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ササノハナ
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- 1 : 2015/06/26(金) 22:37:45 :
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登場人物:
高遠敬之――今作主人公。高校二年生、ミステリー研究部所属。
音無千代――ミステリー研究部現部長。三年生。怪文を残し死亡。
久保田謙吾――恋人の失踪後長期欠席。留年し、再び三年生をしている。
青木加奈――謙吾の恋人で千代の親友。三年生。去年の七夕に失踪。
※本作には童謡『たなばたさま』の詩を一部引用させていただいております。既に著作権の切れた詩で問題はないと思われますが、何かありましたら教えていただけると幸いです。
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- 2 : 2015/06/26(金) 22:39:41 :
- 「なあ」
ミステリー研究部の部室で作り物の笹に短冊をぶら下げながら、かつては三人いた先輩のうちの一人、部長である千代先輩は戯けた調子で言った。
「今日、笹の花が咲いたんだよ。学校の花壇のところにあるやつだ」
その翌日の未明、つまり七夕の日の朝。千代先輩は遺書にもとれる怪文を残して自殺した。
『
遺された部員一同へ。
私はこれより織姫の崖へ行くつもりだ。みんなも知る通りあの崖は表向きは夜空が綺麗なデートスポットだ。
しかし裏の情報では有名な自殺の名所で、自殺なのか殺人なのかわからない事件が何度も起きている。だが私は今回、その調査以上にやりたいことがあってあの地へ向かう。
運が良ければこの文章は誰にも読まれず私自身が処分するが、最悪の場合私はあの崖より落ちた数多の先人たちと運命を共にするだろう。
だからこれを残す。万一のことがあったなら正しい心の持ち主が謎を解き明かしてくれ。くれぐれも安全なところでやってくれよ。
暗号は(不在3.‘止めや’K月あぎ)だ。
()は便宜上つけただけでそこに意味はない、その中身だけ解いてくれ。もちろん‘’には意味があるぞ。
きっと私は知らなければならなかった。だからここで死のうと後悔などない
』
【ササノハナ】
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- 3 : 2015/06/26(金) 22:46:09 :
『人は死んだら魂と身体に分かれる。残された身体は空っぽの肉の塊でしかない。それは……そうだな、まるで動かない車くらい無価値なものだ』
そんな哲学じみたことを笑って言っていた千代先輩が自殺なんて、冗談みたいだと思ったけど。
「これで……この部もオレたち二人だけだな」
隣で疲れたように息を吐く謙吾先輩の顔を見たら、そんなことは到底口に出来なかった。
「そうですね。はは……加奈先輩がいなくなって三人、これで二人です。呪われてるんですかね」
俺たちミステリー研究部はこの高校の中でも弱小部で、来年から同好会に降格することが決定している部でもある。そんな中こんなことでまた部員が減るなんて呪われてるとしか考えられなかった。
そう、去年もそうだった。千代先輩の親友で謙吾先輩の彼女だった副部長の加奈先輩が七夕(奇しくも今日だ)の日に失踪、行方不明。今年は千代先輩が自殺。――七夕なんてロマンチックな日であるはずなのに、これではあまりに台無しだ。
「こんなもの残すなんて、あいつはやはり変わってるな」
空笑いしながら謙吾先輩は机の上に無造作に置かれていたコピー用紙の切れ端をつまんだ。新聞部へそれっぽい記事を提供するためにと、古いパソコンとコピー機が一台だけ部室に置かれているのだが、きっとそこから引っ張り出したのだろう。その紙には千代先輩の女の子らしからぬ達筆な文字が書かれていた。
「“不在3.‘止めや’K月あぎ”……暗号なんて書いてる余裕はあったんですね」
「昔からそういう奴だったよ千代は。加奈が消えてオレがショックで留年したときも、先輩だったはずのオレのことを速攻で呼び捨てにしたのは千代だ」
謙吾先輩はどこか懐かしそうに言う。そうだ、元々謙吾先輩は千代先輩や加奈先輩の一つ上で本来なら卒業している。だが去年留年し、その結果二人と同じ学年になったのだ。
十八歳を過ぎているため学校に内緒で車の免許を持っている謙吾先輩は、こんな部活に似合わず明るく面白い人だ。春先に中古車を買って数回ドライブに連れて行ってくれたが、一人で走らせていると加奈先輩を思い出すからと、突然全く車に乗らなくなってしまった。
加奈先輩が失踪した一時はもちろん恋人である謙吾先輩にも疑いの目が向けられたが、俺はそんなわけで全く信じていない。
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- 4 : 2015/06/26(金) 22:47:24 :
「これどうします?」
「……解くしかないだろ。千代が死ぬなんて誰も思わなかったんだ。ここにその理由が書いてあるに違いない」
謙吾先輩は真剣に目の前の紙に向き直った。俺もそれを見て考えを改める。実を言うと俺は千代先輩のことが苦手だった。思慮深く知的だが、とにかく行動力があって周りをよく振り回す人というイメージが強く、どちらかといえば落ち着いた雰囲気を好む俺とは合わなかったのだ。
だがそれでも千代先輩はこの部の大切な先輩だった。加奈先輩がいなくなった後にたった一人で部を支えていた人なのだ。留年しているという理由で部長を辞退している謙吾先輩もその点は高く千代先輩を評価しているし、俺自身もそんな千代先輩を格好良い人だと思っていた。
だから千代先輩が自殺したなんて俺はやっぱり思えなかった。警察が来て俺たちに二、三質問して帰っていったときも、その現実離れした状況をすんなり受け入れることが出来ず困惑したのだ。
「本当に千代先輩は亡くなったんですよね……」
「ああ、そうだな。それがまたあの崖なんて謎もいいところだ」
織姫の崖は高校から近い。運動部の走るコースになっているくらいだし、自転車でも余裕でいける距離だ。昨日先輩は家に戻らずそのまま織姫の崖に向かい飛び降りたらしいが、自殺するにしてはどうも不可解だ。というか、そもそも今ここにあるこの遺書がおかしい。
「……これ、遺書ではないですよね」
「千代からのダイイングメッセージ。そうともとれる」
警察は自殺といった。純粋な飛び降りで事件性はなく、一応こうして自殺とも読める文章が残されているならば確かにそう判断してもおかしくはない。でも何だか腑に落ちない。
それはなぜか、といえば大抵行き着くのは一年前の加奈先輩失踪事件だ。
「あいつは加奈の親友だ。だからいなくなって一年が経つのに、オレですら諦めかけているのに。……それでもずっと千代は一人で加奈を探していた。こいつを読む限り何か手がかりを掴んでいた可能性は高い」
ああ、と納得した声を漏らす。俺とは違う謙吾先輩の熱意は、加奈先輩の手がかりを千代先輩が掴んだと思っているからか、と。
「ならやりましょう。千代先輩が加奈先輩の行方を掴んだなら、これを解けば絶対にそれがわかる。それにどうせ俺たちはミステリー研です。暗号を目の前に置かれて黙っているわけにはいきませんよ」
恋人の安否を知るため、千代先輩の残した手紙を穴があくほどまでに凝視する謙吾先輩。俺はそんな先輩の背中を押すために努めて明るく言う。謙吾先輩は俺の気持ちを汲んでくれたのか、一度だけこちらを向いてから力強く頷いてみせた。
――そこに必死で隠した俺の恐怖心には気付かずに。
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- 5 : 2015/06/26(金) 22:49:47 :
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***
『謙吾には気を付けろ』
昨日。七夕飾りを笹に吊るしている千代先輩を横目に帰ろうとして、その背中に静かにかけられた言葉が蘇る。その意味がわからず思わず口を開きかけた俺に向かって、千代先輩は複雑そうに笑ってみせた。
『……おそらく意味は明日にでもわかる。アイツは賢いが肝心なところが抜けているんだ。だから用心さえしていれば君にだって見つけられるはずだ』
何が? と訊こうとして、初めて見る千代先輩の物憂い顏に結局何も言えなかったのを今は後悔している。もう二度とその意味を本人の口から聞くことはないのだから。
『なあ』
青い短冊を笹の葉にぶら下げながら、千代先輩は先ほどとは打って変わり戯けた調子で言う。その短冊に書かれた願いを、俺はわざわざ見ずとも知っていた。
『今日、笹の花が咲いたんだよ。学校の花壇のところにあるやつだ』
『笹の花?』
今度はきちんと声を出すことができた。今見たばかりの千代先輩の物憂い顏が信じられなかったのもあり、その問いかけの響き方は見事に空っぽだったと思う。それでも先輩はきちんと答えてくれた。
