この作品はオリジナルキャラクターを含みます。
この作品は執筆を終了しています。
零レ桜
-
- 1 : 2015/02/28(土) 18:44:21 :
-
──────薄灯りが仄かに彼女を照らした。
彼女の薄桃色の頬が美しく照らし出される。
そのぱっちりとしていて彼女の濡れた様に美しい瞳を閉じ込める双眸は溜息が出るほどに美しかった。
その桜色の可憐な着物もこうやって見るとまた不思議な感じで可愛さの中にも秘めたる艶やかさが見え隠れする。
まるで絵本の中の住人のような彼女はその朱に染められた唇をゆっくりと動かした。
だけどその唇から紡がれる言葉は『聞こえない』。
ただ、夜の闇に仄かに浮かぶ彼女に見とれていた。
ふと彼女の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
俺は彼女が誰かは知らない。
知らないけど何故だろう、とても懐かしくて暖かい。
その暖かさが欲しくて、その白磁の様な白く細い手へと手を伸ばす。
だが───────────
その手と手は触れ合うことなく、儚い光と散った。
彼女は、その暖かさを残し光となり空へ昇る。
そして夜の闇に、俺は1人になった──────────
-
- 2 : 2015/02/28(土) 18:51:54 :
春、桜の季節。
我が家の前の大きな桜もこれでもかと言わんばかりに咲き誇っている。
家の前にはその立派な桜を見ようと人だかりが出来ている。
窓から入ってくる声は楽しそうな声やあまりの美しさに感嘆する声も聞こえてきた。
そんな彼らは今、自分らの後ろの家で男がベッドから思いっきり落ちたことなんて知るよしもないのだろう。
「…………………」
痛い。
こんなクソみたいな朝は何時ぶりだろうか。
とても長い夢を見ていたのか体は重く、それに加え落下によるダメージもある。
起き上がることも無く、時計を見る。
時計の長針は午後0時過ぎを指していた。
……遅刻である。大学の講義が入っていたがそれはもう見事に遅刻である。
そんな近年希に見るようなクソみたいな朝を俺は迎えた。
-
- 3 : 2015/02/28(土) 22:34:44 :
俺こと、東雲将也 はすこぶる不機嫌に立ち上がった。
ここは俺が1人暮らしをしているボロ……古いレトロチックなアパートだ。
一応生活に必要な設備は揃っているもののどれもボロ……味があって正直いつ壊れてもおかしくはない。
そんなボロ……うん、ボロアパートのボロキッチンで俺は遅めの朝食、またの名をジャストタイミングな昼食を簡単に作った。
有り合わせのもので作ったチャーハンは味は普通、食べるに越したことはない物だ。
そんな風に昼食をたべていると外から大勢の人の声が聞こえてくる。
先程も聞こえてきたがさっきはまだ頭が回っていなかった。
その声を聞いて俺は大きく溜息をつく。
「今年も来たか………」
-
- 4 : 2015/03/04(水) 19:48:19 :
- 家の前にある桜、非常に美しくて大きい立派な桜だ。
聞いた話によるともうかなり昔、それこそ江戸時代とかそれくらい昔からあるそうだ。
俺だって桜は好きだ。綺麗だし嫌いになる理由なんて何処にもない。
だが。
桜も花である以上、散ることは不可避であり抗えない運命である。
何を隠そうこの花びらが俺の溜息の原因である。
桜の花びらが散る様は美しく儚いものだと人は言う。
確かに散ってる最中はその通りであろう。
問題は散った『後』だ。
-
- 5 : 2015/03/04(水) 19:48:51 :
- その日の夕方、人通りが少なくなった頃に俺は重い腰を上げて外へ出る。
その手には武器
ほうき
が握り締められていた。
そう、俺が最も嫌いなのが散った桜の掃除である。
嫌いならばわざわざしなくてもいいではないか、そんな声が聞こえてきそうだが出来るものなら俺だってそうしたい。
俺は通学の関係で高校の時から既にこのアパートに下宿していた。
その時、学校側から『一日一善週間』なるものが発令されてその時に俺はこの桜の花びら掃除をしたのだ。
近所やアパートの住民はじいさんばあさんが多く、その姿を見て偉いねえなんて言われた。
そこまでは良かった、そこまでは。
翌年、学校側からは何もなかったのだがご近所周辺から『今年は掃除しないのかね……』的なオーラ、いやプレッシャーだろうか。
まあそう言ったモノを感じたのである。
大家さんまでそんな雰囲気を出すものだから何となく居心地の悪さを感じてその年も掃除をした。
もう後はお分かりだろう。
俺は『桜の花びら処理係』となってしまったのだ。
-
- 6 : 2015/03/04(水) 19:49:15 :
- 「さむっ………」
春とはいえど流石に長袖1枚で外に出ると思いのほか寒かった。
だがわざわざ服を着に行くのも億劫で、風邪を引いてしまえば掃除しなくても許してくれるだろう的なセコい考えもありそのままで掃除をした。
それにしても今年は特に桜が堂々と咲き誇っている。
花の色は薄い桃色でどこか儚げだ。
桜の枝についてる間は綺麗だなんだと褒めそやされるが散ってしまえばすぐに見向きもされなくなる。
そんな桜の花びらを少し可哀想に思うが桜の花びらに可哀想だと思う俺の方が可哀想なことになっているのではないだろうか。
こんな地味に地味を重ねたような風貌の俺が夕方、ほうきを片手に1人で掃除をしている姿を想像してみる。
……ダメだ。非常に危うい気がする。
-
- 7 : 2015/03/04(水) 19:49:39 :
- 本日、何度目かの溜息をついて掃除に勤しむ。
「彼女欲しいなぁ…………」
俺の独り言は虚しく秋の夕空に響いた。
聞こえてくるのはカラスの鳴き声だけである。うるせえ。
ざっざっと花びらを1箇所に集める。
もう掃除を初めて4年である、手馴れたものだ。
その花びらをちりとりに集めてゴミ袋に入れた。
「今日はこの辺で切り上げるか」
そう言いながらふと周りを見渡すと桜の木の後ろに誰かが隠れている。
よく見えないが背丈からして子供のようだった。
この辺に子供は少ないから珍しいなと思い、姿を見ようとする。
するとその子は俺の視線に気づいたのか慌てたように走り去っていってしまった。
-
- 8 : 2015/03/04(水) 19:50:01 :
- 俺はその子の後ろ姿をみて驚いた。
なんとその子は着物を着ていたのだ。
このご時世、日頃から着物なんて着ている子供はまずいる訳が無い。
だが見たところ、あまり大きくなくて遠目から見ても中高生がいいところだ。
ならばますます不思議である。その年頃の子がわざわざ着物なんて着るだろうか?
