふ、楽しみだなあ」


    「えーっ!?良いなあ!ねえねえどんな話してたの!?次はあたしも混ざってもいいかなあ?うわー、羨ましいなあ!訓練してる場合じゃなかったよー」


    あやめはがたっと椅子から身体を乗り出して目を輝かせながら、一瞬で喜怒哀楽の表情を目まぐるしく変えていく。

    そんな妹である自分より子供らしい純粋な一面を持つ姉を見て、すみれは呆れながらも同時に羨ましさを感じていた。


    「訓練は出ないと駄目だよ……でも、次はお姉ちゃんも一緒にお話しようね。きっと知恵先輩も喜んでお話してくれるよ」


    「そうかな?私頭悪いからな…大丈夫かな?知恵先輩許してくれるかな?うぅん、どうだろ」


    本気で頭を悩ませるあやめを見て思わずすみれは噴き出した。
    それを見たあやめは一瞬むっとした顔をするが、笑い続けるすみれを見て可笑しくなったのかあやめも笑い始める。
    二人はひとしきり笑いあった後、涙を拭きながら席を立った。

    すみれは兵法の勉強に書庫へ、あやめは剣術の鍛錬に訓練場へ行く為、食堂を出る。
    二人はまた後でと挨拶を交わして、廊下で別れた。

    すみれは知恵やあやめとの約束を守る為、絶対生き残るという意思を更に固めたのだった。
  16. 16 : : 2016/02/26(金) 00:47:56




    雨が大きな音を立てながら降り続いていた。
    簡易な雨避けが設置された中央戦線の後方にはすみれとあやめ、それに武田が集まっていた。


    「――では、そういう手筈で良いですか?」


    すみれは作戦の説明をし終わると、二人の顔を見上げる。


    「心得た」


    「了解だよ!」


    二人の了承を得ると、すみれは地図を片付けながら急造の屋根付き小屋から戦場を見る。
    今日は雨で視界が悪い。
    それは一般的に言うのであれば戦闘を避けるべき状況だが、逆に上手く活用できれば勝利は確かなものになる。
    すみれは前回の作戦が上手くいった事が少なからず己の自信に繋がっていることを自覚した。
    恐らくこの作戦が上手く行けば、中央の白軍を一網打尽に出来るはずだ。


    「じゃあ、お姉ちゃん、武田先輩。よろしくお願いします」


    二人は頷いて行動を開始する。
    あやめは黒軍の敷いた防衛戦の前線に、武田はすみれと共に小屋から出て少しの小高い丘に移動した。
    この小高い丘には武田隊の半分近くの騎兵が身を潜めている。

    武田の乗る馬の後ろに乗っていたすみれはその獣臭さに顔をしかめた。

    しかしそんな事を気にしている場合ではない。
    すみれは小高い丘から見える黒軍の防衛戦を眺めた。

    ――明らかに圧されている。徐々に後方へと後退し、追い詰められているのが目に見て分かる。


    「本当に大丈夫なのか?」


    武田もそれを見て少し心配になったのか、すみれに問う。


    「……正直、危険な作戦ではあります。一種の賭けと言っても過言じゃないです。頃合いを図り損ねたら一巻の終わりだと思います」


    「……そうか。だが、そうするしか無いのだろうな。俺よりお前の方が謀に秀でているのは明白、ならお前の言う事に従うのが正しい筈だ」


    そう言って武田は静かに前を向き直した。


    すみれは以前より武田に苦手意識を覚えていた。真面目で堅物で怖そうな人だと思っていた。
    それは事実、その通りだ。だが、すみれは改めて共に戦場に立ち、彼への評価を改める。

    ――この人も本気なんだ。本気で戦って、生き残って、勝ちたいと思ってるんだ。


    それは当たり前の事ではあった。
    しかし自分と全く違う人間が、同じ事を考えて戦っているという事を知るだけで信頼するに値する。


    すみれも前を向き直し、黒軍の崩れかけの防衛戦を見る。


    今もあそこで沢山の同胞が命を散らしている。
    それを自分は利用して勝利を掴もうとしている。
    自分にそんな事をする資格は無いのだと何度も思った。隊長を辞めたいとも何度も思った。


    でも、自分にしか出来ない事がある。


    自分の作戦で、仲間の命が散っていくのなら、せめてその死を無駄にせず勝利へ繋げていく事こそが自分に出来る償いだと知った。


    だからもうすみれは躊躇わないと誓ったのだ。


    「……勝ちましょう、絶対に」


    ぽつりと彼女はそう呟いた。
  17. 17 : : 2016/02/26(金) 00:48:35



    「くっ!総員下がって!これ以上留まるのは無理!」


    あやめは泥と怒号と血と悲鳴が飛び交う防衛線の前線で戦っていた。

    黒軍の防衛線は数こそ多かれど、その白軍の勢いに呑まれつつある。
    兵の質では向こうが上、尚且つ相手は進軍してくる側だ。
    この大雨、地面は酷くぬかるんで足を取られやすくなっている。
    後退する側の黒軍は必然的に動きの速さに於いても白軍に劣っていた。

    あやめはそれでも尚、気丈に刀を振るい続ける。
    闇雲に敵に向けて突き出した刀は相手の胸部を貫き、絶命させる。
    彼女本来の戦い方である軽い足捌きを生かした戦法とはかけ離れた泥臭く、血なまぐさい原始的な戦い方だった。
    しばらくそこで持ち堪えて、防衛線が崩れそうになったら徐々に後退していく。
    そうやって黒軍にあたかも余裕が無いように見せつけるのがあやめの仕事だった。


    だが実際、黒軍に余裕は無い。
    すみれも非常に際どい作戦だと話していた。
    あやめは周りを見渡してみるが、周りの兵の顔は苦しそうに歪むばかりである。
    悪い視界と足場、圧されている現状、彼らは肉体的にも精神的にも削られていた。


    だが、耐えなければならない。


    あやめ達が耐えなければ勝利は掴めない。


    「――ッ!総員、更に撤退!耐えて!姿勢を前屈みにして当たって!後ろに反ったら殺られるよ!」


    あやめの呼びかけに黒軍の兵士は再び奮起する。
    だが、それでもじりじりと後ろへ後ろへと下がって行く。
    いつの間にか白軍の兵士が黒軍の兵士の数に追いつき始めている。
    徐々に後退する間隔も短くなっていた。


    あやめは舌打ちして、刀を振る。
    周りの兵士の手数が少なくなりつつある。
    もう戦意が喪失しかけているのだ。
    戦意が喪失してしまえば、諦めて死を迎えようとする兵士が出る。
    一人諦めれば、また一人。
    負の感情は連鎖するのだ。あやめは戦場に立ってその事を肌で覚えていた。


    ちらりと後ろの森の向こうに見える丘を見る。
    そこには黒軍の兵が待機しているのが見えた。


    ――まだか。まだなのか。


    あやめの焦りは加速していた。










    「おい、まだか。まだ行けないのか」


    武田がいらついたようにすみれに問いかけた。
    すみれは平静を装ったまま、まだです、と短く答える。


    すみれとて黒軍の防衛線の限界が近い事は分かっている。
    だがまだ駄目なのだ。今行っても作戦は成功しない。
    肝心なのはこちらが限界だと言う事を相手に思い込ませる事。
    それがまだ完全でない。
    だから耐えなければならないのだ。


    「このままでは合図の前にやられてしまうぞ!本当にまだ駄目なのか!?」


    「まだ駄目です!……耐えてください。これは相手との戦いであると同時に自分との戦いでもあるんです」


    すみれは武田の苛立ちをきっぱりと遮り、周りの兵士にも聞こえる声で言った。


    「今わたし達は辛く苦しい時を耐えています。これからの数分で恐らく今よりもずっと事態は悪化するでしょう……でもわたし達が今耐え、我慢すれば、必ず状況は好転するんです!」


    すみれはそう言って再び前方の防衛線を見つめる。
    周りの兵士達はすみれのその言葉に心を動かされたのか、そわそわしていたのを止めてすみれに倣って前を見つめる。


    「……そうか。怒鳴ってしまって悪かった。確かにお前の言う通りだ。俺も、共に耐え抜こう」


    「武田さん……ありがとうございます」


    防衛線は徐々に崩れていく。
    もう黒軍と白軍の数は拮抗していると言っても過言では無い。


    だが、耐える。


    まだ、耐える。


    ただ、耐える。


    すみれの唇から血が流れる。何かを噛み殺すように耐え続けていた。
    そしてすみれは防衛線のある一点が突破されかけたのを見て立ち上がる。


    そして防衛線が後退し続けて後方の森に差し掛かった瞬間、彼女は叫んだ。


    「武田隊、前進して下さい!!!全力で!!!」


    そうすみれが声の限り叫びながら、前回と同じ要領でかんしゃく玉を空に向けて放つ。


    かんしゃく玉は勢い良く弾けて、大きな音を響かせる。


    それを合図に武田隊の騎兵は全速力で馬を駆けさせ、丘を下る。
    加えて防衛線は一気に解体され、森の中へと散り散りになっていく。
    白軍は防衛線が遂に崩れたと思ったのか、殲滅しようと意気揚々と森の中へと進軍して行った。


    騎兵はものの数分で森全体を包囲した。
    黒軍の防衛線は散り散りになった後、すぐに森から出ている。


    それを追って森から出ようとした白軍は自分達が包囲されている事に気付き、動揺する。


    「……勝利は、最も忍耐強い人にもたらされる、か。昔の人も良いことを言うなあ」


    すみれは疲弊し切った顔で武田の元へと走って行った。
  18. 18 : : 2016/02/26(金) 00:52:05
    すみれが武田の所へ向かうと、泥塗れのあやめもそこに居た。
    雨は未だにその雨足を緩めずに降り続けている。


    すみれは二人に近づくと、作戦の内容を再確認した。


    「武田隊の皆さんは前進しながら白軍に圧をかけていってください。瀧隊は突破口を塞いで、包囲網を縮小しつつ殲滅してください。時間をかけ過ぎるのは良くないですが、今の所増援が来ている等の連絡も無いので、安心して下さい。逃げ道を絶って相手を精神的に削っていきましょう」


    すみれがそう言うと、二人は頷く。
    しかしあやめはそんなすみれを見て苦笑した。
    すみれがそれを見てどうしたのかと問いただすと彼女は笑いながら答える。


    「いや、今のすみれがちょっと悪い顔してたからさ。ちょっとすみれ二重人格っぽいよね」


    「う、嘘!わたしそんな風になってた……?や、やだ……今のは忘れて!」


    すみれは急にいつものような年頃の女の子らしい反応をしながら、赤面した頬に手をあてる。

    そんな様子を見て、あやめは鼻に泥を付けたまま笑った。
    だがそんな二人を武田は嘆息しながら注意する。


    「まだ戦いの途中だぞ。しっかりと気を引き締めなおせ」


    「分かってますよ、でも今からはこっちが攻め入る時間ですからどんどん気合い入っていきますよ。あたし達の隊員はそういう奴らばかりですから」


    あやめは笑顔で武田にそう言った。
    武田は、「なら良いんだ」とだけ言って目の前の森を見据える。
    囲まれた白軍の兵士達はどうにか包囲を突破しようと出方を伺っているが、その包囲の堅さに尻込みしているようだった。

    すみれはあやめと武田と顔を見合わせると、作戦開始の声を上げた。


    「進軍、開始です」


    すみれがそう言うと武田を筆頭にゆっくりと包囲を縮めていく。


    すみれはその様子を後方から見守りつつ、適宜矢を放っていく。
    白軍は縮まっていく包囲を見て、どんどん奥へと逃げ去っていく。
    しかしそんな事をしても最終的には追い詰められるのだ。

    徐々に時間をかけて包囲網は縮小されていく。すみれは前回の戦い同様に勝ちを確信し始めていた。

    だが、今回もまた白軍の兵士が少し脆すぎる気がした。
    しかし前回は結局ただ弱いだけで援軍が来る訳でも無かった。
    恐らく今回もそうだろう。仮に援軍が来たとしてもこれだけの人数が動員されていれば事前に気づきやすいはずだ。

    すみれはふと空を見ると少し雨足が弱まっている事に気が付く。
    ようやく降り続いたこの大雨も上がりそうになっていて、まるで黒軍の勝利を天が祝ってくれているようだった。


    「……雨、か」


    すみれはすっかり降り続ける雨に慣れていて、雨という存在を見落としていた。
    包囲は既に森の中まで狭まっており、森の外にはすみれが一人で立っている。


    ふと森の向こう側――先程まで防衛線が張られていた方を見る。
    未だに雨のせいで視界は良くない。
    だがすみれは悪い予感がざわつき始めたのを感じていた。


    いやそれは有り得ない。
    だって前回もそうだった、援軍が来ると思い慎重な策を取ったが結局肩透かしだった。
    彼らは相手の軍師に取ってただの捨て駒だったのだ。


    そうただの捨て駒――。


    「捨て……駒……?」


    すみれは知恵から聞いた白軍の軍師の話を思い出していた。
    狡猾で冷酷、人を犠牲にする事を躊躇わない人間だと知恵は言っていた。
    そんな人間が立てる作戦はどんなものなのだろうかと考えた事がある。
    だが結局は何も思い付かずそんな事は忘れていた。


    ――仮に前回の戦いが捨て駒だったなら。


    ――白軍は包囲された部隊に援軍を寄越さないとわたしに思わせようとしたのなら。


    ――作戦を成功させて、同じ作戦が通用すると思わせようとしたのなら。


    ――全てはここでわたし達を全滅させる為の布石だったとしたら。


    いやそれは有り得ない。そんな未来予知のような事が人間に出来る訳はない。


    知恵が昔彼の事を化け物と呼んでいた事を思い出す。


    仮にそうだとしたら、白軍の軍師は何人の兵士を捨てたのだろうか。


    すみれは身体が震えだしたのを止めることが出来なかった。
    大雨のせいで遠くが見えなかった。
    そんな事は言い訳でしかないとすみれは悟った。
    全ては自分の油断だった。
    自分が作戦を立てれば勝てるという慢心だった。


    すみれは膝から崩れ落ちる。


    既に前方にはっきりと見える白軍の大軍の前に、すみれは勝機を見失っていた。


    更に白軍の先頭には奴がいた。


    白軍の死神、血を求めるだけの狂戦士。


    ――赤染(あかぞめ)ましろが。
  19. 19 : : 2016/02/26(金) 00:55:24


    赤染ましろ。


    すみれやあやめと同じ歳だが、既に白軍で最も注意すべき人物だと書類には記載されていた。


    その戦闘能力は戦闘狂と呼ばれるに恥じないものであり、出会ったら即時撤退するようにと知恵が全員に話していた。


    更にすみれは今回の作戦を中央部隊の隊長として指揮するに当たって、知恵から念入りに頼まれたことがあった。


    ――もし遭遇して、武田くんが戦おうとしたら絶対に止めること。


    すみれは呆然と膝立ちしていたが、すぐに我に返り、震える足を無理矢理前に進めながら武田の元へと向かった。


    「た、武田先輩……撤退、撤退です。白軍の大軍が援軍としてすぐそこまで来ています。退路が絶たれる前に、急いで……!」


    「何だと!?何故今まで気づかなかったんだ!?……いや、今はそんな事どうでもいい。総員撤退!白の残党など放っておけ!」


    武田は高らかにそう叫ぶと、馬の後ろにすみれを乗せて撤退する。

    あやめもまた武田隊の騎兵の後ろに乗り、すみれの隣に並んだ。


    「嘘……何あの数!?あっちは本気じゃなかったって事?それに、先頭にいるのは白軍の死神じゃない!」


    「――何?」


    ピタリと武田が馬を止める。
    すみれはもう既に武田に赤染ましろの存在を隠し通すことを諦めていた。
    だから武田が馬を止めた時も、驚いてはいなかった。ただ青冷めた顔で震えていた。


    「瀧すみれ。俺が奴らを食い止める。お前らはその隙に――」


    「駄目です。……赤染ましろ、彼女は槍使いですよ?騎兵である武田先輩とは余りに相性が悪過ぎます」


    すみれは顔を上げずにそう言った。
    武田は不服そうな顔で黙り込む。
    暫しの間、考えるようにして武田は口を開いた。


    「確かに、お前の言う通りだ。俺如きでは勝てない相手かも知れない。それでも俺は戦わなければならないんだ。……去年お前らはまだ戦場に出ていなかったから知らないかもしれないが、俺はあいつ一人にそれまでの部隊を俺以外全滅させられた。俺は……俺はその時、一人でのこのこと逃げ帰ってきたんだ……!仲間を見捨てて……己の事しか考えずにッ!」


    言いながら己に腹が立ったのか、徐々に声に力が篭っていく。
    すみれとあやめは黙って武田の姿を見ていることしか出来なかった。


    「だから俺は行かなければならない。俺は奴との戦いでしか死ねないんだ。俺の死に場所は戦場だけなんだよ。黙って寂れた布団の中で死ぬなんざ許されねえんだよッッ!!!」


    武田はまるで自分に言い聞かせるかのように半ば絶叫していた。
    撤退していた武田隊の騎兵達も馬の足を止める。
    武田は近くにいた騎兵に耳打ちすると、すみれにそちらに移るように支持する。
    すみれは唇を噛み締めながら、静かに武田の馬から降りて指示された方へと移る。


    「……西側陣営の方へ相手を誘導して下さい。向こうには柳刃くんがいます。危なくなったら絶対に撤退して下さい。……ご武運を」


    すみれはそれだけを言うと騎兵に指示して、武田を残して後方へと撤退して行く。
    あやめと瀧隊の隊員達を乗せた騎兵達ももそれに続いて後方へと撤退した。
    残ったのは武田と少しの騎兵達だけだった。


    「お前らも逃げて良いんだ。俺の様な身勝手な人間は置いていけ」


    「ええ、隊長は全く持って身勝手でありますな。自分らもそんな隊長には処罰を受けてもらわねば気が済みませぬ。故にこの様な所で死なれたら自分達も困るのでありますよ」


    隊員の一人がそう言うと、残った隊員は全員その意見に賛同し、武田の後ろへと並ぶ。
    武田はそれを見て、一瞬酷く驚いた表情を浮かべたが直ぐに鼻を鳴らして前に向き直した。


    「……そうか。それがお前らの意志なら俺はもう何も言うまい」


    彼はそう言って、顔を上げ前方から迫り来る白軍を睨みつける。


    「総員、俺に続けッ!!!!」


    武田は高らかに叫び、馬を駆る。
    風と一体になったかのように彼らは疾走し、白軍に急接近した。
    先頭にいたましろはそれを見つけると、にやりと獰猛な笑みを浮かべ武田達目掛けて行軍の速さを上げる。
    武田は西側に旋回し、白軍を引きつける。


    ある程度開けた場所に出ると彼らは馬の速さを緩めて、ゆっくりと止まる。
    武田は一人、迫り来る白軍に近づき声を上げた。


    「俺の名は武田信助!!赤染ましろとの一騎打ちを申し込む!!」


    それを聞いたのか、ましろは白軍の兵士に何かを呟き、ゆっくりと前に出てきた。
  20. 20 : : 2016/02/26(金) 00:55:54
    「は、初めまして、武田さん。私は赤染ましろと言います……その、よ、よろしくお願いします」


    武田は彼女のやけに丁寧でどこか臆病な言葉使いに内心驚いていた。
    彼が以前見た時の彼女はまるで地獄の悪鬼の様な表情で夥しい骸の上に立っていた。
    その様な雰囲気を一切感じさせないその言葉使いに一種の気味の悪さを覚える。


    ――初めまして、か。


    分かっていた事とは言え、ましろは自分の事を全く覚えていないようだった。
    だが武田はそれでも構わないと思っていた。
    彼女にとって自身は只の無謀な敵、そうであった方がより彼女と正々堂々と戦えるような気がしていたからだ。


    「一騎打ちに応じてくれた事、感謝する。俺は例え相手が女でも容赦はしないぞ」


    そう言って武田は軍刀を抜いた。
    彼女はそれを見て少し青ざめながらも身の丈程もある槍を構えた。
    一瞬の静寂、生温い風が吹き抜けた瞬間、弾けた様に武田が馬を駆る。
    馬はましろのすぐ左目掛けて加速する。
    そして馬がすれすれで彼女の横を通過する時、すれ違いざまに武田はましろに向かって斬撃を繰り出す。


    ましろはその斬撃を慌てて横に飛び退いて、回避するが武田の刀の切っ先がましろの頬を掠める。
    薄皮一枚、紙一重でその斬撃を躱したましろの頬から赤い血が垂れる。


    「ちっ、一撃で仕留めれなかったか……!」


    武田は一気に方向転換し、再びましろに向かって加速する。


    だが、それまで棒立ちだったましろが急に武田の方を振り向く。
    ぎらぎらと悍ましく輝く肉食獣の様な金目が武田を射抜いた。


    ましろは走り出し、手にした槍の石突きを地面に突き立てて棒高跳びの要領で空中へと踊り出す。
    そのまま走ってくる武田に向かって、槍を振りかざした。


    武田は叩き付けられる槍を軍刀で防ぐが、明らかに力でましろに押し負けている。


    「ぬぅらぁっ!!」


    槍に押し潰されそうになるが、何とか踏ん張り横へとましろを弾き返す。


    空中で無防備になったましろは地面に落ちると共に横転、両足を地面に付けて再び駆け出す。


    傍目から見れば馬に乗っている武田が有利にも見えるだろう。
    だがそのましろの身の丈程もある槍を以てすれば武田の乗る馬を先に仕留める事は容易だ。
    馬を失えば武田は最早打つ手は無くなる。


    だが、ましろは何故か馬を狙おうとはしない。
    ひたすら上の武田だけを執着して狙い続けていた。


    「……将を射んと欲すれば――」


    ましろが武田目掛けて鋭い突きを繰り出しながらぽつりと呟く。


    武田はその突きを寸の所で回避しながらお返しと言わんばかりに突きを繰り出す。


    「将を射んと欲すればまず馬を射よ、か?その言葉を知っているのなら何故お前はそうしない!」


    武田の突きを槍で弾き返して、地面に着地したましろは獰猛な笑みを浮かべた。


    「はァ?違うよ、武田さん。将を射んと欲すれば馬を射よ?そんなのつまんないじゃん!!私はもっと、もっともっともっと血が浴びたい!!自分の血も、アンタの血も!……それなのに相手を弱らせて殺すなんて面白くない……将を射たいなら、とっとと将を射るんだよ。まだるっこしいよ馬からなんて!」


    常軌を逸したその言葉に武田は一瞬怯む。
    だがましろは襲って来ずに、武田に向かって笑みを浮かべる。


    「アンタは良いよ、凄く良い。最近は私に一騎討ちを挑む人なんてめっきり居なくなった。でもアンタはしてくれた!そこら辺の雑魚とは違って少しは強いし、私はとても感謝してるよ。さあもっと遊ぼうよ、殺し合おうよッ!」


    「……狂戦士とはよく言ったものだな。来い、貴様の相手はこの俺だッ!!」


    武田も負けじと声を上げ、再び馬を走らせる。
    ましろもそれを見て、嬉々とした表情を浮かべて一気に駆け出す。
  21. 21 : : 2016/02/26(金) 00:56:30


    ましろは先程までとは比べ物にならない速さで走り出す。
    駆け出したましろは最初にやって見せたように槍を使い、棒高跳びの要領で再び空中に躍り出る。
    先程とは違い、勢いを付けた跳躍であり必然的に速さも段違いだった。
    武田はその速さに反応が遅れ、ましろの攻撃を防ごうとしたが間に合わない。
    ましろは叩き付けようと振りかざしていた槍を手首を返して、矛先を下に向ける。


