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あの日の僕らは
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- 1 : 2016/08/27(土) 10:47:08 :
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「指切り、げんまん」
何故だろう。
「嘘ついたら、針千本飲ます」
何故なのだろう。
「指切った!」
声が重なって、はじけた。
なんでだろう。
あんなに、忘れないと心に強く願ったはずなのに。
あの日の僕らは、あんなに願ったはずなのに。
交わした約束は、忘れないと。
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- 4 : 2016/08/30(火) 12:20:54 :
風を切って進む車道には、車の影は一切ない。蝉の声がやけに五月蝿い。それでも今日は涼しかった。低気圧が近づいているのだろうか。梅雨はこの間明けたのだから、しばらく晴れてもばちは当たらないはずだ。
私達の学校は、住宅街から少し離れた、まわりを木で囲まれた場所にある。それ故に街の喧噪はここまで届かずに、どこかで消え去ってしまう。
夏の風が、校庭に乗り込んだ自転車を揺らす。校門のすぐそばにある駐輪場を見やると、もうすでに自転車が4台停まっていた。どうやら今日は先客があるようだ。
急いで自転車を停め、校舎裏に向かう。『いつもの場所』には、案の定私以外の4人がもうすでに座り込んでいた。
「今日は早いんだ? まだ8時だよ」
「おう、加奈。おはよう」
よっす、と手をあげて返してくる楓。楓は強引でマイペースだから昨日もビリだったのだが、今日は負けまいと早く来たらしい。余裕の表情を浮かべているが、心底ほっとしているのだろう。
「みんなは朝ご飯食べた?」
「加奈は食べていないの?」
私が訊くと、さやかがツインテールを揺らしながら首を傾げた。どうやらみんな朝ご飯を取ってから来たらしい。頭の回転が早く鋭いさやかには嘘はつけまい。私は力なく首を振る。
「いやぁ、私料理とか弱いから……食べてきてないんだよね」
「まあそれは仕方ないんじゃないのか。私も自分で調理したものを食べてきたし、さやかも賢斗もそうだからな」
鞠莉が行儀悪くスカートのままあぐらをかいている。男勝りでミステリアスに見えるが、親しくなってみるとさばさばした性格で話しやすい、家庭的な女性だ。
「……でも、楓は例外だよね」
賢斗がおずおずと言い出す。秀才で学年でも上位の賢斗だが、やはり目立ちたがり屋の楓を目前にすると持ち前の引っ込み思案が顔を出してしまうらしい。
「あ、まあな。ほら」
楓がまんざらでもない様子で菓子パンの空き袋を掲げた。
「鈴木くん、また万引きしたわけ?」
「いいじゃねえか、誰もいねえんだから」
「そういう問題じゃないでしょ。ここがどれだけ裏側の世界だったとしても、万引きは万引きなんだから」
「あー、はいはい、学級委員さんはおせっかいっすね」
料理のできない楓はコンビニなどから食糧をかっさらって生活している。確かに取り放題なのだから料理のできない加奈もそうすればいいのだが、罪悪感と臆病さが募ってなかなかできることではなかった。
「そんじゃ、加奈。罪悪感でもあるんだったら家に戻って財布持って学校こいよ。朝飯抜きなんだったら昼飯は食っとかなきゃやべぇだろ」
「腹が減ったら戦はできない、というしな」
珍しく鞠莉が楓の言葉に同意する。私は少し嬉しくなって、元気よく頷いた。
「それで、話変わるけど」
楓がまた切り出した。
「あれからなんか思い出した? なんか、手がかりとかでもいいから」
いつもいつも、楓が問うことは同じだ。私の答えも、他の4人の答えも同じ。
「私は……だめだったなあ」
「僕も思い出すことはないや」
「私も、特になしだ」
私に視線が集まる。
「……ごめん、私もない」
「まー、しょうがないよな。何にも手がかりがない中で、忘れた『約束』を思い出せって言われたって、ただの高校生なんだから、天才じゃない限り無理だろ」
容赦ない楓の発言が、沈黙を突き刺して凍らせる。
「……とりあえずこれで今日は帰ろうぜ。加奈は財布持ってもう一回来いよ」
「ん、わかった」
鞠莉が最初に立ち上がり、さやかと賢斗も次々に駐輪場に向かっていく。
私も歩き出そうとする。
「あ、加奈。ちょっと」
まだ立ち上がっていなかった楓が、徐に私を呼び止めた。
「何? 楓」
「集合場所、購買な」
親指を突き立てて、楓が得意そうに言った。
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- 5 : 2016/08/30(火) 13:37:48 :
私の家は学校からほど近い、住宅街の中にある。私はその中の道を、迷路のような排水溝をかいくぐって進むネズミのように、止まることなく進んでいく。私以外にこの辺に人はいないから、少しスピードを出しすぎても平気だ。
勿論、ここは本来住宅街であり、本来なら沢山の人が溢れているような場所であるのだがーー。
私は家の前に自転車を停め、見慣れた玄関をくぐる。
「ただいま」
家にも、誰もいない。
