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最愛の殺人鬼Ⅱ

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  1. 1 : : 2013/11/30(土) 20:46:36

    【注意】
    ・このSSは『最愛の殺人鬼』 http://www.ssnote.net/archives/2283 の続編です(最重要)。
    ・オリジナルキャラクターが登場します(重要)。
    ・推敲していないSSです。
    ・シリアス
    --------------------------

    五度目の投稿になります、わたせんです。そろそろ私の存在感も増してきましたでしょうか。
    最愛の殺人鬼で書けなかったリア視点のSSを書いてみました。まだ全然書いていないのですが、おそらく結構長くなることが予想します。ですのでノロノロ更新は大目に見て下さい。
    誤字脱字や他の方と書き方が異なる、文章が未熟など諸々ありますが、ご了承くださいますようお願いします。


    それでは無事立っていたら始めます。

    前作:

    『最愛の殺人鬼』 http://www.ssnote.net/archives/2283
    『もし、リヴァイが死んだなら』 http://www.ssnote.net/archives/2416
    『誰が為に -my dear-』 http://www.ssnote.net/archives/2796
    『とんでも幼馴染にエロ本が見つかった!?』 http://www.ssnote.net/archives/3325


    ***

    2014.10/24
    規約変更前に書き始め、しかもカテゴリー変更が現在出来ないようなので、オリキャラ有ですが未分類はついておりません。ご了承ください。

    長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。無事書き終わりましたので折を見て投稿させていただきたいと思います。

  2. 2 : : 2013/11/30(土) 20:47:53


     世界の果てを目指していた
     そんな物はこの世界にはなかった
     

     世界の果てを目指していた
     旅の終わりに掴んだのは幻だった


     世界の果てを目指していた
     折れた翼はもうどうにもならなかった
     

     それでも、私は世界の果てを見てみたかった
     隣にいる人が、それを望んでいたから


  3. 3 : : 2013/11/30(土) 20:49:48

    「ねぇ、見た?あの新入りの子」

    「ううん……どんな子?」

    「ほら、今あそこにいる。あの髪が黒い子。すっごい綺麗な子だよね」


    女の子たちの話をただぼんやり聞いていた。暗くてだだっ広いだけのじめじめとした部屋――不潔でカビっぽくて、寒い。そこに押し込まれ、もう何日経ったかもわからない。


    「おい、お前ら。殺されたくねぇなら黙れや」


    男の持つ鞭が鳴る。何度も私を打ったその鞭の音は、他の女の子たちを黙らせるには十分すぎるもので。ひっ、という短い悲鳴を残した後は再びの沈黙が訪れた。


    「……だがまぁ、確かにこいつはお前らよりずっと上物だ。お前らはせいぜい娼館へ行くか地下街行きだろうが、コイツは綺麗な身体のまま貴族様の所有物になる」


    壁に張り付いて寒さを凌いでいたこちらに近付き、男は舐め回すような目で私を見つめた。咄嗟に身を守るように両腕を抱いて男を睨むが、相手はそんなことはお構い無しの様子。


    「東洋人でもないくせにそれだけ美しい黒い髪をもつ女は珍しい。それに濃灰色の瞳とくりゃあほとんど東洋人っつっても変わらねぇしなぁ」


    身を固くする私を嘲笑うように間合いを詰めると、男は私の顎を指で軽く持ち上げて目を合わせる。


    「――っ!」

    「……調教のし甲斐がありそうな目をしてる。ボスが見込んだ女なだけはあるぜ」


    自分の腕を抑えていた手。その力が自然と強まり、爪が肌に突き刺さる。僅かな痛みに眉を寄せるが、男は鼻で笑っただけで私を解放した。




    それから私は、この薄暗く汚い、ただ広いだけの部屋で私は二年間暮らすことになるのだが、その時の私はそんなことを考える暇もないほど絶望していた。
  4. 4 : : 2013/11/30(土) 20:53:03


    ――その二年間は本当に惨めだった。


    朝から晩まで、私のように拐われてきた十代前半から二十までの女の子は、交代で様子を見に来る男たちに監視された。そして仕事と称して奴らの溜まり場だという汚いバーの掃除をさせられたり、雑用を任され。それが済んだら奴らの服を洗濯をさせられる。……そして、その仕事でミスをした女の子は、夜になると全員の前で見せしめとして鞭を打たれ、乱暴に抱かれた。私の腕の傷は自傷によって増えていく一方だった。


    「ひひっ、恨むなら巨人を恨むんだな。それがなければお前たちは今でも家族と一緒だったんだから」


    巨人が入ってきたあの日、私は一人で家にいた。私が生まれる以前に父は亡くなり、母は私と姉の二人を養う為に外を飛び回る生活。二つ年が離れた姉もいつしかそれに加わるようになったから、私はいつも一人だった。今私が生きているのは本当に幸運なんだと思う。なぜなら母と姉はシガンシナ区の方に向かったはずだから……。


    (それに、あの時生き残っても、今生きているという保証はない)


    口減らしのために何人もの人間が領土奪還作戦に駆りだされたのはここでも有名な話だった。その作戦には男も女も関係なかったという。そして、その大半が狙い通りに死んでいった。――ならば私の母や姉が生きている可能性は少ない。


    「俺たちは憲兵に金を払ってるからな。だからマリアの住民でもあの作戦に参加せずに済んだんだ。やっぱ世の中金が全てって事だ。っはは!」


    何が可笑しいのか、そう咎める代わりに男を睨みつけた。


    「あ?随分と生意気じゃねぇか。てめぇ喧嘩売ってんのか?あぁ?」

    「――っ!」


    頬を打たれ床に転がる。焼けるような熱さを感じて片手で頬を押さえ、私は冷たい目でこちらを見下ろす男を見た。


    「――おい、そいつには傷を負わせるな」

    「で、ですがボスっ!コイツ生意気な目を……っ」

    「上玉傷つけて価値落としてぇのか。それともお前さんがコイツの分まで一生尽くして働くってか?あん?」

    「……っち」

    唾を吐き捨てると男は去っていった。奴にボスと言われている男、そいつはここでは一番強いらしく、怒らせると死人が出るとか聞いたことがある。並みの奴なら逆らわないだろう。


    「おい女。あまり手を煩わせるな。お前がそのままの状態でいられる理由を考えるんだな」


    知ってる。貴族の玩具――それが私の運命らしいと。そんなのは御免だと思っても、いつか私はコイツらの手に堕ちて、そんなことも考えられないようにさせられるのだろうか。……他の女の子たちがそうだったように。


    (私は嫌だ……普通に生きたい)


    唇を噛み締めて震えた。私は奴隷でも玩具でもない。ただのリア・ブルーメだ。


    「ひっ……い、いや……やめて」

    「はっ!いいぞお前、もっと怯えて見せろや」

    「いや……嫌――っ!」


    外から誰かの悲鳴が聞こえる。私があそこにいないのは、偶然なんだ。本当は私もあそこにいるはずが、一人だけこんな……。


    (もう……死んでしまいたい)





  5. 9 : : 2013/12/01(日) 18:01:57


    「……おい、起きろ」


    不機嫌そうな声に目を開けた。眉間に皺を寄せた私の主人が、床に寝ている私を見下ろしている。――今朝は嫌な夢を見た。あの頃の夢なんて見たくもないのに。


    「ッチ……お前、何故自分の部屋で寝ないんだ。昨日といい今日といい……」


    私は首を傾げる。人売りと生活していた二年間、私は囚われた他の女の子たちや監視役の男たちと同じ部屋で寝泊まりしていた。勿論それは私たちが逃亡しない為であり、多くの女を単に近くに置いておきたかったからなのだろうが……とにかく私は雑魚寝が日常で、よほど寒さが厳しくない限り身体に掛けるものすら与えられなかったから、こうして隙間風の入らない清潔な部屋の床に寝られるならそれで十分だった。

    そんなことを話すと、私に敬語を禁止したこの小柄な主人は、大きく溜め息をつく。


    「そうじゃねぇ。俺は奴隷はいらんと、確かに昨日言ったはずだ」

    「しかし――」

    「しかしも何もない。ベッドの下に女が寝ているだなんて、想像するだけで気色悪い」


    調査兵団、というらしいこの組織に属する兵士長なる肩書きを持つリヴァイ。そう名乗ったこの新たな主人は、私が人売りたちに教えられたどの主人のパターンとも違うように思えた。私は奴らに貴族用の商品として躾られ、けして主人に反抗しない、忠実な家畜としての人生を送ることを強要されていた。だがこの目付きの悪い、けして優しそうには見えない主人は違う。ただ普通にしていろと難しい注文を付けるばかりで、やったことと言えば、せいぜい私に掃除や洗濯の指導をするくらいだ。


    「お前……確か貴族に売られる予定だったんだろう?それなりに値も張った。人売りの方法なんぞはよく知らんが、丹念に躾を受けただろう」


    そう、二年もの間。他にもたくさんいた女の子たちは、皆早くに何処かへ買われていったのに、私だけはずっと残されていた。貴族に好まれる仕草や言葉づかい、考え方――それらを長い時間を掛けてじっくり刷り混み、一番旨い時に売り出すのだと奴らは言っていた。そのタイミングがあの日だったのだ。

  6. 10 : : 2013/12/01(日) 18:04:35

    「……貴族連中の性処理目的ならまず上出来だな。まるで人形みてぇな女だ」


    それは彼なりの侮辱だったのかもしれないが、私はただ黙って肯定するだけに留める。すると、彼は私の顎を掴み、鋭い目をこちらに向け言った。


    「――俺が今抱かせろと言えば、お前は素直に従うのか?」


    まるで脅すかのような低音。


    「それを望むなら、いつでも」


    冷たく光る瞳を見据え、私は淡々と答えた。怖くないわけがなかったし、実際身体が小刻みに震えるのを押さえつけたほどだった。


    「――冗談だ。一回りも年が離れたガキを抱くほど盛っちゃいねぇ。それにその様子じゃお前、生娘だろう。面倒だ」


    その冷たい目が一瞬だけ、無数の爪痕が残る私の腕を捉えたのを見逃さなかった。恐怖を感じる度に増えていった私の古傷――その痕。もう後数秒視線を合わせていたら新たにもう一つ傷が増えていただろうが、彼はもう一度溜め息を吐いて私から遠ざかっていく。

    馬鹿にされる怒りとか、恥ずかしさとか、――そういった感情すら湧いてこないのは、私が既にどうしようもなく壊れているからなのか。


    (それともこの人が本当にいい人で、私を救いたいと思ってくれている。そんな淡い希望を抱いているというのか……)


    考えていると、彼が白いシャツを手にしてまたこちらに近付いてきた。私はまた緊張し、背筋を伸ばす。


    「ほら」


    そしてそのシャツの一枚を放り、唖然とする私の目の前で服を脱ぎ始める。


    「――ぇ?」

    「それを着ろ。……そのロクに肉もない身体なら俺とサイズは同じだろう」


    そう言って私の胸元をちらりと見やる。平坦ではないが豊満でもない、そんな平均的な胸を。そういえば、私と一緒にいた男たちも言ってたっけ。こいつに欠点があるとすれば余分な肉と脂肪が無さすぎるところだ、と。


    「昨日は我慢したが、流石に今日は許さねぇぞ。ハンジみてぇのは一人で十分だ」


    ああ、と納得する。ここに来て今日で二日目だが、私は未だに買われた当時に着ていたボロの平服のまま。洗濯の仕方を教わっても換えの服がなければ洗えないし、そもそも私にそれが許されるのかがわからない。何とか水汲み場で身体を洗うことは出来たが、きちんとした風呂の位置すら教えられていなかった。
  7. 11 : : 2013/12/01(日) 18:06:43

    「でもこれは……」


    一切の皺と汚れを許さない純白のシャツは、手に取るとかなり上質の布が使われているのがわかる。いくらこの新しい主人の命令とはいえ、私ごときが着れるわけがない。


    「構わん」


    そう言って彼は自分のシャツに袖を通す。その身体が小柄なわりにとても引き締まっていて、少しだけドキリとする。いくら辺境の寒村出身の私でも、調査兵団の兵士が何をするのかは知っていた。きっとこの人はこの身体を一日中酷使しているのだと思うと、人は見かけによらないということを改めて感じてしまう。


    (それでも、兵士なのに傷一つないなんて……)


    自分の傷だらけの身体のことを思うと虚しくなるばかりで。鞭打ちや自傷によって付いた傷跡が未だに残る腕を擦ってから、私は上着に手をかける。


    「――おい」


    頭から引き抜こうとする私に、鋭い声が掛けられた。ハッとして手を止めると、ちょうどシャツのボタンを半分まで留めた彼が怪訝そうな顔で私を睨んでいる。


    「男の目の前で平気で素肌を晒すな。それと下はこれを履け。――向こうを向いているからとっとと着替えろ」


    私に白いズボンを放る。全く同じものを目の前の彼が手にしていたが、それを見ずともこれが調査兵団の制服であることはわかる。私は黙ってそれを受け取り、お互い無言のまま背中を向けて着替え始めた。




    布擦れの音だけが響く室内。暫く経って後ろを振り返ると、ちょうど全て身に付けた彼がベルトを装着するところだった。


    「……何見てやがる」

    「い、いや」

    「これは兵士には必要だが、今のお前には関係ねぇ。着替えたなら俺を観察するよりすべきことがあるだろう」


    私は立ち上がる。――いくら身長があまり変わらないからって、ウエストまで変わらないなんて理不尽だ、なんて思いながら。


  8. 16 : : 2013/12/02(月) 19:28:54

    衣類を身につけた私は、すぐに違う部屋に連れて行かれた。その扉の前に立った瞬間。私はその部屋に一度入ったことがあることを思い出す。


    「――クソメガネ。いるのはわかってる。ここを開けろ」

    「えっ!?ちょ、待ってっ」


    どさどさ、という不穏な音を轟かせ、その人物は慌しくドアの方に駆け寄って扉を開けた。


    「えー、今ハンジさんは絶賛お仕事中でして……」

    「んなわけあるか。てめぇが今の時間休憩なのは部下から聞いてる。ったく、また散らかしやがって」


    背の高いその人物を押しのけるように部屋に入り、主人は溜息を吐いた。私もその後に入室するが、部屋の惨状を一目見るなり度肝を抜かれる。――一昨日来た時よりずっと汚い。いや、埃やカビの中で生活していた私よりはマシかもしれない。けれど、自分で掃除出来る自由があるはずなのに、何故こんなに汚いのか……。


    「ッチ……てめぇならコイツを扱えると思ったんだが、この状態では預けるのも不安だな」


    私は彼に腕を引かれてハンジと呼ばれた人物の前に立つ。彼女は私の顔を見るなり気まずそうな顔になったが、すぐに明るく笑う。


    「やぁ、また会ったね。美人さん」

    「……どうも」


    答えて、そう言えば初めて会ったときは何も言わなかったことを思い出す。まぁ、主人が何も言わなかったからそれに従っただけなのだけど。


    「ああ、やっぱり喋れるんだ。もー、てっきり喋れない子なのかと思っちゃったよ」


    そう言って何故か私の頭を撫でる。髪がわさわさとかき乱されて気分が悪くなり、思わず睨みつけてしまうと、ハンジはそれを気にすることもなく更に言葉を続けた。
  9. 17 : : 2013/12/02(月) 19:30:34

    「それ誰の服?あ、もしかしてリヴァイのだったりする?アハハっ!そんなわけないか!」

    「……俺のだ」


    どこか怒ったように答えると、彼はハンジを睨みつける。流石にそれには勝てないらしく、ハンジはすぐに笑うのを止めた。しかしすぐに、


    「――身長、どれくらい違う?」


    と、呟いてしまったため、再び怒りの眼差しを受けることになった。


    「ハンジ。つまらんことを言ってる暇があるなら、コイツを風呂に連れて行け」

    「えー、だってリヴァイがいるじゃん。なんで私が?」

    「お前は腐っても女だろう。コイツは兵士じゃねぇから上官用のシャワー室を使わせてやれ。それともてめぇは俺にコイツを洗わせようっていう魂胆か?」


    私は会話に取り残されてしまい、ただ黙って二人を見ていた。


    (なんでハンジって人が連れて行かなければこの人が連れていくって話になるんだろう……)


    一人では風呂も入れない女だと、子供扱いされているのだろうか。それとも、他に理由が?


    「私は嫌だよ。第一あそこって男女兼用なんだからリヴァイが連れてって置いてくだけでいいじゃん」

    「忘れたのかクソメガネ。上官以外は昔から共同でシャワー室を使ってたが、とうとう当面は俺たちも一度に二名以上じゃねぇと風呂に入れなくなったと」


    そういえばここは資金不足だと聞いたような気がする。さしずめ湯を沸かす燃料を節約しているということか……。でも偉い人たちまでそんな状況だなんて、一体どれだけこの組織は苦労しているのだろうか。


    「うっ……そんなのあったっけ」

    「エルヴィンから封書が届いたはずだ。てめぇはシャワーに興味を示さねぇからいいが、俺はとうにこのクソみてぇな命令を実行中だ」


    彼は怒気のようなものを発しながらハンジに迫る。それに気圧されたのか、ハンジは大きく溜息をついた。
  10. 18 : : 2013/12/02(月) 19:31:34

    「ったく、リヴァイには勝てないなぁ。まぁ、五日くらい前から入ってないし久々に行ってこようかな。今書いてる書類を来週までに終わらせないといけないから、時間が勿体無いって思ってたんだけど」

    「……そのべた付いた髪をどうにかしてこい。俺が行っててめぇの頭皮ごとタワシで擦ってやることも出来るがな」


    そして彼は懐から数枚の布切れを取り出すと、私に向かって放り投げた。


    「綿の布だ。向こうには身体を洗うものなんてねぇからそれを使え」

    「あ、ありがとうございます……」

    「俺はお前の上官でも主人でもねぇ。敬語はやめろ」


    そう言って私を睨み、彼は書類らしきものに埋もれた机を一瞥して嘆息する。


    「ハンジ。コイツを預ける駄賃代わりにここを掃除してやる。触られたら不味いものはどこだ。今の内に教えろ」





    それからドタバタしたハンジがクローゼットを引っ掻き回すのを見ていたり、リヴァイがそんなハンジを腕を組みながら叱咤するのを眺めていた。――まるで喜劇でも見ている気分。ここに自分がいることが不思議に思えるような明るい光景だった。


    「よしっ、私の着替えも持ったし。行こっか?」


    たくさんの着替え(今着ているのと同じものだけど)を持って私に笑いかけるハンジ。その人に腕を引かれながら、私はどこか穏やかな顔をしている主人の横顔を見つめる。――この人はきっとこの温かさが好きなんだろう。そう思うと、少し心が温かくなった気がしたのだった。



  11. 20 : : 2013/12/04(水) 01:22:27

    ハンジという人間は初対面のときに抱いたイメージの通り、面白い人のようだった。


    「いやー、早くさっぱりしちゃいたいねぇ」

    「……はぁ」

    「うっわー、君って滅茶苦茶細いね。もっと食べないと駄目だよ?着痩せしてるのかと思ったらホントに痩せてるなんて、すっげぇ驚きだよ」

    「そう」

    「うんうん。せっかく綺麗なんだから、もっと自分を磨かないと勿体無いぞー」


    服を脱ぎながら私は彼女の話を聞いていた。よく喋る人だと思ったが、まさかこんなにすごいとは思わずげっそりしていた。

    廊下から小さく備え付けられた更衣室に入り、そこで脱衣をしてシャワー室に入室する。使用するときは《女性使用中》というプレートを更衣室の前、つまり廊下に通じるドアに掲げるのが約束だと教えてもらった。上官用のシャワー室というのは見た目こそ普通のシャワー室だったが、一応仕切りとカーテンが付いている。ハンジの話だと、カーテンが付いているのは上官用だけらしく、普通の兵士用のシャワー室は複数人が横並びになって浴びるタイプらしい。


    「ほら、もうお湯でるよー」


    タオルを巻いてシャワー室に入ると、前を隠しもしない素っ裸のハンジが立っていた。私は呆れて溜息をつき、仕切られた内の一つに入り、分厚いカーテンを閉めた。


    「――ん」


    栓を捻ると湯が降ってくる。それを全身で浴びながら、私は久々に感じる“人らしく”居られる感覚に酔いしれた。囚われていた頃はシャワーなんて浴びられず、汲んだ水を沸かしてその湯で身を清めるだけだったのだ。


    (――自由)


    昨日の朝言われたことを思い出す。お前はもう自由だ、そう言われた。実感はまるで湧かないが、こうしてあの頃とは違う人間らしい生活を送れる自分に出会う度に少しずつ気持ちが揺らぐのを感じてしまう。

  12. 21 : : 2013/12/04(水) 01:23:35

    石鹸を泡立て、彼に貰った綿の布切れを使って肌に滑らせる。腕の生傷に布が当たる度に、チリッとした痛みを感じた。――もしかしたら、あの人はこれを予想して柔らかい布を渡してくれたのかもしれない。


    (そんなこと、あるわけない)


    甘えちゃいけない。私はあの人に買われて、あの人は私の主人になったんだから。だからそんなことあってはならないのだ。……あの人に甘えるだなんて。


    「はぁー!たまにだとやっぱいいねぇ風呂って。あ、シャンプーどれかわかる?青いやつだからね」


    隣から響くハンジの声に目を開け、私はシャンプーを手に取った。


    「その髪すごい長いから大変じゃない?でも切っちゃうのも勿体無いよねぇ」

    「何も言われなければこのまま」


    適当に答えて冷たい液体を手で泡立て、髪に伸ばす。――腰の辺りまである長い黒髪は、小さい頃はカラスのようでただただ格好悪く、嫌いだった。私もみんなのように華やかな金髪や茶髪がよかったと、母に泣きついては叱られた記憶が残っている。私のように発色の良い黒髪を持つ人が少ないということを教えられたのは、ある程度大きくなってからだ。それからは何となく嬉しい気がして、自分の髪を洗う時間が延びた。今はもう、この長い髪を手入れする時間が好きになっている自分がいる。だからどんな言葉であろうと、髪を褒められるのは顔を褒められることよりずっと嬉しい。


    「ねえねえ君さ。リヴァイに言われたかもしれないけど、私のことも頼ってくれていいからね」


    ふと聞こえる明るい呟きに、私は顔を上げた。思わず自分の横にある仕切りの方を向いてしまうと、その仕切りの向こうにいるだろうハンジは楽しそうに続ける。

  13. 22 : : 2013/12/04(水) 01:24:22

    「ほらさ、リヴァイって口が悪いでしょ?あいつってああいう言い方しか出来ないから、きっと胸に刺さるときってあると思うんだ。そうしたら私のところに来てほしいなって」

    「別にそんなこと……」

    「あはは、君精神強そうだもんね。じゃあさ、単純に私が暇だから来てほしいってことでどうかな?」


    私は何も言えずに黙って手を動かし続けた。ハンジは暫く沈黙していたが、私が何も言わないことで察したのか、さっきの言葉に付け加えるように言う。


    「――リヴァイには私から言っとくからさ」


    懇願するような物言いに、私は溜息をつくことで返した。


    (何故、私はこうも親しげにしてもらえるのだろうか)


    私は売られていた女だから、汚い印象しか持ってもらえないと思っていたのに。それなのに彼といい彼女といい、あまりに私の扱いが丁寧すぎる気がした。乱暴に扱われる未来しか見ていなかった私には、そんな扱いをしてくれる人とどう接していいのかよくわからなくて……。


    (ここの人はみんな不思議だ)


    今はただ、この環境に慣れるまで翻弄されるしかないのが悔しかった。私だってそれなりのプライドがある。壊れていると言われても、人形のようだと言われても――それを望んだことなんて一度だってなかった。それなのに運命という一言で堕ちた私を今更この人たちはどうしたいというのだろうか。


    (――わからない。今はまだ)


  14. 25 : : 2013/12/05(木) 02:39:35

    そして、あっという間に時は半月ほど流れる。


    「えっと……リヴァイ。これはこっちでいい、の?」

    「ああ、それはここでいい。あれをそっちにやれ」


    壁外調査の前の最後の休日。調査兵団本部はピリピリとした空気に包まれ、掃除などの雑用を任されている私にとっても居心地の悪い空間になっていた。そんな中、全ての仕事を早めに切り上げたリヴァイは急に部屋の移動を宣告したのだ。

    そう、私は彼の命令で主人にも関わらず名を呼び捨てることになってしまった。リヴァイ兵士長とせめて呼びたかったのだが、彼はプライベートまでその名で呼ばれることをひどく嫌う。そのため、結局私は主人とその奴隷という関係とは大きく矛盾する生活を強いられていた。


    「よし、これで大方終わりだ」


    部屋の移動、と言っても実際は物の移動と言うほうが正しかった。私がリヴァイの部屋に居つくようになってからもう随分と経った。いくら上官用の広い個室とはいえ、仕事部屋でもあるこの部屋が私のせいで手狭になってしまうのはしんどいものがあったのだろう。そこで、リヴァイの部屋の隣にある空き部屋との境にドアをつけ、突貫工事で部屋を二つにした。そのため、私たちは新しく出来た部屋の掃除と、寝具や衣類などの移動をしている。


    「おい、そいつには触るな」

    「あっ、ごめんなさい」

    「一々謝るな。服の整理は自分がやって当然だろう」


    私は丁寧に並べられた彼の服を見つめた。リヴァイは制服と下着以外の服を持たない。だから服の整理と言ってもたいしてすることもないのに。


    「お前もいい加減に服を買え。金なら渡す」

    「わ、私はボロか古着で平気だから……」

    「ッチ……。その上下白って組み合わせも見飽きたと言っているんだ。それに俺の古着にも限界がある」


    面倒くさそうに言って、リヴァイは自分の服をクローゼットにしまう。私はすることもなく黙って立っているしかない。


    「お前、まさか未だに自分を奴隷だとか思ってないよな」

    「えっ……」


    今まさに考えていたことを当てられてしまい、私は思わず声を発してしまった。それを見てリヴァイは冷たく私を睨むと、呆れたように口を開いた。


    「……なんの為に敬語を禁止し、名を呼び捨てにさせていると思ってんだ」

    「それは、リ、リヴァイが嫌うから――」


  15. 26 : : 2013/12/05(木) 02:40:44

    「馬鹿いえ。当然お前を普通にするためだ。それがエルヴィンとの約束だからな」


    エルヴィン・スミス。調査兵団の団長だというその人とは、実はあまり会う機会がなかった。ただ、リヴァイがその人を深く信頼していることは知っていた。そのため、エルヴィン団長の命令はリヴァイにとって絶対。


    (でも、それじゃあ私は……)


    それじゃあ私は二重の命令で縛られているということになる。絶対の絶対。そんなの抗えるわけないじゃないか。


    (ようするに、私は“普通”にならなければいけないということか……)


    誤魔化すことならいくらでも出来ると思っていた。実際、今この状況も誤魔化しているはずだった。形だけ敬語を取り払い、形だけ名前を呼び捨てにする。心の中で服従していればそれでいいと、敬っていれば自分の価値を保てると、そう思っていた。

    囚われる前の私はもう死んだと思っている。――だから、ここにいる私はおそらくリア・ブルーメという人間の屍だ。だからもう、今の私には何も残ってはいないのだ。確かにリヴァイに名を問われた時はリアと名乗った。でもそれは便宜上の記号のようなもので、今の空っぽの私が名乗るには相応しくないものだと思う。それを察してか、リヴァイの方も私の名を呼んだことはなかったし、私の名を他の誰かに公表することもしない。