    ましろは重力に逆らわずそのまま思いっきり、武田の脚を貫いた。


    「――あっぐああああっっっ!!??」


    ましろは刺さった槍をそのまま下に向かって引き下ろす。槍は武田の脚の肉を引き裂いた。


    夥しい量の血が吹き出す。
    武田は強烈なその痛みで一瞬意識が吹き飛びかけたが、しかしその痛みのせいで意識を失う事も許されなかった。


    武田の右脚は半分以上が切断されており、見るも無惨な有様であった。
    熔鉱炉で熱された鉄器を直接当てられたような痛みが止むことなく続いている。


    武田は力無く手にした軍刀を振り、ましろからどうにか距離を取る。


    「ぐあっ……はっ、はっ、はぁっ……」


    「うひゃ、気持ちいい!雨に濡れて冷えた体に血が染みるね!どう?武田さんはどんな気分?」


    彼女は身体中に返り血を浴びながら楽しそうに笑った。
    武田は血を流し過ぎてしまったのと未だに止まない強烈な痛みのせいで視界はぼやけ、意識は朦朧としている。
    だが、それでもまだ武田は生きている。
    彼の目はまだ光を失っていなかった。


    「……終わるか………まだ、まだ、終わってたまるものか……ッ!」


    ぎらりと武田の目が輝きを放つ。
    それはまるでましろと同じような肉食獣の目付きだった。
    それまで笑っていたましろの顔から急速に余裕の笑みが消え去っていった。


    武田は無理矢理に馬を走らせる。
    持てる力を全て腕に注ぎ込むようにして刀を強く握り締める。
    見る見るうちに二人の距離は縮んでいき、武田は雄叫びを上げる。


    「うぉおおおおおッッッ!!!」


    全身全霊を込めたその突きはましろの顔目掛けて繰り出される。
    だが、ましろはそれを避けることなく、むしろ向こうから突撃する。


    一瞬の肉薄。


    「………す……ま…………」


    武田の繰り出した渾身の突きはましろの目元を掠めただけであり、肉薄した瞬間ましろの放った突きは武田の心臓を貫いていた。


    ましろはずぶりと心臓から槍を引き抜く。
    それに合わせて武田の身体は馬の上から崩れ落ちた。


    「……アンタ凄いわ、最後の一撃は本当に死ぬかと思ったよ。ま、でも私の勝ちだけどね!いや今回も死ななかったなあ!よし、じゃあ皆!黒軍の残党狩りの始まりだよ!」


    ましろは一瞬だけ武田に敬意を払うように黙祷を捧げたが、本当に一瞬だけで次の瞬間再び獣のような笑みを浮かべて、武田隊の面々を見やる。
    隊長を失った隊員達は目の前のましろと圧倒的な人数差を前にして震え出す。
    そして一人が後方へと逃げ出すと、それに続いて全員が逃げ出した。
    だが、ましろはそれを許さず後ろに控えさせていた兵士達を全員逃げ出した武田隊の残党に向かわせた。

    しばらく逃げていたが、一人、また一人と人の波に飲まれていった。

    ましろは一人で死んだ武田の死体から軍刀を拾い上げて腰に差す。
    そして主が死んだにも関わらず、主の傍から動こうとしない馬を見上げた。


    「……ふーん」


    ましろはその馬にひょいと飛び乗る。
    馬は抵抗しなかった。
    馬の扱いなど習ったことも無いましろはどうしたら走るのかが分からずに上で少しもぞもぞしていた。


    「もう、走れよ!」


    ましろが痺れを切らしたようにそう言うと馬は急に走り出す。
    最初は驚いた彼女もすぐに馬の乗馬に慣れて、笑みを浮かべた。


    「気持ちいいー!戦いの次くらいに好きかも!」


    ましろは無邪気な子供のようにそう言って笑ったのだった。
  22. 22 : : 2016/02/26(金) 00:57:31



    一方その頃、すみれ達は西側陣営の拠点に向かっていた。


    「すみれ、一旦本拠地に戻らないの?知恵先輩に報告した方が良いんじゃ……」


    あやめが心配そうにすみれの顔を見ながらそう言った。
    しかしすみれは姉の方を向かず、首を横に振る。
    その横顔は酷い顔をしていて、血の気が引いて病的なほど青冷めていた。


    「……本拠地に戻るのは柳刃くんに一報入れてからでも遅くはないと思う。武田先輩達が白軍を引きつけてくれているお陰でわたし達が急に襲われる事は無いはずだから」


    すみれはそう言って、また何かを考えているようにぶつぶつと何かを呟き始めた。
    あやめはそれを見ながら心配そうな表情を浮かべる。
    こんなにも追い込まれている妹の姿を見たのは初めてで、何と声をかけていいのか分からない。
    妹がこんなにも苦しんでいるのに自分には何もしてやることが出来ない、あやめはそう思いながら歯噛みする。


    「……お姉ちゃん失格、かな」


    あやめが小声でそう呟いたのは、すみれの耳には届いていなかった。


    程なくして、すみれ達は西側陣営の拠点にたどり着いた。
    すみれが辺りを見回すと、奥の方に清志郎が待機しているのを見つけた。
    すみれとあやめは清志郎に駆け寄る。
    清志郎はそれに気付いたのか、腰掛けから立ち上がった。


    「二人とも、どうしたんだ。中央の戦線はお前らが仕切っていたはずだが……」


    「もう、中央は突破されたの……。わたしのせいで白軍の援軍に気づかなくて、今武田先輩達が西側に白軍の援軍を引き付けてる。……奴らの中にあの槍使いが居て、凄く危険な状態で……急いで助けにいかないと」


    すみれがそう説明すると、清志郎は驚きはしたものの冷静に対応した。
    すぐさま拠点に散らばっていた兵士達を集めて、武田達への援軍を結成した。


    「報告ご苦労だった。後は俺に任せておけ、必ず武田先輩と共に帰投して見せる。二人は少し休んでから本陣に戻るといい。すみれは大分顔色が悪いみたいだからな」


    「……分かった。そうするよ、ありがとう柳刃くん」


    清志郎はすみれがそう言ったのを見て、強く頷き部隊を率いて武田達が白軍を引き付けている地点に向けて出発した。

    ここでようやく動きっぱなしだったすみれ達の部隊は小休止を挟むこととなった。


    隊員達は傷の手当てや武器の手入れと、各々が好きな様に休憩していたが全員の士気は低い様に見えた。
    それも無理もないだろう。
    何せ隊長の作戦が成功すると信じて、厳しい戦いを乗り越えたと思えば、この有様である。
    自分達の必死の戦いは何だったのか、傍らにいた戦友達の死に意味はあったのか、戦場である以上それは仕方の無い事でもあるがそう簡単に割り切れるほど彼らは大人では無かった。


    それは勿論、隊長本人とて例外では無い。


    「わたしが隊長だったから……何でわたしが、どうして……」


    すみれは頭を抱えながら自責の念に苛まれていた。
    高校二年と言う若さで作戦参謀と隊長の兼任は彼女にとってかなりの重圧だった。
    それでも必死に考えて戦ってきた、前回の戦いでは自分の考えた作戦が成功し自信も得た。
    だが彼女はその全てを打ち砕かれてしまった。


    あやめはそんなすみれを見ながら、何とか彼女なりに励まそうとする。


    「すみれ、大丈夫?あたしはすみれが悪いなんて思ってないし、きっと皆そうだよ。だからそんなに思い詰めなくても――」


    「お姉ちゃんに何がわかるって言うの!?わたしは沢山の人の命を背負って、それを犠牲にしたんだよ!?恨んでない人がいない訳ないじゃない!」


    だがあやめの励ましはすみれにとって逆効果だった。あやめはすみれの剣幕に圧されて何も言えなかった。


    「……お姉ちゃんは良いよね。ただ敵を殺せば良いんだから。他人の命を預かる事の重さも分からないんでしょ」


    「――っ!言い過ぎだよ、すみれ!ただ敵を殺せばいいって……あんたはそんな事言うような子じゃなかったよ。……すみれ、どうしちゃったの?」


    すみれはゆっくりと立ち上がる。
    どこか焦点の合ってない瞳は不規則に揺れていた。
    彼女はあやめの傍に立って静かに言った。


    「……ここは戦場だよ、お姉ちゃん。今初めて分かったよ、わたし達はみんな異常だって。人を人として扱わない殺し合いが当たり前だって思ってる。わたしも心のどこかでみんなの事を使い捨ての駒だと思ってたのかも知れないね」


    「す、すみれ……?本当にどうしたの……?あたし怖いよ、すみれがどっか遠くに行ってる気がして……」


    あやめは震える声ですみれにそう言ったが、すみれはにこりと微笑み返して何処かへ歩き去っていった。


    あやめは一人すみれの後ろ姿を眺めながら呆然と立ち尽くしていた。
  23. 23 : : 2016/02/26(金) 00:58:05


    清志郎が武田達の方へ向かってから30分程が経過した頃、すみれが隊員達を集めた。


    「今から名前を呼ぶ隊員は前に出てください。瀧あやめ――」


    突然の事に何事かと隊員達はざわついた。呼ばれた隊員達は全員が部隊の中でも腕の立つ兵士達で、ますますのざわめきが大きくなる。


    だが呼ばれた人数はごく少数で、十数人しかいなかった。


    「今呼ばれた人とわたしは柳刃隊と合流し、敵部隊長である赤染ましろを討ちます。狙うのは彼女だけ、それ以外は全て無視します。彼女は非常に手強い為、恐らく正攻法では勝てません。従って、わたしを囲む様に陣形を組み、柳刃隊が赤染ましろの注意を引いた所をわたしが射抜きます。……成功率は低いですが、やらないよりマシでしょう」


    「ちょっ、すみれ姐さん……流石にそれは無茶じゃ……」


    先程も名を呼ばれた隊員のひとりが抗議の声を上げた。
    彼は最前線で戦いながらも、すみれの副官としてあらゆる面で彼女を支えてきた。
    その為、すみれも彼を信頼しており彼の言葉にはちゃんと耳を傾けていたのだが、今回は違った。


    「無茶でも何でもやらないといけないんです。このままだと赤染ましろに何人殺されるか分からないでしょう?なら数人を犠牲にしてでも彼女を討つ事の方が利益が出る、犠牲を数人で抑えれます」


    「なっ……!……すみれ姐さん、それは無謀っす。作戦でも何でもありゃしねえ。そいつはただの集団自殺だ。だいたい一度全員撤退してからもっと作戦を練る時間はある筈でしょう?」


    彼は厳しい表情でそう進言する。
    彼の言葉はその場にいた全員の思いを代弁していたといっても過言では無い。
    すみれは彼の言葉を聞いてしばらく黙っていた。そしてその後、深く溜め息をついて沈痛とした表情で口を開いた。


    「……今行かないと意味が無いです。恐らく私の見立てでは武田先輩では赤染ましろを足止めはできてもそれ以上は望めません。つまり、急がなければ柳刃くんが彼女と当たる事になる。柳刃くんは見かけによらず熱くなりやすいからきっと仇を討とうとするだろうけど、彼でも奴には勝てない。柳刃くんまで失えばわたし達はお終いです。彼が逃げる時間を稼ぐ為にもわたし達が行かないと……いけないの」


    そこで遂にすみれの真意が明かされる。
    つまり彼女は『赤染ましろを討つ』という建前で『清志郎が逃げる時間を稼ぐ』事、つまり殿を務めることを目的としていたのだ。
    最初からそう言わなかったのは、殿を務めるということは非常に死亡率が高い役回りだったからだ。

    それを聞いて彼は思わず口を噤む。
    そしてすみれに対して思いっきり頭を下げる。


    「すんません!すんません、すみれ姐さん!姐さんの気持ちも分からないで好き勝手言って!やっぱり一生ついて行くっす!死ぬ時は一緒っす!」


    彼はそう言ってまるで人が変わったかのように笑顔を浮かべる。
    すみれの発案に疑いを持っていた隊員達もすみれのその言葉ですっかり疑いが消えてしまったようだった。


    すみれはそれを見ながらしっかりと頷いた。


    「行きましょう。急がないと柳刃くん達があぶないですから」


    そう言ってすみれ達はすぐに出発の準備へ取り掛かった。


    準備をしながらあやめは一人安堵したように笑っていた。


    ――良かった、いつもの優しいすみれだ。


    恐らくさっきは少し混乱していたのだろう。
    それで思わず変な事を言ってしまったに違いない。
    あやめはそう思い、納得する。
    スッキリとした表情を浮かべてあやめは準備を終えた。


    「皆さん!もう出発しますよ!」


    すみれの声がかかる。
    あやめは意気揚々と声のした方に走っていった。
  24. 24 : : 2016/02/26(金) 00:58:33




    清志郎は焦っていた。


    自分がこうしている間に中央では多くの犠牲者が出ていて、なおかつ今も武田という重要な戦力を失いかけているからだ。


    仲間を守る、友を守る、全てを守る――幼き頃、誓った子供の考えるような幻想はとうの昔に潰えていた。

    何かを守る為には何かを犠牲にしなければならない、戦場に立ち今まで生き残ってきた清志郎はそう考えていたし、恐らくその考えは変わらないだろう。


    だがそう思う度に、ある男が脳裏を過ぎる。


    弱く、脆く、だが決して己の信念だけは曲げない男の事を。


    先日、轟木先輩を破った男の名を聞いた時、清志郎は一人驚嘆していた。
    いや、何処か笑っていたと言っても過言ではなかっただろう。
    自らの幻想が目の前に現れて、いずれ自分を打ち砕きに来る。
    それは清志郎にとって、奴との戦いだけではなく自分との戦いのようにも思えた。


    「……ならばこの手で証明するまでだ」


    覚悟ならとうに決まっている。ならば清志郎はやるべき事をやるだけだ。


    しばらく進むと、白色の何かが見え始める。
    清志郎を含めた隊員達全員が目の色を変えて緊張を走らせる。


    「ようやく白軍のお出ましか――」


    武田先輩、どうか無事でいて下さい――と続くはずだった言葉は途中で切れる。


    前方に見える白軍に気を取られ、右方向から迫り来る死神に気づいていなかったのだ。


    「首、もーらいっ!」


    一瞬で部隊の真ん中に突撃してきたのは赤染ましろだった。
    部隊の真ん中にいた兵士二人を一気に串刺しにし、絶命させる。
    彼女の持った長い槍は乱戦では本来使いにくい長槍だが、彼女の技術と筋力を以てすれば脅威的な武器となる。
    しかも今彼女は何故だか馬を乗りこなしていた。
    しかし清志郎は彼女が馬に乗っている事に疑問を覚える。
    頭の中で事前に貰った資料を読み返すが馬に乗っている等という情報はどこにも無い。


    「総員、退け!奴に正面から挑んでも勝ち目は無い!奴から離れろ!!」


    考えていても仕方ないと考え、一旦立て直すために部隊を下げる。
    清志郎は奴を足止めする為に太刀を抜き、馬の足を狙った。


    ――幸い奴には武田先輩程の乗馬技術は無い。馬の足を止めれば足止めにはなるだろう。

    だがふと彼は気づいた。


    「武田先輩は……何処だ?」


    ぞくりと背筋が凍り付くのを感じた。
    清志郎は馬に乗ったまま清志郎を見下ろしているましろを見上げた。
    その目は品定めと言わんばかりに清志郎の全身を不躾に眺め、そして意地の悪そうな笑みを浮かべる。


    「――どう?この馬、血の匂いがして素敵でしょ?」


    「貴様ッ……!」


    怒りから清志郎の刀を握る手に力が篭る。


    そして清志郎は駆け出すと、ましろの乗る馬を蹴り飛ばして体勢を崩したましろに太刀を振り下ろす。


    だがましろはそれを紙一重で避けて、馬から飛び降りる。


    「うひひ、すっごい殺意。そんなの向けられると私興奮しちゃうなあ、もう堪んないよ」


    そう言ってましろは頬が赤らんだ顔にかかった血を舌で舐める。
    その様は妖艶で、不気味だった。
    だが清志郎は彼女のそんな様子は一切無視して間合いを詰めて斬りかかる。


    清志郎の斬撃はましろに悠々と受け止められる。だが清志郎は休む間も無く次々と斬撃繰り出した。
    ましろは防戦に追い込まれるが、余裕の表情を崩そうとはしない。


    「わぁ、速い速い!……でも、動きが見え見えだ、頭に血が上ってる人は早死するんだー、よッ!」


    ガコンと槍の柄の部分で力任せに降ろされた斬撃を弾き飛ばす。
    清志郎はその力任せの斬撃の反動で大きく上体を仰け反らせる。
    それは一瞬だったが、ましろにとっては十分な時間だった。


    「さ、臓物撒き散らしなッ!」


    「しまっ――」


    清志郎は思わず死を覚悟して目を瞑る。
    だが、彼の上半身に槍が刺さる事は無かった。
    何事かと彼が目を開けると、ましろが膝を付いて心底愉しそうに笑っていた。
    彼女の右肩には矢が突き刺さっていた。


    この乱戦の中、正確に矢を射る事の出来る人間を清志郎は一人しか知らなかった。


    「うおお、すみれ姐さん!!流石っす!」


    「柳刃くん!1回下がって体勢を立て直して!」


    周りを隊員達に囲ませた瀧すみれは矢を番えながら高らかにそう叫んだ。
  25. 25 : : 2016/02/26(金) 00:59:07

    「すまない、恩に着る」


    清志郎はすみれの横まで下がり、礼を述べた。
    だがすみれは構いませんと一言だけ返答しただけだった。
    恐らく集中しているのだろう。
    そもそも弓兵がこの様な最前線に出ると言うのは有り得ないのだ。
    弓兵は基本的に後衛に配置され、大勢で敵軍に向けて弓を一度に放つのが任務である。
    そしてそれを行うのには大した集中力はいらない。射って誰かに当たれば御の字だという考えでしか射っていないからだ。
    だが、今のすみれは乱戦の中、一人だけを狙い撃つ事を目的としている。
    目まぐるしく状況が入れ替わる中、一人の人間を射抜く事などそれこそ神業の領域で生半可な集中力では成功しない。


    「……馬に乗っている者は誰でも良いから武田先輩が討ち死にされたと本陣に戻り軍師に報告してくれ。他の隊員は俺と共にすみれを守れ!」


    清志郎がそう指示を出すと、一人が本陣の方に向けて走って行った。
    清志郎はそれを見届けると、再び太刀を抜きすみれを守る陣形に加わる。


    そして狙いを定めたすみれがゆっくりと弦を引き絞る。


    だがすみれは十分に引いた矢をなかなか放とうとしない。
    相手が動かず絶好の機会だと言うのに何かが彼女をそうさせていた。


    「すみれッ!?早く矢を!あたし達も長くは持たないんだから!」


    あやめが迫り来る白軍の兵士を斬り伏せながらすみれに向けて叫ぶ。
    すみれは苦虫を潰したかのような表情で引き絞った弦を放した。
    矢が風を切り、ましろに向かってしなりながら飛んでいく。

    しかしましろはぎろりと視線をすみれに向けたかと思うと、咄嗟に横転して矢を避ける。


    そしてまるで放たれた矢の様な速度で駆け出した。無論、矢を放ったすみれ目掛けてだ。


    「やばいッ!みんなアイツを止めて!!」


    あやめがそう叫ぶとあやめを守っていた隊員達が全員ましろに向かって走る。
    だが、ましろは走り来る兵士達の攻撃をさながら舞うかのように寸の所で躱していく。


    「すみれ逃げてッ!!下がって!!」


    「……命を奪う者は、全員が悪。わたしも貴女も――」


    すみれは小さく呟くと矢を番え、迫り来るましろに向けて狙いを定める。


    「すみれっ!?すみれっ!!」


    あやめは必死ですみれに呼び掛ける。
    だがすみれの目はましろを捉えて離さない。


    「くそっ、あやめ!意地でも止めろ!」


    「言われなくてもッ!!」


    だが彼女がましろを迎撃しようとした瞬間、既に目前に迫っていたはずのましろはそこには居なかった。


    「ど、こに――」


    人の影があやめの頭上から落ちる。
    ましろは空へと舞い上がり、あやめを飛び越えていた。


    「っはぁ、ぶっ……殺す!!」


    矢が刺さった右腕はだらんと力無く垂れ下がっていたが、そんな事はお構い無しと左腕一本で大きく槍を後ろに振りかぶる。


    「数多の仲間を殺したわたしにもう生きる価値は無い……ならせめて貴女と共に」


    すみれが空中へ舞い上がったましろに矢を放ったのと、ましろが槍を投擲したのは同時だった。


    「ぃぎあっ!?」


    先に悲鳴を上げたのはましろ。
    その左脚には矢が刺さっていた。
    空中に躍り出たが体勢を崩し、そのまま地面に落ちて何度か跳ねる。
    しかし、すみれからは一向に悲鳴は聞こえない。

    だがその場にいた全員が言葉を失っていた。


    「ぁ………」


    あやめが小さく声を漏らす。


    長槍はすみれの小さな身体を貫いていた。
    すみれは虚ろな目でそれを見ている。


    「……これ、で………よかっ…………」


    肺に残った空気を吐き出すように、ぱくぱくと口を動かした後、彼女はどさりと後ろに倒れ込む。


    「………私の勝ちぃ」


    にやあとましろが嗤うと同時にあやめは絶叫する。


    「ぁあぁぁああっっっっぁあああ!!!!!」


    最早それは人の声では無い。
    何か箍の取れた野蛮な獣が鳴いているような、そんなおぞましい声。


    その声に、黒軍は勿論のこと白軍の兵士達も気圧されたかのように立ち止まっていた。


    暫くあやめは絶叫し続け、突然がくりと力無く地面に膝を付いて声を止めた。
  26. 26 : : 2016/02/26(金) 00:59:38
    皆がそれを呆然と眺めていた時、さらなる絶望が彼らに襲いかかった。


    白軍の中から突如としてひとりの男が現れる。


    髪をかきあげてなでつけたような髪型のメガネをした一見普通の男だ。


    その場の大半の人間がたかが一兵卒と歯牙にもかけない様子だった。


    だが、清志郎を含めこれまで数々の死線を潜り抜けてきた者たちにはわかる。


    この男は只者ではない。一見しただけでは細身で高身長の普通の男だろう。明らかにその所作、態度、その全てが経験に裏打ちされた圧倒的自信が感じられる。


    武術や剣術の修行をある程度積んでいるものであれば、その歩ひとつ取ってみても一般兵とは隔絶したものを感じ取る事ができるだろう。


    ましろにも劣らない化け物であるとその場にいる実力を持つ者たちは直感しあまりの戦況の悪化に戦慄した。



    「本来ならば我は一刻も早く燐の元へ行きたいんですがな。命令とあらば幼女でなくとも助ける以外アリエナイ」


    ですが、とその男は続ける。


    「お互い状況が悪いですな。手負いを抱えたまま戦うのは骨が折れますぞ。ここは互いに兵を引くというのは如何ですかな」


    願っても無い提案だ。この場で戦えるのは清志郎のみ。戦闘スタイルや戦闘能力は未知数である上に相当な猛者なのは間違いない。そのことを考えればここは深追いするべき所ではないだろう。


    清志郎は男の前に出ると告げる。


    「わかった……だが兵を引くのはそちらが先だ」


    清志郎の言葉を男は鼻で笑うと彼に背を向ける。


    「構いませんぞ。では、さよなら以外アリエナイ」


    そう告げると男はましろを抱えて上げ、撤退を指示する。


    そして何かを思い出したかのように男は振り返る。


    「あ、言い忘れましたな。我らの撤退を妨げるようなことがあれば、ひとり残らず皆殺しにする可能性アリエール。くれぐれも変な気は起こさないことですぞ」


    それだけ告げると、男はましろと共に去っていた。

  27. 27 : : 2016/02/26(金) 01:00:34



    長雨の後、柔らかい若葉たちが蓄えた露を煌めかせていた。ぬかるんだ土の上には馬や人間の足跡が隙間なく並んでいる。少しでも身体を動かせば、雨上がりの土のニオイが鼻腔をくすぐった。


    黒軍本陣。大規模な合戦であるこの戦いのために知恵は先頭で指揮を執っていた。全体の成果でいえば、黒白の戦いはせいぜい互角といったところ。だが黒軍は有能な将を何人も失っているため、実際のところは劣勢としか言えなかった。


