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このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。

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勇者と魔王の物語、或いは。

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  1. 1 : : 2017/08/23(水) 20:42:54



    かなり長いので、読む際はご注意のほどをお願い致します。
  2. 2 : : 2017/08/23(水) 20:48:08

    その日。

    彼らは魔王城の郊外にある荒れ地で、通算43回目となる決戦を行なっていた。

    「行け、氷の蛇よ! 奴の喉元に食らいつけ!」

    漆黒のローブに身を包んだ銀髪の少女……当代の魔王リエルネが、手に持った杖を一振りして叫ぶ。すると瞬時に、彼女の眼前の空間に巨大な氷の蛇が形成される。蛇は氷の声帯を震わせて短く叫ぶと、一直線に目の前の青年目掛けて食らいついた。そのサイズ差は圧倒的で、彼など軽く一飲みされてしまいそうだ。

    「なにが喉元だ、明らかに丸呑みされそうなサイズなんだが!?」

    白銅の鎧に身を包んだ金髪の青年……当代の勇者であるアイルは叫ぶと、大蛇の突進を横に跳んで躱す。そのまま着地の勢いを殺さずに振り向くと、獲物を見失った大蛇も急旋回して再び彼の方へ向かおうとしている所だった。が、勢い付いている上に長大な蛇の身体は、思うようには曲がることが出来ない。蛇の膂力と慣性がぶつかり合い、一瞬だけ動きが止まる。その瞬間をアイルは見逃さなかった。彼はたったの一跳びで大蛇との距離を詰めると、大上段に構えた剣を全力で振り下ろす。これまた、たったの一振りで大蛇の頭は綺麗に両断された。

    完全に人間離れした芸当の数々に、しかしリエルネはさして驚くこともない。目の前の人間が人間を辞めていることなどとうの昔に知っている。そりゃあ最初は驚いたし、正直ドン引きしたりもしたが……今や42回も刃を交えた相手。その実力を知らぬ方が嘘というものである。

    だから、自分の魔法が破られたことへの驚きや怒りは特にない。それよりも、今リエルネが言いたいのは。


    「ええい、ケチ臭い! 喉元も丸呑みも一緒じゃろう! 要するに貴様は死ぬ!」

    「暴論にも程があるだろ! てめえ人の命を何だと思ってんだ!?」

    「敵の命を尊んで成り立つ闘争があるか! 殺すか殺されるか、在るのはそれだけじゃ!」

    「ただのチンピラと同レベルだぞ、それ! 仮にも魔王様なら矜持の一つくらい持て。奪う命には敬意を払え!」

    「む、むう……それらしいことを言いおって。下手に反論出来ぬではないか……!」


    ぐぬぬ、と悔しそうな顔でアイルを睨み付けるリエルネ。それを気にした様子もなく、アイルは気軽な調子で彼女に尋ねた。

    「で、どうする。まだやるか? 一応始まってから結構な時間は経ってるはずだが」

    「今日はもう良いじゃろ。ネタも尽きたし……というか、この意味不明な茶番もそろそろ用済みだと思うんじゃが」

    「だよなぁ。正直時間の無駄になりつつあるぞコレ……」


    魔族の王である魔王と、人間の象徴である勇者。魔族と人間が戦争を行なっているこの世界においては、彼らは本来ならば決して相入れぬ者同士のはずである。それがこうして殺気立つこともなく、むしろ和やかに会話出来ているのには幾つかの理由があった。

    その理由の最たるものが、2年前に起きた流星群事件である。
  3. 3 : : 2017/08/23(水) 20:50:40


    2年前の流星群事件。今では『平定の流星雨』とも呼ばれているそれは、ちょうど魔王と勇者の1回目の激突の最中に起こった。

    それまで、魔族と人間とは幾度となく領土争いを繰り広げ、そのための戦争を続けてきた。『人の形をした魔物』である魔族と人間は和解することもなく、ただひたすらに互いの勢力を削り合っていた。
    その戦いのピークが訪れたのが2年前。人間側の最終兵器である勇者と、魔族側の最終兵器である魔王がその矛を交えたのだ。この戦いに勝利した陣営が、結果的に戦争でも勝者となる。誰もがそう思っていた。……しかし、現実はそうは行かなかった。

    なんと、何の前触れもなく唐突に、大陸全土に隕石が降り注いだのだ。一つ一つは小さな欠片だったことに加え、人間と魔族の戦争中ということで防衛体制が万全であったことが功を奏し、壊滅的な被害こそ免れたものの……それでも両種族は大きな痛手を被った。各地の復興をするのに精一杯で、これ以上領地を広げている余裕などある筈もない。必然、どちらからともなく停戦の申し入れが行われ、長きに渡って続いていた人間と魔族の戦争は一時中断されることとなったのだ。

    ……しかし、理屈や実益よりも感情を優先させる者たちというのは何処にでもいるもので。魔族憎し、人間憎しで停戦に反対する者は少なからずいた。そういった者たちが目を付けたのが、勇者と魔王という存在である。
    勇者とは言わば戦時中にのみ成り立つ職業であり、彼が復興において果たす役割はさして大きくない。魔王も、基本的にその選定基準は戦時中のみ役立つスキルの高さであり、象徴としての役割を除けば政治において彼女が重宝されることはない。だから停戦反対派の人間や魔族は、こぞって勇者と魔王に取り入った。なまじ地位のある者たちであるから、彼らも無下にすることは出来ない。こうして、停戦中にも関わらず、勇者と魔王だけは敵国に攻め込むことを続ける羽目になったのだ。

    とはいえ、彼らも馬鹿ではなかった。両種族ともにダメージを受けている状況で、互いに国力を削り合うほど無益なことはない。だから彼らは密かに協力関係を構築し、建前上の決戦を何度も繰り返しているのだった。幸いにして彼らの力は常識の範疇を優に超えている。適当に周囲を更地にして適当に激闘感を出しておけば、何とか周りを誤魔化すことは出来た。


    こうして、この非常に無益な争いは2年間も続くことになったのだが……。
  4. 4 : : 2017/08/23(水) 20:54:16


    「いや、正直もうバレてるよなぁ。というかバレてなかったらどんな節穴だって話だよ」


    2年という月日が憎しみの炎を弱めたのか、それとも、魔王と勇者のあまりにも杜撰な計画がバレたのか。多分両者だろう、最近では彼らの争いを本気で求めている者はいないようだった。
    というか、もはや恒例行事だから仕方ないと雑に扱われているような雰囲気さえある。戦闘狂を見るような目で見られるたびに、アイルは部屋にこもって号泣したものだ。


    「そろそろ潮時やもしれんな。この2年間を通じて魔族と人間の関係もかなり良好になってきた。もはや我らの争いを望む者もあるまい」

    「……潮時かぁ」

    「うむ。いっそこれで最後にするか? 43というのもキリの悪い数字ではあるが」


    リエルネは腰元まで伸びた銀髪を掻き上げながら、こともなげにそう言った。
    政治には完全にノータッチのアイルとは違い、彼女には多少なりとも仕事がある。特に何を生むでもないこの時間を、彼女は本気で厭うているのかもしれない。


    「お前は、何というかアッサリしてるよなぁ。割り切りが早いというか」


    対するアイルには、なんだかんだと言いながらもこの習慣を惜しむ気持ちがあった。2年近くも続けて来たことだし、目の前の少女がこの世界で唯一自分と対等に渡り合える力を持った存在であるのもまた事実である。
    孤独とまで言うつもりはないが、彼女と会わなくなれば彼の人生は少しばかりつまらないものになってしまうだろう。


    「ほら、この習慣がなくなれば俺たちはもう会えなくなっちまうんだぜ? 勇者と魔王、一度別れちまえば次に会うのは戦争が再開した時だ。そうなれば、俺らはまた命を奪い合う仲に……」

    「貴様、普通に連絡魔法使えるじゃろが。無職になりたくないからといって適当を抜かすな」

    「痛いっ。いや、まあそうなんだけどさぁ」


    氷のつぶてに横っ面を叩かれ、アイルのノスタルジックな感傷はばっさりと切り捨てられた。彼は不満げな顔でリエルネを見遣る。

    やはり、リエルネに細かい感情の機微は伝わらないらしい。いや、大雑把な性格なのは知ってたけど。アイルは密かに内心で愚痴ってから、くるりと身体を回してリエルネに背を向けた。

    まあ、なんだかんだ言って、リエルネの言葉の方が正論なのだ。この戦いの習慣にはもはや意味がなく、時間が無駄になってしまうだけ。ならばさっさと止めてしまうに越したことはない。自分は暇になってしまうが、それはそれ、適当な仕事でも見つけることにしよう。少なくともリエルネを自分の我が儘に付き合わせるのは筋が違う。アイルは自分の中でそう結論を出した。


    「ん。珍しいな、今日はやけに聞き分けが良いではないか」


    が、そんな彼の背に向けて少し意外そうな、戸惑ったような声が掛けられる。それを聞いてアイルはずっこけそうになった。
    全く、先に潮時だとか言ったのは何処のどいつだと思っているのか。一つ抗議してやるべく、アイルは再び彼女の方へと向き直ろうとして……


    「! リエルネ」



    抗議の言葉の代わりに彼の口から漏れたのは、そんな鋭い呼びかけだった。
  5. 5 : : 2017/08/23(水) 20:59:14



    「魔物の群れだ、こっちに真っ直ぐ向かってきてる。数は……10、いや、20とちょっとか」

    「少し様子がおかしいな。まるで何かから逃げて来ているような……。なんにせよ放置は出来ん。我を失った獣は村を襲う」

    「だよなぁ。仕方ない、取り敢えずここで足を止め……」


    そこまで言いかけて、アイルは口をまごつかせた。初めは小さかった獣たちのシルエットは、瞬く間に巨大になり始めていた。障害物のない荒野だから目測を誤ったのか、その姿はアイルの予想を超えて肥大化し続ける。


    「……ってあれ? ちょっと、なんかデカすぎません……?」

    肥大種(ヒュージスケール)! しかも生半可な奴らじゃないぞ、魔力過剰にも程がある!」


    肥大種。それは、必要以上に魔力を取り込みすぎた存在の総称である。生命力の源である魔力は本来あらゆる存在が持つものであるが、それには限度量というものがある。タンクに水を入れすぎれば溢れるように、取り込まれすぎた魔力は普通ならば体内から放出されるだけで済むのだが、時おりタンクそのものが無理に膨らんでしまうケースが存在する。それが肥大種、身の丈に余る魔力に狂うものである。

    今、彼らの身に迫っているのは風乗狼(ウィンディウルフ)という魔物の肥大種だ。彼らはその名の通り、風に乗るかの如き軽快なステップを特徴とする魔物である。

    そもそも魔物とは、生まれながらにして魔力の扱いに長けた種族の総称である。他種族に比べて多い魔力量の影響を受けるので、外見が特徴的であったり、特殊な性質を持っていることが多い。風乗狼の場合は、それが脚力と機動力という形で現れているというわけだ。


    「この数の肥大種は……結構やばいな。俺らでも危ういぞ、これ」

    「むしろ私らで良かったと言うべきじゃろう。私らでなければ、確実に死人が出ておった」


    正反対のことを口にする勇者と魔王は、しかし、示し合わせたかのように同時に武器を構える。一つ長い息を吐いてから、アイルが言った。


    「足止めは俺がやる。あいつらが固まったところで、一気に頼む」

    「任された。なに、一発で焼き狼の群れに変えてやるさ。奴らは木の属性を持つ魔物、火に弱い」

    「そりゃ頼もしい……ねっ!」


    言うが早いか、アイルは一気に駆け出すと、無謀にも巨狼の群れへと飛び込んだ。巨体と巨体の合間を縫うようにして一気に駆け抜けていく。すると、自分たちの群れの中をちょこまかと走り回る鼠の存在に、狼たちの視線が奪われていく。

    「おっと!」

    前方から突っ込んできた狼の牙を横に逸れて躱し、擦れ違いざまに前後の右脚を斬る。後ろで倒れた巨体が地面を揺らしたが、アイルは振り返らない。駆けるスピードを緩めたが最後、狼たちに囲まれて食い荒らされるのがオチだからだ。

    「よっ、ふっ、そりゃ!」

    駆け、跳び、時には巨体の股下を抜け、時には横っ腹を引っ掴んで乗り越える。20を超える巨狼の群れの中で止まることなく走り続けながら、アイルは少しずつ彼らの足を止めていく。

    多数を相手取っているにも関わらずアイルが彼らを分断しようとしないのは、ひとえに彼らの持ち味である機動力を殺すためである。いかに高い瞬発力を誇る風乗狼といっても、群れの中心にいる敵と戦っている限りは同族が邪魔になって思うように動くことが出来ない。敵を狙えば狙うほど、群れは密集していくからだ。一目散に群れの中に突っ込むという無謀は、実のところ巨狼たちを相手取るのには最適の策だったと言うわけだ。

    その証拠に、ままならぬ動きに業を煮やした狼たちはもはや走ることを止めていた。彼らはその場に立ち止まってアイルを囲み、突然現れた外敵を食い千切ることだけをその身の使命としている。しかし、それでもヒットアンドアウェイを徹底したアイルの動きを捉えることは出来ず、彼らは一頭、また一頭とその場に崩れ落ちていく。完全にアイルの術中であった。

    「よし、あと半分……っと!?」

    けれども、アイルにもまた誤算があった。それは彼らが肥大種であるということだ。肥大種とは、身体が大きくなるから肥大種と呼ばれるわけではない。それは飽くまで副次的な効果であって、その真価は膨らんだタンクに貯めこまれた規格外の量の魔力にある。

    ウォォン、と狼の鳴き声が大気を揺らした。それを合図として、辺り一帯に暴風が吹き荒れる。それは正規の仕組みによらない、ただ力任せに行われた風魔法の発動だった。
  6. 6 : : 2017/08/23(水) 21:04:28

    「っぐ、そんなのアリかよ!」

    鳴き声は二重に、三重にと重なっていき、その度に吹き荒れる風は強さを増していく。そうなると不利なのは体重の軽いアイルだ。彼は吹き飛ばされないことに精一杯で、もはや軽快な動きなど出来そうもない。当然、動けなくなった外敵に対して狼たちの容赦ない攻撃が迫ってくる。

    「ちょ、待っ! これはヤバい……!!」

    アイルの悲鳴は吹き荒ぶ暴風に掻き消された。万事休すか、と思われたその時……


    「火よ。その属性に基づき、今ここに燃え盛れ!」


    暴風の中をも突き抜ける、真っ直ぐな声が響いた。瞬間、アイルを中心として炎の竜巻が巻き起こる。

    「加えるは金の魔力。その固体の性質に基づき、敵を燃やし尽くすまでその場に留まれ! 吹き散るな!」

    炎の竜巻は狼たちを包み込み、吹き荒ぶ暴風を物ともせずに彼らの身を焼き続ける。炎はまるで狼の身体に纏わり付いているかのようで、近くにいるというのにアイルへと引火する気配は微塵もない。ドラゴンの魔族であるリエルネの、神懸かり的な才覚と長年の研鑽の賜物だった。


    「すまんな。遅れた」

    「……ったく、流石にギリギリ過ぎんだろ。一瞬死を覚悟したぞ、俺」

    「まあ、ギリギリまで粘ったしな。わざと」

    「悪質過ぎんだろ!!」


    轟々と燃え盛る炎は一切の容赦なく狼の群れを燃やし尽くし、狼たちがあらかた絶命してやっと炎の勢いが弱まってきた。後に残されたのは部分部分が炭化した死体の山。その様子を見てアイルは一瞬だけ物悲しい気持ちになったが、その感傷は直ぐに振り払った。

    彼はいつものように笑みを浮かべると、せめて巨狼たちの死体だけでも未来に活かそうと、歩いてきたリエルネと共にそれらを検分し始める。

    「悪く思うなよ。……ん、これは」

    巨狼の死体の喉元辺りに、美しい濃緑色に輝く鉱石があった。アイルはそれを摘み上げ、リエルネに見せる。


    「魔力結晶じゃな。肥大種の体内で生成される物質で、要するに大量の魔力を押し込めようとした結果として高密度に圧縮された魔力の塊じゃ。緑色をしとるから、恐らく木の魔力じゃの」

    「……ん? 魔力って物質とかになるもんなの? てっきり非物質的なものかと」

    「……お前は学が足りんなぁ。魔力と言えば物質も物質、非物質などと言ったら鼻で笑われるぞ? まったく……」


    アイルの不用意な発言がリエルネの琴線に触れたのか、彼女は笑顔で怒りを表しながらアイルに詰め寄っていく。魔王という肩書きではあるものの、リエルネの本職は魔法使いである。だから魔力や魔法についての無理解は彼女にとって耐え難いことなのかもしれなかった。


    「良いか? そもそも魔力とは木・火・土・金・水の5つに大別される、全ての物質に内包されている構成要素だ。つまり全ての物質は魔力から成り立っていると言うことが出来る。ま、多少暴論ではあるがな」


    リエルネが早口でまくし立てる。アイルは必死で頷いて相槌を打とうとするが、余りにも早い説明スピードに付いていくのが精一杯だ。


    「ああ、魔力が非物質じゃないってのはそういう」

    「そうだ。そして、一部の人間や魔族はこの魔力を意識的に操ることが可能で、それにより様々な現象を引き起こすことが出来る。それが魔法であり、魔法使いというわけだ」

    「あー、なるほど」


    「とはいえ、魔力の扱いには個人差がある。たとえ魔法使いであっても扱いが苦手な者であれば指先から火花を散らすので精一杯だし、得意な者であれば山を丸々一つ作り出してしまうことだって可能じゃ。因みに私は当然後者。お前には確か昔に地獄の片道下山を強制してやった覚えがあるから、嫌でも分かっているとは思うが」


    「あれは本当洒落にならなかった。5度は死んだよ、マジで」


    まだ初期の方の争いで、お互いに適度な手加減が分かっていなかった頃の話である。唐突に隆起した大地に持ち上げられたアイルは、気付けば高度300mはありそうな小山の頂上にいた。余りにも理不尽な大魔法に笑えてきて、爆笑しながら山を駆け下りたのは良い思い出である。当然下山した後に、山ごとリエルネを吹っ飛ばしてやった。互いに大技をぶっ放した影響で半日ほど動けなくなったのは苦々しい経験だ。
  7. 7 : : 2017/08/23(水) 21:07:26

    「……はぁ。今日はこのくらいで許してやるから、次はもう少し勉強して来るのじゃぞ」

    「精進します」


    唐突に始まった魔法講座は、リエルネの深い溜め息で幕を下ろした。解放されたアイルはリエルネに気付かれない程度に小さく伸びをすると、再び巨狼の死体の方へと目を遣った。


    「にしても、魔力の貯め過ぎねぇ……一頭や二頭ならともかく、群れの全頭が揃ってそんな状態になるか?」

    「普通はならん、明らかに異常じゃ。だから何か手掛かりでも見つからんものかと思ったんじゃが……」

    「うーん、手掛かりねえ……お?」


    アイルが巨狼の死体の中に何かを見つけ、小さく声をあげた。彼はすぐさま炭化している死体に手を突っ込んでその何かを抜き取ると、リエルネに差し出した。


    「これも魔力結晶ってやつか? さっきのやつと違って白いけど……」

    「……これは……」


    それは、真っ白な石の欠片だった。一見何の変哲もない石に見えるが、アイルの目にはそれが何らかの力を放っているように見えたのだ。そしてリエルネの反応を見る限り、その直感はどうやら当たっていたらしかった。

    「……アイル、ちょっとそれを渡してくれ」

    神妙な面持ちで、リエルネは自分の右手のひらを差し出した。その様子はまるで爆発するかもしれない手榴弾を受け取るかのようで、アイルは不思議に思いながらも白い石を彼女に手渡した。

    すると。


    「ッ!?」

    バッ、と猛烈な勢いでアイルの手が振り払われた。勢いづいた白石が何処かへと飛んでいく。突然の乱暴な所作に抗議しようとしたアイルは、しかしリエルネの顔を見た瞬間に凍り付いた。

    彼女の目は大きく見開かれ、白い頬には大量の冷や汗が流れていた。明らかに尋常な様子ではない。今の一瞬で何かが起こったことはアイルにも理解出来た。


    「おい、リエルネ。大丈夫か?」

    「あ、ああ。大丈夫じゃ、問題はない……それよりも……」


    リエルネは大きな瞳が零れ落ちんばかりに目を見開いたまま、白石が飛んでいった方へと顔を向ける。そして誰に聞かせるわけでもなく、1人虚ろに呟くようにして声を漏らした。

    「今……あの石に、私の魔力が吸い取られた……? いや、それよりも、あの感覚は……?」

    和やかだった空気が一転、神妙な空気が辺り一帯に流れ出す。先程までは敬意を払う存在ですらあった巨狼の死体たちは、今や不気味さを漂わせる未知の恐怖そのものと化していた。アイルは無意識のうちに右手を剣の柄に掛ける。

    暫く無言の間が続いた。恐らくリエルネが何かを考えているのだと思ったアイルは、暫くの間はその思考を邪魔しないよう黙っていることに努めていた。が、しかし、その努力は長くは続かなかった。


    彼が不気味な沈黙に痺れを切らし、リエルネに声を掛けようとしたその時……



    「勇者様ーーーッ!!!!!」



    その沈黙を打ち破ったのは、リエルネでもアイルでもない第三者の叫び声だった。

    2人が一斉に声のした方角を向くと、そこには王都でも最速の早馬であるイッカクによって引いてこられた馬車の姿。
    その中から転がり出るようにして現れた中年の男性は、顔に刻まれた深い疲労と恐怖とを隠そうともしない様子で叫んだ。


    「勇者様、至急王都へとお戻り下さい! 原因は不明で、まだ事態の全容も掴めていないのですが……村が一つ、丸ごと消滅しました!」


    息切れ混じりに伝えられたその内容は、余りにも衝撃的なもので。

    アイルの視線は何故か、先ほど跳ね飛ばされた白石の方へと向けられていた。
  8. 8 : : 2017/08/23(水) 21:10:15







    翌日。イッカクの馬車に夜通し揺られ続けたアイルは、その甲斐あって早朝のうちに問題の村……カッテツ村に到着した。

    「ここが……」

    巨大な山の麓に築かれたその村は、流量の多い河川と質の良い鉄鉱で有名な鍛治師の里だった。アイルも装備を鍛え直すために何度か訪れたことがあるが、生い茂る木々と雄大な河川が自然の力を、絶えず鍛冶場から噴き上がる煙が人の営みの活気をそれぞれ強く主張している、非常に力強い場所だったと記憶している。

