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クラブ『Flügel der Freiheit』(自由の翼)(第3章)

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  1. 1 : : 2014/02/11(火) 17:33:27
    ★ストーリー★
    現パロ。
    クラブ『Flügel der Freiheit』(自由の翼)(http://www.ssnote.net/archives/3669

    (第2章)(http://www.ssnote.net/archives/6389)の続き

    ディスコ・クラブのDJリヴァイが主役。
    オーナーのエルヴィンが準主役。
    世界観は『日本風の現在のどこかの外国』
    二人を取り巻く人たちと日常のドタバタ劇。
    これまで同様、命を落としたキャラクターたちが出てきて
    オリジナルのキャラもいます。
    クラブ(ディスコ)で紹介する曲は実在するものです。

    *オリジナルキャラ

    イブキ

    ミカサ・アッカーマンと年の近い叔母。
    異国の地に住んでいたがエルヴィンとミケに惹かれるものがあり
    同じ国に移り住む。二人に好意を寄せられ翻弄される。
    イブキのイメージ画。
    https://twitter.com/lamaku_pele/status/433081120842727424/photo/1

    ★過去のSS

    「若き自由な翼たち」
    http://www.ssnote.net/archives/414

    「Ribbon in the sky~舞い踊る自由の翼は再生する」
    http://www.ssnote.net/archives/1006

    「アルタイルと星の翼たち」
    http://www.ssnote.net/archives/1404

    「密めき隠れる恋の翼たち~『エルヴィン・スミス暗殺計画』」
    http://www.ssnote.net/archives/2247

    「密めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスとの1週間』」
    http://www.ssnote.net/archives/4960

    「密めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの苦悩』」
    http://www.ssnote.net/archives/6022

    「秘めき隠れる恋の翼たち~『番外編・エルヴィン・スミスの審判』」
    http://www.ssnote.net/archives/7972
  2. 2 : : 2014/02/11(火) 17:37:04
    ①イブキ、行方不明になる。

    『もうすぐ帰ります!』

     その日、晴天で時間は正午はすでに過ぎていた。
    カフェ『H&M』のオーナー、エルヴィン・スミスは自身の大切な存在の
    イブキの直筆で、旅先の楽しげな様子を伺えるような踊る文字を
    愛おしそうに指先で撫でた。
     彼女の仕事である占い師として出張へ行った渡航先から送ってきた
    絵葉書を手に取りため息をついていた。そこには青々とした森の中に
    石造りの古城が描かれてきて、その地の観光名所ということを記されていた。
    行く先々で写真付きのEメールを送ってきたのだが、
    絵葉書の方が『旅らしい』という彼女のメッセージも記されていたのだが
    この葉書が届いて以来、連絡が途絶えてしまった。
     ランチタイムが落ち着いた頃に定位置であるカウンター席に座って
    葉書を見つめると、エルヴィンは自分のシステム手帳の中に大切にしまった。
     イブキが出張から戻る予定の2週間が過ぎても帰らない。
    エルヴィンをはじめイブキを知るものは帰国予定日から過ぎた1週間、
    寝られない悶々とした日々が続いていた。
     カウンター席はカフェの出入り口のガラスのドア付近に位置する。
    エルヴィンはこの1週間、ドア付近で人の来客の存在を感じると、
    急かされる様に振り向いては、イブキではないことに視線を落とし、
    拳に力を入れることを幾度となく繰り返していた。

    「エルヴィン…イブキから連絡はあったか?」

     エルヴィンがカウンターから席を立ち、ユミルとリヴァイと共に
    ランチタイムからティータイムに切り替える準備をしようとした頃、
    彼と同じくらい心配して心痛めるミケ・ザカリアスがカフェ『H&M』に来ていた。
    その眼差しは疲れきり、誰が見ても寝不足の表情を浮かべていた。
  3. 3 : : 2014/02/11(火) 17:38:23
    「いや…まだこっちにも連絡はない…」

    「――そうか」

     最初の連絡は自分のところに入るだろうと自負し予想していたミケは期待をこめず
    エルヴィンに聞いていた。しかし、当然のように期待を裏切ることを口にする
    彼に対して目を逸らしため息をついていた。イブキに早く会いたい、
    だけど、これから会えないかもしれないという恐怖がミケの心を支配するようだった。
  4. 4 : : 2014/02/11(火) 17:39:19
     イブキの身内であるミカサ・アッカーマンが同居するエレン・イェーガーの両親が
    異国の地の然るべき機関へ問い合わせ、現在連絡待ちの状態である。
    皆は進展がないことにやきもきしていた。
     ミケはカウンター席に座ると、エルヴィンのシステム手帳からイブキが送った
    絵葉書の端が飛び出していることに気づいた。自分にも同じ葉書が届いていたが、
    焼きもちというよりも何より、その葉書をよこした本人に会いたい気持ちが大きかった。

    「オーナー…心配なのはわかるが…大の大人が二人して、
    カフェの出入り口で暗い顔されちゃ、困るんだが…」

     リヴァイ自身もイブキもことは心配ではあるが、伏し目がちで暗い顔をした
    エルヴィンとミケがカフェの出入り口にいるために数人の客が訝しげな表情を浮かべ
    二人を見ていることを目撃していた。
  5. 5 : : 2014/02/11(火) 17:40:11
    「リヴァイ、さすがにそうだな、すまない――」

     エルヴィンがリヴァイの元へ振り向き話していると、ガラスのドアが開いた。
    そこにはアルミンとミカサが入ってきた。二人は学校が終わると、
    イブキから連絡がないか『H&M』に真っ先にきていた。

    「父さん…その顔じゃ、イブキさんから何も連絡がないんだね…」

    「アルミン、ミカサちゃん…そうだ、残念だが」

    「そうですか…」

     特にミカサは姉のように接してくれるイブキの為にエルヴィンのその声を聞くと
    涙ぐみ肩を落としていた。

    「ミカサ、大丈夫だよ、きっとあの笑顔でまた戻ってくるよ――」

    「だといいよね…」

     アルミンは肩を落とすミカサに引きつりながらも笑みを浮かべ励ますように
    声を掛けるが、ミカサの表情は浮かないままだった。
     エルヴィンとミケはカフェの中でも奥の席に座り、今後の対策を練ることにしていた。
  6. 6 : : 2014/02/11(火) 17:40:38
    「最初は…あんなに嫌だったのに話していると、お姉さんって感じして…
    やっぱり、私にも何となく似てる…だから、早く帰ってきて欲しい――」

    「きっと、大丈夫」

     アルミンとミカサはカウンター席に座っていたが、二人の最中は明らかに
    落胆している様子で、背中を丸めていた。そしてミカサの今にも泣き出しそうな顔を
    見ると、アルミンは励ますことしか出来ない自分が歯がゆかった。
  7. 7 : : 2014/02/11(火) 17:41:17
    「二人とも…これ飲んで」

    「ハンジさん、ありがとう――」

     ハンジ・ゾエは二人に対してオレンジジュースを差し出していた。
    そしてアルミンがミカサの前にグラスを移動させると、ストローを刺すが、
    遠くを見るような眼差しで彼女はオレンジの液体とその中で戯れるような
    氷を眺めているようだった。

     「ミカサちゃん…大丈夫よ…? えっ?」

     ハンジもアルミンと共にミカサを励ましているその時だった。
    カフェ『H&M』に地鳴りのようではあるが、何かが近づいてくる為
    耳をすましていた。

    「アルミン、この音…何だろうね?」

    「そうだね…まさか――」

     アルミンも耳をすますと、その音はガタゴトという騒音のようでもあるが、
    ある一定のリズムを刻んでいた。それが徐々にカフェに近づくと
    リズムの間隔が短くなり、慌てて急いでいるのが感じ取れるようだった。
  8. 8 : : 2014/02/11(火) 17:41:48
    「この音って…何か荷物を引いている?」

    「アルミン、そうね…スーツケースのキャスターのタイヤ…?」

     アルミンとハンジはカフェの出入り口のガラスのドアを見つめながら
    耳に神経を集中させていると、その二人の顔を見たミカサはカウンター席の
    高いスツールから飛び出すように離れると、ガラスのドアを開けっ放しにして
    外に飛び出した。

    「あぁ…!」

     声にならない声を上げる口を手元で押さえ立ち尽くす
    ミカサを見るとアルミンも彼女に近づいた。
  9. 9 : : 2014/02/11(火) 17:42:10
    「おかえり…! イブキさん…」

     アルミンとミカサの目の前には疲れた表情でキャスター付きのスーツケースを
    重たそうに引きずるイブキの姿が目の前にいた。
    騒音のような大きな音を立てていたのはスーツケースに2つついているタイヤの
    ひとつが壊れてしまい、壊れた部分が地面をこすり、引きずらていたからだった。
     アルミンの声を聞いたハンジはカウンターから表に出て、
    エルヴィンとミケに慌てながら話しかけた。

    「エルヴィン! ミケさん!今、イブキさんが帰ってきたって!」

     エルヴィンとミケも慌てながら、ガラスのドアの出入り口付近に駆け寄った。
  10. 10 : : 2014/02/11(火) 17:43:27
    「みなさん…ただいま…ご心配をかけました…」

    イブキは安堵した表情を皆に向けると、
    ミカサがその声を聞くと彼女を強く抱きしめていた。

    「イブキ叔母さん…! 連絡もしないでこんなに心配させて、何していたのよ!」

     ミカサはイブキに抱きしめられながら、泣くまいと我慢していた涙が一気に溢れ出し、
    そして怒りを堪えながらイブキに喉を詰まらせ訴えかけていた。

    「ミカサ…ごめんね…ホントに」

     イブキは持っていたスーツから手放し力強くミカサを抱きしめていた。
    その様子を見ていたエルヴィンとミケは安堵で胸をなでおろすが、自ら彼女を
    抱きしめたい気持ちを抑え、拳を強く握りながら二人を見守っていた。
    その眼差しは二人とも和らいで緩ませていた。

    「イブキさん…大変だったようね…まず、お水飲んで――」

    「ありがとうございます! ハンジさん」

     ハンジはイブキに冷たい水が入ったグラスを差しだし、そしてカウンター席に
    座らせるように促した。そして一口飲んだところで帰国が遅れた事情を話し出した。
  11. 11 : : 2014/02/11(火) 17:43:55
     当初、予定通りの2週間で帰国できる予定だった。最終日、イブキの上客のクライアントが
    ある貴族を紹介して、その屋敷で占うよう依頼してきた。通常、イブキはその地の
    知り合いを通じ、カフェや事務所を間借りして占うのだが個人宅へ行くのは避けていた。
    それは見知らぬ人の家に女一人で行くのは避けたいという危険を回避する術でも
    ある。
     そしてイブキは上客に付き添われ貴族の屋敷に行くとそこの主人からの依頼とわかった。
    その占い結果が予想よりもいい結果だったこと、
    そしてイブキがが前向きな鑑定をしてくれた、ということで
    突然『イブキを嫁に迎える』と言い始めた。
    この貴族が住む国は一夫多妻制度の為、第五夫人として迎えたいということだった。
    もちろん、イブキは断るがそこから1週間、イブキと貴族の押し問答が始まった。
     イブキは石造りの城のような一室に幽閉されていた。
    しかし、身体は自由にさせてくれ衣食住にせてるが、外部との接触は途絶えさせた。
     唯一、連絡が出来る相手は紹介してくれた上客だけった。イブキへ理解を示し
    その貴族へイブキを解放するよう説得し続け、そして最後は国際問題にすると
    半ば脅すような最終手段の切り札を出すと、やっと解放してくれた、ということだった。
  12. 12 : : 2014/02/11(火) 17:45:07
    「イブキさん…ホント大変だったんだね…よかった」

    「ありがとう、ハンジさん」

     ハンジは涙ぐみながらイブキの話を聞きながら、彼女がうつむきながらグラスを握る手を
    上からさらに握っていた。

    「私…そろそろ、帰ろうかな…もう休みたい――」

    「イブキ、ずっと心配だった…まさかこんなことが遭ったとは――」

     ミケが話を一通り聞いたあと、息を飲み抱きしめたい衝動を抑えながら
    肩に触れていた。

    「ミケさん、ありがとう、でもこうして帰ってこれたから」

     イブキはミケに触れられたことで、安心しきった表情で肩に触れられた
    大きな手を握り返そうとしたとき、エルヴィンがその手の動きを止めるように
    咳払いをした。
  13. 13 : : 2014/02/11(火) 17:45:33
    「イブキ、もちろん俺だって心配だった。フィアンセの身に何かあっては大変だ」

     イブキはエルヴィンのその声を聞くと、目を丸くして首をかしげていた。

    「えっ…何? エルヴィンさん? フィアンセって誰のこと?」

     イブキは出発前、アルミンの祖父が訪ねてきてエルヴィンに対してお見合いの
    話を進めようとしたとき、それを阻止するため出た行動にたいしてエルヴィンが
    イブキに対して『結婚前提』での付き合いと宣言していた。
    しかし、それはその場を繕う為に行動から出たエルヴィンが調子に乗った発言のため、
    イブキは本気にしていなかった。しかし、騒動が大きくなり帰国した後、
    今後の3人について話し合おうとしていた。
     イブキは幽閉されていた1週間、帰国することしか考えていなかった為に
    エルヴィンに結婚前提に付き合っていると言われたことは彼女の記憶から
    消し去っていたようだった。
  14. 14 : : 2014/02/11(火) 17:46:00
    「イブキ、ホントに…覚えてないのか?結婚前提で俺たち付き合っているって…」

    「あれ…? そんな話あったような、なかったような…?」

     イブキは目線を上にあげながらあごに手をあてがうが、すっかり忘れていた。
    ミケは帰国したときの話し合いで強く出るつもりだったが、イブキの顔を見ると
    『してやったり』というほくそ笑む表情をエルヴィンに向けていた。
     アルミンは父であるエルヴィンの口を開け唖然とした表情を見ると、
    久しぶりに動揺する姿を見ては笑いを堪えていた。
  15. 15 : : 2014/02/11(火) 17:46:33
    「父さん…残念だったね! おじいちゃんは僕にまかせて!」 

     イブキがアルミンが意気揚々と祖父の話をすると、思い出していた。

    ・・・そういえば、あのとき…アルミンのおじいちゃんが来て、
    私が付き合ってますって言っちゃったから…エルヴィンさんに…悪いことしたな――

    「だから、イブキさんも気にしないで…えっ?」

     イブキはカウンター席からアルミンに手を伸ばし気がつくと
    右手で彼の左頭部に触れ、柔らかい髪の毛をくしですくように撫でていた。

    「アルミンくん、ありがとう…」

    「ママ…?」

    「ん? えっ?」

     イブキはアルミンから『ママ』と突然呼ばれ目を丸くして、
    顔を突き出すようにアルミンを見ていた。

    「この手の感触…ママだ――」

     アルミンがイブキの手を握るとお互いに見つめると、ただ奇妙なな感覚がしていた。
    しかし、それは心地よい奇妙さだった。
  16. 16 : : 2014/02/11(火) 17:46:56
    「ア、アルミンくん…ごめんね、突然…この前ね…」

     イブキが出張に出かける少し前、『ザカリアス』で3人で飲んでいると、
    エルヴィンの亡き妻、ミランダの形見のヒスイに突然亀裂が入り、
    彼が慌てて帰った夜があった。その直後誰かに触れられた感覚がしていた。
     気がつけばイブキはその同じような行動をしてアルミンにも触れていた。

    「あの触られた感覚…もし、あなたのお母様なら…不思議ね…でもね
    すごく、優しくて母に抱かれてるって感じがして――」

     イブキはミランダに触れられた感触を思い出すと涙ぐんでいた。

    「どうして…ママはイブキさんに触れたの?」

     アルミン母が自分に対して同じ触れ方をするイブキがただ不思議でしょうがない。
    母に似ている自分の学校の保健室の養護教論であり、
    密かに気持ちを寄せるミリアン・パーカーとも違う感覚しかも、より身近な感覚がしていた。
  17. 17 : : 2014/02/11(火) 17:47:19
    「あのとき、ミランダが触れたであろう瞬間、俺もいたが…
    確かにあのときのイブキは突然泣き出すし、驚いたよ――」

    「そうね…」

     ミケはイブキに優しい眼差しを向けながら、その瞬間を懐かしんでいた。
    もしかして、イブキに会えないかもしれないと、この1週間、胸が締め付けられる
    感覚がしていた。その苦しさに比べるとエルヴィンが祖父が訪ねてきていたときの
    騒動は些細な出来事と過去のように思えていた。

    「やっぱり、俺とイブキは結婚するから、そんな感覚がしたのだろうか…」

     エルヴィンはイブキとアルミンの様子を伺うと、頬を赤らめなぜか
    照れ笑いを浮かべ、笑いすぎないように顔を左手で顔を抑えていた。
    その手には亡き妻の形見のヒスイから作ったカレッジリングはなかった。

    「おい、エルヴィン、おまえいい加減にしろよ――」

     ミケはエルヴィンに対して忘れ去られた出来事を蒸し返す発言を
    半ば呆れため息をついていた。
     イブキはやっと帰ることが出来た安堵感に浸っていたが、
    3人の関係のことを思うと、頭が重くなる感覚がしてきていた。

    「あの、このことはまた今度――」

     イブキが二人に話した瞬間、疲れからめまいを起こしていた。
    そしてカウンター席のスツールの背もたれが抜かれた感覚がすると、
    背中からそのまま倒れこみ、天を仰いでいた。
  18. 18 : : 2014/02/11(火) 17:48:01
    「イブキ、あぶない!」

     咄嗟に倒れるイブキを抱えたのはミケだった。
    その弾みでスツールも転がりそうになるが、隣に座っていたアルミンが瞬時に止め
    大きな音を立たせることを阻止していた。

    「ミケさん…ありがとう」

     イブキは心配するミケの眼差しに吸い込まれそうな感覚がしていた。
    そして、帰ってきてよかったと改めて感じていた。

    「イブキ叔母さん…もう帰ろう」

     ミカサがイブキのトランクを持ちながら、帰るよう促していた。

    「そうね、ミカサ…帰ろっか」

     疲れた眼差しをミカサに送るイブキの顔は青ざめていた。やっと帰って来れたと
    安堵感に浸っていたのもつかの間、また二人のことを考えると、ため息をつくしかなかった。
     そして自分のことを本当に心配してくれるミケとエルヴィンに対してどうしたらいいか
    イブキはますますわからなくなっていた。
  19. 26 : : 2014/02/12(水) 10:29:41
    ②逃げたい

     イブキが異国に出張に行ったとき、長年使っていた愛用のスーツケースも
    思わぬアクシデントに被られていた。
     スーツケースの下部にはキャスターが2コ装着されているが、
    その内の1コが壊れタイヤの部分が回らなくなっていた。
     それは幽閉されていた貴族の城から帰る時、
    イブキが慌ててその城の出入り口である城壁にぶつけてしまったからだった。
    キャスターのタイヤ部分は金属製のはずが、より頑丈だったらしい
    石造りの城壁に壊されてしまっていた――
  20. 27 : : 2014/02/12(水) 10:30:27
    「ミケさん、ごめね…なんだか重い荷物持たせてしまって…」

    「大丈夫だ、気にするな――」

     イブキのスーツケースの取って部分を持ちながら、彼女を自宅のアパートに送るのは
    ミケ・ザカリアスとミカサ・アッカーマンである。
    二人は心から心配であること、そしてミケはイブキの荷物を運ぶと
    自ら率先して送ることにしていた。
     イブキをミケと同じように大切な存在とするエルヴィン・スミスがいないのは、
    自分の仕事の営業中のためリヴァイから送ることを阻止されていた。
     イブキとミカサが横並びで歩き、その後ろをミケが歩いていた。
    ミケが見つめるイブキの後姿は『トボトボ』と歩く表現がピッタリで、
    ミカサと比べあまり年の差はないはずだが、後姿も似ているため
    見ようによっては『母子』という印象を与えていた。
  21. 28 : : 2014/02/12(水) 10:31:17
    「イブキ叔母さん、ホントに大丈夫なの?顔色悪いけど、まさか…変なこととか
    されてないよね…?」

     ミカサはイブキに耳打ちするように聞くが、後ろのミケには聞かれていた。

    「もう…ミカサ…! 大丈夫よ! 
    もし、変なことされていたら、ただじゃすまないから――」

     顔を引きつらせながらミカサの質問に答えるイブキは抑揚なく話しているせいか、
    『ただじゃすまない』という割には力がこもっていなかった。
  22. 29 : : 2014/02/12(水) 10:31:56
    ・・・イブキ…本当に大丈夫だろうか…?

     イブキの肩を落とす姿を見ながら、再びこの後姿を抱きしめたことがあると
    ミケは思い出していていたが、今のところ再びそれは起きそうにもない。
     イブキはやっと帰れたと安堵で胸を撫で下ろせたかと思っても、
    ミケとエルヴィンに翻弄されていることに、疲れを感じていた。
    『大事にされていることを大事にしたい』という答えを出した自分自身が招いた
    報いだと、イブキ自身も理解していていた。
  23. 30 : : 2014/02/12(水) 10:33:27
    その疲れが体中を徐々に蝕んでいくようで、自分の出した答えに疑問を持つが
    何も考えたくない、それが今のイブキの答えだ。

    「二人とも…今日はありがとう、あ」

     イブキは玄関のドアを開けると、安堵感からよろけてしまい、
    ミケに改めて抱えられ、二人を心配させていた。
     イブキはすぐにミケから離れ自ら立ち上がった。

    「ホント、私はこんなに弱かったかな――」

    「イブキ、大丈夫か、ホント…」

    「大丈夫よ」

     その声は力なく、ミケと目が合った瞬間、すぐにうつむいていた。
  24. 31 : : 2014/02/12(水) 10:35:31
    「イブキ叔母さん、明日は日曜だし、イェーガーのおば様に頼んで、
    今夜はここに泊まるって頼んでみるね」

    「ミカサちゃん、それはいい、ぜひそうしてくれ――」

     ミカサがその夜に泊まることをて提案すると、イブキも快諾していた。

    「それじゃ…ミカサ、待ってるね、ミケさん…ありがとう」

    「あぁ…何かあったらすぐ電話するんだ――」
     
     ドアが閉められるとミカサは急いで歩きながら家路に向かい
    そして家に電話をすると、宿泊の許可をもらうことにした。
    ミケはイブキの部屋のドアが離れようとすると、すぐに中からドアの鍵が閉まる音が
    響いてきたと同時に中からドサっという何かが崩れる音がした。
     それはイブキが膝から崩れ落ちる音だったが、
    鍵が閉められた為にミケはドアの前に立ち尽くしてしまった。
    無事を祈りつつ、自分の店の営業のために『ザカリアス』のあるビルまで
    向うが後ろ髪を引かれる思いでいっぱいだった。
  25. 32 : : 2014/02/12(水) 10:37:15
     そろそろ夕方という時間。ミカサは早々にエレン・イェーガーの母、カルラから
    宿泊の許可をもらうと、イブキのアパートまで戻っていた。イブキの部屋に入ると、
    3週間、部屋を開けていたというが空気の入れ替えも済んで心地よく、
    スーツケースも片付けられていた。
     ただイブキはリビングの電気もつけない薄暗い中、
    ソファーでクッションを抱えたまま座っていた。

    「イブキ叔母さん、電気くらいつけようよ――」

     ミカサが部屋の電気を点灯させ、
    ソファーに座るイブキを見ると涙が伝うあとを頬にみつけた。

    ・・・イブキ叔母さん、泣いていたの…?

     ミカサはイブキのそばに座り、クッションを抱えるイブキの手を取り握っていた。

    「ミカサ、心配かけちゃったね…」

     イブキはギュッと抱きしめられると、二人は横並びに改めて座り
    ポツリポツリと幽閉された城でどう過ごしていたのか話し始めた。
  26. 33 : : 2014/02/12(水) 10:37:59
    「私がいた部屋ってね…広くて贅を尽くしたって感じで…
    ベッドは豪華な天蓋付で…何でも物はあって、生活には困らない部屋だったよ」

    「そうなんだ…」

    「ホントに…おとぎ話のお姫様になった気分で…夜になると、月を眺めて
    あの人もこの月を見てるのかな…なんてね、そんな感じに考えていた…」

     イブキは冗談を言っているかもしれないが、ミカサは笑えなかった。
    実際にその当事者にならないと、理解できないかもしれない、そう感じていた。
     城の中にイブキが滞在した部屋は入った瞬間、
    じゅうたんが自分の重みですぐにへこんでしまうことがわかるほどの
    フカフカであり、ベッド以外にも高い窓にも
    豪華な装飾のカーテンが取り付けられ天井にはシャンデリアが輝いていた。
  27. 34 : : 2014/02/12(水) 10:38:45
    「それでね…物はいっぱいあるけど、夫人たち4人は仲は悪いし、
    早く帰りたいって焦っていたけど…ある瞬間、ふと思ったんだよね」

    「何を…?」

    「こっちに帰っても…また苦しみが待っている。あの二人からから誰を選ぶ…
    つらい選択をそろそろしなきゃって思っていたから…」

    ミカサは遠くを見つめるイブキを何も言わず見つめていた。

    「その選択をするくらいだったら…逃げたかった。だから、このまま…
    あのお城にいて、求婚を受け入れてもいいかな…なんて、頭によぎった――」
  28. 35 : : 2014/02/12(水) 10:40:36
    「イブキ叔母さん、ヤダよ、そんな…」

     ミカサは涙ぐむと、イブキはギュッと強く抱きしめられていた。

    「そうだよね…バカな考えよね」

     イブキは穏やかな声でミカサの耳元でつぶやいた。

    「だけどね…いつも、あの二人の笑顔や声が聞こえような気がして…
    すごく会いたくなったよ」

    「そっか…ホントにアルミンのお父さんも…
    『ザカリアス』のおじさんも…とても心配そうな顔をしていたよ…」

     ミカサが二人のことを話すと涙があふれそうになり、イブキは堪え口を押さえた。
  29. 36 : : 2014/02/12(水) 10:42:20
    「私は…二人に思われてすごく嬉しいよ…」

     イブキは遠くを見るようにつぶやくと、ミカサは顔を上げていた。


    「イブキ叔母さんは…誰が好きなの…?」

     ミカサはまるで、大ケガをして触れてはいけない傷に触れるように
    そっとイブキに本心を聞きだすことにした。

    「私は…ミケさんに惹かれる――」

    「――じゃ、『ザカリアス』おじさんを選んだら…?」

     ミカサは間髪いれず、イブキに言い放った。

    「でもね…エルヴィンさんは…何というか放っておけない感じがする。
    この人は…私がいなきゃ、ダメになる…そんな感じがする」
  30. 37 : : 2014/02/12(水) 10:44:26
    イブキは淡々とミカサに自分の気持ちを告白すると、
    恥ずかしさでクッションで顔を隠していた。その気持ちを聞いたミカサは
    口角を上げ話し出した。

    「イブキ叔母さんの…アルミンのお父さんに対する気持ち…
    私がエレンを想う気持ちに似ている…」
     
     そしてミカサも本心を話すと頬を赤らめフっと笑った。

    「えっ…?」

    「それって『母性をくすぐる』って言うんだよね?」

    「うん…そうだね…!」
     
     イブキはミカサから『母性をくすぐる』ということを聞くと笑みがこぼれていた。
    自分がミカサくらいの年齢の頃、その気持ちで男性に惹かれることはあっただろうか
    ということを考えるとミカサが可愛らしく感じていた。
  31. 38 : : 2014/02/12(水) 10:45:47
    「でも、何だかんだと…イブキ叔母さんってもてるんだね…!求婚されてりとかさ」

    「えっ…そう…なのかな――」

     イブキはミカサが予想外のことを言う為に声をあげて笑いそうになった。 

    「ミカサだってどうなの? ジャンってコとどうなったの?」

    「えっ…あれから…電話したりとか、遊びに行くこともあるけど、それだけだよ」

    「ホントに…?」
  32. 39 : : 2014/02/12(水) 10:47:36
     ミカサに茶目っ気のある表情を向けると、頬を赤らめうつむいた。

    「なんかね…私がジャンさんと遊びに行って帰ってくると、
    エレンが不機嫌で…その顔を見ると何というか、かわいくて…」

     うつむきながらミカサは自分の本心を打ち明けると顔を真っ赤にしていた。

    「ミカサったら…なんだか、小悪魔みたいね…!」

    「イブキ叔母さんだって、人に言えないよ!」

     お互いに声を出して笑うと、イブキは目じりに涙を浮かべていた。
    帰ってきてから、思いっきり笑うのは初めてだった。
  33. 40 : : 2014/02/12(水) 10:48:19
    「なんだか…ミカサと話せてよかったよ! 
    だんだんと、気持ちもスッキリしてきたし…ありがとね、来てくれて…」

    「ううん! イブキ叔母さんが元気になってくれたら、私も嬉しいから!」

     ミカサはイブキに抱きつくと、帰ってきてくれてよかったと改めて感じ、
    そしてそれはイブキも同様だった。そして、同時に二人ともお腹が空く、
    互いの『腹の虫』の音に気づいた。
  34. 41 : : 2014/02/12(水) 10:49:02
    「もうこんな時間か…ミカサ、どこかに食べに行こう」

     イブキが窓から外を覗くと、夕暮れ時で大空がオレンジ色に染まろうとしていた。

    「どこか行きたいところあるの?」

    「うーん…特にないけど、あ、でもねやっぱり、窓から外が眺められるとはいえ、
    同じ部屋に閉じ込められていたから、テラスがあるような開放感があるところで
    食事がしたいかな…」

    「テラス? どこがあるだろ…あっ――」

     ミカサはイブキからテラスがあるところと言われある場所を思い出し、
    頬を紅潮させると、肩をすぼめ目線を落とした。

    「ミカサ、行きたいっていうか、どこか思い当たる場所があるの?」

     顔を上げたミカサはイブキに話し出した。
    大人になったらエレンと行きたいと願う場所があるという。
    そこは遊園地の近くに位置するホテルで、
    バルコニーから見える打ち上げ花火がキレイと言われている。
     そしてこの街に住むカップルが
    イベントや記念日で泊まることがステータスとされている。
  35. 42 : : 2014/02/12(水) 10:50:27
    「へーっ! ミカサ…! エレンとお泊りしたいなんて…!」

    「もう、恥ずかしい…」

     ミカサはイブキが手に持っていたクッションを今度は自分が持ち、顔を隠していた。

    「じゃあ、ミカサ…いつかエレンとお泊りする前に下見と行きますか――」

    「――えっ」

     イブキはミカサと話していたら、元気がもらえることを感じていた。
    そして気分転換と喜ぶミカサが見たいと思うと、そのホテルに泊まりに行こうと決めた。
    その前にカルラに連絡して、ホテルに泊まりに行くと許可を得ると、予約の電話を
    入れることにした。
  36. 43 : : 2014/02/12(水) 10:51:00
    ・・・さすが、イブキ叔母さん、行動が早い――

     ミカサはあっという間にこの国に住むことを決めたイブキを思い出し、
    息を飲みながら、予約の電話をする姿を見ていた。

    「すいません、今から何ですが2名で泊まれる部屋はありますか…?」

     イブキはバルコニーで夕焼けを見ながらホテルの予約係りと話していた。

    「あいてますか! よかった…えっ、セミスイート?」

     空室はあるがそのホテルで2番目に豪華な部屋が空いているとわかった。
    イブキは豪華な部屋にはもう泊まりたくないと、一瞬ちゅうちょするが、
    ミカサと一緒だからと予約することにした。
  37. 44 : : 2014/02/12(水) 10:52:22
    「イブキ、おばさん、そんな高い部屋を…!」

     ミカサが驚いていると、手を出し静止させるような動作をミカサに見せていた。
    それは、大丈夫、気にしないで言っているようだった。

    「はい…それじゃよろしくお願いします! あっ、はい…どうも…」

     歯切れが悪いような通話を終えるイブキを見たミカサは
    どうしたのかと質問を投げかけた。

    「ミカサ…タクシーで行くって伝えたら、リムジンで迎えに来るんだって…!」

    「んっ? リムジン…? って、何?」

     イブキは車体が長い車について説明すると、ミカサは目を丸くしていた。
    アーティストのPVとかで見たことあると話すと、イブキはそれそれ、と
    指をさしてミカサに示していた。お互いにリムジンに乗るのは初めてのため
    落ち着かなくなり、だんだんと緊張で顔が強張っていた。
  38. 45 : : 2014/02/12(水) 10:54:55
    「ミカサ…! やっぱり、豪華な車に乗るなら、おしゃれしなきゃ…
    迎えまで時間があまりないけど、私が持っている服とメイクで何とかするから」

    「じゃ、イブキ叔母さん、お願いしてもいい…?」

    「りょうかい! それじゃ、エレンが見ても、ミカサのことを気づかないくらい、
    大人っぽくしちゃおう!」

     ミカサがイブキの持つ洋服から選んだのは膝上の黒いタイトのミニスカートだった。
    ワンピースで太いベルトがウエストの細さを強調させていた。
    その上からジャケットを羽織っていた。
     そしてイブキのドレスは膝が隠れるくらいのビロードの
    ロイヤルブルーのワンピースを選んだ。
    柔らかいフレアの裾が広がり、
    カシュクールタイプの襟元がクロスしてV字から覗く胸元が強調されていた。
  39. 46 : : 2014/02/12(水) 10:55:37
    「イブキ叔母さんって、胸が結構あるんだね…!」

    「ミカサだって、すごく細いウエスト…!」

     二人はお互いが着た衣装にに目を見張っていた。
     イブキは迎えが来るギリギリの時間までミカサにメイクをして
    実年齢よりも5歳くらい年上に見えるように仕上げていた。
     イブキ自身も髪の毛をコテで巻いて、ドレスに合うようなゴージャスな
    ヘアメイクにどうにか仕上げたとき、リムジンが到着したという
    連絡の着信が彼女のスマホに入った。
  40. 47 : : 2014/02/12(水) 10:56:29
    「ミカサ、グッドタイミング! 今到着したんだって!」

    「うん、わかった!早く、行こう」

    「何だか私たち、姉妹みたいだね…!」

     イブキの微笑みを見ると、数時間前までの疲れきった表情から
    元の明るい姿に戻っていて自然にミカサは笑みがこぼれた。
     アパートの一階の前の道路に出ると、二人は初めて目の前で見た
    車体が細長い真っ白なリムジンに目を白黒させていた。
    そして、運転手がドアを開けると、ミカサが先に乗り、イブキが次に乗り込んだ。
  41. 48 : : 2014/02/12(水) 10:56:56
     通行人が何事かと見ている中、その近くにいたのはミケだった。
    イブキが心配でアパートに様子を伺いに来てたのだった。

    「イブキ…リムジンが迎えにくるって、まさか――」

     ミケはイブキを第5夫人にしようとしていたあの貴族が
    彼女を迎えにきたのかと勘違いして、
    後部座席から見えるイブキであろう人影を唖然として眺めていた。
  42. 51 : : 2014/02/13(木) 13:01:07
    ③追いかける

     イブキがロイヤルブルーの膝上のワンピースで着飾りリムジンに乗り込む瞬間を
    目の当たりにしたミケ・ザカリアスはその姿に見とれる間も与えられず、
    そのリムジンが出発すると、後ろから走ってきたタクシーをそのまま捕まえた。
     彼女が出張から遅れて帰ってきたと思った束の間、予想さえしなかった光景が
    ミケの目の前に起きているため、追いかけずにはいられなかった。
  43. 52 : : 2014/02/13(木) 13:02:11
    「営業時間の準備が…もう、そんなの気にしてられない――」

     ミケは腕時計を見ると、自分の店の『ザカリアス』の準備をしなければいけないが、
    それよりも目の前に走るリムジンを追いかけることがその時のミケの最優先だった。

    「お客さん、リムジン…の行き先、たぶんあのホテルだ――」

    「えっ…」

      ミケが乗ったタクシーの運転手はたまにそのリムジンを見かけると話していた。
    それはイブキが泊まるホテルで行われるサービスの一つ、
    ハイクラスの部屋に宿泊する客に対してリムジンで送迎するサービスがあるということを
    身振り手振りを交え説明していた。
  44. 53 : : 2014/02/13(木) 13:03:24
    「いい部屋に泊まるってことは…やっぱり――」

     ミケはイブキのスマホに連絡しても電源が切られているというアナウンスがする
    だけで、繋がることはなかった。イブキはミカサ・アッカーマンと二人だけで過ごしたい、
    そう願うと電源を切っていた。
     イブキとミカサが乗ったリムジンがあるホテルの出入り口のポーチに停止すると、
    ミケのタクシーはそこから離れた場所に停まった。そして中からイブキだけでなく、
    ミカサまで出てきたためにさらにミケは目を細め、その様子を伺っていた。
  45. 54 : : 2014/02/13(木) 13:04:00
    「一体、どういうことなんだ…?」

     イブキとミカサはホテルのフロントのボーイに荷物を渡すと、
    そのままフロントに向かい、宿泊の手続きをしていた。
    貴族らしき人物が二人を迎えない為に
    ミケはますます戸惑う表情を隠せずにいた。
     そして気づかれないようにホテルに入ると、
    イブキとミカサはそのままエレベーターで最上階の部屋に案内されていた。  
     そのホテルの最上階は宿泊者しか行けないためにミケが腕を組み、
    どう行動を取ろうかと悩んでいるちょうど、そのときエルヴィン・スミスからミケの
    スマホに着信が入った。
  46. 55 : : 2014/02/13(木) 13:07:21
    「今夜、イブキはお前のところに行くと思うか?」

     ミケは事情を知らないとは言え、エルヴィンののん気な問いに苛立った。

    「エルヴィン、今はそれでころじゃない――」

     ミケはエルヴィンに現在、目の前に起きている状況を話すと、
    声を上げて驚いていた。そしてすぐそのホテルに行くと告げると、
    『FDF』の営業をリヴァイにまかせ、そのままミケと合流することにした。
     ミケはイブキの部屋へ向うエレベーターが眺められる喫茶室を見つけ
    エルヴィンの到着を待っていた――
  47. 56 : : 2014/02/13(木) 13:09:38
    「ミケ、どういうことだ…?」

    「エルヴィン、思ったより早いじゃないか」

    「あぁ…一大事だから、のん気にしていられない」

    ミケがエルヴィンに事情を説明すると、眉をしかめ口を一文字に閉ざしていた。
    そして二人してイブキが出てくるであろう、エレベーターを見つめていた。

    「ミケ…あれか…?」
     
    「あぁ、あのブルーの服がイブキだ」

     ロイヤルブルーのワンピースが現われると二人は喉を鳴らして息を飲んだ。
    そして胸元が強調されたカシュクールを見ると、さらに二人は釘付けになっていた。
  48. 57 : : 2014/02/13(木) 13:11:09
    「あんなに…おしゃれして、どういうことだ――」

     エルヴィンはイブキに電話をかけるが、相変わらず電源は切られたままだった。
    彼はスマホに耳をあて流れてくるアナウンスに怪訝な表情を浮かべ、
    イブキを目で追っていた。
     イブキとミカサは二人が近くにいるとは気づかず
    そのままホテル併設のレストランに入っていった。もちろん、ミケもエルヴィンも
    同じレストランに入っていたが、二人から遠いところにテーブル席に付いた。

    「あの二人は…テラス席? この季節に寒くないのか…?」

     ミケがいぶかしげな表情を浮かべ二人のテーブルを見ていると、
    季節柄、テラスに座るのはイブキとミカサしかいない。しかし、その席の周りには
    電気ストーブが置かれ二人は厚着をしていた。 
  49. 58 : : 2014/02/13(木) 13:12:10
    「ミケ、二人席しかなようだが…貴族は来るんだろうか…?」

     エルヴィンは食事のコース料理をオーダーしながら二人を見ると
    テーブル席が二人分の食器が用意されていないことに気づき、首をかしげていた。

    「…おい、イブキの顔、見てみろ…」

     イブキは開放感の影響か、昼間は見せなかった溢れる笑顔でミカサと話していた。
    そして、その出会った頃の表情に戻っていると二人は気づいた。
  50. 59 : : 2014/02/13(木) 13:13:21
    最近の戸惑う表情を思い出しては、本来の笑顔を奪っているのは
    自分たちではないかと感じ始めていた――
     コース料理で最後のコーヒー飲んでも一向に貴族らしき人が現われない。
    ミケとエルヴィンは二人に対して訝しげな視線を送り続けると、
    レストランのウェイターが気づかれていた。

    ・・・あの男性二人のお客様はテラス席のお客様とのお知り合い…?