そう思い耽っていた所に、ひときわ強い風が吹きすさぶ。
「さむっ……家入るか」
思い出したかのようにその寒さに身を震わせ、先程までの疑問を忘れて俺は家に入った。
-
- 9 : 2015/03/09(月) 00:05:02 :
- 次の日、俺は昨日の反省も踏まえてガッツリ早起きした。
そして朝ご飯をしっかり食べ、髪も整え、身だしなみをパーフェクトにしてクールに家を出た。
俺の人生の中でもトップクラスにクールで落ち着いていてかつ用意周到(?)な朝だった風に思える。
そんなクールな俺はクールに大学に入る。
そして俺はクールに教室へ向かい、クールに講義を受けてクールに──────────
『本日、休講』
俺は家に帰った。
-
- 10 : 2015/03/09(月) 00:05:26 :
- 俺は家につくと早々にベッドへ転がり込んだ。
全く運が無い、もはや皆無と言ってもいいだろう。
いや休講に関しては嬉しいといえば嬉しいが図ったようなタイミングである。
「はぁ……やることねえよ」
今日が休講と分かっていたら知り合いと出かけたりでもしたのだろうが見事に分かっていなかった。
彼女がいれば……いや、俺にはそんなものいない。考えても無駄だ、落ち着け俺。
そんな風に不毛な時間を過ごしながら俺はふと窓から外へ目をやった。
あいも変わらずデカい桜だ。
きっとまだ後何十年と咲き続けるのだろう。
-
- 11 : 2015/03/09(月) 00:06:10 :
- そんなことを考えているとインターホンが鳴る音が聞こえた。
時間は午前11時、こんな時間に誰だろうか。
ドアを開けるとそこには大家さんが立っていた。
「あら東雲くん、今からお出かけだったのかしら?」
大家さんは五十代くらいの人の良さそうなお婆さんだ。
どうやら無駄にしっかりした格好の俺を見て今から出かけるのかと勘違いしてるようだった。
「いや、違いますよ。それでどうしたんですか?」
すると大家さんは何処か寂しそうな顔をして小さな声で言った。
「それが……東雲くん、ウチの前の桜の掃除してたから言いにくいんだけど……」
「………?」
何となく不安を感じる。
いわゆる『嫌な予感』と言う奴だろうか。
-
- 12 : 2015/03/09(月) 00:06:34 :
- 「あの桜ね、今度伐採される事になったのよ……」
「……え?」
一瞬、言ってる意味が分からなかった。
あの桜が伐採される?有り得ない。
「そうよね、ショックよねぇ」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。何で伐採されるんですか?あんなに大きくて立派なんだから……」
大家さんは分かる分かると言ったふうに頷いた。
「私も信じられないけど……あの桜、かなり昔から咲いているのは知ってるかしら?」
「はい、何でも江戸時代くらいからあるらしいですね」
「そうそう。それでこの間、何とかって団体がその桜を調査させて欲しいと言ってきたの。なんでも安全性とか……急に倒れたにしたら困るとかって……」
……だいたい話が見えてきた。
だが本当にあんなに大きくて立派な桜が倒れたりするのだろうか?
-
- 13 : 2015/03/09(月) 00:07:24 :
- 「それでその結果、腐朽化が進んでいて倒れる危険性があるって………」
「……でも、そんなまさか…」
話の内容が分かったとしてもそれを受け入れることができるかどうかは別である。
あまり意欲的ではなかったとしても今まで掃除してきた俺からしたら相当ショックな話である。
「……いつ伐採されるんですか?」
「確か一週間後のはずだったかしらねぇ……残念だけど後一週間でこの桜も見納めなのね……」
大家さんも寂しそうに呟く。
「そうですか……。わざわざありがとうございます」
「良いのよ。東雲くんもしっかり桜見ておくのよ、きっと桜も掃除してくれた東雲くんに感謝してるはずだから……」
「はい、分かりました……」
そう言うと大家さんは帰っていった。
……中々に衝撃的な話だった。
-
- 14 : 2015/03/09(月) 00:07:52 :
- 俺は溜息を付きながらベッドに腰掛ける。
昨日から溜息ばかりだが今回ばかりは非常に気が重い。
あの桜が無くなってしまうとは夢にも思ってなかった。
いや、いつかは無くなってしまうだろうとは思っていたがそれがこんなにも急で、早く来るとは思っていなかった。
「はぁ……本当についてねえな」
昨日今日と不幸続きですっかり参ってしまう。
窓の外から桜を見る。外見は全く変わっておらずとても立派な物だ。
「……そう言えば近くでじっくり見たことはあまり無かったな」
ふとそう思った。どうせ時間もある事だし、外に出て見ることにした。
-
- 15 : 2015/03/09(月) 00:08:37 :
「近くで見るとますますでけぇな……」
外に出て桜の下に立つ。
その姿は堂々としていて老朽化なんて一切感じさせないような佇まいだった。
「……本当に老朽化してんのかな?」
ふと脳裏に疑問が過る。
そうだ、もしかしたら調査にミスがあったりしているのかも知れない─────────
その時、俺は見てしまった 。
桜の幹にあった小さなスキマを。
「………はは、そうか。本当に、そうなんだな………」
-
- 16 : 2015/03/09(月) 00:09:01 :
もはやどう足掻いても避けられない事のようだった。
この腐朽化は本当の事で桜はもう限界だった。
何も嘘はなくて、この桜は一週間後には無くなるんだという現実だけがそこにあった。
「掃除が嫌だとか言って、結局無くなるって知ったらこんなに寂しいもんなんだな……」
素直に寂しかった。俺が桜と過ごしたのはたかだか数年だ。
そんなの桜にとっては自分が生きてきた時間の中でたった一瞬に過ぎない時間だったのかも知れない。
それでも俺にとっては大事な数年間だった。
-
- 17 : 2015/03/09(月) 00:09:22 :
静かに1人、感傷に浸っていると近くから足音が聞こえた。
ここら辺は平日の昼間は人通りが少ないはずだが……誰だろうか。
足音が聞こえた方を向いてみるとそこには昨日見た少女が立っていた。
それと同時に思わず、目が離せなくなってしまった。
まるで人形の様に整った目尻や鼻、ぱっちりと開いた目は吸い込まれるような黒色をしている。
分かりやすく言うなら『二次元の娘』が飛び出してきた感じである。
「あ、あのぅ………」
そのか細い声で現実に引き戻される。
「おっ、おぅ!?ど、どうしたの!?」
「ひっ……!」
その子は急に大きな声を出した俺に驚いて思わず涙目になってしまう。
-
- 18 : 2015/03/09(月) 00:09:47 :
やっ、やっちまったっ………!!
