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光と影
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- 1 : 2015/11/07(土) 21:34:08 :
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その指揮者は、とにかく仕事をしないことで有名であった。
音楽の都、オーストリアの首都、ウィーン。
その中に、世界最高の歌劇場であるウィーン国立歌劇場は存在した。
過去、幾多の名指揮者たちが名演を繰り広げてきたここは、世界最高のオーケストラの一つであるウィーンフィルをピットに抱え、世界最高の演奏水準で華やかなオペラを演奏してきた。
一方で、この歌劇場は、もう一つの顔を持っていた。
この歌劇場の経営の仕方は、時代によって総監督が担ったり、支配人と音楽監督という形で経営と演奏を分け合ったりとさまざまであったが、これらのポストを巡って、いつも政界を巻き込んだ権力闘争を生んでいた。
その為、実力ある指揮者でも、実力ある経営者でないために失脚したり、世界最高とは言いながら、実力のない指揮者が監督に就任するという皮肉な現象も時には起こった。
よって、この歌劇場はこういわれる――――――――“伏魔殿”
悪魔の巣食う、歌劇場。
過去幾多の名指揮者がこの悪魔めに呑まれてきたのだ。
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- 2 : 2015/11/07(土) 21:35:24 :
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- 3 : 2015/11/07(土) 21:35:50 :
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某日。
指揮者フリッツ・ガルトナーの自宅。
彼の部屋は、至る所にオペラや交響曲の楽譜が置かれており、それがまるでいくつもの山のように積みあがっていた。
その中に埋もれるように、フリッツは電話を取って話をしている所であった。
『まぁまぁ、そう言わずに・・・・・・・・・・・・ガルトナーさん。』
電話先で、困ったような声を上げるのは、私の親友である日本人、ミスター・ツジタだ。
「しかし・・・・・・・・・・・・俺にウィーンフィルを振れというのかい?」
『ああ! 君の公演を楽しみにしているものはたくさんいる。知ってるだろう?』
___________ミスター・ツジタはまた難題を振りかけてくる。
フリッツは苦笑した。
「どうせ日本公演をやって欲しくて言っているんだろう? ツジタ?」
『話が早いな、そう言うことなんだ。』
___________やっぱり・・・・・・。
フリッツは人の何倍も勉強する指揮者だった。
それこそ若い頃は何でも引き受けたし、精力的に新しい曲を意欲的に振っていた。
今でも、新しいレパートリーを増やそうと、毎日精力的に楽譜に向かってはいる。
彼の根幹的な部分は、今でも変わってはいない。
しかし・・・・・・・・・・・・
加齢と共に、彼の心に巣食う闇は、肥え太っていった。
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- 4 : 2015/11/07(土) 21:36:31 :
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彼の指揮ぶりは、まるでバレエを踊るように華麗で、舞台映えがした。
その独特な指揮ぶりに合わせて、他の指揮者たちが真似できないような、独特のリズムと呼吸が曲の隅々にまで宿った。
だが、曲に新たな息吹を吹き込むこの清新な魅力も、歳を取っていくにしたがって失っていった。
彼は超早熟型の天才であった。
初めから完成されていた彼の音楽性は、同時に彼の終点だったのだ。
それはいつからか・・・・・・過去の自分が超えられない壁となって、彼を押しつぶすようになっていた。
その為に、彼は指揮台から次第に遠ざかり、皮肉なことに周りからは誤解されて、彼は“生ける伝説”という“レッテル”が貼られた。
そして、そんな彼を求めて毎年様々な依頼が舞い込んで来るのであるが、彼はそのほとんどを断ってしまっていた。
既に年齢は60歳後半。
そんなフリッツは年に2、3回指揮をすればまだいい方であった。
