6種の複雑時計を創造する真のマニュファクチュール
1735年、ジャン=ジャック・ブランパンがヴィルレ村民名簿に時計職人として登録したことで、290年にわたるブランパンの物語は始まった。18世紀当時、宗教対立が沈静化に向かったことでスイスでも分業による家内工業が台頭し、時計産業が開花したのだ。一方、日本に目を向けると江戸時代のちょうど中間地点にあたり、泰平の世が訪れて産業が発展。たとえば浮世絵がそうである。奇しくも時を同じくして隆盛した文化は、まさに平和がもたらしたものだった。


↑1830年代当時、ヴィルレ最大の時計のマニュファクチュールとしてブランパンの工房は建てられた。画像は1920年頃を描いたもの。
その時代からの贈りものを受け取り、1983年、ブランパンは運命的なターニングポイントを迎えた。現在では時計界のカリスマ経営者として知られるジャン-クロード・ビバーと、名門フレデリック・ピゲの末裔であるジャック・ピゲが手を取り合い、ブランパンを指揮することとなったのだ。そしてクオーツショックが吹き荒れる真っ只中、機械式の伝統を貫くことを宣言。このときに、ブランパンの権威は揺るぎない域に達したといえる。
↑1859年、ルイ=エリゼ・ピゲによってル・ブラッシュに開かれた工房をツールとするブランパンの拠点のひとつ。現在は複雑時計およびメティエダールのアトリエとして活用されている。

かくして現存する世界最古の時計ブランドが、その技術を惜しみなく注ぐコレクションこそ「ヴィルレ」である。伝説的な創業の地の名が与えられただけあり、「コンプリートカレンダームーンフェイズ」「ウルトラスリム」「パーペチュアルカレンダー」「フライングトゥールビヨン」「スプリットセコンドクロノグラフ」「ミニッツリピーター」という、ブランパンが再興時の象徴として自社で開発から製造まで手掛け、同時にマニュファクチュールの条件と定義付けた6種のコンプリケーション=「シックスマスターピース」を現在も揃えている。これらは”複雑時計の揺り籠”とも称されるル・ブラッシュの工房にて、伝統技法を用いて製造されている。


「ヴィルレ コンプリートカレンダー」は、ブランパンが傑出したマスターウオッチメーカーだと証明するに相応しい逸品だ。「コンプリートカレンダー ムーンフェイズ」を備える精巧な複雑キャリバーを実用的なサイズに収めており、ピュアなホワイト文字盤の上部に小窓を2つ設け、月と曜日を表示。日付は湾曲した青針がアプライドインデックス内側の数字を指して示す。そしてハイライトとなる月の満ち欠け表示には、擬人化された月が描かれている。“愛嬌のある顔”は紳士用ムーンフェイズ搭載モデルに共通する詩的な意匠であり、実直な性格のブランパンではめずらしい遊び心あるデザインとして好評だ。さらにこれらの表示は「アンダーラグコレクター」によってスムーズな調整が可能で、リューズは時刻合わせ用に特化させている。この特許技術もまた、ユーザビリティの追求が生んだ秀逸なアイデアといえよう。
↑「ヴィルレ コンプリートカレンダー」のレッドゴールド製ミドルケースの内側。独自のカレンダー調整機構である「アンダーラグコレクター」が備えられている。
https://www.rasupakopi.com/omega_z145.html
ブランパンは時計文化が根付いた地にあえて留まり、古からの自社一貫生産で機械式に情熱を傾けてきた。時流に左右されない一方で、「革新こそ伝統」を哲学とする数々の技術創造により、オリジナリティを育んだ。10年後の創業300年、さらにその先も時計の歴史を創っていく存在であり続けるに違いない。


ブランパンの創業地、「ヴィルレ」の名が授けられた由緒あるドレスウオッチコレクション。繊細かつ上品なリーフ針や独自のダブルステップ・ベゼル、控えめなローマ数字インデックスを基本に、月・日・曜日のカレンダーに加えてムーンフェイズを理想的に配置。