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このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。

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魔王とかいまどきそんなの流行らないだろ!

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  1. 1 : : 2017/08/20(日) 20:19:09

    初投稿です。
    至らないところもあるかと思いますが、暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。
  2. 2 : : 2017/08/20(日) 22:27:48

    「――――俺、魔王やめるわ」

    それは唐突な出来事だった。魔国アヴォロスの中心に位置する魔王城の一室。一面黒いレンガの広間、そこを豪奢に飾り立てるシャンデリアやレッドカーペットをはじめとする装飾品や美術品の数々。その中でも一際目立つ場所。いくらか高く作られた城の主――魔王が座るであろう玉座からその気だるげな声は響き渡った。

    そして、その一言は一瞬でその場を凍りつかせ、その場にいる誰もが言葉を失った。しかし、周りのことなど気に留めず、魔王は美しい装飾のなされたマントを無造作に脱ぎ捨てると、扉に向かって歩き出す。
    この時になってようやく、魔王の右腕と呼ばれている老齢の男が魔王を引き止める。

    「魔王様。ご冗談はおやめください。ここにいる皆が困惑しております」

    それを魔王は振り返る事すらもしないまま、鼻で笑う。彼の態度には明らかに深い呆れや幻滅が含まれていたが、そんな雰囲気はすぐに霧散する。そして、魔王は肩をすくめて見せる。

    「冗談なものか。俺は魔王をやめる。もうこんな役目はごめんだ」

    「お戯れを!魔王様とてわかっておられましょう。人族との争いはどうなさるのですか。聖剣は既に勇者を選定したと言います。人魔大戦も近いと言われているこの時期に何故そんなことをおっしゃるか!歴代にも類する者のいない強さのあなたであれば此度こそと国中が湧いているのをお忘れになられたか!」

    千年に一度生まれる魔王への期待。祖国が勝利し、栄光と莫大な利益が国を潤すと本気で信じている。その代弁とも言える言葉だった。その言葉には怒りすら含まれていた。あまりにふざけた言動を考えれば当然とも言えたが、それは魔王にとって逆効果だった。

    魔王は彼の言葉を笑い飛ばした。それは可笑しそうに、腹の底から笑った。

    「っはははは!本気で言ってんのか。人魔大戦なんて一銭の得にもならないことはこれまでで証明されてきただろ。無為に同胞を殺すことに何の価値がある。先代だって先々代だって歴代最強って騒がれていたにも関わらず、大戦の先に死んだ。その意味が分からないほどボケたか?」

    「し、しかし……祖国の誇りを、人族から受けてきた屈辱を、忘れたというのですか!」

    なおも右腕の男は食い下がる。だが、魔王のいうことも動かぬ事実だった。人魔大戦のたびに勇者と魔王は共倒れし、彼らが戦った後には不毛の土地が残る。だがそれでも、怨恨や愛国心といったものは国全体の向かう方向を誤らせる。誇りという形のない何かのために命を捨ててでも戦おうとする。魔王はそんな彼らの姿にため息をひとつ、背を向ける。

    「俺はもう無意味な人殺しに加担する気は無い。それに――」 

    そこで一瞬言葉を止める。それに右腕も怪訝そうに眉をひそめた。震える魔王の肩をみて不興を買ったかとも思った。
    魔王は齢二十にも至らぬ黒髪の平凡な容姿の若い男だ。だがその見た目に反し、すでに顔面偏差値以外は歴代魔王最強の名を欲しいままにしている。しかも、魔王という称号は世襲ではない。千年に一度、魔族から尋常ならざる力を持つ子が生まれる。そして、その子が魔王サタンを襲名し、人族に対する切り札となる正真正銘最強の魔族。
    その力をもってすれば、この世界で二番目の規模を誇る魔族が全て束になってかかろうが、ものの数日と持たず全滅させられるだろう。
    つまり魔王止められるものなど、この国のどこにもいない。
  3. 3 : : 2017/08/20(日) 22:28:47
    右腕と呼ばれ、相当な古強者として名を馳せた彼ですら気付けば首が飛んでいるということも起こりうるのだ。
    つまり魔王の機嫌を損ねようものなら、この場にいるものが全て死ぬこともあり得る。
    だからこそ右腕である彼は危機感を覚えていた。そして慎重にならざるを得なかった。

    「それに……?」

    静かに、魔王の様子を伺うように尋ねる。
    嵐の前の静けさを思わせる魔王の様子に、彼は息を呑み、冷や汗を流しながら返答を待つ。
    自身の命のかかった綱渡りならまだ楽だ。賭けるのは自分の命だけだ。だが、今はこの場のこの国の命全てが下手をすれば消える。
    魔王自身から魔王をやめるなどと言い出すなど前代未聞。尋常ならざる理由があるとしか思えなかった。そしてゆっくりと振り返り魔王が口を開く。
    そして彼の口から出た答えは――

    「いまどき魔王とかそんなの流行らないだろ」

    あっけらかんとして言い放ち、魔王の姿はその場から消えた。

    そしてだだっ広い広間には顔を真っ赤にしてヒステリーになって怒鳴り散らす右腕と、開いた口が塞がらない側仕えの者たちだけが残される。


    こうして、何代目かわからない魔王サタン――アルバは魔王をやめた。
     


     かくして魔王をやめ、人国――イルネキア神聖国を目指して揚々と旅に出たアルバだったが、着の身着のまま、気分の赴くまま、人生までやめそうになっていた。

    何を隠そうこの男、ノリと勢いで城を飛び出してきた為、金はおろか、水のひとつも持ち合わせてはいなかった。恥を忍んで一度帰って身支度を整えればいいものを、偉そうなことを言って出てきた手前戻ることもできず、帰れば面倒ごとも多いだろうと自分に言い訳をして、そのまま旅に出たのだった。

    イルネキアを目指したことに特に意味はない。今まで魔族が争っていた者たちを見たかったといえばそうであるし、ただ知らぬ世界を物見遊山してみたかったといえばそれもそうだ。魔王をやめて行き先を考えた時、真っ先に思いついたのが人界だったからというだけなのだから、結局興味本位と言うに他ならない。

    そこに計画性などあるはずもなく、ろくに魔王城から出ることもなく育ち、旅など一度たりとも経験したことのない彼がどうなるかなど想像に難くない。

    ――――やばい。流石に元魔王、行き倒れて死すはないだろ。

    案の定、人族の村を前に力尽きたのだから世話ない。行き倒れていても元魔王だなんて思いもしない平凡な容姿がせめてもの救いだった。

    肩まで伸びた黒い髪、平均から見ればやや小柄な背丈。元魔王というだけあって筋肉はしっかりとついてはいるのだが、着痩せするのかスラリと、細身に見える。
    やや目つきが悪いが、人を威嚇するほどのものでもなく、特徴的と呼べるほどでもない。

    それこそどこにでもいそうな風貌だ。
  4. 4 : : 2017/08/20(日) 22:30:15
    歴代の魔王は超絶美男美女ばかりだったというのに何故と思わないでもないが、この時ばかりは感謝しかない。引きこもっていた少年が外に出て干からびたくらいにしか思われないだろう。

    とはいえ、助けを呼ぶ声を絞り出そうにも喉が渇いてうまく発音できず、呻き声をあげるだけに終わる。這いずって移動しようにも手足に力が入らない。

    飢餓と乾きは彼を着実に蝕んでいた。目が霞み、意識が朦朧とし始める。最後のあがきとばかりに手足に力を込めるが、それも虚しく終わる。

    そんな彼に影を落とし、じっと彼を見つめる者。

    彼が最期に目にしたのはそれだけだった。完。



    穏やかな微睡みのトンネルを抜けるとそこは一面の幼女だった――

    「いや、アホか」

    「あ、おはよう。お兄ちゃん」

    アルバの目覚めは超至近距離における幼女の笑顔から始まった。

    暖かい布団と柔らかいベッド。実に2日ぶりほどなのだが、はるか遠い記憶のようだった。素朴な木造の部屋の中には穏やかな日差しが差し込んでいる。日照を考えれば昼前だろうか。

    いつもなら微睡みの中でしばらく安らかな眠りの余韻を楽しんで、二度寝などに興じたりするところである。

    しかし、

    「にしても近いな」

    今は現実逃避よりも目の前の幼女だ。何故こんなことになっているのかアルバにもさっぱりわからない。重たい目蓋を持ち上げると、そこには既に幼女だったのだ。

    それにしても、あまりに容姿の整いすぎた幼女だ。歳の頃は十くらいだろうか。大きな翠緑の瞳、桜色の唇。年相応の幼さや愛らしさもあるが、どこか人間離れした美しさのようなものがアルバの目を引きつけて話さない。彼女の白銀の髪もまたその神秘性を後押ししていた。

    至近距離で幼女をじっくり観察するというとんでもない変態趣味を新たにプロフィールに書き加えたアルバだったが、それよりこの少し動けばチッスしてしまいそうな接近戦の方が問題だということを思い出す。

    「ときに幼女よ」

    「幼女じゃないよ?マリアだよ?」

    「ふむ。ではマリアよ。お主何故それほどまでに近いのだ?」

    「んーお顔をよく見るためかなぁ?」

    疑問形かよ。マリアに心の中でツッコミを入れる。しかしアルバの顔など、取るに足らぬどこにでもいる程度の顔だ。魔王であるからとか、魔族であるからということで、人族と比べてそれほど珍しがるような特徴があるわけでもない。
  5. 5 : : 2017/08/20(日) 22:31:10
    二度目になるが歴代魔王は美男美女揃いであり、アルバは魔王であることすら疑われたレベルに特徴がない。魔王が幼い頃から使え、見初められてイケメンと玉の輿でアンアンチョメチョメ淫蕩生活を狙っていた使用人に舌打ちされたこともある。本人は舌打ちするほどなのかと自信をなくしたこともあるが、思春期であれば、アレ?俺、実はイケてんじゃね?と思ってしまうくらいの中途半端な容姿で、そこまでブサイクということもない。

    何はともあれ、それくらい誰もが芸術性を認める顔面というわけでもなければ、前衛的で世界にその芸術性を受け入れてもらえない顔面というわけでもない。

    じっくり眺めても味は出てこないのだ。

    「マリアちゃん。なんでお顔見てるの?お兄さんのお顔に何かついているのかな?それとも、他に何かあるの?」

    「ううん。なにもついてないよー?でも、お兄ちゃん、いつも夢に出てくる人とそっくりなの!」

    夢に見るほど魔王様に憧れてました。ということでもないだろう。そもそも、アルバの顔など知ってる者はいない。なんだかんだと恐れられながらも、勇者ですら出会ったことがない。むしろ巨大でイボイボでトゲトゲの赤紫のカエルみたいなツラの尻尾とかいっぱい生えたやつ。的なイメージ持ってる者の方が多いのではないだろうか。まあ夢というのだから他人の空似みたいなものだろう。

    それに夢で見たという割にはよく見れば彼女の目の下にはうっすらとクマが刻まれている。こんな幼い子が寝ずの看病でもしてくれたのだろうか。折角の愛らしいご尊顔が台無しである。この歳の少女に無理をさせてしまったかもしれないと思えば、いくら魔王をほっぽり出すような男でも罪悪感のひとつも覚える。

    マリアの顔に手を伸ばし、瞳の下をそっとなぞる。すると彼女は怖いのか、くすぐったいのか瞳を閉じ、顔をよじって手から逃れようとアルバから距離を取る。

    「マリア。ずっと看病してくれたのか?」

    「ううん。さっき起きた!」

    「俺の罪悪感を返して!?」

    「ほぇ?」

    すぐに首を横に降るマリアに思わず声を上げるが、彼女は不思議そうに首を傾げるだけだ。勝手に勘違いしたのはアルバなのだから当然かもしれないが、なんとも釈然としない思いだった。

    とはいえ、子供のうちから夜更かしというのは感心した話ではない。アルバはマリアの額に手を当てると、彼女の体に魔力を浸透させる。
    しかし、妙な違和感があった。

    「ん?なんじゃこりゃ。体質か?」

    何故か異常なまでに魔力が通りにくい。
    従来魔力抵抗はその者の魔力に比例する。しかし、彼女の場合は魔力をほとんど感じないにも関わらず、何故か魔力が通りにくい。
  6. 6 : : 2017/08/20(日) 22:34:38
    そういう体質の人間は時折いるらしいが、理由はよくわかっておらず、そういうものらしい。

    しかし、アルバとて元魔王。その程度瑣末な問題だ。膨大な魔力量にモノを言わせてうまく浸透させていく。

    その間マリアは何をしているのかわからないといった様子だったが、特に暴れるでもなく大人しくしていた。

    「よし。いけるな――ヒール」

    マリアの体を青白い光が包み込む。そして少しして光が収まった後、アルバは彼女から手を離す。

    「これでよーし!どうだマリア」

    マリアは何が起こったのかわからないのか目をパチクリさせた後、自分の手足を見たり、尻尾を追いかける犬のようにくるくる回って見たりするが、その姿がまた愛らしく、本当に子犬を見ているようだった。

    「すごーい!なにこれなにこれ!体が軽いよ!お兄ちゃんは魔法使いなの?」

    「お、よくわかったじゃないか。みんなには内緒だぞ?」

    アルバが口元に人差し指を立ててウィンクしてみせると、マリアも嬉しそうに笑いながらそれに倣う。ちょっと疲労を取る程度のことしかしていないのだが、これだけ喜ばれればアルバもやった甲斐があるというものだ。

    二人の内緒のお話が終わり、アルバがベッドから起き上がる頃にはもう昼時だった。というのも、マリアの母親であるアンナがマリアを呼びに来たのだ。

    アンナはアルバが起き上がっているのを見て驚いた様子だったが、すぐにもう一人分昼食を用意すると出て行ってしまった。

    その後に部屋を出て家の中を少し歩いたが、木造二階建ての小さな家で、お世辞にも新しいとは言えないが、古いには古いなりにしっかりと掃除が行き届いており、家主の几帳面さが伺える。

    少ししてマリアと一緒に一階に1階に降りるとアンナが食卓に皿を並べていた。彼女は後ろで三つ編みに結わえられた長い茶髪も艶やかで若々しく、肌ツヤも子持ちとは思えないほどだ。顔立ちも整っているため、いっそ何かの長命種族と言われても納得できる。まさにこの親にしてこの子ということなのだろう。
    しかし、ただ一人、食卓にただならぬ雰囲気の巨体が座していることにアルバは衝撃を受けた。

    筋骨隆々で背丈もアルバより3回りくらいは大きい。肌は浅黒く、スキンヘッドが黒光りしている。狂犬のごとく鋭い目つきに、シワよのよった眉間。日常の中ではあまりに異質。威圧感や存在感が明らかに違うのだ。

    マリアは怯える様子もなく、変わらずニコニコとしているため、まさかと思い尋ねる。

    「マリア。あの人は?」

    「マリアのパパだよ?」

    当然のように告げるマリアにアルバは顎が外れるかと思った
  7. 7 : : 2017/08/20(日) 22:35:14
    あのやたらガラの悪い巨漢と穏やかで人の良さそうな美人が結婚していることもそうだが、それ以上にマリアが生まれて来たという事実に驚きを隠せなかった。神の気まぐれというのは本当に恐ろしいものだ。

    「ふふふ。初めての方はみなさんびっくりされるんですよ。でも噛み付いたりしないから安心してくださいな」

    「驚かせてすまない。私はマリアの父のアレクだ。体の加減はどうだね」

    アンナに続いて、マリア父もといアレクも口を開く。低く渋い声ではあるが、彼の態度を見れば、外見ほど強烈な人間でないことはすぐにわかった。

    「おかげさまでもうすっかり元気です。助けてもらって本当に感謝してます。何かお礼でもできればいいんですけど」

    「そんなことは気にしなくていい。元気になったとはいえ、まだ万全ではないだろう。今日も泊まっていくといい」

    「あら。それはいいわね。マリアも喜ぶわ」

    「お兄ちゃん、お泊りするのー?マリアと遊んでくれる?」

    「いや、しかしこれ以上迷惑をかけるわけには……」

    アルバも流石にそこまで図々しくなれるわけもなく、せっかくのお誘いではあるが辞退しようと考えた。せめて何か返せるものでもあればよかったのだが、それすらない。流石に好意に甘えすぎるのは良くない。

    しかし、アルバの言葉にマリアの様子が変わる。先ほどまで、花が咲くように笑っていたマリアはアルバの顔を見上げて目尻に涙を溜めていた。

    「お兄ちゃんお泊まり嫌なの?マリアと遊んでくれない?」

    マリアは唇をかみしめて、今にも決壊しそうである。どうにかしようと、アンナやアレクに助けを求める視線を向けてみるが、アンナは口元に手を当てて笑っているし、アレクは慌てて目をそらす。

    「あらあら。泣かしちゃったわねぇ。ひどい男の人だわ?ねぇ?あなた?」

    「ああ。そうだな男の風上にも置けん」

    ロクでもない夫婦である。彼らなりの優しさなのだろうが、アルバからすればたまったものではない。

    「ああ、もう!わかったよ!わかりました!今日はお世話になります!ほら、マリアとも遊んであげるから泣きやんで!」

    半ばヤケクソ気味に叫んで、なかなか泣き止む気配のないマリアを担ぎ上げて肩車する。そこまでしてようやく、マリアの表情は晴れてくれるのだった。

    それからは比較的和やかな昼食だった。

    人族と魔族との食の違いに関しては幾許かの不安があったが、実際食べてみればそう違いはなかった。
  8. 8 : : 2017/08/20(日) 22:36:48
    ただなんとなく、一家の団欒を邪魔しているようでアルバは少し居心地が悪かった。唯一の救いといえば、マリアの無邪気さだ。彼女はアルバがその場にいることを素直に喜んでいるのか、楽しそうに食事をしていた。

    食事を終え、アルバが食器の片付けを手伝おうと思っていると、マリアが服の裾を引っ張る。

    「お兄ちゃん、お兄ちゃん。マリアと遊ぼー?」

    約束した手前遊ばないわけにもいかないが、今はとりあえず片付けくらいは手伝わないとアルバの居心地が悪い。

    「ちょっと待っててな。お片づけ終わったら一緒に遊ぼう」

    「じゃあマリアも一緒にお手伝いするー」

    「アルバさん。ここの手伝いはいいから、マリアの遊び相手になってあげてくれると嬉しいわ。普段あまり私たちは構ってあげられないから」

    そう言われるとどうしようもない。マリアが皿のひとつでも割ってしまっては危ないだろう。そういう意味ではむしろ下手に手伝う方が迷惑がかかるだろう。

    アルバはマリアを抱き上げると、ひとまず家の外に出てどうするか考える。子供と遊んだことなどないから何をするのかもわからない。なのでとりあえず聞いてみることにした。

    「マリア。じゃあなにして遊ぼうか?」

    「あのね、あのね!マリア、魔法使いたい!」

    また唐突かつ、大変な申し付けを受けてしまった。幼い子供が魔法を見てしまえば、使いたくなるのも無理はない。マリアに限っては大丈夫だろうが、危険が伴わないとは断定できない。

    しかし、ここで断ってまた泣き出されても困る。なんとか妥協案を見つけ出したいところだった。

    「よし。んじゃ家の裏の林でやるか」

    まあ、魔法と言えども一概に人を傷つけるものではない。なんとかなるだろう。そんな思いでアルバはマリアを抱えて林の中に入っていくのだった。


    「よーしではアルバ先生の魔法教室はじめるぞー」

    「わーい!」

    アルバの言葉にマリアがぱちぱちとささやかな拍手を送る。

    二人は林の中に小さな広場をみつけ、その真ん中に向かい合って座っていた。

    「じゃあ魔法について一から説明するから、ちょっと退屈かもだけど、ちゃんと聞くように」

    「はーい!」

    手を上げてマリアは大きな返事を返す。そして、よほど楽しみなのか目を輝かせているが、これから話す内容はそれほど面白いものでもないため、少し先が思いやられた。

    しかしまあやると言ったからにはできるだけ簡潔に教えるしかない。
  9. 9 : : 2017/08/20(日) 22:37:43
    「まずマリア。魔力ってわかるか?」

    「わかんない!」

    わからないことでもすごく元気の良い返事である。とりあえずこの歳の子の魔法に対する知識なんてものは、それはもうなんかすごいアレみたいなものだろう。ちちんぷいぷいの世界だ。

    「魔力っていうのはな、体の中とか大気とか土とかあらゆるものが持っている力の源だ。これを使って魔法を発動する」

    アルバの言葉を聞いてマリアは目を見開いて合点がいったと言うような顔をして、急にしたり顔になる。

    「マリアそれ知ってる。心の力だね!正義の心で、悪い人をやっつけるんだよね」

    多分どこかの本で得た知識だろう。それを胸をそらして、自慢げに語るが、実際はそこまで単純な話ではない。

    とはいえ、その知識も全く見当はずれというわけでもない。魔力精製は精神力と深く関係していると長年の研究の結果に結論づけられているし、魔法の行使においてその結果を決定するのは、その人の想像力や精神的要因が大きい。

    魔力という純粋なエネルギーに対して特定の属性を与え、指向性をもたらすのは人の意思だ。
    その資質次第で魔法は人を生かすことも、殺すこともできる。

    とりあえずその辺の認識の差を埋めてやる必要があると言える。

    「マリア。さっき俺が魔法を使った時のこと覚えてるか?」

    「うん!なんかぐるぐるーってして、急に体がふわーってしたの!」

    なんとも抽象的な表現だったが覚えているのであれば問題ないだろうと、アルバは話を進める。

    「そのぐるぐるーってしたのが魔力だ。俺の魔力をマリアの体に染み渡らせたんだ」

    「おー」

    アルバのマリア式に合わせた説明に合点がいったのか、マリアは何か関心したようにして、自分の体をペタペタと触ってみたりしている。
    そして何かに気づいたのか急に顔を上げて、アルバににじり寄る

    「じゃあマリアにも魔力ある?」

    「マリアがお化けじゃなければ、間違いなくあるよ」

    「えーおばけやだーマリアおばけじゃないよー」

    マリアはおばけが嫌いらしい。こんなに露骨に嫌そうな顔をするマリアをアルバは初めて見たかもしれないというくらいには嫌そうだ。

    これくらいの歳ならおばけが怖いのは無理もない。
  10. 10 : : 2017/08/20(日) 22:38:39

    「まあそれはさておき、才能というのはある。でも多分マリアは才能あるぞ。きっと大人になったらすごい魔法使いになれる」

    「ほんと!?マリア魔法使いになれるの?」

    「ああ。でも今は簡単なのからな」

    「はーい!」

    アルバの言葉にマリアは上機嫌だ。それだけ彼女にとって魔法という存在は憧れなのだろう。

    それに、マリアの才能については口から出まかせというわけでもない。今朝アルバが魔法を使った時、マリアには魔力が浸透しづらかった。

    いくらか大きな魔力を持っている証拠だろう。

    しかし、あまり調子に乗せるのもよくないとアルバは黙っていることを決めた。

    「んじゃまず魔法の基礎からいくぞ。魔法には基本の『火』『水』『風』の三属性に加えて、特殊属性『空』『地』の二属性がある。ここまでいいか?」

    「だいじょうぶです!」

    それこそ走ってきたのかというほどに頰を上気させ、食い気味に熱のこもった視線を向けてくるマリアに少し押されつつも、アルバは続ける。

    「『火』は熱や運動といった『万象の動』に、『水』は逆に鎮静や癒しといった『万象の静』に、『風』は大気や大地といった『自然の理』に関係すると言われている。この三属性は練習をすれば誰でも使える。残り二属性はごく限られた者しか使えないから今回は説明を省くぞ」

    「はい!先生!難しくてわかりません!」

    勢いよく手を挙げたマリアが、臆面もなく告げる。この素直さは武器だが、ここまで潔いといっそ面白い。

    「まあそうだろうな。実演するので、ちゃんとみているように」

    そういってアルバは掌サイズの水球と火球を浮かべてみせると、マリアが目を輝かせる。

    「わーすごーい!魔法だー!」

    「危ないから触るなよ。この水球が水魔法、火球が火魔法、この二つを浮かせてるのが風魔法だ。なんとなくわかったか?」

    「うん!それよりこれどうやったらできるの?早く教えてよー」

    そろそろ小難しい話に焦れてきたらしい。マリアくらいの年頃ならそれも仕方ない。早く自分も魔法を使ってみたくて仕方がないのだろう。

    アルバも初めて魔法を教わった時はそうだった。昔のアルバがマリアほど純真だったかと言うと難しいところではあるが、それはそれだ。
  11. 11 : : 2017/08/20(日) 22:39:28
    しかし、実際に魔法を教える前に確認しなければならない。マリアであれば心配はないだろうが、一応の確認だ。

    「マリア。教える前にお兄ちゃんと約束してくれ。絶対に魔法を誰かを傷つけるためや、悪いことに使わないこと」

    アルバの真剣な雰囲気を感じ取ったのか、マリアも表情を引き締める。いつもニコニコして可愛らしいマリアだが、こんな表情もできるのかと驚かされるほどに、鋭く美しさを感じさせる真剣さだった。

    それをみてアルバは余計に安心した。

    「約束すら。マリア、悪い魔法使いにはならないよ」

    「そうだな。マリアならきっと大丈夫だ」

    アルバが相好を崩してマリアの頭を撫でてやると嬉しそうに笑う。それはいつも通りの愛らしい彼女だった。

    「じゃあいくぞ。まずは
    体の中に意識を向けるんだ。さっきのぐるぐるを思い出して、自分魔力を動かしてごらん」

    マリアは目を閉じてむむむんと何かをひねり出すように念じる。

    ………。

    「どうだ?マリア」

    「全然できない……」

    「うーんじゃあもう一回やってみるか」

    そういってマリアの中に再び魔力を流してやる。するとマリアはくすぐったそうに身をよじる。

    「どうだ?できそうか?」

    「うーんわかんないけど、やってみる!」

    そのセリフから二時間。そろそろ陽が傾き始めたが、マリアの魔力が動くことはなかった。マリアは負けず嫌いなのか、あきらめたりぐずったりすることなく必死に取り組んでいたが、成果が出ない。

    そんな姿はアルバから見ても流石に気の毒になってくる。普通才能がないほど簡単に魔力運用ができる。魔力運用から小さな属性魔力球を出すくらいなら長くても一時間くらいがいいところだ。

    しかし、予想に反してマリアには魔法の才能があった。魔力量が多ければ多いほど動かすのに労力も時間もかかる。ここまでの才能となると人間の宮廷魔道士クラスでもおかしくはない。