     このウェイターは何気なく聞いてみようと、二人に近づき料理の感想を聞きながら、
    イブキとミカサに視線を送り、お知り合いですかと聞いていた。
  51. 60 : : 2014/02/13(木) 13:14:37
    「あ、いや…さっきから、楽しそうにしているし、素敵な姉妹だと思ってね…」

     エルヴィンは穏やかな表情でウェイターと話していた。
    本当のことを話さず、イブキとミカサが楽しそうに
    いい笑顔を浮かべる姉妹が美しいと話していた。

     ・・・何気取っているんだ、エルヴィンは…

     ミケはエルヴィンが何食わぬ顔をして従業員の質問に答えるため、
    本来の動揺しやすく、すぐにうろたえる姿を思い出すと笑いを堪えていた。
    しかし、紳士的な客と感じた従業員はイブキとミカサのことを話し出した。

    「そうですよね、素敵なご姉妹のお客様だと私どもも感じています。
    今夜は寒くてもテラスから見える打ち上げ花火を楽しみにされているそうですよ――」

    「ほう…」

    「そろそろ、花火の時間だと思います――」

     ウェイターは二人に丁寧に一礼をすると、そのまま離れていった。
  52. 61 : : 2014/02/13(木) 13:15:29
    「…ってことは…二人だけでこのホテルに来たってことか…?」

     ミケは両腕を組むとそのままテーブル席に両肘を置き、
    鋭い視線で二人を見ていたはずだったが、その目は少しずつ和らいでいた。
     貴族は来ないと思い、安心した瞬間、ホテルの隣の遊園地から
    見物客の胸に響く轟音を奏でながら、打ち上げ花火が真っ黒な夜空を彩っていた。
     打ち上げ花火が大空を支配するかのように、いくつもの花を咲かせていくと
    イブキとミカサは目を細め見上げていた。一瞬の花火がいくつも煌き、
    柔らかい光の中のイブキの微笑みがさらに輝いていた。

     
  53. 62 : : 2014/02/13(木) 13:17:20
    「なぁ…エルヴィン、俺たち…イブキを追いかけすぎたかもな――」

    「そうだな…あの笑顔…素直に喜んでいるってことだろう」

     二人はイブキの笑顔にため息をついていた。
    そして花火が終わる頃、テーブル席から立ち上がり、
    レストランから離れることにする。

    「ミケ、しばらく…イブキに対して『休戦』しないか…? 普通の態度で接しよう」

    「そうだな…仕方ない」

    ミケは鼻で笑うと、イブキの笑顔を横目にそのまま遠ざかっていた。
     二人はいい笑顔を見せてもらったとウェイターに話すと、
    イブキとミカサの分の食事代も払うことにしていた。
    そして『代金はホテルのサービス』と伝え、自分たちのことは
    伏せて欲しいと頼んでいた。
     レストランから出ると、エルヴィンはミケに伏目がちに話し出した。
  54. 63 : : 2014/02/13(木) 13:19:49
    「なぁ…ミケ、イブキがいつか俺たちのいずれかを選んだとき…
    これまで通りの生活をしよう…姿を消すなどして…彼女を悲しませたくない――」

    「そうだな…」

     ミケはエルヴィンの肩を軽くたたきながら答えるが、
    これ以上、二人は何も話さなかった。

    ・・・だが、先のことは…わからない、俺さえも――

    二人は自分たち営業もあるために足早にホテルを後した。
     エルヴィンはイブキの気持ちの気持ちがミケの方に傾いている気づいている。
    いつか来るであろう、イブキがミケを選ぶ日を覚悟すべきだ――
    花火から零れ落ちる柔らかい光の輝きに包まれる彼女を見ていると、
    その決意を胸に宿していた。
     そしてエルヴィンは長い息を吐きながら、ため息をつくと正面を見据える
    眼差しは弱弱しかった。
  55. 64 : : 2014/02/13(木) 13:20:41
    「ホント、キレイだったね!」

    「ミカサ、いつかあの遊園地にエレンと行って、その帰りにここに
    泊まったらいいじゃないのー!?」

    「もう…イブキ叔母さん!」

    ミカサはイブキの冗談に頬を赤らめうつむきながら、イブキの後ろを
    追いかけ歩いていた。
     ホテルの隣に位置する遊園地の打ち上げ花火のショーがすべて終わり、
    イブキとミカサはテラスを後にすると、レストランの会計に向った。

    「お客様、本日とお食事代は当ホテルからのサービスでございます――」

  56. 65 : : 2014/02/13(木) 13:22:25
    「えーっ! いいんですか!?」

     イブキが財布を持ちながら、目を見開き口角は上がりっぱなしだった。

     花火を見て興奮は冷めないまま、そして更なる『サプライズ』に心が躍る気分で
    晴れやかな表情をエルヴィンとミケを接客したウェイターに見せていた。

    「あのお二人…きっとこの女性が好きなのかも――」
     
     清々しい笑顔でウェイターやレストランのマネージャに挨拶しながら、
    イブキはレストランを後にした。
     部屋に戻ったイブキとミカサは大きなフカフカなベッドを見ていると、
    すぐに眠気に誘われていた。二人は風呂に入るとそのまま
    吸い込まれるようにベッドに横になっていた。
     特にイブキは1週間、寝られない夜を過ごしていた影響か、
    睡魔に瞬殺されあっという間に寝息を立てていた。
     翌朝、イブキは部屋に備え付けられた電話の呼び出し音に起こされた。
  57. 66 : : 2014/02/13(木) 13:25:06
    「おはようございます…ルームサービスの
    朝食をお持ちしてもよろしいでしょうか?」
     
     イブキは頼んでいなかったが、これもサービスであると電話口の女性に言われ
    そのまま部屋に招き入れていた。

    「すごい…! 朝からこんなに…?」

    「はい、当ホテルの自慢のモーニングでございます」

     イブキとミカサの目の前には朝から食べきれないようなフルーツやヨーグルト、
    バケットやウインナーがテーブルにたくさん並べられていた。

    ・・・ここのホテル…リムジンのサービスはホームページで見たけど、
    昨晩のディナーといい、このモーニング…まさかね――
  58. 67 : : 2014/02/13(木) 13:25:51

     イブキはモーニングを口に運びながら、貴族が追いかけてきているのかと
    疑っていたが、ミカサの楽しそうな表情を見ると、怪訝な顔をするのを
    どうにか堪えていた。

    「ミカサ、あとは何しよっか?」

    「えっと…室内プールがあるみたいだから、そこに行ってみたい!」

     ミカサの提案を受け入れ、二人が廊下に出るとイブキが気づいた。

    「この香りは…?」

     廊下では甘い残り香が漂っていた。それはイブキが1週間を過ごした
    城で焚かれていたお香だった。
  59. 68 : : 2014/02/13(木) 13:27:05
    「ミ、ミカサ…帰るよ…!」

     イブキはミカサに理由を告げずに帰る準備をして慌ててチェックアウトをすると
    そのまま帰路についた。
     ホテルのロビーに隠れて二人の様子を伺っていたのはイブキを追いかけてきた
    貴族と『じぃ』と呼ばれいる執事だった。

    「旦那様、イブキ様を最後にひと目見たいからと、
    こうして私も付いてきたのですが…もう帰りましょう、
    あの方には特別な男性が二人もいる。女性としてどうかと――」

    「じぃ…僕だって、妻がすでに4人いる。すべて僕の財産目的で
    愛してくれない妻たちだが――」
  60. 69 : : 2014/02/13(木) 13:28:00
    イブキを第5夫人として迎え入れようとした貴族はイブキの姿を見て
    ため息をついた。イブキが帰国すると密かに執事を連れて後をつけていた。
     イブキと初めて会ったとき笑顔で鑑定してくれたが、その後、幽閉されると
    彼女は笑わなくなってしまった。その笑顔をもう一度見ることが出来たら、
    自分の国に帰ろうと決めていたが、途中でミケとエルヴィンの存在に気づくと、
    負けじとライバル心が芽生えていた。そのため、二人がディナー代を負担する
    姿を目の当たりにすると、朝食のルームサービスをイブキのためにオーダーしていた。

    「旦那様、イブキ様をどうするおつもりですか…?」

    「連れて帰りたいが…でも、あんなに嫌がられたから、ムリだろう」

     ため息をつく旦那様と呼ばれる貴族を見つめる執事は
    その貴族が幼い頃から仕えていた。
     悲しげな姿を見ると、イブキに接触して話してみようと執事は決意していた――

  61. 70 : : 2014/02/14(金) 17:29:04
    ④貴族、現る…が

    「イブキ叔母さん、どういうこと? 何があったの…?」

     ミカサ・アッカーマンは慌ててタクシーに飛び乗ったイブキに強張った表情を向けた。

    「ミカサ、廊下で…何か匂いがしなかった…?」

    「そういえば、甘い香りが…」

    「そう…あの香りね…貴族の城で焚かれていた御香と同じなの――」

     切羽詰った顔をミカサに向けながら、イブキは貴族が自分の
    あとをつけている可能性があると話し出した。イブキはミカサを守らなければ
    いけないと感じるとタクシーの中で肩を抱きながら話し出した。
  62. 71 : : 2014/02/14(金) 17:29:50
    「まさか…追いかけてきているとは…ミカサ、ごめんね…あんなに楽しかったのに
    最後はこんなことになってしまって――」

    「ううん、いいの…イブキ叔母さんこそ大丈夫?」

    ミカサは突然のことで目を泳がしているが、気丈な態度を示すイブキの手前、
    弱音を吐いていられないと感じると、イブキの手を握っていた。
     タクシーがイブキのアパートの前に停まると、二人はそのまま飛び出すように降り、
    怪しい影がないか、目を光らせながらアパートの内のエレベーターホールに
    入ったときだった。

    「…イブキ様」

     突然、野太い低い声でイブキは声を掛けられ、
    心臓が飛び出すくらい驚き立ち止まった。
    そしてゆっくりと振り向くとそこには色黒で長身の中年の男が立っていた。
    身なりは3ボタンのスーツを着ているが、目の周辺には日焼けが影響して
    刻まれたと想像できる、しわが目立っていた。
  63. 72 : : 2014/02/14(金) 17:31:09
    「キースさん…!」

     イブキがミカサを抱き寄せ、手を出させないという表情でキースを睨んだ。

    「イブキさん、もしかしてこの人があの貴族…?」

    「えっ…?」

    ミカサの一言でイブキが目を丸くして視線を送ると、
    キースが苦笑いをして話し始めた。

    「いいえ…私は執事のキース・シャーディスでございます…」

    キースは丁寧にお辞儀をすると、ゆっくりと話し出した。
  64. 73 : : 2014/02/14(金) 17:32:26
    「イブキ様、どうぞ、私どもの勝手な行動をお許しください…。
    もちろん、あなたを傷つけるつもりは一切、ございません」

    「それじゃ…どうして、あなたたちはここに…」

     イブキは息を飲みながら、キースを睨みながら言い放った。

    「確かに旦那様はあなたをあきらめていないのですが…」

     キースは姿勢を正しながら話すが、
    目を逸らしながら戸惑いの様子を示していた。

    「それに…あなたは中立的な立場で私の気持ちも理解して
    下さいましたよね…?」

    「イブキ叔母さん、どういうこと…?」

     ミカサはイブキがキースに言い放ったことで戸惑った。

    「このキースさんはね…」

     イブキはキースに鋭く睨みながら視線を逸らさずに
    彼のことを話し出した。イブキが幽閉された1週間、
    貴族の行動に対して謝りそして、身の回りの世話をしていた。
     そして、4人の妻たちにもイブキを追い返すように詰め寄られていた。
    貴族と4人の妻、そしてイブキ自身に気を使い、
    神経をすり減らし、戸惑う姿をイブキは目の当たりにしていた。
  65. 74 : : 2014/02/14(金) 17:33:22
    「私は…今でも旦那様にはあなたをあきらめて頂きたいと存じます。
    今回、こうしてこの国まで来たのは…あなたをひと目見たら、
    そのまま帰るという旦那様の希望を叶えるためにお伺いしたのですが…」

    「私のことを見かけたんでしょ? それじゃ、どうして帰らないのよ…?」

    「あなたを…慕う男性がいらっしゃいますよね? 
    旦那様は…あのお二方に負けじと…やけになられております…」

    「まさか…」
     
     貴族はミケ・ザカリアスとエルヴィン・スミスがイブキを見守る姿に気づくと、
    「ライバル心」に火を付けてしまった。
  66. 75 : : 2014/02/14(金) 17:34:28
    「只今、旦那様はホテルに待機して頂いていますが、
    実はあなた様と相談があり、私は一人でやってまいりました――」

    「どういうこと…?」

     イブキは眉間にしわを寄せ怪訝な表情をキースに向けた。

    「私は旦那様が幼い頃から仕えていますが…これほど大変なことは未だかつて
    ございません。執事の私が言うのもなんですが、もう疲れました…
    どうにか、イブキ様…あなたからも…旦那様をあきらめさせるアイディアを
    あれば、ぜひお伺いしたいのですが…」

    「キースさん…」

    イブキはキースの深いため息をつく姿を見ると
    ミカサを抱きしめていた力が緩んだ。
    親身になってくれたキースが助けを求めている。
    そして息を飲みながら、キースに話し出した。
  67. 76 : : 2014/02/14(金) 17:35:37
    「キースさん…信じていいんですか…?」

    「もちろんでございます、イブキ様…」 

     キースは丁寧にお辞儀をして、嘆願しているようにも見えた。

    「イブキ叔母さん、どうするの…?」

     ミカサがイブキの顔を見上げると、戸惑う様子には変わらなかったが、
    最初に比べると、表情が和らいでいた。
  68. 77 : : 2014/02/14(金) 17:36:12
    「わかった…でも…
    今日はもう疲れたから休みたい…あなただってそうでしょ?」

    「私には気を使わなくても…」

    「いいえ、わざわざ異国まで追いかけているのだから、疲れているはず…
    今日は休んで、明日…話し合いましょう、場所は――」

     イブキはキースに気を使ったが、実際のところ自分自身も休みたい、
    という気持ちも強かった。
    そして場所をカフェ『H&M』で話し合いを設ける日時を指定した。
  69. 78 : : 2014/02/14(金) 17:36:54
    「その場所は…あの金髪の男性のお店では…?」

     キースはすでにカフェ『H&M』がエルヴィンが経営者であることを知っていた。

    「さすが、もうご存知なんですね…」

    「はい、旦那様が調べるようにと願ったものですから…」

    「もしかして、身辺調査までしたの…?」

     イブキの手に再び力が入りミカサを抱き寄せた。

    「そんな、警戒をなさらないで下さい…!お二人が
    イブキ様に見合った方なのかと、旦那様が気にされただけなので…」
     
  70. 79 : : 2014/02/14(金) 17:37:23
    「短時間の滞在ででどこで勤めているのか知っているのか、
    それだけで充分怖いけど…」

    「それは…大変申し訳ございませんでした…お勤め先以外、情報は得ていません。
    どうぞ、信じてください」

     キースはイブキに深々と頭を下げると、話し合いを設けることを
    渋々快諾した。そして何か不審な動きを感じたら即、警察に通報すると
    警告するとキースも理解してくれた。そしてイブキはそのままミカサを
    タクシーで自宅まで送ることにした。
  71. 80 : : 2014/02/14(金) 17:38:12
    「ミカサ…ホントにごめんね。あのキースさんは…信じられるけど、
    でも、何か変な動きを家の周りで感じたら警察に連絡するんだよ」

    「うん、わかった…」

     イブキはミカサが家に入る瞬間まで見届けると、そのまま同じタクシーで
    自宅アパートまで戻っていった。そして自分の部屋に戻ったミカサは心配で
    アルミンに電話をすることにした――

    「アルミン、今、話してもいい?」

     ミカサからの着信が入り、しかもいつも落ち着いている彼女の声が上ずり
    慌てているため、アルミンは何事かと耳を傾けた。
    自宅のリビングで話すアルミンだったが、
    その様子を自宅にいた父であるエルヴィンが様子をキッチンから伺っていた。
  72. 81 : : 2014/02/14(金) 17:38:55
    「わかった…父さんにも…伝える…」

     通話が終わった後、アルミンの表情が強張っていく様子がわかったエルヴィンはアルミンに近寄っていった。

    「アルミン…どうした? 今のミカサちゃんだろ? まさかイブキに…?」

    「うん…父さん…貴族がイブキさんに会いに来てるって…
    しかも、月曜日に『H&M』に来るんだって…」

    「どうして…?」

     アルミンはミカサから聞いたことをエルヴィンに話すと、
    怪訝な表情を浮かべ、ソファーに座った。 
    腕を組みながら何が起こるか全く想像ができない為、首を傾げるしかなかった。

    ・・・普通の態度で接しようと決めていたのに…どうしたものか――

  73. 82 : : 2014/02/14(金) 17:39:58
     イブキが部屋に戻ると、部屋の中が荒らされていないか、
    確かめても異常を感じなかった。

    「あんなに…楽しかったのな…」

     イブキはミカサとの見上げた打ち上げ花火を思い出しながら、
    ベッドに横になると、気疲れからそのまま寝入ってしまった。
     キースも約束通り、その日はイブキに付きまとうことはなく、何事もなく過ごしていた。
      そして月曜日、約束の時間がきた。カフェ『H&M』のティータイムが約束のときだった。
     すでに到着していたイブキは落ち着くことなくキースの到着をテーブル席で
    待っていた。エルヴィンをはじめ、皆は一体、どんな人物が現われるか、想像が
    出来ず、戸惑っていた。しかし、ハンジ・ゾエだけは違っていた――
  74. 83 : : 2014/02/14(金) 17:40:38
    「いや~! どんな人が来るのか楽しみ…」
     
     口を両手で押さえるが、目は泳ぎソワソワしてイブキとはまた違う落ち着きのなさに
    そばに立っているリヴァイは舌打ちをした。

    「ハンジさん…いい加減にしないか…オーナーだって、一大事なんだぞ――」

     鋭い眼差しをリヴァイから注がれてもハンジは自分の姿勢を崩さず
    イブキを見つめていた。そして、その会話の途中にキースが現われた。

    「キースさん、お待ちしていました…」

     キースは丁寧にお辞儀を皆にすると、
    イブキが座るテーブル席の向かい側に腰掛けた。 
  75. 84 : : 2014/02/14(金) 17:41:17
    「あんな…おっさんがイブキさんを城に閉じ込めたってこと…?
    あれじゃ、逃げたくなるわ…」

     ハンジがリヴァイに小声で話し耳打ちしたはずだったが、
    その声はキースに届いていた。そして咳払いをしながら話し出した。

    「イブキ様…只今、旦那様は…こちらの近くで駐車中のお車で
    待機中でございます…」

     その声を聞いたハンジは自分の声が丸き声だと気づくと、
    気まずい表情を浮かべ、うつむいた。しかし、口角は下げられなかった。
  76. 85 : : 2014/02/14(金) 17:41:52
    「ハンジさん…さすがに今日は堪えろ」

     リヴァイはハンジの行動が手に取れるようにわかる為、注意を促すと
    静かにキッチンにいるモブリットに手招きされると、そのまま調理にかかった。
     エルヴィンは静かに二人のやりとりを見守るが、眉間にしわを寄せそして
    拳を強く握るしかなかった。

    「キースさん…あなたも大変ね…」

    「はぁ…小さい頃からわがまま放題のぼっちゃま、いえ…旦那様でしたから…」
  77. 86 : : 2014/02/14(金) 17:42:18
     イブキから労われるとキースはハンカチを取りと、額に流れる汗を拭った。

    「確かに…いかにも、わがままって感じだったから、私がビシって言ったら、
    まさか、嫁にするって言われるとは思わなかったけど、まさか今まで
    指図する人ととかって…いなかったの?」

    「そうですね…幼い頃に両親を亡くして以来、すぐに当家の跡取りになりましたから、それで…甘やかしてしまって、結果的にああいう人格に…」

  78. 87 : : 2014/02/14(金) 17:43:01
     キースは自分が仕える主人に対してあまり悪いことは言いたくないため
    歯切れが悪い表現で言い放つと、語尾は口ごもってしまった。

    「もう…こんなにいい人まで、困らせて…私がビシっと言いたいけど、
    また閉じ込められてしまってもイヤだし…ホント、どうしよ――」

     リヴァイが紅茶を二人に差し出すと、そのまま引き下がった。
    聞くつもりではなかったが、会話が聞こえてしまったため、
    エルヴィンのそばに近づき耳打ちするように話し出した。

    「貴族は…どうやら、わがまま野郎らしいな…」

    「リヴァイ、また聞かれてしまう――」
  79. 88 : : 2014/02/14(金) 17:44:14
    エルヴィンがささやくように返事をすると、
    やはりキースから鋭い眼差しを送られていた。
     そして同じ頃、心配だったミカサとアルミンが
    『H&M』に向っていると、ビルの前にワックスで輝くほど磨かれた
    黒塗りの高級車が駐車されていることに気づいた。
     キースが来ていると察すると、スモークガラスになっているが
    中に人がいるため、その人が貴族であろうと勘ぐった。

    「ミカサ…この車…」

    「そうだよ…キースさんも来ているし、貴族の人は車で待っている――」

     二人が高級車を横目にカフェに向っていると、
    遠くから背の高い男性が向って歩いてくることにミカサは気づいた。 

    「あれは…ザカリアスのおじさんだ!」

     ミカサはミケ・ザカリアスにも助けてもらおうと、
    走って駆け寄りそして事情を説明すると、
    現在、カフェ内で起きていることを想像すると彼は走り出した。
     そして高級車を見向きもせずそのままカフェに入っていった。
  80. 89 : : 2014/02/14(金) 17:44:56
    「ミケさん…!」

     キブキはミケと目が合うとそのままうつむいてしまった。
     イブキとキースはほぼ話し合いを終えていた。

    「ほう…お二方、そろいましたね…まぁ…今、お話しした通りでいきますから――」

    「うまくいきますか…?」

    「まぁ、あとは私の演技力次第ってことでしょうか…」

     イブキはキースの提案に訝しげな表情を浮かべ口元を一文字に結んだ。
     そして ミケはエルヴィンのそばに行くと、何が起きているか説明を求めた。

    「俺もずっと見守っているが…どうやら、相手はわがまま、ってことくらいか…」

    「それだけか…」
  81. 90 : : 2014/02/14(金) 17:45:26
     そして二人は鋭い眼差しでイブキの様子を見守るしかなかった。
    カフェの出入り口でミカサとアルミンも立ち尽くしながらイブキとキースを見ていた。

    「イブキ様…私の計算では…
    そろそろ旦那様が業を煮やしてこちらにあがってくるだろうと…」

    「わかった…私は何もしなくてもいいのね…?」

    「はい、イブキ様はあなたのままでいてください…」

     イブキはゆっくりうなずいた。二人が立てた計画を実行するために
    貴族がカフェの中に入ってくることを待っていた。
    そしてガラスのドアが開き最初に振り向いたのはミカサだった。
  82. 91 : : 2014/02/14(金) 17:46:53
    「この香りは…えっ…! もしかして、この人が貴族…?」

     ガラスのドアを開けて入ってきた金髪の長身の男性が目の前をミカサの前を
    通り過ぎた。そして前の日に鼻が覚えていた御香の甘い香りを漂わせていた。
     その声を聞いたアルミンも振り向いた。

    「この人なの…? だけど…すごく若いよ…!?」

     貴族はイブキとキースが座るテーブルを見据えながら、そのままそばに立った。

    「じぃ…いつまで待たせる気だ…?」

     皆の前に姿を現せたのはキースが仕える貴族の当主、モーゼズ・クラウンだった。
     端整な顔立ちで、金髪の長身、ガッチリとした体型に合わせて作られたスーツを
    着こなしていた。
     そして襟元にはクラウン家の紋章である黄金色のユニコーンがかたどられた
    ピンブローチが輝いていた。同じ整った顔立ちのエルヴィンとも違い、
    意志の強いまたは『わがままで勝気』な眼差しが宿っていた。
  83. 92 : : 2014/02/14(金) 17:47:32
    「旦那様…」

     キースはモーゼズを目の前にすると、立ち上がり深々と頭を下げた。

    「だ、旦那様…私の力が至らないばかりで…
    イブキ様の気持ちを揺るがすこともできず…何の成果も得られませんでした…!」

     最後は絞り込むように声を出すと、最後は涙声になっていた。

    「キースさん…!」

     イブキは涙声のキースに驚くと立ち上がり、彼の肩を抱えた。

    「イブキさん…僕はあなたからもらったアドバイスで…
    頭をガツンと叩かれ、くすんでいた目の前が晴れていく感覚がしました――」

    「そうよ…モーゼズさん…あなたは自分の城で、小さくなってないで、
    外に出なさい、可能な範囲から自分の意思で行動しなさい…それだけで、
    人生が変るかもしれない、って鑑定しただけなのに――」
  84. 93 : : 2014/02/14(金) 17:48:22
     モーゼズはイブキに睨まれると、うつむき黙り込んだ。

    「こんなに…長い間、あなたに仕えるキースさんにも迷惑かけて…」

    「それは…悪いと思っている、じぃ…すまなかった」

    「旦那様、それはもったないお言葉」

     キースはモーゼズの謝罪を聞くと、さらに涙声になり、ハンカチで目元を押さえ
    イブキに肩を抱えられていた。

    「モーゼズさん…今からでも何だって出来る…だって、まだ二十歳なんだから――」
  85. 94 : : 2014/02/14(金) 17:49:34
    「は、二十歳…!?」

     エルヴィンとミケはモーゼズをひと目見て、若いと感じていたが、
    まさか二十歳だとは思わず、声に出すくらい驚いていた。

    「イブキさん…僕はあなたの第5夫人として迎え入れたかったが…
    あなたのアドバイスを改めて掘り下げると…すべては行動次第で人生が
    かわるかも、って感じてきましたよ」


    「わかって頂いたら、私はそれでいいのですから…」

    「第5夫人として、迎え入れるのは…残念ですが、あきらめます――
    僕の城で過ごしていたときのあなたの悲しい顔を見るくらいなら、
    あの花火の光の下で輝いていた、あなたのままでいて欲しいから…」
  86. 95 : : 2014/02/14(金) 17:50:37
    「モーゼズさん、あなたは、あのとき…近くにいたの?」

    「はい、このお二方も――」

    モーゼズがエルヴィンとミケに視線を送ると、イブキは唖然とした表情で
    口をあんぐりと開け、二人を見つめていた。

    ・・・バラしやがって…

     エルヴィンとミケは目を泳がし、うつむいてしまった。

    「しかし…あなたからアドバイスが欲しいときは…連絡してもいいですか…?」

     イブキは予想外のことに戸惑うが
    モーゼズが『上客』ということには揺ぎ無い。そのために条件を出した。

    「あなたの鑑定は…キースさんが同伴すること、そしてあなたのお城以外の
    私が指定した場所でなら…かまいません――」

     イブキは強い眼差しで答えると息を飲んだ。
  87. 96 : : 2014/02/14(金) 17:51:33
    「よかった…。それだけでもう…僕は満足です。
    じぃと共に国に帰ります。ただ…一つだけお願いがあるのですが
    よろしいでしょうか…?」

     モーゼズはイブキの目の前に立ち、エルヴィンとミケに
    勝ち誇ったような笑みを送った。

    「僕の…気持ちを思い知れ…!」

     モーゼズはイブキの手を取り、抱きしめると自らの唇を
    イブキの唇に重ねた。イブキは突然のことで驚くが、
    甘い御香の香りが鼻腔をくすぐると、とろけそうな心地になるが、
    自分の身体を離そうとした瞬間、モーゼズが自ら離れた。
  88. 97 : : 2014/02/14(金) 17:52:43
    「イブキさん…また…いつか…じぃ、帰るぞ――」

     モーゼズはうつむきながら、イブキから離れるとそのまま背中を向け
    ガラスのドアに向っていった。

    「旦那様…お労しい…!」

     キースは止め処なく流れる涙をハンカチで拭っていた。

    「イブキ様…旦那様があなたさまの唇を奪ったことを…どうかお許しください…
    しかしながら、それがあなたへの気持ちなのですから――」

     キースは深々と謝ると、イブキは彼の肩に手を触れた。
    そして柔らかい手を感じ、顔を上げると鋭い視線を感じた。
    それはエルヴィンとミケの二人が睨んでいたからだった。
  89. 98 : : 2014/02/14(金) 17:53:31
    「イ、イブキ様…私どもはもう退散します。あなたに会う為に
    この国に来ることはもう…ありません…もし――」
     
     ミケがキースの話をこれ以上聞いてられないと、
    途中で話しに割って入った。

    「もし、この近くで見かけたらどうなることやら――」

     ミケはキースに鋭い眼差しを送った。

    「あ、その…まぁ…とにかく、私はもう帰ります。
    イブキ様、ご迷惑をお掛けして、ホントに申し訳にございません。
    お元気で――」

    「――キースさんも」

     キースは丁寧に礼をすると、そのままモーゼズを追いかけるように
    ガラスのドアを開け、慌てて帰っていった。
  90. 99 : : 2014/02/14(金) 17:54:11
    「これで、全部、終わったか――」

     イブキが再びテーブル席に座ろうとした瞬間、
    モーゼズの行動を一部始終見ていたハンジが目の前のミケを払いのけ、
    両手でテーブルに手を付くと、大きな音を立てていた。

    「イブキさん…! 今の人が貴族なのーー!?」

    「そ、そうよ…モーゼズさんは…まだ二十歳で親の莫大な遺産を受け継いで――」

    「も、もったいない! 追いかけなさいよ! こんなオッサン二人なんか、
    さっさと振ってさ…!」
  91. 100 : : 2014/02/14(金) 17:54:56
     目を見開き泳がせながら、顔を近づけるハンジを目の前にイブキは
    頭を後ろに引き、背中は弓なりになって、顔を強張らせていた。
     キッチンからハンジの様子に気づいた夫のモブリットが彼女の勢いの
    止めに入った。


    「ハンジさん…! また生き急いでますよ! そんなこと言っちゃ、
    お二人に悪いじゃないですか…!」

    「だって、あんなに若いイケメンで、お金もあってさ――」 

     モブリットが呆れた表情を浮かべていると、
    リヴァイが舌打ちをしながら冷たい声で言い放った。

  92. 101 : : 2014/02/14(金) 17:55:22
    「だけど…金はあっても、自由がないって…俺はイヤだがな」

    「そうなの…自由がない…監視された生活…だから、こうして
    この異国へやってくるって、向こうでは大騒ぎになっているかも――」

     イブキはため息をつきながら言うと、相変わらず目は泳いだままだが、
    モブリットに付き添われ、キッチンに戻っていった。
     強張らせていたイブキの顔に安堵感が戻りつつあると感じたミカサは
    彼女の前に近づいていった。
  93. 102 : : 2014/02/14(金) 17:55:48
    「イブキ叔母さん…これで、全部終わり…?」

    「うん、大丈夫だよ、もう…」

    「よかった…」

     ミカサはイブキに抱きつくと、涙を浮かべていた。

    「ミカサ…またどこか一緒に行こうね! 今度こそ…誰にも見つからず――」

     イブキはミカサを抱きしめながら、イタズラっぽい表情をミケと
    エルヴィンに注いでいた。二人は顔を赤らめうつむくだけだった。
  94. 103 : : 2014/02/14(金) 17:56:38
    「イブキ…出過ぎた行動を詫びたい…だけど、大丈夫か…?その――」

    ミケはイブキがキスされたことについて聞きたいが、
    ホテルまで追いかけたことの負い目もあり、詳しくは聞けなかった。

    「えっ…全部解決したと思うけど…?」

    「いや…その――」

     ミケは聞きたくても、頬を赤らめてしまった。

    「しかし、あいつ…俺よりも先にキスしやがって――」
     
     エルヴィンが捨て台詞のように言いながら、
    モーゼズが出て行ったガラスのドアを恨めしそうに見ると、
    ミケから睨まれていた。

    「おまえ…『俺よりも』って何だよ――」
  95. 104 : : 2014/02/14(金) 17:57:20
    「――ミケさん、もしかして、キスのこと…聞きたいの?」

    「あ、えっと…」

    「私は大丈夫だけど…ごめん――」

     イブキがうつむくと、ミカサが彼女の顔を見上げた。

    「イブキおばさん、好きな人じゃない相手のキスなんか、どうってことないよね!」

    「えっ…うん、そうだね、好きな相手じゃないから――」

     イブキはミカサの明るい声で励まされると、
    ホッとしながらミケを見つめていた。
  96. 105 : : 2014/02/14(金) 17:59:06
    ・・・ホントにやっと…終わった――

    イブキはミケとエルヴィンに囲まれやっとホッとできたと心から感じていた。
    どうしても帰りたかった。二人に再び会うことが出来て改めてよかったと
    幸せな気持ちで溢れていた。

    「ミカサ、あの花火、また見たいね――」

    「――そうだね、今度は遊園地から見たいな…」

    「あのテラスは今の季節は寒く…あっ」

     エルヴィンが何気なくイブキとミカサの会話に入ると、
    二人に冷ややかな笑みを注がれていた。

    ・・・もう…だけど、モーゼズさんが帰っても
    まだ超えなきゃいけない壁があるか――

     イブキは二人を見つめたかと思うと、
    ため息をつきながら目を伏せた。
  97. 106 : : 2014/02/16(日) 14:34:23
    ⑤ペトラと甘いデート

     バレンタイン・デイのリヴァイとペトラ・ラルの二人は仕事が忙しくて
    会えなかった。そのため、それから数日後の日曜日。
    二人は久しぶりに出かけることになった。
     駅の改札近くで待ち合わせすることになったが、
    すでにペトラが早く到着してリヴァイを待っていた。
     リヴァイが近づいていくとペトラは自然に笑みを浮かべている。
    その姿はベージュのハーフコートにファー付きのマフラーを巻いていた。
    そしてコートからすらりと伸びたスキニージーンズがリヴァイの目を見張った。
  98. 107 : : 2014/02/16(日) 14:35:49
    「リヴァイさん…あ」

    ペトラのあいさつもそこそこにリヴァイは彼女の手を引いて、
    慌しく駅の構内に吸い込まれるように消えていった。

    ・・・あぶねー…ペトラ、気がついてねーのかよ…

     リヴァイがペトラに近づいて行くに連れて、
    彼女の周りにいたナンパしようと声を掛けようとしていた男に気づいた。
    しかし、ペトラはリヴァイを見ているだけで
    周辺は見ていないため、その男の姿を見逃していた。

    「リヴァイさん、どうしたの? そんなに慌てて…?」

     ペトラのその一言で彼女は全然気がついていなかったと
    思い知らされた。リヴァイは舌打ちすると、ペトラに言い放った。

    「とにかく…今日は楽しみだ」

    「そうだね!」
  99. 108 : : 2014/02/16(日) 14:36:17
     リヴァイはペトラの微笑む姿を見ていると、
    久しぶりではないのに、会えたことの安心感と
    結局はナンパされなかったことで安堵感に浸った。
     その日、二人が向う先はパティシエのカイが自分の店を
    オープンさせたと聞いて、二人で行くことになった。
    電車に乗り混むと、座ることは出来たが、混雑にリヴァイはすぐに
    不機嫌な表情を浮かべた。ペトラは見慣れているために
    いつものこと、とリヴァイの表情を見ては鼻を鳴らしていた。
     リヴァイは小声で最近の多忙について話し出した。それを聞いたペトラは
    不機嫌の表情の理由が多忙であったことにも感づいた。
     その多忙の理由は仕事以外、オーナーのエルヴィン・スミスが気に入っている
    イブキを取り巻く人たちの騒動、異国から貴族が彼女を追いかけ、
    カフェ『H&M』にやってきてた。
    騒動は解決したはいいが、振り回され疲れたということだった。
  100. 109 : : 2014/02/16(日) 14:36:58
    「イブキさん…初めて会ったのは前の料理教室のイベントのときだったけど
    いい感じの人だったし…でも、そこまでモテる人とは思わなかった!」

    ペトラはリヴァイの耳元でささやくように騒動の感想を言うと、
    彼はくすぐったさで、ゾクっと胸が躍る感覚がした。

    「まぁ…俺には魅力はわからない…当事者たちは大変だろうが」

     冷たく言い放つリヴァイは
    くすぐったい感覚が心地よくペトラに視線を送ると
    相変わらず愛らしい笑みを向けられていた。

    「――イブキさんってキレイだと思うし…」

     ペトラはイケメンだという『貴族を見てみたかった』と
    続けて言うつもりだったが、リヴァイに気を使いこれ以上、
    この騒動を口にしなかった。
     二人がささやくようなおしゃべりを楽しんでいると、目的地の駅に到着した。
    そして濁流に流されるように駅の外に出ると、リヴァイは舌打ちをしては
    ため息をついた。
  101. 110 : : 2014/02/16(日) 14:38:05
    「リヴァイさんは普段は…電車乗らないから、大変よね」

    「あぁ…たまにならいい…」

     ペトラは疲れた表情のリヴァイを見ても、
    上がる口角を見ては安堵感に浸った。
    そして他愛のない話をしながら、カイの店に到着すると
    オープンして間もないのにすでに多くの客がいることに二人は驚かされた。
     カイの店は外見がレンガで造られている。
    そのレンガはチョコレートを模した雰囲気があり、
    とろけたチョコのデコレーションが壁には飾られていた。
    窓枠やドアが赤やオレンジの派手な色でかたどられ、
    ひと目で『お菓子の家』がモデルになっているという店構えだ。
  102. 111 : : 2014/02/16(日) 14:38:41
    「さすが…カイさんだ…こんなに人が…あれは――」

     リヴァイがカイの店に入ると すぐにエルヴィン目的の奥様連中が
    多く来ていることに気がついた。そしてリヴァイ自身も彼女らに気づかれた。

    「あら…あなたはスミスさんのところの…」

    「はい…どうも――」

     奥様連中はリヴァイに軽く会釈するが、ガラスケースに並ぶカイの
    作品と言うべきのケーキにすぐ視線を移していた。
    そしてカイも楽しそうに接客をしていた。それはやっとオープンできたという
    喜びに満ちているようにも見える。
     カイはリヴァイとペトラに気づくと、笑顔で歓迎しそしてカフェスペースに
    案内していた。内装は木の温かみがあり、しかし古くは感じない。
    レンガに囲まれ、暖炉の形をしたヒーターがさらに温かさが増すようだ。
  103. 112 : : 2014/02/16(日) 14:39:28
    「カイさん…! 素敵なお店ですね! ホント、こだわりを感じます」

    ペトラは店内を大きな目で『キョキョロ』と見渡しながら、カイに印象を話した。

    「ありがとございます! 僕も時間がかかったけど、
    多くのお客さんに来て頂いて、嬉しい限りです」

     カイが嬉しそうにペトラの感想を聞きながら、二人からオーダーを聞くと
    そのままキッチンに向った。
     オーダーの内容はペトラはチーズケーキとカフェオレ、
    リヴァイは紅茶のパウンドケーキと紅茶だ。

    「リヴァイさん、紅茶尽くし…!」

    「いいじゃねーか、紅茶好きなんだから…」
  104. 113 : : 2014/02/16(日) 14:39:55
     ペトラはリヴァイの紅茶好きをもちろん理解しているが、
    紅茶のケーキをオーダーすることはまさかの予想外で
    それを指摘すると、少しムっとした表情がまた可愛らしいと
    感じていた。
     リヴァイは日曜日の外出が久しぶりの為、その雰囲気を
    新鮮に感じていた。そしてオーダーの品がテーブルに並び
     ペトラがチーズケーキを口にして幸せそうな顔をすると、
    人ごみの中を潜り抜けてこの場所までやってきてよかったと
    感じていた。

    「リヴァイさん、このチーズケーキ、すごく濃厚で美味しい!」

    「この紅茶のパウンドケーキもうまいぞ…」

     リヴァイがフォークパウンドケーキを一口大に切ると弾力があり
    そして持ち上げると、ふんわりと紅茶の香りがリヴァイの鼻腔を
    くすぐった。
  105. 114 : : 2014/02/16(日) 14:40:33
    ・・・これ…ハンジさんに頼んでウチのメニューにもして欲しいな…

     リヴァイが真剣な眼差しでパウンドキーキを見ているペトラは
    すかさず彼に話しかける。

    「リヴァイさん…この紅茶のパウンドケーキ、ハンジさんに作って
    欲しいって思っているでしょ…?」

    「――何っ?」

      リヴァイが鋭くペトラを見ると、その顔は微笑みで溢れていた。
    見抜かれているとリヴァイは感じると何も言えず、黙々とケーキを
    口に運んでいた。
  106. 115 : : 2014/02/16(日) 14:41:00
    「そうだ…リヴァイさん…この前、ごめんね――」

     ずっと明るい表情を浮かべていたペトラだったが急に伏目がちになり
    視線を落とした。その顔を見たリヴァイは目を見開いた。

    「何も謝られること…してないだろ?」

    「ううん、お父さんのことよ…」

    「あぁー…」

     ペトラが顔を上げると、気まずそうに話し出した。
    確かにリヴァイはその時、かつてない緊張感に包まれていた。
     ペトラは父親とは何度でも話せる関係で、リヴァイのことを
    何気なく聞かれると、勤め先の話になった。
     そして場所がわかるとペトラに内緒にしてその翌日、
    仕事を休んでまでカフェ『H&M』でリヴァイを『偵察』していた、
    ということだった――
  107. 116 : : 2014/02/16(日) 14:41:31
    「気にすることではない…」

     リヴァイはその時の緊張感を思い出すと、紅茶を飲みながら
    ゴクリと喉を鳴らした。

    「でもね…お父さん、リヴァイさんに会えてよかった、
    って話していたけど…『完璧主義者』の印象を持ったみたいで…
    私が気疲れしないか、って気になっていたみたい…」

    何も申し分のないリヴァイをペトラの父は天真爛漫な明るさを
    持つ娘が合うのだろうかと心配になっていた。
     リヴァイは緊張感を思い出しながら、ペトラの話を聞いていると
    何も返事が出来なかった。
  108. 117 : : 2014/02/16(日) 14:42:18
    「私は…リヴァイさんと一緒にいて、ホント楽しいし、疲れないし…
    でも、ホントはもっと会いたいけど、会い過ぎたらその方が疲れちゃう。
    程よい距離感がいいよね」

     ペトラは一気に話したあと、喉を潤す為に両手でカップを持って
    カフェオレを口にした。

    「程よい距離感か…」

     リヴァイは肘をテーブルに置き、ペトラの話を聞いて手の平で
    覆うように紅茶のカップの上部を持ち上げながら、口元に寄せた。

    ・・・俺は…もっと会いたいが――

     持ち上げたカップを下げると、カイが二人のテーブルの元へ
    再び近づいてきた。
  109. 118 : : 2014/02/16(日) 14:43:01
    「ホント、今日は来て頂いて、ありがとうございます。
    ハンジさんとイベントが出来てよかったですよ!僕も勉強になったし…
    それに、エルヴィンさんのファンのお客様も多く来て頂いてます」

     カイの話を聞きながら『エルヴィンのファン』という奥様連中のテーブル席に
    視線を送るリヴァイはこの『ファンの流れ』が少し気がかりになった。

    「すごく助かります…ご縁に感謝です」

     カイが二人に笑顔で丁寧にお辞儀をすると、ペトラも話し出しす。

    「私もカイさんに教えて頂いた、ケーキを両親に作ったら、
    美味しいって喜んでもらえましたよ! 私もご縁に感謝です!」

     笑顔で答えるペトラに微笑むカイは他のテーブル席から
    視線を感じていた。それは他のテーブル席にいる『奥様連中』だった。
  110. 119 : : 2014/02/16(日) 14:43:42
    「ペトラさん、リヴァイさん…ごゆっくり、また来ますね――」

     カイは手招きする奥様連中の元へまるで見えない何かに
    引き寄せられるかのようで、足元は自然で軽やかだった。

    「あの奥様連中の力は底知れない…
    オーナーとも違う、さわやかさがあるから…そうさせているのか…」

     エルヴィンを心配したリヴァイがカイを見ると、すかさずペトラも答える。

    「オーナーさんだって、素敵な方だし…『H&M』の常連は止めないんじゃ…?」
  111. 120 : : 2014/02/16(日) 14:44:29
    「だといいな…」

     リヴァイはため息をつくが、
    ペトラの顔を正面に見据えると再び思い出したように話し出しす。

    「そういえば…ペトラ、おまえのお父さんが、
    ハンジさんのケーキをお母さんに食べさせたいとか
    言っていたような…」

    「え、そうなの? それは聞いてないよ」

    「ほう…そうか」

     リヴァイは息を飲みペトラの目を見つめながら話し続ける。

    「…機会があれば、ペトラ…お母さんと二人でカフェに来てもいいかもな、
    本当は…俺から挨拶に行くべきだが…」

    「え、そうね…」

     ペトラはリヴァイの話を聞くと頬を赤らめた、
    『挨拶に来る』ことが早いという気持ちもあれば、
    リヴァイが自分の家に来るということに実感がなかった。
  112. 121 : : 2014/02/16(日) 14:45:16
     二人がケーキと飲み物を食べた後、
    他愛のことで話を弾ませているとペトラと買い物に行くことになり
    リヴァイは付き合うことになった。
     そしてカイの店から出ようとすると、リヴァイは自然にペトラの手を繋ぐ。
    カイが出入り口付近に移動する二人を見つけると、見送ることにした。

    「お二人は…料理教室のときから思っていましたが、
    ホントに仲良しですよね!」

    「はい!」

     カイが二人の仲のよさに関心しながら目を細め口角を上げると
    ペトラも満面の笑みで返事をしていた。
     そのペトラの笑顔を見ると多忙であっても彼女が自分を和ませてくれる
    存在だと感じると、リヴァイはさらに強くペトラの手を握っていた。

     
  113. 125 : : 2014/02/18(火) 12:43:23
    ⑥エレンとミカサ、初めての大ケンカ

     ミカサ・アッカーマンがエレンを怒りの感情から
    一瞬睨むと、すぐに目を逸らしエレン・イェーガーと
    話していたリビングを後にした。
     そして、そのままバタンと大きな音を立てドアを閉めると、
    家中にその音を響かせながらそのままイェーガー家から飛び出していった。

     「なんだよ…ミカサ、一人で怒りやがって…」

     エレンは不機嫌な表情でリビングのソファーでクッションを枕にして
    横になりながら、ミカサが珍しく感情的になった理由を振り返っていた。
  114. 126 : : 2014/02/18(火) 12:44:40
     その日は日曜日の朝食が終わった直後。
    キッチンでミカサは食器を洗っていると、
    ミカサのスマホにジャン・キリシュタインからの
    通話の着信が入った。ミカサがジャンと通話相手の名前を呼んだため
    エレンはすぐにその相手がジャンだと気づいた。
     リビングで新聞を広げ、顔を隠しながら読んでいる振りをしているが、
    耳はミカサとジャンの会話に聞き耳を立てて集中していた。

    ・・・あの馬面と…何を話してやがる…?