本来も父は仕事に行っているからいないだろうが、幼稚園にあがる前の妹も、それを世話しているはずの専業主婦の母も、いない。
なぜなら、ここが、裏側の世界だから。
心地よい音を立てて2階にあがり、変わりない自分の部屋の扉を開けた。机の上に放り出されていた財布をつかみ取り、鞄に押し込む。
私達が裏側世界の存在を知ったのは、1ヶ月弱ほど前のことだ。裏側世界のことを知っている表世界の人間はいない。私達も当然、知らなかった。
日常ではふれあうことのできない、裏側世界。
声や存在は表世界からは見えないのだから、私達5人は基本やりたい放題だ。まあ、さやかなどは表世界のときと変わらず、規則正しい生活を送っているようだけれど。
財布を入れた鞄を自転車の籠にいれ、全速力で漕いだ。歩くとかなりの距離だが、自転車ならばすぐに到着することができる。
見慣れた校舎に入り、購買へ向かう。校舎は廃墟のごとく静まり返り、不自然についた蛍光灯だけがぼんやりと浮かび上がっている。表世界ではこの時間、授業が行われているだろうが、表世界から裏側世界は勿論見えず、それと同じ様にこちらからも向こうは見えない。
地下一階にある購買へと階段を下る。吹き抜けを取り囲む様にして作られた各フロアに、私の足音だけがひたすら響いていた。誰にも聞いてもらうあてのない、淋しい足音が。
購買に入った瞬間、私は立ち止まった。
「あ、加奈」
その声に、思わず顔をしかめてしまう。
「床に座るのはさすがにやめなよ」
「だって食べる場所ねんだもん」
楓が手にいっぱいのパンを抱えて、こちらを向いていた。
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- 6 : 2016/08/31(水) 18:37:00 :
「楓、私も思ったんだけどさ」
「何が?」
床に座り込んだ楓は焼きそばパンをほおばりながら、こちらにサンドイッチを投げてくる。落ちる直前、間一髪でつかみ取って袋の値段を見ると、110円。レジに小銭を置き、楓の隣りに座った。
「裏側世界だからって、商品をぶんどるのはどうなんだかね」
「別に良くね」
早速次のメロンパンに入った楓は鞄の中を漁り、あんぱんを取り出す。
「だって、俺たちは好きでここに閉じ込められてるわけじゃないんだぜ。1つくらいこうやって利点がないと、なんかなーって感じしねぇ? てか、俺初めて購買のメロンパン食ったけどうまいな」
はあ、と相づちを打つ。同じクラスメイトだったが、一緒にここに閉じ込められるまで私は楓のことを良く知らなかった。ただの目立っている男子。それは楓も同じだろう。
この世界は、人こそいないが場所と状態は表世界と同じだ。だから毎朝購買に食べ物が用意され、昼になると次々それがなくなっていく。人がいないだけで、ものは同じ。それをいいことに、楓は購買だけにとどまらず、コンビニやスーパーなどで食糧を補充ーー正確に言えば食糧を万引きしているのだ。
「だいたいさぁ、学生ってのは裕福じゃないかわり、腹が減るんだぜ。人に見つからなきゃ、食糧を取ってみたくもなるもんだろ? バレなきゃ犯罪じゃないんだしさ」
「そりゃそうだけど、5個はやりすぎだと思うなー」
サンドイッチのパッケージをぺりぺりと剥がす。レジに110円置いてきたから私の罪悪感はまだ拭えたものの、楓に罪悪感がないというのも変な話だ。
「5個くらい普通だろ。そうやってお前もサンドイッチ食えてるんだぜ? 感謝しなきゃだめだぞ」
「いや、私はあのあとお金払ったし」
メロンパンとあんぱんを口に入れ終わり、最後にとっておいたらしきコロッケパンを食べ始める楓。黙っていれば格好いいのに、なんなのだろう、このギャップは。
「……なあ、加奈」
コロッケパンを貪る楓の視線は、遠くを見ている。
「俺、思うんだけど」
「……どうしたの? 深刻そうな顔してさ」
「いや」
パンを口に運ぶ手が止まる。その間に私はサンドイッチを口に詰め込んでしまった。
「……俺さ、ここから出られなくていいとか、ちょっと考えちゃうんだよ」
鞄の中には、無数の空き袋。
「俺たち、表世界じゃ全く共通点のない、ただのクラスメイトだっただろ? でも、それが、こんなふうに一緒に飯食ったり、毎朝会って話したりさ」
そこまで言って気恥ずかしさが勝ってしまったのか、楓は突然コロッケパンをヤケ食いし始める。目にも留まらぬ早さで、コロッケパンは手の上から消失した。
「……あー、悪ぃ、変なこと言っちまったな」
「ん、別に変じゃないと思うよ」
立ち上がった楓が驚いたようにこっちを見る。私もサンドイッチの袋を鞄に押し込んで、立ち上がった。
「私も、同じこと思ってるんだ。別に焦る必要はないよ。なかなか楽しいもんね」
「お、おう」
まさか私がこんなことを言うとは思っていなかったのかもしれない。楓はそそくさと視線を逸らし、鞄を持ち上げた。私もそれに習う。
「どう? 腹は膨れたか?」
「うん、まあおかげさまで」
「とりあえず朝飯は食っとかなきゃだから、絶対食えよ。明日も」
「うん、ごめん。ありがと」
んじゃな、と颯爽と去っていく楓。手を振りながら、私は考える。
ーー私達は、いつかここを出なければならないのだろうか。
ーー『約束』とやらを探し出さなくとも、いつか裏側世界から出ることになるのだろうか。