    だからこそ。初め、アイルはここがカッテツ村だと認識することが出来なかった。彼の目に映る光景と彼の記憶の中にある村の姿は、とてもではないが一致するようなものではなかったからだ。

    まず、木々が枯れていた。力強く天に向かって伸びていた巨木たちは、一本の例外もなく弱々しい細身に成り果ててしまっていた。次に、川が枯れている。村の産業の要であった雄大な河川は見る影もなく、ただ巨大な溝が残るばかりである。緑が失われ、青が失われ、色鮮やかだった集落には今や死の土色が残るばかりであった。

    「……」

    言葉を失い立ち尽くすアイル。案内役の男も痛ましそうに目を伏せ、どうやら何かに耐えている様子だった。もしかしたらこの村に関係者がいたのかもしれない。だとしたら、彼の心中では一体どれほどの感情が渦巻いていることだろう。

    意を決して、アイルは村の中に踏み込んだ。かつてと同じ配置で、民家が軒を連ねている。遠くには鍛冶場も見え、ここでやっとアイルは目の前の現実とかつての記憶を重ね合わせることが出来た。

    ……しかし、それらは完全に重なり合ったわけではない。最も大切なピース、最も在らねばならないものだけが、ぽっかりと欠落してしまっている。



    鍛冶場からは、たった一筋の煙すらも出ていなかった。








    馬車の中で聞いた話によると、最初に異変に気付いたのは商いのために村を訪れた商人だったらしい。枯れ果てた山の姿に明らかな異常を見て取った彼は、急いで村長の家に飛び込んだのだという。カッテツ村の村長は鍛冶場の棟梁も兼任する人物で、問題解決の手腕の鋭さには定評があったからだ。しかし、そこで彼が見たものは力なく倒れ伏した村長の遺体だった。商人は恐怖と不安に駆られ、とにかく片っ端から民家に飛び込んだ。だが、彼が見つけたのはどれも死体ばかり。急いで国に異常事態を報告したというわけだ。


  9. 9 : : 2017/08/23(水) 21:12:39




    「村人の突然死、か」

    人気のない村を歩きながら、アイルは呟いた。人々の遺体は昨晩のうちに運ばれ、今は比較的涼しい洞窟の中に集められて安置されているという。人だけが消えてしまった居住区は、目的を失い彷徨っている幽霊のように思われて不気味だった。

    案内役の男は先ほどから声を発さない。もしかすると体調を崩したのだろうか、それなら馬車で休んでいるように勧めた方が良いだろう。そう思い、アイルが口を開きかけた、その時だった。

    「お久しぶりですね、アイルさん」

    それは、アイルにとっては聞き馴染みのありすぎる声。あらゆる者にその人物の人柄の柔らかさと優しさを伝える、僧侶の青年の声だった。

    「クリット!」

    白地に緑の刺繍が施されたローブを身に纏い、柔和な笑みを浮かべる彼はクリット・アリスター。かつて勇者アイルと共に世界を旅した冒険者パーティの一人、僧侶として回復役を務めていた人物である。
    流星群事件によって戦争が中断されてからは各地を回りながら人々を癒しており、元勇者パーティの中では間違いなく最も世界に貢献している人物でもあった。人間と魔族の諍いが落ち着きつつある最近では、魔族たちの領地をも癒し歩いているらしい。


    「お前、またちょっと背伸びたんじゃないか? いつまで成長期続けるつもりだよ」

    「伸びてませんって。僕もう19ですよ? むしろアイルさんが縮んだんです」

    「縮んでねーっつの! ……縮んでないはずだ、うん」


    懐かしい人物との再会に、自然とアイルの頬が綻ぶ。重かった口も自ずと軽くなっているから、本当に人の縁というものは偉大だ。出来ることならずっとこうして無駄話を続けていたいが……。

    「そういうわけにも行かないよな。で、どうだクリット。何か分かったか?」

    クリットが先に現地で調査を行なっていることを、アイルは先んじて案内役の男から聞いていた。というか、なんでも彼をカッテツ村に呼ぶよう手配したのが他ならぬクリットらしいのだ。彼は笑みを崩して真剣な面持ちになると、懐から一枚の紙を取り出した。

    「村人の遺体を調べましたが、どうやら死因は例外なく衰弱死のようでした。ですが、どうにも普通の衰弱死ではないようなんです。これを見てください」

    紙には簡単なメモ書きで、何かの比率のような数字が書いてあった。数字の側に添えられた文字を見て、アイルはその意味を悟る。それはどうやら、遺体に残っていた魔力の属性比率らしかった。


    「アイルさんもご存知の通り、魔力とは5種類の属性に大別されます。木、火、土、金、水の5属性です。生物にとってこの5種類の魔力は生命力とも言えるものであり、どれか1種類でも欠ければその時点で死んでしまいます」


    それは、ちょうど昨日リエルネに聞いたばかりの話だ。生物は5種類の魔力全てを持つ、というのは初耳だが。


    「ですが、この5種類の魔力のうち1種類だけが欠けるということは、通常あり得ないんです。これらは関わりあって初めて生命力となるもの。1種だけが飛び抜けるというのなら、まだしも頷けるんですが……」


    アイルは差し出された紙に再度視線を落とす。そのデータは、遺体から木の魔力だけが欠落していることを示していた。


    「木属性の魔力だけが欠乏したことによる枯渇死。それがカッテツ村の人々に起きた悲劇の真相です」

    「……その原因に心当たりは? 手掛かりは全くゼロなのか?」

    「いえ、一つだけ。まだ確信には至っていないんですが……付いてきてください」


    アイルは促されるままに歩き出し、クリットの先導に従って枯れ木の森を抜けていく。
    因みに案内役を務めていた男性はやはり疲労の色が濃かったので、馬車で待機しておいてもらうことになった。
  10. 10 : : 2017/08/23(水) 21:15:08



    村から目的の場所までは、10分と掛からない距離だった。

    「これは……!!」

    そこに在ったのは、巨大なクレーター。まるで木々がそこだけは避けているかのように、その周辺には枯れ木の姿すらも見えなかった。ただ、大きく抉れた地面が広がるのみである。

    アイルは瞬時に理解した。ここは、2年前に起きた流星群事件の被害現場の1つだと。


    「比較的隕石が小さかった上に、武器を拵えに来ていた魔法使いが多くいましたから、被害は軽微なものだったそうです。……当時は、ですが」


    クリットはそう話しながらも、クレーターの底に向けて睨むような視線を送り続けている。彼がそのような顔を見せるのは珍しく、アイルは内心で少し驚いた。


    「……お前は、このクレーターが今回の事件に関係あると?」

    「正確には、この底にある隕石が、ですが。何かがおかしいんです。2年前の調査では何も異常はなかったと記録されているのに、今は……」


    アイルは一歩進み、クレーターの底にある隕石を見た。


    その瞬間、彼の背筋に悪寒が走る。


    「……! あの石……!?」

    そこに在ったのは、巨大な乳白色の岩石。それを見た瞬間にアイルは確信した。間違いない、昨日の白石と同じものだ!


    「アイルさん?」

    「……クリット、聞いてくれ。手掛かりになるかは分からねえが」


    アイルの真剣な語り口に、クリットが目を細めた。彼は黙ってアイルの言葉を待っている。

    「実は……」






    「肥大種の群れ、木の魔力結晶、そして魔力を吸い取る白石。……うん」


    アイルの話を聞き終えると、クリットは何かに納得したように頷いた。


    「まず間違いなく、その白石と隕石は同一の物質でしょう。触れると魔力を吸うという性質が一致していますし……これは僕の予想に過ぎませんでしたが、アイルさんが触っても何ともなかった、というのも大きいです」

    「どういうことだ?」

    「まず、あの隕石には触れた者の魔力を吸い取ってしまう性質があります。これは僕が自分の身体で試したことなので間違いありません」

    「お前な……」


    さも当然のように言うクリットだが、隣に立つアイルは呆れ顔である。この僧侶様は、どうにも他人を救うためとなると自分を犠牲にして暴走しがちな節がある。最悪自分も枯渇死しかねないというのに……まあ、彼が言っても聞かない人間なのは他ならぬアイルが一番知っていることなのだが。


    「次に、これはまだ検証出来ていないことですが。恐らく隕石が吸収するのは木属性の魔力だけなのだと思います。この性質がどういうわけか村全体を対象に起こってしまい、今回の事件を引き起こしたと」


    「まあ順当な結論だな。けど、それが俺だけはあの石に触れるっていうのとどう繋がる?」

    「あの隕石が吸い取るのは木属性の魔力だけです。そして、アイルさんは勇者。……つまりですね」


    クリットによると、こういうことらしい。

    勇者とは、そもそも『惑星に選ばれた者』を指す。勇者は無意識のうちに惑星と繋がっており、常にその膨大な魔力の恩恵に預かっているのだ。勇者がデタラメな身体能力を誇るのも、惑星が持つ膨大な魔力に補強されているからである。

    そして、惑星の持つ魔力というものはその殆どが木属性なのだ。だから、勇者は木属性に限ってはほぼ無尽蔵の魔力を有していることになる。その影響で、彼は隕石に触れても特に何も感じないのだという。
  11. 11 : : 2017/08/23(水) 21:17:21


    「つまり俺が隕石から影響を受けないというよりは、俺に限っては隕石の影響が極々軽微になるってことか」

    「そういうことです。試しに触ってみてください」


    アイルは促されるままにクレーターの底へと降りていくと、乳白色の巨岩に右手でそっと触れた。クリットの予想通り、彼にさしたる変化はない。


    「アイルさんは何でもない顔をしていますが、同じことを僕がやっていれば今ごろ死んでいます。なにせ一瞬の接触だけでも意識飛びましたから」

    「んー……なーんか実感湧かねえなぁ。お前が言うならそうなんだろうけど」


    アイルは隕石から手を離すと、クリットの方を見上げて言った。


    「俺がここに呼ばれたのは、こいつに自由に触れられるからってことで良いのか?」

    「はい、当初はそのつもりでした。何にせよ原因がその隕石であるのなら、ひとまずは自然のない砂漠にでも隔離すれば一安心かと思っていたんです。……ですが残念ながら、アイルさんの話を聞いて考えが変わりました」

    「俺の話で?」

    「はい。風乗狼の肥大種と、その体内から見つかった白石の話です」


    再び彼の隣まで戻って来たアイルに、クリットは神妙な面持ちで話し始める。


    「僕はてっきり、この現象がこの場所でのみ起こるものだと思っていました。隕石については2年前に大規模な調査が行われた結果、全く無害な物質であるという結論が出ていましたから……何らかの条件が噛み合ってしまった結果、ここの隕石だけが特殊な性質を持つに至ったのだと」


    「……まさか」


    「そのまさかです。魔力を吸収する性質を持った鉱物はこの隕石だけではなく、風乗狼の体内にも存在していた。……それが、もしも別の隕石の欠片だったとしたら?」


    「おいおい、待てよ。冗漫だろ? ……2年前に大陸全土へ散った、200を超える隕石が……全部、こんな被害を引き起こしてると?」


    自分で言って、アイルはその予測の恐ろしさに全身が総毛立つのを感じた。カッテツ村だけでも既に500名以上の死者が出ているのだ。そんな事件が他にも200箇所以上で起きているなど、考えたくもない。

    「あくまで考えられる、という話ですが。……でも、正直……」

    しかし、悪い予感ほどよく当たるのが現実である。

    クリットが苦々しい顔で何かを言おうとした、その時だった。


    【……イル……】


    「っ」

    脳内に直接語り掛けられるような、独特な違和感がアイルを襲った。この感覚を彼は知っている。これは連絡魔法だ。声の感じから判断すると、どうやら相手はリエルネのようだった。アイルは片手を上げてクリットに合図を送ると、目を閉じて脳内の声に集中した。


    【なんだ、リエルネ? こっちは今取り込み中なんだが】

    【こちらも火急の報せじゃ! 良いか、よく聞け……。貴様が慌てて現場に向かっていった、集団枯渇死事件。それと似たような事件が私の領地でも起こっておる! しかも、無数にじゃ!】


    アイルは思わず声を漏らしそうになった。最悪の予想が的中してしまった……。彼の手は抑えきれないほどの震えに襲われる。


    【なっ……! それってまさか、2年前の隕石の落下地点に限った話とかじゃないだろうな!?】

    【隕石……そうか、そちらも隕石との関係性にまでは辿り着いておったか。なら話が早い! アイルよ、急で悪いが今すぐ魔王城に来い。貴様の力が必要なのじゃ!】

    【俺の力が必要……!? おい待て、話が見えねえ。ちゃんと順を追って説明……!】

    【詳しい話はこちらに着いてからじゃ! とにかく至急こちらに来い、分かったな!】


    その言葉を最後に、リエルネからの連絡魔法は一方的に切断された。この魔法は通話する両者の合意がなければ成立しないので、アイルの方からリエルネに再度連絡する術はない。
  12. 12 : : 2017/08/23(水) 21:19:33


    「クソッ! あの野郎、自分の言いたいことだけ捲し立てやがって……!」

    「誰からの連絡です? 随分と急でしたが」

    「リエルネだ。あの、魔王の」

    「魔王……!」


    クリットの顔に一瞬、複雑な表情が浮かんだ。恐らく彼女のことを思い出したのだろう、彼は目を瞑り、数度深呼吸をした。

    それから彼は何事もなかったように、努めて明るい声で話を再開させる。


    「その様子だと、何かあったみたいですね。聞かせてもらえますか?」


    アイルは彼の態度に気付いた上で、敢えて何も言わなかった。かつての彼らの仲間の一人、魔法使いの少女。彼女の話題は彼らの中で暗黙のタブーと化している。それはむしろアイルを気遣ってのことで、だからこそ彼は何も気付いていないフリをするのだ。

    彼はクリットに先ほどの会話の内容を告げた。枯渇死事件が他にも起きたこと、魔王城に呼ばれたこと、なにやら彼の力が必要らしいこと。

    「やはり他の場所でも……。これは、王国の領地に関しても覚悟を決める必要がありそうですね……」

    クリットは今にも血を出してしまいそうなほど強く、唇を噛み締めていた。今この瞬間にも大量の死人が出ているかもしれない、その事実が悔しいのだろう。実際、その気持ちはアイルにもよく分かる。彼もまた、親指を握り潰してしまいかねない勢いで己の拳を握り締めていた。


    「……とにかく、今の僕たちに出来ることをしましょう。この事件には謎が多すぎる、このまま放っておくと大惨事を引き起こしかねない」


    険しい表情のままクリットが言った。彼はさらに続ける。


    「アイルさん、この隕石を一部砕いて貰えますか。僕はこれを王都に持ち帰って、より詳細に分析しようと思います。魔力吸収の原理、その止め方、吸収された魔力の行方……探るべきことが多すぎる」

    「ああ、それは任せろ。お安い御用だ。……俺は言われた通りに魔王城へ向かってみる。元々魔族ってのは人間よりも魔力の扱いに長けていることが多い。向こうで何か有益な情報が手に入ったら、またお前に連絡するよ」

    「ええ、お願いします。お互いに全力を尽くして、この異変を解決しましょう!」

    「おう!」


    2人は在りし日のように視線を交わし合うと、互いの腕をぶつけ合った。それは約束の儀式。各々が自分に課せられた役目を必ずやり遂げるという、無言の誓いである。

    かくしてクリットは王都へと向かい、アイルは魔王城を目指して出立した。彼を運ぶのはやはりイッカクだが、今回は案内役はいない。アイルの一人旅である。


    旅路の途中。アイルはイッカクの背で揺られながら、懐からあるものを取り出した。それは例の隕石の欠片。クリットに頼まれて隕石の一部を砕いた時に、彼は手頃な大きさの欠片を自分の懐に押し込んでいたのだった。

    それはやはり、彼の目には何ら特別なものとは映らない。だが、この石を見ていると不思議と胸騒ぎがするのだ。それはまるで、集団枯渇死事件などただの始まりに過ぎないのだというかのような……そんな胸騒ぎが彼を襲う。


    「……絶対に、解決してやる」


    自分の決意を固めるように、彼は一人呟いた。

    その呟きの意味を知ってか知らずか、イッカクがよく通る叫び声を荒野に響かせた。
  13. 13 : : 2017/08/23(水) 21:23:49







    その城の威容は、まさに圧巻の一言だった。

    「おー……久しぶりに見ると、やっぱ凄えな」

    リエルネの居城である魔王城は、彼女の領地の中でも最大規模の街である城塞都市・エーゼミリアの中心部に堂々と佇んでいる。その頂上からは四方を壁に囲まれたエーゼミリアの全景を伺うことも可能な、まさに魔王の権威の象徴とも言える建築物である。

    そんな巨城を前にして、アイルは少し迷っていた。彼の視界に映るのは堀の上を渡るための跳ね橋と、その向こう岸で鋭く目を光らせている2人の門番の姿。
    さて、いくら魔王直々の招待があったとはいえ、仮にも彼は勇者である。すんなりと魔王城に入れてもらえるものだろうか?

    因みに彼が以前ここを訪れた時は戦争の真っ只中だったので、普通に正面からお邪魔(物理)した。そのせいでエーゼミリアにおいて勇者はかなり敵視されており、彼は今は目深に被った帽子やラフな服装で軽く変装している。ただでさえ、例の茶番のせいで勇者は戦闘狂だなどと誤解されているのだ。いくら停戦中とはいえ、この街の中で見つかってしまえばロクな目には遭わないだろう。


    「連絡魔法でリエルネを呼ぶのが無難かな……つっても、あいつこっちから掛けても出なさそうなんだよなぁ」


    勝手気ままな魔王を思い、溜め息を吐くアイル。それでも試さぬよりはマシかと、彼は連絡魔法を行使すべく目を閉じようとした。

    と、


    「おっと!」

    「うおっ!?」


    ドンッ、と突然背後からの衝撃を受け、アイルは前のめりによろめいた。何事かと思い振り向くと、そこには気まずそうな笑みを浮かべて頬を掻く一人の老人の姿があった。


    「いやはや、すまない。考え事に夢中でね、周りが見えていなかった。思いっきりぶつかってしまったね」

    「いえ、大丈夫ですよ。俺もちょっと不注意でしたし」


    実際、端に寄っていたとはいえ人通りのある場所で立ち止まっていたのは褒められた行為ではない。取り敢えず邪魔にならない場所まで移動するか……などとアイルが考えていると、老人は右手で白い髭を弄りながら何か考え事をしているようだった。よほど大事な用なのだろうか。アイルは少し興味を持ったが、しかし今は遊んでいるような時間はない。彼は老人に一声掛け、その場を立ち去ろうとする。


    「じゃ、俺はこれで」

    「いや。少し待ちたまえ」


    老人が、数段低くなった声でそう言った。アイルは咄嗟に彼の顔へ目をやる。老人の黄金の瞳には、何かを見定めるような色が浮かんでいた。


    「……えーと、どうかしました?」

    「ふぅむ……」


    不味い、俺が勇者だってバレちまったか? 内心で舌打ちをしながらアイルは考える。勇者だとバレてしまった場合どうするべきか。素直に事情を話して後は成り行きに任せるか、一旦逃げるか。それとも、いっそ魔王城に突貫してリエルネ本人に事情を説明させてしまうか……。ほんの一瞬のうちに何十もの未来がアイルの頭に浮かんでは消えていく。その間もずっと、老人は彼を見つめたままだ。

    緊張に、アイルの頬を一筋の汗が流れる。

    老人は思考を整理するように一度目を瞑ると、真剣な眼差しのまま口を開いた。


    「君……もしや勇者の青年ではないかね? かつて、この街で大立ち回りを演じた」


    次の瞬間、老人の手がアイルの肩に置かれた。驚きにアイルの背が跳ねる。バレた!

    「……魔王様直々の呼び出しで。いや、本当に」

    これが公的な呼び出しならば証拠もあるが、完全に私的な呼び出しなので証明する手立ては何もない。後はこの老人がアイルの言葉を信じてくれるかどうかだ。

    激しくなっていく心臓の音を聞きながら、彼は老人が口を開くのを待った。


    果たして、老人の口から出た言葉は。




    「…………いやぁ、お待ちしておりました!! さ、まずは城の中へ入りましょう。するべき話は幾らでもありますが、それもこれも、全ては腰を落ち着けてからです」

    思いもよらぬ、歓迎の言葉だった。


    「は? ……え、それ、はどういう?」

    「おっと! そういえばまだ自己紹介をしておりませんでした。これではただの怪しいジジイだ、警戒されるのも無理はない!」


    突然の事態に固まる俺を尻目に、老人は勝手に話を進めていく。彼はすっと姿勢を正すと、右手を自分の胸に当てて言った。


    「私の名はノルマリウス・ティアーズ。普段は郊外の研究所で働く一研究員に過ぎませんが……今は魔王様より直々に、隕石調査チームのリーダーを任されております。先の短い老骨ではありますが、どうぞお見知り置きを」
  14. 14 : : 2017/08/23(水) 21:26:14



    「なーにが一研究員に過ぎない、じゃ。謙遜もそこまで行くともはや煽りよの」


    魔王城の一室。中央に円卓が置かれた会議室のような場所で、リエルネは不機嫌そうに吐き捨てた。曖昧に笑うノルマリウスを無視して、彼女はアイルに老人の素性を説明する。


    「こいつはノルマリウス・ティアーズ、こっちでは有名な変態研究者じゃ。その類い稀なる才覚をもって多くの功績を残したが、引き起こした厄介ごとの数もそれに引けを取らん。実に騒がしい馬鹿(やつ)じゃよ」


    「ははは、私みたいなジジイを褒めたところで何も出ませんよ?」


    「性格は察しろ。……まあ、良くも悪くも頭の作りがブッ飛んどるのは確かじゃ。ゆえに、隕石周りの調査は主にこいつに一任されておる」


    どこか投げやりにも見える態度で説明を終えたリエルネは、深く溜め息を吐きながら椅子の背もたれに寄り掛かった。単純に激務で疲弊しているのか、それともノルマリウスの扱いに辟易としているのか。真相は定かではない。

    「……」

    彼女による説明を受けたアイルはと言うと、何でもない風を装いつつ、ちらちらと横目でノルマリウスを観察していた。恐らくはガーゴイルの魔族だと思われる老人は、その証である黄金色の瞳を常に油断なく光らせている。なるほど、確かに凡庸というわけではなさそうだが……。


    「む? どうされました、勇者様。私の顔に何か?」

    「あー、いや、そういうわけじゃ無いんですけど。……なんていうのか、その」

    「イマイチ信用出来んのじゃろ。まあ、気持ちは分かる。見た目ただの胡散臭いジジイじゃしな」

    「お前はもう少し言葉を選べ!」


    あんまりなリエルネの言葉に、アイルが思わず声を張り上げる。そのやり取りを見ていたノルマリウスは得心したように手を叩くと、何やら自信ありげな笑みを浮かべた。


    「なるほど、そういうわけでしたか。良いでしょう! 勇者様へのアピールチャンスとあらば、私も全力で自らの有能さを示してみせましょうとも!」

    「アピールチャンス……と言いますと?」


    「研究者のアピールなど、研究成果のお披露目以外にありますまい! 元より此度の案件、魔族は人間側とも協力していく方針で動いています。なので勇者様に何を話そうが、私は特にお咎めなし! というわけなのです。ま、咎められたとしても止まる気はないんですがね」


    「アイルを呼んだのは私の独断じゃから、出来れば好き勝手は控えて欲しいんじゃがな……。まあ、元より情報共有はするつもりであったが」


    元気一杯に宣言すると、ノルマリウスは手に持っていた書類を準備し始めた。リエルネの呟きなど耳にも入っていない様子だ。相変わらず行動の読めない人だと思いつつ、アイルは小声でリエルネに尋ねた。


    「この人、いつもこんな元気なのか?」

    「あー。言い忘れとったが、そいつ貴様のファンじゃから。それで今は舞い上がっておるのじゃろう」

    「……は? ファン?」


    魔族だよな、この人? 人間じゃないよな?

