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君には虹をあげるから
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- 1 : 2015/03/24(火) 01:45:48 :
- 何となくこういう空気の作品が書きたくなったので投稿します。
医療関係の知識は皆無なので細かいところは見逃してくださいませ。
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- 2 : 2015/03/24(火) 01:47:00 :
- 「ねぇ、康介さん」
「ん?」
「わたし、久々に虹が見たいな。見られるかな?」
白い天井と、白い壁。15センチしか開かない窓。窓辺に活けられた名前も知らない黄色い花は、外の光を浴びて光っている。
さっきまでベッドから身体を起こして本を読んでいた彼女は、疲れたのか小さく伸びをしてから栞を握った。その手首に名前と血液型が書かれたビニールの腕輪がある。
ここは病院のホスピス。そして僕は大学生でここのボランティア。
もうすぐ彼女の命は終わってしまう。彼女もとうにそれは覚悟していた。
だけど僕はそんな彼女に恋をしてしまったんだ。
『君には虹をあげるから』
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- 3 : 2015/03/24(火) 01:47:49 :
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今の科学はすごい。一万円出せばいつでもどこでも虹を出現させられるらしい。
以前テレビでその話を見たときは半信半疑だったけれど、この間自宅のポストに入っていた市の広報誌に大きく取り上げられていた。
流石に公的なものに取り上げられるくらいならきちんとしたサービスなのだろう。どうやら結婚式などの演出に利用する人が多いみたいだし。
そんなことをぼんやり思い浮かべていると、彼女はまた口を開く。
「見たいっていうか、また見られるかなって方が本当かな。ふふ、そんな顔しないで。そういうつもりで言ったわけじゃないから」
彼女は穏やかに笑ったが、僕の内心は複雑だった。
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- 4 : 2015/03/24(火) 01:48:46 :
彼女は小学校を卒業する直前に循環器系を病んだそうだ。最初はホスピスでなく普通の入院患者だったが、年を重ね手術を重ねる内にどんどん一回の入院が長引いていった。そして気が付いた時には手遅れだったらしい。
ホスピスとは終末期ケアを行う場所、簡単に言えば治療しようがないほどまで病気が進行してしまった人のための場所。
彼女――彩乃は本当ならまだ高校生だ。死ぬのは怖いはずなのにそれでも強く生きる彼女の姿に、僕はボランティアという立場でありながら惹かれてしまった。気が付いたらどうしようもないくらいに好きだった。
好きになってしまったことに対する後悔の念はもちろんある。けれどその複雑な思いとはもう決別していた。今はただ、彼女の有り様を受け入れてこの気持ちを整理する段階だ。
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- 5 : 2015/03/24(火) 01:49:33 :
「もうここに来て1ヶ月半でしょう? そうしたらわたしの寿命も大体半分かなって思ったの」
「そんなことないよ。気をしっかり持っていればまだ大丈夫」
「あんまりボランティアらしいこと言わないでほしいな。康介さんだけはそういう気休めとは別のことを言ってほしいんだ」
ホスピスなんてデリケートな場所に僕のような大学生がいることはあまりない。知り合いのツテで社会勉強をさせてもらっているため下手は出来ないのだが、彩乃はそういう堅苦しいのを嫌った。
「君には後悔しないように生きてほしいんだよ。穏やかに毎日を送ってもらいたい」
「うん、わかってる。あのね、死ぬ前に虹が見れたら嬉しいなって思ったの。そうしたらすごく幸せな気持ちで死ねる気がする。だって虹なんて生まれてから何度も見られるものじゃないし」
どこか楽しそうな彩乃。15センチしか開かない窓から見えるのは建物のせいで3分の1が隠された空だ。ここから虹が見られるなんて僕には思えない。
それに彼女が死んでしまうまでの間に虹がでる確率なんて、きっと僕が思う以上に高くはないはずだ。
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- 6 : 2015/03/24(火) 01:50:06 :
「普通なら見れないけど……良いものを知ってるよ」