    ――リヴァイは本当に察しのいい主人だ。


    それを再確認した今、私が言うことは一つしかない。


    「ごめんなさい……」

  16. 27 : : 2013/12/05(木) 02:41:59

    「訊きたいことがある」


    しかし、そんな謝罪の言葉を遮るように、彼は私の顔をしっかりと見つめて問うた。


    「お前はあの時。自由になりたいと、そう思ったんだろう?」


    ……確かに私はそう思っていた。あの時――リヴァイと目が合った瞬間。まさに私はそう思った。ここから逃げ出したい、と。だから頷く。

    でも――、


    「私はそれでも、私だから」


    リア・ブルーメは死んだ。あの暗くてだだっ広いだけのじめじめとした部屋――不潔でカビっぽくて寒い。そんな部屋で無残な最期を迎えたのだ。誰にも看取られず、何も遺すことなく逝ったのだ。人形と呼ばれた私はその残骸で残り滓。――そんな人以下の存在に、自由になりたいなどという望みが許されるわけないじゃないか。

    だがリヴァイはその綺麗な灰色の瞳をこちらに向けたまま、穏やかな声で言った。


    「調査兵団の紋章――お前も知ってるだろう。“自由の翼”だ」

    「自由の……」

    「そうだ。人類は随分長いことこの壁に囚われている。――例えるなら籠の鳥といったところか。調査兵団はその籠から飛び立つことを目指す兵団だ。真の自由を取り戻す為にな」
  17. 28 : : 2013/12/05(木) 02:43:03

    ――籠の鳥。人類全てが壁という籠に囚われた鳥なら、私もまた同じ。それなら、私は更にそれより一回り小さい籠に囚われた……つまり二重に囚われた鳥だというのか。


    「お前のそれはあの壁より頑丈か?違うだろう」


    リヴァイの瞳は鋭く、私を捕らえて離さない。私の濃灰色の瞳より薄い灰色は、月明かりに照らされた水面の様に見える。


    「“自由”を望む者を俺は求めていた。生きる意志のある者を、戦う者を。お前にその意志が垣間見えたからここに連れてきた。俺の期待を裏切るな」

    「……私にどうしろと」


    思わず自分の口をついて出た言葉にハッとした時には、既に彼は眉間に皺を寄せていた。


    「――抗え。どんなやり方でもいい。“自由の翼”を背負うに値する人間になれ」




    その言葉の意味を私が理解するのは、もう少し後のことだった。

  18. 29 : : 2013/12/06(金) 00:56:56

    「……リヴァイが生きてて良かった」


    それから一ヶ月後、壁外調査から帰ったリヴァイを前にして、私はそう呟いた。

    今回の遠征は普段より短く、二日間だけの短期遠征だ。何でも次の遠征に備えた物資の輸送が主だと聞いた。その為多くの兵士は荷馬車護衛。出現する巨人も数が少ないとの予想の為、リヴァイを含めた精鋭たちが遭遇した巨人全てと戦うことになっていたらしい。実際その計画は上手くいき、今回の遠征での死傷者は過去最少に抑えられたという。


    「そうか」


    間違いなく、調査兵団の快挙であるはず。なのに、リヴァイは帰還後も浮かない顔のままだった。私が話しかけてもどこか上の空のまま、普段の倍くらい険しい顔をして机に向かって書類を片付けていた。


    「おい」

    「え……?」



    次の瞬間。突然立ち上がった彼によってベッドに押し倒され、私は両手を封じられていた。


    「――動くな」


    冷めきったその灰色の瞳はただただ空虚で、私の顔を映しながらもどこか遠くを見ているように見える。それを私は見つめながら、恐る恐る彼の名を呼ぶ。


    「リヴァイ……?」


    両手を封じた彼の手のひらに力が込められる。――痛い。だが、それを訴えることは彼の目が許してくれなかった。
  19. 30 : : 2013/12/06(金) 00:58:14

    「――エーミール・グレッツナー、デュドネ・ロロット、カロリーネ・シャイベ、ラーシュ・ヴァルデゴード、ローデリヒ・ブリュックナー」


    五人の名を読み上げ、彼は静かに睫毛を震わせた。


    「戦死者だ。今日の壁外調査のな。五人ともお前と歳が近い。それが今日死んだ」


    私にはわかった。今彼が心に何を抱えているのか。半月の間ずっとこの目を見てきたのだから。


    (悲しい、悔しい、やるせない……そう思ってるんだ)


    それでも表情自体はいつもと同じ、機嫌の悪そうな顔。けれど、細められた目には涙こそ浮かんでいないが、その代わりに冷たい悲しみが宿っていた。


    「……何の犠牲なくして、何かを変えようと思うことは、おそらく愚かなのだろう。それでも人を捨て駒にすることに悔いを感じない人間にはなりたくねぇ――そう思うことで生きてきた」


    そうか、と納得する。リヴァイはおそらく……、


    「エルヴィンの判断に従った結果。俺は今日、五人を見殺しにした。そうしなければ更に被害が拡大する可能性だってあったからだ。実際、死んだ奴等以外は無事帰還した。正しい判断をしたと言えるかもしれん」


    しかし、と続ける。


    「俺が違う判断をしていれば……例えば、俺が単身で突っ込めば奴等は生きて壁内に戻れたかもしれない」


    (おそらく、リヴァイはこの理不尽な世界に怒ってるんだ)


    手に力が込められ、私は苦痛に顔を歪めた。それを知りながらもリヴァイは徐々にその力を増していく。まるで私の手を握りつぶそうとするように。
  20. 31 : : 2013/12/06(金) 00:59:16
    「自分が生き残って良かったなんて、思えると思うか?」


    いっそ、怒りをぶつけてくれればいいのに、と思った。そうすれば、きっと彼はもっと楽になっただろうに。――こんなに悲しい顔を私も見ずにすんだのに。


    「……泣いてる」

    「俺が泣いている?そんなわけないだろう」


    ――私には泣いているように見えたのだ。そのやるせなさが滲んだ口調や、怒りに震えた瞼に、確かな悲しみを感じたのだ。


    「俺は兵士長だ。時に多数の為に少数を切り捨てるという、非情な判断を迫られることがある。少数が犠牲になったからといって、一々悲しんでなどいられるか」

    「じゃあ何故リヴァイは……」


    ――何故、貴方はその灰色の瞳をそんなにも揺らせているのか。その瞳に浮かぶのは涙以外の何だというのか。


    「俺には泣く暇などない。死んだ奴等がせめて無駄死にでないように、その意志を引き継ぐ必要があるからだ」

    「意志を……引き継ぐ?」


    それは一ヶ月以上共に暮らしていて、初めて聞いた話だった。


    (それこそがこの人を泣けなくしているもの……)


    「私には無理なのか?その……リヴァイの背負うものを軽くすることは出来ないのか?」


    こんな時でも主従関係を維持しようと思う私もどうかしている。だが、何故かその言葉だけは心の底からふっと浮き出たような気がした。


    (この人を助けたいだなんて、思うなんて)


    私には湧いて出たその思いが、どちらの私の思いであるかわからなくて。

  21. 34 : : 2013/12/08(日) 18:09:50

    「これは俺が背負わなくてはいけないものだ。他の人間に背負わせるわけにはいかない」

    「そう……」


    痛いほどに力を込められていた手が少しだけ緩む。リヴァイは一旦私から視線を逸らせると深く息をつき、再び私の方を向いた。


    「すまなかった。お前に当たるなんてどうかしていた」

    「……私が悪かった。あんなことを言わなければ」


    リヴァイが生きてて良かったと、元々そう言ったのが原因だったはずだ。なら謝るべきは私のほう。間違っても彼ではない。


    「いや違う。クソっ……お前に気を遣わせるつもりはなかったんだ。俺もまだまだ自己管理が甘いな」


    彼はそう言ってから私の両手を開放し、ゆっくりと上体を起こそうとした。


    「あ?」

    「え……?あっ」


    その腕を咄嗟に掴んでしまい、私は自分自身の行動に呆気にとられる。――なんで、どうして?


    (どうしよう、誤魔化さなければ……)


    「あ、えっと……その」


    けれど、私自身でもわからないこの行動の理由に、彼が納得するような回答を出すことなど出来るはずもなく。みっともなく取り乱して慌てる姿を晒しただけだった。


    「えっと……なんとなく」


    彼の瞳は私を映すばかりで、そこには何の感情も表れていないように見えた。


    「離せ」


    だから、そうリヴァイが言ったとき、私はただ俯いて手を離すくらいしか選択肢が残されていなかったのだ。

  22. 35 : : 2013/12/08(日) 18:11:15

    「ごめんなさい」

    「――違う」

    「え、」


    次の瞬間、また理解出来ないことが起こった。いや、今回のこの感覚は理解出来た。だけど、何故?


    「リヴァイ?」


    彼の重みを一身に受けながら、彼の体温を感じながら、――私は彼の腕の中でただ放心する。


    (抱き締められて……る?)


    とても懐かしいけれど、どこか違うという不思議な感覚。幼い頃母にされていたようなそれよりも、その抱擁は力がこもっていて、本音を言えば痛いくらいだった。


    「リア」

    「え……」


    初めて彼に名前を呼ばれた。名乗った時から一度だって呼ばれていないから、もう絶対にその名で呼ばれることなんてないと思っていたのに。……しかし、驚いた私を無視するように、その絞り出されたような声はこう続ける。


    「俺のことをどう思う?」

    「そ、れは……」


    答えていいかわからなかった。――自分を買った主人だ。そう言うことも出来た。だけど、リヴァイはそれを認めないだろうことを私は既に知っている。ならば私がしなければならないのは、そういう答えではないとわかるのだ。でも、正しい答えが見つからない。


    「……正直、わからない。仕えるべき対象だとは思ってる。けど、それだけじゃないような気がするのも事実」

    「そうか」


    一日の半分は彼の傍にいたから、石鹸の香りが染み付いた匂いには慣れていたつもりだった。だけどこうしてきつく抱きしめられると、普段よりも強くその匂いを感じてしまう。思わず涙腺が緩むのを感じて、それを悟られないように固く目を瞑った。


    「このままいけば、俺はお前を壁外に送ることになるだろう」

    「それは、私を巨人の餌にするということか?」

    「――馬鹿か。少しは前向きに考えろ」


    呆れたようにそう言われてしまい、私はロクにない知識を掻き集めて悩む。壁外、というと調査兵団関係であることは間違いない。けれど私は兵士ではないし、今だって雑用をすることで何とかここで食べさせてもらっている状況だ。とても何かの役に立つなんて思えない。リヴァイは前向きに考えろと言うが、私に出来ることといえばせいぜい巨人の気を惹くための囮――つまり餌役になるくらいしかないように思う。

  23. 36 : : 2013/12/08(日) 18:12:16

    「お前を、調査兵団に迎え入れることを検討しているんだ」


    私を抱く腕に力が込められたのを感じたから、今度は説明されなくてもその意味を察することが出来た。


    「私は……戦えるのか?」

    「すぐにやれと言うわけじゃねえ。勿論訓練はさせるし、何なら訓練兵に志願してもいい。それくらいの猶予はもたせるつもりだ」

    「訓練兵に……」

    「だが、俺はここまで来て迷ってる。選択出来ずにいる」


    ――え?


    「それは、私が訓練したとしても使えないほど無能に見えるから?」


    リヴァイは首を振った。


    「お前を戦わせたくないと、そう思っただけだ。適正の有る無しでもないし、お前が無能だと思ったことなんてない。俺もこの環境に慣れすぎて気持ちが緩んでいるんだろう。……これじゃあ糞眼鏡を馬鹿に出来ないな」


    確かに、戦わせたくないだなんて、まるでハンジのような意見だなと思う。常に人の前に立っている彼とはまるで違う。


    (弱っている……のか?)


    リヴァイに限ってそんなことはないと思いつつ、先ほどからの彼の様子を見ていれば、そう結論付けるしかない。


    (私を抱きしめるのは、人恋しいから……とは違うか。他の誰かの代わり、でもないだろうし。なら、私を失いたくないと、そう思ってくれているのか?)

  24. 38 : : 2013/12/09(月) 16:57:01

    「リヴァイは、何故私を選んだ?兵士になれる人間なんて、腐るほど存在する。いくら調査兵団が資金不足の人材不足だったとして、リスクが大きい私をわざわざこうして囲ってまで繋いでおく必要がどこにあるの?」

    「そうだな。確かに、お前をここに置いておくのはだいぶ面倒だ。だが――」


    そう言ってからリヴァイは言葉を置く。まるでその先を続けるのを躊躇うような間の後、抱きしめていた腕を緩め、真っ直ぐ私の目を見つめて口を開いた。


    「お前と初めて目を合わせた時、俺はお前の生きる意志を感じると共に、こう思った。――似ている、とな」

    「似ている?誰と……」

    「俺だ。物心ついたばかりの俺と似ていると思ったんだ」


    リヴァイはそう呟くように言ってから一度起き上がり、私の隣に寝転んだ。私は主人と一緒に寝ているわけにはいかないため、慌てて起き上がろうとした。しかしそこで待てと言う彼の命令に従わないわけにはいかず、どこか気まずいまま、同じようにベッドに横たわるだけしか出来なかった。

    目を合わせられず、仕方なしに天井を仰ぎ見る私。彼は盛大に溜め息をつくと、中断していた話を続ける。


    「お前は俺の過去についてどこまで知っている」


    リヴァイの過去。それはここに来て一週間くらいの時にハンジから少しだけ聞いたから、断片的な知識だけは持ち合わせていた。


    「ウォールシーナの地下街にいたこと、そしてエルヴィン団長によってここに連れて来られたとだけ」

  25. 39 : : 2013/12/09(月) 16:57:46

    こうして並べてみるとなるほど。売られていた私が、リヴァイに買われてここに連れて来られたのと、よく似ている気もしなくはない。


    (だけど、きっとそんなことじゃない)


    そう思った私は、彼の更なる言葉を待った。リヴァイは再び躊躇うような間を開けてから、どこか重そうに口を開く。


    「地下街に行く前、俺はスラムにいた。そんな俺にある一番古い記憶は、水溜まりの汚ねぇ水をすすった記憶だ。そん時はまだガキでな。ロクに知識もねぇもんだから、襲ってくる空腹を紛らわせる為なら何でも飲んだ。泥が混ざっていようと、犬の小便が混ざろうと選ぶ余裕さえなかった。当然腹を壊して死にかけた。……そんな記憶だ」


    絶句した。地下街やスラムのことは噂でしか聞いたことがない場所だった。難民がそこにいるとか、治安がとても悪くて殺しは当たり前だとか。しかし、現状がどうであれ、幸せな幼少期を過ごした私には彼の生きていた世界はまるで別世界。信じられないくらい酷い世界だったのだ。


    「気付いた時には既に母親はいなかった。顔すら覚えてねぇ。どうせ俺を産んですぐ死んだか、娼婦かなんかが仕事の邪魔になって俺を捨てたんだろう。ガキだった俺の周りは、ヤク中か娼婦ばかりでな。ヤクに溺れた男共が乱暴に女を抱く光景だけは、幼い頃に何度も遭遇した」


    身体が震えるのを感じて、思わず両腕を抱き締める。そんな私を横目で見つめると、リヴァイは申し訳なく思ったのだろうか。睨むようなその目を細め、若干の穏やかな顔を作る。


    「そうか……確かにお前もそういう光景は見てきただろうな。だがお前のその記憶は忘れろ。もう必要ない記憶だ」

    「いえ……平気」


    脳裏に焼き付いた女の子たちの悲鳴を追いやるように頭を振り、私は顔に浮いた冷や汗を拭った。忘れなくてはいけない。私があそこで見た光景なんて。男の機嫌を損ねる度、酔う度……状況は色々あった。その度に耳を引きちぎりたくなる勢いで繰り返される悲鳴など。もう、ここに来たのだから忘れよう。
  26. 40 : : 2013/12/09(月) 16:59:15

    「食い物は大人が捨てたものか、ヤク中が目を離した隙に盗むかしかなかった。それでもカビが生えたパンが主食だったし、時には飛んできた鳥を捕まえて生で食った。水はさっき言った通りだ。当然のように風呂にも入れんし、服はボロより酷い布切れ一枚。家も当然ないから路上で寝るのが当たり前。自分でもよく生き延びたと思うくらい劣悪な環境だった。実際、何人かいた他のガキは一人二人を除いて殺されたり、病気や怪我で死んだ。死が当たり前の世界だ」

    「死が……当たり前」

    「俺自身、生き延びようだなんて思ったことはない。ただ腹が減るから盗み、痛みから逃れるために駆けた。まあ、そんな状況を生き残った俺は、ある時糞みてぇなその場所を離れてみようという気になったんだ。そして目についたのが地下街だった。幸い地下街も広くてな。殺される危険が増す代わりに食い物には困らない場所というのがあった。賭博とヤクの売買、そして強奪の世界だ。――そこで俺は人を殺す術を学んだ。人間は脅威と戦わなければ生き残れないと悟った」


    (戦わなければ……生き残れない)


    その言葉は素直に私の身体に染み渡っていく。まるで幼い頃に聞いた御伽噺の一節のように、心地よく心に溶けていく。

    そう、人はいつだって無力だ。だがそれを嘆き、苦しみを認めてしまえば、待っているのは死だけだ。そこにはこれっぽっちの夢や希望も存在しない。ただの虚。しかし人は戦うことが出来る。それを選択することは許される。そして、戦うことを選んだ者にだけ自分の結末を選ぶことが許されるのだ。――生き残るという結果を、選ぶことが許されるのだ。
  27. 44 : : 2013/12/11(水) 20:19:55

    「地下街と言っても別に日光がまるでないわけじゃねぇ。老朽化した天井が落ちた所からは空が見えた。そこから飛ぶ鳥を眺めながら、俺は自由に飛び回ることに憧れたんだ」


    お前はその時の俺だった、とリヴァイは言う。


    「お前のような女は何度も見たが、どれも絶望に染まったような死んだ目をしていた。だが、お前は違う。その目は理不尽な世界を恨み、自由を渇望する目だと、そう確信した」


    彼は私に手を伸ばし、髪を一房だけ手に取ると梳くように指を通す。


    「こっちを向け」


    リヴァイに命じられ、私はせっかく逸らしていた視線を彼に向ける。獲物を狙う猛禽類のような鋭い視線に見つめられると、心の奥に秘めた言葉まで見透かされるような気がしてしまう。


    「相変わらず人形みてぇな顔だな」

    「……そう」

    「違う。表情が読み取れないという意味じゃねぇ。美人だと言っているんだ」

    「褒めて……るの?」


    何の感情も浮かんでいないような彼の目が私の顔を見つめる度、少しだけ照れくさくなるのを感じた。


    「正直に言ったまでだ。褒め言葉として受け取るならそうしろ。……俺は恋やら愛やらには興味がねぇ。寧ろ不要だと嫌っているくらいだ。だがお前は素直に美しいと思う。――特にその髪と目の色。俺と同じに見えて、実はずっと深い色をしている。死なせるのが勿体ないと思うくらいには気に入った」

    「……目はともかく、髪を誉められるのは嬉しい。一番気をつかっているから」

    「だろうな。――リアよ、聞いておけ。俺はお前に過去の自分を見た。いつか暗い地下から、明るい地上に出てやろうと誓った俺をだ。お前が望むなら、俺はいつでも翼の使い方を教えてやる。それをどう羽ばたかせ、空へ飛ぶかはお前の勝手だ。だが忘れるな。調査兵団にいる限り、常に死と隣合わせになることは避けられん。いつ、どこで、誰が死ぬかは誰にもわからねぇ。……おそらく、俺はいつかお前を死なせることになるだろう。それを承知の上で、選ぶのはお前だ」

  28. 45 : : 2013/12/11(水) 20:21:11

    「命じられれば、私は何でもする」


    私にはそれを選択するのは難しいことだった。……死ぬのが怖いんじゃない。自分の力で未来を選ぶのが怖かったのだ。


    「情けねぇが、俺にはお前の処遇を決めることは出来ない。それに俺はまだお前の上官でもない。人類の為に心臓を捧げろと命じられるのは兵士に対してのみだ。ただの一般人であるお前に命令など出来るはずないだろう」

    「でも貴方は――」

    「俺はお前の主人でないと、何度も言わせるな。命じられなければ何も決められないほどてめぇはガキじゃねぇだろう。それと、戦うことを拒んでも当面は調査兵団に置くことは決まっているから安心しろ。……猶予はやる。それまで自分の在り方をじっくり考えろ」


    そう言ってリヴァイは私に背を向けた。それはまるでこれ以上の会話を拒むようで、私は少し切なくなる。


    (この人でさえ決められないのに、私に決められるのか……)


    リヴァイと似ていると言われた私。けれども、ちっとも似ていないと思う。境遇も、心の持ち方も彼には全く届かない。……宝石と石ころを比べるくらい違う。自分に彼が思うほどの価値がないことは私自身がよく知っているのに、何故こんなにも彼に気を遣われているのかわからなかった。


    「最後にもう一つ。……俺はお前を死なせたくない。だからお前がどちらを選んでも、その結果を尊重しよう。戦うも戦わないも、どちらにしてもお前が選ぶことに意味がある」




    それから、結局私は一年以上も結論を出せずにいることになる。それまで待ってくれた調査兵団の人間たちには、とても感謝しきれない。


  29. 47 : : 2013/12/14(土) 11:00:14
    期待!
  30. 50 : : 2013/12/16(月) 18:00:48

    「ふぅ、やっと終わった」

    「お疲れ様」


    リヴァイとの話から、また少し時が流れた。私はここ最近の日課として、ハンジの部屋に居座っている。よくは知らないが、リヴァイとハンジでは仕事内容が若干違うらしく、ハンジの方は机に向かって何かをしていることが多い。そのため、掃除や洗濯などの仕事を終えた私にとってここはちょうどいい休憩場所だった。


    「あ、いたんだね。飲み物ならそこのテーブルにあるよ?」

    「知ってる。第一テーブルを片付けたのは私じゃないか」


    比較的親しみやすいハンジとは気が合った。多少変わっているところもある人ではあるが、それ以上に彼女の人となりが荒んでいる私には心地良かったのだ。


    「なぁ、ちょっと訊いていい?」

    「何?」


    せっかく奨められたのを飲まないのもどうかと思ったので、紅茶を啜りながら答える。すると、ニヤリと不気味な笑みを浮かべたハンジの口から、私の心臓に打撃を与える質問が飛び出してきた。


    「確かまだ十七歳だよね。恋とかさ、興味ないの?」

    「恋!?」


    頭を殴られたように足元をふらつかせ、私は唖然とする。ハンジはその反応を楽しんでいるのか、意地の悪い顔をしてみせた。


    「だって女の子ってそういうもんじゃない?君は兵士と違って恋愛し放題だし、なんかいい人いないの?」


    ハンジがこういう話題に興味をもつのは予想外のことで、私は何て答えればいいのか咄嗟に思い浮かべることが出来なかった。


    「私は……そんなことは」

    「リヴァイとかどう? あー、でも年が離れすぎか。しかもあんな粗暴な奴普通は嫌だよねー」


    がはは、と豪快に笑う。こういう状況はともかく、仕事が一段落した時のハンジは面白くて好きだった。だからこの空気を壊してしまうのが惜しくて、私は自分の気持ちを伝えられず、ただ俯く。


    (……恋愛なんてしたことないからわからないだなんて、言えない)


  31. 51 : : 2013/12/16(月) 18:01:18

    私の生家があったのは、ウォール・マリア東の寒村だ。人口がとても少ない村で、若者と男は本当に貴重な存在だった。女や年寄りは畑を耕し、数少ない働き盛りの男は協力して猟に行く。そんな村。

    私の家はそんな村でも異質だったろう。何故なら父はなく、母は物心ついた子供を置いて出稼ぎに行っていたから。家には常に子供が二人残されているだけだった。

    私と姉は村に育てられたと言っていい。けれど、私たちはけして母の愛情を受けずに育ったわけではない。母は家に帰る度、私たちにたくさんの土産話をしてくれた。子供の頃から薬学に優れていたという母は各地で薬を売っていて、そこで知り合った人々に話を聞くのが好きな人だった。そんな仕事をしている母を私たち姉妹は尊敬していたから、家に残されるのは仕方のないことだとずっと思っていた。

    だが、母がいない間は寂しい日が続く。村には一番年が近い者で七つ上。私より二つ年上の姉はともかく、私とは全く気が合わなかった。年を重ねるにつれ私から離れていく姉の背中を見つめながら、私は一人でいることが多くなった。そして、私が十三歳になった夏。とうとう姉は母と一緒に村を出て稼ぐ道を選んだのだ。

    話し相手もいない中、大人たちに混ざって畑を耕す毎日。孤独を感じこそすれど、とても恋愛するといった状況ではない。



  32. 52 : : 2013/12/16(月) 18:02:50

    「君最近更に綺麗になった気がするし、勿体ないよ。ただ痩せすぎだよね。……体重どれくらいなの?」

    「知らない……。元からあまり食べられない性質なんだ」


    母や姉はどちらかと言えばふっくらしている部類に入る人だったから、多分顔も見たことない父からの遺伝なのだろうと思う。


    「ここに来たときと比べれば顔色もいいし、随分とマシになったとは思うけど……。一度しっかり健康診断受けないと駄目だね。はぁ、勿体ないもったいない」


    言いながら私の腕を掴むハンジ。頼むから、そう揉むように手を動かさないでほしい。正直言って痛い。


    「ちょ――」

    「肉も脂肪も筋肉もない。はっきり言って骨と皮の身体だけど。筋肉ばっかの女の子しかいない調査兵団からすれば可愛い女の子だからねぇ」

    「別に、何も変わったことなんてないのに……」

    「いやいや。私たちみたいに訓練漬けの毎日を送ってる子と比べたら全然違うよ?うちの飢えた男たちに追い回されてない?」

    「特には……」


    そう答えつつも、この間洗濯を終えた後。いつもの道を通って帰ろうとした際に大柄の男三人に囲まれたことを思い出す。


    (あれは少し焦ったな)


    私の格好は無地のスカートにリヴァイがくれたシャツだった。そんな姿の私が手ぶらで本部内を出歩いているのが珍しかったのだと思ったが、それにしては彼らの目は違う色をしていたように見える。


    「……私は少し大人しくしていた方がいいかもしれない」

    「いっそ調査兵団に今こういう子がいますって紹介出来ればいいのにねぇ。あ、でも顔が知れたらファンクラブなんか出来ちゃうか!あはは」

    「笑い事じゃない……」


    咎めると、悪いねと謝ってはくれた。私はここに仕事をしに来ているのであって、ファンクラブを作りに来ているわけではないのだ。その辺りはきちんとしないといけない。


    「君ももう少し覇気というか、貫禄つけないとね。そうすれば人も少しは考えると思うよ」

    「貫禄か……」

  33. 53 : : 2013/12/16(月) 18:03:47

    それはどうやったら身に付くのかと言いかけて、私はふと思いついたことを代わりに口にする。


    「それは、口調とか仕草でもいい?」

    「ん?ああ、そうだね。確かにそういうところから徐々になりきるのもいいと思うよ。なんかカッコいい人の真似でもしてみたらどう?」


    ハンジは冗談っぽく言うが、私はその言葉を結構真面目に考えてみる。確かに、役になりきるというのは案外効果的かもしれない。問題がその役なのだけど……。


    (こう思うのは不敬かもしれないけれど、彼は口があんまり良くない。ただ、仕草というか雰囲気はすごくピッタリだと思う。あの恐ろしい目つきさえ真似しなければ貫禄という点では申し分ない気がする)


    リヴァイをそう分析して、今度は目の前で楽しそうな顔をしているハンジについて考える。


    (ハンジはどちらかと言うと楽しい人間だ。でも、私は彼女が自分やリヴァイたち以外の人間と話すところを見たことがない。もしかしたら部下には存外真面目な話し方をするかもしれないし、おそらく彼女はその辺りを使い分けることが出来る人間なのだろう)


    ならば、私が真似るべきはちょうど中間くらいか?