     エレンが横目で見るミカサは楽しげで、口角を上げていた。
    通話が終わると、再び中断していた食器を再び洗い出した。
     ジャンの連絡の目的はミカサが好きなアーティストの話になったとき、
    彼がそのアーティストのCDをいくつか持っているとわかった。
    それをデータ化して編集してプレゼントするという約束していたが、
    カフェ『H&M』に預けるため、いつでも取りに行ったらいい、という内容だった。
     ジャンはミカサに積極的に自分をアピールしたいが、控えめな彼女のため、
    嫌われたくないという気持ちも強い。
     あえて直接渡さずに、ミカサの様子を伺うことにしていた。
  115. 127 : : 2014/02/18(火) 12:50:42
     ミカサが食器を洗い終え、リビングにやってきてエレンの向かい側のソファーに座った。
     そしてテレビのリモコンを手にして電源を入れようとしたとき、
    新聞をテーブルに置いてエレンが話しかける。

    「ミカサ…あの馬面と相変わらず仲がいいんだな」

     嫌味を込めて言い放ったためにミカサは眉間に力を入れて視線を送った。  

    「…ジャンさんは…友達だから――」

    「へー! ホントか!? もう付き合ってるじゃないの?」

     エレンは間髪入れずに話しかけた。その時の彼の顔は悔しそうに見えるが、
    見下しているようにも見えたミカサは強い口調で返事をし始める。


    「付き合ってないし、友達よ…楽しいし」

    「友達…? 楽しい? 何それ? 意味わかんねー」

     エレンの声は上ずりながら、そして語尾を強めに言い放ち
    明らかに不機嫌さを体現していた。

    「だから…友達って言っているでしょ?」

     ミカサもだんだんと苛立ち、エレンに強い眼差しを注ぐと
    手のリモコンは強く握り、電源を入れたとき始まっていたドラマの
    内容は全く理解していない。
     エレンの嫌味はまだ続いていた。

     

  116. 128 : : 2014/02/18(火) 12:51:25
    「ミカサ、おまえ…遊ばれているんだ! 大学生に!?」

    「何言っているの!? エレン…もういい」

     ミカサはエレンの発言に嫌気が差し、手に持っていた
    リモコンを投げつけたい気持ちを押さえつけ、丁寧にテーブルに置いた。
     そのままリビングを出たかと思うと、そのまま玄関のドアが大きな音を立てたため、
    エレンは彼女が外出したのだと気がついた。

    「なんだよ…おまえが俺を放置するから、悪いんだ――」

     エレンはテレビから流れるドラマを横目に
    再びソファーでクッションを枕に横になると、独り言をつぶやいた。
  117. 129 : : 2014/02/18(火) 12:52:30
     眼差しは険しくテレビの画面に視線を送るが、内容は全然頭に入ってこない。

    「このドラマ、見たかったんだよね! 途中だけど、間に合ってよかった!」

     そういいながら、母のカルラが先ほどまでミカサが座っていたソファーに座り
    リモコンを手に取り、音声のボリュームを上げた。
  118. 130 : : 2014/02/18(火) 12:53:03
    「エレン! 母さん、このドラマ楽しみしてたんだよ。話はどうなっている?」

     カルラがエレンに対してドラマの展開を聞くが何のことだかわからず、
    不可思議な顔を母へ向けていた。

    「だから、このドラマ、どうなっているのよ? あんた、見ていたでしょ?」

    「知らねーよ」

     横になっていたソファから起き上がると、枕代わりのクッションを
    背もたれに戻すが不機嫌さは治まらず、乱暴に扱っていた。
  119. 131 : : 2014/02/18(火) 12:53:45
    「まったく、あんたはまたミカサとケンカしたのね…」

     カルラが呆れた様子でエレンを見ると彼は母の言葉を無視して、
    そのままソファーから立ち上がり自室へ向っていった。

     ミカサはイェーガー家から離れると、その吊りあがっていた目元が
    歩みが進むと共にだんだんと緩んでいった。

    ・・なんだか…バカバカしい…

     ミカサはいつもの冷静な気持ちに戻ると、視界に入ったチェーン店のカフェに
    一人で入ることにした。そしてドリンクをオーダーしてカウンター席に座った。
     そしてミカサはエレンとの意味のないやりとりを思い出して、
    勝手に怒ってしまったことを反省するが、エレンも悪いと感じていた。
  120. 132 : : 2014/02/18(火) 12:54:29
    ・・・ジャンさん…いい人なんだけど、私は…やっぱりエレンが…

     ミカサはジャンと友達として付き合っているが、
    好意をもたれていることを感じていて、そのことを考えるとため息をつく。

    ・・・やっぱり…友達のままでいよう、ってハッキリ…言ってもいいのかな――

     ミカサはオーダーしたアイスカフェモカのグラスを手のひらで支え、ストローで
    くるくると氷を回しながら、底にたまっている溶けていないココアを見つめていた。
     このカフェモカはコーヒーの苦さとココアの甘さがバランスよくブレンドされている。
    何気なくオーダーしたミカサだったが、どっちつかずの味と感じても彼女の味覚に
    合っていた。ココアの甘さがコーヒーの苦さを引き立たせ、逆にコーヒーの苦味が
    ココアの甘さを引き立たせるんだと考えると、ミカサはフッと声に出して笑っていた。
  121. 133 : : 2014/02/18(火) 12:55:23
    ・・・私…何考えているだろう…でも、私は甘すぎる…ココアみたい。
    ジャンさんに正直な自分の気持ちを話そう…互いに苦い思いをするかもしれないけど――
     
     ミカサは自分に正直になろうと意を決し、その日にジャンに電話をして
    呼び出し正直な気持ちを打ち明けることにした。
  122. 135 : : 2014/02/19(水) 12:17:21
    ⑦交わらない二つの気持ち

     ミカサ・アッカーマンは自分のスマホに表示されたジャン・キリシュタインの
    名前を見つめながら呼吸を整える。
     そして、息を吐ききるとその名を軽くタップした。しかし強い気持ちを込めて。
    自分の気持ちを正直に話そう、ただそれだけの気持ちで――
     その日は日曜日の夕方。平日ならば茜色に染まる街並みは家路に急ぐ人たちで
    溢れているはずだが、人通りもまばらで買い物帰りのカップルや家族連れが目立つ。
  123. 136 : : 2014/02/19(水) 12:18:21
     何気なく自分のスマホの着信表示に視線を移すと予想外にミカサからの通話のため
    ジャンは目を見開き、すばやくその通話相手の声に耳を傾ける。

    「ミカサちゃん…どうしたの? あのデータはもう『H&M』に預けたけど…?」

    「ううん、ジャンさん…今はそのことじゃなくて、ちょっと話があるんだけどいいかな?」

    「…話?」

     ジャンは眉間にしわを寄せ声が上ずってしまった。ミカサからの話しとは何だ、
    それを考えるとスマホを持ちながら全身が固まり立ち尽くしてしまった。

    「ジャンさん聞いてる? 待ち合わせはどこにしようか…」

    「あぁ…ごめん、ミカサちゃん、今からだと、一緒のご飯どう?
    前に行ったことある、あのファミレスとか?」

    「うん、わかった…今いるところから、近いし、大丈夫だよ――」

     二人は待ち合わせの時間を決めると、その場所に向うことになった。
    自宅にいたジャンは、慌てながら外出の準備をし始めた。
  124. 137 : : 2014/02/19(水) 12:19:28
    ・・・ミカサちゃんから誘うって珍しい、もしかして…俺の気持ちが通じた?

     ミカサはジャンと一緒にいて最初はあまり微笑むことはなかったが、
    一緒にいる時間が増すごとに目を合わせ素直に笑みをこぼしていた。
     玄関先で靴を履き紐を整えているとき、ジャンの動きが不意に止まる。

    ・・・こんなにうまくいくか…?確かに笑ってくれる。でも、ミカサちゃんは――

     玄関のドアを見つめると、この先どうなる、と想像すると、もしかして振られる、
    そう考えるとドアを開けることをしり込みしてしまった。

    ・・・とにかく…ミカサちゃんが待っているんだ――

     ジャンは深く深呼吸すると、まるで未知の世界のドアを開けるように自分の家の
    ドアを開けた。慣れているはずなのにその時のドアノブのアルミの素材が冷たく
    扉はとても重く手にのしかかっている感覚がしていた。
     ジャンよりも先にそのファミレスに到着していたミカサは窓際の席に案内されていた。
  125. 138 : : 2014/02/19(水) 12:20:19
     外が暮れ始めオレンジ色から、藍色が締め始めると
    窓ガラスがまるで鏡のように反射して店内の様子を映し出していた。
    その鏡のような窓に映る自分の顔を見ると、
    浮かない表情にミカサは気づく。その顔にため息をついた瞬間、
     
     「お客様、ブラインドを下ろしますね――」

     ウェイトレスが笑顔で鏡になっていた窓ガラスを隠す為、
    ミカサの席のブラインドを下ろし始めた。
     まるで浮かない顔にまるで幕を下ろしてくれるようだが
    ミカサの『感情との戦い』はまだ終演を告げていなかった。

    ・・・やっぱり…私はエレンが好き…だから、自分の気持ちに正直になりたい

     もう二人では会えない、ジャンに必ずそれは言おうと決め、テーブルの上に
    両手を置いて両手を重ねていた。
    その指は絡み合いまるで祈っているようにも見える。
     手のひらを見つめているミカサの耳に慌しい足音が響くと、
    視界に入ってきたのはもちろんジャンた。
     ミカサが顔を見上げると、緊張感からすでに喉はカラカラになっていた。
  126. 139 : : 2014/02/19(水) 12:22:52
    「あれ…? ミカサちゃん、何も注文してないの…? 俺に気を使わずに、
    飲み物でも注文してたらよかったのに――」

     座りながら笑みを交え目の前のミカサに話しかけるジャンの声は弾んでいた。
    そして喉の渇きの理由を知るはずもないのに、飲み物を勧めるジャンに
    胸が痛み、さりげない気遣いに決心が揺らぐことにミカサは気づいた。

    ・・・私を優しく包む…ジャンさん…だけど、これからこの人傷つけてしまう――

     ミカサはジャンが到着したことで顔を上げるが、
    気遣いにため息をついて再びうつむいてしまった。

    ・・・ミカサちゃん…やっぱり俺は――

     ジャンはミカサに振られるんだ、と感じると彼女に気づかれないように
    深い深呼吸をした。そして再び気づかれないように快活な声で話し出し、
    メニューを広げ料理を見てはここは何が美味しい、オススメはこれ、
    という他愛のないことを空元気で身振り手振りを交え話し出した。
     ジャンとミカサは初めて映画を一緒に観て以来、何度か二人で食事をしたり
    電話をしたり、あくまでも友達として時間を過ごしている。特に何も進展もない。
    彼は積極的になりたいが、嫌われたくない、何よりミカサと同居する
    エレン・イェーガーのことが気がかりだった。
     事情があって同居するのはやむを得ず、それは理解できる。しかし、ライバルが
    一つ屋根の下にいるとなると太刀打ちできない気もするが、それでもミカサは
    何度もジャンと会っている。そのためにミカサと何度か会っていたら、
    自分に気持ちをいつかは寄せてくれるのではないか、という淡い期待を
    ジャンは抱いていた。
     しかし、その期待も自分の心の中で音を立てて崩れ落ち、今では
    目の前の彼女を見つめながら楽しかった時間も走馬灯のように駆け抜けていく。
  127. 140 : : 2014/02/19(水) 12:23:35
    「そうだ、あの俺が編集したアーティストって――」

     ジャンの他愛のない話は相変わらず続く。この時間がミカサと一緒に過ごす
    時間が最後と感じると、ジャンは明るく饒舌にミカサに話し続けていた。
     しかし、先の話、今度どこに行こうとか、そいう話はしない。
    それは二人には未来がない、ジャンはミカサのうつむき加減の表情を見ながら
    確信しつつあった。
     ミカサはジャンが明るくて自分のために話し続ける気持ちが嬉しいが、
    エレンを想っていることに心が痛く、ジャンの顔がまともに見られなかった。
     
  128. 141 : : 2014/02/19(水) 12:24:43
    「おまたせしました――」

     ウエイトレスが笑顔を交え二人のテーブルに食事を並べ始めた。
    ミカサがオーダーしたのはオムライスだ。
     その街で流行の『ふわとろ』タイプではなく、バターの香りが漂う卵焼きが
    チキンライスを楕円形に包み、真ん中にはケチャップがかかり、
    黄色と赤のコントラストの境目がハッキリした正統派のタイプだ。

    「ミカサちゃん、食べよう…!」

    「うん…いただきます…」

     ジャンの明るい声と共に食事を開始する二人だったが、
    彼は一緒の食事が最後かもしれないミカサが食べる姿をぼんやりと見つめていた。
     ミカサはオムライスをスプーンで丁寧に切れ目を入れ、
    ゆっくりと口元にスプーンを運んでいた。皿の見た目もキレイに食事をする姿に
    エレンの母であるカルラからキチンと躾けられたのだろうとジャンは感じた。
     ミカサがほぼ食べ終えた頃、ジャンは水を一口のみ、
    彼女が話そうとしていること察して思い切って自ら切り出すことにした。

    「ミカサちゃん…オムライス好きなの? 
    なんだか…食べなれているというか、食べ方がキレイだから…」

    「えっ…うん、イェーガーのおば様から習って何度も作ったことがあるよ」
     
     ミカサはジャンの予想外の質問に戸惑うも正直に答えた。

    「そっか…じゃあ、それって…エレンも食べたってこと…?」

     再びジャンの予想外の質問に戸惑い、
    さらなる予想外にエレンのことを口に出した為に
    ミカサは一瞬のことだが息を飲んだ。
     
  129. 142 : : 2014/02/19(水) 12:26:38
    「あるよ…でもね、まだ母さんには及ばないって…言うんだ」

     そう答えるミカサは表情が沈んでいた。それはジャンにエレンのことを
    話す心苦しさからだった。

    「ひどい…! それはないよ。ミカサちゃんが一生懸命作ったんだから、
    ちゃんと褒めなきゃ」

     そのジャンの声を聞いたミカサは間髪入れず顔を上げ答える。

    「でもね…全部食べちゃんだよ」

      ジャンに向けられたミカサの顔は微笑んでいる。それはジャンのためでなく
    エレンのために――

    ・・・なんだ…ホントは美味いんじゃねかー… 
  130. 143 : : 2014/02/19(水) 12:27:20
     ミカサの笑顔を見たジャンはこれまで快活に話していたはずだが、
    声のトーンを下げ、ゆっくりと話し出す。

    「俺も…食べたかったな、ミカサちゃんの作るオムライス」

    「えっ…」

     『食べたかった』というジャンはまるで成し遂げられなかった
    というような表現にミカサは彼の顔を見据えた。
    そして正直に打ち明けるはずだったのにジャンの心遣いに口ごもってしまった。
     ジャンはミカサを傷つけたくない、好きな女の子が傷つく姿を見たくない。
    例えその心が他の誰かに気持ちを寄せていても――
  131. 144 : : 2014/02/19(水) 12:27:43
    「俺…待っているから。俺がいつか、リヴァイさんのようなDJになって
    ミカサちゃんが『FDF』に来られる年齢になったとき…そのときに会えるまで
    待っている」

     ジャンは意を決してミカサに話し出した。本当は『エレンとの恋が実らなかったら』
    ということを言いたかった。だが、それはないだろうと確信していた。
     認めたくなかったが、自分の男としての立場と『DJという立場』を摩り替えていた。
    もちろん、本心は『男として』ということには変りはない。
     ミカサがジャンの寂しそうな眼差しを見ると、ジャンの本心に気づいた。
    それはDJとしてではない、ジャン自身が待っているということを――
  132. 145 : : 2014/02/19(水) 12:29:12
     「ごめんなさい…ジャンさん…」

     今まで優しくしてくれたジャンの気持ちに申し訳なく、居た堪れない気持ちになった。
     ミカサがうつむきながら立ち上がり、テーブルに置かれた伝票を取ろうと
    彼女の手が伸びたとき、ジャンもそれを阻止する為に手を伸ばす。

     「最後くらい…おごらせてよ」

     ジャンはミカサの手を初めて握った。その手は小さくて柔らかく温かかった。
    女の子ってこんな感触だったんだ、とジャンは改めて感じた。

    ・・・こんな感じじゃなくて…デートのとき…手を繋ぎたかった――

     ジャンはミカサに触れながらもミカサに目を合わせることは出来なかった。
     
  133. 146 : : 2014/02/19(水) 12:29:42
    「ホントにごめんなさい…」

    「うん…あの編集したデータさ…あれだけはちゃんと受け取ってくれよな、
    結構…凝ってるから――」

     ジャンから手を離したミカサは、呼吸を整えありがとう、とつぶやいた。
    その声は今までジャンが聞いたミカサの声で一番、弱々しかった。
     後ろを振り返らずミカサはそのままファミレスを後にすると、ジャンも
    ミカサの背中を見ることはなかった。
     ジャンは今にも泣きそうな気持ちを抑えつつ、伝票を見つめていた。
    そして男として人前で泣いてはいけない、そう感じる自分のアイスコーヒーを
    ストローを使わず、グラスに口をつけ一気に飲み干した。
  134. 147 : : 2014/02/19(水) 12:31:05
    「ありがとうございました――」

     ウエイトレスの明るい声で見送られて、会計を済ますジャンがファミレスを後にした。
     彼が空を見上げると、すでにあたりは真っ暗で行き交う車のヘッドライトが
    まぶしく感じる。
     真夜中ではないが、人がいなくなった街の寒さから生まれた風が
    ジャンの周りを悪戯にまとわりついては、心を見透かしているように
    駆け抜けていく。
  135. 148 : : 2014/02/19(水) 12:31:31
    「寒いな…ほんと、さみー…」

     ジャンが寒さで腕を組んでいると、胸が締め付けられる感覚がした。
    そして、気がつけばスマホを握り、震える指先である人物を探した。
    その相手が声が耳に響くと、堪えていた涙が一気にあふれ出した。

    「おい…マルコか…?」

    「ジャン、どうした…?」

    「俺…振られた…」
  136. 149 : : 2014/02/19(水) 12:32:18
     その通話の相手は何でも話が出来る親友のマルコ・ボットだった。
    ジャンはファミレスの駐車場で身を隠せるポイントを探ししゃがみながら
    マルコに事の経緯を話し出していた。
     その時間からマルコはジャンが心配で会うことを決め、外出の準備を始めた。

    「私はズルい…」

     自己嫌悪に陥るミカサは家路に向うが、帰りたい気分ではなかった。

    「どこに行こう…あ」

     ミカサが何気なくスマホを見ると家から何度か着信が入っているが、
    きっとカルラからだろうと思っても、もしかしてエレンが家の電話に出るかも、と
    考えると折り返す決意が出来なかった。
     着信履歴をいくつか見ていると、ある番号を見つめそのままその番号をタップした。
  137. 150 : : 2014/02/19(水) 12:33:26
    「ミカサ、どうした~?」

     いつものその屈託のない明るい声にミカサは涙のしずくがほほをつたう。
     
    「イブキ叔母さん…今夜、泊まりに行ってもいい?」

    「どうしたのミカサ!? 何があった?」

     電話の向こうのミカサが泣いていると気づくとイブキの声は驚くが
    ミカサは安堵感に浸っていた。
     心配したイブキはミカサがいるところにすぐ迎えに行くといい
    自分の部屋から飛び出し、彼女が待つところまで駆け出していった。
  138. 151 : : 2014/02/21(金) 11:58:39
    ⑧ミカサの気持ち

     ミカサ・アッカーマンが叔母のイブキに電話をしてどれくらい過ぎただろうか。
    夜空には星がちらほらと見え、行きかう車のヘッドライトが彼女の沈む表情を
    白く浮かび浮かび上げさせる。文字通り『とぼとぼ』と歩く姿のミカサの手には
    スマホが握られているが、時間が遅くなるにつれ冷えた外気温の影響で
    その手はかじかんでいた。うつむき歩道を歩くミカサが顔を上げたときだった。
    力ない一言が漏れる――
  139. 152 : : 2014/02/21(金) 11:59:12
    「イブキ叔母さん…」

     ミカサが重たいまぶたで正面を見据えると、イブキが息を切らしながら、
    冷たい空気の中、アスファルトを力強く蹴りながら彼女の目の前に近づいてきた。
     慌てて出来てたのか、その姿は薄着で足元はサンダルだ。

    「ミカサ! どうしたの? 何があった?」

     イブキの威勢のいい声と共にミカサの両肩は強く掴まれた。

    「イブキ叔母さん…あのね…」
  140. 153 : : 2014/02/21(金) 11:59:24
    ミカサはイブキによって両肩がつかまれると、安堵感から緊張感が解き放たれ
    涙ながらに少し前にジャン・キリシュタインと何があったか、事の経緯を話し出した。
     イブキはミカサの手を繋ぎ、彼女のペースに合わせて歩きながら
    自宅アパートに向った。もちろん耳はミカサの話に傾けていた。
     アパートの部屋に到着すると、イブキはミカサをソファに座らせそして、
    毛布で身体を包ませホットココアを作ると、両手でマグカップを囲むと
    落ち着いてきたのか、強張っていた表情が緩んでいく。
  141. 154 : : 2014/02/21(金) 11:59:55
    「…私はエレンが…でも、エレンは何を考えているかわかない…
    ただの幼馴染なのかな…それとも」

    「そっか…ミカサ…」

     イブキはミカサがココアを飲む姿を見ながら、ため息をつくと視線を落とした。

    「そういえば…家には電話したの? ここに泊まるって?」

    「まだ…」

     ミカサはうつむいたまま、マグカップの半分になったココアを見つめている。

    「それじゃ…私が電話するね――」

    イブキは一息つくと、おもむろに自分のスマホを取り出し、イェーガー家の
    電話番号を探してすぐに掛けることにする。そして電話を相手へ繋ぐコール音が
    1回だけ鳴った瞬間だった。
  142. 155 : : 2014/02/21(金) 12:00:45
    「…もしもし?」

    ・・・何? すぐ出るって…!でも、この声は――

    イブキが予想以上に相手に繋がった為、顔を突き出し
    しゃべることを忘れ、声を出さず口を開けるだけだった。
     その受話器の向こうの声は明らかに語気が強く、電話を待ちわびていた様子の
    エレン・イェーガーだった。

    「あの…イブキですが…」

    「えっ!? イブキさん? すいません――」

     エレンは電話の相手がきっとミカサだろうと予想して不機嫌さを露にしていたが、
    予想外のイブキのため、声が上ずり慌てて謝っていた。

    「えっと…エレン、ミカサね、今夜ウチに泊まることになったんだ」

    「えっ…そうなんだ…今、母さんに代わります…」
  143. 156 : : 2014/02/21(金) 12:01:16
     エレンがミカサがイブキの部屋に泊まるとわかると、最初に勢いが静まり
    母のカルラへ受話器を渡していた。イブキもミカサに電話を代わり、
    二人が話すとその夜はミカサがイブキのところに泊まり翌朝は早目に出て
    学校に間に合うように家に戻ると話した。
     カルラはイブキのところなら、ということでミカサの外泊を許していた。

    「イブキ叔母さん、大丈夫だよ、イェーガーのおば様と話せたし」

     ミカサがイブキがいるキッチンに行くと、
    両手を腰に置き、シンクの前で立ち尽くしていた。後姿を見ながらミカサが
    シンクのイブキの隣に立つと、あっ、という声を出していた。
  144. 157 : : 2014/02/21(金) 12:01:50
    「あぁ…ミカサ、これね…料理の途中だったんだ――」

     イブキが苦笑いをしてミカサを見ると、すぐに視線をシンクに移した。
    シンクには大量の野菜が転がっていた。
    いつも忙しくなるとイブキは大量に食材を買い込み、料理する。
     その時はカレーを作る予定た。

    「ミカサ…悪いけど、手伝ってくれない?」

    「うん…! もちろん」

     ミカサはイブキと横並びになり、ニンジンを切り始めた。

    「やっぱり、大量に作るときは野菜の煮込み料理とかが多くなるよ」

    「そうね、作ったら冷蔵庫で保存して、食べるときはレンジで温めたらいいし」

    「そうなっちゃうよね…」

     ミカサはイブキが苦笑いで言うことに淡々と同意してうなずいた。
    横目でチラっとミカサの顔を見ると、落ち着いているようで、いつもの彼女の
    冷静さを醸し出す横顔に戻りつつある。
  145. 158 : : 2014/02/21(金) 12:02:45
    ・・・ミカサ…もう、落ち着いたかな?

     イブキはミカサの様子に胸を撫で下ろすと、他愛もない話をしながら、
    彼女がが自分の気持ちを話し出すのを待っていた。

    「野菜を切るの上手ね…いつもお手伝いしているの?」

    「うん…イェーガーのおば様、お料理上手だし、楽しいし…」

    ・・・それにしても…器用に切るんだ…

     ミカサはニンジンの皮をむくと、細かく刻んでいた。イブキは特にサイズの指示を
    していなかったが、カレーと知っていて細かくするため、きっとエレンはニンジンが
    苦手なのだろうか、と勘ぐっていた。
  146. 159 : : 2014/02/21(金) 12:03:13
    「ジャンさん…ホントにいい友達になれると思っていたけど、彼の気持ちを考えると、
    これ以上、ないがしろに出来ないし、期待を持たせてはいけない…」

     ミカサは一気に話し出すと、途中で息を飲みながらそれでも話し続ける。

    「でも、一緒に過ごすことにより、期待をさせてしまうなら…
    私は最初から悪いことをしていた、って…そう感じてしまう――」

     イブキはジャガイモの皮を剥いていると、その手を途中で止める。

    「もしかして…私がジャンを『キープしたら』って言っていたことを実行していた…?」

     体勢をミカサに向けながらイブキは申し訳ない気持ちから、唇が強張らせる。
    イブキはミカサにエレンが振り向くまでの間、『キープしたらいい』ということを
    実際に実行しては、互いに傷ついたかと思うと、瞬時に鼓動が反応すると
    息を飲んだ。
  147. 160 : : 2014/02/21(金) 12:03:45
    「私は器用じゃないから…そんなことは出来ないよ」

     ミカサはニンジンを切り終え、たまねぎに手を伸ばしていた。

    ・・・器用じゃないって言うけど、刃物は器用に扱うのに――

     イブキはミカサの手先を見ながら、器用さに目を見張りながらも
    そのことは口にしなかった。

    「ジャンさんは…一緒にいて、楽しいし。単純に…。
    でも、女友達とも違って、好き嫌いを除いてね。でも、恋じゃなくて、
    ドキドキするとか…そういうのはなかった」

    「そっか…気持ちが動かないってことは…やっぱり友達なんだろうね――」

     カフェ『H&M』で料理教室をしたとき、ミカサがジャンにそのとき作った
    ブラウニーを嬉しそうにもらう姿をイブキが思い出すと何とも言えない気持ちで
    奥歯を噛み締め、口角を上げる。
  148. 161 : : 2014/02/21(金) 12:04:43
    「ミカサは初めての出来事で…戸惑っているかもしれないけど、
    これも大人の女に成長する為の…『通過儀礼』みたい経験かもね。
    必ずいつか、誰もが通り過ぎる道のりかもしれない」

     ミカサはたまねぎを涼しい顔で切りながら、イブキの話に耳を傾ける。

    「やっぱり、初めての通り道だから、痛みをとても強く感じるかもしれないけど、
    でも、いつかはそれが懐かしい痛みに変わる。少しずつ時間が癒していくのよ」

     ジャガイモの皮を剥き終えたイブキはまな板に置くと、一口大のサイズに切り始めた。
  149. 162 : : 2014/02/21(金) 12:05:31
    「ジャンとは…『H&M』に行くと会うかもしれない…
    彼とは普通に接した方がいいよ。最初は難しいかもしれないけどね…」

    「そうだよね…普通に…しなきゃ、もっと気まずくなる――」

     カレーを作るときは野菜を炒めることから始めるが、今回は野菜が大量の為、
    イブキはすべての野菜を切り終えると、大きな鍋に投入すると煮込み始めた。

    「ミカサ、ありがとう! はい、これ飲んで――」

     イブキはミカサを労うと、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを手渡し、
    キッチンのテーブルに二人で向かい合わせに座った。そして部屋に来た当初より
    笑みを浮かべるミカサの様子を見てはホッと胸を撫で下ろしていた。

    「ジャンさんを傷つけてまで、エレンを選んだ。だからどうにか私の気持ちを伝えたくて…
    でも、もし何も進展しなかったら、同じ家に住んでられない…」

    「…同じ屋根の下に住んでるからね…」

     明るい表情に戻っていたミカサだったが、エレンのことを思うと、ため息をつき
    再びキブキの前でうつむき加減になっていた。
  150. 163 : : 2014/02/21(金) 12:05:59
    「エレンは…ミカサのことをどう思っているのかな?」

    「えっ…?」

     ミカサは唐突な質問に頬を赤らめるが、正直に答え始める。

    「わからない…けど、たまに愛想よくしたり…でもあとは冷たくなったり…」

     イブキが家に電話をしたとき、すぐエレンが受話器をとったこと、そして
    ミカサかと想像して不機嫌な口調を思い出すと、ミカサに素直になれないだけかもと、
    想像していた。しかし、それを言わずに本人たちに気づかせるのが大切なのかと
    感じると、イブキはミカサに笑みを向けながら話し出す。
  151. 164 : : 2014/02/21(金) 12:06:22
    「もしかして…ミカサもエレンも意地っ張りになっているんじゃない?」

    「そうかな…?」

    「もっとさ…素直になって、気持ちをぶつけてみて、万が一、一緒に住めない!
    ってなっても、大丈夫! ここがあるじゃない!」

     イブキは朗らかな声をミカサに向けると、人差し指でテーブルを差し、
    自分の部屋という意味を表現していた。

    「イブキ叔母さん…ありがとう…」

     嬉しさのあまりミカサは涙ぐみ、笑みを浮かべ指先で目じりの涙を拭った。
    そして不意に感じたことを口にした。
  152. 165 : : 2014/02/21(金) 12:07:01
    「でも…私がここに住んだら、アルミンのお父さんか、『ザカリアス』のおじさん…と
    お付き合いすることになったら、どうなるの?」

    「えっ…?」

     予想外の質問を投げつけられたイブキは面食らい、すぐに目を逸らした。

    「そ、それは…付き合ってから、考える」

    「っていうか…本当は誰が好きなの? 誰の気持ちを受け入れるの?」

     淡々とした口調で『痛いところ』をさらに針でつつくように問うミカサに
    イブキは頬を赤らめ口が渇いていくのがわかった。
  153. 166 : : 2014/02/21(金) 12:07:38
    「えっと…なんというか…」

    「…イブキ叔母さんも…誰かを傷つけるんだよね、一人を選ぶということは――」

     ミカサが冷静に淡々とイブキの目を見据え話すと、遠くを見るような眼差しをしていた。
     最近のイブキとエルヴィン・スミス、そしてミケ・ザカリアスの関係は進展は
    相変わらずないまま、そして貴族のモーゼズ・クラウンとの一件以来、
    多忙もあり、そして気まずさで会えなかった。

    「あの二人…私を大切にしてくれる誰かを傷つける…
    でも、選ばなきゃいけないって――」

    「イブキ叔母さん、お鍋!」

    「あっ!」 
  154. 167 : : 2014/02/21(金) 12:08:02
     イブキが自分の本音を話そうとすると、突然、火にかけていた鍋が噴き零し、
    慌ててキッチンに行くと、コンロの火を消していた。
     吹き零れのため、コンロの五徳周辺をやけどに注意しながら布巾で拭く
    イブキの後ろ姿を見つめるミカサは、エルヴィンまたはミケが
    彼女と付き合うことになったら、ここに遊びに来れても住めないと感じていた。
     そのためエレンとの関係がどうなっても、強い気持ちを持とうと決意する――

    「ミカサ、カレーは甘口と辛口はどっちがいい?」

    「えっと…私は辛い方がいい――」

     ミカサはイブキにキッチンに呼ばれると、カレーのスパイスを加え
    味付けすることになった。ミカサは辛口が好きだが、イェーガー家では
    エレンが甘口が好みであまり食することができない。
     そのため自分で作る辛口カレーが出来上がることを楽しみにしていた。
  155. 170 : : 2014/02/23(日) 10:57:58
    ⑨ジャンの気持ち

     日曜日の夜の居酒屋は客がまばらで、
    まるで自分の気持ちを投影させたような活気がない寂しい空間に
    ジャン・キリシュタインは友人をテーブル席で待っていた。
     入り口付近から、扉が開く音が店内に響くと、視線を送った。
    誰にも見せまいと、すでに涙を拭いたそのまぶたの向こうには友人の
    マルコ・ボットが息を切らしながら、近づいてジャンの真向かいに腰を下ろす。

    「ジャン…おまえ、大丈夫か?」

    「まぁ…何とかな、マルコ、今夜はつきあえ――」

     大げさだが憔悴した表情のジャンはマルコに一緒に飲もうと誘っている。
    翌日の講義について心配しても、それはもう構わないと、躊躇せずに
    ビールを頼み始めた。
  156. 171 : : 2014/02/23(日) 10:59:02
    「ジャン…ミカサちゃんのことは残念だったな…」

     マルコがミカサ・アッカーマンのことを口に出すと、すでに数杯ジョッキを空けていて、
    飲み干した分をどんっとテーブルに叩きつけるように置くとジャンは話し出した。

    「俺の何が悪かったんだろうな…」

    「彼女には好きな人がいたんだろ?それは仕方ない――」

    「――いや、だがな…」

     ジャンはマルコが話そうとしていることを遮る。

    「俺と一緒に遊びに行ったりとか、電話でも普通に話していたんだよ。
    もし、ミカサちゃんを大事に想っているなら、例え同じ屋根の下に住んでても
    会わせたりすることはしねーんじゃねーの?気にならないってことじゃないのか…?」

     ジャンがろれつが回らないながらも、一気に話すとさらにビールを頼んでいた。

    「まぁ…何か事情があったかもしれないが…」

     事情を把握してないのに、ジャンの疑問を答える自分自身を
    無責任だと感じると苦笑しながらマルコは自分の頬を指先で搔いていた。
  157. 172 : : 2014/02/23(日) 11:00:04
    「ジャン…失恋には新しい恋をということで…あ、そうだ!
    オーナーたちが話しているのを聞いたんだけど…」

     マルコは自分が勤めるカフェのオーナーのエルヴィン・スミスとハンジ・ゾエが
    久しぶりに街コンが開催されるため、また参加しようと話しているのを
    耳にした、ということをとジャンに話した。

    「――だから、おまえ、参加したらいいじゃん」

     マルコは笑みを交え自分が聞いたこと話した後、
    アルコールは控えコーラを飲みながらジャンの反応を待っていた。
    それはマルコ自身がジャンの話を聞くことに徹底していたからだった。

    「っていうか…何で俺が街コンなんかに参加しないといけないんだよ?
    ミカサちゃんみたいに…いいコ、他にいねーよ」

    「じゃ、俺も参加するって言ったら、一緒に行く?」

    「えっ…どうだろ…今はそんな気になれねーし、きっとカフェの仕事もあるだろうよ」

     ジャンはマルコの提案にたじろぎ、少し冷静になりながら、ビールを一口飲んだ。

    「それじゃ、リヴァイさんのように好みのコがカフェに来たら接近するのはどう?」
  158. 173 : : 2014/02/23(日) 11:01:07
     マルコはリヴァイのことを想像しながら、ジャンに提案した。リヴァイは
    カフェ『H&M』に街コンの参加者として来ていたペトラ・ラルと出会っていた。
    リヴァイ自身はカフェの一人の従業員としてペトラと接していただけだった。