『竹と笹はどちらも花がとても珍しいんだ。そしてその花が咲けば地下茎で繋がった全てが枯れてしまう。だから山一つ分が一度に全て枯れることもあるそうだ。そんな状態になるからか、あの花が咲くことは不吉の象徴なんだよ』
それらが一度に枯れてしまえばそれに支えられていた土が大雨で流され、その結果地盤が緩んで土砂崩れを起こす危険もでてくる。そういう意味でも不吉なのだそうだ。
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- 6 : 2015/06/26(金) 22:53:32 :
『明日は七夕で、七夕といえば笹だ。それにこの辺は七夕にちなんだ地名も多い。……加奈は推理小説に出てくるような難解な暗号が好きだったろう?』
加奈先輩といえば部員の中で一番の読書家として通っていた。暗号や碑文、見立て殺人などとにかく考えることが好きで、ネットで面白いものを見つけては俺たちに解かせていたものだ。
『自分でもこの辺に伝わる七夕伝説を何かしらもじった暗号をつくってやる、と去年の春頃から意気込んでいたんだ。彼氏である謙吾にすらそんな調査をしていることは内緒にして、私を含めた部員全員をあっと驚かせてやるつもりだったんだと』
『加奈先輩らしいですね』
『いなくなる寸前に私にこっそり話してくれなければ、きっと誰にも知られなかったことだ。――笹の花が七夕に咲くなんて話、加奈ならきっと大喜びで暗号に組み込んだろうな』
どこか寂しそうな顔で最後の短冊を吊るし終えると、千代先輩は再び薄く笑ってみせる。五色の短冊が窓からの風に揺れた。笹の葉さらさら軒端に揺れる――ふと子どもの頃繰り返し歌った童謡が頭に浮かぶ。
『失踪する前日、加奈は織姫の崖を調べに行くと言っていた。これは誰にも教えてはいけないと何度も私に念をおして加奈は学校を出て行った。今日まで私がこのことを話したのは警察と君だけだ』
その言葉は千代先輩がどれだけ加奈先輩を大切に思っていたかを感じさせた。――二人は親友だったのだ。千代先輩の暴走を大人びた加奈先輩がやんわりと止める。そんなよく出来た関係だった。そういえば加奈先輩が失踪するまでの千代先輩にはここまで知的な印象はなかった気がした。今はまるで加奈先輩の代わりをしているような……。
千代先輩は窓辺へと歩いて行き、夕日が染める赤い景色を見つめていた。そこからすぐ下に目を落とせば去年の暮れに枯れてしまった藪の跡がみえるが、先輩はそれには目を向けることなく静かに窓を閉める。
『人は死んだら魂と身体に分かれる。残された身体は空っぽの肉の塊でしかない。それは……そうだな、動かない車くらい無価値なものだ』
『また、その哲学みたいな話ですか』
『まあな……。さて、もう遅いから君は家に帰るといい。私はこれから少し寄稿する文章を考えなければならないから一緒には帰れない。今日した話はきちんと覚えていてくれよ。――敬之』
思えば、これが千代先輩に名前を呼ばれた最初で最後の瞬間だった。
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- 7 : 2015/06/27(土) 15:12:39 :
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***
家に帰り、俺は即効自室に立てこもった。床に放り投げたカバンからノートや教科書が飛びだしていったが、それに構っている余裕はない。すぐにポケットにいれたあの暗号の写しを取り出し、物の散乱する机に広げじっくりと見つめる。
俺だって馬鹿じゃない。あそこまでヒントをもらって何も気付かないわけがない。この遺書――いや、ダイイングメッセージを託されたのが他でもない自分であることを誰よりも知っている。
そしてそれより遥かに大切なヒント。おそらく、いや、間違いなく千代先輩は自殺じゃない。殺されたんだ。一体誰に? その答えを千代先輩は教えてくれた。謙吾先輩だ。
不在3.‘止めや’K月あぎ
コピー用紙に書かれたたったこれだけの暗号が千代先輩の最も遺したかったメッセージだ。
気になるといえば数字やアルファベット、そしてピリオドの存在だ。こんなにもこの短文で平仮名・漢字・英数字と入り乱れているのならば、前後に何文字ずらす、といったありふれた解き方ではないのだろう。ならば必ずヒントが用意されているはずだ。
考える、ローマ字ではない。考える、全て英語に直しても違う。考える、アナグラムでもない――。
『今日した話はきちんと覚えていてくれよ。――敬之』
唐突に千代先輩の言葉が浮かんでくる。忘れようとしても忘れられなさそうな、千代先輩にしては優しすぎる語感の言葉。
何故昨日の会話を覚えてなくてはいけないのか。あの普段と特に変わらない世間話に本来なら何の価値もない。だが千代先輩は死んでしまった。だから最後にしたあの会話に価値が生まれてしまったのだ。
いや、それだけなのか? あれは自分が死ぬかもしれないとわかっていたであろう千代先輩の言葉だ。寂しげな意味の他にもっと違う意味はないのか?
既に千代先輩は大切なことを教えてくれた。おそらくは謙吾先輩こそが犯人であろうことを。そして俺がそれを確信出来るようにするための情報を。
千代先輩は言った。加奈先輩が七夕にちなんだ暗号をつくっていることを知っているのは自分だけだ、と。そしてそう、加奈先輩が失踪前に織姫の崖に行くことを知っていたのも自分だけだ、と。
ならばおかしい。謙吾先輩の言葉はおかしいのだ。
『本当に千代先輩は亡くなったんですよね……』
『ああ。そうらしいな。それがまたあの崖なんて謎もいいところだ』
百歩譲って謙吾先輩も加奈先輩からこのことを聞かされていたとしよう。それ自体は恋人同士なのだから特に不思議ではない。だがそれでもこの言葉には違和感があるのだ。
また、とは一体何だ?
加奈先輩は確かに織姫の崖に行くと言ったそうだ。だが別にそこで失踪したわけではない。ならまた、という言葉は相応しくないはずだ。
こんなことは本当に小さく些細なことにすぎないが、千代先輩の忠告と合わせれば疑うにはあまりに充分だろう。
目の前の紙に向かって考える。きっとあの先輩のことだ、無駄なことは言うわけがない。昨日の会話一つひとつに明確な意味があるはずだ。あの手紙にはヒントらしきものはない。おそらくは俺にだけ伝わるようにヒントは与えられている。考えろ、昨日先輩は何をしていた――?
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- 8 : 2015/06/27(土) 15:13:19 :
その時、無音だった部屋に突然として大音量が響く。いや、大音量と認識したのは単に俺がそれだけ集中していたからにすぎないが――とにかくそれは俺が隣に置いていた携帯から発せられていた。
「謙吾先輩……」
画面に表示されていたのは今一番話したくない人の名前だ。息を吸い込み覚悟を決める。ここで電話にでないという選択肢はないからだ。
「はい、もしもし」
「オレだ。どうだ、何かわかったか?」
電話越しでも伝わる謙吾先輩の苛立った声。何も知らない俺だったなら、やっと加奈先輩の手がかりが得られるかもしれないのにこんなところで躓いて苛立っているのだろうとでも思っただろうか。
「昨日オレが帰った後、アイツは何か言っていたか?」
言っていた。だが俺の予想ではあれはヒントだ。今はそれが何かはわからないが、きっとそうだという確信がある。ならば謙吾先輩には話してはいけないことだろう。
「いえ、いつも通りでした」
「――そうか」
落胆したような間があいた。だが俺にはその含みのある間がこちらを疑っているように思えてしまう。
「七夕飾りは千代がやったんだよな。他に何かしていなかったか? ヒントになりそうな何か。普段と違うことでも、普段と同じことでも。些細なことでもないか?」
「――いえ、俺がわかるのは笹に飾り付けをしていたことだけです。何かあれにあったんですか?」
「短冊に加奈が戻ってくるよう書いてあっただけだ。他には特に変わったことはない」
聞かなくてもわかるだろう、とでも言いたげだった。確かに俺はよく知っていた。それを千代先輩が書いているところを見ていたからだ。
「あいつは本当にそれだけで学校を出たのか……。なら手がかりは部室以外にある、と。らしくない気がするんだがな」
「先輩はヒントが部室にあると思っていたんですか?」
「まあな。あいつはミステリー研を大切にしていたから当然だと思っていたんだ。だからさっきパソコンの中まで一通り洗ってみた。何も見つからなかったがな」
「――パソコン?」
何かが頭の片隅に引っかかった。それはきっとようやくもたらされた天啓に違いない。急速に回転を始める頭に昨日の記憶が蘇る。昨日の、それも一番最後の記憶だ。
『まあな……。さて、もう遅いから君は家に帰るといい。私はこれから少し寄稿する文章を考えなければならないから一緒には帰れない。今日した話はきちんと覚えていてくれよ。――敬之』
文章。そうだ、先輩は昨日パソコンに触っているはずなんだ。それにあの手紙だってコピー用紙に書かれていたじゃないか。パソコン、パソコンなんだ。先輩が残したヒントは――!