見ず知らずの女の子を泣かせかけている。これはヤバイ、非常にヤバイ。
……本当にヤバイのは大の男が小さな女の子を凝視していて当の女の子は涙目であるという状況であるが。
「あっ、えーっと、ご、ごめんな?大丈夫だぞ?」
俺は自分が動かせる限りの表情筋を総動員して精一杯の柔らかスマイルでそう言った。
すると彼女はその瞳をパチパチさせながら涙を拭う。
その一挙動さえ見とれてしまいそうになる。というか見とれた。
「えー………どう、したのかな?」
俺がそう聞くと彼女はしどろもどろしながら小さな声で話した。
「えっと、なんか、いつの間にかここに居て、それでお兄さんしか、見えなかったから、あの……えっと……」
……どうやら本人も分かっていないようである。
-
- 19 : 2015/03/09(月) 22:16:42 :
- 「えっと……その……あの……」
何を言っていいのか分からないのかずっとこんな感じである。
こちらとしてもなんと声をかけたら良いのかさっぱり分からないので黙って見守るしかない。
「………………ふぇっ……」
「ちょっ、ちょちょっと、何泣いてんの!?どうしたの!?」
彼女は言葉に詰まって急に泣き出したが正直泣き出したいのは俺の方である。
どうしたらいいのかさっぱり分からない。
「だ、だって、私お兄さんに迷惑かけてばっかりでぇ……」
かけてばっかりと言うほど長い付き合いではないがひとまず彼女を泣きやませる事が先決である。
「そ、そんなことねえさ!あ、確か家にプリンがあるはずだ!食うか!?」
食べ物で釣ろう大作戦である、正直プリンを手放すのは惜しかったがこの際出し惜しみできない。
-
- 20 : 2015/03/09(月) 22:17:09 :
- 「………ぷりん?」
そのつぶらな瞳で上目遣いされると思わず目を背けたくなってしまう。それ程までに可愛い、恐ろしいくらい。
「お、おう!美味しいぞ!甘いぞ!」
見たところ小中学生くらいだがプリンが分からない事に多少驚いたがもうそれどころではない。
「……甘いの好き、えへへ」
その可憐な笑顔に年甲斐も無くドキッとするが俺は大学生、犯罪と思われてもおかしくない年の差だ。
「そうか!よしじゃあ持ってくるから少し待ってろよ!」
と、ダッシュで家に駆け出そうとすると彼女が声を発した。
「ひ、1人にしないでよぅ……」
………良いのか?これは大丈夫なのか?法に触れないよな?合意のもとだしな?それに変な事をするつもりはないもんな?
この間、僅か数秒。一瞬で葛藤を済ませて彼女の方を振り向く。
「……わかった、じゃあ一緒に行こうか」
-
- 21 : 2015/03/09(月) 22:19:14 :
俺は彼女を家に招くと適当な所に座らせた。
「じゃあちょっと待っててな、すぐ持ってくるから」
「うん、分かった!」
先程までとは違う快活な返事と共に屈託の無い微笑みが返される。
恐らくプリンが楽しみなのだろう、すっかり泣きやんでいる。
俺はその様子を見ながら彼女の笑顔は軽く殺人兵器レベルになる程だと思った。
そっちの気は無かった俺が何かに目覚めそうな気までしてくるから本当にやばい。
冷蔵庫の中を漁りながら新たな自分 が目覚めそうなのを必死に抑える。
「おー、あったあった。賞味期限は……大丈夫だな」
プリンとスプーンを持って彼女のもとへ戻る。
すると彼女は俺が寝ているベッドに寝転がっていた。
「ふかふかだぁー、楽しいなぁ」
寝返りをうったりぽよんぽよんと跳ねたりしてベッドで遊んでいる。
俺としては非常に嬉しいような恐ろしいような気持ちでいっぱいである。
よく考えて欲しい、二次元から出てきたような美少女が自分のベッドで遊んでいるのだ。とてもやばいだろう。
-
- 22 : 2015/03/09(月) 22:19:37 :
「っ……あー、食うだろ?」
視線を何処へやらと向けながらプリンを彼女に差し出す。
彼女が纏っているのは桜染の着物であり、わりとはだけやすい。
それに加えてさっきまで彼女はベッドで跳ねたり転がったりしていたのだ……あとは皆まで言うまい。
「うん!食べるよ!」
さっきまで泣きそうな声で話していたとは思えないほど快活な返事が返ってくる。
何故だかは分からないが俺としてもそっちの方が気が休まるので助かる。
「んっ……んー?開かないよ?」
「あぁ、ちょっと貸してな」
何だか年の離れた妹が出来た気分である。少し気はずかしいような嬉しいような感じだ。
-
- 23 : 2015/03/09(月) 22:20:05 :
「ほらよ」
「わあ、ありがとうお兄さん!」
キラキラ目を輝かせながら……言っておくが比喩表現ではなくわりとガチでキラキラしている。
ともかく彼女はプリンを美味しそうに頬張る。
その幸せそうな姿にこちらまで癒される。
「……なあ、君、名前は?」
「名前?……えっと、なんだっけ?」
「……いや、分かんないよ」
名前も分からないとなるといよいよ彼女の素性はまったく謎に包まれることになる。
そもそも今時珍しい着物に馬鹿みたいに可愛い容姿、ここら辺ではあまり見ない子供……ここら辺に住んでて気づかないということの方がおかしい。
「なあ、君は自分自身の事について分かってることは何かないのかい?」
-
- 24 : 2015/03/09(月) 22:20:48 :
「んー、桜!」
「………桜?」
果たして彼女は何を言っているのだろうか。
自分自身について分かっていることと聞いて『桜』と答えられても何と言っていいか分からない。
「そう、桜なの」
「………もしかして名前のことか?」
考えた末にそういう結論に至る。というかその他にどう言う意味があるのかが分からない。
「………?」
駄目だ、分かっていない。彼女は変なところで常識というか何か色々と欠如している気がする。
「まあ良いか……よし、君はこれから桜って名前だ。良いか?」
「名前?私の?」
「そう、君の名前」
-
- 25 : 2015/03/09(月) 22:21:19 :
そう言うと彼女は目を輝かせながら飛び付いてきた。
「わぁぁ、嬉しい!嬉しいな!ありがとう……えっと……」
「あ、あー、俺の名前は東雲将也。まあ将也って呼んでくれ……ってそろそろ離れろぉ!」
例え子供とはいえここまで可愛い子から抱き着かれると俺も気が気ではない。
俺は半ば無理矢理に桜を引き剥がした。
「えへへ。ありがとう、しょーや!」
「……ったく」
彼女の弾けるような笑顔にも耐性がついたのか一々どぎまぎする事も無くなってきた。
-
- 26 : 2015/03/09(月) 22:21:46 :
「そう言えば……桜は家とかは無いのか?」
流石に家に泊める訳にはいかない。
「んー、あると言えばある?」
「……どっちだよ」
「ある!えへへ、ちゃんと寝るところはあるよぉ!」
「そうか、そりゃあ良かった……」
もしかしたら一緒に寝れるなんて微塵も思ってなかったからショックは無い。全く無い。……うるせえ、こっち見んな!
