ほらりあ 〜水怪談〜
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- 1 : 2014/07/09(水) 22:18:32 :
- ちょっとホラーに挑戦してみます!
暑さは存分に吹き飛ばせると思うので・・・
ごゆっくり・・・・
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- 2 : 2014/07/09(水) 22:21:07 :
- 第一部 Havfrue-ハルフゥ-
え、水にまつわる話?そんなの聞いてどうするのさ。
ふうん、そういうことなら話してあげる。
皆はハルフゥ…人魚にどんなイメージがある?
美しい金の髪、海を映したみたいに青い瞳の美女――――そんなとこでしょう?ダンのとこの人が書いた物語の中に出てくる人魚は清楚で可憐で、王子様を想って死んだ悲劇のお姫様だったよね?
でもそれって人魚の本当の姿とは相当かけ離れてるんだ。
Havfrue-ハルフゥ-
数十年前くらい前の事だけど僕のとこで次々に漁に出たり航海に出て行った人たちが行方知れずになる事が起きた。
おそらく氷山にぶつかったか急激に天候が悪化して海が時化て船が沈んでしまったんだろうって言う結論に落ち付いていたんだけど、あんまりにも数が多すぎるって言うんでこれは少し調べなきゃって調査団を結成して僕もそれに加わったんだ。
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- 3 : 2014/07/09(水) 22:26:37 :
- 時期が時期だから危険だって言うから相当な覚悟をして出向したけど、その日から3日はベテランの航海士も驚くくらい海が凪いでいてまるで鏡面の様な水面が広がるばかり。この時期は氷山が流れて来ることが多いシーズンだったんだけどそんな気配も一切なく至極平和に調査船は進んで行った。
途中事故船を数隻見つけその位置を地図に書き込んだりして進んで行くと、沈没した船の舳先に人がいた。ぐったり寄りかかって居たからてっきり死んでいるんじゃと思ったけど幸い生きていたので彼を船に引き揚げて保護し、他に生存者がいないかどうかを調べたけど残念なことに彼以外…遺体すら見つからなかった。1人助けられただけでも良しとして早く医者に診せなければと早々にレイキャビクに引き返すことにして船を進めることにした。
しばらくして意識の戻った生存者の彼に話を聞くとうわごとのように
「…皆…ハルフゥに…満月……」
それだけを繰り返し繰り返し呟いている。言葉も端々しか聞き取れなかったから正直一体何を言っているのかは分からない。
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- 4 : 2014/07/09(水) 22:28:43 :
- きっと相当恐ろしい目に遭って精神が錯乱してしまっているのだろう…心情を想いはばかって皆それ以上の事は聞けなかった。彼の言葉の中に重要なヒントがあったにもかかわらず。
その夜満月が煌々と海を照らして海をキラキラと照らしているのを甲板で僕はぼんやり眺めていた。風も無く波の音も静かでとてもいいなと思ったけど…どこか変だ―――波の音がしないし。
波の音が無い?
そうだ、やけに静かだ、何かがおかしい。風が弱くともわずかながら波の音はあるはず
生存者を早く医者に診せねばと結構なスピードでレイキャビクに向かっていたから時期に港の灯りとかが見えてくるはずなのに、エンジン音も聞こえない。ここで分かった。なんでこんなに静かなのか
「…船が…動いてない?」
思えばさっきからまったく月の位置が変わっていなかった。
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- 5 : 2014/07/09(水) 22:32:23 :
- もしかしてエンジントラブルか?と思って操縦室に行くと舵を取っていたはずの人が居ない。その部屋に居るはずの人たちが誰ひとりとして姿が見えなかった。最低でも操縦士と航海士は居るはずなのに。
食事休憩でも取りに行ったんだろうか、それともなにかあったのかともう1度甲板に出ようと思ったその時
「うわ!」
いきなり滑って転んだ。見ると出入り口が濡れている。まるで水たまりに突っ込んだ靴で歩きまわった様にびっしょりと。しかもその水をたどって行くとまっすぐ甲板の方へ向かって更に手摺の所まで続いていた。濡れた何かがここから海に向かって進んで行ったかのように。
「なに、これ」
探したけれど人っ子ひとりいない。救命ボートもそのまま残っているから脱出したとは考えにくい。
船の中には文字通り僕1人が取り残されていた。
「何があったの…?」
パシャン
何かが跳ねたような音がした―――――海の方から。
もしかして誰か落ちたのか?急いで音のする方へ向かって走って行く。所々濡れていたから滑ったりしながら海を覗き込むとそこには大きな魚の群れと思われる何かがバシャバシャと何かを取りあっている。丁度月が雲に隠れていて見えなかったそれがサァ…っと風が吹いて雲を晴らした瞬間見えたのは見覚えのある靴が魚の群れに飲まれて消えて行くところだった。魚と思ったそれに人の様な容姿を見て息をのんだ――――それは
「まさかハルフゥ…!?」
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- 6 : 2014/07/09(水) 22:40:33 :
- 『ええかアイス、ハルフゥは元来気性の荒い生き物だべ。やたらに近づくんでねえ…声に魔力があってめごいから惑わされちまうけんど魅入られたら最後、魂さ喰われて死んじまうからな』
そうだ、昔ノ―レが言っていた。ハルフゥは海が凪いだ満月の夜に沖に出た船の船乗りを惑わして喰らうって言う話…半信半疑だったけどまさかこの船の皆はハルフゥに惑わされて海に…?そういえばさっき助けた人が人魚がどうのとか満月がどうのって…ああ、なんで僕想いださなかったんだ!
一瞬にして血の気が引いたその時
『ねえ』
振り返ると甲板の手すりの向こうに濡れた髪を掻きあげながら妖艶に微笑む女の姿があった。こんな沖合に居るはずもない女、まさしくこいつ人を喰らう魔物――――驚いて1歩あとずさる。
『ねえ、こっちへ来ない?』
(だめだ、声を聞いちゃ…!!)
『楽しいことしましょうよ…皆一緒よ?』
ズルッ……と濡れた髪の毛がゾロゾロと僕に近づいてくる。1歩1歩後ろに下がったら甲板のもう一方の端に追い詰められてしまった。海を見ると他のハルフゥたちが不気味なほど静かにそして、待ち構えるかのように集まっていた。僕が落ちるのを待ってるんだ
ああどうしよう…恐らく十字架も聖水も効かないだろうし…ええっと、ノ―レはどう対処すればいいって言ってたっけ…
『ええか、もしもハルフゥに逢っちまった時は…』
(そうだ、効くかどうかわからないけど)
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- 7 : 2014/07/09(水) 22:49:26 :
- ポケットからジッポライターを取り出して「カチッ!カチッ!」と火花を散らす。その火花を見て女の顔色が変わる。やっぱりこれでもイケる!