「どうした? 何かおかしなことでもあるのか?」
謙吾先輩が訝しげに尋ねてくる。黙った俺が何かに気付いたのだと勘付いたのかもしれない。
「ああ、すみません。俺も何かないかと考えていたんですよ。新聞部のやつに何かないかなーとか」
「なるほどな。残念だが千代が書いていたそれには何もなかった。おすすめの推理小説のレビューなんて今更読んでも面白くないものだよ」
新聞部に寄稿している、とは何度も聞いた話だったが、まさか本の感想を載せていたなんて思わなかった。確か寄稿する内容は新聞部と打ち合わせて決めると言っていたから、うちの部活は相当暇で何をしているのかわからないところだと思われているのだろう。
いや、そんなことよりも上手く誤魔化せただろうか。少しでも謙吾先輩に怪しまれたらそれでお終いだ。
千代先輩は上手くやっていたに違いないんだ。でもどこかで間違い、それがばれて消された。俺も同じ道を辿らないとは限らない。何故なら千代先輩はこうして謎を残して死んだからだ。それも、明らかに俺に向けて。その時点で俺は謙吾先輩に目を付けられていると考えて間違いない。――もっと慎重になろう。
そして、これでまた新しい情報が入った。謙吾先輩が既にパソコンを調べていることと、千代先輩が書いていた内容には暗号のヒントなどないということだ。
「それに……、文章を更新すればその最終更新日や時間が残るものだろう? その日付が昨日のものではなかったんだよ。だからこれであのパソコンは無関係ということだ」
全くのふりだしだな、と先輩は乾いた声で笑った。俺は笑わなかった。だってそれがふりだしではなく、確かな前進であることを既に知っているからだ。
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- 9 : 2015/06/27(土) 15:14:25 :
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その後、先輩と二、三言葉を交わして俺は通話を終えた。そして急いでノートパソコンの電源を入れる。俺のあの答えで誤魔化せていないなら、謙吾先輩はもう一度パソコンを調べるだろう。だからその前になんとしてでも俺が見つけるんだ。――この暗号の答えを。
不在3.‘止めや’K月あぎ
今日何度この暗号に向かい合っただろう。元はコピー用紙に書かれていたその暗号は、その時点でこれがパソコンでどうにかする暗号であることを示していた。これはおそらく間違っていないはずだ。だって先輩は昨日パソコンに触れたはずなのだから。あの先輩が自分の身が危ないことを察してなおネットサーフィンに勤しむ人でなければ、おそらく。
「……ローマ字じゃない。パソコンでないといけないなら、思いつくのは一つしかない」
俺はキーボードを見つめる。何の変哲もないただのキーボードだ。俺はそれをただ一点にのみ注意して見ながらゆっくりと打っていく。ふざい3.やめやKつきあぎと。
はなつちにあるやめやのかなのにちきに
かな入力にしていつも通りローマ字で入力する。すると画面に表示されたのがこの文章だ。今までよりずっとわかりやすいどころか、これならば日本語だと理解できる。これを漢字に変換する。
花土にある‘やめや’の加奈の日記に
問題があるとすればやめや、の部分だ。これだけ何故かそのまま入力されてしまった。おそらくこれこそが千代先輩が‘’で括った理由なのだろう。だが俺はこれについてもキーボードを叩く過程で気付いていた。‘やめや’はこれの反対なのだ。つまりかな入力ではなく、ローマ字入力の状態でかな入力の正しい打ち方をすればいい。おはようならば6F94、こんにちはならばびぃあといったように。
花土にある‘7・7’の加奈の日記に
「花土――そうか花壇か!」
時計を見る。七時半だ。この時期のこの時間ならばまだ外は僅かに明るい。熱心な運動部ならばようやく帰宅時間といったところか。俺は携帯だけポケットにいれて部屋を飛び出した。転げ落ちる勢いで階段を下りてきた俺に驚いて、台所から母親が飛び出してくる。
「どうしたの!?」
「ごめん、忘れ物した!」
説明している暇はない。部活の先輩が亡くなったことは母親には既に軽く説明しているから、息子の奇行ということで勝手に片付けてくれるだろう。
俺は車庫にある自転車を引っ張り出してそれに跨った。学校へは自転車で十分もかからない。こういう時は家から近い高校を選んだことを良かったと思える。
花土が示すものが花壇だということに自分がすぐに気が付いたことは驚きだった。だがすぐに思い出す。千代先輩はそれすらもヒントとして与えてくれていたのだ。
『今日、笹の花が咲いたんだよ。学校の花壇のところにあるやつだ』
花壇の近くにある笹の花が咲いた。確かにあそこは鬱蒼とした藪があった。前回の七夕だって先輩はあそこに生えた笹を使いたいと先生に言ったが、手入れされていない藪に入って草で身体を傷つけたら大変という理由で許可が下りなかったのだ。
結局去年は千代先輩が別のところから笹を拝借し、本物の笹を飾って七夕をした。それは俺から見てもすごい力の入れようだったと思う。だが今年は去年のその熱意がなかったのか、早々にプラスチックで出来た偽物を部室に持ち込んでいたけど。
大体花壇だって年に数回美化委員が嫌々雑草を抜くくらいでほぼ手付かず。先輩が何かを隠そうとしたならば、これ以上に条件のいい場所はない。
「くそっ――!」
空回る足を必死で動かしてペダルを踏み込む。俺が先に解けているという確証はない。どんなに誤魔化してもこの程度の謎では謙吾先輩を長時間引き止めてはくれないだろう。一年留年している謙吾先輩はもうすぐ十九歳になるし俺よりずっと頭がキレる。だからこんなにも千代先輩はわかりやすくヒントをくれたのだ。
「でもそれなら! いっそ答えを言ってくれたって――!」
誰もいないことをいいことに叫んだ。だから千代先輩は苦手なのだと悪態をつく。故人に鞭打つようでいい気はしないが、あの千代先輩なら笑って許してくれそうな気がした。第一千代先輩のせいで俺までこんな危険を背負わされているのだ。これくらいは許してくれてもいいと思う。
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- 10 : 2015/06/27(土) 15:17:25 :
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息を切らして高校の門を通り抜けた頃には、もうとっくに夕日が山の向こうに沈んでいた。人気のない学校の敷地はそれだけでなんだか不気味だったが、こう薄暗ければ万一謙吾先輩と出くわしても顔を見られずにすむ。ならばいっそ好都合というところだ。
自転車置き場に駐輪してから、俺はその足で真っ先に花壇へと向かった。本当に誰もいない。教師たちはまだ残っているのか、駐車場には何台もの車が停まっていた。もし見つかればそれはそれで面倒なことになりそうだ。
しかし幸いにも誰とも出会わず、俺は自転車置き場のちょうど反対側にある花壇に辿り着いた。この辺りは当然のように道が舗装されておらず、雑草が好き勝手に茂った芝生は街灯もないところには少々危なっかしかった。
千代先輩が話していた笹の花は、言われなければ気付かないほど小さく目立たない花だった。白い花弁が葉の向こうで無数に揺れる様はとても不吉なものには感じられない。
悪いとしか言えないぬかるんだ地面を踏み固め、何とか美化委員管轄の小さな花壇を目の前にした時はほんの少しの達成感に包まれた。そこに不自然なものを見つけたからでもある。
「七夕飾り……」
自然と口角が上がった。折り紙で丁寧に作られたそれは、昨日先輩が部室に持ち込んだ作り物の笹に飾り付けていたそれと全く同じもの。花壇を囲うレンガに小さな石を重石にして置かれたそれは目印であり、暗号の解が正しいという証明でもあった。
掘るものは一切持ってこなかったが、それを心配する必要はなかった。掘り起こしたばかりと思われる土はやわらかく、素手でもなんの不自由なく掘ることができた。そして俺がそこから取り出したのは、汚れないようにとビニール袋に入れられた日記帳――加奈先輩の遺品だ。