    アイルが視線だけでリエルネに問うと、彼女は首を縦に振ることで応じた。


    「変わり者は変わり者を好むんじゃろ。後でサインの一つでもくれてやれ、さらにやる気を出すやもしれん」

    「いやいや……」


    これ以上テンションを上げられると、ちょっと本格的に付いていけなくなる。言外にそう伝えてリエルネの提案を否定すると、彼女は心底どうでも良さそうな様子でアイルから視線を離した。それからノルマリウスに声を掛ける。


    「おいノルマリウス。分かっているとは思うが事態は一刻を争う。準備も良いが、さっさと説明に入れ」


    「頭に入らぬ百度の説明よりも、頭に入る一度の説明をするのが私の主義です。とはいえ、ええ、準備はもう終わります。終わりました。さあ、状況説明を始めましょう!」


    円卓に数枚の資料を広げ、老人は高らかに宣言する。話はまず、アイルの理解度を確かめるところから始まった。
  15. 15 : : 2017/08/23(水) 21:28:50


    「ところで勇者様。そちら側では、この事件についてどのように理解しておられますか?」


    アイルはクリットと共に導き出した結論を掻い摘んで説明する。それを聞いたノルマリウスは感嘆するように声を漏らした。


    「ほう。事件発生からたった一晩で、もう遺体の残存魔力を測定するところまで済ませていたと。……なんか悔しいですなぁ。私、その発想に辿り着くまで丸一日掛かったんですが。被害ケースが増えて、やっと隕石との関連性にまで頭が回ったというのに」

    「まあ、後先考えない奴ですから……。隕石の性質についても、率先して自分の身体で試したらしいですし」

    「むしろそこに敗北感を覚えますよ。歳を取ると、そういう攻めの姿勢が萎えてしまうのが悩みの種で……。うむ。何はともあれ、そちらの理解度は把握出来ました。では今度こそ説明に移りましょうか」


    ノルマリウスはそう言うと、右手の指を2本立てて見せた。


    「こちらが発見した興味深い事実は2つ。『隕石が肥大種を作り出す原因となり得ること』と『隕石自体は魔力を貯蔵しているわけではないこと』の2点です。前者は主に短期的な視点での脅威であり、後者は長期的な視点での脅威になり得ます」

    「差し当たって私たちが対処せねばならんのは前者の問題じゃな。肥大種はその力もさることながら、何より気が狂っとることが厄介じゃ。自らの生命すらも勘定に入れず暴れるから、被害規模がとにかく大きくなる」

    「その通りです。そもそも肥大種とは、『何らかの原因によって過剰な量の魔力を取り込んだ上で、それを受け入れる器が拡張してしまったモノ』。……では勇者様。魔力の器はどのような時に拡張しやすくなるのだと思いますか?」

    「……単純に、魔力が必要な時ですかね? たとえば魔法を使った後とか」


    アイルの答えに老人は微笑んだ。


    「半分当たりで半分外れです。正解は『身体が魔力に飢えている時』。痩せた人間には特に脂肪が付きやすいように、魔力に飢えた者の器は特に拡がりやすくなる傾向があるのです」

    「魔力に飢えて……あっ。それって、もしかして」

    「恐らくは予想の通り。例の隕石によって肥大種が増えるというのはそういうことです。つまり……」

    「隕石に魔力を吸われた魔物が、生き延びるために死に物狂いで魔力を補給しようとする。その結果として魔力の器が拡がり、肥大種になってしまう……!」


    だとすれば、何と皮肉なことだろうか。生き延びるために必死に行動した結果が、自らを狂わせることに繋がる。それは余りにも悪辣な仕組みで、アイルは矛先を向ける相手がいないと知りつつも憤りを感じずにはいられなかった。


    「例の風乗狼の死体から隕石の欠片が出てきたのも、恐らくそのためでしょう。隕石の近くで暮らしていた群れが知らず知らずのうちに欠片を口にしてしまい、魔力を吸い取られてしまった」

    「これは人的被害についても言えることじゃ。此度の事件が起きるまで、隕石は完全に無害な物質じゃった。じゃから人々は油断してその近くで生活し、体内に少しずつ欠片を蓄積させてしまったのやもしれん。あくまで推測の域は出んがな」

    「人間やそれに類する生態の魔族は、魔物と比べれば魔力の器が小さいですから。肥大種になる前に枯渇してしまったというのは頷ける考えです。隕石の質量と魔力吸引力の関係性については、まだ今後の課題と言うところですが」


    「一つ、尋ねてもいいですか?」

    何かを考えるようにして腕を組んでいたアイルが、神妙な顔でそう切り出した。リエルネとノルマリウスの視線が同時に彼へと向けられる。
  16. 16 : : 2017/08/23(水) 21:29:41


    「どうぞ、遠慮なく」

    「2年前に調査された時は無害だった隕石が、なんで今になって突然こんな騒ぎを引き起こしたんでしょう。それも一斉に」


    それはアイルがずっと気になっていたことだった。隕石同士は距離も離れているし、環境によって状態も異なるはずだ。それなのに全く同じタイミングで、全く同じように性質を転換させたというのは異常だという他にない。あまりにも不気味な現象だ。

    アイルの問いに答えるノルマリウスの声は、非常に悩ましげなものだった。


    「むう……実は、それが目下最大の謎なのです。どのようにして隕石同士はシンクロしたのか、なぜ隕石は魔力を吸収するようになったのか。そもそもこの隕石は何処からやって来たのか? あらゆることが分からなさすぎる」

    「やっぱり分からないんですか……」

    「ですが」


    ノルマリウスは1枚の書類を指差した。それは『魔力経路調査計画(仮案)』と題された書類だ。


    「調査の目処が付いていないわけではありません。この計画こそが、今から話す2つ目の発見に関連するものであり……そして、勇者様がここに呼ばれた理由でもあります」


    黄金色の眼をした老人はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。そしてアイルに告げる。

    「少し場所を移動しましょう。諸々の説明は、歩きがてら」



  17. 17 : : 2017/08/23(水) 21:32:40





    「勇者様。そもそも魔力とは何か、ご存知ですか?」


    魔王城の広い廊下を歩いている最中、ノルマリウスがアイルに尋ねた。

    因みにリエルネは別の用事があるらしく、慌ただしい様子で城の外へと消えていった。やはり多忙になっているらしい彼女がそれでも話し合いの場に顔を出したのは、アイルに対する彼女なりの気遣いだったのかもしれない。


    「えーと……確か、あらゆる物質の構成要素でしたっけ。生命力とも呼ばれるっていう」

    「ええ、そうです。魔力とは世界の至る場所に満ちているもの。不可視ではありますが確かに『そこ』に在り、世界を形作っているものです。生命にとってのエネルギーであると捉えられることもあります。まあ、不明瞭さゆえの多様性とでも言いましょうか」

    「なんか、難しいですね」

    「そうでなくては困りますよ、私が失業してしまいますからな! まあ、私のような研究者でもない限りは、単純に『不思議なエネルギー』と考えて問題はないでしょう。……さて、それでは次の質問ですが。勇者様は魔力の属性について、どのようにお考えで?」

    「5属性のことですか? どのように……って、改めて聞かれると答えづらいですね。なんか、普段は感覚で使ってて」


    腕で押せば物は動く。手のひらを擦り合わせれば温かくなる。力や熱といったエネルギーが『なんとなく』で扱われるのと同じように、魔力もまた感覚的な使用をされることが多い。
    生まれながらにして魔力を扱う才能に恵まれていたアイルは、改めて考えてみるとその正体を全く知らなかった。

    自らの無知を恥じるアイルだが、対するノルマリウスは特に気にした様子もない。むしろそれが当然だというように、彼は説明の言葉を重ねていく。


    「魔力は5種類の属性、木・火・土・金・水に分けられます。これは有名なことですが……これらの属性が具体的にどのような性質を持つのかは、あまり知られていません」


    そう言うと、ノルマリウスはアイルに向けて手のひらを差し出した。何事かと思いアイルが老人の顔を見上げると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて呟いた。

    「『水』は液体の性質を」

    ノルマリウスがそう呟くと、差し出された五指のうち、親指の上に浮かぶようにして青い液体が現れた。

    「『金』は固体の性質を」

    次は人差し指の上。黄金色の立方体が数個、天体のように浮かんでいる。

    「『土』は不変の性質を、『火』は気体の性質を」

    中指の先を黒い粘土のような物体が覆い、薬指の先から揺らめく炎が噴き出す。

    「そして……『木』は、変化の性質を」

    小指の先で、一陣の風が吹いた。風は隣指の炎を強く揺らすと、跡形もなく消えてしまう。


    「このように、5種類の魔力にはそれぞれの性質があるのです。火は最も不安定な魔力で放散しやすく、金は最も安定した魔力で収束しやすい。水はその中間」

    「土と木は何なんですか? 不変と変化、ってなんか分かりにくいような」

    「不変と変化は、雑に言い換えれば凝固と気化になります。土の魔力はあらゆるものを安定の方向に導き、木の魔力はあらゆるものを不安定の方向に導く」


    ノルマリウスは親指の『水』と中指の『土』の魔力を混ぜ合わせる。すると青い液体はみるみるうちにその体積を縮小させていき、遂には氷のような塊になってしまった。


    「物質の三態。魔力で物事を説明する視点に立った時、あらゆる物質はこの三態とその変化で説明されます。……だからこそ、この惑星は木属性の魔力を多く持つというわけです」

    「……それは、どういう?」

    「世界は可能性で出来ています。あらゆるものは循環し、変化する余地を持っている。そうでなければ世界は腐ってしまいますからな。そして、その変化を繰り返し続けるために必要な魔力こそが木の魔力というわけです」


    ノルマリウスの説明を聞き、アイルは何となくだが話の筋を理解した気がした。


    確かに、世界に変化が乏しければあらゆる出来事が上手くいかなくなるだろう。生物は環境に適応せず、水や空気も循環しない。世界はただの一枚絵と化してしまう。あらゆるものが安定した世界とは、全てが滅びた世界となんら変わりがない。

    だからこそ。世界を不安定な状態で安定させること、それが惑星という一つの生命体にとっての生命維持活動なのだ。惑星は自ら木属性の魔力を生み出し続けることで、その寿命を常に更新し続けている……。
  18. 18 : : 2017/08/23(水) 21:34:20


    「おーい。聞こえていますか、勇者様ー?」

    「っはい!?」


    いつの間にか深く考え込んでいたアイルを現実に引き戻したのは、隣に立つノルマリウスの声だった。老人はアイルが意識を取り戻したのを見ると、愉快なものを見たというように笑った。


    「くく。これでは、出会った時と立場が逆転してしまいましたな!」

    「……すいません、いつの間にか考え事を」

    「いやいや、むしろ実に好ましい! せっかく頭があるのですから、何でもかんでも考えなければ損というものですよ」


    にこやかに笑う老人を見て、アイルの脳裏に小さな疑問が浮かんだ。彼は何の気なしに尋ねる。


    「ノルマリウスさんは、なんでそんなに俺に対して好意的なんですか? いや、俺だって嫌われたいわけじゃないですけど。純粋に気になって」


    今さら言うまでもなく、アイルは勇者だ。勇者とは人間を守るものであり、魔物や魔族を滅ぼすものである。いくら2年間の停戦によって人間と魔族の対立が弱まったとはいえ、それでも勇者という存在は魔族にとって厄介で目障りなものの筈なのだ。だというのに、ノルマリウスの態度はまるでそれを感じさせない。

    アイルにはそれが不思議だった。


    「ふむ、私が勇者様のファンである理由ですか。それは決まっています。私が果てを望むからです」

    「果てを、望む?」


    いまいち要領を得ない返答に、アイルは首を傾げた。ノルマリウスは白い髭を一擦りした後、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


    「私は窮屈な場所に囚われるのが嫌いなのです。既知の知識に埋められた世界というのは、私にとっては牢獄同然。だからこそ私は勇者様や魔王様のような、既知の世界の壁際にいる人物を好むのですよ。だってあなた方は、最も未知に近い場所にいるのですから」

    「……まあ確かに。普通とは口が裂けても言えない人間ですからね、俺は」

    「『あらゆるものは、より強きものへ』、それが私の信念です。未知の側に立つ者を私は愛していますし、その者のためならばあらゆる助力を惜しみません。それが私という人間の在り方なのです」


    そう言い結ぶと、ノルマリウスはある扉の前で立ち止まった。アイルが扉の側に掛けられているプレートに目を遣ると、そこには『臨時第3研究室』という文字が記されている。


    「さ、到着しました。ここが私の出張研究室であり、隕石のサンプルが保管されている場所でもあります」

    重厚な鉄の扉をノルマリウスが押し開く。その先に広がっていた光景に、アイルは我が目を疑った。


    部屋の中央には、カッテツ村で見たのと同じような巨大な隕石がガラスケースの中に入れられている。ガラスケースは四方を覆うのみで上部が空洞になっており、そこから何本もの管のような機械が隕石に繋がれている。部屋の両脇には機器のモニターやらホワイトボードやらが所狭しと並べられており、それらの間を数人の研究員が忙しなく行ったり来たりしている。

    そこは明らかに存在する時代を間違えた空間だった。確かに、魔力によって駆動する演算機や記録機器は年を追うごとに進化を続けており、それらが研究の場で用いられるのもそう珍しいことではない。だが、それらは飽くまでも補助的に用いられるに過ぎない。この部屋のように、一面を機械が埋め尽くす光景というのは世界中どこを探しても見ることが出来ない光景だろう。
  19. 19 : : 2017/08/23(水) 21:35:57


    「奥まで来てください。そこに見せたいものがあります」


    言うが早いか、ノルマリウスは迷わず部屋を進んでいく。因みに研究員たちは自分の仕事に追われているのか、挨拶などは一切ない。安心したような困惑したような気持ちになりながら、アイルはとにかくノルマリウスの後に着く。


    「エレア君、あの資料は何処にあったかな? 隕石の組成調査のやつ」

    「はっ、はい! えっとですね、確かその資料はー……!」


    ノルマリウスは部屋の一番奥にまで辿り着くと、そこに備え付けてある長机の一席にアイルを座らせる。それから彼は忙しなく動く研究員のうちの一人、短い赤髪の女性を捕まえてそう尋ねた。女性は大袈裟に身体を跳ねさせた後、アワアワとした手付きで一組の書類の束を持ってくる。


    「お待たせしました! これですね!」

    「ありがとう。……ああ。こちら、助手のエレアと申します。私が召集を受けるにあたり、付いてきてもらった次第で」

    「エレア・セイレムと申します。えーと、よろしくお願いします!」

    「こちらこそよろしく、エレアさん」


    エレアと名乗った、透けるような色合いの赤髪が印象的な女性は、見た目だけならばアイルより僅かに年上か同い年といった感じだった。とはいえ魔族の中には人間とは成長ペースが違う者も珍しくないから、一概に判断は出来ないが。リエルネがその良い例で、ドラゴンの魔族である彼女は見た目だけならアイルよりも幼い少女なのだが、実際にはアイルよりも歳上なのである(ただし、どのくらい上なのかを彼女は決して明かそうとはしない)。


    「ちょうど良い、今からの話には君も同席してくれ。なに、時間は取らせない」

    「……? 分かりました」


    2人はアイルの向かい側の席に座った。それから、ノルマリウスが先ほど受け取った資料のページをめくる。そこには略式化された隕石のイラストが描かれていた。


    「さて。少し間が空いてしまったので、もう一度確認しましょう。今から話すのは私たちの発見の2つ目、隕石が魔力を貯蔵していないという話です」

    「その前に1つだけ、ちょっとしたことなんですけど聞いても良いですか?」


    アイルは上半身だけで振り返ると、部屋の中央に置かれている隕石を指差して言った。


    「あの隕石、どうやってここに運んで来たんです? 触れると魔力を吸われるのに」

    「ああ。それでしたら、ちょうどここにいる彼女の功績です」


    ノルマリウスは微笑みながら、隣に座る女性へと目を遣った。エレアは予想外の振りに戸惑いつつも、落ち着いて事情を説明していく。


    「私、転移魔法が得意なんです。魔王城には転移の受け皿となる術式もあったので、何とか隕石丸ごとの移動にも成功しました」

    「転移魔法……! それって確か、火属性の大魔法とかじゃ!?」


    驚きのあまり叫びつつ、アイルはかつてリエルネから聞いた話を思い出していた。

    転移魔法。それは術式から術式へと物体を転移させる魔法であり、火属性魔法の秘奥とも言えるものである。火の魔力の不安定さを最大限にまで発揮させることにより対象を一時分解し、術式を通して場所を移動させ、そして再構築する。言葉にすれば単純だが、その作業に要求される技術と魔力量は半端なものではなく、魔王と呼ばれるリエルネでさえ習得には数年を要したと言っていた。アイルの目の前の女性はそんな大魔法を扱えるというのだから、彼が驚いたのも無理からぬことである。


    「えへへ、こんな時でもないと使い途はないですけどね。何でも覚えとくものです」

    そう言って、エレアは邪気のない笑顔を見せた。自分の魔法を褒められて満更でもないのだろう、その様子はあからさまにご機嫌そうだ。


    「おっと危ない、このままだと勇者様に助手を引き抜かれてしまいますな。そうなる前に説明説明っと」


    おどけた口調でノルマリウスが言うと、エレアはハッとした様子で口元を両手で隠す仕草をした。アイルとしても話の脱線を防いでくれたのは助かったので、彼は今度は黙って話を聞くのに徹することにする。
  20. 20 : : 2017/08/23(水) 21:37:29


    「さて。そういうわけで魔王城に運び込まれたこの隕石ですが、調査の結果面白いことが分かりました。この資料にも書いてある通りなのですが……」


    ノルマリウスが資料を指差す。隕石のイラストの横には、『≒0』の文字。


    「この隕石には、木属性の魔力は特に含まれていないのです。正確には、周囲から吸収されたはずの木属性魔力の量とは明らかに帳尻が合わない。つまり……」

    「吸収された魔力が、隕石を介してまた別の場所に送られてる……?」

    「そういうことです。少なくとも私はそう考えます」


    吸収された魔力の行方。その言葉は、アイルが前々からこの事件に抱いていた漠然とした悪意のようなものを更に強く感じさせた。彼の中で正体不明の嫌悪感が強まっていく。


    「何者かがこの事件の背後にいる、と考えた方が良いんですかね」

    「この事件はただの副次的な出来事に過ぎず、実際は魔力を集めることの方が主目的だった。……充分考えられる話ではあります」


    ですから、とノルマリウスは言葉を継いだ。


    「私はこれから、隕石を経由した魔力の行き先を調べるつもりでいます。そこで勇者様の協力が必要となってくるのです」

    「俺の……?」

    「これを見てください」


    それは先ほど会議室で見た、『魔力経路調査計画』の資料だった。


    その内容を見て、アイルは自分が必要とされている理由を理解した。そこには、簡単に言うと次のような内容が記されていた。


    まず最初に、アイルの魔力に目印が付くよう細工する。それからアイルが隕石に触れ、目印付きの魔力をその中に流し込む。それからはノルマリウスを筆頭とする調査チームが隕石内部の魔力を絶えず監視し、その行き先を特定する。計画は、雑に言ってしまえばこんな感じだ。


    「なるほど。確かに俺じゃなきゃ、隕石に触れるのは余りにも危険すぎますからね」

    「頼まれてくれますか。勇者様の魔力を少し弄ることになってしまいますが」

    「信じてますよ、俺のファンを」


    アイルが笑うと、ノルマリウスも合わせるように微笑んだ。老人は改めて勇者を害さない意思を示すと、早速計画の第一段階を進めていく。


    こうして、魔族による『魔力経路調査計画』は順調に動きだしたのだった。
  21. 21 : : 2017/08/23(水) 21:38:54










    「……とは言っても。俺、そんなにやることないんだよなぁ」


    広大な空間に無数の書架が置かれ、さながら迷路の如き様相を呈している魔王城地下の図書館。本の迷宮の中を彷徨いながら、アイルは誰にともなく呟いた。

    あの後、魔族の中でも選りすぐりの魔法使いたちによって魔力を細工されたアイルは、特に何の問題もなく隕石に魔力を流し込んだ。そこまでは良かったのだが、いざ魔力を流し込んでしまうと彼には仕事がない。忙しなく走り回っている研究員たちの中で何もせず突っ立っているのも気が咎めたが、彼らの仕事はアイルが手伝えるほど簡単なものでもない。散々迷った挙句、アイルは文献調査という名目で魔王城地下の図書館を訪れることにしたのだった。