地下1階にある購買を出ると、そこには広い吹き抜けが広がっている。
チャイムが鳴った。
声も、何も、聞こえない。
教室から出てくるはずの生徒達の喧噪も、足音も。
静かなのだ。
裏側世界は、静かだ。
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- 7 : 2016/08/31(水) 18:48:45 :
「……ここ、だよな」
「うん、そうだよ」
「ついに、来ちゃったんだね……」
蝉の声が、五月蝿い。
頭上には入道雲が、どこまでも澄んだ空の上に座っている。生温い風が、私のポニーテールを一回、ふわりと持ち上げた。見慣れない石畳に、5つの足音が響く。
「そんじゃ」
「うん」
手を合わせ、目を瞑る。目の前に立っていた墓が、ゆっくりとフェードアウトする。
ーーーーーーーー
ーーーー
「……っ」
目を覚ました。周りにはいつもと変わらない、見慣れた壁、机、棚。家族達の騒がしい声はしない。どうやら今日も、裏側世界での生活が始まるようだ。
今日も、同じ夢を見た。
裏側世界に閉じ込められたその夜から、いつも見る夢は同じだ。私達5人が炎天下の中、誰かの墓の前に立ち、手を合わせる夢。手を合わせたところで、いつもその夢は終わる。とても短い夢だ。
時計は午前7時を指している。箪笥から制服を引っ張りだし、ゆっくりと着替えた。
裏側世界にいるのは辛い。表世界の人間達の世界から私達だけ抹殺されていると考えると、心が握りしめられて、いつしか汗が出てくる様になる。でも、学校がないのは1つの大きなメリットだった。それを感じているのか、楓はやりたい放題やっている。
ーーーー俺さ、ここから出れなくていいとか、ちょっと考えちゃうんだよ。
確かに前向きに考えれば、この世界ほど私達にとって充実しているものはない。言ってみれば透明人間のようなものとして生活しているのだから、本当に何をやっていても許される。
……それに、1人じゃない。必ず、仲間がいてくれるから。
楓はきっと、それを言いたかったのだろう。全く素直じゃない奴だ。
頬を緩ませていると、突如インターホンが鳴った。
「あ、はい!」
慌てて制服のボタンを留めて、玄関へと走り出す。恐る恐る開けてみると、噂をすればそこには楓が自転車とともに立っていた。コンビニのレジ袋を私の目前に掲げている。
「よ、朝飯食ったか?」
*******
「朝飯は食えって言ったはずだよな」
「だって朝ってばたばたしてるし、忘れちゃうでしょ」
「朝飯は忘れないだろうが!」
楓が私の方を向いて怒鳴る。2人乗りの自転車は小さい子供が運転しているかの様にぐらりぐらりと揺れ動いた。
「あっちょっ、前向いてよ!」
「あ……悪ぃ」
「楓、2ケツなれてないんでしょ?」
道路には車も自転車も、私達の他には何も走っていない。ただただ、山の稜線がまだ白んでいる青空が綺麗に広がっているだけ。そろそろ学校に向かうであろう、地元の小中学校の生徒達の笑い声も聞こえない。静かだ。
「……別に」
「あ、まさか図星系?」
「お前に言われたかねぇよ」
不自然な朝の沈黙に、後ろに私を乗せて不器用に自転車を漕ぐ楓の声と、かさりと音を立てるレジ袋の音だけが響く。
「あ、あれさやかじゃない?」
「え? ああ」
慣れない2人乗りに余裕がなくなってきたらしい楓の、適当な返事が返ってくる。私はバランスを取りながら背を伸ばし、逆方向からやってくるさやかに大きく手を振った。
「おーい! さやかぁ!」
「馬鹿! バランス崩すだろ!?」
「大丈夫大丈夫!」
さやかも気づいて手を振り返してくる。校門の前で自転車が止まった。自転車から飛び降り、さやかのところへ駆け寄る。
「おはよう!」
「加奈ちゃん、おはよう。今日は鈴木くんと一緒なのね……って、大丈夫?」
よほど疲れたらしく、楓は息を切らしている。その音さえも、今は何か大切なもののように聞こえた。他に、何も聞こえないから。
静かなのは、嫌いだ。
「バッカじゃないの楓、ほら、早く行くよー!」
つられてさやかも笑い出す。楓が汗を拭いながら顔をあげた。満面の笑みが広がっている。
ああ、
私が聞きたかったのは、ずっと聞かせてほしいと思っていたのは、
この、笑い声だ。
木の間から朝の光が差し込み、私達を照らしている。
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- 8 : 2016/09/04(日) 15:24:18 :
「さんきゅっ」
賢斗が空に放られた袋を両手で受け止める。中身はカツサンドのようだ。鞠莉はいつものように豪快なあぐらをかきながら、無心にチョコクロワッサンを頬張っている。
「お前にはサンドイッチ」
「ありがと。今日は全員分買って来たの?」
「まぁな。賢斗が加奈だけコンビニのやつだと淋しいから、これからは全員でこうやって食べようって。俺としては割と手間がかかる……」
「賢斗、ありがとう」
「……あ、いや僕はその、……どういたしまして」
カツサンドを飲み込みながら、賢斗が小さく言って微笑んだ。
後ろで楓が最後まで聞けと喚くのをBGMにしながら、私はサンドイッチを取り出し、おにぎりを2つさやかに渡した。レジ袋は空になったかと思われたが、楓の分らしきパンが……6つある。
「それで、お前ら」