汚さないようにズボンで手を拭い、その小綺麗な表紙を開く。他人の、それも女の先輩の日記帳を覗くことに罪悪感がないことはないが、この状況では仕方がなかった。
携帯で紙面を照らし、順番に日付を見ていく。当たり前だが日付は去年のものだった。その一番後ろ、七夕の日までページを捲る。
はらり、と地面に何かが落ちた。それには気を止めずに開いたところを見るが、七夕の日であるはずのページは存在しなかった。いや違う、そこから後の数枚が不自然に切り取られていたのだ。ただ一つの文章を除いて。
『
解読おめでとう。あの文章にああ書いておいてすまないが、本来ここにあるはずのページは私が破かせてもらった。
マッチを入れておいたからこの文章も読んだら破いてその場で燃やすなりなんなりしてくれ。
ここには全ての答えが書いてある。加奈の失踪も、おそらくこれから死ぬであろう私の死の真実も全て。
加奈はずっと悩んでいたんだ。悩んで、そして一人で抱えてしまった。だから誰にも気付かれずあいつに消されてしまった。私が見つけなければいつまでも加奈は帰れないと必死で探したが、推測だけでとうとう手が届かなかったのを悔しく思う。
だから危険は承知で君に続きをお願いしたいんだ。この謎を解いたところに確実に真実があると約束しよう。これは加奈がつくっていた暗号を私がアレンジした特別な謎かけだからな。
さあ、全ての真実を君に託す。後は頼んだよ
』
書いてある通りビニール袋にはマッチも入れられていた。俺は乱雑にそのページを破り取り、そこで初めて落とした紙を拾う。
まず目に入ったのはカラーペンで描かれた七夕飾りのされた笹だ。赤・青・黄・白・紫の五色で描かれた短冊など、意外に凝られたそれは当然千代先輩によるものではない。加奈先輩の手腕によるものだ。
『
糸の重なる一方を払いし者に織姫の“衣”を与えよう。
そして浮かび出た名の下へ行け。そこに真実あり
』
鮮やかなイラストの隣に書かれた達筆な謎かけ。それが千代先輩が残した第二の謎だった。
リンク先挿絵
《http://sora1722.web.fc2.com/images/sasanohana.html》
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- 11 : 2015/06/28(日) 21:07:15 :
***
自転車を押して校門まで歩く。日記は制服のポケットに収まらなかったため、自転車の前かごに元通りビニール袋に入れた状態で入れておいた。
ここまで来たのに収穫が新しい謎だとか、謙吾先輩に命を狙われているかもしれないことは変わらないとか。千代先輩に言いたいことは山ほどあったけれど。でも、結局そういう言葉が纏まるより先に小さな達成感と新しい謎に対する興奮の感情が出てきてしまい、何も言葉に出来なくなってしまう。
亡くなったはずの千代先輩に導かれ、俺は今突き動かされている。警察が動いてくれるなんて確証があったらすぐにでも俺は先輩の手紙を交番に持っていったに違いない。
でも加奈先輩が失踪し、そこに犯罪の痕跡があることを突き止めた千代先輩は最後まで警察には行かなかった。それは何故か? 多分それは認めたくなかったからだ。同じ部活の仲間であり、加奈先輩の恋人であったはずの謙吾先輩の犯行を。
じゃり、と小石を踏んだ音がした。俺は自転車を押す手を止め、立ち止まって振り返る。夜の闇で紺色に塗られた謙吾先輩がそこにいた。
「帰ってなかったんですね」
「それはこっちのセリフだ。――いや、お前の場合家に帰ってまた来たのか」
他の先輩たちより一年分よれた制服を着た謙吾先輩は、呆れたような顔をしているように見える。
「探し物があったんです。先輩も……ですよね?」
「そうだな」
互いの腹を探り合うように慎重に言葉を交わした。頭の中は変に冷静だった。まだ先ほどの興奮がさめていなかったからかもしれない。
「見つかったか? 探し物」
謙吾先輩の視線が自転車の前かごに注がれた。そこにある物を捉えた瞬間、その目付きが急に鋭くなる。これが誰の物で何であるのか謙吾先輩は当然知っているのだろう。
「そうか、解いたんだな」
言い訳も誤魔化しも一切許さないといった強い意志を感じさせる語気だ。だが俺の言うことは決まっていた。やることもだ。
「すみません先輩。これがあるなんて知らなかったので勝手に突っ走りました。これ、加奈先輩の日記でしょう?」
自転車をその場で駐輪して、迷いなく前かごから日記を取り出す。ビニール袋ごと先輩に渡すと、先輩は一瞬だけ意外そうな顔をした。
「そうだな。アイツは家で日記を書く性格じゃなかったから、よく書いている場面をオレも見ていた」
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- 12 : 2015/06/28(日) 21:08:47 :
日記を開き、最初のページを眺めながら謙吾先輩は懐かしそうな顔をした。そこには確か惚気話が延々と書いてあったはずだ。こういうことは懐かしいと思うのか、と俺は少しだけほっとする。
「千代の手紙はなかったのか?」
「いえ、何も。千代先輩のことだから加奈先輩の遺品が普通に謙吾先輩に渡るのが嫌だったんじゃないですかね。だから暗号なんて書いたんですよ、きっと」
加奈先輩はこういうことが好きでしたからね、と笑ってみせた。我ながら自然な言い方だと思う。
「お前はこれ、読んだか?」
それでも警戒したように謙吾先輩は俺を睨む。一瞬怖気付いたが、すぐに切り替えて茶化すような言葉をかけた。
「誰のものかはわからなかったので最初だけです。熱々の惚気話を読んでいたら童貞の俺には何だか恥ずかしくなってきたので、それで勘弁してくださいよ」
「そ、そうか。ならまあ、別にいい」
少し困ったように謙吾先輩は言葉を濁した。すっかり意表を突かれたと言いたげな表情だった。
「とりあえずこれはオレが持ってる。加奈の親に渡さないといけないしな」
二人の仲は親公認だったと聞いた。謙吾先輩がショックで留年したときも、加奈先輩のご両親が自分たち以上に謙吾先輩を気にかけていたのはそう遠い記憶ではない。
本当に加奈先輩の失踪に謙吾先輩が関わっているのなら、あれらは全て演技だったのだろうか。謙吾先輩が半年も登校しなかった間、俺や千代先輩は謙吾先輩を元気づけるために奔走したというのに。
「悪かったな、変に疑って」
複雑な気持ちだった。この先輩を疑わなければならないことも、今この瞬間も嘘をついていることも。
「いえ、あれを解いた時点で先輩に連絡するべきでした。先輩の気持ちを無視した感じになって本当にすみませんでした。次があればその時はもう少し考えます」
それでも俺は嘘を重ねた。二つ目の謎を解き明かせばそこに真実がある。ならばそれまでは何より自分の安全を最優先にするべきだと、千代先輩は身をもって教えてくれたのだから。
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- 13 : 2015/06/28(日) 21:14:37 :
***
再び自宅に戻った俺は、母親に突然飛び出したことを軽く謝ってから部屋に篭った。既に今夜は徹夜の覚悟で、コンビニで買った栄養ドリンクを机に三本並べた完全武装状態だ。
ポケットからすっかりぐしゃぐしゃになった紙を取り出す。今度はコピー用紙ではなく普通のノートを破ったものだ。加奈先輩の考えた謎に千代先輩が手を加えたもの――燃やした日記のページにはそう書かれていた。
蛍光灯の下できちんと見ると、やはりというかカラーペンで描かれたイラストは鮮やかだった。わざわざ五色の短冊を塗り分けるだなんて加奈先輩の几帳面な性格がよく現れている。
『
糸の重なる一方を払いし者に織姫の“衣”を与えよう。
そして浮かび出た名の下へ行け。そこに真実あり
』
可愛らしいイラストに添えられた達筆な文章。千代先輩が記したそれは暗号というよりはなぞなぞだと思った。きっと本当に今度のはなぞなぞなんだろう。
「糸の重なる一方を払いし者に織姫の“衣”を与えよう……」
まずは口に出し、その語感を確かめる。七夕らしい言葉の入ったいい謎だと思った。朝からあんな知らせがあって全く満喫できなかったが、今日は七夕なんだと改めて思わされる。きっとこれから先も今年の七夕を忘れることはないのだろう。――先があればの話だが。