    「んー、星に関する本は……この辺の棚か。うわぁ、すっげえ量」

    アイルが見ているのは、主に天体にまつわる文献が集められている書架だった。何か例の隕石に関わるような情報が見つかればと思ったのだが、余りにも膨大な冊数に彼の心は早くも折れかけている。


    「アイルさん、どうですか? 何かそれっぽいの見つかりました?」

    それでもアイルが何とか心を奮い立たせ、とにかく何か読もうと適当な本に手を伸ばしたタイミングで、彼に掛けられる声があった。


    「ごめん、まだ全く。本の数が多すぎて、正直どれが隕石に関係ありそうなのか検討もつかない……」

    「あ、ごめんなさい。急かしちゃいましたね」

    「いや、気にしないでくれ。これは俺が悪い」


    声の主は例の赤髪の女性、エレアだった。彼女はアイルとは違い、既に何冊か見繕った本を小脇に抱えている。ノルマリウスに助手と呼ばれるだけあってやはり優秀なのだな、とアイルは内心で感嘆の溜め息を吐いた。

    「うーん、そうですねぇ。過去に似たような事件が起きているかもしれないので、そういった事件の年表のようなものがあれば……」

    エレアはアイルが見ている棚を自分も覗き込むと、彼とは違って一定の基準のもとに本たちを選別していく。特に気負っているようにも見えないその姿を見て、アイルは内心安堵していた。


    実は、彼女はノルマリウスによる指令の結果としてここにいる。「勇者様を一人にするわけにはいかない」という老人の心遣いにより、彼女がアイルの案内役に選ばれたのだ。しかし最初はエレアがガチガチに緊張しきっており、とてもではないが案内どころではなかった。自分の上司が『様』付けで呼ぶような相手の案内を突然任されたのだ、彼女の緊張は想像するに容易かったし、それを責める気になどなれる筈もなかった。むしろ深く同情してしまい、アイルはあの手この手で彼女の緊張を解くことに努めた。そして苦心すること約1時間、やっとの思いで今の関係性を築くに至ったのだった。


    「あ、これとかどうでしょう? 天文分野に関係する世界中の事件が纏められた本らしいので、もしかすると手掛かりに繋がるかもしれません」

    「ありがとうエレアさん、本当助かるよ」

    「ふふふ、どういたしまして」


    そうこうしている内に本を数冊選び終わり、アイルとエレアは読書スペースである長机の下まで向かった。緊急時であるからだろう、読書スペースに他の魔族の姿はない。
  22. 22 : : 2017/08/23(水) 21:40:04

    「さて、と」


    アイルは早速、持ってきた本の目次に目を通し始めた。そこに綴られている出来事一つ一つを吟味し、少しでも隕石に関係がありそうだと思えば個別ページを開く。その作業にひたすら没頭した。

    元来、彼はこういった地味な作業が好きなタイプなのだ。黙々と黙って単純作業をしているのが性に合っている。


    「アイルさん、少しいいですか」


    不意に、エレアがアイルに話しかけた。彼がさり気なく時計を確認すると、読書を開始してから既に1時間近くが経過している。どうやら、彼は自分で思っていた以上に作業に没頭していたらしかった。

    「いいぜ、どうしたんだ?」

    アイルが本から顔を上げてエレアの方を向くと、彼女は何かを躊躇うように、遠慮がちにアイルへと尋ねた。


    「アイルさんって、勇者じゃないですか。その、怖かったりしないのかな……なんて」

    「怖い?」

    「はい。だって、勇者って凄く責任のある立場じゃないですか。負けられないというか、失敗が許されないというか……。そういうのが、怖くないのかなって」


    ズキン、と。アイルは自らの頭に鋭い痛みが走るのを感じた。

    それは記憶の蓋がこじ開けられる痛み。無意識のうちに封印していた記憶が、切っ掛けを得て再び表層へと浮かび上がろうとしている印だった。


    「……っ」

    「アイルさん? ……アイルさん、どうしました?」


    勇者の責任。失敗出来ない恐怖。そして、それに対する救いの言葉。

    それは、かつて交わした問答の記憶だった。過去にもアイルは似たようなことを尋ねられたことがある。あの、優しい目をした、魔法使いの少女に……。


    「アイルさん?……アイルさん!」


    記憶と現実が重なる。目の前の女性はかつて共に旅をした少女となり、掛けられる心配の言葉はかつての自分を救ってくれた言葉となる。


    現実が遠ざかり、彼の意識は過去の記憶の中へと引き込まれていく。



    そして、彼女の呼びかけが、消えた。
  23. 23 : : 2017/08/23(水) 21:42:01









    それは、月の光が綺麗な夜のことだった。

    とある森に野営地を構え、アイルたち勇者一行は夜を明かそうとしていた。ただ、その晩アイルはどうしても寝られなかった。理由はないのだが、何故か寝付くことが出来ない。仕方なく彼は野営地を出ると、アテもなく散歩に出かけた。

    火魔法の灯りを頼りにして夜の森を歩いていると、彼は森の中に小さな川が流れているのを発見した。水は澄んでいて、月の光を美しく反射している。アイルは手頃な岩を見つけるとそれに腰掛け、暫く黙って月と小川を見つめていた。

    「……俺は」

    不意に、彼は腰元に提げていた剣を抜く。そこには変色して黒ずんだ魔物の血がべったりとこびり付いていた。本来なら早いうちに拭い取らねばならなかったものを、何故か放置してしまった結果だった。

    月の光に照らされた血塗れの剣を見ながら、アイルは一人呟く。


    「8匹殺した。村に住んでた住人は30人はいた。だから、俺は多くの人間を救った。これで良い……筈、なんだけどな」


    息絶えていった魔物たちの表情と、それを聞いた村人たちの笑顔が同時にフラッシュバックする。どちらが正しいわけでもない、どちらが間違っているわけでもない。彼らは互いに相手を殺さねば生き残れなかったのだ。ならば、どちらが生きてどちらが死のうが、それは生存競争の結果に他ならない。問うべき罪責など在りはしない。

    ……ならば、自分はどうか。彼らの生存競争に横から割って入り、圧倒的な暴力をもってその結果を決めてしまった自分は。どんな大義名分がある? どんな大層な理由がある? 列挙しても仕方がない。だって、彼らの命を奪うに足る理由など、自分には無いのだから。

    「……」

    月の光が、彼に変色した血の色をまざまざと見せつける。黒ずんだその色は、まるで彼の心の色をそのまま映し出したようで。

    アイルが剣を持つ角度を変えた、その時だった。



    「なーにやってんのよ、あんたは」

    不意に、背後から声を掛けられた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは黒い寝巻きに身を包んだ銀髪の少女。それは彼と共に旅をしている仲間の一人である、アルテナ・メイエルの姿だった。


    「アルテナ……どうしたんだよ、こんな時間に」

    「それはこっちの台詞だっての。夜中にフラフラ出歩いて、感知魔法に引っかかって」

    「感知魔法? お前、寝てる間にそんなの使ってたのか」

    「使ってましたよ。ったく、うちの一行は誰も彼も危機感に欠けてるんだから」


    アルテナは文句を言いながらズンズンとアイルの方に歩いてくると、彼の隣にあった石に腰掛けた。そして真顔で彼に尋ねる。


    「で。あんたは、どんなくだらないこと考えてたの」

    「いや、別に何も……」

    「隠しても時間の無駄。いいからさっさと吐きなさい。ほら、早く」


    アルテナの手にはいつの間にか木製の杖が握られており、その先端はアイルの顔に真っ直ぐと向けられている。これは無言の脅しであり、そしてそれが脅しだけには留まらないことをアイルは身を以てよく知っていた。だから彼は不承不承、先ほどまで脳裏をよぎっていた考えを目の前の少女に白状する。


    「……今日、村を襲ってた魔物を殺しただろ? あれが正しかったのかどうか、考えてた」

    「はぁ……どうせそんなことだろうと思った」


    少女は呆れたとでも言うように眉を八の字に曲げると、隠すこともなく大きな溜め息を吐いた。そして言う。


    「じゃあさ、逆に聞くけど。あんたは一体どんなことが正しいって思ってるわけ?」

    「そりゃあ……人のためになること、だろ。勇者ってのはそういうもんだ」

    「じゃあ悩む必要なんてないじゃない? 村の人たち喜んでたよ。あんたの行動は間違いなく人のためになった。だから正しい、はい終わり」


    「そうじゃなくてさ!」


    アイルは思わず声を荒げた。夜の静寂を切り裂いた声は、しかし続くことはない。
  24. 24 : : 2017/08/23(水) 21:43:47

    「……なんて言ったらいいか、分からないんだ。理屈じゃないとこで、何かが引っかかってる気がする」

    「だろうね。だって、あんたの考え方は窮屈すぎる! そんなんじゃ息が詰まって当然だよ」


    木の杖を片手で器用にクルクルと回しながら、アルテナは月の光を浴びる小川に目線を落とした。


    「あんた、この川のこと綺麗だと思う?」

    「……は?」

    「いいから答えて。この川、綺麗?」

    「まあ、綺麗だと思うけど。それがどうしたんだよ」

    「この川、一見綺麗に見えるけどね。実は上流の方で毒が溶けてるのよ。だから飲むと身体を壊すわ」

    「えっ……!」


    アイルは驚いて小川を注視する。月の光に輝く川は底がはっきりと見えるほど澄んでいて、とてもじゃないが毒が混ざっているようには見えない。こんなに美しい川だというのに……。


    「ほら、信じられないでしょ? 私が分析したこの川はどうしようもない毒の源だけど、あなたから見たこの川は依然として美しい山中の小川。そして2つの考えはどちらも正しいものなのよ。……でも、あなたは自分から見た小川の姿の方を信じるでしょ? 私の言葉を信じようと思っても、どこかで心が抵抗してしまう。この小川は美しいんだと叫んで聞かない」


    アイルは黙って彼女の言葉を聞いていた。彼女の言葉を聞いていると、胸の中で絡まっていた糸が少しずつ解けていくような気がしたからだ。


    「結局、自分以上に信じられるものなんてこの世にないのよ。だから、正しさに迷うんなら自分の基準を決めなさい。他人の基準なんて使っても、気持ち悪さで頭が痛くなるだけよ」


    これで話は終わりだ、とでも言うようにアルテナは立ち上がった。少女は欠伸を噛み殺しながら来た道を戻ろうとする。


    「じゃ、私はもう寝るから。あんたもさっさと寝とかないと、明日に響くわよ」

    「……待ってくれ、最後に1つだけ」

    「なに?」


    瞳の端に欠伸の涙を浮かべながら、アルテナは振り返った。その顔を真っ直ぐ見つめ、アイルは問う。


    「よければ、お前の基準ってやつを教えてくれないか? いや、勿論それを使おうってわけじゃない。ただ、俺の基準の参考にしたいと思って」

    「……そうね」


    アルテナは暫し考えた後、気持ちゆっくりなペースで答えを口にした。


    「相手のことを考えること。救う相手だろうが、殺す相手だろうが、とにかく相手の気持ちとか状況とかを考える。その上で味方しようとか、敵対しようとか決められるのなら、それは正しい行為になるんだと私は思うわ」

    「相手のことを、考えること……」


    アイルはその言葉を、何度も脳内で繰り返した。そうする度に、胸の奥に詰まっていた何かが削れて流れていくような気がした。


    「……ありがと、アルテナ。なんか気が楽になった気がするよ」

    「なら良かったわ。勇者様に心労で倒れられちゃ、私たち路頭に迷っちゃうもの」


    そう言って、少女は再び歩きだした。彼女が振り返ることはもうないし、彼が呼び止めることももうない。ただ、夜の静寂だけが変わらず辺りに満ち続ける。

    「……よし」

    アイルは手に持った血塗れの剣を、そのまま鞘へと戻した。そして座っていた岩から立ち上がると、野営地に向けて歩きだした。



    これが、青年の懐かしい記憶。


    彼女に命を救われた、最初の夜の記憶だった。
  25. 25 : : 2017/08/23(水) 21:47:01











    「……ん………イルさん……!」

    朦朧とする意識に、誰かの叫び声が木霊する。霞の掛かったその声の方へと引き寄せられるようにして、アイルの意識は記憶の水底から急速に浮上していく。

    そして。


    「起きてください、アイルさんってば!!!」

    「っうおぉ!?」

    「きゃっ!?」


    耳元で鳴り響いた爆音に、アイルは文字通り飛び起きた。そのリアクションに驚いたのか、今度は小さな悲鳴があがる。


    「い、意識が戻ったんですね!? ……はぁー、良かったぁー。突然倒れちゃうんですもん、焦りましたよー」


    安堵の影響か、やけに間延びした口調で喋る女性。その髪の毛は真っ赤な色で、アイルはようやく自分が夢から覚めたことに気付いた。


    「……エレアさん。俺、どのくらい寝てた?」

    「どのくらいって……多分、そんな
    には経ってませんよ? 精々1、2分くらいです」


    それはアイルの体感時間としては信じ難いほど短い時間だったが、なにせ今まで見ていたものは夢である。アイルは言われたことを素直に呑み込んだ。


    「とはいえ、その精々1、2分で私が死ぬほど焦ったことも事実です! そりゃ私も、研究に夢中になって徹夜決めた後とかは倒れたりもしますけど……でもなるべく! 疲れは溜めないように休まなきゃダメですよ」


    「本当にごめん。でも、もう大丈夫だから。意識もはっきりしてるし、受け答えもこの通りしっかりと出来てるし」

    「……むー、なら良いですけど」


    エレアは拗ねたように口を尖らせると、半眼でアイルを睨みつけながら言った。


    「じゃあ、もう大丈夫だって言うんなら質問に答えてくださいよ。さっきの質問に」

    「えっと、確か……勇者は怖くないのか、だっけ」

    「そうです」


    どこか棘のある返答に苦笑いしつつ、アイルは自分の中にある答えを探っていく。彼は笑いながらエレアに言った。


    「結論から言うと、怖くはない。少なくとも自分のルールに従ってる間は」

    「自分のルール、ですか」

    「そう。他人の期待する役目とか、こうすべきだって押し付けられる理想とかじゃなくて、俺が俺のしたいと思うような勇者をする。そうしてる限りは、俺は後悔せずに済むんだ」


    それは、あの夜に彼女に教わったこと。勇者の役目に縛られていた彼を呪縛から解放してくれた救いの言葉。


    「俺のルールは、とにかく相手の気持ちとか状況とかを考えること。その上で、俺がしたいと思ったようにすることだ。……勇者としては、失格だろうけど」


    けれど、彼はそれが悪いことだとは思わない。何故なら彼は自分のルールに基づいてそれを決め、守り続けているからだ。彼は常に理想の勇者であるかは分からないが、常に理想の彼であることは間違いない。そしてそれこそが、彼を支える一番の原動力となっている。

    「……アイルさんは、強いですね」

    アイルの言葉を聞いたエレアは、小さくそう呟いた。彼女は暫く無言で俯くと、やがてぽつりぽつりと零すように言葉を続けていく。


    「私、実はエレメンタルの魔族なんですよ」

    エレメンタル。それは実体を持たない霊体の魔物であり、特定の属性の魔力に長けることを特徴としている種族だ。非常に高い能力を持つ魔物だが個体数が少なく、魔族の間では保護運動すら始められているほどだ。

    アイルは何となく、先ほどの質問の意味が分かった気がした。


    「幼い頃から周囲の期待に応えて生きてきました。魔力の扱いは勿論のこと、学べることは何でも学んで。『みんなが期待する通りの優秀なエレメンタル』になることが、私の全てでした」

    「……その生き方しか、知らなかったから?」


    エレアの話は、アイルにとって他人事ではなかった。それはまさに昔の自分が陥っていた苦悩であり、その苦しみは嫌というほどに知っていたからだ。

    図星を言い当てられて驚いたのか、エレアは僅かに固まった。それからアイルの顔を真っ直ぐに見つめると、小さく頷いてみせる。


    「やっぱり、アイルさんもこっち側の人だったんですね」

    「ああ。俺もエレアさんと何も変わらない、無理やり周囲の期待に応えようとして潰れかけてたんだ。俺が今こうしてるのは、助けてくれた人がいたからで。でも、それはただ単に運が良かっただけで、俺が強いとか弱いとかって話じゃない」

    「いいえ。運も実力のうち、ですよ。冗談とかじゃなく、私はそう思います」


    エレアはそう言うと、アイルに向けていた視線を僅かに上げた。恐らく彼女は今、ここではないどこかを見ているのだろう。
  26. 26 : : 2017/08/23(水) 21:48:49


    「今日、初めてアイルさんを見た時。私ね、なんかイメージと違うなって思ったんですよ。私の想像してた勇者様っていうのは、もっとこう、重苦しいというか……目が死んでいるものだと思っていました」

    「酷いイメージだな」

    「私もそう思います」


    2人は互いに苦笑を交わしあう。


    「でもね、私がそう思ったのにもちゃんと理由があるんですよ。というのも……魔王様。リエルネが時たま、そんな顔をしていたんです」


    聞き覚えのある人物の名前が出てきたのと、エレアがその人物を随分と親しげに呼ぶのとで、アイルは二重に驚かされた。エレアは彼の顔を見てそれに気付いたのか、その人物──リエルネと自分の関係について簡単に説明した。


    「昔、私がティアーズ先生のところで助手を務めだした頃でした。先生の研究所を訪れたリエルネと話す機会があったんです。彼女は私を見るなり、「私の友人になれ」と言ってきました。当時は随分と困惑させられたものでしたが……今思えば、彼女は私の境遇に勘付いていたんだと思います。或いは知っていて声を掛けたのか」

    「似た者同士は惹かれ合うってやつか。うん、それは分かる気がする」


    アイルとリエルネなんて、かつては真っ向から対立していたというのに今では協力して事件を解決する仲なのだ。それと比べればエレアとリエルネの友情はずっと納得がいくというものだろう。


    「リエルネも私たちと同じ、たった独りで役割に縛られている存在でした。……ただ、彼女は強かったんです。アイルさんとはまた別の意味で」


    そう言うと、エレアの表情が僅かに険のあるものになった。


    「彼女は苦しみに耐えていられる女性でした。常に明るく振る舞い、苦悩していることなど誰にも悟らせない。恐らくですが、彼女は自分自身でもその苦しみに気付いていないのだと思います。……ただ」

    「ただ?」


    眉間に皺を寄せながら喋る彼女は何かに憤っているようであり、また同時に、何かを嘆いているようでもあった。


    「少し前から、時々リエルネが苦しみを顔に出すようになりました。私と話している最中に、突然顔を曇らせるんです。それでも彼女は無自覚らしいですが……それは決まって、あなたと会った日の帰りでした。アイルさん」

    「なんだって?」


    思わずアイルが声を漏らした。エレアが語るような事態について、彼に心当たりは存在しない。戦っている最中はおろか別れの際でさえも、リエルネはいつも上機嫌そうな笑みを浮かべていた筈だ。


    「それこそが彼女の強さなんです。一番苦しいはずの時に、それを微塵も表に出さずに秘め続けていられる。むしろ私に対して見せるあの表情の方が、奇跡に等しい出来事なのでしょう」

    「……」


    アイルは、つい先日に彼女と交わした会話を思い出す。

    あの時、自分であっさりと決戦の習慣を終わらせることを提案したかと思えば、それを受け入れたアイルに戸惑うような声を掛けたリエルネ。あれはもしかすると、彼女自身も気付いていない矛盾した気持ちの表れだったのかもしれない。
  27. 27 : : 2017/08/23(水) 21:50:19


    「魔王という立場として、彼女はいつまでも遊んでいるわけにはいかない。実際、魔王と勇者の戦いがもはや意味のない茶番であることは周知の事実でしたし、最初に彼女を焚きつけた反人間派の魔族たちはとっくの昔に失脚しています。魔王であるリエルネにとっては、あの習慣は本当に時間の無駄以外の何物でもなかったんです」


    エレアは左手の人差し指を立てて見せた。


    「ですがリエルネ個人としては、やはり自分と似た境遇の友人と過ごせる時間を失いたくなかったのでしょう。……勇者と魔王ですからね。今のような緊急時を除けば、どうしても会うことは難しくなりますから」


    彼女は話しながら右手の人差し指も立てると、それらを真正面からぶつかり合わせた。指と指は衝突し、共に折れ曲がっていく。


    「リエルネにとって、魔王という立場は何よりも重いものの筈です。それは彼女の存在意義で、彼女の生き方そのものなんですから。……だからこそ、少し気になってたんです。それと天秤に掛けられる勇者という存在が、果たしてどんな人なのかって」

    「それで、俺がド陰気な奴だと想像してたって?」

    「正直に言うと、彼女に負けず劣らず拗らせた人なんだと思ってました。私よりもさらに彼女に近しくて、だからこそ離れがたいのかと」


    そこまで言うと、エレアはふうっと息を吐いた。少し明るくなった声で彼女は言う。


    「でも違いました。アイルさんはちゃんと自分の考えを持っている、真っ当に強い人でした。……何様だって話ですけど、少し安心した気がします」

    「っ……」


    真っ当に強い人。そう評されて、アイルは自分の胸が痛むのを感じた。


    「私はもう、この生き方に慣れちゃいましたから。人の役に立って、人の期待に沿って。それで案外満足してるんですよ。……だから私じゃ、リエルネを助けてあげられないんです」


    違うのだ。彼が勇者という立場に縛られないようになったのは、何も立派な理由からではない。あの夜に救ってもらったからでもない。彼が自分の望むように振る舞おうと決めたのは、もっと醜く、利己的な理由で……。


