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バカみたいな夢

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  1. 1 : : 2017/08/24(木) 20:25:53
    どうでもいいssです。自己満足のエゴです。三回も失敗してやっと投稿できた超大作です
  2. 2 : : 2017/08/24(木) 20:48:00
    私の父は、娘の私が言うのもなんだけれど、とても酷い人だと思います。ううん、『ろくでなし』と言った方が正しいのかもしれません。小さい頃私は、父が大好きでした。公園まで手を握り、連れていってくれる、大きな手。歩調をゆっくりにしても歩幅が大きいから歩くのが早くて、手を握っていないと、父の背中がただただ、遠ざかっていきます。そんな父の背中も、全部、好きでした。

    けれど、大きくなると、彼は仕事であまり家に帰らなくなり、私はたまに帰ってきては小言を言う父がいつの間にか、嫌いになっていました。けれど、そんな彼も、絶対に年末年始は一緒に母がたの祖父母の家に行き、酒を呑み、テレビを観て、私達と一緒にいてくれました。

    小学五年生の時、暑い、暑い八月。父は、一ヶ月間帰ってきませんでした。一ヶ月も家を空けるのは初めてで、家族みんなが戸惑いました。警察にも連絡しようとしたところ、父から電話がかかってきました。


    「出張で、しばらく帰れないかもしれない。」


    私は、少し嬉しかったのかもしれません。父が嫌いで、お母さんっ子な私は、母を独り占めできることが、少し、嬉しかった。だけれど母は、自分たち兄妹に構うどころか、二ヶ月、三ヶ月と帰ってこない父を心配するのみでした。いつ頃帰ってこれるのですか、と母が一度会社に電話したことがあります。そして、会社での父の上司は言いました。


    「出張になんて、彼は行ってないですよ」


    そう、父は嘘をついていたのです。ろくでなしの、父でした。何をしているのだ、どこにいるの、と母は時折聞いていたのだと思います。ですが、仕事の内容まで詳しく教えてくれた父を私たちは、母は、疑ってなど、いませんでした。母は、上司に電話をかけた日、私の兄に父がたの祖母に電話をさせました。おばあちゃん、父さんになんとか言ってやってくれませんか、と、兄は言いました。母は、その時涙で顔がぐちゃぐちゃで、声もかすれていて、とても電話などかけられない状態だったのです。祖母は言いました。


    「あなたの家の問題でしょう。あの子が帰らないのも、あなたのお母さんのせいじゃあないのかしら。息子にこんなこと言わせるなんて、ひどい母親ね」


    その年の年末、いつもは私たちと一緒に母がたの祖父母の家に泊まりに行くはずの両親は、今年、家で少し話してから行く、と家に残りました。母が来たのは一月一日。年が明けてからでした。父は、来ませんでした。

    母は、祖父母の家につくと、私たちの頭を撫で、親戚の子にお年玉を渡し、祖母のいる台所へと、行きました。私は、飲み物をもらおうと、台所へ行きました。母の泣き声が聞こえて、私は、父と何かあったのだろうな、と考えました。私は、それ以来、父を嫌いという感情どころか、よく分からなくなってしまいました。
  3. 3 : : 2017/08/24(木) 21:02:44
    兄が一度、日付を超えても帰って来ない日がありました。母は、帰ってきた兄を抱きしめ、心配したよ、と情けない声を出していました。兄が帰ってこなかった日の夜、父は帰ってきていました。父は、兄が部屋に戻ったのをいいことに、部屋まで入って兄を殴りました。母も兄も、何もいいませんでした。母はわからないけれど、きっと兄と私の考えていたことは、一緒だったと思います。


    急に帰ってきて父親ヅラしてんじゃねーよ。


    父は、二週間に一回しか帰らなくなりました。私は、そんな二週間に一回が嫌いでした。父と一緒に夕飯を食べるのも、一緒にいることも、苦痛でした。嫌で嫌で、仕方なくて、わざと早く食べたり遅く食べたり、夕飯を食べなかったりしました。

    小学校六年生の夏休み。父は、高熱でうなされていました。正直父などどうでよかった私は、さほど心配もしていませんでした。どうせすぐ治るだろうと思っていました。一週間、治らない。二週間、悪化。三週間目、ついに近所の耳鼻科ではなく、大きな病院に父を母が連れていきました。ですが、理由はわからないと言われました。母は父を、国内でもかなり有名な病院に連れていきました。


    肺癌、でした。


    ステージ4、と言われました。


    寿命は、一年だそうです。


    父が入院した夜、母は、泣きました。私は、父が死ぬと聞いて、ああ、死ぬんだなあ、とぼんやりと思いました。子供だから理解できないのかもしれないわね、と母は笑ったけれど、単純に関心も愛情も何も残ってないからだと、私は思います。
  4. 4 : : 2017/08/24(木) 21:13:48
    その年の年末年始は、彼を一人病院において、母がたの祖父母の家に行きました。父のとなりには、従姉妹である大学生の女の子がいたそうです。その子が娘だったら、父も幸せだったんだろうな、と思いました。