これを読んで気になるのは織姫だ。織姫といえばここでは織姫の崖を思い浮かべる人が多い。だが、下段に書かれている言葉が引っかかる。浮かび出た名の下へ、とは地名ではないのか? それならば織姫の崖というピンポイントすぎる場所をここに当てはめるのは不適切な気がする。
それに、それ以上に引っかかるのはイラストの意味だ。この謎は明らかに七夕を意識している。だが織姫の崖は一年中織姫の崖であり、その名は七夕であってもなくても関係なく不変だ。
上段と下段で僅かにテイストが変わっていることから、上段こそが謎の本体であり、下段はその文面通りを伝えるものだと推測する。真実という言葉をここでも使っている以上、これはきっと間違ってはいないはずだ。
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- 14 : 2015/06/28(日) 21:17:30 :
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七夕。そういえば何故七夕とはこの字を当てはめるのだろう。ふとそう思う。
思えば俺は七夕について何も知らない。笹に飾りつけをし、五色の短冊に願い事を書いて吊るす。空では天の川を挟んで離れ離れになった恋人たちが年に一度の再開を果たす。――それくらいの知識しかない。
五色の短冊の話だって、去年加奈先輩から聞かされなければ本当に五つの色があるなんて知らなかった。童謡は漢字ではなかったから“ごしきのたんざく”が“五色の短冊”と変換されることなんて調べない限り気付けないしな。
俺は付けっぱなしにしていたノートパソコンを引き寄せた。ブラウザを開き、そこに七夕と入力する。あまりに俺は七夕について知らない。そんな俺に七夕が深く関係する謎が解けるだろうか、いや解けるはずがない。
すっかりおなじみになったウィキペディアを開くと、俺は画面を食い入るように見つめた。自然と口から言葉が漏れる。
「七夕は、中国、台湾、日本、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。五節句の一つにも数えられる。そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが七日の夕方であることから七日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになった……」
下へ画面をスクロールしていく。常に視界に謎の書いた紙が入るように左手に固く握り締めて。
「中国では五色の短冊ではなく、五色の糸を吊るす……五色の糸?」
糸。その単語を目にした瞬間、俺の背を電気が駆ける感覚があった。
「糸の重なる一方。五色の糸……」
急いで別の紙を手繰り寄せ、そこに赤・青・黄・白・紫と書く。何色だったかなんて忘れるわけがない。だってまさにこの為であると言わんばかりにカラフルなイラストが添えられているのだから。
そして今更気付いたが、描かれた短冊は一切縦には重なっておらず、五枚の短冊が一定の間隔で並んでいた。気付かなかったのはそれの位置が上下にずれていて、あからさまに横には並んではいなかったからだ。でもここまで辿りついた者にはその意味がわかるようになっているという巧妙なヒントだった。
その並び順は青・黄・赤・白・紫。
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- 15 : 2015/06/28(日) 21:20:12 :
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俺は先ほど書いたものをすぐに消した。そして並びを変えて再び漢字で書いたその下にスペースを空け、今度はひらがな・ローマ字・英語で同じように書く。
まず漢字。重なる一方というならば共通するものを抜いて消せ、ということだろう。だがこれはすぐに失敗に終わった。どう見ても共通するところなど見つからないからだ。
次にひらがな。あお・き・あか・しろ・むらさき。これならわかる。お・き・か・しろ・むらさとなる。だが思ったような意味のある言葉にはならない。おそらくこれも失敗だ。
ローマ字に移る。AO・KI・AKA・SHIRO・MURASAKI。同じものを抜くとAO・KI・SHRO・MU。駄目だ。意味がわからない。
最後に残った英語。BLUE・YELLOW・RED・WHITE・PURPLE。少々骨が折れるが、BLUE・YOW・RD・HIT。
おかしい。これで合っていると思うのに意味のある言葉にならない。何かが間違っているのか? 五色の短冊……短冊?
俺は慌ててパソコンの画面を見た。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸を吊るす。そうしっかり書いてあるのをさっきも確認したじゃないか。もしかして短冊でなく糸を吊るすような些細な違いが他にも――例えば五色にもあるなんてことはないだろうか。
五色とはそもそも五行説に当てはめた色だ。俺はすぐに五行説を調べた。そしてそこにある色の項目を調べる。――あった。
青(緑)・紅・黄・白・玄(黒)。これが本当の五色だった。黒のところに紫が使われているのは、日本では黒という色が縁起が悪いとされているためだそうだ。俺は描かれている短冊のイラストで見事に引っ掛けられたのだ。
「紛らわしいことしてくれるじゃないか……千代先輩め」
加奈先輩のイラストのせいで薄れていたが、肝心の謎は千代先輩によるものだ。あの先輩ならこういう面倒くさい手を使ってくるのも頷ける。全く、解かせる気はあるのだろうか千代先輩は。
文句を言っていても仕方がないため、俺は今まで書いていたことを全て消しゴムで消し、改めて青・黄・赤・白・黒と書いた。紅は読み方も赤と同じであるため赤のままにしておいた。これで解けなければその時は大人しく読みを変えたらいい。
さっきと同じように漢字から検証していく。ひらがなまで試し、出来上がった意味のない文字の羅列に冷や汗をかきながらローマ字へと進んだ。
AO・KI・AKA・SHIRO・KURO。同じものを抜くとAO・KI・SHRO・U。AOKISHROU。
一瞬出来上がった文字列に加奈先輩の顔が浮かぶ。そして一度だけ会ったことのある小学生の顔も。
偶然なのだろうか。この文字列にたった一文字を足すとその小学生の名前になる。――加奈先輩の弟の名前に。
いや、これが偶然なわけがない。
「糸の重なる一方を払いし者に織姫の“衣”を与えよう。“ころも”じゃない、“I”だ。青木司郎……加奈先輩の弟が答えなんだ!」
俺は部屋に響く声で叫んだ。彼に会いに行かなければならない。そこに真実があるのだと先輩は告げているのだから。
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- 16 : 2015/06/28(日) 21:33:23 :
***
青木司郎――加奈先輩の弟が事故で亡くなっていることを思い出したのは、それからすぐのことだった。
去年の始めだったか。加奈先輩が突然何日も休んでいたことがあった。心配した俺が当然のようにその彼氏である謙吾先輩に安否を尋ね、そこで教えられたのだ。
何てことだ。つまり青木家は短期間の間に息子を喪い、娘すらも行方不明となっていたのだ。
しかし俺はそれでも青木家に連絡しなければならなかった。浮かび上がった名の下へ行けというのは、おそらく司郎くんが眠る青木家の墓のことなのだから。
結局その日は謎を解いたため徹夜とはならず、もやもやを抱えたまま眠りについた。しかし、当然すぐに寝付けるはずはなく、寝たり起きたりを繰り返す内に夜は明ける。
あっという間に早朝になり、いつも通り目覚まし時計が鳴った。五回鳴らないと起きない普段とは違い、一回鳴っただけでそれを止める。
欠伸を一つし、横になっていたせいで固まった筋肉をほぐすようにぐっと伸びをした。睡眠はまるで足りていないが、身体は思うよりずっと元気だ。
「あら、今日は早いのね」
「用事があるからな」