-
- 27 : 2015/03/09(月) 22:22:05 :
「ねえ、しょーや!プリン無くなったよぉ?」
「ん?そりゃ食えば無くなるさ……言っとくがもう無いからな」
そう言うと彼女は食べ足りないのか少し不貞腐れる。
「むー……」
「まあ、明日も来ればまたやるさ」
さりげなく明日も会うように仕向ける。
一人っ子である俺にとって今日みたいな兄妹の様な関係はとても新鮮で鬱屈とした日に楽しさを与えてくれた。
それ故にそれを今日だけで終わらせたくなかったのだ。
-
- 28 : 2015/03/09(月) 22:22:38 :
「明日も来ていいの!?」
パァっと桜の顔が輝く。
正直こっちから来てくれってお願いしたいくらいだ。
「そりゃあもちろん……ああ、明日は朝から居ないから昼からになるけどな」
「うん、わかった!」
嬉しそうに微笑む桜を見て、俺まで嬉しい気分になる。
子供って言うのは不思議な物だなとつくづく感じた。
「さ、もう夕方だ。家の人が心配するだろうからもう帰りな」
すると桜はその整った顔に翳りを見せる。
ごく僅かな変化ではあったが何故だかふと目に付いた。
-
- 29 : 2015/03/09(月) 22:23:00 :
「桜?」
そう呼びかけると彼女はハッとしたように顔を上げてすぐに笑顔になった。
「あ、うん!それじゃまた明日ね!」
そう言うと彼女は返事も待たずに飛び出して行った。
俺は特別、気に留める事無くベッドに座り窓を覗く。
視界の先には彼女が走って行くのが見えた。
「……今日は良い夢が見られるかもな」
午前中は不幸続きだったが午後からは久しぶりに楽しいと思える時間を過ごした。
また明日もこんな風に過ごせるならば楽しみである。
そんな風に明日への期待を膨らませつつ、俺は課題やらなんやらを片付けていくのだった。
-
- 30 : 2015/03/09(月) 22:23:29 :
次の日、朝から昼の事を楽しみにしながら大学へ向かった。
今日は流石に休講だとかそんなことは無く、普通に講義があった。
だがしかし俺は講義の内容そっちのけで昼の事を考えていた。
プリン買わなければ……と昨晩から何十回も心の内で反芻した言葉を今一度、唱える。
講義が終わると、俺はこれ以上に無いくらいのトップスピードでコンビニでプリンを数個買いに走った。
そして急いで家に帰る。
まだ時間は12時半、恐らく彼女より先に着くはずだ。
と、思っていた俺が甘かった。
「くー……くー……」
………寝てやがる。
-
- 31 : 2015/03/09(月) 22:23:55 :
俺の部屋の玄関にもたれかかって彼女は眠っていた。
唖然とする俺は起こしていいものかと戸惑ってしまう。
「あら、東雲くん。やっと帰ってきたのね」
「大家さん……」
「その子、随分前からそこにいたのだけどすっかり寝ちゃってるわね……」
俺はその言葉に驚きを隠せなかった。
「ず、随分前って……具体的には?」
「そうねぇ、10時頃には居たかしらねぇ」
俺は昨日確かに昼間からな、と言ったはずだ。
彼女も頷いていたからすっかり分かっていたと思っていたが……。
-
- 32 : 2015/03/09(月) 22:24:24 :
「私がどうしたのと聞いたら『しょーやと遊ぶの!』ってニコニコしながら言うのよ……来るまで私の部屋で待つかって聞いても首は横に振るばかりだったわ」
「桜……」
俺も昨日から今日を随分と楽しみにしていたが彼女はそんなものでは無かったようだ。
健気にずっと部屋の前で待っていたのだろう、そう思うと罪悪感が胸を突く。
「その子は親戚の子とかなのかしら?」
大家さんにそう聞かれ、俺は焦る。
間違っても昨日会ったばかりの見ず知らずの子なんて言うわけにはいかない。
「えーーっとぉ………あの、はい、そうです。親戚の子です。訳あって遊び相手になったりしてるんですよね……ははは……」
「あら、そうなの。今時着物を着てるなんて珍しい子ねぇ」
「はは……僕もそう思います」
「まあ困ったことがあったら言いなさいね、少しくらいは力になれると思うから」
「ありがとうございます、助かります」
そう言って大家さんは自分の部屋に戻って行った。
-
- 33 : 2015/03/09(月) 22:25:17 :
さて、どうしたものか。
玄関にもたれかかる彼女を見て考える。
一番無難な策としては普通に部屋に抱えていく……だが、抱えてしまっていいのだろうか。
彼女はまだ少女であり、俺が抱えていたらやや犯罪チックな香りがするかもしれない。
しかし長々と迷っているヒマもない、大家さんには親戚の子と説明してあるから見られても大丈夫なはず。
俺は彼女をお姫様だっこする形で抱き抱える。
……何だろう、とても良い匂い……それでいて嗅いだことのあるような匂いがする。
と、同時にある違和感を覚える。
-
- 34 : 2015/03/09(月) 22:26:10 :
「……軽すぎないか?」
そう思わず口に出してしまう程に彼女からは重さを感じられなかった。
それこそふわふわとした感じで何かを持っていると言う感じもあまり無い。
「と、そんなことより早くベッドに……」
今はそれよりも優先すべき事がある。
俺は部屋の鍵を開けて、桜をベッドに寝かせる。
幸い彼女はまだぐっすり寝ているようだ。
-
- 35 : 2015/03/09(月) 22:27:11 :
俺は買ってきたプリンを冷蔵庫に入れて、ついでに買ってきた弁当を食べる。
いつもは1人で食べている飯も何だか彼女が近くにいるだけで美味しく感じるのは何故だろうか。
弁当を食べると俺は彼女が寝ているベッドの隣の椅子に腰掛ける。
「くー……んむぅ……」
よく寝ているようだ。寝返りをうつ様も愛らしい。
彼女の顔を改めて見るとやはり非常に整っている。
後にも先にもここまで可愛い女の子は居ないだろうと断言できる。
することも無く穏やかな日差しが窓から差す中、ゆったりとした時間が流れて行く。
「ふぁ〜あ……」
俺も眠たくなってきてしまった。
ま、少しくらいなら……良いか……。