だから一瞬はサプライズで虹を出すことも考えたけど、僕は彩乃に正直にそのサービスについて話すことにした。何となくその方がいい気がした。
彩乃は僕が話すことを楽しそうに聞いてくれた。途中検温の時間になって一時中断した時は悲しそうな表情すら見せた。
そして話終わった時、彼女は柔らかな笑顔だった。
「虹が見られるのならもう一度見てみたい。こんな素敵なものがあるならなおさら。でも一万円なんてわたし持ってないからおあずけだね」
僕が出すよ、と言おうとしたが、その前に言葉が続く。
「ここのボランティアって無償でやってくれてるってきいたの。だからあんまり困らせたくないんだ」
「僕なら構わないよ。彩乃にはお世話になったし、ここでのことは社会勉強になってるからね」
「ううん、そんなことじゃないの。康介さんたちのお金はこれからも生きていく人のために使うべきだって思うから、わたしみたいな死ぬ人には使わないでほしいんだ」
彩乃の言葉がチクリと胸に刺さった。
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- 7 : 2015/03/24(火) 01:50:56 :
これまでだって僕は何人もの人の死を経験してきた。患者への態度を相手によって変えたこともない。だから彩乃がそうするべき女の子でないことくらいわかっている。
だけど彩乃は僕にとっての特別になってしまった。そのことに薄々気がついているからきっと彼女は何度も警告するのだ。自分は死ぬ人間なのだと。
「わたしはもうすぐいなくなる。だから康介さんだけじゃなくて、みんなに迷惑をかけないように生きるのが目標なんだ」
今まで周りに迷惑しかかけなかったからね、と寂しそうに彩乃は呟く。
僕はなんて返せばいいのかわからなかった。この暖かな日々はもう長くは続かないだろう。彼女のベッドは空になり、数ヶ月もすれば新しい人間がこの部屋の主になる。そして彼女の存在は穏やかに風化していくのだ。誰の記憶にも残らずに。
その光景が簡単に目に浮かんでしまうから、とてもじゃないけど僕は彼女のようには笑えなかった。
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- 8 : 2015/03/24(火) 01:51:31 :
「わたしね、小さい頃に見た虹を今でもはっきり覚えてるの。お母さんと空を指さして、あれは何色これは何色って笑ったんだ。康介さんにもこういう思い出ある?」
「あるよ。幼稚園の友だちと見た記憶が。あの頃は今よりずっと虹が大きく見えてた」
「きっとね、みんな最初に見た虹は覚えてると思うんだ。わたしね、何もしてもらわなくていいから、虹みたいに誰かの記憶に残りたいの。綺麗な記憶としてずっとずっと」
長い睫毛を伏せて語られたのは初めてきく彩乃の夢だった。こんな場所で終わることになった一人の女の子の小さな夢。
「僕は覚えている。いつまでもちゃんと覚えてるよ」
「なんでかな。今の康介さんに覚えてもらったら、きっとわたしいい顔で覚えてもらえないと思う。それは嫌、綺麗なのがいいの」
20も生きずに死ぬ彼女なのに、願いは本当に純粋で小さなものでしかない。たまに現れては暖かい記憶を残す虹のように在りたいなんて、あまりに儚すぎて。
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- 9 : 2015/03/24(火) 01:52:00 :
「……だからおまじないみたいなものかな。死ぬまでにこの窓から虹が見れたら、わたしはみんなにいつまでも覚えてもらえるって」
彩乃は身体をベッドに横たえながら寂しげに微笑んだ。その視線は窓に注がれている。
僕はそんな彼女を見つめながら自分の無力を嘆く。この場所では患者の願望が何より重視される。だから彩乃が余計なことをするなと言うならばそれが絶対なのだ。
だから僕は何も出来ずに祈るしかなかった。この窓からどうか虹が見えますように、と。彩乃と他でもない僕のために、信じてもいなかった神に祈った。
僕は少しでもいいから彩乃の笑顔が見たかったんだ。好きになった女の子の笑顔が見られるなら、それが僕のささやかな幸せだったから。
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- 10 : 2015/03/24(火) 01:52:38 :
***
それから数週間が過ぎた。
薬だけで繋いでいた彩乃の命は日を追う毎に目に見えてすり減っていく。ついこの間までは散歩に行けていたのに、今では1日の大半をベッドで過ごしていた。
もうすぐ彩乃はいなくなる。その焦りがきっと彼女にも伝わってしまっていたのだろう、最近はあまり笑ってくれなくなってしまった。
「康介さん。ごめんなさい」
「彩乃は何も悪いことはしてないじゃないか」
その代わりよく謝るようになった彩乃の髪を撫でながら、僕は安心させるように笑う。