    個々の戦闘力が白軍に劣るのは、別に黒軍が弱いからではない。彼ら黒軍が裕福な暮らしを選択しなかった段階でついていた差が今になってやっと露見したというだけだ。むしろ今まで互角以上に戦えていたという事実の方がおかしいほど、本来は両者に大きく差が開いている。


    知恵もそれは重々承知の上で最高指揮官として戦場に立っている。黒派の家に生まれ、当然のように黒軍へと進んだ知恵はそれほど勝ち負けにこだわりがない。それでもこうして表に立つのは自分の周りにいる仲間たちがこの戦いで命を落とすかもしれないからだ。


    負けるのは構わない。だがそれで仲間が死ぬのが我慢出来ない。それが知恵という人間だった。


    「ぐ、軍師っ!ご報告がっ!」


    「落ち着きなさい。そんなに慌ててどうしたって言うの?」


    知恵は地図を睨んでいた顔を上げて、本陣に飛び込んできた兵士の顔を見る。
    彼の顔には焦りと恐怖が入り混じっており、緊急事態が起きたという事をありありと物語っていた。


    知恵はその兵士の息が整うのを待ち、緊張した面立ちでもう一度何があったのかと彼に問いかける。


    「……武田隊長が討ち死になされました」


    「――そう、なのね……」


    ここで何の冗談かと笑い飛ばすことが出来たのなら良かった。だがそれが出来る立場ではなかったし、状況でもなかった。


    「奴が……白軍の槍使いが援軍を引き連れて中央陣営に出現、それを引き付ける為に武田隊長は奴らと交戦したものと思われます」


    「槍使いなら彼も本望だったんじゃないかしら。ありがとう、辛い事をさせてしまってごめんなさいね」


    知恵は優しい口調で彼に言った。
    彼はそれを聞き、思わずと言ったように涙を零した。


    知恵はそれを優しく見つめていたが、彼女の心もまだ武田の死を完全には認められてはいなかった。


    もし武田くんの近くに清志郎か轟木くんが居れば――知恵の頭にそんな不毛な考えが浮かぶ。
    だが彼らが居たとしても槍使いを止めれていた保証はない。最悪の場合、黒軍の存続すら危うくなる可能性もあった。


    人としては間違っているかもしれないが、武田だけで良かったと知恵は思ってしまう。


    武田は何度かあの槍使いと戦いたいと言っていた。それを騎馬隊ではけして勝てないと周りが止めてやっと静かになったところだったのだ。しかしそれでも彼の思いは止まることがなかった。だから死んだのだ。


    軍師として、彼女は被害を最小に抑える事が出来たとそう思うようにした。
    そうしなければ戦場の上では生き残る事は出来ないと知恵は知っていたからだ。


    報告に来た兵士はようやく落ち着き、再び口を開いた。


    「今、柳刃隊長と瀧両隊長が白軍を食い止めながら撤退を計っておられる筈です。恐らくは程なくして撤退してくる筈ですが……」


    彼がそう言うと、知恵は口元に手を当てて思考に耽る。
    暫くして彼女は口を開いた。


    「今から清志郎に伝令に行ってくれないかしら。――轟木くんと配置を変わるようにと。東に清志郎、西に轟木くんという風にお願い」


    「はっ、了解しました」


    「もしかすると清志郎は撤退している途中かも知れないけどそこで会ったら直ぐに向かうようにと伝えて。良いかしら?」


    彼は再び返事をして敬礼する。
    しかし彼が本陣から出て行こうとした時、丁度誰かが中へ入ってきた。



    「軍師。戻りました」


    「あら、清志ろ――」


    知恵は清志郎の声が聞こえた事に安堵し、表情を緩めて彼の顔を見る。


    だが彼の顔を見た瞬間、知恵の顔は凍りついた。


    柳刃清志郎。彼は普段あまり感情を表に出さない。そしてそれ故に一目見ただけならば冷たい人間だと思われがちであるが、それは彼の真面目さが見た目に反映されているだけのもの。本来の清志郎は自らに厳しく、仲間に対しては優しい一面を見せるよく出来た人間だ。


    だからその清志郎が歯を食いしばりながら現れたことに知恵は驚きを隠せない。そしてそれ以上に恐怖で心臓が跳ねるのを感じた。清志郎がこんな姿で人前に立つということは、彼が自分を抑えられないほどの何かがあったということなのだから。


    知恵は黙って彼の言葉を待つ。
    彼が言葉を発するまでの僅かな時間が、永遠にすら感じられる。



    「軍師。……瀧すみれが死にました」
  28. 28 : : 2016/02/26(金) 01:01:14



    数日後、先の戦で亡くなった兵の葬儀が行われた。


    その日は土砂降りの雨だった。黒軍の葬儀は墓地の前で行われる為、全員が雨に打たれていたが誰もそれを気に留めようとはしていなかった。
    三軍の中で最も兵士の多い黒軍ではあるが、戦いの後の葬儀には毎回全員が参列している。
    兵士の数が多ければ多いほど比例して死者の数も増える。それに伴い、悲しむ人も増えていくのだ。
    中には辛く、葬儀に参加したくないと言う人だっている。
    だが、知恵はだからこそ皆でその悲しみを乗り越えていこうと兵士達に諭していた。
    その為、例え雨が降っていても全員参列するはずだった。


    「……何故、あやめは来ていない」


    剛健はどこか苛立ったかのようにぼそりと軍師に向かって呟いた。


    「……気持ちは分かるけど今は葬儀の最中よ」


    知恵は剛健を嗜めるように、静かに言った。


    だが誰もがあやめの不在に何らかの感情を抱いているのは疑いようもなかった。
    今回の葬儀は先の戦いで命を落としたすみれも弔われる。
    彼女の死を、最も悲しんでいたのはあやめの筈なのだ。その証拠に戦いの終わった後、彼女は自室に閉じこもったまま一度も出てくることは無かった。
    無論この葬儀にも彼女は顔を出していない。


    剛健は恐らく悲しみに暮れたまま、それを乗り越えてすみれの死に向き合わないあやめに苛ついているのだろう。


    淡々と葬儀が行われる中、雨足はどんどん強まっていった。
    知恵にはその雨が、黒軍を哀れんでいるかのようにも思えた。だが、何故か彼女の気持ちは晴れない。
    優秀な隊長を二人も失ったのだからそれは当たり前なのだが、彼女の心はそれ以外の原因で締め付けられている。
    その原因ははっきりとは分からないが、あやめの事、これからの黒軍の事、考えてみれば原因となりうるものは多くあるのだ。
    軍師である彼女に弱音を吐くことは許されない。
    例えどれだけ追い詰められようとも皆の前では気丈に振舞わなければならないのだ。


    だが、今日は雨が降っている。


    ――空だって泣いているのだから……今日くらいは、今くらいは……。


    知恵は空を見つめながら、静かに佇んでいた。











    あやめが来ないこと以外は葬儀は滞りなく行われた。
    結局、最後まであやめは葬儀には顔を出さなかった。
    知恵はそれもまた彼女の選んだ道だと、皆に話して葬儀を終了させた。


    そして夜。


    墓地の周りは暗く、雨上がりの地面がぐちゃりと不快な音を辺りに響かせる。
    黒軍の全員が寝静まった後、一人その人物は墓地へとやって来ていた。


    「すみれ……もう、勝手に居なくなったら駄目じゃない」


    すみれの墓の前でその人物は立ち止まる。


    その人物は、何を隠そう瀧あやめ、その人だった。
    あやめは墓の前に膝を付いて、墓石に向かって何かを語りかける。


    「すみれ、しばらく帰ってこないんだね。皆がそう言ってたの聞こえたよ?お姉ちゃんに言わずにどこかへ行くなんてすみれらしくないなあ」


    そう言って彼女は静かな墓地で一人笑った。
    彼女は墓石に語りかけながら、左右で縛っている髪をほどく。


    そして懐から小刀を取り出した。


    「でもあたし達の部隊はすみれいないと成り立たないからね。だから、すみれが帰ってくるまであたしがすみれの代わりをするよ。だから安心して」


    次の瞬間、背中近くまであった長髪を小刀でばさりと切り落とした。


    ちょうど、肩近くまで。そう、まるですみれと同じくらいの長さに切ったのだ。


    その切り落とした髪を紐で縛り、墓の前に供える。


    「それじゃあね、すみれ。早く帰ってきてね」


    そう言ってあやめはすっと立ち上がる。


    「帰ってくるまで、わたし(・・・)が頑張るから」


    彼女の目は、まるで夜の闇のように暗く不透明な色をしていた。
  29. 29 : : 2016/02/26(金) 22:17:49





    時を同じくして心護たちは今後再び起こるであろう幹部の暗殺を未然に防ぎ、真犯人を突き止める方法を考えていた。


    あらゆる痕跡を消し去り、誰にも気取られることすらなく犯行を行う手口から見てもまず間違いなくその道に精通した人間の仕業だろう。


    さらには、幹部の人間もまた長く戦争を生き残ってきた猛者だ。そんな人間を物音すら立てずに殺すだけの技量のある敵を心護達が事前にその行動を捉え、確保できるのかというのが問題だった。


    現在幹部にはそれぞれひとりにひとつ天幕が与えられているためその数は決して少なくはない。


    その全てを心護と千夜の2人でカバーするのは到底不可能だといえる。


    心護は幸先の悪さに頭を抱えた。


    しかし千夜はその表情を動かすことすらしない。


    「僕達ふたりで犯人を捕まえるなんて本当にできるのかな……」


    「現実的に考えてふたりでは無理ね」


    千夜ははっきりと無理だと言い切る。まるで余裕を見せるかのような態度とは反してその言葉はあまりに現実的だった。


    「あ、あの!わたしでよければ手伝わせてください」



    「だめよ。あなた戦えないでしょ。それに、あなたがまたあの現場に現れて見なさい。今度こそ犯人として拷問されて殺されるわよ」


    千夜の歯に衣を着せぬ物言いは健在の様子だ。彼女の言葉にしおりも小さな悲鳴をあげて、涙目で震えている。


    それを心護はなだめて、千夜に水を向ける。


    「でも、それなら万策尽きたんじゃ……」


    その言葉に千夜は表情を険しくし、蔑むような視線を心護へと送った。そして小さく息を吐くと告げる。


    「使えそうなのが知り合いにいるでしょ。あんなのを頼るのは本当に不本意なのだけれど、この際仕方ないわ」



    千夜の話に心護は心当たりがあった。こういった暗殺やら潜入やらと言った事に滅法強い人物の姿がはっきりと思い浮かぶ。


    「なるほど。でも3人で足りるの?」


    「あなた、少しは自分で考える事を覚えなさい。猿になるわよ」


    冷たい視線を向けながらも、千夜は嫌そうに紙の上にこの赤軍拠点の見取り図を書き上げていく。


    定規すら使わずにあまりに綺麗な図を書き上げていくため、心護としおりは思わず感嘆の声を漏らす。


    「すごいねこれ……」


    「ありがとう。それで、人員整理後の警備の位置は3箇所よ。そしてその位置から死角となり得る場所もまたそれぞれを頂点とする三角形の各辺上の3箇所。つまりここに人員を配置すれば、よほど使えない人間でもない限り警備の段階でどこかに衝突が起こるわ」


    千夜がひとつずつ図に書き込みをして丁寧に説明をして行く。こればかりは、頭の良いわけではない心護にも理解できた。


    「わかってくれたようでなによりね。じゃあわたしは肝心のゴミを拾う慈善活動をしてくるから、待っててくれるからしら」


    千夜のあまりに辛辣な言葉の数々に、よくもそれほどまでに罵倒が尽きないなと考えながら心護は苦笑いを浮かべる。


    「わかった。よろしく頼むよ」


    千夜はそれにうなづくと天幕を後にした。
  30. 30 : : 2016/02/26(金) 22:22:03



    千夜が諜報部の天幕を訪れ、徹を探したがそこに彼の姿はなかった。諜報部の人々の話によれば、つい先ほどまで人員の異動や今後の指針について会議があったそうだがそれが終わると慌てて出かけたとの事だった。


    じきに日が暮れるというこの時間に急いで出かけるというのもおかしな話である。


    彼女の中に小さな疑念が生まれるが、あの徹に限って何か余計な事を考えているとも思えず頭の隅に追いやった。


    千夜は急いで徹を探し始める。あらゆる場所に徹を見かけなかったかと尋ねて回ったが彼の姿は愚か、その足跡すらつかめない。


    「ほとんど誰も見ていないなんて、こんな事ありえるのかしら……」


    千夜は何やら嫌な予感に駆り立てられ、普段は誰も行こうとすら思わないであろう天幕の影や、近辺の森の中に至るまで彼を探した。


    しかし、なかなか徹の姿を見つけられぬまま日が傾き始め、少しあたりが暗くなり始めた頃。


    千夜は赤軍の駐屯地と森が交差し、周囲の障害物のせいで駐屯地側からも森側からも見通しの悪い場所を見つける。


    徹がその辺りから歩いて出てくるのを、丁度千夜は見つけ声をかける。


    「風見くん。全くこんなところで何をしてるのかしら?お陰で探し回る羽目になったわ」



    突然声をかける千夜に徹は目を丸くする。


    「なになに?千夜ちゃんオレを探してたってもしかして告白?」


    ふざけて身体を十朱万次郎にも劣らないほどに身体をくねらせる徹の姿に千夜は目尻を痙攣させ、怒りを露わにする。



    「残念。私はゴミ拾いに来たのよ。茶髪で軽薄な人の形をしたゴミをね」



    本当にゴミを見るような目を向ける千夜に慌てて徹は取り繕おうと、口早に話し始めた。



    「あ、いやちょっとした冗談だって!そんなに怒るなよって!ごめんて!」



    徹が必死に身体の前で手をバタバタと動かしていた時だった。



    彼の衣嚢いのうから小さな紙が2枚が千夜の目の前の地面に舞い落ちる。


    「写真……と紙?」


    「見るな!!」


    千夜がその紙を拾いあげ、その紙に目を落とすと同時に徹は普段の彼からは想像もできないような叫び声を上げる。


    しかし、その声は既に遅かった。


    千夜は目の前の紙に書かれている事に戦慄する。


    「まさか……あなたが……」


    「くそッ……だから見るなって言ったのに。俺は千夜ちゃんとも心護とも仲良ししてたかったんだけどな。そうもいかなくなったみたいだ……」


    その時の徹は酷く怒っているような、悲しんでいるような複雑な顔をしていた。


    「それって……」


    千夜は膨れ上がる気味の悪さに、一歩ずつ後ずさる。すると徹は見た事がない程に鋭く冷たい視線を千夜に送った。そして、今まで聞いた事のないような低い声音で告げる。



    「悪いけど、ここで死んで貰うよ。月ヶ瀬千夜」

  31. 31 : : 2016/02/26(金) 22:30:43
    千夜は徹から距離を置くように後退する。


    ――考えたこともなかった。諜報部である徹は一年の半分ほどを白軍で過ごす。千夜が徹と関わりだしたのは去年の秋頃からだ。そしてその秋以降も徹は度々任務で拠点を空けている。つまり、千夜はまだ徹という人物についてそれほど理解しているとは言えないのだ。


    徹のことを忘れていたとは言わないし、能力についても理解していたはず。しかし徹が犯人である可能性を疑うこともしなかったのは、千夜が徹の表の部分しか未だ見ていなかったからである。


    追い詰められる千夜の足が乾いた小枝を踏んだ。徹は憤怒と悲しみが入り混じった複雑な顔をして立ち尽くしていたが、意を決したのか顔を上げて千夜を睨む。


    獣のように徹が動く。無駄のないしなやかな動きはまるで豹のようで、千夜は襲ってくる徹をただ眺めることしか出来なかった。


    一瞬遅れて反応した時には既に徹は千夜の眼前に迫っている。無駄話は無用とばかりに互いに声も上げない。ただ千夜の腹部を無慈悲にも徹の拳が襲おうとしていた。


    しかし千夜はけしてか弱い女生徒などではない。咄嗟に徹の手首を捻りあげて地面に拘束しようとする。が、徹はすんでのところで拳を引き、今度は千夜の足を払うように片足を浮かせた。


    「なっ――」


    千夜の口から焦りが漏れる。長い黒髪が大きく舞い、自分の視界が大きく揺れるのを感じた。


    それでも膝に力を入れ、何とか転ばずに体勢を立て直す。しかし徹は千夜のそんな僅かな隙を見逃さない。


    「ごめん、千夜ちゃん」


    そんな言葉と共に振り下ろされる拳。千夜はなす術もなくそれを見上げるしかない。


    地面の土を巻き上げながら千夜の身体は宙を飛び、後ろの木に激突して落ちる。


    「かはっ――」


    肺から強制的に空気が吐き出され、それと同時に僅かな血が唇から溢れ出す。千夜の白い肌にその赤は美しく映えた。


    千夜は黙って立ち上がる。叩きつけられた時に肋骨にひびでも入ったのか、胸が酷く痛んだ。だが千夜はその痛みに構っている場合ではないことをよく理解している。だから悲鳴も泣き言も漏らさずに格闘の構えをとった。


    これは訓練ではなく戦争そのものなのだ。一歩間違えば命を奪われてもおかしくない状況で千夜は敵と対峙している。戦争である以上、殺す殺される以外の決着はない。千夜は心護と違って甘くはなく、この状況でも冷静な判断が出来る自信があった。


    ――たとえそれが知り合いであろうとも。千夜は殺してみせる。そしてそれは徹も同じ。


    何故赤軍を裏切ったのか、いつから裏切っていたのか。そんな情報は徹を捕まえてから聞けばいいことだ。だから千夜は口を開かない。


    今度は千夜の番だった。一気に徹へと間合いを詰め、彼の無防備な懐に潜り込む。


    「――っ!?」


    力を込めた拳は、しかし簡単に押さえつけられて止まってしまう。


    「オレは生き残らないと駄目なんだ。絶対に。だから、ごめん」


    そして徹は千夜の手首を捻り、これ以上彼女が抵抗出来ないように無力化しながら片手を首へと持っていった。そしてそのまま千夜の気道を潰す勢いで首を締め上げる。


    「抵抗……するなよッ」


    そのままゆっくりと力を込めていく。堪らず首に掛かる徹の手を振り解こうとした千夜の手首を離し、徹は両手で千夜の細い首を締め上げた。


    「あ、がっ……」


    小柄な身体が地面から浮かされていく。足先で力強く土を蹴る千夜だが、徹は自身の全力をもって千夜の命を絶とうとしていた。


    抵抗していた千夜の手から力が抜けて横へ落ちる。徐々に足の動きも弱くなっていき、酸欠の脳内は何もかもを考えられなくなって白い闇へ飲まれていく。


    「死ねぇえッ――!」


    そして千夜は自身に死が迫っていることを悟り瞳を閉じた。
  32. 32 : : 2016/02/26(金) 22:42:26


    「千夜ッ!!!」


    千夜が諦めようとした瞬間、何者かが叫びながら徹に突撃し、千夜の首を締めていた手が離される。そしてそのまま千夜は地面に倒れ込んだ。


    首を絞められたせいで酸欠になりかけていた千夜は激しく咳き込んだ。
    千夜に向かって、二人の人物が駆け寄る。
    その二人を見て千夜は安心したかのように表情を軟化させる。


    「淺凪くん、安藤さん……どうしてここに……?」


    彼女は横たわったまま、駆け寄ってくる二人に向かって問いかけた。


    「千夜、無理しないで!」


    心護はそう言いながら彼女のすぐ傍にしゃがむ。
    しおりも心護に倣うと、千夜の容態を確認する。


    「ち、千夜さん……骨が折れてますよ!?こんな状況で動いてたんですか!?」


    しおりは心底驚いたというように声を上げながらも、手際良く応急処置をしていく。
    心護はそれを酷く困惑した表情を浮かべながらただ見ていた。


    千夜はそんな心護に、ポケットから写真と紙を出してそれを差し出した。


    「淺凪くん……これから貴方は凄く辛い現実と向かい合うことになるわ。でも、気を強くもって」


    心護は差し出された写真と紙を受け取り、驚愕を顔に浮かべながら千夜の顔を見る。
    千夜は意識が朦朧としているのか、どんどん声が細くなっていっていた。


    しかし彼女の双眸は心護をしっかりと見つめていた。




    「大丈夫。貴方ならきっと、乗り越えられるわ」


    千夜はそこまで言うと、眠るように目を閉じてしまった。


    「ち、千夜!?ねえ!千夜!?」


    心護は慌てて大声で千夜に声をかけるが、千夜は返事をしない。
    しおりは急いで彼女の安否を確認する。


    「だ、大丈夫です……単に意識を失っているだけみたいです」


    心護は安堵したようにほっと肩をなでおろす。
    だが、すぐに彼は表情を引き締め、先程体当りした男がいる方を向いた。


    だがそこには既に彼の姿は無くなっていた。


    「しおりちゃん……すまないけど千夜をお願いしていいかな?」


    「えっ?は、はい……大丈夫ですけど。先輩はどうするんですか……?」


    心護はポケットから手袋を取りだし、装着する。彼の目は戦闘に挑む前のそれと同じ色をしていた。


    「……少し、けじめをつけにね」


    心護はそう言い残して、猛然と駆け出した。
  33. 33 : : 2016/02/26(金) 22:45:29

    無計画に追いかけたものの、既に徹の姿はどこにも見当たらない。


    「くそッ……どこへ行ったんだ……」


    このままでは徹を取り逃がしてしまう。しかし、このまま徹と袂を分かつというのは納得がいかなかった。


    徹が千夜を襲った事も、心護達を裏切った事も何ひとつとしてこのまま終わらせることを良しとできない。


    心護はお世辞にも良いとは言えない頭を回転させる。


    徹は恐らく馬を盗んで逃走するはずだ。しかし、今から馬小屋の近くに急いだところで間に合わないだろう。


    ならば白軍に帰ることのできる道は北と北北西に2本ある。馬に乗る以上、駐屯地周囲に生い茂った深い森の中を抜けるのは至難の技だということを考えれば、道はそのふたつに絞られる。



    しかし、心護の体はひとつしかない。どちらか一方彼が通るであろう道を予測することを余儀なくされていた。


    「どっちだ……徹はどっちを選ぶんだ……」


    二つの道にそれほど差はない。


    見通しが悪く逃げやすいが遠回りになる山間を抜ける北の道、直線で見つかりやすいがいち早く白軍の陣地に辿り着けるであろう北北西の森の中の開けたところを通る道。


    利口な兵士であれば前者を選び、敵兵をまいて悠々と帰投するだろう。


    だが、そう考えると裏をついて逃げられるような気がしてならない。


    時間に追われる中、心護は深く息を吸い込むと顔を上げる。


    「よし……決めた」


    力強い口調で告げると心護は再び走り出した。
  34. 34 : : 2016/02/26(金) 22:47:56


    徹は馬を走らせる。


    できることならこのまま見つからず、心護や千夜と共に生活していたかった。


    だが、それももう許されない。


    殺伐とした緊張感の中で、いつの間にか彼らとのぬるま湯のような生活に徹は心の安らぎを感じていた。


    それが如何に身勝手な事かも理解していたし、罪悪感がなかったわけではない。


    それでも彼らを死へと誘うと同時に、彼らに依存しているという矛盾を抱えたまま間者としての活動を今日まで続けてきた。


    「自業自得だな……」


    徹は自嘲気味につぶやくと、馬の足を早める。


    しかし、しばらく馬を走らせたところで少し離れたところに人影を見つけて馬の足を止めた。





    その人影は徹に歩み寄り、距離を詰めると徐々にその姿が鮮明になる。


    「心護……」


    「やあ。待ってたよ徹」


    心護は穏やかな口調と反して、険しい顔つきで徹を睨んだ。
  35. 35 : : 2016/02/26(金) 22:52:30
    徹は心護の剣呑とした表情とは反対に、少し笑ってみせる。