そう思いながら俺はまどろみの中に落ちていった──────
-
- 36 : 2015/03/09(月) 22:27:57 :
「んっ………」
不明瞭な視界、柔らかなベッドの感触。
仄かに香る『彼』の匂い。
ぼんやりとする頭が最初に行ったことは『彼』を探すことだった。
まだ半開きの瞼は『彼』が何処にいるかと必死に探そうと動いている。
そして『彼』はすぐ近くにいた。
『彼』もまた先程までの自分の様に夢の中に落ちている。
私がベッドに居るということは『彼』が私を運んでくれたという事なのだろう。
私は額を『彼』の額に合わせる。
『彼』の額は少し熱を帯びていて、心地良い暖かさだった。
鼻と鼻が触れ合うのが少しくすぐったい。
全く起きる気配の無い『彼』を内心苦笑しつつ私は小さく呟いた。
「ありがとう、将也────────」
だがそこで唐突に意識がぷつりと途切れる。
────────まだ、言いたいことがあるのに。
彼女の言葉が聞こえることは無かった。
-
- 37 : 2015/03/10(火) 23:01:30 :
………て!………や!……きて!!
遠くから声が聞こえる。
誰でもいいがひとまず寝かせておいてくれ……。
聞こえない振りをして狸寝入りをする。
しばらくすると声が止んだ。やっと落ち着いて寝られる。
「しょぉぉぉやぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
「うおおおおっっっっっ!!!???」
あまりの衝撃に椅子から転がり落ちる。
「じ、地震か!?地震なのか!?」
この時の俺は寝ぼけていてかなり意味の分からないことを言っていたようだ。
近くにあったクッションを被り地面に伏せる。
………揺れは無い。
代わりに聞こえてきたのはころころと鈴を転がしたような笑い声だった。
「あははっ、しょーや変なのー!」
-
- 38 : 2015/03/10(火) 23:01:46 :
羞恥心で顔が赤くなる。
思いっきり笑われてしまったのはなかなか心に来るものだ。
「は、はは……おはよう……」
「おはよー!ねえ、しょーや!プリン!」
ああ、そう言えばそうだったなと言い、プリンを取り出す。
「やったぁ!」
彼女はその小さい口を忙しく動かしながらパクパクとプリンを食べていく。
「ふぁあ……今何時だ?」
時計を見るともうすぐ6時を迎えるところだった。
「プリン食ったら帰るんだぞー」
-
- 39 : 2015/03/10(火) 23:02:27 :
だが桜は返事を返さずにちょっと寂しそうな顔を見せる。
昨日から思っていたが帰る等の話題を出したらこんな風な表情になるのはなぜだろうか。
「……桜?どうしたんだ?」
「………帰りたくない」
「でも帰らないと家の人が心配するだろ?」
「帰っても誰もいないもん……」
仕事の関係かなんかだろうか。
確かにそれは可哀想だしきっと寂しいだろうがだからと言って彼女を帰さないわけにもいかない。
「んー……どうしたもんか……」
考えているといつの間にプリンを食べ終えたのか彼女はベッドから降りた。
「でもちゃんと帰るよ!だって、しょーやに迷惑かけらんないもんね!」
-
- 40 : 2015/03/10(火) 23:03:07 :
「桜……」
彼女の思いやりに胸がじんわりと暖かくなる。
「偉いな、桜は」
そう言いながら彼女の頭を撫でると彼女は嬉しそうに笑う。
「えへへ、明日も来ていいの?」
「ああ、お前さえ良ければ明日も明後日も、明明後日も来ていいんだぞ」
「やったぁ!じゃあまた明日ね!」
そう言って彼女は部屋から出ていった。
だが彼女との別れ際、俺はおかしな物を見た。
「………あいつの手、今少し光ってた………?」
見間違いかもしれない、だがその事が頭から離れることは無かった。
-
- 41 : 2015/03/10(火) 23:03:44 :
それから3日、桜は毎日やって来ていた。
来る度にプリンを食べて、俺と他愛も無い話をしたりしていた。
不思議な事に彼女と居るだけで心が癒され、体の疲れもどこかへ吹き飛んでしまう。
だがやはり彼女は帰るときに表情が曇る。
それは日増しに暗い表情になって来ていて俺としてもどうにかしてやりたいと思ってはいる。
そして彼女と会って6日目の今日、事件は起きた。
-
- 42 : 2015/03/10(火) 23:04:24 :
- 時計はちょうど3時を指していた。
その時計を見る度に俺は不安な気持ちになっていた。
「遅い………!」
そう、遅い。
桜は今まで約束の時間の何分も前に既にやって来ていた。
だが今日に限っては約束の時間を過ぎても来る気配すら無い。
「ちょっと探しに出るか……?」
時間が経つにつれて俺の心配は募るばかり。
とうとういても立っても居られなくなり立ち上がった。
が、そこでトントンとノックする音が聞こえた。
-
- 43 : 2015/03/10(火) 23:04:43 :
それと同時にホッと胸をなでおろす。
少し遅れただけの様だ。
俺は安堵の表情でドアを開ける。
だがそこで予想外の光景が目に入ってきた。
「さ、桜……?」
玄関の前で桜は倒れていた。
「お、おい……!桜!?」
急いで駆け寄ると彼女の顔が赤くなっている事に気付く。
それに加えて荒い呼吸、大量の汗。
「う、嘘だろ……!?」
とりあえず俺は彼女を部屋に運び、ベッドに寝かせる。
予想外の事態に頭はパニック状態に陥る。
何をしたらいいのかさっぱり分からないがこのままではいけないことだけは分かる。
-
- 44 : 2015/03/10(火) 23:05:13 :
「どうすれば良いんだよぉ……!?」
何をしたらいいか分からず、結局まだ何も出来ていない。
だが彼女は明らかに病気であり、放って置いたら悪化するのが目に見えている。
「……そうだ!確かあそこに市販の風邪薬が……」
と、その時だった。
「しょ……う……や………?」
辛そうな彼女の声が耳に入る。
「さ、桜!?無理すんな、待ってろ今───」
「……あは………やっと、会えたね…………」