    二月に、父の友達に写真を撮ってもらいました。プロのカメラマンだそうです。大掛かりなスタジオで無料で写真を撮ってくれました。父と母と兄と妹と、カメラ目線で笑顔を作りました。そのスタジオには、父の友達と、その奥さんと、小さな息子さんがいました。幸せそうな家庭だなあ、となんとなく、思いました。

    小学校の卒業式、父は、大好きなカメラを首からぶら下げ、最前列に座っていました。どうせ、母に無理矢理連れてこられたのだろうな、と将来の夢を語り、花道を歩いて行きました。私は、一度もカメラに目をやりませんでした。『卒業式』と書かれた看板の前で、母と父と、一人ずつと写真を撮りました。きっと、父との写真の顔は、ぎこちなかったと思います。

    春休みに、父と妹が花見に行くと聞きました。私も友達と同じ日に同じ場所に花見に行く予定でした。私は、絶対に目が合っても話しかけないで、と念入りに言いました。父と妹が私を見つけたから知らないけど、私は、二人を見ることはありませんでした。

    春休みに、何故か同じ日に同じ場所に行く回数が多くて、その度に私は話しかけないで、と言いました。
  5. 5 : : 2017/08/24(木) 21:27:25
    中一の五月に、父の余命が二週間と、医師から個室で告げられました。私は、いよいよ迫ってきたなあ、と思いました。母と妹は泣いていて、私と兄は、病室で話す母と妹をよそに、二人で休憩スペースに行きました。しばらくりんごジュースを飲んでいて、ストローがじゅここ、と音を鳴らし、りんごジュースを飲み干したことを告げた時、兄が口を開きました。


    「お前さ、どう思った?」


    「…どうって?」


    「父さん死ぬって聞いて。」


    「…別に、どうも。」


    「何それ、別にって。」


    「…どうも、…なんとも、思わなかったよ。あー、死ぬんだなあ、ってくらい」


    私がそう言うと、兄は、私と兄の分のりんごジュースのパックを手に取り、ゴミ箱に捨てるために席を立ちました。そして、兄は、席に戻ってきても、何も、言わなかった。私は、もう会話をする気はないのか、と思い、携帯をいじり出しました。五分ほどたったところで、俺も、と小さくつぶやく兄の声が聞こえたけれど、聞こえないふりをして、携帯のブルーライトをぼんやりと見つめました。
  6. 6 : : 2017/08/24(木) 21:39:21
    父が死ぬなら平日がいいなあ、学校も休めるし、葬式とかもあるからまた学校休めるし、平日がいいなあ、と、罰当たりなことを考えるくらい、私は父を嫌っていました。ひどい娘、親不孝ものだ。───はい、自分でもそう思います。

    残り二週間と告げられた週の土曜日、妹の運動会でした。妹とは既に学校に行ったあとで、私は部活に行こうと玄関で靴を履いていました。が、その時、電話がかかってきて、私は、こう思いました。なんだか、嫌な予感がする、私は、ここにいなくちゃいけない、と。慌ててリビングに戻ると、母が涙を流しながら、嗚咽をこぼしながら受話器を両手で右耳に当てていました。


    「…お父さん、危ないって…、いつ、死んでもおかしくないって…。…ね、お父さんのとこ、行ってあげて?」


    私は、靴を履き、扉をバタン、と荒々しく開き、走り出しました。その日はどうしても先生にお金を渡さなくちゃいけない日で、学校に寄ってから、病院に行く道を選びました。走って走って、走って走って走って走って。坂道も長い道のりも、全力で走って。そんなに一生懸命になっていたのに、泣いては、いなかった。
  7. 7 : : 2017/08/25(金) 16:27:24
    予定の十分前に学校についてしまい、勿論そこには誰一人部員は来ていませんでした。私は近辺をさまよい、やっとの思いで見つけた先輩たちに、お金を託しました。私はまた、走り出します。ですが、私はろくに学校から見舞いに行ってなかったので、学校から病院までの道のりがわかりませんでした。辺りを見回すと、少し遅れてきた先輩グループを見つけ、私は、その先輩たちに病院まで案内してくれ、と頼みました。ですが、もちろん理由を聞かれます。


    「どうして?」


    そうだ、隠せと母は、言ったけれど、こうなってしまって話さなければ不自然だ。そう思い、私は、誰にも言うまいとしてきた病気のことを話します。


    「…お父さんが、…病気っ…で、っう、く、ひっく、ふ、ぇあ…」


    たまらず泣きだしてしまいました。走っても走っても、涙の一滴も出てこなかったのに、先輩たちに話すだけで、涙がこぼれ落ちました。困惑した先輩たちでしたが、事情を察したのか、頭を優しく撫で、私の手を引き、ついておいで、と病院まで案内してくれました。


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