『ヒィッ…!!』
ライターの火花を散らしながら徐々に僕は女の方へ近づいて行った。
「さあ、あっちへいけ!でないと…燃やすよ!」
『ヒィィィィィィィイィ!!!!』
ずいっとライターを鼻先まで押しつけたその時、悲鳴と凄まじい嵐の様な風が吹き付けてハルフゥ達の姿は見えなくなった。
ふとおちついて気付いたらレイキャビクの港まで後数十メートルのとこに船が漂っていた…やっぱりハルフゥの幻覚に皆惑わされていたんだ。残念ながら乗組員たちの行方は分からないまま…おそらく魂を食べられた後海に沈んでしまったんだろうと思う。
あとね、ノ―レが言うにはハルフゥは火打石が苦手らしいんだ。詳しくは分からないけどライターの火をおこすのも要領は一緒だからおそらく効いたんだろうなって思う。
ああ、ハルフゥの群れが居たそこは今はもう何もいないよ。
ノ―レの家の近くに海底油田があるでしょ?そのあたりの開発が進んだ頃にはもういなくなってたって言ってたからさ。
だけど全く居なくなったわけじゃないと思う。
あのあたりでは航海技術が進んだ今も船が原因不明で沈んだりして誰も見つからないってことは時々あるそうだから…引きずり込まれないようにしなきゃね。
美しい人魚姫に。
第一部 完
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- 8 : 2014/07/09(水) 22:53:13 :
- 第二部 彼女。
怖い話じゃないんだ。
むしろ悲しくて不思議な話。ちょっと違うかもしれないけど。
俺ね、雨の日結構好きなんだ。雨が降ってると気に傘ささないで出かけるものそれはそれで楽しいし、雨の音を聞きながらの読書も好き。雨の絵を描くのも大好き。
なにより雨になると彼女を思い出すんだ。
俺と彼女の出会いを話すね。
まだ俺が独立したばっかで、兄ちゃんと住んでた時ね。
お部屋の掃除も終わって、お昼ごはんの準備も終わって。兄ちゃんはいつもいないし、暇だし。
だから俺、雨なのに傘ささないで出かけたんだ。
少し薄暗くて、寒くてでもいつもと違う景色がすごくどきどきして綺麗で。
雨の中一人ではしゃいでたんだ。
彼女と最初に出会ったのはその時で、俺が一人で歩いてるときにふっと見えたんだ。
家の近くにある小さな池のほとり。真っ白いワンピースを着てて、綺麗な金色の髪の人だった。
声かけようって思ったけど、ずっと見てるうちに彼女は建物の陰に消えたの。それが初めての時。
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- 9 : 2014/07/09(水) 22:58:04 :
- それからもさ、時々彼女の姿を見たの。同じ場所でね。
不思議と彼女は晴れてるときとかにはいないんだ。雨だけなの。雪じゃなくて雨の時だけ彼女がいるんだ。
でもね、初めて見たときから5年くらいかなぁ?
ぱたっと彼女を見なくなったの。
俺も残念だったけど忙しかったし、彼女もだれかいい人と出会って結婚したのかなぁなんて思ってたんだ。
んでそれからまたなん十年かたった日、市場からの帰り道に急に雨が降って。
大したの買ってなかったからよかったんだけどね。
どうせ急いでても濡れるし、ゆっくり行こうって思って歩いてたんだ。ほら、あの頃忙しかったし。のんびりしたいなぁって。
雨に濡れながら家へ帰る途中に、またあの池の近くに来たんだ。
その時思いだしたの。そういえばここで綺麗な人に会ったなあって。そう思って池を見てたら、いたの。
池のほとりで一人うつむいてる彼女が。
びっくりしたよ。
だって彼女、前と全く同じ姿だったんだ。俺と同じように国じゃないし、ふつーなら年をとって背が伸びたりしわができたり髪が伸びたりするはずだけど、彼女は何も変わらなかったんだ。
しかもね、その時はじめて彼女が俺に話しかけてきたの。
「あなたのお名前は?」
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- 10 : 2014/07/09(水) 23:02:11 :
- びっくりしたけど俺は名前を教えたんだ、イタリアだよって。
この国と同じ名前なのねって彼女が笑って言うから、俺が国なんだって言ったの。そしたらお茶目な嘘をつくのね、って笑われたんだ。
嘘じゃないのになぁって少しむくれたけど、彼女が笑ったからいっかあなんて思ったの。
その日はそれで別れたけど、また次の雨の日は彼女と一緒に出かけたりもした。
その次の雨の日には彼女の話も聞いた。彼女は同じ池のほとりでうつむいて、俺を待っていた。
彼女は十年くらい前に父親の紹介で結婚したんだって。でもね結婚相手がひどい人で彼女はすごい嫌だったんだって。彼女をたたいたりとにかくいろいろしたんだって。
かわいそうだよね。こんなに美人なのに、そんなことされるなんてひどいよね。
そうしていろんな話をするうちに彼女と俺は仲良くなってった。
だけど、どんなに仲良くなっても彼女は俺に名前を教えてくれないの。聞いても絶対言わないの。
何か事情があるんだろうなあって思って俺は聞かないでおいたんだ。
彼女の方は俺をまだ国だって思ってないみたいだった。そう思わせておくのもなあって思ったけど、説明しても笑うだけだったから俺もあきらめちゃった。
そんなこんなだったけど俺は彼女が大好きだったし、彼女も俺を好きだと思った。もちろん友愛的なものだけどね。
だから俺は彼女を家に招待しようと思ったの。いつもは雨の中を二人だ歩くだけだったんだ。お店に入るのを彼女は嫌がったからね。
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- 11 : 2014/07/09(水) 23:12:59 :
- 俺の家においでって言ったんだけど彼女は、首を横に振るの。絶対行かないって言うんだ。
どうしてって理由を聞いても彼女は何も言わないの。
前の旦那さんとの嫌な思い出でもあるのかなぁ?俺はよく分かんなかったけど、嫌がってるのに無理やりなんてできないし機会はまだあるから諦めたんだ。
また次の雨に日にでも誘おっかな。って。
だけど次の雨の日も、また次の雨の日も彼女は現れなかった。
またなにかあったのかなぁって思って俺も諦めたの。きっといつか会えるって思ってたし。
それから彼女と会ったのは五十年後だった。
戦争が終わって、ちょっとずつだけど平和になって。
彼女の事を忘れかけた時、また彼女は現れたの。
真っ白いワンピースに金色の髪。
初めて会ったときから何にも変わらないんだ。
その時やっと俺は気づいたの。
彼女は人じゃない。
遅すぎるよねぇ。ドイツや日本なら前の旦那さんの話の時に気づくだろうけど、俺バカだったんだ。
彼女に会いたいとか、遊びに来てほしいとかそんなことしか思ってなかったんだ。
彼女は言うんだ。
「ごめんね何度も言おうって思ってたのよ。あなたもずっと変わらないからもしかしたらあなただって私と同じかと思ったの。なら私と一緒に消えてくれるかなって思ったのよ。でも、やっぱりあなたは生きていたわ。私と違ったの」
すごく泣きそうなのに涙は全然出ないの。俺は初めて彼女の手を握ったんだ。
冷たい沼の底のような冷たい手。
脈の音も聞こえないの。ああやっぱり死んでたんだあって分かっちゃったんだ。
彼女は五十年以上前に殺された。
前の旦那さんは彼女に暴力を振るう人で、彼女はそれに耐えきれなくて家を出ようとしていたって。その時に見つかっちゃったんだって。それで彼女は殺されちゃったんだって。
その日も雨だったって。
「ひどい殺され方だったわ。死なない程度に痛めつけられて、ゆっくりと殺されるのよ。もういっその事ひと思いにやってくれればいいと思ったわ」
なんどもなんどもそうされて、意識が薄くなっていくときに。彼女はあの池に投げ込まれた。
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- 12 : 2014/07/09(水) 23:13:38 :
- 「…まだ生きてたの、私。必死で浮かぼうとしても足が藻に引っ掛かって出れないの。そのまま私は死んだわ。誰にも見つけてもらってないのでしょうね」
少し笑いながら彼女は言うんだ。笑ってるけど悲しそうなの。笑っててもほんとはまだ痛いんだろうなぁって俺も簡単にわかっちゃうくらい。
まだまだ雨は降ってて、もうこの世界で俺と彼女だけいるのかもって思うくらいに他のものなんて見えなかった。
「ごめんなさい。関係のないあなたまで巻き込んでしまって。私、まだここからいなくなれそうにないの。まだ私を殺したあの人が憎いの。でも、これから先も私と一緒にいたら、いつか私はあなたの優しさに負けてあなたを一人で奪ってしまいそうになるの。私はきっとあなたを好きになってしまったんだわ。
あなたは国なんでしょう?みんなの愛する祖国を私ひとりの幽霊が奪ってしまうなんてできないわ。だからおねがい」
わたしをどうかわすれて。
そこまで言って彼女はやっと泣いた。俺も泣いた。
雨に隠れて見えなかったけど、確かに俺たちは泣いたんだ。
雨はいつしか止んで、空は水色だった。
彼女は俺のそばにいなかった。
それからは俺は彼女と会ってないよ。
俺は家を引っ越した。
仕事の関係で引っ越したって、兄ちゃんも上司も思ってるみたいだけどね。
でも今も時々思うんだ。
彼女を俺は救えたかなあって、彼女の支えに少しでもなれたのかなぁって。
今でも彼女は、あの池のほとりでうつむいてるのかな。
第二部完
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- 13 : 2014/07/11(金) 23:26:06 :
- 第三部 そっと弱みを握られています。
水が欲しかった。
ほう、イタリア。左右に海を持つお前から賛同を受けるとな。……誰がパスタの話をしていた。チーズも茹でる嗜好はない。
しかし、そうだな。海が欲しかったとも言える。
山ばかり見て過ごしていたせいであろうか。あるいは四方を誰かしらに囲まれて生きてきたせいか。
どちらにせよ、ある種の強迫観念かもしれんな。
内陸国ならば、分かる国もいるのではないか?