    「ただ君みたいな子は多少威圧的になる部分があってもいいと思うんだ。格闘術なんかの知識がないぶん、口や態度では勝たないとここじゃ辛いから」


    なかなか難しいことを言うなと思う。私は半分紅茶が残るカップに口を付けると、大きく息を吐いてから口を開いた。


    「なるほど。じゃあ私はこれから少しだけ威圧的に、貫禄があるような話し方や仕草をすればいいのか」

    「え?あ、うん。そうすれば悪い虫は寄ってこないと思うって話だねぇ」


    役になりきったらリヴァイはどう思うだろうか。そう思って、多分彼なら何も言わないのだろうなと結論付けた。


    (でも、リヴァイとハンジに表面上だけでも近づけるのなら、それは私にとって幸福なことなのかもしれない)


    私は残り少ない紅茶を一気に飲み干して立ち上がる。それからハンジに紅茶と貴重な話の礼を言って部屋を飛び出した。

  34. 54 : : 2013/12/20(金) 00:11:05
     
     兵舎の裏手にはいつも人がいない。薪や壊れた椅子やらが積まれたこの場所を知ったのは、ここに連れて来られて五日目のことだった気がする。訓練場から食堂がある建物へ行くにはこちらからの方が近いのに、意外と普通の兵士には知られていないみたいだった。


    (今日は通るだろうか……)


     リヴァイはこの人気のない場所を近道としてよく使っている。その為、訓練が終わる夕方になれば、ここで彼に会えることはほとんど私の常識となっていた。


    (まだ、後四時間はある……)


     私は早く彼に会いたかった。先ほどハンジと話したことをリヴァイにも伝えたかった。


     ――私は変われる。もう何度も小言を言われなくてすむかもしれない。


     彼は常に普通にしろと繰り返していたから、私は焦っていたのだと思う。さっきの会話。――きっかけは私が男に絡まれないようにするということだった。けれど私は途中で思い出したのだ。自分らしくあれ、普通にしろ、人形じゃない。そう言われ続けていたのに、私は今になってもまだ彼を満足させることが出来ずにいた。それじゃいけない。だから、こうして変われるかもしれないきっかけを掴んだ今、私は興奮していた。


    (ただ変わるんじゃない。リヴァイやハンジのような人間に近い人になれる。これならきっと満足してくれるだろう)


     私は自分の考えを彼に話して、おそらく褒めてもらいたかったのだ。元からはっきりとした己を持たなかった私が初めて自分を持つ。それは一度死んで空っぽになった私に新しい魂が入るようなものだ。リア・ブルーメが生き返る。それを喜んでもらえないなんて、そんなわけないと思った。


     ――時間はたくさんあるし、少し時間を潰そう。


     薪が山のように積まれた一角に腰を下ろす。そして遠くから響く喚声を聞きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。





     それは、夢だったのかもしれない。

     覚えているのはたった二つ。うとうとする中、誰かの声を聞いたこと。

     目覚めた私の背中に、調査兵団のジャケットが掛けられていたこと。それだけ。

  35. 56 : : 2013/12/23(月) 00:53:57

    「リヴァイ」


    夕食の席。私は人目があるにも関わらず彼を呼び捨てにして呼ぶ。こうした時はいつも辺りが騒がしくなるのだが、私は決まって無視するようにしていた。


    「何だ」


    テーブルの上で湯気を上げるスープを見ながら、リヴァイは面倒くさそうに返事をしてくれる。兵士の数がここだけまばらなため、彼の小さな声は比較的よく通った。


    上官たちは普段から一番静かな壁際の席にいることが多い。その周りを囲む少数の兵士たちも皆、班長やそれに近い何らかの役職を持つ人間ばかりだと、前にハンジに教えられた。


    「やぁ、さっきぶりだね。今日は久々にみんな揃ってるし、楽しく食べようじゃないか」


    リヴァイの向かいに座ったハンジが自分の隣の椅子を引いてくれる。私は遠慮がちにそこに座り、ちょうど斜め右に座るリヴァイを見つめた。私の手には綺麗に畳んだジャケットが握られたまま。そして案の定リヴァイはジャケットを脱いでいた。


    「これ、ありがとう」


    ジャケットを差し出すと、短い舌打ちが返された。何故彼が不機嫌なのかがわからず困惑していると、ハンジが小声で教えてくれた。


    「……さっきさ、ミケに言われたんだよ。「女の匂いがする」って。それで不機嫌になってる」

    「女の匂い?」


    そういえば、人を嗅ぐ癖がある人がいた。一言二言しか交わしていないけれど、とても体格の良い人だったように思う。初めてここの団長を見た時もかなり圧倒されたのだけど、それ以上にすごい人だと記憶している。


    「フッ」


    そう、こんな風にニオイを嗅いだ後鼻で笑う――。


    「えっ?」


    慌てて後ろを振り返ると、そこには私を見下ろす大男の姿があった。料理の乗った盆を持った彼の後ろには、同じように料理を運ぶエルヴィン団長の姿もある。


    「あ、えっと……」

    「我々も御一緒させてもらうよ?構わないだろうリヴァイ」

    「……何故俺に訊く」


    エルヴィンの問いに対し、リヴァイは機嫌の悪そうな口調で返す。一方ミケは特に何も気にしていないのか、無言で私の向かいの席に座った。


    「私にはどう見ても機嫌が良くないように見える」

    「――そりゃそうだろう。なんせ」


    そこで言葉を区切り、リヴァイは座ったまま後ろを振り返る。隣にいるハンジが笑いを堪えるように俯くのを感じ、その動作の意味を知る為にリヴァイの見る先を見やった。


    「見ろよ。あれが例の……」

    「おいっ!兵長がこっち見てるぞ」

    「うわぁ、リヴァイ兵士長に遂に彼女出来ちゃった」

    「あんな美人じゃお前勝ち目ねぇよ。諦めてオレと付き合ってくれよな」

    「ちょ、マジきも……」


    私が見たのは大勢の兵士たちがこちらをチラチラと見ている姿。どれもリヴァイが一瞥すれば普段の会話に戻るのだけど、一度目を離せばまたこちらを指差して噂話に興じているばかりだった。それをリヴァイは忌々しそうに、ハンジは半笑いで、エルヴィンとミケはそれぞれ呆れ顔と無表情で見つめている。私はといえばただ困ってオロオロするばかりだ。

  36. 58 : : 2013/12/24(火) 00:51:14

    「――さっきからずっとあの調子だ。ガキ共が調子に乗りやがって……」


    苛々とした口調を隠すこともせず、彼はそう呟いてから脚を組みなおした。


    「ミケも絶対狙ってやったでしょう?あんな人前でリヴァイを嗅ぐなんて」

    「俺は正直だからな」


    ハンジは良くやったとばかりに笑顔になってミケ分隊長に向かって指を立ててみせた。それを彼は鼻で笑い、俗にいうお誕生日席に座るエルヴィン団長に向かって口を開く。


    「……次の壁外調査も近い。たまにはこういうお遊びもあいつ等には必要だろう?」

    「ああ、ただあまりリヴァイを怒らせないほうがいい」

    「……エルヴィン。俺は既にだいぶ腹を立てているぞ」

    「いいじゃんいいじゃん?大体兵士長様に彼女だなんて面白いじゃない!」

    「削がれたいのか」


    私はその会話にすっかり取り残されてしまった。結局ジャケットのお礼も上手く言えないまま、弾む彼らの会話に聞き入るばかり。それは聞いているだけでも楽しいのだけど、いつの間にか開始していた食事中もただ黙々と聞くだけでいるのは少し寂しく思えた。


    「ほらそこ、もっと食べないと駄目だよ?」

    「あっ……」


    食事する手が止まっていることをハンジに指摘され、私は慌ててスープを掬う。私の食事は誰が便宜を図ってくれたのかは知らないが、基本的に幹部たちと同じメニューを食べる事が許されている。ただ、置いてもらっている身でそれではあまりにも図々しい為、食事全体の量を半分にしてもらうことで何とかしていた。
  37. 59 : : 2013/12/24(火) 00:53:11

    「それしか食べないから大事なお肉が付かないんだよー。ほらほら食べる食べる」

    「あ、いらな……」

    「いいから」


    気を遣ってくれているのか、ハンジはよく私に自分の分を分け与えてくれる。小食なのは本当なのだけど、どうやら彼女には永遠にわかってはもらえないようだ。


    「おいお前」


    先ほどから私たちの様子を見ていたリヴァイが突然口を開く。私はハッとして手を止め、彼の方に顔を向けた。


    「……後で馬小屋に来い。話がある」


    そして足早に席を立ち上がり、食堂を出て行ってしまう。よく見れば周りにはもう人気がなく、エルヴィン団長やミケ分隊長はとうの昔に席を立っていたようだった。


    「さて、私もそろそろお暇したいのだけど……」


    ニコリと笑ったハンジは最後の一口を食べ終えると、そのままの表情で私に囁く。


    「リヴァイさ、本当は怒ってないんだ。あれは彼なりの怒ったフリだよ。見分けが全然付かないけどね」

    「――え?」


    驚いて声を上げたが、ハンジはそれ以上何も言うことがなかった。ふんふんと機嫌よく歌いながら、彼女もまた席を立ち上がる。後に残された私はリヴァイとの約束を果たす為に急いで食事をするしかなかった。




  38. 60 : : 2013/12/24(火) 00:54:52



    夜の馬小屋は苦手だった。馬小屋というより、馬小屋の付近の薄暗さが苦手というか……。とにかく私は一刻も早くリヴァイと会いたい気持ちになって、早足で小屋の中に入る。


    「――リヴァイ?」


    小声で彼の名を呼ぶと、一頭の馬の前にしゃがんでいた彼が立ち上がり、こちらを振り向く。その手は馬の背を優しく撫でていたから、おそらくそれが彼の愛馬なのだと知る。


    「遅かったな」

    「ごめんなさい」


    彼はそのままこちらに近づき、腕を組んで面倒くさそうな顔をしてみせた。


    「お前に新しい仕事を与える。どうせ今のままでは暇だから、今日もあんなところで眠りこけてやがったんだろう?」

    「え、あ、はい……ごめんなさい」


    思わず敬語で返事をしてしまい、しまったと思った時には彼の眉間には皺が寄っていた。慌てて訂正するにも、既にそれも遅いということがわかっているため何もしないまま再び謝る。


    「ごめんなさい」

    「……これから気をつけろ。それで仕事だが、お前にはある馬の世話を任せたい」


    そう言ってリヴァイは馬小屋の奥へ歩き出し、一頭の黒い馬の前で足を止めた。人にあまり慣れていないのか、神経質そうに鼻を鳴らすその馬を、私は怖々見上げる。


    「お前にこいつの世話を任せよう。先週連れてこられたばかりの乗り手がいない若い馬で、人慣れしていないが他の馬よりずっと脚は速い」

    「そんな馬を私に?」

    「馬には乗れるか?」


    小さい頃母に手ほどきを受けたから、多分今でも乗れるはずだ。そう説明すると、リヴァイは少し満足そうに頷く。


    「悪くねぇな。なら俺なしで町へ行くときもコイツを使え。馬もねぇままじゃ不便だろう」

    「でも……」


    ……馬は高い。特に調査兵団の馬は他の馬と違うから余計に値が張ると聞いたことがある。兵士でもないのにそんな大切なものを任せていいのだろうか。いや、絶対に良くないだろう。


    「世話の駄賃だと思え。特にこの馬は俺の馬と同じ血統だ。俺が許可を出したと言えば皆納得するだろう」


    そう言って彼は馬の頭を撫でた。不安そうな目をしていた馬だったが、彼の優しい手つきに安心したのか、頭を垂れて大人しく撫でられていた。

  39. 61 : : 2013/12/24(火) 00:57:12

    「……俺の馬だが、次の壁外遠征には使えない。それどころか、怪我が治らなければもう二度と使えねぇだろう。ハンジのやつは多少その方面の知識も持ち合わせているみてぇだが、兵団に配られる薬以上の物は作れねぇ」


    私は彼の馬がいるところへ視線を向けた。負傷というからには、脚なのだろうか。そういえば、先ほどリヴァイは馬の前にしゃがんでいた。あれは馬の傷の具合を診ていたからではないのか?


    (……悲しそうだ)


    表情こそ変わらないが、馬の頭を撫でる彼の横顔は悲しんでいるように見える。


    「アイツが無理ならこの馬に乗るしかない。だからお前にこの馬を託す。俺は最後までアイツを見捨てるわけにはいかねぇからな」


    待った。薬なら――。


    「えっと……リヴァイの馬、見てもいいか?」

    「あ?」


    馬に乗れるかと問われた時、ふと思い出したことがある。それは母の記憶だ。


    「私の母は薬を作っていたんだ。だから私も簡単な薬の作り方を習ったことがある。それは人間用だけれど、もしかしたら……」


    私はリヴァイの顔色を窺うようにその横顔を見つめた。彼は息を一つ吐き、再び彼の馬の前まで歩いていく。私もその後を追い、彼と並ぶようにして馬の前に立った。


    「奇行種と遭遇した時に倒壊した瓦礫が当たったようだ。この通り立ち上がることは出来るようだが、せいぜい小走りがやっとと言ったところか」


    そして前脚を指差した。私は屈んでその脚を診る。かなり深い切り傷だが、患部は既に塞がっていた。手を伸ばして触ってみると、苦痛を訴えているのか馬が鼻を鳴らす。うっかり蹴られでもしたらこちらの命が危ないので、私はそれくらいにして立ち上がった。


    「これなら次の壁外遠征は無理でも、ずっと走れないということはないと思う」

    「ほう、何故わかる?」

    「昔、転んで石で脚を切ったことがある。その時に母は裏庭で取れた雑草を磨り潰して傷に塗ってくれた。傷口が塞がっても暫くは薬を塗り続けたんだ。多分、馬もそうすればいいと思う」


    私は母が裏庭で取ってくる草を覚えていた。それはどこにでもあるような普通の雑草なのだけど、母はそれでいいのだと笑って教えてくれた気がする。


    「この馬の手当ても任せてくれないか?勿論あの馬の世話もする」

    「これ以上悪化させないなら、そうしよう」


    リヴァイは珍しく積極的な私に少し戸惑っているようだったが、一応馬を治療する許可をくれた。

  40. 62 : : 2013/12/24(火) 00:58:17

    「私はまだリヴァイの役に立っていない。……今日だってそう。せっかくこれから変わろうと思ったのに、貴方に世話を焼かれてばかり。ならばせめてこれくらいは役に立ちたい」

    「……そうか」


    彼は自分の馬に舐められながらそっと呟いた。そこで私は今更ながら、さっき食堂で返したジャケットを彼が着ていることに気づく。

    私がうっかり寝てしまったあの場所は、結構砂埃が酷い場所でもあった。その為、彼が私に掛けてくれたジャケットはひどく砂で汚れてしまっていたのだ。いくら日々訓練で砂埃やその他の汚れに塗れようと、リヴァイは夜になれば丁寧にその汚れを落としているのを私は何度も見てきた。だから潔癖な彼がそのままジャケットを着られるように、私は食堂に向かう前に一旦部屋に帰って砂埃を落とした。けれども、食堂で返した時、彼はジャケットを受け取りはしたもののそれを着ることはなかったから、私のやったことは無駄だったのかと思っていたのだ。


    (私は食堂を出てすぐにここに向かった。多分、リヴァイが部屋に戻ってジャケットの汚れを点検する時間なんてない)


    だから私のやったことは結果的に彼に認められていたことになる。それが少し嬉しかった。


    「最近お前はよくやっている。掃除や洗濯も申し分ない」


     多少詰めが甘いが、と付け加え、リヴァイはこちらを向いた。


    「お前はけして役立たずではない。リアよ」


    彼がその名で私を呼ぶ時、いつもその灰色の瞳は真っ直ぐ私の瞳に向けられていた。彼のこの眼はあまりに強い力を持っている。おかげでいつも私はその瞳から目を離すことが出来ない。


    「次の壁外遠征でまた大勢死ぬだろう。今回は長距離で、前回とは違う。俺やエルヴィン、ハンジやミケも、いつ命を落としてもおかしくはない。それが調査兵団というものだ」

    「知ってる。前回リヴァイに教えてもらったから」


    私は巨人を見たこともなければ、戦ったことすらない。そんな私にリヴァイは恐怖を教えてくれた。――誰もがすぐ命を落とす、その恐怖を。


    「俺がもし、ポックリ逝っちまった場合。お前はどうする?」


    その真剣な瞳に見つめられ、私は思わず生唾を飲み込んだ。


    (リヴァイが死ぬ?そんなの、あり得ない)


    彼は人類最強の兵士だ。そんな簡単に死ぬはずはない。ない。……ない。


    「……お前が食堂にやって来る少し前、ハンジに聞いた」


    それはおそらく昼間話していた内容だろう。そういえば、その話をするために私はリヴァイと会いたかったんじゃないか。
  41. 63 : : 2013/12/24(火) 00:59:23

    「お前は勘違いをしている。お前が思うそれは、人形から人間になることじゃねぇ、演じる役を与えられ、人間に使役される操り人形になることだ」


    ――操り人形?


    「最近お前の話し方が少しづつ変わってきたことには気づいている。それは良い兆しだと思っていた。だが、方向性を誤ってしまっては話にならん。お前は俺になるつもりか?」


    違う。私はリヴァイやハンジの様に強くなりたいのだ。己をきちんと確立している人間になれば、きっと喜んでもらえると思ったから。


    「貴方の様に強くなれば、満足してくれると思っていた」

    「……やはりそうか。仕方のねぇ奴だ」


    舌打ちの後、彼はそう言って深く溜息をついた。私は申し訳ない気持ちで一杯になる。


    (こうやって困らせるつもりはなかったのに。喜んでもらえると、そう思っていたのに……)


    いつもそうだ。私のやることは空回りばかり。それどころか彼を落胆させるばかりじゃないか。これではいつまでたってもリヴァイを喜ばせることなんて出来るわけがない。


    「ごめんなさい……」

    「本物のお前はどこにいる?偽者でも人形でもない。本物のお前とはいつ会える?」


    (わからない。私にはわからないんだ)


    「今のお前にとって、俺はまだ主人なのだろう。その状態で俺が消えればお前はどうなる?簡単だ、出番のない人形は箱に片付けられる。お前もそれと同じだろう。……俺が帰るまでにもう一度自分についてよく考えろ。そろそろあの質問の答えも欲しいしな」


    あの質問。それは私を調査兵団の兵士として迎え入れるか否かという話だ。


    「お前の顔もだいぶ知れていることだろうしな。そろそろただ置いておくだけというのもしんどいものになっている。いい加減にお前の立場を決めたい」

    「……わかってる」


    今の私ではそう答えることしか出来ない。それをわかっていてリヴァイは私に決断を迫るのだ。時間はもうないと。


    「壁外遠征から帰る日、俺が無事生きていれば答えを聞こう」



    そう言い残し、馬の背中を一撫でしたリヴァイは馬小屋から立ち去る。後に残された私は自分に任された二頭の馬とそれぞれ軽く触れ合ってから、夜風が身体に堪える前にリヴァイの部屋に帰る。部屋に戻った私は、再び彼と言葉を交わすことなく眠りについた。

  42. 64 : : 2014/01/03(金) 00:42:30
    今更ながら重大な誤字を修正させていただきます。


    >>63

    「本物のお前はどこにいる?偽者でも人形でもない。本物のお前とはいつ会える?」

    が正解です。本当にすみませんでした。
  43. 65 : : 2014/01/04(土) 22:53:17

    そして時が少しばかり過ぎ、調査兵団は再び壁外へと出発した。結局リヴァイの馬はその日までに傷が癒えず、私が最初に任された若い馬が代わりを務めることとなってしまった。しかし、その傷は私たちが予想していたよりもずっと早くに癒える見通しで、彼の愛馬が戦線に復帰するのはまず確実であると確信出来た時は心底ホッとしたのを覚えている。

    正直、母から受けた薬の手ほどきはまだ幼い頃の微かな記憶でしかなく、自信もなければ薬効の保証も出来ないほど不確かなものでしかなかった。それでもとりあえず馬の治療という成果を残せたのは、調査兵団に連れてこられても何も出来ずにいた私の強い思いがあったからに他ならない。

    今回の壁外調査は帰還まで数日掛かると事前に聞かされていた。みんなが帰るその日まで、この広い敷地で私はたった一人。最低限の食料だけ残され、後は全て自分で賄った。……もうこんな生活を始めて3日になる。前回の遠征は2日掛かったのに短距離だったというから、今回はどれだけ待たされるのだろうか……。

    ウォールローゼからウォールマリアまでの距離なんて、ほんの数キロな筈だった。2年前までは半日ほどで壁から壁まで移動出来たのが、今では調査兵団の精鋭たちですら2日掛かっても辿りつけない道となってしまっている。苦労して巨人を排除し、マリア奪還ルートを拓いても、次の遠征でその道に巨人がいないとは限らない。廃墟となった街は行く手を阻み、最短距離での進行を妨害する。かといって回り道をすれば、それだけ時間と兵を犠牲にする。だから調査兵団は、その瀬戸際で活動しなくてはならない。

  44. 66 : : 2014/01/04(土) 22:54:16

    私は今まで全く知らなかったのだが、今いる幹部たちが現在の役職を名乗るようになったのも、つい1、2年前のようだった。つまり、調査兵団はまだ新しくなって間もない兵団ということだ。新体制への移行は完了していても、細かい取り決めなどは模索中。それと同じように、壁外調査についてもまさに“やってみなければわからない”といった状況に違いなかった。壁が破られて2年も経つのに、あまりに私たち人類は無力だったのだ。

    だから、今まさに彼らはその身をもって模索している。人類の為に調査兵団がどうするべきか。ウォールマリアを奪還する為にはどうすればよいのか。ある時夕食の席で団長が言っていた。壁外調査は予定通りにいかないことの方が多い、と。そのため長距離だろうと短距離だろうと関係ない。何の成果も上げられずに引き返すことすらある。そう聞いた。前回は本当に運が良かったのだと、ハンジにも何度か念を押された。今回は“予定では”長距離にすぎない。だから一週間掛かるかもしれないし、あまり巨人と遭遇しなければ3日で帰れる。逆に運が悪くても3日で帰るだろう。リヴァイすらもそんなことを言っていたのだ。


    「よっと」


    私は水が入った桶を床に置く。リヴァイの大切な馬を世話する為の水だった。地面にしゃがみ、だいぶ私に慣れた馬の機嫌を伺うようにして脚の傷を見た。傷、といっても既に影も形もなく、毛がまだらに生えているのがここだけでなかったら、毎日見ている私でさえわからないくらいのものだ。


    「元気そうだね」


    そっと撫でると、馬は低く鼻を鳴らす。もう前のように苦痛そうな様子は見受けられない。こうして馬小屋で生活する分には何の支障もないくらいには回復したのだ。もうすぐ普通に走れるようになるだろう。
  45. 67 : : 2014/01/04(土) 22:55:28

    「ねぇ、リヴァイたちはいつ帰ってくるんだろう」


    私は馬の前にしゃがみこんだまま話しかける。勿論、答えが返ってくることはないため、これは単なる独り言だった。それでも私はみんながいなくなった寂しさと不安を払拭したくて、藁が敷かれた床を見つめながら呟く。


    「すぐに帰ってこないってことは、上手くいってるのかな。当然だよね、だってみんなはとても頭がいいもの。きっと全員揃って帰ってくるに違いない」


    その全員とはおそらく、出発した内の何人かを欠いたものである。それは頭では理解しているものの、私は全員生還を願わずにはいられなかった。……ただ、それは人が言うような“綺麗な善”の感情から思うのではない。生きて帰らぬ兵士を悼むリヴァイの姿を見たくないからという限りなく“汚い善”の上に成り立つ願いだった。


    (汚いな、私)


    自嘲し、私は立ち上がって馬の背を撫でた。まるで彼の馬に彼の代わりをしてもらうように、静かに語りかける。それはきっと懺悔だった。


    「リヴァイは他の誰よりもすごく強い。だから彼は私が心配せずとも、一人でも巨人を抹消することが出来る。それと比べ、私は役立たずなばかりか、臆病で腰抜けだ。今の私では共に戦うことも出来ず、リヴァイたちが戦うところを指をくわえて見ていることしか出来ない。――私は人形と呼ばれてしまう程に壊れている。きっともう人には戻れない。それでも彼に従って人に戻ろうと思ったら、こないだのあのザマだ。……でも、このままじゃ私は人に戻ることでこのちっぽけな人生を費やしてしまうだろう。それでは駄目なんだ。だって私はリヴァイの喜ぶ顔が見てみたい。いつか彼に喜んでもらえるなら、こんな私でも約に立つことが出来るのなら……人形でもいい、何の意思も持たぬ傀儡でもいいと、あの時リヴァイに指摘されて思ってしまったんだ。思って、しまったんだ……」
  46. 68 : : 2014/01/04(土) 22:56:58

    尻すぼみになった言葉は、馬小屋のよく冷えた空気に吸い込まれて消えていく。――ああ、そうだ。私はとても罪深い。自分が主人と決めたその人の、たった一つの命令すら放棄しようと思ってしまった。人形のような私に、再び人としての権利を与えてくれた恩人でもあったのに、その人を裏切るようなことを考えてしまったのだ。……己の自己満足の為だけに。

    でもどうすればいいのだろう。私は“私”でしかない。けれど、その“私”がいない。一から“私”を組み立てることも、おそらくリヴァイの言うこととは違う。ならば彼の望む本当の“私”はどこにいる?自由を渇望する目をしていたという“私”は何処に?



    その時、私は遠くから大勢の馬が地を踏みしめる音を聞いた気がした。別に私は耳がよく利くわけではない。だからその音は空耳の可能性もあった。しかし私は居てもたってもいられず、馬や桶を放置したまま外に飛び出した。


  47. 69 : : 2014/01/04(土) 22:58:22


    馬小屋を出た私は音を追い、足早に正門へと向かう。建物や木々を避けると一気に視界が開け、遠くからゆっくりやって来る一行を見ることが出来た。それはとても疲弊していて、馬を引いて先頭を歩くエルヴィンと思われる人物さえ、普段の凛々しい姿からは想像出来ない程疲れて見えた。だから私は悟る。――今回の壁外遠征での犠牲は私の想像よりずっと多いのだろう、と。


    「……エルヴィン団長」


    私は静かに口を開き、唯一姿が確認出来た彼に問う。リヴァイはどこか?と。しかし団長はただ後方を一瞥しただけで離れて行ってしまった。私は自分の胸を騒がせている不安を早く取り除きたくて、後ろへ向かって走った。その途中ミケの姿を確認する。だがリヴァイ、そしてハンジがどうしても見当たらない。あんなに目立つ二人なのに……。

    嫌な想像だけはしないように、余計な考えは脳の隅に追いやった。それでも負傷した兵士を見る度に不安は胸を締め付ける。息が出来ない程の恐怖。それは再び自分が孤独になるかもしれない恐怖だった。


    「リヴァイ……」


    口から彼の名が漏れる。数人の兵士が振り向き、そしてすぐに顔を背けた。――止めてくれ、これ以上は駄目だ。


    (二人で負傷兵と一緒にいるのかもしれない。優しい人達だから、あり得る)


    頭を振って荷馬車を探す。それはすぐに見つかった。そして、山程の遺体も。


    (っ……こんなに)


    多くて調査兵団の3割。私はそう見積もっていた。それは普段からリヴァイやハンジから教えられていた壁外調査での死者数のはずだった。だから覚悟はしていたのに、実際に積み上げられた遺体の山を見れば、足は止まってしまう。


    (ハンジ! リヴァイ――っ!)