    「あぁ…確かにリヴァイさん、ズルいよな、自分は街コンには参加してないのに」

     ジャンは苦笑いすると伏目がちになり、テーブルの上のつまみに手を伸ばしていた。

    「だけど、出会いなんて、どこにあるかわからないよ。行動あるのみだよ!
    リヴァイさんをあやかろう」

    「だな…だけどあの人…あんなにクールなのに人が寄り付く…なんでだろう」

     ジャンは遠くを見るように言いながら息をはいた。

    「だよな…でも、俺よりわかっているだろう? リヴァイさんのことは?」

     遠くを見ていた眼差しのジャンはマルコにその視線を移して再びため息をついた。
  159. 174 : : 2014/02/23(日) 11:01:40
    「あぁ…リヴァイさんは…本当は熱い人なんだ。ただそれを表に出さないだけ。
    何をすべきか、ということを理解した上でいつも仕事しているよ」

    「なんだ、やっぱり、リヴァイさんのことわかっているじゃないか」

     ジャンはリヴァイの話になると、数分前までうつろな眼差しをしていはずだが
    リヴァイを見習ったのか、鋭い眼差しになっている。

    「あらゆる工夫をしながら…今、できる的確な行動を把握する。
    俺もマネしないとな…男としても見習いたい」

     本来はミカサに振られたことで、話を聞こうと思いジャンと顔を合わせている
    マルコだったが、だんだんと話の対象がリヴァイに移行していた。
     ジャンの酔いはリヴァイのことを語るにつれ冷めつつあった。

  160. 175 : : 2014/02/23(日) 11:02:39
    「まぁ…俺も、思いがけないキッカケで出会ったリヴァイさんを見習って
    彼女探そうか――やっぱり」

    「そうだよ、大学生活でバイトばかりで彼女もいないって、なんだか…」

     マルコは不快そうな顔つきをジャンに向けると、すかさず彼に言い放った。

    「マルコ、おまえも彼女が欲しいのか?」

    「やっぱりそうじゃね? まだ大学生だし」

    「…そうだな…今度の街コン、二人で探そうか」

    「うん、そうしよう!」

     ジャンはマルコが自分と付き合って彼女を探そうといってくれているのか、
    それとも本心なのかわからないが、今の自分に寄り添ってくれる彼の気持ちが嬉しかった。
     その後二人は好みのタイプやその年代特有の女性に対する『熱』を
    真剣に、そして身振り手振りを交え笑い声を交え語ると
    翌日のことを考えお開きにし、居酒屋を離れることにする。

  161. 176 : : 2014/02/23(日) 11:03:57
    「今日は寒いな…やっぱり」

     マルコが居酒屋から出ると、温まっていた指先が冷えていくのを感じると
    両手のひらでこすり合わせていた。

    「そうだな…マルコ、今日は悪かった…少しは気持ちが晴れたよ。
    俺はおまえと友達でよかった」

    「何言っているんだよ、ジャン!?」

     マルコは酔いが冷めたとはいえ、まだ頬の赤いジャンを見ると照れて
    目を逸らしていた。

    「とにかく、明日は早い…早く帰ろう」

     二人は肩をすぼめ、白い息を弾ませながら
    両手をジーンズのポケットに忍ばせそれぞれの家路についた。

  162. 177 : : 2014/02/24(月) 13:47:18
    ⑩エルヴィン親子の、幸せの行方

     いつもの土曜日のカフェ『H&M』のランチタイム。
    オーナーのエルヴィン・スミス目的のの奥様連中が彼をテーブルで囲み
    和やかに食事をしている。
     エルヴィンは一時期、うんざりしていたことも確かにあったが、
    リヴァイがパティシエのカイが彼の店をオープンした直後に行くと、
    『多くの奥様連中と出くわした』と聞いていた。そのため彼女らの『流出』を
    食い止める必要があると感じると、エルヴィンは気を取り直し積極的に話していた。
     功を奏した影響なのか、相変わらず『H&M』の土曜日の風物詩の風景はそのままに、
    奥様たちがエルヴィンを囲っておしゃべりを楽しんでいる。
  163. 178 : : 2014/02/24(月) 13:47:49
    「さすがにオーナーも大変そうだな…」

     リヴァイは他の客が帰った後のテーブル席を拭きながら相変わらず冷ややかな
    眼差しをエルヴィンや奥様連中に送っていた。

    「――しかし…懲りないお嬢様風の奥様だ」

    さらにため息をつきながらチラっと視線を送り、テーブルを整えていた。
    リヴァイの一瞬の眼差しを注がれたのはナイル・ドークの妻、シイナである。
     彼女はエルヴィン目的で『FDF』にも変装してきたことがあり、リヴァイの中では
    『要注意人物』になっていた。今回、娘のミーナも連れてきていたが、さすがに
    母親たちのグループには入れず、カウンターで一人、本を読みながら母を待っている。
  164. 179 : : 2014/02/24(月) 13:48:19
     当初、シイナはミーナに対して『大事な話を終えるとすぐ帰る』ということを
    伝えていたが、それはもちろん建前だ。ミーナは母がエルヴィンのことを
    気に入っていると露知らず、きっと皆で教育のことを討論しているのだろう、
    そしてなかなか『大事な話を終えられない』のだと思っていた。
     リヴァイが娘も大変だな、と思っていると不意に出入り口のガラスのドアが開く。
    視線を送ると、アルミンが昼食の為にカフェにきていた。

    「アルミン…ハンジさんのランチ、出来ているぞ…」

    「リヴァイさん、ありがとございます!」
  165. 180 : : 2014/02/24(月) 13:48:45
     アルミンがリヴァイに挨拶すると、その声を聞いたミーナは集中して
    読書をしていたはずなのに、彼のほうへ身体を向けはじけるような笑顔を浮かべた。
     ミーナの笑顔を見たリヴァイは今でもアルミンに気があるのだと思い、もしかして
    今回は母の付き合いだけでなく、アルミン目的でカフェに来たのではと勘ぐった。

    「ミーナ、来ていたんだね!」

    「うん、今日は母についてきたの」

    「そうか…」
  166. 181 : : 2014/02/24(月) 13:49:15
     アルミンはクラスメイトに学校以外で会えたという、
    少し不思議な違和感に包まれながらミーナの隣に座っていた。
     そして父であるエルヴィンが座るテーブル席を横目に見ると、
    あの中にミーナの母親がいると思うと、口を閉ざした。
    ただ互いの親には思い知らされる、そう感じるだけだった。
     ミーナは読んでいた本をバッグに詰め込むとアルミンに話し出す。

    「ねぇ、アルミンは毎週、土曜日はここでお昼を食べるの?」

    「そうだね、だいたい土曜日はそうかも」

     アルミンは淡々とナイフとフォークを使いランチを口に運んでいるが
    ミーナの嬉しそうな眼差しには全然気づいていない。

    「じゃ…私も母とここに遊びに来たら、土曜日はアルミンと会えるのかな」

    「――かもね」

     ミーナはアルミンの横顔に目を輝かせるが、お構いなしにランチを
    半分近く平らげていた。
  167. 182 : : 2014/02/24(月) 13:49:57
    ・・・アルミン…ミーナのこと、全然気づきもしない…ホントに気がないんだろうな

     リヴァイはただ食事をするアルミンのそばで嬉しさから頬に赤みを差すミーナを
    見ていると気の毒に感じていた。

    ・・・まぁ…この先、何があるか、誰にもわからないが…

     リヴァイは二人に相変わらず冷ややかな眼差しを注ぐと、自分の仕事に戻っていた。

    「ごちそうさま…」

     アルミンがハンジ・ゾエ特製のまかない料理を食べ終え、口元をペーパーナプキンで押さながら
    チラっと父であるエルヴィンを見ていた。

    ・・・早くイブキさんとまとまればいいのに…

     大人の事情もあり、イブキと父であるエルヴィンが付き合うことの難しさを
    アルミンが感じると、ため息が出た。
  168. 183 : : 2014/02/24(月) 13:51:15
    「――アルミン、ため息なんかついてどうしたの?」

    「いや…何でもないよ」

     ミーナにため息を指摘されると、目を泳がせるとそのままカウンター席から
    離れリヴァイに話し出す。

    「リヴァイさん、ごちそうさま! 僕、これから本屋に行ってきます」

     アルミンはリヴァイにランチプレートを渡しながら自分の予定を自然に話し、
    そのままカフェから離れようとした。

    「アルミン! 私も一緒に行ってもいい?」

    「えっ?」

     アルミンはカウンター席に座るミーナに予想外のことを言われたため
    面食らっていた。
    そのミーナの声を聞いたリヴァイは彼女にとってはチャンスかもと感じると
    すかさず賛同したかのようにアルミンに言い放つ。

    「アルミン…いいじゃないか、一緒に行くんだな」

    「は、はい…!」

     アルミンはミーナの提案を強制的に付き合え、とでも言っているようなリヴァイの
    視線を感じると、同意するしかないと感じていた。
  169. 184 : : 2014/02/24(月) 13:52:02
    「ミーナ…一緒に行こう、お母さんにも話してきたら?」

    「――うん、そうだね」

     ミーナは微笑みながら、母であるシイナに近づくと、すぐ彼女の視界に入り
    何事かとすぐに声を掛けた。

    「あっ、そうなの…! アルミンくんと一緒に本屋さんに? 気をつけていってらっしゃい」

    「うん、私は本屋からそのまま家に帰るね」 

      笑顔でシイナに見送られると、アルミンとミーナはガラスのドアを開け
    そのまま出て行った。

    「お互いの子供が仲がいいって、嬉しいですね」

     シイナはエルヴィンに対して笑顔を向けられるが、その妖しさを感じると
    彼は不意打ちに背中から氷を入れられたように寒気を感じた。
  170. 185 : : 2014/02/24(月) 13:52:42
    ・・・まさか、互いの子供を出しにして、俺に近づくんじゃ…

     顔を強張らせたエルヴィンは気持ちを気を取り直すため、
    スマホに電話が掛かってきた降りをして立ち上がると、
    カウンター席を拭くリヴァイと目があった。

    「アルミンとミーナちゃん…ただの友達ならいいのだが…」

     カウンター席にエルヴィンが座ると、リヴァイにため息混じりに話した。
     
    「アルミンは…あのミーナってコは何も思っていないはず。好きなのは
    あの保健室の先生だろうよ…」

     リヴァイがアルミンの学校の保健教論のミリアン・パーカーを思い出しながら
    淡々と話すと、
    エルヴィンは苦笑いを浮かべる。
     リヴァイはカウンターの内側の洗い場で食器を洗い出した。
  171. 186 : : 2014/02/24(月) 13:53:48
    「…あの二人…仲良くなったら、シイナさんはさらに俺を追いかけまわすのだろうか…」

    「だろうな…」

     リヴァイはエルヴィンの自嘲の笑みに冷ややかに答えた。エルヴィンの肩越しから
    そのシイナが熱い視線を送る姿を目の当たりにしていたからだった。

    「俺も…いい加減…落ち着かないといけないが」

    「――もし、イブキさんと付き合うことになったら、あの奥様連中はどうする…?」
     
     リヴァイはエルヴィンに対して妖しい笑みを浮かべ言い放った。

    「おい…余計なことを考えさせないでくれよ」

     カウンターに肘を置き額を手のひらで抱え、エルヴィンは長く息を吐いた。 

    「まぁ…自分の幸せも考えるべきじゃねーか?」

    「確かに言う通りだな、リヴァイ…」
  172. 187 : : 2014/02/24(月) 13:54:25
     リヴァイに諭されたエルヴィンは伏目がちになるが、両手でテーブルを
    ポンと軽く叩くと、そのまま『奥様連中』が戻るテーブルに戻ることにした。
    もちろん、再び笑顔で迎え入れられていた。
     その頃、アルミンとミーナは本屋に到着していた。
    そしてアルミンはすぐに小説コーナーの本棚の前に立っていた。

    「アルミン、この作家が好きなの?」

     アルミンが自分の好きな作家の本を手に取る姿を目の前にした
    ミーナは驚きで声を張りアルミンに話した。

    「えっ? うん、結構読んでいるよ」

    「私もなんだ!」

      二人は互いに同じ作家が好きだとわかると目を見開き喜んだ。
    そしてどれが面白い、そしてどれをまだ読んでいないと小説コーナーの
    本棚の前で盛り上がっていた。
  173. 188 : : 2014/02/24(月) 13:54:39
    「――僕のオススメはこれ」

     アルミンはミーナから過去に読んで面白かったという1冊を紹介されると、
    同じように好みの本を勧めた。
     そして二人は『オススメの1冊』を互いに買うとことにしていた。
     アルミンは自分の好きな作家が好きというクラスメイトがいる知って嬉しかった。
    一方のミーナは、自分の好みの作家の小説を好きな人が読んでいると知ると
    その共通点に笑顔を浮かべると、口角を下げきれないでいた。
  174. 189 : : 2014/02/25(火) 13:28:06
    ⑪アルミンの片思い

     月曜日の朝、アルミンは登校すると自分の机に座り
    肘を突きながら窓の外を見上げていた。
     窓ガラスの向こうは曇り空でグレーのクレヨンを乱暴に
    塗りつぶしたような大空から、今にも雨のしずくが降りてきそうな雰囲気を
    漂わせていた。

    「おはよう! ねぇ、アルミン! あの本読んだ?」

     アルミンが窓ガラスから声が聞こえた方へ視線を移すと彼の目の前には
    その日の曇り空を払拭するような笑顔を向けるミーナ・ドークが立っている。

    「あぁ…ミーナ、おはよう。あの本ね…まだ半分だよ! 
    さすがに全部読んでないけど、面白いね――」

     アルミンが笑みを浮かべミーナに感想を伝えそして
    また本屋か図書館に行こうと誘うと彼女は
    まるで花が次々と咲き乱れるような笑顔を振りまき、
    周りのクラスメイトにも気づかれるようだった。
  175. 190 : : 2014/02/25(火) 13:28:51
    「ミーナ…そこまで喜ばなくても…」

    「あ、ごめんね…」

     ミーナが頬を紅潮させ喜ぶ姿にアルミンは戸惑いを覚える。
    ただ同じ作家が好きなクラスメイトとして
    アルミンは接しているつもりだった――

    「アルミン…ミーナと仲がいいんだね…」

     授業開始のチャイムがなり皆が席に戻るとアルミンの後に座る
    ミカサ・アッカーマンはすかさず彼に話しかけた。

    「えっと…何日か前にウチのカフェにお母さんと来てて、
    その時にミーナと一緒に本屋に行ったんだよ…それでよく話すようになったかな」

     アルミンは先生が来ないか正面の出入り口を気にしながら
    耳だけはミカサに傾ける。

    「よく話すように…って去年のクリスマスパーティー、
    『H&M』でしたとき…アルミンの横にミーナが座って楽しげに話していたでしょ?」

    「えっ…そうだっけ?」
  176. 191 : : 2014/02/25(火) 13:29:38
     アルミンは全く覚えてない様子で首をかしげる。
    彼が返事した直後、授業を受け持つ先生が教室に入ってきたため、
    二人の話は途切れてしまった。

    ・・・アルミン…『そうだっけ?』って…
    お父さんのように恋愛に頑張るタイプじゃないの…?
    それとも、ミーナの片思い…

     ミカサはアルミンの父、エルヴィン・スミスが恋愛に対して貪欲な様子を
    何度も見かけたことがある。それに対して間逆で冷めているのか、
    それとも鈍いのか表情から読み取ることができない、
    アルミンに対してミカサは顔を強張らせた。
     そして遠くの席に授業開始の為、正面を見据えるミーナの笑顔に
    ミカサの胸はチクリと針先が刺すような感覚がした。
    ミーナの微笑みの理由は好きな人と共通するものがあるという喜びの笑みだ。
  177. 192 : : 2014/02/25(火) 13:30:10
     放課後、アルミンは時々だが一人で立ち寄るところがある。
    そこは保健室―― 
     仲良しのエレン・イェーガーやミカサに対して打ち明けたことがない、
    彼の秘密の行動だ。

     「ミリアン先生! こんにちは…!」

     最初、アルミンは亡き母に似ている養護教論のミリアン・パーカーに会いに
    来ていたのだが、それは当初の目的だった。しかし、何度か会っていると
    亡き母のことは忘れミリアンのわけ隔てない優しさに惹かれていた。
     保健室の引き戸を開けると、いつも笑顔で迎えてくれるミリアンを見つめるのが
    アルミンの密かな楽しみである。

    「アルミン! なんだか久しぶりじゃない?」

    「そうかな…?」

     オフィスチェアに座るミリアンがアルミンの方へ体を向ける。
    白衣から覗く両膝が彼に向うが、敢えて見ないようにする。
    先生なんだから、『そういう対象』として見てはいけない、と意識し過ぎる
    自分自身にアルミンは気づいていない――
  178. 193 : : 2014/02/25(火) 13:31:24
    「ホント、久しぶりだよね? 忙しかったの?」

    「このごろ、宿題が多かったからな…」

    「そうなんだ! 先生はアルミン、最近来ないなぁ…って思っていたよ!」

     アルミンは確かに宿題も多かったが、保健室に何度も足を運ぶことで
    ミリアンに嫌われたくない。そして誰かに見られて怪しまれたくない――
    そんな気持ちから、故意に保健室にはあまり来ない。
     しかし、ミリアンに会うときは『様々な話のネタ』を仕込んでやって来くる。
  179. 194 : : 2014/02/25(火) 13:31:56
    「――アルミンのところのカフェ、最近行ってないなぁ…また行きたい」

    「ぜひ、先生! 来てくださいよ! そういえば…最近、本屋に行って…」

     二人は他愛のないことを話しているのが好きな本に対することが多い。
    アルミンの読書量が最近増えたのはミリアンの影響だった。
    またミーナがアルミンと共通して好きと喜んだ作家は
    最初にミリアンが彼に教えていた、という経緯がある。
     アルミンはミーナから同じ作家が好きと指摘されて嬉しかったのは事実だが
    最初にミリアンから教えられていたため、それほどの嬉しさは感じていなかった。

    「先生、僕が今読んでる本は――」

    「――あぁー! 先生もこの本読んだよ!」

     アルミンがミリアンに見せた本はミーナが勧めてくれた1冊だった。
    笑顔を交え手に取るミリアンを見据えると、アルミンはミーナに
    申し訳ない気持ちになっていた。
  180. 195 : : 2014/02/25(火) 13:32:23
    「ぜひ、感想聞かせてね!」

    「はい!」

     アルミンが快活に返事をするとミーナへの申し訳ない気持ちはいつのまにか消え去っていた。
     二人が和やかに話していると、保健室の引き戸が開く音が室内に広がる。
    アルミンに視線を合わせていたミリアンが視線を逸らすと、その表情に
    さらなる笑顔が灯るのを彼は見逃さなかった。それはミリアンの恋人、
    社会科教師のルーク・シスが現れた合図でもある。

    「あ、ミリアン先生…シス先生が来ちゃったね…僕はもう帰ります…」

    「アルミン、ありがとね! また遠慮なくいつでも遊びにきてもいいから――」

    「――はい…失礼します」
  181. 196 : : 2014/02/25(火) 13:32:52
     アルミンは楽しい時間の幕切れ、その表情から笑みが消えつつあった。
    そしてミリアンから離れ、シスとすれ違うとき――

    「よう! アルミン、よくここで会うな! 宿題はやってるか?」

    「はい…」

     口角を上げ話しかけるシスに対して伏目がちにアルミンは返事をした。

    「もう…宿題を多く出す先生って、ルークだったの?」

    「――まぁ、ね」

     アルミンは振り向かずに背中を向けながら保健室の引き戸を閉めた。
    その背中には自分とは違い、とてもに賑やかに話すミリアンの声が響いていた。
  182. 197 : : 2014/02/25(火) 13:33:35
    ・・・二人で…何するだろ、もちろん、ここは学校だ――

     大きく息を吐くと、アルミンは足取り重く保健室から離れることにした。

    ・・・僕も…もっと、ミリアン先生と話がしたいのにな…

     手には買ったばかりの本が両手で抱えられ、ミリアンへの気持ちからか、
    とても強く胸元に押し付けられていた。
     保健室から彼女の楽しげな笑い声が聞こえる気がすると、
    二人はとても仲がいい、アルミンはそう感じずにはいられなかった。

    ・・・僕が…入り込む余裕なんてないのに…

     最初は亡き母に似ていると思って近づいたミリアンだったが、
    今はそうではない――
     話のキャッチボールが出来て、一緒に過ごす和やかな時間が
    心地よくさせてくれる…大人の女性のミリアンが好きだとアルミンは実感している。
     しかし、恋人であるシスの存在がどうにもならない、
    上の空でやるせない気持ちのため息をついた。
  183. 198 : : 2014/02/25(火) 13:33:49
    「おーい! アルミン! どこに行っていたんだよ! 帰るぞ」

     アルミンが正門前に到着すると、彼を見つけたエレンが
    はつらつとした表情で手を振る姿が待っていた。

    「ごめん、エレン! 今いくよー!」

     強く胸元で抱えられていた本をアルミンはスクールバッグに押し込むと
    エレンのそばに駆け出した。
     ミリアンへの熱い思いを振りきれず、何もなかったような涼しげな表情を
    エレンに向けながらそのまま家路についた――
  184. 200 : : 2014/02/27(木) 11:19:22
    ⑫見初められた二人

     平日のクラブ『FDF』は踊る目的より、DJがセレクトする曲と酒を楽しむ客が多い。
     その夜が深くなる時間、不動産王のドット・ピクシスと孫のアンカが
    テーブル席で静かに座りながらDJリヴァイのセレクトにグラスを傾け酔いしれていた。
     ピクシスがブースにいるリヴァイを見たと思うと、フロアのテーブル席に視線を移動させる。
    彼は遠くのテーブルの二人の女性客を見ながら首をかしげていた。

    「おじいさま…どうかされました?」

     遠くのテーブルを見ながら、不可思議に表情を浮かべるピクシスに
    気づいたアンカはすかさず声を掛けた。
  185. 201 : : 2014/02/27(木) 11:20:06
    「いや…あの女性客の二人組み…どこかで見たことがあるんじゃが…」

    「あら、もしかして…ウチのお客様かしら?」

    「超絶美女なら忘れるはずがないのだが…声を掛けてみようかのう…」

    「もう、おじいさま!」

     アンカは女性客目当てに席を立とうとするピクシスに対して鋭い視線で睨み
    両手を上げる仕草でその行動を阻止した。直後に彼女も二人に対して視線を送る。

    ・・・あら…あの二人、確かにどこかで…?

     遠いテーブル席の女性客二人に目を細めるアンカも
    かつてどこかで会ったような気がして首を傾げてた。
     しかし、照明が落とされ暗がりのクラブの中では顔がぼやけてハッキリしない。
    それでもあの女性客が『超絶美女』だとわかった祖父にアンカは訝しげな眼差しを注いでいた。
  186. 202 : : 2014/02/27(木) 11:21:09
     ピクシスとアンカが気にする女性客はマヌエラとローラの姉妹だ。
    厳しい家庭に暮らす二人はたまに家を抜け出し、息抜きのため夜遊びをする。
    二人は初めて『FDF』に来ていた――

    「姉さん…踊れると思っていたのに…ガッカリ…」

    「でもね、ローラ、好きな曲を聴いてお酒を飲むのも楽しいんじゃない…?」

    「それはそうだけど…」

     妹のローラは初めての『FDF』で踊れることを楽しみしていたが、
    平日の踊れない雰囲気に不満を口にしていた。すかさず姉のマヌエラは
    笑みを浮かべ、妹をなだめる。その笑みは不満の表情ではなく、
    クラブが踊るだけでなく、『音を楽しむ空間』という新たな発見をした喜びにも見える。
     二人は年子の姉妹で、肩までダークブラウンのウェーブヘアで華やかな雰囲気を醸し出している。
    目鼻立ちがハッキリして、姉のマヌエラは涼しげな目元をしているが、妹のローラは
    大きな瞳が特徴で掛けているメガネが幼さを際立てさせているようだ。
     二人は学校を卒業しても『花嫁修業』という名目で家事手伝いしかしていない。
    いわゆる『お嬢様姉妹』である――
  187. 203 : : 2014/02/27(木) 11:21:56
    「――ねぇ、二人は顔が似ているけど、姉妹なの?」

    「えっ…?」

     姉のマヌエラの隣の席から突然、男性客から声を掛けられた。
    すでに酔っている様子で暗がりでも目がうつろなのが伺える。
    そのために、マヌエラは妹のローラを庇うような姿勢を見せた。

    「別に警戒しなくてもいいじゃん! 二人だって、ナンパされる目的できてんだろ?」

     最初に声を掛けてきた男の『ツレ』がマヌエラたちと同じテーブルに移動して座っていた。
    声を掛けることに慣れている様子で、テーブルに肘を置きその手のひらは
    あごを支えている。
     二人は『ナンパ』をされることが初めての経験である。
    突然の出来事で、まるでライオンに睨まれた小動物のように身体を密着させ
    男性客に今にも泣きそうな表情を見せていた。

     
  188. 204 : : 2014/02/27(木) 11:22:33
    「おじい様…先ほどの女性客…どうしましょうか?」

    「そうじゃな…あぁ…でも、問題ないじゃろう――」

     遠くの席から、しかも暗がりでもナンパ客に戸惑う姉妹の様子を伺うことが出来た。
     その二人を心配しながら見ていたアンカだったが、ピクシスの言う問題ない、
    という発言で安堵の表情に変わったのは姉妹の前に『救世主』が近づいてきたからだった。

    「お客さん! 出会いが欲しいんですか? ちょうどよかった! 
    来週、この地域で街コンがあるんですよ!」

     グンタ・シュルツはナンパをしている男性客のテーブル前に腰を屈め、
    片膝をフロアに着けながら威勢のいい声で話し出した。
     その手には懐中電灯が握られ、テーブルに置いた街コンのチラシを
    ピンスポットのように照らしていた。
  189. 205 : : 2014/02/27(木) 11:23:03
    「なんなんだ…あんた――」

    「だから、お客さん、出会いが欲しいんでしょ?」

     グンタは笑顔でナンパ客を見つめるが、眼差しは鋭く笑っていない。
    その表情に彼等が戸惑わされている合間、マヌエラとローラの後ろに立ち
    ささやくように声を掛けたのはエルド・ジンだった。

    「お客さん…席を移動しましょう――」

    「――はい…!」

     グンタがまるで勧誘でもするように熱心にナンパ客に話しかけている隙に
    エルドが新しいテーブル席に二人を誘うとそこはピクシスとアンカの隣だった。
  190. 206 : : 2014/02/27(木) 11:23:31
    「あら…あなたはマヌエラ…?」

    「えっ、もしかして、アンカ?」

     二人に対して見たことがあると意識していた影響もあり、
    先に気づいたのはアンカだった。アンカとマヌエラは同級生だった。

    「おや…やはり、わしも見たことあるぞ、お主ら…」

     マヌエラとローラが隣に座ると、ピクシスも腕を組み目線を上げながら、
    どこかで見たことある姉妹のことを思い出そうとしていた。

    「もしかして…私たちのおじいさまのお友達?」

    「そうじゃった、あやつの孫たちか…!」

     ピクシスは二人のことを思い出すと目を見開き、
    拳を作るともう一方の手のひらを軽くポンとで叩いていた。
    マヌエラとローラの祖父もピクシスの仕事を通して知り合っていた。
  191. 207 : : 2014/02/27(木) 11:24:16
    「二人を遠くから見てて、どこかで会ったことあるっておじいさまと話してたのよ!」

    「そうなの、アンカ…! だけど、ホントご無沙汰じゃない?」

     アンカとマヌエラは久しぶりの再会の為、懐かしい話をしようとしていたその時、
    エルドがナンパ客に『街コン』の勧誘中、姉妹がいなくなっていることに気づかれていた。

    「なんだ…! ここに移動していたんだ! これからどこか行かない?
    こんなじーさんの隣じゃ退屈だろ?」

     グンタの勧誘から逃れるように席を立ったナンパ客は二人が帰ったのかと思っていた。
    しかし、すぐに見つけることが出来て隣のテーブル席に座るピクシスに対して
    無意識に毒づいていた。
  192. 208 : : 2014/02/27(木) 11:25:06
     その声を聞いたピクシスは、わしはまだ現役じゃ、と言いたげだったが、
    それを飲み込み、暗がりの中でもすぐに気づかれるような鋭い眼差しを宿した。

    「…お二人さん…わしの孫に…何のようだ?」

    「何だって? じーさんと一緒か…?」

     ナンパ客はピクシスの鋭い視線に包まれ、しかも祖父と一緒と聞くと
    全身を強張らせ立ち尽くしていた。

    「お客さん、どこに行っていたんですか! まだ俺の話は終わってない――」

     グンタがまるで止めを刺すように再び街コンの勧誘を始めると、
    ナンパ客の二人組は苛立ちを露にする。

    「なんだ、このクラブ!? 二度と来るもんか!」

     二人組は捨て台詞のように出入り口に向うと、
    グンタとエルドは丁寧にお辞儀をして立ち去る姿を見送っていた。
  193. 209 : : 2014/02/27(木) 11:25:43
    「グンタ、エルド! ありがとう! あの二人、しつこかったんだよね――」

    「ホント助かった! やっぱり『FDF』で安心して遊べるのは二人のおかげよね」

     ナンパ客が帰ると、グンタとエルドの周りに他の女性客たちが寄ってきて
    小さな輪を作っていた。しつこいナンパにうんざりしていた彼女らに
    お礼を言われると、二人の顔は問題ないと言っているように涼しい顔で応対していた。

  194. 210 : : 2014/02/27(木) 11:26:27
    「アンカ…あなたはここにはよく遊びにくるの?」

    「えぇ、私はおじいさまの付き合いで週に1、2回かな…」

    「えっ! そんなに…!?」

    「…お主らもご一緒せぬか? ここでの夜遊びは楽しいぞ…」

    「もう、おじいさま!?」

     マヌエラはナンパ客が帰ったあと、安心感からアンカに笑みを浮かべ話しかけた。
    そして相変わらず、『超絶美女』に目がないピクシスは容赦なくアンカから雷が落とされる。
     マヌエラはアンカと久しぶりに会えたこともあり、4人は懐かしい話に耳を傾けていた。
     しばらくすると、ローラが話の途中で視線を逸らし、誰かを目で追っていたり、
    時には顔を赤らめメガネの向こうの大きな瞳が伏目になることにマヌエラが気づく。
  195. 211 : : 2014/02/27(木) 11:28:07
    「どうしたの、ローラ? 顔が赤いけど…?」

    「姉さん…エルドさんって…素敵じゃない?」
     
     ローラはナンパから救い、そして自分たちに声を掛け現在座っている席まで
    誘導してくれたエルドを気になり出していた。彼女はエルドの後ろに束ねた
    長い髪の特徴を説明するように自分の髪を結ぶような仕草をしてはマヌエラに見せていた。

    「えっ…! ローラ…もなの?」

     マヌエラはローラを一瞬見たかと思うと、涼しい眼差しを手元に移し頬を紅潮させた。

    「まさか、姉さんも、エルドさんを?」

    「――違う…私は…グンタさん…」

     マヌエラは自分の気持ちを告白し、
    少し赤らめた顔を上げグンタを目で追うと再び視線を下げた。
  196. 212 : : 2014/02/27(木) 11:28:53
    「ほう…お主ら、姉妹そろって、一目惚れかのう…確かに頼りがいがある二人じゃな」

     ピクシスは二人に対して柔らかい視線を注ぐと、アンカが話し出す。

    「もしかして…ナンパから救ってくれたから、惚れちゃったとか? 
    でもあのお二人はお仕事の一環として…ナンパを阻止したのかも…」

    「そうなの…? でも、あんなに優しくて…強そうな人たちって私は見たことないから」

     マヌエラとローラはアンカから現実を突きつけられたようで、二人そろって
    伏目がちになった。その表情を目の前にしたピクシスは声を上げて笑った。

    「まぁ…そんなガッカリせんでも…わしがおるじゃろう…」

    「まったく、おじいさまったら!」
  197. 213 : : 2014/02/27(木) 11:30:27
     姉妹に鼻の下を伸ばす相変わらずのピクシスに対して
    アンカはその夜、2回目の雷を落とした。
     彼女の威勢のいい声を耳に捕らえたオーナーのエルヴィン・スミスはピクシスを
    半ば慰めるつもりで、4人のテーブル席に近づく。


    「ピクシスさん、アンカさん…いつもありがとうございます…。
    ――ピクシスさん、今夜は両手に抱えきれない花がいっぱいですね」

     丁寧におじぎをしながら挨拶するエルヴィンにピクシスは再び笑い声を交え、話し出す。
  198. 214 : : 2014/02/27(木) 11:31:37
    「…確かに今夜は『超絶美女』に囲まれ、このまま天に召されてしまいそうじゃ…」

    「――おじいさま! 悪い冗談はやめてくださいよ」

    「今日のわしは何を言ってもお主に怒られてしまうわい…」

     ピクシスはため息をつきながら自分の頭を撫でていると、
    何かを思い出したかようにエルヴィンに話しかける。

    「そうじゃった…! あのエルドとグンタ、二人をここに呼んでくれんかのう?」

    「えっ…あの二人が何か…?」

     エルヴィンはエルドとグンタが何か失礼な態度を取ったのかと想像すると、
    戸惑う表情を見せた。すぐさまそれを否定したのはマヌエラである。

    「いいえ! とんでもない…! あのお二人は素晴らしい方たちだと思いますよ!」

    「恐れ入ります…それでは呼んでまいります――」

     エルヴィンがお辞儀をすると、従業員の二人がほめられることに笑みを浮かべていた。
     直ちにグンタとエルドがエルヴィンに呼ばれると姉妹のテーブルの前に立っていた。
  199. 215 : : 2014/02/27(木) 11:32:28
    「あの…先ほどはありがとうございました! あんなことは初めてで…」

     マヌエラは緊張の面持ちで立ち上がると、目の前のグンタに深々と
    頭を下げお礼をした。彼の黒い瞳を見ていると吸い込まれそうで、
    彼女は多くを話せず、一瞬目を見るとすぐに逸らしていた。

    「――気にしないで下さい! 俺たちの仕事ですから」

     エルドが笑顔を交え二人に話すと、視線が合ったローラはすかさず話し出す。

    「あの…今夜は踊れるかと思ったんですか、なんだか残念で…」

    「平日の夜は音とお酒を楽しむお客さんが多いんですよ!
    もちろん、週末はダンスナンバーで盛り上げますから、
    金曜と土曜にまた遊びに来てください!」

     ローラはエルドから誘いの声を聞くと満面の笑み浮かべていた。

    「また来ていいんですね!」

    「もちろんじゃないですか! 大歓迎ですよ」

     姉妹は顔を見合わせ互いに喜びの表情を浮かべていた。
  200. 216 : : 2014/02/27(木) 11:33:07
    「ローラ…もうこんな時間、早く帰らなきゃ…」

    「そうね、遅くなっちゃうね」

     マヌエラが腕時計を見ると、二人はテーブル席から立ち上がり帰る準備を始めた。
     アンカとピクシスに丁寧に挨拶すると、グンタとエルドに出入り口に見送られ、
    二人から離れることに名残惜しそうな笑みを浮かべ家路へとついた。

    「グンタとエルド…お嬢様姉妹に見初められたかのう…」

    「――どうでしょうか、ピクシスさん…」

     ピクシスのそばに立っていたエルヴィンは苦笑いすると、
    そのまま自分の仕事に戻っていった。
     マヌエラとローラの祖父は隣街で多くのビルや不動産を抱え、
    そのためピクシスとは古くからの馴染みである。

    「お嬢様たちは婿探しでもしておるのかな」

    「そうかしら…ね…」

     隣に座るアンカにイタズラっぽい眼差しをピクシスが送ると
    彼女も微笑みながら答えていた。
  201. 217 : : 2014/02/27(木) 11:33:54
     カウンター席ではジャン・キリシュタインにブースを譲ったリヴァイが座っていた。
    その姿を目にしたエルヴィンは彼のお気に入りの銘柄のビールを手に持って隣に
    座る。

    「グンタとエルド…何かあったのか?」

     エルヴィンからビールを注がれたグラスを手に持ちながらリヴァイは問う。
     二人がピクシスのテーブルで和やかに話している様子をリヴァイはブースから見ていた。

    「あぁ…あの二人ね…どうやら、お嬢様に見初められたらしい」

    「ほう…ここも出会いの場になったのか」

     リヴァイが鼻で笑うと、エルヴィンはビールが入ったグラスを口元に寄せ目を細めていた。
  202. 218 : : 2014/02/27(木) 11:34:48
    「まぁ…出会いが欲しければ、来週、街コンがあるんだが――」

     エルヴィンはカウンターに置かれている、
    街ぐるみの合コン、『街コン』のチラシを手に取り
    <カフェ『H&M』は出会いの巣窟!?>
    と書かれた大げさなコピーに笑みを浮かべていた。

    「『出会いの巣窟』って…誰が考えたんだよ、まったく…」

     リヴァイはチラシを横目に舌打ちをした。実際に、前回の街コンで
    カフェ『H&M』で同じテーブル席になった男女のカップル成立率が高かった。
    そのことも噂になり、ネットでも情報交換される程である。

    「これか…? もちろん、ハンジが考えた。あいつらしいだろ?」

     リヴァイは予想通りと感じると、再び舌打ちをして正面を見据えた。
    彼は大切なペトラ・ラルと『H&M』で出会ったのことも事実であるが、
    その場所が『巣窟』という言われように納得いかなかった。

    ・・・また客が増えるといいが…

     エルヴィンは今後の常連客の獲得に繋がる『街コン』の開催に対して
    顔を引き締めながらチラシを見つめていた。
  203. 219 : : 2014/02/28(金) 11:39:04
    ⑬二回目の街コン、開催

     手を伸ばせば天まで届きそうな青空が広がる土曜日の午後。
    その街では昼間の輝かしい太陽の下、多くの独身の男女で溢れている。
    男性の手首にはブルーのリストバンド、女性にはピンクのリストバンドが
    その街コンの参加者の目印である。
     独身の男女が街ぐるみの合コンである街コン、
    その参加者たちは右往左往しながら、出会いがあるという飲食店を目指す。
     リヴァイがカフェ『H&M』のガラスのドアの前に設置されたイーゼルへ
    『街コン参加店』という看板を掲げたと同時に続々と参加者がカフェ内に
    流れ込んでいった。
  204. 220 : : 2014/02/28(金) 11:39:40
    ・・・前より…増えている…?

     リヴァイがガラスのドアを開けながら、参加者たちを招き入れながら、
    あっという間に人で溢れるカフェ内に鋭い眼差しを送った。
     カフェ『H&M』で出会ったカップルが成立する確率が高いと前回の街コンが
    終わった後でネット上で有名になっていた。
     また『恋するパンケーキ』を食べるとカップルになれるという噂が広まっている。
    その相乗効果を狙い参加者が確実な出会いを求めているのか、とリヴァイは勘ぐった。

     ・・・まぁ…俺もここで出会ったし…街コンには参加してないが――

     リヴァイは自分の大切な存在であるペトラ・ラルとは、
    彼女が前回の街コンに参加してカフェ『H&M』に来た時に出会っていた。
    それを思い出したリヴァイは自嘲気味に笑みを浮かべる。
  205. 221 : : 2014/02/28(金) 11:40:44
     ハンジ・ゾエと夫のモブリットは前回よりも多忙を余儀なくされた。
    今回はデザートで『恋するパンケーキ』を出して欲しいと主催者側からの要望もあり、
    ジャン・キリシュタインとマルコ・ボットもキッチンに立つことになる。
     二人は街コンに参加しようと応募しようとしていたが、ハンジからキッチンを
    手伝って欲しいと頼まれ断念していた。しかし、リヴァイのように街コンに参加せずとも、
    出会いがあるではないかと密かに期待している。

    「ジャン…俺たちもリヴァイさんのように思いがけない出会いがあるといいな」

    「あぁ、そうだな…だけど、こうも忙しいとどうだろ…」

     二人はキッチンから忙しそうに参加者を誘導してテーブル席に案内するリヴァイを
    観察するように見ていた。
  206. 222 : : 2014/02/28(金) 11:41:17
    「二人とも…リヴァイを見るのはいいけど、手もちゃんと動かしてよ!
    それに鋭い彼のことだから、あなたたちの視線を感じるかもよ!」

     ジャンとマルコがパンケーキを作る手を止めながら、リヴァイを見ていることに
    気づいたハンジは二人に注意をしていた。そしてその声を聞いたと同時に
    リヴァイが睨んでいることに気づく。

    「ホントだ、リヴァイさん…フロアを回りながら、視線を感じるとは…」

    「…マルコ、真面目に仕事しよう…」

     リヴァイはキッチンから視線を感じていて、
    見上げた先に作業の手を休めているジャンとマルコを睨んでいた。

    ・・・あいつら、俺を見ながら、何をサボってやがる…?