    「わぁお!すげぇな。なんでここがわかったんだ?」


    「勘だよ。徹ならこっちに来るような気がしたから……って、そんなことはどうだっていい。なんであんなことをしたんだ。返答によっては僕は君を許さない」


    徹が戯けて見せると、心護は苛立ちを隠せない様子で声を低く抑えるようにして告げた。



    「悪かったとは思ってる。お前たちを騙していたことも、千夜ちゃんにあんな真似をしたことも。だが後悔はしてない。俺にも全てをなげうってでも守りたいもんがあるんだ」



    心護の言葉に徹はその表情を真剣なものに変える。


    「他人を犠牲にしてまで守るものってなんだよ」


    そんな心護の言葉に徹は悲しそうに笑う。彼にとってこれはかけがえのないものを守る為の戦いだ。心護がみんなを守りたいと言うのと同じように、彼にも守りたいものがあるのだ。だがふたりは決して相容れることはない。


    「お前にはわからないかもな……でも俺は妹の……優香の為なら人を殺すことも厭わない」


    徹の瞳はは揺らぎのない決意の色をしていた。たとえ、心護であっても今の徹を止めることはできないだろう。


    「なんでそこまで……」


    「優香は白軍の医療がなきゃ生きられない。だから、その交換条件としておれが白軍で活躍しなきゃいけないんだ!」


    徹は苦虫を噛み潰したような顔をして叫ぶ。そしてハッとした表情をすると、表情を悲しみに染めながら自嘲する。


    「関係ねぇよなこんなこと……まあいい、そこを退いてくれないか心護。できることなら俺はお前に危害を加えるような真似はしたくない」


    そんな徹の言葉を受けても尚、心護は動こうとしない。


    「まあお前ならそうだよな……」


    徹は馬を降りて道の端に寄せると、心護に向かい合う。


    「悪いが、俺と妹のためにすこし眠ってもらうぜ心護」


    「妹さんのことは残念に思うよ。でも僕は千夜を傷つけた君をこのまま許すわけにはいかない」


    心護の言葉と同時に2人は刀を抜いた。
  36. 36 : : 2016/02/26(金) 22:55:25



    小太刀を2本構える心護に対して、徹は同じく小太刀1本を逆手で握り腰を低くして構える。


    互いに隙を伺い、出方を見る。 しかし、徹は迂闊に動こうとはしない。



    しかし、次の瞬間弾けるように駆け出すと心護にも劣らぬスピードで攻撃を仕掛ける。次々と放たれる蹴りや斬撃の連続。



    心護はそれをうまく受け流していく。掠るどころか当たる気配すらもなかった。


    それはおろか、一瞬の隙に心護が蹴りを放つと徹の鳩尾に刺さる。徹が咳き込み起き上がると、また同じように戦いが始まる。


    速度は変わらない。力は徹の方がある。だが、心護を前にして彼は勝利のビジョンが見えずにいた。


    あれほどまでに弱かった淺凪心護を前に手も足も出ないでいる。


    決して実力に大きな差はない。それどころか徹の方が技能も能力もあるはずなのに決して届くことはない。


    「もう終わりにしよう。徹だって分かってるだろ。君の心と体はバラバラだ。迷いのあるままこれ以上やったって無駄だよ」


    「うるせぇよ。俺は諦めるわけにはいかねぇんだ……」



    それでも尚徹は倒れない。再び立ち上がる。



    そした心護にめがけて走り出す。



    「お前はずるいよ……!守る守るって。お前は優香を守ってくれないんじゃねぇか!」


    そんな言葉が筋違いなどということは徹も理解している。なんで俺の妹は守ってくれないんだ。そんなこと言っても心護にはどうしようもないことはわかっている。だから見逃せなんて虫のいい話にもほどがある。



    だが、叫ばずにはいられなかった。ただ聞いて欲しかっただけかもしれない。今の徹にはただ目の前の理不尽を嘆くことしかできないのだ。


    「わかってるよ!こんなの独善だって。それでも僕には守りたい世界があるんだ!」


    徹の言葉に対してそう叫ぶと心護がも走り出す。


    2人の体が交差し、あたりに鈍い音が響く。


    心護の拳が徹の鳩尾にしっかりと食い込んでいた。


    「くそッ……優香……」


    最後に弱々しくつぶやくと徹の意識は途切れる。


    「ごめん……僕にはこれしかできないから」


    心護は小さくつぶやくと。彼を馬に乗せる。


    確かに最初は千夜を傷つけたことに怒っていた。だが、今は違う。


    徹以上に彼をこんな風にさせたこの戦争が憎くて仕方がなかった。白軍は徹にこの仕事と引き換えに妹の治療をすると約束したと徹は言っていた。


    徹もまたひとつの被害者だ。本来であればこんな事件が起こらず、共に笑っていられたかもしれない。


    だが現実は、戦争はそれを許さない。


    心護は再び戦争を終わらせようと誓いながら、駐屯地へと戻るのだった。
  37. 37 : : 2016/02/26(金) 23:00:23


    徹は夢を見ている。ずっと昔の夢だ。


    「優香。オレはな、今度赤軍に行くんだ」


    「え、だってうちは白軍のおうちでしょ?」


    幼い妹の頭を撫でながら、徹はこっそり考えていたことを打ち明けた。6歳離れた妹は本当に自分と血が繋がっているのかと徹が考えてしまうほど素直ないい子だ。欠点があるとすれば、ほんの僅かに身体が弱いこと。だがせいぜい風邪を引きやすいくらいの小さな欠点だった。


    「お兄ちゃんは白軍が好きじゃないって前にも話しただろ? 優香もあんなことをする人は駄目って言ったよな」


    「うん。強くてかっこいいけど、優香は誰かをいじめる人は嫌い」


    オレもそういう奴は大嫌いだ、と笑って優香の頭を撫で続けた。絹糸のような柔らかい髪は指に優しく絡みついては解けていく。徹はその感触が好きだった。


    「でもお父さんが「お兄ちゃんは白軍で隊長さんになるんだぞ」って言ってたよ?」


    「それは……まあ、どうせオレみたいな奴じゃそんなに出世出来ないし。親父たちには何も言ってないけど、きっと勘当されるんだろうな」


    「かんとう?」


    不思議そうに優香は徹を見上げた。徹は苦笑して頭を撫でる手を止める。


    彼の家は白派で、父親は小さい役所で働く役人。当然徹は長男としてそれなりの職について家を守らなければならない。その為には白軍でそれなりの功績をあげて生き残ることが大事だ。


    でも徹は白軍として戦うことに疑問を感じていた。いや、疑問を感じさせられたのだ。他でもない、妹の優香のおかげで。


    偶然、街の片隅で学校へ帰る白軍の学生が戦場で捕らえた黒軍の学生を尋問する場面に出くわしてしまった徹と優香は、武器で敵兵を痛めつける白軍の兵士を見て別々の感想を抱いた。


    その時の徹は黒軍の学生を内心嘲笑っていた。当時の徹にとって白軍はこの世界そのもので、それに反発する黒軍は外道に他ならなかったからだ。しかし優香はそれを見て「ひどい、かわいそう」と言った。


    同じ光景を見てここまで違うことを思う兄妹。徹は敵わないと思った。心が綺麗で純粋で、とてつもなく優しい妹を見て自分の薄汚さを自覚してしまったのだ。


    「家に帰るなって言われちゃうことだよ。でも別に死ぬわけじゃないし、会おうと思えば会えるから優香は心配するな」


    「お兄ちゃんはそれで寂しくない?」


    「ああ」


    その日から徹の生き方は少しずつ変わっていった。少しずつ白軍の汚い部分が見えるようになり、同時に他軍の綺麗な部分が見えるようになる。そして気が付けば白軍のことが大嫌いになっていた。


    でも成長し、やがて中学生となる徹は自分の所属する軍を選ばなければならない。当然白軍の中学校へ進むであろうと勝手に書類を出した親も止められなかった徹は、やっとの思いで見つけ出した第三の選択肢を選んだ。それが赤軍だった。


    「優香、お兄ちゃんが戦争に行っちゃうのイヤ。すごく怖いところってみんな言うの。みんな死んじゃうんだって」


    「バカだな優香。お兄ちゃんが死ぬわけないだろ? それにお兄ちゃんが戦うまでまだ3年もあるんだ。高校生になる頃には戦争だって終わるかもしれないじゃないか」


    「ほんと?」


    ぎゅっとぬいぐるみを抱き締める優香を見ると心が痛む。まだ幼い妹だから、兄が両親の期待を裏切って赤軍に行くこともよくわからない。何もわからないのに、それでも兄の心配をしてくれる大切な妹を徹はそっと抱き寄せた。優香は突然の抱擁に驚くが、嬉しそうに身体に顔を埋める。


    「大丈夫さ。もし終わらなくても、お兄ちゃんが終わらせてやるから。優香のために」


    「優香の?」


    ああ、と強く頷いた。抱き締めたまま小さな手を握れば、優香が精一杯の力で握り締めてくれる。徹はそれを幸せだと思った。たとえ両親が徹のことをもう家族ではないと見放しても、優香だけは徹を家族だと認めてくれる。なら優香のために戦争を終わらせるなんて簡単なことだとすら思った。


    この小さな家族を守ることが、ここで道を違える徹に出来る精一杯だったから。


    「優香もいつか中学生になるだろ? そうしたら優香も訓練を受けないといけないんだ。嫌だろ?」


    「優香そういうの怖い」


    「だろ? だからお兄ちゃんが平和な日本にしてやるから。待ってろ」


    もう一度優香の頭を撫で、徹は優香を解放した。


    「うん。……でも、絶対帰ってきてね。お兄ちゃん」
  38. 38 : : 2016/02/26(金) 23:04:13



    結局父親に勘当された徹は赤軍へと辿り着き、そこで中学生となった。


    家族が誰もいない見知らぬ土地でも、周り全てがそんな調子だった赤軍にいれば寂しさを感じない。そしてそれなりに訓練を受け、勉強し、気がつけば中学の3年間なんてあっという間に過ぎていった。


    中3の冬、いよいよ実戦に投入される春に備えて卒業生たちが大規模な移動をするという時。徹は小学校を卒業して以来帰らなかった実家に一度立ち寄った。当然両親は会ってくれなかったが、少し成長していた優香はほんの少しだけ開けられた窓から自分の写真を手渡ししてくれた。


    その写真は常に徹の制服の内側に入れている。お守りのようなもので、これがあると気分が落ち着いて不安が吹っ飛ぶ。幸せそうに笑う優香は徹が家を出た頃と変わらない無垢な笑顔のままこちらを見つめていた。だから徹はもっと頑張らないといけないと強く思ったのだ。


    そして高校入学。心護という友達が出来て、更に他の誰よりも早く諜報部への配属が決まった。命を懸けた戦いのど真ん中を駆けるわりに好調だった始まりに、徹の心は弾んでいた。


    「え、白軍にですか?」


    「ああ、君の実家は白派なんだろう? なら向こうでも十分通じるはずだ」


    だが、現実はそこまで上手くいかないようだ。徹が任された仕事は白軍への潜入。赤軍でありながら白軍の学生として生活し、内部の情報を流す間者の役割だった。


    嫌とは言えず、心護たちが初陣を終えた頃には白軍の生徒として学校に潜り込んでいた。赤軍の青空教室のような光景とは違う授業風景に、金の掛かった設備と医療施設。まるで小学生だった頃に戻ったようで、白軍の学生として生活する徹は居心地悪さを感じていた。


    もちろん仕事はきちんとした。白軍では一般部隊として配属されたため、白軍として戦ったり部隊の情報を密かに赤軍へと流したり、色々な仕事をこなす。


    皮肉なことに、白軍になりたくなかった徹が最初に殺したのは本来の敵であった黒軍で、殺した徹は白軍の制服に身を包んでいた。まるで最初から白軍だったように。


    苦しさを忘れるために、赤軍に戻れた時は心護と盛大に馬鹿をした。まあ、心護は真面目で大したことはやらなかったから、徹が一方的に馬鹿をしただけだったのだが。


    いつの間にかただの友達は親友に変わり、かけがえのないものの一つになった。失くしたくないものの一つとなった。


    守りたいものは、まだ妹だけだったが。

  39. 39 : : 2016/02/26(金) 23:09:17

    夏の半ば。徹は赤軍に帰る日を今から今かと待ちながら白軍に潜入していた。最後に心護と会った時、心護は初陣から帰ったばかりで酷く落ち込んでいる様子だった。


    話を聞いてやる立場のはずなのにそれも出来ず、親友らしいことの一つも出来ないまま時間が過ぎている。そんなことを歯痒く思いながら道を歩いていると、突然背後から声を掛けられた。


    「風見くんですね」


    「は――え?」


    思わず返事をしそうになって慌てて口を噤む。ここは白軍の敷地で、徹はいつも通り間者としてそこにいた。当然彼には白軍の学生として別の名前があり、けして本名で自分を呼ぶ人間なんているはずがない。


    「ぐ、軍師――?」


    後ろを振り返ればそこには白軍の軍師の姿がある。滅多に姿を現さない人間で、白軍にいる徹でも姿を見るのは2度目だ。


    そんな軍師がここにいて、一人で歩いている徹に声をかける。その不自然さは軍師のどこか非現実めいた容姿のせいか一層強調されている気がした。


    この男は自分から他人に声をかけにくることなどきっと数えるくらいしかない。それが徹の前にこうして現れて声を掛けるという異常さに目が回る。


    「突然声を掛けてしまってすみませんね。少し君に用がありまして。――今から来ていただけませんか?」


    有無を言わさぬ口調。気が付けば首を縦に振っていた。頭は不自然なほど冷静なのに、冷や汗が背中を伝う。


    ――バレている。名前がバレている。徹は自分の心臓が痛いほど鼓動を早めるのを感じた。いや、きっと名前だけではなく、自分が赤軍であることも知っている。この男は全部知った上で徹を呼んだのだ。


    徹が何もせずに頷いたことで気を許したのか、無防備に背中を向けた軍師。殺すなら今だった。今更人殺しを躊躇うことはないし、殺さなければ殺されるという焦りがあった。いや、殺されるならまだいい。それ以上に怖いことは実家にまで影響が及ぶこと。


    親なんてどうでもいい。自分を勘当した段階で両親は他人同然だと徹は思っていた。――だが妹は違う。守りたいもので、たった一人の徹の家族だった。


    殺さなければならない。そう思い制服の内側に隠した小太刀を握った瞬間、男は背中を向けたまま冷たく言う。


    「――大切な妹さん、助けたくはありませんか?」


    既に最大の弱みを握られてしまったのだと、この時徹は悟る。


    小太刀を握った腕がそれ以上動くことはなかった。
  40. 40 : : 2016/02/26(金) 23:14:03
    妹は徹の知らないところで病に倒れ、命の灯火を小さくしていた。白軍軍師の冷たい執務室に通された徹は、教えられたことが真実だと知ると悲痛な声で叫んだ。


    「でも白軍なら治療が出来る! 妹は白派の家にいて、両親にも何の問題もないはずだろ?」


    相手は徹のことをよく知っている。その上でこんな話をし、彼の様子を見て気の毒だという風に眉をひそめた。何か意図があってそうしているのだとわかっているのに、妹のこととなると冷静になどなれない。


    妹の名前を出された以上、徹は赤軍の兵士ではいられない。そこにいるのは風見家長男として生まれ、優香の兄として生きた徹という少年だった。


    「残念ながら、高度な医療を受けるには家族全員が白派の思想を持っていないといけないのです。君のように白軍を裏切った人間がいれば当然――」


    「オレは勘当されているんだぞ? 白軍は同胞でも見殺しにするってのか!?」


    「これは私の決めたことではありません。それに見せしめというものはどうしても必要なのですよ。――裏切り者には制裁を。命があるだけでもマシとは思えませんか?」


    重い肺の病で、外国の技術がなければ治療出来ないのだという。症状は進行していて、今すぐにでも助けないと死んでしまう。


    これからたくさんの明るい未来が待っているのに、優香はここで力尽きようとしている。戦争の終わりを見届けずに死のうとしている。徹が行けない遠いところへ行ってしまう。


    そんなことをこの目の前にいる男はつらつらと宣告する。ここにその少女の家族がいるというのに、まるで死刑宣告のような冷たさで書類を読んで語りかける。


    「――オレが死ねばいいのなら、ここで殺されても一向に構わない。そうすれば風見家の人間は全員白派の人間になるだろ」


    差し出すように頭を垂れた。徹はとっくに死ぬ覚悟が出来ている。それで妹が助かるのなら、自分の命が失われても安いものだと考えたのだ。


    しかし白軍の軍師はそこで初めて笑う。徹は顔をあげて軍師の顔を見つめた。


    「君は白軍の裏切り者。ですが君に流れる血は白軍の血です。そして君が助けたいと願う妹さんにも同じ血が流れている。ほら、君はこんなにも白に染まっているじゃありませんか」


    「――何が言いたい」


    「白軍として君を許そうと思うのです。確かに君は軍を裏切りましたが、今からでも歩む道を正していけばいい。つまるところ、私は君に仕事を頼みたいのです。“白軍である君”にしか出来ない仕事を」


    軍師はその仕事内容を一つひとつ徹に語って聞かせた。それが無事に終われば妹は助けてやると、そう約束して。


    「出来ますね? 君が本当に家族を救いたいのなら」


    軍師は床に崩れた徹を見下ろして問う。硬い床に爪が剥がれるほど強く指を立て、悔し涙を流しながら徹は答えた。


    「ああ。――それで優香が笑ってくれるなら。オレはやってやるさ、たとえ仲間を裏切ってもな」


    その全てを果たし終えた後、自分に残るのは親友たちを欺いた裏切り者の烙印であったとしても。それでも徹は守りたいただ一つを選んだのだ。――自分の中に生きる、かけがえのないものを。
  41. 41 : : 2016/02/26(金) 23:16:09

    徹の夢が反転する。そしてそれはよく覚えている光景を映し出した。たった今辿ったばかりの光景だ。


    千夜を殺そうとしたことを責める姿。徹が赤軍に来てから誰よりも一緒に過ごし、笑い、案じたその姿。――親友、淺凪心護がいる。


    今にも武器を抜きそうな剣呑とした姿は、裏切り者である徹をたったそれだけで咎めていた。罪を問われるのは辛くなかったが、親友の顔を絶望の色に染めることだけは胸が痛んだ。


    ――なぁ、心護。


    心の中で問いかける。裏切ってしまったもう一つの尊い存在に。たった一人しかいない親友に。


    「オレにも全てをなげうってでも守りたいもんがあるんだ」


    「他人を犠牲にしてまで守るものってなんだよ」


    届かない。わかっている。自分の親友がそういう人間であることはわかっている。そしてその考えこそが今の自分には眩しすぎることもわかっている。


    「お前にはわからないかもな……でも俺は妹の……優香の為なら人を殺すことも厭わない」


    だが決めたのだ。優香を選ぶと。赤軍を、知人を、友人を、親友を裏切ってでもこの手で守ろうと決めたのだ。


    たとえ両手を血に染めようとも。自分を待っていてくれるただ一人の家族を守れるのならば、地獄の業火に焼かれようと構わない。ああ、だから千夜すらも手に掛けようとしたのだ。掛けられると思ったのだ。心護がそれを許さないことを知っていたのに。


    「悪いが、俺と妹のためにすこし眠ってもらうぜ心護」


    「妹さんのことは残念に思うよ。でも僕は千夜を傷つけた君をこのまま許すわけにはいかない」


    心護の言葉を聞いて剣を抜く。月明かりに薄く輝く白刃は仲間だった者の血でどうしようもなく汚れている。


    それに対して心護のそれはどこまでも美しかった。まるでその心を反射したように白く煌めく刃は未だ誰の命も奪っていない。


    ――ああ、お前はそういう奴だよな心護。どうせ今もオレを殺す気なんてお前にはないんだ。


    親友の気高い心の前に、罪に濡れた己の刃はどこまでも錆び付いて見える。それでも抜いた小太刀を握りしめ、徹は心護へと刃を向けた。


    自分の戦いはおそらくここで終わる。そんな予感が徹にはあった。いや、心護の姿を見てしまった瞬間からそれは予感ではなく確信に変わっていた。


    だからこれは、敗者の悪あがきだ。
  42. 42 : : 2016/02/26(金) 23:18:17

    疾走。


    ――馬鹿だよなオレは。お前も馬鹿だが、オレはもっとバカだ。


    隙へとつま先をねじ込む。失敗。


    ――だけど、オレはオレなりに頑張ったつもりだったんだぜ? これがオレの最善だったんだ。


    斬撃、掠りもせず躱される。


    ――お前はオレを見て絶望したよな。でも本当に悪いと思ってるんだぜ。千夜ちゃんのことも当然思ってる。本心で謝ってる。


    「ぐはっ……」


    心護の反撃、鳩尾に直撃。痛い。爪で土を掻く。


    ――許されるはずないさ。許されようとも思わない。これはオレの戦いだ。だから何をしようとも何をされようとも、全部オレだけが悪い。


    剣戟が続く。白刃は月下に煌めき、闇に紛れた二人を照らす。


    「もう終わりにしよう。徹だって分かってるだろ。君の心と体はバラバラだ。迷いのあるままこれ以上やったって無駄だよ」


    心護に転がされ、唇が切れる。身体が悲鳴をあげる。


    だが、何度でも立ち上がる。


    「うるせぇよ。オレは諦めるわけにはいかねぇんだ……」


    剣を交える。二人の思いは交わらない。だからこそ剣を交える。納得のいく決着を求めて幾度となく煌めく。


    「お前はずるいよ……! 守る守るって。お前は優香を守ってくれないんじゃねぇか!」


    ――なぁ、心護。お前にならわかるだろう?


    吠え、叫び、刃をぶつけ合い。そして心をぶつける。


    ――たとえ絶対に勝てないとわかっていても、けして譲れないものがあるって。守らなくちゃいけない大切なものがあるんだって。


    夜空は弓形に切れ、月は翳した刃によって半分に割られている。


    ――オレだって、そしてお前にだって。等しくそれはあったはずだ。だからお前ならわかってくれるだろう?