    「突然こんな話をして、自分勝手だってことは分かってます。けど……それでもお願いさせてください。アイルさん、どうか彼女を……リエルネを助けてあげてくれませんか」

    「……それは違う。俺は、エレアさんの思ってるような人間じゃ……」


    その間違いを正すべく、アイルは口を開こうとする。

    が、しかし。その声は突然室内に響いた第三者の声によって掻き消された。



    「勇者様、エレア君!!」


    図書館の扉が轟音と共に開け放たれる。2人が扉の方を見ると、そこには肩で息をしているノルマリウスの姿があった。


    「先生! 一体何が……」

    「緊急事態だ、急いで上へ!」


    整わない呼吸で、それでも叫ぶノルマリウス。その必死な様子から、上では余程の緊急事態が起きているのだと分かる。

    困惑する2人に向け、老人は地上で起こった異常事態について叫んだ。




    「ドラゴンだ! ドラゴンの肥大種に、街が襲われている!!」


    その言葉に、アイルとエレアは同時に息を飲んだ。
  28. 28 : : 2017/08/23(水) 21:51:53




    ドラゴン。それは数多いる魔物たちの中で、間違いなく最強の種族である。

    その爪は堅牢な城塞の壁を粘土の如く引き裂き、その息は一つの街を容易く燃やし尽くす。その鱗はあらゆる剣を通さず、あらゆる魔法を掻き消してしまう。

    その名は伝説の中に幾度となく語られ、時には万物を創り出す創世者として、時には万物を破壊する破壊者として、その圧倒的な力を振るう。全ての命あるものはその存在を恐れ、敬う……そんな別次元の存在、それこそがドラゴンという魔物なのだ。



    「……これは……」

    地上に出たアイルは、思わずそう呟いていた。

    そこに広がっていたのは惨劇としか言いようがない光景だった。街の至る所で紅蓮の炎が燃え盛り、建物は無秩序に倒壊している。エーゼミリアを護り続けてきた外壁は無残にも打ち崩され、今も人々の叫び声が街中に響き続けている。炎の海の中には現在進行形で炭の塊になりつつある命の残骸が無数に転がっており、アイルの胸に強い痛みを感じさせた。


    「現在は軍が総出で人々を避難させていますが、なにせ火急の事態。進度は思わしくありません」

    「ドラゴンの対処は誰が?」

    「魔王様がお一人でなさっています。曰く、我々の手に負える相手ではないと」

    「正しい判断ではあるが……クソ、あいつ無茶しやがって!」


    アイルは燃え盛る街を見回した。すると、戦場は直ぐに特定出来た。強大な魔力同士がぶつかり合ったのだろう、見上げるほどに巨大な火柱が街の一角から立ち上っていた。


    「2人は安全な場所へ。俺はリエルネに加勢してきます!」

    「あっ、アイルさん!?」


    エレアの声に振り向くこともなく、アイルは一目散に駆け出した。

    炎に包まれた街を駆け抜けていく間にも、強大な2つの魔力は幾度となくぶつかり合う。その余波が彼の身体を打つ度に、アイルは自分の背筋に怖気が走るのを感じていた。

    「あぁ、行きたくねえなぁ……!」

    その呟きは、生存本能から来るものだったか。その道の先に決して低くない死の可能性を感じ取りつつ、それでもアイルが走る速度を緩めることはない。勇者と魔王が協力して、それでも死んでしまいかねない場所こそがこの先の戦場なのだ。そんな場所にリエルネを一人で放っておくことは、少なくともアイルには無理な相談だった。

    「よし、もうすぐだ……!」


    と。彼が街の大通りを真っ直ぐに走っていた、その時だった。
  29. 29 : : 2017/08/23(水) 21:53:16


    彼の真正面に見えていた巨大な時計塔が音を立てて揺れ、次の瞬間、その時計盤をブチ抜くようにして何かがアイルの方に飛来した。

    まるで砲弾の如き速度で迫るそれを、アイルは咄嗟の判断で横に避けようとする。しかし直前でその正体に気付くと、彼はその場に立ち止まって飛来した物体を受け止めた。

    「、うお……っ!!」

    凄まじい勢いによって後ろへ吹き飛ばされそうになるのを何とか踏み止まると、彼は腕の中に抱きとめた物体を急いで覗き込み、声を掛ける。

    「おい、リエルネ! 大丈夫か!?」

    それは、今まさにドラゴンの一撃によって吹き飛ばされたのであろう魔王の少女だった。


    「……っ、アイル、か……」

    「馬鹿野郎、盛大に無茶しやがって……!」

    「魔王、だからな。……民を守らねば……」


    息も絶え絶えに応えるリエルネは、見るからに満身創痍といった様子だった。その身に纏うローブは所々が焼け焦げており、破れた箇所の奥からは真っ赤な肉がその顔を覗かせている。荒い呼吸には時おり濁るような異音まで混ざっており、顔は真っ青に染まっていた。


    「待ってろ、直ぐに回復……?」

    アイルはリエルネを地面に横たえると、回復魔法を行使すべく右手を彼女の前に掲げた。

    次の瞬間。まるで一瞬で昼夜が逆転したかのように、2人の周りから光が消える。アイルが反射的に頭上を見上げると、そこには、太陽の光を遮る巨体の姿。


    「……ッ、これは洒落にならねえぞ……!!」

    それは、目算にして全長50mはあろうかという規格外の巨体。暗闇の中に見えるその腹部には所狭しと灰褐色の甲殻が敷き詰められており、堂々と広げられた両翼には暗赤色の鱗が並んで突き立っている。その体躯に比しては小柄な、しかしそれでも大木の幹のような太さを誇る腕部からは鋭く捻り尖った白爪が太陽の光を反射して輝いている。遥か大空からこちらを睥睨する紅の瞳は狂気と赫怒に歪みきっており、そこに絵物語で語られるような理知的な姿は全くもって存在していなかった。

    「っ!?……くそ、足が……!!」

    ドラゴンという魔物は、そもそもからして空の王の異名を取る存在である。巨大な肉食獣を一飲みしてしまえるほどの巨躯が悠々と空を舞えば、その威圧感に萎縮せずにいられる者はおるまい。あらゆるものがその姿を見上げ、例え戦いの最中であろうと畏怖の念を覚える。それがドラゴンという種族。

    それがあろうことか、過剰な魔力の影響でさらにその身体を巨大化させているのだ。もはやその存在感は神の領域。規格外の巨体は、ただそこに在るだけであらゆる敵対者の心を挫く武器となる。


    勇者たる青年、アイルもまたその例に漏れず。その意思とは裏腹に、彼の足は震えて使い物にならなかった。
  30. 30 : : 2017/08/23(水) 21:54:29


    「……っ、木の魔力よ!」

    ただ、それで終わらないからこその勇者でもある。

    アイルは震える身体を叱責して無理やり声を絞り出すと、高らかにそう叫んだ。その詠唱が鍵となり、彼の身から木属性の魔力が溢れ出す。惑星という埒外の貯蔵庫から莫大な量の魔力が引き出されては、その全てが片っ端からアイルの身体強化に消費されていく。いつしか彼の身体の震えは止まり、その心は敵の動きを冷静に観察出来るまでに落ち着いていた。


    「立ち止まってゆっくり回復してる間はねえな……リエルネ、住民の避難はどの方角に向かって進んでる?」

    「西と南……二手に分けて誘導、しておる」

    「なら、このまま北区に逃げつつ時間稼ぎだな」


    アイルはそう言うと、片手でリエルネを担いだまま猛スピードで走り始めた。その速さは先程までとは比べ物にならず、常人の目には軽い瞬間移動にすら映るほどだ。あっという間にドラゴンの影を抜けだすと、彼はそのまま北端の壁際へと向かっていく。


    「おい、馬鹿……! 逃げてどうする、それでは足止めが……!」

    「大丈夫だ。こっちにお前がいる以上、あいつは必ずこっちに向かってくる」


    確信に満ちたアイルの呟き。すると、まるでそれを裏付けるかのように、彼らの背後から無数の火球が襲い来る。ドラゴンはアイルの予想通り、彼らに狙いを付けて襲い掛かっていた。


    「魔力に飢えた個体が肥大種になりやすい、ってノルマリウスさんは言ってた。なら、あのドラゴンにとって俺らはさぞかし上質な餌に映るんだろうよ」


    休むことなく降り注ぐ炎の雨を躱しながら、アイルはひたすらに走り続ける。

    このままなら、上手く奴を街の外まで誘導出来る。アイルが密かにそう確信した時だった。降り注ぎ続けていた火球が止み、辺りが俄かに静かとなる。何事かと訝しみ、アイルはちらりと背後を見遣る。そして驚きに目を見開いた。

    そこにあったのは、彼ら目掛けて大口を開くドラゴンの姿。そして、その口元へと収束していく暴力的な密度の火の魔力だった。


    「悪い、かなり揺れるぞ!!」

    アイルは両足に目一杯の力を込めると、ドラゴンと自分を結ぶ直線上から出来る限り離れるようにして大ジャンプを敢行した。

    次の瞬間。眩い光が宙に走り……先ほどまでアイルたちが走っていた経路を残さず消し去るように、熱線があらゆるものを焼き尽くした。余りの熱量に周囲の景色が歪む。アイルの背筋を再び強い悪寒が襲った。


    「ふざけやがって……!!」


    ドラゴンは獲物を仕留め損ねたことに気付くと、再び大量の火球を浴びせ始めた。流石に今の熱線は乱用出来るものではないらしい。アイルは胸を撫で下ろしたが、それでも彼らの不利に変わりはない。彼は再び北端の壁に向けて走り始めた。
  31. 31 : : 2017/08/23(水) 21:59:34








    そうして、命懸けの逃走の甲斐あり。アイルたちはドラゴンを郊外の荒地にまで誘導することに成功した。幾ら魔力が無尽蔵とはいえ人間は人間、アイルの体力はもはや尽きる寸前となってしまっていたが、その代わりにリエルネの傷はその大方が癒え切っていた。


    「はぁ、はぁ……やーっとこれで勝負になるぜ」

    「今回ばかりは礼を言うぞ、アイル。お陰で助かった」

    「礼にはまだ早えよ。そういうのは、あいつをどうにかしてからだ!」


    彼らの視線の先には、悠々と空を飛ぶドラゴンの姿。中々死なない獲物に業を煮やしたのか、先ほどからその口元には赤い炎が漏れ出ている。


    「さて、どうしたもんか……やっぱ空を飛んでるのが厄介だな。攻撃するだけでも一苦労だ」

    「ふふ、それに関しては心配するな。私は魔王じゃぞ? やられるにしても、タダではやられん」

    「と言うと?」

    「奴の右翼部の付け根、そこに転移魔法の術式を刻み込んでおいた。送り出す方の術式は私ならば一瞬で用意出来るから、無防備な奴に不意の一撃を見舞ってやれる」

    「その一撃で叩き落とすか……」


    アイルは鞘から剣を引き抜くと、その柄を強く握りしめた。一度大きく深呼吸してから、目の前の敵を真っ直ぐに見据える。


    「やるならさっきの熱線を吐いてる時だ。あれはかなり魔力を使うっぽいからな、間違いなく無防備になる」

    「ふむ、では畳み掛けるタイミングはそこじゃな。……っと、そろそろ来るぞ」


    ドラゴンは顔を振り上げて咆哮すると、その両翼を大きく羽ばたかせた。すると小型の竜巻のような風魔法が複数発動し、アイルたちを包囲するように襲い掛かる。逃げ回るアイルたちに対して、その逃げ場を奪う全方位攻撃。それは完璧な理屈に沿った戦術であり、そして、数分ほど実行が遅かったやり方でもあった。


    「炎の柱よ、風を飲み込め!!」

    リエルネが手に持った杖を大きく振り上げた。すると無数の炎柱が燃え上がり、ドラゴンの竜巻を全て飲み込んでいく。

    さらに、一度立ち上がった炎柱は消えることなく、その内部から無数の炎の砲弾を生み出してはドラゴン目掛けて放っていく。それはさながら固定砲台の如くであり、魔王の操る強力な火属性魔法によってドラゴンの強固な防御が打ち崩されていく。

    猛烈な火球の雨に晒されたドラゴンは魔法の撃ち合いを不利と見たのか、長い雄叫びを上げるとその巨大な翼を大きく広げて滑空を始めた。鋭利な牙の生え並ぶ大口を開け、全長50mの特大質量による突進を敢行したのだ。その威力はまさに破滅的の一言であり、如何なる魔法を行使してもその突撃を防ぎ切ることは出来ないだろう。


    ……ただし。

    「今は俺がいるんだよ……なぁっ!!」


    ドラゴンの質量が規格外なら、ここにいる勇者の身体能力もまた規格外の代物である。彼はリエルネの魔法で隆起した地面ごと高度を稼ぐと、滑空するドラゴン目掛けて躊躇いなく飛び降りる。土の足場を蹴って勢い付いた彼の身体は、まさしく弾丸と呼ぶに相応しいスピードでドラゴンの背部へと迫っていく。

    「食らいやがれ!!」

    その勢いを微塵も殺さぬまま、アイルは剣を振り下ろす。その一撃は斬撃というよりはもはや打撃。大気を震わせる轟音と共に背部の強靭な甲殻を破壊され、ドラゴンの体躯は海老反りに曲がる。苦悶の鳴き声があがった。それを好機とばかりにアイルは赤い鱗の足場を駆け、ドラゴンの頭部にも一撃を加えようとする。如何に強大な魔物といえど、意識を失ってしまえばどうしようもないからだ。


    が、しかし。仮にもそれは神域の魔物。アイルの企みが成功する前に、ドラゴンは大きくその身を震わせたかと思うと……次の瞬間。その巨躯の至る所から灼熱の炎が噴き出し、ドラゴンの全身を包み込んだ。
  32. 32 : : 2017/08/23(水) 22:05:54

    「、熱ッ!!」

    アイルは堪らずその背を蹴ると、地面に向けて飛び降りた。その判断が一瞬でも遅れていれば今ごろ大火傷を負っていただろう、ドラゴンの身体を覆った炎にはそう確信させるほどの火力があった。


    「リエルネっ!」

    「分かっておる!」


    何処からともなく出現したゼリー状の液体がアイルを受け止め、その着地をサポートした。その性質をやや固体に寄せた、リエルネの水魔法だ。

    「ふう、危なかっ……!?」

    何とか無事に着地したアイルはドラゴンの方へと向き直る。そして、彼は眼前の光景に言葉を失った。

    そこに在ったのは空を埋め尽くす無数の魔法陣。大きく翼を広げたドラゴンを中心として空に刻まれていく紅い輝きの群れは、その全てがアイルを標的に定めている。彼はリエルネが遠く離れた安全圏にいるのを確認すると、一気に駆け出すべく足に力を込めた。

    「……ッ!」

    アイルが跳ねるように駆け出したのと、ドラゴンが吠えたのは全く同時のことだった。百を超える魔法陣の全てが炎熱の槍を吐き出し、矮小な一匹の獲物を屠らんとする。荒地の風景が灼熱に歪み、大地に幾つもの大穴が穿たれていく中。アイルは文字通り命懸けで、降り注ぐ炎の雨を回避し続ける。

    「ぐあっ!!」

    が、しかし。荒地そのものを吹き飛ばしかねないドラゴンの猛攻は、流石のアイルにも躱しきれるものではなかった。左腕を炎に飲まれ、彼は苦悶の声を上げる。

    痛みに一瞬動きが鈍り、そしてそれは、命懸けの戦いにおいて致命的な隙だった。

    「やば……ッ!」

    アイルは思わず目を瞑り、直ぐに訪れるであろう痛みに耐えるべく歯を食いしばった。

    けれど。待てども待てども、彼の身体を灼熱が襲うことはない。何事が起きたのかと、アイルは薄く目を開ける。


    「この馬鹿者、戦いの最中に目を瞑るやつがあるかッ!」

    そこには、彼から遠く離れた場所にいた筈のリエルネの姿があった。

    アイルを守るようにして立ちはだかったリエルネは、隆起させた大地を盾にして炎の雨を凌ぎきっていた。しかし、やはり完全に攻勢に回ったドラゴンの猛攻を防ぎ続けるのは厳しいのか、固く食いしばられた口からは低く這いずるような苦悶の声が漏れ出ている。

    その様子を見て、アイルの胸は凍てつくような痛みを訴えた。


    「おいリエルネ、無茶するなっ!!」


    気付けば、彼は思わずそう叫んでいた。


    「無茶せねば2人とも消し炭になるだけじゃろうが、寝惚けておるのか!」

    「でも……」

    アイルが言葉を発しかけた、その時だった。


    「ぐっ……!?」

    ズキン、ズキンと彼の頭が痛みだした。それは閉じられていた記憶の蓋が抉じ開けられる痛み。つい数時間前に経験したばかりの現象だった。

    このままでは、また意識を失ってしまう……!

    アイルは拳を強く握りしめ、意識を繋ぎ止めようと必死で抵抗する。しかし彼の意識を記憶の中へと引き込もうとする力は強く、段々とアイルから現実感が失われていく。現実と記憶の境界が曖昧になり、彼の目の前の景色が二重に映り始める。






    リエルネの後ろ姿は、いつの間にか青年の後ろ姿に変わっていた。彼は見るからに満身創痍で、それなのに構えた剣を下ろしてしまうことはない。

    その理由をアイルはよく知っていた。彼は今、人々を逃がすために魔物の足止めをしているのだ。仲間たちは既に倒れ、彼もまた限界が近い。それでも青年が膝を屈しないのは、彼が勇者であるから。そして彼が人々を守りたいからだ。

    「これは……」

    呆然と呟くアイルの目の前で、青年は襲い来る魔物を次々と斬り伏せ続ける。その姿はまさに鬼神の如くであり、本当に1人だけで全ての魔物を斬り殺してしまいそうだった。

    「……やめろ」

    けれど。そんな後ろ姿に向けて、アイルは無意識のうちにそう呟いていた。何故ならこれは彼の記憶。彼は、この次に何が起きるのかを知っている。知ってしまっているのだ。

    また1匹、魔物の胴を斬り裂いた青年。しかしその体力はもはや最後の一滴まで絞り尽くされており、それゆえに彼は背後から迫り来る魔物に気付かない。忍び寄る凶刃は、無防備に晒された青年の背中目掛けて振るわれ……。





  33. 33 : : 2017/08/23(水) 22:07:44




    「やめろぉぉぉ!!!」

    アイルは思わず駆け寄り、青年の肩を掴もうとした。……しかし。


    「っほ、本気で寝惚けておるのか!? それとも何じゃ、突然自殺願望でも湧いたのか!?」


    そこに在ったのは、今もなお土壁で炎の雨を防いでいるリエルネの姿だけだった。大量の魔物たちも、倒れた仲間たちも、全て跡形もなく消え去っている。

    ただ、そんな景色の移り変わりとは裏腹に、アイルの焦燥は未だ残り続けていた。

    やはり、このままリエルネに無茶をさせるわけにはいかない。そうすれば、自分は必ず後悔することになる。


    彼は理由もなく、そんな確信を胸に抱いた。


    「リエルネ、そのままで転移魔法って使えるか?」

    だから彼は少女へと問う。彼女に無理をさせられぬのならば、自分が少しばかり無茶をするだけの話だ。


    「は!? 突然何を……まだタイミングが違うじゃろう!」

    「お前にだけ無茶をさせるわけにはいかないんだよ! ……頼むリエルネ、俺を信じてくれ。必ずあいつを撃ち落としてみせる」


    アイルとリエルネ、互いの眼差しが交錯する。アイルの瞳が極めて真剣なことに気付いたからだろうか、リエルネもまた真剣な表情のまま彼に言う。


    「……相手に無茶を押し付けたくないのは互いに同じじゃ。その上で、私はそれを呑み込もう。……信じるぞ、アイル」

    「ああ、任せろ。盛大に一発ぶちかましてやる」


    2人はそれだけ言い合うと、後は何も言わなかった。

    リエルネが杖を持っていない方の手を翳すと、アイルの足元に紅い輝きを放つ魔法陣が刻み込まれる。緩やかに光を放つそれを見つめ、リエルネは力強く詠唱する。


    「移ろいゆき、一所に留まらぬ火の魔力よ。万物を流転させる運動の象徴よ。私が刻みし炎の印を道標として、道ならざる道を繋げ!!」


    魔法陣が白い輝きを放ち、アイルの意識が一瞬だけ途切れる。

    次の瞬間、彼は全身に吹きつける風を感じた。気付くとアイルは巨竜の背の上に立っていた。

    「さて……まずは挨拶がわりの一発だ!」

    アイルは手に持った剣を逆手に持ち替えると、一気に巨竜の鱗の間へと刺し込んだ。そしてそのまま鱗の切れ目を斬り開いていくように、彼は竜の身体の上を駆け抜けていく。

    今の今まで壁の後ろに隠れて防戦一方だったはずの敵による突然の攻撃に、右翼部の付け根付近を大きく斬り裂かれたドラゴンは理解が追いつかないようだった。しかし獣の本能がなせる技か、それでもドラゴンは咄嗟に最適の防衛行動を取る。巨竜は自身の周囲に展開していた魔法陣から魔力を奪い集めると、それを用いて再び自らの身体を燃え盛る炎で覆い始めた。

    鱗と鱗の合間から噴き上がる炎に、しかしアイルは逃げることを選ばない。彼は自分の身体が焼けていくのにも構わず、一心不乱にある場所へと向かっていた。そこは先ほど彼が一撃を与えた巨竜の背甲部。無惨にも甲殻が砕けたその場所へ向けて、アイルは懐から取り出した
    ある物を投げ付けた。

    「これでも、喰らえ!」

    その物体は綺麗な放物線を描いて飛ぶと、砕けた甲殻の合間から覗く巨竜の肉の部分へと吸い込まれるようにして落ちていった。……次の瞬間。

    ドラゴンが今日一番の悲痛な叫び声をあげ、その全身から噴き出していた炎の勢いが明らかに弱まった。
  34. 34 : : 2017/08/23(水) 22:09:54


    アイルが投擲した物体。それは、カッテツ村で手に入れた例の隕石の欠片だった。人々を枯渇死にまで追い込んだその物体は、規格外の巨躯を誇るドラゴンからも莫大な量の魔力を搾り取る。生命力でもある魔力を強引に奪われたドラゴンは、一種の目眩のような症状を引き起こしていた。

    そうして無防備になった巨竜の背中に、アイルの渾身の一撃が振り下ろされる。鱗や甲殻による威力の減衰が一切なされなかった勇者の斬撃はドラゴンの肉を容赦なく抉り取り、骨を無慈悲に粉砕した。

    絶叫と共に、ドラゴンの巨体がその高度を落としていく。しかし空の王者の名は伊達ではない。致命的なダメージを受けた巨竜はそれでもなお瞳から光を失わず、己をここまで追い詰めた不敬者を焼き尽くさんと口元に火の魔力を圧縮していた。