下へ行くといつもより早起きな息子に驚いたのか、母親が不思議そうに声をかけてきた。適当にそれに答え、きつね色に焼けた食パンを頬張る。
「あんまり無理しちゃダメよ? アンタの部活また女の子が亡くなったって」
「またってなんだよ。亡くなったのはこれが最初」
「え? ああそうだったかしらね。ほら、ジャムなら新しいのがあるわよ」
「サンキュー」
我が母親ながら本当に適当な人だと思う。まあ、息子と同じ部の女の子が失踪したり亡くなったりなんて不幸があっても、それが同級生でもない限り親がよく知らないのは仕方ないか。
「これ食べたら電話するから、少し向こう行っててくれるか?」
「なによ、友だちに電話するなら携帯ですればいいでしょう?」
尤もな話だ。だが電話先は友だちではない。流石にお墓の場所を教えてほしいだなんて話を携帯でするのは気が引けた。
「去年いなくなった先輩の話はしただろう? ちょっとだけ用があるから家に電話したいんだ」
「あら、アンタそういうのちゃんと出来るの? 常識的に話が出来ないと先方に失礼になるからね」
「わかってるよそれくらい。だから家の電話を使いたいんだし」
そう言いながらも既にパンを食べ終え、電話の前で待機している。時間は七時を過ぎたところで、少し早いとは思ったが十分常識的な時間と言えた。
「まあいいわ。くれぐれも失礼にならない言葉遣いで電話するのよ」
「おう。終わったら知らせる」
母親が口うるさくもあっさり引き下がってくれたおかげで、俺はすんなりと受話器を持ち上げることに成功した。
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- 17 : 2015/06/28(日) 21:36:51 :
自宅の電話番号は以前加奈先輩の携帯番号を登録した時に一緒に登録されていた。それを見ながら正確に押す。
電話が繋がるプルルルル、という電子音。何を言ったらいいのかはきちんと決めていたはずなのに今更緊張してくる。俺は昔から電話は苦手だった。
「はい、青木です」
突然の無音の後、すぐに聞き覚えのある声が聞こえてきた。一度だけ会ったことのある加奈先輩のお母さんだった。
「もしもし、こんな時間に突然申し訳ありません。なんていったらわかりやすいのか俺にもよくわからないけど、青木加奈さんと同じミステリー研究部の――」
自己紹介をすると向こうも覚えていてくれたのか、あの時加奈と来た子なのね、と暖かな言葉が返ってくる。一年生の時に一度だけ加奈先輩に連れられて全員でお邪魔したことがあった。そのことを覚えていてくれたのはありがたい。
「昨日加奈と仲の良かったお友だちが亡くなったって連絡があったわ。同じミステリー研究部だから貴方も辛いでしょう。加奈が知ったらどれだけ悲しむか……」
それから行方不明になった加奈先輩のことを聞かされる。彼氏だった謙吾くんとあれだけ仲が良かったのに、他の男の人と駆け落ちでもしてしまったのか。でもそれならまだいい。生きていてくれればそれで――。
安否が全くわからない加奈先輩は、それだけ家族に悲しみを与えている。昨日あの日記を読んだ俺からすれば加奈先輩が浮気して駆け落ちするなんてことは考えられない。それでもこの人たちはそうであればいいと願い続けているのだ。駆け落ちならば加奈先輩が幸せに生きている可能性があるから。
「それと関係あることかはわからないけど、加奈先輩と昨日亡くなった千代先輩がずっと考えていたっていうなぞなぞがあることがわかったんです。俺それを必死で解いて、何とか正解に辿りついたんですけど……」
そこで一旦言葉をきる。向こうが何も言ってこないことを確認し、先を続けた。
「加奈先輩の弟――司郎くんのお墓の近くに何かがあるらしいんです。俺何とかしてそれを見つけようと思うんですけど、お墓の場所を先輩にきいてなくて。だからこんな朝早くに失礼を承知で電話しました」
電話では姿は見えないのに、それでも頭を下げた。これで怒られたらそれで終わりだ。この市内の墓を全て回って調べるしかない。
「――そう。あの加奈が何かを残したのね。どんなものなのかしら」
だが、意外にも明るい声が受話器から聞こえてきた。俺は驚いて尋ねる。
「怒らないんですか? 失礼な話だって自分でも思うのに」
今更一年前に失踪した先輩の家に電話をかけ、その件に全く関係ないはずの弟の墓を訊き、その理由がなぞなぞ遊びだなんて誰でも怒ると思ったのに。そう言うと先輩のお母さんは笑った。
「そうね。本当に遊びならちょっとは不快だったかもしれない。でもわざわざこんな早朝に電話してくるくらいには急いでいたってことだし、声がね……真剣だから」
それから俺は見えないはずなのに何度も相手に頭を下げた。全て終わったら加奈先輩がその親友の千代先輩と共にやらかした事件を語ることを約束し、やっと囁くような声で教えてもらった青木家の墓の場所はあまりに出来すぎていた。
そう、あの織姫の崖の下を通る道路の近く、牽牛坂と呼ばれている長い坂のすぐ脇だった。
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- 18 : 2015/06/28(日) 22:06:47 :
***
学校が終わりそこに辿り着いたのは、日没まで後三十分もないだろうという時間だった。
ここに辿り着くまでには傾斜がきついと嫌われている牽牛坂を途中まで自転車で駆け上がらなければならず、俺は既に大汗を流していた。梅雨時とはいえ今日は気温が高く、その意味でも自転車を押して上らなかったことを後悔する。
ミステリー研究部は元々毎日顔を出さなければいけない部活というわけではなく、今日一日は謙吾先輩のことを考えず過ごせたのはよかった。その辺俺はまだ謙吾先輩を信じたい気持ちがどこかにあるのだろう。
知り合いが殺人を犯したかもしれないなんて誰だって思いたくない。その相手が更に知り合いだったなら尚更だ。俺が見る限り謙吾先輩と加奈先輩は仲の良いカップルだったし、千代先輩とも時々意見が食い違って喧嘩はすれど良い関係に見えていた。それが何故、こんなことになってしまったのだろうか。
推理してもその動機はとうとう見えてこなかった。元々今回の二つの謎だって千代先輩がヒントをくれたからこそ解けたのだ。そんな俺がここまで難解な謎に挑んだって力不足で当たり前だった。
だから俺は導かれる通りに進む。片手に墓の場所を書いたメモを手に、暗がりに落ちていく墓地をゆっくり歩く。自然と墓地を行く恐怖は感じなかった。それも当然だ。今の俺は死者に動かされているのだから、同じ死者を恐れる必要なんてない。
「ここか……」
誰もいない墓地に俺の小さな声はよく響いた。見つけた青木家の墓は古く、この地に古くから住んでいる一族であることを伝えてくれる。
俺はまずカバンから幾つかのお菓子を取り出し、綺麗に保たれている墓に供えた。掃除がしやすいもので小学生が喜びそうなものが思いつかなかったからこんなものになってしまったが、果たして司郎くんは喜んでくれるだろうか。そんなことを思う。
加奈先輩によく似たやんちゃ坊主を思い浮かべて少しだけ感傷に浸った後、俺はようやく本題に入る。
墓の周囲をぐるりと見渡すと、その場所はあっさり見つかった。花壇の時と全く同じ、掘り返したばかりと思われる色の違う地面を見つける。
今度は学校から拝借したスコップを使い、さくさくと土を掘り始めた。手で掘っていた昨日とは違い、多少土が固まっていても掘れるのは楽だ。
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- 19 : 2015/06/28(日) 22:08:30 :
肩口を照らしていた夕日が細く消えようとする頃になって、ようやくスコップがビニール袋を掘り当てた。学校の時よりも深い場所に慎重に埋めたのだとわかるそれは俺の心をざわつかせた。
「そこで何をしてる」
だから、今更聞きなれたその声が背中にかけられても、これ以上心がざわめくことはなかった。
「謙吾先輩ですか」
いくら暗くなってきたとはいえ、その姿を見間違えるわけがない。俺のところへ一歩、また一歩と踏み出す先輩は何の表情も浮かべてはいなかった。
「加奈の家から電話があってな。同じミステリー研なら当然オレも関わっているだろうと思ったんだろう。お前のことについて色々教えてくれた」