    「わかってるよ! こんなの独善だって。それでも僕には守りたい世界があるんだ!」


    一瞬、心護の表情が見えた。


    いつも隣で見ていた馬鹿な男の顔が見えた。


    自分と同じ、守るものを持つ男の顔が見えた。


    だから感じた痛みよりも強く、ただ強く安堵した。


    ――ああ、お前はずっと理想を追っていたからな。そしてオレはそんなお前を眩しいと思ってたんだ。……なぁ、親友。


    「くそッ……優香……」


    徹の意識は反転する。彼の敗北の場面を背景に、現実へとゆっくり塗り替えられていく。


    その最後の一瞬に、自分の腕の中で無邪気に笑う少女の姿を見た気がした。



  43. 43 : : 2016/02/26(金) 23:20:54
    それから一ヶ月が過ぎ、季節は本格的な梅雨を迎えていた。


    赤軍にとって長雨は困るものである。付近の河川は増水し、山は崩れ、地盤も緩む。おまけに訓練も出来なければ満足に炊事も出来ないという嫌なもの揃いだ。


    しかし心護にとってそんなものは全てどうでもいいものだった。


    「またここにいたのね。淺凪くん」


    赤軍の拠点から少し離れた場所に小さな天幕がある。その入り口で立ち尽くしていた心護は背後からの声に振り返った。


    「はは……どうも落ち着かなくてさ。いつまでもこんなじゃ駄目だと思うんだけど」


    腕を組んでこちらを見つめる千夜に困り笑いで答える。


    その天幕は徹が拘束されている場所だった。あの事件から一ヶ月経つというのに徹は肝心なことを何一つ話さないまま黙秘を貫いている。だから誰も徹に手を出せず、こうしていつまでもこの場所に閉じ込めているのだ。


    「千夜は強いね。あれから暫く大変だったのに」


    目覚めてからの二週間程度、千夜は手足に痺れが残った。「意識を失うほどの時間首を絞められていたのだから、むしろこれくらいで済んでよかったのよ」と救護班の咲がめずらしく真顔で言っていたのは今でも忘れられない。


    「今は何の問題もないわ。それよりもみんなあなたを心配してる。もう過ぎたことなんだから前に進まないと駄目じゃない」


    全く千夜の言う通りだと心護は苦笑した。いつまでも徹のことを考えていても仕方ない。あの夜で全ては済んだのだ。


    だが親友を裏切り者と呼ばなければならないのは思った以上に堪える。だからこうして何も出来ずに、せめて雨で暇になった日だけでも近くにいたかったのだ。


    徹が一人で罪を重ね続けたのは、心護が何も気付いてやれなかったことも原因なのだろうから。


    「軍議、何時からだっけ」


    「もうすぐよ。時間も見れないほど思い詰めてるのね。ちゃんと夜は寝られているの?」


    「そこそこはね。……ごめん、気を使わせて」


    心護が相当参っているからなのか、千夜はいつもよりずっと優しい。人付き合いに不器用で甘えたことを嫌っている千夜に情けない姿を見せていることを心護は自覚している。そして彼女が精一杯の表現で自分を励ましてくれていることにも気付いていた。


    だから千夜の気遣いを無駄にしないようにと足に力を入れる。


    「別にそうでもないわよ。無駄に頑丈だった人がこんなところで落ち込んでいるのが我慢できないだけで」


    長い髪を翻しながら千夜はそう言った。早く来いということらしい。


    「本当にごめん。ありがとう」


    もう一度謝って心護は歩き出した。

  44. 44 : : 2016/02/26(金) 23:29:00

    本部天幕では例に漏れず次の作戦の会議が行われていた。


    現在、戦場では圧倒的に白軍が有利である。ここまで主要な戦力をほぼ失わずにきた白軍は黒軍以上の強敵になることが予想され、赤軍は更なる苦戦を強いられるだろう。


    おまけに黒軍もまだまだ戦い続けるだろうと考えられている。今のところの見通しでは白軍が有利だが、今後それがどうなるかは誰にも予想出来ない。


    「ここまで来てしまったら、この流れに乗って黒軍を潰す以外の選択は出来ないだろうね。だいぶぼくたちも戦力が減ったけど、高1の子たちも十分な訓練を積んだから今後はそっちを導入すれば補える」


    万次郎は今後の予定を述べていく。天幕の中は以前よりもだいぶ人が減ってしまった。今日は万次郎の様子も少しだけ変わっている。とはいえ奇行は相変わらずであるし、話し方が普段より多少落ち着いているだけなので、心護と違い誰も心配する人間はいないようだ。


    「ですが白軍はどうすれば。奴らはけして無視出来ないほど勢力を拡大しています」


    「んー。黒軍に白軍を抑える力がどれだけ残っているかにもよるけど、ぼくが見る限り次の戦が限界だろうね。だから短期決戦になるよ。こちらも総力戦になる」


    「ならばいっそのこと白軍に任せてしまった方が……」


    幹部の上級生は不安そうに言葉を漏らした。白軍という名前を呼ぶことすら躊躇うような言い方だ。心護はその理由を知っているため、顔を伏せるしかなかった。


    赤軍内では徹の一件で白軍に対する反発が強まっている。間者として白軍に送り込んだ人間が白軍からの間者として帰ってきた事件。心護が徹を引き渡した後、万次郎は徹の処罰を当分の間見送ると決めた。おそらく死刑になることはないと、そう言い残して。


    だが赤軍の他の学生たちにすればそれは納得いかない決定だ。徹は彼らにしてみればただの裏切り者。その上幹部たちを殺されているのだから許せるわけもない。


    そんなわけで今は誰しも白軍に怒りを覚えていた。これから黒軍との戦いになるというのに、自分たちの敵は白軍であると誰もが確信していたのだ。


    「いや。ぼくたちがやろう」


    しかし万次郎はそう言った。そして資料へと指を滑らせる。


    「ほら、今残っている敵将の詳細な情報を見てみるといい。黒軍の主力は3人、白軍は4人。白軍の幹部は桁違いに強い。疲弊した黒軍には荷が重いだろう。だけど、うちは自分達の戦いさえできればどちらと戦っても大差はないからね。楽な方からやっちゃおうってことだよ」


    「ですがそれは――」


    周りはその言葉に苦言を漏らした。大差ないと言われても白軍の方が圧倒的に脅威であることには変わりない。それにわざわざ赤軍が白軍を消耗させてくれる可能性のある黒軍にトドメを刺す意味を見出せないのだ。


    「うーん。少しだけやりたいことがあるんだよ。でもその為には黒軍を壊滅させないといけない。大丈夫、軍に劣勢を強いる戦いにはしないよ」


    万次郎は悪巧みでもしているような顔で笑う。結局その場の一同は万次郎の作戦に異論を挟むことも出来ず、大人しく従うしかなかった。
  45. 45 : : 2016/02/26(金) 23:39:28


    夜空に浮かんだ月が煌々と辺りを照らしていた。
    心護達は本拠地を取り囲むように近場の木々の間に潜んでいた。
    木に止まっている蝉の鳴き声が彼らの呼吸の音を上手くかき消してくれている。


    今回の作戦は単純だった。未だに黒軍と白軍はこの本拠地から程ないところで戦闘を継続している。
    即ち今、黒軍の本拠地はもぬけの殻とまではいかないものの主力部隊は殆ど出払っている。
    軍師は、今頃相手は白軍の事で頭が一杯で赤軍の事など忘れているだろうと言い、夜襲を企てた。


    完全に予想外の相手から夜間に攻められれば恐らく相手は対処出来ずに楽に勝てるだろう、と言うことだった。


    「徹……」


    ぼそりと心護はそう呟いた。


    「今は目の前の戦いに集中しなさい。貴方は心の状態がすぐ身体に現れるから」


    千夜がそう注意すると、心護はありがとうと礼を言いながら苦笑した。
    千夜が不服そうに心護を睨みつける。


    「あ、いや……最近思ってたんだけど千夜って案外世話焼きだよなって思ってさ」


    そう言った後、心護はまた余計なことを言ったかと一瞬身構えたが千夜から罵倒は飛んでこなかった。


    「……そう。貴方と一緒にいると自分がどんどん変えられているようで嫌だわ」


    千夜はそっぽを向いたままそんな事を言った。
    だが心護は千夜が言った事の意味を理解できず、思わず聞き返そうとする。


    しかしその時、先輩達の部隊が動き始めた。


    心護達はそれが黒軍の本拠地内に突入したのを見ると、心護達も一気に突入する。
    本拠地の周りに張り巡らされた塀を越え、内部に侵入すると既に乱戦が始まっていた。


    だが明らかに黒軍の人間は数が少なく、また十分な迎撃が出来ているようにも見えなかった。


    それを見て、心護は一気に加速して、内部を駆け回る。
    すれ違う敵には、小太刀で相手の足を突き刺し、行動不能にしたり、蹴りを鳩尾に叩き込んだりと相手の動きを封じる戦いを続けていた。


    黒軍は見る見るうちに少なくなっていったが、ようやく襲撃に気づいた兵士達が中から大勢出てきて、戦はますます激しさを増していった。


    だが、主力部隊でも無い兵士達は勢いづく赤軍にとって大きな障害とは成り得ず、その数を減らしていく。
    だが、その弱った黒軍の中でもある一部だけが未だに勢い衰えず赤軍の兵士達を押し返していた。
    そこに気づいた心護は、恐らく一応の為に残されていた主力の誰かだろうと考え、そこに向かって走っていく。


    襲い来る黒軍の兵士達を捌きながら、心護はそこを目指して行く。
    兵士達を掻き分け、その中心へ辿り着く。


    そして心護は遂に二度目の邂逅を果たしたのだった。


    「柳刃……清志郎……!」


    「……淺凪心護……ッ!」


    二人の視線は一瞬交錯し、そして次の瞬間、二人は刀を合わせていた。


    太刀と小太刀が激しい金属音を立てて交わる。だが少しずつ心護が押され始めていた。


    心護は力では勝てないと悟るや否や、すぐ様後方へと飛び退いた。


    そして再び視線が交錯する。


    「まだ生きていたとはな……正直予想外だった」


    清志郎は静かにそう言って太刀を構える。


    「僕はあれから強くなった……もうこれ以上誰も失わない為に。その為に僕は……君を倒す!!」


    そう言って心護も小太刀を構え直す。


    月夜の下、決戦の火蓋が切り落とされた。
  46. 46 : : 2016/02/26(金) 23:45:40


    清志郎を前に啖呵を切った時、心護は思い出す。


    自分が守れたものなど果たしてあっただろうか。徹がひとりで悩みを抱え込んで苦しんでいたのも知らずに、自分の夢だけ語ってここまで来たのだ。


    徹はいつも心護を支え励ましてくれた。夢を応援して背中を押してくれた。


    だが、自分はどうだ。あまりに独りよがりな正義を掲げて親友ひとり救えなかった。


    自分の志や夢が間違っているとは思わない。


    だが、如何に自分が周囲に甘えていたかを思い知らされた気がした。


    それに対して、清志郎の剣は重く鋭い。以前会った時とは比べものにならないほど成長している。


    受けていれば己を律し、真っ直ぐに突き進んで来た事がはっきりとそれがわかった。



    そんな時、清志郎は心護を蹴り飛ばし、剣戟の手を止める。


    尻餅をついた心護はハッとして彼を見上げると、清志郎はその表情を怒りに染め上げていた。



    「お前……俺を舐めてるのか、死にたいのか知らないが、なんだその腑抜けた戦い方は!」


    清志郎が怒るのも無理はない。彼との戦いの最中に心ここに在らずといった心護の行動は彼の自尊心に泥を塗る事に他ならない。


    戦場でそんな事をするという事は即ち死ぬためにそこにいるといわれてもおかしくはないのだ。


    「轟木さんを退けたというから期待していたんだが……今のお前には殺す価値すらもない」


    清志郎は冷たく告げる。そして、一度大きく息を吸い込むと、周囲に響き渡るほどの大きな声を上げる。


    「立て淺凪!!お前の刀に映る未来はこんものか!!まだその心に貫くべき意志があるのなら、立ち上がって俺の手から全てを守り抜いてみろ!!」



    敵である心護を前になぜ清志郎が発破をかけるような事をするのかはわからない。だが彼の言うとおりだ。ここにはまだ心護が守るべきものがある。徹の事だってまだ守れる可能性が無くなったわけではない。


    それに心護はこんな事を起こさせない為に戦争を終わらせようと誓ったのだ。ここで心護が立ち止まれば同じようなことが2度3度起こるだろう。


    より多くを救う為には失敗を嘆くことも許されない。脇目も振らず、ただこの信念の為に真っ直ぐと走り抜かなければならないのだ。


    「その通りだ……僕はこんな所で立ち止まってる時間なんてない……」


    心護は小太刀を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がる。そして清志郎に意志を取り戻した真っ直ぐな瞳を向けた。


    「この戦争、勝つのは赤でも黒でも白でもない……仲間も君も全てを守って僕が勝つ!!」


    心護は雄々しい叫びを上げた。
  47. 47 : : 2016/02/27(土) 00:06:17


    幾度となく刃を合わせ、当て身を繰り出すがお互いに相手の行動が見えているかのごとく有効打にはならない。


    「そうか……これがお前の出した答えか!」


    清志郎は振り抜いた一閃を心護に受け流されるが、普段落ち着いた雰囲気を纏っている彼からは想像もできないような獰猛な笑みを浮かべると素早く刀を返してもう一度心護に迫る。


    だが、心護もされるがままではない。片方の小太刀で清志郎の刃を受け止め、そのまま逆から拳打を放つ。



    「僕はこの想いを絶対に曲げないと誓ったんだ……だから君には負けられないッ!」


    しかしその拳を清志郎はしっかりとその手で受け止めた。


    互いの力が完全に拮抗していることは本人達でなくともわかっている。


    ふたりは目の前の強敵との戦いに心が踊らずにはいられなかった。


    命のやり取りの上でこんな事を考えるのは不謹慎極まりないのかもしれない。


    だが、目の前の男の想いの強さも、正しさも、その力さえも、全てが手に取るようわかる。


    決定的なまでに違うふたりだが、絶対的なまでにその根幹は似通っていた。


    現実も絵空事も関係ない。ただ純然たる大切なものを守りたいという想い。例えその手段は違ったとしても、この戦いの無意味さを嘆き、その先の未来を己が刀で切り拓こうという心は何ひとつとして違いはない。


    そうでなければここまで真っ直ぐな太刀筋を練り上げ、己を磨き抜くことなどできようもない。それはこのふたりだからこそ、刀を合わせれば自ずと理解できた。


    同じ夢を描いているにもかかわらず、違う思想の旗の下に立つふたりは刃を交える他ない。


    だが、ふたりはそれを悲観的に捉えては居なかった。例え根っこは同じでもきっとふたりは反発し合う。例え互いの手を取ろうともいつかはぶつかる事になる。


    この決着はいつか必ずつけなくてはならないのだ。それが漠然とだが、ふたりには理解できた。


    ふたりは弾かれるように距離をとると、歓喜の笑みを浮かべる。


    「戦いを楽しいなんて思ったのは初めてだ。こんな戦争を終わらせる為に仕方なく戦ってたはずなのに……君の考えには納得もできないし、腹立たしくすら思っていたはずなのに……君との戦いの決着だけを心から望んでいる僕がいる」


    「奇遇だな。俺は今でも人を殺さないなんて絵空事は、いつか大切な物を失う事になると思っている。だが、俺とお前どちらが最後に立っていたとしても俺は後悔はしないだろうそう思えてならないんだ」


    だが、この男にだけは負けたくない。


    目の前にいる男を倒したい。


    ただそれだけの為にこの瞬間だけはそこに立っていた。清志郎が言う通り、きっとどちらが勝ったとしてもそこに後悔はない。


    互いを倒さずして戦争に勝利したところで、自分の正しさは証明できたとしても本当に勝利したと、戦争を終わらせたのだと、胸を張れるとは思えなかった。


    「お前を……」


    「君を……」


    『討つ!!』



    ほぼ同時。同じ想いを込めた、同じ言葉とともにふたりは走り出す。雄叫びが重なり合い、さらに強く大きなものとなる。


    今まで以上に力強く、そして速く。


    手加減を加えていたわけではない。ただ全力だっまとも言えなかったかもしれない。


    互いを倒すべき好敵手と認め、油断も慢心もなく、己の想いも力も、これまでの全てを以て制することを決めた。それはこの戦いに賭ける物が変わったということに他ならない。


    それはふたりの太刀筋や動きに大きな影響を与えた。


    もっと鋭く、速く、強く。


    相手よりもわずかでも先へ。


    想いがひとつひとつ積み重なっていく。


    だが、その太刀筋には微塵の力みもない。


    これまでにないほどに剣尖が加速し鋭く相手を襲った。


    互いの刀が交差し火花を散らす。瞬きする時間すらも命取りになるのではないかという程の剣戟が延々と続く。


    まるで呼吸を合わせて相手と同じ位置を撃ち合っているような妙な一体感の中、ふたりはただ無心になって刀を振り抜いた。


    そして再び深く息を吸い込むと、互いに一瞬の溜めの後に渾身の一閃を放つ。


    刀のぶつかり合った反動で体勢を崩し、ふたりとも地面を転がった。


    しかしふたりは土塗れになりながらも、一切の逡巡すらもなく立ち上がり刀を構え直す。


    そして、もう一度刀を混じえようと踏み込んだその時。


    突如飛び込んだとんでもない知らせに、心護も清志郎もその足を止める。それは、赤黒両軍の伝令からあたり一帯に瞬く間に伝えられた。



    「赤黒両軍に告ぐ!!赤黒同盟締結!!直ちに戦闘行為を止めて両軍協力の下、けが人の治療に当たれ!!」
  48. 48 : : 2016/02/27(土) 00:25:20
    心護が清志郎と相見えたその頃、黒軍の執務室は突然の敵襲で大騒ぎになっていた。


    当然黒軍とて油断があったわけではない。だが白軍との戦闘に気を回すあまり拠点の防衛が厳かになっていたことは事実だ。知恵は己の至らなさに頭を抱えるしかない。


    唯一の救いはちょうど清志郎が拠点に残っていたことくらいか。これが一般兵のみであったら知恵はこうして執務室になどいなかっただろう。


    溜息をつく。赤軍はおそらく全軍をここに回しているのであろう。おまけに黒軍にとどめを刺せるということから士気もいつもより高いように見える。対して黒軍は僅か二つの部隊しかない。このまま防衛しているだけでは間違いなく敗北する。


    「軍師……今のうちに脱出を」


    机を囲むようにして立つ部下たちは必死で知恵に脱出をせがむ。ここで知恵を失えば黒軍は終わりだ。確かに有能な司令官はまだ本部に存在しているが、それでも知恵より遥かに劣るだろう。


    だが知恵は首を振り、横に立てかけた薙刀を手にする。知恵のために作られた特注品の薙刀はその手によく馴染んだ。


    「ここを出てどこに逃げろと言うのかしら。もう逃げ場なんてない。攻め入られてしまった以上、私は死ぬまでこの学校を動かない。それが守備を担う者の役目だと思うのよ」


    「ですが! 貴女がいなくなれば我が軍は――!」


    「この地で負ければ、他の場所にどれだけ仲間がいようと黒軍が勝てる未来はないわ。ここを突破されれば私たちの敗北。私が生き残っても仕方がないのよ」


    知恵は普段の話好きな性格からは想像もつかないほど淡々としていた。その様子を見て周りの者たちも一人、また一人と終わりを感じて項垂れていく。そんな彼らに向けて知恵は言った。


    「死にたくなければ今のうちに投降なさい。相手は白軍ではないのだから、無抵抗の人間ならば命は助けるかもしれない」


    「ならば軍師も――」


    「さっきも言ったでしょう? 私はこの軍の最高指揮官。私が情けない真似をすれば黒軍全ての評価に繋がる。だから逃げるよりもここで自害する方がよほど軍のためになるわ」


    そう言いつつも知恵は思考を巡らせていた。今の状況はまさに絶体絶命である。早い段階で白軍と戦っている本隊を撤退させることに成功したものの、それが到着するまでにはだいぶ時間がかかる見通しだ。


    更に白軍の動向も掴めないまま兵を引けばどうなるか全く想像もつかない。最悪赤軍と白軍の板挟みに合う心配もあった。どう足掻いても絶望しか見えない。


    「とにかく、こんな場所で閉じこもっているくらいなら戦いましょう。戦わなければ勝算なんて見えるわけがないのだから」


    薙刀を手に立ち上がると、周りの学生たちを退けて扉の前へと進む。彼らは知恵の意図に気付き涙した。


    「大丈夫、死ぬつもりはないわ。死ぬ気で戦うだけよ」


    そのまま振り返ると、知恵は執務室に集まった者たちに言い放つ。


    「死ぬ覚悟がある者だけ付いてきなさい。後の者は絶対に生きること。これが最後の命令よ」


    普段どんな場面でも命令という言葉を使わない知恵の言葉だった。皆とうに気付いている。自分たちの軍師は戦って死ぬ気でいることを。
  49. 49 : : 2016/02/27(土) 00:25:44

    知恵が軍師となるには色々な問題があった。上は女に権力を与えることを嫌がったし、彼女の座学の成績がかつて二番であったことを執拗に掘り出しては彼女を推す者たちを責めたのだ。


    彼女自身も自分は軍の頂点に立つ柄ではないと反対していたが、どんなに探しても他の適任者がいなかったため仕方なく軍師に抜擢されたという経緯がある。


    いつまで経っても情を捨てられず、仲間を失うことを恐れる自分が大嫌いだった。兵を切り捨てなければいけなかった場面で撤退したことも何度かある。その度に上からは文句を言われ、逆に下には慕われた。


    向いていないのだとはわかっている。司令官に戻れるのなら今すぐにでもそうしたい。それでも知恵は軍師としてここにいる。部下の命を背負って生きている。


    「――こんな時に変なことを思い出したじゃない」


    扉に手をかけたその瞬間、一人の存在を思い出した。中学時代に常に自分を追い抜いていた男の存在だ。


    今は名前すら覚えていない。顔に至っては見たことすらない。本部にいた知恵から遥か遠くの場所に彼はいたのだ。しかし中学3年の秋、とうとう彼が本部に引き抜かれることが決まった。知恵と共に幹部候補生として選ばれたためだ。


    だが、いよいよ己を抜いた男の顔が見れると楽しみにしていた知恵の想像を裏切ることが起きた。彼が学校を脱走したというのだ。それも完全に行方を眩ましてしまったという。


    結果的に彼は死んだことになった。そして最終的に生き残り、軍師になったのは常に二番であった知恵。だからつい思ってしまったのだ。もしも彼が軍師になっていたのなら、この状況すら起きなかったのではないか、と。


    「まあいいわ。死んだ人間のことを考えても仕方ないもの……」


    そう小声で呟いて扉を開ける。廊下に出ると早足で近付いてくる学生がいた。


    「ぐ、軍師!」


    息を切らして駆けてくる姿を見て知恵は肝を冷やす。途端に頭にいくつも最悪な事態が浮かんだ。赤軍がここまで到達したか、清志郎が倒されたか、本隊が来れない状況になったか、白軍の別隊が混乱に乗じて押し寄せてきたか……浮かんではそれを飲み込んでいく。どれも十分起こり得る事態だ。


    「落ち着いて。どうしたの?」


    「これを……これ、赤軍の……軍師からっ」


    知恵の前で膝から崩れ落ちたその学生は手に何かを握り締めている。それを息も絶え絶え知恵に向かって差し出した。


    「書簡?」


    それを受け取って裏返す。お世辞にも上質とは言えない紙で作られた封筒には達筆な文字が書かれている。


    「一体こんな時に何を言ってくるつもりかしら」


    封筒を開き中身を取り出す。封筒と同じ達筆な文字が踊る書面に目を通し、知恵は思わず言葉を漏らした。


    「……やられたわ」
  50. 50 : : 2016/02/27(土) 00:30:53

    今までの悲壮感漂う姿からは想像出来ないほど力強く振り返り、知恵は自分を追って執務室を出てきた学生たちが唖然とするのも関わらず執務室へと戻っていく。


    「一体何が……」


    その中の一人がようやく口を開いた。知恵は自分の椅子に座り頭を抱えている。明らかに先ほどの書簡のせいだった。


    「わかったのよ、赤軍がここを攻めてきた理由が」


    「白軍との戦闘に集中していた我が軍にとどめを刺すつもりでは……」


    赤軍は数からいって総力戦だ。だから余計にそう見えるのだ。知恵すらも赤軍が黒軍を滅ぼすつもりでいると考えていた。


    「いいえ、赤軍の目的は私たちを滅ぼすつもりじゃないの。白軍との戦いに黒軍を利用するのが彼らの目的。完全にやられたわ。何が最後の命令よ……」


    「それじゃあもしかして、その書簡は……」


    集まった彼らにも知恵が受け取ったものに何が書かれていたのかが何となく想像出来た。悩んでいるというよりは落ち込んでいるという知恵の様子から、おそらく自分たちはここで死ぬことにはならないだろうという謎の安心すら生まれる。


    「ええ、そうよ。同盟を結ぼうというお誘いがきたわ。赤軍の軍師って嫌な男。きっと仲間にすら本当のことを知らせないで来たのね。みんな完全にこちらを殺す気でいるんだもの。――でも、悔しいくらい優秀だわ」


    知恵は唇を噛んだ。十朱というあの赤軍の軍師は相当頭が切れる。こんな状況で持ち出された同盟の話など絶対に断れるはずがないのだから。


    「……どうなさるつもりですか?」


    「話を受けるのなら赤軍はここで兵を引くそうよ。そして白軍攻略まで私たちと共闘する。正直悪くない話だけど、裏がないとは限らない」


    そう、話がうますぎるのだ。条件らしい条件もなく、それどころか捕虜を解放するとまで言っている。


    「これまでも何度も我々を妨害してきたような奴らと手を組むだなんて、いくらなんでも怪しすぎます。突っぱねましょう」


    皆そう言って頷くが、断ればこのまま攻め入られて死ぬだけだ。だがそれでもその方がマシという状況はいくらでもある。相手が正体不明の赤軍であることが知恵の判断を遅らせていた。