「心配かけてごめんなさい」
「ううん、大丈夫だよ」
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- 11 : 2015/03/24(火) 01:53:10 :
大学に通う僕は病院にいられる時間は少ないけれど、それでも望めば毎日のように一緒にいられる。そのことが僕にとって一番幸せだったから、彼女が弱っていくことはお互いのためにも考えないようにしようと思った。
「康介さん。お願いがあるの」
「なに?」
「もう、ここには来ないでほしい」
だから、窓辺に置かれた花瓶の水を替えようと席を立った僕に投げかけられた言葉はとても辛いものだった。
「え」
情けないほど細い声が口から飛び出した。途端に力を無くした両手は握っていた花瓶を落とす。
酷く滑稽なその音はまるでこの状況そのもののようで、僕は何とか冷静を取り戻すことが出来た。
「来ないで、ってどういうことかな」
それでも唇が震えてしまう。
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- 12 : 2015/03/24(火) 01:53:55 :
「そのままの意味。ごめんなさい、もうお別れしたいの」
彩乃は申し訳なさそうに、でも既に固く決意したことだとでもいうような口調で言った。
「これからはボランティアの人はいらないから、一人で静かにいようと思って」
「なんで? 教えてくれないと何も言えない」
僕は床にしゃがんで花瓶の破片を拾いはじめた。彼女に顔を見られないようにきちんと顔を伏せて。きっと情けない顔をしているだろうから。
「もう私、歩けなくなってしまったから。そろそろ本当に覚悟を決めたいんだ。だから――」
そこで言うのを止めて、彩乃は躊躇うように何度も言葉を詰まらせた。しばらくの沈黙の後、消えそうなくらい弱々しい声で彼女は本当のことを口にする。
「康介さんのことが好きだから、一緒にいたらもう辛いんだ。弱って死んでいくわたしのことを見ていてもらいたくない」
すすり泣く声が聞こえて顔を上げた。手首に巻かれたビニールの輪がひどく緩く見える。初めて会った時より痩せたその手首から更に上へ目線を上げると、彩乃の泣き顔があった。
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- 13 : 2015/03/24(火) 01:54:42 :
「ごめんなさい康介さん。本当に勝手だと思うけど、さようなら」
その細い身体を抱き締めることも出来なかった。彩乃の言葉は明白な拒絶だったからだ。もう僕に選択権などあるはずもない。
それに僕は最初から決めていた。彼女の担当になった瞬間から、この不幸な女の子の幸せのために動こうと誓っていたのだ。彼女が良かれと思うのなら、僕は否定する必要などないのだ。
僕は散らばった破片を集めると、一番大きな破片にそれらを乗せていく。この破片を何かに入れて持っていかなければならない。だけどそんなことはぼんやりとしか考えられなかった。
「わたしずっと康介さんが好きだった。初めてこんな気持ちになったの。暖かい気持ち」
「僕も君が好きだよ、彩乃」
「うん、わかってる。……だいぶ前からわかってた。だから絶対に傷つけたくないし、いつかこうなるかもしれないってずっと考えてた」
「僕は傷つかないよ。覚悟ならきちんとできる。ゆっくりとでもしていける」
「……それでもわたしは一人で死にたいの。康介さんには幸せになってもらいたいから。これ以上悲しい気持ちにはさせたくないから」
だからさようなら、と彩乃は泣いた。それが最後だった。
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- 14 : 2015/03/24(火) 01:55:14 :
僕は病室の掃除のために置いてあるちりとりに破片を入れて立ち上がった。頭がクラクラした。何も考えられないくらいに。
「康介さん」
扉に手を掛けた時、囁くような彩乃の声が聞こえ身体が硬直する。振り返ると彼女はこちらに背を向けていて、窓の外を覗いているように見えた。
「もしも、ここから虹が見えるなんて奇跡があったら……その時きっとわたしは笑顔になると思う。そうしたら、とても勝手だけどわたしの顔を見に来てほしい」
「勝手なんて思わないよ。彩乃のことが好きなんだから」
「ありがとう」
声が震えた。でも彩乃のそれも同じだった。そうして僕はちりとりを持ったまま今度こそ静かな廊下へと足を踏み出す。閉めた扉に背中を預け脱力すると、嘘のように大粒の涙が頬を流れた。
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- 15 : 2015/03/24(火) 01:55:56 :