     二人を睨んでいても、次から次へと目まぐるしい参加者がカフェ内に
    溢れていくことにはかわらない。リヴァイだけでなく、ユミル、グンタ・シュルツや
    エルド・ジンもフロア内で新しい参加者を迎え、テーブルを片付けることを繰り返し、
    所狭しと駆け回っていた。
  207. 223 : : 2014/02/28(金) 11:41:48
     リヴァイは人の多さに舌打ちをしそうになるが、堪えていた。

    ・・・出会いの巣窟…そのまんまじゃねーか、ハンジさんが言うことが――

     今回の街コンのチラシにカフェ『H&M』に対して『出会いの巣窟』というコピ-を
    ハンジが載せていた。それに対してリヴァイは不満を持ったが、人の多さを目の当たりにすると、満更ウソでもないと感じていた。
  208. 224 : : 2014/02/28(金) 11:42:27
     リヴァイがテーブルを片付け、新しい参加者を迎え入れると、
    オルオ・ボサドを見つけていた。向かい側に座る女性たちに高飛車な態度をしては、
    彼女らの顔を引きつらせている様子が伺える。ペトラが前回の街コンで
    オルオを目の前にしたとき、同じ態度がペトラを戸惑わせ、
    リヴァイが気になり窮地を救ったのは事実だ。

    ・・・今のペトラと俺には…そいつは関係ない――

    リヴァイは忙しさもあり、出会いのキッカケを作り出したオルオを見ながらも、
    気にするつもりはなかった。忙しく動き回りながらも、
    オルオの姿が視界に何度か入り、いつのまにか気がかりな存在になっていた。
     前回と同じように女性の参加者がオルオの態度により顔を強張らせてる姿を見ると、
    リヴァイは彼の方が気の毒と感じていた。
     その理由を探る為にテーブルを片付ける振りをしながら、オルオに近づいた。
    彼の後ろの立つと、自分の自慢話や初対面の相手に毒づいていることに
    リヴァイは気づく―― もし、『H&M』の料理の悪口でも言うものなら、
    無視するつもりだったが、リヴァイはオルオに小声で話しかけることにする。
  209. 225 : : 2014/02/28(金) 11:42:58
    「…お客さん…女の子と話す時は…なるべく低いトーンで、そして相手に
    話させる余裕を与えるように間を置きながらしゃべった方がいいですよ…」

     リヴァイはオルオにしか聞こえないように小声で話しかけると、
    何事もなかったようにオルオの背中から去り、自分の仕事に戻った。
     オルオは突然のことで驚き振り向き、何を言っているんだ、と思うが、
    目の前の女性との会話が続かないと自覚していたため、リヴァイの言うことを
    試すことにする。

    ・・・ほう…話しているじゃないか…

     リヴァイはオルオから離れたテーブルでお冷を注ぎながら彼を『観察』していると、
    話しが弾んでいる様子に安堵の表情を浮かべた。
     しばらく他のテーブルに気を取られ、もうオルオは大丈夫だろうと思いながら、
    彼のテーブル席を見ると相手の女性を黙らせていることに再び気づいた。
  210. 226 : : 2014/02/28(金) 11:44:08
    ・・・あいつ…こっちは忙しいのに――

     リヴァイは堪えていた舌打ちをすると、再びオルオの後ろに立ち様子を伺うと、
    女性が話している途中で、彼がすぐに話題を変え会話が続かないこと気づく。

    「…女の子は…話を聞いてもらうのが好きなんだ…自分のことを話したり、
    話題を変えたくても、10秒だけ歯を食いしばり堪えろ…それでも我慢できなかったら、
    自分の話をするんだな…」

     オルオは再びリヴァイの小声が背中ですると、背筋を伸ばした。
    リヴァイは最初、オルオに対して丁寧に話していたが、彼の態度に我慢が出来ず、
    いつものように命令口調になっていた。しかし、彼はリヴァイの言うことで
    話しが続いたこともあり、ゆっくりうなづくと、再び実行に移すことにする。

  211. 227 : : 2014/02/28(金) 11:44:50
    ・・・…これ以上、余計なことをさせるな…

     リヴァイは舌打ちをしながら、オルオから離れるとユミルが笑みを交え近づいてきた。
     オルオに対するリヴァイの態度に思わず笑みをこぼす。

    「あの人、確か前も来ていたよね? ペトラさんたちのグループを追いかけていなかったっけ?」

    「…あぁ、よく覚えているな…」

    「そりゃ、そうよ…でも、あなたが彼にアドバイスするのも何だかおかしいわね」

    「あいつは…見ていられない…」

     ユミルと小声で立ち話をしていると、リヴァイはその日、何度目かの舌打ちをする。
    それは2度もアドバイスしたにも関わらず、オルオの目の前の女性を相変わらず
    困惑させているからだった。
     リヴァイは眼光鋭くオルオに近づくと『上から目線』の態度で話していることに気づいた――
     
  212. 228 : : 2014/02/28(金) 11:45:36
    「おい…これが最後だ…相手の話の内容がどんなにバカだな、って思っても
    否定をするな…肯定して、そして自分の意見をほんの少し交えながら話せ。
    これ以上、俺は何も言わない…」

     語尾が冷たくささやかれると、背後に立っている影響もあり、
    背中を涼しくさせていた。オルオはゴクリとつばを飲み正面の女性を見据える。
    オルオはリヴァイのアドバイスを実行していたことにより女性との会話を継続させていた。
     今後、彼のアドバイスなしでどうなるのかと想像すると額に汗を浮かべ、
    目を泳がせていた。

    「…健闘を祈る」

     最後にリヴァイがささやくと、オルオの背後から何事もなかったように離れる。
     リヴァイは自分の持ち場から彼の様子を静かに見守ることにする。
    もともと積極的なオルオであるが、それが出過ぎないように気をつけ、
    リヴァイのアドバイスを忠実に守っていると、『戦果』が現れてきていた。
  213. 229 : : 2014/02/28(金) 11:46:17
    ・・・ほう…相手の女性、笑ってやがる…

     オルオと彼の目の前に座る女性が笑顔を交え話しが弾んでいること気づくと
    リヴァイはやっと安堵していた。
    まるで、オルオへのアドバイスの任務が完了して、
    開放感にも似た心が晴れる感覚に浸っていた。

    「――あの…次のお店もご一緒しませか?」

    「いいんですか…?」

     オルオと話していた女性は話が弾んだこともあり、彼に興味を持ち始め
    次の店に一緒に行くことに誘っていた。これが女性から誘われたことが初めてだった。
    オルオは驚きのあまり目を見開き声を上げると、リヴァイを目で追う。

    ・・・あの人のおかげだ…この俺が誘われるなんて――


  214. 230 : : 2014/02/28(金) 11:47:00
     リヴァイが帰る客を見送る為、ガラスのドアの前に立っていると、オルオが話しかける。

    「あの…あなたのアドバイスのおかげで、会話が弾みました! ありがとうございます」

    「いや…俺は大したことはしていない…今度は街コンではなく、デートでまたここに来てください…」

    「――はい! 必ず」

     オルオははつらつとした返事をリヴァイに向けると、
    女性と共に次の店に向かう為、『H&M』を去っていった。
     ガラスのドアの前に立っているリヴァイの方へユミルが近づくと
    オルオの後姿を笑みを浮かべ見送っていた。
  215. 231 : : 2014/02/28(金) 11:47:44
    「リヴァイ、すごいじゃない…! あの人を短時間で変えちゃうなんて…」

    「俺は…当たり前のことを言ったまでだ」

    「へーっ!…いつもクールなあなたが女の子の口説き方を知っているなんて、
    初めて知ったわ…!」

     ユミルはリヴァイにイタズラっぽい表情を向けると、すぐに舌打ちで返す。

    「どういう意味だ…?」

     鋭い眼差しをユミルに注ぐと、そのままオルオが座っていたテーブル席を
    リヴァイは片付けることにした。
  216. 232 : : 2014/02/28(金) 11:50:07
     一気に多くの参加者が去ったため、ジャンとマルコもキッチンから呼ばれ
    皆と片付けていると、参加者の中に『FDF』に何度で見かけたことがある
    二人の女性客がいるとジャンは気づく――

    「あれ…! 参加していたんだ」

     女性客の一人はジャンに見つかると、少し頬を赤らめジャンとマルコに話し掛ける。

    「うん、私たちはジャンとマルコに話したいんだけど、
    クラブでは忙しそうだから、声を掛けづらいのよ」

     その声にジャンとマルコはキョトンとした顔つきに変わると、
    マルコが女性に話し出す。

    「――今度さ、話そうよ」

    「わかった、マルコ! 必ずだからね…でも、私たちに出会いがなかったら、
    ということだけどね…!」

    茶目っ気溢れる表情でその女性はマルコに返事をしていた。

    「それじゃ…出会いがないことに期待しようか? って言ったら怒られちゃうか…!」

    マルコも負けじと冗談で返事をすると、その声をすかさずジャンがさえぎった。

    「おい、マルコ! いい出会いがあることを願うのが俺たちの務めだ」

     眉にしわを寄せながら言うと、女性客もすかさず言い放つ。

    「今は…いい出会いじゃないの…?」

     頬を赤らた表情がジャンに向けられると、すぐに伏目がちになった。

    「…『FDF』で待っている…」

     ジャンは片付けはそっちのけで、そのままキッチンに戻っていった。
  217. 233 : : 2014/02/28(金) 11:50:42
    「おい! ジャン、片付けはどうするんだよ? まったく…あいつは照れ屋で
    困るよ…」

    「ホントね…それじゃ、近いうち、『FDF』でね!」

     マルコは女性客に軽く手を振り見送ると、
    テーブルを片付けキッチンに戻りハンジの手伝いを再開していた。
  218. 234 : : 2014/02/28(金) 11:51:42
     ジャンとマルコのやり取りを尻目にリヴァイが慌しくしていると、
    オーナーであるエルヴィン・スミスがいつものように高級ブランドのスーツに身を包み、
    ガラスのドアを開けてカフェに入ってきた。
     デジャブのように女性参加者の視線が彼に注がれ出すと 
    その姿に舌打ちしながらリヴァイが近づいてきた。

    「…オーナー…前も話したが…男前の部類に入るから、ここには来ない方がいいと…」

    「リヴァイの言うとおりだと思います。女性が勘違いすると思うので、
    今回もここの手伝いはご遠慮願いたいのですが…」

     ユミルも同様にエルヴィンの立ち入りを阻止するように言い放った。

    「一応、経営者としての挨拶が――」

    「――街コンの成功がさらなる売り上げに繋がると考えるなら、
    今は顔を出さないほうがいい」

     リヴァイがエルヴィンに鋭い眼差しで言い切ると、ため息をついて
    再びガラスのドアを開けカフェから去ることにした。女性の参加者が浮かべる
    残念そうな表情をリヴァイが見ると、それ見たことかと、言いたげに舌打ちをした。

  219. 235 : : 2014/02/28(金) 11:52:50
     エルヴィンが向う場所は同じビル内の地下にあるバー『ザカリアス』しかない。
    腕時計を見ながら、時間は早いと思いながらドアに手を伸ばすと自然に開かれた。

    「よかった…開いていたか…!」

     安堵感を浮かべながら、カウンターに座るエルヴィンを見る
    マスターのミケ・ザカリアスは噴出すような笑みを浮かべ話し出す。

    「エルヴィン、今回も来ると思った…! また締め出されたか?」

    「まぁ…」

     エルヴィンはため息をつきながら、カウンターに肘を掛けた。

    「暇になるんだったら、おまえも参加すりゃよかったのに」

    「――どういう意味だ?」

    「すまない…! もちろん、冗談だ――」

     ミケは冗談で言ったつもりだったが、イブキを思うと、
    エルヴィンには軽く受け流すことが出来ない発言のため、
    彼を冷めた眼差しで睨んでいた。
     その表情を見たミケは顔を引き締めエルヴィンに話し出す。

    「最近、イブキは来ているか…?ウチにはサッパリ…」

    「あぁ…俺の方も…カフェにもクラブにも顔を見せなくなった――」

     二人が大切に思うイブキがいずれの店にも来てないと知ると
    同時にため息をついた。
     彼女はそろそろ誰を選ぶかという本当の答えを出さなければと考えると、
    二人に会うことをためらい、そして仕事の多忙が重なると外出を控えている。
     地上では出会いの巣窟として多くの男女がうごめいているが、
    エルヴィンとミケは本命にたどり着けないというもどかしさが地下では渦巻いていた。
  220. 236 : : 2014/03/02(日) 12:58:56
    ⑭戸惑うオトコたち

     ミカサ・アッカーマンが自分の恋愛の悩みをイブキに相談すると、
    彼女が親身を話を聞いてくれたり、またはイブキ自身も異国の地から
    自分を追いかけてきた貴族のことで、ミカサが何かと気を使ってくれた経緯から
    今では二人は仲睦まじい姉妹のような良好な関係を築いている――

    「エレン、待ってよー!」

    「おっせーんだよ、おまえが――」

     平日の放課後。授業が終わり、ミカサ、エレン・イェーガー、
    アルミンの3人が校門へ向っていると、先に抜き出たエレンを
    ミカサが足早に追いかけていた。

    「エレン、もう少しミカサに気を使えよ…」

    「――あいつは足も速い、すぐに追いつくよ」

     エレンがしかめっ面を作り、正面を見据え一人で歩く姿を横目に
    平行して歩くアルミが彼に話しかけても、その表情は変わらぬままだった。

    「もう…やっと追いついた…あっ!」

     ミカサがエレンとアルミンに追いついたと同時にスクールバッグに
    入っているスマホのアラーム音が鳴り響いた。それはメッセージが届いたという合図である。
     そして彼女がはにかみ、ごそごそバッグからスマホを取り出し、
    綴られた文字を見ながら、笑顔をそのままにエレンとアルミンに話し出す。
  221. 237 : : 2014/03/02(日) 12:59:41
    「私、行くところが出来たから、エレン、先に帰ってて…アルミン、また明日!」

     ミカサは校門から出たと思うと、帰宅の方向とは逆の道を駆け出して行く。
    そこにはエレンとアルミンは残されたままで、特にエレンの顔は強張らせていた。

    「あいつ…今日はどこに行きやがる…?」 

     エレンは苦々しい表情を浮かべミカサの後ろ姿を見送った。
    その顔を見ているアルミンは息を飲み声を掛ける。

    「エレン、ミカサは…まだジャンさんと会っているの…?」

    「いや…今はもう会ってないよ。今は、イブキさんとすごく仲がいいんだよ」

    「へーっ…!」

     アルミンはエレンの不機嫌な様子に噴出しそうになる。
    ミカサが誰と仲良くしても、その顔になるのなら、
    最初から仲良くすればいいのにと思っていた。
  222. 238 : : 2014/03/02(日) 13:00:16
    「じゃ、今もイブキさんと?」

    「たぶん、そうだと思う…アルミン、行くぞ」

    「うん、えっ? でもその方向は家じゃないよ?」

    「あぁ…! ミカサのあとをつけるんだよ――」

    「また…?」

     エレンが家路とは違い、ミカサが駆け出した方向へ向うと
    アルミンも慌てて彼の後ろに付いていく。
     ミカサとジャン・キリシュタインが初めてのデートをしたときも二人は後をつけていた。
    それが繰り返させると思うと、アルミンは深く息をため息をつく。
  223. 239 : : 2014/03/02(日) 13:00:39
    ・・・エレン…まったく、素直になればいいのに――

     二人から遠く離れたミカサを前方に見据えると
    エレンの不機嫌な横顔をアルミンは見ていた。
     眉にしわを寄せその眼差しは『嫉妬』でみなぎっている。

     イブキは自分の仕事がひと段落ついたため、ミカサの学校の近くに出来たという
    雑貨屋に一緒に行こう、と誘いのメッセージを彼女に送っていた。
     ミカサも気になっていた店のため、仲がいいイブキからの誘いとなると、
    待ち合わせの約束の場所に向おうとすぐに決意する。
     エレンとアルミンがミカサを追うと、しばらくして彼女があるコンビニの窓ガラスを覗く仕草を見せた。
  224. 240 : : 2014/03/02(日) 13:01:25
    「ミカサのヤツ…何しているんだ…?」

    「あぁ…イブキさんだ、立ち読みしてるみたい――」

     コンビニのガラスの向こうのイブキがミカサに気づくと、読んでいた雑誌を本棚に戻た。
    そのままコンビニから出てミカサと合流すると、そのまま雑貨店に向かい歩き出した。

    「一体、どこに行くんだよ…」

    「エレン、しゃべりすぎると、気づかれちゃうよ…」

    「あぁ…」

     イブキとミカサが笑みを交えて歩く姿を再び正面に見据えると、
    嫉妬からエレンは独り言が多くなった。その声を聞くアルミンは遠くても
    二人に声が届かないか心配な表情を浮かべエレンについていく。

    ・・・あれ…? エレンとアルミン…? どうしたんだろ?

     イブキは背後から視線を感じると、二人の存在に気づく。
    きっとミカサが気になるんだろう、と思うと微笑ましいが、しばらく様子を見ようと
    気づかない振りをすることにした。
  225. 241 : : 2014/03/02(日) 13:02:26
    「ミカサ…さすがに今日がオープンだと混んでいるね…」

    「うん…でも、行こう――」

     イブキとミカサが目的地である雑貨店に到着すると、人だかりに圧倒されていた。
    人ごみを避けながら肩を左右に揺らし店内に入っていくと、
    二人は当てもなく店内に陳列された商品を見ることにする。

    「うわ…このままだったら見失っちゃうよ」

    「そうだな…でも、行くぞ、アルミン――」

     ミカサを追うエレンとアルミンは人ごみを縫う様に進むと、
    彼女より背の高いイブキの頭を見つけていた。

    「二人の後姿…似ているけど、イブキさんの方が背が高いからすぐ見つかった」

    「あぁ…だが、ミカサはそばにいるのか?」

    「きっと、イブキさんの隣にいるよ…二人で来てるんだから」

     アルミンは必死にミカサを探すエレンに半ば呆れ、そこまで気になるなら
    行き先をちゃんと聞けばよかったのに、と思わずにはいられなかった。
  226. 242 : : 2014/03/02(日) 13:03:09
    「イブキ叔母さん、便箋がこんなに…! しかも、かわいいのばかり!」

    「ホントだ!私の国でも、こんなにカラフルだったり、小さい封筒とか見たことない!」

     イブキとミカサは多種多様の種類豊富な『便箋売り場』に立ち止まると、
    自分たちが見たことのない商品に心を奪われるようで、一つ一つを手に取ると感激していた。

    「ねぇ、ミカサ…最近、手紙って書いたことある?」

    「えーっ…ないなぁ…それに手紙をもらうことだってないよ。
    この前、イブキ叔母さんが異国の地から送ってくれた絵葉書くらいだよ」

    「そっか、私もあのとき以来、手紙も書いたこともなければ、もらったこともない――」
     
     二人は他愛もない話をしながら、しばらく便箋コーナーを夢中になって見入っていた。
     その様子に苛立っていたのはエレンだ。
  227. 243 : : 2014/03/02(日) 13:04:21
    「なんで…女って、こうもくだらないことに、時間を費やせるんだよ――」

    「まぁ…僕らにはわからないけど…楽しいじゃないの?」

     アルミンは苛立つエレンをなだめると、彼の言うとおり
    笑みを交え便箋を手に取る姿を見ていると、男にはわからない世界かもと、
    唇を強張らせ眺めていた。
     さらにエレンを苛立たせたのは、二人は便箋を購入目的で手に取らず、
    他の売り場に移動したことだった。

    「何も買わないって…どういうことだよ――」

     長時間見ていても、他に可愛いものがあると、そこに気が取られてしまう
    女性の心理がエレンには理解できなかった。

    ・・・まぁ…これが女同士の付き合いってことなのかな…

     エレンの背中を追うアルミンは引きつった頬を指先で搔くとため息をつく。
     結局、イブキが自分の占いで使うノートを数冊買い、ミカサにも使いやすそうだからと、
    同じノートを買ってあげると、そのまま雑貨屋から出ることにした。

    「――イブキおばさん、ありがとう…でも、すごく混んでいたね…しばらくしてまた来よう」

    「そうね、私も…もっと見たかったけど、あんなに人がいっぱいだとね…
    ミカサ!このノートは使いやすそうだし、もちろん勉強もだけど、恋も頑張らないとね!」

    イブキは背後からついてくるエレンにも聞こえるように言うが、
    ミカサを見据えている彼の耳には届いていないようだ。

    ・・・…もしかして、イブキさん僕たちに気づいているかも…?

     その声はアルミンにだけ届いていて、二人の背中を見ると息を飲んだ。
    しばらくするとアルミンは追いかける方向に戸惑う。
  228. 244 : : 2014/03/02(日) 13:05:16
    「エレン…この道順って…ウチのカフェに行くのかも――」

    「…んっ、えっ?」

     エレンはミカサを追うことに夢中になり、辺りを気にしていなかったが、
    注意深く見渡すと、アルミンの言うとおりカフェ『H&M』へ続く通り道だと気がつく。

    「アルミン…おまえは自分の店に帰るからいいが…だが、俺と二人だけって
    今まで、行ったことあったけ…?」

    「そういえばないかも…初めてだと思う…エレン、嫌ならもう帰ろうか…?」

    「いや…時間差で入ろう――」

      エレンはここまで追うのなら、意地になっているのか、それとも執念深いのか、
    その日、彼が眉に力を入れる横顔に、何度目かの呆れた眼差しをアルミンが送っていた。
     イブキとミカサがカフェ『H&M』に入る姿を見送った二人はしばらく同じ
    テナントビルの影で時間をつぶすことにしていた。
     アルミンはカフェ『H&M』の経営者の息子として何度も出入りしているために、
    知り合いに見つかると怪しまれるのではないかと思うと、おどおどした顔つきで
    エレンが納得する時間まで待つことにする。

    「エレン…あとどのくらいで行くんだよ…?」

    「…もう、そろそろか…」

     エレンはスマホの時計を見ると、スクールバッグに入れ、カフェを指差し
    行こうという合図を送る。アルミンを先頭にカフェに入ることにしたが、
    緊張感たっぷりで、自分の親が経営する店に行くのは初めてのことだった。
  229. 245 : : 2014/03/02(日) 13:06:43
    「ただいま…」

     アルミンは開けることに慣れているはずのガラスのドアを重々しく開くと、
    父であるエルヴィン・スミスがカウンター席でスツールを回転させ、
    カフェのテーブル席に身体を向けていることに気づく

    「父さん…ただいま…?」

    「アルミン…おかえり…おまえの親父は相変わらず、ほうけてやがる――」

    「えっ…?」

     父であるエルヴィンの代わりにリヴァイが先にアルミンの入店に気づいた。
    父の様子を伺うと、カウンターに仕事で使うであろう
    手帳を広げながら、その視線はテーブル席に座るイブキに向いていた。

    「すいません…落ち着きがなくて――」

     リヴァイの呆れ顔にアルミンはただ申し訳なさそうに謝るしかなかった。

    「――どうやら、久しぶりに会えるみたいだが…それにしても、
    一人息子にも気づかないってのはな…」

     リヴァイが冷めた目でエルヴィンに視線を送ると、そのままアルミンとエレンを
    テーブル席に案内していた。そこはイブキとミカサの隣だった。

    「――アルミン! いつの間に!?」

     イブキを見つめる視界の中にアルミンが入ってきたことに息子の
    帰宅に初めてエルヴィンが気つくと、身体をのけぞらせ顔を強張らせた。
     その表情を見たリヴァイは舌打ちをする。

    「息子の帰宅にも気づかねーくらい…夢中なのかよ…」

     リヴァイに冷たくささやかれると、イブキから名残惜しそうに視線を下ろし、
    再びエルヴィンは自分の仕事に取り掛かることにする。
  230. 246 : : 2014/03/02(日) 13:07:20
    「エレンとアルミン…来てたんだ…」

    「うん、エレンとお腹すいたね、って話してたんだ…」

     隣の席のミカサは二人に気づくといつものように涼しい表情で声を掛けるが、
    不敵の笑みを浮かべるイブキ見たアルミンは気づかれてるかも感じていた。

    ・・・エレン…気づかれているよ…それに、父さんも…今日は早く帰りたい…

     アルミンは落ち着きがない父の背中と不機嫌なエレンの顔を見ながら、
    ため息と共に席につく。
     すでにティータイムを迎えているカフェ『H&M』ではイブキとミカサは
    ケーキとアイスコーヒーを頼んでいてすでにテーブルに並べられていた。
     アルミンとエレンも同じようにドリンクとケーキをリヴァイに頼み、
    伝票を書きながら彼がキッチンへ向おうとすると、
    エルヴィンが息子のアルミンを見ていることに気づく。
     しかし、アルミンはエレンと共にスマホに視線を落とし操作に気を取られていた。
  231. 247 : : 2014/03/02(日) 13:08:18
    ・・・あの親父…アルミンを通して何か聞き出そうとしてやがるな――

     リヴァイは舌打ちをしながら、アルミンのそばに傍に立った。

    「おい…アルミン…」

    「リ…リヴァイさん注文は終わったけど…?」

    「――違う…おまえの親父がお呼びだ」

     リヴァイの冷たい声に戸惑い、父であるエルヴィンと目が合うと
    何事かと思い自分のテーブル席を離れ父の元へ向う。

    「父さん…何か用なの…?」

    「アルミン…イブキは父さんのこと、何か話してないか?」

    「…えっ?」

     エルヴィンはミカサと楽しげに話すイブキに視線を送りながら、
    アルミンに彼女の様子を聞いていた。  

    「父さん…どういうこと…?」

    「だから、イブキが――」

     真剣な表情で息子であるアルミンに、その隣に座る自分が気になる女性が
    何か自分について話してないか聞いてくると、息子は冷めた眼差しを父に注ぐ。

    「…父さん、聞きたかったら自分で聞きなよ…ただ二人は洋服とか、化粧とか…
    そんな話しかしてないよ――」

    ・・・なんだよ…まったく、父さんまで、自分の恋愛くらい、自分でどうにかしろよ――
     
     アルミンは父に『くだらないこと』で呼ばれると不機嫌な表情を浮かべ自分の
    テーブルに戻ろうとした。
     彼の位置はイブキとミカサにより近い席である。二人を背にしてアルミンが
    自分の席に座ろうとしたときだった。エレンが小声でつぶやいた。
  232. 248 : : 2014/03/02(日) 13:09:53
    「――アルミン…ミカサは俺のこと何か話してないか?」

     アルミンはエレンが父と同様に自分を通して気になる相手のことを聞こうとする姿勢に
    目が点となってしまった。ミカサほどではないが、いつも冷静なアルミンが
    拳を握り怒りで唇が震えそうになる。その後姿を見ていたイブキは気づいた。

    ・・・アルミンくん…もしかして、エルヴィンさんやエレンの架け橋みたいになっている…?

     アルミンが怒りを爆発させようとしたときだった。

    「エ、エレン…あのね――」

    「――ねぇ、ミカサ…最近、デートってしたことある?」

     イブキが突然、カフェ内に行き渡るように声を張りながら話し出した。

    「えっ…?」
     
     アルミンの怒りは拍子抜けのようになり、背を向けていたイブキを見ながら
    そのまま自分の席に座った。

    ・・・何だよ、突然、イブキさん…?

     イブキの声に驚いたミカサとアルミンだったが、
    エレンに一瞬、視線を送ったかと思うと彼女は素直に自分の気持ちを話し出す。
     イブキはアルミンを少し気の毒に感じるとエレンとエルヴィンの意識を
    自分たちに向かせた方が彼の負担が軽くなるだろうと
    咄嗟に思いついて、その発言に至っていた――

    「…えっ…ないよ…! だけど、花火デートは理想だなぁ…」

     ミカサはイブキと見たこの街の有名なホテルのテラスから見える
    花火を思い出すとうっとりとした表情を浮かべ両肘をテーブルに置き頬杖をついた。

    「そうよね、あの花火はもう一度みたい…あれは好きな人と見られたら最高よね――」

     イブキのその声はエレンに向けて発せられたはずだったが、
    エルヴィンの仕事をする手を止めていた。 
  233. 249 : : 2014/03/02(日) 13:10:37
    「うん…でも、今度は直接、遊園地から見てみたい…」

    「そっか…! じゃ… エレンと行ったらいいじゃん…!」

    「えっ…」
     
     イブキが唐突にエレンの名前を出したため、ミカサは唇を強張らせ
    黙り込んでしまった。弾んでいたイブキとミカサとの会話が止まったため
    聞き耳を立てていたエレンはミカサに視線を送る。

    「おい…何だよ…ミカサ、俺とは行きたくねーのかよ?」

     エレンはミカサが黙り込んだことが拒否したのだと勘違いし、二人の話に割り込む。

    「…えっ…そんなつもりじゃ…」

    「だったら、なんで…!」

    「――もう二人とも…! 4人でしゃべろうよ!」

     イブキがミカサとエレンのやり取りを見ていると、
    本音を話したがらない二人に対して、半ば呆れ頬を緩ませる。
     テーブルをくっつける仕草をして皆で話そうという提案をしてきた。
  234. 250 : : 2014/03/02(日) 13:11:19
    「いや…その――」

    「もう…二人とも、みんなで楽しく話そうよ、ね!」

     エレンは両手を手前に出す仕草をして戸惑うがイブキは立ち上がり
    テーブルをくっつける準備を始めた。そしてアルミンに小声で話しかける。

    「…アルミンくん…あなたもこの方が楽でしょ?」

    「えっ…まぁ…」

     イブキの不敵な笑みを見たアルミンはこれまでの行動が見透かされていると
    感じていた。4人が座れるようにテーブルがセッティングされるとリヴァイが
    アルミンとエレンのケーキと飲み物を運んできた。

    「ほう…4人で座るのか…まぁ…おまえの親父もここに来たいだろうな…」

     リヴァイはアルミンの前に注文の品々を置きながら、エルヴィンの顔を横目で見た。

    「えっ…父さんも…? 仕事中なのに…」

    「いや…親父はそれどころじゃないだろう…」

     リヴァイがすべての品を置いてテーブルから去ろうとしたとき、
    カウンター席のエルヴィンがスツールをくるりと回し、
    身体の半分だけをイブキがいる方へ向けていた。
  235. 251 : : 2014/03/02(日) 13:12:03
    「オーナー…きっと、聞き耳を立ててやがる…ここの話も聞いているな…」

    「あの…リヴァイさん、差し支えなければ、エルヴィンさんもここに
    呼んでもいい? このままじゃ、あなたも大変だろうし…」

     リヴァイは舌打ちをしながら、エルヴィンを冷めた眼差しで見つめた。

    「まぁ…確かに、仕事にもならないだろうな――」

     リヴァイがイブキの隣に座っていいという許可を出すとエルヴィンを手招きする。
    イブキはカフェ『H&M』を裏で仕切っているのはリヴァイじゃなかと、
    勘違してしまいそうなくらい、エルヴィンは彼の言いなりのようにも見えた。
     エルヴィンがイブキの隣に座ると、二人は笑顔で話し出す。

    「イブキ…こうして、面と向って話すのも久しぶりだ…」

    「――そうね、ホントに…」

     エルヴィンはイブキと話せることで、口角を上げると
    久しぶりとは思えないくらい、二人は話を弾ませていた。
     エレンはミカサの隣に座り、彼のぎこちない笑顔を見る
    ミカサは嬉しそうに笑みを向けていた――
  236. 252 : : 2014/03/02(日) 13:12:53
    ・・・なんだ…みんな、楽しそうにしているじゃないか…

     4人を目の前にするアルミンはまるで、自分の意思ではなく、勝手に背負わされた荷を
    下ろしたように、安堵感と心地よい開放感に浸っていた。

    ・・・ホント…父さん、嬉しそうだよな…

     アルミンは父であるエルヴィンの笑顔を見ながら、亡き母のヒスイのペンダントを
    リヴォームしてカレッジリングにしたのはいいが、割れてしまったときのことを思い出す。

    ・・・あの固い石が割れたとき…父さんは母さんとイブキさんの気持ちが重なり泣いていた…
    あの悲しむ顔はみたくないよ…

      イブキはエルヴィンと最近の出来事や他愛のない話で笑みを浮かべ、
    時に笑い声を口で押さえ、楽しそうにしている。その笑みにアルミンは伏目になり
    黙々と目の前のケーキを食べる。

    ・・・イブキさんは父さんと話してて、ホント楽しそうだけど…僕は父さんを選んでほしいよ――

     伏し目がちだった眼差しをイブキに向けるとアルミンは再び目線を下げ、
    アイスコーヒーを手に取った。
     ミケ・ザカリアス、または父であるエルヴィンから誰を選ぶかわからない眼差しに対して、
    父を選んで欲しいと強く願いながら、コーヒーの苦さを一口味わった。   
  237. 258 : : 2014/03/05(水) 14:42:52
    ⑮想い溢れる3人の時間

     帰り道で見かける行き交う車のボンネットに夕日が反射してにオレンジ色が少しだけ混ざる頃、
    イブキはミカサ・アッカーマン、そしてエレン・イェーガーと3人でカフェ『H&M』から
    出ることにした。

    「イブキさん、また遊びに来てくださいね! エルヴィンが…特に待っているから…」

    「は、はい…!」

     オーナーのエルヴィン・スミスはクラブ『FDF』の営業の準備のためにすでに
    その場から離れていた。リヴァイがほぼ強制的に連れ出していたが、
    イブキと夢中で話す姿を見ては、耳元で調子に乗るな、と冷たい声で囁かれると、
    肩を落としていた。
     ハンジ・ゾエに出入り口に見送られると、その光景をイブキは思い出す。
  238. 259 : : 2014/03/05(水) 14:44:07
    「あの…ハンジさん…エルヴィンさんは大丈夫? なんだか…リヴァイさんと
    仲違いとかしてない…?」

    「あぁ! 気にしないで! リヴァイはいつも『あぁ』だから! エルヴィンも
    リヴァイを信用しているから、あの態度をされても気にしてないのよ」

    「そうなの…? それなら、いいけど…!」

    イブキはやはり、裏でカフェ『H&M』を仕切っているのはリヴァイかも、と
    想像すると噴出しそうに笑い、軽く握った拳を口元で押さえていた。

    「イブキさん、僕からもお願いします…! また来てください」

     エルヴィンの息子であるアルミンはイブキの前に立つと父を思い
    早口で話し切羽詰ったような眼差しを彼女の笑顔に注ぐ。

    「アルミンくん、そんなに慌てないで、また遊びにくるよ」

     イブキはアルミンの目を見ながら、無意識に右手を伸ばし
    彼の左頭部を撫で、指先で柔らかい金色の髪をといた。

    「ママ…?」

     アルミンはイブキが触れた感触に再び幼い頃に亡くした母親を思い出し
    イブキの優しい眼差しに母を見ようとして、思わず小さな声でつぶやく。

    「えっ…! アルミンくん、まただ…! ごめんね、いきなり触って――」

    「いや…僕は気にしてないので…」

    「それじゃ、また遊びに来るね! ミカサ、エレン…帰ろう――」

     イブキはミカサとエレンと共にガラスのドアを開け出て行くと、
    アルミンがため息をつく。
  239. 260 : : 2014/03/05(水) 14:45:10
    「――父さん…どうなっちゃのかな」

    「アルミン、こればかりは…わからないからね…」

     アルミンのそばに立つハンジは伏目がちなアルミンの両肩を抱いた。
    ハンジは幼い頃から息子のように可愛がるアルミンの悲しげな
    顔は見たくないが、エルヴィンの恋愛の行方だけは見守るしかないと感じていた。
     イブキ、ミカサとエレンがそれぞれの家路の道に別れると、大空は茜色に染まり
    辺りは家路へ向う車が渋滞して、時にはクラクションが鳴り響く。

    ・・・やっぱり…エルヴィンさんは楽しい人…ミケさんとも違う魅力あるし、
    なんだか…やっぱり母性本能くすぐるな…

     渋滞の車を尻目に自宅のアパートに向かい歩いていると、
    ふとエルヴィンのことを考えていた。そしてエルヴィンに何かを
    尽くしたい、という不思議な感覚もあればもちろん大切にされている
    ことは彼の態度を見ていると実感していた。

    ・・・だけど…私はミケさんに…

     ミケのことを想うと、自然に口角があがる。
    二人に会いたいからとこの国にイブキは住み始めた。
    しかし、自分のことを大切にしてくれる二人から一人を
    選ばないといけないと想うと、目がうつろになる。

    ・・・早く決めなきゃいけないの…? もう少し3人の時間を楽しみたい
    っていうのは…わがままか…

     イブキは自分の部屋のドアを開けながら自嘲気味に笑みを浮かべた。
    主が帰ってきた部屋の電気を付けたイブキは、仕事用のデスクに座ると
    買ったばかりのノートを広げてていた。そして右の手のひらを何気なく見つめる。

    「だけど…アルミンくんを思わず触れちゃうのは…なんで? 
    しかも温かい気持ちで…?
    私が味わったあの母のような温もりを彼に与えている…?」

     右手のひらを見ながらイブキはただ首をかしげるほかなかった。
  240. 261 : : 2014/03/05(水) 14:46:05
    「だけど…ミカサやエレン…あの3人のよう利害関係も何もなく
    子供のような付き合いなら…長続きするのかな…」

     イブキがPCの電源を入れ仕事をしようとすると、ふと思う。

    「やっぱり…選ばないといけないよね…」

     メールが来ていないかチェックをする動作は遠くを見るような眼差しで
    画面を見ていた。イブキとエルヴィン、そしてミケは互いの連絡先や住まいを
    知っていても頻繁に連絡を取り合うことはない。さらに貴族の一件以来、
    互いに寄せる気持ちは変わらないまま、連絡が遠のいていた。

    「やっぱり…会いたい、ミケさんに――」

     イブキはミケに会いに行こうと決めると、胸がぎゅっと締め付けられる感覚がすると、
    右手で胸を押さえていた。自分の鼓動の早さが右手に伝わる。
     『ザカリアス』まではと徒歩圏内、往復は短時間のため、これまではほとんど
    普段着で軽く化粧をした程度だったが、久しぶりにミケに会えると思うと
    イブキは初めてのデートのように心が躍る感覚がした。

    「やっぱり…久しぶりだからね…」

     クローゼットを開けると、その夜、何を着ていこうかと悩み始めた。
    以前、ミカサと一緒に出かけたときに着たワンピースを手に取るが、
    それは遠くからとはいえ、あのときこの服を着たとき見られたんだ、
    と思うと笑みを浮かべた。
     そして次にお気に入りのオフホワイトのワンピースを手に取る。
    それは膝が少し見える程度のフレアスカート、肩が空いていて
    鎖骨が見えるようなデザインだ。長袖だが季節的にコートを羽織ることにする。
     洋服とメイクを決めると、イブキは『ザカリアス』に行くまでの間、
    仕事をすることにした。
     PCに集中して、仕事をしていると、気がつけばいつも『ザカリアス』に行く時間が
    迫っていた。デスクを片付け出かける準備を始めると、本当にミケとデートする
    感覚で、頬の緩みを止められなかった。
  241. 262 : : 2014/03/05(水) 14:47:18
    「そういえば…エルヴィンさんと昼間、会ったときは普段着だったな…」

     イブキはエルヴィンに会ったときとの『落差』に思わず微笑む。また会うときに
    おしゃれしたらいい、と気持ちを改め着替えをしてメイクを施した。

    「――もう、この時間に行かなきゃ」

     部屋の壁に掛けた時計を見ると、針が真夜中を差している。
    イブキがコートを羽織り、ワンピースに似合うかかとの高いヒールを履くと
    自宅のアパートを飛び出すように『ザカリアス』に向う。
     ヒールのコツコツという音がミケに会えるという喜びに繋がると感じると
    イブキの心は彼への想いで溢れ出す。

    ・・・もうすぐ…

     『ザカリアス』の地下へ向う階段に足を踏み入れようとした瞬間だった。

    「イブキ…?」

     不意に聞き覚えのある声がその足を止めた。

    「エルヴィン…さん?」

     その声の主に身体を向けると昼間会ったばかりのエルヴィンだった。
    彼もその姿がイブキだとわかると、駆け足で近寄ってきた。
     『FDF』の営業を終え家路へと向う途中だった。

    「どうした…? この遅くに…?」

    「えっと…『ザカリアス』に行こうと思って――」

    「――一緒に行ってもいいか?」

    その声を聞いたエルヴィンは間髪入れず早口でイブキに問う。
    イブキはミケと二人きりになりたかったが、断る理由も瞬時に見つからず、
    一緒に行こうと、笑みを浮かべ『ザカリアス』へ向う地下の階段を下りる。

  242. 263 : : 2014/03/05(水) 14:49:37
    ・・・残念…ではないか…3人の時間も楽しいし――

    先に階段を下りるエルヴィンの背中を見つめると、ため息をつくが
    それには、笑みが混じっていた。
     『ザカリアス』のドアの前に到着してエルヴィンがドアを開けようとしたとき。

    「早歩きで来たから、暑くなっちゃった」

     イブキがそう言いながら、羽織っていたコートを脱いだ。店の前のドアを照らす
    淡いライトがさらにイブキに輝きを与える。
     イブキと初めて『FDF』で踊ったときような妖艶な姿をエルヴィンの目の前で晒していた。
     エルヴィンはイブキに目を細めながら見つめると、唾液をごくりと飲む。

    「なぁ、イブキ…『ザカリアス』じゃなく…他のところに一緒に行かないか?」

    「えっ…一緒に行きたいのは、ここ――」

    エルヴィンはイブキの姿を見ると、他の二人きりになれる場所に行こうと誘う。
    すぐさまイブキは『ザカリアス』のドアを指差し、微笑みながら拒否を現した。

    「そうだよな…」

     エルヴィンは伏目がちになるとため息をつく。
    ミケとはイブキに対して『抜け駆けはしない』と約束しているが、イブキを目の前にすると、
    つい本音が出てしまっていた。

    ・・・エルヴィンさん…ごめんね…

     イブキは心で謝りながら、ミケに会える気持ちを抑えられないでいた。
     『ザカリアス』のドアを先に開けたエルヴィンは店内に客がいないことに気づく。

    「エルヴィン…久しぶりだな、真夜中に来るのは…」

    「あぁ…今日は二人できた――」

     エルヴィンの背中から現れたイブキは久しぶりにミケに会えたこともあり、
    はにかみながら、ミケを見つめていた。
  243. 264 : : 2014/03/05(水) 14:51:10
    「イブキ…久しぶりだな…」

     ミケはドレスアップしたイブキに見とれると、息を飲む。

    「――まさか、二人でどこかに出かけていたのか…?」

     ミケはエルヴィンを睨むがすぐにイブキが手を振り否定する。

    「もう…ミケさん、勘違いしないで! 上でバッタリあったのよ――」

     ミケが安堵した表情を浮かべると二人をいつものカウンター席に案内した。

    「――3人でそろうのは久しぶりだな」

     二人にドリンクを用意すると、イブキのワンピースの肩が広く空いているため、
     背の高いミケがカウンターの内側からイブキを見下げると胸の谷間が見える。
     ごくりと唾液を飲むと、照れてしまい久しぶりに会えてもイブキの美しい姿を
    どう見つめたらいいか、わからずに戸惑わされてしまった。

    ・・・だが…イブキが一人で来ていたら、さっさと店を閉めて二人でどこかに
    行けたかもな…こいつさえ、一緒じゃなければ――

     ミケはイブキと出かけたかったことを思うと、無意識にエルヴィンを睨む。
    その視線を感じたエルヴィンもミケを睨み返す。

    ・・・こいつ…イブキが一人で来ていたら、どこかに行こうと思っていたな…

     エルヴィンはミケの思惑を見抜いていたが、二人とも抜け駆けはじないと
    暗黙の了解のはずなのに、その日に限りイブキを目の前にすると
    それはいとも簡単に破られていた。
  244. 265 : : 2014/03/05(水) 14:52:02
    「もう…二人とも! 何睨みあっているの! せっかく久しぶりに3人がそろったんだから!」

    「あぁ、すまなかったな…イブキ…」

     エルヴィンは隣のイブキにすぐに謝るが、彼女が視線を下げ、先ほどまでの
    愛らしい笑顔が消えていた。

    ・・・やっぱり…来なければ、よかったのかな…私は…

    「イブキ…会えてよかったよ。もう来ないかと思っていたよ――」

    「えっ…」

     イブキはミケのその一言で驚き顔を上げるが、柔らかく微笑む彼に
    胸の高鳴りを感じていた。

    「そんなことないよ! 忙しかっただけだから――」

    『――でもあなたちから一人を選ぶなんて出来ないから、来づらかった』
    と、イブキは続けたかったが、飲み込んでいた。
     横に座るエルヴィンを見ると、睨んでいた表情を和らげ笑みを浮かべている。
  245. 266 : : 2014/03/05(水) 14:52:53
    ・・・ホントに選ぶなんて…できない――

     エルヴィンはいつものようにウィスキーのロックを頼み、イブキはミケ特製の
    カクテルを頼む。そしてお酒が入ると、緊張感もほぐれていき、皆は饒舌になっていく。

    「――イブキ、今日のワンピースもいいが、この前のブルーのワンピースも似合っていた」

    「そうそう、俺も思っていたよ――」

     エルヴィンがイブキが宿泊するホテルまで追いかけたとき、彼女が着ていた
    ワンピースを褒めるとミケも賛同した。
     二人を見ながら目を白黒させると、イブキの笑みがこぼれる。

    「もう…二人とも、どこから見てたんだか…!」

     二人は気まずそうに伏目になるが、イブキは気にせずにすでにほろ酔いで
    頬を赤めていた。それは二人に見られていたという恥ずかしさもあった。

    「あのワンピースもそうだけど、今日のもね…気合入れるときとか、
    おしゃれして出かけるときに着るお気に入りなんだ」

     イブキは二人にその日に着ているワンピースを見てもらおうと立ち上がった。
    そしてその場で、くるりと軽くターンするとフレアのすそが広がり、
    両腿があらわになるくらい、めくれていた。
     ほろ酔いのイブキは気づかずにそのまま席に座って、グラスを手にしていた。
    エルヴィンとミケは目のやり場に困り、顔を赤くして目を泳がしている。
  246. 267 : : 2014/03/05(水) 14:53:55
    「小悪魔…」

    「こ惑的だ…」

     二人の気持ちを撫で回すような行動をするイブキに対して
    エルヴィンとミケはただ気持ちを抑え、小さな独り言にぶつけた。

    「もう何独り言言ってるの~? なんだか今夜は楽しい! ミケさんおかわり!」

     バンバンと隣に座るエルヴィンの肩を叩きながら、イブキは満面の笑みを浮かべ、
    もう片方の手はミケにお代わりをねだり、差し出していた。

    「おい…イブキ、久しぶりだからって飲みすぎる…な?」

     ミケが半ば呆れた眼差しでイブキのグラスを手に取ると、楽しんでいるはずの
    眼差しが揺れていることに気づく――

    ・・・わざと…楽しい雰囲気を出しているのか…?