絶句しながら硬直する私をよそに、鞠莉が話を切り出す。さやかが賢斗の隣りに腰掛ける。私も鞠莉の隣りに座った。楓がしゃがむのを待って、鞠莉は続ける。
「何か、思い出したか。その、『約束』とやら」
食べる手を止めているのに誰も何も言い出さないということは、今日も何も収穫がない、ということなのだろう。私は微妙な気持ちで隣りに座る楓を見る。
楓はただただ、右手のレジ袋を見つめていた。
「……そうか、なら、いいのだが」
鞠莉が心底がっかりした様子でチョコクロワッサンをまた口にいれる。さやかが鞠莉の言葉を引き継ぐ様に、ゆっくりと言う。
「本当に……なんでも、いいの。まだ私達、クラスメイトだっただけだから、お互いのことあんまりわかってないじゃない。だから……この5人で何かしたこととか思い出しただけでも……」
松田加奈、鈴木楓、島内さやか、桐山賢斗、渡辺鞠莉。
ムードメーカー、人気の男子、学級委員、秀才、一匹狼。
私達はただの、クラスメイトだった。生活を共にするグループも、性格も、頭の良さも、何もかもが違った。本当にただのクラスメイトだったのだ。
それが突然こんなところに5人だけで放り込まれて、かろうじて仲良く生きている。どこに共通点を見いだせばいいというのだろう。誰から見ても、こんなバラバラの5人が、何か1つの約束をしたとは思えまい。
この5人。
この、5人でーーーーー。
「夢……」
気がつけば私の口からは、その言葉が飛び出していた。
「夢?」
さやかが不思議におうむ返しする。
「夢を、見たの」
脳天に降り注ぐ炎のような日差し。白い白い、入道雲。私の前にそびえ立つ、墓。
「すごい……すごい暑そうな夏の日に、私達わざわざ出かけてた。勿論、この5人で。行った場所は」
躊躇った。流石にこれは不吉なのではないか。
私の喉から、掠れた一言が飛び出し、草の上に落ちた。
「……墓地」
墓地、と言った瞬間に、鞠莉の瞳が揺らいだ。その言葉に敏感になるのは、賢斗も、さやかも、楓だって同じだろう。
「私達、5人で1つの墓の前に立って、5人で手を合わせてた。刻まれた名前とかは見えなかったけど……裏側の、この世界に閉じ込められてから、いつもその夢を見るんだ。必ず、寝る時にーーーーー」
「僕たちの大切な誰かが……死んだ、ってこと?」
私が言い終わる前に、賢斗がそう、呟いた。
「賢斗。まだ、そう決まったわけじゃ」
「でも……そうとしか、考えられないよ」
珍しく賢斗が饒舌に、語りだした。
「僕たちは何かしらの呪いみたいなものにかけられて、ここに落ちてきた。でも、絶対に出られないってことはないはずで、何かしらのヒントがあるんだよ」
「そのヒントが、加奈が見た夢だっていうのか?」
楓が身を乗り出す。
「そう、……じゃないかな」
「ねぇ」
さやかが突然叫んだ。
「私達は確かに、高校で初めて出会ったのよね?」
「ああ、そうだが」
「だったらさ」
こんなに興奮しているさやかは初めて見る。きっとよほど凄い考えが思いついたのだろう。
「……学校を、調査してみればいいんじゃないかな。いつ、どこで、何が起きているのか」
まだ、私達の『約束』が何かわからない。それでもさやかの目は、確信に満ちている。
太陽は南に昇り、青空を浮かび上がらせていた。
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- 9 : 2016/09/09(金) 20:33:22 :
埃だらけの床に、ワックスの匂いが染み付いている。真っ赤な夕焼けが、私達とこの学校を包み込んでいた。
「おい、加奈! お前が言ってたのってこれだろ?」
後ろから声がする。振り向くと、大きな寝袋が5つ……ではなく、寝袋を沢山抱えた楓が入り口で立ち止まっている。
「あぁ、それ。よく1人で持ってきたね」
「これくらいお易い御用……っとうわぁぁっ」
「ぎゃあっ!」
入り口近くの壁を雑巾で拭いていた賢斗が見事に巻き込まれる。崩れ落ちる音の中で、何やってるんだよー、と呆れた鞠莉の声が外から聞こえた。
古いこの学校の校舎で、唯一使われていない部屋。それが、ここ、旧生徒会室だ。ワックスは塗ってあるものの、利便性の問題で今は職員室の近くの空だった倉庫が生徒会室として使われている為掃除が全く入っていない。
「加奈お前、何ぼけっとしてんだよ。まさか大掃除さぼってたなんてことはねぇだろうな?」
時刻は、5時。校庭から運動部のかけ声が聞こえる。
「加奈?」
ああやって、前は私も、部活をしてたのにな。
「加奈、どうした?」
同輩達も、もう私のことなんてーーーーー。
「加奈! おい! 聞いてんのか!?」
楓の声が、私の耳を切り裂いた。顔をあげて振り向くと、5つの寝袋が重なりあった隙間からしかめっ面が覗いている。あまりにも真剣なその表情に、私は吹き出してしまった。
「お、おいっ! 人が心配してやってんのに、何笑ってんだよ!」
「あははっ……だっておかしくて……ごめん」
止まらない笑いを必死に堪えながら、私は顔を真っ赤に染めて怒っている楓を見やる。4人の笑顔に励まされているのは、私のほうだったりするのかもしれないな。
「鈴木くんは早く寝袋片付けて! 自分でやったんでしょ!?」
「ああ、悪ぃ悪ぃ」