彼女は辛そうな顔を無理矢理に笑顔へと変える。
「やっと会えたねって……昨日もその前も会ってただろ……?」
彼女は違うよと言いながら首を横に振る。
「私は……貴方と話すのは初めて……あの子は私とは別なの……」
彼女の言っている意味が分からない。
今目の前に居るのは間違い無く昨日もその前も見て話した桜本人である。
だが今の彼女はそうじゃないと言っているのだ、理解が出来る筈がない。
-
- 45 : 2015/03/10(火) 23:05:46 :
彼女の呼吸が徐々に落ち着いて行っている。
俺は何も言うことが出来ずにただ彼女を見つめていた。
汗も引き、呼吸も元通りになった彼女はベッドに横になっていた体を起こしてベッドに腰掛けた。
姿は彼女と相違ない。だがいつもの桜が何処からどう見ても子供だったのに対して、今の彼女は何処か大人びた雰囲気を感じさせた。
「……最初、彼女に自分の事について何か分からないかと聞かれた時に『桜』と言われたでしょう?」
「いやまあ……うん」
そう言った本人が目の前にいるのに変な質問である。
「それは本当の意味での『桜』なんです。私達は……貴方がいつも掃除してくれていた『桜』そのものなんです」
「………………………は?」
驚いて口をパクパクさせる俺を見て、彼女は笑みを零す。
その笑みもいつもの彼女とは違い、やはり大人っぽい雰囲気が出ていた。
-
- 46 : 2015/03/10(火) 23:06:23 :
「やっぱり驚きますよね……でも、本当なんです」
「いや……でも、そんな……」
急にそんなことを言われても納得出来る訳がない。
そもそも急に口調や雰囲気が変わってしまってただでさえ反応に困っているのに増々混乱している。
「私達が『桜』って証拠は無いんですけど……私達はいわゆる人間とは違うんです」
そう言って彼女は立ち上がると俺に抱き着いてきた。
「えっ、えぇっ!?ちょっと……!?」
彼女をお姫様だっこする形に持っていかれてしまう。
彼女はいつもの無邪気な笑顔と違い、どこか小悪魔的な笑みを浮かべた。
「うふふ、1度で良いからやってもらいたかったんです」
いつもと違う何処か大人びた彼女にどきまぎしてしまう。
そしてまたあの違和感、あまりの軽さに抱き抱えているという感覚がない。
-
- 47 : 2015/03/10(火) 23:07:04 :
「分かります?軽すぎるでしょう?」
「あ、ああ………」
「もう桜は知っての通り、腐朽化が進んでいて中身が無く空洞になっているんです」
「……私達はあの桜そのもの、同じ様に私達は空洞……中に何も入ってない様に軽いんです」
……それだけで信じろと言われても無理がある話だ。
だが事実、彼女は異常なまでに軽い。例えるならばわたあめを持っているのと大差ない程だ。
「……分かったよ。桜が本当に『桜』なんだって信じる」
そう言いながら彼女をベッドに戻す。
降ろす際に何処か不服そうな顔をしていたようだが見ぬ振りをした。
-
- 48 : 2015/03/10(火) 23:08:01 :
「それで、急に変わっちゃってどうしたんだ?何かあったのか?」
そう聞くと彼女は表情を曇らせた。
「……私はもともと1人の筈でした」
「一週間くらい前に私は誰かの声を聞いたんです。『願いを1つだけ叶える』って……誰の声かは分からないんですけど」
早速、現実離れした話が出るがもはやあまり驚く事はない。
「それで、人の体が欲しいって言ったのか?」
彼女にそう尋ねると彼女は顔を紅くして首を横に振る。
「い、いえ……あの……『将也と過ごしたい』って………」
-
- 49 : 2015/03/10(火) 23:08:36 :
「お、俺と?なんでまた……」
彼女にそう言われるとこちらまで恥ずかしくなってしまう。
「植物の桜のままでも色々と分かるんですよ?……将也はいつも私の世話をしてくれて、凄く嬉しかったんです」
だから……と彼女はそこまで言って増々顔を紅潮させ俯いた。
俺も思わず顔を背けてしまい、微妙な空気が流れる。
彼女は子供なのにこんな事ではいけないと思ってはいるが自分の心は欺けないのかも知れない。
「そ、それで?どうなったの?」
微妙な空気を破るように話を再開させる。
「あっ、えっと……本当は普通に私の人格を持った身体になるはずだったんですがその際に何故かもう一つの人格が紛れ込んでしまったんです」
「そりゃまた……不思議だな」
「何が原因かは良く分からないけど願いを言った後に昔の事を思い返してたから……その昔の人格が混ざったのかもしれませんね」
彼女はそう言って改めて俺に向き直る。
「私が2人になっちゃったのはそういった事があったせいなんです。さっきの熱はその人格に限界が来てしまって……」
「つまり、今までの桜はもう……いないんだな」
そう考えると寂しい気持ちになってしまう。
あの子が本当の桜で無かったとしても彼女に元気を貰ったのは確かだったから。
-
- 50 : 2015/03/10(火) 23:09:26 :
そんな俺を見て彼女が言った。
「……今の私じゃ不服、ですか?」
顔を上げるとすぐ近くに彼女の顔があった。
上目遣いで俺にそう聞く彼女は幼い顔ではあるのに何故か子供という印象は無かった。
「そ、そうじゃないさ!ただ寂しいなって……」
彼女は黙って体を寄せてくる。
俺と彼女はほぼ密着状態だ。正直かなりやばい。
「あ、あの……桜…さん……?」
その華奢で小さな体はまだ発達しきってないものの俺の心臓は早鐘を鳴らすように警鐘を上げている。
「………私は、将也が本当に大好きです。心から何よりも大好きだって言えます……」
彼女は耳元で囁くように言った。
その顔からはとても子供とは思えないほどの艶やかさを感じた。
紅い頬や蕩けたような眼、生まれてからロクに女と関わったことのない俺を惑わせるには十分なものだった。
-
- 51 : 2015/03/10(火) 23:09:59 :
彼女は俺の頬に手を添えて自分の顔の方へと向けさせる。
目の前に彼女の美しい顔が見える。