     うつろな眼差しをしながら、楽しそうに高々に話し続ける
    イブキを思うとミケは胸が痛む。

    「イブキ…今日はホントに楽しそうだな」

     エルヴィンがイブキの顔を見ながら、グラスを自分の口元に寄せると
    口角を上げていたはずの彼女の笑顔が少しずつ下がり、うつむき加減になった。

    ・・・もう我慢できない…

     イブキは楽しい気持ちでいるのは確かだが、その空間を楽しめば楽しむほど、
    自分の心の痛みが増す感覚がしては、胸を押さえた。

    「今夜は…ホントに楽しい! それに私はとても幸せ者だよね…怖いくらい――」
     
     イブキの瞳から大きな真珠のような一粒の涙が流れる。



  247. 268 : : 2014/03/05(水) 14:54:20
    「あれ? 何で泣いているんだろ? 楽しいから、うれし涙かも! 」

     涙の理由を察知されたくない為にイブキはすぐさま涙を指先を拭くと、
    目の前のグラスを手に取り口元に運んだ。
     イブキの涙の理由はこの場から逃げたくなったから―― 
     一緒に過ごし幸せにしてくれるこの二人から一人を選ぶなんて、出来ない。
    もちろん、このままでもいけないと感じているが、いっそまた誰かが現れて
    連れ去ってくれた方が楽になるのか、そんな思いを巡らせていた。
     涙を流したかと思うと、思いふける様子のイブキに二人は気づく――

    「イブキ…帰ろうか? 俺が送るよ」

     エルヴィンは優しく彼女の肩に手を添えると、その声を聞いたミケも
    すかさず和らいだ声で言い放つ。

    「――これ以上、今夜は客は来ないだろう…二人で送ろう」

     イブキが小さくありがとう、と言うとすぐにうつむいた。
    二人の絹の布のような優しさが幾重にも重なると、
    それが重石の如く心に圧し掛かるように感じていた。
     3人が真夜中の帰り道を歩いていると、冷たい風が合間を通り過ぎていく。

  248. 269 : : 2014/03/05(水) 14:54:52
    「…あ、さすがに足が冷える――」

     コートを羽織っているとはいえ、真夜中の風がイブキの
    ハイヒールの足元をイタズラにまとわりつくと、そのままくしゃみが出て口元を押さえた。

    「イブキ、大丈夫か?」

    「風邪でも引いたら、大変だ」

    「もう…二人とも、大丈夫だって、子供じゃないんだから――」

     エルヴィンとミケの心配そうな眼差しが注がれると、声を出してイブキは笑う。

    「二人とも、今日は…ありがとう、楽しかった! それじゃ…おやすみなさい…」

     アパートのエントランスから二人にその時に出来る満面の笑顔を向けると
    そのまま振り返り、足取り重く自室へ向った。久しぶりに履いたハイヒールが
    足を痛める。その痛みが足取りの重さと余分に重なった。
     まるで鉛の足かせを引きずらせながら歩いている感覚が彼女を襲う。
  249. 270 : : 2014/03/05(水) 14:55:22
    ・・・楽しかった…でも、苦しい…

     うつろな眼差しのまま胸を押さえエレベーターの中に消えると、
    その後姿をエルヴィンとミケが見送っていた。

    「ミケ…前も話したが、イブキが俺たちから誰を選んでも同じような――」

    「エルヴィン…それはわかっている――」

    『…生活をしよう、彼女を悲しませたくない』と、エルヴィンは続けようとしたが、
    ミケはそれをさえぎった。その眼差しは互いを見ているようで、遠くを見つめている。

    「おまえも、アルミンが待っているだろう…お疲れ…」

     ミケはエルヴィンの肩を軽く叩くとそのまま家路に向った。

    ・・・先のことは…誰にもわからない――

     イブキのことを考えると胸が痛くなる。自分が奪えばいいとも感じるが、
    彼女の気持ちを尊重したかった。だが、それもそろそろ限界かと感じると、
    ミケはためため息をつくほかなかった。
     エルヴィンとミケは互いに彼女に自分のことを選んで欲しいと心で思いながら
    冷たい風が吹く真夜中の通りを一歩の重みを感じながら、家路へとついた――
  250. 271 : : 2014/03/09(日) 11:33:04
    ⑯オルオ、ふたたび襲来

     街コンが終わった翌週の平日の午後。柔らかい陽射しが降り注ぎ、行き交う人々は
    手のひらで『日よけ』を作りながら、雲の合間の大空を見上げる。
     カフェ『H&M』ではランチタイムも落ち着き、ティータイムに切り替わる頃、
    リヴァイがイーゼルの看板を切り替えようとガラスのドアを開けた。
     そのとき、慌てながら一人の見覚えのある男性がリヴァイの前に突如現れる。

    「あぁ…あなたは…」

    「はい、この前はありがとうございました」

     深々とリヴァイの目の前で頭を下げた男性客はオルオ・ボサドだった。
    表情は切羽詰まったようではあるが、強張った唇から白い歯を覗かせる――

    「あの…今日、お時間、よろしいでしょうか?」

     オルオはガラスのドアの前で、すがるような眼差しをリヴァイに注ぐ。

    「あぁ、今からティータイムが始まるが…」

    「それじゃ、そのティータイムのときにあなたとお話ししてもよろしいでしょうか」

     オルオは再び頭を下げると、リヴァイは舌打ちをしながら、
    街コンのときに彼に対して女性に接するときの注意点を伝えた場面を
    思い出していた。
  251. 272 : : 2014/03/09(日) 11:33:37
    「…まさか、あれだけ…教えたのにも関わらず、あの女性を逃したって
    言うんじゃねーよな…?」

     頭を上げたオルオは両手を上げてすぐに否定する仕草をした。

    「とんでもない! あの後、他の店に行って、あなたのアドバイスを忠実に守ると
    話しが弾み、初めて楽しい人ですね、って女性に言われて驚いて…」

     オルオは戸惑いの表情を浮かべるとうつむき、右手で首筋を
    揉むような仕草をしたかと思うと、リヴァイの両肩をつかむ。

    「その女性と…連絡先を交換したんです!!」 

     目が血走るオルオにリヴァイは引き気味になった。ガラスのドアの前に
    ティータイム目的の女性客たちがいることにリヴァイは気づく。入ってもいいかと、
    リヴァイに許可を求めると、彼は丁寧に挨拶してドアを開けた。
     女性客たちは恐る恐る入るが、カフェの奥、まるでオルオを避けるように
    そのテーブルを選んでいるようだった――
  252. 273 : : 2014/03/09(日) 11:34:40
    「…あなたのせいで…客が驚いている。中へどうぞ――」

     リヴァイがオルオをカフェ内に誘導すると、テーブル席に座らせ、注文をとることにする。
     オルオはアイスティーと紅茶のパウンドケーキを頼むが、
    両手を膝に置き、カフェ内を見回し、置き落ち着かない様子だ。
     カウンター席に座るオーナーのエルヴィン・スミスとそのカウンターの内側で
    食器を洗うユミルがオルオの様子に気づいていた。

    「オーナー…あのお客さん、この前の街コンでリヴァイと話をしていたんですが、
    今日はどうしたんでしょうかね…?」

     ユミルは訝しげな表情をオルオに向けるがエルヴィンに聞こえるように話す。

    「ほう…そうか、わざわざ来てくれるってことは…リヴァイに用事があるんじゃ…?」

     オルオがリヴァイ目的で何か用事があるのかと踏むと、
    エルヴィンはあごに右手を添えながら、リヴァイを目で追う。
     リヴァイがキッチンに注文を伝えた後、フロアに戻ろうとする時、
    エルヴィンが立ち上がり声をかけた。

    「リヴァイ、どうやらあのお客様はおまえに用事があるようだな…
    街コンでは色々な飲食店を回っているはずなのにわざわざ、
    ここに来て頂いたんだ。注文の品をお持ちしながら、話を聞いたらどうだ…?」

     リヴァイは舌打ちしながら、オルオの後姿を睨んだ。

    「まぁ…オーナーの言うことなら…」

     エルヴィンはリヴァイの仕事を代わる事になり、
    オーナーの提案を引き受けることにする――
     オルオのテーブルに注文の品を置くと、リヴァイは向かい側に座った。
    テーブルに右肘をつき、足を組みながら鋭い視線を送る。

    「…俺に何か、話しがあるのか…?」

     彼の冷たい口調の客に対する態度ではなく、威圧感を与え
    オルオは姿勢を正すと、自己紹介を始めた――

    「…これまで、何度も街コンやコンパに参加したのに
    ほとんどが惨敗で…特にペトラさんって人を気に入ったけど、
    逃がしてしまって残念だった――」

     オルオがリヴァイの大切な存在であるペトラ・ラルの名前を出すと、
    すぐに舌打ちをする。
     テーブル上に付けている右ひじを伸ばし、右手の人差し指でテーブルをつつくと、
    ケーキ皿とフォークの、陶器が金属がこすれ、ガチャガチャと音を立てた。
     予想外にペトラの名前を出されたため、指先に力が入ると、
    フォークが踊りだし、ケーキ皿から落ちそうになる。
  253. 274 : : 2014/03/09(日) 11:35:58
    「オルオさん…そんな話はどうでもいい…とにかく、俺に何をして欲しいんだ?」

     オルオは意を決したようにリヴァイに話し出す。

    「この前、ここで出会った女性と…デートすることになったんですが、
    初めてのことで戸惑っています――」

     やっと打ち明けられたと、ホッとしたオルオはアイスティーの
    グラスの半分を飲み、ため息をつくように息を吐く。
     リヴァイはオルオが注文した紅茶のパンウドケーキに視線を移す。
    この紅茶のパウンドケーキはハンジ・ゾエの新作だが、リヴァイがパティシエの
    カイの店で食べたことを話すと、威圧感から『メニューにしろ』と言われている気がしていた。
     リヴァイの気持ちを察知したハンジと夫のモブリットはいつもカフェの掃除を
    率先する彼を思い、早急に新作メニューに取り入れる研究に入った。
     茶葉からこだわり作り上げ、試作第一号はもちろん、リヴァイに食べてもらい
    『悪くない』という彼なりの最上級のお墨付きをもらっていた。
     リヴァイが初めてお客に出すと『紅茶の香りが広がって、風味も美味しい』という
    感想が聞かれ、『ほら、見ろ』と言いたげな表情をハンジに送っていた――

    「オルオさん…どうして、アイスティーとこの紅茶のパウンドケーキをオーダーした…?」

     リヴァイはこれまでのオルオの話に何の脈絡もないことを
    彼に問うと目は見開かれ、目を泳がしながらリヴァイを見つめている。

    「僕は紅茶好きなので…」

     ケーキを見ると、フォークで丁寧に一口大に切るとその口へ運ぶ。

    「ほう…ホントの紅茶好きなら、アイスティーではなく『ホットティー』を
    オーダーするのではないか…?」

     リヴァイは不敵の笑みをオルオに注ぐと、口元に運ぶフォークの手が止まった。

    「すいません、注文し直します――」

    「――まぁ…いい、紅茶好きってところが気に入った」

     リヴァイは姿勢はそのままに右手の指先をテーブルに打ちつけたまま
    鋭い眼差しもそのままに右の口角を上げた。オルオが安堵した表情を浮かべると
    リヴァイは再び彼にアドバイスすることにした。
  254. 275 : : 2014/03/09(日) 11:37:03
    「初めてのデートとはいえ…この前のアドバイス通りでいいんじゃないのか…?」

    「確かにその通りだと思いますが…自信がないんです――」

     オルオはため息と共にうつむいた。その時のオルオの服装は
    ジーンズに洗い洗いざらいのシャツにスニーカーである。
    街コンではスーツを身につけていた。
     リヴァイはテーブルに右ひじをついたまま話を聞き続けている。

    「…デートはカジュアルでいくのか…?」

    「はい…一応、この格好で――」

     リヴァイはオルオの返事と同時に眼光鋭く舌打ちする――

    「シンプルにも程がある…とりあえず、カジュアルでも清潔感のある格好を
    するんだな…おまえの年代での流行があるだろう…?
    ショーウィンドーのマネキンの服でも構わない…一式そろえて買ったり、
    または…店のヤツから似合うものを見繕ってもらえ…それからスタートだ」

     リヴァイは一気に話すとごくりと息を飲む。
     オルオへの冷たい眼差しは相変わらずである。

    「わかりました!洋服は、と…」

     リヴァイのアドバイスを聞くと、オルオはおもむろにメモ帳を取り出し、
    アドバイスを綴り始めた。その姿にリヴァイの舌打ちは続く。

    「おい…別にわざわざメモをとることではないだろ?」

    「いえいえ! あなたの意見は貴重だ! この前も言うとおりにしたら、
    連絡先まで交換できた! ホントに自信につながったんです!」

     オルオはメモの途中で顔を見上げると、再び書き続けている。

    「まぁ…今、言えるのは前回のアドバイスを忠実に、
    そして清潔感のあるファッションで挑め、これだけか――」

     リヴァイがアドバイスしている様子をエルヴィンが関心しながら、
    彼の代わりの仕事をしていると、アルミンが帰宅して、父であるエルヴィンの
    そばに立つ。
     リヴァイが珍しくテーブルに座り客と話し込む様子にアルミンは首をかしげていた。


  255. 276 : : 2014/03/09(日) 11:37:55
    「…父さん、リヴァイさんは何をしているの…?」 
     
    「――アルミン、おかえり…今、リヴァイは『恋愛レッスン』の最中だ」

     エルヴィンは息子の問いに真剣な表情で答えるが、その声はリヴァイにも
    届いており、茶化されたと思われ、鋭い眼差しが流し目のように二人に注がれた。
     アルミンは息を飲み父に苦笑交じりで言い放つ。

    「父さん…! リヴァイさんは真剣なんだから、そういう風には言わない方が…」

    「そうだな…」

     エルヴィンは鼻で笑うと、客が帰ったあとのテーブルを片付け始めた。

    「オルオさん…あなたのデートする相手とは、どんな雰囲気なんだ?」

    「はい…金髪のショートボブで、小柄で――」

     オルオは相手の女性を頬を赤らめながら説明すると、自分の首元を指差し、
    髪の毛の長さをリヴァイに示した。そのとき、アルミンはリヴァイと目が合う。

    「――おい、アルミン、こっちに座れ…」

    「…はい」

    ・・・何で僕が…?

     アルミンは突然、リヴァイに呼ばれたことで、
    戸惑うが鋭い眼差しの彼の言うことに対し
    反射的に身体が動くと、同じテーブルに座る。

    「オルオさん…その相手って…こんなタイプか?」

    「えっ…?」

     リヴァイは頬杖をつきながら、視線はアルミンに送ると彼は顔を強張らせていた。
    オルオの表情は女性を見つめるような眼差しで頬をさらに赤らめていた――

  256. 277 : : 2014/03/09(日) 11:39:40
    ・・・なんだよ、これ…どうして僕がこんな目にあわないと、いけないんだよ…?

     アルミンはオルオに見つめられ戸惑い涙ぐみそうになると
    父であるエルヴィンと目があう。

    ・・・父さん、リヴァイさんに、何か言ってよ…

     エルヴィンは、目を見開くが、まるで見なかったことにして、
    視線を逸らすと、すぐに仕事に取り掛かっている。

    ・・・父さん、裏切ったな…!

     恨めしそうに父を睨むと、奥歯を噛み締めた。

    「…おい、アルミン…アルミン…!」

    「は、はい!」
     
     ショックを受けたまま唖然としていると、突然リヴァイに名前を呼ばれ、
    アルミンは声をひっくり返し、返事をした。

    「アルミン…いいか? 今から…こいつが言うことを、
    3回に1回くらい否定しろ…その方が練習になる――」

    「えっ…何?」

     アルミンは目を白黒させながらリヴァイとオルオを見る。
    リヴァイはオルオに対して女性と接するときの話し方をアドバイスすることにしていた。
    アルミンにもそれを説明していたが父を睨むことで精一杯になり話を聞いてなかった。
     そのためにリヴァイからさらに睨まれていた。
     オルオがアルミンに話し出すと、背筋を伸ばして姿勢を正し胸を張る。
    アルミンはオルオの視線を恐れたまま、レッスンに付き合うことになる。
     話を聞く次第にちょうど、否定する場面がきた――

    「このケーキ…この店のオススメなんだ――」

    「――あの、紅茶はキライだから」

     アルミンの答えを聞いたリヴァイが舌打ちする。

    「おい…それは肯定しろ…」

     涙目になるアルミンは、否定しろって言ったじゃないか、と言いたくても言えず、
    オルオが差し出した『紅茶のパウンドケーキ』を唇を強張らせ見つめた。

    「紅茶好きだから、このケーキも美味しい…!」

     引きつった顔でケーキを食べる素振りをするアルミンの目先には
    頬を赤らめ自分を見つめるオルオがいて、
    そして隣には鋭い眼差しのリヴァイがいる。
     この会話のレッスン中、アルミンはしばらく二人の熱くて冷たい視線を
    浴びることになっていた。オルオはこのやり取り間、途中でリヴァイから
    アドバイスを受けるとすかさずメモを取り続けていた。
  257. 278 : : 2014/03/09(日) 11:41:26
    「…まぁ…これだけやれば、もう充分だろう」

    「はい、了解しました! 本当にありがとうございました!
    リヴァイさんに教えて頂いた成果を披露するとしたら、ディナーの時間に
    なるかもしれません…」

     オルオはメモを書き終えバッグに仕舞うと、申し訳なさそうな表情を晒した。

    「そうだな…そのときは俺は『上』にいる――」

     リヴァイは上と言いながら、右手人差し指で『FDF』が位置する上階を指差す。

    「――まぁ…俺は見られないが、ハンジさんが見てくれるだろう、このケーキの生みの親だがな」

     キッチンへリヴァイが視線を移すと、彼が『恋愛レッスン』をしていると聞いた
    ハンジが夫のモブリットの静止を乗り切り、
    キッチンから身を乗り出しながら、食い入るように見ていた。
     オルオは帰る準備の為に立ち上がると、リヴァイの両手握る。

    「ありがとうござました…! これでだいぶ自信がつきました…!リヴァイのアニキ!」

    「アニキって…!」

     リヴァイがオルオから『アニキ』と呼ばれると、ハンジが声を出して笑い、
    モブリットに改めて静止されると、キッチンに強制的に連れ戻された。
     オルオを正面に見据えるとリヴァイは舌打ちをする。

    「…まぁ…おまえならできる、せいぜい頑張れ…」

     握手した両手をリヴァイが軽く振りほどくと、オルオはアルミンに声をかける。

    「…君は男の子だけど、女の子の役なんてさせてすまなかった…」

     アルミンの目を見つめながら、オルオが謝るが相変わらず降り注がれる視線は
    爛々としている。
     顔を引きつらせ、アルミンは身体を仰け反らして全身でオルオを拒否していた。

    「勘違いしないでくれよ! 俺は『そっちの気』なんて、ないんだから!」

     オルオはアルミンの肩を肩でも叩こうと手を伸ばすが、強張る顔を見ると、
    噴出すように笑った。アルミンは冗談とわかっていても、身体はオルオを拒否反応を示していた。
     得意げな表情を浮かべたオルオが皆にお礼をしてガラスの扉を開いて帰ると、
    アルミンのそばに父であるエルヴィンが近寄った。


  258. 279 : : 2014/03/09(日) 11:42:46
    「…父さん、無視したな…!」

     近づいてきた父に対してアルミンは真っ先に恨み節をぶつける。

    「ごめん、アルミン…でも、何もされなかったし、よかったじゃないか…!」

    「当たり前だよ! 何言っているんだよ…! 僕のこの気持ちをどうしてくれるんだ――」

     アルミンは涙ぐみ手のひらを胸に手を当てながら、父に訴えた。

    「ごめんな…」

     エルヴィンはため息混じりに息子のアルミンの肩を撫でる。それでもまだ
    キツイ眼差しを送るために父は戸惑いの表情を見せる。

    「――アルミン、おまえはよくやった。あいつの幸せの一役を買ったんだ。
    俺からも礼を言う」

     人には滅多に礼を言わないリヴァイに皆は驚く。アルミンは普段、リヴァイに
    意見する態度は出来ないとわかっているが、彼が少し下手に出たと感じると
    すかさず言い放つ――

    「リヴァイさん…それじゃ、父さんにも『恋愛レッスン』してよ、自分の恋愛は
    さっぱりなんだよ、父さんは――」

     アルミンの声を聞いたリヴァイは舌打ちをした。

    ・・・うあぁ…リヴァイさん、怒らせた…?

     アルミンは調子に乗ってしまったと頬をこわばらせ、目を潤ませた。
     しかし、この舌打ちの意味がアルミンに対してではないとすぐに理解される。

    「おまえの親父は…自分で何とかするだろう。何せ、ここでは奥様たちにもモテるし、『FDF』じゃ、イッケイさんたちに追いかけ回される。
    それで、自分の恋愛がうまくいかない…? そんなことないだろう、
    ただ自分を出していないだけだ――」

     エルヴィンを見ながら、リヴァイは日ごろ思っていることを
    すべて口に出すように言い放つと、鼻で笑った。

    「もっと…自分を出せ…?」

     エルヴィンは右手をあごに添えると、視線を上に向ける。
    思い当たる点に気がつくと、リヴァイを正面に見据え、フッと声に出して笑う。

    「…リヴァイ、俺にもアドバイスするとはな…ところで…今、思いついたんだが」

    「なんだ…?オーナー…?」

     エルヴィンはリヴァイに思惑顔を向けると、すぐに口を開く。

    「リヴァイ、おまえ…カフェで『恋愛レッスン』を開かないか?」

    「はぁ…?」

     エルヴィンの新しい『イベント』の提案に舌打ちをしてリヴァイは答える。

    「――何もかも…ビジネスにつなげるな」

    「もちろん、そこで出されるのは紅茶と紅茶のパウンドケーキだが…?」

     一瞬、リヴァイは目を見開くがバカいえ、と言いながら、
    エルヴィンが持つトレーを奪うように受け取った。
     オルオが座っていたテーブルを片付け始めると、
    その顔は無表情だが、口角は上がっていた――

  259. 281 : : 2014/03/13(木) 11:46:48
    ⑰エルヴィン・スミスの営業

     金曜日のクラブ『FDF』の夜。オーナーのエルヴィン・スミスはいつものように
    高級ブランドスーツを身にまとい、ストライプのカラーシャツは第三ボタンまで外され
    女性客の目を奪う。
     さらに彼のお気に入りの香水、ファーレンハイトのノスタルジックな香りが漂うと
    クラブ内ですれ違う彼女らを必ず振り向かせていた。
     その日の深夜を回る頃。いつもなら、ゲイバーのママ、イッケイさんとチー(小)ママの
    マッコイさんがエルヴィン目的に進撃に来るはずだが、その夜に限りまだ出現していなかった――
  260. 282 : : 2014/03/13(木) 11:47:54
     リヴァイはジャン・キリシュタインにDJブースを譲りカウンター席に座っていると、
    自分のそばに歩み寄るエルヴィンに声を掛ける。

    「オーナー…あの二人、まだ来てねーみてーだな…?」

    「あぁ、確かに金曜の夜はほぼ来るはずだが、たまに遅れることがある。
    まぁ…だいたい遅れる理由は想像できるが」

     ジャケットの襟を整えるエルヴィンは苦笑交じりで伏目になると、
    リヴァイの隣の席に軽く腰掛け、カウンターに肘をついた。

    「…また行くのか?電話すりゃいいのに?」

    「いや…直接行くと、思わぬ波及効果がある…」

     リヴァイの肩をポンと叩くと、エルヴィンは口角を上げた。彼に後姿を見せると
    右手を軽く上げ営業中の『FDF』から離れることにした。
     それは『FDF』から徒歩で行けるママたちのバー、『イッケイのお部屋』に
    二人を『お迎え』に行く為だった――
     『イッケイのお部屋』はテナントビルの1階の奥に位置する。
    エルヴィンが近づいていくと、イッケイさんとマッコイさんの威勢のいい声が
    外に漏れていることに気づくと、ため息と独り言がもれた。
  261. 283 : : 2014/03/13(木) 11:48:48
    「またか…」

     ママたちが遅れる理由はだいたい同じである。二人は特に若い女性から人気がある。
    それは容赦ない説教をすること――それが長引き遅くなる、ということだ。
     この街では説教をされたことがない、または説教に慣れない若者たちが
    二人に恋愛相談をしては説教をされる、ということが密かな流行りでもある。

    「――まったく、外見って最初だけなのよ!」

     イッケイさんがグラス片手に大声を上げた瞬間、エルヴィンがバーのドアを開け
    その姿が現れると、イッケイさんのつけまつげが重々しく乗った眼差しが彼に注がれる。

    「ママ…せっかくの着物姿がもったいないな…そんな大きな声は似合わない」

     バーの中で、エルヴィンの甘く、そして力強い声が響くと
    カウンターの内側に立つイッケイさんは着物の懐に入れていたハンカチを取り出した。

    「エ、エルヴィン…ごめんなさい…私はまた話す事に夢中になって、
    あなたのところへ向う時間をすっかり忘れていて…」

     涙ぐむイッケイさんはハンカチで目元を押える。その顔は『乙女』そのもので
    威勢のいい声は静まり、涙の鼻声で優しく甘えた声に変わっていた。
     カウンターの外にいるマッコイさんは大きな身体に光沢のあるシルクのような素材の
    ドレスを身にまとっている。
     エルヴィンの姿を見つけると、身にまとう布を揺らしながら彼の傍へ駆け出し、抱きしめた。
  262. 284 : : 2014/03/13(木) 11:49:54
    「エルヴィン…! わざわざ迎えに来てくれるなんて…今夜もあなたの胸で踊りたい――」

     マッコイさんはグロスで艶やかに輝く口元を揺らし、上目遣いでエルヴィンを見つめた。
    そして第三ボタンまで外されたカラーシャツの胸元に手を入れようとしたときだった。

    「…マッコイ…ここじゃ、燃えない…俺のところで――」

     マッコイさんが自分の胸元に手を伸ばそうとすると、エルヴィンは手首を軽く掴む。
    甘い声が耳元でささやかれると、マッコイさんはとろんと恍惚な目元に変わり、
    唇からは喘ぐ息が漏れた。

    「――ちょっと、マッコイ、何してんのよ!」

     イッケイさんの声は再び威勢のある男らしさを取り戻し、
    エルヴィンに触れられているマッコイさんを怒鳴りつけた。
     バーのカウター席に座る女性客たちは3人に取り残され、あっ気に取られていた。
    口を開けたまま様子を見ていたが、このキザな男は誰なんだ、という声が客同士で
    ささやかれていた。
     女性客の視線を感じたエルヴィンは姿勢を正し、微笑を浮かべる。

    「皆様…失礼しました。お騒がせして申し訳ありません。私はこの近くでクラブを営業していまして――」

     エルヴィンは『FDF』のことを懇々とゆっくりと、色気のある甘い声で説明し始めた。

    「――ぜひ、お待ちしています」

     最後に丁寧なお辞儀をすると、彼から漂うファーレンハイトの香りが女性たちの鼻腔をくすぐった。
     端整な顔立ちから発せられた甘い声とノスタルジックな香りが重なると、
    まるでスイッチが入ったように、多くの惚けた表情がエルヴィンに注がれる。

    「…ママ、一緒に…クラブに行きましょう…」

     女性客たちはエルヴィンの魅了され、カウンター席のスツールから立ち上がり、
    帰る準備を始め出した。


  263. 285 : : 2014/03/13(木) 11:51:19
    「もう、ちょっと! でも、あなたたちにエルヴィンの魅力を理解するには
    まだ早いわよ」

     マッコイさんはエルヴィンを渡さないと言いたげに慌てながら閉店の準備を
    すると、エルヴィンに囲みバーから出ることになった。
     『FDF』が入るテナントビルに近づくと、ミケ・ザカリアスが自分の客を見送る為
    地下にある『ザカリアス』から出てきていた。
     エルヴィンと『連れ』を見ては苦笑いし、目の前を通る彼だけが聞こえるようにつぶやく。

    「相変わらず…モテモテで何よりだな――」

     見られたくないヤツに見られてしまったと、エルヴィンは心で憤慨するが、
    ミケに刺すような鋭い眼差しを注いでいた。
     『FDF』のフロアに戻ってきたエルヴィンが二人のママだけでなく、
    女性客を連れてきた様子にリヴァイは鼻で笑っていた。

    「…ホントに波及効果だな」

     ママたちをテーブル席に誘うと、エルヴィンはリヴァイの傍に近づいた。
    そして、労うようにグラスに注いだビールを差し出す――

    「すまない、リヴァイ…」

    「さすが、オーナーだな――」

    「あぁ…だが、これも仕事のうち、ママたちは大事な常連だ。
    この程度もしなければならないだろう…」

     飲み干したグラスをテーブルに置くとエルヴィンは薄ら笑いを浮かべ、
    ママたちに吸い寄せられるようテーブル席に戻っていった。
     相変わらずテーブル席では『両手にママ二人』に包まれ、彼の前のテーブルには
    酒が次から次へと注がれる。
     酒が入るごとにエルヴィンのクールな表情は崩れ、赤らめた頬をニヤけた顔に
    染め変えてゆく――
  264. 286 : : 2014/03/13(木) 11:51:55
    「あの顔…イブキさんに見られたら、どうなるだろうな――」

     手酌でビールを注ぎ、リヴァイは冷ややかな眼差しをエルヴィンに送りながら
    グラスを口元に寄せいていた。エルヴィンとママたちの様子を伺い、タイミングを見ては
    ブースでプレイするジャンに軽く手を挙げ合図する。
     リヴァイはクラブが盛り上がる雰囲気を読む。これも彼の鋭い勘が成せる業である。
    そして、金曜日の真夜中の定番の声がフロア内に響く――

    「――これは…俺の曲だー!」
     
     エルヴィンの怒涛の声と共にフロアには彼を囲みイッケイさんとマッコイさんが踊りだした。
     スポットライトのようにミラーボールが輝く光を浴びるエルヴィンは
    Earth,Wind & The Fire のSeptemberがフロアで響くと、腰をくねらせたり、
    自分の手のひらを身体にまとわりつかせ、時には歌詞を口ずさむ。
     男の艶を感じさせられるようなエルヴィンにママたちと共にやってきた
    女性客たちはすでに彼のダンスに見入りながら踊っていた。
  265. 287 : : 2014/03/13(木) 11:52:47
    「――これが見たいために、金曜の夜に来る客もいるのよ」

     エルヴィンを囲い輪になって踊っていると、
    女性の常連客に耳元でささやかれ、ママたちに囲まれ恍惚な表情を浮かべる
    彼を見つめる。

    「ホント…見入ってしまう――」

     多くの女性客から熱い視線を浴びるエルヴィンに対して一人だけ冷ややかな
    視線を送るのはもちろんリヴァイである。
     女性に囲まれながら、自分の恋愛もなかなか成就しないエルヴィンが
    少し気の毒になるが、もしイブキとまとまったらこの多くの客はどうなるのかと、
    不意に彼は思い浮かべていた。

    ・・・まぁ、俺も人にいえないが――

     リヴァイが自嘲の笑みを浮かべていると、彼の近くでエルヴィンを見つめる
    女性客の会話が聞こえてきた。

    「エルヴィンって…最近、あの奥さんの形見だという指輪をしてないの気づいた?」

    「そうそう…! キレイな指に似合っていたけど…ってことは私たちにもチャンスあり!?」

     妖しい笑みを浮かべ色気のある女性客は熱い眼差しをエルヴィンに送る。

    「…ホント、モテモテだこと――」

     目を細め冷めた眼差しの先にはイッケイさんから頬にキスをされ、
    マッコイさんから、さらにシャツのボタンを外されても嫌がる表情を浮かべない、
    踊るエルヴィンがいた。

    「…昼間の顔は教育熱心で息子に過干渉な父親なのに――」

     独り言を交えたリヴァイはブースでプレイするジャンによくやったという
    視線を送ると、いつもの『FDF』の金曜の夜は過ぎてゆく。

  266. 292 : : 2014/03/16(日) 19:55:09
    ⑱DJイアンとのイベント

     ある週末の土曜日、その夜はリヴァイと彼のDJの師匠であるイアン・ディートリッヒが
    クラブ『FDF』のロッカールームで出番を待ち構え、フロアから聞こえ漏れる客の声を
    聞いていた。二人のDJイベントが開催されるその夜、多くの客が二人の出番を
    待ち構えていた。

    「リヴァイ、3回目とはいえ…まだ緊張するな」

     両手をこすりながら、顔を強張らせるイアンは落ち着きなくリヴァイに話しかける。
    涼しい顔をしながら、リヴァイはジャケットの襟に刺さる片翼がクロスしたデザインの
    ピン・ブローチを指先でなぞった。
     大切な存在であるペトラ・ラルからもらったそのブローチを無意識になぞっているが、
    緊張感を解く為の行動になっていた。
     その日のペトラは仕事の都合がどうしてもつかず、今回、彼女は不参加となっていた。
    彼女が不在の影響か、リヴァイがペトラを求める気持ちはいつもより強い。
    リヴァイはそのことに気がつかないでいる――

    「あぁ、そうだ…リヴァイ、これ見ろよ――」

     こすっていた手を自分のジーンズのポケットに移したイアンは
    スマホを取り出し操作しては、リヴァイにある画像を見せていた。

    「このローズ…すっかり、母ですね…」

     イアンが大事そうに見せた画像はかつてリヴァイが大切に想っていた、
    ローズがお腹に子を宿した姿だった。

    「すげー大きいだろ? いつみてもこの中に子供がいるって驚くよ――」

    「――確かに…元気な赤ん坊に会えるといいですね…」

     今ではイアンの妻となったローズの姿を見ても素直におめでとう、という言葉しか
    浮かばないリヴァイは彼女はすでに思い出になったと実感していた。

    「だがな…あいつはこの子を産んで、落ち着いたら、客としてここに来るって
    言っているんだ。ママ友とストレス解消するんだとよ」

    「ほう…」

    「その間、俺が3人のガキの面倒を見なければならないが、頑張っている分、
    たまには、それくらいはしなければな――」

     画像を見ながら嬉しそうに眉を下げるイアンはよき夫であり、父であると感じると
    かつてのDJの師匠の変わりようにリヴァイは鼻で笑っていた。その顔を見た
    イアンはスマホをポケットにしまいながら、声を掛ける。
  267. 293 : : 2014/03/16(日) 19:55:46
    「おまえもそろそろ身を固めたらどうだ?」

    「俺はまだまだ…」 

    「――ペトラさんが待っているかもしれないぞ」

     リヴァイは再び鼻で笑うが何も答えなかった。指先はペトラからもらった
    ジャケットの襟に刺さるピンブローチを握ったままだった。
     ジャン・キリシュタインに呼ばれ二人がブースに立つとイベントが始まる。
    その夜も二人を目的とした客や、噂を聞きつけたDJプレイが好きな客が集まり、
    フロアは多くの人で溢れていた。
     オーナーであるエルヴィン・スミスが客を誘導していると、ある会話が聞こえてきた。