床を拭いた雑巾を洗っていたさやかが急いで舞い戻ってきて、床に寝転んだままの楓に喝を入れる。楓が起きた反動で、重なっていた寝袋達が床に落ちた。それを器用に乗り越えて、賢斗が雑巾を洗いに教室を出ていく。
さやかの提案で学校を調査することが決定したわけだが、更に学校に泊まってはどうかという案が出て、今私達が大掃除をしているというわけだ。主に楓や賢斗のドジによって本来の目的が見失われていると思うのは私だけなのだろうか。
「ふぅ、かなり片付いたな。段ボールとかも結構倉庫にしまったし」
鞠莉が腕で額の汗を拭う。男よりも男らしい彼女に常に頼ってしまうのが現状で、この大掃除だって指揮をしていたのも主な作業をしていたのも鞠莉だった。
「なんかごめんね、渡辺さん。色々任せちゃって」
「大丈夫だ。私もこういう細かい掃除とかは好きなほうだからな」
「よかったぁ」
さやかがほっとしたように胸をなで下ろす。私が今いるところから見ただけでも、旧生徒会室はまるで日常的に使われているかの様に大きく様変わりしていた。これを鞠莉がほとんどやっているというのだから、かなりの力だ。
「鞠莉もさやかも、賢斗も、お疲れ」
「お前マジ何もやってねぇだろうが」
「あんただけには言われたくない」
「でも、机とかも持ってきてここで調査が進められるんだから、最高のコンディションだよね。……なんかこういうのって、僕は楽しい」
賢斗が洗い終わった雑巾を窓の手すりにかける。そうだね、とさやかが微笑んだ。
「さて……かれこれ何時間も掃除してきて、昼食も抜いてたわけだ。ここはとりあえず、一息つこうじゃないか、何か食べながら」
鞠莉が言い終わると同時に楓に視線を移す。私達も自然に楓を見た。
楓は元気に親指を立てる。
「まっかせろって!」
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- 10 : 2016/09/09(金) 20:35:11 :
「これ……家庭科室から持ってきたコーヒーカップ」
「ふぅん。洒落たものがあるもんだな」
賢斗が持ってきた装飾付きのコーヒーカップを品定めする鞠莉をよそに、私とさやかは二人掛かりで机や寝袋のセッティングをしていた。
「……なんだか、林間学校みたいになっちゃってるよね」
さやかが唐突に口を開く。
「確かに! 高1、の時だよね」
「そう。あの頃は本当に、勉強なんて何も考えていなかったから……」
がたがた、と机を合わせる音が響いた。
「さやかはいいじゃん、頭いいんだから。私と楓なんて、あの遊び人の担任が気楽にやりゃいいんだとか言ったから相当馬鹿だよ」
「私もひやっとしたよ。あの先生がこれから高3まであんな感じで教えてくるんなら、もう勉強なんてできやしない、って」
私達の学校では、クラス替えがないため、担任も必然的に高3まで変わらない。すなわちクラスも担任も、全て高1のときの運にかかっているというわけだ。
「あの先生、今はどうしてるのかね」
「たなちゃん、って言ったっけ。本名は、確か、」
頭が真っ白になった。
「ーーーーーッ!?」
「あ、私本名ど忘れしちゃったみたい。なんかよくわかんないけど、クラス全員がたなちゃんって呼んでたからなのかな……」
「……思い、出せない」
「どうしたの?」
賢斗が能天気に訊ねてくる。
思い出せない。
高1から私達を世話してくれていた担任の名前。
私はなんだかんだ、あの先生が好きだったはずだ。
いや、違うんだろうか。
そう思うのは、ここが裏側世界だからなのだろうか。
「思い出せないんだよ。私達の担任の名前。大切なはずの、私達の、あの担任の名前」
「たなちゃんだろ?」
鞠莉がコーヒーカップを机に置く。
「たなちゃん、なんだけど。本名が思い出せないの、どうしても」
「……確かにな。なんだろう、私なんかは普通の名前で呼んでいたのにな」
「僕も、だよ。思い出せない。その、……たなちゃん……先生の名前」
おかしい。おかしい。
突然焦燥感に駆られた。
『思い出せ』
心を握りしめられる。
『思い出してくれ』
握り潰される。
『お願いだから、忘れないでくれ……』
「……さやか」
「何……?」
「私達、あの先生のこと好きだったよね。嘘じゃ、ないよね。忘れるはずなんて、ないよね」
「……そうね。担任の名前を忘れるなんて、ないことだもの。よりによって松田さんが忘れるだなんてね。鈴木くんだったら覚えてるかもしれないけど」
もう、もう。
私は何を信じたらいいんだろう。
なんで担任の名前を忘れただけで、私はこんなにも必死なのだろうか。わからない。何もかもが。何もかも、わからない。
教室を飛び出して、廊下を駆けた。上履きが鳴るのも、さやかが引き止めるのも、何もかもどうでもいい。夕焼けに雲がかかり始める。
ただ、私達の担任ーーー『たなちゃん』が何か関わっているのだろうということだけが、私の頭に芽吹いていた。
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- 11 : 2016/09/09(金) 20:57:51 :
一歩一歩踏みしめて、階段を駆け下りた。ぐちゃぐちゃだった。この階段は偽物で、全部私の悪夢で、全部嘘で、すぐに覚めるのではないか。この階段から飛び降りたら、私はまたあの、表世界のベッドの上で、何食わぬ顔で目を覚ますのではないか。