飢えと渇きは似ているようで違う。
たしかに我輩は肥沃な土地を持っていないが、幸いにして飢え死にはしなかった。
しかしながら、渇きに対する危機意識は、もはや恐怖と言ってもいい。
邸内に湖があるとはいえ、周りは馬鹿に囲まれ、海へは容易に出ることができない。
違う。海水は飲めないとかそういう話ではない。
飲み水は必要だが、必要なのは飲むことだけか?
晴天を「天気が良い」と表現することは勝手だが、晴れの日だけで生きていけるのか?
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- 14 : 2014/07/11(金) 23:47:22 :
- ……いつ雨が降ったときに我輩がハイテンションだったと言うのだ。言いがかりだ。もしくは偶然だ。
いや、まぁ、たしかに、晴天よりは雨のほうが、気分がいいことは認めよう。
それがどんな状況下であろうと。
といっても、天候に気分が左右されるのは、何も我輩だけではないだろう。
イギリス。お前など晴天の日は、テンションマックスでフランスの家に押しかけることもあるだろう。
ない? そうか。いや、お前の晴天の過ごし方に興味はないから説明はいいぞ。
今のは例えであるが、要するに、雨は正に天の恵みなのだ。
雨が降っているというだけで、たとえば面倒な仕事に取り掛かる気がおきたり、たとえばくだらん議題の会議中に鼻唄のひとつも歌いたくなったり、たとえば他国を助けてみたり、自分でも思いがけない行動をとってしまうものだ。
そういえば、リヒテンシュタインと初めて逢ったときも雨が降っていたな。
――いや? 別に雨の日だったからという理由で助けたわけではないぞ?
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- 15 : 2014/07/11(金) 23:52:33 :
- 雨、海、血液、朝食のコーヒー。
貴様ら、喉が渇いてこないか? 汗は? 涙は?
大丈夫なのか?
こんなにも暑いのに。
ロシア。
お前が水道管を欲しがった理由、今なら分かる気がするのである。
第3部完
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- 16 : 2014/07/12(土) 00:08:29 :
- 第四部 とけない水
ねえ君たちは、とけない水って知っている?
ふふ。ちょっとした謎かけだよ。怖い話が続くから、ちょっとした息抜きにね。……って。言ったそばから早いすぎじゃないかなぁ、日本くん。そんなにすぐ答えるとかさ、もう少し空気読んで欲しかったな。これじゃあ余興にもならないじゃない。コルコル。でも、残念。確かに液体にも気体にも解(溶)けていない水は“氷”って思えなくもないんだけど、実はこの謎かけに答えはないんだよね。
うん? どういうことだって言われても困るなぁ。だって、本当に正解なんてどこにも存在しないんだもの。きっとね、世界には君たちが話した怖い話のように、形のないものが多いんだよ。別に、なにもかも形にはめて固定しようとする行為を無駄とは言わないけれどね。だけどもしかしたら、そうすることで僕たちはそれを受け入れているのかもしれないね。
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- 17 : 2014/07/12(土) 00:24:55 :
- そして、きっとその方がとても自然的で正しい事なんじゃないかな。水が、本当に水のままあり続けるわけじゃないことを、僕たちはよく知っているでしょう。だからね、これから話す怪談はちょっと形が違うかもしれない。けれど忘れないでね。それもまた、世界の形に当てはまらない事実のひとつなんだよ。
少なくとも、そうだね。僕にとっては。
あれは、いつのことだったかな。。
僕のところでは、毎年かかさず雪山訓練をするんだよ。もちろん実戦に備えるためなんだけど、どちらかといえば雪山越え自体に訓練を強化してる感じなんだけどね。うん。それで、確かその年は訓練で初めて使う山に登ったんだ。驚いたよ。その山は勾配は激しくないし、むしろ平坦な道の方が多くてね。なにより低い山だったから、今年は随分優しいって感動しちゃったんだ。なにせ、その前の年が酷かったからね。凄く険しい山での訓練で、遭難者とか凍死者が多く続出しちゃったし。まあ、いつものことと言えばいつものことなんだけど。
その時は朝から山に入って、演習を交えながらでも昼ごろにはもう山頂にいたから、本当に楽だったんじゃないかな。こんな演習だったら喜んで何度も参加するって同士と笑いあってたもの。それくらい余裕があった訓練は初めてだったしね。それに、その日は天候にも恵まれていたんだ。大概僕が参加すると猛吹雪とかざらなんだけど、それもなかったし。……まあ、猛吹雪っていうか、僕の相棒が、ちょっとね。はしゃいじゃったりね。うふふ。
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- 18 : 2014/07/12(土) 00:51:54 :
- 山頂についたあたりで、訓練としてはその日の工程は終了だったのかな。そのまま帰還しても問題ないくらい調子は良かったんだけど、どちらにせよ訓練だからね。一日目は山で野営しなければならなかったんだ。だから僕たちは、次の日早く終わるように麓の方に降りてさっそく野営地をつくっちゃった。それだって、本当にあっけないほど早く終わっちゃってね。暗闇でもないから手元は見やすいし、もちろん雪山だから寒いのは寒かったけど、吹雪いてもないし。そのうち野営地をつくり終わった隊から、遊び始めたりもしてたかな。
でも、しばらくして天気が少し翳ってきたんだ。山の天気はほんとうに変わりやすいし、もう訓練の工程はほぼ終わっていたからね。まだ夕方には早かったけど、簡易の食事を済ませてそうそうに野営のテントに入っていったんだ。とはいえ、もちろんすぐ寝るわけじゃないよ。楽な訓練だったってこともあったし、次の日には終わるってわかっていたなら、当然酒盛りするよね? あは。まあ、そうじゃない時だってもちろんするよ。ウォッカが僕の燃料だしね。
うん、そんな感じでいい具合にみんな盛り上がっていた時だった。
声がね、したんだ。
最初は誰も気づかなかったんだよ。それくらい騒がしかったし、だけど入り口に近かった人が急に声がするって言い出してね。そのときはもう夜は更けていたし、少し前から吹雪いてはいないけど雪が降っている音はしていたから、勘違いだろうって笑ったんだ。でも、確かに声が聞こえるんだってあんまり言うから、みんな次第に耳を澄ませるようになっていった。するとね、確かにするんだよ。若い女の人の声が。なんて言っているのかはわからないけど、か細い声が外から聞こえてくるの。遭難者かもしれないとか、見張り番は何をしているんだとか、それぞれ言い出したんだけど、声がしたって言い出した彼が見張り番だったんだよね。寒くて酒を飲まずにやってられなかったって気持ちはわからないでもないけど、職務怠慢はいけないでしょ? それで、結局その見張り番が様子を見ることになったんだ。
おっかなびっくりしている見張り番の後ろから覗いたけど、外にいたのは普通の女性だったよ。防寒着で少し着膨れた感じはあったけど、ぶ厚い帽子の下の輪郭は結構美人そうだったかな。ただ、少しちょっと変だった……というか、ずっと俯いているんだよね、その女性。見張り番が話しかけても、何も答えないんだ。どこから来たのかとか遭難したのかとか、訊ねてもずっと下を向いてるだけでさ。周りがみんな酔っ払いだったから、最初はその女性にいろいろ絡んでいたんだよ。でも、あまりにも反応がなくて、だんだん不気味になってきたんだ。そのうち仲間内で、出てってもらおうって目配せも始まってね。見張り番も、それとなく女性の背中を押したんだ。
――そのときだよ。
「とけない水を知りませんか」
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- 19 : 2014/07/12(土) 08:09:44 :
- 頭から音が飛び出たような甲高い声で、女性がそう言ったんだ。視線は変わらず下を向いているから、最初誰かが冗談で言ったのかなって思った。けど、しばらくするとまた同じ甲高い声がしたんだ。あまりに突然だし、言っている言葉もよくわからないし、何よりその女性は何度も繰り返すんだよ。一度話し出したら、今度はその言葉しか知らないかのように、何度も何度も。壊れたテープのように。その、狂ったような甲高い声で。同じ言葉を。えんえんと。