    「…あいつまた来てるかな?
    昔、一緒にクラブで遊んでいたヤツなんだけど、前回、連絡先聞くの忘れてさ…」

    「俺も前のイベントで懐かしいヤツを見かけたよ…。そういえば、
    ここって普段は昔の曲とかバンバンかかるし、居心地いいんだよな――」

     目じりにしわを寄せ笑みを交える二人は、かつてクラブで遊んだ
    懐かしい話をしながら、フロアに消えていった。
     その声を聞いたエルヴィンはかつて亡き妻と約束した『大人が遊べるクラブ』を
    作ったことに誇りを感じ、ミランダ、よかったな、とつぶやく。 
     イアンとリヴァイ、かつての師匠と弟子の二人は今では、どちらが飛びぬけて
    優れている、というわけではない。
     二人の個性がぶつかりあうコラボレーション、そして新しい魅力を誕生させていた。
    このイベントをキッカケに二人を知ったという客や、また顔を出したい
    という声も聞いたエルヴィンは必ず定期的にそしていいものを作っていこうと、
    ブースの真剣な眼差しの二人を見ながら誓っていた。

  268. 294 : : 2014/03/16(日) 19:56:56
    ・・・今回はさすがにいないか…

     目を見開き『同業者』らしき男女、特にリヴァイに対する音楽プロデューサーの
    接触がないか、エルヴィンはフロアで目を光らせていた。
     今回はそれらしき人物がいないことに安堵したと同時にただ純粋に
    DJプレイ、音楽を楽しんでいる客が多いことに気づく。
     フロアの全体を見ていると、ブースの前で踊っていたり、隅っこのテーブルに
    座りながら、酒を片手に音に耳を傾ける客をエルヴィンは見つめる。

    ・・・この環境を大切にしなければ…来て頂いた方にそれぞれの楽しみ方を
    提供したい、特に大人が――

     所狭しとフロアに溢れる客の楽しそうな姿を見ながら
    エルヴィンは眉をひそめ、立ち尽くしているとユミルに声を掛けられた。

    「あの…オーナー、ここに立たれますと、ブースが見えないお客様もいるので…」

     背の高いエルヴィンが後ろを振り向くと、気まずそうにはにかむユミルの
    隣にはリヴァイ目的の常連の女性客が立っていた。

    「すいません、みなさん…今日もありがとうございます――」

    「もう~! オーナーさんが前にいたら見えないじゃないですか! リヴァイが!」

     引きつる表情のエルヴィンを尻目に女性たちは人の合間を掻き分けながら、
    リヴァイがプレイするブース前に向っていった――

    「オーナー、どうしたんですか? ボーっとされるなんて珍しい…」

    「いや、この大入りの客を見ていると…大人が楽しめるクラブという
    コンセプトを忠実にと思っていたが、あの子達もいたとを忘れていた…」

     鼻で笑うエルヴィンはうなじに触れながら、リヴァイ目的に現れる『若い客』にも
    気を使わねばと目を細める。
     大人の定義とは考えると、軽くため息をついて、ユミルの肩を軽く触れフロアを後にした。 


  269. 295 : : 2014/03/16(日) 19:58:31
     その夜のイベントも大盛況に終わり、リヴァイとイアンは相変わらずファンに囲まれていた。
     リヴァイは音以外の質問をしてくる女性客に対して明らかにうんざりとした表情をしている。
     その顔を見たエルヴィンはリヴァイと目が合うと、手招きをして呼び出した。
     自分のことを『窮地』から救ってくれたのだと思ったリヴァイは薄ら笑みを浮かべ
    エルヴィンの元に近づいたが、その思惑が外れた瞬間、舌打ちが鳴り響く。

    「まぁ…リヴァイ、大切なお客様だ…不本意かもしれないが、
    それぞれの楽しみもあるのだから、最低限の話をするんだ――」

     珍しく発破をかける真剣な眼差しのエルヴィンを見たリヴァイは
    怯むことはないが、同じくらい鋭い眼差しを返した。

    「わかった…オーナーの言うことなら――」

    「――もちろん、プライベートのことを聞かれたら、断るんだ」

     言下に注意を促したエルヴィンは、リヴァイを再び女性客の方へ見送ると
    彼は後姿でわかった、と意思表示の右手を軽く上げて彼女らと合流した。
     その様子を見ていたイアンはタイミングを見てエルヴィンのそばに近づき
    声を掛けた。

    「…エルヴィンさん、今回も大成功で、ホント一安心しました! みなさまのおかげです」

    「いや、イアンさんとリヴァイの実力ですから」

    「――ですが、3回目となるとワンパターンにならないか、リヴァイとアイディアを出し合って…」

     イアンは今回もリヴァイと綿密な打ち合わせをして少しずつ変えたり、変えなかったり
    こだわりに工夫を重ねどうにか成功に導けたと、身振り手振りを交え
    そして、アルコールの影響もあり饒舌に話していた。

    「――この機会を与えて頂いた、エルヴィンさんやみなさんのおかげです!
    俺は小さな居酒屋だけで精一杯でクラブは経営できないから、箱での
    DJは出来ないと思っていたので、こういうイベントがあると、腕も落とせないし、
    いい緊張感が保てていいですよ」

    イアンはエルヴィンに自分の気持ちを一気に話すと、これからもよろしくお願いしますと、
    深深と頭を垂れていた。

    「イアンさん、そんな謙遜なさらないで下さい! 私どももあなたを必要としていますから」

    丁寧なイアンに対してエルヴィンが戸惑っている様子を遠巻きから見ているリヴァイは
    鼻を鳴らして笑っていた。
     昔から人との付き合いを大切にしていた変わらぬイアンの態度と
    同じように人の繋がりを大切にするエルヴィンとの不思議な縁に
    リヴァイはこれからもこの関係を継続できたらと、密かに願う――
  270. 296 : : 2014/03/16(日) 19:59:28
    「あぁ、そうだ、エルヴィンさん、リヴァイですが、あいつは昔から
    ファンにキツかったが、それでも惹かれる人柄がある。
    ホント、不思議なヤツですよ――」

     エルヴィンは、クラブ『FDF』からリヴァイが離れてしまうのではないかと
    危機感を感じているのではないかと、イアンは察知していた。

    「あいつは…ここから、出て行くことはないと思いますよ。
    顔を見ていたらわかります、あなたについて行きますよ」

     エルヴィンは昔からの付き合いのイアンが言うのなら、大丈夫だろうと
    安堵感に浸る。彼はDJリヴァイを手放す気持ちはなかった。

    「しかし、いつかDJとして、独立したいと――」

    「――いやぁ…俺もそうですが、DJだけで食っていくのは大変ですから」

     イアンはエルヴィンの肩に軽く触れ、笑みを浮かべていた。

    「リヴァイは…ホントに、ここが気に入ってますよ」

     リヴァイを手放したくない気持ちから、過剰に心配するエルヴィンに
    再びイアンは大丈夫と念を押した。
     イベントだからと、特に女性ファンに囲まれながらも、
    嫌な顔をしないで、彼女らと話すリヴァイは本当に
    『FDF』を気に入っているのだとエルヴィンは感じていた。
     イアンに会釈して彼の隣から離れ、リヴァイのそばに立ち、マネージャー気分で
    もしプライベートなことを聞くものなら、それはと、エルヴィンは止めに入る。
     別に余計なことをしなくてもいい、とリヴァイはエルヴィンを鋭く睨んでも
    嫌な気持ちにはならなかった。

  271. 298 : : 2014/03/17(月) 11:30:06
    ⑲初めての…

     ある平日の夕暮れ時。その街は帰宅ラッシュが始まり、家路に急ぐ車が慌てながら
    通りを行き交う様子を尻目にイブキがに歩道をゆっくりと歩いていた。
     鉛色の雲が、大空の隅々まで広がり、雨粒が今にも落ちそうな雰囲気に
    飲み込まれそうになる。手のひらを目の前に出し、空を見上げながら
    天候の変化を気に止めるが、その手のひらには雨粒が降りることは、まだない。
     イブキは仕事がひと段落すると、ミカサ・アッカーマンが通う学校近くにオープンした
    雑貨屋へ気分転換と称して買い物にいっていた。特に欲しいものはないが、
    見ているだけでも楽しい気分になる、そんな小物を手に取り、
    のんびりと眺めているだけで彼女の煮詰まった気分は晴れていた――
  272. 299 : : 2014/03/17(月) 11:30:46
    ・・・あれ…? エルヴィンさんだ…!

     イブキが自宅アパートに近づいた頃、エルヴィン・スミスが足早で
    クラブ『FDF』の営業に向う姿が彼女の視界に飛び込んできた。
     エルヴィンは経営する他の飲食店を車で回った後、自宅マンションの
    駐車場へ車を戻して、そのまま夜の営業に入る予定だった。

    「エルヴィンさーん! お疲れ様!」

     久しぶりに見かけたエルヴィンに思わず声を掛けると、彼はすぐにその声の方向へ
    身体を向けた。
     自分が気になる存在の女性、イブキの声には素早い反応を見せ、
    彼女が歩いている方へ駆け出しアスファルトを蹴る。

    「イブキ、買い物にでも行ったいたのか?」

    「――うん、ちょっと雑貨屋にね」

     イブキは買い物袋をエルヴィンに見せると、優しい笑みを向けられていた。
     リヴァイがDJのイベントを成功させるほど、『FDF』には音楽好きな客が
    増えていくことを経営者として見逃せなかった。
     仕事に対する緊張感で気が張っているのは事実であるが
    不意打ちのようにイブキにバッタリ会えたことは
    エルヴィンにとって嬉しいサプライズで、安堵感に浸った笑みだった。
     二人は久しぶりに会えたこともあり、通りを行き交う車に注意しつつも歩道で立ち話をしていた。
  273. 300 : : 2014/03/17(月) 11:31:53
     近況の話やまた近々ランチに行く――そんな話をしてエルヴィンが営業に向おうと
    イブキから離れようとした瞬間だった。

    「じゃ…イブキ、雨も振りそうだし、早く帰らないとな――」

    「――そうね、エルヴィンさんも気をつけていってらっしゃい」

     二人が歩道で互いに手を振り、それぞれの目的へ向うと1台の家路を急ぐ車が
    携帯電話で話しながらわき見運転をしてしまい、イブキが歩く方向へ突っ込もうとしていた――

    「――イブキ、危ない!」

     咄嗟にエルヴィンはイブキを身体を張って庇い、抱きしめると勢いそのままに
    通り沿に建つビルの壁に全身を打ち付けてしまった。
     その車はイブキの近くを擦れ擦れに掠める程度で、何事もなかったように
    車体を整えると、そのまま家路へ向かい走らせ消え去った――

    「何…何があったの…?」

     車が近づいてきたことは気づいたが、一瞬の出来事で二人がその場でしゃがみこむと
    遠く離れゆく車をイブキはただ呆然と眺めているだけだった。
     直後にその視線をエルヴィンに移したとき――

    「――エルヴィンさん、大丈夫? ねぇ!?」

     身を挺してイブキを守ったエルヴィンは全身を壁に打ち付けたショックで
    一瞬だけ気を失うも、彼女に両肩を掴まれ全身を揺らされると、すぐに正気を戻す。

    「あぁ…イブキ、大丈夫か?」
  274. 301 : : 2014/03/17(月) 11:32:38
     顔面蒼白のイブキを正面に見据えるエルヴィンは彼女の無事を知ると、
    安堵した表情を浮かべ、しゃがみこんだときスーツに付着した砂埃を手で払いながら
    立ち上がった。

    「イブキ、俺は大丈夫だ。君もケガなどしてなくてよかったよ――」

    「でも、エルヴィンさん、身体を壁にぶつけているでしょ? すぐに病院に行こうよ」

    「俺はピンピンしているし、問題ないよ。これから仕事があるし」

    「そんな…強く頭を打っていたことに気づかずに、
    取り返しがつかないことになったらどうするのよ!」

     青ざめ慌てる様子のイブキを見ながら、どうってことない、と肩を動かしたり首を回して
    問題ない姿を見せていたが、次第に頭が濡れている感覚がすると、
    そのまま手の平で、その部分を触れることにした。

    「エルヴィンさん…血が…! 救急車を呼ぼう」

    「――いや、大したことない、問題ない、かすり傷だ」

     壁に後頭部をぶつけたとき、傷ついた部分から出血して指先に血が付着していた。
    益々青ざめるイブキが救急車を呼ぶためスマホをバックから取り出すが、
    エルヴィンはその手を止めた。
  275. 302 : : 2014/03/17(月) 11:33:09
    「…イブキ、ホントに大げさだって、大したことはない」

    「――だって、私をかばって、こんなことに」

     痛みも酷くなく、エルヴィンはただのかすり傷だと強調しても、
    イブキが納得することはなかった。そしてエルヴィンが彼女の気持ちに折れ、
    病院に向うことになったが、救急車ではなく、彼の車を出すことになった――

    「じゃ、私が運転するから、カギを貸して――」

    「――わかった、その前にリヴァイに連絡するから」

     車のカギを受け取ると、その場に彼を残しイブキはそのまま駐車場に車を取りに
    行くことになった。その間、リヴァイに電話して営業に行けない経緯を話すと、
    いつもの冷たい声だけでなく、熱がこもった声で早く病院へ、と半ば怒鳴られていた――

    「…まったく、みんな大げさだよな――」
     
     頭部を打っていても痛みが軽い影響かエルヴィンは軽くため息をついていると
    目の前にイブキが運転する車が停止して助手席に乗り込む。
  276. 303 : : 2014/03/17(月) 11:34:28
    「イブキ、それじゃ、頼む…安全運転で」

    「う…うん、わかった」

     真剣な眼差しで運転するイブキが今度は本当に事故を起こすのではないかと
    エルヴィンが心配すると、チェンジレバーを握る彼女の手の甲に自分の手を添える。

    「ホントに安全運転で頼むよ…? イブキ、おまえの方が大丈夫か?」

    「大丈夫よ…」

     添えた手のひらからイブキのかすかな震えを感じていた。深呼吸をして
    正面を見据えたイブキは添えられた手のひらを軽く握り返す。
     二人は病院に到着するまで一言も交わすことなく、その街の大きな病院へ
    向っていた。
     病院へ到着する頃、あたりは薄暗くなり、小雨がボンネットに降り注ぐと
    いくつもの雨音がドラムのように奏で始めていた。

    「この病院にはもう二度と来るつもりはなかったのだが――」

     屋外の駐車場にイブキが車を停めて慌しく降りる準備をしている影響か
    エルヴィンの独り言が耳に入ることはなく、そのまま彼の腕を引っ張るように
    病院内へ移動していた。

    「――あの、頭を強く打ったんです…!」

     イブキは受付にエルヴィンが壁に身体を打ちつけた様子を説明して、
    彼が後頭部をハンカチで押える姿を晒すと、すぐ診察すると言われ
    そのまま診察室に入るよう促されていた。

    「あれ…あなたは…スミスさん…ですよね?」

    「――はい、ご無沙汰しています」

     診察室に入るとエルヴィンを見た医者は目を見開き驚く視線を送った。
    エルヴィンの亡き妻、ミランダが交通事故で命を落としたとき死亡診断書に
    サインした医者と彼は再会していた。
     エルヴィンがこの病院に来たくなかった理由は亡き妻の辛い思い出が詰まる
    場所には二度と足を踏み入れるまい、そう誓っていたからだった――
     この医者は妻を亡くして泣き叫ぶ夫をかつて見たことがなかった。
    そのため女性に付き添われて診察室に入ってきた姿に驚いていた。

    「今日は知人に付き添われてきたのですが――」

     エルヴィンは誰からも聞かれていないのにイブキを『知人』として医者には話すと
    目を逸らした。妻を亡くした夫がもう他の女性と一緒にいるのかと思われるのは
    ミランダに申し訳ないと考えるとイブキを咄嗟に知人として説明していた。
     イブキはエルヴィンが傷を負った理由を説明すると、そのまま精密検査をすることになる。
     検査中、イブキは廊下の長椅子に座りながら待つことになり、
    診察した医者がイブキのそばに近づくとすぐさま声を掛けられる。

    「あの…エルヴィンさん、大丈夫でしょうか?」

    「大丈夫ですよ、頭から出血したので驚いたでしょうが、傷も大きくないですし――」

     この医者はイブキに心配しないいようにと諭し、念のための検査であると
    説明すると、引きつっていた表情が少し和らいでいた。
  277. 304 : : 2014/03/17(月) 11:35:16
    ・・・知人と言っていたが…ただの知人ではないだろう、こんなに心配するなんて

     イブキの横顔を尻目に自分の診察室に戻る医者はエルヴィンに対して
    改めて女性と出会いがあってよかったと感じていた。
     廊下の長椅子に座りながら両手を祈るように握っていると、
    イブキは自分の心臓が早鐘のように鳴り響くことに気づく。

    ・・・これは…心配する気持ち? それとも、エルヴィンさんへの…?

     胸元に手をあてがい心臓の動きに戸惑うと深い深呼吸をイブキは繰り返していた。
    ――もちろん、検査の結果は異常なしだった。だが、診察室からエルヴィンが
    イブキの前に姿を晒すと、心配な表情はあまり薄れてはなかった。

    「エルヴィンさん…ホントに大丈夫なの、その頭…?」

    「あぁ…大げさにも程があるよ――」

     頭部の傷口にガーゼを当てられるが、固定するために伸縮性のある
    ネット包帯がまるでニット帽のようにエルヴィンの頭に被されていた。
     包帯に触れながら、安心した柔らかい視線をイブキに送ると少しだけホッとしたようだった。
     二人が駐車場に向うと帰りはエルヴィンが運転することになる。運転席に乗り込むと
    この病院は亡き妻が死んだところだったから、二度と来たくなかったとイブキに話す。

    「…私をかばう為とはいえ、ケガさせてしまって…本当に…奥様にも申し訳ない――」

    「――それは気にするな」

     エルヴィンは言下に否定すると、車のエンジンをかけ伏目がちになったかと思うと
    ハンドルに身体を預け正面を見据える。
  278. 305 : : 2014/03/17(月) 11:36:01
    「…それに、二度も大事な人を失いたくなかったから、あの行動に出たと思う、
    ホントに無事でよかった、イブキ」

     上体を起こしてイブキに身体を向けると目線を上げそっと頭部の傷に触れる。
    病院にいる間、小雨から大雨に変わりアスファルトがヘッドライトに照らされ、
    光り輝き、まわりを明るくさせ、運転手はより気を使って車を走らせなくてはならなかった。
     エルヴィンがチェンジレバーを握り、家路に向おうととしたとき――
    イブキはエルヴィンの手にそっと自分の手を添えると、彼はブレーキペダルを踏んだ。

    「…どうした、イブキ?」

    「――さっき…手を握られたとき、なんだか…懐かしい感じがした。
    不思議だけど、手を握るのは初めてじゃないような気がしていた」

     遠い遠い遥か昔、イブキはエルヴィンの手を握り彼を支えた時代があった。
    大きな手に触れていると、その記憶がイブキの脳裏にかすかに蘇っていた――

    「イブキ…」

     穏やかで安堵感から涙を浮かべるイブキに見つめられると、
    頬に手を沿えエルヴィンはイブキにキスをしそうになる。

    「――…あ、ごめん、イブキ…」

    「えっ…」

     キスをするためエルヴィンはイブキに顔を近づけたつもりだったが、
    すぐに離れ目線を下げると、ため息をついた。

    「…イブキ、おまえはミケの方が――」

    「――私は構わないよ…」

     『――好きなんだろう』とエルヴィンが言おうとすると、それを被せるように
    イブキは即座に否定する。
     彼を一点に見つめる眼差しで、穏やかにイブキは微笑んでいた。
  279. 306 : : 2014/03/17(月) 11:36:38
    「イブキ…」

     エルヴィンは改めて名前を呼ぶと頬に手を添え、
    自分の唇をイブキに重ね、二人は初めてキスをする。
     イブキの感触を味わうと、突然のことでエルヴィンが戸惑い
    唇から熱い息が漏れる。
     小雨が再び天から降りて、車の屋根にいくつもの雨音が
    再び奏でられると、二人の熱でガラスが曇り始めた。
    周りから気づかれないと、エルヴィンが咄嗟に思うと、
    助手席に座るイブキに覆いかぶさろうと、シートを倒そうとする――
     イブキはそれはまだ早いと、穏やかな表情も曇りエルヴィンは謝る。

    「もう…エルヴィンさんったら…」

    「ごめん、イブキ…」

     シートを倒さなくてもエルヴィンはイブキを抱き寄せ互いの温もりを感じていた。
    イブキは自分の身を挺して守ってくれたエルヴィンの気持ちを蔑ろに出来なかった。
     手を握られたとき、エルヴィンとの不思議な縁を改めて思い返していると、
    ミケ・ザカリアスの顔がイブキの目の前にチラつく――

    ・・・これでいいんだ、このままで――

    背中に伸ばす手に力が入りイブキはミケへの思いを振りきるように目を閉じる。

    「イブキ、いいんだな、俺たち――」

    「――うん、もちろん」

     その日をキッカケに、イブキはエルヴィンを選び二人は付き合うことになる――。
  280. 311 : : 2014/03/18(火) 12:42:57
    ⑳あなたを選んだ初めての夜

     エルヴィン・スミスが怪我の治療を終え、病院からすぐに自宅マンションに向うと
    その隣には微笑むイブキが寄り添う。エルヴィンが彼女と共に自宅に向う理由は
    息子のアルミンに改めて会わせるためだった――

    「父さん…!? その頭どうしたの? それにイブキさんも…?」

     いつもより早い父の帰宅だと思いドアを開けたアルミンは頭に巻かれた
    ネット包帯に驚くと同時に初めてイブキを連れてきたことに戸惑う。
     事情を聞いたアルミンは安心するが、ムチャな行動をした父を睨みつけ
    『僕を一人にするつもりなの!』と言いたい気持ちになる。
    結局、大事に至らずイブキを身を挺して庇う行動をするほど、父のエルヴィンは
    イブキへの想いがそこまで強いのかと感じていた。

    「アルミンくん…ごめんなさい、私のことでお父さんを危険な目に合わせて」

    「――イブキさん、父さんは無事だし、もう終わったことだし…気にしないで」

    「ホントに…ごめんなさい――」

     謝り続けるイブキに、アルミンは声を張って気にしないでと言いながら、
    彼女の肩に優しく手を添えると、疲れていた表情が和らいでゆく。

    「――それから、アルミン、おまえに最初に伝えたくてここに来たのだが…」

    「何を伝えにきたの?」

     突然話題を変える父のエルヴィンにあどけない眼差しを向ける。

    「父さんとイブキ…付き合うことになった――」

    「えっ…!? ホントに、父さん?イブキさん??」

     満面の笑みでアルミンは喜びを表した。

    ・・・これで父さんが苦しむ顔を見なくて済むのかな…

     エルヴィンが亡き妻、ミランダへの気持ちと新たなるイブキへの気持ちに
    揺れ動く姿を見るのがアルミンは辛かった。だが、嬉しそうな父の姿を見ると、
    その苦しみから解放されるだろうと感じていた――

    「――アルミンくん…よろしくね」

    「こちらこそ、よろしく! イブキさん!」

     二人は笑顔で握手を交わす。それは玄関先での挨拶で、
    アルミンが家の中へ入るよう促すが、エルヴィンが腕時計を見ると
    カフェ『H&M』のディナータイム終了間際だと気づいた。

    「アルミン、せっかくだが、また今度イブキを連れてくるよ。
    ハンジやリヴァイたちにも今日の報告をせねば…」

     エルヴィンにとっての『今日の報告』は怪我が問題なかった、ということでなく
    『イブキと付き合うことになった報告』に移り変わっていた。
     そんなに急がなくてもと、イブキがエルヴィンに言うが、嬉しそうなエルヴィンは
    すでに怪我したことさえ忘れているようにも見えた。

    「エルヴィンさん、今日はもう休んだ方がいいと思うけど…」

    「いや、今日はあいつらに迷惑をかけたし、それに君のことも伝えたい」 

     嬉しさで口角を下げきれないエルヴィンはイブキの肩にそっと触れる。
    優しく穏やかな眼差しを注がれると、イブキはそこまで思われていたのかと
    実感すると、心臓の鼓動が大きく鳴り響き心地よい胸の苦しさを感じた。

    「じゃ…アルミン、行ってくる――」

     二人はそのままドアを閉めるとカフェ『H&M』へ向うことにした。

    「父さん…これも『怪我の功名』ってヤツか…よかったね」

     ニヤリと不可思議に笑いながら、アルミンは父と、父の恋人の背中を見送っていた。
  281. 312 : : 2014/03/18(火) 12:45:02
     カフェ『H&M』ではハンジ・ゾエと夫のモブリットが閉店準備をしていて、すでに客は帰っていた。
    ガラスのドアを開けながら、エルヴィンとイブキが現れると、二人はすぐに駆け寄る。

    「――エルヴィン!? その頭、どの程度の怪我なの?」

    「全く問題ないよ、こうして歩いて来たんだから――」

     笑みを浮かべ、ガーゼを押さえながら大丈夫と強調するエルヴィンが
    本当に無事だと目の当たりにすると、二人はホッと胸を撫で下ろしていた。
     エルヴィンがイブキの肩を抱いている様子に気づかれると、頬を赤らめ話し出す。

    「あぁ、そうだ…ハンジ、モブリット、俺たち付き合うことになったんだ――」

    「えーっ! 怪我より、そっちの方がビックリなんだけど!」

    「エルヴィンさん、そうなんですか!?」

     ハンジとモブリットは突然の報告で、エルヴィンの怪我が軽かったこともあり
    仰け反り驚きの表情を隠せなかった。

    「エルヴィン、粘った甲斐があったね…」

    「もう、ハンジさん…!」

     ハンジの本音がこぼれると、夫のモブリットは小声で注意しながら、
    肘で妻を小突くが、その効果はなくエルヴィンの惚ける顔を呆れ顔で眺めていた。  
     エルヴィンはいつものクールな表情が頬を赤らめるニヤケ顔に染め変わると、
    大きな手のひらで隠すことで精一杯になる。
    その顔を見たハンジはすかさずイブキに言い放つ――

    「イブキさん…こんな人でいいの…?」

     再びモブリットはハンジの肩に手を置き、顔を強張らせ左右に頭を振り、
    それは失礼だ、と言いたげだが妻の暴走は止まらなかった。

    「――ええ、私が選んだ人ですから!」

     エルヴィンを見上げながら、イブキは自分の手を彼の腰に回すと、 
    嬉しさのあまり、エルヴィンはとうとう噴出すぐらい笑ってしまった。

    「…エルヴィン、頭打ってさ…おかしくなったんじゃないの?」

    「もう、ハンジさん! いい加減にしてくださいよ!」

     口が減らないハンジに夫のモブリットは呆れるが、惚けるエルヴィンは
    イブキを見つめているだけだった。
    ハンジの声が耳に入ってないのか、何を言われても気にしないくらい 
    すでにイブキしか眼中にない様子だ。

    「ハンジ、モブリット…それじゃ、今度はリヴァイのところへ行く…あとはよろしく」

     クラブ『FDF』に移動する二人は特にエルヴィンの後姿は今にも小躍りしそうで、
    その顔を見上げるイブキも嬉しそうな笑みを浮かべていた。

    「…エルヴィン、よかったじゃない…ミランダがいなくなって、再婚どころか、
    女性とは付き合うことはしないと思っていたけど…」

    「――そうですよね」

     モブリットは妻の暴走が止まったことに安堵しながら、まだ話し続ける。

    「しかし、エルヴィンさん…ホント嬉しそうですよね、心が浮いて背中に
    羽が生えているみたいですよ――」

    「モブリット、あなたも言うようになったね!」

     安堵感から本音を口走る夫にハンジは笑いを堪えていた。
    モブリットは口を押えるが放った言葉を収めることはできず、
    焦りから目を泳がせると、さらにハンジの笑いを誘う。

    「モブリット、言ってしまったことは気にしない! 
    まぁ…私たちだって、あの二人以上に仲良しだよね!」

    「はい、そりゃそうですよ!」

     快活に返すモブリットを見たハンジは彼の肩を軽く触れ、
    営業終了の片づけを再開することにした。
  282. 313 : : 2014/03/18(火) 12:46:13
     その夜は平日の影響でクラブ『FDF』の客入りはまばらた。リヴァイはやはり
    頭に巻かれた包帯に目を見張るが、無事なエルヴィンに安堵する。彼にもイブキと
    付き合うことになったことを伝えると、やっとか、という返答されるも、
    眼差しは鋭いままだった。その理由をエルヴィンはすぐ気づく――

    「…まぁ、今日の仕事が終わったら、『ザカリアス』にも行く」

     エルヴィンが『ザカリアス』の名前を出すと、イブキは胸が締め付けられる感覚がして
    目線を下げる。
     ミケ・ザカリアスにも自分たちのことを早めに伝えた方がいいとエルヴィンは判断していた。
     
    「オーナー…今日は俺が仕切る。その頭じゃ、客の前には出られないだろう…」

     自分の頭上に視線を送るリヴァイに気づくと、ため息をつく。
    エルヴィンはミケへの報告にまだ心の準備が整ってなく、イブキをチラッと見ると
    うつむき加減で、そのまま肩に手を触れるほかなかった。

    「リヴァイ…それじゃ、今夜はよろしく頼む――」

     エルヴィンはイブキの肩を抱きながら、そのまま『FDF』を後にして、『ザカリアス』に向う。

    「…イブキさん、選択は難しかったろうが、後悔しない相手を選んだのか…」

     リヴァイの口から思わず独り言がもれる。ミケとも付き合いが長く、人となりを理解している。
    どちらも申し分のない相手のため、選べないから今日まで時間が掛かったのだろうと、想像していた。
     これからの3人の関係を案ずるとリヴァイは表情を曇らせた――
  283. 314 : : 2014/03/18(火) 12:51:24
     その足で『ザカリアス』のドアの前に立つ二人は意を決したようにエルヴィンが
    ドアノブを握りゆっくりと回す。
     何度も開けたことのあるそのドアが、今まで味わったことがないくらいに重く感じていた――

    「――エルヴィン! 今夜は少し早くないか…? おい、その頭、どうした?」

     ドアを開けたエルヴィンをいつものように彼の低く力強い声がドアの方まで響く。
    そして、目立つその頭の包帯を指摘されるも、転んだだけ、大げさに治療されたと
    引きつる笑顔で返事した。

    「まぁ、無事で何よりだ。いつもの席へ――」

     カウンターの内側で立つミケがエルヴィンをいつものように席に誘導しても、
    移動をせずにうつむくだけだった。さらにドアを開けっぱなしで立ち尽くしている。
     ミケの声を聞くイブキはエルヴィンの背中にすがるように隠れていた。
    居た堪れなく、すでに帰りたい気分に包まれる。

    「誰かと一緒なのか? 後ろにいるのは誰…?」

     明らかに自分に向けて発せられた声にイブキは自分の姿を晒せずにいた。
    覚悟を決めているエルヴィンは後ろを振り向き、イブキの手を引くとミケは目を見開く。

    「…おい、エルヴィン、何してんだよ、イブキの手を離せよ」

    「――あのな、ミケ…俺たち、付き合うことになったんだ」

     ミケが早口で低い声を響かせると、エルヴィンは言下に宣言した。
    突然のことで、ミケは何を言われているのか気づかないでいる。
    ただ、イブキがうつむき、その手はエルヴィンと強く繋がり、
    それが眼下に映っていた。
     ミケは顔を強張らせ、開けた口を閉じられなかった。イブキはエルヴィンよりも
    自分のことが好きだろうと態度を見ながら感じていた。また感覚的に遠い昔、
    二人は添い遂げられなかった関係だったかも、という不思議さを味わっていた。
     イブキはミケの視線を浴びながらも、何も言えずうつむくだけだった。
  284. 315 : : 2014/03/18(火) 12:52:08
    「――とにかく…イブキは俺を選んだ、わかって欲しい…」

     エルヴィンが落ち着いた声で応えても、ミケは突然のことで把握できるまで
    時間がかかっていた。息を飲み二人を見つめるが、呆然とする表情は隠せない。

    「…どうして、イヤだよ…そんな――」

     ミケはドンっと音を立てながらカンンターに両手をついた。予想を上回るミケの動揺に
    イブキは乾く喉を潤すように唾を飲むが、カラカラな喉が潤うことはなかった。
     エルヴィンに見習い意を決してイブキも話し出す。その声は震えていた――

    「――ミケさん…ごめんなさい」

     ようやく発せられた声は謝ることしか出来ないが、エルヴィンが握る手に力が入ると
    勇気をもらったように少しずつ話し出す――

    「…私は二人の気持ちが嬉しかった、そして二人に惹かれていたのは本当よ――」

    『より惹かれていたのはあなただった』と続けたかったが、
    ミケの唖然とした顔を見ると、それはいえる筈がなかった。
    もちろんエルヴィンを選んだ自分が言う資格がないと、飲み込んだ。
  285. 316 : : 2014/03/18(火) 12:52:38
    「ミケ、俺たちは約束した…イブキがどちらを選んでも悲しませるような
    行動をしないと…」

    「あぁ…もちろん、今までの生活のままで――」

     ミケは『先のことはわからない』といつも思っていたが、イブキは自分を選ぶだろう
    というおごりが重なり、その分、衝撃が圧し掛かる。
     いつかこんな日が来るだろうとイブキは想像していた。誰を選んでも――

    「すまないが、もう帰ってくれ――」

    ・・・ミケさん…

     カウンターに両手をついたまま、顔を再び下げ二人に帰る様に促した。
    イブキはミケの名前を心でつぶやいても、もうあの楽しかった3人の関係に
    戻れないのかと思うと、目頭が痛いくらいに熱くなる。 
     無言のままドアを閉めたエルヴィンはイブキの手を強く握るが、彼女は
    顔をあげず、うつむいたままで視線を合わせることを拒否しているように見えた。
     その態度を目の当たりにすると、ミケの方が好きなのにどうして
    俺を選んだのかという疑問が浮かぶと歩む足が止まる。
  286. 317 : : 2014/03/18(火) 12:53:10
    「――イブキ、本当は俺よりもミケが」

     その声の途中でイブキは手を振り払いエルヴィンを抱きしめた。
    地下から地上へ繋がる階段の途中で二人は立ち止まる。
     通りを行き交う車のヘッドライトの光が階段へ注がれると、二人の影を作るが
    抱きしめ合う影は一つだけだった。

    「私は…あなたが好きなのは本当よ――」

     エルヴィンの胸元でつぶやく声は小さく、遠くから聞こえてくる車の騒音で
    かき消されそうになるが、イブキの気持ちはエルヴィンに届いていた。
    その気持ちはウソではない。ただミケへの気持ちが断ち切れないだけだった。
     抱きしめられながらエルヴィンは戸惑い、イブキの腰に腕を回していた。
    ――本心なんだろうか。自分を選んでくれたのは嬉しいが、ミケの身代わりなのかと
    思うと、息を飲み耳元でささやく。

    「本当に…俺でいいんだよな?」

    「もちろん、そうよ…」

     返事をするイブキの声に力がないが、絡める手の力は強かった。
    エルヴィンは彼女の長い髪を撫でるように触れながら、自然に甘い声があふれ出す。
  287. 318 : : 2014/03/18(火) 12:54:35
    「…今日は思わぬ時間もできた…今から君の部屋に行って抱いてもいいんだよな?」

     その声を聞いたイブキは鼻で笑いエルヴィンを見上げる。

    「エルヴィンさん、そればっかり…」

     冗談とイブキは気づくがエルヴィンは半分本気だった。しかし、ミケに気持ちを傾ける
    イブキと一夜を過ごせないと思いながら地上へ繋がる退路を照らすヘッドライトの光を見ていた。
     強く抱きしめていた手をエルヴィンから離すとイブキは階段を一段だけ上る。
    振り返ると、エルヴィンはその場に立ち止まったままだが、
    目線が少し見上げられるぐらいの位置に立っているとイブキは感じる。
     柔らかい笑みを浮かべながらイブキは左手をエルヴィンの首に回し、
    右手は肩を軽く掴むと、段差を利用して背伸びをしながら顔を近づける。
    エルヴィンは突然のイブキの行動に戸惑い、彼女の腰に手を添えることしか出来なかった。

    「エルヴィンさん…改めて、よろしくね――」

     イブキは背伸びをしながら、エルヴィンへ自分の唇を重ねた。唇から漏れる
    熱い吐息を感じるエルヴィンは一心に彼女の唇の感触を味わっていた。 
     まだイブキはミケを忘れない、でもこれからはエルヴィンだけを見つめ愛する、
    自分自身への誓いのキスでもあった。
     背伸びをする彼女を慈しむ様にエルヴィンは抱きしめる。
    もう誰にも渡したくない気持ちから、痛いとイブキの声が漏れるくらい強く抱きしめていた。

    「――やっぱり、君の部屋へ行こう」

    「もう…それはまだ早いでしょ、知り合って長いけど、付き合うって決めたのは今日だよね…」

     耳元でイブキにささやかれると、温かく心地よい息がまとわりつく。 
    エルヴィンは本気でイブキを誘い、そして断れても抱きしめる強さは変わらず、
    込み上げる熱も下がることはなかった。

    ・・・これでいい…これで、このままで…誰かを傷つけることは覚悟していた――

     エルヴィンの胸の鼓動を感じるイブキは微笑んだかと思うとすぐに真顔になった。
    ――本当に好きな人とは、結ばれない…それはイブキの人生経験としてその心に刻まれていた。
  288. 319 : : 2014/03/20(木) 11:16:12
    21)再会

     イブキがエルヴィン・スミスを選び、そして二人が付き合うことになって以来、
    ミケ・ザカリアスは自身が経営するショットバー『ザカリアス』を定休日の日曜以外でも
    休みがちになっていた。彼自身も予想以上に自分が受けたショックが大きいことに戸惑っている。

     ミケは幼い頃から、時々ではあるが『ある夢』にうなされる。それは自分自身の身体が
    バラバラになり、激痛が走るのは一瞬でその直後に楽になる――。
    幼くとも、その楽になる感覚は『死』であろう察知していた。
     毎回、その夢から目覚めると、胸の鼓動が激しく鳴り響く。まるで心臓が
    口から飛び出してしまうのではないかという感覚を味わう。
     最近になり、その夢に続きがあると気がついた。『死』を感じた直後、
    それよりも辛い、会いたい人にもう会えなくなった、という感覚だった。

      遥か遠い遠い世界で、生きていた頃、大事な誰かを失った。
     その相手はイブキだった――彼女と同じ時間を過ごすと、
    身体の隅々の細胞に宿る遥か遠い記憶が蘇る。
     彼女の笑顔、触れたの手の温もりが、懐かしさと共に恋しさがミケの心の中で
    まるで泉のように少しずつ湧き出しては身体中にしみ渡るようだった。
     どういうめぐり合わせか、二人はこの世界で再会することになる。
    そしてミケだけでなく、イブキはエルヴィンとも縁があった。
     膨大な時の流れの果てにようやく結ばれるはずだった二人は
    そんな感覚もむなしくミケとイブキの縁が再び途切れてしまった――
  289. 320 : : 2014/03/20(木) 11:16:56
     ミケが自宅アパートのドアを開けながら、空を仰ぐとすでにオレンジ色は
    消えてなくなり、藍色が夜の時間を迎え入れていた。彼がドアを開けた理由は
    自分の営業のためではない。
     数日前、休みがちのミケを心配する常連客から近くに美人ママが一人でやっているバーができた、このままではそこに客が流れると、半ば脅しのように忠告されていた。
     そのため、ミケはどんな店か気になり、『ザカリアス』の営業前に行くことにする――

    「ここか…」

     そこはミケが住む地域の隣のエリアにある飲み屋街の、さらに端っこにある小さなバーだった。
     『ザカリアス』から徒歩で移動が出来る距離のため、『美人ママ』のためだったら、
    客が流れるかもしれない、ミケはそう感じるとさらに興味がそそられた。
     その小さなバーのドアは木製で、斜め上から薄紫のライトが照らされ、
    ドアに掲げられた名前が浮かび上がる。
     『シャトー ウトガルド』――それがバーの名前た。
  290. 321 : : 2014/03/20(木) 11:17:45
     木製のドアを開けると、本当に小さなバーだという印象を受ける。
    カウンター席しかなく、恐らく常連客しか受け入れられないような
    店内を見渡しカウンターの内側に立つママの顔を見上げる――

    「…いらっしゃーい…? あら、懐かしい!」

     ママがミケの顔を見た瞬間、始めは新規客と思い、緊張の面持ちを浮かべるが、
    懐かしい顔だとわかると、つぼみから一輪の花が咲いたようにパッと明るくなった。

    「あぁ…確か…えっと…」

    「もう、忘れちゃったの? 私はナナバよ!」

    「…そうだ、ナナバだった――」

     ミケが『ザカリアス』を営業する前、どういう店にするか、
    研究するため、『飲み屋巡り』をしていたことがあった。
    そのとき常連になったバーに勤めていたのがナナバだった。
     ナナバは同棲している彼と二人でバーを経営していたが、
    ミケが遊びに来ると、熱心に定番になる酒のことや接客、そして店の雰囲気などを
    教えていた。
     彼女はミケより数歳年下、目鼻立ちがハッキリした美しい顔の長身で
    金髪のショートヘアである。癖っ毛のためショートにしているが、
    それはお気に入りで耳に髪をかけるのも同時に癖でもある。
     そしてこの時は自分で買ったというダイヤのフックピアスが耳元で輝いていた。
  291. 322 : : 2014/03/20(木) 11:18:26
    「何年ぶりかしら…?」