    力の入らない足を叱咤し、私はよろよろと歩き出す。更に後方へと。


    「……誰か、リヴァイを見ていないか?」


    問うても誰も答えない。それどころじゃない、みんなそういう目だった。だから私もすぐに口をつぐむ。
  48. 70 : : 2014/01/04(土) 22:59:50

    そして私はとうとう最後の荷馬車を見付けた。慌てて駆け寄り、私はそこにハンジの姿を見つける。そしてすぐ寝かされているリヴァイを見つけた。


    「ハンジ!これは……」

    「やぁ……」


    ひどく疲れた声だった。よく見れば、彼女自身も腕から血を流している。疲れた顔でも笑ってくれるのは、きっと私を気遣ってくれているからなのだと察した。


    「リヴァイは?気絶……しているのか?」


    目を閉じた彼の顔は蒼白だった。それをハンジは心配そうに見つめ、しかし私には笑って答えてくれる。


    「私もリヴァイもちょっとヘマしただけだよ。私はちょっと深く腕を切ってしまっただけ。リヴァイの方はついさっきまでピンピンしてたのに、情けないことに落馬して岩にぶつかったっぽい。まぁ、瞬時に受け身をとったからすぐに目を覚ますよ。馬鹿だよね、巨人慣れしてない臆病な馬だってのに奇行種に向けて一直線に駆けたんだ。……巨人に襲われた索敵班を援護するために」


    笑って言うが、包帯を巻いたハンジの腕からは確かな血の臭いを感じる。ちょっとどころではなく、暫く生活に支障が出るくらいには重症に違いなかった。きっとその怪我は笑っている顔を作るのも難しいくらい痛むに違いない。それなのに笑ってくれるハンジの無事な方の手を取り、私は心から礼を言った。


    「帰ってきてくれてありがとう。本当にありがとう……」

    「うん。今回の犠牲で私たちはまた一歩ウォールマリア奪還に近付いたよ」

    「うん……」
  49. 71 : : 2014/01/04(土) 23:01:55

    私はゆっくりとハンジの手を離し、寝かされているリヴァイを見つめる。頭に怪我を負ったのだろうか。包帯を巻かれたその姿は、人類最強の兵士と呼ばれるその人にしてはひどく普通の人間に見えた。


    ――いや、違う。私は知っていた。この人が私と同じくらいの身長しかないことも、同年代の女の子と比べても細身である私と服のサイズが変わらないことも。全部とっくの昔に理解していたのだ。なのに、小さなこの人の背中にはあまりに多くのものが圧し掛かっている。それはこの人にしか背負えないもの。きっと既にこの人の一部となってしまっているだろうもの。


    私は知っていた。リヴァイ兵士長という人間が、英雄である前に確かに人間であることを。神経質故に夜も浅くしか眠れず、夜中に何度も目を覚ますことも。壁外調査の前日は一人どこか遠くへ出掛けることも。それはおそらく死んだ兵士の墓参りであることも知っていた。なのに彼を人類最強と崇める人々は知らない。彼の苦しみも嘆きも、そして背負った重責も。その一部だって、私以上に知らないのだ。


    「ハンジ。私にリヴァイを任せてくれ。目が覚めた時に、私が傍にいたいんだ」

    「君ならそう言うと思った。いいよ、ただし医務室に運ばなきゃならないけど」


    私はそっと手を伸ばし、リヴァイの手に重ねた。とても冷えた手だったが、僅かな温かさを感じ、私は安堵する。――そう、私にならわかる。自分のこともわからない私だけれど、私には彼の為にどうすればいいかはっきりとわかるのだ。


    「――ッ」

    「リヴァイっ!」


    彼の眉が歪められる。戻って来ようとしているのだ。だから私はその手をきつく握り、必死になって呼びかける。


    「リヴァイっ!帰ってきたぞ」


    (――リヴァイ、私は決めたよ。たった一つだけ、叶えたい望みが出来たんだ)


    きつく握った手がそれ以上の力で握り返してくるまで、私は何度も彼の名を呼んだ。



  50. 72 : : 2014/01/04(土) 23:03:17


    結局、彼が意識を取り戻すまで私は傍を離れることはしなかった。その間負傷兵で賑わった医務室は大勢のうめき声で満たされ、意識のないリヴァイの眉はその声を受けて歪んだままだった。そしてその夜、彼は真っ白な医務室で目を覚ます。その頃には負傷兵も自室に戻され、物も言えぬ程の重症患者と彼のような意識不明の兵士だけが医務室に残されていた。


    「お前か……」


    目の下に隈を作ったリヴァイが疲労を含んだ声で言葉を発する。私は彼をこれ以上疲れさせないよう、ベッドの周りのカーテンを閉めて彼の意識が他の患者に向かないようにした。


    「食事を持ってきたんだ。……食べられそう?」

    「ああ。お前はもう食ったのか?」

    「いや……今日は食べないつもりだ」


    湯気の立つ温かいスープとパンが彼の夕食だ。出来れば私はもっと消化の良さそうなものを食べてもらいたかったのだが、この状況下ではそんなことも言えず、黙って従うしかなかった。


    「そんなだからお前は少しも肥えねぇんだ。内地の豚共もお前を見たら腰を抜かすだろうな。骨と皮だけでまるで鶏じゃねぇか」

    「うん。そうかもしれないな……。何故か全く太らないんだ」

    「飯を食わないからだ。そんなんじゃ骨の一本や二本折っただけでくたばっちまうだろう」

    「気絶したリヴァイには言われたくない。……心配したんだ。とても食事なんて喉を通るわけないじゃないか」


    ――何かを言うなら今だ。そんな心の声を受け、私は覚悟を決める。


    「リヴァイ」

    「……何だ」


    彼の瞳が私を捕らえる。睨んではいても、これはけして怒っているわけじゃない。リヴァイなりの真面目な話をする時の顔というものだ。だから私は怯むことなく、その射るような視線を真っ直ぐ受け止める。

  51. 73 : : 2014/01/04(土) 23:06:00

    「私、決めたんだ」

    「……そうか。帰ってきたら答えを聞くという約束だったな」

    「ずっと悩んだんだ。これからどうするかという、自分の身の置き方だけじゃない。私はこれからどう生きればいいかという、そんな根本的な問題で悩んでいたんだ」


    ……そう、私はそんな初歩の段階すら自分一人では解決出来ずにいた。確かに私は一度は売られ、そしてリヴァイに買われた。だから、そこで私の人生に終止符が打たれたと思い込んでいたのだ。後はもうリヴァイという主人に従って生活すればいい。私個人の意思などそこには一切必要ないものなのだと、そう思っていた。それが私の新しい人生なのだと、本気で思っていた。

    けど、彼はそれを否定した。お前はもう自由だと、自分自身が造りだした壁から出るべきだと、そう教えてくれた。諭してくれた。だから私はその瞬間、リヴァイという人間から人としての生を許されたのだ。人形でない自分を再び与えてくれたのは彼だった。

    なのに私はそんなことも理解出来ず、人形であることを貫こうとしてしまった。傀儡として彼を喜ばせても、それは“私”が彼を喜ばせたことにはならないのに。それでもなお、私は“私”を取り戻すことを諦めてしまっていた。リア・ブルーメは死んだのだと、そう心から思い込むことで諦めた。

    この私の無言をどう彼が思ったのかはわからない。だが彼は深い溜息を吐き、一度私から目を逸らせて静かに言った。


    「お前がどれだけの間考え、悩んだかは知らん。だが、その顔を見れば大体のことは想像がつく。……お前の答えを聞こう」

    「ああ――私は」


    言いかけて、私は自分の頬に伝う温かいものの存在に気づく。慌てて両手で拭い、それが数年ぶりに流した涙であることを悟った瞬間。私は自分が既に“私”であったことに気づいた。――ここまできて、ようやく気づいたのだった。


  52. 74 : : 2014/01/04(土) 23:08:47

    「っ」


    涙を振り払い、私はベッドに腰掛ける彼を真っ直ぐ見つめた。そして右腕を心臓に。――そう、何度も見たあの敬礼の姿勢をとって深く息を吸い込む。


    「私は……調査兵団に入団を希望します。ですが、私は人類にも王にもこの心臓を捧げる気はありません。私がこの心臓を捧げるなら、それは貴方にです。リヴァイ兵士長」


    ――だから、どうか。私に翼を。

    ――戦う為の翼を。


    「貴方を私に守らせて下さい。貴方の為にこの命を捧げることが出来るのなら、それは私にとって本望。片時も離れず、この身が朽ち果てるその瞬間まで、貴方を守ることを誓います。だから、私と共に戦って下さい。私にも貴方の見る夢を見せて下さい」


    彼の瞳に映る自分の姿が見えた。なんて情けない顔をしているんだろうと思う。涙で顔は汚れていて、唇は震えている。いや、震えているのは全身もだ。それなのに、心の中はとても熱い。まるで燃えているかのようだった。


    「――ああ、承知した」


    私は自分の鼓膜を揺らすリヴァイの声を聞いた。彼の声はとても力強く、私の細い声を遥かに凌ぐ大きさで告げる。


    「……その目。再び会ったな。俺が求めた目をしている。もう自分を間違えるな。お前はそれでいい、それこそが自由の翼を背負うに相応しい者の目だ」

    「はい――」

    「リア・ブルーメよ。認めよう、お前の調査兵団入団を」


    ちょうど私がリヴァイと出会った日から半年経った日。私は仮とはいえ、調査兵団への入団を許可されたのだった。

  53. 79 : : 2014/01/16(木) 01:50:19

    それから一年もの時が流れた。その期間、私は今までと変わらず兵団の雑用係としての仕事をしながら、リヴァイに教えられた通りの本を読み、少しずつ体作りをしながら過ごした。

    当然、訓練兵に志願するようにと、団長に言われた。しかし私はそれを断り、独学で立体機動を習得すると宣言したのだ。その理由はいくつかあるが、リヴァイの傍を長い間離れたくない、ということが一番大きい。それに彼も訓練兵として訓練したことなどないと聞いた。ならば私にも出来るだろう思う。けして楽観視しているわけではないが、私に本当に適性があるというならば、どうにかなって然るべきだろうと考えたのだ。

    それと、私が調査兵団に入ることを直前までハンジには伝えないようにと、リヴァイに口止めをされた。理由は教えてもらえなかったが、私がリヴァイたちの訓練を見学する度に苦笑するハンジを見ると、その理由も分かる気がした。

    兵士たちの訓練は見ていてとても勉強になるものだった。立体起動時の体重移動の仕方や、アンカーを打ち込む位置。対象に切りかかる角度や身のかわし方。それはどれも本には書かれていないことばかり。実際には一度も飛ばせてもらえない私にとって、訓練の見学というのはまさに知識の宝庫だったのだ。

    そして私が教わったことはもう一つ。それは経験から得られる知識だ。こればかりは本でも訓練でも学べない。それを教えてくれたのは、やはりリヴァイだった。


    「削ぐ時は正面からは避け、背後を狙え。直接うなじを狙わず、最初は足の健を削ぐといい。奴等が転倒するか座りこんだら急いで目を潰せ。うなじは最後でいい。ただ奴等の再生能力を舐めるな。全ての行動は20秒以内にやれ、そうでないと喰われるぞ」

    「もし捕らえられたら?」

    「巨人の手に捕まったのなら、まだ脱出の可能性はある。そういう時はガスを吹かして勢いで脱出するか、刃をこの角度で入れると奴等の指が簡単に切れる。ただお前の体格では5,6メートル級が限界だろう。捕まらないようにするほうが賢明だな」
  54. 80 : : 2014/01/16(木) 01:51:03
    「わかった」

    「巨人だが、でけぇ奴の相手をする時はとにかく足を狙うことだ。やっかいなのは四足歩行しやがる巨人だ。とにかく動きが速く活発で、跳びかかってきやがる奴もいる。そういう奴は足や目は狙わず、腕を削ぐ方がいい。跳ぶ奴と遭遇した時は早急に距離をとれ。近くに建物や木がねぇ場合はガスを吹かし勢いをつけて削ぐしかねぇが、この時は相手の動きを止めることを第一に考えることだ」


    リヴァイから学べることは、その一語一句まで完璧に叩き込んだ。彼は私に休憩時間の全てを注いで指導してくれたため、私は教師に困ることなど一度としてなかった。

    私と共に暮らすようになって広げたリヴァイの私室。今までは二つある備え付けの机は両方ともリヴァイの物で、元の部屋の机は書類や資料作成の為の仕事用。寝室として使っているもう一方の部屋にある机は、手紙や読書用と分けられていた。しかし、リヴァイは突如それを変え、寝室の机を私専用としてくれたのだった。それ以外にもベッドを使うことを頑なに拒む私の為、床に敷くマットを買ってくれたり、部屋の間取りを私に考慮して変えてくれたりと色々な世話を焼いてくれた。だが、もう私はその好意を拒むことはしなかった。彼は私の主人ではないからだ。

    リヴァイを守ると誓ったあの日から、大きく時間が経ってしまった。その間も壁外調査は何度か行われ、大勢が散った。だが、団長であるエルヴィンは有能だ。瞬く間に壁外調査に変革をもたらし、一回の遠征での死者数は減る一方で、今期の新兵も昨年より多かったそうだ。そしてエルヴィンの頭脳と、人類最強の兵士と名高いリヴァイの活躍もあり、財源も潤った。最早調査兵団は私がやってきた当時の極貧兵団ではないのだ。もうリヴァイ個人だけでなく、調査兵団そのものが英雄と祭り上げられるのも時間の問題だと、私は確信したのだった。
  55. 81 : : 2014/01/16(木) 01:52:34

    「なぁリヴァイ。今度みんなで食事が出来るのはいつだろう」

    「あ?そうだな。エルヴィンはしばらく王都で、ハンジは技術部から送られてきた新しいワイヤーの耐久テスト。暇な奴はミケと俺くらいしかいねぇな」

    「ああ、正直物足りないんだ。最近ずっと一緒だったから、あの賑やかさに慣れてしまったんだろうな。ミケはあまり喋らないし、リヴァイとはこうして話しているから……」


    椅子に座り脚を組むリヴァイを見つめながら、私は大きく伸びをした。そして立ち上がって窓際まで歩き、白く輝く月を見上げる。


    「……ここは私にとって家のようなものだ。この世界における帰るべき場所で、私に残された最後の居場所。リヴァイはどう思うかわからないが、私は今の状態が永遠に続くことをきっと望んでいる。だって、このまま壁外調査を続ければ誰かが欠けることは目に見えているだろう?私はそんなのは嫌だ」

    「だからこそ俺たちは戦うんだろうが」

    「ああ、だから私も戦うんだ。私にとって守るべき一番は貴方だが、守れるのなら全て守る。たとえこの命にかえてでもこの場所は守るさ」


    そう言って振り返り、薄っぺらく笑ってみせた。笑顔なんてものは数年作っていないから、もう穏やかな笑みがどんなものかなんて忘れてしまった。だからそれはもしかしたら冷たく映ったかもしれない。けれど、リヴァイにはきちんと伝わったようだった。


    「……生きて帰って初めて一人前だと、始めに教えただろう。何かを守ると大義を掲げるのは、生きて帰ってからでいい。死に急ぎに飲ませる薬はねぇ」

    「そうだな。今は生きることを考えよう。だが私は本気だぞ。リヴァイの為に死ぬ覚悟がある」

  56. 82 : : 2014/01/16(木) 01:53:38

    リヴァイは無言だったが、私はそれを肯定ととった。私は彼に近付き、その頬に手を伸ばす。撫でるように手を動かすと、彼の眉が不愉快そうに歪められた。


    「……なんだ」

    「貴方がいれば、私は何でも出来ると思える。この体温を守る為なら、命を掛けられる。……なぁリヴァイ。人は何故孤独に心を痛めるのだろう。こうしている間も、客観的に見れば幸せであるはずなのに、ずっと胸が苦しいんだ。こうして触れていると、それが収まる気がしたんだ。何だろうな、この寂しさは」


    指先に伝わる柔らかさと温かさ。確かに彼が生きているという証を、私は両手で感じとる。


    「リヴァイ。この先も共に生きよう」

    「あぁ。元よりそのつもりだ」


    その言葉を聞き、名残惜しいがゆっくり両手を下ろした。


    「……明日にはハンジも戻るだろう。どうせ山程書類を溜め込んでいるに違いねぇ。お前も必要以上に話しかけねぇよう気を付けろ。絡まれるぞ」

    「あぁ。賑やかな奴が帰ってくるなら私はそれでいい。そうか、嬉しいな」

    「それと、明日お前を実戦で使えるか試す。もういい機会だろう」

    「え――」

    「本来なら立体機動に向くかどうかのテストをしねぇことにはどうしようもないが、お前のバランス感覚ならいけるだろう。……事故って死ぬなよ」


    そう言い残し、リヴァイは寝室へと去っていった。それは、月がとても綺麗な夜だったと記憶している。



  57. 83 : : 2014/01/16(木) 01:54:48

    翌日。私は帰ってきたハンジと共に訓練場に来ていた。リヴァイはいつも通り兵士たちに指示を出し、ハンジと二言三言新作ワイヤーの実験結果について会話した後、私の定位置である木陰へと歩み寄る。


    「おいハンジ。コイツに立体機動装置を着けさせろ」

    「は?どしたのリヴァイ。まさか仮装させようって魂胆じゃ……」

    「てめぇ殺されてぇのか。いいから、お前の身包み剥ぎ取ってコイツに着せる前に一式持って来い」

    「えー、意味わかんない」


    そう言いつつ、ハンジは私の腕を引く。その横顔が楽しそうに見えたから、彼女がこのことに関してなんの疑問も抱いていないことを知ることが出来た。



    引きずられるようにして連れて来られたのは倉庫だった。掃除の時何度も入ったから、ここのことはハンジよりも私の方が詳しい。ここは調査兵団の制服の予備や立体機動装置の予備が置かれている、最も大切と言われている倉庫の一つだ。


    「よし!じゃあまずはベルトだね。えーと、どこだっけ……」

    「ベルトと金具はここ」


    私は棚からベルトの入った箱を下ろす。体格により細かく分けられた中から、自分に合いそうなものを手に取った。


    「ほんと小さいね。リヴァイとあんまり変わらないなんて、女の子でも滅多にいないんだよ?」


    横で呟くハンジは私の格好が気になるらしく、さっきからこちらをチラチラと気にかけていた。私は溜め息をつき、その疑問を解消する為口を開く。


    「リヴァイに言われたんだ。今日はこの格好でいろと」


    私は彼に貰った白いシャツと、同じく彼に貰った調査兵団の制服である白いズボンという格好だった。ここ一年は流石の私も私服を着るようになり、この格好でいることもなかった為、ハンジからすれば懐かしいに違いない。

  58. 84 : : 2014/01/16(木) 01:55:45

    「リヴァイたら用意周到じゃん。まぁ、いつものことか。それより先に着けてしまおうか。やり方はわかる?」


    うなづく。リヴァイがやっているのを毎日見ているのだから当然だった。ハンジが見つめる中、適当なところに腰をかけてベルトを装着していく。上から順番に脚にかけて。


    「脚のは特にしっかりやらないとすぐ取れちゃうよ。気をつけて」


    言われたところを確認し、一通り準備を終える。立ち上がりハンジに確認してもらってから、ベルトと共に取り出した腰布を巻く。


    「うん。これだけでも随分兵士に見える。後はジャケットだね」


    これでよし、とばかりに背中を叩かれ、軽くよろけながらもジャケットの入った箱を探す。衣類では一番大きい箱がそれのようだった。


    「よしよし。ここから君のサイズを探さないとね」


    ハンジが見守る中ジャケットを探すのは、何となく気まずいものだった。なんせ、私の服のサイズというのはリヴァイと殆んど変わらない。男らしく引き締まった身体をしている彼に対し、女なのに痩せて脂肪も筋肉もない私の身体。辛うじて私の方が小柄なため、シャツにしろ何にしろ彼のものは大きめではあるのだが、私を通してリヴァイのサイズまで知られてしまうのはもどかしくもあった。

    私は運よくハンジの目を盗みジャケットを手に入れ、それを目の前で広げてみる。調査兵団のエンブレムが縫い付けられたジャケット。この一年、ずっとこれを着る日を待っていた。その制服だった。


    「ほらほら、早く着ちゃいな」


    私の分の立体機動装置を手にしながらハンジが急かす。見つめていたいのは山々だが、リヴァイを待たせていることもあり、私はすぐジャケットに腕を通した。

  59. 85 : : 2014/01/16(木) 01:57:01



    そして準備を終えた私たちは再びリヴァイの下へ戻った。ベルトを装着してジャケットを着た私を、上から下まで眺め、彼はぼそりと呟く。


    「悪くねぇな」

    「案外このベルトは身体を締め付けないんだな。動きを束縛しないようによく出来てる」

    「……そりゃな。ほら、早く装備しろ。やり方は見ていたからわかるはずだ」


    どこか腑に落ちない顔をしているハンジを横目でチラリと見てから、私は淡々と立体機動装置を装備する。リヴァイは腕を組んでそれを眺めながら、時折遠くの兵士たちに指示を飛ばしていた。そういうところを見ると、彼が兵士長であるということを思い出す。


    「これでいいか? どこかぎこちないな……」


    両足にぶつかる装置の重みを感じながら、私はリヴァイに問いかけた。彼は再びじっくりと私を眺め、完璧であることを確認してからハンジに向かって口を開く。


    「ハンジ。今日からコイツも訓練に参加させる」

    「えぇえええ! 何考えてんのリヴァイ! だって、この子一度も立体機動なんて使ったことないんだよ!? いきなりやったら流石に死ぬって!」


    当然のように叫んだハンジに対し、リヴァイはいつもの調子で眉間の皺を深くしただけだった。私といえば二人の会話に入れるわけもなく、コチラの様子を窺っている兵士を気に掛けながら耳をそばだてるくらいしか出来ない。


    「うるせぇ。既にエルヴィンの許可も取った」

    「だけど……! って、エルヴィンの許可ぁ!?」

    「平気だハンジ。私は簡単に死にはしない」


    なんで私に教えないんだ、と続けようとしたハンジを遮るように私は言葉を発した。この二人がここで喧嘩するのはよくない。それに、当事者である私がここで何も言わないのはいけないと思ったから。


    「ほら、私は運がいいから。だからこんなところで死にはしない」

    「で、でも! 訓練とか適正とか――」

    「俺が先導する。お前は後に続け」


    ハンジの言葉を無視し、リヴァイはワイヤーが届く範囲まで距離を詰め、遠くの木に登ってしまった。


    「ちょ、リヴァイ!」


    ハンジの声ももう届かない。今はやるしかないのだ。

  60. 86 : : 2014/01/16(木) 01:58:48

    私は本で得た知識を思い返す。ワイヤーが届く距離はさっきリヴァイ自身が実演した通り、きっとあれが限界に違いなかった。ならば私もあそこまで走るか――。


    「アウトあうとぉおお! 死ぬぜきみィいい!」


    刀身のないただのグリップを握り、右足から大きく踏み込む。目では遥か遠くのリヴァイを見つめ、顔はあくまでも目標の木へ向けたまま。意識を集中させる。

    風を切り、地面の砂を蹴って前進すれば、リヴァイが飛び上がった地点はすぐそこに迫っていた。私は握ったグリップのトリガーに指を掛ける。――たった一度。この一度で私の運命が決まる。


    「くっ!」


    次の瞬間。即ち、私がトリガーを操作した次の瞬間。アンカー付きのワイヤーが勢いよく射出され、リヴァイが立つ木の幹に突き刺さる。それを確認し、今度はワイヤーを巻き取るために再びトリガーを操作した。

    腰の辺りが大きく引っ張られる感覚と共に、私の身体は宙へ。わけもわからないまま、ただ身体を制御することだけに神経を使う。


    (怖い――でも)


    私は自分の背に翼があることを思う。そう、調査兵団の紋章――自由の翼が。


    (飛べる! 私には出来る)


    もう一つのアンカーを先ほどより上の位置に打ち込む。強く握ったグリップの固さを感じながら、私はトリガーに指を掛けた。そしてまた強い力を身体に受けながら、その力を上手く散らせる為に空中で姿勢を変える。――ここまでおよそ二秒。


    「リヴァイっ!」


    太い木の枝に何とか到着する。リヴァイは何も言わず私を見つめ、それから無言なまま次の枝に飛び移った。その背中は付いて来いとでも言わんばかりで、初めての立体機動を成し遂げた私にとってはなかなか無慈悲な宣告であった。

    それでも、私が目指すのは兵士だ。私は再びグリップを握り締め、リヴァイの背中を追って跳躍するのだった。





  61. 90 : : 2014/01/29(水) 00:59:32

    「そういえば、君の名を聞いてないな」


    夕方、エルヴィンの執務室に呼び出された私は、正式に入団する為の手続きをすることを言い渡された。とは言っても、手渡された書類はたった一枚だけで、それに細々とした事を書き込めば一応手続きは終了するとのこと。


    「あ、えっと――」


    最後に空いた記名欄を睨みながら、私を含めたその場の四人は重い緊張感に包まれていた。私にはリアという名前がある。けれど、それを明かすのはリヴァイだけに留めていた。最初は主人としての特権として。そして今は心臓を捧げた相手として、彼を敬いたかったからだ。リヴァイもそれを察しているのか、眉根に皺を寄せたまま低い声で言う。


    「名前なんて記号でしかない。適当に入れておけばいいだろう」

    「しかし、これから大勢に彼女の存在を知らせる必要がある。それに名がないと何かと不便だろう」


    だが、エルヴィンの言葉も最もだ。私が兵士として活動するには名がいる。だが、この期に及んで隠してきた本名を公開するのは忍びない。そんな気持ちを抱えたまま、私は横に立つリヴァイの冷めた表情を見やる。彼もそれに気づき、呆れたような短い舌打ちと共に、壁際に立つハンジを睨みつけた。


    「ッチ……おい、クソメガネ。なんか決めろ」

    「は? 私ぃ!?」


    今までずっと私の入団に不服そうな顔をしていたハンジは、上擦った声で叫んだ。リヴァイはさっきからずっと彼女の表情を窺っていて、彼女をこれ以上刺激しないように特に何も言わずにいたのだが、今というタイミングでようやく言葉を掛けたのだった。


    「前、巨人を名付ける話をしてくれたことがあった。私の名前なんて、とっくに失くしたようなものだから、この機会にハンジから新しい名を貰えたら私も嬉しい」


    私もリヴァイの後を続けて口を開く。きっとハンジは私が兵士になることに反対なのだろう。言葉に出さずとも、態度を見ればわかってしまう。だからこれ以上反対される前に別の事で彼女の関心を惹く。まるで子供のようなやり方だが、今はそれしかないように思えた。


    「……まぁ、実はだいぶ前から考えてはいたんだ。あだ名くらいって気持ちだったんだけど」

    「え?」
  62. 91 : : 2014/01/29(水) 01:01:14

    驚いて声を上げると、気まずそうな顔で無理やり微笑んだハンジは短くその名を呟いた。


    「ナタリー」

    「……ほぅ」


    感心したように声を漏らしたリヴァイと、机の上で腕を組んだエルヴィン。その二人と、感想でも訊くように一歩近付いたハンジに囲まれ、私は一人困る。


    (なんて言えば……)


    他人に名付けられた瞬間に立ち会うことなんて、普通の人間にはきっとあまりない出来事だろう。だから私はこういう時なんて答えればいいかわからなかった。素敵とかセンスがあるとか言えばいいという問題でもないし、だからといって気に入らないわけでもない。でも嬉しいと素直に答えるのもまだ早いような、そんな不思議な感覚だった。


    「ハンジ。彼女に由来を教えてやれ。きっとそれだけでは誰だって困ってしまう」

    「うん。勿論そのつもりだよ」


    暫く目線を逸らしていたのだが、その理由に気付いてくれたエルヴィンが助け船を出してくれた。すると、少しだけ誇らしげな顔をしたハンジが胸を張って説明を始める。


    「大昔、まだ人間が壁なんかに囚われず自由に生活していた頃の話だ。今のウォール教みたいにさ、宗教があったんだよ。それも人種とか、生活圏で全然違うありとあらゆる宗教があった。私はそれに興味を持ってチラッとだけ文献を調べたことがあったんだけど、そうしたら面白い記述を見つけたんだ。なんでもリヴァイの誕生日である12月25日というのは、ある世界的な宗教の聖誕祭という記念日に該当するんだってね」

    「ああ、その話か」


    不機嫌そうに呟くリヴァイの様子を見れば大体のことは想像出来るのだが、一応訊いてみる。


    「リヴァイ、知っているのか?」

    「私も知っているぞ。なんせ去年のリヴァイの誕生日はその話に散々付き合わされたからな」


    エルヴィンまでもがそう言う。去年のその日なら私もいたのに、私だけそれを聞いていないのは何だか悲しかった。そういえば、その日も朝から会議があって私は他のところへ行っていたんだっけ……。


    「――それで、俺の誕生日とコイツがなんだって?」

    「うん。でね、その聖誕祭を古い言葉で言うと、ディエース・ナーターリスとなる。どうやらナタリーという名前はそれに由来するものだそうだ。興味深いと思わないかい? 私たちが普段から馴染んでいる名の語源はこんな古いところからあるんだ」

  63. 92 : : 2014/01/29(水) 01:02:33

    両手を大きく動かし、演説でもするかのように説明を続けるハンジ。それをぼんやり見つめながら、私はこの素敵な名前について考えていた。


    (つまりは……そう。リヴァイとお揃いということ?)