「困ったなぁ・・・・・・。」
電話機を手に持ち、内心フリッツは頭を抱えていた。
高い理想に反して、今の自分には優れた演奏は出来そうにない・・・・・・。
そんなわけだから、初めは断ろうと思っていた。
『一応曲目は、“ばらの騎士”と“こうもり”を考えているんだ。今すぐとは言わないから、後で返事を聞かせてくれよ?』
「!!」
『いい返事を期待している。』
「ちょっと待ってくれ! “ばらの騎士”だって!?」
フリッツは慌てたようにミスター・ツジタに問いただした。
ばらの騎士――――――――リヒャルト・シュトラウスが遺したオペラの傑作。
そしてこれは、フリッツにとって得意な演目であると同時に、トラウマの種でもあった。
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- 5 : 2015/11/07(土) 21:40:51 :
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このばらの騎士には、幾多の名盤と呼ばれる録音が存在した。
初めてこの曲が録音されたのは1933年のこと。
伝説的な名歌手であるロッテ・レーマンやエリザベート・シューマン、リヒャルト・マイヤーが歌い、
むせ返るような妖艶さを滴らせるウィーンフィルの弦楽器がむせび泣くような演奏を聞かせ、
当時黄金期を迎えていた伝説的な歌手たちやウィーンフィルの足跡が、ここに結実した。
残念ながら音は今の水準で言えば貧しく、指揮者は並程度だが、その色香は今ではちょっと考えられない、まるで天空を突き抜けてしまったかのような高みにある。
それ以降、伝説的な指揮者たちが、こぞって名演を繰り広げてきた。
偉大なるブルーノ・ワルターを筆頭に、
クレメンス・クラウスやハンス・クナッパーツブッシュ、
ヘルベルト・フォン・カラヤンやカール・ベーム・・・・・・・・・・・・
それぞれがまるで綺羅星のような名演を遺してきたのであるが、その中に混じって、フリッツの父親であるベルガ・ガルトナーもこの曲を振っては最上級の名演を遺した。
「君はやっぱり性格が悪いよ、ミスター・ツジタ。」
フリッツにとって、ウィーンの名指揮者であった父ベルガは、超えるべき壁であると同時に、息子にとって大きなトラウマとなっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 6 : 2015/11/07(土) 21:41:47 :
歌劇場で活躍する父の背中を見て育ったフリッツは、自然と自分も将来、指揮者になりたいと考えるようになった。
『俺・・・・・・父さんみたいな指揮者になりたい!』
将来の夢を聞いた父親は、しかし、猛烈に反対した。
「馬鹿を言うな!! フリッツッ!!」
ちょうどその頃、父は父でトラウマを抱えていた。
自分が長年愛し、長年勤めてきたウィーン国立歌劇場。
その音楽監督を決める争いに、ベルガは巻き込まれたのである。
ベルガは国立歌劇場音楽監督の最有力候補だった。
しかし、権謀術数に長けたクレメンス・クラウスによってベルガは、ベルリン国立歌劇場へと飛ばされた。
オーストリアの教育大臣と結託して、ベルガの音楽監督就任を阻止したのである。
歌劇場の中に潜む魔物に、ベルガは喰らいつくされたのだった。
ところで、勝者となるはずだったクレメンス・クラウスにもまた悲劇は待っていた。
文部大臣の横槍により、音楽監督はカール・ベームと決まったのだ。
彼は絶望に打ちのめされ、“このショックで数年長生きできる”と語ったほどだ。
そして最後に彼は、メキシコに客演を依頼された。
行きたくなかったクラウスは、法外なギャラを要求することで断ろうとした。
が、先方はこれを呑んでしまい、クラウスはメキシコに行かなくてはならなくなった。
その結果、循環器系の弱かったクラウスは標高の高いメキシコの薄い空気に耐えきれず、心臓発作であっさりと死んでしまった。
権力の中を泳ぎ回り、時にはナチスとさえ手を組んだ男の、滑稽きわまるオチ。
彼は最後まで、退廃きわまるウィーンを彷彿とさせる人物であった。
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- 7 : 2015/11/07(土) 21:43:07 :
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さて、こういった経緯もあり、ベルガは楽壇の酸いも甘いも、光も影も知り尽くしていた。