    そこで知恵はふと剛健のことを思い出す。彼は確か赤軍の学生と戦って負けたことがあるはずだ。しかし剛健は生きて戻ってきた。それも満足した様子で戻ってきたのだ。


    「――いえ、赤軍はきっと酷い人たちの集まりではないわ」


    剛健を退ける腕を持つ学生が幹部になっていないはずがない。ならば少なくとも赤軍には良い人間がいるということになる。その点では白軍よりよほど信用出来るだろう。


    「赤軍の人間性に賭けましょう。それでこれより悪い状況になったのなら責任は取るつもりよ。どうせここで捨てるつもりだった命なのだから今更何の苦でもないわ」


    知恵は立ち上がって窓際に立つ。そこから見える自軍の兵たちの姿を見つめ、決心を固めた。


    「一刻も早く赤軍の十朱軍師に伝えて。赤黒同盟は今ここに締結したわ」
  51. 51 : : 2016/02/27(土) 00:55:53





    黒軍本拠地より遥か東。
    彼らの象徴となる白を基調とした、巨大な学校施設がそびえ立っていた。
    海に面したこの建物は白軍の本拠地、今は夜の為、校舎内に人は居ない。
    しかし最上階に程近いある一部屋だけが窓から光を放っていた。

    そこには白軍の幹部と思わしき五人が円形の机を囲むように座っていた。


    「先の戦いでの赤染君の活躍は実に素晴らしいものでした。お陰様でもう黒軍は虫の息です」


    議長席に座った糸目の男が、ましろの方をちらりと見ながら周りの五人に向けて言った。
    当のましろはシャツを一枚羽織っている以外は下着しか身につけておらず、ぼうっと空中を眺めたまま反応を示さなかった。


    「所詮は田舎者の集まり、我ら白軍の敵ではありませんな」


    糸目の男に応えながら気持ちよさそうに笑ったのは糸目の男の隣に座っている、眼鏡の男だった。
    服の上からでも分かるその鍛え上げられた筋肉は制服のボタンを今にも弾き飛ばさんとしていた。

    彼はそう言うと、彼の隣に座っている小学生の様な少女の方を向いて気取った声で少女に話しかけた。


    「最早我らが動くまでもなく、下っ端の白軍が直に黒軍の息の根を止めるとは思いますな。どうですかな。三代氏、我と一緒に明日ディナーにでも――」


    「は!?諌崎と晩ご飯なんてぜっったい嫌よ!!燐は明日、由紀と一緒にご飯食べるんだから!だいたいなーにがディナーよ、どうせ学食でしょ?そんなの誰と食べたって変わらないわ!」


    そうやって余っている制服の袖で諌崎と呼ばれた男を引っぱたいた彼女は即答で彼の誘いを断った。


    だが諌崎は彼女の明らかな敵意を全くものともせずに尚も引き下がらない。


    「相変わらず三代氏は手厳しいですな。ですがこの諌崎陽馬、この程度で引き下がる男ではありませんぞ。どうですかな立花氏、貴殿の明日の三代氏とのディナー、我もお供してよろしいですかな?」


    立花と呼ばれた長い髪を一本の三つ編みに束ねた女性は急に話を振られた事に驚いたのかびくりと体を跳ねさせる。


    「は、はいっ!?私ですか!?え、えーと……その、今は会議中ですし……その、その話はまた後でも良いかと……」


    「何を申しますか!この話を後に回すなどアリエナイ!」


    「ひえっ、ご、ごめんなさい〜……」


    由紀は諌崎に咎められてすぐに萎縮してしまった。下を向いて三つ編みにした髪をいじりだす。


    議長席に座っていた男は笑みを浮かべながら彼らを嗜めるように言った。


    「ほらほら、諌崎君。立花君の言う通りですよ、ここは会議の席。その話はまた後にしていただけませんか?」


    「……神成軍師がそう言うのであれば仕方ありませんな。申し訳ないですぞ」


    諌崎は椅子に座り直して、眼鏡の位置を直す。
    軍師と呼ばれたその男は一切表情を変えずに話を続けた。


    「さっき諌崎くんが黒軍は既に虫の息だから僕らが手を下すまでも無いと言っていましたが、おそらくその通りでしょう。ですが、赤軍が黒軍に攻撃をしかけるでしょうね」


    「赤軍が黒軍を?どうしてそんな事が分かるの?神成軍師が凄いのは知ってるけど、あたしには良く分からないよ」


    燐は首をかしげながら神成に尋ねる。
    神成は依然として表情を変えずに燐の質問に答える。


    「まあ私にも確信はありませんが、赤軍にとって一番怖いのは背後を突かれることです。1対1であれば奇襲を得意とする赤軍にとってはどちらにしても変わらないでしょう」


    燐は神成の説明を聞いてふうんと分かったような分かっていないような返事をする。
    神成はそれを見て、話を再開した。


    「しかし例え赤と黒が同盟を結んだとしても私達には敵わない。向こうは主力を欠いているのに対して私達はまだ主力が全員生きている。負ける要素は皆無だ」


    神成はそう言ってその糸の様に細い目を少しだけ開く。
    その目は不気味な光をたたえており、見る者を凍てつかせる様な鋭さがあった。
    神成のその様子を見て、周りの幹部達は張り詰めた空気を漂わせる。


    「この戦争も最早終わりが近い。つまり手段を選んでいる暇も無いということです。……総力戦になるでしょう、君達も覚悟を決めておいてください」


    言葉の中に有無を言わせないような威圧感を含ませながらそう言った。
    周りの面々もそれに同調するように強く頷く。
    神成はそれを見ると、再び何時もの笑みを浮かべながら会議を終了した。


    幹部達はそそくさと会議室を後にし、会議室には神成だけとなった。


    「そう、私達は負けません。"彼"がいる限り、ね」


    そう言って神成は窓から覗く月を見上げながら笑ったのだった。


  52. 52 : : 2016/02/27(土) 01:08:10


    赤黒同盟締結後、黒軍の拠点は仮の合同本部としての機能を果たしはじめていた。赤と黒両軍の間に溝がないとは言えないが、白という強大な共通の敵を前にしてふたつの軍の空気はかなり協力的と言える。


    万次郎がこの機に同盟を持ちかけたからこその事だと一部の敏感な者たちは感じ取っていた。


    白と黒の均衡が崩れ、予断を許さない今だからこそ赤というこれまで敵対していた異物を受け入れる事ができたのだろう。


    そのせいか早くも先日の戦いによる興奮が落ち着きを見せつつある。


    しかしその矢先、赤黒両軍師のいる天幕に慌てて駆け込んだ伝令から驚愕の事実が告げられた。


    「現在白軍部隊と交戦中の轟木隊長より緊急伝令!白軍主力三代燐、立花由紀両名が出現。現在、隊を後退させながら交戦中。増援を求むとのことです!」


    両軍の首脳の間に動揺が走る。剛健率いる部隊が守護するのは黒の拠点防衛において戦略的にも戦術的にも重要になる位置に当たる。


    それは白から見ても明白な話であり、防衛の強度が高いそこを攻めるには戦力の集約が求められることから結果的に避けられる場合が多かった。


    故にそこに主要戦力を送り込むということは、白軍軍師の黒軍を制圧するという意思表示に他ならない。


    その上黒の最大戦力の一角とも言える剛健が撤退を余儀なくされるほどとなれば尋常ならざる事態だ。


    しかし、それを見ても動揺の色すらも見せない男がいた。


    「まあ。知ってたよ。その為にぼくはこの同盟を組んだんだからね」


    その言葉に黒の幹部に当たる男のひとりが怒りを露わにする。


    「何を悠長な!黒の兵が今も死んでいるんだぞ!なぜわかっていたのなら兵を送らなかった!」


    しかし万次郎は笑顔のまま続ける。


    「兵を送って増員なんてしたら、向こうの軍師にバレちゃうじゃないか。やだなぁ」


    相変わらずくねくねとした気味の悪い動きをしながら、話す万次郎に慣れない幹部の男は完全に感情を制御できずにいた。


    「き、貴様ァ!!」


    今にも万次郎に殴りかかりそうな男に、彼は冷やかで、射殺さんばかりの鋭い視線を送ると、低く唸るように告げる。


    「甘えるなよ。僕は仲良しごっこをしに来たんじゃない」


    万次郎の一言に一瞬空気が凍る。黒軍師である知恵すらも、言葉を発することを躊躇うほどの威圧感が彼にはあった。


    まるで巨大な蛇に睨まれたカエルのようにその場の全員身体を動かす事すらできない。


    「まあでも予想より早い。白軍師もそれだけできるってことかな。黙っていたお詫びと言ってはなんだけど、うちの優秀な子をひとり送ろう。彼なら白の主戦力ひとりやふたりを生け捕りにするくらいのことはやってくれるだろうし」


    次に口を開いた彼の声音も表情もいつもの穏やかなものだ。その場の誰もがこの赤軍師がそれだけの実力の上にあることを思い知らされる形となった。


    そんな中、知恵は一度深く息を吸い込んで心を落ち着ける。


    「わかったわ。うちからも隊長格の人間を出しましょう。それで隊を編成し、増援として送るということでいいかしら?」


    「もちろん。軍師さんは物分かりのいい方で助かるよ」


    それだけ告げると、万次郎は底の見えない不気味な笑みを浮かべた。
  53. 53 : : 2016/02/27(土) 01:13:48

    心護は黒軍拠点内の訓練場に張られた天幕の中にいた。突然の同盟締結に驚きはしたものの、こうして数日置いてから状況をよく考えればそれも十分納得のいくものだった。


    「いつも思うのだけど、ほんとあなたってすぐに傷をつくるのね。まるで痛めつけられるのが好きな人みたいよ」


    心護の顔にできた切り傷を見つめながら、後から天幕に入ってきた千夜は呆れたように言う。ずっと心護の後ろで戦っていた千夜は心護と清志郎が斬り合っていたことも知っている。その上でこんな言葉が出るのだから恐ろしい。


    「いつものと違ってこれは大した傷じゃないよ。ほら、救護班の天幕にだって行ってないだろ?」


    「それもそうね。無駄に頑丈なのは相変わらずで安心したわ」


    千夜は心護の向かいに座ると背負っていた薙刀を下ろした。さっきまで走り通していたのか顔には疲労の色が浮かんでいる。


    同じような役割を持つ隊長格の人間とはいえ、頭の良い千夜と凡人である心護では能力差が大きい。そのためこういう時に兵を纏める役割は千夜が行う方が都合が良かった。心護はそれを千夜に詫びたが、「適材適所よ」という一言で返されてしまうと黙るしかない。


    「まだ両陣営共にギスギスしているけれど、それも暫く経てば何とかなるでしょう」


    「徹は……どうしてるだろうな」


    心護は赤軍拠点に置き去りにされた徹のことを考える。僅か数名の見張りを残し、今もまだ尋問は続けられていると聞く。酷いことはされていないはずだが、全く口を開かないという徹の考えがわからず不安だった。


    「やっぱりまだ気にしていたのね。あなたの剣、ずっと鈍っていたように見えたから。あの柳刃って男と戦っているうちに振り切れたと思っていたけど」


    「徹の起こした事件は僕のせいでもあるから、少しでも忘れちゃ駄目なんだ。――でも彼に気付かされたよ。立ち止まっている時間なんて僕にはない。本当に全てを守る気なら、がむしゃらにでも突き進むしかないんだって」


    清志郎とは別れたきり会っていない。殺し合いをした相手だというのに、まるで二人で長い会話をしていたように思う。清志郎は言葉だけでなく、その太刀筋にも信念を乗せていた。それは心護も同じだった。


    たとえあの場にただ一つの言葉もなくとも、二人は剣を交えることで語り合っていたに違いない。心護と清志郎の戦いとはそういうものだ。


    「似てると思うわ。あなたたちのこと」


    「そうだね。きっと僕と彼は同じ願いを抱いてる。だけど決定的なものが一つだけ違うからこうして争うしかない」


    清志郎と出会った一年前のことを思い出す。あの日、初めて刃を交えた時に彼は心護に向かって甘いと言った。


    100を守るためには1を切り捨てる。これが清志郎の正義。対して心護は1すらも守りきるという正義を掲げていた。現実的な清志郎に対し、全ての人を守りたいという心護の理想はあまりに子どもじみて映る。


    「似てるからこそ、反発するしかないのね」


    「うん。だからきっと僕はまた彼と戦うことになると思う。ううん、そうしなくちゃいけないんだ」


    そう、と千夜は頷く。こんな話は現実主義の千夜にはつまらないかと苦笑した心護は、千夜がこちらを見て僅かに微笑んでいることに気付いた。
  54. 54 : : 2016/02/27(土) 01:16:22

    「――千夜?」


    「変わったわね、あなた。本当に変わったわ」


    心護は千夜の顔を唖然として見つめた。そんな心護の視線に耐えられなくなったのか、千夜はおもむろに立ち上がる。彼女が椅子代わりにしていた資材の山がたりと音を立てた。


    「初めて会った時、私あなたのことが心底嫌いだった。竜胆先輩と私の間に割り込んでボロボロになったあなたを愚か者だと思ったわ。弱くて、無惨で、そのくせ言うことだけは立派な情けない人だって」


    心護は恥ずかしくなって顔を伏せる。勝太に負けたあの日のことは、一年経った今でもはっきりと思い出せる。


    「でも、あなたは前に進んでいた。私が知らないところで、知っているところで変わっていった。今のあなたならその理想を口に出す資格くらい持ち合わせていると思う。馬鹿なのは全く変わってはいないけど」


    「あはは……相変わらず褒めてるのか怒ってるのか千夜の言葉はよくわからないや」


    「安心して。褒めてるのよ」


    頬を掻く心護に対して千夜は笑ってみせた。


    「淺凪! 軍師から命令だぞ。黒軍の瀧隊長と共に隊を率いて交戦中の轟木隊長の下へ増援として向かえとのことだ」


    「え、あ、はい!」


    突然天幕の入り口に一人の男が顔を出す。心護は返事をして立ち上がろうとするが、慌てていたために足を滑らせて椅子としていた資材の山に尻から大きく突っ込んだ。


    「痛っ――!」


    盛大な音を立てて崩れる山の中で心護は尻をさする。そんな心護を見て千夜は大きく溜息をついた。


    「やっぱり、あなた何も変わってないのかもしれないわね。――ほら」


    早くしなさい、と心護に向かって手を伸ばす千夜。怒っている様子はないため、心護も安心して手を伸ばす。


    「ありがとう千夜」


    「……情けない人は嫌いよ。だからもっと気を引き締めていなさい。そうでないといざという時に生き残れないわ」


    心護を立たせるとすぐに二人の手は離れる。そのまま千夜は静かに言った。


    「もっと頑張って。あなたが死んだら赤軍に大きな穴が空くんだから」


    「うん。千夜に怒られないように少しでもまともに戦ってくるよ。――それじゃあ行ってくる」


    心護はさきほど手入れし終わったばかりの小太刀を握って天幕を出て行く。千夜はそんな心護を黙って見送ってくれた。
  55. 55 : : 2016/02/27(土) 01:20:46


    心護が天幕を出て、集合場所へ行くと既に黒軍の兵士は集まっていた。
    ざっと心護は黒軍の兵士達の顔を見回す。同盟締結後に配られた黒軍の残存戦力に纏わる資料にあった通り、この瀧あやめと言う人物の率いる部隊の兵士は皆屈強そうであった。

    だが心護は彼らの顔を見て、全員の顔が何処か暗いように思えた。
    戦を前にしてこんな暗い顔をしている部隊が果たしてちゃんと戦えるのだろうか、そんな疑問を抱かざるを得なかった。


    兵士達のその様子を見ながら心護はあやめの姿を探す。今回の戦は黒軍と赤軍が同盟を結んで初めての出陣である。その為、連携が取れない可能性は十分にあり、心護は少しでもそれを無くそうと黒軍側の隊長と少し話そうとしていた。


    先頭まで歩いてくると、肩の辺りまでに髪を切り揃えた少女が遠くを見つめながら立っていた。
    心護はそれに近づいて声をかける。


    「えっと……瀧あやめさん、ですよね?僕は今回の作戦の赤軍側の隊長を務める淺凪心護と言います、よろしく」


    軽く自己紹介を済ませると、彼女は心護の方を向いてくすくす笑った。
    心護がそれを見て首をかしげていると彼女が口を開く。


    「よろしくお願いします。でも、私は瀧あやめの妹の瀧すみれですよ?まあ双子だからよく間違えられるんですけどね」


    ――妹?瀧すみれ?


    心護は彼女の自己紹介に奇妙な違和感を覚える。
    心護が見た資料では隊長の中にそんな名前は無かった。
    だが心護には彼女の淀みのない黒い瞳を見る限りでは嘘をついているようには思えなかった。


    心護が二の句を言えないでいると、近くにいた黒軍の兵士に声をかけられた。


    「あの、淺凪さん。ちょっと良いっすか」


    やたらと沈痛とした表情を浮かべた兵士がこちらに来てくれと手招きをするので、心護は一先ずあやめに断りを入れて呼ばれた方へと向かう。


    「どうしたの?僕に何か?」


    心護がそう聞くと黒軍の少年は辛そうな顔をしながら口を開いた。


    「ウチの隊長……あの人は淺凪さんの言った通り、瀧あやめ本人なんすけど。……その、前に白軍と戦った時に妹のすみれさんを亡くしていて、すみれさんの葬式が終わった次の日から今まで人懐っこくて明るかったあやめ姐さんが人が変わったように大人しくなったんです。……まるで生前のすみれ姐さんになろうとするみたいに」


    心護は彼の話を聞いて、大きく目を見開く。


    「えっと、つまり妹さんが亡くなった事を現実として受け入れられないって事?」


    彼は心護の言葉に頷く。
    そして手で顔を抑えて、震える声で言った。


    「俺、もう見てらんねえんすよ。すみれ姐さんは死んだんですよ、間違いなく。なのにあやめ姐さんはそれを認めたくなくて、一人で二人の人間を演じてる。……痛々しいっすよ。いつかあやめ姐さんが壊れちまうんじゃねえかって……瀧あやめだった頃の自分を忘れちまうんじゃねえかって……!無茶は承知でお願いします、どうかあやめ姐さんを助けてくれませんか。俺達にはもうどうしようも……」


    彼の悲痛な叫びは心護の心を揺れ動かす。
    彼らはまだ信用出来てないであろう赤軍の自分に助けを求めないといけない程に追い込まれているのだ。
    全てを守ると誓った心護にとって、彼らもあやめも見捨ててはいられなかった。


    「僕に何が出来るか分からないけど……できるだけやってみるよ」


    「淺凪さん!ありがとうございます……!」


    彼から礼を受けながら、心護は再びあやめの元へと戻っていく。
    とは言え、心護にあやめを救う具体的な方法など見えている訳では無い。
    あやめは心護が自分を見ながらじっと黙っているのを訝しげに見る。


    「……わたしの顔に何かついていますか?」


    「あ、いや、そう言う訳じゃないんだ。……以前、君のお姉さんを見たことがあって、やっぱり似てるなと思って。今お姉さんは何処に居るの?」


    心護がそう聞くと、あやめは何かを答えようとした。
    だがあやめは口を開いたは良いものの中々言葉が発せられない。
    そして頭を抑えながら言った。


    「えっと、あれ?………あ、お姉ちゃんが何処に居るかはちょっと分かんない、です」


    「いや分かんないなら良いんだ。それより顔色悪いけど大丈夫?」


    あやめは黒い瞳を揺らしながら小刻みに震えていた。
    心護の問いかけには全く答えずに、彼女は小さな声でぶつぶつと何かを呟いていた。


    「……わたしはすみれだから、今のあたしはすみれだから……すみれが帰ってくるまであたしが、わたしが……」


    「すみれさん、もう出陣しないと」


    心護が改めてあやめに声をかける。
    あやめはハッとして顔を上げ、分かりましたと言った。


    「よし、総員前進だ!僕について来い!」


    心護は高らかに声を上げ、轟木の待つ戦場へと走り出した。
  56. 56 : : 2016/02/27(土) 22:21:15


    心護たちのいる拠点から、剛健がいるあたりまでおおよそ3日ほどの行程だ。


    その間心護は常にあやめの様子を気にかけていたが、彼女の様子に異常があるようにも見えない。


    彼女自身すみれとして振舞うことで精神への負荷を減らしているのか、時折笑顔を見せることすらあった。


    だが、この状態の違和感に彼女の部下たちは眉をひそめ、寂しそうに彼女を見つめる。そんな姿を見ていると、心護としてもなんとかしたいと言う気持ちが次第に強くなっていた。


    しかし、下手に彼女を今刺激すればそれこそ精神が崩壊して二度と戻ってこられなくならないとも限らない。まだ自己防衛規制が働いている今なら彼女は元の彼女に戻ることができる可能性が残っている。


    本来ならば白軍との戦闘も避けたいところだが、これを機に再起することを期待しての采配なのだろう。


    ひとまずは極力彼女の妹であるすみれに関することには触れないという取り決めを赤黒両軍の兵士の間に取り決めたが、それが正解なのかは心護にもわからない。


    それでも時というのは無情なまでに正確にその瞬間を刻み続ける。あっという間に心護たちは剛健率いる部隊の野営に合流することとなった。


    彼らが到着したころにはあたりは完全に暗くなっており、戦闘は行われていないようだった。


    彼らが野営付近に近づくと、周囲の兵士が臨戦態勢をとる。


    「赤黒同盟より派遣された淺凪心護です。轟木隊への増援として参上しました」


    そう声をかけると、中から一度見れば忘れもしない巨体が姿を現す。


    「待っていたぞ。久しぶりだな。少し見ない間にまた逞しくなったと見受ける」


    剛健は本来敵である心護の成長を心から喜んでいるように見えた。


    実際彼の言葉通り、心護は以前とは比べ物にならないほど背も伸びたし、筋肉もついて身体つきも変わった。この成長を見れば、いずれ強敵として自分の前に現れる可能性があるという事は誰の目にもわかる。


    だが、将来的に強敵になるかもしれないなどという事は剛健にとっては瑣末な事だ。


    今はただ一度とはいえ刀を交えた友人とも言える男との再会と成長を心から喜んでいるのだ。友が強敵として立ちはだかったならば、それは喜ぶべき事なのである。


    自分がたとえ敗北する事になろうともそれは自らの鍛錬の不足。相手の努力に及ばなかっただけだ。というのが剛健の考えだった。


    そして同盟が成立した今。剛健にとって心護はすでに戦友以外の何者でもない。


    剛健の相変わらずな態度に心護は少しほっとするのだった。


    「お久しぶりです。まだまだ若輩ですが、少しでもお力になれるよう頑張ります」


    そう言って心護は手を差し出す。一瞬剛健は驚いたような表情をしたが、すぐに相変わらずの大きな声で笑いながら心護の手を取った。


    「相当鍛え込んだと見えるが、それでも慢心するどころかまだ足りないか。実に頼もしい。よろしく頼むぞ」


    「はい!」


    心護ははっきりと力強い返事を返すと、剛健との再会の喜びを噛みしめるのだった。

  57. 57 : : 2016/02/27(土) 22:40:26

    その後心護は野営の準備を部下に任せて、一度剛健に促されるままあやめを連れて本部天幕に入ると、剛健は隊の現状と敵戦力について分析を交えつつ話し始める。


    現在、轟木隊における死傷者は全体の1/3を超えている。既に白軍との交戦続行も危ぶまれるところまで来ていた。


    それに対してこの戦闘に投入された白軍の主力は三代燐、立花由紀の2名である。ふたりともそれぞれが剛健と比べても決して見劣りする事のないほどの実力者だ。それをここまで抑えて来られたのは偏に剛健の手腕あってこそだろう。


    援軍の到着でおそらく均衡は一気にこちらに傾くだろうというのが剛健をはじめとするその場全員の見解だ。ともなれば、夜が明けると同時に強襲をかけ、一気に数で押しつぶすのが理想だ。