その距離は鼻先が触れ合うほどであり、完全に彼女のペースに持ち込まれている。
「……だから将也、貴方の気持ちも聞かせて下さい……」
彼女は身体をひしと寄せてそう問いただす。
「お、俺は……俺は……!」
彼女の顔が目の前に映る。
俺はギュッと目を瞑って考える。
僅か数十秒が永遠に近いほどの時に感じられた。
「俺は……俺も、桜が好きだ」
-
- 52 : 2015/03/10(火) 23:10:20 :
彼女はその顔を輝かせる。だが俺はまだ全部言い終えていない。
「でも!でも、俺は大人で桜は子供なんだ。例え本当にあの『桜』と同じ様に歳をとっていたとしても姿は子供なんだ。だからお前の気持ちには応えられない……」
それが俺の正直な気持ちだった。
俺だって許されるなら彼女とずっと一緒にいたいと思う。
だけど彼女は子供で、それは駄目なんだ。
彼女の顔を見ると目にいっぱいの涙を溜め込んでいた。
「あ、いや……だから今すぐは無理だって言いたくて……今は子供でもほら……!将来的にはさ……!」
そんな苦しい言い訳をするが、彼女はすっと立ち上がって言った。
「……私にはもう今しかないのに、将来なんてないのにっ……!」
彼女は震える声でそう言うとドアを開けて走り去って行った。
いつの間にか日は傾き、辺りは暗くなり始めていた。
-
- 53 : 2015/03/10(火) 23:10:46 :
「……怒らせちゃったかなぁ」
俺は頭を掻きながらぼやいた。
俺はベッドに腰掛けながら溜め息をつく。
それにしても彼女が去り際に言った言葉はなんだったのだろうか。
今しかないのに……と言っていたがいまいち意味が分からない。
それにしても今日は驚愕する事が多くあった。
今までの桜はもういない事、また彼女らは家の前の『桜』と同一の存在であるということ。
どちらもにわかには信じ難い。
「はぁー……頭パンクしそう」
-
- 54 : 2015/03/10(火) 23:11:08 :
どさりとベッドに倒れ込む。
先程まで彼女が寝ていたせいか何とも言えない良い匂いが漂ってくる。
ふと横を見るとカレンダーが目に入った。
「そう言えば桜と会ってもう一週間近く経つな─────」
と、そこまで言うとある事に気付いた。
いやようやく気付いたと言うべきだろうか。
そう、家の前のあの『桜』。
あの『桜』は確か明日、伐採される──────
「………まさか」
ベッドから勢い良く起き上がる。
頬に一滴のもの汗が流れる。
本当に彼女が『桜』と同じなのであれば。
俺は取り返しのつかないことをしてしまったのかも知れない。
「桜っ……!!」
俺は考える前にもう既に家を飛び出していた。
-
- 55 : 2015/03/10(火) 23:11:30 :
俺が家を出ると日は落ちて既に暗がりが辺りを支配しようとしてた。
彼女が何処に行ったかと辺りを見回すと1箇所、桜の木の下に仄かな淡い光が見える。
確信があるわけではなかったが何かに導かれるようにそちらの方へと向かった。
そして案の定、彼女は木の下に膝を抱えて座り込んでいた。
「さ、桜……」
彼女はこちらを振り向かずに答えた。
「……どうです?不思議でしょ?この光」
彼女は手を挙げ、その手を見つめている。
「もう、限界が近いんです。もうすぐ消えちゃうんですよ私」
「……さっきは気付かなくて悪かった。そんな事も分からずに俺、あんな事を……」
「良いんです。私もちょっと急ぎ過ぎちゃいましたから」
そう言って彼女は笑った。
-
- 56 : 2015/03/10(火) 23:12:10 :
「やっぱり、もう消えちゃうんだな」
俺は思わず俯いてしまう。
「……もう明日にはこの木すら無くなってますから」
誰だか知らないが酷な事をする奴がいたものだ。
俺は大事な桜も大好きな彼女も、同時に失ってしまうというのに。
「私は……本当に将也が好きなんです」
不意に彼女はそう言った。
彼女は俺に隣に座るように促した。
そして俺は促されるまま隣に座った。
「私は桜でして、沢山の人が綺麗だとか美しいとか言ってもらってました」
「もちろん嬉しいですよ。でもその綺麗とか言う言葉はどんな桜も言われるんですよ、いわゆる私だけに対する言葉じゃないんです」
俺は淡い光を放つ彼女の話を黙って聞く。
「でも、将也は私だけにずっと構ってくれました。それだけで私は嬉しかった。なんて言うんですかね?愛って奴を感じたんですかね?」
「あ、愛って……大袈裟だな」
そう言うと彼女は笑った。
その顔は本当に楽しそうで嬉しそうな笑顔だった。
-
- 57 : 2015/03/10(火) 23:12:47 :
「大袈裟、確かにそうかもですね。でも私は本当にそう感じちゃったんです」
心なしか彼女の身体を包む淡い光が徐々に薄くなっているように見える。
「なあ桜、もしかして……」
彼女は悲しそうな表情を浮かべる。
「……はい、もうすぐ、時間です」
彼女の声は震えていた。
それもそうだろう。自分で言うのもなんだが好きになった男ともう二度と会えなくなってしまうのだから。
それけじゃなく彼女の意思は明日にはもうこの世から消えてしまうのだ。
悲しいだろうし怖いだろう。
だけど俺は彼女に何もしてやることが出来ない。
ここまで自分の無力感を感じたことは無かった。
「えへへ……いざ消えちゃうってなると怖いなぁ」
彼女は気丈にも笑ってはいるが俺には分かる。
俺は彼女をギュッと抱き寄せた。
「将也…………」
-
- 58 : 2015/03/10(火) 23:13:35 :
「無理しないで、良いんだ」
コツンと彼女が胸に頭を当てた音がする。
「…………ふっ、うっ……うぇぇぇん……」
今の彼女が年相応の姿を見せたのは初めてかもしれない。
俺はそんな彼女をただただ抱きしめた。
服が濡れるがそんなのことは知ったこっちゃない。
これで彼女の悲しみが和らぐのであれば何時間でもこのままでいてやりたかった。
「えぐっ……ひぐっ………え、えへへ……やっぱり将也は優しいですね」
「そんなこと無いさ……お前は凄いよ。俺だったらずっと泣いてる」