それ故、息子の語る夢など、実にばかげたファンタジーにしか感じられなかったのである。
そのこともあってか、フリッツは一度は工学の道を志し、工科大学へと進学して無事にそこを卒業した。
しかし、音楽家としての夢をあきらめきれず、彼はもう一度、今度は音楽大学に入って音楽の勉強をしたのである。
時にフリッツ、20代。
初め父は猛烈な勢いで反対した。
安定した職に就けたはずの息子が、ばかげた夢のために全てをなげうったことを知って、罵りさえした。
だが、息子の熱意を前に、遂にベルガは折れた。
すると、名指揮者の彼は、残された影響力を使って根回しをし始めた。
方々に紹介の労を取り、息子の後押しをしたのである。
ところが、これは息子にとっては耐えがたいことだった。
『ほう、君が“あの”ベルガ君の息子か・・・・・・。』
紹介してもらうたび、有力者たちからはこんな言葉を浴びせられた。
どこに行っても、何をしても、偉大な父と比べられる日々が続いた。
それらが積み重なって、父ベルガは息子フリッツにとって、大きなトラウマとなっていった・・・・・・。
それは、父が惜しまれつつ逝去してからも変わることはなかったのだ。
___________“生ける伝説”に“あのベルガの息子”
二つのレッテルは、彼の理想主義的な性格と相まって、深いトラウマとなって彼の精神の中に根を下ろしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 8 : 2015/11/08(日) 16:57:40 :
『分かっている・・・・・・フリッツ。君にとってこの演目が大きなトラウマだということはね。』
「・・・・・・。」
年に数回しか指揮をしないフリッツではあったが、彼は決して自分に自信がないわけではなかった。
むしろ、彼の強烈なまでの自負心が、却って指揮台を遠ざけていたのである。
『セイジ・・・・・・俺はね、寝ながらだってラ・ボエームを指揮できるんだ。』
彼は親友の一人である小澤征爾に、こう語ったことがあった。
それくらい自信のある演目しか彼は振らなかったし、それくらい彼は自分に厳しかったのだ。
そんな彼のことだから、勿論今自分がウィーンフィルを振れば成功するのは分かっていた。
しかし、彼の求めるところはそんなことではなかった。
『君は常々、高いレベルでの芸術性を求めてきた。でも・・・・・・君に残されている時間はもう長くない。』
「・・・・・・。」
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- 9 : 2015/11/08(日) 16:58:09 :
___________そう、俺は既に老いた。
俺はもう体の衰えを感じていた。
以前のように溌剌とした、清冽さを感じさせるような音楽はもう出来ない。
『だから最後に、君がここにいたという刻印を残すべきだと思うんだ。』
「・・・・・・。」
___________最後の・・・・・・・・・・・・刻印か。
「・・・・・・・・・・・・分かった。」
『!!』
「今の俺が出来る・・・・・・・・・・・・最高の名演をお見せしよう、ツジタ。」
『おぉ!! 本当か!?』
「そう驚かないでくれ、ツジタ。ただし、俺は一切の妥協はしないからな?」
『分かってる!』
「“契約書”も交わさないからな?」
『分かってるって!』
彼は全く契約書を交わさないことでも有名だった。
芸術家肌の彼は、意にそぐわないことがあると速攻で演奏をキャンセルするキャンセル魔でもあった。
その為、人気の高い彼のチケットを手に入れても、指揮台に現れるまでは油断が出来なかった。
そしてそのことが、彼をますます“生ける伝説”たらしめてた。
「それじゃあ俺は・・・・・・・・・・・・“ばらの騎士”を振ろう!」
こうして話は纏まり、まずはウィーン国立歌劇場で、ばらの騎士を三公演、フリッツのタクトで振ることが決まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 10 : 2015/11/08(日) 16:58:47 :
さて、ウィーン国立歌劇場は前述の通り、ウィーンフィルという世界最高のオーケストラの一つを抱えている。
このオーケストラは曲者ぞろいである。
どうひん曲がっているのかと問われれば、彼らは“世界最高”であるというプライドに満ち溢れているのだ。
とあるロシアの指揮者はこんな言葉を残している。
『ロシアでは指揮者が将軍で、オーケストラが兵士だが、ウィーンではあべこべだ。』