    しかし、問題は今のマリアにとってそんなことは重要ではないだろうということだ。

    「うぅ〜〜〜!」

    今にもマリアは泣き出しそうな顔で目尻に涙を溜めながらも、魔力を動かそうと必死に頑張っている。
  12. 12 : : 2017/08/20(日) 22:40:03
    ここまで頑張って報われないというのはいくらなんでもこの歳の女の子には酷だ。なんとか魔法を使わせてやりたいとアルバも考える。

    「よし。マリア。ちょっとこっちへ来てくれ」

    アルバが声をかけるとマリアは絶望したような表情をしてトボトボと肩を落として歩いてくる。もう陽が落ちるから帰ろうと言われると思っているのだろう。

    「マリア。よく頑張った。頑張ったマリアには先生からご褒美がある」

    「……ごほうび?」

    マリアの目に少しだけ光が宿る。

    「マリア。あっち向いて手をかざしてみろ」

    「……?」

    よくわからないのか頭の上に疑問符を浮かべながらも黙って従い、アルバに背を向けて手をかざす。

    それを確認するとアルバはマリアの頭に手を置いて少量の魔力を流す。そしてくすぐったそうにするマリアに声をかける。

    「よし。ちょっと難しいかもしれないが、この魔力を制御してみろ」

    「うん。やってみる」

    失敗の経験が彼女の自信を根こそぎ持っていってしまったのか最初のような元気はない。

    「大丈夫。マリアならできる」

    そういうとマリアは集中してアルバが流した魔力を制御しようとする。それに合わせて少しずつアルバは魔力の制御を手放していく。

    マリアが魔力を自分の制御下に置いたことを確認するとマリアの集中を乱さぬよう、耳元で小さく話す。

    「そのまま手に魔力を集めて、水を放出するイメージをしてみろ。そしたら次で最後だ。俺の言葉を復唱してみろ」

    マリアはアルバの言葉にしばしの沈黙の後小さくうなづく。それに合わせてアルバは詠唱をはじめる。

    「"水よ穢れを流せ"」

    「"水よ穢れを流せ"」

    マリアはアルバの言葉を鈴の音のように美しい声で、歌うように復唱する。そしてそこでアルバは口を閉じる。

    すると、マリアの口が自然と続きを紡ぎ始める。
  13. 13 : : 2017/08/20(日) 22:42:22
    「ウォーターシャワー」

    マリアの詠唱が終わるとともに、マリアの手のひらから霧状の水が放たれる。その威力は花の水やりにでも使えるという程度のものでしかないが、魔法の行使にはかわりない。

    魔力が切れ、魔法の発動時間が終わるとマリアは勢いよくアルバの方を勢いよく振り返り、飛びついてくる。

    「すごいすごい!ありがとうお兄ちゃん!」

    よほど嬉しかったのかアルバの腹に頭をぐりぐりと押し付けてはしゃいでいる。

    「ごめんなこんなズルするみたいな感じで」

    「ううん!すごかった!ありがとう!」

    マリアの頭を撫でながら言うアルバにマリアは顔を上げていつにも増して眩しい笑みで答えた。

    「よし。じゃあそろそろ帰るか。アンナさんとアレクさんが心配するしな」

    「うん!」

    二人は手を繋いで帰る。こうしてアルバとマリアの魔法教室は幕を閉じるのだった。

    家に帰ると既に夕飯の用意がされており、完全にアルバ達が待たせる形になってしまった。マリアが魔法の練習をしたことを盛大にバラし、アルバが魔法を使えることがバレて、やたらと出自やらなんやらを根掘り葉掘り聞かれたこと以外特筆すべき問題はない。

    正直誤魔化すのに苦労したのでアルバは食事の後は無駄に疲れたような気がした。マリアは疲れたのか食事を終えた頃には眠そうに目をこすっていた。

    今日は初めての魔法を使うのにあれだけ苦労したのだから無理もないだろう。結局、身体を拭く前にアルバにしがみついて寝てしまった。

    これくらいの村の家に風呂場などあるわけもなく、濡れた布で身体を拭く程度なのだそうだが、この際、魔法が使えることがバレたのだからとアルバが魔法を使って体の汚れを落とすと非常に喜ばれた。

    その後にもアルバからなかなか離れないマリアの引き剥がしに苦労したりはしたが、つつがなく1日が幕を閉じた。


    そして次の日。アルバは出立する前にお礼をしようとまだ外が暗いうちから寝床から抜け出していた。何をすればいいかとあれこれ考えながら、身支度を整えて部屋を出る。階段を降りて今に向かうと、まだ誰も起きていないだろうと思っていたが、アンナは既に起きて台所の掃除をはじめていた。

    そして、すぐに彼女もアルバが起きて来たことに気づく。

    「あら。早いのね。あまり眠れなかったのかしら?」

    「いえそんなことは。アンナさんこそこんな朝早くからすごいですね」

    「日課みたいなものよ。あの人いつも朝早いから。それより、もう行ってしまうの?もっとゆっくりしていけばいいのに」
  14. 14 : : 2017/08/20(日) 22:42:55
    「あーいえ。少し出かけてこようかと。出立は帰って来てからにします。そうじゃないとマリアに恨まれそうですし」

    そんな他愛もない会話をしている間もテキパキと自分の仕事をこなしている姿は主婦の鑑とも言える。動きに無駄がなく、次の作業を想定し、時間を考えながら動く。まさにその道の玄人だ。

    そんな調理の風景を見て、アルバはどうせなら食料でも持ち込むのがいいだろうと思いつき、狩りに行くことを決める。

    行き先も決まり、身支度も整い、アルバは家を出ようというとき、背後からアンナに声をかけられる。

    「よかったわ間に合って。はい。これ。朝ごはん前だとお腹がすいてるでしょう?」

    それは小さな弁当だった。こういう家族の温かみに触れていると、今までのアルバが見て来たものが嘘のようである。

    本当にこれが当然の世界が来ればいいのだが、世界は大戦に沸いている。悲しいことだが、事実だ。

    だからこそ、今この瞬間の彼女の温かさが嬉しく思えた。

    「ありがとうアンナさん。道すがら頂くことにします」

    そう言い残して家を出る。村の東側に小さな山があったはずだ。そこでなら狩りができるだろう。昨日の夕飯から見ても、特に宗教的に食べられないものがあるようでもなかったし、きっと喜んでもらえるだろうと胸を弾ませてアルバは足早に山へと向かうのだった。


    日も高くなりはじめ、アルバが山に行って狩りをしている頃。村では、朝からマリアが大騒ぎしていた。

    というのも、マリアは朝目覚めて昨日同様アルバを起こしに行って遊んでもらおうと考えていた。

    魔法を教わり、実際に使って見たときの感動が未だにマリアの胸の中に確かに残っていた。今度こそ、自分の力で魔法を使えるようになりたい。

    今日は昨日より頑張って魔法を使えるようになって、アルバに褒めてもらおう。そんな今日の予定に胸を膨らませていた。

    しかし、部屋に行くと既にそこにアルバの姿はなかった。服や外套の類も綺麗さっぱり無くなっているため、既に起きて着替えた後だろう。

    そう思い、家中アルバを探した。しかしアルバはどこにもいない。その事実に嫌な不安がマリアの胸中を支配する。

    彼はマリアに一言もなく旅立ってしまったのではないか。マリアとていつかさよならをしなければならないということくらい理解していた。だが、黙って消えるというのはあんまりだ。

    そう思えば不安は悲しさに変わっていった。

    自然と涙が溢れ、嗚咽の声が漏れる。
  15. 15 : : 2017/08/20(日) 22:43:23
    マリアは自分の部屋に戻って大声で泣いた。それはもう家中に響くほどに。すると慌ててアンナが飛んで来る。

    「あらあら。やっぱり。こういうことになるわよね」

    「ままぁ!」

    マリアはアンナを見つけると、抱きついて再び泣き始める。それを優しく頭を撫でながらなだめる。

    「マリア。アルバさんは出かけただけよ?朝ごはんまでには帰って来るわ」

    「……ほぇ?」

    思わずマリアの口から間抜けな声が漏れる。
    マリアの考えはまるっきり見当はずれなものだった。勘違いして大騒ぎした自分が急に恥ずかしくなり、アンナから離れ顔を伏せる。

    「先に伝えておくべきだったわね。ごめんねマリア」

    「ううん。邪魔してごめんなさいママ」

    「いいのよ。じゃあ支度してくるから待っててね」

    「はーい」

    アンナが部屋を出ていった後、マリアはベッドに倒れこみ枕に顔を埋めて、先ほどまで泣いていたとは思えないほど上機嫌にあしをパタパタとゆらしていた。

    それから少しして家の扉をドンドンと叩く音がする。その音にマリアが反応するのは早かった。

    「お兄ちゃんだ!」

    いそいで部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。少しの時間すらも惜しいとばかりに、ドアの前に向かった。その姿をみてアンナも一瞬驚いたが、先ほどのマリアを見れば仕方のないことだろうと微笑ましい思いだった。

    マリアはドアの前にたどり着くと、大きく「はーい」と大きく返事をして、勢いよく扉を開ける。

    「お兄ちゃんおかえ――」

    しかし、そこから先の言葉が紡がれることはなかった。扉を開けた途端。鎧を着た騎士風の男達が家になだれこむ。

    その純白の磨きあげられた鎧は格調高く、誰もが一目見ればその意味を理解し、男であれば大抵少年の頃に憧れる存在であることを証明している。

    「控えろ!」

    その中でもさらに異質、一際美しい鎧に身を包み、見目麗しい女性が、凛とした声を響かせる。その毅然とした姿はあまりに美しく、その強烈な登場にもかかわらず誰もが一瞬目を奪われた。

    肩甲骨辺りまである艶やかな金髪を編み込み、襟足を一つ結びにした女性だ。
  16. 16 : : 2017/08/20(日) 22:43:51
    その覚悟を秘めた青い瞳が鋭く光り、口は固く引き結ばれている。研ぎ澄まされた刃のような尖った印象であるが、それ故に芸術品のような美しさを感じさせた。

    そんな唐突な登場にマリアは完全に思考が追いつかず、彼女を見上げて停止していた。騎士風の女性の大声に反応してアンナとアレクも何事かと出てきて目を見張った。

    その騎士の名をこの国に知らぬ者はいないと言っても過言ではない。イルネキアの皇族公爵であるエインフェリア家の一人娘であり、去年勇者として聖剣に選定されたアイリス・エインフェリアその人なのだから。そして、後ろに控えるのはこの国でも特に優秀なものがなることのできる神聖騎士だろう。

    そんなやんごとなき身分の人間が精鋭を揃えて、こんな辺鄙な村にくるということ自体おかしな話で、動けずに固まるのも無理はなかった。

    「全員、黙って表に出てもらおう」

    マリア達はただならぬ空気を感じながらも、特に逆らう理由もないため彼女の言葉に従った。すると村の中央の広場のあたりに村人達が全員集められていた。

    村の中でも家が隅にあるマリア達が最後だったらしく、マリア達が集団に加わるとアイリスが背後に数人の騎士を従えて村人達を見渡し、声を上げる。

    「貴様らに勅命である。神託によりこの村の子供は全員皇宮が召しあげる。昼前には出立するため、今すぐ用意せよ」

    彼女の言葉に村人達がざわつく。
    神託というのはイルネキア神聖国の祖と言われ、神として崇められ国の名前にもなっているイルネキアによる託宣であり、それは国を導く光であるとされているため、この国においては極めて重大な意味を持つのだ。

    しかし、それにしてまあまりにも唐突だ。いくら神託といえど、一般家庭の子供を拒否する権限も与えず召し上げるなどという話は聞いたことがない。募れば集まる程度の人数というのが一般的だ。それに対して全員というのはあまりに無茶苦茶であった。

    それに、子どもを皆連れ去られてしまえば、家業を継ぐ者もいなくなる。木を切り街に売る者、畑を耕す者、布を織る者、狩りをする者、様々だが、跡継ぎがいなくなれば村が立ち行かなくなる。

    ともすれば、村人達からの反発があるのは当たり前だ。村人達から不満の声が上がり、神託の真偽にまで言及する者もいた。

    それを聞いたアイリスは一瞬眉をひそめた後、何も言わず後ろにいた騎士に目配せする。

    騎士はそれに対して深々と一礼すると、アイリスの前に出て神託を疑った男を前に引きずり倒し、剣を抜く。

    その瞬間、引きずり倒された男だけでなくその場の全員がこの後何が起こるかを理解した。

    「やめろ……やめてくれ……!俺が悪かったよ。頼むよ……いやだ!死にたくない!!だれか!助け――」

    男の命乞いの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
  17. 17 : : 2017/08/20(日) 22:46:29
    神聖騎士の剣が目に見えぬほどの速さで振り抜かれ、次の瞬間にはゴロリと男の首が落ちてあたりに血溜まりを作っていた。

    真っ赤な血の絨毯の中に沈む首のない死体を見せつけられ、村人達は言葉を失う。

    そして一瞬の不気味な静寂の後に、パニックに陥る者も出始める。そしてその度に子ども以外は神聖騎士が捕らえては殺す。いともたやすくその白刃の下に村人の命を散らす。

    その光景をマリアはアンナとアレクに抱きしめられた隙間から、ただ涙を流したまま、目を離すこともできず見つめ続けた。

    それはいともたやすく消えてゆく。まるで、ろうそくを吹き消すかのように儚く。

    「やめて……」

    マリアの口から小さな声が漏れる。

    また一人消える。

    いつも優しくしてくれた近所のおじさんだった。時々、甘いきのみを分けてくれたのを覚えている。

    「やめて……やめて……」

    また一人。そしてまた一人。

    みんなマリアのことを知っている。

    マリアもみんなのことを知っている。

    みんなマリアが大好きな村の人達だ。

    マリアの中で何かが動いた気がした。それが魔力であることはすぐわかった。もしかしたら守れるかもしれない。大切な人たちを。

    幼い彼女はそれ信じてやまなかった。

    『マリア。教える前にお兄ちゃんと約束してくれ。絶対に魔法を誰かを傷つけるためや、悪いことに使わないこと』

    マリアはアルバとの約束を思い出す。誰かを傷つけるために使わないと約束した魔法。それを今、外敵を倒すために使おうとしている。

    「お兄ちゃん。ごめんなさい……マリア悪い子でごめんなさい……」

    マリアは目をぎゅっと瞑って、涙を拭く。
    そして、アンナとアレクの腕からするりと抜け出る。

    「こら!待ちなさいマリア!」

    アレクの制止の声が上がるが、マリアは聞かずに足を踏み出す。そして目尻に浮かぶ涙を拭って顔を上げ、叫ぶ。

    「やめて……マリアの大事な人たちを、いじめないで!!」
  18. 18 : : 2017/08/20(日) 22:47:36
    その声は小さな女の子のものとは思えないほど遠くに響き、あたりに魔力の嵐を生み出す。あまりに膨大な魔力の奔流は勇者であるアイリスすら顔を歪めるほどだった。

    「ほう……」

    そして、マリアが生み出した魔力の嵐は徐々に波状に広がり、広がった先から炎に変わっていく。それはマリアの怒りを露わにするかのように真っ赤な炎だった。その炎は神聖騎士達にまとわりつき、鎧を溶かし肉を焼く。しかし、まだ制御がおぼつかないのか、村人には燃えうつりはしないものの建物や木には燃え移っていた。

    それを見てアイリスは嬉しそうに口元を歪める。

    「そうか。お前が神託の子か……!」

    マリアには彼女の言っていることがわからない。そしてなぜ彼女が笑っているのかわからなかった。

    自分の仲間が火に炙られて苦しんでいるというのに笑っているのだ。正気であるようには到底見えない。あまりに異様すぎる光景だった。

    「私と来い。魔族を殺し尽くすにはお前の力が必要だ」

    マリアに歩み寄るアイリス。彼女の優雅でゆったりとした歩みはあまりにこの場には不相応だ。

    彼女の狂気的なまでの行動の数々がマリアの心を蝕み、恐怖を植え付ける。

    「こ、こないで!」

    マリアの叫びと共にアイリスに炎が群がる。しかしそれも容易くアイリスは腰に下げた聖剣で振り払ってしまう。

    「どうした?もう終わりか?今度はお前の家族が死ぬぞ」

    アイリスの言葉はマリアの怒りに触れる。
    マリアの周りのいくつも炎が逆立ち、アイリスを中心として巨大な炎の竜巻を形成すると彼女を飲み込む。

    それだけにとどまらない。熱せられた空気を集めて圧縮した無数の風の刃をいくつも作り上げると、その全てがアイリスに襲いかかる。

    大量の土煙が舞い上がり、アイリスの姿を隠す。マリアは肩で息をし、大量の汗を流しながらもその土煙の中にいる人物をしっかりと睨みつけていた。

    「まさか魔王以外に傷をつけられるとは。それが子供と知れようものなら私は笑い物だな」

    土煙の中から自嘲の笑みを浮かべながら現れたアイリスはほぼ無傷だった。あれほど美しかった鎧は見る影もなく、ところどころ肌が露出しており、血が赤く滲む小さな裂傷があったが、それこそ治癒すれば傷跡すら残らないだろうほどに小さなものだ。とてもではないが、彼女を倒せるようなものではない。

    「強いな。だが荒い。感情に任せに魔力を振るうだけでは、私には届かん」

    アイリスが笑みを深める。これだけの力で何度攻撃しようとも、彼女の薄皮一枚傷つけるのが限度だった。
  19. 19 : : 2017/08/20(日) 22:48:25
    だが、勝ち目もないが、逃げの手に希望もない。逃げようものならアイリスは本気を出してマリア達を追いかけるだろう。そうなればすぐに捕まるのは目に見えている。それ故にマリアには戦う道以外残されていなかった。

    再びアイリスを倒すための魔力を捻出しようとする。しかし、いつかのように魔力は固く固まって動こうとはしない。

    それどころか膝が笑い、力が入らずへたり込んでしまう。

    「な、なんで!?パパとママを守らなきゃいけないのに!」

    マリアは半狂乱で魔力を動かそうとするが、結果は変わらない。それを見てアイリスはつまらなそうにため息をつく。

    「まだそれだけしか使えんとはな。これでは、すぐには使い物にならん」

    彼女は急に冷めたような表情になり、足早にマリアの背後にいる両親の元へと向かう。彼女が何を企みそんなことをしているのか、すぐにマリアには理解できた。

    「やめて!ママたちに乱暴しないで!」

    「悪いが人族の未来の為に。お前達の子のために死んでもらうぞ。せめてこの聖剣に斬られ死んだことをあの世での自慢とするといい」

    あまりに傲慢なセリフ。マリアはその背中を制止しようにも立ち上がる力すら残っていない。ただその白銀にきらめく美しい刀身が彼女の両親の血に染まるのを待つしかなかった。

    それはその場の誰もが目に捉えることすら叶わぬほどの速さで振るわれる一閃。その一閃が振り抜かれた瞬間には肉どころか地面が裂けるだろう。その美しい一振りを止められるものなど人族には誰一人として存在しない。

    そう。人族には存在しない。

    だが、この場にはただひとりその銀の閃きに介入できる存在がいた。

    聖剣はその腹を叩かれ、軌道をそらして全く無関係な地面を斬り裂く。そしてそれを行った人物にアイリスは目を向け再び口元を釣り上げる。

    その視線の先にいたのは――

    「おい。人族の勇者……これはどういうつもりだ。何故お前は守るべき者たちを殺そうとしている……答えろ!!勇者ァ!!!」

    そう元魔王で現放浪者のアルバだった。



    ついさっきまでアルバは山でうさぎやら鹿やらを狩り、皮を剥いだり血抜きをしたりしていた。しかし、村の方で明らかにこの世界で魔王や勇者出なければ持ち得ない魔力が衝突しているのを感じて戻ってきてみればこの状態であった。

    現状を見ればこの村で魔力を行使していたのはマリアだということくらいはアルバにもわかる。あちこちに倒れている神聖騎士は鎧が溶けて大変なことになってはいるが、死んでいるものはいない。
  20. 20 : : 2017/08/20(日) 22:49:13
    アルバも才能があるとは思っていたが、よもや勇者や魔王に匹敵するレベルとは思いもよらなかった。これまで徐々に刺激され目覚めかけていた潜在魔力が怒りをきっかけに一気に封を開けたのだろう。

    そしてなによりアルバの目の前にいる女――アイリスだ。本気でマリアの両親を肉塊に変えるほどの勢いで聖剣を振り下ろしていた。

    今はもう安全な場所に避難させたが、アルバが間に合わなければ目も当てられないようなことになっていただろう。

    アルバは彼女を見た瞬間。勇者だと直感した。マリアが勇者ではない以上、このレベルの力を持つ人族というのは勇者以外いないのだろうが、そういう話ではなく、否が応でも理解させられるようなものを彼女は持っていた。

    「どういうつもりだと聞いたな。それはこちらのセリフだ魔王。貴様こそ誰の許可でその穢れた足で我らの領土に踏み入った!!!」

    彼女もそれは同じであるようだ。彼女はアルバが気に食わないのか余裕の表情を崩し、怒りを露わにしている。

    「残念ながら俺はもう魔王じゃない。今はただの放浪者でマリアの家の居候だ」

    「戯言を……!」

    アルバがおどけてみせるのがアイリスの癇に障ったのか、舌打ちと共にアルバにむけて聖剣を振るう。

    咄嗟にアルバは後ろに飛びのいてかわすが、それが失策だった。

    勇者は一瞬の間隙を縫ってマリアに駆け寄ると担ぎ上げる。

    「お兄ちゃん!!」

    「マリア!!」

    アイリスは叫ぶマリアの意識を奪うと腰から聖剣を構える。マリアを救うため、アルバは精緻な調整を施された無数の真空の矢でアイリスの足止めにかかる。

    だが次の瞬間、聖剣が輝きとてつもなく巨大な魔力が大気から吸い上げられたかと思えば、アイリスが聖剣を一振りするだけで全ての魔法が見事に消え失せる。

    そんな聖剣の輝きを見てアルバは勇者の正気を疑った。

    魔族が自身の魔力的許容を超えた魔法を行使する際に、土や大気中に存在する魔力などを吸い上げるために体の一箇所が変質する。角や翼、尻尾といった体外器官が発生するのだ。聖剣はそれと同じ役割を果たしている。

    とはいえ、一般的な魔族の体外器官とはそもそも規模が違う。そもそも、聖剣は勇者のみが使うことのできる『空魔法』のために存在する。

    空魔法と地魔法は一対である。空は『虚無』を、地は『存在』を司る魔法。

    そしてその両者は前者を勇者のみが、後者を魔王のみが行使できる。その効果は基本三属性やその複合魔法とは根本的に次元が違う神の魔法だ。
  21. 21 : : 2017/08/20(日) 22:49:43
    そんな魔法が普通の魔法と同じはずもなく、魔王や勇者というずば抜けた魔力の保有者であっても、体外から吸い上げて魔法を行使しない限りは使えば魔力不足で死ぬほどの魔力を必要とする。

    それほどの魔力を大気から吸い上げることの意味は歴代の魔王と勇者が証明してきた。彼らの戦った後には不毛の地が残る。それは単に土地が荒れてしまったとかそういう類の話ではない。

    地と空の魔法によって必要以上に魔力を吸い上げられた土地は、草ひとつ生えない、まさに不毛の地に成り替わる。

    およそ千年ものサイクルの中で自然発生する魔力で土地の力が回復するということはあるが、それでも長い間その場所が命の芽吹かない地獄になることに変わりはない。

    だがそんな魔法を勇者は人の住む土地で平気で使ってのけた。

    「お前その魔法を使う意味をわかっているのか……!」

    それでも勇者の聖剣の輝きは治ることはない。まだ聖剣がこの周辺から魔力を吸い上げている証拠だった。

    マリアを抱えたアイリスがアルバに背を向る。

    「先ほどの問いに答えてやろう。私が守るべき人族を殺す理由。それは人族が魔族に勝利し、平和をもたらすことに比べれば村ひとつの犠牲くらい天秤にかけるまでもないからだ」

    そう告げるとアイリスはその場所を立ち去ろ
    うとする。追いすがろうとするアルバだったが、全てを無に帰す虚無の魔法が視界を埋め尽くす。

    「この勝負は預ける。生きていればまた会う事にもなろう」

    「待ちやがれ!!」

    そして、次の瞬間には大量の魔法が村全体に降り注ぎ、光が全てを飲み込んでしまうのだった。



    マリアにとってそれは存外に穏やか目覚めだった。ベッドも枕もふかふかでマリアの中で眠りという概念が崩れ去りそうなほどに心地よい。

    目覚めた時に真っ先に視界に飛び込んできたのはまるで物語にでも出てくるようなベッドの天蓋だった。意識がはっきりとしてきて、あたりを見回せば白を基調とした絢爛たる内装に目を奪われる。部屋はマリアの家をワンフロアにぶち抜いたより広いのではないだろうかというほどだ。

    魔法で明るさを確保しているのか、彼方此方に目立たぬように間接照明として魔石が埋め込まれていた。

    ふとマリアが自分のすぐ隣に人の気配を感じ、振り向くとそこにはそれは印象的な人物が椅子に腰掛けて本を読んでいる。

    「起きたか」

    「ひぃ……!」
  22. 22 : : 2017/08/20(日) 22:50:11
    思わず声にならない悲鳴を漏らし、飛び起きて後ずさる。その人物――勇者アイリスは本を閉じると、マリアに目を向ける。

    「怖がられるのも無理はないか……まあいい。どこか痛むところはないか?」

    マリアは小さくなって震えながら首をブンブンと横に振る。一方でアイリスは村にいた時のような鬼気迫る様子はなく、その表情は穏やかだ。

    だが、あの村での出来事を思えばそれすらも罠ではないかとマリアは警戒してしまう。

    「こんなところに連れてきて、マリアをどうするの?」

    マリアが強くアイリスを睨みつけると、フッとアイリスは笑う。

    「なに。とって食おうというわけではない。お前には人族の平和のために少し協力をしてもらうというだけだ」

    「なら、あの時にそういえばよかった。そしたらおじさんもおばさんも、みんな……」

    「それは出来ない相談だ。そもそも此度に降りた神託は二つある。一つはあの村に魔王を倒す鍵となる子がいるということ、そしてもう一つはあの村が魔王を崇拝する邪教の村であるということだ。実際に神託を告げれば、彼らは神を否定し反乱した。しかも魔王をかくまっていたとあれば罪を裁かねばなるまい」