    あまり戦略や戦術と言ったことに詳しくない心護には万次郎のように機転の利いた作戦は思いつかない。だが、今は長期戦にして白軍の増援を呼ばないためにも一気に畳み掛ける必要がある。小手先の技よりも力で押しつぶすのが吉だろうというのは誰の目にも分かることだった。


    「明日夜明けと共におそらく開戦ということになる。今のうちにふたりも身体を休めておいてくれ」


    剛健の言葉にふたりは頷くと、天幕を後にする。


    「あの……淺凪さん。明日は頑張りましょうね。わたしも精一杯頑張りますから」


    野営の設置の指示を行う中、あやめは胸の前で小さな手をきゅっと握りしめるとそういった。そして穏やかに笑う。きっと彼女の妹はこうやって笑っていたのだろう。


    まるで優しく包まれるような暖かな笑み。一生懸命で、少しでも心護を勇気付けられたらという気持ちが伝わってくるようだった。


    そんな彼女に心護は素直に頑張ろうと思わされてしまう。だが、それは彼女自身の笑顔ではない。


    そんな彼女の妹の優しい姿を今の彼女に見たからこそ妹のためにも、仲間達のためにも、そして何より彼女自身のためにも、できることならば彼女の本当の笑顔を取り戻してあげたいと思わずにはいられなかった。


    黙りこくっている心護をあやめは不安そうに覗き込んでくる。


    「大丈夫ですか?体調でも悪いですか?」


    「あ、ああ。ごめん。大丈夫だよ。少し考え事をしてたから……」


    そう言って笑って誤魔化すと、あやめは膨れて見せた。


    「もう。聞いてないなんて酷いです」


    そんな彼女を尻目に、心護は明日の戦い彼女に気をつけなければと再び気を引き締めるのだった。
  58. 58 : : 2016/02/27(土) 22:49:04

    翌朝早朝。まだ日の出ていない時刻から心護達は隊列を整え、剛健の指揮の下で戦いの準備を始めていた。


    準備はものの1時間で完了し、あとは白軍を狙える位置まで進軍。そこから日の出の時刻に一気に襲撃すると言うだけの簡易な作戦だ。


    時間はあっという間なものですぐに準備は完了され、進軍が開始される。


    その間も心護はあやめを気にかけていた。


    彼女は白軍との戦闘を前にしても今の所精神に異常をきたすようなことはない。彼女を気にかけて心護がちらちらと見ていると、あやめもそれに気づいたのか気まずそうにしながら声をかけてくる。


    「あ、あの……わたしの顔に何かついてますか?」


    「え、あ……いや。そんなことないよ。」


    慌てて笑って取り繕う心護に、不思議そうにあやめは首を傾げるのだった。


    あまり気のかけすぎで不信感を持たれるのもよくない。少し気負いすぎている自分を心護は落ち着け進軍に集中する。


    2時間もすれば目的の白軍の拠点に到着。拠点を囲むように軍を展開するのにさほど時間はかからなかった。


    しばらくすると、日が昇り始めあたりがうっすらと明るみ始める。


    それと同時に赤黒両軍が、白軍拠点に襲いかかった。



    心護達が白軍拠点内に攻め込むと、予想以上にその反応は早かった。数々の天幕から兵士が現れすぐに応戦する。


    統率された動きは黒や赤とはどこか無機質で機械的に感じられた。


    電撃的に終了すると思われた戦いは予想以上の膠着を強いられることとなる。本来ならば、白軍の精鋭2人が現れる前に粗方制圧する予定だったのだが、それを容易に許すほど白軍も甘くはなかった。


    明らかに個々の練度が高く、黒軍との戦闘の時ほど簡単には敵を無力化させてくれない。後方からあやめが援護してくれていなければ苦戦を強いられていたことだろう。


    あやめの放つ矢は敵の四肢を的確に射抜く。決して致命傷にならない位置に当てていた。おそらく、行動を縛ることで前衛の動きやすさを重視する戦闘体系なのだろう。


    白軍の動きやその練度は驚くほどまでに統一されている。まるで同じ機械仕掛けと戦っているようだ。だがそれは逆に戦えば戦うほど敵の動きに慣れるということだ。


    日が昇りきる頃には既に心護は複数の白軍兵に囲まれても相手にできる程度には敵の動きに適応していた。


    目の前の敵に蹴りを入れ、意識を刈り取る。他の兵士達の奮闘もあり、現在はかなり白軍を押している。この調子でいけば完全制圧も近いだろうことは心護の目にもわかった。


    心護があたりの状況を確認し、押されているところはないか確認していく。


    その時だった。背筋にぞくりと悪寒が駆け抜ける。余りに鮮烈な死の恐怖に心護はその場を飛び退く。


    すると次の瞬間、心護が先ほどまで立っていた場所に巨大な斧が地面を抉り取って突き刺さる。


    そして笑い声と共にふたりの少女が姿を現した。方や心護よりも遥かに大きな少女、方やまるで小学生のような上背の少女。あまりにアンバランスな組み合わせだ。大笑いする小さな少女の後を淑やかな佇まいで付き従うようにしている。


    そのふたりを心護は見たことがあった。


    ここに来る前に万次郎から見せられた書類に書いてあった三代燐と立花由紀に間違いない。


    「すごいすごい。よく気づいたじゃん。面白そうな気がしたから来てみたら、優男がいてムカついてたんだけど、意外や意外大当たりみたいだね」


    小さな少女は嬉しそうにしながら巨大な斧を軽々と片手で引き抜くと肩に担ぐ。彼女の体のどこにそんな力があるのかと心護は目を疑った。書類に怪力とは書いてあったが、誰が小学生が地面を抉るほどの鉄塊ともいえる巨大な戦斧を片手で振り回す姿を想像しようか。


    明らかに今まで戦ってきた一兵卒とは違う。彼女達が型にはまったような戦いをするとも思えない。


    「僕は強敵を引き寄せる悪運でも持ってるのかな……」


    心護は目の前に現れたふたりを一瞥すると溜息をつくと、気合いを入れ直すのだった。
  59. 59 : : 2016/02/27(土) 23:02:32
    燐も由紀も敵幹部クラスの実力者だ。いくら心護が力をつけたとはいえ、ふたりを相手にするのはかなり厳しいと言える。


    しかも戦斧に方天画戟という攻撃力の高い組み合わせだ。防御に力を入れているとはいえ限界はある。


    戦力として数えられるレベルの実力を持った者は少し離れたところで戦っているあやめくらいしかいない。だが、彼女を戦わせることを心護は迷っていた。


    「困ったなぁ……」


    「安心していいよ。あたしはフェアなのが好きなんだ。サシでやろうよ」


    敵がそう言ってくれるのであれば好都合だ。ここにあやめを引きずり出すのは避けたい事態だ。


    だが、燐の背後から手が伸びると、彼女の頭を鷲掴みにする。


    「燐ちゃん。ダメでしょ。早く終わらせなきゃ」


    おとなしそうな姿とは一転して、燐に有無を言わせないそう言った迫力が彼女にはあった。


    「うぇ!?だ、だって向こうひとりだし!ふたりで戦うとかずるいじゃん!」


    「だーめ。私達は多分彼より強いけど、燐ちゃんひとりで戦ったら怪我しちゃうかもしれないでしょ?」


    その姿は子供をたしなめる親の姿そのものだった。純粋に心配されている事を理解したのか、燐も少し悔しそうにしながらも言い返そうとはしない。


    「事情が変わった。ごめん。許してね」


    燐の言葉と同時にふたりは弾けるようにして心護に襲いかかろうと走り出した。


    ふたりは心護に比べれば速さでは劣っているように見える。だが、ふたり同時に相手にできるほど余裕があるとは思えない。


    とはいえ今はひとりで戦う以外の術がない。


    覚悟を決めて心護は刀を構えるが、彼女達はすぐに足を止めてその場から飛び退く。


    先ほどまで彼女達がいたあたりの地面には2本の矢が刺さっていた。それだけで何故今彼女達がさがったのかは容易に想像できる。


    溜息まじりに心護が振り返るとそこには予想通りあやめの姿があった。


    「大丈夫……ですか?」


    彼女は心護を心配するように駆け寄ってくる。だが彼女は尋常ではないほど汗を流し、明らかに余裕がない。


    「それはこっちの台詞だよ!そんな状態でなんで来たんだ!」


    「だって……あたしは……すみれだから……守らなきゃッ」


    頭を抑えうずくまるあやめは既に戦える状態ではなかった。だがそれでも敵は待ってはくれない。


    燐と由紀はふたたび心護に襲いかかる。


    重鈍な武器を振り回すふたりの攻撃をいなし、地面に沈みこませるように踏みつけると、心護はあやめの手を引いて退る。

  60. 60 : : 2016/02/27(土) 23:08:11

    相変わらずあやめは棒立ちのままうわ言をぶつぶつと呟くだけで揺すって声をかけても全く反応を見せない。


    そんな姿を見ていられず、心護は彼女の頬を強く叩いた。


    彼女にここで慰めは必要ない。きっとそんなもので彼女の心は動かないだろう。


    「死にたいなら好きにすればいい。君を守って死んだすみれさんは滑稽な道化だったってことだね。こんな姉を守るために命張って、飛んだ大馬鹿だよ」


    心護の言葉にあやめはピクリと肩を震わせて、顔を上げる。


    その表情はいまだ虚を映していたが、どこかいままでとは違うように見えた。心護は何か手応えをつかんだ気がして続ける。


    「犬死とはまさにこのことだ。君が弱いから彼女は死んだ。自分の死すらも無駄にするような姉のために死んでさぞ無念だろうね」


    心護の精一杯の言葉だ。千夜のようにうまくはできていないかもしれない。だが、いまは自分がやるしかない。


    周囲は余りに優しい。過ちを受け入れまた頑張ればいいと背中を押してくれる。


    だが、過ちを犯した者にとってその優しさは余りに重い。


    誰も裁いてはくれない。罰を与えてはくれない。誰も赦しを与えてはくれない。


    いっそ恨んでくれれば心が楽なのだ。だがそれを許してくれるほど世界は甘くない。優しさは時に残酷に人の心を殺す。


    ならばと最後に一言、目一杯嘲りを含むように言った。


    「もしかして、君はすみれさんが死んで嬉しいんじゃないのか?」


    その時だった。心護の頬を拳が殴り抜く。


    心護が地面を転がり土にまみれながらも起き上がると、目の前には涙を流して荒い息を吐くあやめの姿があった。


    「お前にすみれの何がわかる……あたしの何がわかる!」


    「僕には何もわからないよ。だけど君ならわかってあげられるはずだろ?その君が現実から逃げて、すみれさんの真似事しててどうするんだよ!」


    怒り、叫ぶあやめだったが、心護の言葉に悔しそうに俯いてしまう。


    あやめに歩み寄ると彼女の部下から預かっていた刀を差し出す。


    「さっきはごめん。帰ったら死ぬほど謝るよ。ただ今は君の力が必要だ。僕に力を貸して欲しい」


    刀を受け取り腰にさすと、一瞬の沈黙の後にあやめは鼻で笑う。


    「やだ。絶対許さない。あたしとすみれを馬鹿にした罪は重いんだからな!……でもまあ、あたしの為に働かせてやるくらいなら考えてやる」


    そう言うとあやめは心護に背を向けた。そして続ける。


    「……でも、ありがと」


    小さく消えてしまいそうな声だったが。心護にはしっかりと届いていた。


    「うん」


    心護は大きく頷くとあやめに並び立ち、燐と由紀の前に相対するのだった。
  61. 61 : : 2016/02/27(土) 23:27:44

    すると退屈そうにしていた燐が表情を明るくする。


    「あ、終わった?良かった良かった。嘘つきにならなくて済んだよ。これなら由紀も文句言えないし」


    そんな彼女に由紀が湿っぽい視線を向けているが、そんなことを気にしている様子はない。


    「よし!そっちの子は由紀に任せるねー」


    燐はそう一言告げると、戦斧を振り回しながら心護に突進する。その速度はかなりのものであり、速力に自信のある心護にも追いすがろうかというほどだ。


    その速さで繰り出される凄絶な一撃は地面を割る。そんな一撃を食らえば骨ごと押しつぶされて即死なのは、考えるまでもなかった。


    とはいえ落ち着いて回避して受け流していけば避けられない攻撃ではない。


    心護が隙を伺っていた時だった。あやめの身体が地面を転がった。


    「あやめさん!!」


    直ぐに助けに入るために切り替えそうと体勢を立て直すが、それを燐は許さない。


    「させない!君の相手はあたしだよ!」


    幾度となく繰り出される鮮烈な攻撃に心護は助けに行こうにも、あやめからは遠ざかるように誘導されてしまう。


    心護が燐から距離を取った時には、燐の背後であやめが倒れている状態だった。


    彼女に向けて由紀が歩み寄っていくが、あやめは足を痛めたのか、苦悶の表情を浮かべたままなかなか立ち上がれない。


    「くそッ。一か八かだ……!!」


    心護は舌打ちをするとゆっくりと燐に歩み寄り、一瞬の溜めの後に大きな音ともに彼女の視界から消える。


    「うぇ!?どこいった!?」


    慌てて心護の姿を探す燐が気付いた時には心護は彼女の背後にいた。


    だが瞬間移動したわけでも本当に姿を消したわけでもない。昔に心護が習得した武術の歩法を合わせて生み出した彼だけの歩法だった。


    古武術独特の重心移動術や、縮地とも呼ばれるような武術における摺り足を基本とする特殊な歩法などを組み合わせた歩法だ。


    縮地というにはあまりに拙いが、呼吸や目の動きを読み、相手の虚をつく事でまるで消えたように感じ、反応する事を赦さない。


    これは心護のずば抜けた集中力と、敏捷性あってこその技だった。


    とはいえ、この技自体未完成でありろくに成功したこともない。実際今は燐が油断していたから良かったが、もう一度となれば完全に騙しきる事は不可能に近いだろう。


    一瞬で距離を詰める事は出来ても、音や気配で反応される可能性が高い。


    だが突然燐が抜かれたことで由紀が慌てて隙ができた。そのうちにあやめと彼女の間に入り込む。


    「大丈夫?」


    「平気よ。でも、戦えそうにはないかも……役に立てなくてごめん……」



    「十分だ。あとは僕に任せて休んでて」


    そうあやめに告げると、心護は由紀に向けて刀を構え直した。
  62. 62 : : 2016/02/28(日) 02:03:18


    刀を構え直したは良いものの背後に燐、目の前には由紀がおり、依然として絶対絶命なのは変わらない。


    しかも足を痛めたあやめを守りながらの戦いとなると、心護も迂闊に勝負を仕掛けにいけない。


    だが恐らく燐はあやめの事は無視して心護だけを狙ってくるだろう。
    そう考えるなら、気を付けなければならないのは目前の由紀だ。


    「戦場で考えごとなんて悠長だね!それが命取りだよッ!」


    「ぅおッ!?」


    由紀に気をつけなければならないと思った瞬間、背後から斧が振り下ろされる。


    心護はそれをすんで所で躱してみせたが、由紀はその心護の隙を見逃さない。


    由紀は手に持った方天画戟で心護を横殴りにする。
    体勢を崩していた心護はその攻撃を避けることが出来ず、吹き飛んだ。
    何とか地面に着地する時に受け身を取ることは出来たが、あやめの側から離されてしまう。


    「先に貴女に止めを刺させていただきます。怨むなら時代を怨んでください」


    「あ、淺凪……!」


    由紀は申し訳無さそうな表情を浮かべるも、矛先をあやめに向ける。
    あやめは思わずと言ったように、心護に向かって手を伸ばす。


    「させるかッ!」


    心護は受け身を取って、地を這うような低い姿勢から足を出し、三歩で全速力まで加速する。


    その速度は燐と由紀の予想の遥か上をいっており、彼女らの目には突然心護が現れたかのように映っただろう。


    心護はその勢いを殺さずに、左足で踏み込み、それを軸にして高速の回し蹴りを由紀に叩き込む。


    由紀は何とか方天画戟の柄でそれを受けるが、威力を殺しきれずに吹き飛ばされた。


    「あやめさん、少し失礼するよ!」


    燐がその様子に呆気を取られている隙をついて、心護はあやめを抱きかかえて、後方に走り去る。


    「ちょ、ちょっと変な所触らないでよ!」


    あやめが赤面しながらそう言うと、心護も慌てて謝って、あやめをその場に降ろした。


    だが2人の方へと燐がかなりの速度で走って来ていた。
    心護はあやめを置いて、彼女を迎え撃つように真正面から走り出す。


    「良いね!あたしの膂力にも臆さないその度胸!白軍にもアンタみたいなのはあんまりいないよ!」


    「それは……どうもッ!」


    燐と至近距離に入る瞬間、心護は急停止して右斜め前に跳んだ。


    突然対象が視界から消え去り、動きが止まった燐の隙を心護は見逃さずに首筋に手刀を入れようとする。


    「甘いねッ!」


    燐は咄嗟にしゃがんで心護の手刀を躱す。
    そのまま真下からかち上げるように大斧をぶんまわした。


    喰らえば一撃で肉片になり得るその攻撃を心護は紙一重で避けて、がら空きになった燐の上体に蹴りを叩き込む。


    燐の小さな軽い体はその蹴りで吹き飛ぶかと思われたが、少し後ろに飛んだだけであった。
    相当な重量を誇る大斧が吹き飛ぶのを防いだのだ。


    「おっしい!ちょっと浅かったなあ!それにしてもアンタ結構やるねえ」


    「何だって?……クソ、躱しきれてなかったのか」


    心護が紙一重で躱したと思っていたかち上げは目の上に浅い切り傷を残していた。


    そこから流れる血が心護の視界を狭める。


    「ごめん、燐ちゃん。思ったより威力が強くて少し遅くなっちゃった」


    更に由紀も再び戦線に復帰し、心護の状況は悪化する一方だった。
  63. 63 : : 2016/02/28(日) 02:32:05


    心護は目の上から流れる血を拭いながら、どうすれば勝利につながるかを模索する。


    燐の斧も、由紀の方天画戟も一撃を喰らえばただでは済まないだろう。
    つまり一切攻撃を受けずに、彼女らを倒さなければいけないという事だ。


    心護は2人が自分の速度に目を丸くして驚いていたのを思い返す。


    多分速度という点においてはあの2人より心護の方が上なのだろう。
    ならばそれを駆使して戦うしか勝機はない。


    「あまり貴方1人にばかり時間をかけていられないんです、いい加減倒させていただきますよ!」


    「強いアンタと戦うのは楽しいけど由紀の言う通りなの。2対1は卑怯かも知れないけど、手段を選んでる暇はないんだ!」


    そう言って2人は心護を挟み撃ちをするように左右に分かれて走り出す。


    心護はそれと同時に全速力で駆け出した。


    挟み撃ちされる前にその場から離れて、由紀の背後へと回り込む。


    ――思った通りだ、この人達は僕の速度には対応出来ない。


    心護はその速度を殺さないようにして、由紀の首筋に手刀を入れようとした。


    だが心護の側面から斧を振りかざした燐が乱入し、攻撃を断念する。


    「ありがとう燐ちゃん。やっぱりこの人、速いね」


    「うん、速いよ。2人いたとしても一筋縄ではいかなさそうだ」


    そう言って燐は楽しそうに笑う。


    だが心護としてはかなり苦しい状況だった。
    確かに心護の速度は他の2人からすれば相当なものだろう。
    しかし心護とて普通の人間、全速力をキープしながら戦うなど出来はしないのだ。


    咄嗟に攻撃を躱す時、相手の隙を突く時だけにしなければ体力が底を尽きてやられてしまうだろう。


    どうにかして相手を翻弄しなければ2対1の状況で勝ち目は無い。


    心護は目の上から流れる血を疎ましく思いながらそれを拭う。


    ――クソ、この傷さえなければまだ状況は幾らか良かったはずなのに。


    心護は燐に傷をつけられた時の事を思い返していた。


    あの時、一撃で手刀を決めていればと考えていた時にある事に気づく。
    燐の背後を取った時、自分がどんな動きをしていたのか。
    全速力から急停止、そして方向転換。


    「こんな単純な事を忘れてたなんて……」


    心護は自分自身に呆れて思わず笑ってしまう。
    そうだ、元からずっと全速力で走り続ける必要なんてどこにも無かったのだ。


    「また考えごと!?いい加減、死んじゃうよッ!」


    そう言って燐が全速力で心護に向かって走り出した。
    その後を追うようにして由紀も走る。


    心護はそれに向かって燐に傷をつけられた時と同じように真正面に走った。


    そして距離が近くなった所で急停止、さっきと同じように右斜めの方向に跳ぶ。
    だがそう簡単に通用するはずもなく、燐も由紀もその動きにピタリと付いてきた。



    「流石に2度目は通じないよ!」


    「まだ、終わってないさッ!!」


    だが再び心護は燐に向かって加速する。


    虚をつかれた燐は一瞬動きが止まるが直ぐに斧を振りかざし心護目掛けて叩きつける。


    心護はそれを避けて燐に接近する。
    先程と同じように手刀を入れようとするが、それは燐に上手くかわされてしまう。


    かわされた心護はそれを深追いせずに燐の周辺を走り回る。


    「くっ……燐ちゃんの近くをちょこまかと……!」


    由紀の武器である方天画戟はそのリーチの長さが持ち味だが、今回ばかりはそのリーチの長さが仇となっている。


    無闇に振り回せば燐の近くを動き回っている心護だけでなく、燐にも被害が及ぶ可能性があるからだ。


    「も、もうっ!ちょこまか鬱陶しいなぁ……!」


    燐がなかなか捉えられずに痺れを切らした様に声を上げた。


    だがその返事は予想外にも真下から聞こえてくる。


    「一番身長の低い自分より、低い所に相手がいると思わなかっただろ?」


    先ほど使った歩法の応用だった。一瞬の敵の意識の虚をついて身体を沈め、懐に入り込む。


    燐にとって自らに下から攻撃を仕掛けることはないという油断をついた作戦だった。


    そして心護は刀の柄頭の部分で燐の顎を殴り、見事に燐の意識を刈り取った。


  64. 64 : : 2016/02/28(日) 02:46:13


    「燐ちゃん……!」


    由紀は焦りの表情を浮かべながら方天画戟を振り回す。心護を燐の側から追いやり、彼女に息があることを確認すると由紀はホッとしたように胸をなでおろす。そして、立ち上がった彼女はその表情に冷静さを取り戻していた。


    心護は油断することが許されない空気を感じ、改めて気を引き締める。


    方天画戟は斬る、突く、殴るといったあらゆる攻撃が可能な武器だ。そして更にその強みは長大なリーチにある。


    広いリーチから放たれる数々の攻撃は、遠心力による強烈な威力と速さによって防御や回避が極めて難しい。


    それに彼女の手足の長さも相まってかなり攻略が難しいと言える。


    しばらくお互いに睨み合いが続き、先に動いたのは由紀だった。長いリーチからの遠心力を利用した苛烈な連続攻撃が心護に襲いかかる。


    さらには棒がしなることでその威力を増しつつその軌道を読みにくくさせていた。


    下手に受け止めれば、体ごと吹き飛ばされるのがオチだ。


    「逃げてばかりではわたしを倒せませんよッ!」


    由紀の攻撃は徐々にその勢いを増していく。彼女を中心として繰り出される攻撃はさながら春風に乱れ舞う桜の花弁の如く心護のあたり一面を取り囲んでいた。


    確かに速く鋭い攻撃だが、それだけならばこの戦いはとっくに終わっている。一手躱せば次の一手が致命傷となる位置を突いてきた。反射や知覚してからの攻撃ではない。方天画戟を振り抜いた時には既に次の一手は決まっているのだ。