    「――俺が自分の店を出した時以来だから、だいぶ前だな」

     カウンター席についたミケはナナバにウィスキーのロックを作ってもらう。
    そしてグラスを口元に寄せ、懐かしい味と言うとナナバの笑いを誘った。

    「――懐かしいって、よくあるお酒でしょ?」  

    「まぁ、そりゃそうだが、あの頃に戻った気分だが…そういえば、あの時の
    同棲相手もここに?」

    「あぁ…彼とはあの後、結婚したけど…別れちゃった。今はバツ1よ」

    「ほう…色々あったんだな」

    「――そうね、色々あったわね、元旦那のゲルガーとは」 

     かつてナナバはゲルガーと二人でバーを経営していたが、彼が何度も
    店の酒に手を出してしまうことに嫌気が差して、三行半を突きつけていた。
     たまにゲルガーもナナバに会いに飲みに来るが、客が増えると追い返すという。

    「だけど、ミケもあれから自分の店を何年も営業してるって、やるじゃない」

     二人は久しぶりの再会で、懐かしい昔話に笑みを交え、
    ミケは徒歩で移動してきた影響もあり、喉の渇きも重なると
    すでにウィスキーを数杯飲み干していた。
     ナナバは落ち着いた大人の女性で、ミケが出会った頃より
    年齢を重ねても魅力が増して、さらに惹き付けられるような雰囲気を醸し出す。
     彼女を目の前にするミケはイブキともまだ違う魅力がある女性との
    再会に鼻で笑った。しかし、細める眼差しには影をさす。

  292. 323 : : 2014/03/20(木) 11:19:02
    「もう…久しぶりの再会なのに、どうしたの? そんな浮かない顔して…?」

    「いや、何でも…懐かしい話も出来て、楽しんでいるよ――」

     ミケの言葉とは裏腹に肩を落とす姿をナナバは見逃さなかった。

    「何かあったの…?」

    「ホントに何でもないよ」

    「そう…? なんだか私が好きだったミケに比べたら影がある雰囲気になったってこと?」

    「――えっ! 何言っているんだよ! ナナバ」

     ナナバは一緒に飲んでいるアルコールの影響ではなく、頬を赤らめ
    ミケを見たかと思うと、すぐに視線を落とした。
     かつて、ナナバの店にミケが『研究』に来ていた頃、夢に挑む姿が誇らしげで
    頼もしく、もしゲルガーと同棲していなければ、私も一緒に店を手伝いたかったと
    思わぬ告白をされると、ミケは顔を赤らめていた。

    「ホント…あの時、なんで男なんかと一緒に住んでいたんだろ…」

     遠くを見るような眼差しのナナバが耳に髪をかける仕草をすると、
    色白の首筋が桃色に染まり、ミケは予想外に心臓が跳ねる感覚がすると、
    視線を合わせることができなかった。
  293. 324 : : 2014/03/20(木) 11:19:32
    「ミケ、何があったの? 話してみてよ――」

     ブルーの瞳を細めると、ミケは吸い込まれるような感覚になり、ため息をつく。
     『失恋』した話をミケが淡々と話すと、受け答えをするナナバは優しい眼差しを
    していたはずなのに、イブキへの怒りの影響か少しずつ目つきがキツくなっていくと
    頬も強張らせてゆく。

    「――どうして、彼女は…あなたを選ばなかったの?」

    「さぁ…俺は何ともいえない…」

     ナナバは早口でまくし立てるようにミケに問うも彼はため息混じりで答えるだけだった。

    「あなたのような優しくて逞しい人、少なくとも私は他に知らないわ、ホントにどうしてよ」

    「いやぁ…誰が選ばれてもおかしくなかっただろう。
    それにこの気持ちをヤツには味あわせたくなかった――」

     自分の大事な人と結ばれなかったにも関わらず、エルヴィンに気遣うにミケに
    ナナバの怒りの矛先がイブキからミケに変わってゆく。

    「――ミケ…あなた、お人好し過ぎる…だから今まで独身だったんでしょうね」

    「だろうな――」

     冷静にミケの性格を分析して、現実を突きつけるナナバの怒りは彼の
    『お人好し』な部分だけでなく、かつて好きだったミケが幸せでないことも含んだ。
     ミケはナナバの言うことに自分でも思いあたる節があり、
    そして久しぶりに話すにも関わらず、性格を知られていることに気恥ずかしく、
    言葉数が少なくなった――
  294. 325 : : 2014/03/20(木) 11:20:37
    「――遠い世界で出会ったかもしれない感覚って…あるかもね。
    不思議よね、これって…元旦那のゲルガーも、確かにそんな感じしたし、
    初めて会ったときにこの人と結婚するかもって思ったのよ。それでも離婚した…」

    「…ほう」

    「縁があって、出会ってもそれをどう生かすかってのは、
    今を生きる自分の行動次第じゃない…? あなただって、気兼ねせずに
    彼女を積極的に口説いていたら、どうなっていたかわからないじゃない…?」

     語気を強めた口調で言い切るナナバが頼もしく感じる。
    確かに自分次第か、と考えるとミケはグラスを口に寄せるも、途中で止めてしまった。
     
    「もう…ミケ、どうしたのよ? そんなに惚れていたの…?」

    「いや、まぁ…」

    「『人生って…戦うことをやめたとき、初めて敗北する。
    戦い続ける限りはまだ負けていない…』だっけ?」

     急に話の流れを変えるナナバに対してミケはキョトンとした
    眼差しを向けたかと思うと、彼女はそのまま話し続ける。

    「あなたが昔、私にくれた言葉よ。とても力強くて、孤高な感じがするけど、
    ホント、素敵な横顔で言っていたのよ…
    この言葉をもらった瞬間、あなたに惚れちゃったかも――」

     頬を赤らめながらも、堂々とミケに自分の気持ちを告げるナナバに
    彼はたじろぐが、悪い気はしなかった。
     鼻を鳴らして笑うそのとき、突然ミケのスマホに通話の着信音が鳴り響く。

    「――あぁ…わかった、すぐ戻る…」

    「どうしたの?」

    「いや、常連客が…店開けろだって」

    「そう、それじゃ、早く戻らなきゃ――」

     ミケがカウンター席から立ち上がり、清算を済ませドア付近まで移動すると
    彼を見送る為、ナナバも隣に立つ。

    「ナナバ、今日はありがとう、いい気分転換になった」

    「あら、そう…? 私はまだあなたと飲み足りないから、今日ここが終わったら
    あなたのところに行こうかしら」

     ミケは『ザカリアス』の場所をナナバに教えそして互いの連絡先を交換すると、
    彼は足早に常連客が待つ自分の場所へ戻っていった。
     久しぶりに会えたミケの背中に笑みを浮かべ見送ると、ナナバは必ずその夜に
    『ザカリアス』へ行こうと決める。
     そのためにはもちろん、元夫のゲルガーが自分の元へ来ないことを願うばかりだった。




  295. 326 : : 2014/03/23(日) 11:26:20
    22)巡りめく…

     ミケ・ザカリアスが自分が経営するショットバー『ザカリアス』の営業前に
    たばこを買う目的でいつも行くスーパーに立ち寄った。
     そこはイブキも買い物に来る場所で、これまでも何度か偶然に会っていた。
    彼女に会いたい気持ちもあれば、会いたくない気持ちもある。そんな複雑な気持ちが
    心中で織り成すと、ミケは足早に立ち去ろうとしていた。
     誰も並んでいないレジへミケが向おうとすると、同じように足早に清算しようとする
    客に対して彼は無意識にその客に列を譲っていた。
     直後、彼は多くの客が列を隣の作るレジに並ぶことになる――

    ・・・まるで、今の俺を表しているようだな…

     ミケは自嘲の笑みを浮かべ、列に並んでいるとイブキのことを考える。

    ・・・二人だけの時間も何度もあったはずだが…エルヴィンに遠慮せず
    口説いていたら、こんな思いは――

    「大男が、そんな寂しい背中させて、どうしたのよ…?」

     背中を丸めレジに並ぶミケに声を掛けたのはナナバだった――
    彼が振り返ると、彼女が抱える買いカゴには惣菜がたくさん詰め込まれていた。

    「あぁ…ナナバか、ここでも買い物するんだな…今から夕食か?」

    「えぇ、夕食よ! 今からあなたの店で一緒に食べようと思って」

     笑みを交えるナナバにミケも呼応しながら彼女が抱えるその買い物カゴを手に取った。

    「――俺はそんなに食べられないが」

     遠慮して列を譲って、別の列に並ぶと再会したばかりの女性と偶然にまた出会う。
    こういうこともあるんだと、ミケは鼻で笑いレジの台に買い物カゴを置いた。
     二人は歩きながら『ザカリアス』へ向うと他愛のない話をしながらミケは
    懐かしい感覚がする。それは何年も前にナナバと会っていた懐かしさだけでなく、
    イブキと同じように別の世界で会っていたような気がしていた。こういう感覚の人が
    やはりいるんだとミケは改めて感じていた。
  296. 327 : : 2014/03/23(日) 11:27:45
    「ナナバ、今日は自分の店の営業はいいのか?」

    「うん、今日は休むことにしたから、いいの」

     ナナバが『ザカリアス』に到着してカウンターに座り
    惣菜を広げると、ミケはカウンターの内側で
    飲み物や皿やフォークを用意していた。
     二人で他愛のない話をしながら、会話が途切れた瞬間、
    ナナバはホッとしたようにミケを見つめる。

    「…今夜は…あなたに会いたかった」

     右手でフォークを握りながら、ミケを見ていた視線を下げると、
    ナナバはほのかに頬を赤らめる。

    「――ほう…そうか」

     冷静に返すが、ドキっとさせられ、目を見開き、焦りを隠すように
    ミケは手に取ったグラスの水を一気に飲み干した。

    「正直なところ、最近忙しかったし、休むタイミングを逃していた…
    その時、ふと会いたくなった…落ち込むあなたを放っておけなかったから――」

     カウンターに座るナナバがミケを見上げると、彼は頬を赤らめるが、すぐに目を逸らす。
     緊張から息を飲むときに鳴らした喉がナナバに聞こえないかミケは焦るが、
    自分の気持ちをストレートにぶつける彼女に戸惑うばかりだった。
     その時、『ザカリアス』のドアが開く。営業開始が間もないはずだが、常連客が多くやってきていた。

    「あれ…? マスター、もう新しい相手がいるんだ? しかもあの美人ママとは!
    さすが、男前だわ」

     傷心のミケを心配してその男性の常連客は営業が始まると同時に友達を連れてやってくるが、
    噂の美人ママの『ナナバ』がカウウンター席に腰掛けるのを見て笑っていた。
     常連客にはミケが失恋で落ち込み、休みがちになっていることは有名で、
    いつも自分たちのため遅くまで営業してくれる彼のため、励ますつもりで大勢でやってきていた。
     カウンター席だけでなく、数少ないテーブル席まで一気に客が座ると、ナナバも席を立ち、
    私も手伝うと言いながら、カウンター上の食べかけの惣菜を手早く片付けミケの隣に立つ。
     二人で忙しい『ザカリアス』を切り盛りしていると、初めてとは思えないくらい
    息が合っていた。常連客たちからは前々からナナバを狙っていたんじゃないかと
    茶化されると、ミケは照れ笑いするしかなかった。
  297. 328 : : 2014/03/23(日) 11:28:48
     深夜過ぎ、ふとミケはその時間がイブキが一人でやって来ていたことを思い出す。
     すでにミケにとっては習慣になっていて、彼女はもう来ないとわかっていながら、
    壁掛け時計の時間を見てしまう自分に対してため息をついた。

    「――どうしたの? ため息なんかついて?」

     ナナバはミケのため息つく姿をカウンターを拭きながら見つめる。
    ため息の理由は知る由もないが、ミケと一緒に過ごせたことは
    多忙でも楽しく感じていた。
     その時、『ザカリアス』のドアがゆっくり開かれると、女性客が一人、入ってきた。
    ――イブキだった。彼女はエルヴィン・スミスを選んだことを改めてミケに話し、
    想いに区切りをつける建前できたつもりだったが、実際はただミケに会いたいだけだった。
     本当はミケの方により惹かれている。しかし、エルヴィンを選んだのは
    車に危うく跳ねられそうになったとき、自分をなげうってまで守ってくれた彼を
    大切にして気持ちに寄り添いたかった。そして、手を握っているとエルヴィンにも
    不思議な引き寄せられるような縁を強く感じていた。

    「イブキ…」
     
     ミケがカウンター越しにイブキを見つめる眼差しは物悲しさが宿る。
    その顔を見たイブキは何も言えずただ立ち尽くしていた。
     ナナバがカウンターの内側に入りミケのそばに立っても彼女は誰と、
    イブキは聞けなかった。
     ただ自分が『ザカリアス』に来なくなって何かが変わっていることを聞きたくても、
    彼を目の前にすると頭が真っ白になりミケを見つめるだけだった。
     ナナバは二人が何も発することはないが、ミケの居た堪れない表情から、
    目の前に現れた女性がミケを傷つけた相手だと気づく。
  298. 329 : : 2014/03/23(日) 11:30:21
    「――あなたね、ミケを振ったのは!」

    「そんなつもりじゃ――」

    「それじゃ、どんなつもりなのよ…?」

     ナナバはイブキに鋭い眼差しを送り敵意むき出して話し出す。
    否定しても、反論が出来なくてイブキはうつむくだけだった。

    「ナナバ、いい加減にしろ――」

     ミケに静止されてもナナバはイブキへの眼差しは鋭く、そのまま言い放つ。

    「あなたが、エルヴィンさんって人を選んでくれたから、私はミケと再会できたのよ」

    「えっ…」

     その力強く早口のナナバの声でめまいを起こしたようにふらつくと
    イブキの頭はさらに真っ白になり、何も考えられなくなる。

    「――嫌味じゃなく、あなたにありがとうって言いたいわ。すべてはタイミング、
    巡り時期がくるのよ。そしてあなたもそれに気づくときがくる…
    それに…あなたにミケを渡さない…!」

     ナナバが滑舌がよく快活な口調でイブキに言葉を放ちながら
    ミケを見上げたかと思うと再びイブキを睨む。
     まるで、帰れと言っているようにも見える――

    「ミケさん、そうなの…? 私は…」

     『――本当はあなたが好き』と言いたがったが、新しい出会いの相手であろう、
    ナナバを目の前にするとその先の言葉を飲み込んだ。
     遅すぎると気づいてもどうにもならない、後悔しても始まらない。
    イブキは涙をこらえて、イミケを見つめるしかなかった。

    「…彼女はその…? まぁ…私はもう帰るね」

     イブキはミケに視線を送りながら、後ろ手にドアを開けるとうつむき、そのまま
    『ザカリアス』から出て行った。奥歯を食いしばりイブキは地下から地上へ繋がる
    階段を揺れるように上っていると途中でしゃがみこんだ。
  299. 330 : : 2014/03/23(日) 11:31:26
    「ホント遅いよね…どんなに後悔しても――」

     その時、イブキの脳裏に彼女がエルヴィンを選んだときのとても嬉しそうな
    笑顔が思い出された。

    「…あ、私は…エルヴィンさんの気持ちを裏切ることになるよね、
    一人でここに来ちゃったら――」

     コンクリートの階段に手を付くと冷たさが手のひらに伝わる。その冷たさを
    感じながらも、そのままイブキは階段を見つめていた。

    「――これでいい、このままで…ミケさんの新しい恋を祝うことが
    今の私に出来ること…そうよ、きっとそれで…」

     冷たくなった手のひらを自分の胸を押えると、息が出来ない程の苦しみに襲われる。
    何度か深呼吸をしていると、今度は胸が押さえつけられる感覚がしていた。
     イブキはこの苦しみは二人に想いを寄せてしまった罰なんだと言い聞かせた。
     ――そして、この階段で数日前にエルヴィンとキスしたことを思い出す。

    「私はエルヴィンさんだけを愛するって誓ったのに…ごめんなさい――」

     自分の胸元のシャツを強く握るとイブキの瞳から大粒の涙が溢れる。
    この涙でミケを忘れられるなら、忘れたい――嗚咽が漏れそうになると、
    口を押さえ、頬を伝う涙をそのままに彼への想いを改めて噛み締めていた。

     イブキが去っていったドアからナナバに視線を移したミケの眼差しは
    まるで憎しみを込めているように鋭かった。

    「――過去を振り返らず前進するときって誰かがビシって言わなきゃいけない…
    私は彼女と初対面だし、互いに知らない…だからその方が情がなく、
    憎まれ役を演じやすいよね…」

     ミケの隣に立ちながらも、視線を合わせずにナナバはうつむいた。
    その声を聞いたミケは彼女の真意にため息をつく。

    「――ナナバ、悪かったな…嫌なことさせて」

     ミケがナナバの肩に軽く触れると、彼女は手を添えながら顔を上げた。

    「『ミケをあななに渡さない』…って言ったのは…本気よ」

     ナナバは頬を赤らめると、再びうつむいた。
    右耳に髪をかけると、ダイヤのピアスが照明に反射して揺れながら光り輝く――
     その光りにミケは笑みを浮かべても、イブキへの想いは変わらないままだった。
  300. 331 : : 2014/03/24(月) 11:42:12
    23)あなただけを

     ある金曜日のカフェ『H&M』のランチタイム。イブキは仕事がひと段落すると
    一人でやってきてはガラスのドアを開けるとため息がもれる。
     ドアの近くに位置するカウンター席にエルヴィン・スミスの姿がそこにないからだ。

    「イブキさん、いらっしゃい…! オーナーは今、他の店に行ってて…」

     イブキの姿を確認したユミルはエルヴィンが経営する他の飲食店でミーティングがあり、
    不在であることを伝え、彼がいつも座るカウンター席へ案内した。
     二人が付き合うことを決めても特にエルヴィンが多忙の為、最初からすれ違いが多い。
    もちろん、その後の関係もキスまで。カウンター席で頬杖をつくイブキを見たハンジ・ゾエが近づく――

    「エルヴィンがいないと、寂しい…?」

    「えっ…まぁ…」

     カウンターの内側からイブキの寂しそうな顔をハンジが眺めると、彼女は照れから
    うつむき加減になり、肩をすぼめた。

    「昔から、あいつは仕事熱心のやり手だから、もしかして、寂しい思いを
    するかもしれないけど、あなたをいつも想っているのは、ここのみんなが
    知っていることよ――」

     ハンジがイブキの気持ちをなだめる様にエルヴィンにどれだけ想われているか
    笑みを交え話すと、さらに彼女を照れさせ耳まで赤くさせていた。その様子を見る
    リヴァイは涼しい顔をするが、口角を上げ笑みを表していた。
     
    「そうだ…! 今日は金曜! 今夜の『FDF』ではさらに仕事熱心のエルヴィンの
    姿が見られると思うよ」

     目を見開くも笑いを堪えるような表情をイブキに注ぐハンジを見たリヴァイは
    舌打ちをすると、二人のそばに近づいた。

    「――いや、あの姿は見ない方が…」

    「えっ、どういうこと…? リヴァイさん?」

     自分の身体をリヴァイに向けると、イブキは疑問から首をかしげる。

    「…まぁ、深夜過ぎに起きる…仕事の一つであるが――」

     金曜日の夜、クラブ『FDF』での恒例行事のようなゲイバーのママの
    イッケイさんとマッコイさんとそしてエルヴィンが踊る姿を思い出すリヴァイは
    意味深な笑みを浮かべる。彼は仕事だから、と念を押すもどうしても
    イブキは気になり、そして好奇心からその夜に『FDF』へ行くことを決意する。
  301. 332 : : 2014/03/24(月) 11:42:58
    「いらっしゃい…イブキさん」

    ・・・まさか、本当に来るとは――

     真夜中のクラブ『FDF』の入り口で客を迎えるユミルがイブキを見ると、
    顔を強張らせた。その時、彼女の耳にはEarth,Wind &FireのSeptenberのイントロが届く。
     顔を強張らせるユミルを見たイブキはますます気になり、
    彼女の表情をよそにそのままフロアに入ると、円を作って踊るグループがいることに
    気づいた。

    ・・・なんだか…このグループは異常に盛り上がっている…?

     円の周辺の客は中心部に向かい盛り上げるように声を掛けていて、
    イブキは客の合間から目を凝らしてその円の中心を見ようとした。

    「エルヴィ~ン! 今日も最高よ~!」

     いつもの金曜の如く、エルヴィンはイッケイさんとマッコイさんにもみくちゃにされ
    踊っている様子が彼女の視界に飛び込んできた。

    ・・・エルヴィンさん…? どうしたの…!?

     初めて目の当たりにしたイブキは驚くも、エルヴィンが楽しそうで嫌がる表情は
    浮かべない為、リヴァイが仕事だからと言っていたことを思い出していた。

    ・・・ホントに仕事…? まさか『そっちの気』があるわけでもないか…
     
     第一印象でイッケイさんとマッコイさんの正体が知られると、イブキはその二人とも
    楽しげに分け隔てなく、接するエルヴィンがだんだんと微笑ましく感じると、
    遠巻きながら、目じりを下げ見つめていた。

    ・・・なんでも、一生懸命な人…えっ――

     客と客の合間から離れて見ていたはずなのにイブキがエルヴィンと一瞬だけ
    目が合った気がすると、驚き声を出す。それと同時にエルヴィンの手が伸びると
    イブキの腕を掴み、客の合間からフロアに流れるように引き寄せられる。
     彼女が気がつくと、エルヴィンの胸の中に抱きしめられていた――

    「エルヴィン…さん?」

     イブキは突然のことで目を白黒させエルヴィンの胸元で名前をつぶやきながら、
    顔を上げると彼の慈しむようなセルリアンブルーの瞳が彼女の視線を捕らえた。
  302. 333 : : 2014/03/24(月) 11:44:07
     再びイブキを強く抱きしめると、エルヴィンは彼女の耳元で

    「あまり…二人の時間が作れなくて、すまない…」

    と、ささやかれたイブキはその優しく甘い声に胸の鼓動が激しくなることに気づく。
     再びイブキが顔を上げると、酔っている様子ではあるが、彼は真っ直ぐな眼差しを注ぎ続けた。

    「私は、大丈夫…でも、少し寂しいかな」

    「ホントにすまない…」

    「だけど…仕事中に私を抱きしめていいの…?」

     イブキがイタズラっぽく笑みを浮かべ首をかしげると、エルヴィンは
    彼女の頬に手を添えた。

    「――今夜だけは…」

     エルヴィンはフロアのライトに照らされながら、イブキに顔を近づけると
    そっと自分の唇を重ねた。イブキの唇にジンのスパイシーな香りが
    広がると彼の優しいキスに愛しむような柔らかい眼差しを返す。

    「きーーーっ! あの女は誰なのよ!? エルヴィンに何を――」

    「ママ…だめよ…」

    「どうしたのよ? マッコイ?」

    「あの二人をよく見てよ…」

     イッケイさんとマッコイさんがキスする二人を唖然として睨んでいると、
    イッケイさんが止めに入ろうとするが、マッコイさんの大きな手が阻止した。
     エルヴィンがイブキの唇から離れると、互いの額をつけながら、愛おしさで
    笑みを浮かべている横顔が伺えた。

    「ママ…あんなにお似合いの二人の間に私たちは入れないわ…」

    「マッコイ…そんな…! 私たちのエルヴィンが…でも、悔しいわ」

     イッケイさんとマッコイさんが化粧崩れを気にせず悔し涙を流しハンカチで
    目元を押えているとSeptenberから次の曲へ変わっていた。
     エルヴィンがイブキをカウンター席に誘導すると、そのまま二人のママの傍に立った。
  303. 334 : : 2014/03/24(月) 11:45:21
    「ママたち…すまない…」

     伏し目がちで、憂いと色気のあるエルヴィンの顔を見たイッケイさんとマッコイさんは
    その表情に頬を赤らめ、彼にときめくことには変わりはなかった。

    「エルヴィン…私たちは…あなたの愛人でもかまわないわ~!」

     二人に羽交い絞めにされ、まるで連れ去られるようにテーブル席につくと、
    相変わらず二人に飲まされるハメになっていた。いつもと違うのは悔しさから、
    あわよくばエルヴィンを持ち帰りたい気持ちから、濃いアルコールを飲まされることになった。

    「もう…エルヴィンさん、大丈夫かな…?」

     イブキはカウンター席で笑っていると、隣にリヴァイが座った。

    「イブキさん、とにかく…オーナーは仕事として割り切っている…
    あの二人は大事な客に間違いないから、身体を張っている…」

    「そうね…そんな感じがする。そうじゃないと、たくさんの常連客を
    作れないかもね…」

     エルヴィンが二人のママたちに戯れられる姿に目を細める。嫌な気持ちには
    ならなかった。ただ、何事にも一生懸命になる人だと改めて気づく。

    「エルヴィンさんって…ホント一生懸命な人…」

    「あぁ…オーナーは…これだと思ったら、すごい熱の入れようだ」

     二人の視線を浴びながら、エルヴィンは二人のママたちにもみくちゃにされようと、
    嫌がることもなく楽しそうにグラスを口に運んでいた。彼にとっては仕事であり、
    すでに慣れているため、酔いつぶれないような飲み方も心得ていた。
     しかし、その日はいつもと違う酒の濃さに二日酔いを覚悟していた――

    ・・・エルヴィンさん…私にも一生懸命な人…あなただけを見つめよう…

     イブキはエルヴィンの笑顔を見ていると、ミケ・ザカリアスに寄せていた想いが
    少しずつ過去になっていくような気がしていた。遠い世界で離れ離れになった
    二人だったが、新しいこの世界で再会しても結局は添え遂げられなかった。
     ――もう、あなただけを…イブキはそっと自分の胸に手を添えると、
    ミケへの想いを心の奥底に沈めふたをすることにした。


  304. 335 : : 2014/03/26(水) 11:25:44
    24)ふたりで(第3章最終話)

     ある夜のクラブ『FDF』でプレイするリヴァイの後姿を見つめるジャン・キリシュタインは
    彼が殺気立っていることに気づく。またこの頃、些細なことにも舌打ちをするため、
    ペトラ・ラルと最近、会っていないかもと勘ぐっていた――
     実際のところ、ペトラは仕事が繁忙期でリヴァイのDJイベントにも休めない程だった。
    連絡はマメにするが、なかなか会えない二人である。

    「おい…ジャン…」

     ブースに身体を向けるリヴァイだがジャンに声を掛ける。何事かと思うジャンは
    緊張で全身を強張らせ、その場で立ち尽くした。

    ・・・掃除は…完璧にしたはずだが…

     息を飲むジャンはリヴァイの二の句を待つ。他に掃除し忘れたところがないか
    ブース内を見渡しても、ジャンは心当たりがなかった。

    「この曲の間、外す…終わる頃には戻るから、ブースを頼む。曲の流れは決めている。リクエストは受け付けるな――」

    「わかりました、リヴァイさん…」

     鋭い眼差しのままリヴァイはジーンズのポケットに手を突っ込みながら、
    ジャンの目の前をゆっくりと通り過ぎた。少なくともジャンの知る限り
    自分のプレイの最中、曲の合間に自らブースを離れることはかつてない。
    一体何があったのかとゴクリと唾を飲むと、リヴァイに言われた通りブースに
    立つことにした。
  305. 336 : : 2014/03/26(水) 11:26:34
     リヴァイが向った先はロッカールームだった。ブースを離れるためにセレクトした1曲はオリジナルよりも長いロングバージョンをわざと選んでいた。
    DJとして初めての経験だが、それはペトラからのメッセージを確かめるためだ。
     ペトラとは最近、なかなか会えないでいるが、多忙から具合が悪いという話を聞いている。
     リヴァイは彼女が何か体調に変化を知らせてないか心配でならなかった――

    「…ペトラ、大丈夫だろうか」

     ため息をつきながら、リヴァイがロッカーから自分のスマホを取り出すと、
    新着のメッセージを知らせる合図が点滅していることに気づく。
     ペトラのメッセージかと思うと手早く操作をして確認することにした――

    『――明日は昼から出勤になったから、今夜久しぶりに泊まりに行くね』

     近況の話の続きが、その夜ペトラが泊まりに来るとわかると、嬉しさで唇の端を
    上げると、鼻を鳴らし笑った。しかし、その直後、体調のことに触れてないことに気づく。
    心配させまいと、伝えてなかったのかと勘ぐると余計にリヴァイはペトラを案じていた。

    「――ジャン、悪かった…」

     リヴァイは自分の言うとおり、その曲が終わる頃に戻ってくると、次の曲をもう一方の
    ターンテーブルにセットする準備を始めていた。

    ・・・さすが、リヴァイさんだ…次に繋ぎやすいタイミングを見計らって戻ってくるとは――

     ブースを改めて仕切るリヴァイがレコードをジャケットから出すと涼しい顔をしているが
    その心はペトラに会いたい気持ちで溢れていた。
     ジャンから憧れの眼差しを注がれても、リヴァイの気持ちはペトラに注がれている。
  306. 337 : : 2014/03/26(水) 11:28:59
    「リヴァイさん…お帰りなさい――」

     深夜過ぎ、ペトラがアパートのドアを開けてリヴァイを迎え入れると、
    まだ顔が青ざめていてリヴァイを心配させた。

    「あぁ…ペトラ、ただいま…」

     顔を見ると息を飲む。リヴァイはドアを閉めペトラの後姿を見ていると、
    あることを想像した――
     そして紅茶を作る為キッチンでお湯を沸かすペトラを見ながらテーブル席に座る。

    ・・・まさか、完璧のはずだが…でも、どうして俺に言わないんだ――

     紅茶が出来て、ペトラがリヴァイに差し出すと、彼女自身もテーブルに座り
    そして両手で温めるようにカップを包み込むと、一口喉に通す。温まりホッする
    表情を浮かべるも、青ざめる目元は変わらなかった。二人は他愛のない話をするが
    リヴァイの鋭い眼差がペトラの顔を眺めるが、彼女はすでに慣れていて、
    その表情さえも心地よく感じている。
     リヴァイがカップをテーブルに置くと、喉が潤ったことを感じては
    意を決したように話し出す――

    「…ペトラ、病院に行こう…」

    「…んっ?」

    「この具合の悪さが続いているのは…妊娠したんじゃないか…?」

    「ええっ!?」

     リヴァイは避妊は完璧にしているつもりだったが、ペトラが妊娠の影響で
    具合の悪さが続いているのかと想像していた。
     そして大事なことなのにどうして、自分に打ち明けてくれないのかと思っていた。
    リヴァイは息を飲むが鋭い眼差しにペトラは頬を赤らめうつむき加減になる――
  307. 338 : : 2014/03/26(水) 11:30:09
    「…あの、リヴァイさん…違う…妊娠は…してないよ――」

    「えっ…」

     リヴァイは覚悟してしていたが、想像が外れるも目を見開いた。
    具合の悪さが続く理由が他にあるのかと思うと、さらに息を飲む。

    「実は…仕事が忙しくなって…疲れから具合が悪くなって、その影響で
    『女の子の日』がキツくなってしまって…悪循環みたいになったの。
    それって、妊娠したときみたいに、気持ち悪くなったりめまいがしたりとか…
    そんな症状が出るんだ…」

    「ほう…そうか」

    「ホント、大丈夫だから」

    「それでも病院に行った方がいいんじゃないのか? 俺が付き添うから――」

    「えっ…」

     ペトラは頬を赤らめながら、自分の具合の悪さや月経困難の症状を話すと
    リヴァイは肘をテーブルに付き冷静な眼差しを捧げるが、
    それは彼なりの心配する眼差しでもあった。

    「リヴァイさん、ホント大丈夫だから…仕事の繁忙期はもう終わるし…
    それで、今日はやっと時間に余裕が出来たから会いにきたんだ…」

     その声を聞いたリヴァイは安堵から眼差しが和らいでゆく。
    ペトラはその変化を見つめると、
    心配される幸せもあるんだと感じると、口角が緩んだ。

    「でも…心配していたんだ…ごめんね、なんだか」

    「あぁ、まぁ…」
  308. 339 : : 2014/03/26(水) 11:30:53
     ペトラから目を逸らしカップを口元に寄せようとすると、すでに空になっていることに気づく。
     ペトラが改めてカップに注ぐ姿を見ると、リヴァイはより大切にしなければと誓っていた。

    「そうだ、来週くらいから、やっと仕事も落ち着くし、また平日はここに来れるよ」

    「ほう…そうか…日曜日はどうだ?」

    「そうね…」

     ペトラは自分の定休日である日曜も仕事が続いていて、バックから手帳を取り出し
    予定を確認するとその日から近い日曜が休みだとわかった。

    「じゃ…その日曜日、一緒に出かけよう…」

    「えっ! ホント!?」

     そんなに大げさに驚くな、と言いながら柔らかい眼差しでペトラの顔を眺めると、
    目じりを下げ、どこに行こうかと一人で騒いでいる彼女を見つめ続けた。
    まだ目元は青ざめるが、嬉しそうな表情が隠してくれるようで、リヴァイの心配は完全に
    払拭されたわけではない。ただ自分を癒して、なくてはならない存在のペトラを
    大切にしたい、その気持ちが強いだけだった。
     日曜日の朝、ペトラとリヴァイは最寄駅で待ち合わせをしていると、
    相変わらずペトラが先に到着してる。リヴァイが遅れていることはないが、ペトラは
    リヴァイの朝が不機嫌でも、自分を優しく見つめる姿を見たくて、いつも早目に到着している――

    「ペトラ…なんだ、その荷物は…?」

    「まぁ…いいじゃない!」
  309. 340 : : 2014/03/26(水) 11:31:49
     その日のペトラはバッグを二つ持参して、一つはショッピングバッグだった。
    中にはその日のペトラ手作りのランチが詰まっていた。
     二人が向う先はあの植物園だった。リヴァイがその場所を決めたとき、ペトラは
    とても嬉しそうで、また手作りのサンドイッチを作ると張り切る表情を見ると
    これが幸せなのかと、感じていた。
     リヴァイがショッピングバッグを手に取り改札に向う。
    彼女の青ざめていた表情は消え、いつもの愛らしいペトラに戻り彼は安堵する。
     植物園に向う二人は自分たちが住む地域との環境の違いからすこし寒く感じる。
    リヴァイはペトラの体調を気にするが、大丈夫、と言う彼女の笑顔を見つめる。
    今度は風邪に注意するように、と言うとペトラはリヴァイの腕に抱きついた。

    「――こうしていると、暖かいし風邪は引かないよね」

    「あぁ…そうだな」

     リヴァイは以前、人前で女性に抱きつかれたりする行為を不快に感じていた。
    だが、ペトラと付き合うようになって、普通で当たり前の行動に変わっていた。
     二人が最初に来た時と同じベンチに座る頃、ちょうど、昼時になっていた。
     ペトラが手作りのサンドイッチを振舞うと、リヴァイは口角を上げ、
    悪くないと言いながら、いくつもの種類を口に運んでいると、
    ポテトサラダにも手を伸ばそうとした。

    「そうだ、これね…ハンジさんから習ったサラダだけど、どうにか同じような味になったよ」

    「ほう…」

     ハンジ・ゾエが料理教室を開催したときペトラも参加していた。元々料理好きのペトラは
    ハンジのレシピ通りの作り方を繰り返していると、味に自信が出てきて
    その日にリヴァイに食べさせることにしていた。

    「――ハンジさんより…おいしいが…」

    「もう、リヴァイさんったら!」

     口角に笑みを残すリヴァイは正直な気持ちで話す。ペトラは照れながら目をそらし、
    温かい紅茶をカップに注いだ。

    「やばい…眠い…」

     リヴァイはベンチに背中を預け、両肘を背もたれに置くと、眠気と格闘していた。
    ペトラがそっと肩に手を伸ばすと、自然に彼女に寄りかかる。
     再び、リヴァイはペトラの膝枕で寝ることになった。最近の疲れとペトラの
    笑顔を見られたことの安堵感から睡魔に襲われ瞬殺されてしまった。

    ・・・リヴァイさん…疲れていたんだね…

     ペトラの視線の先には芝生の広場で父と息子であろう親子がキャッチボールをしている。
    父が投げるボールが、まだ幼い息子の頭上を通り過ぎ、見失うと
    ボールはどこだ、と言いたげにキョロキョロと周りを見渡している。
     その光景でペトラは幸福感に包まれると、リヴァイに視線を落とす。
  310. 341 : : 2014/03/26(水) 11:33:04
    「う…ん…」

     心地よいペトラの膝上で熟睡しきっている。その様子が微笑ましくペトラは
    起こさないようにそっとリヴァイの髪を整えた。

    「ペトラ…ペト…」

    ・・・もう、リヴァイさん、寝言…?

     寝言で自分の名前を言う姿に、愛おしさで抱きしめてくなるが、
    堪えて指先でリヴァイの頬をなでる――

    「…ペトラ、結婚しよ…」

    「えっ…」

     突然のことで、ペトラは指先が止まるが嬉しさで大粒の涙が頬を伝い、
    リヴァイの頬に落とされた。
     その涙の雫がリヴァイの目覚まし代わりとなって、起こしてしまう。

    「…ペトラ…どうした…?」

    「ううん、何でもないよ…」

     まだ目の前がぼやけるリヴァイは目頭を指先で押えると、ペトラは笑みを浮かべ
    目じりの涙を指先で拭う。

    「何だか…夢を見ていたんだが…」

    「どんな夢…?」

    「そりゃ…言えねーな…」

     いつもの冷たい口調で言うも、リヴァイの目は和らいでいた。
    リヴァイが足を組み座りなおすと、両手はポケットに手を突っ込んでいた。
    その時のペトラはリヴァイが起きたことで、帰る準備のため荷物をまとめている。

    「あぁ、そうだ…ペトラ…」

    「何?」

     準備をしている手を止めるペトラがリヴァイに身体を向けると、その左手をつかまれた。
    リヴァイがおもむろに自分のポケットから何かを取り出す様子だが突然のことで
    ペトラは、あっ気に取られていた。

    「これを渡す予定だった…」

     リヴァイがポケットから取り出したのは小さなダイヤが飾られた指輪で、
    ペトラの小さな左の手の、薬指にはめると、口角を上げ笑みを浮かべる。

    「…ペトラ、結婚しよう…」

    「うん…!」

     満面の笑みで返すとペトラは左手の薬指の指輪を見つめたかと思うと、
    再び大粒の涙が頬を伝った。

    「…思ったより…すんなり言えたな…」

    「――だって、練習したでしょ?」

    「何のことだ…?」

     リヴァイは不機嫌に返事するが、ペトラはそのままリヴァイの腕に抱きついた。
    彼女の髪を撫で、柔らかい眼差しの先にはあの親子が相変わらずキャッチボールをしている。
     父親が投げるボールが大きな虹のようなゆったりとした放物線を描くと、
    息子は見事、ボールをグローブに収めることが出来た。初めてのことなのか、
    きゃっきゃと、はしゃぐ息子は父の前に駆け寄ると、その様子を芝生に座りながら、
    見守っていた母親らしき女性はもろ手を上げて喜んでいた。
     その親子を眺めるリヴァイは、こういう人生も悪くない、と唇の端を上げる笑みには
    幸福感が宿っていた。
  311. 342 : : 2014/03/26(水) 11:33:43
    ★あとがき★

    実は第3章で終わらせる予定でしたが、まだまだ登場させていない
    キャラクターがいることに気づくと、しばらくこのシリーズを続けることにしました。
    その一人はナナバでもありますが、私の中では大人の女性で、強気で寂しがり屋の
    イメージで書いていきたいと思います。
    またイブキが選んだのはエルヴィンでしたが、前世で結ばれなかったからと
    生まれ変わって出会っても、結ばれるかどうかは、今を生きる自分次第なのでは
    ないでしょうか(持論)
    しかし、ミケの想いは強い…ことは確かです。
    リヴァイのプロポーズはありきたりの日常の中で、ということを決めていました。
    幸せしかない二人ですが、第4章ではどうなっていくのでしょうか。
    誤字脱字、そしてわかりやすい文章を心がけていますが、何度もチェックしても
    それは多々あり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
    第4章、そして短編を綴りにあたり、今月末まで文章力を高める修行とネタ集めに
    努めたいと思います。
    もちろん、ツイッターでは色々つぶやいていきます(エルヴィンネタが多いですが)
    4月以降も皆様、これからも引き続きよろしくお願い致します。

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著者情報
lamaku_pele

女上アサヒ

@lamaku_pele

この作品はシリーズ作品です

クラブ『FDF』(自由の翼) シリーズ

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