    「させるかよ……ッ!!」

    それに気付いたアイルも即座に行動を開始する。彼は今度こそドラゴンの意識を刈り取るべく、その頭部目掛けて全速力で走っていく。


    ドラゴンの熱線が先か、アイルの一閃が先か。

    「……っ!」

    その速さ比べの軍配は、ドラゴンの方に上がろうとしていた。巨竜は純粋な破壊力の塊を自らの口元に収束させると、自らの背を駆ける愚か者に向けてその巨大な口を開いた。アイルが思わず目を見開く。巨竜は勝利の愉悦にその瞳を歪ませた。


    ……が、しかし。


    「魔王(わたし)のことを忘れるでない。不敬であるぞ」


    呟きと同時に。地面から迫り上がってきた鉄の巨塔が、ドラゴンの下顎を激しく打ち上げた。予想外の攻撃に巨竜の意識が明滅する。口元に収束させていた魔力のコントロールが揺らぎ、破壊の熱線の源はあえなく霧散した。

    「これで終わりだ。せめて安らかに眠ってくれ、空の王者」


    一閃。

    アイルの剣が巨竜の頭を真っ二つに両断し、燃え盛るように赤い鮮血が激しく噴き出した。

    完全に力を失ったドラゴンの巨体は重力に逆らうことなく落下していく。そしてそれは、その身体の上に立つアイルにとっても同じことで……。


    「……うわぁぁぁ! やべえ、これ、完全に着地のこと忘れ……!!」


    全身の大火傷と体力の限界によってもはや指一本さえ動かすことの叶わないアイルが、自身の危機を悟り情けない叫び声をあげる。リエルネはその様子を見て、呆れたように溜め息を吐いた。

    「ほれ、回収じゃ」

    リエルネが乱雑に杖を一振りすると、ゼリーのような液体で形作られた触手がアイルの身体をグルグル巻きにして掴み取り、リエルネの下まで引き寄せた。


    「っうお、色々と雑い!」

    「文句を言うな。それとも何か、ああなるのがお望みじゃったか?」


    リエルネは堕ちゆく巨竜を指差して言った。その巨体はじきに地面に激突し、荒野の大地を揺るがした。


    「まったく、心配を掛けさせよって。火傷を無視して特攻など、私のことを無茶だの無謀だの言ってられんぞ! まったく」


    不機嫌そうに言い捨てるリエルネの説教に、アイルは苦笑いを浮かべていた。しかし、それは決して嫌な気分を表すものではない。それはむしろ、平和な日常に帰ってこれたことへの安堵を表す表情だった。

    リエルネは彼のその顔を見て説教が効いていないことを悟ったのか、眉を曲げて大きく溜め息を吐くと。最後にこう言って話を締め括った。


    「……さて。今度こそ礼を言うには相応しいタイミングじゃろう。感謝するぞ、アイルよ。貴様のお陰で私たち魔族は救われた、礼を言う。……それと」


    そこでリエルネはアイルの方から顔を背けると、消え入るような声で早口に捲し立てた。


    「私を助けてくれてありがとう。正直、あのまま炎に晒されていたらどうなっていたか分からんかった」

    「その前のもあるから、今日だけで二つ貸しだな! いやぁ、取り立ての時が楽しみだ」

    「やかましいわ! それを言うたら、そもそも私が炎に晒されたのは貴様を庇ってのことじゃろうが!!」


    かくして、突如街を襲った肥大種のドラゴンの脅威は、勇者と魔王の手によって打ち払われた。巨竜の遺体は郊外の研究所に運び込まれ、勇者への謝礼として手渡された火の魔力結晶を除き、その全てが研究員たちの手によって分析されることとなった。その結果、やはり体内から隕石の欠片が発見され、アイルたちに隕石の恐ろしさを改めて知らしめることになったのだった。
  35. 35 : : 2017/08/23(水) 22:10:26








    そして、時は一ヶ月ほど進み。
    謎の隕石に関わる事件は、突如として急展開を迎える事となる。








  36. 36 : : 2017/08/23(水) 22:12:13






    「いやぁ、それにしてもよく生きてましたよね。ドラゴンの肥大種と戦っただなんて」

    褒めるような、呆れたような。そんな何とも言えない調子でアイルと言葉を交わしているのは、その親友のクリットである。見慣れた緑色のローブ姿ではなく白衣に身を包んでいる彼は、ここ一ヶ月ほど王都にある研究所で隕石の調査を行い続けている。今は夕食を摂るための休憩のタイミングで、彼らは互いの息抜きとして適当な世間話に興じていたのだった。


    「正直、あれが一番やばかったからなぁ。この一ヶ月で何回か肥大種の討伐に出たけど、あのドラゴンと比べれば天と地の差って感じだった」


    この一ヶ月の間で、隕石とその調査を巡る環境には大きな変化が起こっていた。その最たるものが人間と魔族の公式的な協力関係の構築で、彼らは互いに助け合いながら隕石のことを研究し、時おり現れる肥大種を討伐していた。

    アイルはこの肥大種討伐の任を主に任されており、この一ヶ月間様々な場所を飛び回っては理性を失った魔物たちを介錯してきた。それは決して楽しい仕事ではなかったが、我を失った魔物たちが機械的に排除されてしまうことを思えば幾らかマシだとも思えた。理性を奪われ、狂気に堕ちることを余儀なくされた魔物たちもまた隕石の被害者に他ならないのだ。結局は殺すのだとしても、アイルは彼らの姿をその目で見て、しっかりと覚えておきたかった。


    「ま、戦ってナンボの勇者だからな。出来る仕事が尽きないうちは、しっかりやるさ」


    と、アイルが冗談交じりにそんなことを言った時だった。彼とクリットの談笑の場であった休憩室に、コンコンとドアをノックする音が響いた。この休憩室を利用する人間は限られているので、アイルは特に相手の正体を尋ねることもせず入室の許可代わりとなる返事を返した。


    「はーい、どうぞー」

    「失礼します。クリットさんは……あ、いたいた。すみません、明日の実験の話で少しご相談が」


    丁寧なお辞儀と共に部屋に入ってきたのは例の赤髪の魔族の女性、エレアだった。彼女は人間と魔族の協力の一環として魔族側から王都に派遣されてきた研究者たちのリーダーを務めており、最近では隕石研究の主要メンバーとしてクリットと一緒にいることが多い。

    因みにノルマリウスはと言うと、自ら組織した研究チームのリーダーとして彼独自の視点から隕石の研究を行っているらしい。なにやら人間・魔族問わず優秀な魔法使いのみで構成されたチームらしく、隕石に吸収された魔力の移動先を探るための実験を続けているのだという。


    「どうやら、今日のお話はこれでお終いみたいですね。すみません、アイルさん」

    「いやいや、気にすんなって。むしろ暇してる俺の方がおかしいんだしさ」


    クリットは律儀に頭を下げると、部屋の入り口で待っているエレアの方へと歩いていく。そうして2人は休憩室を出て行こうとしたのだが、その寸前、エレアがアイルの方へと振り向いた。


    「アイルさん。もし時間があるなら、リエルネとも話してあげてくださいね。私がこっちに来ちゃって、彼女寂しがってると思いますから」


    それだけ言って、彼女は部屋を出て行った。一人残されたアイルは、その提案について思案する。

    エレアはああ言っていたが、今のリエルネはかなり多忙のはずだ。アイルと話している余裕など無いのではなかろうか? だとすれば、彼から連絡魔法を繋げるのは少し気が引ける。下手をすれば彼女を邪魔することになってしまいかねない。

    ……それに何より、もし魔法が繋がってしまえば、彼にはどうしてもリエルネに伝えなければならないことがある。けれどそれは、彼にとっては非常に言いづらいことなのだった。


    「うーん……でも、いつまでも逃げてばかりじゃ始まらねえか……」


    熟考の末、アイルはリエルネとの連絡魔法を繋げることを決意した。彼らはあのドラゴン討伐以来一度も会っていない。つまり、アイルはもう一ヶ月もの間逃げ続けていることになるのだ。この上にエレアがくれた機会まで見逃してしまっては、いよいよ彼はリエルネと向き合うべきタイミングを見失ってしまう。


    彼は意を決して連絡魔法を唱えた。


    すると。
  37. 37 : : 2017/08/23(水) 22:14:07



    【アイルか。どうしたんじゃ突然】


    彼が思っていたよりも数段早く、魔法は繋がった。実に一ヶ月ぶりとなるリエルネの声を聴きながら、アイルは努めて冷静に話しかける。


    【いや、特に何があったってわけじゃないんだけどさ。時間が余って退屈だったから、なんか話せたら良いなと思って】

    【退屈とは、随分と舐め腐ったことを言いよるものじゃな。こっちは過労で死にそうじゃと言うのに】


    やはりアイルとは違い、リエルネの方はかなり忙しかったらしい。逃げる言い訳を見つけてしまい、アイルの決意は急速に萎んでいく。


    【あー、悪い。こっちの都合で邪魔しちまったな。すぐ切るから許し……】

    【なーに頓珍漢なことを言っとるんじゃ貴様は。確かに私はずっと忙しいが、それは今ではない。今はちょうど休憩の時間じゃ】


    けれど、リエルネは彼を逃さなかった。逃げ損ねたアイルは残念なような嬉しいような気持ちになりながら、それを表には出さぬよう気を付けて話す。


    【んじゃ、遠慮なく暇を潰させてもらうとするか。そっちはどうだ? 隕石の研究、順調に進んでるか?】

    【ああ、悪くない進み具合じゃ。人間と魔族で取り決めた『分業』が思いのほか効果を発揮していてな。ノルマリウスの奴がやけにやる気を出し始めたのもあって、こっちの受け持つ『魔力の経路調査』は順調に解明が進んでおるよ】


    人間側の研究所では『隕石を無力化する方法』を、魔族側の研究所では『隕石に吸収された魔力の行き先の特定』を、それぞれ専門に研究する。それが人間と魔族が定めた『分業』の取り決めだった。これは互いの持つ実験機器やその時点での研究の進捗状況から、そうした方が効率が良さそうだと判断されたからだ。リエルネの話によると、どうやらその判断は正しかったらしい。


    【実はこっちの研究も絶好調らしくてな。これは友達に聞いた受け売りでしかないんだが……木属性と正反対の性質を持つ土属性の魔力を上手く使ってやることで、隕石の機能を停止させられる可能性が見えてきたらしい。今はそのための魔法を組み上げてるとか何とか】

    【おお、それは頼もしいな! エレアのやつも上手くやっているようで何よりじゃ。……現状、各地の隕石は実質上の放置状態にある。周辺の魔力が既に吸い切られておるから、目に見えて大きな被害が出ておるわけではないが……流石にいつまでも放置しておくわけには行かんからな】


    本当に、たった一ヶ月でよくもここまで進んで来れたものだとアイルは思う。それは人間と魔族が手を取り合い、互いに互いを助け合ったからこそ得られた結果だ。それは研究成果や人材の共有といった目に見える部分の話だけに留まらず、両種族の相手に対する考え方の変化といった不可視の要素もまた、調査の急速な進展において大きな役割を果たしていた。


    【なあ、リエルネ。2年前、突然隕石が降ってきた時のこと……覚えてるか?】

    【勿論。あの時は今とは大違いじゃったな……互いに互いの攻撃を疑い、真実が明らかになるまでどれほどの時間が掛かったことか】


    2年前、大陸の全土に無数の隕石が飛来してきた時。人間と魔族は最初、それを敵による攻撃だと勘違いした。それは勇者や魔王がいない隙を突いた不意打ちだと判断されてしまったのだ。互いに敵の領地にも隕石が飛来していたことを知るまで、彼らの怒りや憎しみといった感情はそれはもう酷いものだった。その時のことを思えば、彼らがほぼ和解している現状はそれこそ奇跡のようなものなのだ。
  38. 38 : : 2017/08/23(水) 22:15:42

    【最初の数回は、俺たちの戦いも酷いもんだったよなぁ。特にお前は酷かった。あわよくば殺してやろうってのが見え見えだったぜ】

    【……真実が明らかになったとしても、それを疑う者たちは少なからずいた。そして彼らは人間たちに強い恨みを抱いていた……ならば、私もその意を汲まねばなるまいよ。たとえそれが不合理じゃと分かっておってもな】

    【それは、お前が魔王だからか?】

    【いかにも。私は強大なるドラゴンの力を持つ魔族であり、魔族たち(かれら)を統べる責任を持つ者じゃからな。私一人の考えよりも、魔族たち(かれら)の感情を優先すべき時もある】

    【……それが】


    そうしてリエルネと話しながら、アイルは先日魔王城の地下図書館で交わされた会話を思い出していた。

    彼女は、リエルネが自分の気持ちと役割との矛盾に苦しんでいるのだと言っていた。あの時、アイルは「彼女にそんな様子はない」と答えたが……実を言うと、彼はリエルネのそんな様子に気が付いていたのだ。しかも、とっくの昔に。

    ただ、彼には自分からそこに触れる勇気がなかった。彼女の心の繊細な部分に触れるのが怖かったのだ。かつて自分が同じように苦しんでいたからこそ、そこが一歩間違えれば大爆発を起こしかねない地雷原であると知っていたから。だから彼はリエルネの苦しみから目を逸らし、彼女との中途半端な関係を続けてきた。


    しかし。エレアとの会話を通して、ついに彼は自分がリエルネから逃げ続けてきたことに気付かされてしまった。リエルネが苦しんでいるという事実を改めて突きつけられ、彼はようやく彼女と向き合う決心を固めたのだった。


    極度の緊張に嫌な汗が滲むのを感じながら、アイルはリエルネに問い掛けた。


    【それが、どれだけ不本意なことであってもか? たとえば、殺したくない誰かを殺せと命じられるような】

    【……くどいな。貴様、何が言いたい?】


    リエルネの声が険のあるものに変わった。それは彼女が本気の不愉快を示す時の声で、アイルが彼女の心の際に足を踏み入れた証だった。


    もはや後戻りは出来ない。アイルとリエルネの関係は、どちらに傾くか分からない不安定な足場の上へと乗せられた。


    アイルは改めて意を決すると、彼女の真意を問うべく口を開こうとした。



    その時、だった。
  39. 39 : : 2017/08/23(水) 22:17:43


    【……!? なんじゃ、今の音は……っぐ!?】

    リエルネが突然焦ったように呟いたかと思うと、短い悲鳴がアイルの脳内に響いた。

    【おい、どうしたリエルネ……!? おい、おい! 聞こえるか!? リエルネ!!】

    【………………】

    アイルが叫ぶが、返答はない。悲鳴を最後に彼女の言葉は途切れ、アイルの耳には意味不明な雑音だけが大音量で流れ続ける。何らかの理由でリエルネが魔力のコントロールを失い、連絡魔法の維持が困難となっているのだ。


    「……なんだ、何があった!?」

    脳内にノイズを流し続けたまま、焦った表情のアイルが呟く。あまりにも唐突な出来事に、理解がまったく追いついていなかった。

    リエルネの身に何が起こったのか、考えても考えても推測することすら出来ない。アイルは短く舌打ちすると、休憩室を飛び出ていく。そしてクリットやエレアのいる実験室へと飛び込んだ。


    「ア、アイルさん? 一体どうしたんですか!?」


    酷く焦った様子のアイルを見て、クリットとエレアを始めとする研究員たちが驚きの声をあげる。まずは落ち着いて椅子に座るよう勧めるクリットには取り合わず、アイルは出来るだけ簡潔に現状を説明した。


    「リエルネが……!?」


    動揺したように呟いたのはエレアだった。クリットもその隣で神妙な顔をしている。そんな2人に向けて、アイルはこの場所に飛び込んできた理由を語った。


    「エレアさん、転移魔法で俺を魔王城に飛ばすことって出来ないか!? 前に言ってたろ、魔王城には転移用の術式が用意されてるって!」

    「転移魔法……! なら、僕も付いていきます。アイルさん一人で行くのは余りにも危険です!」


    アイルとクリットの言葉に、エレアは難しい顔を作った。彼女は言いにくそうな様子で答える。


    「転移魔法は、確かに可能ではあります。ですが……私の転移魔法はリエルネのものと比べると余りにも未熟です。生物の転送となると、上手くいくかどうか……」

    「構わねえ。これ以外に方法はないんだ、頼む!」

    「僕も構いません。何も出来ないくらいならば、多少のリスクくらい……!」

    「駄目だクリット、お前は残れ! ……約束したろ、俺たちは必ずこの事件を解決するって。お前にもしも何かあったら、誰が隕石を止めるんだよ」

    「……っ、アイルさん……!」


    クリットは悔しそうに歯噛みする。アイルにも狡いことを言ったという自覚はあったが、それでも彼は後悔していなかった。リエルネの元へ向かうのは彼の我が儘なのだ、そんなものにクリットを巻き込むわけにはいかない。

    エレアは真剣な眼差しでアイルを見つめると、もう一度その決意を確認した。アイルが迷うことなく頷くと、彼女は両手を彼の足元へ向け、転移魔法の術式を刻み始めた。紅い輝きが魔法陣を形作っていく。程なくして術式は完成した。


    「! そうだ、アイルさん。ドラゴンの体内から見つかった火の魔力結晶って、まだ持ってますか?」

    「ああ。一応持ち歩いてるけど……それがどうかしたのか?」

    「貸してください!」


    アイルは言われるがままに拳ほどの大きさの赤い鉱石を取り出すと、エレアに手渡した。エレアはそれを両手で包み込み、何事かを呟く。すると赤い鉱石は仄かな光を発し始めた。


    「これを持っていってください、アイルさん。一回きりですが転移魔法の目印になってくれますから、何か必要なものがあればこちらから送ることが出来ます」

    「向こうで何が起きてるか分からないからな……本当に助かるよ、エレアさん」

    「ふふふ、どういたしまして」


    どこかで交わしたようなやり取りの後、アイルは受け取った火の魔力結晶を懐にしまい込む。それを見届けると、エレアは転移魔法の詠唱に移った。魔法陣が放つ輝きがアイルの身体を包んでいく。



    「僕もここで待機していますから。何かあったら絶対に頼ってくださいね!」

    「アイルさん……どうか、リエルネをよろしくお願いします」


    2人の言葉を最後に聞いて、アイルの意識はブラックアウトした。
  40. 40 : : 2017/08/23(水) 22:21:40








    意識を取り戻したアイルが最初に感じたのは、身を焼くような熱気だった。一瞬遅れて、焦げ臭い香りが鼻腔を満たす。噎せそうになるのを堪えながら、彼は視界が回復するのを待った。


    そして。


    「なんだよ、これ……!」

    転移魔法の成功を喜ぶ暇もなく。その光景を目にした彼は、呆然とした様子で呟いた。

    そこは魔王城の中にある、転移魔法の術式が刻まれた臨時研究室……ではなく。月の光が燦々と降り注ぐ、広大な砂漠のど真ん中だった。

    しかし、彼を茫然自失にさせたのはそんな事ではない。彼を真に呻かせたもの、それは……。



    砂漠の中で折り重なるようにして山を築いている、夥しい数の死体たちの姿だった。



    「……ふむ、どうやら仕掛けておいた罠は正常に起動したようですな」

    「誰だ!」


    愕然と立ち尽くすアイルに向け、背後から何者かの声が掛けられる。彼は咄嗟に振り返り、そして驚きに目を見開いた。


    「……ノルマリウス、さん……?」

    「いかにも。久しくお目に掛かりますなぁ、勇者様」


    そこに立っていたのは、黒いローブに身を包んだ白髪の老人。黄金色の瞳を妖しく光らせる魔族の研究者、ノルマリウス・ティアーズの姿がそこにはあった。

    予想外の人物の登場に、アイルは震える声で問い掛ける。対するノルマリウスは常に微笑を浮かべ、顔色一つ変えないままだ。


    「……罠って、どういうことですか」

    「いや、魔王様を捕らえれば勇者様が飛んでくると考えましてね。エレア君の転移魔法を利用するのは目に見えていたので、少々細工を」

    「この……死体の山は」

    「言うなれば供物、ですかなぁ。私の願いを叶えるために必要だったので、犠牲になって頂いた次第です」

    「……ノルマリウスッ!!」


    全く悪びれる様子もなく淡々と語る老人に、とうとうアイルは剣を抜いて斬り掛かった。鋭い刃が老人の身体を袈裟斬りに引き裂く。しかし次の瞬間、斬られた筈の肉体が陽炎の如く揺らめいたかと思うと、それはそのまま夜の空気に溶けるようにして霧散した。


    「なっ!?」


    「危ない危ない、囮を先に出しておいて正解でした」


    余裕のある声が、再びアイルの背後から掛けられた。彼は勢いよく背後を振り向く。そこには相も変わらず笑みを浮かべるノルマリウスと……その隣に、真っ黒な呪布で全身を拘束されて地面に倒れ伏しているリエルネの姿があった。


    「リエルネ……っ」

    「おっと、下手に動かないようにお願いします。この呪布は対象の身体と同化することでその動きを拘束するもの、無理に剥がしてしまえば彼女の安全は保証しかねますから」

    「ノルマリウス、てめえ……!!」


    アイルは噛み殺さんばかりの勢いでノルマリウスを睨み付けるが、老人は涼しい顔でそれを受け流す。老人は右手に持ったステッキの先端をアイルへと向けると、笑顔のままで言った。


    「勇者様、その剣を鞘ごと地面へ置いてください。これからの話には不要なものですので」

    「ノルマリウス……! てめえ、なんで裏切った……!」

    「剣を。全ての話はその後です」


    アイルは一瞬だけ迷ったが、この状況ではノルマリウスの言うことに従う他ない。仮に不意を突いてリエルネの身柄を奪い返すことに成功したとしてもそれが限界で、彼には呪布をどうにかする手段がないからだ。


    アイルはゆっくりとした動きで、腰に提げた剣の鞘に触れた。……と、その時だった。
  41. 41 : : 2017/08/23(水) 22:23:34


    「やめろ、馬鹿者ッ!!」

    「っ、リエルネ!?」


    意識を取り戻したリエルネが大声で叫んだ。それによりアイルの動きが止まったのを見ると、ノルマリウスは初めて感情を顔に表した。彼は僅かに眉をひそめると、傍に伏せる少女を横目で見遣る。