何も信じられない。信じたくもない。困った顔をするさやかも、能天気な賢斗も、真剣な顔の鞠莉も。担任の名前を忘れているという事実も、私がそんなことだけでこんなに焦っているということも。全て忘れてしまいたい。いっそ、夢であってほしい。
「あが……っ」
足が滑って、私の体は勢いよく階段を転げ落ちていく。地上から、地下へ。世界が回転している。すっかり曇った暗い空が、私1人だけを包み込んでいる。思わず目を瞑った瞬間、私は背中を地下1階の地面に打ち付けた。
「加奈!? 」
聞き覚えのある声と足音が近づいてきて、私の体を起こした。
「触んないで!」
思い切り手を振り払う。なんでだろう。なんでこんな声が出たのだろう。自分に驚く。
「あんたもどうせ……嘘なんだから。こんなの私が全部作った、夢なんだよ。幸せなんかじゃないんだよ。ただの呪いなんだよ。全部誰かの、呪いなんだよ……」
「は? お前、言ってることが支離滅裂だぞ」
楓の声で、まるで目が覚めたかの様な衝動に駆られた。私の呟いた『支離滅裂』な言葉達が吹き抜けを通り抜け、校舎内を自由に駆け抜けていく。
「……ごめん」
謝った私を、楓はどこまでも澄んだ瞳で見つめている。
*******
「お前のことだから、みんなと喧嘩したのか?」
「……それも、違う」
音を立てて揺れ動く菓子パンの袋。全く現実味がない。ふわふわと、私の視界もおぼつかない。目の前にいる楓でさえ、触れようとしたら透けてしまうのではないかと、怖い。
「じゃあなんなんだよ。言ってみなきゃわかんねぇだろ」
暗くなった外。自動でついた蛍光灯。
「……担任の……たなちゃんの本名、思い出せないの」
「……そうか」
揺れていた菓子パンの袋が、ぴたりと動きを止めた。楓もおそらく思い出せないのだろう。
「なんでだろうな。安易なことなのに。俺たちの大好きな、担任なのに」
「私がただ単にあだ名で呼んでたからかもって、最初は思ったんだ。でも、普通に呼んでいたさやかや鞠莉や賢斗まで、思い出せないみたい」
「そうか……俺もあだ名で呼んでたからなおさらだな」
楓の茶髪がかった髪に蛍光灯が反射して、キャラメル色に輝いている。特に職員室前はいつも明るい。大きな職員室にはたくさんの先生や生徒が押し掛ける。それを体現しているかの様にたくさんの蛍光灯がつけてあるのだ。
「……あ、そうだ。職員室見ればわかんじゃね、本名」
「確かに! ナイスアイデアじゃん、楓」
「天才だからな」
「それ自分で言わなければただのイケメンなんだけど」
うちの学校の職員室は無駄に広いため、入り口のところに地図が貼ってあり、そこに先生の名前が書いてある。もともとの頭の善し悪しもあってよく職員室に通いつめることになっていた私と楓だから、先生の机は嫌というほど覚えていた。
ガラスの扉がゆっくりと、わざとらしく開いた。
「……そろそろ表では、最終下校時刻なんだよな」
「うん……そう、だね」
職員室に足を踏み入れると、何かがわき上がってきた。楓も同じなのかもしれない、その証拠に会話が突然ぎこちなくなる。
毎日のように質問にいって、宿題を出していないせいで呼び出されて。それを繰り返して、自分の教室くらいなじみのあった職員室。空まで続く様に感じられる、吹き抜け。目が痛いほど光る、蛍光灯。
それらが目にしみて、私達の目を潤ませた。
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- 12 : 2016/09/09(金) 21:05:20 :
「……地図、これだよな」
貼ってある職員室の地図をなぞる右手が、心なしか震えている様に見える。
「たなちゃんのところは……こっち」
私も楓にあわせて人差し指で、いつもたどっていた道を指でなぞった。
「あ……れ」
『新村先生』
「にい……むら……先生?」
楓が困惑した様に呟いた。この名前のどこにたなちゃん要素があるというのだ。しかも私達にとっての共通ワードだったはずの担任の本名とは、明らかにかけ離れた感じがある。
堪らなくなって『新村先生』の机へ急ぐと、そこには限りなく数学の問題集がある。しかもとても綺麗に並べられている。この感じも、やっぱり違う。この人は、たなちゃんじゃない。
「だからって……俺たちが間違えるはずもないもん、な?」
「うん。クラスの中では1番って言っていいくらい、私と楓は職員室に来てたもん」
ものわかりのいいさやかや賢斗、あまり担任と話さなかった鞠莉はともかくとして、私達はクラスの中ではバカの分類で、テスト前なんかはバカだけで集まって先生に質問をしていたくらいだから、ここには愛着がある。先生の机の散らばった感じも、目に焼き付いている。
「……俺らには、わかんないよな。さやかとかにも訊いてみようぜ」
「あ、それがいいかも」
楓が素っ気なく後ろを向いた。そして歩き出した。答えのない問題を暗算でもするかのように。
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- 13 : 2016/09/09(金) 21:20:45 :
「……なるほど。たなちゃんではなく、『新村先生』……」
楓の話を聞いていの一番に声をあげたのは鞠莉だった。
「何か思いついたか?」
「いや。うちの担任は数学を教えていただろう。そこに知らない数学の先生が入っているんだぞ? 何か……何か共通点があるんじゃないか」