「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」「とけない水を知りませんか」
みんなが押し黙ったよ。誰ひとり、声を出すことなんて出来なかった。自分が話せるということさえ、忘れてしまったかのように。その間も女性の狂ったような声が聞こえてきて、正直今なら猛吹雪に襲われてもいいって本気で祈ったよ。女性のすぐ近くにいた見張り番なんて、青ざめるなんて通り越した顔をしていたもの。
だけど、突然、豪快な笑い声が聞こえてきたんだ。
「とけない水だって?」
その笑い声は、この訓練の部隊長を務めていた人のものだった。
「姉ちゃん、なんだってそんなもんを探してるんだ? んなもん、外に出たらたっくさんあらぁ! どこもかしこも、溶けりゃあ水になる雪の宝庫だぜ? なあ、おい?」
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- 20 : 2014/07/12(土) 14:08:25 :
- 酒癖は物凄く悪いけど面倒見が良くて部下に慕われてる部隊長は、そう言ってウォッカの瓶を飲み干した。ほんとうに、そのときの部隊長は光り輝いてみえたよ。別に部隊長の髪がないからって理由じゃないけどね。でも、確かに全員が安堵感を感じていたよ。あの部隊長の笑い声がなかったら、僕たちはもしかしたらえんえんと女性の呪詛のような言葉を聴き続けていたのかもしれない。見張り番の彼も、部隊長の言葉に自信を取り戻したみたいだった。あれだけ怯えあがっていた女性に向かって、堂々と出て行けと言い切ったよ。
女性は、部隊長を見ていたような気がしたけど、見張り番に押されるがままに外に出て行った。たった一人の女性を外に放り出すのはどうかとも、あとになって考えたけどね。もうその時はみんなが出て行って欲しいとしか思っていなかったから、誰一人女性を止める人もいなかった。
そして、その後は何事もなく夜は明けたんだ。
待ち望んだかのような朝が来てすぐ、一刻も早く下山しようってことになった。夜のことがあったから、反対意見なんてひとつもなかったよ。だけど、荷造りを始めたときになって気づいたんだ。部隊長がいないって。最初は散歩でもしてるんだろうって特に気にしていなかったんだけど、下山の準備が整っても帰ってこないんだよ。それどころか、朝から部隊長を見た人もいないってことになった。おかしいんだよね。だって、夜までは確かにいたんだよ、間違いなく。あの後、女性がいなくなってからも彼は酒飲みを続けていたから。それは、そこにいる全員が見ていたし、一緒に飲んでもいたから間違うはずがないよね。だけど朝起きてから、部隊長の姿を誰も見かけていないんだよ。
さすがに部隊長を置いて下山するわけにはいかないし、もしかしたら何かあって戻ってこれないだけなのかもしれない。とにかく、待ってみようって話になったんだ。もっともこれがあの部隊長じゃなければ、普通に下山していただろうね。彼は珍しく部下に慕われている隊長だったから。
だけど、いくら待っても彼は戻ってこなかった。お昼を過ぎても、夕方になっても。途中、何人かで探しにも行ったんだけど、まったく見つからないんだよ。結局どうしようかって何度も話し合ったんだけど、日が暮れ始めてから吹雪き始めてしまってね。さすがに吹雪いてるとき下山するのは危険だから、僕たちはそこでもう一度野営することになったんだ。
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- 21 : 2014/07/12(土) 14:27:06 :
- 野営の中でも、話し合いは続いたよ。でも結局のところ、今日これだけ待って帰ってこないなら明日待っていても意味がないだろうってことになってね。中には、すぐにでも下山したいって思ってる人も少なくはなかったから、話は下山する方向でまとまりかけていた。だけど、昨晩見張り番だった彼だけは、どうしても部隊長を待っていたいと言い張ったんだ。隊長が何も言わないでいなくなるわけがない、絶対帰ってくるって言って聞かないんだよ。その見張り番は、部隊長を実の父のように慕っているらしくてね。でも、だからといって過半数の意見を無視するわけには行かないでしょう。そうしたら、彼は全員が下山したとしても自分だけは残るって言い始めた。部隊長が帰ってくるまで、ずっと待ってるってね。まあ、その心意気だけは立派だったんだけど。
それからしばらく、誰も口を開かなかった。見張り番に何を言っても待ってるの一点張りだし、なによりみんながみんな、昨日の一件からほとんど寝ていなかったんだよね。不安と心配、疲れから、次第に眠さの方が増していった。音は、激しい吹雪きの音だけ。それはあまりにも優しい子守唄に聞こえて、疲れた身体を穏やかな眠りに落とすには十分だった。
目が覚めたのは、偶然だった。
最初に、木を打ちつける音が二回。それから間をおいて一回。そして最後に連続した音が五回。そんな音が繰り返されて、いったい誰が鳴らしているんだろうと不思議に思った。それは、この軍の合図だったんだよ。でも、どういう意味だったかなって考えているうちに、野営のテントの入り口が開かれていった。誰が開けたのかはわからなかったけど、少し視線を動かしたらすぐにわかった。あの見張り番の彼だった。今晩は訓練ではないからあえて見張り番を立てなかったんだけど、彼は率先して見張り番をしていたみたいでね。開かれた入り口に立っていた人物を見て、僕はようやくあの合図が何を意味するか思い出した。
“無事生還”。雪山で遭難した者が、仲間に自分の安否を知らせるためのものだった。
そう、そこにいたのは、いなくなっていた部隊長だったよ。見張り番は嬉しそうに部隊長に抱きついていた。僕も起き上がろうとしたけど、すごく眠くて力が入らなかった。ああ良かったなあとか、これで明日はみんなで下山できるなとか思っていたかな。でもね、不思議なんだ。見張り番がはしゃいでいる声はとても大きいのに、誰一人起きる様子がないんだよ。テント全てに聞こえるくらい大声で叫んでいるというのにね。だけど、たぶんそれは不思議でもなんでもないんだ。だって、さっきから見張り番の声しかしないんだもの。
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- 22 : 2014/07/12(土) 14:38:32 :
- その部隊長を知っている人なら、その状況がどれだけ可笑しいかよくわかるだろうね。彼は口から生まれたんだと酒の席で笑い話にするくらい、よくしゃべり、よく笑った。そんな彼が、何も言葉を話さないはずがないんだよ。たとえ深手の傷を負っていても、たとえ凍死しかけていたとしても。彼を慕う部下に話しかけられていて、彼が黙り続けることなんてありえない。ありえないんだよ。ようやく興奮が収まったのか、見張り番もその異常さにようやく気づいたみたいでね。恐る恐る、彼は半歩後ろに下がった。そのおかげで、僕は部隊長の姿がはっきりと見れるようになった。
部隊長は、俯いていたよ。まるで、昨晩の女性のようにね。その時点でなんとなく嫌な予感はしていたけれど、痛いくらい張り詰めた空気の中に、決定打のような声が響いたんだ。
「とけない水を知らないか」
どこからその声が這い出たのかわからないくらい、恐ろしく低い音だった。もう一度、さらにもう一度。例の女性のように、同じ言葉が繰り返された。耳を塞いでも、鼓膜に直接囁かれているようで消えてなくならない。何度目かの声が響いて、このままあの女性のようにえんえんと繰り返されるのかと絶望的に思った瞬間だよ。
「それがわかれば、隊長は帰ってくるんですか」
見張り番の彼が、そう言った。肩は怯えたように震えているのに、迷いのない声できっぱりとね。
だけど、その見張り番の声ははっきりと覚えているのに、その後の記憶が実をいうと覚えていないんだ。眠ってしまったのか、それとも全部夢だったのか。何度思い出そうとしても、本当にそのあとの記憶がぷっつりとないんだよ。あの状況で、急に寝てしまうことなんてありえないはずなのに。