    「そんなの……勝手すぎるよ。マリアたちはなんにもも悪いことなんてしてない。それにお兄ちゃんだって、魔王やめたって言ってた!」

    マリアは殺されていった人々のことを思い出して俯く。だがアイリスの言葉は厳しい。

    「悪事を働いてからでは遅い。魔族の下劣な言葉なんぞに耳を傾けでもして、何かあればもっと多くの人が死ぬ。ならばその芽は先に摘んでおくのは当然だ」

    マリアには彼女の言っていることが理解できなかった。アイリスの言葉の端から感じられる徹底された正義。その善悪はともかくとして、その先にあるのはきっと無機質な理性が人を飼いならす世界だ。

    だが、それを直感的に感じ取ってはいても言葉にできるほどマリアは自分の考えを整理も理解もできていないし、なに一つ結論すら出せていないのだ。

    だから黙って俯いて唇を噛み締めるしかない。

    「まあいい。今はゆっくり休むといい。いずれお前には働いてもらわなければならないのだからな」

    そんなマリアを一瞥すると、アイリスは小さく息をついてから立ち上がると、マリア一人を残して部屋を後にするのだった。

    その後も、マリアは脱走しようと思えばその機会はあった。それほど厳重に見張りがつけられているというわけでもないし、手足の自由が奪われたり魔力が使えなかったりするわけではない。城内であれば出歩く事すら制限されることはなかった。それはつまり、逃げたところで無駄だという彼女たちの意思表示に他ならない。

    だが、おかげで退屈せずに済んだし、お気に入りの場所すら見つけた。ここにきて既に七日が過ぎようとしているが、最近は天気の良い日はもっぱら中庭で過ごすのがマリアの日課となっている。
  23. 23 : : 2017/08/20(日) 22:50:42
    中庭には、色とりどりの花が咲いており、暖かな陽射しが心地良い。綺麗に手入れされた芝生の上で眠りこけて起こされることもしばしば。とはいえ、花が好きなマリアが親元を離れ知らない人だらけの環境で過ごす寂しさを紛らわすにはちょうど良かった。

    おかげで庭師のおじさんと仲良くなることもできた。彼は知らないことの多いマリアにいろいろな事を教えてくれた。

    この城はイルネキアの首都にある皇居であるという事、マリアはここ最近巷では人を救う聖女様と呼ばれているという事、彼の娘がマリアと歳が近い事なんかも話してくれた。

    おかげで、最近妙に知らない人から恭しく頭を下げられて気になって仕方がなかった理由がわかりすっきりした。そしてなにより、彼という仲の良い人間がいるという事実は、マリアの寂しさを紛らわせてくれた。

    いつものようにマリアが中庭で本を読んでいると誰かが歩み寄ってくる気配がした。いつもより庭師のおじさんが来るには早い時間だ。

    「おじさん。今日はいつもより早い――」

    だがそれはおじさんではなくアイリスだった。

    「む。おじさんとは失礼な。これでも私は年若い女だ」

    眉間にしわを寄せて不機嫌そうにしてみせるアイリス。ここ最近でわかった事だが、普段は比較的彼女は温厚で、無愛想で頭が固くめんどくさい性格はしているが、悪い人間ではないという事だ。

    「なーんだ。アイリスかぁ」

    「さっきから失礼なやつだなお前は。今日は仕事があると言っておいただろう」

    「あ、忘れてた!」

    「全く。人族の未来がかかっているのだから、しっかりしてくれなくては困る」

    アイリスが呆れたように肩をすくめる。彼女はやたら魔族を嫌う。マリアを攫ったのも、こうして仕事をさせるのも魔族を絶滅させるためだ。だからこそ、魔族はもちろんのこと、魔族との共存を望む人や魔族を信仰する者たちに厳しい。彼女の正義は常に人族のために振るわれるし、魔族は明確な悪という存在でるがために救済の選択肢はない。

    魔族を滅ぼすためであればあらゆる犠牲を厭わないとまで言い放つ難物だった。

    そのあたりに踏み込むとすぐ熱くなるし、機嫌が悪くなるしで、めんどくさいのであまりマリアも踏み込まないようにしていた。

    しかしたまたま今日はそういう気分だった。

    「ねぇ。アイリスはなんでそんなに魔族が嫌いなの?」

    アイリスの背中を追いながら、ふと思いつきで投げかけた質問。そんな何気無い質問にアイリスの肩が小さく跳ねる。
  24. 24 : : 2017/08/20(日) 22:52:00
    振り返るアイリスの目つきは鋭く、完全に地雷を踏んだと思い怯えるマリアだったが、アイリスはすぐに小さく息を吐いて視線を前に戻す。

    「今日は何故そんな事を聞く。意図的に避けていたように記憶しているが?」

    そして、そんな淡々とした言葉が返って来る。今日は彼女もたまたまそんな気分だったのかもしれない。だからマリアは話を続けてみることにする。

    「マリアが知ってる魔族はお兄ちゃんだけで、お兄ちゃんはすごく優しかった。マリアは何も知らないから。なんでかなって思っただけ。いやならいいんだけど」

    「まあそうだな。こんなことを頼むからには話さないと言うのも不義理か。まあしかし今は仕事だ。少し長くなるだろうから、仕事が終わったら私の部屋に来るといい。茶くらいは出してやる」

    「はーい」

    そう言ってマリアとアイリスは一度別れる。

    マリアの仕事というのは、今の所大したことではない。主には大量の魔石に魔力を込める程度の雑務がほとんどだ。

    マリアの年齢なども配慮してか、魔力であれば大した時間もかからずに終えられてしまう量になっている。

    いつもはゆっくりと疲れない程度に行うのだが、今日は特に急いで魔石に魔力を込めていった。おかげでいつもの半分ほどの時間で作業を終えることができた。

    そして作業を終えると貰える砂糖菓子をひとつ受け取って部屋を出ると、足早にアイリスの部屋を目指す。

    そして彼女の部屋をノックすると中からいつもの無愛想な声で入れと聞こえて来る。

    中に入るとそこはアイリスは部屋の花に水やりをしていた。少し急いできたため、彼女の予定を外してしまったかもしれないと、マリアは少々罪悪感を覚えたが、アイリスは特に気にした様子もない。

    「ああ。早かったな。すぐに茶を淹れるから適当にかけておいてくれ」

    そう言ってアイリスは奥に行ってしまう。他人の部屋で適当にというのはなかなか難しいもので、なんとも肩身の狭い思いをしながらもマリアはソファに腰掛けて部屋の主の帰りを待つ。

    部屋自体はどこも似たようなもので作りは豪奢なのだが、アイリスの部屋はそれほどものが多くない。必要最低限の家具や本棚、あとは花がいくらかいけてある程度だ。

    なんとも武人といった質実剛健な部屋である割に、花が多いのがなんとも意外だ。

    マリアがそんなことを考えているうちにアイリスがお茶を淹れて帰ってくる。そして、マリアが花を見ているのに気づいたのか、アイリスは肩をすくめて言った。

    「最近人から花を受け取らねばならない機会が増えてな。とはいえ、捨てるのも忍びなくて、いい加減世話をするのも一苦労だ」

    「なんで捨てないの?」

    「花とて生きている。その命を無駄にはできまい。よかったら後でいくらかもらっていってくれ。花も私よりお前に愛でられる方が嬉しかろう」
  25. 25 : : 2017/08/20(日) 22:52:34
    アイリスはそう言う人間だ。常に命を天秤にかけ続け、正義の為に剣を振るうが故に常に命に対して平等であろうと言う思いが強い。

    基本的に彼女が冷静でいられなくなるのは、魔族に関することだけだ。

    だからこそマリアは彼女を恨みきれなかった。最初こそ彼女に怯えていたし、村の人たちのことで憎みもしたが、今ではなくなりはしなくともそれほど大きくはない。

    なんとなく彼女を見ていると胸を締め付けられるような思いになるのだ。自らを傷つけながら前に進むようで、いつか壊れてしまいそうな危うさがあり、マリアはそれをどこか放って置けないと感じていた。

    アイリスがティーカップを机に置いて、紅茶を注ぐとあたりに紅茶の華やかな香りが広がる。そしてマリアの向かいに腰を下ろす。

    「そうだ。私が魔族を嫌う理由だったな」

    そして、アイリスは淹れたばかりで湯気をたてる紅茶を一口含んでから話を始めた。


    それはアイリスが六歳の夏だった。
    ある日、彼女は母と二人でたまたま買い物に出かけた。二人で仲良く買い物をした帰り、家のすぐそばの雑木林から呻き声を聞き、二人が恐る恐る覗きこむと、そこには傷だらけで倒れた蝙蝠の翼を持った人が倒れていた。

    それがアイリスの初めて魔族を見た瞬間だった。

    まだ息があり、本来なら衛兵を呼んでトドメを刺してもらうところだ。しかし、アイリスの母は魔族を救うことを選んだ。

    家に運んで傷の手当てを行う。その時期、父は家に帰れないことが多く、母を止めるものもなかった。

    魔族も素直に母に涙ながらに感謝していたし、きっと魔族といってもいろいろなのだと、当時のアイリスは考えていた。

    しかし、現実はそれほど甘くなかった。ある日のことだ。その夜はやけに静かで不気味だった。なんとなく目が覚めて、部屋を出ると母の寝室から明かりが漏れている。

    アイリスはそんな夜更けに明かりがついていることが気にかかり、部屋を覗き込んでそのことを後悔した。

    部屋の中には真っ赤な血溜まりができていた。だが、その血が誰のものか理解するのにかなりの時間を要する。

    というのも、その血の中心で四肢を引き裂かれ、幾度とない暴力に顔の骨は粉々に砕け、髪は引きちぎられており、その死体はすでに誰なのか判別不能なほどに破損していたからだ。

    少なくとも、六歳のアイリスの心にはあまりに衝撃的な光景であり、動くことすら出来ないほどだった。まともに思考を巡らせてその死体が誰なのかを考える余裕などあろうはずもない。
  26. 26 : : 2017/08/20(日) 22:53:07
    そして、部屋の中の光景に半ば放心していたアイリスに魔族は気づきニヤつきながら近づいてくる。アイリスは恐怖のあまり尻餅をつき、這いずるようにして後ずさるが、すぐに壁にぶつかる。

    すぐ目の前まで迫った魔族は濃密な血の臭気を漂わせながら、アイリスに顔を近づけてくる。次はアイリスがあの死体のようになる番だと覚悟し、目を瞑る。

    しかし、いつまでたっても暴力は訪れず耳元で魔族は囁いた。

    「お前の母親に楽しませてもらった礼だ。お前は見逃してやる。死ぬ瞬間までお前の命は助けてくれって懇願してやがったぜ。けけけ」

    今でも恐怖に失禁し、言葉を失い泣くアイリスを見下ろすあの下卑た魔族の目を覚えている。

    母は魔族にその命を弄ばれ死んだ。それは見るに耐えないほどに酷い最期だった。

    その日にアイリスは、どんな犠牲を払おうとも魔族を全て殺し尽くすと決意したのだった。

    「そう面白い話でもあるまい」

    全てを話し終えるとアイリスは最後にそう締めくくった。その時の彼女の目からは何の感情の色すらも伺えなかった。

    マリアは目眩がした。

    そして、踏み込んだことを猛烈に後悔した。知ってしまったからには後には退けない。安易に彼女を否定することすら許されなくなってしまった。

    彼女の境遇に同情しなかったかと言えばそうではないが、そんなことはどうでもよかった。

    「そのあと。その魔族は……?」

    マリアは戦々恐々といった様子で尋ねる。

    「見つけ出して手足を切り落とした後、考えうる限りの苦痛を与えたとも。泣き叫び、殺してくれと叫ぼうと生かしたままあらゆる苦しみを与え続けた。最後には声すら発さなくなったから消し炭にしてしまったが」

    壊れている。無感動にこんな話をする彼女を表現する方法がマリアには他に思い当たらなかった。

    彼女は魔族に対しての感情において明確な欠陥を抱えている。強烈なトラウマが、魔族に関することにおいて正常な思考を奪い、狂気的な精神性を生み出していると言えるだろう。

    そんな彼女の姿を見てようやくマリアは村での出来事と、普段の彼女の間にある溝が埋まったような気がした。

    「魔族は人の好意すら踏みにじる、最低の汚らわしいクズだ。滅ぼさなければならないものだ。奴らのみせる優しさなんてものは、所詮お前達を食い物にするための演技にすぎん」

    その言葉にマリアは反論しなかった。

    違うと断言するにはアルバと過ごした時間はあまりに短く、断言できるだけの理由を持ち合わせていない。だがその一方で、彼の行動は常に誠実なもので、裏があるようには思えない。そんな自分の気持ちを信じたいと言う思いがせめぎ合い結局彼女に沈黙を選択させた。
  27. 27 : : 2017/08/20(日) 22:53:40
    そしてその後二人は一言も言葉を交わすことなく別れた。マリアは部屋を出た後、どっと疲れが肩にのしかかるような気がした。

    そして、自分に充てがわれた部屋に帰ると、ベッドに突っ伏してアルバのことを思い出す。アイリスの言葉を鵜呑みにするわけではない。彼女とてマリアの村の人達を殺した張本人なのだから。だが、結局マリアは彼の本質を完全に信頼する材料を持たず、少しでも疑いそうになっている自分にもやもやしていた。

    「お兄ちゃん……」

    そんな風に一度は純粋に慕うことのできた彼を呼んでも返ってくるのは、悲しくなるほどの静寂だけだ。

    そのまま目を閉じると、急に疲れと眠気が押し寄せてくる。今はまだ答えを出す時ではないのかもしれない。そんな風に自分を無理矢理に納得させると少し楽になれた気がした。マリアはそのままゆっくりと深い眠りに意識を沈めていくのだった。




    目覚めると視界に映り込んで来たのは青空だった。背中は硬い地面で、長い間寝ていたせいか節々が痛む。

    体を持ち上げるとそこは驚くほど綺麗な更地だ。それを見てようやくマリアが連れ去られたことを思い出す。

    「ようやく目覚めたかい?君も災難だねぇ。よりにもよって彼女に会うなんて」

    不意に声をかけられてアルバは飛び起きる。

    「まあまあそう警戒することはない。ボクは君をどうこうしようというつもりはないからね」

    視線を向けると、軽薄そうな声で笑う幼女がそこにいた。真っ白でボサボサな髪、片手にはその身に不釣り合いな長い杖を持ち、真っ白なローブに身を包んでいる。

    「国つきの魔術師が俺に何の用だ」

    「おっと。君はなかなか博識だね。今代の魔王は力は強いが、おつむは残念だと聞いていたのに、これは評価を修正する必要があるかな?」

    人を小馬鹿にしたような態度をとる幼女だ。イルネキアの国家魔術師にはその種別に応じて制服ともいうべきローブが配られる。

    その中でも白のローブは純粋にして至高の証として宮仕えの中でも最上位を示すものだ。そんな程度のことは魔国の一般人でも知り得る知識だ。そんなことを仮にも元魔王のアルバが知らないはずもない。

    そのあまりにふざけた態度にアルバは苛立ちを募らせていた。

    「もう一度聞く。俺に何の用だ」

    剣呑とした空気を放つアルバに対して、幼女はやれやれとばかりに肩をすくめてみせる。
  28. 28 : : 2017/08/20(日) 22:54:52
    「せっかちだなあ。まあいい、とりあえずボクはともかく、その格好見られたらまずいんじゃないかな?」

    幼女の指摘でようやく自分が勇者の空魔法ら逃れるために、魔族としての力を使った時のまま翼や角、尻尾がそのままであったことに気づく。

    「翼も角も尻尾も出てるとなれば魔族であることはおろか、少しでも知識があれば君が魔王であるということはすぐにバレるだろう。まあそれはそれで面白いからボクとしては歓迎するところなんだけどね」

    アルバは慌ててそれらをしまい込み、この村にいた生き残りのことを思い出す。

    「そういえば、ここにいた人達はどこに。やたら強面のおっさんとかいなかったか?」

    アルバの言葉にその幼女は静かに首を横に振る。

    「残念だけど、彼らはアイリスの魔法で存在定義が曖昧になっていたからね。存在を繋いでいた君が意識を失ったことで消失していったよ」

    結局アルバは何一つ守ることができなかった。力ばかりで無知蒙昧だと言われたところでそれもまた真実かもしれない。

    アルバがもう少しマリアを気にかけて、彼女を奪われるようなヘマさえしなければこんな最悪は回避できたかもしれないのだ。

    「あーお取り込み中のところ悪いんだけど、君が悠長に3日も眠りこけてたせいでマリアちゃんがまずいことになりそうだから、早いところ切り替えてくれるかな?」

    頭を抱えるアルバに向けて発せられた幼女魔術師の唐突な言葉に思わず飛びつく。

    「どういうことだ」

    「どういうことも何も言葉のままさ。これがさっき言った要件だ。彼女は首都の皇宮にいる。今はまだ調整の時期だろうから大丈夫だろうけど、そのうちに彼女は人柱にされるだろうね。まあ信じるも信じないも君次第なわけだ」

    「仮にそれが信じるとしても、何故お前がそんなことを俺に教える。それを俺に教えてなにをさせる気だ」

    彼女の言動は一から十まで胡散臭い。その軽薄な態度も、張り付いたような笑顔も、まるで作り物を思わせるほどに整いすぎている。

    「面白そうだからって言ったら信じるかい?」

    「冗談は顔だけにしろ」

    「流石に女性にそれは失礼じゃないかい?まあいいや。理由は単純。アレはボクの生み出した術式の贋作。それはそれは不恰好で吐き気がする。だから君に儀式をぶち壊して欲しい。魔術師の魔術に対する矜恃くらいは理解してくれるだろう?」

    確かにそう言う魔術師は多い。自身の術式に芸術性を見出し、その極限まで研ぎ澄ました研究の成果を溺愛する。そも、そう言った研究はだな魔術師は変人が多いためそんな枠に当てはまるはずもない
  29. 29 : : 2017/08/20(日) 22:55:23
    のだが、術式を子供のように愛する魔術師は決して少ないのも確かだ。

    そして話の真偽はともかく、マリアが勇者に攫われた以上、皇宮に行く以外に当てがないのも事実だった。

    「いいだろう。お前の口車に乗せられてやる。情報提供感謝する」

    そう言ってアルバは足を踏み出そうとするが、その足元をすくわれて顔面からすっ転ぶ。

    「なにしやがる!!」

    「まあ待ちなよ。いくら君が魔王でも、皇宮直属の魔術師や騎士に囲まれながら勇者と戦うのは無理がある。死にに行くようなものだ。――――だからボクが協力しようじゃないか。この筆頭国家魔術師、夢幻の魔術師 カルミア・ヴェルフィオーレがね」

    見上げた先にいる幼女――カルミアはその軽薄な態度を一変、意味深な笑みをアルバに向けた。



    「おい。なんでこうなった」

    筆頭国家魔術師が仲間にし、元魔王が旅立って既に数日が立つが、何故かアルバは幼女を背負っている。

    「いやー悪いね!こんな姿だから疲れが出やすいみたいで」

    この幼女、旅立ってから本当に足手まといであった。旅立って初日にぶっ倒れて熱を出すわ、体力がないせいで急ぎの旅だというのにすぐにバテるわでろくなことがない。

    その癖ちっとも悪びれる様子もない。
    今回だって木の根っこに躓いて転んで足を捻挫したのだ。

    「いい加減お前を捨てていきたいんだが」

    「それは困るなあ。ボクとしても反省や後悔はあるわけだよ。昨日の夕食の勘定を君と別にしなかったこととか」

    この幼女いちいち汚い。アルバが無一文なのをいいことにこの彼をこき使っている。幼女に金を出させるアルバも大概ではあるのだが、本人はそれを自覚してはいない。

    「にしてもその歳でそんな性格歪んで将来どうなんだよ」

    「ああ。この外見のことかい?それなら安心してくれ。ボクは年齢的には君の何倍も生きているからね」

    などと、アルバの悪態に対してカルミアはけらけらと笑いながら、さらっととんでもないことを言ってのける。

    不老や不死、蘇生の魔術はこの世でも完成は不可能とされてきた魔術なのだ。だが、彼女はそれを成し遂げたと言ってるいるのと同じだ。

    彼女はアルバの考えていることを読んだのか、ふふふとからかうような笑みを浮かべる。
  30. 30 : : 2017/08/20(日) 22:56:07
    「そう言う反応は予想していたけどね。まあボクは夢幻なんて大層な名をもらっているからね。秘奥のひとつやふたつ持っているさ。それとも幼女の姿より、二十くらいの女性の姿になった方が運びがいのひとつも生まれるかい?」

    「バカ言え。なんでわざわざ荷物の重量を増やさねばならんのだ」

    「全く君は本当に女性の扱いがなっていないね。ボクじゃなければ今頃引っ叩かれているよ」

    「はいはいありがとうございますー」

    そんなくだらない会話を何度も重ねてきた。そのおかげか、この数日でカルミアについてわかったこともいくらかある。

    彼女はやたら迂遠で意味深な言い回しを好み、人の弱みを突くような姑息な真似を平気で行う。適当なことをペラペラと喋っているように見えるが、嘘だけはつかない。

    とはいえ、やたら煙に巻くような婉曲な言動が多いためよくわからないということがよくわかった。

    「あ!見えてきたよ。予定よりかなり遅れてしまったけどなんとか着いたね」

    「大概お前のせいだけどな」

    「君は本当につれないなあ。これだけ苦楽を共にすれば絆とか芽生えたりするものじゃないかい?」

    カルミアの戯言を鼻で笑い飛ばして巨大な白亜の壁にある小さな門を通るため、入国審査の列にアルバが並ぼうとする。

    「あ、そっちじゃなくて直接門番のとこに行っていいよ。多分ボクなら顔見せるだけで通れるから」

    「本当に大丈夫かよ……」

    ここ数日の彼女を見てアルバは不安になりつつも彼女にしたがう。

    そして数分後。

    「本当に通れたな……」

    「だから言ってるじゃないか。こう見えて、ボクは嘘はつかない主義なんだよ」

    門番の横を通り抜けながら小声でそんなことを話す。

    そしてその門の先には巨大な都市が視界いっぱいに広がる。

    イルネキア神聖国、最大の都市にて首都アイスラーン。街の中央を貫くスリアヴァス街道を通ればその周碁盤上に並んだ規則正しい街並みが広がっている。街の背後にそびえる山脈より雪解け水が、街の最奥にある湖に流れ込み、この街に豊かな水をもたらす。そしてその湖の中央に浮かぶ白亜の城こそがアルバ達が目指す皇宮に他ならない。

    そして、そこからさらに街に水が行き渡るようそこかしこに用水路が整然と整備されている。大通りの交差する街の中心に陽光を反射して燦
    然と輝く大聖堂が鎮座しているのはこの国が神聖国を名乗る所以とも言える信仰の証だ。

    そして町を囲む巨大な白亜の壁。その厳格さと、人の営みが調和したそれは美しい街だった。
  31. 31 : : 2017/08/20(日) 22:57:31
    「素晴らしいだろう?ボクはこの人々が生み出す整然とした理性的な街並みが好きなんだ」

    「ああ。だが、観光はまたの機会にしよう。今はマリアのことが先決だ」

    「まあ次があるといいけどね」

    そう言ってカルミアは笑う。今から皇宮に乗り込もうというのだからそれもそうだ。

    魔王としての顔が知れ渡り、二度とこの地に足を踏み入れることができなくなるということもありうる。

    「そういえばお前の作った術式ってなんなんだ?」

    皇宮に向かいながらカルミアに今まで放置してきた疑問を投げかけると、彼女は呆れたような目をアルバに向ける。

    「今それなのかい……?まあいい。魔力の吸引と活用の術式だよ」

    「何なんだそれ?」

    「単純な話さ。魔力を特定の巨大な器に吸引させる。その媒体を通して魔力を転用もしくは発散させる一連の流れを術式化して完全自動化したんだよ」

    「それって聖剣みたいな……それとマリアとどう関係が――」

    そう言いかけて最悪の結論に思い至る。マリアの魔王や勇者にも匹敵する膨大な魔力容量と、資質があればそれはなし得る。

    「想像の通りだ。アイリスはマリアちゃんを定量的に魔力を集め、大量に備蓄する機構として利用して魔族を滅ぼす為の武器にしようとしている」

    「そんな馬鹿なことが許されるわけが――」

    「そうだね。許されない。魔法や人を冒涜するような行為だ。でも、彼女は彼女の正義のためには手段を選ばない。君はそれをあの村で見たはずだろう?」

    村での出来事を考えればカルミアの言う通りだ。少なくとも、アイリスがそれを行うために躊躇うことはないだろうということはアルバにもわかる。

    「そしておそらくその為の儀式は今夜あたりには行われるだろう。信じるか信じないか君が選ぶといい」

    カルミアはそうアルバにといかける。だがそれを彼は鼻で笑った。

    「信じるとか信じないとかそんなの選ぶ必要がどこにある。例え何がどうなっていようと、俺の目的は攫われたマリアを救うことだ。なら事の真偽なんてものは二の次だ」

    「そうだね。うん。君は本当に好ましい人間だ」

    「そんなおべっかはいい。それでどうやって城に入る。流石に俺の顔はバレてるんじゃないか?」

    「まあその辺はボクがなんとかするさ。もうすぐ日が暮れる。そしたら作戦開始と行こうじゃないか」
  32. 32 : : 2017/08/20(日) 22:59:40
    そして二人は準備を整え、城に向かってゆっくりと歩みを進めるのだった。


    一方、城内は儀式の準備で慌ただしく人が行き来をしていた。マリアには儀式のことについては直前になって知らされたが、それ以来勇者が張り付くようになり、逃げようにも逃げられずにいた。

    人族のために命を捧げるだとかそういうのはわからない。そもそも魔族を滅ぼすということにすらマリアは頷けない。

    マリアはその話を聞いてから恐怖でおかしくなりそうであったし、いますぐにでも逃げ出したいと考えている。

    だが、この城だけでなくそれを知り得る全ての人がそれに対して湧き上がり、聖女としてのマリアを祭り上げ、期待していることを見せつけられてしまえば、それは楔となりマリアの心を縛っていった。

    「アイリス。本当にこれが正しいの?」

    隣に立つ美しい勇者に答えを求めてみる。彼女に尋ねたところで同じ答えしか返ってこないということはわかっている。それでも聞かずにはいられなかった。

    「ああ。お前の命で多くの命が救われる」

    彼女はいつだって正義の体現者だ。魔族に関して彼女の感性は欠落しているかもしれないが、それでも判断を間違えたりはしない。

    常に救うべきものを天秤にかけ続けてきたのだから。ただその正義は人族のためにしか振るわれないというだけでしかない。

    アイリスのように強い何かがあれば、マリアも流されずに済んだのだろうか。そんなことを考えたところで今更何も変わりはしない。

    ただ、今もアルバの助けを望んでいる自分がいて少しおかしくなる。流されている彼女は結局自分で他人の期待を踏みにじることができず、他人が代わりに汚れ役を担ってくれることを願っているのだから。