オーケストラの将軍ことウィーンフィルは、実力のない指揮者には絶対に従わない。
力のない指揮者と見るや、第一ヴァイオリンのコンサートマスターが演奏をし切り出すことは日常茶飯事。
そして・・・・・・・・・・・・
彼らは頑なに“ウィーン流”を保守する、ローカルな伝統の体現者なのだ。
「久しぶりですね、エーベルさん。」
「お手柔らかに頼みますよ? マエストロ?」
フリッツはオケとの練習に当たり、コンサートマスターのエーベル・ローテンベルガーとにこやかに挨拶を交わした。
___________1992年の、ニューイヤー・コンサート以来だな・・・・・・。
フリッツはそう、心の中で呟いた。
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- 11 : 2015/11/08(日) 16:59:28 :
ウィーンフィルには、毎年恒例の行事として、シュトラウス一家のワルツやポルカを演奏するニューイヤー・コンサートが華やかに開催される。
フリッツはその内、1989年と1992年に登場していた。
ただ、その時の練習は・・・・・・・・・・・・それはそれは凄まじいものだった。
『伝統とは怠慢の別称だ。』
これは、偉大な作曲家であると同時に、かつてウィーン宮廷歌劇場の総監督であったグスタフ・マーラーの言葉だが、フリッツのそれも、マーラーのこの信念に近いものがあった。
実際、マーラーも周りと激しい衝突を起こして総監督を辞任したが、フリッツもまた衝突を起こしたのだった。
特に問題になったのは、ワルツのテンポであった。
通常、ウィーンのワルツのテンポは トンタッ! タッ と三拍子の内、一拍目と二拍目を強く打ち、それからわずかに間をあけて三拍目を軽く打つ。
この独特のテンポ感は、ウィーンで生まれ、ウィーンで育った生粋のウィーンっ子しか分からないとされている。
そして、ウィーンフィルのメンバーは、そのほとんどがウィーン生まれのウィーン育ちだ。
日本で例えるなら、生粋の江戸っ子にしか江戸っ子言葉は話せない様なものである。
フリッツはこの伝統に真っ向から挑んだ。
つまり、生粋の流麗なウィーンワルツではなく、リズムが生き生きと飛び跳ねるような、生気溢れるワルツを要求したのである。
当然、練習はこじれにこじれ、一時は出演中止も取りざたされた。
最終的に出演中止にはならなかったが、本番はまるで指揮者とオーケストラの綱引きのように、生き生きとしたリズム感を曲に宿らせようとするフリッツと、そこに伝統的な流麗さを織り込もうとするウィーンフィルとの駆け引きが行われた。
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- 12 : 2015/11/08(日) 17:00:26 :
「違う、そうじゃない! あの・・・・・・もっと若々しく、まるで若い駿馬が飛び跳ねるように生き生きと!」
そして案の定、とある演奏箇所で、ウィーンフィルとフリッツは完全に対立した。
その個所とは、オックス男爵のワルツと呼ばれ、登場人物の一人であるオックス男爵がウィンナ・ワルツのリズムに乗って歌を歌うという場面であった。
「納得できませんな、マエストロ。我々は伝統的に、このようにこの個所は演奏してきたのです。」
コンサートマスターのエーベルは、フリッツに対し、真っ向からこう言った。
当然、その個所は何度も練習したのであるが、エーベルは頑なにウィーン流のテンポを変えようとしなかったのだ。
「フンッ!!」
と、その時、何かがバキッと折れる音がした。
・・・・・・・・・・・・フリッツが遂に癇癪を起して、指揮棒を真っ二つに折ってしまったのだ。
そのままフリッツは指揮台を去り、今日の練習はそのまま中止となってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 13 : 2015/11/08(日) 17:01:11 :
-
「なぁ、機嫌を直せよ、フリッツ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
数日後、連絡を受けて急遽来墺したミスター・ツジタは、必死になってフリッツを宥めていた。
___________全く、たまったもんじゃないなぁ・・・・・・。
そんなことを思いながら、ツジタは必死に説得に当たった。
フリッツは、よく言えば理想をどこまでも、妥協なく追及する男であったが、
悪く言えば、責任感のまるでない男だった。