ただ朝になったとき、見張り番は消えていた。なんとなく、そんな予感はしてから驚きはなかったよ。きっと他のみんなもそうだったんだろうね。誰も昨晩の話はしなかったけれど、誰一人探そうと言い出すこともなかった。ただ黙々と下山の準備を始めて、一刻も早くその場から逃げ出すように山を下っていったよ。
それから、僕たちは訓練の終了を告げるとともに、二人の遭難者が出たと上に報告した。結果だけなら間違いのない事実だけれど、真相は紙の上に綴られることはなかった。
多分、もう何十年も昔の話だよ。結局、あの女性は誰だったのか部隊長や見張り番はどこにいってしまったのかは、未だわからないままなんだ。もちろん、彼女たちが口にしたとけない水の正体もね。
でも、実はこの話には続きがあるんだ。
ついこないだのことだよ。仕事で出かけた先で、偶然そのときのメンバーの一人と出会う機会があってね。とても懐かしかったな。あの頃より随分と老けてはいたけれど、快活とした話し方は変わっていなかった。僕は彼といろんな話をしたよ。僕と彼自身が歩んだ軌跡を綴るように、思い出話に花を咲かせていった。話題はどこまでも尽きなかったよ。そしてね、彼は自分が病気で残りがわずかしかないと静かに告げたよ。彼は、自分を終わらせる旅の最中らしくてね。僕に会いにきたのも、そのためだったと聞かされた。うん、見た目はとても元気そうだったんだけどね。それは、本人にしかわからないことなんだと思う。
だからなのかもしれない。彼は、まるで懺悔するかのようにあの時のことを話し始めたよ。
あの夜。
彼もまた、あの合図には気付いていた。部隊長の姿も見えたらしいけれど、彼はただただ怖くて怖くて隅で震えていた。そしてあの恐ろしく張り付くような声が聞こえてくると、とうとう彼は恐怖から涙が溢れだしてきた。だけど、と彼は続けた。もっと恐ろしかったのは見張り番の方だったと。話を聞いていくと、どうも彼と僕の記憶には食い違いがあるみたいだった。僕が聞いた見張り番の言葉を、彼は聞いていなかった。それどころか、見張り番はずっとしゃべり続けていたと言うんだ。部隊長の謎かけがえんえんと響く中で、いっそ場違いのように無邪気に、ずっと部隊長に話しかけていたってね。見張り番の声はどこまでも明るく楽しげに聞こえてくるのに、その話している内容があまりにも不気味で怖かった。今でも耳に残っていると、彼はその時に聞いた言葉を綴りだした。
-
- 23 : 2014/07/12(土) 17:59:07 :
- 「呪われた助けて捕まった逃げられない逃げられない喰われた逃げられない逃げられない逃げられない。捕まった水に捕まった逃げられない逃げられない底底底底逃げられないたいちょうたいちょうたいちょうたいちょう助けて逃げられない喰われる逃げられない逃げられない助けて逃げられない逃げられない逃げられない」
僕の記憶に、そんな言葉を聞いた覚えはない。だけど、彼は確かに聞いたんだと言いきった。忘れたくても忘れられない。歌い出すような声で逃げられないと叫んでは、冗談のように明るい声で助けてと訴えていたと。その光景の異常さに、話すことも動くことも出来なかったと彼は呟いた。ただ、見ていることししか出来なかったとね。
そして突然、見張り番は狂ったように笑い出した。背中を大きく反らして、けたたましく笑い声を響かせた。見張り番は笑い、笑いながら部隊長に抱きついた。そのいう風に見えたと、彼は言った。正直、その時に起きた出来事は未だに本当なのかどうかわからないと続けてね。
見張り番に抱きつかれた部隊長の身体は、突如水のように溶けた。その水はまるで意思があるかのように、見張り番の身体を覆った。すると見張り番の身体もぐずぐずと溶け出し、ひとつの塊となった。そして、その水の塊は、一瞬のうちに再び見慣れた見張り番の姿になったのだという。
部隊長の姿はもはやどこにもなかった。そこにいたのは、ただ一人。見張り番だけだった。その見張り番は、一度だけ振り返ったらしい。だけど結局、見張り番はそのままテントから出て行って消えた。それが、彼の最後だった。
「私の人生における生涯一番の心残りが、あの夜“彼”を救えなかったことだけです」
彼は、僕に微笑んだ。だけどようやくわかったのだと嬉しそうに、だから彼は旅を終わらすのだと言った。僕は気をつけてと見送ったよ。そうしてね、立ち去る彼は、ひとつだけ言い忘れたといって僕を振り返った。
その時僕は、あることを思い出した。どうして気付かなかったのかと、不思議なくらい、振り返った彼のその顔は。
「 」
あの見張り番の顔に、とてもよく似ていた。
――僕の話は、これでおしまい。
その後彼がどうしたかって? それは僕にはわからないよ。彼が僕ではないように、僕は彼ではないんだから。
ああ、そうそう。そういえば、この前小さな地方紙を読んでいたら見つけた記事なんだけどね。眉つばなオカルトちっくの内容ではあったんだけど、その記事がちょっと面白かったんだ。なんでも、自分はこの時代の人間ではないと盲信している人のインタビューだった。内容自体は忘れちゃったんだけど、記事にはその人物の写真も一緒に載っていてね。驚いたよ。
そこに写っていた人物は、まるであの部隊長の姿そのものだったんだもの。
第四部完
-
- 24 : 2014/07/12(土) 18:24:56 :
- 第五部 とある湖畔のクリミ
乾杯をしよう。
いや、何にという訳じゃない。みんなコップは持っているだろう。ああ、それを手に持ってくれ。俺が音頭を取る。
そうだなイタリア、みんな、立とう。
えー、それでは、諸君――……"Prost(乾杯)"!
……ありがとう、着席してくれ。
突然の事に驚いただろうな。勿論、今の行動には意味がある。
再現したかったのだ。『乾杯』を皮切りに、あの一夜は始まった。分厚いガラスを打ち鳴らし、泡立つ液体を飲み干し――"Prost"
沈黙の湖に続くフィルムは、二度とも我々の掛け声と共に回された。
怖い話を始めよう。
いつかの夏、始まりの場所は寂れた田舎街のビア・ガーデン。無人の薄い暗がりで、鳩が人知れず12回鳴いていた。
仮に、名前は――クリミとしよう。
クリミが帰らない。
その時俺達はかなり酔いが回っていて、トイレに立ったきり戻らない彼女に気付かなかった。時計を確認すると、もう30分も経っている。
慣れない土地だ、迷っているかもしれない。
その場にいたのは上司の部下が数名で、皆クリミの同僚だ。5人で手分けして探す事にした。
今思えば街をさ迷う酔っ払いが増えただけだったのだが、ともかく俺達は捜索を開始した。ホテルと周辺、壁に新聞が張り付いた汚い横路地――たまに千鳥足の仲間と出会い、首を横に振りあう。
夜風で酔いが飛び去り、それでもクリミは帰らなかった。
――森に入ろう
誰が言い出したものか、今はもう思い出せない。仲間は皆嫌がっていたから、俺が提案したのかもしれない。――そうだ、多分、いや、俺が言った。
ビア・ガーデンそのものは街にあるが、その街は緑豊かな森と隣合わせになっている。ホテルから借りた人数分の懐中電灯を片手に、俺達は闇色のモミの下へと繰り出した。
結果を言ってしまうとな、彼女は見つからなかった。
帰って来なかった。
そして翌朝、湖の中央で冷たく縮こまっていたところを発見されたのだ。
-
- 25 : 2014/07/12(土) 22:48:27 :
- ――"Prost"
高く鈍く、分厚いガラスが打ち合わされる。
俺は目覚めた。いや、目覚めたという表現は正しくないが……しかし、あれは目覚めたとしか言いようがなかった。
ぼやけた視界いっぱいに黒いモノトーンの影が揺れている。俺は目を擦り、凝らし――それが巨大なスクリーンである事を知り、自分の居場所を悟った。
映画館だ。あの座り心地のいい椅子に、俺はゆったりと腰掛けていた。映画は既に上映されており、それがモノトーンの影の正体だった。
アメリカの家で、最近こういった映画を撮らなかったか。魔女を探すだかなんだか知らんが、カメラが暗い森の中をひたすら歩く映画だ。
違う?すまんな、実を言うとCMしか見ておらん。ともかく、あれを思い浮かべて欲しい。
館内で放映されていた映画は、まさしく、その……ブレウィッチ?なんたらのようだったんだ。――そう、ブレアウィッチ・プロジェクト。ありがとう、アメリカ。そして感謝するからもう黙って貰えないか。
うん?――……あー……それなんだがな。
夢、だったんだ。
ああ。だから俺は状況に少しの疑問も感じなかった。そもそも、夢とはそういうものだろう。お前らだって経験がある筈だ。夢にはその夢だけのルールがあり、我々は夢を見ている間、ルールに微塵の疑問も抱かない。――だろう?