出会うところが違えば、彩乃が病気でなければ……思う“もしも”は数えきれない。だけどその根本はたった一つ。
ずっと一緒にいたい。それだけの単純でありきたりの願いしか僕たちは持たなかった。けれど彼女を待ち受ける死がそれを許さない。そして優しい彼女自身も最後の甘えを許しはしないのだ。
嗚咽を噛み殺し、頬を流れた涙を乱暴に袖で拭う。立ち上がった僕は廊下の窓から空を見上げた。
どうか彩乃のために、一度でいいんだ。たった一度だけ虹を見せてほしい。僕たちをもう一度会わせてほしい。
そうしたらきっと僕は最高の笑顔を浮かべた彼女を見るのだろう。それをずっと心に焼き付けて生きていく。彼女が望んだ通り、僕の心で彩乃を生かし続けるんだ。
彼女が死んだら自分が傷つくことなんて、恋した時からお互いわかっているさ。僕はいずれどうしようもないくらい傷つくんだ。弱っていく彩乃を見るか見ないかでその程度が変わるようなものではない。
けれど最後の僅かな時間を彩乃は拒んだ。その気持ちもわかるつもりなんだ。――誰よりも自分を覚えていてほしい相手なのに、同時に一番最初に自分を忘れてほしい矛盾した気持ち。その彩乃の優しさを何よりも愛しいと思う。
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- 16 : 2015/03/24(火) 01:56:30 :
けどやっぱり諦めるわけにはいかない。彩乃が最後に縋り甘えた“虹 ”がまだあるから。もう一度彼女に会うためには諦めてはいけない。
「彩乃……」
エゴだろうと構わない。本物の虹を待つ暇なんてもうないのだ。そしてこればかりは彩乃の意志を守り通すわけにもいかない。だから虹をかけよう。ボランティアとしてではなく、彼女に恋した一人の男として。
それならいいだろう? 彩乃。
君には虹をあげるから、僕に君との記憶をください。
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- 17 : 2015/03/24(火) 01:57:17 :
***
数週間後、雨上がりの空に小さな虹がかかった。
1万円で買った虹は思いの外質素で、子どもの頃に見たそれとは全然違っていたけれど、それでも望んだ通りの虹が空にあった。僕は成し遂げたのだ。
窓辺に置かれた真新しい花瓶には、桜の枝が活けられている。その淡いピンク色の花が、外から流れてくる穏やかな風に揺れていた。
白いベッドに横たわるピンク色のパジャマの持ち主は、先ほどから少しも動かず目を閉じている。僕は彼女の肩口で揃えられた髪を撫でながら再び彼女の目が開く時を待っていた。
この夢から目覚めた時、彼女がどんな顔をするのか楽しみだ。他でもない彩乃自身のあんなに興奮した声なんて初めて聞いたから、見せてくれる笑顔だって最高のものに違いない。
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- 18 : 2015/03/24(火) 01:58:04 :
「彩乃。ただいま」
そう呟くと、ゆっくりと彼女の瞼が開く。ぼんやりとした瞳が僕の姿を捉えた。
「康介さん。……おかえりなさい」
折れてしまいそうな華奢な指に自分のそれを絡め、僕はしっかりと手を繋いだ。
もう絶対にこの手は離さない。
「虹をありがとう」
「なんで僕にありがとうなのさ」
僕がやったことを気付かれてしまったのか。そんな不安はあったが、それを悟られないように笑う。
でも彩乃は穏やかに微笑んで言った。
「雨の後でとても自然だったけど、でもわかったの。康介さんがわたしに会いたがってくれてるんだって。虹なんかよりもわたし、ずっと康介さんに会いたかったから」
今とても幸せ、と彩乃は笑った。僕も同じ気持ちだった。
「綺麗な虹をありがとう……」
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- 19 : 2015/03/24(火) 01:58:37 :
僕たちはもうすぐ永遠にさよならをしなければならない。そして刻々とその時は迫っている。
けれど、僕たちはその時が来るまでもうけして離れないだろう。虹をかけるという奇跡を成し遂げてここにいる、そのことを大切にしていくのだろう。
そしてその時がきたって、彩乃は僕の中で生き続ける。だから僕たちは死んだって一人じゃない。
幼い頃に初めて虹をみた時の綺麗な笑顔が僕の腕の中にあった。
《了》
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- 20 : 2015/03/24(火) 08:07:35 :
- 執筆お疲れさまでした。
この作品は、美しく、とても素敵です。ありがとうございました。
- 著者情報
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