「僕たちが閉じ込められてから、それは起こったのかな」
賢斗も積極的に口を開く。
「僕たちは何もしらないわけでしょ。だとしたら……考えられるのは」
「転勤、とかかしら」
「転勤なぁ……」
さやかの言葉に楓が反応する。
「……なぁ」
「何? バカのくせにどうしたの?」
「お前が言う筋合いはない」
笑いながら制してから、楓は再び話しだす。
「俺たちが知らなかったって事は、『新村先生』はきっと非常勤講師だろうな。だとしたら、たなちゃん、かなり急に……」
「……転勤、だったら、急じゃないよね」
「私達がここに閉じ込められる前には、知らされているはずだよな」
「だとしたら……」
全員から血の気が引いた。
その気配を、私は感じ取った。
「うぐぁ……っ!?」
痛い、痛い。
頭が突然早鐘を打ち始めた。
「おい、加奈……?」
「ご、ごめ、」
『思い出せ……あと、少しだ……』
「誰、誰なの……?」
「松田さん、何言って……」
『お前らだったら、きっとできるだろう……?』
誰の声なんだろう。
低い、男の人の声。
「誰、ですか」
景色が揺らいだ。
歯止めがきかない。
「あなたが……」
「……加奈……っ!」
楓が慌てて立ち上がったのが見える。
ああ、消えてしまうんだろうか。
目が覚めたら、どうなっているんだろう。
「……たなちゃん、ですか?」
『そうーーーーーーー』
大きな衝撃とともに、視界が真っ暗になった。
-
- 14 : 2016/09/09(金) 21:36:23 :
「……来てくれたんだな」
「たなちゃーん! ……って、大丈夫? なんか透明な管みたいなのつけてんじゃん」
「こらこら、たなちゃんじゃないだろ」
か細い、笑い声。
「さやかが行こうって言うんすもん」
「えっ!? あ、私は……別に」
「いや、さやかのおかげだな。クラスからお見舞い人員を募集してくれたのはさやかのアイデアだ。ここに来れたのもさやかのおかげだ」
「……そう、ですね。島内さんはやっぱり頭いいんです」
管が鼻からのびている。
「なんかこうやってみると、たなちゃんじゃないみたいだな」
「先生、結構痩せたでしょ? 授業に復活できるの?」
あはは、と乾いた笑い声を上げて、たなちゃんは笑う。
「大丈夫だよ。数学をこれで教えられなくなるなんて、ありえないからな」
「えー? マジで? 数学嫌い」
「ちょっ、松田さんそんなこと……」
慌てるさやか。
透明な管。
痩せた体。
見慣れない寝間着。
目の前にいるのは、たなちゃんなのだろうか。
「まーたまたそんなこと言って。先生、死んだら許さないからな」
鞠莉が胸を張る。
「渡辺さん、不謹慎不謹慎」
「俺は死なないよ」
ずっと笑っている。
たなちゃんは。
「……それ、本当ですね?」
「ああ、そうだよ。相変わらず桐山は疑い深いな」
「もし先生が死んだら、俺たちすぐに、墓参りすっからな」
「ちょ、楓のほうが不謹慎」
鞠莉に続いて胸を張る楓。たなちゃんはまた笑う。
「不謹慎だけど、嬉しいよ。お前らが俺のこと、そんなに想ってくれてるなんて」
「うわ、先生キモ」
「想ってますよ、誰でも」
さやかが目を細めて微笑む。
「私だって墓参り、行っちゃうんですからね」
「あ、そーだ、せっかくだしこの5人で行こうよ!」
「死ぬことが大前提だぞそれ」
鞠莉が突っ込むと笑いが起きる。
「約束しよう?」
私が差し出した細い小指に、楓の小指が巻き付いた。さやか、賢斗、鞠莉。
そして、棚田先生。
「指切り、げんまん」
何故だろう。
「嘘ついたら、針千本飲ます」
何故なのだろう。
「指切った!」
声が重なって、はじけた。
なんでだろう。
あんなに、忘れないと心に強く願ったはずなのに。
あの日の僕らは、あんなに願ったはずなのに。
交わした約束は、忘れないと。
ーーー棚田先生のことは、忘れないと。
-
- 15 : 2016/09/09(金) 21:51:03 :
「……加奈、加奈」
楓の声がする。
「……ふぁっ!?」
「おいおい、大丈夫かよ」
心なしかその瞳には、哀愁が漂っている。
「……蝉、五月蝿いね」
「ああ。いつ終わるんだろうな、夏ってもんは」
私達の前に広がる、青い空。
入道雲。
むかつくほど五月蝿い、蝉。
それらが何か懐かしく感じられるから、夏は不思議だ。
*******
「……たなちゃん、やっぱ死んだんだな」
私が思い出した夢のことを4人に語ると、今度は始めに楓が呟いた。
「今の加奈の夢は本当だろうよ。たなちゃんは棚田先生。……先生はなんらかの病気を患っていて、……死んだ」
空気が凍り付いた。
「……それで非常勤講師の新村ってやつが、代わりに私達の担任に入っているんだろうな。表世界とやらの教室では」
「おそらく、そうだな」
蛍光灯の明かりが私達をはじく様にぶつかってくる。
「……棚田先生、亡くなってたんだ」
さやかが拳を握りしめたのがわかる。さやかは先生のお見舞いをするというアイデアを立てた張本人でもあり、先生と生徒をつなぐ架け橋、学級委員でもある。ただの生徒である私達からはその苦労と思い入れは計り知れない。
「なんでそんなこと……忘れちゃってたんだろう」
「……だからそれが、『約束』だからだよ」
賢斗が私達を見据えて喋りだす。
「僕たちはとある『約束』を思い出すため、こちらの世界に閉じ込められた。その約束は、松田さんが今話してくれた通りの……『棚田先生の墓参りに行く』ってことなんだよ」