次に映画の内容だが、件の映画においてスクリーンは主人公であり、主人公の視点だった。幹、葉、その奥の闇――また、葉。スクリーンはめまぐるしくモノトーンの割合を変え、暗闇の森を駆け抜ける。
音声はない。
冒頭を見ていなかった俺には、画面が慌ただしく揺れている理由が分からなかった。ただ、スクリーンから抜け出た猛烈な焦りだけが、冷え冷えと肌から心へ染み込んできていた。
目が覚めてからだな。あの映像が――あのモノトーンが、湖を抱くモミの森によく似ていた事に気が付いたのは。
すぐにクリミの事を思い出した。
――あの晩、もっとよく探していたら。
後悔はなんの役に立たぬものと知りながら、俺は俯いて深いため息をついた。
あの白黒の映画のように、クリミも森をさ迷っていたかも知れなかった。それを思うと、俺は内蔵が捻れ暴れるようで……あれほど最悪な朝など、そうそう無かったな。
心から憂鬱だった。無意識ながら俺は既に悟っていた。
つまり――嫌な夢ほど、続きを見るのだという事を。
-
- 26 : 2014/07/13(日) 20:19:30 :
- ――"Prost"
二日目の晩、俺は夢の中でゆっくりと瞳を開いた。
聞こえたのだ、"Prost"。宴の始まりを告げる声だ。
夢の館内では、相変わらずモノトーンの疾走劇が上映されている。幹、葉、闇。淡々と流れる映像と、骨髄に染み込む鈍い焦り――またか、と俺は深々と背をもたれた。
しかしだ。変化が起きた。
前触れもなく画面が大きく揺れたのだ。モノトーンを横長に引き延ばし、カメラが勢い良く来た道を振り返る。背後を確認したのは一瞬の事だ。だが――たったその刹那、明らかに"何か"が写り込んだ。
見知らぬ"何か"。しかし俺は戦慄した。
――ああ、"これ"だ。
昨夜からずっと、我々は"これ"に追われ続けていたのだ、と。
統計やらの根拠のない感想だが、正体の解らんものとは個人的に一際恐ろしいものだと思う。何せ、解らんのだ。対策の立てようがないからな。
沸点を超えた焦りが恐怖に移り変わる感覚に、俺はおぞけ立ち、悲鳴を右手で押さえ込んだ。
早く、どうかもう一度振り向いてくれ。俺に薄暗い恐怖の正体を教えてくれ。祈れど、スクリーンはうっそうと茂る森を疾走するばかりだ。
幹、葉、その奥の暗闇、幹、葉、その奥の暗闇、幹、葉――視界が開ける。
カメラが止まった。スクリーンいっぱいに、のっぺりとした黒い湖面が広がっていた。
振り返ると木の幹の間から、黄色い――黄色い、仮面が、
仮面達が。
ああ、そうだ――仮面だ。
想像してみろ、スクリーンの中央で存在を主張する、生々しい原色の輪郭。それも一つではない。赤と黄色の顔面が、暗闇にぽつぽつと浮き上がる。
解るか?後ずさるスクリーンを、四つの仮面は静かに覗き込むのだ。主人公を、劇場を――観客を。
解るか、本当に解るのか。
髪を掴まれ、何度も何度も湖面に押し付けられ、世界は暗闇と星空を行き来する。揺れて乱れるスクリーンの端々に時折ちらつく黄色の、赤の、四つの仮面の……
――恐怖の正体を知った時の、恐れを上回る、底無しの湖に引き込まれるような後悔を。
"主観"が途切れ、どれほどたったのだろうか。不意に、スクリーンに丸い光が宿った。
月だ。満月が青い湖面を白く切り抜き、その上を小舟が泳いでいる。
音が聞こえる。小舟が波を生む音だ。
小舟は女を運んでいた。濡れた髪に水草を絡ませた、俺のよく知る女を、湖の中央へと――粛々と。
遠く湖の淵からは、嘆き悲しむ人の声が聞こえる。四つの仮面が地に伏していた。
嗚咽を漏らす彼等の指先には、水草の葉が数枚、張り付いている。
死んだ女と、それを見送る殺人者達。それが、映画のラストシーンだった。
そうだ、映画――あれは映画だ。それも、夢の。
長かった本編の割に、エンドクレジットはあっさりとしたものだった。キャストの名前が刻まれたフィルムが、それも予想した通りのものが数秒流されただけだ。
主演はクリミ。そして、"彼女の四人の同僚達"。
それから、一番下に短くメッセージ――
-
- 27 : 2014/07/13(日) 20:38:36 :
- 【湖畔より、親愛なる祖国に捧ぐ――"Prost"】
お前達も知る通り、我々の存在は国民に明かされてはいない。国の運営に関わる一部だけが知りうる事であり、まあ、だからこうして平穏無事に生きているのだが。我々は世界の不思議であり、秘密であり、アキレスだ。
お前達は、"自分"についてどれだけの事を知っている?俺は殆ど知らん。母の腹を通らず、気が付いたら生まれ、よく解らんまま生きてきた。
一切解らんのだ。この体と"国"が、一体どの程度リンクしているかも……例えばもし俺が何者かに暗殺されたとして、その時、国民は、領土は、どうなるのかも。
――ここからは、憶測になるが。残された通信記録等から判断するに、恐らく生前、クリミは『俺』の存在を外部にリークしようとしていた。国家のアキレスを札束と交換しようとしていたのだ。
よって――彼女は消された。
8249万の命と、これから生まれる無限の魂の繁栄の為に。
諸君、聞いてくれ。
俺は人間が好きだ。
彼等は俺を愛し、育て、寄り添ってくれた。
彼等は慈愛の生き物だ。
ずっと身近で見守ってきた、優しい生き物だ。
歌い、踊り、自由と平和を愛している。
しかし、時に彼等は仮面を被る。
ひとたび仮面を被れば、彼等は夢を見るように兄弟を殺す事が出来る。
愛する人を守る為に、愛する隣人を殺すのだ。途方もないエゴは彼等の中で正義として成立する。
思い出して欲しい、湖の漆黒、そして仮面の赤と黄色。あの映画に潜んでいたトリコロールは、揺るぎ無い愛と比例する殺意の象徴に他ならなかった。
彼女の同僚が被らねば、きっと他の人間が仮面を被ったのだ。
恐らく、それだけの事。
諸君、聞いてくれ。
俺は時々、人間が怖い。
第五部完
-
- 28 : 2014/07/15(火) 23:50:25 :
- 第六部 水の中に棲むもの
おや? 私の番ですか。まず最初にお聞きしますが、みなさんはプールはお好きでしょうか?
私ですか?