    「おっと、お目覚めですか魔王様。……困りますなぁ。あと数分ほど目覚めなければ、色々とスムーズに進んだというのに」

    「ノルマリウス、貴様……! よくも私を、魔族たちを裏切りよって……!!」

    「裏切ってなどいませんとも。今も昔も、私は私のままですよ」


    そう言うと、ノルマリウスはアイルに向けていたステッキを横たわるリエルネへと向け直した。そして冷たい声でアイルへと迫る。


    「勇者様、これは警告です。速やかに剣を地面に置いてください」

    「駄目じゃアイル、言うことを聞くなっ! 武器を失ってしまってはこいつの思い通りに……!」

    「ドレイン」

    ノルマリウスが小さく呟き、ひし形の宝石が取り付けられたステッキの先端をリエルネの身体へと押し当てた。……すると。


    「!? うっ、ぐううぅ……っ!!!」

    少女の身体が大きく跳ね上がり、口からは抑えきれない苦悶の呻き声が溢れ出た。白い額には一瞬で大量の脂汗が浮かんでおり、明らかに尋常な様子ではない。


    「やめろ、ノルマリウスッ!!」

    「剣を」

    「っクソ、これで良いんだろ!?」


    アイルは急いで剣を鞘ごと取り外し、地面に投げ捨てるようにして置いた。それを見たノルマリウスは満足げに微笑むと、リエルネに押しつけていたステッキを横に一振りした。砂漠に一陣の風が吹き、アイルの剣を遠くへと吹き飛ばす。


    「結構です。これでゆっくりとお話が出来るというものですね」

    「アイル……! この、馬鹿者め……!!」


    リエルネは肩で息をしながら、アイルの行動を非難する。アイルは吹き飛ばされていった剣の行方を目で追ってから、ノルマリウスへ静かに尋ねた。


    「ノルマリウス……なんで、こんなことを?」

    「簡単なことですよ。私は見つけたのです、素晴らしい未知の在り処を」

    「未知の在り処……だと?」


    ノルマリウスの言葉に、アイルは訝しむような視線を向ける。


    「ええ、その通りです。……そもそも、事の始まりは一ヶ月前。私と勇者様が初めて対面したあの日に、全ては動き出したのです」


    ノルマリウスはそう言うと、一層笑みを深くした。


    「一ヶ月前、私は勇者様の協力を得て隕石の向こう側にいる存在を調べようとしました。そしてそれは見事に成功したのです。私は、隕石に吸収された魔力の行く先を特定しました。……さて、勇者様。果たして消えた魔力はどこに集まっていたのだと思いますか?」


    答えが思い浮かばず、アイルは無言のまま立ち尽くす。それを見たノルマリウスは小さく微笑むと、手に持ったステッキを空高く掲げて見せた。そして高らかに宣言する。


    「それは、月! あの空に浮かぶ天体の下へと、魔力は集められていたのですよ」

    「月、だと……!?」


    アイルは思わず言葉を零していた。月という言葉はそれだけ予想外で、規格外すぎる答えだった。


    「驚く気持ちは分かります。さしもの私も冷や汗を掻きましたからな。……しかし私は驚きこそすれ、決してその結果を疑いはしませんでした。そして考え得る全ての方法を用いて、その結果について調べ上げた。……そして、私は発見してしまったのです」


    そこまで言うとノルマリウスは、一旦言葉を止めて目を瞑った。その様子は心の準備をしているようにも、歓喜の震えを堪えているようにも見える。老人はやがて目を開くと、全ての核心となる事実を口にした。



    「月の内部に、途轍もなく巨大な『星を喰らう化け物』が眠っていることを」
  42. 42 : : 2017/08/23(水) 22:25:56


    「……は?」

    初め、アイルは老人が冗談を言っているのかと思った。この期に及んでアイルたちをからかい、遊んでいるのかと。

    しかしアイルを見つめるノルマリウスの瞳は真剣そのもので。それが冗談ではないのだと、アイルは嫌が応にも確信させられてしまう。


    「それは、万物を生み出す星の生命力たる木属性の魔力を喰らうことによって命を繋ぐ異質な生命体です。惑星間を航行し、獲物となる星を喰らい尽くしてはまた次の星へと移る。まさに宇宙規模の災厄」


    顔面蒼白になっているアイルとは裏腹に、老人は恍惚とした表情で悪夢のような現実について語る。彼の口調には段々と熱がこもり、語気は強くなっていく。


    「ただしその化け物は、喰らう量も常識外れなら生命維持に必要とするエネルギーの量も常識外れ。ですから万が一にも枯れた惑星などに喰らいついてしまった日には、供給が足りずに餓死してしまいます。……だからこそ化け物は、次の惑星へ移る前に品定めをするのです。それこそが例の隕石の役割!」


    徐々に早口になりながら、ノルマリウスはなおも捲し立てる。


    「一つの星を食い尽くした化け物はその星の内部で休眠状態に入り、次の標的となり得る惑星に向けて自身の一部だけを射出します。そして数年を掛けてその惑星を品定めした後、十分な魔力があると判断すれば惑星間航行の準備に入る。即ち、移動に必要な分の魔力を、先んじて飛ばした自らの欠片から集めようとするのです」

    「その結果が、あの集団枯渇死事件……!」

    「その通りです。月に潜む怪物は今この瞬間も魔力を蓄え、この惑星へと飛び立つ日を今か今かと待ち望んでいる。……それを知った時、私の胸は年甲斐もなく高鳴りました! 未知、未知、未知! あらゆるものが理解不能な神秘的存在を、今すぐにでもこの惑星に招きたくなった!」


    老人の言葉に、アイルは怖気がするほどの不気味さを感じた。つまり目の前の男は、一ヶ月前の時点では本当に隕石事件を解決するつもりだったのだ。そんな彼は調査の途中で好奇心をくすぐられる物を見つけてしまい、それが文字通り世界を滅ぼすものだと知った上でなお、興味深いという一点のためだけに世界を捨てることを選んだ。それは完全に常軌を逸した行動原理であり、だからこそアイルは目の前の老人に対して恐怖と嫌悪を覚えずにはいられなかった。


    しかし当の本人はというと、そんなアイルの態度には一瞥もくれず。ノルマリウスは両腕を広げて叫ぶと、自らの隣で倒れ伏している少女を見下ろして言った。


    「魔力の保有量が多い優秀な魔法使いを集めるのは、拍子抜けするほどに簡単でした。適当な調査結果と過度に誇張した被害予測を提出すれば、専門チームの結成は一瞬で認められた。後はただ魔力を搾り取るだけで良い。隕石の解析によって魔力吸収の原理は大体分かっていましたから、これも楽な仕事でした」


    ノルマリウスは右手に持ったステッキを弄びながら語る。先ほどのリエルネの様子を見るに、あのステッキも魔力を吸収するための道具なのだろう、とアイルは推察した。……そして、それが次に誰に対して振るわれるのかも。


    「そうして月の怪物に魔力を送り続けた私でしたが……それでもまだ、最後の一押しが足りない。そういうわけで、こうしてわざわざ勇者様に出向いて頂いたというわけです。この世で最も多くの木属性魔力を持つ、勇者様に」


    そう言うと、ノルマリウスはステッキを片手にゆっくりとアイルに近付いていく。それを見たリエルネは思わず声を上げた。


    「おいノルマリウス、貴様まさか……!」

    「勇者様、あなたの魔力を吸い取らせて頂きますよ。なに、心配は要りますまい。惑星と繋がっている貴方ならば、万に一つも枯渇死することはないでしょうから」


    アイルは何も答えず、ただ静かにノルマリウスを見つめている。その様子を見てリエルネは叫ぶ。
  43. 43 : : 2017/08/23(水) 22:26:48


    「アイル、私のことは構うな! そいつの企みを成就させてはならん!」

    「……」

    「アイル、貴様は勇者であろうが! 救うべきものを見誤るな!」


    リエルネの必死の訴えにも関わらず、アイルは無言を貫き続ける。そうしている内に、ノルマリウスがアイルの側まで辿り着いた。


    「ご理解、感謝致します。流石は勇者様、その頭脳は聡明で……」

    「うるせえ。……てめえの考えなんて、誰にも理解出来ねえよ」

    「そうですか。ま、それでも構いませんがね」


    心底どうでも良さそうに呟くと、ノルマリウスは手に持ったステッキを無造作にアイルへと叩きつけた。その瞬間、アイルを凄まじい虚脱感が襲う。


    「!……ッ、ぐぅぅ……!!」

    「魔力の吸収のみを考えて人工的に作ったものですからね。あの隕石とは吸収速度・量ともに桁が違います……流石の勇者様でも、そこまで苦しみますか」


    身体中から生気が奪われていく感覚に、アイルは思わず膝をついた。腹の底から湧いてくる吐き気に気分が悪くなったが、吐こうにも上手く身体が動かない。視界がぼやけ、耳鳴りが脳内に響いていくのだけが辛うじて分かった。しかしその感覚すらもじきに失われ、アイルの意識は深い暗闇の底に引きずり落とされていく。



    意識が遠のいていく中で彼は、自分の名を呼ぶ少女の声だけを最後まで聞き続けていた。
  44. 44 : : 2017/08/23(水) 22:28:42










    青年は、茫然自失となりながら呟いた。

    「……なん、で…………」


    青年……アイルの周辺に転がるのは、夥しい数の魔物の死体。魔物の群れに襲われた人々を逃がすために足止め役を務めたアイルは、仲間たちが次々と倒れていく中で一人立ち上がり続け、まさに鬼神の如き活躍でほぼ全ての魔物を斬り伏せた。

    しかし、その活躍の最後の最後になって、彼の体力は限界の更に底を迎えてしまった。背後から襲い来る魔物の凶刃に対応出来ず、彼は為す術もなく自らの最期を覚悟した。


    ……覚悟した、というのに。


    「……ったく、あんたって奴は。……最後の、最後で、締まらないんだから……」


    アイルを庇って致命傷を受けた魔法使いの少女は胸を真っ赤な血で染めながら、紫色の唇で笑みを作った。


    「アルテナ……お前、なんでそんな……馬鹿なこと……」

    「人の、命懸けの行動を……馬鹿扱いとは……失礼にも程がある、っての……」

    「……!! もう喋るな、今回復魔法を……!」

    「あー、もう無理。そんくらい分かる……それよりさ、話、聞いてよ……最後にさ……」


    少女……アルテナの胸からは血が滲み出し続け、顔色は刻一刻と悪くなっていく。アイルは涙で顔をグシャグシャにしながら、少女の右手を両手で強く握り締めていた。


    「……ねえ、アイル……一応、言っとくけどさ。これからの旅で……私の仇討ちとか、そういう、つまんないこと考えたら……容赦しない、からね」


    途切れ途切れに発されるアルテナの言葉を聞き、アイルの表情が俄かに固まった。それを見たアルテナは、聞き分けのない子供をあやすような表情で言う。


    「図星、だったか……ほんと、それだけはやめてよね……。私が、何のために……あんたを助けたか、分からなくなる……」

    「……! ほんとだよ、お前、なんで俺なんかを助けたんだ……! 俺なんて中途半端な勇者で、いい加減なやつなのに……!!」

    「……助けたかったから、かな……。ごめん、何となく身体、が動いたから…………あんまし、ちゃんと、答えらんないや……」

    「……なんだよ、それ……っ!!」


    アルテナの最後の方の言葉は、もはや耳を澄ませていないと正確に聞き取れないほどに掠れてしまっていた。

    アルテナの命がこの世から失われていくのを目の当たりにして、アイルが感じた感情はもはや言葉に出来ないほどグチャグチャで複雑なものだった。彼はせめてアルテナの言葉を一字一句聞き漏らすまいと、涙で窒息しそうになりながらも彼女の声に耳を澄ます。


    「……ねえ、アイル……私が、命懸けで……助けたいと、思ったのは…………ただの、あなただから……」

    か細く鳥が鳴くような呼吸音の中に埋もれた掠れ声を、青年は必死に拾う。少女の最後の言葉を、決して聞き逃してしまわぬように。


    「……勇者、も……アイル、も…………おっちょこ、ちょいな、ドジも…………かっこ、いい、あな、たも…………」

    身体の感覚がなくなって、息をするのも苦しくて、靄の掛かった頭が酸欠の痛みに塗り潰されていく中で。それでも少女は震える口を動かして、最期の言葉を押し出していく。青年が自らの道を、決して違えてしまわぬように。


    「ぜん、ぶ………あわ、せて…………わたしの、すきな……………あなた、だっ……、……………」

    すう、と。少女が息を引き取る音が、青年の耳に静かに届いた。


    青年は少女の亡骸を抱いて泣き続けた。気が狂いそうになるほどの悲しみが、胸が張り裂けてしまいそうな哀しみが、容赦なく青年の心を壊そうとする。


    それらの慟哭から青年の心を守り抜いたのは、彼の中で繰り返し回り続ける少女の最期の言葉だった。最後の最後まで少女に守られっぱなしだったことに気付き、青年はまた涙を流した。
  45. 45 : : 2017/08/23(水) 22:30:43










    意識を取り戻したアイルが最初に感じたのは、全身に染み渡る不快感だった。身体中が冷え切っているような感覚があり、指先一本すらも動かすことが出来ない。夜空に固定された視界をぼんやりと意識しながら、彼は何とか全身の感覚が戻ってくるのを待つしかなかった。


    「……む? 吸収が止まった……残量なし。そうか、惑星からの供給スピードを吸収スピードが上回った結果、一時的に勇者様の魔力が枯渇したということですな」


    ノルマリウスはそう呟くと、アイルの身体に押し当てていたステッキを引き離した。


    「惑星に知性があるかどうかは知りませんが、異常事態に勘付いて勇者様への魔力供給を止められでもしたら洒落になりませんからね。ここらで一つ、休憩と行きましょうか」


    老人はそう言うと、全く無警戒な様子でアイルに背を向けた。彼はその老いた見た目に相応しいゆっくりとした速度で歩きながら、背後に転がるアイルへと言葉を掛ける。


    「私は先ほど吹き飛ばしてしまった剣を拾いに行ってきます。捨ててしまうには勿体無い代物、なにせ勇者の剣ですからね。研究し甲斐がありそうですし……。勇者様はその間、魔王様と喋るなり何なり、お好きなようにお過ごしください。私は必要だから魔力を吸い上げるだけであって、別に勇者様を苦しめたいわけではありませんので。ファンですからね」


    表向きはアイルに敬意を払っているようだが、その実は圧倒的な優位に支えられた余裕の表れ。そんな自信をノルマリウスは誰に恥じることもなく見せびらかすと、緩やかな足取りで剣の下へと向かっていく。


    とはいえ。アイルは力の源となる魔力を最後の一滴まで絞り尽くされ、リエルネは呪布による拘束で一切の魔法行使を封じられている。しかもアイルには呪布による拘束を外せる技能がなく、それゆえにノルマリウスを攻撃することも叶わない。ここまでの条件が揃っているのだから、ノルマリウスが余裕を隠さぬ態度を取るのも無理からぬことではあった。

    「アイルッ!!」

    リエルネの叫び声がアイルの名を呼んだ。彼女はいつの間にか、拘束された状態のままでアイルの側まで這いずって来ていた。


    「貴様、この大馬鹿者が!! 私に無理をするなと散々言っておいて、自分は何度無茶をすれば気が済むのじゃ!!」


    リエルネの非難は、今のアイルの耳には痛かった。なにせ今さっき見た夢と似た構図であるのに、自分の立場だけは真逆になってしまっていたからだ。……ただし、そのお陰で彼は、今なら伝えるべきことを素直に伝えられるような気がした。あの日、少女の言葉に救われたアイルだからこそ、今度は少女に言葉を伝えなければならないのだと思えた。


    「リエルネ……一つ、話を聞いてくれ。さっきの会話で言おうとしてたことの、続きだ」


    アイルは震える口を動かして言葉を吐き出し、辛うじて動くようになった顔を傾けて、覗き込む少女の紅い瞳を見つめ返す。その態度に不吉なものを感じ取ったのか、リエルネは強い拒絶の意思を示した。


    「何を言っておるんじゃ、縁起でもない! 今はそんな場合では……」

    「大丈夫だ。これを遺言にしようとか、そういうんじゃない……それをされた側がどんだけ堪えるか、知ってるからな」


    アイルは真っ直ぐと、リエルネの顔を正面から見つめた。リエルネはそれを見つめ返した後、やがて決心したように言った。


    「……何か、考えがあるんじゃな?」

    「これから大博打を打つ前に、心を決めておきたい。そのために……お前の本心を聞かせて欲しいんだ、リエルネ」


    一瞬の無言の後、リエルネは静かに頷いた。それを見たアイルは力の入らない表情筋にそれでも出来るだけの力を込めて、ぎこちない笑顔を作った。
  46. 46 : : 2017/08/23(水) 22:32:19


    「さっきさ、聞いただろ? お前は魔王としてなら、どれだけ不本意なことでもやれるのか、って。あの答えを、聞かせてくれ」


    アイルの問いに、リエルネは眉間に皺を寄せた真剣な表情で答えを口にした。


    「……ああ。必ずやるさ、やり遂げるとも。それが魔王であるということであり、私にしか出来ぬことなのじゃから。……何より。私が魔王であることを望んでいるのは、他ならぬ私じゃからな」


    リエルネは僅かに目を細め、遠い記憶の中の何かに想いを馳せるようにして言葉を継いだ。


    「幼い頃は、誰かから押し付けられた立場のために己を曲げるのが死ぬほど嫌じゃった。何度も逃げ出しては、その度に臣下の奴らを困らせたり、怒られたりした。その度に私は世の理不尽を呪ったものよ。自由に生きることさえ出来ぬとは、この世はなんという地獄なのか! とな」


    アイルは何も言わず、ただ静かにリエルネの独白を聞き続ける。月夜の砂漠の静寂の中に、少女の声だけが響く。


    「じゃがな。大きくなっていくにつれ、私は知った。この世には存外多くの、私にしか出来ぬことというものがあり……私にしか救えぬ者たち、というものが存在することにな」

    「……」

    「幼き頃に世の理不尽を嘆いたからこそ、私は、同じように理不尽に嘆く魔族(なかま)たちを見捨てたくはなかった。だから私は決めたのじゃ。私は魔王として、私の手で救えるものがあればそれを救おう、とな」


    そこで一旦息を吐くと、リエルネは少し穏やかになった声で話をこう結んだ。


    「じゃから、私のことを気にする必要はないよ。無理をしているのではと心配してくれるのは嬉しいが……私はこれで存外、自分の望むように生きておる」


    そう言って、少女はアイルに微笑んだ。


    「…………そうか。ああ、分かった。ありがとなリエルネ。これでやっと、俺も自分のやるべきことが分かった」


    そう言うと、アイルは僅かに動くようになった右手をゆっくりと持ち上げて、リエルネの顔の側へと近付けた。一体何だろうかと、リエルネが目を瞬かせる。
    アイルは、先ほどのリエルネの笑顔に返すように微笑みながら。




    「……この、大馬鹿野郎がっ!!」


    その額に、思いっきりデコピンを食らわせてやった。
  47. 47 : : 2017/08/23(水) 22:34:34


    「っ!!?」

    突然の一撃に、リエルネの脳内に大量の感嘆符と疑問符が乱舞する。驚いて目の前の青年を見つめるリエルネに対して、アイルは随分とスッキリした顔をしていた。まるで、やっとやってやったぜ、とでも言わんばかりの輝かしい笑顔。


    「な、な、何するんじゃ貴様ーーーっ!!」


    思わず大声で叫ぶリエルネ。それを見たアイルは悪戯っぽく笑ってから、まるで何でもないことを言うかのように、あっさりと言った。


    「お前さ。……本当は、自分の考えを曲げるのとか大っ嫌いだろ」


    拍子抜けするほどに、はっきりと。呆然とするリエルネに対し、アイルはそう言い切った。

    「……は?」

    「お前の、その目。似たような目をした奴を知ってるんだよ。そいつは何事も自分で考えなきゃ気が済まない性質(たち)の奴で……その結果命を捨てちまうような、大馬鹿だった」


    リエルネに語りかけながら、アイルはかつての記憶……初めて彼女と出会った時のことを思い出す。

    戦場で初めてリエルネと向かい合った時、アイルは思わず言葉を失って立ち尽くした。倒すべき宿敵であったはずの魔王は、しかし見ていて息が詰まりそうになるほど無機質な目をした少女で。彼はすぐに、自分が勇者として振る舞えなくなるであろうことを悟った。彼女は、倒すべき敵と見做すには余りにも不自由すぎた。


    「たまにいるんだよ。自分の芯が強すぎて、その芯に沿って生きてなきゃ違和感で死にそうになっちまうような不器用な奴が。……お前も、そうなんじゃないのか?」

    「何を……決して、そんなことは」

    「そうじゃなきゃ、眉間がそこまで皺だらけにはならねえんだよ。まったく」


    ハッとして、リエルネは自らの額に手をやった。つい先ほどアイルにデコピンを食らった場所には、確かに手で触れて分かるほどに深い皺が刻まれている。


    「……いいや、違う。違うんじゃ。これはな……」

    「この際だからハッキリと言ってやる。いいか、お前はな……ビックリするぐらい致命的に、魔王に向いてねえ!」


    リエルネは再び、頭をガツンとハンマーで殴られたような衝撃を感じた。自分が魔王に向いていない。その言葉は、彼女にとって自分の人生を否定されたも同然の言葉で。


    「貴様、それは……!!」

    「自分にしか救えない誰かを助けたい。ああ、その志は立派だよ。でもな……そのためにお前が救われないんじゃ、意味がねえだろ!」

    「私は自分の望むように生きていると言っておるじゃろうが! 多少無理をしていようが、これが私の選んだ生き方であることに変わりはない……」


    「それが誤魔化しだって言ってんだ! それじゃあ、他人の期待に縛られなくなった代わりに、自分の期待に縛られるようになっただけじゃねえか! ……誰かを助けたい、その願いを叶えることに満足してる。それは嘘じゃないんだろうよ。でもな、そのこととお前が苦しんでることは全くの別問題だろうが!」