    「そして私はこの名前を君のあだ名として使うことを思いついたんだ。なんせ君はリヴァイ専属の秘書のようにくっ付いているし、この仏頂面のオッサンと毎日顔を合わせていられる稀有な存在だ。それに一応リヴァイは人類最強という肩書きもある。リヴァイと一緒にいる君に付ける名前で、これほどまでにピッタリなのもそうないとは思わない?」


    私はゆっくり頷いた。嬉しかった。こんな名前、一日くらいじゃ思いつかないに違いない。なんせハンジが自由に読書をする時間なんて、週に一時間あるかないかってところなのだから。彼女は兵士である以前に研究者だ。巨人の生態調査に睡眠時間すらも捧げてしまうくらいの知的探求者なのだ。その彼女が私につけてくれる名前に、ケチが付けられるわけないだろう?


    「それでは、我々はこれから君のことをナタリーと呼ばせてもらおう。改めて宜しく」


    少し照れくささを感じながらも私は頷く。そして手元にあった書類の書名欄に、今付けられたばかりの名を書こうとして、ハンジにそれを遮られた。


    「え?」

    「あのさ。……やっぱり、兵士になるのは考え直してくれないかな」

    「おい。てめぇは黙って見てろ」

    「ごめん。いくらリヴァイの言葉でもこれは主張しておきたいんだ。――私は反対。そりゃ、最終的には君が決めることだよ。でも、特に目的もないまま調査兵団に入ろうだなんて、命をただ捨てるようなものだ」


    その言い分はわかっていたし、私が彼女だとしたら、きっと同じことを言っただろうと思う。けど、私にはもう目的があった。今こそ、それをはっきりさせる時なのかもしれない。


    「私にはもう目的があるんだよ。だから私は調査兵団に入るんだ」

    「私たちと共に戦うことで、それは果たされるのか? 命を懸けるだけの価値があるとでも?」

  64. 93 : : 2014/01/29(水) 01:05:08

    眼鏡の奥に光る瞳を見据えながら、私は断言した。


    「ああ。私はリヴァイを守りたいんだ。私の非力さでは到底無理かもしれないし、おこがましいことだとは思っている。けど、それに私は命を懸けようと思った」


    私の言葉に、ハンジは俯いて暫く考える素振りを見せていただ、やがて大きな溜息をついて笑った。


    「はぁ……本当に困ったなぁ。そんなにはっきり言われたら、もう私じゃ止められないよ」

    「うん。ごめん」


    謝りつつ、私は困ったように笑うハンジを見て安堵していた。心配してくれる人が一人でもいて、その人に自分の気持ちが伝えられる幸福。それを噛み締めてから、私はハンジに礼を言う。


    「ありがとう。私が兵士になるのをハンジが止めるだろうってことは、結構前から思っていたことなんだ。でも、実際にこうして心配されてみると、なんだか申し訳ないという気持ちの前に、ただただ感謝の言葉だけが溢れてくるよ」

    「酷いもんさ。そういう手筈になっていたにも関わらず、リヴァイはともかくとしてエルヴィンまで隠すなんて」

    「外野が余計なことを言うのを避けたかったんだよ。元より私やリヴァイは調査兵団に入団してもらうつもりでいたし、実際私はその為に彼女をリヴァイに任せた。リヴァイなら間違いなく勧誘に成功すると思っていたからね。――勿論、入団しないことに決めていたらその時は彼女の意見を尊重する気ではいた」


    ハンジは少しだけ悔しそうにしていたが、やがて諦めたようにまた溜息をつき、リヴァイに言った。


    「もう彼女についての隠し事は止してくれよ。胃に穴が開いてしまいそうだ」

    「いつもなら開けさせる方だしな。たまにはこういう経験も必要だろう」

    「相変わらず貴方って嫌味な人だね」


    話が終わったのを確認してから、私は再び書類に向き直る。そして先ほどハンジに貰った新しい名前、Natalieと記名してからエルヴィンに手渡した。


    「それでは君を新しい調査兵団の一員として認めよう。宜しく、ナタリー。しっかり励むんだ」

    「っは」


    新兵が入団するには少し遅い真夏のある日。私は調査兵団へ入団した。今度こそ仮ではない、正式に認められたものだった。

    そして、ここからようやく全てが始まるのだった。――そう、所詮ここまでは序章に過ぎないのだ。全てを変えてしまう出来事が起こる前の、とても長い準備期間。




  65. 94 : : 2014/01/29(水) 20:07:36
     


    それからまた季節は巡り、何度かの壁外調査を経て私は兵士として成長していった。

    リヴァイの見込みが当たったのか、持って生まれたセンスのおかげなのかは知らないが、私にはどうやら立体機動の才能があるらしい。それも、それ単体であればリヴァイに匹敵するかもしれない程のものだと言われた。それ単体、というのは、誰も予想していなかった欠点が浮き彫りになってきたからだった。私はよく言われる通り、身体が貧相で骨も細ければ筋肉も付きにくい。入団したての時の記録では、身長158センチに対して体重35キロ。……自分でもこれは異常だと思っている。まぁ、あの頃よりも鍛えたし、今は流石にもう少しくらいは増えていると思うが。とにかく、私はこの身体のせいか、どんなに筋肉を付けようと努力しても並の兵士と同等の身体つきにはならない。ハンジにさえ軽々と抱えられてしまった時はちょっとした虚しさを覚えたくらいだ。そしてその影響は、巨人を削ぐという肝心なところで出てしまう。一般の兵士で言えば、7メートル級の手足を切り落とすくらいまでは出来て当然なのだけれども、私はせいぜい3,4メートル級の手足を切断するのがやっとというところ。7メートル級を相手しようと思ったら補佐に回るしかない。それこそ、15メートル級に出会ってしまったら囮になるくらいしか出来ないくらい無能になってしまうのだ。勿論私だって色々試した。リヴァイを真似て回転しながら切り付ける戦法をとってみたこともあるが、それでも先ほど挙げた成果止まりなのが現状だった。

    それでも立体機動が上手いということはそれなりに使えるらしく、伝達の任務に慣れてからは索敵班に配属された。荷馬車に近い、ある意味一番重要な場所の索敵を任されるということは結構な名誉なのだとハンジに教えられた時は、ほんの少しだけ嬉しかった気がする。私の役割は専ら囮役で、あのハンジの補佐をしているモブリットと同期だとかいう、少し気の弱そうな班長の指揮の下、意外と居心地よくやっていた。


    「ナタリー。あー、今日も訓練お疲れさま」

    「グリム。もう半年くらいの付き合いにはなるんだ。いい加減私を呼ぶことにくらい慣れてくれ」

    「すまない……」


    ハンゼン班長――周りはグリムと呼んでいる。気も弱ければ部下にも弱い、これでよく班長になれたと思うような男だが、流石は何年も生き残っている兵士と言うべきか、腕は立つ。モブリット曰く、「自分に自信がもてないだけ」らしい。確かに私から見てもそんな感じで、おどおどしているわりには班員以外からの評価も高い。


    「えと、あの。兵士長の班に入りたいってまた申請出したんだって?」

    「……今朝朝食の席で直接本人から駄目だと言われた」


    答えると、しまったという風に顔を青くするグリム。全く、一応上官なのだから、威厳を保ってほしい。私が敬語でないのも悪いのだけれど。
  66. 95 : : 2014/01/29(水) 20:08:37

    「わ、悪かった。しかし、あの兵士長も君のためなら朝の忙しい時間を割くということか」

    「まぁ、同じ部屋で寝起きしているからな。最近はひどく忙しいみたいで私も話し掛けづらいよ」

    「幹部は若手の教育に熱心なようで。……新兵だけでなく、入団3年未満全員を鍛えなおすとか聞いたけど」

    「そう。リヴァイの率いる連中の半数以上だ。グリムたち班長は対象外でいいな。私はもうへとへとだ」


    調査兵団の普段の訓練は、班をいくつか集めた分隊を作り、それぞれで行うことが多い。勿論リヴァイが訓練を請け負う分隊もあるわけで、私たちの班もその一つだった。これはその時々の壁外遠征での配置で変化し、常にリヴァイの指導下で訓練が出来るわけでもないものだから、私を含む“初リヴァイ組”たちは、初めはとてもはりきっていた。

    訓練自体はマニュアルがあるのか、誰の指揮でもそこまで変わることはなかった。問題は内容の詳細で、ハンジの場合は何事も頭を使うことが要求される場合が多い。一方、ミケは立体機動の技術や力を要求する訓練をさせたがる傾向にある。ならば人類最強の兵士と呼ばれるリヴァイの訓練とはどんなものか。気になる者は多かった。しかし蓋を開けてしまえば、その中身はとても辛いものばかり。


    「そのわりに涼しい顔してるよ。それと、兵士長と同室であることはあまり口外しない方がいい。君への風当たりが益々強くなるだけだ。……と僕は思う」

    「それは別に構わない」


    言いながら私はジャケットの中にしまっていた髪を外に出し、ゴムを解いた。


    「元はと言えばその髪を切らないからじゃないかなぁ。ほら、誰かと喧嘩になったろう?」

    「リヴァイには切れと言われていない」


    私のような腰まで届く長い髪は、兵士にとっては致命的だ。なんせ立体機動時にワイヤーに絡まって事故になる可能性が高い。そのため、多くの女性兵たちは肩より伸ばすことはせず、しかもその長さでも束ねてしまう人すらいる。しかし、私は違う。この髪は私の唯一の自慢と言っていいほどのもので、切るなんてことはそれすら捨ててしまうということになる。だから私はとりあえず髪を束ね、ジャケットの内側に収納することで事故を防いでいた。私くらい髪が長ければ、たとえ逆さまになって飛んでも、そうそう髪がジャケットから出てくることはない。マントを羽織ってしまえば更に危険は薄くなった。

    けれども、やはり体裁というものを気にする連中はどこにでも存在する。特にここは兵団だ。普通の生活にはない規則も多く存在するし、空気を重んじなければならないこともある。慎重になるのは当然といったところだ。それでも私は規則として定められない限り、髪は自由にするつもりでいた。

    周りは私の言葉づかいや髪についてうるさく言ったが、リヴァイを含める幹部や一部の人間は、私の問題行動について特に言及することはなかった。呆れていたのかもしれないし、本当に気にしていないのかもしれない。真相は不明だが、唯一私が言い渡されたのは“争いは極力避けろ”というくらいだった。

  67. 96 : : 2014/01/29(水) 20:09:51

    「僕は男だからよく分からないけど、ここ数年で調査兵団にも女性兵士が増えた。みんな若いし、中には髪を伸ばすことを諦めた兵士もいるに違いない。僕はとてもこんなことを言えるような人間ではないけど、分かってあげるんだよ」


    グリムは心配そうにそう言って、チラリと私の表情を窺う素振りを見せた。この人はこんなことで私が怒るとでも思っているのだろうか。


    「僕もいつ死ぬか分からないからなぁ。ナタリーみたいな美人さんといると、正直目移りして前が見辛いんだよ。明日にでも木にぶつかって死ぬかもしれない。そしたら君とこうして話せる人なんていなくなってしまうだろう?いくら変人の巣窟と呼ばれる調査兵団だからって、君と普通に話が出来る人間は数が限られてるんだから」

    「班長のグリムが死んだら大騒ぎになる。それに腕は確かじゃないか。私は一人にはならないさ。それに、たとえ一人でも構わない」

    「連帯性も必要なスキルだと思うよ。僕なんかに言われたくはないだろうけど」


    グリムは乾いた声で笑い、遠くで誰かと会話しているリヴァイを眺めながら言った。


    「兵士長直々に君を任された時は、正直肝を冷やしたよ。なんせ訓練兵団から来なかった新兵なんて初めてだったもんでさ。それにコイツは囮に使えなんて無茶な要求までされてしまった。君本人は問題児だし、兵士長と付き合ってるなんて噂もあった」


    そういえばそんな噂もあったような気がする。兵士になりたての頃、いや、今でもたまに訊かれることがある。――兵長と付き合っているの?、と。


    「リヴァイと一緒にいるだけで何故そうなるんだ」

    「そうやってリヴァイ兵士長を呼び捨てに出来る人間なんて、調査兵団には一握りしかいないじゃないか。それに幹部たち以上に二人一緒にいるんじゃ、ほぼ確実だと思ってもおかしくはないと思うけどね。ホント、モブリットによく効く胃薬を教えてもらおうとか考えていたところだった」

    「私はただ、リヴァイの傍で戦いたいだけだ。今回だってその為に申請を出したのに……きっとまだ私の力が不足しているんだな」


    もう断られて3度目になる。リヴァイの班というのは前線で戦うことを前提に編成されている節があって、それだけ強い人が選ばれることが多い。そもそも、申請を出してどうこうなるものではないのだ。それはわかっているけれど、リヴァイ本人に班に入れてくれと言っても聞く耳持たず。私にはこうする他なかったのだ。

    「誰だって無駄死には嫌いだろう」

    「ああ、するのもされるのも嫌いだ。でも私はそれでも――」

    「兵士長の命令で君はここにいる。僕は頼りないけれど、君にとっては僕くらい駄目な班長のところにいる方がやりやすいだろう? もっと強くなればいずれ認められて一緒にいられるようになるさ」


    彼はそう言い、躊躇いがちに私の肩を叩いた。


    「僕は先に行くよ。班長同士で話し合いたいことがあるからね」

    「ああ」


    早足で去るグリムを見送り、私はゆっくりと歩き出した。そう、あの食堂への近道へと。


  68. 97 : : 2014/01/29(水) 20:11:35


    相変わらず物置状態のそこは、薪やら壊れた椅子やらが高々と山を作り、以前にも増して近寄り難い雰囲気を醸し出していた。夕食の時間にはまだ早く、訓練後なのでシャワーはおそらく込み合っている。リヴァイより先に部屋で休むのも気が引けるため、私は専らここで時間を潰すことにしていた。
     木材の山が隠している少し拓けたスペースに、私がわざわざ周囲の塵を払い、使えそうな机と椅子を運んで作った休憩場所がある。そこに行こうと足を向けると、休憩場所に先客がいるのを見つけてしまった。


    (寝てる……)


    机に突っ伏した状態で寝入った姿はとても疲れているように見えた。間違いなく、私と同じでリヴァイの厳しい訓練を受けた兵士に違いない。顔を見ると私と歳も近そうだった。明るい茶髪が印象的な子。多分疲労で彷徨い、偶然ここを通りかかってこの場所を見つけたのだろう。


    (起こすべきだろうか)


    迷った末、私は彼女の対面に座り、その寝顔を観察することにした。目を覚ました時にどんな反応をしてくれるのか楽しみだったからだった。何か言われると面倒な為、先ほど下ろした髪をまたゴムで束ね、ジャケットの内側にしまうことも忘れない。

    私は他人と上手くやる素質というものが欠如している。それは元々いた村での暮らしが大きく関係しているに違いない。歳の近い子供はおらず、話す相手は大人ばかり。母は滅多に帰らず、姉は私に興味を持たない。そんな環境で対人関係を学べる方がすごいというものだ。しかも二年間の囚われ生活という経験もある。

    人なんて必要な時にだけ関わればいいという価値観が形成されている私にとって、唯一の例外はリヴァイただ一人のみだ。あのハンジやエルヴィン、ミケでさえも私にとってどういう存在なのか、まだ答えを出せていないのだ。それ以外の人間なんてわかるわけもない。

    だから私には友人と呼べる存在はいなかったし、作る気もしなかった。人と関わる時は必要な場合のみ。それを頑なに信じている私には、友人は全く必要ないものだったのだ。


    (ここにいれば、少なくとも身体は冷やさないな)


    穏やかな寝顔を見ていると、自分も少し眠気を誘われた。以前ここで寝入ってしまい、リヴァイに迷惑を掛けてしまったことをふと思い出す。あの時はもう少し寒い季節だったはずだから、今は掛けるものは必要ないだろう。とまで考え、随分と自分もお人よしになったものだと、ふと思った。


    「……バカ、アホ、死ねオルオ」


    (酷い夢だな)


    だが、聞いている分には和むものがある。オルオ、とかいう人物は少し気の毒ではあるけど。


    「んー」


    ぼうっとしていると、視界の端で彼女がもぞもぞと動く。目が覚めたのだろうか。


    「あ、れ……私? って、え、誰?」


    暫く呆けた顔をして目を擦っていたと思ったら、突然誰かと問われる。むしろ訊きたいのはこっちなんだがなぁと思いつつも、名乗るのは慣れないため、質問で返した。


    「よく寝ていたが、今日リヴァイ――あー、兵長の訓練を受けた兵士か?」

    「え、あ、はい」

  69. 98 : : 2014/01/29(水) 20:13:08

    顔立ちのわりには大人びた声をしている兵士だなと思った。次第に慣れてきたのか、私に対する態度も落ち着いてくる。


    「あの、もしかしてずっと寝顔見てました?」

    「まぁ。気にすることはない。変な顔ではないし、疲れているのは知ってる」


    おそらく困ってしまうだろうから、寝言を聞いたことは伏せておいた。それに本当に変な顔はしていなかったから、嘘をついたつもりもない。


    「えーっと、ありがとうございます」


    それでも少し照れくさそうに頬を染め、顔を伏せがちになって呟いた。よく見ると、背丈も私と同じくらいだ。おそらく、彼女も人に小柄だと言われる機会が私と同じくらい多いだろう。


    「兵長の訓練って、結構厳しいですよね。私調査兵団に入ってからも何度か兵長の訓練を受けたけど、未だに訓練後はへとへとで……。同期にも馬鹿にされるし。最悪」


    何度か、というからには、やはり新兵ではないのだろう。歳は同じくらいでも、私より先輩の兵士に違いなかった。それでも私は態度を変えることなく言う。


    「生き残るために必要な訓練だ。辛くても仕方ない」

    「貴女も?」


    今日の訓練を受けたのか、という質問だろう。私は頷いた。


    「あれは気の持ちようで結構変わるものだ。私はこの通り、筋肉が付かない欠陥品だが、とりあえず訓練は乗りきっている」

    「すごい……。私も強くなって、同期を見返してやりたいな」


    きっと先程寝言で言っていたオルオとかいう人物のことだろうと、唇を噛んでいる彼女の表情から察する。


    「私、リヴァイ兵長に選ばれるくらい強くなるのが夢なんです。元々憲兵団に入って家族を楽させてあげるつもりだったんですけど、所属兵課を決める段階になって周りの声を聞く内に、調査兵団に入りたくなっちゃって。それに、ここには人類最強と呼ばれる人もいる。頑張って強くなったら、私もああいう人と肩を並べられるのかなって思ったら、居てもたってもいられなくなっちゃって」


    あはは、と照れくさそうに笑い、彼女は頬を掻いた。


    「やろうと思えばいくらでも強くなれる。と、言いたいところだが、人間誰しも限界はあるからな……。私ももっと強くならねばならないのに、とうの昔に自分の限界が見えてしまった」

    「す、すごく強そうに見えますよ! 私なんて未だに討伐数1だし……補佐は結構したけど」


    アイツには到底追いつかない、とぼやきながら、彼女は顔を両手で覆う。この歳で討伐数1なら、私よりよほど見込みがある兵士に違いない。

  70. 99 : : 2014/01/29(水) 20:14:31

    「あー、こんなんじゃいつまで経っても兵長に選ばれないーっ!」


    よほど前からの夢なのだろう。おかげで私は、自分もリヴァイの班に入りたいのだ、と彼女に話すきっかけを掴めずにいた。いや、それを言ってしまうのは無粋かもしれないから、きっとこのままで良いのだろう。そう考え、私は彼女に言葉を掛ける。


    「ずっと生き続けていれば、その内認められる日も来ると、私は思う。ここにいる目的さえ忘れなければ、それだけでいいんだ」


    それは半分自分に向けての言葉だった。――何のためにここにいるのか。私の目的は、リヴァイを守るために他ならない。


    「私、人類は壁の外に出るべきだって思います。生まれた時から壁の中にいたから、外がどんなところかなんて全く知らなかったし、興味を持ったこともなかったけど。でも、きっと外の世界はキラキラしてて、私の見たいものがたくさんあるんだろうって。――それを思ったら、ワクワクしちゃって。巨人もどうにかなるかもって思えるくらい、外の世界に期待しているんです」


    あはは、と彼女は軽やかに笑う。私はゆっくりと立ち上がり、沈み始めた夕日を見ながら言った。


    「……いつか、共に戦えるといいな」


    リヴァイの班で、とは言わなくても、彼女になら伝わると思った。その通りで、私につられて立ち上がった彼女は、夕日と同じような色をした髪を風になびかせながら頷く。


    「そうですね。私頑張って同期を見返して、いつかきっと兵長の班に選ばれてみせます。その時一緒に戦えたら素敵ですね」


    そう言って明るく笑った。私も精一杯の笑みを作り、彼女に背を向けて歩き出す。もう夕食の時間が近かったのだ。


    「あ、えっと」

    「夕食の時間になる。私は一旦部屋に戻ろうと思うが、食堂はそっちから行った方が近い」


    反対を指差し、それ以上は何も言わない。


    「今日はどうもありがとうございました! あ、私ペトラっていいます! また会えるといいですねっ!」



    そう言った彼女の声が耳に心地よく響いていた。

  71. 101 : : 2014/02/01(土) 17:47:55



    「それで私の部屋に来たの? 珍しいね」


    数時間後、私はハンジの部屋にいた。自分の寝具を持ち、寝巻きも用意してだ。

    何故その状況になったのかというと、リヴァイが急な夜会で外出してしまったためだ。なんでも、エルヴィンが一人で行く手筈になっていたのに、相手側がリヴァイを指名してきたのだとか。人類最強と呼ばれるリヴァイだから、商会の人気も高いのだと思っていたが、彼自身は不満そうに見えた。本当に急だったためか、出かける彼の衣服はサイズが合っておらず、誰かから借りたものなのだということがまるわかり。それでも騙しだましで身なりを整えたリヴァイの姿は、普段とは違ってみえた。


    「まあ、いいよ。でも私の部屋で寝るなんて、絶対しないと思ってたのに」


    まだここに来て間もない頃、リヴァイがハンジの部屋に私を置き去りにしたことがあった。勿論、それは女である私と同室ではいけないだろうという判断からだったのだが、私は夜中こっそりハンジの部屋を抜け出し、リヴァイの部屋に戻ってしまった。未だにそれを気にしているのだろう。


    「リヴァイがいないなら無効だ。それにハンジが嫌いで戻ったわけじゃないのはわかってもらえるだろう?」

    「うーん。まあ、私は構わないどころか歓迎だよ。それにほら、君の持ってる薬の知識も知りたいし」


    以前リヴァイの馬の傷を診てから、私は母に教わった薬草の話を度々ハンジに教えていた。元いた村では当たり前として伝わっていた薬草も、実はみな私の母からの教えだったようで、どれも実際に効果のあるものばかりだったらしい。


    「わかった。どうせリヴァイがいなくて物足りない夜だ。あまり話せることもないだろうけど、私でよければ答えるよ」

    「しかし、商会がリヴァイをねー。見合い話なんて吹っかけられたらどう答える気だろう。見ものだね」


    ハンジはカラカラと笑ったが、本当にそうなったらどうしようかと思う。調査兵団にとって商会は大切なスポンサーだ。機嫌を損なうことなんて出来ないから、本気でそんな話が出た場合、断ることなんて可能なのだろうか。


    「そんな顔しなくても大丈夫だよ。私たちは兵士なんだから、結婚なんて話が出たって王に心臓をーって言えば大抵終わるから。それにリヴァイなんかよりエルヴィンの方が大変だよ。ずっと前からこういう話ばかり貰って来るんだもの」

  72. 102 : : 2014/02/01(土) 17:49:40
    「そういえばエルヴィンも独身だったな。団長なんて地位にあるのだから、とっくに結婚しているものだと思っていたのに。知ったときは意外だった」


    まあねー、と言いながら、ハンジはテーブルに置かれたカップに紅茶を注いで私の側へ置く。それを私が手に取ったのを確認し、対面に座ったハンジが言葉を続ける。


    「前に恋愛の話をしたよね? あれはナタリーがまだ兵士じゃなかったから言えた。もう君も何度か壁外を経験したからわかるだろうけど、私たちはいつ死ぬとも知れぬ身だ。当然、家庭なんて持てるわけもない。なら、恋をしたって意味がない。私たち兵士にとって、人を愛してしまうことは愚かなことで、とても無駄なことなんだ」


    水面に映る自分の顔を見つめながら頷いた。初めて壁外に出た日、私は伝達班にいた。煙弾が打ち上げられる中を、生きるために必死で走ったことを覚えている。奇行種に襲われて喰われる人間を見殺しにしたこともあった。死が蔓延する戦場で生き残るのは容易いことではない。そんなことはとうに知ってしまった。

    そんな限りなく死に近付いている自分を待つ人がいるとすれば、私たち兵士は簡単に死ねるわけがない。それは戦いを知らぬ者からすれば、良いことなのだろう。だが、兵士の立場から見れば全く違う。私たちは時に、使命のために命を捨てなければならない。自分の犠牲と人類の利益を天秤にかけなければならない時が間違いなく存在するのだ。そんな時、遺す者がいるということは枷となる。命を懸けられなくなってしまう。それは兵士にとって致命的だった。


    「私は愛を否定しないし、家庭を持つことも悪いとは思わない。けど、私は兵士である限り結婚なんてしようとも思わないね。エルヴィンやミケもきっとそう思っているだろうし、口にしないだけでリヴァイもそう。まぁ、リヴァイなら恋愛自体に興味がないって言うかもだけど」