「『棚田先生』っていう部分が約束に入っていたから、本名を思い出せなかったんだろうな」
だとしたら、辻褄が合う。
ーーーーー合ってしまう。
表世界では、先生のことはみんな忘れて、新しい担任に数学も教わっている。表に戻ってしまったら、裏側のことは全部忘れて、……棚田先生のことも、忘れてしまうかもしれない。
「……明日だな」
楓が一言一言、噛み締める様に言った。
「……今日が裏側、最後の夜になるはずだ。心して準備しておけ」
そう言って寝袋に入る楓をよそに、私達4人は円になったまま、しばらく固まっていた。
棚田先生が死んだことが、信じられなくて。
それと同時に、帰れるということも信じられなくて。
胸にぽっかりと穴があいた様な虚無感が、私の心を襲っていく。
-
- 16 : 2016/09/09(金) 22:07:21 :
*******
「こうやって5人で並んでチャリ漕ぐことも、もうないかもしれないんだよな」
「哀しいこと言わないでよ、楓」
「それもそうだよな。私達は表では、実質ただのクラスメイトだったわけだ。さやかのもとに、お見舞いにいきたいと集まっただけの有志」
「だとしたら、ここのことは全部、忘れちゃうことになるんだよね。それは僕も哀しい」
地元の墓地の駐輪場に乗り入れて、並んで自転車を停める。鍵をかけて顔をあげる。
「……さやか!」
鞠莉が突然叫んだ。
「……泣かないって、言ったじゃないかよ!」
「だって……っ……なんで……どうしてっ……」
さやかは自転車を停めるのが精一杯で、そのままアスファルトに崩れ落ちた。
「……嫌だよ……戻りたい……ねぇ……っ」
「決めたことじゃないかよ……」
鞠莉の足下に、涙が点々と跡を作る。
「今から戻ろう……表に戻りたくない、棚田先生がいないだなんて」
「それも、そうだけど、……」
賢斗が言葉に詰まって、鼻を啜る。
「お、おい、お前ら、何泣いてんだよ。仕方ないだろ。帰らなきゃならないんだから。だいたいずっと5人でいいのかよ」
はっ、と私は顔をあげる。
楓。
「そりゃ、俺だってさ……」
泣いている。
だめだ。このままじゃ。
弱い私達のままで、終わってしまう。
「……ねぇ、たなちゃんは私の頭の中に、なんて言ってたと思う?」
「……え?」
さやかが聞き返してくる。私は息を吸って、叫んだ。
「『思い出してくれ』」
4人が目を見開いたのがわかった。
「そう言ってたんだよ。たなちゃん、私達に表へ帰ってほしい。だから私に何度も囁きかけたし、私も思い出すことができたんだよ」
「加奈……」
「だからさ、お願い」
4人の涙に濡れた顔を見渡した。
……だめだ、私が泣いちゃ、いけない。
「たなちゃんの言うこと、聞いてあげよう、最後くらい」
さやかが大声で泣き出した。つられたように鞠莉も嗚咽し始め、どんどん移っていく。
ーーーーーよかった。
たなちゃん、よかったよ。
私の頬を伝って、一筋のあたたかいものが、地面へと落下した。
-
- 17 : 2016/09/09(金) 22:13:02 :
『棚田家之墓』
古ぼけた小さな墓だった。太陽からの視線が、乾いた涙のあとにしみてくる。
「……ここ、だよな」
楓が確かめる様に、ゆっくりと私達一人一人の顔を見た。
「うん、そうだよ」
私の声には、何か混ざってなかっただろうか。
淋しさとか、何もかも、抜けてくれてただろうか。
「ついに、来ちゃったんだね……」
賢斗の声は震えている。そう確信できるほどに。
蝉の声が、五月蝿い。
頭上には入道雲が、どこまでも澄んだ空の上に座っている。生温い風が、私のポニーテールを一回、ふわりと持ち上げた。見慣れない石畳に、5つの足音が響く。
「そんじゃ」
素っ気ない鞠莉の言葉には、全てが詰め込まれている。
「うん」
5つが、重なった。
手を合わせ、目を瞑る。
目の前に立っていた墓が、ゆっくりとフェードアウトする。
-
- 18 : 2016/09/09(金) 22:21:09 :
「加奈ー、加奈ー?」
いつメンの声にはっと目が覚める。
「だいじょーぶー?」
「うおおおお!! ごめん!」
びしっと敬礼してみせてから、クラスをもう一度見渡した。
何か、引っかかる。
男子の喧噪、本を読みあさる一匹狼、地味な男子のグループ、勉強会を開き始める秀才女子達。
なんだろう。
「加奈? どうかしたの?」
「いや……なんか引っかかってさ」
「例えば?」
「あそこにいる、鈴木楓、とか?」
輪の中で笑う鈴木と目が合った。顔が赤くなっていくのがわかる。
「もしかしたら、恋じゃなーい?」
「えっ!? 別に、そんなんじゃ……」
「なぁ、松田」
「ひぇっ!?」
鈴木が近寄ってくる。
一匹狼がこっちを向く。地味系男子も、学級委員の島内さんも。
「聞きたいんだけど、俺たちさ」
茶髪。
菓子パン。
レジ袋。
購買。
「ーーーーーどっかで、会った?」
《了》
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- 19 : 2016/09/09(金) 22:21:48 :
- 終了です。
死なせていただきました。
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