    日が暮れて、儀式が始まる。

    マリアは特に抵抗をすることもなかった。地面に書かれた巨大な魔法陣の中央に立つと、その頂点に何人も魔術師が立ち、懐から過去にマリアが魔力を込めた魔石を取り出し、呪文を唱え始める。

    その様子を黙って部屋の隅でアイリスも見守っている。自分という存在を切りとって、人族にとっての正義という一個の存在になろうとする可哀想な人だ。

    いつか彼女の心が救われることを祈る。

    そんな風に考えるのは結局、目の前の恐怖から目をそらしたいだけなのかもしれない。

    魔法陣が光を放ち始め、儀式が始まったのがわかる。マリアの足から先が少しずつ結晶化して行く。

    これからマリアは巨大な魔石の中に生きたまま封印される。そして永遠に死ぬことなく魔力を集めては吐き出す存在になる。
  33. 33 : : 2017/08/20(日) 23:21:03
    体の先が冷たくなって行く感覚に恐怖が心をして行く。もう嫌だ。怖いのは嫌だ。村でみんなと過ごした日に、お兄ちゃんに魔法を教えてもらったあの時に帰りたい。

    そう願いながらも、耐えるように目を固く閉じて、ぎゅっと手を握る。

    そんな時部屋の扉が音を立てて開く。

    儀式中は魔術師の集中力を乱さないために誰も入ってこないはずだ。だが、入り口にはマリアと歳の変わらない少女が立っている。

    「やあ。アイリス元気かい?」

    「何のつもりだ。カルミア」

    「そうだねぇ。白馬の王子様のお届け先はここでいいかな?」

    少女が不敵に笑う。そして次の少女の背後から全身黒ずくめの男が現れ、アイリスを蹴り飛ばすと、彼女は周りに控えていた神聖騎士を巻き込んで壁に向かって突っ込む。

    目を開けたマリアはその男の姿に目を見開く。それはマリアが待ち焦がれて仕方のなかった人だった。この時、アルバはマリアの目の前で二人の時間が嘘ではなかったと証明したのだ。

    「お兄ちゃん!!」

    「悪い。待たせたなマリア」



    アルバはカルミアと共に城に忍びこんだ。カルミアは顔が通っているため普通に入れるのだが、アルバはそうもいかない。むしろ魔王であることは既にバレているかもしれない。

    そこでカルミアが幻惑の魔法を使ってその姿を消して入り込むことになった。アルバ自身でも姿を消すくらいのことはできる。しかし、どうしても多少の揺らぎが出てしまう。一方で、カルミアの魔法はアルバのそれとは精度が違った。

    あまりの見事さに元魔王すら感服するほどだ。外見だけでなく、多少であれば魔力や音、匂いに至るまで幻惑できるらしい。

    夢幻の魔術師などと呼ばれていることはある。

    そのおかげで楽に潜入することには成功したのだが、問題は他にあった。この幼女よりにもよってこのタイミングで道に迷ったのである。

    おかげで本来であれば儀式の開始前に乗り込む予定だったのだが、乗り込んだ時には儀式が始まってしまっていた。

    儀式を中断させるためにアルバは魔法を多重展開して魔法陣を囲む魔術師を気絶させるために雷撃を放つ。

    しかし、その魔法のことごとくは消え去る。そして、マリアとアルバの間にアイリスが立ちはだかる。
  34. 34 : : 2017/08/20(日) 23:23:18
    「邪魔をするな勇者。お前のやっていることは自己満足の身勝手な理想の押し付けだ」

    「戯言を。マリアは聖女として人族を救い永遠に見守る存在となる。彼女一人の命で多くの人が救われるのだ。是非もあるまい」

    「既に自分が壊れていることにも気づけなくなったか。ならばその理想、墓まで持っていけ」

    アルバは同情の目をアイリスに向ける。そして同時に彼の体から邪竜のように硬い鱗の鎧に覆われた翼や尻尾、魔牛のように鋭く磨き上げられた黒曜の角といった悪魔の外部機関が露出し、戦闘に最適化されるように身体中の筋肉が脈動する。

    それは魔王だけに許された姿、本来ならばその力の強さに合わせた生物の角か、翼か、尻尾のいずれかが生えるにすぎない。だが魔王はその全てがその力に相応しい形で生え揃う。

    「本当にやめる気はないんだな?」

    「くどい。さっさと死ね」

    そういうとアイリスは大量の小さな魔石を取り出して空中に投げると、その魔石を頂点とした魔法陣を形成する。

    勇者である彼女であれば魔石なんか使わなくても最上級の魔法を連発できる。にも関わらず、魔石を使って魔法陣を形成してまで精度を上げ、威力を抑えてまで魔法を使う理由は一つしかない。

    「チッ……足止めか!存外冷静だな」

    そして次の瞬間生み出されたのは大量の氷の荊だった。その全てがアルバに襲いかかる。しかし、そんなことは大した問題にはならない。

    すぐに高熱の炎塊を生み出し、氷にぶつける。すると蒸発した水が部屋中を包み込み視界を塞ぐが、アルバはここぞとばかりにマリアを助けに走る。しかし、二歩目を踏み出した瞬間。背筋を悪寒が走り、半歩下がる。

    すると膝先を鈍く光る銀閃が走り、強烈な風圧とともに真っ白な視界が一気に晴れる。

    そして次の瞬間にはアルバの首筋に刃が迫っていた。アルバは風の結界で剣を逸らしながら回避すると、距離をとってガラ空きの胴体に火、水、風、氷、土、雷、基礎属性で再現可能な限りの属性魔法で作り上げた魔法弾を叩きつける。

    しかし、その悉くが素早く引き戻された剣によって弾き落とされ、魔法によって相殺される。

    そして次の魔法に向けての息継ぎとも言えるほんの一秒にも満たない間にアイリスはアルバの懐に踏みこみ、強烈な突きを繰り出していた。

    回避が僅かに遅れ、脇腹を剣が走り肉をえぐる。しかし、アルバもタダでは転ばない。アイリスの腕を掴み、壁に向かって投げ飛ばす。

    そして間髪入れず大量の属性魔力の弾丸を無数に打ち込んだ。

    ここまで約二秒半の攻防だ。

    結果としてアルバの脇腹は内臓がこぼれだすのではないかというほどに深く裂け、壁際から起き上がるアイリスも全身火傷や凍傷、裂傷、が身体中に刻まれている。
  35. 35 : : 2017/08/20(日) 23:23:39
    しかし双方とも、その傷を一瞬で魔法を使って治癒する。

    この二人の決着は一撃必殺の致命傷によってのみしか訪れることはない。

    「この化け物女が……!」

    「そのなりでよく人に化け物などと言えたものだな」

    この間にもマリアの結晶化が進む。この間にもカルミアが術式の解除に取り掛かる手筈だが、彼女も手間取っているのかなかなか儀式の進行が止まらない。

    幾度とぶつかり合いアルバとアイリスは互いの体力を削り合うような戦いを繰り返す。双方の攻撃は、重傷に至れども命には届かない。

    時間ばかりが過ぎ、マリアを救うことすらままならない。このままでは埒があかないと、アルバが溜息をつく。

    「いつまで周りを巻き込んで、子供みたいな正義の味方ごっこを続ける気だ?お前のくだらないわがままに本気でマリアの命を賭けるつもりか?」

    平坦な声で告げられたそれは、いとも容易くアイリスの心の柔らかいところに深く突き刺さり、怒りに肩を震わせる。

    「ふざけるな!貴様ら魔族さえいなければマリアの犠牲とて必要はなかったことだ!」

    アイリスは半ばヒステリになりながら聖剣を振るう。たとえ冷静さを失っても彼女の剣の冴えは損なわれない。常に必殺の一撃がアルバに襲いかかる。

    だが、それでもその攻撃を回避し、受け流しながらアルバは叫ぶ。

    「もとよりそんなもの必要ない!お前たちはいちいちくだらないんだよ!正義だ誇りだって口を揃えて、死体のために生きた人を殺す。過去に縛られ、未来に死体を積み上げる。そんなことになんの価値がある!!」

    それはアルバが幼い頃からずっと感じてきたことだった。生まれてきた時から魔王になることを宿命づけられた彼に世間が期待するのは勇者を殺すことだけだ。

    人を殺されたから殺す。
    人を殺したから殺される。

    そんなことの繰り返しになんの価値があるというのか。過去に積み上げた魔族や人族の罪。数え上げればきりがないほどに死体を積み上げてきた。

    そんな互いの罪を見せ合っては、互いに償いに命を差し出せと叫んでいるのだ。あまりに馬鹿げている。

    アルバはそんなことに関わりたくなかった。だから魔王という役職を放り出して旅に出たのだ。

    「綺麗事を言うな!貴様ら魔族はいつもそうだ!甘言を弄して他人を騙し、隙を見せれば踏みにじる!」
  36. 36 : : 2017/08/20(日) 23:24:26
    触れれば手足が千切れ飛び、内臓が飛び出すほどの斬撃や魔法の応酬。その中で言葉を交わす。余裕があるわけではない。だが、アルバは言わなければならない気がした。

    「お前の過去なんぞ知ったことか!俺からすれば人族のやつらも、魔族のやつらも、お前もみんなアホだ!何が正義だ、何が誇りだ!結局全部人殺しの言い訳だろうが!意にそぐわなければ誇りの名の下に殺し、気に食わなければ正義の名の下に殺し、その先に何がある!わからないなら教えてやる。その先にあるのは、意思を失い、理性や正義という名の統率者の顔色を伺いただ生きるだけの人の形をした家畜だ!!」

    「だからなんだというのだ!それでも、私はただ人族の敵を殺すだけだ!」

    アイリスは聖剣の力を解放する。聖剣はその輝きを増し、急激にあたりの魔力を吸い上げ始める。

    このままではアイリスが周囲を手当たり次第に消滅させかねない。

    「やめろ!時と場所くらい考えろ!こんなところで空魔法を使ってみろ、俺とお前以外、何もかも消え失せるぞ!!」

    アルバが叫ぶが、アイリスは聞く耳を持たない。完全に自ら地雷を踏み抜きに行った自覚はあるが、彼女がここまで考えなく空魔法をぶっ放すような人間だとは思わなかった。

    空魔法を止めるために彼女の意識を刈り取ろうにも、下手に刺激すれば魔法を暴発させて諸共消滅なんてさすがに洒落にならない。しかし、他に手段がないのも確かだ。

    アイリスは輝く聖剣を天高く掲げる。

    それならば一か八かと身体強化の魔法を全開でかけ、アイリスの懐に踏みこむべく地面を蹴る。

    しかし、アルバは突然の出来事に急ブレーキをかける。

    アルバが踏み込むより早く、アイリスの胸を突き破って長い杖が生え、輝きを失った聖剣をとり落す。

    「よし。なかなか焦ったけどうまくいったようだね」

    「おまえ……そこでなにして……!?」

    アルバでなくとも、そう言わずにいられないだろう。なんといっても、そこには邪悪な笑みを浮かべるカルミアの姿があったのだから。

    「何って、ボクはこの場所を守っただけだとも。肉体に干渉して自由は奪ったけど、急所は外れているし、勇者はそう簡単に死にはしないさ」

    杖を引き抜くと、血を振り払って、なんの臆面もなく彼女は言ってのける。

    だが、違う。確かにそれは嘘ではない。だが一切の真実を帯びない。彼女はいつもそうだった。煙に巻くような言動といい、軽薄さという仮面の下に何かを隠していた。

    彼女は結果的に急所を外した。だがそれは真意ではない。直前にアイリスが身をよじったせいで外れたせいで外れたに過ぎない。

    そして彼女はそれを隠す気すらないのか、その寒気のするような笑みを消そうとはしない。
  37. 37 : : 2017/08/20(日) 23:25:34
    「カルミア。おまえまさか……!」

    アルバはマリアの方へ目を向け、ようやく最悪の状況を自覚する。

    カルミアの仕込んだ毒は既にアルバを支配していた。だからこそ疑い続けていても気づくことができなかった。

    彼女は常に真実を隠匿し続けた。
    自身の術式の贋作をなんとかしたいとは言ったが、マリアをどうするかについては何一つ言及しなかった。

    アルバは常に彼女の織りまぜる嘘を探り続けた。真意を探ろうとしていたが、なかなか尻尾を掴ませないと思っていた。そもそもその考えが間違っていた。

    彼女は嘘をつかなかったのだから。

    結果としてマリアは完全に結晶化し、巨大な魔石の中央に眠っている。周りの魔術師は倒れているが、術式は完全に起動していた。

    先ほどまで、アルバ達に気づかせずに事を遂行できたのはカルミアの幻惑の魔法があってのことだろう。

    完全に油断した結果だった。

    アルバは瞬時にカルミアに向けて極小の水の弾丸を打ち出す。しかし、それは彼女の作る幻影だったのか手応えはなく、すぐにその場から消える。

    カルミアの消失を確認し、警戒しながらもアイリスに駆け寄り、傷の治療を施す。肺をやられたのか、彼女はひゅうひゅうと風切り音立てながら何かを言おうするが、どうせろくなことは言っていないとアルバは相手にせず治癒を施す。

    体の自由を奪ったのは水魔法による鎮静を傷口から全身の神経に至るまで浸透させたのだろう。傷はどうにでもなるが、こればかりは他人の体ということもあり、少し時間がかかりそうだった。

    魔力的に正面から殴り合えば負けることはありえない。しかし、カルミアはそれを断固として避ける。勝てない相手には勝てないなりの策を用意して、隙を突く。そういう人間だ。

    「ははは。君は優しいんだなあ。さっきまで殺しあっていた相手を治癒するなんて」

    「やかましい。おまえはさっさとマリアを解放しろ」

    「それはできかねるな。ボクはこれを成すためにここにいるのだから」

    消えたかと思えば、唐突にアルバの前に現れて茶化すカルミアに苛立ちを覚えながら悪態をつくが、それも彼女は軽薄な態度で流す。

    「何が目的だ。なぜこんな事をする」

    「それは私の台詞だ虫けら!」

    真剣な眼差しを向けるアルバの後頭部を鉄塊が横殴りにする。強烈な不意打ちを受けたアルバは勢いよく吹き飛ばされ、地面を転がる。
  38. 38 : : 2017/08/20(日) 23:26:14
    「てめぇ何しやがる!!」

    聖剣の腹で人の頭を殴打した勇者アイリスにアルバは怒鳴り散らす。流石のカルミアもあまりに唐突な出来事に半ば放心状態だった。

    「それは私の台詞だと言っている。魔族の施しなんぞ受けんと何度も言わせるな。私の魔力が汚れる。首を刎ねられなかっただけ感謝しろ」

    敵同士とはいえ、曲がりにも治療をほどした相手に、ここまで悪びれるようすもなく後頭部を聖剣で殴打できる女がこの世にいるとは流石のアルバも考えたこともなかった。

    「あーあーはいはい。そうですか。でも、残念でしたー散々魔力通しまくったあとですぅ。おまえの体の隅々まで俺に汚しつくされてますぅ」

    「なっ……破廉恥な!これだから魔族は!首を出せ。今度こそ切り落としてくれる!」

    カルミアを無視して、叫び散らかし剣や魔法を使っての大喧嘩を始める二人。流石にこれにはカルミアもその胡散臭い笑顔を引きつらせていた。

    それからアイリスは顔を赤くして咳払いをひとつ、カルミアを睨みつける。

    「まあいい。ひとまず貴様のような虫けらは後回しだ。カルミアこれはどういうつもりか説明してもらおうか」

    「どういうつもりも何も、君にも話しただろう?あの子は人柱になるんだよ。それを全部消し飛ばされてはかなわないから君の自由を奪っただけさ」

    アイリスの質問に、カルミアはあからさまに悪意的な回答をする。此の期に及んで言い逃れをする気もないだろうに、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら彼女はまた欺瞞で言葉を飾る。

    「ならば何故お前は、俺をここに連れてきた。人族の救済が目的であれば、俺はここにいると邪魔な人間だ。その上、術式の改変まで行っている時点で今更言い逃れは見苦しいんじゃないのか?」

    「確かに君の言う通りだ。ボクは術式を提供しただけで、人族の救済なんて望んではいない」

    カルミアは小さく叩きながらうわべだけの賞賛をアルバに送る。そして途中で言葉を止めて、ゆっくりと歩きながらマリアの入った半透明の魔石に近づいてそっと表面を撫でる。

    そしてアルバ達を振りかえり、彼女は笑う。

    「――――ボクが唯一望むのは世界の救済それだけだ。世界が救えるなら、そこに人なんていなくても構わない」

    そしてその言葉と共に魔石が輝き始め、視界を光が覆い尽くす。

    そしてその光が治るとそこには天使のように白い翼を生やしたカルミアの姿があった。

    「君達にの役目は終わりだ。アイリス。神託なんてものに騙されてここまでボクのために働いてくれてありがとう。救済の鍵を壊されてもたまらない、ここで退場してもらおうか」

    カルミアの瞳に暗い喜びが宿る。
    それは、大願の達成を前にしたが故か、新しく得た力を振るうことができるが故か、はたまたその両方か。それをアルバ達に推し量ることはできない。
  39. 39 : : 2017/08/20(日) 23:31:05
    だが彼女が倒すべき敵になったことだけは間違いなかった。

    カルミアの翼がバサリと音を立てると同時に、アルバとアイリスを切り刻むために硬く鋭い刃のような羽根が無数に襲いかかる。

    「次から次へと……!」

    アルバとアイリスは羽根の塊を挟んで左右両側に飛び退いて回避する。

    だが、

    「ッがあ……!」

    右腕に強烈な痛みが走る。目を向ければそこには見るのも嫌になるほどズタズタに切り刻まれた自分の右腕があった。

    すぐに回復魔法をかけて治癒しようとするが、やけに治りが遅いことに気づく。まるで自分の腕が自分の腕でないような感覚だった。魔力が異常なまでに浸透しにくいのだ。

    「ふん!雑魚魔王が、腑抜けおって」

    「はあ!?誰が雑魚だ!ぶち殺すぞ脳みそ筋肉女!」

    「ほう。やれるものならやってみろ。貴様から先に地獄に送ってくれる」

    ちょっとしたことで喧嘩を始める二人にいい加減カルミアも焦れたのか、再び翼を数度はためかせ、先ほどより多くの羽根を辺りに撒き散らす。

    しかし、それは失策だった。

    「「邪魔するな!!!」」

    勇者の聖剣から空魔法を纏った斬撃が放たれ羽根の群れを消し去り、魔王の周囲から現れた大量の魔法陣から放たれる大量の属性魔法がカルミアを飲み込んで天井を消し飛ばし、屋外まで吹き飛ばす。

    そして、この皇宮の中でも最も高い塔の頂上にある、風通しと見晴らしがとてつもな良くなってしまった部屋の中で魔王と勇者は喧嘩を続けていた。

    「君達は本当に仲がいいね。あんまり無視されると嫉妬してしまうじゃないか」

    一方、カルミアは翼で体を守り魔王の攻撃を凌ぎきっていた。空中で翼をはためかせ、喧嘩する二人を見下ろす。

    そんなカルミアに二人は魔法と剣の花が舞い踊る大喧嘩をやめる。

    「おい洗濯板。一時休戦だ。先にあいつを始末するぞ」

    「いいだろう。貴様の始末は後だ、生ゴミ」

    もはや原型もない名前を呼び合いつつ、二人は風魔法で体を浮かせる。するとカルミアはそれは嬉しそうに杖をくるくると回して空中で足元を叩く。
  40. 40 : : 2017/08/20(日) 23:31:45
    「ようやくやる気になってくれたのかい?ならばボクも頑張ろうじゃないか」

    すると、再び彼らのマリアの魔石が輝きを増す。

    「マリア……!」

    そして同時に、カルミアの翼が一対から三対に増え、急激に魔力が増大していく。その量だけなら魔王や勇者にも引けを取らない。おそらくあの魔石から魔力の供給を受けられるように術式を改変し、今まではその効力を抑えていたのだろう。

    アルバは今すぐマリアを魔石から救出する事を考えるが、その考えを行動に移す前にカルミアの言葉がそれを遮る。

    「無駄だよ。あの術式を破壊しても意味はない。既に彼女の体から精神は隔離されていからね、破壊すれば精神は永遠に別時空に幽閉されることになる。助かる方法はボクが術式を解くことだけだ。まあ死んでも解かないだろうけど」

    「この下衆が……!」

    「酷いことだとはまあ一応理解はしているとも。反省はしてないけどね」

    アルバはカルミアの言葉に自分の中に湧き上がる熱を感じる。これほどまでに怒ったことがあるだろうか。勇者と戦うのとはわけが違う。

    これほどまでに人を殺したいと望んだことはなかった。

    「お前だけは絶対に殺す。俺を怒らせた事を後悔しろ。其は存在の産声――」

    地魔法の全力行使。創造の奇跡をここに呼び起こすべく詠唱を始めようとするが、それは意外にもアイリスによって制される。

    「感情的になるな。今奴を殺したら何が起こるかわからん。貴様は邪魔だ。さっさとマリアをなんとかしてこい。三流魔術師の三流魔法くらいはなんとかできるだろう」

    「よく口が回るやつだ。お前こそ、その三流に負けるなよ」

    「誰にもの
    を言っている」

    最後は言葉数も少なく、笑みを交わして別れる。先ほどまで喧々諤々と言った様子の二人だったが、そのやりとりに特段違和感はなかった。

    だがカルミアはやりとりの内容が不満で仕方ないようだった。

    「君一人でボクを相手にするのかい?しかも、ボクの研究を一朝一夕でなんとかしようだなんて、面白くはあるけど、流石に傲慢がすぎやしないかい?」

    言葉と共にアルバを足止めするためか、彼に直撃するコースに羽根を飛ばし魔法の同時展開までこなす。膨大な魔法と羽根がアルバに向けて放たれる。

    しかし、アイリスは瞬時に割り込み輝く聖剣を横薙ぎに振り抜くだけでその全てが打ち払われる。

    「君は本当に厄介だな……空魔法を使うことに微塵の躊躇いもない」
  41. 41 : : 2017/08/20(日) 23:32:13
    「馬鹿を言うな。私とて極力出力は絞っている。お前のおかげでここは幾分か魔力が満ちているからな少しは使いやすいと言うものだ」

    マリアによってこの世界から魔力を吸い上げる機構はカルミアに魔力を供給していたが、そのせいか余剰魔力がいくらか漏れ出していた。

    おかげで少しくらいなら空魔法を使う程度のことはできる。とはいえ、連発することができるほどではない。せいぜいこの地への影響を考慮に入れればあと3回がいいところだ。切り札は温存する必要があった。

    「今度はこちらから行くぞ」

    だからこそアイリスは距離を詰める。魔法戦であれば魔力で差がつかない以上、羽根を含めて数の多いカルミアのほうが有利だ。空魔法を使わせられる場面も出てくるだろう。

    だが接近戦であれば話は変わってくる。

    相手は魔術師であり、武器といえば手に持った長い杖のみだ。剣の間合いであればアイリスに一日の長がある。

    アイリスは火魔法で肉体強化を施し、風魔法で足元に即席の足場を生み出していく移動方式に切り替えると、素早く踏み込む。

    空気が爆ぜる音ともに足場が弾け飛び、アイリスはすぐにカルミアの間合いに踏み込む。そして、下段に引き絞った聖剣を跳ね上げる。

    捉えた。その確信があった。

    そして次の瞬間には、ずぶりと剣が肉を通不快な音があたりに響く。

    「魔術師は近接戦ができないと思ったかい?残念。ボクは魔術が苦手なんだ。だって剣で斬ったほうが呪文を唱えるより早いからね」

    アイリスの剣はカルミアの翼に阻まれて完全に止まり、彼女の腹部をカルミアの翼の隙間から伸びる長剣が貫いていた。



    時は遡り、魔石の元に戻ってきたアルバは術式の解析に取り掛かり、その全貌を見て絶望した。

    「こいつ天才か……?」

    あまりに膨大な魔法を組み合わせた術式はありえないほどに緻密だ。そもそもあまりに大きすぎて普通の人間は無の状態からこの一枚絵を描き出すのは不可能だ。

    魔力を這わせて隅々まで精査してもその正確さ、効率、緻密さあらゆる面で完璧で付け入る隙がない。

    しかも精神を別空間に隔離する術式があらゆる術式と連結しているため、ほぼいじることのできる場所がない。

    あまりの抜け目なさにアルバは唇を噛み締めながら、何度も何度も繰り返し隙を探す。
  42. 42 : : 2017/08/20(日) 23:32:42
    そんな時、すぐそばでビチャビチャと粘性の高い水音がしたかと思うと、続いて重いものが落ちるような音がする。

    振り返るとそこには血まみれのアイリスが倒れていた。

    「おい!しっかりしろ!」

    慌てて駆け寄り、治療しようと手を伸ばす。しかしその手はアイリス自身によって払われる。

    「ぐっ……私に構うな……貴様は貴様のすべきことをしろ……」

    アイリスは足元すらおぼつかないまま、傷口を魔法で治癒しつつ、剣を支えにして立ち上がる。力を込めるたびに傷から大量に血が流れ落ち、内臓が傷ついているのか、口からも血の塊を吐き出す。

    さらには、その傷口の回復は遅々として進まない。はじめにアルバが羽根で傷を受けた時同様、呪術の類でもかけられているのだろう。

    カルミアが明らかに魔力に余裕ができて、多くの事に意識をさけるようにようになった証拠である。

    「そんな傷でどうやってアレとやりあう気だ!?いつ終わるかもわからないんだぞ!」

    思わず声を荒げる。しかし、アイリスはアルバの方を振り返ろうともしない。彼女はただ自らの傷に治癒を施しながら、空中でゆったりと佇むカルミアを睨みつけていた。

    そしてその視線を外さずに傷を刺激しないように、慎重に言葉を紡ぐ。

    「あの女の口車に乗せられ、マリアの村を消し、攫ったのは私だ。ならば私はそれに見合うだけの責を果たさねばならない」

    「マリアをあそこから出せば、魔族を滅ぼすための魔力が得られないとしてもか?」

    「当然だ。あの胡散臭さの固まりのような女が作り変えたものなど使えるものか。それにだ――」

    そこで一旦咳き込んで喀血して肩で息をしながらも、言葉を続ける。

    「不本意ではあるが、仮にも協力者には多少なりとも譲歩を見せてこそだろう?」

    どこからそんな余裕が出てくるのか、アイリスは不敵に笑う。そしてそのまま風魔法で飛び上がっていく。

    「なんかちょっとかっこいいじゃねぇか」

    アルバは言い知れぬ敗北感を覚えながら作業に戻る。

    この瞬間もアイリスは戦っている。作業しながらも様子を伺えば、かなり押されているのがわかる。

    様子を見るからに剣術自体はわずかにカルミアが上、身体能力はアイリスがかなり勝っているのだが、傷が響いてそのスペックを十全に発揮できていないと言った状態だ。

    さらにこのまま時間が経てば経つほど血を失ったアイリスは体力的に不利が大きくなっていくだろう。
  43. 43 : : 2017/08/20(日) 23:33:09
    しかし、いかに確認作業を進めようと穴はない。認めるのは悔しいが、カルミアの研究者としての才能は間違いなく超一流だ。

    マリアの精神を隔離し、そこからパスをつなぐ事で魔力操作に関する精神的作用を損なわずにこの術式を完成させている。

    さらにパスをつないでいるため外部からの精神干渉に弱いため、そこに対しては常に精神の表層を鈍化させる術式が組み込まれていた。

    対策が完全というに他ない。

    もし万が一可能があるとすればアルバの魔力を直接流し込み、強制的にマリアの精神を隔離空間から引きずり出すことくらいだ。

    しかし、この魔石は術式が稼働している最中大量の魔力をかなりの割合で圧縮しているため、下手に触れたりすればそれこそ手が消えて無くなる。なくならずとも、それこそ大怪我だ。

    それにどれだけの魔力が必要なのかもわからなければ、そもそも魔力がマリアの精神にまで届くかもわからない上に、マリア自身がそれに気づいて意識を浮かび上がらせるかもわからない、そして極め付けに失敗すればアルバはしばらくの間ほとんど動けない状態になるだろう。

    わからないことだらけの上に、失敗した時のリスクがあまりに大きすぎる。まるで糸のように細い可能性を手繰り寄せるような話だ。

    だが、時間がない。このままでは次の手を得る前に間違いなくアイリスがカルミアに敗北し、それこそ勝機を失うだろう。

    決断する他なかった。

    「くそったれ……頼むぞマリア……!!」

    手の周りに魔力を集中させ、魔石に思い切って触れた途端、手が消し飛んだような錯覚に陥り思わず手を離す。

    「……ッ!!なんて無茶苦茶な魔力だよ!」

    手を見れば、あまりの高圧の魔力に触れたことで皮膚が剥がれ手が焼け爛れたようになっている。

    悪態をつきながらも治癒魔法を施し、今度こそ覚悟を決め、手を伸ばす。強烈な痛みに意識を持っていかれそうになりながらも魔力に指向性を持たせ、少しずつマリアに向けて伸ばしていく。

    まるで鉄の壁を拳でぶち抜こうとしてるかのようなあまりに無謀な感覚を覚えながらも、大量の魔力を流し込んで細く鋭く研ぎ澄ましていく。

    アイリスの邪魔にならぬように外部から少しずつ魔力を取り込みながら、手を治癒しながらの作業が続く。

    強烈な痛みに頭を掻き回されながらも、意識を集中する。じわじわと先に進む手応えを感じながらも、あまりの苦痛に時間感覚が失われ、一瞬がまるで数時間にも及ぶかのように長い。

    身体中から嫌な汗が吹き出し、まるで脳が警鐘を鳴らすかのように視界がチカチカと明滅する。
  44. 44 : : 2017/08/20(日) 23:34:34
    そしてついに届く。マリアの中に魔力を潜り込ませ浸透させていく。さらにパスを通して自分の意識を隔離されたマリアの精神に潜り込ませる。

    ――起きろ!いつまで寝てるんだ!マリア!