    自分の分の紅茶にはしっかり砂糖を入れながらハンジは笑う。


    「だからナタリーには普通であってほしかった。私が知る限り、唯一兵士以外の女の子だったからね。でも君は人間らしくあろうとしなかったし、恋愛にも興味なしで、ちっとも女の子らしくなかった。……私は謝らなければならない。最初にリヴァイと君が付き合ってるという噂を流したのは私なんだ。ちょっとミケにも手伝ってもらってさ。表向きには、人気があるリヴァイの噂話で兵団を活気付けるため。でも本当の気持ちは、君に普通になって、誰もが手にするような平凡な幸せを掴んでもらいたいっていう私の我が儘だった。結局、ナタリーを変えたのはリヴァイだったけど」

  73. 103 : : 2014/02/01(土) 17:50:39

    私は驚いてハンジの顔を見る。いつも優しく笑みを浮かべているその顔は、今はどこか険しく見えた。


    「愛とは何か。長年それを考えていた。別に愛というものがなくても、種を存続させることは難しくない。それに、人には知能がある。愛などという不確かなものを信じるより、よほど合理的なことが出来るはずなんだ。いや、愛には色々な形があるね。親子愛も兄弟愛も、友人愛も国を愛することも、勿論異性を愛することも。それら全てが愛。そしておそらくそれら全てが、何の意味ないぼんやりとした不明瞭な感情だ。にも関わらず、人は人を愛する。人を愛し、悩み、裏切られては傷つくんだ。神が実在するなら、これは神が人に与える試練や罰の類いと仮定することも出来るだろう。けど、神は未だ人類の前に姿を見せないから、神の存在自体怪しい。つまり神の仕業であるという線は薄い。――じゃあさ、なんで人は人を愛するんだい? 意味のない感情であり、とても危うい。この感情は自身を傷付けかねない諸刃の剣だ。なのに我々にとって一番重要とも言えるこの感情に、何の意味が?」

    「私は、恋愛という感情がよくわからない。人との繋がりが薄いし、ハンジの言う通り興味がないから。……だけど、私は恋愛の意味での愛は知らないけど、リヴァイのことを深く尊敬している。これもやっぱり理屈とか、意味とか、そういう大事なことはわからない。生物にとっては無意味で不明瞭で、しかも馬鹿げた感情だ。これを愛なんて言葉で呼ぶなら、私のそれは相当腐っているだろうな。なんせ、私はリヴァイの身が危うくなれば、敵が例え――そう、ハンジでも。何の躊躇もなく平気で殺せるだろうから。ようするに、考えても無駄なんだよ。怒りや憎しみみたいにわかりやすい感情じゃないことくらい、誰だって知っているんだから」


    両手でカップを包み込むと、じんわりとした暖かさが直接伝わってくる。何の茶葉かも知らぬ、でも薫りのいい紅茶を嗅ぎながら、私は続ける。
  74. 104 : : 2014/02/01(土) 17:52:09

    「私の恩人はリヴァイだ。彼がいなければ、今頃私は舌を噛みきることも許されずに、ウォールシーナの貴族の屋敷で辱しめられていただろう。あの二年間で私が教えられたことは、人形のように黙り、主人の言うことをきくことだった。……私は実際、それに負けて一度心を壊した。彼が時間を掛け、私に眠る本当の私を取り戻すきっかけをくれたんだ。――歩く権利、話す権利、食べる権利、寝る権利、考える権利。それを彼は全部くれた。私が“私”である権利を、生きる権利をくれたんだ。私はリヴァイのものとして生きることを決めた。人形でなく、兵士として。この命、身体の全てはリヴァイただその人のものだ。それが彼に対する私の恩返しで、私が愛と呼べる唯一の感情だ。歪んでいるだろう?」


    最後は自然と笑いながらだった。ハンジは興味深そうにその話に耳を傾けていたが、やがて険しい顔を解いていつもの調子で言う。


    「人は孤独だよ、ナタリー。どこまで行ったって、最期の瞬間には一人なんだ。でもね、もし愛に意味があるのだとすれば、それは死ぬ瞬間の寂しさを埋め合わせる為だって私は思う。だから、兵士という立場に置かれてもなお、私たちは誰かを愛してしまうのかもね。――私は分隊長だ。過去に多くの同僚を失い、分隊長となった今は多くの部下を抱えている。その部下をまた多く失うだろう。しかし私はこれからも部下を思うし、死んだ部下のことを忘れた日は一度もないよ。それは君に対しても同じだ。もう私は君に普通の生活を送らせてあげることは出来ないけれど、リヴァイのせいで君を死なせるつもりはない。これも一つの愛だ。……急に愛なんて話をして、要するに何が言いたいかっていうと。まあ、つまり愛って難しいねってことなんだけどさ」


    ハンジは自分でも何を言っているのかわからなくなったよ、と普段よりもずっと静かに笑う。そしてその笑顔のまま、声のトーンだけを落として呟いた。


    「死なせない。誰一人として死なせるもんか」

  75. 105 : : 2014/02/01(土) 17:54:07

    「ハンジ……」


    私は彼女の名を呟く。けどそれ以上は何も言えなかった。言う資格がないのだ。彼女と共に長年戦ってきた者でない限り、言葉を掛けることなどきっと許されない。


    「ナタリー。リヴァイはさ、案外優しい奴だろう? 粗暴で近寄りがたい。だけどあれでいて激情家でとても繊細で。……人類最強の兵士なんて肩書きを背負って立ちながら、誰よりも低い位置から私たち全員をしっかり見てる。そう、君に翼を与えた人は、間違いなく人類で一番強い人だ。でもね、人類最強の兵士は絶対に生き残る。幾人もの親しい人の亡骸を見送って、自分だけはそのまま生き続けなければならないんだ。人類の為を考え、自分を殺して生きるんだよ」


    リヴァイだって人間だ。親しい人を喪えば、身体は無事でも心は大きく傷付く。死んだ部下の名前を全て記憶しているとまで噂されるリヴァイ。その彼が背負った死の数は、きっと私が思うより多い。そしてその数は悲しみと比例するのだ。それでも背負い続けるのだと、以前言われたことを思い出す。


    「だから、今のリヴァイにとっては君の存在自体が重要じゃないかな。君はただ、生きてそこにいればいい。リヴァイを守るためなら命を懸けるつもりなんだろう? けど、それじゃあ彼を傷付けるだけだ。くれぐれも死なないでくれ。リヴァイのため、そして他でもない。君を大切に思う、私のために」

  76. 106 : : 2014/02/01(土) 17:58:16
    私はカップに映る自分の顔を覗く。綺麗な赤い水面に映る私は、予想通り困った顔をしていた。

    だって、私は誰が見てもおかしい人間だ。頭の中はリヴァイ一色と言ってもいいほど偏ってる。それ以外のことはどうでもいいし、壊しても気にしない。そんな狂人だ。人に思われる資格があるとすれば、私にはそれはない。


    「私はリヴァイのためならハンジすら手にかけると言ったんだぞ。それなのに……なんでそうまでして私を心配してくれるんだ。私にはわからないよ」


    私がそう言うと、ハンジは冷めかけた紅茶を一気に飲み干し、一番いい顔で笑ってみせた。


    「そんなことは関係ないよ。――だって、そういうものじゃないか。無意味で無価値。そんな不明瞭な感情だろう? “愛”ってやつは」


    だから、きっとそれが愛という感情なのだと悟った。――無条件で人を想う。そんな命知らずな感情を認めざるを得ないことこそ、きっと愛なのだ、と。

  77. 109 : : 2014/02/11(火) 18:05:10



    目を開けると、いつもとは違う天井を仰いでいる。そう、今日は部屋が違う。ここはハンジの部屋だ。


    「おはようナタリー」


    身体を起こすと、既に着替え終わっているハンジが、本を手にくつろいでいるのが見えた。ああ、今日は休日か。


    「おはよう。ちゃんと寝たのか?」

    「もちろん。バッチリ3時間」

    「……短すぎだ。よくそれで身体が持つな」


    しかめっ面をしてみせると、ハンジはあはは、と軽く笑い飛ばす。


    「しょうがないじゃないか。君が昨夜教えてくれた薬草を調べていたら、いつの間にか寝る時間が減ってしまったんだ。でもほら、名前までしっかりわかったよ。後でこの草で合っているのか確認してくれると助かるな」


    そう言って本を振る。よく見たら、それは本ではなく植物図鑑だった。そこにたくさんの紙が挟んである。どうやら付箋のつもりらしい。

    私は草花に興味をもつような人間ではない。母に教えてもらった薬草は見た目と効果は覚えても、名前まではっきりとは覚えていなかった。開花の時期や花の色、葉の形。それらをハンジに教えて、近くで入手出来るものは実際に摘みにいく。しかし、時期が異なったり、遠くにしか生えないものは私の証言に基づいてハンジが図鑑で名前を調べ、外部の機関に調べてもらうそうだ。


    「ナタリーの教えてくれた薬草や薬は、人間に対してだとちょっと効果が薄い。けど、薬草自体をしっかり調べたら、調査兵団が今まで買っていた薬より良いものが作れる可能性があることがわかったんだ。これは大発見だよ。しかも人間だけでなく動物にも効果があるなんてすごいことだ」


    満面の笑みを浮かべて植物図鑑を振り回すハンジは、それはそれは楽しそうに見えた。

  78. 110 : : 2014/02/11(火) 18:06:25

    「リヴァイの為にしたことが、まさか調査兵団の為になるなんて思わなかった」

    「君のお母さんは優秀な方だね。娘に大切な知識をしっかり授けたんだから」

    「んー、どうだろう。まあ、確かに薬の話をしているときはすごかったよ」


    記憶を探っても母の思い出はほとんどない。それどころか、最近では顔すらも思い出せなくなっていた。母が嫌いだとは言わない。だが、家を空けがちだった母を好きだとはとても言えなかった。

    それでも、母はきっと私を愛してくれていただろう。家を空けるようになったのも、父親がいない分の稼ぎを埋め合わせる為だというのはわかっていた。だから、私にとっての母の位置づけはとても難しい。寂しかったし、気難しい姉は苦手だった。母を恨んだことも何度もあった。……それでも、こうして母が私に教えてくれたことがみんなの役に立っている。それは間違いなく嬉しいことだった。


    「まあ、リヴァイも昼には帰ってくるだろうし、今日はゆっくり休みなよ。昨日はさんざんやらされただろう?」


    昨日の訓練のことだ。私は首を横に振る。


    「もう慣れたよ。一日中掃除や洗濯の指導をされてた頃の方がずっと疲れたくらいだ。それより、ハンジは何か予定があるのか?」

    「ああ、うん。ちょっと班のみんなと話し合いをしたくてね。今度の巨人捕獲作戦について」


    またか、と呆れて嘆息する。一度捕獲に成功したらずっとこれだ。何でも前のは誤って殺してしまったそうだ。それなら大人しく壁の上から観察でもすればいいものを。直接調べたいだなんて、いかにもハンジらしい。


    「よくあんな気色悪いものを直視出来るな……。私なんて初めて見た時は嘔吐しかけたんだぞ?」

    「えー、可愛いよ。それに気色悪いって酷いなぁ。ナタリーも後3年見れば慣れるって」


    慣れたくない、と思う。それどころか、後1年だって見続けたくない。


    「……昨夜の話を一部撤回しよう。私は自分を狂っていると感じているが、ハンジも十分変わり者だ」

    「あはは! そりゃ違いないね」


    それからも会話を続けながら、私は手早く衣服を着替える。休日とはいえ、兵士であることには変わりない。兵士らしく在るために身なりはきちんと整える。勿論、リヴァイの教えだ。


    「あ、そうそう。いい忘れてたけど、グリムが君を呼んでたよ」

    「いつだ?」

    「今朝だよ。顔を洗いに外に出たら彼と会ってね」

    「色々な意味で珍しいな……。グリムから用だなんて、初めてだ」


    私は首を捻って考える。彼の班に入ってだいぶ経つが、こうして個人的に呼び出されたことなんて一度もなかった。


  79. 111 : : 2014/02/11(火) 18:07:33

    「朝食後に訓練場だってさ。いけないいけない、うっかり伝え忘れるところだったよ」


    舌を出して茶目っ気たっぷりに笑うハンジを横目に、私は少しだけ不安に駆られていた。


    (また何か……してしまったのだろうか)


    考えられるのはそれくらいだ。他の班員からの苦情。――お世辞にも口も態度も良くない私には、心当たりはたくさんあった。それにリヴァイとの噂もある。出所はハンジだとはっきりしたが、今では私を陥れかねない悪い噂だ。リヴァイと同室であるという事実がある以上、恋愛関係にあるということを簡単に否定出来ず、周りの印象が悪いのはわかっていた。


    「叱られそうだ」


    肩を竦めながら呟くと、ハンジは驚いた顔をして首を横に振る。


    「違う違う! そんな悪い話はしないよ。ナタリーは知らないかもしれないけど、ちょうど今の時期は班長が自分の班員と話し合い、交流を深めるっていう――所謂二者面談の時期なんだ」


    面談。そんなの初めて聞いた。


    「聞いたことないぞ。それに、ハンジはそんなことしていないじゃないか」

    「ああ、うん。だってウチのみんなは古参ばっかじゃない? それにこれは新兵限定だよ」


    新兵なら、私は違うんじゃないかと反論すると、ハンジは首を振る。


    「去年の今頃にいないんじゃ一緒だよ。それに、ナタリーは新兵って扱いにした方が色々と都合がいいんだ」


    どんな都合かと思ったが、おそらく書類のことに違いない。私は追及するのを止め、来た時と同じように寝具と寝巻きを小脇に抱えて言う。


    「それじゃあ、私はこれを置いてから朝食に行く。昨夜はありがとう。休日だから、あまり無理はしないように」

    「はいはい、ちゃんと早めに切り上げるよ。よければまた寝においで。私はいつでも歓迎するから」


    手を振って見送ってくれるハンジを横目に、私はドアを開けて廊下へと踏み出した。





  80. 113 : : 2014/02/11(火) 22:02:35

    朝食後、私はグリムの下へ向かう。指定された訓練場には、既にグリムが立っていた。


    「待たせたか?」

    「いや……僕もまだ来たばかりだ。さっき食堂で声を掛けたんだけど、気づかなかったみたいだね」


    それから軽く世間話をして、私は話を切り出す。


    「面談だって聞いたぞ。世間話に明け暮れていては進まない。早めに終わらせてしまおう」

    「ああ、君がそう言うなら……。悪いね、こんなことに貴重な時間をとらせてしまって」

    「これも十分貴重なことじゃないか。それにどうせ暇だったんだ。構わない」


    全く班長のくせにしょうがない奴だ、と私は小言を垂れてグリムを急かす。


    「う、うん。ならいいんだ。じゃあ始めよう」


    そう言うと、グリムは木の幹に身体を預けるようにして腰を下ろした。私もそれに倣い、彼の隣に座る。


    「まず、僕の班に来てくれてありがとう。君が来てから班に活気が出た気がする」

    「お世辞はいい。活気と言っても私に対する苦情だらけじゃないか」

    「あー、君には敵わないなぁ。でも、実際活気が――」

    「グリム。私はそういうのが嫌いなんだ。本題に入ってくれ」


    グリムとこうして座って何かを話すなんてことが、これまであっただろうか。記憶を辿るが、それらしいものはない。きっと初めてだった。


    「……わかったよ。ほら、この班は中堅を中心に構成されているだろう? 今期の新兵は現段階ではいないし、二年目の連中は面談なんてないから、僕も何を話せばいいのかわからなくて……」


    いつもより心なしか瞬きの数が多い。この状況で彼も緊張しているのだろう。グリムのような性格の人間と、私のような人間は最初から相性が悪い。お互いに相手を思いやろうとしても、この性格のせいでおどおどしたり、イライラしたりして話にならないのだ。わかっている。でも、わかっているのと出来るかというのは、また別の話なのだ。


    「普通こういうものは、班長が部下の良いところと悪いところを指摘して、良い方向へ向かうように尻を叩くものじゃないか?」


    仕方なしに助けてやると、グリムは頼りなさげに笑った。額に汗が浮いている。……そんなに私が苦手なのか。少し寂しくなる。

  81. 114 : : 2014/02/11(火) 22:03:46

    「本当にすまないね。僕も昨日の会議で突然言われたものだったから、よく考えられなくて」

    「訓練後のあれか。まぁいい。班長から見て、今の私はどうなんだ?」


    グリムは本当にどうしようもなく情けなくて、しかも腰の低い奴だ。でも彼が実戦で見せる動きと的確な指示だけは、班長という名に相応しい。グリムはこう見えて、調査兵団の班長の中でも死人をあまり出さない班長として有名なのだそうだ。何となく、リヴァイが私をこの班に入れた理由がわかる気がする。

    グリムは暫くの間顎に手を当てて考えこんでいたが、やがて呟くように話し始めた。


    「駄目なところは君がよく知っている通り、斬撃の拙さにある。まぁ、でもこれは今更仕方ないね。だから君が個人的にどうこうというよりは、僕のような立場の人間が、君にどう動いてもらうかを考えるしかないんだ。だから改善すべきところは特にない。で、良いところは何度言ったかわからないけど、君の立体機動は賞賛に価すると思う。進んで囮役をかってくれるおかげで、僕たちもだいぶやりやすいよ。一体どうしたら君のような動きが出来るのか、いつか教えてもらいたいくらいだ」

    「ミケに言わせると、訓練兵上がりでは真似しようがない動きらしい。確かに他の兵士は特徴もない模範的な立体機動をしている。よく見れば私のように変わった立体機動をする兵士もいるが、そういうのはどうやら特別らしいな。私もリヴァイと同じで、立体機動は独学で習得したにすぎないから、おかしなものになるのも当然だろう。あ、ハンジはこう言っていたな。体重が軽い兵士はガスの消費も普通よりずっと緩やかだから、その分派手に動きやすい、と。なら体格がいいグリムは今まで通りにした方が絶対いいに決まってる」


    ここまで話すと、グリムは大きく溜め息をついた。その意味がわからず困惑していると、急に焦ったように訂正する。


    「あ、いや、違うんだ。ほら、君と話すと幹部の名前が頻繁に出るから、自分の小物感というかなんというか……ようするに落ち込むんだよ。君を見ていると兵士長や分隊長たちの影がちらついて、僕なんかが君を任されているのが不思議になってくる」

    「私は幹部ではないし、グリムの部下だ。そりゃあ、多少みんなの息が掛かっているのは認めるが、特別扱いされたいわけじゃない」

    「うん。わかってはいるんだ。でもね、こればかりはどうしようも……」


    へらへらと緩んだ顔で笑顔をつくるグリムを殴ってやりたい衝動に駆られたが、そこは必死に抑える。これでも彼とは頑張って信頼関係を築いたつもりだったのだ。ここで崩すわけにはいかない。――認めたくはないが、私の立場と性格を知った上でこうして話が出来る人間は、幹部であるリヴァイたちとハンジの部下であるモブリットを除けばグリムしかいない。だから彼は非常に貴重な人間なのだ。

  82. 115 : : 2014/02/11(火) 22:05:07
    「グリム。どうせ暇なんだ。もっと何か話してくれ」


    そんな考えが脳裏にふっと浮かんだせいなのか、私は彼との更なる会話を望む。グリムは驚いた顔になって私を見ると、困ったように言う。


    「話といっても、僕は即席で何か語れるほど器用じゃないよ?」

    「知ってる。そうだな……じゃあ、何故調査兵団に入ったかはどうだ? これなら話のネタとしては定番だ。あ、もし嫌なら構わないが――」


    最後に言葉を付け加えたのは、私なりの気遣いだ。入団する理由は色々あるが、死に場所を求めて来る連中も一定数存在する。グリムはそういう人間でないにしろ、ここには何かと複雑な事情で来る連中が多いのだ。それに、調査兵団にいるということは、知り合いの死を最も経験するということ。訓練兵になってから今この瞬間までで、彼が経験した死の数はとてもじゃないが計り知れない。そうだ、調査兵団だけが特別じゃない。訓練兵団に所属した段階から彼は仲間の死を経験している筈なのだ。だから話を無理強いすることなどとても出来ない。


    「ああ、それならいいよ」


    それでも、グリムは意外なほどあっさりと頷いた。しかし、そこには言葉が続く。


    「ただ、聞いても面白くはない話だ。僕もみんなと同じ、一兵士にしか過ぎない。だから理由なんてものもよくあるものさ。それで良ければ話そう」

    「お願いしたい。それに、私は前から気になっていたんだ。グリムが何故強いのか」

    「あはは……見た目に合わないとよく言われるよ。じゃあ、その辺りも話そうか」


    そう言って、グリムはゆっくりと語り始めた。


    「僕はね、カラネス区出身なんだ。両親は商売をしていてね、特に不自由もない、普通の少年時代を過ごした。本が好きだったよ。外で遊びもせず、たくさんの本を読んだ。想像に難くないだろう?」


    確かに、グリムの印象は兵士には合わない。むしろ窓辺で本を読んでいる方がずっと似合う人だとずっと思っていた。だからその光景を想像するのは、恐ろしいくらい簡単だった。


    「僕もいつか両親と同じようなことをすると思っていた。けどね、両親――いや、父は違ったんだ。僕を兵士にしたいと願っていたみたいでね。自分の息子が喧嘩もしたことがないような男に育つのが、とても我慢出来なかったらしい」


    グリムは苦笑する。相変わらず上官には見えない情けない顔だ。


    「ほぼ無理矢理訓練兵にさせられた僕は、最初から駐屯兵団行きを希望していた。本音は安全な憲兵団だけど、非力な自分に無理なことはわかっていたからね」


    腕に力こぶをつくって見せ、また苦笑する。


    「モブリットとはその頃からの付き合いだ。偶然部屋も一緒で、当時はお互いヒョロヒョロしていたから、気が合ったんだ。ただ、彼はとても頭が良かったから、僕は焦った。いつかモブリットは僕を抜かすだろう。そうしたら、僕と並んで立ってくれる人はいなくなる、ってね。毎日が不安だったよ」

  83. 116 : : 2014/02/11(火) 22:06:16

    グリムはどこか遠い目をしていた。今でもこんな性格なのだ。訓練兵だった当時はさぞや辛かったに違いない。 兵士になりたくて来た人間とそれ以外の理由で来た人間とでは、覚悟も夢も違う。彼のような人は、本来ならば兵士になんて絶対にならないだろう。それでもそこに居続けるしかなかった人の気持ちは、兵士になりたくてなった私には想像することしか出来なかった。


    「そんな時、僕は一人の女の子に出会った。とても小柄で線が細くて、でも強い人だった。彼女は口が悪いし、正直言うと結構怖い人だったけど、僕たちは対人格闘でよく組まされて一緒だったんだ。次第に話すようになって、僕は彼女が悪い人でないことを知った」

    「グリムより強かったのか」

    「僕は当時は落ちこぼれで、同期にはそのうち辞めさせられるやつって呼ばれていたくらいだったよ。でも彼女は憲兵団に入れる実力を持っていた。仲良くなるにつれ、僕は友人である彼女が誇らしくてたまらなくなったくらいだ」


    その人は今、どこにいるのだろう。調査兵団にいないなら、憲兵団にでもいるのだろうか。ふと気になる。


    「彼女は僕を投げ飛ばしながら、たくさんのことを教えてくれた。父親が調査兵団にいたこと、彼女が3歳になる頃には死んだこと、そのせいで母親と自分が散々苦労したこと。――父親を恨んでいると彼女は言っていたよ。調査兵になるのなら、家庭を持つべきでなかったと」


    父親がいないのは私も同じ。だから、グリムの言うその人がどんな生活を送ってきたかは想像することが出来た。この世界で生きる為には、男手は絶対に必要だ。それを欠いている家庭は貧困を余儀なくされて当然なのだ。……私たち姉妹は母のおかげでそれを免れたにすぎない。


    「やがて僕たちは卒業を迎えた。予想通り、彼女は上位10名に食い込んだよ。僕やモブリットは当然そんなことない、普通の成績だった。僕なんかはギリギリ卒業させてもらえたってくらい酷かった。それで、所属兵課を決める段階になって、彼女は初めて調査兵団に入ると言ったんだ。そして、モブリットも」


    調査兵だった父親を恨みながら、自分は調査兵を志す。その気持ちは僕にはわからなかったと、グリムは寂しそうに呟く。


    「当然止めたさ。君は憲兵団に入るべきだと、何度も説得した。そうしたら、彼女泣きながら言ったんだ。この間母が死んだ、と。もう自分には幸せにしたい人間はいないって。だからせめて調査兵団に入って、死んだ父親を想い続けた母親の気持ちを理解したいって言ったんだ。僕はもう、彼女を止められなかった」

    「だから、グリムも調査兵団に?」

    「ああ。モブリットも調査兵団を希望してしまったから、ついでに僕も入ったってことにした。……けど、本音を言えば彼女と一緒にいたかった。惹かれていたのさ、彼女に」


    もう最後まで語らずとも、この話の結末はわかってしまった。けれど、その話に私から終止符を打つことは出来ず、ただグリムの話が続くのを聞いていることしか出来ない。


    「調査兵団に入った僕たちは、それから何度も壁外に出た。落ちこぼれにしては運が良かったのか、僕は何とか生き延びていた。彼女はとても強くて、巨人に対しても全く怖気づくこともなくやっていたから、周りの評価はとても高かったよ。モブリットもその頭の良さが認められて、すぐに偉い人たちの目についた。僕だけが取り残された中、それでも僕たちは仲が良かった」


    懐かしむように目を細めたグリムは、おもむろに腕のエンブレムをぎゅっと握る。ここからは辛い話なのだと、彼のその動作で察することが出来た。

  84. 117 : : 2014/02/11(火) 22:07:39

    「もう、いつのことだったか忘れてしまったけど、壁外から帰る者の姿に彼女がなかった。僕はすぐに負傷者を乗せた馬車を探したよ。……いた、でもね、最悪の形で彼女はそこにいた。なかったんだ、両脚とも」

    「両脚……」


    ほとんどが巨人に喰われて死ぬ世界。怪我をした者が生き残ること自体奇跡だった。だが、生き残ってしまえば傷は一生残る。兵団を退いき、巨人と戦わないことを選んだとしても、負った傷は一生塞がらない。


    「僕は意識を失った彼女の傍にずっと付いていた。高熱を出し、何日も寝込んで目を覚ました彼女は、幻肢の症状を訴えた。――ほら、ないはずのものをあるように感じるアレさ。きっと彼女は自分の脚がもうない事実を認められなかったんだろうね。そして、やがて自分の脚がもう失われていることを自覚すると、彼女は僕に自分を殺せと懇願してきたんだ。……痛みで頭がおかしくなる。それにもう戦えないのなら、どうかこのまま死なせてくれ、と。僕は当然嫌だったさ。だから断った」


    立つことも出来ない人間は、調査兵団では生きていけない。いや、それどころか普通に生きることも難しいだろう。彼女はそれをわかっていて、そう願ったに違いない。


    「役立たずと自分を罵る彼女を、僕はただ励まし続けた。それしか出来なかったんだ。……彼女が好きだった。それなのに、弱い僕には彼女と結婚して養う覚悟もなければ、殺して楽にさせることも出来ない。中途半端に彼女を励まし続けて、結局彼女を死なせてしまったんだ」