    「、っ、それは……!!」


    「いい加減、苦しいんだって認めろよ。誰かに助けを求めろよ! お前がそうしてくれなきゃ、こっちは助けたくても助けられねえんだよ!」


    エレアはかつて、リエルネのことを強い女性だと言っていた。強いから、その苦しみを他者に悟らせないでいられるのだと。

    しかしそれは違う、とアイルは思う。彼女は、強いから苦しみを他者に悟らせないのではない。弱いからこそ、苦しみを他者に悟らせることが出来ないのだ。彼よりも、誰よりも不器用な大馬鹿者。それがリエルネという、アイルが救うべき少女の実態だ。


    「だからもう、無理すんのはやめろ。魔王だからとか、自分が望んだからとか、そういうもんに縛られるのは止めちまえ! 魔王も、自分の願いも、何もかも、全部引っ括めての『リエルネ』なんだろうが!」


    「……っ、そんなの……」


    リエルネはその大きな瞳から涙を溢しながら、歯を噛み締める。そしてアイルに噛み付いてしまいかねない勢いで、怒りを露わに大声で叫んだ。


    「そんな風に出来るのならば、誰も苦労しておらんわ! ならば、貴様の言う通りに、私が本当にやりたいようにやったとして! それで、私にしか救えなかった筈の者たちをどうする? まさか、薄情にも見捨てろと言うのか!? 貴様は!!」


    そう叫び、アイルに迫るリエルネ。そんな彼女を、アイルは真剣に見つめ。


    「……だからお前は馬鹿だってんだ。そんなの、俺たちを頼れば良いに決まってんだろうが」


    彼はおもむろに上半身を持ち上げると、少女の頭を抱き寄せた。
  48. 48 : : 2017/08/23(水) 22:36:05


    「……え?」


    「俺もいる。エレアさんもいる。他にもいっぱい、お前の味方をしてくれる奴はいるだろうが。……だからもっと、誰かを頼れよ。そうすりゃ、お前にしか救えない奴なんていなくなっちまうからさ。お前以外の奴らの力を、あんまり舐めるんじゃねえ」


    突然の出来事に気の抜けた声を漏らすリエルネに、アイルは優しく諭すような調子で言う。


    「お前はな、何事も深く考えすぎなんだよ。何も難しいことなんてない。ただ、お前が本当に心の底からやりたいことを叫ぶだけで良いんだ。それをするのに力が足りないのなら、まずは俺が貸してやる。だからまずは、後先考えずに叫んじまえ。話はそれからだ」


    「…………私、は」


    アイルの身体に顔を埋め、リエルネは呟く。

    それは静かな言葉であり。しかしそれは、数十年の間口にされなかった彼女の本音、我が儘でもあった。


    「私は、あいつが許せぬ。私が大切に守ってきたものを奪い、その上さらに奪おうとしているあいつを、私は何とかして止めたい。……でも、私は死にたくもない。あんな奴に殺されて、もう誰とも会えなくなるなど……私は嫌じゃ……!!」


    リエルネの心からの願いを受け取り、アイルは不敵に微笑んだ。


    「よく言った、それだけ聞けりゃ十分だ! よし、俺も覚悟が決まった。……じゃあリエルネ、一発あいつに見せてやろうぜ。俺たち(・・・)の力ってやつを!」
  49. 49 : : 2017/08/23(水) 22:38:25




    「……さて。どうですか、ご歓談は楽しめましたかな?」

    「お陰様でな。この通り元気になったよ」

    「素晴らしい。それでこそ月の怪物も喜ぼうというものです」


    片手にアイルの剣を提げて戻ってきたノルマリウスは、彼の顔を見るなり上機嫌そうな笑みを浮かべた。吸収するに十分な量の魔力がアイルに戻ったと判断したのだろう、ノルマリウスは微笑んだままアイルに近付いていき……その側に倒れているリエルネを見て、怪訝な顔をした。


    「ところで、魔王様が随分と静かなようですが……」

    「お前のとこまで叫び声は届いてたろうよ。下手に興奮するから、眩暈を起こしたんだ」

    「先ほどの魔力吸収が予想以上に効いていたのやもしれませんね。まぁ、それもどうでもいいことですが」


    ノルマリウスは興味を失ったとでも言うようにリエルネから目を逸らすと、アイルの眼前で立ち止まった。右手に持ったステッキを彼に突きつけ、老人は笑みを深くする。


    「では、作業を再開しましょう。効率化のため、出来るだけ意識を保って耐えるようにお願いしますね。勇者様」

    「……っ、ぐぅぅ……っ!!」


    身体中から魔力が抜けていく感覚は、何度体験しようとも慣れるものではない。尋常でない不快感と虚脱感に苛まれながら、それでもアイルは意識を保つべく必死で歯を食いしばり、血が出るほどに拳を握り締める。

    ここで意識を失ってはならないのだ。いずれ訪れるそのタイミングまで、アイルはひたすら耐え続けていなければならない。


    「……なぁ、ノルマリ、ウス…………ッ!」

    「これは驚いた。先ほどとは意識の保有時間がまるで違う……やはり貴方は面白い人です、勇者様。私、やはり貴方のファンですよ」


    顔中に脂汗を滲ませながら声を絞り出すアイルを見て、ノルマリウスは思わず純粋な賞賛の言葉を口にした。ただし、それはあくまでも彼目線での賞賛である。アイルは不愉快そうに眉を顰めると、吐き捨てるように言った。


    「その言葉に、喜べてた頃の自分が……馬鹿みてえだよ。……結局、てめえは……自分の都合でしか、他人を見ねえ……俺の、大っ嫌いな、タイプだ……!!」

    「……はあ、そうですか。まあ良いんですがね。勇者様がどう思われようが、私はただ自分の興味の赴くままに貴方を利用するだけですので」


    アイルの言葉を気にした様子もなく、ノルマリウスはただ淡々と言葉を述べる。そこにあるのは未知への好奇心の対極にあるもの、即ち既知への圧倒的な無関心だ。

    そしてそれこそが、ノルマリウス・ティアーズという老人にとっての無自覚なアキレス腱だった。


    「……はっ………他者への、その無関心が……お前の、最大の欠点だよ。ノルマリウス」


    次の瞬間。

    横から攫うようにして押し寄せてきた炎の波に、ノルマリウスの身体は一瞬で呑み込まれた。


    「ッ!!?」


    突然の出来事に短い悲鳴をあげるノルマリウス。その隙を突いたアイルは火達磨になっている彼の手から剣とステッキを奪い取ると、ステッキを思いっきり遠くへとブン投げた。


    「ぬっ、ぐぅ、おおぉっ!!!」

    腹の底から湧き出るような怒号をあげ、ノルマリウスは魔法で全身に纏わり付く炎を掻き消した。そこには、先ほどまでの余裕に満ちた老人の姿は既になく。肩で息をするノルマリウスは、炎が飛来した方向を見て目を見開いた。


    「貴様は……魔王ッ!? 何故だ、何故魔法が……拘束の呪布が、何故外れているのだッ!!?」

    「貴様の助手のファインプレーじゃよ、ノルマリウス。……いや、この肩書きはもはや蔑称になってしまうの。エレアに悪いな」


    そこに立っていたのは、呪布による拘束から解き放たれたリエルネだった。彼女は右手に持った赤い鉱石、火の魔力結晶をノルマリウスへと見せ付ける。
  50. 50 : : 2017/08/23(水) 22:40:08


    「転移魔法とはそもそも、対象を分解した後に再構築する大魔法。それでも私の身体に同化した呪布だけを分解し、転移させるというのは想像を絶する難易度だったじゃろうが……それでも、私の友人はやり遂げてくれおったわ」

    「俺の親友もな。元々他人のサポートが得意な奴ではあったが……いや、鼻が高いね」


    リエルネとアイルは口々に自らの友人を賞賛すると、それぞれの得物である杖と剣の切っ先をノルマリウスへと向ける。万全の状態ではないとはいえ、彼らは世界最強の勇者と魔王。形勢は完全に逆転していた。


    「……ふふ、は、ははははは!!」


    だというのに。ノルマリウスはあろうことか、心の底から愉快そうに笑いだした。突然の奇行に二人が眉を顰めていると、ノルマリウスは堰を切ったように喋り出す。


    「素晴らしい、素晴らしい素晴らしい! まさかそんな奥の手を隠し持っていたとは! 君たちならば少しは面白いことをしてくれるかとは思っていたがここまでとは本当に予想外だ! エレア君彼女は流石私の助手だ良い仕事をした、お陰で私はまた未知数に出会えた感謝しよう君にも君たちにも全ての運命に!」


    「……なんだ、この後に及んで言い訳か? 流石に見苦しいぜ」


    「し、か、し! 感謝と私の敗北は別問題だ。何故なら私は未だ未だ未だ未だ知るべきことが多すぎる、故にぃ…………月の怪物は諦めよう。彼の目覚ましは、私が有効活用させてもらう」


    そう言うと、彼はローブの中から何かを取り出した。それは例の隕石の欠片。しかしどこか微妙な違和感がある。


    「それは……」

    「私が特別に調整した隕石の欠片だよ。君らが奥の手を隠し持っていたように、私も奥の手を隠し持っていたというわけだ」



    そう言うと、ノルマリウスはその欠片を持ち上げ……飴玉ほどの大きさのそれを、ゴクリと飲み込んだ。



    「っな……!!」


    「さて、さてさてサテさて……キミたち、ここカラがワタシたちの、ほんとうのショウブだよ」



    隕石の欠片を飲み込んだノルマリウスの姿は、みるみるうちに変貌を遂げていく。その身体は歪な水膨れのような肉塊に飲み込まれていき、肩口からは巨大な一対の大鎌が、下半身だった場所からは多足類じみた無数の甲脚が、それぞれ急激な勢いで生え伸びていく。その不気味な変容を目の当たりにして、アイルは呆然と呟いた。
  51. 51 : : 2017/08/23(水) 22:42:16


    「まさか……隕石の欠片から魔力を逆流させて取り込んでるってのか!?」


    「あやつ……自らを人為的に肥大種にするつもりじゃ。急激な魔力流入によって器を無理やり押し拡げておる……しかし、あれはもはや自殺行為に等しいぞ。どんな精神力をしておれば器を壊さず耐え切れるんじゃ……!!」


    余りにも異様な光景に、アイルやリエルネも迂闊に手が出せない。そうこうしているうちにノルマリウスの変容は完了し始めた。

    それは、巨大なカマキリに人間の肉を混ぜ込んだような醜悪な怪物だった。元のノルマリウスを思わせる部分は、もはや黄金色に輝く瞳しかない。そんな化け物は天高く掲げた鎌を擦り合わせると、地の底から響くような気味の悪い鳴き声を発した。


    「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


    もはや意味のある音声とは認識しようのない化け物の鳴き声を聞きながら、アイルとリエルネは武器を構えた。


    「土に金! 極限まで硬度を上げて……突き刺されッ!!」


    リエルネが杖を前方へと突き出す。すると彼女の周辺の大地が盛り上がり、無数の巨大な鉄杭が化け物目掛けて射出される。身体中に穴を穿たれ、肉を抉られたカマキリの異形は甲高い叫び声をあげた。

    「まだまだ、こいつも喰らえッ!!」

    鮮血を撒き散らす化け物に対し、その側面に回り込んだアイルが斬り上げの一閃をお見舞いする。脚部から頭部までを一直線に斬り裂かれ、異形はさらに大量の血を噴き出した。

    それは戦いと呼ぶことが躊躇われるほどの、余りにも一方的な展開だった。リエルネの魔法とアイルの斬撃を前にして化け物は為す術もなく、ただ焼かれ、抉られ、斬り刻まれていく。


    「……っ、なんだこいつ……!?」


    が、しかし。

    最初にその違和感に気付いたのは、最も近くで化け物を観察していたアイルだった。


    「どうしたんじゃ、アイル!?」

    「こいつ……斬っても斬っても、再生してやがる! しかも、その度に体積が増していってる。駄目だリエルネ、このまま攻撃を続けてもジリ貧になるだけだ!」


    アイルはそう叫ぶと、一旦状況を立て直すべく化け物から距離を取ろうとする。


    が、しかし。


    「、うおッ!?」

    何かに足元を引っ張られ、バランスを崩したアイルは背中から地面へと叩き付けられた。何事かと思い足元に視線を遣ると、そこではドロドロに溶けた肉を固めたような暗赤色の触手が、アイルの足首付近へと巻き付いてその自由を奪っていた。

    「こいつ、新しいパーツまで!!」

    触手を剣で引き千切りながら、アイルは叫ぶ。化け物の本体を見ると、その背中の部分にあった水膨れが破裂し、その中から先ほどの触手が無数に伸び出ていた。


    「過剰な魔力に身体が肥大化するだけでは飽き足らず、新たな部位まで発生させるとは……!」


    火炎弾で化け物を攻め立てていたリエルネは攻撃の手を止め、唸る。その背後で密かに、大地が泡立つように隆起した。


    「リエルネ、危ないっ!!」

    それを見たアイルは咄嗟にリエルネの背後へと滑り込むと、大地から射ち出された無数の鉄杭をギリギリのところで弾き飛ばした。


    「それは、私の魔法……っ! まさかこやつ、この一瞬で……!?」

    「なんつー成長速度だよ、クソ!」


    斬られても燃やされても即座に再生し、敵の攻撃を学習して自らのものとしては、新たな手数として自らの攻撃に加えていく異形の怪物。化け物の攻撃は戦いが長引くほどに強く、多彩になっていく。余りにも理不尽な猛攻に、アイルたちは早くも追い詰められ始めていた。

    そして。


    「っぐあ!!」

    「、うっ!!」


    異形の腹部から生え出た巨大な肉の槌がアイルへと叩き付けられ、風の砲弾がリエルネの身体を斬り裂いた。二人は猛烈な衝撃を受け、砂漠の砂を巻き上げながら吹き飛ばされていく。

    金属同士を擦り合わせるような鳴き声で、異形が勝鬨の声を上げた。月の光によって作られたその影のシルエットは絶え間なく波打ち続け、新たな部位を絶えず形成し続けている。
  52. 52 : : 2017/08/23(水) 22:43:14


    「……ぐ、やべえな、これは……」

    ボロボロの身体で立ち上がりながら、アイルは苦々しく呟いた。ノルマリウスによる魔力吸収の影響もあり、彼の身体はもう思い通りに動かなくなりつつあった。

    「せめて、どうにか傷を与えられれば……」

    同じく、苦々しい様子でリエルネが呟く。距離が開いて小さくなった異形の姿を見つめる彼女に向け、アイルは荒い呼吸で尋ねる。


    「傷を与えられる手段さえ用意出来れば、何とかなりそうか?」

    「一つだけ、賭けに近いが策がある。……しかし、肝心のその手段が……」

    「ばっかやろう、また一人で考える!」


    アイルは空いた左手でリエルネの頭を軽く叩くと、抗議するような視線を向けてきた少女に対して大真面目に宣言した。


    「任せとけ、あいつに傷を付けられる状況は俺が作る。……だから、その後は信じて任せるぞ」
  53. 53 : : 2017/08/23(水) 22:45:21



    未だ膨張と成長を続けている異形の怪物は、今や最初とは似ても似つかぬ姿と成り果てていた。


    カマキリのような身体の、前面には肉の塊で出来た槌が。側面には鋭い牙の生え並ぶ口が。背面には熟れた肉から伸びるミミズのような触手が。後部からは大木を切り出した丸太のような太さの尾が。様々な要素がゴチャゴチャに混ざり合った怪物は、もはや形容されるべき言葉を持たず。ただその場に立ち尽くして、ひたすらに泡立ち続けていた。


    と、そこに、先ほど吹き飛ばされたアイルが戻ってくる。両手に剣を握った彼は、一心不乱に怪物の元へと駆け寄ってきていた。生物としての防衛本能か、それともノルマリウスの執念が成した技か。異形の化け物は近付いてくるアイルを敵と定め、再び排除しようと襲い掛かる。

    「おらよっ!!」

    アイルは上空から迫り来る触手を斬り裂き、横に薙ぎ払う鎌の一撃を屈んで躱し、叩き付けられる槌を横っ跳びに転がることで回避した。しかし彼は化け物の攻撃を躱しきったものの、攻撃するチャンスを見出せなかったのか、再び化け物に背を向けて距離を取り始めた。化け物は逃げるアイルを風の砲弾で追い立てつつ、自らの巨体でも彼を追いかけ始めた。

    「クソッ、こいつ、容赦ねえな……!!」

    炸裂する風の砲弾に煽られて体勢を崩しつつも、アイルは必死の足取りで化け物から逃げ続ける。……しかし、そんな彼の努力を嘲笑うかのように。異形の怪物は大気を震わせる鳴き声をあげると、その身体を小刻みに震えさせた。


    次の瞬間。

    「……は? なんだよ、それ……」

    突如、アイルの全身を暗闇が包み込んだ。彼は咄嗟に上空を見上げ、そして余りにも理不尽な光景に口から息を零す。
    そこに在ったのは、つい先ほどまで彼の遥か後方にいたはずの化け物の巨体だった。

    「転移、魔法……ッ!」

    アイルは反射的に横に跳んだが、化け物のボディプレスを躱すにはその反応は余りにも遅すぎた。異形の脚部が、彼の下半身にのし掛かる。

    「ぐあああぁっ!!!」

    魔力によって強化されているアイルの身体は潰れこそしなかったものの、絶えずのし掛かり続ける重圧に彼の身体はミシミシと悲鳴をあげる。骨が徐々に砕けていく痛みがアイルを襲い続けていた。


    「クソ、クソ、クソッ! こんな所で、俺は……!!」


    堪え難い苦痛に叫ぶアイルの姿を見て、化け物は黄金色の瞳をグンニャリと歪ませた。異形の怪物はその愉悦のままに、足元のアイルを叩き潰すべく肉の槌を大きく振り上げ……



    「……なんて、言うと思ったかよ。バーカ」


    次の瞬間。


    眩ゆい閃光が宙に走り、怪物の上半身を跡形もなく消し飛ばした。そこを駆け抜けた熱線の余りの熱量に、怪物の周辺の景色は歪み……そして、消し飛んだその肉体は一向に再生する気配を見せなかった。
  54. 54 : : 2017/08/23(水) 22:46:43


    そう。今化け物が立っている場所こそは、先ほどアイルがノルマリウスのステッキを投げ飛ばした場所だった。
    化け物の再生が絶え間ない魔力の供給によって支えられている現象だとすれば、何らかの方法で魔力を吸収してやれば再生は止まるはずだとアイルは予測を立てており、そしてその予測は見事に的中したのだった。


    「今じゃ、アイル!!」


    遠くから、かつての強敵の火炎魔法を再現したリエルネが叫ぶ。アイルは上半身の分軽くなった化け物の身体を蹴り上げてその足元から脱出すると、リエルネが予想した化け物のコア……ノルマリウスが飲み込んだ隕石の欠片を破壊するべく、剥き出しとなった怪物の体内へと飛び乗っていく。

    ……すると。


    「な、ぜだ……なぜ、私が、負ける……!?」


    アイルの眼前で肉の断片が盛り上がったかと思うと、見覚えのある老人の姿が形作られた。老人……ノルマリウスは幽鬼のように虚ろな目でアイルを睨みつけながら、自身の敗北の理由を問い続ける。


    「魔王……勇者……貴様ら如きに、この、私が……!!」

    「だから言ったろ、ノルマリウス。……お前の敗因はその、他者への極端な無関心だ!」


    怨嗟の声を吐き続ける老人の肉人形に向け、アイルは剣を構えて駆け出した。そして、



    「勇者ァァァァァ!!!!!」


    「冥土の土産に覚えていきやがれ……! お前を倒したのは、『アイル』と『リエルネ』だってなぁぁ!!!」




    鋭い一閃が、ノルマリウスの肉人形を真っ二つに斬り裂き。




    小さな隕石の欠片が、音を立てて砕けた。
  55. 55 : : 2017/08/23(水) 22:48:12














    かくして、集団枯渇死事件に端を発した一連の騒動は終わりを迎えた。


    ノルマリウスの研究所から見つかった研究資料と、それを基にしたクリットたちの尽力により、各地の隕石は穏やかに無力化されることとなった。この研究の中心となったのが人間であるクリットと魔族であるエレアだったため、両種族の和解ムードはさらに高まった。今では魔族の王国の首都たるエーゼミリアの復興作業にさえも人間の手が加えられており、一応は停戦状態にある戦争が終戦となる日も近いのではないかと噂されているほどだった。


    そんな平和な世界の中で。

    隕石事件解決の一番の功労者である青年と少女は、魔王城の屋上から復興途中のエーゼミリアの街を見下ろしているのだった。


    「……世界はどんどん変わってくな」

    「……そうじゃのう」


    二人が見つめる先には、人間と魔族が手を取り合い一つの建物を修繕していく姿。彼らは未だ様々なギャップに戸惑ってこそいるものの、見ている限り、案外上手くやっているようだった。


    「この分じゃと、もうじき魔王という役割は必要なくなりそうじゃのう。ただの王が、全ての民衆を治める時代が来るか」

    「んじゃ、勇者って役目も要らなくなっちまうな。さてどうする? 俺ら、仲良く無職になっちまうぜ」


    しみじみとした少女の呟きに、青年はわざと戯けてみせた。すると少女は目を瞑り、感慨深そうにまた呟いた。


    「……それもまた、良いじゃろう。次の仕事が見つかるまでは、ただの人間と魔族に戻っても」

    「……そうだな」


    心地の良い風が吹き、彼らの髪の毛を揺らした。

    「なあ」

    青年はふと思い付いたように、傍らの少女に声を掛ける。少女が自分の方を向いたのを確認すると、彼はその顔に優しい笑みを浮かべて言った。


    「改めてよろしくな、『ただのリエルネ』」


    青年がそう言い、少女に片手を差し出す。それを見た少女は顔一杯に花のような笑顔を咲かせ、その手を取った。


    「うむ、これからもよろしく頼むぞ。『ただのアイル』よ!」


    人間の青年と魔族の少女は、互いに笑顔を溢し合い。これから先の未来へ向け、手を取り合って共に歩んでいくのだった。
  56. 56 : : 2017/08/23(水) 22:48:39















    勇者と魔王の物語、或いは。 end

  57. 57 : : 2017/09/03(日) 18:34:01
    すいません。それは二次創作ではなく、オリジナルssですか?
  58. 58 : : 2017/09/29(金) 00:27:29
    オリジナルですよー。

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