    まるでそう呼びかけるかのように。精神体を魔力で揺さぶる。

    しかし、マリアは反応する気配すらない。

    何度も何度もゆり起こす。真っ暗な世界の中にいる彼女に向けて手を伸ばす。

    そんな中、初めて彼女と会った時を思い出す。寝不足気味だった彼女の身体を魔法で疲れをとってやった。ある意味あの時と同じだ。

    そんなちっぽけでたいした記憶でもない。ただ状況が似ていたと言うだけだ。初めて彼女に魔法を見せたのはあの時で、飛び上がって喜んでいた。

    もう魔力も底をつきかけ、自分の手を癒すのすらやめ、マリアに魔力を送っている。

    「ヒール」

    そんな枯れかけの小さな魔力によって唱えられた魔法。それにマリアがピクリと肩を跳ねさせ、薄っすらと目を開ける。

    『おに……いちゃん……?』

    真っ暗な世界に浮かぶマリアにアルバは手を伸ばす。最後の力を振り絞り魔力を注ぎ込む。彼女が眠る世界を照らすように。アルバの手と彼女の手がしっかりと見えるように。その手をつなぐために。

    「マリア!!起きろ!!助けに来たぞ!!」

    大声で叫ぶ。

    『お兄ちゃん!!』

    隔離された精神世界でマリアはその意識を浮上させ、アルバの手を掴む。

    最後の最後。マリアを引きずり上げるための魔力を、なけなしの精神力を燃やし、体外から吸い上げて補う。

    「帰って来い!!!マリアァァァァァァアアアアアアアアアア!!!」

    叫び声を上げ、魔力を注ぐ。

    まるで深い水底から意識を引きずり出すような感覚。そして同時に魔力切れで身体が崩れ落ちる。

    しかし、這い蹲って見上げた魔石に変化はない。

    ――失敗したか。だせぇなぁ

    そんなことを考え、意識が薄れた瞬間だった。急激に魔石にヒビが入っていく。そしてついには砕けて中からマリアが現れる。

    「お兄ちゃん!!」

    そしてマリアはアルバの呼びかけに応えたのだった。
  45. 45 : : 2017/08/20(日) 23:34:57
    少し前、アイリスは体力的限界を迎えつつあった。幾度も重なる攻防で左肘から下を失った。なんとか傷は塞がったが、血を失いすぎたせいか視界が揺れる。肩で息をし、いつもは軽い聖剣を片手で持ち上げるのすら億劫に感じられる。

    「もう終わりかい?もう少しボクを楽しませてほしいなあ」

    この状況を作り出したのはアイリス自身の慢心だ。魔術師だから近接戦ができないなどという安易な決めつけが彼女に苦戦をもたらした。

    一方でカルミアは無傷だ。
    彼女は常に最悪を想定し、最善を選択し続けた。欺瞞を並べてアイリスを欺き、ペースを握る。

    たったそれだけの差だ。それがここまで大きな差になった。本来ならばこれほどアイリスが一方的にやられることなどあり得ない。むしろ、実力的にはアイリスが圧倒していたことだろう。

    だが、実際は違った。それが全てだ。
    それでもマリアのことはアイリスの罪だ。ここで負けるわけにはいかないのだ。

    「ふん。何が終わりなものか。私はピンピンしている」

    大嘘だ。今にも力が抜けて膝をつきそうなくらいだ。空魔法も上限まで使い切った。勝ち目などどこにもない。

    そもそも片腕を失ってピンピンというのも無理な話だ。

    だが寸分の油断や勝機があればその瞬間に殺す。その意思だけでアイリスはここに立っている。

    「全くボクは別に他人を痛めつける趣味はないんだけど。そろそろ終わりにしようか」

    だが、この瞬間までカルミアに油断も慢心もなければ、勝機も見えない。

    カルミアが翼をはためかせ、トドメを刺そうと無数の羽をアイリスめがけて放つ。

    アイリスは最期の一瞬まで諦める気は無かった。カルミアから一切目を話すことなくその目を開いて勝機を待つ。

    だからこそアイリスに勝利の女神は微笑んだ。

    カルミアが羽を飛ばす直前、アルバの叫び声を聞いた。カルミアはヒステリになっているだけだとでも思ったのか、気にも留めなかったようだがアイリスは勝利を確信した。

    そして羽がアイリスを蜂の巣にする直前、マリアを閉じ込めていた魔石が砕けて中で圧縮されていた魔力が大気に満ちる。

    アイリスは即座に空魔法で羽を全て打ちはらうと、剣を上段に刃を寝かせて構え、カルミアに向けて走り出す。

    身体強化込みでもあまりに遅く、今からでもカルミアが避けようと思えばすぐに避けられる程度。
  46. 46 : : 2017/08/20(日) 23:35:29

    だからこそ、その一瞬にカルミアの油断は生まれた。

    そこで攻撃に転じるために羽を羽ばたかせようと大きく広げる。

    それを見てすぐにアイリスは聖剣を輝かせると、あらゆる認識を超えてカルミアの心臓をアイリスの聖剣が捉える。

    「なっ……んで……?」

    「貴様が回避していれば、致命傷にはならなかったかもな」

    アイリスはあの瞬間、空魔法を発動した。空魔法は存在を否定する魔法。

    そしてアイリスはカルミアとアイリスの間にある空間の存在を否定した。つまり、空間が消し飛んだことで、アイリスが刺したのではなく、カルミアが刺さったのだ。

    それからアイリスはすぐに剣を抜き、その場を飛び退くと剣を鞘に納める。

    そして次の瞬間、カルミアのいる空間で空気が強烈な爆発を起こす。空間の存在を否定したが、それは所詮一時的なものである。すぐに揺り戻しで空間がそこに再生する。そうすればその空間だけ異常に密度が高くなり、その均一を保つために強烈な爆発を起こす。

    カルミアは爆発に巻き込まれ、そのまま落ちていく。もう生きてはいないだろう。

    「ふぅ……なんとかなったか……」

    塔の頂上に戻ると、魔力の欠乏で意識を失ったアルバとそれを心配そうに見守るマリアの姿があった。

    立っていることすらままならないため、アイリスはそのまま壁にもたれて腰を下ろす。

    「おにいちゃん……また起きるかな?」

    「魔力を分けてやればすぐ起きるだろう」

    「アイリスはそれでいいの?」

    「そうだな。私は生憎足腰が立たん。だからお前が何をしようと止めることはできん」

    「ありがとう!」

    マリアはアイリスに笑顔で礼を告げると、アルバに魔力を分け与える。

    「マリア。お前こそそれでいいのか?今のお前なら私を――いや、やめておこう」

    アイリスはマリアの背中に語りかけようとして途中でやめる。マリアは聞かなかったように振り返らずそのままアルバに魔力を送り続けた。

    それからしばらくしてアルバが目覚める。

    目を覚ますとそこには、何時ぞやに見たような一面幼女が広がっていた。
  47. 47 : : 2017/08/20(日) 23:36:01
    「おう。相変わらず近いな」

    「お兄ちゃん!」

    目尻に涙を浮かべ、マリアが抱きついてくる。アイリスのおかげでなんとか死なずに済んだようだ。

    「なんとかなったようで何よりだ。なんというか満身創痍通り越して死に損ないってかんじだが」

    マリアを引き剥がすわけにもいかず、マリアを抱えたまま上半身だけ起こす。

    「人の心配より、自分の心配をしろ。さっさとその角やら翼やらをしまわんと、どうなっても知らんぞ」

    アイリスの言葉の真意がわからず、一瞬考えたアルバだったが、階下から上がってくるいくつもの魔力にようやく気付いて慌てて体外器官をしまう。

    「勇者様!ご無事ですか!?」

    「これがご無事に見えるか?」

    そう言って、肘から下のなくなった左腕を見せる。アルバは一歩後ずさっている兵士に同情するのもつかの間、アルバはあっという間に兵士に囲まれる。

    「貴様何者だ!?」

    「何者だっていわれても……」

    視線でアイリスに助けを求めるが顔を背けられる。先ほどまで共闘していた相手に、あまりにひどい態度だ。魔族がそんなに嫌いかと叫びたかったが、それこそ死ぬのでアルバは自重する。

    マリアはマリアであたふたしていて助けてくれそうにはない。

    万事休すのアルバがあたふたして応答に困り果てていると、見兼ねてかアイリスが溜息をつく。

    「その男は儀式に乱入して暴れたカルミアを止めるのを手伝ってもらった。客分として扱え」

    「はい!失礼しました!」

    そもそも何故今更なのだろうか。流石に駆けつけるのが遅すぎるのではないだろうかと、素直に疑問を投げかけると、

    「あの場に私がいるのは周知だからな。避難を優先していたのだろう」

    ということらしい。しかし、まさかアイリスと会話が成立する日が来ようとは思っていなかったアルバは、なんとも言えぬ感動を覚えていた。

    しかし、

    「今回は致し方なく手を貸したが、勘違いするな。次会った時は必ず殺す」

    と別れ際に言われてしまった。余りに熱烈なデスコールにはアルバだけでなく、流石のマリアも引き気味だ。
  48. 48 : : 2017/08/20(日) 23:36:45

    その日は、城に泊めてもらうことになった。まさか人族の国で客分として宿泊する日が来ようとは思わなかった。

    魔王でこんな経験をしたのはアルバが間違いなく初めてだろう。

    やたら豪奢でだだっ広い部屋にいると魔王城にいた頃を思い出す。毎日のように夜這いをかけてくる侍女や貴族の娘。それはもう鬱陶しいことこの上なく、安心して夜も眠れなかった。

    しかし、今となっては夜這いをかけてくる女もいない。ゆっくり眠れることの素晴らしさをアルバは噛み締めていた。

    そんな時部屋の扉がノックされる。

    「いやいやまさかな。バレてないし。人族の国だし」

    そう言って恐る恐る部屋の扉を開けるとそこにいたのは夜這いをかけにきた侍女でも貴族の娘でもなくマリアだった。

    「あの……おにいちゃん。アイリスのことでお話があるんだけど」


    というわけで、翌日アルバはアイリスの部屋の前を訪れていた。

    決して自殺に来たわけではない。

    どういうわけかと言えば、昨晩マリアにアイリスの腕を直せないかと言われたのだ。熱烈デスコールを受けた身としては非常に難しい内容だったが、できないわけでもないため、真剣に頼み込まれては断れなかった。

    しかし、前日に次会ったら殺すといわれた相手に会いに来るのは流石に正気の沙汰ではない。

    とはいえ、約束をしてしまったため行くしかない。魔石に触れるときよりも死を覚悟しながら部屋をノックする。

    「部屋の前でうろうろするな変質者。入るならさっさと入れ」

    どうやら前からバレていたようだ。普段は抑えてはいるものの、アルバほどの魔力をもっていれば、わかる人間からすれば魔力だけでも簡単に見分けられる。そう考えれば当然だった。

    帰りたい気持ちを抑えて、扉を開けて中に入る。

    すると首筋に鈍色に光る刃が突きつけられる。

    「まてまてまて。殺し合いに来たんじゃない」

    「次会ったら殺すと言ったはずだが?」

    「いいから剣を引けって」

    アルバの呼びかけにしぶしぶと言った様子で剣下ろすと、片手でれないのかゆっくりと剣をしまう。

    「それで要件はなんだ」
  49. 49 : : 2017/08/20(日) 23:38:41
    「その腕のことなんだが」

    彼女の表情が苦々しく歪む。戦うことしか人を救う方法を知らない彼女にとって腕がないというのは非常に問題が大きい。

    本来、腕が切断されてもその腕さえあれば引っ付ける程度のことは容易い。しかし、彼女の腕は損傷がひどく、繋ぐことは不可能な状態だった。

    だからこそアルバがここに来たのだが、その意図を理解したところで彼女としては安易に喜ぶこともできない複雑な心境なのだろう。

    「貴様はそれでいいのか?腕が治ればその腕で私は貴様を殺しに行く」

    アルバとしてもそれは厄介ではあるのだが、今更そんな意地の悪い話をする気にもなれなかった。此の期に及んでアイリスを邪険に扱えるほど太い神経を彼は持ち合わせていない。

    彼女はこう言ってはいるが、以前ならば部屋に入った瞬間どころか扉の前に立った瞬間から戦争が始まっていた自信がある。少なくとも以前よりは関係改善が図れたとアルバは勝手に思っていた。

    とはいえ、それそのまま伝えればアイリスは憤慨するだろうし、下手しなくともアルバに斬りかかる。めんどくさい勇者様である。

    「はぁ……お前言ったよな。協力者には多少なりとも譲歩を見せるもんだろ?」

    アルバの溜息混じりの言葉にアイリスは少し驚いたような顔をする。しばしの沈黙の後、

    「そうであったな。わかった。私の腕をたのむ」

    そう告げて、アイリスは表情を緩める。彼女のこれほど穏やかな笑顔を初めて見たアルバは思わず見とれてしまう。

    元よりアイリスは世間的に見ても群を抜いて美しい。ただ性格が尖りまくっていて残念すぎるだけで、基本的には美人だ。普通に笑えばそれ相応に魅力的なものになるのは当然と言える。

    アルバがアイリスの顔を眺めていると、彼女は怪訝そうに眉をひそめる。

    「なんだ?私の顔に何かついているのか?」

    「ああいや。なんでもない。ちょっと考え事してた」

    アイリスに指摘され、慌てて取り繕うと、アルバは彼女に腕を見せるように促す。

    包帯の巻かれたその細く美しい腕は肘から下が存在せず、あまりに痛々しい。

    「ちょっと目を瞑ってろ」

    そう言ってアイリスが目を閉じるのを確認すると、包帯を剥がす。自分の腕の切断面を見るというのは最悪だろう。昨日の今日で血を失うのもまずい上に、部屋を汚すわけにもいかないので、血が吹き出すようなことはないが、これから処置される腕を直接見るというのもなかなか心にくるものがある。

    他人の腕であるアルバですら遠慮願いたい光景だ。
  50. 50 : : 2017/08/20(日) 23:39:03

    患部を見ると既に治癒が施されたのか止血されて、肉が盛り上がっている。
    しかし、このままでは腕を繋ぎ直すことはできないため盛り上がった部分を切り取らなければならない。

    そのために水魔法で神経の感覚を少しずつ鈍化させ、痛覚を奪う。そして空気に触れないように清潔な水で患部を覆いながら、一気に風の刃で肉を薄く削ぎ落とす。

    いくら痛覚を鈍化させていても流石に痛みを感じるのか、アイリスの顔が苦痛に歪み、肩が小さく跳ねる。しかし、声ひとつあげないのは流石というべきかもしれない。

    魔法のおかげで血が出ることはないが、生々しい肉の質感がそこにはある。アルバも目をそらしたくて仕方なかったが、見ないことには治療もできないため、諦める。

    あとはそこに腕を作り出すだけだ。アイリスの体に魔力を通して基本構造を洗い出す。形や大きさに狂いが出ないように、想定に想定を繰り返す。

    このあとはアイリスの肘から下が元よりそこに存在したと定義して生み出すため、本来アルバの行為は無意味だ。

    しかし、地魔法は何が起こるかわからないびっくり箱のような存在だ。今回は特に他人の体で何かが起こってからでは遅いため、不測の事態に対応できるよう手は抜くことはしたくなかった。

    魔力を集めるために体外器官を出して意識を集中する。

    開闢の奇跡(ラグナ・ノヴァ)

    呪文を唱えた瞬間、まるで何事もなかったかのようにアイリスの腕がそこに現れる。

    仕上げに感覚を元に戻して、治療の残骸を処理して終わりだ。

    「よし。目を開けてもいいぞ」

    目を開けて自らの手を確認する。おそらく感覚を戻した時、既に手先の感覚は戻っているはずだが、イマイチ信じられなかったのだろう。

    「どうだ?違和感とかないか?」

    手を閉じたり開いたりしているアイリスにアルバは声をかける。すると、ようやく顔をあげてちょっと嫌そうな顔を作る。

    「ああ。そうだな。この腕がお前の魔力でできているという不快感以外は問題ない」

    顔をしかめるものだから何か失敗したかと思えば、治してもらっておいてとんでもない悪態を吐いたものだ。これでは、心配し損というものだ。

    ――全くお前は口が減らないやつだな

    アルバが呆れて肩をすくてそんなことを口にしようとした。その時、急激な揺れがアルバ達を襲う。それはまさに大地の怒りとも取れるほどの巨大な地揺れにあたりが騒然とする。

    ほとんどの者は立ち上がることすらままならないほどの揺れに異常を感じながら、揺れが収まるのを待つ。
  51. 51 : : 2017/08/20(日) 23:39:39
    それから数分間揺れが続いたが、ようやく収まりほっと胸をなでおろす。

    「それよりお前は何をし
    てるんだ」

    アルバは腰のあたりにしがみついている重りに声をかける。

    「あ、いやこれはそのなんだ。万が一の時の肉盾にと思ったのだ!」

    怖いなら怖いと素直に言えばいいものをアイリスは、アルバから離れて立ち上がるとそんな強がりを口にする。

    足が震えているが、指摘してまた襲われても困るためアルバはそっとしておくことを決めるのだった。

    この城はなんともなかったが、外はどうなっているかわからない。そう考えればマリアのことが無性に心配になる。

    場合によってはこの城のどこかで天井や床が抜けていない保証はどこにもない。

    「おい。アイリス。マリアの部屋はどこだ」

    「な、なんだ突然。名前で呼ぶな気持ち悪い」

    面食らったようにするアイリス。しかし、そんなことをしている場合ではない。

    「照れてる場合か。怪我でもしていたらどうする。急ぐぞ」

    そう言ってアイリスとアルバは部屋を飛び出そうとするが、その前に勢いよく扉が開く。

    「お兄ちゃん!アイリス!大丈夫!?怪我してない!?」

    そして、マリアが部屋に飛び込んでくる。アルバの心配は杞憂だったようだ。

    「ああ。マリアこそ無事なようでなによりだ」

    「それにしてもさっきの揺れはなんだったのだ。死ぬかと思ったぞ」

    アイリスは未だにさっきの地震がトラウマなのか戦々恐々といった様子だ。

    「あ!アイリス腕治ったんだよかったね!」

    「なるほど。お前の差し金というわけか」

    「えへへ……あ!それより、大変なの!ちょっと来て!」

    マリアは何か思い出したように、二人の手を引いて部屋を出ると城のバルコニーに二人を連れ出す。

    アルバ達はそこから見える景色に愕然とした。あれだけ整然としていた街並みは今や面影すらもない。

    あちこちで建物が倒壊し、火の手が上がっている場所もある。極め付けには大地のあちこちに巨大なひび割れが生まれ、底の見えない闇が続いている。
  52. 52 : : 2017/08/20(日) 23:41:07
    それこそ世界の終末を感じさせるほどに。

    そしてその光景に最も衝撃を受けていたのはアイリスだった。彼女が守って来たものの多くがあの一瞬で失われてしまったのだ無理もない。

    「何故だ。カルミアの言う世界の崩壊はこれほどまでに……ならば……」

    アイリスの目がマリアに向かう。明らかに彼女はまた同じことを繰り返す気だった。マリアは彼女の視線に怯え、後ずさる。

    アイリスはまるで亡者のようにおぼつかない歩みでマリアに迫るが、その肩をアルバが掴み引き止める。

    「やめとけ。そんなことをしてなんになる」

    「ならどうしろと言うのだ!今目下で苦しむ人達がいると言うのに、指をくわえて見ていろというのか!」

    完全に冷静さを失ってまくし立てるアイリスにアルバは頭にげんこつを落とす。

    「な、何をする!貴様!この場で始末して――」

    憤慨するアイリスに再びげんこつを落とす。

    「い、いひゃい……一度ならず二度までも!」

    頭を抑え涙目になりながら叫ぶが、舌を噛んだのか舌が回らずにはまともに話せていない。

    「お前は落ち着け。今からまたマリアを魔石に閉じ込めてなんになる。その場しのぎの成功するかもわからない実験に、人を使う気か?」

    「うっ……しかし……」

    自分のやろうとしたことの意味を理解したのかアイリスは俯くが、目の前の被害を見て煮え切らない思いが彼女の中にはあるようだ。

    かと言って、何故あの術式が世界を救うのかも何もわかっていない。そもそも世界が何故崩壊の危機に陥っているのかすらカルミアは話そうとしなかった。

    完全に八方塞がりでどうしようもない。だからこそアイリスも焦っているのだろう。

    「そう落ち込むことはないわアイリス」

    そんなとき唐突にマリアが声を発する。

    「マリア……?」

    「そうよ。私」

    声は確かにマリアだが、明らかにあの舌ったらずで子供っぽいマリアの話し方ではない。

    「何者だ……!マリアに何をした!」

    アルバは警戒するが、マリアの顔でソレは笑顔を作っている。

    「あらあら。この子は愛されているのね。いいことだわ。安心して。私は彼女を害するものではないわ。先ほどまで彼女の中に眠っていた、この世界を作りし女神シルヴァトリアの半身よ」
  53. 53 : : 2017/08/20(日) 23:41:40
    「そんな言葉を俺たちに信じろと?」

    唐突に現れて女神だとかなんだとかと言われても信用出来るはずもない。胡散臭さで言えばカルミアのがまだマシなくらいである。

    「そうよね。当然の反応です。ならば証明して見せましょう」

    そう言った途端、あらゆる時間や過程を飛ばして、右手にアイリスの腰にある聖剣と同じものが現れる。そしてその聖剣が次の瞬間にはその場から消失する。

    その意味は明白だ。手に聖剣の存在を定義し、次にその存在をなかったことにした。つまり、地魔法と空魔法を使ったと言うことに他ならない。

    曲がりなりにも地魔法と空魔法の使い手だ。それぞれの魔法が発動したことくらいは検知できる。

    だが、世界で唯一魔王と勇者しか使える者のいない魔法を両方使える人物などそれこそ神しかありえない。あまりに荒唐無稽で馬鹿げだ話に二人とも唖然としていた。

    「信じてもらえたかしら?」

    「ああ。信じたくはないが、そんなもん見せられたら信じるほかないだろ。そんでその女神様とやらが何の用だ」

    アルバが当然のように受け答えをするとアイリスに頭頂部を思いっきり強打され、頭を抑えて膝をつく。

    「き、貴様なんという不敬な!頭を垂れ、へりくだれ愚か者!」

    アイリスはこの国の勇者なのだから、信仰があついのも当然だ。しかし、これまで無宗教の道をまっしぐらに突き進んできたアルバにそれを要求するのは酷な話である。

    「失礼いたしました。我ら如何なる御言葉にもお答え致します」

    「いいのよ。というかそういう堅苦しいのは苦手だから敬語はやめてくれるかしら?お願いねアイリス」

    「わかりまし……い、いや。わかった」

    「じゃあ話がまとまったところでお茶にしましょう」

    そういってその場に机と椅子とティーセットを出現させて、マリアの小さな体で器用に魔法を使いながら、手際よくお茶を入れている。

    「そんなところで立ってないで座ってお話をしましょう?」

    それを終えると、ゆったりとした動きで席に着く。そして、シルヴァトリアはマリアの顔で穏やかな笑みを浮かべると、魔法で残りの二つの席を引いて席を勧める。

    二人は状況に頭が追いつかず、おずおずと椅子の前に立つ。テーブルの上には淹れたての紅茶が湯気を立てており、華やかな香りであたりを満たしている。
  54. 54 : : 2017/08/20(日) 23:42:00
    ふたりはよくわからないまま顔を見合わせると、椅子に腰を下ろす。