    最期は自殺だったよ、とグリムは悲しそうに呟く。伏せたその瞳が揺れていて、未だに彼が後悔しているのだということが、痛い程感じられた。


    「誰も僕を責めなかったけど、彼女を殺したのは間違いなく僕なんだ。だから僕は、彼女の分も強くなろうと決めた。……強くなって、彼女が出来なかったことをしてやろうってね。それからは猛特訓さ。休めと言われない限り、ずっと訓練していた。壁が破壊されて今のようになった後も、僕はずっとその思いを胸にやってきた。――よくある話だっただろう?」

    「グリムは強い。それに、みんなに好かれている」

    「彼女が生きていれば、僕はきっと弱いままだった。もしかしたら今頃は死んでいたかもしれない。人生に何があるかなんて、僕たちみたいな一般人には分からないんだ。だから、常に後悔のないように生きることが望まれる。僕は彼女という大切な人を、最悪の形で喪った。あの時、僕が選択を間違えなければ彼女は今も生きていただろう。脚を無くしても、僕の隣で笑っていたに違いない。でもそれは叶わなかった」


    私はとても幸運だ。今まで知り合いが死ぬのを目の当たりにしたことがない。母や姉でさえ、会えずともどこかで生きているかもしれないという思いを、心の奥から捨ててはいなかった。だから私は知り合いを、それも大切でたまらない人を喪ったグリムの気持ちを心から理解することは出来ないのだ。でも彼はそれでいいとばかりに穏やかな顔をしていた。珍しく、そんな彼を強い人だと思った。


    「ナタリー。調査兵団は止めた方がいいと、誰かに言われたかい?」

    「ああ、ハンジに言われた」

    「――そうか。うん。僕もきっと同じことを言っただろうね。ここは酔狂な連中ばかり集まっているだろう? 死にたがりと生きたがりが混ざりあって、なのにまともに機能している変な集団だ。第一、調査兵団にいるといっても、自分が生きている内に巨人を一掃することが出来るだなんて思っている兵士が何人いるか――。それでも、僕たちはそれぞれが抱える思いを胸に今日を生きている。僕はね、巨人がいない世界をこの目で見れるなんて思っちゃいないよ。でも僕自身の為に戦ってる。彼女がいない今、もう守りたいものなんてこの世界にはないけれど、もっと強く在りたいって思ったからね。だけど、他の人間まで僕のようには生きてもらいたくない。分隊長もきっと、ただ君を死なせたくないという気持ちの他に、色々な思いを抱いて君を止めようとしたんだ」

  85. 118 : : 2014/02/11(火) 22:08:44

    私はグリムの横顔を見ながら、眼鏡の奥に見える綺麗なハンジの瞳を思い出していた。私を死なせたくないという言葉は、正式に兵士となったあの日にもらった。とても嬉しかったのを、昨日のことのようにはっきりと覚えている。そして昨夜、ハンジは私にもっと大切なことを教えてくれた。きっとそれこそがグリムの言う、色々な思いというやつの根本にあるものなのだ。


    「グリムは……誰かの為に命を懸けることをどう思う? ハンジに言われたんだ。リヴァイを守って私が死ねば、彼はそれを喜ばないと。――喜ばないのはわかる。でも、そうせざるを得ない状況になってしまった時、私はリヴァイを見捨てることなんて出来ない」

    「僕は、いつだって助けられずにいた。こちらに手を伸ばす仲間もいたさ。でも、それから目を逸らしてきた、どこまでも弱い人間なんだ。だから僕には君に偉そうなことを言う資格はないと思う。でも、僕はこう考えるよ。――守って死んでも、見捨てるとしても。どちらにしたって、必ず生き残った方が後悔するんだ。なら、君は君が一番だと思える方を選ぶしかない。僕にはわかる。ナタリー、君は彼女に全てを懸けられなかった僕とは違う。君は本当に命を、自分の全てを懸けられる人間だ。だから君ならば最善の選択肢を選べると、僕は信じているよ」


    私はグリムの弱そうな横顔を眺めながら、肺に溜まった空気を押し出すようにゆっくりと息をはく。


    「グリムは……私をどう見る? もし、リヴァイを守って私が死ぬようなことになったら、グリムは死んだ私に対して何を思う?」

    「どうも思わないさ。君は君だ。君が選んだ答えを僕みたいな部外者が貶すわけにはいかないからね。でも、寂しくはあるかな」


    穏やかに笑うグリムを見つめる。調査兵団は変人の巣窟だと言われているらしいが、私の答えを尊重するという彼もまた、とても失礼な言い方かもしれないが変人だと思った。


    「何故この時期に面談なんてやっているかというとね。ちょうど今ぐらいが新兵たちが壁外や巨人に恐怖を抱いたり、自分の力の限界を知って絶望する時期だからなんだ。ナタリーは別口の特別枠だったから同期なんてものはいないけど、彼ら新兵たちには当然同期がいる。それも辛い訓練兵時代を共に生き抜いた戦友だ。――それら戦友が壁外で次々と死んでいく。明日は自分が死ぬかもしれない。そんな不安が胸の奥から霧のようにじわりじわりとやってきて、やがて夜も眠れない程に押し寄せるようになる。そこまでいけば重症だ。だから、そうならない内に僕たちのような何度も壁外を経験した兵士が、彼らの不安や悩みをきいてやろうってことなんだ」

    「聞いたことがある。新兵の死因の一つに、自殺が含まれているって」


    そう、実際によくあることなのだ。壁外で巨人に喰われるだけが私たち調査兵の死因ではない。精神を病んで自死を選ぶ者も、悲しいことに一部には存在する。ある日突然部屋で首を吊っている兵士が見つかるだなんて、一昔はかなりあったらしい。ただでさえ兵士が少ない調査兵団だ。それを防ぐ為に色々な対策を採っていたのは知っていたが、これもその一つだったのか……。

  86. 119 : : 2014/02/11(火) 22:09:48

    「うん。ここはそんなところだから、自分の死に方を選べる人間っていうものはそれだけ幸運なんだよ。巨人と戦って死んだ兵士も、自殺した兵士も、そして彼女も……みんな死にたくて死んだわけじゃない。そうしなければいけなかったから死んだんだ。けれどナタリー。人類の為に、王の為に。僕たち兵士は心臓を、命を捧げている。けれど誰だってそれだけじゃ死にきれない。だってそうだろう? 僕たちは壁内の全ての人を知らない。王の顔すら知らない。そんな知りもしないあやふやなものに、一つしかない命を懸けられるかい? 僕たちは何も一人じゃない。仲間だっているし、家族もいる。生きなければいけない理由の方が死ぬ理由よりもずっと多い。それなのによく知りもしない人間たちの為に死ぬなんて、そんなことは普通なら無理だ。だから僕は君のように大切な人の為に命を懸けられる人を羨ましいと思う。たとえそれで君が死んでしまったとしてもね」


    私は建前はみんなと同じ、人類の為、王の為に戦う兵士。だが実際に心臓を捧げた相手はリヴァイなのだ。だから私は特別。皆が命を散らして後悔の中死ぬところを、私だけは満足の中で死ぬことが出来るかもしれない。その可能性をグリムは指摘した。


    「それでリヴァイが悲しんでも、グリムはいいと思うのか?」

    「ああ。もし君が死ぬことになっても、兵士長なら君を理解して下さるはずだ。君の生き方を、選択を」


    ――悔いの残らないように選ぶ。その難しさを私は知っていた。そしてきっとリヴァイも知っている。だって彼は私がここに来て初めての壁外調査、その帰還後に言っていた。あの時自分が行動していれば死なない兵士がいたかもしれない、と。リヴァイはいつだってそんな選択を繰り返し、あの綺麗な灰色の瞳に悲しみを湛えてきたのだ。泣きも喚きもせず、ただ死んだ者の意志を背負い続けた。自分を信じても仲間を信じても、結局のところ最後に選択するのは自分で、選ばなかった未来は描けない。

    リヴァイは私に守られたいだろうか。それを私は今までに考えたこともなかった。昨日ハンジに指摘されるまで、彼の為に命を投げ打つことが当然だと思っていた。リヴァイは何も言わない。私が彼を守ると言った日から、それについて言及したことはなかった。


    (けど、リヴァイはもし私が死ぬことになったらと、考えたことはあるのだろうか)


    例えば、リヴァイの立体機動装置が突然故障して、巨人がまさに彼に喰らいつこうとしている。私はそれを見つけ、急いで彼を巨人の口から引っ張って助け出す。しかし今度は私が巨人に捕まってしまい、口の中に押し込まれる。そんな最期になるとする。――私は幸せだ。リヴァイは生きていて、しかも助けたのは私だ。何の後悔もない。けど、助けられた彼は? 装置が壊れなければ、巨人に捕まらなければ……そうやって後悔し、私の死を嘆くのだろうか。

    人の命は平等である。それを初めに説いた人を私は知らないが、そんなのは綺麗事だと思う。だって現実は違う。真の平等なんてものはこれっぽっちも存在しないし、命の重さは立場や権力でいくらでも変わる。私が死んだとして、それはただの兵士としての死。しかし、調査兵団の兵士長であり、人類最強の兵士と言われているリヴァイのそれは私よりずっと重い。けれど、それでもきっと彼は私が死ねば、余計なものを背負ってしまうのだと思うのだ。――優しい彼ならきっと。

  87. 120 : : 2014/02/11(火) 22:10:50

    「私はいつだって考えが足りないな……。もっと人の気持ちに目を向けないといけないかもしれない」

    「僕が言えるものではないけど、そうかもしれないね。普通なら僕は君に生きろと言わなければならないだろう。でもここは普通じゃない、調査兵団だ。君も僕もみんな死ぬ。それがいつかはわからないけど、きっといつまでも無事で生きているなんてことはないんじゃないかな。だから僕は自分の勝手で君に生きろとは言えない。せいぜい後悔しないように決めてくれとは言えるけどね」


    グリムらしい弱気な考えだとは思ったが、私はそれを笑い飛ばすことが出来なかった。だって彼の言葉には真実味があって、そしてそれはきっと真実だから。


    「グリム、ありがとう。まさか私の悩みをグリムが聞いてくれるなんて思わなかったよ。そうだな……私は私の答えを見つけよう。それが最善ならいいが、もし最悪の選択をしてしまってもリヴァイならわかってくれるかもしれない。ハンジには怒られそうだが」


    どこか胸が苦しかったが、私は努めて明るく言った。グリムはそれを見て、やっぱり頼りなく笑う。


    「良かった。ようやく僕も君の上官らしいことがやっと出来たんだね。うん、でもナタリーも普通の女の子らしいところがあって嬉しかったよ」

    「普通の女の子らしい?」


    私は驚いて声を上げる。別に怒って言ったわけでもないのに、彼は大慌てで手を振りつつ訂正した。


    「あ、違っ……。女の子だとは思っていたよ? でもほら、なんか君はみんなとは違うじゃないか。態度も性格も、能力すら違う。だからどこか別のところにいる人って印象だったんだ。まるで、うん――ある意味、幹部たちみたいな」


    ようするに高嶺の花だ。そう言って頬を掻く。


    「でもこうして話してみると、ナタリーもみんなと何も変わらないんだなって。何も特別なものを持たないでここに来たわりに、君はあの人たちから大切にされている。だからみんなは君の存在を認めようとしないんだと思うけど、幹部たちが君を大切にする理由がようやくわかった気がするよ。君はとても……そう、不器用だから。だから放っておけないし、大事にもするのさ」


    立体機動の天才とまで言われた私が、実際には囮くらいにしか使えないとわかった時、リヴァイたちは酷く落胆した。いや、ハンジはむしろ嬉しそうだったが……。とにかく、私は役立たずの烙印を押され、本来なら兵団から去らねばならなかったはず。なのに、彼らは私をここに置いた。その理由を訊いた時、私に情が移ったのだとエルヴィンは言ったが、そんな理由は全く彼ららしくない。それにほんや情が移ったのだとしたら、余計に私を兵士として置かないべきなのだ。だから私はずっと不思議に思ってきた。何の特別なものも持たない私が、何故調査兵団にいられるのか。何故みんな私を追い出さなかったのか。私はただの役立たずなのに。

  88. 121 : : 2014/02/11(火) 22:13:32

    「団長の考えは僕にはわからないし、リヴァイ兵士長が君をどう思っているのかも想像がつきないけど。きっと君はあの人たちに気に入られるものを持っていたのさ。多分、君の強固な意志。何かを守るために、自分の命までもを懸ける心。それを認められたからこそ、君はここにいる」


    なおも彼は言葉を続ける。


    「ほら、だとすればさっきナタリーが悩んでいたことも簡単に答えが出る。あの人たちは君の考えたことなら尊重するはずだ。結果はどうであれ」


    笑って言い切るグリム。私はぐうの音も出ずに黙るしかなかった。


    (私の選択を尊重してくれる、か……)


    そう、兵士になるかどうかを問われた時も、リヴァイにそんなことを言われた気がする。どちらを選んだとしてもお前の選択を尊重する、と。ならば私は何も考えず、自分の思う通りにすればいいのだろうか。私にとって最重要ともいえる“リヴァイを守る”こと。その過程で自分の命を散らすか否かを選択をしなければならない時。私は彼が悲しむことを知りながら、彼の為に命を捨てることが出来るのか。それが彼から許されるのか。


    「……今はまだわからない。けど、私はリヴァイが殺されるのだけは嫌だ」

    「うん。僕も嫌さ。多分、みんなも嫌だと思う。――大丈夫。兵士長は強いから、君が自分を守って死なないようにしてくれるはずだよ」


    笑いながら、グリムは私の肩を軽く叩いて立ち上がる。それが終わりの合図だった。


    「有意義な時間だったよナタリー」

    「私もだ。まさかグリムに励まされるなんて思わなかった」


    そう言うと、彼は曖昧な表情をしてみせる。多分、笑えばいいのか困ればいいのかわからなくて戸惑っているのだろう顔だ。


    「いや……僕は自分みたいな人を増やしたくないだけだよ。あんなことで後悔する臆病な人間は僕一人で十分だ」

    「きっと、グリムの言ったその人、今のグリムを見たら笑うだろうな」

    「そうだろうか。相変わらず弱いままだと叱られそうだけど」

    「いいや、間違いなくこう言うよ。“お前、随分と強くなったな”って」


    私はそう言って彼の肩を叩き返す。身長が遥かに違うため、それは無理に近い形だったが、グリムは珍しくはっとした顔をしていた。


    「――ん? どうした?」

    「いや……驚いたな。まるで彼女に言われたみたいだったよ。おかしいね、見た目も違えば口調も違う。赤の他人であるはずの君に、彼女が重なった気がした」


    グリムは空を仰ぎ、懐かしむように目を細める。そして暫くそうしてから、私に向き直って穏やかに言う。


    「僕も君に励まされてしまったみたいだ」


    少し気まずそうなのが、彼らしかった。


    「じゃあ、これで貸し借りゼロだな」


    私もいつもの調子でおどけてみせる。グリムは困った顔をしながら、それでも笑っていた。

  89. 122 : : 2014/02/11(火) 22:14:24

    「じゃあ、また明日訓練で会おう」

    「そうだな。私はハンジの部屋に行くが、グリムは兵舎へは戻らないのか?」


    尋ねると、彼は少し考えて答える。


    「あー、本当はまだ内緒なんだけど。ナタリーには隠せないか……。それがさ、うちの班に移動する兵士がいるんだ。しかも今期の新兵」


    私は驚く。連帯性を欠いた私が言うのもアレだが、よく知った仲間でないと共に戦うのは難しい。だから最初の数ヶ月という新兵たちにとっての試練を抜けてしまえば、基本的に一度配属された班は変わらない。それこそ、移動届けを出すか誰かに引き抜かれるかしない限りだ。


    「ほら、ネス班長がいるだろう? 彼の班からこっちに来るんだ」

    「何故今なんだ? もう班は固定されたとついこの前グリム自身から聞いたぞ。しかもここは策敵班で、あっちは伝達班じゃないか」


    半年程前に兵士になった私は、この時期を乗りきったことはない。朝、ハンジにも言われた通り、新兵扱いが便利な中途からの兵士だ。だから調査兵団のことはまだ完全には理解出来ていないのだ。


    「いや、単純な話だよ。どうやらその新兵は実力面では他と劣るけど、頭が良い兵士らしい。だから頭脳派のいない僕たちの班で、それを活かしてくれってことだそうだ。ご存知の通り、僕たちは荷馬車に近い策敵班だ。壊滅なんてすれば、後に残るのは若い兵士が多い伝達班と、戦いに不慣れな荷馬車護衛班のみ。僕なんかが率いるわりには重要な班だからね。そこに抜擢されるということは、それだけ期待が大きいというわけだ」


    そのわりにはグリムは不安そうだった。まだその新兵について何かあるのだろうか。


    「心配事か? 顔に出てる」

    「ああ……。彼はどうやら巨人に怯えているみたいでね。無理もない。伝達班から策敵班に移った時は僕もそうだった。しかも彼には同期で仲が良い者はもういないそうで、それが余計に心配なんだ。ネス班長も心配そうだった」


    同期に仲が良い者がいない。それに巨人に恐怖を感じている。そんな状態の兵士を引き取るのは不安だと、グリムは言う。

  90. 123 : : 2014/02/11(火) 22:15:32

    「だからこその面談なんだけど……。正直やり遂げる自信はないよ」

    「だろうな。私だってその状態では何も言えない」

    「唯一の救いは、彼が今同室の兵士たちが強い兵士ばかりで、彼らもまた後輩であるその新兵を心配してくれていることかな……」


    上手くいくように祈っていてくれないか、とグリムは情けない声で呟く。流石の私でも笑う気にはなれず、頷くことしか出来なかった。


    「その新兵、いつからこっちに来るんだ?」

    「運が良ければ来週にでも紹介出来るはずだよ。僕も今日が初対面で、正直言うと君と話すことより緊張しそうだ」

    「それは当然だ。私と何ヵ月一緒にいると思う」


    わざとらしく指を折って数えると、彼は焦ったように口を開いた。


    「い、いや……。だってほら、ナタリーはちょっと変わってるじゃないか」

    「さっき普通だと言ったばかりだぞ。もう訂正するのか?」


    からかうと、グリムは困ったように口を開いたり閉じたりして言葉を探す。このままではモブリット並みに胃を痛めそうなので、いい加減に止めておく。


    「まぁ、グリムならどうにか出来るさ。今日はそう思えるくらい、私にとって有意義だった」

    「君のそのお墨付きでどうにかなる相手ならいいなぁ」

    「なるさ。それに、私以上に面倒な兵士なんて、調査兵団には存在しないと思うしな。それじゃあ、また明日」

    「あはは。それは違いないね。じゃあ」


    ようやく普通に笑ったグリムに背を向け、私は歩き出す。その背中に声が掛かった。


    「ナタリー。君は何で兵士になった?」


    私は間髪入れずに答える。


    「勿論。リヴァイを守る為だ」

    「なら、君はもう悩んではいけないよ」

    「――ああ。私はただ、彼に心臓を捧げるだけだ」


    私はまた歩き出す。今度はその歩みを止める者はいなかった。

  91. 126 : : 2014/02/23(日) 22:05:28


    「マリウス・シャハトです。宜しくお願いします」


    目の前で律儀に敬礼してみせる彼。――背は私と同じくらいだし、体格はお世辞にも良いとは言えない。隣に立つグリムが長身なのも、それを際立たせてしまっているのだろう。


    「今日から彼も僕たちの仲間だ。頭が良いらしいから、この班での活躍を期待しよう」

    「ほう、頭脳派とは珍しいな」

    「おいボウズ! よろしくな」

    「やるね班長。でも新兵なんて入れて大丈夫なの? ただでさえ経験浅い子がいるのに――」


    チラリとこちらを見る彼女。私は彼女、というかグリム以外の班員が苦手だった。

    あれから1週間。グリムはどうやったのか、新兵の意識を回復させることに成功したらしい。練習の前に集められた私たちは、初めてその新兵と顔を合わせたのだった。


    「まぁ、足を引っ張りさえしなければ俺は歓迎するよ」

    「右に同じー」

    「ははっ! 俺みたいにやっていれば、すぐ強くなるぜ?」


    ここは班長であるグリムを筆頭に、男2人と女2人の計5人の班だ。別に多くも少なくもない標準的な班だったが、今日からそこに少年にしか見えない新兵が一人加わる。これで6人班だ。新兵であるマリウスは、一通り私たちの顔を見渡した後、不安そうな顔をしてみせる。……考えるに、クセが強そうな先輩たちだとでも思ったのだろう。私も初めはそういう印象を抱いたから間違いない。


    「……おい、てめぇら。もう始まってるぞ。今日はいつもの鍛え直しじゃねぇ。古参連中も含めたれっきとした訓練だ。遅れて他の連中に迷惑掛けるなよ」


    急に物陰から現れたリヴァイの姿を認めると、皆一斉にそちらを向いて敬礼する。私も同じく心臓を捧げる動作をし、次に声を上げた。


    「リヴァイ!」

    「……訓練中だ。その名で呼ぶんじゃねぇ」


    彼はこちらを向いて嫌そうな顔をし、小声で私を咎める。流石の私でも悪いと思ったので、すぐに謝る。


    「悪かった。訓練中は兵長だったな。“兵長”」


    訂正したのにリヴァイは不満そうに眉をひそめるだけだった。意味がわからず代わりにグリムの方に目をやると、彼は彼でリヴァイの登場に緊張している様子。


    「今日からこの班に配属された新兵を紹介していました」

    「そうか。それは仕方ないな。てめぇは――ああ、ハンゼンか」


    グリムの顔を見ながら思い出したように彼の名を呟き、遅れなければいいと言ってリヴァイは去っていった。


    「ナタリー。君という人は……」

    「公私はわきまえよう。――これから」


    手招きで私を呼び寄せ、耳元に顔を寄せて言ったグリムに言い返す。他の奴等は案の定いい顔はしていなかったが、元々私の印象が良くないのは知っていたため、何も言わないでいることにした。
  92. 127 : : 2014/02/23(日) 22:07:09

    「あー、えっと……」


    驚いたように目を見開くマリウスは、今起きた出来事についていけていないようだった。それも仕方ない。この班にいれば嫌というほど私とリヴァイの噂話を聞かされる羽目になる。そう思い、私はいつものように何も言わないまま、グリムが口を開くのを待った。


    「そうだな。マリウスはまだ新兵だし、この班に慣れるまで誰かの世話が必要だと思うんだ」


    と、突然グリムが話し出す。だが驚いた私が喋る前に、他の連中が割り入った。


    「何言ってんの班長。いくら新兵って言えどもうだいぶ経つのよ? 今更世話なんていらないんじゃない?」

    「同意だ。もう自分で考えて行動出来る時期だろう」

    「おいボウズ。お前も世話なんて堅苦しいもんはいらねぇよな!」


    がははと笑われながら背中を叩かれるマリウスは、ひきつった笑みを浮かべながら助けを求めるかのようにグリムに視線を送る。グリムもいち早くそれに気付き、自分の説明不足を詫びてから話を続けた。


    「ほら、彼は今まで伝達班だったろう? それにマリウスをこの班に配属したのは、僕でもネス班長でもなくハンジ分隊長なんだ」


    あのハンジが? と口に出しかけて、私はそれを飲み込んだ。さっき公私をわきまえると言ったばかりだったからだ。


    「いや、正確に言えば副官のモブリットの意見でね。マリウスのような兵士は貴重な人材になりうるから、若い内に色々な場面を見た方がいいだろうという話になったんだ。分隊長はあくまで承認して下さっただけ。誤解を招く言い方をしてすまなかったよ。説明は難しいなぁ」

    「なんだ。そんなにすごい新兵なのかと思っちゃった。あー、でも兵長直々の推薦で配属された人もいたよねー」


    嫌味だな、と私は軽く聞き流す。彼女の良いところがあるとすれば、それは私が釣られない限り話を続けないことだった。


    「ナタリー。マリウスのことは君に頼みたい。君もまだ新兵と言っていいくらいだし、ちょうどいい先輩になれるはずだ」

    「ま、待てグリム。私だって新参だぞ。他に任せてくれ」


    大慌てでそう言うと、グリムは困ったように頭を掻く。癖のあるグリムの茶色い髪が乱れ、寝癖のようになった。


    「悪いけどもう決定事項なんだよ。本来は僕たちがやるべき仕事だけど、囮役の君の方が適任であると僕は判断した」

    「いくら私が囮役だからといっても新参の私に任される仕事ではないだろう……」

    「いや、これは君にしか出来ないことなんだよ」

  93. 128 : : 2014/02/23(日) 22:08:50

    今日のグリムは珍しく押しが強い。そう思っていると、同じように思ったのだろう。班の一人が口を開く。


    「班長。アンタにしちゃはっきりしているが、何か考えがあってのことなのか?」

    「うん。僕たちの仕事はあくまで策敵であり、巨人の討伐でないことはみんなも知ってる通り。でも実際には、動きが読めない奇行種と交戦しなければならないこともあるよね。けど、奇行種は大抵囮であるはずのナタリーに食い付かない。そう、ナタリーが囮役として使えるのは通常種のみだ」


    そう、私の力が通じるのは通常種まで。眼前で飛んでいるにも関わらず私に興味を示さない奇行種の前では、立体機動が上手いという唯一の特技も無意味。折れた剣同然だった。


    「うむ。俺たちと比べてリスクが大きすぎるな」

    「ああ。だからもう一人欲しいと常々思ってたんだよ。囮ではなく、陽動が出来る兵士をね」

    「陽動だとぅ? って、囮と何が違うんだよ。同じじゃね?」


    うーん、と首を捻ってからグリムは説明を始める。


    「前々から感じてはいたんだけど、今の状態ではナタリーは常に危険に対峙し続けることになる。もう何度か壁外調査を生き延びたとはいえ、これではいつ巨人の餌食になるとも知れない。ならばもう一人囮役を増やすのはどうだろうと考えた。けど、これではいざという時に戦える人間が減るよね。外部から新しい人間を引っ張ってくるのも考えたけど、単純な相性の問題もある。そこで僕はモブリットに相談したんだ。彼はすぐにマリウスを見つけ出し、ネス班長とコンタクトを取ってくれた」

    「頭の良い兵士がこの班に必要って考えたわけね」

    「うん。流石頭脳派のモブリット。彼はナタリーの技術とマリウスの頭脳が上手く合わされば、奇行種と接触してしまった場合でも生存出来る可能性が高まると考えたのさ」

    「確かに立体機動が少しは上手いけど、連携は下手だし戦術もワンパターンだもんね」


    悔しいが、実際その通りなので私は言い返せない。


    「け、けど僕は奇行種と遭遇したこともありません。どうすればいいかなんて咄嗟には……」


    伝達班であるということは、運が良ければ巨人とあまり遭遇しないということだ。だから奇行種を見たことがないというマリウスのような兵士は珍しいが、全くいないわけではない。


    「運が良いんだな。俺は初陣で出会っちまった」

    「あー、オレはいつだったかなぁ。お、そうそう多分三回か四回目の時だ」

    「うっ……。先輩方はよくご無事で……」


    壁外に慣れない新兵が奇行種と遭遇した場合、その生存率は一気に下がる。そんな世界を潜り抜けた者だけが、今ここに立つことが出来ている。マリウスは尊敬の中に不安を混ぜたような色を瞳に宿して私たちの顔を見た。
  94. 129 : : 2014/02/23(日) 22:10:12

    「マリウス。戦わないことが前提であることに変わりはないよ。僕たちは巨人を発見し、煙弾を打ち上げることが仕事だからね。でも万が一にでも陣形の中央へ奇行種を侵入させるわけにはいかない。そうなりかけた時にだけ、僕たちは巨人と戦うんだ」


    私はグリムのその説明が真実ではないことを知っていた。いや、真実ではある。だが彼の語るそれは理想であり、現実はほぼ毎回巨人と戦うことになる。それをマリウスに伝えずにどうする?