「そうですか」
返事はそこそこに手元へ視線を戻す。そんな俺の態度に苛ついたのだろう。謙吾先輩は声を荒げた。
「何故オレに黙っていたんだ。加奈のことならオレに知らせるべきだとは思わなかったのか?」
「俺はただ千代先輩に言われてやっただけです」
不思議と怖くなかった。墓地という場所のせいもあったのか、ここで謙吾先輩が手を出せないとでも考えたのか……とにかく俺は謙吾先輩のことよりも目の前にある真実を望んでいた。だからスコップで丁寧にビニール袋のまわりの土を払い、それを土の中から引き上げる。
「余計なことをしやがって」
「千代先輩はただ……加奈先輩に帰ってきてもらいたかっただけですよ」
加奈が早く帰ってきますように――。その千代先輩の願いはきっと叶わない。
「どこまで知った? オレのこと」
直球だった。この期に及んで隠しても仕方がないという思いが伝わってくるようだ。
「加奈先輩の失踪と千代先輩の自殺――いや殺害の真犯人、とだけ。何故警察にバレていないとか、動機は何なのかとか、そういうことは千代先輩は教えてくれませんでしたから」
だから俺も正直に答えた。今更ここで隠し通しても逃げられるわけもないからだ。
「犯人か。そうだな」
「否定しないんですね」
ビニール袋から紙束を引き出しながら俺は言った。先輩はそれを止めなかった。それがおそらく何よりの肯定だったのだ。
自分が二人を殺したのだという、肯定。
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- 20 : 2015/06/28(日) 22:25:24 :
「確かにオレが殺した。加奈も、千代も」
「加奈先輩も、ですか……」
何となく勘付いてはいたが、本人の口からその事実を明らかにされるのは心が痛んだ。だが俺は謙吾先輩が先を続けられるように先を促し、自分も紙束のうちの一枚に手を付ける。
「……浮気したんだ。加奈が」
思わず耳を疑った。加奈先輩が浮気なんて、一番信じられない言葉だったから。
「驚くか。いや普通は驚くよな。――そうだよ、全部オレの勘違いならよかった。でも本人が言ったんだ。自分は浮気している、と」
去年の春から急に加奈先輩は謙吾先輩に対しよそよそしくなった。今までのようにベタベタとしているのは二人にとって良くないと判断したのだろうと考えた謙吾先輩は、当初はそれをさほど気にとめなかった。
だが状況は悪化していった。二人の時間は少しずつ少なくなっていき、デートも断られるようになった。浮気なんて疑いたくなかった謙吾先輩は最初はやんわりと「気持ちが冷めたのか?」と訊いていたらしい。だが加奈先輩の答えは「今までと変わらない」の一点張りだったそうだ。
そして去年の七夕前日、つまり七月六日。とうとう二人は喧嘩になり、謙吾先輩はいつもよりきつく加奈先輩に問うた。
『浮気しているのか? お前の最近の態度を見る限り、もうそれとしか思えない』
お互い頭に血がのぼっていた。それは間違いない。だが加奈先輩はそれを聞いてフッと笑ったのだそうだ。そしていけないことを言ってしまったと自分の言葉に傷付いていた謙吾先輩に向かって言った。
『もし浮気だったらどうする? わたし一度でいいからそういうことしてみたかったんだ』
それから先はとにかく怒り、散々怒鳴り散らして家に帰った。しかし思い出すのは浮気されていたという事実だけだ。相手が誰なのかもわからず怒りを募らせていた謙吾先輩は、その日の夜メールを受け取った。
そこに書いてある言葉に謙吾先輩はとにかく怒りが抑えられなかったのだそうだ。
「“全てを話すから”と、それだけメールには書いてあったんだよ。ごめんの一言もなく、ただそれだけが。――世界が終わってしまったと思った。いや、終わっていないのなら終わればいいと、そう思った」
そして七夕の日になった。織姫の崖に呼び出された謙吾先輩は、そこで楽しそうに笑う加奈先輩に色々な話を聞かされた。だが全く頭は回らず、意識が朦朧とし――。
「気が付いたらベンチに座っていて、オレの肩に加奈が寄りかかっていた。首に絞めた跡があって、オレの手はキリキリ痛んでいたよ。だから察したんだ。オレが殺したんだって」
それで自首していればよかったのかもしれない。だが謙吾先輩の怒りは続いていた。ここで捕まれば浮気相手が誰なのかを突き止めることは出来ないし、締め上げることも出来ない。だから遺体を隠すことにしたのだそうだ。
「加奈の両親にはアイツが浮気をしていたとだけ伝えた。最初はオレが疑われたが、加奈のメールが皮肉にもオレを庇ってくれたんだ。だからオレはここにいる」
結局相手の男は今になってもわからず、それが余計に失踪の可能性を高めてくれたらしい。
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- 21 : 2015/06/28(日) 22:27:15 :
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「……加奈先輩についてはわかりました。じゃあ、千代先輩は何故? 知られたからですか?」
俺は先輩の話を聞きながら千代先輩が埋めたと思われる証拠を見ていた。紙束はそのほとんどが破かれた加奈先輩の日記で、後は加奈先輩が千代先輩に向けて書いたと思われる手紙がある。
「違う。千代は事故だった」
「事故――?」
手紙を読む手を止め、俺は謙吾先輩を見つめた。先ほど先輩は千代先輩のことも殺したと言った。だから事故ではおかしい。
「千代は全部自分で突き止めたよ。元々オレも千代には隠せないだろうと踏んでいたから構わなかった。最初からアイツはオレを疑っていて、時々当てつけのように加奈のフリをしていたのが憎らしかったがな……。一昨日の夜、オレは頃合いだと思い千代を織姫の崖へ呼び出した。話をするつもりだったんだ」
「殺す気はなかったんですか? 千代先輩には知られてしまっているのに」
「千代がオレを理解してくれたなら、捕まってやってもいい気がしたんだよ。だが話をしてわかった。千代とオレはけして相容れることはないとな。オレたちは口論になった。そして、気が付いたら千代が欄干にぶら下がっていた」
その頃には口論でなく、押し合いの喧嘩になっていたのだ。そしてバランスを崩した千代先輩が倒れこんだのがちょうど崖の向こうだった。
「助けられなかったんだ。手を伸ばせばきっと助かったのに、もうオレは直前まで喧嘩していた相手に手を伸ばせるような綺麗な人間ではなかった。千代は声を出す余裕すらなく落ちていった」
それから謙吾先輩は警察に駆け込んだ。防犯カメラには二人が映っていたが、音声までは撮れているわけもなく、軽い口論の末に運悪く落ちてしまった不幸な事故として片付けられた。
それが何故自殺ということにされたのかというと、そうしなければ謙吾先輩の経歴に余計なものが残ると千代先輩のご両親が強く申し立てたからだ。警察では事故と処理されたが、世間ではあくまで自殺ということにしてほしい、と。
「……千代は親と仲が悪かった。アイツの家は離婚の裁判で揉めていてな。一見俺のことを心配した風に見せかけてるが、実際は千代が自殺したことにした方が自分たちにとって都合が良いことがわかってああやったんだ」
何故わざわざ学校にまで来た警察が簡単な質問だけで帰っていったのかようやくわかった。そして千代先輩が自分の安全を一番に考えなかった理由も。
千代先輩の葬儀は今日行われたらしい。身内のみのひっそりとした葬儀だときいて、その理由が自殺となっているからだと思ったが……。後ろめたさのせいで人を呼べないというのが本当だったのか。
「――さて、お前のことをどうしようか。今オレはそれだけを考えている」
「今までと同じように俺を殺すか、それとも罪を償うために自首するかですか?」
訊くことに躊躇いは感じなかった。推理小説でいえばこの場面は正しく探偵が犯人を追い詰め、自首を促すところだからだ。俺は探偵とはけして呼べないし、事件の核心にはとうとう踏み入ることが出来なかったが、それでもこの人の後輩として言えることはある。
「自首しましょう、謙吾先輩。もう先輩の負けです」
そう言って、俺は今まで自分が読んでいた紙束を差し出した。千代先輩が――いや、加奈先輩が遺した真実を謙吾先輩は知るべきだと思ったからだ。