    「別に毒とか入ってないから安心して?なんならお茶菓子も食べるかしら?」

    シルヴァトリアはやけに嬉しそうにテーブルにお茶菓子を並べる。この席に座って、お茶を口にしないのも信用ならないと言っているようではばかられるため、ふたりは揃ってティーカップに口をつける。

    そして一息つくと、話を本題に戻す。

    「それでシルヴァトリア。話ってのはなんだ?今回の地揺れに心当たりがあるような口ぶりだったが」

    既に多くの人死にが出ている。そんな時に勇者と魔王と女神が揃ってお茶をしているというのはなんともいたたまれない。

    それに世界の崩壊が始まっているかもしれないとあれば、もたもたしているわけにもいかないだろう。

    「長いからシルヴィでいいわ。それで本題なのだけど、何から話そうかしら」

    頰に手を当てて困ったようにしてしばらく考えた後、何か思いついたのかポンと手を合わせる。マリアの姿との乖離がひどくてなんともすごい違和感だ。

    「この世界の始まり話から付き合ってくれるかしら」

    そう言うと彼女は優雅に笑って小さく指を鳴らす。すると、景色が歪み、崩れ、形を失っていく。空と大地が混じり合い、地平の界を見失う。あらゆる色が溶けていき、一つに合わさって世界を黒色に染める。

    そして最後に残ったのは真っ暗な空間で三人がお茶をしていると言う珍妙な光景だ。

    そして次の瞬間に一面の黒が広がる世界がその色を反転させる。そしてその中に一人マリアとそっくりの少女が映し出される。

    何もない白紙の世界にその少女は世界を描く。優しい世界を願い、美しい世界を願い、たくさんの想いを込めて世界を築き上げていった。

    もっと良くなれ、もっと素敵になれ、そう願いたくさんたくさんの魔力を込めて、とびっきりの世界を作り上げ、パラディソスと名付けた。

    だが、その世界には欠陥があった。たくさんの魔力を込めた世界は、自分で魔力を作れなかった。その世界は魔力を元に作られていたため、魔力が尽きた時あらゆるものの命が尽きてしまう。

    出来上がったのはあまりに悲しい世界だった。

    少女は自分の失敗を悲しんだ。何年も何百年も泣いた。そしてようやく世界を作り直すことを決める。
  55. 55 : : 2017/08/20(日) 23:42:41
    今度こそ間違えないように、今度こそ優しく、美しい世界を作るために。

    だが、膨大な魔力を与えられた魔力は長い年月をかけて自分の意思を持っていた。

    パラディソスは少女に死にたくないと懇願する。

    だがそれでも少女は首を縦に振らない。

    「あなたをこのままにしたら、そこに生きる人々は悲しい結末を迎えてしまうの。きっと次は素敵なあなたを作るわ。だから待っていて欲しいの」

    だがパラディソスは少女の言葉を信じることはできなかった。きっと少女は失敗作のパラディソスを殺してしまう。例え、同じものを作ってもまた同じ意思が芽生えるとは限らない。

    そんな盲信に囚われたパラディソスはある日、少女の隙をついて少女を自分の中に取り込んでしまう。

    世界はこれで死なずに生きていけると喜んだ。皮肉にも少女を取り込んだことで、魔力を生み出す力を得たのだ。

    だが、少女は知っていた。パラディソスの喜びはいつか壊れてしまうことを。その身に余る力はその身を滅ぼすのだと。

    だから少女は最後の力を振り絞って、パラディソスに気づかれないよう自分の魂を半分に引き裂いて世界の輪廻の輪の中に流した。

    いつか、パラディソスを救ってくれる誰かが現れるようにと願って。

    「こうして私は生まれた。この世界を観測して、いつかこの世界を救う誰かに真実を伝えるために」

    そう告げる彼女の表情に先ほどのような笑みはなく、あまりに悲しそうな顔をしていた。

    彼女はこの世界を愛していた。だからこそ作り変えることを決断したのだろう。この世界を悲しいものにしないために。きっと彼女なりに世界の意思のためにできることを探していたのだろうが、それは世界の意思には伝わらなかった。

    「全部私のせい。私がちゃんと世界(この子)を作ってあげられていれば……」

    アルバとアイリスは言葉に詰まる。安易な同情や慰めに意味はない。彼女は自身の罪を自覚して、それを償おうとしているだけなのだ。

    彼女が自分で話すと言ったのならば、それを待つことしかできない。そんな二人の気遣いを察してか、シルヴァトリアは薄い笑みを二人に向ける。

    「ありがとう」

    そう告げて再び指を鳴らすと、また景色が変わる。どこかで見たことのあるような光景だ。というよりアルバもアイリスも見たことがあるし、知っている。

    初代勇者ルトと初代魔王ドラキンが戦いで地形が変わったとされる竜神の谷だった。

    そしてそこで壮絶な争いを繰り広げる勇者と魔王の姿があった。今の二人に比べれば大したことがないといえば聞こえは悪いが、実際数段その力は劣っているだろう。
  56. 56 : : 2017/08/20(日) 23:43:00

    そして二代目、三代目といくつもの勇者の戦いが映し出される。そして、その度に勇者と魔王は刺し違えている。どちらかが勝つということもあるが、その後には消耗しきり力尽きるということばかりだ。

    どちらかが勝利を収め国を治めるということはない。

    そして、そんな光景を背にシルヴァトリアは一口紅茶を含んで喉を潤してから話し始める。

    「勇者と魔王が何故千年に一度周期的に現れ、その度に戦争をしているのか疑問に思ったことはないかしら?」

    アイリスはそういえばという顔をしているが、アルバには心当たりがあった。幼い頃からいつも歴代の魔王の話を聞かされるたびに何故それほど戦争をしたことを自慢げに話すのかわからなかった。

    何度も何度も学習せずに戦争を繰り返し、無為に国力を削る。そして、それを国民の誰も止めようとせず熱狂する。それが理解できなかったからこそアルバは魔王という役職を放り出してきたのだ。

    「魔王さんは心当たりがあるようね。この戦争や種族間の敵意は世界の意思によって作られたものよ。代行者が幻惑の魔術で世界中を騙していたの。だから今は種族間の敵意はかなり弱まっできているはずよ」

    アルバはもとよりそれほど人族自体に敵意など持っていなかったためか、あまりよくわからなかったが、アイリスがアルバの方をちらちらと見てくるがその表情は険しい。

    斬りかかって来ないだけ進歩である。

    「しかし、そんな事をして何の意味があるんだ?」

    とはいえ話が繋がらない。一見して、戦争を誘発し、他種族への敵意を強めたところで何の役に立つのかアルバにはさっぱりわからなかった。

    「魔力を消費させるためよ。この世界は女神を取り込んで膨大な魔力を生み出す力を得たわ。でもそれはこの世界には余るものだった。だから勇者と魔王を作り、膨大な魔力を必要とする魔法を与え、敵意を植え付けた。戦争をすれば勇者と魔王が戦えば大規模な空と地の魔法の連発でとてつもない量の魔力が使われるからね」

    「じゃあ、私達の戦いは……そのための犠牲は……」

    「残念だけど、世界の存続のために利用されたということになるわね」

    アイリスはかなりショックなようだった。彼女は彼女の正義の下に戦ってきた。もしシルヴァトリアの話が真実であれば、これまでの彼女の正義に疑念が混じる。先ほどからやけに表情が険しかったのはそのせいだろう。

    魔族を滅ぼすための犠牲として命を奪った人々もいた。なくなった村もある。

    彼女の中の信念が壊れそうになっているのが誰の目に見てもわかった。

    「死体を数えるのはやめろ。今は生きてる者を救うことの方が先決だ」

    「あ、ああ。わかっている」
  57. 57 : : 2017/08/20(日) 23:43:58
    居住まいを正してそう告げる彼女の顔は蒼白だ。シルヴァトリアは眉間にしわを寄せ、心配そうな面持ちでアイリスの目を見つめる。

    「アイリス。辛いのであれば、少し休みましょう。無理をしても仕方がないわ」

    「いや、平気だ。続けて欲しい」

    彼女の瞳は不安に揺れているが、それでもなおその光は消えていない。彼女の自尊心が何とか彼女の心を繋ぎとめているのだろう。

    そんな彼女の姿を前に、シルヴァトリアは目を閉じ、眉間をつまんで小さく息を吐く。

    「わかったわ。続けましょう。ただし無理は禁物よ」

    「感謝する」

    アイリスは短く答える。
    シルヴァトリアのアイリスを見る目はやんちゃな子供でも見ているようだ。困ったような嬉しいようなそんな何ともいえない顔だ。

    そんな彼女がアルバに困ったように視線を向けてくるため、肩をすくめて笑っておく。

    「では続けるわ。魔王と勇者の戦いによって騙し騙しやってきた世界にも限界が訪れた。そんな時に、代行者が女神の半身の転生者であるこのマリアに目をつけたの。女神の半身という器を使って、魔力を消費し続ける装置として使おうとした。その時に、私の魂は繰り返された転生で磨耗して、マリアとほぼ同化していたから、勇者を利用されてはどうしようもなかった」

    シルヴァトリアの言葉にアイリスの表情が歪む。自分の罪を目の前に並べ立てられるようなものなのだ。それは辛いことだろう。だが、それでも目を逸らしはしなかった。

    それを感じ取ってか、シルヴァトリアも話を続ける。

    「それでも魔王の存在は運が良かったわ。マリアを助けてくれて、精神を引き上げる時にかなり強く精神体を刺激したおかげでこうして私は話すことができる。それでここからが本題。これからの話よ」

    シルヴァトリアが指を鳴らすと視界が元の世界に戻り、荒れ果て、地の裂けた痛々しい光景が目に入り、世界崩壊が近いことが真実である事を思い出させる。

    「先日の術式の反動で、もとより再生と破壊を繰り返したせいで広がっていた世界の歪みが大きく広がったわ。その結果、今までにないペースで魔力が増大して、結果として世界の崩壊が始まった。世界とその住人を救う方法はひとつだけあるわ。それは――」

    そこまで告げてシルヴァトリアは静かに目を閉じる。

    「「それは?」」

    二人の声が重なり、食い入るように身を乗り出す。

    「世界の中心にいる私を取り込んだ世界の意思を殺して、世界を作り変えることだけよ」

    まさかのとんでもないスケールの話にアルバとアイリスは口を開けて固まった。しかし、それを構わずシルヴァトリアは話を続ける。
  58. 58 : : 2017/08/20(日) 23:44:48
    「今の世界の意思は女神を取り込んだことでかなり力を蓄えてるわ。もし倒せるとしたらあなた達だけよ。それに、この世界を消し去り、作り変えることができるのはあなた達の魔法だけ」

    「いや待てよ!世界を消すとか作るとかそういうのは、シルヴィ、女神のあんたがやるんじゃないのかよ!」

    「無理よ。私はもうほとんど力なんて残ってないもの」

    そう言ってにっこりと微笑む。あまりに無茶な話だ。仮に世界の意思を殺すことができたとしても、世界を消したり作ったりするほどの魔力を用意できない。あまりにも非現実的だ。

    アルバがそんな事を考えていると、顔に出ていたのかシルヴァトリアに先回りして答える。

    「大丈夫よ。世界の中心には魔力と万物の素とされる二大元素――空魔法の根源たる、輝素(アリエール)も、地魔法の根源たる煤素(アイテール)も、そのままで存在するもの。それに、世界の意思はかなりの力を溜め込んでいるから、殺すことができればその力を利用できると思うわ」

    勝算はあるとばかりに胸を張る。正直アルバからすれば全てできるかもしれない。という程度の曖昧な推論に聞こえてならないのだが、シルヴァトリアはやけに自慢げだ。

    「他に手段は?」

    「ないわ。他に何をしても根本的解決にはならないもの」

    アルバが尋ねると即答される。困ったことにまた綱渡りをしなければならないようだった。

    「話はわかった。期限はどれくらいある?」

    「うーんそうね。まあとりあえず三日くらいは休んでても平気じゃないかしら」

    「とりあえず三日後に一つ結論を出す。だから待ってくれ」

    そう言って少し前から心ここに在らずといった様子のアイリスに目を向ける。

    「わかったわ。三日待ちましょう。何としても、やってもらわないとこの世界がバッドエンドになってしまう。それだけは絶対に避けてもらわなければ困るわ」

    そういって穏やかな笑顔で告げる彼女だったが、やたら今度は圧が強い。しかし、アイリスはそれすら目に入らない様子だ。

    「おい。アイリス。とりあえず三日後だ。それまでに結論を出せ。いいな?」

    アイリスの肩を揺すって声をかける。

    「あ、ああわかった。三日後だな」

    そう言うと、アイリスはふらふらとした覚束ない足取りでその場を去って行ってしまう。

    「あの儀式が原因っていうのがトドメになっちゃったかしら」

    「いつかは直面する問題だ。避けては通れないだろうよ」
  59. 59 : : 2017/08/20(日) 23:45:04
    彼女の不安定さは以前からわかっていた事だ。カルミアが世界にかけた幻惑のせいもあるのかもしれないが、彼女の過去のトラウマが大きな原因だろう。

    彼女は正義に寄りかかっているようなところが見え隠れしていた。正義という殻で自分を守りながら、人を殺すという現実から目を背け続けてきた。

    しかし、正義に無価値の烙印が押され、その全てが剥がされてしまった今彼女の心を守るものは何もない。何とか自尊心で繋ぎとめているようだが、あまりに危ういように思えた。


    それから二日の間アイリスは部屋から出てくることすらなかった。部屋の外から声をかけても返事すらしないため、食事もろくに取っていないのは間違いない。

    マリアはというとシルヴァトリアがあの後引っ込んで出てこない。呼べば出てくるという話だが、特段用があるわけでもないためマリアのままである。

    マリアは先日の会話の一部始終を内側で聞いていたらしく、アイリスをいたく心配していたが、あまり構い過ぎないように釘を刺しておいた。

    アイリスが引っ込んでいたおかげで、アルバ達は国の偉い人に会わずにすんでいたが、

    「放って置くわけにもいかないんだよなあ……」

    しかし、人の事を言えないとはまさにこの事だ。マリアに釘を刺しておいて、結局アイリスの部屋の前まで来ていた。

    とは言え、あまり閉じこもって一人になればおかしくなってくるものだ。下手につつけば暴れだしかねない。そうなればマリアには荷が重いだろうという思いもあった。

    アルバはこれから起こる事を想像して、尻込みしながらも部屋をノックするが、相変わらず返事がない。

    「やるしかないか……」

    生唾を飲み下して、何が起こるかわからない恐怖と戦いながら部屋のドアノブをひねる。

    そしてゆっくりと扉を開くと部屋の中は締め切られており、燭台の類の明かりひとつない。

    一歩足を踏み入れ、目を凝らせば家具が壊れ、物が散乱し、酷い有様だ。

    そしてアイリスを探して視線を彷徨わせていると、アルバの顔面に向けて書物が飛来し、何とかぶつかる前に受け止める。

    「全く、来客に手荒い歓迎だな」

    「今すぐ出て行け。次はない」

    アルバが本が飛んで来た方に向かって声をかけると、暗闇に青い光が二つ浮かび上がる。

    しかしその視線は決して歓迎を示してはいない。強烈な殺気を放ち、視線で威嚇してくる。まるで飢えた野獣だ。
  60. 60 : : 2017/08/20(日) 23:45:38
    だが、アルバは今日ここに死ぬ気で来たのだ。遠慮などするつもりはなかった。

    「いつまでそこでうじうじ腐ってるつもりだ?」

    「うるさい」

    「なんだよ勇者ったって所詮は人、辛いことがあったら投げ出したい時もあるってか」

    「うるさい」

    「いや、今のお前に勇者なんて大層な名前は不釣り合いか。なあ腑抜け」

    「うるさい!!!!」

    小さな爆発音とともにアイリスはアルバに肉薄し、アルバに向けて明確な殺意を持って聖剣を振るう。

    それに対して、アルバはすぐに戦闘態勢に入ると、地魔法で即席の聖剣の複製を行なってその一閃を受け止める。

    「貴様に……私の貴様に何がわかる!!何も知らないくせに!!」

    アイリスの剣技はいつもとは明らかに違う。精彩を欠いた、力押し。確かにアイリスは勇者として規格外の身体能力を持っているが、単純な力ならアルバとて負けない。

    「んなもん知るか!!いつまでもくだらねぇことで引きこもりやがって!!」

    自身に身体強化をかけ、アイリスの剣を押し返すと、そのまま風の弾を打ち出して、アイリスの身体を窓の外に吹き飛ばす。

    そしてアルバもそれを追う。二人が降りたのはだだっ広い庭のような場所だった。

    先に仕掛けたのはアイリスだった。力任せの大上段からの振り下ろし。それを半身でかわして、無防備になった胴体に剣の柄頭を叩き込む。

    アイリスは腹部に強烈な打撃を受けたことで、腹を抱えてうずくまりえずくが、ここ二日何も食べていないため出てくるのは胃液ばかりだ。

    「さっきの威勢はどうしたよ。もう終わりか?」

    「黙れ……!私はいつも正義を謳って人を殺して来た。人族の未来のためだと自分に言い聞かせて何人も殺した。だが、それは全部まやかしだった。なら私はどうすればいい!私は彼らの死にどう贖えばいい!!」

    そう言って、無茶苦茶に剣を振るうアイリスは泣いていた。

    それでも尚、アイリスは剣を振るうことをやめない。互いに剣を交える度に生傷が増え、血で身体中を汚す。

    それでも二人は止まらなかった。

    「私が殺した者達の死は無意味なものになってしまった。魔族が全て殺すべき対象なんて嘘だ。カルミアを倒した時から気づいていた。あれだけ魔族が憎いと言っていたにも関わらず、私は貴様の態度を好ましく思っていたのだからな。信じたくなかった。だから見て見ぬ振りをして、殺すと
    強い言葉を吐いた。だがそれも無駄だった。結局私は、卑怯で臆病なただの人殺しでしかなかった!!」
  61. 61 : : 2017/08/20(日) 23:45:55
    そんな彼女の叫びと共に、剣に一層力がこもる。彼女の一閃がアルバの剣を弾き飛ばす。あと一手。

    剣を弾かれ、体勢を崩した彼にであれば致命的な一撃を入れることも容易い。千載一遇の好機にアイリスは剣を横薙ぎに引きしぼり、アルバの首を取らんとその剣を振るう。

    既にアルバの回避は間に合わない。

    アイリスの剣が振り抜かれ、アルバの首を刎ね飛ばすかと思われた。

    「何故殺さない」

    だが、彼女の剣はアルバの薄皮一枚すら切り裂く事なくその動きを止めていた。彼女はうな垂れるように剣をおろし、下を向く。

    「もう殺したくない。もう間違えたくない」

    彼女は弱々しく答える。それは、まぎれもない彼女の本音だった。

    「俺を殺せば、お前の積み上げた死体は無意味ではなくなるんだぞ」

    アルバの言葉にアイリスは涙を流しながら、自嘲気味に笑う。

    「そんなことできるわけがないのを知っていてよく言う。貴様の命には世界が乗っている」

    「当然だ。俺は悪名高い元魔族の王だからな。意地の悪いことも言うさ」

    アルバは元を強調して笑いながらそ、んなことを口にする。

    「前にも言ったが、死体を数えるのはやめろ。いくら過ちを悔いたところで死人はお前に許しを与えてはくれない。許されたいのなら、奪った命に見合う成果を出せ」

    そしてアルバはアイリスに手を差し伸べ、彼女をまっすぐに見つめる。

    「――俺と共に世界を救え、勇者アイリス」

    アルバの言葉にアイリスは目を見開く。自分の手とアルバの手を見比べ、それからゆっくりと手を伸ばす。

    そして、アルバの手を思いっきり払いのけた。

    「ふん。魔族風情が偉そうに講釈を垂れるな。私は勇者で世界を救うためにこの世に生を受けたのだ。貴様の手など借りずとも世界のひとつやふたつ救ってみせよう」

    手を振り払った彼女の表情はまだどこかぎこちないが、すっきりとしたものが感じられる。とはいえ、何とも予想外でありながらも彼女らしい解答だ。

    払いのけられて行き場を失った手で困ったようにアルバは後ろ髪をかき乱すと、何とも愉快な気持ちにで思わず笑いが込み上げてくる。
  62. 62 : : 2017/08/20(日) 23:46:16
    アルバが声を上げて笑うと、初めは驚いた様子だったアイリスもつられて笑う。何がおかしいのかもわからないまま、二人は笑い続けるのだった。

    その後、

    あらかじめ人払いの魔法を一体に張り巡らせていたため目撃者はいないが、荒れたままなのを見つかれば面倒も多そうであるため隠蔽工作を行う。

    しばらくして、血塗れで自分の部屋に帰ると、全部お見通しだったらしく、マリアがふくれっ面で待っていた。やはり、マリアに散々釘を刺しておいて、こんなことになっていることに怒っているようで、宥めるのにかなりの時間を要したのは言うまでもない。

    「ねえ。おにいちゃん。前におにいちゃんのこと見たことあるって言ったの覚えてる?」

    その日の夜。不機嫌を盾にアルバの膝の上を占拠してかれこれ十分。マリアが頭をアルバの胸に預けるようにして見上げながら言った。

    「ああ。俺が行き倒れて、目を覚ました時の話か。他人の空似だろ?」

    アルバの言葉にマリアは首を横に振る。

    「ううん。やっぱりお兄ちゃんだったよ。マリアね、よく真っ暗な中で1人でいる夢を見たの。そんな時に私の名前を呼んでくれる優しい声が聞こえてきて、それから急に明るくなって暖かい手がマリアの手をしっかり握って真っ暗な中から引き上げてくれるの。すごく怖い夢だけど、マリアは嫌いじゃないんだ」

    マリアは足をぷらぷらと揺すりながら話す。

    「それってカルミアの……?」

    「うん。だからやっぱりあれはお兄ちゃんだったんだなって。あの時、マリアに初めて魔法をかけてくれた時のあったかい感じがしたの。だから戻ってこれたんだと思う」

    マリアはそう言って無邪気な笑顔をアルバに向ける。最近あまりこの笑顔を見ていなかったような気もする。

    「まだお兄ちゃんにお礼を言ってなかったから。マリアを助けにきてくれてありがとう」

    そう言って、アルバの頰にそっと口付け、恥ずかしそうに顔を赤くして照れたような表情を浮かべた。

    「えへへ。じゃあマリアはお部屋に戻るね!またね!」

    そして、アルバの膝から降りると、小走りに去っていく。

    あまりに害意や邪念がなさすぎてアルバは反応できず、固まった。これは、下手な侍女や貴族の娘の不意打ちよりもよっぽど危険だ。

    そんなことを思いながら、未だ感触の残る頬を撫でる。

    「ほう。魔王ともあろうものが、幼女を誑かす趣味をお持ちとはな。これは恐れいった」
  63. 63 : : 2017/08/20(日) 23:46:43
    不意に横からそんな言葉をぶつけられ、驚きのあまり飛び上がる。

    「なっ!いつからそこに!」

    そこにいたのはアイリスだった。なんとも下世話な顔をしている。こんな表情をできるようになったのはそもそも、心の余裕の現れかもしれない。

    「盗み見るつもりはなかったのだがな、真面目な話をしていたようだから終わるのを待っていたらというわけだ」

    「別に幼女趣味とかじゃないからな!?あれはマリアが勝手に!」

    慌ててアルバが否定するが、どこかアイリスの様子がおかしい。顔を赤くして、目を合わせようとしない。

    「そ、その……なんだ。私もああ言うことをしたほうがいいのだろうか?き、貴様には感謝がないでもない」

    アルバの顔をチラチラと見ながら、トンチンカンなことを言いはじめる。

    「はあ!?なんでそうなる!」

    「し、仕方ないだろう!!私は基本的に人に手を貸すことはあっても、助けられることなどないのだ!それに、その……職務以外で異性と話したことがほとんどない。だからどう接していいのか……」

    アイリスは色々とちぐはぐだ。刃のように鋭い顔を見せたかと思えば、こんなことを言い出す。結局彼女の育ってきた環境が戦いに振り切りすぎていたのだろう。だから中途半端な知識で照れながらあんなことを言い出す。

    「そう言うのは別に機会にでも取っておけ。そう安売りするもんでもない。それより要件はなんなんだ?」

    「そ、そうか。うむ。そうだな。要件といっても、大したことじゃない。取り急ぎ王に話を通してきた。明日にはいくらか物資も融通してくれるそうだ」

    しかし、アルバのことをなんと説明したのだろうか。魔王であることが実はバレていて夜中に襲われたとか、本当に洒落にならない。そんな心配をしていると、アイリスが呆れた顔をする。

    「余計な心配はするな。万事問題はない。貴様のことも私の旧知ということで通しておいた。ついでに緊張すると吐くから目通りも遠慮してほしいと伝えておいたぞ」

    緊張すると吐くからという理由はどうかと思うが、アイリスにしては気が回る。魔王が城内に入り込んでいたなんてバレれば大変な騒ぎだ。

    「面倒をかけたな。それはそうともういいのか?」

    「そうだな。暴れたおかげで少しはすっきりしたが、まだ私にもわからん。ただ、私は勇者で今は世界の危機だ。凹んでいる暇はないということだけは確かだ」

    「そうか。まあ無理はしないことだ」

    そんな淡白な会話を交わしたあと、アイリスは部屋を出て行く。いくらか元気になったようで何よりだ。

    「さて、俺もそろそろ休むか」

    こうして最後の夜は更けて行く。それぞれの未来への想いを胸に抱えながら。
  64. 64 : : 2017/08/20(日) 23:47:54
    そして翌朝、ひっそりととはいかず、大々的な勇者のパレードに巻き込まれ、アルバ達はそれはもう大変な目にあった。さらには、何年旅をするつもりだというほどの大量の物資が用意されており、そんなに使えないと辞退して、多少分けてもう程度にとどめた。