私は……少し苦手ですね。
爺になると一人で遊びに行く勇気もないですし。
それに怖い思い出もありますから。
これから話すのはその「怖い思い出」です。
あの日は記録的な猛暑だった日でした。
夏の休暇を利用して遊びに来ていたプロイセン君はうだるような暑さに参ったのか、私の家に来るなりすぐにクーラーの真下に陣取ってしまいました。
「日本、もっと涼しくなる方法とかないわけ?」
昼食を済ませ、昼のバラエティー番組をだらだらと見ていたのですが、突然プロイセン君がそう仰ったのです。
「十二分に涼んでいながら何を仰いますか……」
「だってよー。こうも暑いと何にもできねーじゃねぇか」
「そうですねぇ……」
「そうだ! なぁ、日本、プールとか近所に無いのかよ?」
「プール、ですか?」
「おう! プールに入ったもっと涼しくなると思うんだけどよ。日本じゃ川遊びは子供がするもんなんだろ?」
「川遊びは子供限定の遊びではないですよ。では、バスで十分走ったところに、先月できたばかりの複合型の大きなプールに行きませんか? ちなみに今、オープン記念で料金が割引されていて、お得ですよ」
「お、いいじゃねぇか。そこに決まりだな」
私とプロイセン君は急いでプールに行く準備をし、近所のバス停からバスに乗り、十五分ほど時間を掛けて私たちは出来て間もないプールに向かいました。
「でけー」
「我が家では指折りの広さが売りだそうです」
入り口で入場料を支払い、更衣室で着替えを済ませるとプロイセン君は、「でけー!」と叫びました。
「色んなプールがあるんだな」
「本当ですね。では、まずは準備体操を……」
ドーム上の建物の中には大小様々な形のプールがあり、私が止める間もなく、プロイセン君は出入り口に一番近いプールに入ってしまいました。
「冷てーな」
「ちょっとプロイセン君! いきなり入っては駄目ですよ!?」
「よし、日本! 競争だ」
「……ああ……足がつっても知りませんよ」
私はため息をつきたい気持ちになりつつも、しっかりと準備体操をすることにしました。
幸いよく見える距離で泳いでいたので、焦らずゆっくりとすることができました。
「では、私も泳ぎますか」
実はプールに入るのはかなり久しぶりで、とても楽しみでした。
水位は私の胸ぐらいで特別深いとは思いませんでした。私は子供みたいに楽しく泳いでいるプロイセン君のいるところまでカエルが泳ぐみたいにゆっくりと泳いでいきました。
しかしあと一メートルほどというところで、突然右足に痛みが走ったのです。
驚いて振り向くと、居たのです。
水の中に黒くて不気味な人の髪のような“何か”が。
それは私の右足に絡みつき、ものすごい力で締め付けていたのです。
それを見た瞬間絶叫しました。すると締め付けていたそれがぐいっとプールの底へ私を引っ張り、私はプールの底に沈んでしまいました。
必死でそれから逃れようと手で掴もうとしたのですが、なぜか掴むことができず、徐々に焦ってきました。
次第に呼吸が苦しくなり、意識がぼうっとしてきました。
不味い。
-
- 29 : 2014/07/17(木) 23:03:36 :
- そう思った瞬間、私はぐいっと誰かの手によって引き上げられたのです。
「大丈夫か!? 日本、大丈夫か!?」
「げほっ、げほっ」
変なところに入ってしまった水を吐き出しながら、私はプールの底を確認しました。しかしそこにはあの黒い“何か”はおりませんでした。
「おい、日本!」
「プロイセン君……」
私を引き上げてくれたのはプロイセン君でした。周りを見るとたくさんの人たちが心配そうに私を見ていました。
「足でもつったか?」
どうやら誰もあれを見ていないようでした。
「いいえ、違います。……助けてくださり、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げお礼を言いましたが、プロイセン君の顔は険しいままでした。
せっかくのプールでしたが、私が溺れかけたせいもあり、早々に切り上げて帰ることになりました。
帰りのバスに乗って揺られている間、私は携帯電話で少しあのプールについて調べてみることにしました。
すると意外なことが分かったのです。
出来て間もないプールに怖いものは居ないと思い込んでいたのですが、元々とある私立の学校があった土地を、プールを運営する会社が買い取り、プールを作ったようなのです。
そして私が溺れたプールはその学校のプールがあった場所で、当時は何かが出ると有名なホラースポットだったようです。
つまり元々何かが起きてもおかしくない場所だったのです。
それを知った瞬間、鳥肌が立ちましたよ。危うく死にかけたのですから。
あれから私はプールには行っていません。
でもたまに夢を見るんですよ。
一種のトラウマです。
みなさんも新しくできたプールでも油断をしないでくださいね?
第六部完
-
- 30 : 2014/07/29(火) 16:24:57 :
- 第七部 海に漂うもの
は、俺も話すのか?
別にないわけじゃねぇけど、な。
……わかったよ、話してやる。
言っとくけど、そんな怖くはねぇぞ。
俺のところの奴らは海が好きだ。海が見えりゃあ大の大人だってはしゃぐし泳ぐ。バカンスで海に行くやつは多いし海の近くに別荘持ってる奴だって少なくねぇ。観光名所も多いな。
まぁ俺もイタリア男だからな、海は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。
晴れた日の青く輝く海は目を見張るほど綺麗で荒んだ心が洗われるようだし、何より可愛い女の子と知り合いにもなれるだろ?
だから、俺の周囲に奇妙なことが起こり始めたとき、不思議と怖くは感じなかったんだ。
始まりは、誰かに呼ばれてる気がしたことだった。
きちんとした声じゃねぇ、というより音ですらないんだろうな。耳鳴りのような、風の音のような、木霊のような、それどころかただの気のせいのような。そんな感じで、でもなんとなく俺を呼んでいるような気がするんだよ。普段ならそんなことがあれば不気味に思うかイラつくかのどっちかなんだろうけど、その時は別に何とも思わなかった。
それと同じ時期くらいからか?よく水の音が聞こえるようになったんだ。
正確に言うなら、水の音が気になるようになった。
……あ、どういう意味かって?
そのままの意味だよ。どこででも聞こえるような水の音が異様に気になるんだ。
雨音だったり、蛇口から雫が落ちる音だったり、風呂の湯が揺れる音だったり、噴水の音だったり。普段だったら気にならないような生活の中にあふれる水の音が、妙に耳に残るようになったんだよ。
しとしと。
ぴちょんぴちょん。
ちゃぷちゃぷ。
ざぁざぁ
日常の、ありふれた雑音の中でただ水の音だけが俺の意識に入り込んできやがる。
それが当たり前になったころには、今度は波の音が聞こえるようになった。てめぇらも分かんだろ?ざざぁん、ってあの音だ。
別に海辺に住んでるわけでもねぇし、むしろ海から離れた場所にいることの方が多かった。会議で防音設備のしっかりとした建物の中にいることだってざらじゃなかったんだ。
けど、どこにいても波の音は俺の耳に届いた。
音だけじゃねェ。音と一緒に潮の匂いが嗅ぎ取れた。あの独特の、湿気た香り。
海の気配が次第に俺の周囲に忍び寄ってきてたんだ。
その内、その海の気配は俺の生活にまで浸食し始めた。
-
- 31 : 2014/07/29(火) 17:03:00 :
- は、例えば?
…まぁ波の音と潮の香りを感じるは四六時中だろ?俺の感じていた違和感を全然知らない奴から「海の匂いがする」だなんて言われることも少なくなかったな。海なんか行きもしねぇのに「仕事サボって海に行かれたんですか」なんて部下から怒られるし…。俺はあの時はずっと街でナンパしてたっての!って、うっせーぞジャガ芋、てめぇには関係ねぇだろうが!ナンパした可愛い子には磯臭いって断られたぞ、コンチクショー!