気に入らなければすぐに投げ出す。
彼はどこまでも、そう・・・・・・・・・・・・子供だった。
父親の影に怯え、周りからの目線に怯える子供。
それでいて、自信に満ち溢れ、条件が整うまでは動かない子供。
そんな彼のわがままが許されてきたのは・・・・・・・・・・・・彼の才能が、ひとえにずば抜けており、不世出の天才だったからだった。
「・・・・・・・・・・・・。」
フリッツは何も言わなかった。
その表情を見ればわかる・・・・・・彼は拗ねていた。
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- 14 : 2015/11/08(日) 17:01:59 :
「なぁ・・・・・・フリッツ、お前、このまま父を乗り越えられなくていいのか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
___________そんなことは、分かっている。
フリッツは演奏上の解釈においても、父にずっと影響されていた。
ある時など、父の残したばらの騎士のレコードを聞き、“自分はこれを超えられない”と涙を流して演奏会をキャンセルしたほどだ。
そして、彼は今でも、父の残した楽譜を使用して演奏を行っていた。
そこには、生前の父が書き込んだ注意書きが遺されていた。
父と同じ流儀で父を超えようとしたのか、
それとも、父と同化しようとしたのか・・・・・・。
「・・・・・・。」
フリッツは不意に動き出し、自宅の書斎の中に入っていった。
こっそりのぞくと、フリッツは再び、楽譜とにらめっこを始めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 15 : 2015/11/08(日) 17:02:51 :
例のテンポの問題は、次の練習の際には突然に解決された。
エーベルが、手のひらを返したようにフリッツの指示に従ったためだった。
その為、練習は順調に進み、歌手を交えての練習も開始された。
~~~~娘だったころを思い出すわ。
あの頃の私は、去年降った雪のように消えてしまった。~~~~
少し歳のいった元帥夫人が、その諦観を噛みしめるように歌うとき、
あきらめにも似た黄昏の光が輝き始めた。
元帥夫人を歌うビルギット・メードルが、その羽のように軽い声質で、少し陰影を帯びた歌声を披露すると、
練習のためのホール全体が、まるで黄昏のひと時をその場に留めたかのような輝きを放ち始めた。
「素晴らしいよ、ビルギット。君の歌声がなければ、俺はこの曲を振ろうとは思えなかった。」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね、マエストロ。」
その役柄とは打って変わって、陽気で勝気な性格のビルギットは上機嫌になってにこやかな笑顔を見せた。
他の役に当てられた歌手たちも、概ねフリッツの希望に沿った人選になった。
漸く練習は軌道に乗り、後は本番を残すのみになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 16 : 2015/11/08(日) 17:03:27 :
コンコンッ
「失礼するよ。」
いよいよ本番直前、ウィーン国立歌劇場、マエストロ・フリッツの楽屋に、一人の指揮者が現れた。
「や、やぁ、君だったかい・・・・・・・・・・・・セイジ!」
「元気そうじゃないかい、フリッツ。いよいよ本番ですね。」
親友の一人、小澤征爾はにこやかに、緊張に沈んで冷や汗をかいているフリッツに話しかけた。
毎度のことであるが、フリッツは本番前で緊張しており、なんともぎこちない挨拶だった。
___________征爾には分かっていた。
この瞬間にも、フリッツは父ベルガの巨大な亡霊と、
そして、生ける伝説と呼ばれる自分自身と、
懸命に格闘しているということを・・・・・・。
「マエストロ、時間ですよ!」
いよいよ名前を呼ばれ、フリッツの表情は一層固くなった。
優雅に燕尾服を着こなしたフリッツは、少しぎこちなく立ち上がった。
「思ったとおりにやってくるといいよ! フリッツ!」
「行ってくる、セイジ!」
そのままフリッツは振り返らず、廊下を通って指揮台へと歩き出した。
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- 17 : 2015/11/08(日) 17:03:44 :
-
- 18 : 2015/11/08(日) 17:04:11 :