    そうしてようやく街を出て、地面の割れた荒野を見渡す。マリアの方に目を向けると、シルヴァトリアが顔を出す。

    「それじゃあ行きましょうか。世界の中心へ」

    「行くってどうやって?」

    アルバの純粋な疑問だ。とりあえず街を出たのはいいが当ても何もない。それこそ巨大なひび割れた地面くらい。なんとなく嫌な予感がしながらも、予感が外れることを祈る。

    「大丈夫よ。あの裂け目が多分中心に繋がってるから、飛び込みましょ?」

    アルバとアイリスは二人揃ってやっぱりかと嫌な予感の的中にため息をつく。しかし、まあ変に面倒な道行よりはわかりやすくていいのかもしれない。

    地の裂け目に近づくと強烈な魔力の風が下から周期的に吹き出している。普通の人間が近づけば、魔力に当てられて三十秒と持たず死ぬだろう。

    しかし、

    「おお!なんだか、調子がいいぞ!この辺りにいるだけで力が漲ってくる」

    「確かに。魔力が潤沢なせいか。魔力も使いやすくなってるな」

    人外は違うようだった。
    そもそも勇者と魔王の規格外の器では魔力酔いなど起こるものではないのだろう。同様の器を持つシルヴァトリアも特に変わった様子はない。

    「魔力の内圧に耐えきれなくてできた裂け目だからね。この先、中心に近づくほど魔力が濃くなるわよ」

    相変わらず呑気な口調のシルヴァトリアにアルバは少し安心する。正直、彼はマリアの身体でついてくるという彼女の意見には反対だったのだが、マリアにまでどうしてもと言われて押し切られてしまった。

    これでマリアの体に何かあっては申し訳が立たない。

    「心配し過ぎよ。自分の身くらいは守れるわよ?いくらすり減ってても女神だし」

    アルバの不安を先回りしてシルヴァトリアは答える。確かにそうだが、まだ魔力の扱いに慣れていないマリアの身体で十全な力が発揮できるとも思えなかった。

    「はぁ……乗れ」

    そう言ってシルヴァトリアに背を向けてしゃがむ。すると彼女は何やら得心のいったように手を叩くと、目を輝かせて背中に乗る。

    「おんぶなんて初めての経験だわ。これはこれでなかなか楽しいものね!」

    無駄なはしゃぎようだが、今から行くのは地の底、何が起こるかわからない混沌の庭。

    先が思いやられるが、ゆっくりと前に進みがけの淵に立つ。


    「行くぞ。準備はいいか?」

    「いつでも構わん」

    「ふふふ。さあ行きましょ?」

    なんとも間抜けな掛け声で、三人は裂け目の中に身を投じる。気の抜けたスタートを切ることになった。

  65. 65 : : 2017/08/20(日) 23:48:23
    三人は風魔法で速度を調整しながら、深い闇の中へと降りて行く。少し降りるとすぐに上からの光がほとんど届かなくなるため、火を灯してあたりを照らす。

    だがいつまでたっても底は見えない。

    「シルヴィ。これどれくらい深いんだ?」

    「さあ?そのうち着くんじゃないかしら」

    シルヴァトリアからはろくな返事を得ることはできなかった。いい加減アイリスも焦れてきている様子だ。

    「アイリス。少し速度をあげよう」

    アイリスは無言でうなづき速度を上げる。

    それは速度を上げてすぐの出来事だった。アイリスとアルバの正面に巨大な火の玉が現れる。

    あまりに唐突のことで回避が間に合わず、アイリスが空魔法で消し去ることで、なんとか難を逃れた。

    そんな時アルバの背後で小さく声が上がる。

    「言うの忘れてたわ。この下は魔力があんまり濃いから魔獣の住処になってるの。多分ドラゴンとかバジリスクとかそんなのがうじゃうじゃいるんじゃないかしら」

    「そういうことは早く言え!!」

    おそらくさっきの攻撃はテリトリーの中に踏み込んだということだろう。その証拠に下から強烈な敵意や殺気が大量に溢れて来る。

    挙げ句の果てに火だ雷だ水だ風だと大量の魔法が飛んで来る始末だ。魔法を使える程度の魔獣くらいなら、地上にも腐るほどいるが、ドラゴンクラスとなれば話は違う。いわば生きる伝説。

    一撃一撃の威力が桁違いだ。まともに当たればいくらアルバやアイリスと言えどもひとたまりもないだろう。

    「私が突っ込む。援護は任せるぞ」

    そう告げるとアイリスは返答も聞かずに加速して突っ込んで行く。そして化け物じみた動きでドラゴンの首を切断し、グリフォンの心臓を抉り出し、雷鳥の頭蓋を貫く。

    あらゆる防御をかなぐり捨てて魔獣達を屠る姿はまさに修羅のそれだ。

    そのままにしておけば、すぐに魔獣の攻撃を被弾して数にものを言わせてやられるのがオチだ。

    だが常にアルバが全体を見ながら魔法で敵の数を減らし、牽制し、攻撃を撃ち落とす。そのおかげであらゆる攻撃はアイリスに届かない。

    よくもまあ、つい先日まで殺し合いをしていた相手にここまで背中を預けられるものだと思うが、アルバもその信頼に応えなければならないと奮起するきっかけとなった。

    しかし、二人合わせて千は魔獣を屠っただろうに、その勢いは止まらない。これで底まで到達したら一体何が待っているのかいっそ不安になって来る。

    どちらにせよこのままここで油を売っているわけもいかない。それはアイリスも同様に感じているようだった。

    「アイリス!相手にするだけ無駄だ!突破するぞ!」

    「わかった!私が先頭を引き受けよう」

    アイリスは一旦アルバ達の元に戻り、体制を整える。

    「よし。行くぞ。シルヴィ!マリアの身体なんだしっかり守れよ!」

    「任せてちょうだい」

    そんな言葉を交わして、アイリスが魔獣の群れのど真ん中に突っ込んで、道を切り開き、それにアルバ達が続く。

    あまりの数に、あたり一面魔獣で埋め尽くされ、その中をトンネルを掘るかのように進む。

    魔獣の放つ魔法が無数に飛び交い、アルバ達に襲いかかるが、アルバが障壁を張ってなんとかしのいでいる。

    進めど進めど魔獣の群れ、延々と続く死の世界のせいで時間が曖昧だが、すでに何時間もここにいる気がしてならない。

    アイリスの額に汗が滲み、疲労の色が見え始める。そして疲労はアイリスの集中力を奪う。

    それからほどなくして、魔獣の群れを抜ける。
  66. 66 : : 2017/08/20(日) 23:48:49
    「ぬけた!!」

    アイリスの声があたりに響く。だがアルバはその瞬間強烈な違和感を覚えた。急に魔獣が寄り付こうとしないのだ。

    ある一線を境にアルバ達を追わなくなった。

    そしてソレは唐突に現れた。

    闇に溶け込むような黒。燻んだ黒い鱗が特徴的で、大きさは普通のドラゴンより一回りほど小さい。

    アイリスはその黒竜の存在に気づいて、すぐに斬りかかる。普段の彼女であれば、現状の異常性に気づくことができたかもしれない。しかし、彼女は気づかず安易に飛び込んでしまった。

    その小さな判断ミスがこの場では致命的だった。黒竜の尻尾がハエでも払うかのようにアイリスを薙ぎ払う。

    それに集中力を欠いたアイリスはそれに気づかず直撃を受け、壁に叩きつけられる。

    かなり速い攻撃だったが、それでも普段のアイリスなら余裕を持って対処するだろう。彼女の動きが精彩を欠いていたのは間違いない。

    「シルヴィ!!」

    「わかってるわ!アイリスは私に任せて!」

    シルヴァトリアがすぐにアルバの背中を離れてアイリスの元へと向かう。

    アルバはすぐに身体強化をかけて、黒竜の懐に踏み込むため空中を駆ける。

    先ほどと同じ尻尾による薙ぎ払いを風魔法で受け流し、続く爪による攻撃をかわそうとして、両足が氷漬けになって繋がっていることに気づく。

    そのままで動くことはできないため火魔法で足元の氷を瞬時に水蒸気に変える。しかし、その一瞬の停滞によってアルバの回避は既に間に合わない。

    そこでアルバはもう一歩前に踏み込むことを選ぶ。そして頭上から来る巨大な黒竜の腕を受け止めると地面に向けて叩きつけるように投げる。

    黒竜は巨大な翼を広げて体制を立て直しながら、火、水、風、その複合魔法に至るまであらゆる魔法をアルバに向けて放つ。

    魔獣にしてはかなり強い。今までの魔獣と比べても一騎当千と言えるだろう。だがそれも魔獣にしてはだ。魔を統べる王の前にその強さは無意味だった。

    「確かに強い。だが、相手が悪かったな」

    その全ての魔法を発動前にアルバの魔法が相殺する。そして、アルバは地魔法で身の丈ほどの黒い大剣を右手に生み出すと、体制の不安定な黒竜の心臓めがけて投擲を行う。

    黒竜も魔法で大剣を破壊しようと試みるがあらゆる魔法は直撃する前に消滅する。

    そしてその大剣は巨大な質量で加速すると、竜の心臓を穿ち、地面に突き立てる。

    初めの数秒は黒竜も突き刺さる大剣を引き抜こうと暴れまわったが、すぐに力尽きてその五体を投地して動かなくなった。
  67. 67 : : 2017/08/20(日) 23:49:18
    その後、黒竜を倒したことで魔獣がこちらに一斉に押し寄せるのではないかとひやひやしたが、そんなことはなかった。

    ほっと胸をなでおろし、底に降りてアイリス達の元へと向かう。アルバが現れるとアイリスはバツが悪そうに顔を逸らす。

    「アイリス、悪かったな。世界の意思なんてもんを相手にすると思って温存がすぎた。そのせいでお前の負担になった。傷はもう平気か?」

    「ああ。問題ない。私もいつもの感覚が抜けなくてな。つい空魔法を温存してしまった」

    アルバがアイリスの前に膝をついて覗き込むと、自分の失敗が恥ずかしいのかそのままこたえる。

    アルバはアイリスに手を差し伸べようとして、手を引っ込める。彼女はそれを喜ばないだろうし、今の彼らの間柄でその行為はなんだか違う気がした。

    「シルヴィ。次はどこへ行けばいい」

    「穴があるのをみたから、多分そこじゃないかしら、既にここは魔力より元素の方が濃いから、かなり近いと思うわ。あの魔獣たちがこちらに来ないのもそのせいね。規格外もいたみたいだけど」

    そう言ってシルヴァトリアは肩をすくめる。再びアルバが彼女をを背負おうとするが、それを彼女自身が辞する。

    ここからは敵もいないだろうし、もし戦いになるとしたら大本命だからとのことだ。

    それどころか、アルバはちょっとマリアに過保護すぎると笑われてしまった。

    それから、少し休んで大きな空洞の中に入っていく。その中は予想外に明るかった。何やら黒と白の光の玉がふわふわと浮いていて、あたりを照らしていた。

    シルヴァトリア曰くこれが二大元素の結晶らしいが、指先で触れるだけで砂のようにサラサラと崩れてしまう。

    それから少し歩くと真っ白な空間にたどり着く。どこかでみたような真っ白で何もない空間。その中央には一人の少女が立っていた。

    まるでその白い空間に溶け込むように白い髪、白い肌、白い服。あらゆるものが真っ白な少女。

    まさにマリアの鏡写しのような少女。ただひとつ違うことといえば、マリアの優しい翡翠の瞳に対して、彼女はあまりに毒々しく、全てを飲み込んでしまいそうな血の赤をしていることくらいだ。

    少女はゆっくりと口を開く

    ――ああ、やっぱり来たね。待っていたよ

    まるで天から頭の中に直接降ってくるようだった。脳をかき混ぜ、体の根幹を揺るがすような力がその声にはあった。
  68. 68 : : 2017/08/20(日) 23:53:14
    「すごいね。ボクの前に来たら普通は体の体液を全て吐き出して死ぬんだ。ボクの声を聞けば体が爆ぜる。だが、君たちは優秀だね」

    その話し方はまるでカルミアのそれだ。そんなことを全員が考えただろう。

    「うん。そうだとも。なんと言ってもカルミアはボクの分け身だ。話し方が同じなのは当然だろう?」

    そうまるで彼女はその場にいる人達の心を読んだかのように答える。まるで見透かされているような感覚にアルバとアイリスの背筋に冷たいものが走る。

    「それよりお礼を言わなくてはね。ボクのためにわざわざ、女神の半身を連れて来てくれてありがとう。これで世界(ボク)は救われるよ」

    少女は両手を広げ、芝居掛かった動きでアルバたちの前まで来ると、狂気的な笑みを浮かべる。

    そしてそれに真っ先に反応したのがシルヴァトリアだった。

    「もうこんなことはやめてパラディソス!ここで私を取り込んだところであなたは救われないわ!」

    シルヴァトリアの悲痛の叫び。心からパラディソスを愛していた彼女はただこれ以上この世界において悲しみが増えることが辛くて仕方なかった。

    だが、そんな想いはパラディソスには届かない。彼女はその美しい顔を憎悪に歪める。

    「ボクを殺そうとした君がそれを言うのかい?失敗したからと言ってなかったことにしようとしたんだ」

    ――違う。

    そう叫びたかった。だがパラディソスの言うことも間違いではない。シルヴァトリアは確かにパラディソスを作り上げた時、無慈悲な結果に涙した。彼女が心から愛した世界があまりに残酷な結末を定められて生まれたから。

    だから、彼女の愛した世界に悲しみを背負わせるくらいならとその世界を再構成することを決めた。だがそれは彼女の都合であってパラディソスにとってそんなことは関係がない。

    自分の誕生を祝福してくれると信じてやまない親にお前はいらないと告げられたことに等しい。

    「私は……あなたを本当に……」

    愛している。その言葉が言えない。

    きっと今告げたところでシルヴァトリアの言葉はパラディソスにとっては偽物なのだ。それを思えば彼女はただ俯くことしかできない。

    「君はいつもそうだ!ボクを出来損ないだと否定する。だからボクは決めた。君の力を奪って完璧になると!!」

    あまりに幼く歪な自己承認欲求。ただパラディソスはただ愛を欲していた。それがいつの間にか復讐にすり替わり、憎悪へと姿を変えていた。

    そんな少しの行き違いに世界がここまで危機にさらされていると思うとアルバはもうおかしくして仕方がなかった。
  69. 69 : : 2017/08/20(日) 23:53:33
    腹の底から笑いが湧き上がり、もう腹筋が千切れるのではないかと言うほどに笑う。

    「何がおかしい!!!!」

    そんなアルバにパラディソスは激昂する。

    彼女にとっての行動の動機は全てそこに起因する。ただ母親に認められたい。あなたは生きていていいと告げてほしいだけなのだ。

    結局子供が他の誰がどうなってもいいから、自分だけを見てほしいと駄々をこねている。

    そんな当然与えられるべきものを与えられていないと思い込んでいるのを笑われれば憤りもするだろう。

    だがアルバは笑うことをやめない。

    「お前そりゃ。俺たちがこんなクソガキがママのおっぱいが吸いたくて癇癪起こしてるのに真顔で振り回されてたのかと思えば笑わずにいられるかよ」

    アルバの言い草にアイリスまでつられて笑いをこらえている。

    「流石にその言い方は酷だろう。子供というのは愛を欲するものだ。乳を与えねば泣き出すのも道理だ」

    大声をあげて笑うアルバに、顔を背けて笑いをこらえるアイリス。それをシルヴァトリアは狐につままれたかのように大口を開けて固まり、パラディソスは図星を突かれて恥ずかしいのか顔を真っ赤にしている。

    「許さない……君たちは永遠に世界の魔力を消費する機械として壊れるまで使ってあげるよ。彼女の時と同じだと思わないことだね。灼熱に焼かれながらも死ねない苦痛を味わいながらボクをコケにしたことを後悔するがいいさ!」

    その怒りに震えていた瞳に、暗い喜びが宿る。まるで子供が新しいおもちゃに生き物を選んだ時のような無邪気で残酷な感情。

    同時に、真っ白な空間に黒い影が落ちる。その影はパラディソスを中心にシミのように大きく広がって行き、その影の中から無数の触手が溢れ出し、あたりを覆い尽くす。

    そして視界を埋め尽くすほどに伸びるそれは、今にも三人の体を引き裂き、砕いて、その血を啜るために、隙を見せるのを虎視眈々と狙っているようだった。

    そしてその中央には無数の目を持つ巨大な頭のような部位が存在し、巨大な口に生えた鋭い牙の間からぬらりと赤く長い舌が這い出している。

    そしてその頂点に豆粒ほどに見えるパラディソスが上半身だけを露出させていた。

    あまりに巨大な生物の登場に誰もが言葉を失う。この生き物からすればアルバ達など羽虫と大差ない。

    「今更後悔しても遅いよ。君たちはボクを怒らせたんだからね!」
  70. 70 : : 2017/08/20(日) 23:53:52
    パラディソスが揺るがない絶対的優位に歓喜するように叫ぶ。すると、それに呼応するように巨大な触手がものすごい速度でアルバ達に襲いかかる。

    アルバは慌ててシルヴァトリアを抱き上げると、その場を飛び退くが強烈な衝撃と爆風に舞あげられる。

    そして、その先には次の触手達が待ち受けていた。

    「このデカブツ。なんて速さだ!でかいやつは遅いって相場が決まってんだろ!」

    急いで回避しながら大
    量の魔法で迎撃するが、吸収しながら突っ込んでくる。

    そんなものが四方八方を飛び交っているのだから、回避し続けるのも一苦労だ。

    一方でアイリスもかなり苦戦していた。いくらアイリスが聖剣で斬りつけようが、すぐに再生して両断するには至らない。圧倒的にスケールが違いすぎるのだ。

    「どうだ!ボクに逆うからこうなるんだ!」

    それを見たパラディソスは気分良さげに高笑いを上げている。明らかに精神年齢は子供のそれであるが、女神を取り込んだだけあってその強さは本物だ。

    魔法も剣撃も効かないとなればかなり手段は限られてくる。

    アルバはひとつ仮説を立てる。魔法を吸収するため、魔法事象ではダメージは見込めない。しかし、物理事象であればダメージを与えられる可能性はある。

    実際、アイリスが聖剣で斬りつけたときに、無効化するわけではなく、傷をおってからすぐに再生していることから見てもおそらくそれは間違いない。

    ならば、アルバには最高のカードがある

    開闢の奇跡(ラグナ・ノヴァ)

    地魔法の唯一の呪文を唱え、天翔ける雷霆の存在を定義する。

    この空間には煤素が満ちているせいか、その発動は容易かった。すぐにあたりに雷鳴が轟き、強烈な閃光を伴って強制的に指向性を与えられた稲妻が触手を貫く。

    その雷は吸収されることなく、その表面を焼き焦がし、触手はその身をよじるようにして悶えて最後には動かなくなる。

    やはり、魔法事象を生み出す属性魔法だめでも、物理事象の存在を定義する地魔法であれば吸収されることはなかった。

    だが、この理論が正しければ、魔法が直接対象に干渉する空魔法は効果が薄いと言うことになる。

    しかし、どう言うわけかアイリスは空間ごと平面に切り取って触手を切断していた。

    つまりそれは、さらに条件として『魔力ではなく二大元素を使って発動する空・地魔法は除く』が加わる子を意味する。
  71. 71 : : 2017/08/20(日) 23:54:11
    「どんだけ規格外なんだよ……」

    ここにきて改めて自分たちの魔法が如何に無茶苦茶な存在かを理解する。そもそも存在を定義したり、無に帰したりなんて冷静に考えなくと途方もない話だ。

    触手に対する有効打を得たことで、逃げの一辺倒だったアルバとアイリスが触手を倒すことが増え始める。

    世界が崩壊するほどに魔力の素が有り余っているのだから、魔法を使うことを遠慮する必要もない。そのおかげで彼らの討伐速度は加速度的に伸び上がってきていた。

    だがそれはパラディソスにとってはおもろしくない。

    「ちょっと触手を倒せるようになったくらいで調子に乗って……!」

    パラディソスの怒りに呼応するように、触手がその数を増やし、その勢いを増す。

    アルバとアイリスが背中を合わせて戦ってようやく凌ぎ切れる程度だ。その物量は恐るべきものがあった。

    触手の力を考えれば触れれば、それだけで骨ごと身体の一部を千切り飛ばされることすらありうることを思えば、攻めに転ずることも難しい。

    あまりに危ない綱渡りがいつまで続くのかと思えば、二人の精神衛生的には最悪の状況だった。

    「おい。このままでは私達が先に殺されるぞ」

    先に口を開いたのはアイリスだった。視線すら合わせず、背中を合わせて触手を打ち払いながら言葉を交わす。

    確かにこのまま触手ばかり千切ったところで、戦況に大きな変化は訪れない。それどころか、千切った触手も次から次へと足元に広がる闇に吸い込まれては、再生して現れている始末だ。

    状況が悪化することはあったとしても好転することはないと断言できる。

    「結局、あのクソガキのとこに行かないと話にならないか」

    「ならば私が隙を作ろう。奴に近づけば何が飛んでくるかわからん。手札の多い貴様の方が対応しやすいだろう」

    そんな会話を交わす二人に、先ほどまで心ここに在らずといった様子だったシルヴァトリアが声を上げる。

    「お願い!……私もパラディソスのところに連れていって欲しいの」

    「却下」

    アルバはシルヴァトリアの言葉を素気無く拒絶する。それも当然だ。ただでさえかなり苦しい中、さらに危険を増やすような真似をできるはずがない。

    シルヴァトリアが伊達や酔狂でこんなことを言っているわけではないと言うのはわかる。だがそんなことをすれば、パラディソスにさらに力を与える結果にすらなりかねない。
  72. 72 : : 2017/08/20(日) 23:55:02
    「いいのではないか?」

    唐突にアイリスがそんなことを言い始める。アルバは彼女の発言の正気を疑った。あまりの危機的状況の中で頭がいかれてしまったのかとさえ思える。

    「お前本気で言ってるのか!?」

    「まあ、考えてもみろ。あいつは極度の自己承認欲求に囚われた、ただの子供だ。意識的にせよ無意識的にせよ彼女を連れていれば、手心を加えるだろうさ。それに今ならまだ間に合うかもしれん」

    少なくともここまでずっとアルバがシルヴァトリアを抱えていたが、手心を加えたような気配はどこにもなかった。さすがに末端まで明確な意思を以って、全てを操れるわけではないのだろう。

    つまり、これは体の良い言い訳だ。きっと後半が彼女の本心なのだろう。

    だが、それはマリアの体を危険にさらすことに他ならない。おいそれとわかったと言えるものでもない。その時、

    「おにいちゃん。シルヴィを連れていってあげて!マリアのことはいいから!二人がこのままなんて絶対ダメだよ!絶対だからね!」

    アルバの心を見透かしたかのように突然顔を出したマリアが強く訴える。彼女にはアルバの葛藤など全てお見通しだったようだ。

    流石の元魔王もマリアの前ではかたなしである。

    その後すぐにシルヴァトリアにマリアは意識を譲る。あまり行ったり来たりされると、アルバの感覚が追いつかないからやめて欲しいのだが、今はそれを言っている場合でもない。

    アルバは呆れたように深い溜息をつく。

    「仕方ない。シルヴィ、必ずあのクソガキのとこまで届けてやる。絶対しくじってくれるなよ」

    「ええ。もちろん!」

    アルバはシルヴァトリアを背負い直すと、彼女を触手の中心にいるパラディソスの元へと送り届けることを決めた。


    「では行くぞ」

    アイリスの掛け声とともに周囲の触手を空魔法でまとめて薙ぎ払う。それに習ってアルバの地魔法で生み出した物理事象が触手を蹂躙した。

    そして次の瞬間には、アイリスの聖剣が一層強く輝きを放つ。周囲の輝素を掻き集め、いつになく強い光を纏う聖剣を大上段に構えるとアイリスは叫ぶ。

    終焉の奇跡(ラグナ・ゼロ)

    発散されていた光が収束する。

    そして、アイリスが聖剣を振り下ろすと同時に再びその輝きをあたり一面に撒き散らした。

    その光は巨大な光の刃となり、触手の存在を世界から消失させる。そして、夥しい数の触手達の間に一本の広い道を生み出す。

    「行け!!」

    アイリスの叫びと共にシルヴァトリアを背負ったアルバは空中を蹴って、真っ直ぐに中心に待つパラディソスを目指す。

    アイリスの一閃によってその存在を世界から忘却された触手達を穴埋めるかのようにほかの触手達がアルバの後を追おうとする。

    「ここを通りたけくば、私を倒して見せろ!!」

    しかしそれをアイリスは許さない。雄叫びと共に空魔法が空間ごと斬り裂き、大量の触手を両断する。
  73. 73 : : 2017/08/20(日) 23:56:38
    おかげでアルバ達は道半ばまでまったく触手の妨害を受けることなく辿り着くことができた。しかし、触手の異常な再生力は既に新たなる触手を生み出し始めている。

    次々と襲い来るそれらを、生み出した巨大な剣の投擲で磔にし、風の刃で両断し、燃え盛る業火で焼き尽くし、巨大な津波で押し流す。

    今はただその行く道を遮る者をかいくぐり前に進む為だけに地魔法を連発する。

    襲撃をかわしては、前に立ち塞がる触手を、雷の槍で刺し穿ち、氷の牢獄に幽閉し、砂塵の嵐で細切れにし、溶岩の塊を投げて溶かし尽くす。

    今ではアイリスと二人で戦っていた時よりも多くの触手に囲まれながらも、紙一重でその肉体を引き裂かれるに至ってはいない。

    シルヴァトリアを庇いながら、それを成せたのはある意味奇跡だったが、実際のところその場にいるものを殲滅するのではなく突破するだけであればそれほど難しくない。

    だがそれでもダメージを受けていないわけではない。既に身体中肉が抉れ、打撲や骨折で赤黒く腫れ上がっている。普通の人間であれば、満身創痍で動くことすらままならないかもしれない。

    それでもアルバはただの人間ではない。戦いの合間に地魔法で骨継ぎをし、肉を埋めて、血を補う。

    それだけのことをして、ようやく後少しまでやってきた。じきに手が届く。触手達に集中力を傾けすぎて音が遠い。パラディソスとシルヴァトリアが何かを叫びあっているが、それすらも煩わしい雑音にしか聞こえない。