今更何を読んでも変わらない。そう言いたげな顔で謙吾先輩は笑った。だが俺が渡した紙束はしっかり受け取ってくれる。
「……日記の残りと千代への手紙か。警察に持っていく殺人の証拠にしては弱いな」
何故か自嘲するような悲しげな顔で謙吾先輩は言葉を吐き捨て、二つ折りになった紙を広げる。日が落ちた墓地にあるぼんやりとした光を放つ街灯は、その先輩の姿を淡く照らしていた。
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- 22 : 2015/06/28(日) 22:35:01 :
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『千代へ』
先にそれらを読んでいた俺には、この事件の真相が全て理解できていた。だからこそ俺は謙吾先輩に自首を促した。例えここから五メートルの距離に交番があったとしても、俺は同じことをしたと思う。
『どうせアンタには知られると思うから、その前に手紙を出しておく。家にこれが届いたとき、わたしがまだピンピンしていたら笑って』
日記には加奈先輩の記録。そこに書かれているのは何のことはない日常だ。浮気の記録でも喧嘩の記録でもない。強いて言うなら長々と数ページにわたって書かれた――俺たちを楽しませようと様々な工夫を凝らした作りかけの暗号があっただけだ。
『謙吾と喧嘩した。これはちょっとだけ説明したけど、このことで七夕に間に合わなくて本当にごめん。千代も楽しみにしていてくれたのにね。埋め合わせは今度ちゃんとさせて?』
千代先輩も言っていた。七夕にちなんだ暗号を加奈先輩が考えていたのだと。それがずっと不思議だったのだ。七夕に関係あるのなら、何故去年の七夕の日にそれが出てこなかったのだろうかと。
『浮気をさ、疑われちゃって。それでわたしつい言っちゃったんだ。どうせ今回の七夕企画が出来上がったらみんなにっこり元通りだって思ったから、ちょっとしたサプライズのつもりだった。「もし浮気だったらどうする? わたし一度でいいからそういうことしてみたかったんだ」ってさ。冗談きついよね。本当に今は反省してる』
答えは簡単だ。七夕までに完成しなかったのだ。日記を読む限りもう少し捻れば完成だったのだろう。でも最後の最後で加奈先輩と謙吾先輩が喧嘩し、それによって時間が取られてしまった。
『わたしさ、高校卒業して短大へ行くって言ったでしょ? それで、もしそこを卒業するときまで謙吾と付き合っていたら、わたしたち結婚しようねって謙吾に言ったことがあるんだ。謙吾ったら本当に嬉しそうで、受験生だってのにバイト掛け持ちしてちょっと高い指輪をプレゼントしてくれたの。これも前言ったよね』
当然、この喧嘩だって加奈先輩は茶番としてみていたはずだ。七夕企画さえ完成すれば、全て元通りになると信じていたから。そしてそれはおそらくその通りだったはずだ。――完成してさえいれば。
『あれは本当に言っちゃいけない冗談だったからわたしが完全に悪いのはわかってる。だから今日謙吾に謝りに行こうと思うんだ。織姫の崖でさ、ロマンチックだから、謙吾も許してくれるかなって思って』
タイミングが悪かったのだ。そしてほんの些細な冗談が。本当は誰だって相手を傷つけるつもりなんてなかったのだ。
『でも、もし万一のことがあったら、千代には本当にごめん。でもここで別れることになっても、どうか謙吾のことを悪く思わないでね。わたし謙吾のことが大好きなんだもの。だから千代にも謙吾を器量が狭い人だとか言われたくない。……お願い』
そのすれ違いが悲劇を生み、今年に繋がった。千代先輩はこの手紙を受け取っても結局怒りを抑えきれなかったのだろう。その気持ちもわかるのだ。きっと千代先輩が本当に恨んでいたのは謙吾先輩ではなく、二人をどん底に突き落とした運の悪さだったから。
『こういうことを千代に面と向かって言うのは恥ずかしいから、手紙で出した。でも、もし何もなかったら報告はきちんと口から説明するから、それで勘弁して。――いつもありがとう、千代。アンタが友だちで本当によかった』
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- 23 : 2015/06/28(日) 22:36:21 :
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その全てを読んだ後、謙吾先輩は膝から崩れ落ちた。周囲に聞こえるほどの嗚咽を漏らし、紙束を固く握りしめ、先輩は自分を呪う言葉を吐き続けた。
俺はその様子を黙って見ていた。全て終わったのだと、そこでやっと実感した。
『人は死んだら魂と身体に分かれる。残された身体は空っぽの肉の塊でしかない。それは……そうだな、動かない車くらい無価値なものだ』
千代先輩は加奈先輩が既にこの世を去っていることを察していた。この言葉はおそらく謙吾先輩の車に加奈先輩がいるのだという推理をわかりづらく伝えていたんだと今なら理解できる。一度も車に乗せたこともないのに加奈先輩を思い出すなんて、俺でも不思議だと思っていたのだから。千代先輩なら当然そういう推理に行き着くだろう。
そんな千代先輩が何故謙吾先輩のことを警察に話さなかったのか、その理由も今ならわかる。手紙に書かれていたことを守ろうとしたのだ。加奈先輩が謙吾先輩を思っていたことを知っているからこそ、とうとう何も出来なかった。
そして最後の決断が俺に託された。真実を知った俺の決断をきっと千代先輩は見たかったに違いない。だから俺は自首を勧めた。
――結局俺にもわからなかったのだ。誰が悪いのか、何がいけなかったのか。
「……笹の花が咲いたんですよ。花壇の近くにひっそりと」
俺は地面を濡らす謙吾先輩に向けて口を開く。別に聞いてほしかったわけじゃない。ただ言いたかっただけだ。
「あれが咲いたら不吉なことが起きるって千代先輩が言ってました。今年はそれが咲いたからこんなことが起きたって俺は思ってます。――それで」
何の慰めにもならないし、死んだ人は帰ってこない。だが、それでも俺は続けた。
「知ってましたか? 部室の窓からもう一箇所藪が見えていたって。去年の暮れくらいには全部枯れてすっきりしちゃいましたけど、あれ確か全部笹だったんですよ。去年の七夕にはあそこの笹をこっそり使いましたから」
「……ああ、確かにあった」
先輩は顔をあげる。何かに縋りつくような目を向ける。
「もしかしたら――去年はあそこの笹の花が咲いていたんじゃないかって。そう思ったんです」
宵闇の落ちた墓地に、罪に塗れた男の慟哭が木霊する。俺はその男に背を向けて一人歩きだした。もう俺の出番はここで終わりなのだ。後はあの人が自分で決めることで、部外者の俺がどうこうすることではないから。
だからこれで、俺の二日間にわたる推理ごっこは幕を閉じる。
-
- 24 : 2015/06/28(日) 22:37:25 :
***
その後謙吾先輩は自首し、ミステリー研究部は俺一人の部活になってしまった。
当然部長も俺。部員数一で部長も何もないが、元々秋には俺が部長になることが決まっていたため、それが少し早まったと思えば問題なかった。
かつては四人いた部室に一人でいるときは孤独感でいっぱいになるが、千代先輩が残していった新聞部への寄稿の文章などを書いているうちにその感情は吹き飛んでいた。
俺は今、この二年分の七夕の話をひっそりと纏めている。特に世に送り出す予定はないが、もし上手く書けたならそれなりに興味深い物語になると思われた。新聞部に投げてやってもいいかもしれない。
この物語、タイトルだけは既に決めてあるのだ。七夕の話になるし、それにちなんだタイトルにしようと思ったが、結局印象を大事にしようと思って一番初めに浮かんだ言葉に決めた。
『ササノハナ』
――どうか、来年こそは穏やかな七夕になりますように。
俺は未だに出しっぱなしの七夕飾りを眺めながら、今日もキーボードを叩いている。
《了》
-
- 25 : 2015/07/16(木) 19:32:36 :
- 良作をありがとう
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