その指揮者が登場した瞬間。
会場からは大きな波が沸き起こったかのような拍手が送られた。
待ちに待った瞬間。
“生ける伝説”――――――――フリッツ・ガルトナーが姿を現すと、それだけで会場の興奮は最高潮に達した。
___________俺はずっと、この幻影と戦ってきたんだ。
父の亡霊、
過去の自分の亡霊、
そして、聴衆という名の亡霊。
全てがトラウマとなって、今まで俺はその中でずっと苦しめられてきた。
フリッツはオーケストラを全員起立させ、聴衆のほうへと振り返って、深々と頭を下げた。
そして、指揮台のほうへ向き直り、タクトを手に取った。
___________ふんっ!!
オーケストラが全員着席するのを見計らい、フリッツは一気呵成に、タクトを振り下ろした。
-
- 19 : 2015/11/08(日) 17:26:30 :
-
「!!」
___________しまったッ!!
開始早々、トラブルが勃発した。
フリッツは緊張に絶えず、指揮台へ振り返るとすぐにタクトを振り下ろしたのであるが、その為にオーケストラの出が、僅かに狂ったのである。
緊張を押し隠し、何とか立て直しに努めるフリッツ。
オーケストラも彼が必死になっているのを感じ取り、立て直しに努めた。
なんだかんだ言っても、ウィーンフィルは彼らなりにフリッツのことを認めていた。
それ故に、必死になるフリッツに、ついて行ったのである。
それでも、一度狂うとミスは続出した。
ある時はオックス男爵を演じる歌手が歌の出を間違え、フリッツが思わず“しまったッ!”と声を上げる一幕もあった。
そして、問題のワルツの場面に差し掛かった時、最大のトラブルが起こった。
「!!」
コンサートマスターのエーベルが指示を出し、ワルツの部分だけエーベルのリードでウィーン流のワルツを演奏をし始めたのである。
溌剌としたフリッツの指揮が、空回りしていく。
__________いくら尊敬していても、そこだけは譲れない・・・・・・。
これは、伝統を保守するコンサートマスター、エーベルの逆襲だった。
世間的に見て、この公演は失敗ではなかった。
しかし、この公演は自負心の強いフリッツにとって到底容認できる出来ではなかった。
最高の指揮者、最高のオーケストラ、最高の歌手・・・・・・・・・・・・これらをずらりとそろえても、常に最高のパフォーマンスが出来るとは限らない。
・・・・・・・・・・・・伏魔殿に潜む魔物が、フリッツに牙をむいた瞬間だった。
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- 20 : 2015/11/08(日) 17:46:22 :
演奏が終わった後、フリッツはしばらく楽屋から出てこなかった。
中から鍵をかけており、誰も中に入れなかった。
心配したツジタと小澤が楽屋の前に佇み、声をかけていたのだが、一向に返事はなかった。
ギイイ・・・・・・
ややあって、フリッツは漸く楽屋から出てきた。
「フリッツ?」
残りの公演を投げ出すのではないかと心配したツジタが、恐る恐る声をかける。
___________あり得ない話ではなかった。
生放送から逃げて放送に穴を空けた前科を持つフリッツは、ここで公演を投げ出して逃亡する可能性は十二分にあったのだ。
フリッツは、しかし、呟くようにこんなことを言った。
「・・・・・・・・・・・・確認したいことがある。ウィーンフィルと歌手たちを練習用のホールに集めてくれ。」
そのままフリッツは楽屋から練習用のホールへと向かっていった。
ツジタと小澤はほっと胸を撫で下ろし、フリッツの練習を見学するため、彼の後をついて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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- 21 : 2015/11/08(日) 18:04:38 :