    再び大量の触手を消し飛ばして道を作り前に出ようとした時だった。

    急に背中にかかっていた負荷が軽くなるのを感じる。

    そして、半秒遅れてようやく気づく。シルヴァトリアが飛び出したのだ。

    彼女に襲いかかろうとする触手を一本一本振り払い、彼女に手を伸ばすが間に合わない。

    彼女は無謀にもパラディソスの元へと飛び込んで行ってしまうのだった。

    それと同時にアルバに降りかかる触手が増え、それらを払い除ける事に手一杯になる中、シルヴァトリアはパラディソスと向き合っていた。
  74. 74 : : 2017/08/20(日) 23:58:04
    「君はまたボクを殺しにきたのかい?」

    パラディソスの怒りとも悲しみとも取れる複雑な表情を前にして、シルヴァトリアは首を振る。

    「違うわ。私はあなたに謝りたくてここにきたの」

    シルヴァトリアの言葉に、パラディソスの表情が歪む。

    「今更謝る?何をふざけたことを言っているんだい?ボクを殺そうとした君が?これには流石のボクも笑う以外にしようがないな!」

    パラディソスは腹を抱えて笑う。だがシルヴァトリアの目は真剣そのものだ。ただパラディソスを見つめてゆっくりと歩み寄る。

    「な、なんだよ!?来るなよ!またボクを殺すんだろ!?」

    パラディソスが怯えた声を上げると、すぐそばから小さな触手が現れシルヴァトリアの体を鞭打つ。

    だがそれをシルヴァトリアは避けることすらしない。

    「な、なんで避けないんだよ!?ば、バカなのか!?」

    「私はあなたに恨まれて当然だもの。これくらいあなたの痛みに比べればどうということはないわ」

    シルヴァトリアはパラディソスにゆっくりと歩み寄る。何度も何度と体を鞭で打たれ、顔まで真っ赤に腫れ上がっている。

    「く、狂ってる……君はどうかしてるよ!!なんだよ!!ボクを殺すんだろ!?もっと怒れよ!!」

    パラディソスが苦しげに叫ぶ。彼女は目の前のシルヴァトリアの優しげな目に怯えていた。それは、自分を捨てた憎き生みの親に対する恨みを、認められたいと願っても叶わなかった怒りを、その全てを失ってしまいそうだったからだ。

    シルヴァトリアはパラディソスの前に辿り着く。そして、まるで逃げ出すように体を背ける彼女を強引に引き寄せ、抱きしめる。

    暴れてシルヴァトリアを引き剥がそうとしているが、その力は弱々しい。

    「ごめんなさい……私が間違っていたわ。あなたは私の大切な子。あなたはあなたしかいない。代わりなんてないのに。ごめんなさい」

    シルヴァトリアただ涙ながらに謝罪を繰り返す。対してパラディソスは何が起こったのかわからないと言った様子だった。ただ体を動かさず、わなわなと手を震わせている。

    「だからもうこんなことはやめましょう。私はあなたがこれ以上誰かを苦しめるのを見たくない。あなたはきっとみんなを笑顔にできると信じてパラディソス(楽園)と名前をつけたんだから」

    「楽園……?そうかボクの名前はそういう意味だったのか……ああ。ボクはなんてこと……ボクがダメな子供でごめんなさい。ボクはシルヴァトリアの想いに応えられなかった。ボクは……ボクは……」

    パラディソスは子供のように声をあげて泣いた。それをただシルヴァトリアは抱きしめ、背中を撫でる。

    それと同時に触手達がその動きを止め、アルバもアイリスもボロボロになりながらもなんとか生き残ることができた。

    しばらくして、パラディソスは泣き止んでシルヴァトリアの目をまっすぐに見つめる。

    「シルヴァトリア。ボク、生まれ変わるよ。生まれ変わって今度は、きっとシルヴァトリアが言うみたいに幸せに溢れる世界になってみせる」

    「パラディソス……」

    パラディソスの表情はどこかさっぱりしていて、わがままな子供だった時から一皮剥けたという感じだった。

    「見ててシルヴァトリア!ボクはきっとシルヴァトリアに自慢の子って言ってもらえるように頑張るから!」

    パラディソスは真っ白な空に向かって声高々に叫ぶ。それにシルヴァトリアは涙を浮かべて、嬉しそうにうなづく。

    「あなたならきっとできるわ。だってあなたは私の――」

    不意にシルヴァトリアに言葉が止まる。

    シルヴァトリアは口から大量の血の塊を口から吐き出し、膝をつく。

    「マリア!!シルヴィ!!」

    すぐにアルバが駆けつけようとするが、冷静さを欠いていた彼は、背後から忍び寄るもう一つの触手に気づかなかった。

    触手によって右足を抉り取られ、そしてそこに集まる触手によって脇腹を左腕とまるで弄ぶような暴力に晒され、そして、最後は触手によってはたき落とされる。

    あまりにあっけなくアルバはその場から退場する。

    一方で、彼女の胸を鋭く尖った触手が貫いているのをみてパラディソスの表情から血の気が引いていくのがわかった。

    「なんで!?ボクじゃない!!なんで!!ようやく認めてもらえたのに!!愛してるって言ってもらえたのに!!なんでなんだよ!!」

    心臓を貫かれ、すでにその瞳の輝きを失ったシルヴァトリアの体を抱きしめて獣のように叫び声をあげる。

    そんなパラディソスに向けて、影の中から無数のどす黒い手が伸び始める。

    「ひぃ!な、なんだお前ら!来るな!来るな!!」

    その手達はボソボソと呪いの言葉を吐きながら、パラディソスに迫る。しかし、触手と一体化している彼女に逃げる場があるはずもなく、その手に身体中を掴まれる。
  75. 75 : : 2017/08/20(日) 23:58:38
    そしてシルヴァトリアとともに触手の中に取り込まれていく。

    その惨状を前にアイリスは言葉を失う。

    ようやく触手が動かなくなったと思い、駆けつけてみればこんな状態だ。

    アルバは不意をつかれて倒れた。シルヴァトリアはその心臓を穿たれ、パラディソスは生きたまま謎の手によって引き摺り込まれた。

    そして残されたのはパラディソスの意思を無視して動く触手やどす黒い手とアイリス。

    そして、先ほどからあたりに響く、

    ――痛イ、辛イ、怖イ、憎イ、死ニタクナイ、助ケテ、嫌ダ

    ただ延々と続く負の感情を寄せ集めたような怨嗟の声だけだ。

    アイリスはその声がまるで自分が殺してきた人達のもののように聞こえた。自分が殺した人間が自分を苛んでいるのではないかと思えば、恐怖で頭が一杯になって考えることすらできなくなる。

    アイリスは半狂乱であたりの触手を斬り殺す。

    「やめろ!!やめてくれ!!私は、私は……!!」

    獣のように咆哮を上げて空魔法を連発して手当たり次第に触手を切断し、すり潰し、その動きを止め続ける。

    だがどれだけ殺そうともその声は消えない。

    呪詛に急かされるように、剣を振るい続ける。涙を流し、視界すらまともに確保できず、被弾が増え、すでにあちこち骨が折れ、肉を破って突き出している。

    だがそれでもアイリスは止まらない。無理やり骨をねじ込んで治癒魔法をかけては剣を振るう。

    それからどれだけの間剣を振るい続け触手を屠っただろうか。

    そう長くはかからなかったかもしれないし、何年も戦い続けたかもしれない。それほど時間の流れを体感する余裕もなかった。

    だが、アイリスは真っ白な空間に赤い血溜まりを作ってへたり込む。彼女の魔力や体力が底をつく前に精神がつきかけていた。

    アルバやシルヴァトリア、マリアが死んだ今、世界を救うこともままならい。アイリスひとり頑張ったところで仕方がない。

    ならば、この呪いに殺された方がマシなのかもしれない。もう苦しい思いをしなくても済むのだから。

    そう思えば体の力が抜けて、聖剣を取り落として、へたり込んでいた。

    目の前に一本の巨大な触手が迫って来る。あれに叩かれればアイリスくらい、虫がつぶれるように抵抗なく死ぬことだろう。
  76. 76 : : 2017/08/20(日) 23:59:12
    無慈悲に触手は振り下ろされる。

    アイリスは死を期待する。ようやく終われると歓喜していた。

    そして次の瞬間、べちゃりという粘性のある音が響き大量の血が飛び散った。



    アルバが半死半生で意識を取り戻した時、アイリスが聖剣を取り落とすのがすぐに目に入った。

    だが、身体中の骨が粉々で、右足と左腕、左脇腹が存在しなかった。体外器官もぼろぼろだ。そんな身体でまともに動けるはずもない。だが、それを全て直すほどの地魔法を使う時間はない。

    すぐに触手が彼女に襲いかかろうとするのがわかった。だから決断する。

    急いで身体中の骨を再生し、身体が動くだけの血を継ぎ足す。

    そして次の瞬間には飛び出していた。触手の合間をかいくぐり、アイリスの前に躍り出ると、ありったけの魔力を使って身体を強化する。風魔法で身体を支え、触手を受け止めていた。

    せっかく直した骨が次々に砕ける音がした。その度に地魔法で修復を繰り返して、なんとか受け止めきった。

    触手を受け止めた手は手首から先の骨が粉々になっているのかあらぬ方向に曲がり、足も血管が切れているのか青黒く変色していた。

    血が継ぎ足せば継ぎ足した先から消費されていく。おかげでアルバの周りは真っ赤な血の海だった。

    あまりに絶望的。ほぼ死んでいるに等しい体でそのアルバは荒い呼吸をしながら、アイリスを振り返る。

    「もう……終わりか?……一人で世界を救うんじゃなかったのかよ」

    涙でぐちゃぐちゃな顔に驚きを貼り付けるアイリスに向けて笑顔を作る。

    全身のあちこちに意識が消し飛びそうな激痛が走っているせいで、最早どこが痛いのかもわからない。

    それでも笑う。

    「俺は諦めないぞ。たとえ腕が千切れようと、足が千切れようと、腹を食いちぎられようと、まだ意識がある限り、死にぞこなったなら諦めたりはしない。意地でも生き残ってやる」

    彼の言葉と共に手足が修復され、再び人の形を成していく。

    「お前はどうだ勇者。そこで泣きながら俺が世界を救うの見てても良い。そんで勝利の瞬間に黄色い声援でも送れよ」

    アルバの体が完全に修復され、触手を押し返すと風の刃を生み出して粉々に切り刻む。

    「何故だ……!マリアが……シルヴィが死んだ!!何故貴様はそれほど冷静でいられる!」
  77. 77 : : 2017/08/20(日) 23:59:29
    アルバは未だ襲い来る触手のひとつを直接殴りつけて爆散させるとアイリスの方を再び振り返る。

    「冷静なわけあるか。だが、あいつだけは何があろうと殺す。そう決めただけだ」

    その時のアルバはあまりに冷たい目をしていた。背筋が凍えるような静かな怒りの表情を浮かべた本物の魔王がそこにはいた。

    彼はすぐに飛び上がるとまた触手を殺し始める。とはいっても、無計画に殺しているわけではない。明らかに中心を目指して突き進んでいる。

    位置的に見れば中心から遠くない場所にいるはずなのに、アルバは先に進めないでいた。

    さらに勢いを増した触手に加えて、呪詛を呟き続ける黒い腕が襲いかかる。

    大魔法を行使して、それら全てをなぎ払おうともすぐに次が現れる。じわじわと前に進んでいるが、それでも明らかにアルバがダメージを受けるペースのほうが早い。

    ただでさえ、致死量の肉体損傷を強引に回復して精神的に疲弊しているにも関わらず、そこにさらにダメージが増えれば長くは持たない。

    しかも先ほどからアイリスのところに触手が向かわないよう、その全てを引きつけている。明らかに無謀だ。

    そんな時、アルバが空中で体勢を崩す。まだ触手は遠く、このまま普段の彼なら立て直すかもしれない。だが、今の彼は極限だ。

    今、アイリスが助けにはいれば確実に間に合うし、彼の身に危険はない。

    彼はこの場を去る前にお前はどうだと尋ねたのが思い起こされる。

    だが、アイリスの頭の中には呪詛が響き続けている。はっきり言って立ち上がれる自信がなかった。

    過去に死んだ人々がアイリスを責め立てるのだ。

    にも関わらずアイリスはアルバの声が頭から離れない。その呪詛すらも塗りつぶしかねないほどに強く、お前はそれでいいのかと語りかけて来る。

    『前にも言ったが、死体を数えるのはやめろ。いくら過ちを悔いたところで死人はお前に許しを与えてはくれない。許されたいのなら、奪った命に見合う成果を出せ』

    彼の言葉が頭の中で繰り返される。最初は小さな声だった。だが、いつの間にかどんどん大きくなっていく。

    負けじと呪詛もその声を大きくしてアイリスを苛む。

    「それでも……それでも私は……」

    そして、

    『――俺と共に世界を救え、勇者アイリス』

    「救える可能性に手を伸ばさないのは嫌だ!!!」
  78. 78 : : 2017/08/20(日) 23:59:54
    アイリスは取り落とした聖剣を拾い上げると、跳躍して、アルバの前に立って空魔法で迫る触手を消し飛ばす。

    「待ってたぞ。遅い到着じゃないかアイリス」

    「ふん。貴様に華を持たせてやっただけだ。精々足を引っ張るなよ。アルバ」

    予想外の返答にアルバは一瞬目を丸くしたが、小さく笑って前を向く。ある意味、彼女の中でひとつ

    「いい加減、魔法の使いすぎと怪我のしすぎで精神が擦り切れそうだ一発で決めるぞ」

    「軟弱者めが。いいだろう。貴様に合わせてやる」

    「ええ……お前がそれ言うの……?」

    「うるさい!!真面目にやれ!!」

    湿り気のある視線を送るアルバに、アイリスは顔を真っ赤にして憤慨する。

    「作戦は簡単。俺がでかいので周りのを吹き飛ばす。お前が空魔法で斬る。以上だ」

    「おい。本当にそれで大丈夫か……?」

    アルバのいい加減な物言いに、アイリスは呆れたような目を向けるが、ここまで巨大な相手ともなると作戦も何もない。とりあえず本体にいかに致命的ダメージを与えられるかだ。

    それをアイリスも理解はしていたが、もう少し何かあっただろうと思わずにいられない。

    「じゃあ代案はあるのかよ」

    「ない」

    即答するアイリス。にアルバは吹き出す。

    「お前潔すぎだろ。よし。じゃあ作戦開始だ」

    アルバは地魔法の多重展開という荒技に出る。今までやろうとも思わなかったことを、極限の精神状態でやろうとするあたり気が狂ってると言われてもおかしくない。

    そもそも精神力がつきかけた状態で魔法を使えば暴発しかねない。そんなことは魔法を始めたばかりで習う。

    だが、アルバはそれでもやると決めた。


    ――其は、開闢の産声を挙げる者

    ――其は、終焉の断末魔を聴く者

    ――祝言と薫陶の果てに理想を謳え

    ――呪禁と欺瞞の果てに現実を嗤え

    ――今、此処こそが誕生の時


    地魔法の完全詠唱。少しでも成功確率と威力を引き上げるために一言一句を噛み締めるように詠唱する。

    開闢の奇跡(ラグナ・ノヴァ)
  79. 79 : : 2017/08/21(月) 00:00:16
    そして最後の呪文を唱えた。

    強烈な頭痛に見舞われながらもアルバは集中を乱さない。ただ勝利を掴み取り世界を救うことだけが、命を落としたマリア達に唯一報いる方法だと知っているから。

    巨大な魔法陣が空中に刻まれる。

    あらゆる属性魔法、複合魔法を定義し組成する。

    二十にも及ぶ巨大な地魔法による物理事象の再現が触手達を蹂躙する。切り裂き、燃やし、貫き、押し流し、すりつぶす。

    視界いっぱいにいた触手を丸ごと一掃する。

    「いけ!!アイリス!!」

    あまりに精神を酷使しすぎた反動が身体にも現れ、目や鼻から血を流し、動けなくなりながらも叫ぶ。

    アイリスは黙って飛び出すとすぐに中央に鎮座する本体にたどり着く。復活しかけている触手を前に天に聖剣を掲げ、詠唱をはじめる。

    ――此は、万理の当為を奪う者

    ――此は、万象の存在を還す者

    ――後悔と懺悔の始めに回帰を祝え

    ――夢と希望の始
    めに再生を呪え

    ――時、既に終末の時

    ――終焉の奇跡(ラグナ・ゼロ)


    今出来る最大限の空魔法による空間ごとの消失。アイリスの全力を込めた一撃が振るわれる。

    光の波が巨大な本体を飲み込み、その存在を斬り裂き、あたりに巨大な爆発を生みだし、強烈な破壊の跡を白煙が覆い隠す。

    「やったか……!」

    アイリスの口からそんな言葉が漏れる。
  80. 80 : : 2017/08/21(月) 00:00:48
    しかし、白煙の中から猛烈な速度で触手がアイリスの体を貫かんと迫る。しかし、それはアイリスに届く前に、アルバの地魔法によって生み出された巨大な剣によって斬り裂かれる。

    「わかってたよ。お前はそういう奴だってな。もうこれ以上は何も奪わせはしない。いい加減、くたばりやがれ!!!」

    触手と同じくらいの幅があるのではないかという剣をアルバは風魔法で補助しながら投擲する。

    巨剣は立ちはだかる触手を引き裂き、白煙を吹き飛ばしながら本体の中央、アイリスが斬り裂いた跡に深々と突き刺さり、地面に縫い止めた。

    そうしてようやく触手が溶け始め黒いシミが蒸発するように空気中に溶けていく。

    そして、最後に残ったのは最初に見たマリアとそっくりな少女だった。

    「パラディソス……?」

    アルバが地面に降りて彼女を見て出た言葉だった。だが少女は首を横に振る。

    「違うわ。私はシルヴァトリアよ。もう忘れちゃった?」

    そういって悲しげに微笑む。

    「マリアは!?マリアはどうなった!!」

    思わずアルバは声を荒げ、彼女に走り寄ろうとするが、いい加減体が限界を超えていたのか足がもつれて、膝をつく。

    「ごめんなさい……私のせいで……」

    「シルヴィ。何故あなたは生きている」

    「私は取り込まれた本体に半身の魂が併合されたの。だから生き残ることができた」

    シルヴァトリアの表情は心からマリアやパラディソスの死を悼んでいるようだった。自分だけ生き残っていることに少なからず罪悪感を覚えているのだろう。

    「俺は言ったはずだ!!無茶はやめろと!!なのにお前は!!!」

    アルバが冷静さを失い怒鳴り散らす。それをシルヴァトリアは俯き黙って受け入れていた。

    しかし、そんなアルバの横っ面をアイリスが蹴飛ばす。

    「な、何しやがる!?」

    「貴様は静かにしていろ話が進まん」

    流石に先ほどまで熱くなっていたアルバもいくらか落ち着いたのか。口をつぐむ。

    「それで?世界を作り変えるのはいいが、私達以外はどうなる」

    「そうね。それはあなた達が望むままにというのが適当かしら」
  81. 81 : : 2017/08/21(月) 00:01:10
    「なるほど。それは面白い。もちろんシルヴィも手伝ってくれるのだろう?」

    「当然よ。でも今は休みましょう。先は長いわ」

    彼女達が何を言っているのかアルバにはわからなかった。シルヴァトリアもアイリスもその表情に悲壮感は感じられない。むしろ希望に満ち溢れているようにすら見えた。




    ――十年後

    「よし!できた!!あーーー長かった!」

    アルバは五体を真っ白な地面に投げ出す。
    あの後、結局シルヴァトリアが力を取り戻したわけだが、何故か地と空の魔法だけはアルバ達に使用権が完全に移ってしまったらしく、世界を作り直す作業は予定通り、シルヴァトリアとアイリスとアルバの三人で協力しながらということになった。

    そしてその念願の世界は完成した。前回の失敗を踏まえて、入念に準備を重ねて作り上げたのだ。今度こそ間違いない。

    計画段階では、シルヴァトリアとアイリスの無計画さが露見してアルバが諌めたのはまた別の話だ。

    「お兄ちゃん。本当に世界作っちゃったんだ。すごーい」

    寝転んで完成の喜びに浸っていると、マリアがアルバの顔を笑顔で覗き込んでくる。

    あの後、アルバはシルヴァトリアから地魔法は魂さえあれば、生命の蘇生すら可能だという話を聞いた。そもそも人間を作り出したのもこの魔法なのだから、ある意味当然だ。

    魂から人間を作る事もできるらしいが、魂なしでは作る人間の想像の範囲でしか記憶や性質がつかないため、蘇生をさせるためには結局必要なのだ。

    そして、アルバが世界を作るより真っ先に行ったのがマリアの蘇生だった。

    「おう。マリア。ようやく完成したからみんなに声かけてきてくれ」

    「はーい。あ、でもお昼ご飯だからお兄ちゃんを呼んで来てって言われてたんだった」

    虚無の真っ白な空間では歳をとらないため外見は変わっていないが、中身はかなりしっかりした大人になってしまった。

    「そうか。じゃあうちに帰ってから話すとするか」

    アルバ達は今は白い空間の中に家を作るという暴挙に出て、シルヴァトリアに怒られはしたものの、なんだかんだそこで暮らしている。

    家に帰ると最近では勇者の装いより、エプロンが板について来たアイリスが出迎える。

    「む?帰って来たか。早く席につけ冷めないうちに食べるぞ」
  82. 82 : : 2017/08/21(月) 00:01:27
    既にシルヴァトリアは席について足をぷらぷらしている。隣にマリアが並んでいると目の色以外違いがないため双子の姉妹のようだ。

    最初は暗黒物質を作っていたアイリスも、今ではちゃんとした料理を作るようになった。

    「そういえば、世界できたぞ」

    何気なく食卓の話題にあげてみると、反応は三者三様だった。

    「あら。思ったより早くできたわねぇ」

    頰に手を当てて穏やかに笑うシルヴァトリア。

    「お、おい!本当か!?」

    机を勢いよく叩いて立ち上がるアイリス。

    そして既に知っているため特に反応するでもなく笑っているマリア。

    「まあとりあえず座れよアイリス。行儀悪いぞ」

    アルバが告げるとしぶしぶアイリスは席に着く。

    「それで、お前らこれからどうするんだ?」

    アルバの発言にシルヴァトリア以外の二人の動きが固まる。多分何も考えていなかったのだろう。

    「私はここでパラディソスと暮らすわ」

    シルヴァトリアがそういうと髪の毛の中から手乗りサイズの白い毛並みの獣が顔を出す。

    「ボクはシルヴィといられればどこでもいいさ」

    シルヴァトリアのためにアルバが気を利かせたのだが、パラディソスをそのまま復活させると問題があるため、小さな獣に魂を定着させたらこうなった。

    今までさみしい思いをした分。普段からシルヴァトリアに構ってもらっているようだ。彼女も獣の愛らしい姿が気に入ったのかよくもふもふしている。

    「俺は一旦、魔王城に帰ってからまた旅にでも出るかなあ。マリアとアイリスは?」

    「私もお兄ちゃんと旅に出る!」

    とマリアが訳のわからないことを言い出す。

    「いやお前、両親はどうすんだよ」

    「大丈夫だよ。パパとママならきっと良いって言ってくれるよー」

    と呑気なことを言っている。アルバはため息をつくと、アイリスに水を向ける。

    「アイリスは?」
  83. 83 : : 2017/08/21(月) 00:01:47
    「そうだな。私もいつまでも皇宮に世話になるのもどうかと思っていたのだ」

    そしてすこし考え込んだ後に声を上げる。

    「よし。決めたぞ。アルバ。私も貴様の旅に同行させろ」

    「はぁ!?なんなんだよお前ら揃いも揃って!」

    「あら。アルバさん。モテモテねぇ」

    そんな色っぽい話であればどれだけアルバの気苦労もなかっただろうか。マリアはまだ十歳、アイリスはあの堅物だ。あの二人に限ってそんな話、ありえない。

    マリアとアイリスは二人で勝手にその気になって盛り上がっている。

    一人で逃げ出したい気持ちで一杯だったが、アイリスとマリアがそれを許さなかった。

    そして結局――

    「お前ら本当についてくるんだもんなぁ……」

    逃げないようにとアイリスの王城への挨拶回りと、マリアの家への挨拶にも同行させられた。

    王城ではいつの間にかアルバが魔王であるとバレていて出会う人出会う人に怯えられるわ、マリアの家ではアレクに泣きながら殴られるわでろくなことがなかった。

    それに対して二人は呑気なものだ。

    「魔国といっても案外普通なのだな。魔族もさして人と見た目も変わらん」

    「ほぇーなんか凄いねぇ。知らないものがいっぱいだー」

    二人は完全にお上りさんといった様子で街行く人に笑われている。そしてアルバ自身は外見が平凡すぎて、元魔王であることすら気づかれない始末だった。

    「頼むから問題だけは起こしてくれるなよ……」

    そうして三人は魔王城へと向かう。

    魔王城につくと、魔王が帰ってきたと大騒ぎだ。しかも勇者と幼女を連れて帰ってきたというのだからあらぬ噂も飛び交っていた。

    いまは魔王の右腕だった男が執政を行なっているそうだ。しかし、帰ってくるとすぐに右腕含め、多くの臣下から再び魔王として国を治めてほしいと告げられた。

    「魔王様。我々が間違っておりました。どうか再び我らを導いてください」

    そんな言葉を受けてアルバとしてもいくらか嬉しい気持ちだった。幻惑のせいとはいえ、あれほど戦争にこだわった国がその間違いを認めたのだ。

    だがそれとこれとは話が別である。

    「俺は今日その事で話をしにきた」
  84. 84 : : 2017/08/21(月) 00:02:04
    「では!」

    辺りから期待の声が上がる。

    「いや、俺は魔王には戻らない。力だけの王に価値などない。どうか、新たに王を立ててほしい」

    「しかし!」

    まるであの時のようだ。そんな風にアルバは最初に城を飛び出した事を思い出す。

    「執政はその方面に長けた人間を選ぶべきだ。それに――」

    あの時と同じようにそこで言葉を区切る。
    だが今回は以前のような圧迫感はなく、誰もがまたかと、呆れたような笑いを浮かべている。

    だがその空気はアルバはたまらなく嬉しかった。アルバは心から笑顔で告げる。

    「いまどき魔王とかそんなの流行らないだろ」
  85. 85 : : 2017/08/21(月) 00:08:08







    あとがき

    今回は、初投稿ながら企画ものに参加させてもらい、3週間という限られた時間の中で書き溜めもなく始めたのでかなりしんどかったです。そのせいで物足りないものをお見せしてしまう結果になってしまっていたら申し訳ないです。このあとがきまで目を通していただける方がいかほどみえるかわかりませんが、この場でお礼をさせていただきます。最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。

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KAIWARENOOWARI

カイワレ大根の終わり

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