「ふ、ふふ……将也って泣き虫なんですね」
「ああ、俺は泣き虫さ。今だって必死に我慢してるんだぜ?」
事実、俺は今にも泣き出しそうだった。
-
- 59 : 2015/03/10(火) 23:14:03 :
彼女を包む光が増々大きくなっていく。
本当に時間が近いのであろう。
「うんっ……はぁ……よし、泣きやみました!」
そう言ってにっこり笑う。
本当に凄い子だと心から思った。
明日には所謂『死』を迎えるというのに笑えるなんてとても真似できたものではない。
「そりゃあ良かった」
「……最後に1つだけ、良いですか?」
「ああ、俺に出来る事なら何でも」
すると彼女は眼を瞑り、んっと顔を突き出す。
まあ、何をしろっていうのは言わずとも分かれと言うことだろう。
俺は少し戸惑ってしまうが覚悟を決める。
-
- 60 : 2015/03/10(火) 23:14:43 :
すっと顔を近づける。
何度見ても美しく整った顔だ。
長いまつ毛に閉じていてもわかる大きな瞳。
薄桃色の頬は僅かに紅潮しているようだった。
俺はゆっくりと自らの唇を彼女の桜色の美しい唇へと近づける。
ふと桜の花びらが2人を包み込むように落ちていることに気付く。
こういう風に桜の花びらが散る事を何と言っただろうか。
───────ああ、そうだ。思い出した。
───────『零れ桜』だ。
俺たちは桜の木の下、唇を重ねあった。
-
- 61 : 2015/03/10(火) 23:15:19 :
唇を重ねて、どれだけの時間が過ぎただろうか。
たった一瞬だったのかも知れないが俺達2人にとってはとても長い時に感じられた。
顔を離すと彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「やーっと、してくれましたね?」
「……満足だよな?」
彼女ならまだ足りないと言いかねない。
「もちろんです!最高に嬉しいですよ!」
今まで見た笑顔の中でもトップクラスの弾ける笑顔。
見ている俺も自然と顔がほころんだ。
そしてとうとうその時がやってきた。
-
- 62 : 2015/03/10(火) 23:15:42 :
いよいよ彼女を包む淡い光が大きくなってきた。
「じゃ、お別れの時間ですね」
彼女の声にはもう震えは感じられなかった。
俺は未だに名残惜しさを感じていたが彼女の心中に比べればこの程度の悲しさなんて屁でもないのだろう。
「……楽しかったぜ」
「私のセリフですよ、それ。……本当に楽しくて幸せでした」
彼女は改めて俺に向き直る。
「短い間でしたけどお世話になりましたっ」
そう言って勢い良く頭を下げる。
「こちらこそ。……いつでもプリン食いに来てもいいからな?」
そう言うと彼女は驚いたような顔をして、笑った。
俺も釣られて笑ってしまった。
-
- 63 : 2015/03/10(火) 23:16:08 :
-
ふっと光の粒子が彼女から浮かぶ。
「それじゃ、さようなら」
彼女はニコッと笑いかけてどんどん薄くなっていく。
どうしてだろうか。
この光景をいつか見たことがある。
だがそれがいつなのか、何処でだったのかはさっぱり思い出すことが出来ないが今目の前で起きていることは夢ではない。
どんどん彼女は消えていっている。
彼女の目からは一筋の涙が零れていた。
何かを伝えようと口を動かしているがその声はもう聞こえなかった。
だが何と言っていたかは分かる。
『だ い す き』
彼女を失いたくない、思わず手を掴みに行ってしまう。
だが、その手はもうそこには無かった。
仄かな光だけがそこに残り、それも天へと昇っていった。
辺りは闇に包まれ、俺は1人立ち尽くしていた。
-
- 64 : 2015/03/10(火) 23:16:41 :
そして、俺の家の前から桜は無くなった。
今までの喧騒は何処へやら、すっかり静かになってしまった。
あの桜だけがシンボルだったこの辺りは何もなくなって寂れてしまった。
あの日から一週間、もちろん彼女も来なくなっていた。
俺は今までの大学に行って帰ってという無気力な生活に戻っている。
そこまで楽しい事もないが別段、嫌な事も起きてはいない。
いわゆる日常、何の変哲もない日常だ。
-
- 65 : 2015/03/10(火) 23:16:59 :
だが今日は朝から忘れ物をしたり、何も無いところですっ転んだりと何だかついていない。
「はぁ……今日はついてなかったなぁ」
ぼやきながら家路を辿る。
家の前に来てもあの桜はもう無い。やはり何処か寂しい気分になってしまう。
なんて余所見をしながら歩いていたら家の前で転んでしまった。
「っつぅ〜……!」
今日は朝から転んでばかり、まったく不幸な日だ。
すると不意に上から声をかけられた。
-
- 66 : 2015/03/10(火) 23:17:32 :
「だっ、大丈夫ですかっ……くっ……ふふっ……」
笑い混じりの聞き覚えのある声が聞こえる。
「………うるせっ、笑うなら思いっきり笑えよ」
「じゃ、お言葉に甘えて……あははっ!将也って本当に面白いね!」
待ち望んでいたその鈴のような声音。
誰よりも好きな彼女の声だ。
「そうだ、プリンがあるぞ。食うだろ?」
彼女はそのとびっきりの笑顔で頷いた。
「うんっ!甘いの、大好きだよっ!」
──────例え何度散ってしまおうとも。
──────桜はまた、咲き誇る。
「将也、大好きっ!」
零レ桜 fin
-
- 67 : 2015/03/10(火) 23:23:29 :
- あとがき
桜は好きですが昔桜の木から毛虫が降ってきたので安易に近づかないようにしてます。
途中グダったのが非常に心残りですね。
でも桜ちゃんは初めて挑戦するタイプの女の子でそこだけは楽しかったです。
読んで下さりありがとうございました。
-
- 68 : 2015/03/15(日) 20:06:28 :
- 面白い
-
- 69 : 2015/03/16(月) 02:15:46 :
- 面白かった。
- 著者情報
- 「恋愛」カテゴリの最新記事
- 「恋愛」SSの交流広場
- 恋愛 交流広場