…別に匂いだけじゃない。
普段なら近づかねーような静かで暗くて湿った…そうだな、まるで「深海」のような場所が妙に恋しく感じたし、水に浸かってると安心した。……俺ん所じゃ、あんまり湯船は張らないんだけどな。あの頃は毎日風呂に浸かってた。普通に生活しててどうも体が重く感じて、なんで俺の体は“浮かないんだ”って真剣に悩んだこともある。
ペットボトルの水が海水だったことに気付かず飲んで馬鹿弟に驚かれたのは流石に少し怖かったけどな。だってすっげぇ塩辛いのに何にも感じない…いや、普通の水よりもすんなりと喉を通るんだよ。あん時は俺ん家に、南イタリアに何かあったかと思ったぞ。
そんな風に、日常のありとあらゆる場面で海の気配を感じるようになった。
同時に、その「誰か」に呼ばれている気配も強くなった。
ただな、今考えれば明らかに異常な状況なのに、その時の俺は何にも感じなかったんだ。
怖くもねー、腹もたたねー。
少なくとも俺は、それがただただ、当たり前のありふれた、そう、「正常」のことのように感じていた。それが当然で、何にも違和感を感じる必要のないことだと、そう考えるようになってたんだ。
それは、ある冬の日の夜だった。
-
- 32 : 2014/07/29(火) 17:36:38 :
- 急に、な。海に行かなければいけない気がしたんだよ。今すぐ海に向かわなくちゃならない気持ちで胸がいっぱいになった。
……たぶん、呼ばれてたんだろうな。あの「誰か」に呼ばれてるような気配は、はじめの頃とは比べ物にならないくらいに強くなってた。
もう時計の針は頂上をとうに過ぎて、電車もバスも動いてなくて、それどころかタクシーすら見当たらなかったから仕方なく俺は自分の車を走らせた。あの時期は会議直前で、しかも経済も安定しないしですげぇ忙しくて、日付が変わる頃まで資料と格闘してたからもう疲れてへとへとだったはずなのに、途中で眠っちまって事故を起こす可能性だってあったのに、それでも一刻も早く海にたどり着きたくて俺はハンドルを握ってた。
気持ちはもう海に向かってて、それ以外のことなんて考えられなかった。
制限速度も際どい運転で車が傷つくのも関係なしに、ただただハンドルを握りしめてたな。
…冬の、しかも真夜中の海は冷たく闇そのものみてぇだった。
昼間はキラキラと太陽の光を反射して輝く水面が、その時ばかりは大口を開けて獲物を待つ化け物のように思えた。海の黒さと、星も月明かりもない空の暗さが混ざり合って、視界が闇の中に閉ざされたようだった。
冷やされた風が頬を切り裂くみたいに吹き付けてきて、まるでいつまでも突っ立ってる俺を叱ってるかのように思えたな。
風だけで寒いを通り越して痛いんだ、海に触れたときなんて身を切るような痛さなんだろうって、そう頭の片隅で考えてたんだけど、な。
分かってたのに、俺は海へと一歩を踏み出した。
寒そう?
…いや、別に寒くはなかった。痛くもなかった。
それどころか水に浸かってる感触すら感じなかったんだ。何もない普通の空間に、俺たちが常日頃歩いているような地面に足をつけたような、そんな感じだった。
違和感すら、感じなかったんだ。
俺は調子に乗って、…呼ばれてるから行かなきゃいけねぇと思ってもいたし、どんどん深みへと歩いて行った。服も、それどころか靴すら脱がずにな。水面が腰にきて、肩にきて、やがて歩けなくなって泳ぎ始めても、俺は進むのをやめなかった。泳ぎにくさもわずらわしさも、何にも感じなかった。
気が付けば、沖の方まで流れていた。
もう街の明かりがほとんど目に見えなくなって、ようやく俺は一息ついた。
静かに海に浮いて、夜空を眺める。星さえ瞬かない夜空はやっぱり怪物のように思えたけど、俺は少しも怖くはなかった。もうその頃には感覚なんて完全にマヒしてたんだろうな。
そうやってぼんやりと眺めていたら、その内視界に映る空が滲み始めてよ。
いつの間にか真っ暗な海の中にいた。
真っ暗で深い深い海の中で、俺はもがきもせずに漂っていた。
不思議と息は苦しくないんだよ。海の上で浮いていたのとおんなじように、ゆっくりと潮の流れに身を任せてた。もう自分が上を向いてるのか下を向いてるのか判らなかった。もしかしたら海底に経ってたのかもしれねーな。ただ、ふわふわと浮遊感だけがあった。時々体に流れとは別の潮の動きを感じてたから、近くを魚が泳いでたのかも。辺り一面真っ暗闇で視界が効かなかったからわかんねーけど。
潮に流されながら、ああついに潜っちまったのかって思ってたら、今度こそはっきりと名前を呼ばれた。耳に届いたっていうよりも、頭ン中に直接響いたって感じだったな。
声のする方を見れば、女が流れてきた。俺が漂ってたみたいに、ふわふわと潮の流れにのって。
綺麗な女だった。
いつから海にいたのかわかんねぇけど、肌がふやけた様子もないし、顔は苦しそうに歪むこともなく穏やかだった。透き通るような白い肌が暗闇の中でそれは綺麗に映えてよ。長い金糸の髪の毛に、大きな胸、すらっとした長い脚。顔も可愛らしくて、まさに俺の好みドストライク。
ゆっくりと俺に近づいてきたそのベッラは、やがて漂う俺の隣にぴたりと寄り添って言ったんだ。
行きましょう
一緒に
声は鈴が鳴ってるみたいで聞いてて心地が良かった。
-
- 33 : 2014/07/30(水) 11:52:40 :
- 俺は彼女の誘いに、まぁそれもいいかと思ったんだけど……、あん?健全なイタリア男としてベッラの誘い断るとかありえねぇ…、ってうっせーぞ、馬鹿弟!せっかくのベッラの誘いに乗らなかったからここに居んだろーが!
まぁ、ともかく、だ。
美しい彼女の誘いに乗ろうと思った俺は、そこで少し考えたわけだ。
確かに彼女は美しいし、誘いは魅力的だけど、何もこんな暗い海の底にいる彼女がただの女なわけがねー。そもそも女はここに居るベッラだけじゃねぇ。週末には花屋の女の子と食事をする約束もしてたし、男としてその約束を反故するわけにはいかねーだろうが。しかも明日…もう今日なのか?昼ご飯はヴェネチアーノがトマトとバジルのパスタを用意すると言ってたのも思い出した。しかもトマトは昨日スペインが持ってきた採れたての、とびっきりの奴だ。最近は立て込んでて碌な食事をしてなかったから、これはどうしても食べたかった。
……明後日の世界会議の資料は俺がメインで作成していることも思い出したしな。ばっ、スペインてめ、俺にだってセキニンカンくらいあるぞ、コノヤロー!!
ったく。
そこまで考えて、俺はこの誘いに乗っちゃあ不味いんじゃないかと思ったんだよ。いつ解放してくれるかもわからない、それどころか本当に海の上に帰れるかもわからない、こんな怪しいお誘いはな。
君には悪いけれど一緒にはいけない。
僕よりももっといい男を探せよ、ベッラ
そう言って、できる限り彼女を傷つけないように断ると、彼女は俺の右腕にぎゅっと抱きついてきた。
だめ、一緒に行くのよ
貴方がいいの
魅力的な誘いだろ?
自分好みのベッラが柔らかい胸を押し付けて抱きついてきてくれるんだからな。誘いに乗ってみたくもなるってもんだ。
けどまぁどうしても乗るわけにはいかなかったからな。どうやって彼女を説得しようかと困って、それでも手荒なことができなくてどうしようかと悩んでいると。
ずっと穏やかで美しかった彼女の顔が急に歪んで、醜い悲鳴を上げた。
-
- 47 : 2014/08/08(金) 15:47:28 :
- Fuckin 'Jap
-
- 48 : 2014/08/25(月) 17:20:06 :
- もう少し行間開けた方がいいですよ、、、
続けて書くと読みにくくなってしまうので・・・
-
- 49 : 2022/05/29(日) 18:09:08 :
- 続きはよ
-
- 50 : 2022/07/23(土) 02:11:25 :
- ほらりあ好きだったな
百物語と肝試しとかの話もあった気がする
- 著者情報
- この作品はシリーズ作品です
-
ほらりあ 〜怪談集〜 シリーズ
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