    当然それを回避しようとすれば体勢が悪くなる。なんとか受け流しつつ戦う事で均衡を保っていたが次第に心護の身体に生傷が増え始める。


    そしてついには方天画戟の月牙が心護を捉えた。


    心護はとっさに小太刀を交差して受け止めるがそうやすやすと止まる程度の威力ではない。


    一瞬の浮遊感と共に地面に打ち付けられる。


    肺から空気が吐き出され、言葉にならない悲鳴をあげる。身体中の骨が軋む音と激痛に表情を苦痛に歪ませながらも心護は立ち上がった。


    痛みは心護にはっきりと死の予感を刻み付ける。だが、それ故にここで折れる訳にはいかなかった。


    ここで折れればあやめも心護も命を落とすだろう。きっと彼らの帰りを待っている人がいるのだ。痛みを言い訳にしている場合ではない。


    先ほどの一連の動きの中で由紀の弱点は見えた。あとは心護が彼女の攻撃を瞬時に見切れるか否かの戦いと言える。


    「そろそろ終わりにしましょうか。燐ちゃんが風邪をひいてしまいますし」


    「そうだね。終わりにしよう……ただし、幕を引くのは僕達だ!!」


    再び由紀の攻撃を捌き、回避を続ける。


    「何度やっても結果は同じです!」


    由紀は心護の行動を愚かな自殺行為としか思っていないだろう。だが、それは違う。由紀の隙が確実に心護には見え始めていた。



    攻勢に転じないのは彼女を油断させて隙を突く為だ。


    そしてさらに心護は戦いの最中小太刀を鞘に収め、回避のみで由紀の攻撃を避け始める。


    「ふざけないでください!!」


    怒りで頭に血が上った由紀の攻撃はその勢いを増していった。


    だが、それは完全に心護の策中だ。


    由紀は確かに自然な力の流し方や、あらゆる箇所にかかる力を無駄にしない体捌きをしている為、圧倒的に隙も少ない。


    だが、彼女の攻撃は速さを増せば増すほど動作の終了と開始の間に存在する溜めが長くなる傾向がある事に心護は気づいていた。


    だからこそ彼女が攻撃の速度を速めるように仕向けたのだ。



    由紀が方天画戟を身体の背後に引き、次の攻撃に移るための一瞬の溜めに入った時だった。


    彼女の視界から心護が消え、彼女が気づいた時には既に心護は懐に入り込んでいた。


    一瞬で間合いを詰めた心護は、腕を捻り上げて握られた方天画戟を手放させた。そして間髪入れずに片手で小太刀を引き抜くと彼女の首筋に押し当てて告げる。


    「誰がふざけるもんか。僕は誰も死なせない覚悟でここにいる。この戦場の誰よりも真剣だよ」
  65. 65 : : 2016/02/28(日) 02:48:59

    「え――何」


    異常を感じて振り返った心護は何者かに弾き飛ばされ、無抵抗のまま地面を転がされてしまう。受け身だけは何とかとったものの、自分にぶつかった誰かの力の強さに薄気味悪さを感じ顔を上げることに恐怖を覚える。こんな気持ちは初めてだった。


    「いや……やだ」


    ずる、とあやめの靴が地面を削る。心護はやっと顔を上げ、異常の正体を認識した。そしてそれと同時に絶叫する。


    「やめろ――ッ!」


    「いやぁあああッ」


    白刃が空に光り、やがてそれは地面に崩れ落ちていくあやめへと吸い込まれていった。


    一瞬の後、強張っていたあやめの身体がだらしなく弛緩し地面へと倒れる。辺りに舞う血の飛沫は鮮やかな赤。彼女は驚きと恐怖に目を見開いたまま絶命していた。


    「なん、で……」


    心護は立ち上がることも出来ずに呟いた。そこに立つのは男だった。一振りの刀を手に、心護のことなど目にも入っていないような風であやめの屍を見つめている。そして忘れていたとでもいうように手首を返し、血でしとどに濡れた刀を血振りしてからやっと心護の方を見た。


    「……なんで」


    二人の視線が交差する。男は心護に戦わせる気もないのか、何も言わずに近付いてきた。そしてボロボロになった心護の制服が赤軍のものであるとわかると、意外そうな顔をしてみせた。


    「やはり黒軍と共闘していたのか。……あいつならやりそうなことだ」


    「なんで、あなたが……」


    遠い日に、心に刻んだ姿がある。


    遠い日に、心に刻んだ声がある。


    遠いその日に、憧れた人は――。


    「どうしてッ!」


    心護は立ち上がり、男がこちらへ来るより早く小太刀を抜いた。先ほどまで戦意すら感じられなかった人間の突然の抵抗に、男は驚いたように一瞬歩を止めた。心護はその間に男との間を詰める。


    その空気で、その強さで、その刀の振り方で。わからないはずがない、忘れるはずはない。


    「なんであなたが人を殺すんだ! なんで白軍としてここにいるんだッ」


    刃がぶつかる。散った火花の向こうには心護が遥か昔から憧れていたその人がいる。


    「お前、俺を知っているのか」


    意外そうな口調だが、そんな言葉とは裏腹に彼の力は強大だった。心護の一撃は容易に受け止められ、代わりに返された一振りには鉄を砕くほどの重さがある。その上彼は心護を上回る速さでそれを繰り出していた。


    「知っているも何も……僕はあなたに助けられてッ!」


    男は身を引く。けして劣勢を感じたからでも体勢を立て直すためでもなく、単なる一動作としてそれを行う。


    そして心護の言葉に眉根を寄せると、煩わしそうな口調で言葉を返した。


    「……お前のことは覚えていないが、確かに俺は昔何人もの人間を助けた。なるほど、それで赤軍か。こんなところに俺を知る人間がまだ残っているとはな」


    刀を構える。心護も小太刀を構えた。呼吸も止まるような一瞬の静寂の後、先に仕掛けたのは男だった。
  66. 66 : : 2016/02/28(日) 02:51:18

    刀による必殺の突き。先ほどまでの袈裟斬りとは勝手の違う、本気で相手を殺す動作だ。


    「っ――!」


    心護はそれを目で追うことすら出来なかった。だが幸運にも取り乱したおかげで、心護を狙っていた刀は頬へと逸れる。頬が割れ、熱い血が流れだし顎を伝って落ちた。


    「全てくだらない過去だ。お前はそんな過去に憧れたのか」


    「ああ、そうさっ! あなたは僕の憧れだったんだからッ!」


    乱暴に袖で血を拭い、心護は地を蹴った。自分の持てる全ての力を込めるが、その全ては男の刀に吸収されてしまう。


    圧倒的な実力差が心護を襲った。男はこれだけかとばかりに鼻を鳴らし、心護の作った僅かな隙に膝蹴りを叩き込む。


    「ぁがっ――」


    鳩尾を抉るように蹴り、その上で男はくの字に曲げられた心護の頭を刀の柄で打つ。心護はそのまま小太刀を手放して地面を転がされてしまった。


    「くっ――あなたはなんでっ! みんなを守っていな……ッ」


    咳き込んで血を吐く。内臓をやられてしまったのか、それとも骨の一つが砕けでもしたのか。少なくともこの状況でのそれは心護にとって致命的だった。


    「守る? くだらないな。お前はそんなくだらない願いを抱いて戦っていたのか。俺がとうに捨てた願いを抱いて」


    「ああ、そうだよっ……! だってあの時のあなたは確かに正義の味方だったんだから!」


    心護と家族を救ったその姿。誰も殺めることはなく、白軍を制圧したその力。長年憧れ追い求めてきた理想の姿。


    その姿が確かに目の前にあるのに、彼の刀は大量の血で赤黒く染まってしまった。


    「僕はあなたに夢を見たんだ。ここまで戦ってこれたのだって、全部あなたが僕に道を示してくれたからで!」


    心護は歯を食いしばって立ち上がる。それはここで立ち上がらなければ殺されるという理由ではなく、ここで立ち上がらなければ自分の抱いた理想を裏切ることになるからだ。


    吹き飛んでしまった小太刀を拾い、心護は男を見つめ悲痛な声で叫んだ。


    「だから、あなたは絶対に裏切っちゃだめなんだっ!」


    「ならばその夢ごとお前を斬ってやろう。お前は俺の過去の過ちだ。――過ちは自分の手で消し去らなければならないからなッ」


    男は言い放ち、まだ構えもしていない心護へと走る。


    合わせた刃は心護が見合った他の誰よりも強く、今まで繋ぎ止めていた心が折れてしまいそうになる。


    いや、心護の心は既に折れかけていた。だから今戦っているのはただの意地に他ならない。


    「全てを守るなんて世迷言を何故ここまで通してきた? そんなものは正しくないのだとどうして気付かなかった?」


    「だってそれは! あなたがいたからッ!」


    「くだらない。そんな理想はけして叶わない。これがお前が追ってきた俺の出した唯一の答えだ」


    「嫌だ! 絶対に、嫌だよ! こんなのッおかしいじゃないか!」


    「ならばここでお前は死ぬ。――それじゃあな、これでお前の夢は終わるだろう」


    「もう、止めてくれよッ――!」


    涙を流しながら叫んだその目先には男の刃が迫っている。出遅れた心護にはもう為す術はない。


    小太刀をだらしなく構えたまま反撃も出来ずに、心護はその一太刀が自分の首を飛ばすのを待っていた。


    ――自分が間違っていたのだろうか。


    心護は刹那に思う。目の前の男は確かに自分が憧れて追ってきた男だ。それに間違いはない。


    心護が救われたあの日、男が言葉にせずとも幼い心護に伝えた想い。誰一人として殺さずに人々を助けるという気高い望みがあったからこそ、心護は自分も人を守りたいと強く願った。


    だから心護は辛い鍛錬を積み、いくつもの武術を極めた。座学だって気を抜いたことはない。馬鹿は馬鹿なりに精一杯の努力を惜しまなかった。


    全てはこの男のようになるため、たったそれだけだった。


    なのに、やっと出会った男は変わってしまった。かつての想いは消失し、赤軍にいたはずの彼は白軍としてここに立っている。


    おかしいのは心護の方なのだろうか。だって憧れたこの男は気持ちを変えたのだ。心護の思う男はまさに正義の味方で、絶対に正しい存在だった。なら今でもこの男は正しいのだろうか。


    「僕は……誰も守れないのか?」


    心護は絶望に身を任せ、瞳を閉じた。
  67. 67 : : 2016/02/28(日) 02:55:03

    しかし男の刀は心護の首を掠めることすらなかった。その代わり近くで鉄のぶつかり合う音を響かせ、次の瞬間心護の身体は大きく弾き飛ばされていた。


    「え――」


    目を開いた心護の視界は誰かの背中に遮られる。その大柄の人物は唸るような声で叫んだ。


    「淺凪! ここはもう戦っても駄目だ。白軍の増援がすぐこちらへ来る。お前は早く撤退するんだ」


    「と、轟木さん?」


    振り向いた彼は傷だらけだった。顔の半分は血に濡れ、敵にやられたのか片目は開いていない。


    剛健は心護に手を差し出して立ち上がらせると、すぐに自分が乗ってきた馬を指差す。


    「あれに乗って拠点へ戻れ。あやめは殺られたようだがお前はまだ生きている。お前には軍師に状況を報告する義務がある」


    「でもそうしたら轟木さんはどうするんですか!」


    「俺がこの場の殿を務める。元々ここは黒軍と白軍の戦場だ。お前には関係ない」


    「……俺はお前たちを逃すつもりはない。その傷では二人いても俺には勝てないだろう」


    男は冷静に言い、新たに現れた剛健に刀を向ける。心護はそれを見てすかさず前に出るが、剛健は心護の肩に手を置いて言った。


    「早くしろ。俺はいざとなればそこら辺を彷徨いている馬で足りる。この男を倒して後を追うことなど造作もない」


    「僕も残ります。今の轟木さんだけじゃあいつには――」


    剛健の手を振りほどき、心護は再び小太刀を構えようとする。しかし集中しようとすればするだけ視界が揺らぎ、立っていることすら辛くなる。


    遠くから幾つもの地響きが近付いてくるのを感じたのはその時だった。真っ先に剛健が反応し、後ろから心護の首元を掴み上げて馬へと投げ飛ばす。


    「行け! これ以上俺の手を煩わせるようならばお前から斬るぞッ!」


    怒声にも似た大声で心護を牽制し、剛健は男へと向き直る。


    「いいのか、その傷で戦えば確実にお前は死ぬぞ」


    「答えるならば『幾たびか辛酸を経て志始めて堅し。丈夫玉砕して甎全を恥ず』と言ったところか――奴に一度負けた俺が相手では物足りないだろうが、轟木剛健、いざ尋常に参る」


    「なるほどな。確かにそれは黒軍の男らしい。だが俺は白軍だ。時に卑劣な手を使うことも許せ」


    剛健は大太刀を手に男へと斬りかかる。重い彼の武器ではあの男の素早い身のこなしには勝てないと、二人と戦った心護はよく知っている。だが、既に戦う体力のない心護は、もう彼らの間に入ることは出来ない。


    打ち鳴らす剣戟は火花を散らしては鉄を削る。


    「何をしているんだ淺凪! お前は俺を犬死にさせるつもりかッ!」


    悔し涙を流す心護に向かって剛健は叫び続けた。男はそんな彼らを滑稽だと笑うこともせず、冷静に剛健の攻撃を弾き返していく。
  68. 68 : : 2016/02/28(日) 02:57:26


    やがて白軍の増援がぼやけた心護の目にもはっきり見えるようになった。いよいよ馬に乗るしかなくなり、傷付いた身体を起こして剛健の馬に跨る。


    「よくやった淺凪。お前と刀を交えたことは俺の誇りだ。最後に一つ、俺たちの軍師に伝えてくれ。お前は少しでも長く生きろ。生きて俺たちが正しかったということを証明してくれ、とな」


    「轟木さん! お願いですから逃げて下さい! 轟木さんッ!」


    掠れた声で心護は叫んだ。このまま彼らの間に入りたいのに、それが出来ない今の自分を呪う。


    顔を上げた心護の脇を一本の矢が掠めていった。白軍の増援がとうとうこちらに到着したのだ。彼らの狙いは大柄で目立つ剛健だったが、それでも馬上の心護を見過ごすような真似はしない。


    馬は自分を掠めていった矢に怯えて勝手に走り出す。心護は必死で馬を制御しようとするが、一度走り出した馬は止まらない。


    「がぁああ! ぐぁっ――」


    その時、太刀を振り上げた剛健の動きが止まる。見れば彼の脇腹に矢が突き刺さっていた。それを境に何本もの矢が剛健目掛けて飛んでくる。まるで彼が的にでもなったかのように。


    「轟木さん――ッ! おい、止まってくれよッ」


    馬の手綱を引き、心護は力一杯叫んだ。剛健は次第に遠ざかっていく心護の姿を見て笑う。


    「生きろ、淺凪」


    呟いて一度目を閉じると、剛健は再び目を見開いて自分の相手である男を睨む。既にその身体には何本の矢が刺さり、とっくに膝を屈しても不思議ではない状態だった。


    「逃げたか。……まあいい、俺が止めを刺さずとも勝手に死ぬだろう」


    「あれはそういった人間ではない。あれはやがて戦場を制す者だ。だから俺が逃した」


    「――買い被りすぎだ。ほら、もう楽にしてやろう。放て」


    男は剛健から離れると、増援としてやってきた白軍の兵たちに合図をする。好きなだけ射れという指示だった。


    「ぐぬっ……ああ、確かに買い被りすぎかもしれん。だが、な」


    剛健の身体を数多の矢が貫いていく。しかし剛健は歩みを止めない。大太刀を振り上げたまま男へ迫り、声を張り続ける。


    「だが――あの男はやがてお前を打ち倒しにやってくる。それだけはけして変わらぬ事実だッ」


    「っく……」


    間一髪、といったところで男は大太刀を受け止めた。剛健は振り上げた腕を思い切り男の眉間へと振り下ろしている。背中には弓の名手たちが放った矢が幾つも刺さり、その内の数本は臓器にまで達していたにも関わらず、だ。


    「なるほど、弁慶の立ち往生……か。ならばさしずめ逃げたあれは義経といったところか」


    「いいや……奴に悲劇は似合わん」


    「な――」


    死んだと思ったその目が再び開かれ、固く結ばれた唇がぽつりと言葉を紡ぐ。咄嗟に飛び退けた男は剛健に向かって刀を振り下ろす。


    しかしその手を途中で止めた。


    「……なんてことだ。最後にきっちり否定してから逝くなんてな」


    大太刀を構えたまま剛健はそこで絶命していた。男は虚しく笑い、刀を鞘に収めてその場を離れる。


    こうして彼らの長い戦いは終わった。

  69. 69 : : 2016/02/28(日) 03:10:32




    心護を乗せた馬は無事に戦線を離脱し、黒軍の本拠地に到着する。


    心護はその馬を厩舎へと繋ぎ、即席の会議室に向けて足を進めた。
    だがその足取りはおぼつかず、ふらふらとしている。
    心護の顔は憔悴しきっており、酷く辛く苦しそうな表情をしていた。
    それもその筈だろう。
    今まで憧れ、人生の目標としていた男との再会が、敵同士だったのだから。
    しかも彼は心護を救った時とはまるで人が変わっていて、平然と人を殺していた。


    ようやく立ち直り、生きる希望を見い出したあやめを。
    黒軍の重要な戦力でこれから先の戦いに欠かせない存在だった轟木を。


    何故、彼は白軍に所属しているのだろう。


    何故、彼は変わってしまったのだろう。


    心護の頭には疑問が湧き続けていた。


    自分が目指していた道は忽然と消え去り、目の前には黒い闇が果てなく続いている。


    「結局誰も守れない………もう、守る事なんて無意味なのかな。あの人にだって出来なかった事が僕に出来る訳が――」


    無意識の内に諦めかけていた。
    だがそんな彼の脳裏に千夜の顔が浮かぶ。


    千夜は心護を信じている。
    心護にならきっと出来ると思ってくれている。
    ならば、どうして諦める事など出来ようか。


    「……千夜に今の聞かれてたら間違いなく張り手だったな」


    そんな事を呟きながら少しだけ彼の顔に少しだけ生気が宿る。
    自分にはまだ出来る事はある筈だと自分を叱咤し彼は会議室へと足を早めた。



    会議室の扉を開き、中へ入ると万次郎と知恵が二人で何かを話していた。


    しかし心護が入ってきた途端に知恵は辛そうに顔を逸らし、万次郎はふざけた表情等一切浮かべずに真剣な顔で心護に語りかけた。


    「――淺凪くん、落ち着いて聞くんだ」


    心護は思わず唾を飲む。
    彼の言葉に計り知れない重さを感じ取ったからだ。
    同時に彼の全身に悪寒が走る。
    万次郎が何を言うか全く検討もつかないのに何故だか心護は強い不安を覚えていた。
    彼の口が開くのが恐ろしい。
    心護は堪らず声を上げようとしたが、それは間に合わなかった。


    「風見くんが――風見徹が、捕らえていた天幕の中で舌を噛んで自害した」


    「は――」


    心護はそれを聞いて呆然と立ち尽くした。


    ――何だ、軍師は今何と言った?


    意識が朦朧として良く分からない。


    ゆっくりと脳の中で彼の言葉を反復する。


    徹が、徹がどうした?


    舌を噛んで、自害した?


    何だ、それは。


    馬鹿な……嘘だ、有り得ない、信じられない分からない何故、いや嘘だ、遂に頭が可笑しくなったのか、気が狂ったのか、有り得ない有り得ない有り得ない。


    「う……あ……」


    呆然としながら心護はうわ言を言うだけで、言葉にならない。
    万次郎はその心護の様子を見ながら、少しだけ顔を歪める。
    だが直ぐに表情を戻し、話を続けた。


    「ぼくだって、君には伝えない方が良いとも考えた。でも彼の親友である君には知る義務があった」


    だが、最早心護の心は限界だった。


    人生の目標であった男は、白軍に寝返り、心護の過去の幻影を打ち壊した。


    そして例え敵の間者だったとしても心護の事を最後まで親友と言い続けた男は、誰も見ていない暗い場所でその生涯を絶った。


    自分を今まで支えてきた物を失って、彼はもう立ち上がる事が出来なかったのだ。


    万次郎の言葉に対して何ひとつとして言葉を返そうともしない。


    その様子を見て万次郎も口を閉じたまま何も言わなかった。
    いや、何も言えなかったのかもしれない。



    心護はふらふらと後ろに後ずさって、会議室の扉にぶつかる。


    そのまま彼はどさりと膝から崩れ落ちた。


    彼の目は虚ろで、焦点が合っていない。






    絶望は静かに、だが着実に彼の心へと染み渡っていった。











  70. 70 : : 2016/02/28(日) 07:29:27
    今回も面白かったです。
    心護がどのようにして絶望を乗り越えるのか、とても楽しみです!
  71. 71 : : 2016/10/10(月) 01:08:43
    おもしれえ
  72. 72 : : 2016/10/30(日) 16:16:47
    >>70
    かなり遅ればせながらですが、コメントありがとうございます。最後まで読んで頂けるととても嬉しいです。次回作もどうぞご贔屓に。

    >>71
    コメントありがとうございます。面白いと言っていただけて何よりです
  73. 73 : : 2020/10/27(火) 10:18:47
    http://www.ssnote.net/users/homo
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    ⚠️害悪グループ・神威団メンバー主犯格⚠️
    10 : 提督 : 2018/02/02(金) 13:30:50 このユーザーのレスのみ表示する
    みかぱん氏に代わり私が謝罪させていただきます
    今回は誠にすみませんでした。


    13 : 提督 : 2018/02/02(金) 13:59:46 このユーザーのレスのみ表示する
    >>12
    みかぱん氏がしくんだことに対しての謝罪でしたので
    現在みかぱん氏は謹慎中であり、代わりに謝罪をさせていただきました

    私自身の謝罪を忘れていました。すいません

    改めまして、今回は多大なるご迷惑をおかけし、誠にすみませんでした。
    今回の事に対し、カムイ団を解散したのも貴方への謝罪を含めてです
    あなたの心に深い傷を負わせてしまった事、本当にすみませんでした
    SS活動、頑張ってください。応援できるという立場ではございませんが、貴方のSSを陰ながら応援しています
    本当に今回はすみませんでした。




    ⚠️提督のサブ垢・墓場⚠️

    http://www.ssnote.net/users/taiyouakiyosi

    ⚠️害悪グループ・神威団メンバー主犯格⚠️

    56 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:53:40 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    ごめんなさい。


    58 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:54:10 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    ずっとここ見てました。
    怖くて怖くてたまらないんです。


    61 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:55:00 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    今までにしたことは謝りますし、近々このサイトからも消える予定なんです。
    お願いです、やめてください。


    65 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:56:26 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    元はといえば私の責任なんです。
    お願いです、許してください


    67 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:57:18 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    アカウントは消します。サブ垢もです。
    もう金輪際このサイトには関わりませんし、貴方に対しても何もいたしません。
    どうかお許しください…


    68 : 墓場 : 2018/12/01(土) 23:57:42 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    これは嘘じゃないです。
    本当にお願いします…



    79 : 墓場 : 2018/12/02(日) 00:01:54 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    ホントにやめてください…お願いします…


    85 : 墓場 : 2018/12/02(日) 00:04:18 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    それに関しては本当に申し訳ありません。
    若気の至りで、謎の万能感がそのころにはあったんです。
    お願いですから今回だけはお慈悲をください


    89 : 墓場 : 2018/12/02(日) 00:05:34 このユーザーのレスのみ表示するこの書き込みをブックマークする
    もう二度としませんから…
    お願いです、許してください…

    5 : 墓場 : 2018/12/02(日) 10:28:43 このユーザーのレスのみ表示する
    ストレス発散とは言え、他ユーザーを巻き込みストレス発散に利用したこと、それに加えて荒らしをしてしまったこと、皆様にご迷惑をおかけししたことを謝罪します。
    本当に申し訳ございませんでした。
    元はと言えば、私が方々に火種を撒き散らしたのが原因であり、自制の効かない状態であったのは否定できません。
    私としましては、今後このようなことがないようにアカウントを消し、そのままこのnoteを去ろうと思います。
    今までご迷惑をおかけした皆様、改めまして誠に申し訳ございませんでした。

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