-
次の日の演奏は、昨日よりは良くなった。
問題のワルツの場面は、様々なすったもんだがあり、紆余曲折の末、エーベルの主張が最終的に通った。
そして、歌い出しを間違えたオックス男爵の場面は、カットされることで落ち着いた。
___________そして迎えた最終公演。
最終公演は、彼の演奏を永遠に残すため、カメラが入ることになっていた。
その為か、フリッツはとてもナーバスになっていた。
ただでさえ神経質な彼であるが、映像として演奏が残ることに、フリッツは極度の恐怖を感じていた。
それはつまり、名盤を遺した父親の演奏と、半永久的に比べられるということだ。
それ故に彼は、録音に対してとても消極的な指揮者だった。
それは、トラウマである父親と、直接向き合うことに他ならなかったから。
だが・・・・・・・・・・・・
「珍しいじゃないか? 自分から録音を申請するなんてな。」
ミスター・ツジタはそう言いながら、かすかにほほ笑んでいる。
「君がそうさせたんだろう? ミスター・ツジタ?」
静かに、フリッツは苦笑しながらそう言った。
___________父を超えなくていいのか?
ツジタの問いかけは、まだ俺の耳の中に残っている。
正直俺は、父を超えられるかどうかは分からない・・・・・・。
だが、最後にこの曲を振るにあたり、俺自身の足跡は・・・・・・・・・・・・残したい。
再び楽屋を出、劇場に姿を現すと、雷が落ちた様な、万雷の拍手に迎え入れられた。
何台かのカメラがこちらに向けられているのを感じる・・・・・・。
指揮台まで辿り着くと、フリッツは一息ついて、既に拍手喝采の観客に向かって頭を下げた。
___________さて、これからがウィーン国立歌劇場における、ラストステージだ!
フリッツはタクトを握ると、勢いよくそれを振り下ろした。
The end
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- 22 : 2015/11/08(日) 18:06:09 :
- さて、今作は私の趣味全開で書きましたwww
オペラを題材にしたSSでしたが、いかがだったでしょうか?
機会があればまたこんなマニアックな話を書いていきたいと思いますwww
-
- 23 : 2015/11/16(月) 20:47:22 :
- こんなにssに入り込んだのは久しぶりでした。よかったです。
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- 24 : 2015/11/21(土) 18:17:31 :
- 夢中になって読ませて頂きました!
その世界に釘付けになって読む手が止まりませんでした!
お疲れ様です。
-
- 25 : 2015/11/24(火) 23:56:59 :
- >>23 >>24
コメント&お気に入り登録ありがとうございます!
因みにこのフリッツ・ガルトナーという人物、モデルがいますw
カルロス・クライバーという天才指揮者です。
今回のお話はクライバーが生涯最後のばらの騎士の演奏を録画するまでのお話を勝手に脚色したものですwww
今回モデルにした公演はこちらになります。
https://www.youtube.com/watch?v=omFIvIqDhWo
https://www.youtube.com/watch?v=cQp6FYs42cc
最後に一言。
ありがとうございました!
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- 26 : 2020/10/03(土) 08:54:32 :
- 高身長イケメン偏差値70代の生まれた時からnote民とは格が違って、黒帯で力も強くて身体能力も高いが、noteに個人情報を公開して引退まで追い込まれたラーメンマンの冒険
http://www.ssnote.net/archives/80410
恋中騒動 提督 みかぱん 絶賛恋仲 神威団
http://www.ssnote.net/archives/86931
害悪ユーザーカグラ
http://www.ssnote.net/archives/78041
害悪ユーザースルメ わたあめ
http://www.ssnote.net/archives/78042
害悪ユーザーエルドカエサル (カエサル)
http://www.ssnote.net/archives/80906
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害悪ユーザー墓場、提督の別アカ
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害悪ユーザー筋力
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害悪ユーザースルメ、カグラ、提督謝罪
http://www.ssnote.net/archives/85091
害悪ユーザー空山
http://www.ssnote.net/archives/81038
【キャロル様教団】
http://www.ssnote.net/archives/86972
何故、登録ユーザーは自演をするのだろうか??
コソコソ隠れて見てるのも知ってるぞ?
http://www.ssnote.net/archives/86986
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