    (マリウスは……不安そうだな)


    グリムと同じ、気の弱そうな顔をしている。グリムの場合は自信がないから故の気の弱さだが、マリウスのそれは保身の感情から来るもののように見える。


    (無理もないか……。友人が死んだなら、不安にもなる)


    むしろ今訓練に参加出来ているだけで強い方だろうと考え、私はグリムが先程壁外調査の真実を教えなかった意味を理解する。

    そう、グリムだって馬鹿ではない。いくら新兵とはいえ、策敵班が巨人と戦わないなんて嘘を教えてはいけないことは知っている。けど、グリムはそれでもマリウスに真実は伝えられなかったのだ。おそらく同期の死で恐怖に捕らわれていただろうマリウス自身の為に。


    「……とりあえず話は理解した。私でなければいけない理由があるのなら仕方ない。グリムに従おう」

    「そうしてもらえると助かるよ」


    安堵の息をつきながらグリムは微笑んだ。私はマリウスの方を向き、後輩となる彼に向かって口を開く。


    「どれだけの付き合いになるかはわからないが、よろしく」

    「え、あ、こちらこそお願いします」


    慌てて差し出された手をそっと握る。こうして私はマリウス・シャハトという後輩兵士の面倒をみる任務を任された。しかし、結局この日、彼の目から不安の色が消えるところを私は見なかった。そのことが胸の奥をざわつかせていることに、私はまだ気付かない。

  95. 130 : : 2014/02/23(日) 22:11:05



    それから数日間マリウスと関わって知ったことは、どうやら彼は私が苦手らしいということだった。

    まぁ、気持ちはわかる。私自身も自分の性格が良いものでないことを理解している。取っ付きにくさと気難しさはリヴァイ並み。流石にハンジ程ではないにしても、変人度は他の兵士には負けていない。第一、何もなくても私はリヴァイたちに近い。そんな私に積極的に関わりたい人間なんていないだろう。

    それでも私はグリムに与えられた任務をこなすだけだ。それに、面倒をみるという堅苦しい言葉のわりには私のしなければならないことは簡単なことだった。


    「ナタリー。マリウス。ちょっと来てくれないか?」


    大雨で訓練がなくなったある日。体づくりの為の軽い運動を終えた私は、火照った身体を冷ます為に廊下に出た。そこでマリウスと出くわし、挨拶を終わらせたところで背中に聞き慣れた声が掛かる。反射的に振り返った先にはグリムと大量の資料を抱えたモブリットの姿があった。


    「なんだ。二人揃っているなんて珍しいな」


    グリムとモブリットは友人関係にあるらしいが、実際に二人が揃っていることは珍しい。いくら本部とはいえ、ハンジに付きっきりであるモブリットはそれだけ活動範囲が狭い。班長という立場故に、それなりに活動範囲の広いグリムとは正反対だった。それにお互い役職についた者同士なので、友人といえども顔を合わせる機会は少ないのだろう。――その二人が揃っている。それはつまり、そうなるようにお互いの都合を合わせたという他ない。


    「少しモブリットに相談事をしていたんだよ。今はハンジ分隊長のおつかいをしている」

    「ハンジは相変わらず部屋に篭っているのか? もう3日になるだろう」


    そう訊くと、今度はモブリットが悲痛そうな顔をして答える。


    「巨人捕獲の許可が下りるように、普段以上に頭を働かせていらっしゃるみたいなんだ。ハンジさん、目の下の隈がすごいよ。この資料も以前の調査記録だし、僕はもうあの人を止められる気がしない……」

    「君は十分やってるよモブリット。分隊長はああいう方だ。仕方ない」


    溜め息混じりに呟くモブリットの背中をグリムは優しげに叩いて宥めた。

  96. 131 : : 2014/02/23(日) 22:12:05

    「それより二人に話があったんだ。他のみんなにはもう伝えたんだけど、どうやら数日天気が荒れるらしくてね……。その間訓練はないから、次の遠征に向けての準備に当ててほしい」

    「次の……」


    隣に立つマリウスが不安そうに言葉を漏らす。グリムが何か言い掛けたが、意外なことに先を越したのはモブリットだった。


    「確か君がマリウスだよね。僕は第四分隊副隊長のモブリット・バーナーだ。――ハンジ分隊長の副官って言った方がわかりやすいだろうか」


    補佐というよりただのお目付け役だけど、と肩をおとす。


    「君の訓練兵団での成績も見させてもらったよ。あの成績なら技術部に行く道もあったのに、よく調査兵団に来てくれたと思っているよ」

    「僕はその……友人に合わせただけです」


    マリウスは気まずそうな顔をする。私は元からそんな感覚ではないけれど、彼からすれば、班長とハンジの副官というすごい面子に囲まれている緊迫した状況なのだろう。


    「あまり緊張しないでほしい。僕やグリムも緊張してしまうから」

    「私は除外か」

    「ナタリーは団長の前ですら緊張しないじゃないか……。僕らとは根本的に違うよ」


    苦笑し、モブリットは書類を抱えなおす。さっきから見ているが、だいぶ重い資料らしい。


    「まぁ、そういうわけだから宜しく頼むよ。僕たちはもう戻らないと。そろそろ分隊長がしびれを切らして叫び出す頃だ」


    モブリットから荷物を半分受け取りつつ、グリムは少し焦ったように私たちに言った。


    「わかった。無理はさせないようにしてくれ。最悪、無理矢理にでもハンジを寝かせないといけないが、出来ればそれはしたくない」


    でもモブリットも無理はしないでくれ、と胃を痛めていそうな彼に頼む。ハンジは良い人間だ。でも彼だって良い人間なんだ。無理は両方にさせたくない。


    「ああ、ありがとうナタリー。分隊長が正気に戻ったら君が心配していたと伝えてみるよ」


    溜め息が似合う男はそう言って再び苦笑し、同じくらい溜め息が似合う友人と一緒に廊下の向こうへと去っていった。

  97. 132 : : 2014/02/23(日) 22:13:06

    「――ナタリーさんはすごい」

    「モブリットやグリムと対等に話せるからか?」


    二人を背中を見送った後、隣に立ったマリウスはぽつりと呟いた。それは予想出来ることだった為、私はすぐに答えてやることが出来た。


    「ここに来た時、まだ私は敬語だった。でもリヴァイがそれを止めさせたんだ。だから私には上官とか幹部とかなんてものはもう今更だよ」

    「兵長が!?」


    驚きに見開かれる目。その反応も別に珍しいものではないように思った。誰だってあのリヴァイがそうさせたと言えば驚くだろうから。


    「私は少し特殊な事情で調査兵団にいる。リヴァイは私がここに馴染めるように、色々と便宜を図ってくれたんだ」


    その説明は少しだけ事実とは異なっていたが、私がこうして立っている理由を説明するのはとても長くて難しいだろうし、あまり知られたい話でもないため黙っておくことにした。


    「僕は昔から身体が小さくて力もない男です……。だからいつも友人に頼ってばかりで、何一つ自分で何かをしたことがない。おかげで兵長に見つかっては何かと叱られてばかりです」


    だから兵長が少し苦手で、とマリウスは引きつった顔で笑う。私に遠慮しているのだろうか。


    「リヴァイは弱い奴ばかり狙うような悪い人間ではない。どんなベテラン兵士でも手を抜けばリヴァイはそれを許さない」

    「はい。……でも毎度叱られるのは辛いです」


    私から目を逸らし、雨音が聞こえる窓を見つめるマリウス。その小さな背中が少しだけ震えていた。


    「……同期がたくさん死んで、友人は皆いなくなりました。立体機動も対人格闘も下手な僕には、座学しか取り柄がありません。それなのに伝達班から引き抜かれ、より危険な策敵班に。そして今度は奇行種でも太刀打ち出来るような陽動作戦を考えろだなんて、僕には荷が重すぎるんです」


    私からは見えないが、鼻に掛かったような声は明らかに泣いている時のものだった。

  98. 133 : : 2014/02/23(日) 22:14:48

    「貴女はズルい。兵長や分隊長の加護を受けられるから。でも僕は違う。どんなに辛くても誰も助けてはくれないんです……。ハンゼン班長と初めて会話した時、僕はこの班に来ることを断る気でした。けど結局出来なかった。僕の意志が弱いから、人に頼られたというだけで流されてしまった」

    「今ここにマリウスがいるのは自分自身がそう選んだからだ。流されたというのは理由にならない」

    「僕は選んでなんかいません! 僕は……選択を放棄したんです。自分の身をどこへ置くかすら自分で決められず、ずるずると引っ張られてしまったんです」


    私はマリウスに近付き、その肩を乱暴に掴んでこちらを向かせる。彼のくすんだ青い瞳が濡れて揺れていた。


    「選ばないこともまた選択だと、誰かに教わらなかったか? ――確かにマリウスは気の毒だろう。二度と壁外に出られなくても不思議ではない体験をした。それはとても不幸だ。だが、尋ねられたはずだ。「調査兵団を退団するか?」と。それなのにここにいるのは何故なんだ?」


    私はただ不思議だった。戦えなくなった兵士は去るのが鉄則だ。それを拒んだ以上、マリウスは戦わなければいけない。無理ならそう言えばいいのに、何故そう言えないのかが私には理解出来ない。

    それをそっくりそのまま問うと、マリウスは悔しさを打ち消すためにか、唇をぎゅっと噛みながら答える。


    「友人たちの後を追いたい気持ちがあったから――っ」


    雨音だけの廊下に乾いた音が響く。右手が焼けるように痛くて、私はすぐに手を抑えた。一方、マリウスは頬を抑えて驚いた顔をする。きっとあまり痛くはないはずだ。感情に任せて叩いた手はほとんど空振りだったから。激昂したにも関わらず、私の頭の中は冷静だった。


    「そんな言葉を口に出すな。――死んだマリウスの友人がそれを聞いてどう思うか考えてみろ。命を無駄にするな」

    「……僕は、自分だけ生き残って生きられる程強くないっ」


    キッと私を睨み返すマリウスのくすんだ青い瞳。その奥に映る自分の姿を見つめながら、私は再び手を振り上げた。しかし、その手を誰かが掴む。その相手を確認するために振り向いて、私は絶句した。リヴァイだった。


    「おいてめぇら。どういう経緯でこんな状況になってやがる」


    私の腕を掴んだ手を離してリヴァイは問う。私は口を開くが、この状況を上手く言葉に出来ず固まってしまった。


    「てめぇは新兵だな。名乗れ」


    マリウスは目の前に立ったリヴァイに戸惑う素振りを見せたが、すぐに敬礼の姿勢を取り名乗る。

  99. 134 : : 2014/02/23(日) 22:15:43

    「……シャハトか。そういえば前見かけたことがあった。それで、今てめぇは死にたいと聞こえるようなことを言ったが、間違えないか?」


    リヴァイの口調は固かった。普段彼と話している私でさえ、彼がこんな冷たい話し方をするところは知らない。間違いなく、リヴァイは怒っていた。静かに、でも熱く。


    「……はい」


    暫く戸惑い、言うか言わまいか迷っていたのだろう。マリウスはたっぷり5回瞬きした後、目をぎゅっと瞑って声を絞り出す。


    「僕は役立たずで、更に臆病者の腰抜けです。人に引っ張ってもらわない限り自分では何も出来ない。そんなくだらない人間です。どうすればいいかわからないなら、もういっそ死んだ方がマシだ……」

    「ッチ……俺のところには似たような奴ばかりがいるな。おいクソガキ、よく聞け。死にたければ俺はそれを止めない。だがな、少しでもてめぇに考える頭があるなら、自分が死んだ後泣く人間がいるかもしれねぇってことも考えられるはずだ」

    「そんな人はいません。もうみんな死にました……」


    リヴァイはその言葉に反応し、少しだけ目を細める。そして同情と呼ぶには複雑すぎる色をした瞳にマリウスを映したまま、そっと声を掛ける。


    「そうか。……だが間違っている。まだ一人じゃねぇ。調査兵団にいる限り、てめぇは仲間に囲まれてるんだ。死ぬなんて次に口にしてみろ。俺じゃねぇ誰かに殴られるぞ」


    そしてリヴァイは私の方を向いて言う。


    「おい、部屋に戻るぞ。話がある」


    私は頷き、マリウスに一言殴ったことを詫びてからリヴァイの後を続く。一人残されたマリウスのすすり泣く声が、雨音に混ざって悲しく響いていた。


  100. 135 : : 2014/02/23(日) 22:17:38


    カチャリ、という冷たい音と共に部屋の鍵が閉められる。なんのことはない。リヴァイは誰かと大切な話をしている時か、壁外調査前のピリピリした時期になると、一時だけ部屋の鍵を閉める。そうして余計な人間――つまり私やハンジのようにノックをせず部屋に立ち入る人間を遠ざけるのだ。

    私はそれに慣れていたためか、これから彼が大切な話をするのだということを察する。無言で促されて座った椅子の対面にリヴァイは静かに腰を下ろし、大きく息をついた。


    「リア」


    久々に本名を呼ばれたな、と私は場違いにも懐かしい気持ちになった。ナタリーという新しい名前を与えられてから、リヴァイ自身も人前ではその名で私を呼ぶようになった。それでも二人きりの時はどちらで呼ぶべきか迷うらしく、結局どちらでも呼ばれないまま今日までを過ごしてきた。そんな状態だから、本名で呼ばれることにはそれ自体にも大きな意味がある。


    「あの新兵は前言っていたお前の後輩か」

    「そうだ。グリムに頼まれて定期的に面倒をみてる」

    「面倒?」


    怪訝そうな顔をするリヴァイにこれまでの経緯を話す。彼はその話をそっと目を閉じて聞いていたが、わかった、と一言呟いて、再び私に視線を向ける。


    「ハンゼンにお前を任せたのは正解だった。ああ見えて部下を見る目がある男だ。お前とあの新兵を一緒にした判断も悪くねぇ」


    だが、と続ける。


    「奴が間違えたとすれば、リアよ。お前があの新兵と似ていたところだ。似ていれば反発する。当然の話だ」


    似ている? 私は首をかしげる。マリウスと自分が似ているなんて思いもしなかった。そして、先程のマリウスの言葉を一つひとつ丁寧に思い返す内に、あることに気付く。


    「……その様子じゃ気付いたみてぇだな。そうだ。それが共通点だからこそ、反発しあう」


    マリウスはまるで過去の私だった。役立たずの腰抜け。それは私が過去にそう自分を呼んだ時と似ている。でも、もう私は知っている。自分に何が出来るのか、何をすべきなのか。もう役立たずと自分を卑下しなくてもいいことを知っている。それがマリウスと私の異なる部分だった。


    「お前が誰かに向かって命を無駄にするなと諭すようになるなんてな。連れてきた時には考えられなかったことだ」

    「リヴァイの……いや、みんなのおかげだ。私は自分じゃ何もしてない」


    とは答えつつ、私はあの頃と変わった自分を少しだけ誇りに思っていた。だってそうだ。今の私はみんなが少しずつくれた優しさの上に成り立っている。その優しさを受けることが出来た自分を誇りに思わないわけがない。

  101. 136 : : 2014/02/23(日) 22:18:48

    「マリウスは知らないんだ。自分の価値もその意味も。だから私たち外野がいくらそれを説いたって、耳を閉ざしたマリウスにはきっと届かない。……それでもこうして班にいるということは、多分、グリムも繰り返し奴を説き伏せたんだろうな。でも駄目なんだ。自分で気づかなければきっと意味がない。変われない」


    私は自分の価値に気づいたから、誰よりもマリウスが理解できた。――リヴァイとあの時出遭わなければ、エルヴィンがここに置いてくれなければ、ハンジが気に掛けてくれなければ、何だかんだで暇な時の相手になってくれるミケがいなければ。私はこんなにも変われなかっただろう。その過程を経て、私と同じところに立った者でなければ、今のマリウスは理解できない。それがわかるのはきっと私だけなのだ。


    「――ああいう奴を野放しにしたまま壁外へ向かうのは危険だ。何をするかわかったもんじゃねぇ」

    「きっとマリウスは機会さえあれば死ぬ気だろう。ここに来る前の……昔の私がそうだった。いつだって死に場所を求めてるんだ。ああいう、馬鹿な奴は」


    最早懐かしい記憶だ。ここに来る前の記憶なんて。


    「リアよ、お前も随分と馬鹿野郎だったな」


    思い出したように目を細めたリヴァイを見て、――ああ、きっと笑っているんだな、と思った。彼はまるで表情筋が全て死んでしまっているかのような仏頂面ばかり見せるから、私自身も彼が時折柔らかい表情を見せることを忘れていた。それはほんの僅かな変化なのだけど、不思議と私には最高の笑顔に見えた。


    「私は今、とても幸せだ。調査兵団という家を持ち、そこから必要とされている。そしてそのことを自分自身が理解していて、貴方という大切な人の為に全てを懸けるという目的もある。人として生きて、これほどまでに幸せなことは他にあるだろうか。でもマリウスはそれを知らない。放っておくことも出来るが、私はもう奴と関わってしまった。それにグリムからマリウスの面倒をみるように言われている。だからどうにかしなければならない」

    「ハンゼンは部下に無理をさせる男ではないだろう。だからお前が出来ないと言えば、おそらくどうにかして手を打つはずだ。策敵班が駄目ならば元の伝達班に帰せばいい」

    「マリウスは調査兵団に必要な人材になるかもしれないらしい。頭が良いから。……きっとグリムは出来ることならマリウスを班に置き続けたいに違いない」


    でもマリウスはひどく巨人に怯えている。仲間を喰った巨人共を。そんな彼を巨人との遭遇率が高い策敵班に置けばどうなるかはすぐわかる。特に彼は巨人を怖がるくせに死にたがっているから、危機に瀕してその身が脅かされそうになった時に冷静な判断を期待するのは無理な話だろう。下手をすれば私たちにも被害が及びかねない。


    「死にたがりの新兵なんぞに命を懸けてやることはない。とっとと荷物を纏めさせて兵団から追い出すべきだ。……だが、一人の兵士が戦局を左右するなんざ日常茶飯事の世界。危険を承知でその新兵を連れて行くのも一つの作戦だ」

  102. 137 : : 2014/02/23(日) 22:19:49

    特に優秀な頭を持った奴なら尚更だ、とリヴァイは言う。


    「過去にも死にたがる兵士は大勢いた。大半は喰われて呆気なく死んだが、時には生き残って後に優秀な兵士となった奴もいる。死にたいなんぞとぼやいている暇があるなら戦うのが俺達兵士の役割だ。それが出来ねぇ奴はお望み通り死なせてやるのが優しさというものだろう」

    「人が死ぬことを、簡単に考えていいのだろうか……?」


    私はマリウスが戦えるようになるまで、壁外調査には参加させない方がいいと考え始めていた。けれどもリヴァイは壁外へ連れて行くのも悪くないと言っているようで、それを不安に思う。


    「――俺達は人間だ。死ぬ時は死ぬ。それがいつ、どんな風かは誰にもわからねぇ。だから、それを選べる権利が自分にあるなら幸せだろう」


    ついこの間グリムにも言われた言葉を、リヴァイも口にする。自分の死に方を選べる者は幸福だ、と。


    「でも、あんまりだ……」


    その結果が誰にも望まれないものになるなんて、なんて悲しいんだと思った。死なんてそんなものだ。誰もに喜ばれるなんてものではない。ないけれど、せめて自分自身が選ぶのならば、自分にとって最善最良の死でありたい。そう思うのが普通ではないのだろうか?


    「早死にしたくないなら、戦えばいいだけの話だ。それが出来ねぇのに兵士で居続ける奴は、残念だが死ぬ。誰がどうこう言おうがこればかりは変わらない」


    リヴァイは腕を組んだままこちらをジッと見つめた。それは私にもう何もするなと言っているようにも見えた。


    「生きるか死ぬかは新兵のガキが決めることで、そのガキを連れていくかを決めるのはハンゼンの仕事だ。リアよ、お前は深く関わるな。さっきのアレで理解出来る奴は理解出来る。あのガキに今必要なのは自分と向き合う時間だ」


    マリウスを打った手が未だにジリジリと熱を持っていた。それは私を軽くではあるが、確かに苛んでいる。今、確かにマリウスは私と同じ道を辿っている。私にはリヴァイたちがいた。けど、マリウスには誰がいるだろうか? このまま放っておいていいのだろうか?


     ――それでも。


    「貴方の言うことなら、私は従おう」


    リヴァイが正しいことを言っているのはわかる。だから私は彼に従うと決めた。私の、いや、私たちの気持ちがマリウスに通じていることを、今はただ祈るだけだ。


    (きっと、時間は掛かるにしても。いつかは通じるだろう)


    それがいつなのかはわからない。もしかしたら、マリウスが死ぬ時かもしれない。それでも、願わくは彼が一秒でも早く立ち直りますように。そう祈る。

  103. 138 : : 2014/02/23(日) 22:20:54

    「――雨が、続くな」


    目を閉じて思いを馳せていると、リヴァイの声が静かに耳を打つ。いつの間にか窓辺に立っていたリヴァイは、雨が降りこまないように少しだけ窓を開け、外の様子を窺っていた。


    「雨は嫌いだ。ここに来た当時を思い出す」

    「リヴァイも私と同じで訓練兵からじゃない兵士だったんだよな。どうだったんだ? 最初の頃は」


    最初の頃は兵士でなかった私と比べて、リヴァイは最初から巨人と戦う兵士だった。当然奇異の目で見られただろうし、悪意にも晒されてきただろう。


    「どうもしない。俺は他人にあまり感心がなかったからな。ただ……」


    続けようとして、一瞬だけ躊躇うように間を挟む。きっとその間に彼の今までの感情が詰まっているのだと思った。


    「大切だと思ったときにはもう手遅れだった。血に塗れた草原に立つのはいつだって俺一人で、他の奴はいつまでも消えない血の海に沈んでいる。いや、沈んでいる奴はまだマシだ。大体は巨人の腹の中だったからな。……他の奴らが俺のように力を持っていたのなら、誰も死なないで済んだと何度も思ったが、そんなことは考えるだけ無駄だとすぐに悟った。そんなことを考えるくらいなら、一刻も早く巨人を絶滅させた方がいい。そう信じて、エルヴィンの背中を追うように今日まで生きてきた。やがて部下が出来、兵士長と呼ばれるようになった。だが、俺は未だに何も成し遂げてはいない。成し遂げなければならないのに、たかだか雨が降っただけでこうして何も出来ずに閉じ篭っている。……情けねぇ」


    リヴァイが背負った大きく、重たいもの。その存在を初めて知った時が、私が彼を守りたいと最初に思った日だった気がする。ただの兵士でさえ、仲間を喪えばマリウスのようになってしまうのだ。なのに、リヴァイのように長い時を生きた兵士たちはそれを何度も繰り返し、それでも今なお立ち続けている。そう、ただでさえ辛いものを背負っているのだ。


    「……ハンジはその点すごいよな。研究はどこにいても出来る」

    「ああ。兵士長なんて中途半端なものを任されてしまっている以上、俺にはロクな仕事がねぇ。せめて自分の班があれば違うだろうが、今の班も次の壁外調査までの期間限定。いざという時に先陣を切って突撃するだけの班に特別な何かをするなんざ無駄な話。精鋭を集めたつもりだが、奴等を毎回死地に送り込むのも酷な話だ」


    リヴァイの班は特別作戦班なんて呼ばれているが、現状ではただの突撃部隊に他ならない。索敵班が機能していても、奇行種や正面からの突然の奇襲には耐え切れないのが長距離索敵陣形の問題点。それをカバーするためにリヴァイが精鋭を率いて前線にいるのだった。勿論、死亡率は一番高い。現に毎回必ずと言っていいほどリヴァイの班では死人が出ていた。それでも私のようにその班に配属されることを望む兵士がいるのは、それだけリヴァイの人望が厚いということに他ならない。

  104. 139 : : 2014/02/23(日) 22:21:47

    「リアよ。お前は俺の班に来たいと何度も言うが、止めておけ」

    「リヴァイの足は引っ張らない。それに、あまり嬉しくはないが、みんな私を優秀な囮役だと褒めてくれている。巨人を討伐する為に編成された班ならば、他よりずっと私のような人間が必要なはずだろう?」

    「確かに必要だ。だが、それはお前でなくてもいい。別の誰かでも十分だ」


    何故ここまで私を拒絶するのかがわからなかった。彼は兵士長だ。個人的な感情で私を遠ざけているわけがない。それなのに、私を使わない理由が見えてこないのだ。確かにまだ私は未熟だろう。でも、何度も申請しても一言も言われないまま破棄されるのに納得がいくわけがない。何か理由が欲しかった。私ではいけない理由が。


    「私は他の誰よりも貴方の役に立てる。そうなるように今まで訓練してきたんだ。傍で戦えなければいざという時にリヴァイを守れない……」

    「前にも言っただろう。死に急ぎに飲ませる薬はねぇと」

    「リヴァイは矛盾している。さっきリヴァイは言った。死に方を選べるのは幸せだって。――なら、私もマリウスのように自由にさせてくれてもいいじゃないかっ! 私にもその権利があったっていいじゃないかっ!」


    私は意地でもリヴァイを守りたかった。そうしなければならなかった。それが私の全てだったから。だから、どんなに拒否されようと、絶対に彼の傍に行こうと決めていたはずなのに。それでもこうして本人に否定されてしまえば、高ぶった感情は言葉を紡ぎ、口から放り投げるようにしてぶつけてしまう。


    「私は貴方を守りたくて……その背負ったものが少しでも軽くなるようにしたくてここまで来たんだ。私個人には巨人を絶滅させるなんて目的はないし、調査兵団に尽くす気もない。ただリヴァイが幸せになれるなら、それでいいと思っていた。それなのにっ……そのことを一番わかってもらいたい人から拒絶されるなんて、あまりに酷いと思わないか?」

    「――俺にはお前をここに連れてきた責任がある。そう簡単に命を投げ出されたら困るのは俺なんだ。それだけを理解しろ」


    それだけ言って黙ったかと思えば、彼はまた口を開いて言葉を続けた。


    「例えば、お前とハンジの立場が逆だったとする。その時ハンジが俺の班に入りたいと言ったなら、俺は躊躇なく奴を班に入れただろう。それが結果的にハンジを死なせることになっても後悔はない。何故なら、奴は人類に心臓を捧げた兵士だからだ。だがお前は心臓を捧げた相手も違えば目的も違う。他と違う目的を持った兵士というのは使いづらい。その上、お前は俺を守ると言っている。それがどれだけ恐ろしいことなのかわかるか?」


    私は首を振る。わかるわけがない。私にはリヴァイがいなくなってしまうという方がずっと恐ろしいことだったから。

  105. 140 : : 2014/02/23(日) 22:22:54

    「俺はこの心臓を人類に捧げている。その意味がわかるはずだ」


    心臓を人類に捧げる。そのことはつまり、人類の為に死ぬ覚悟があるということ。それが利益になるのなら、自分の命を捧げても構わないという意思の表れだった。


    「兵士として生きることを誓った俺は、人類の為に死ななければならないこともあるだろう。その時にお前がいれば命を懸けられなくなる。自分を捨て身で守ろうとする人間がいることを知っていて戦いに臨めるほど俺は非情になったつもりはねぇからな……」


    それは私を納得させるには十分すぎる理由だった。――私ももう兵士だ。リヴァイの言葉の意味くらいわかる。そしてそれが彼の目的であることも理解できる。だから言い返せない。


    「だから、もしお前が俺の班に入りたいと本気で思うのなら。その時は俺を諦めるしかねぇ。それが無理だと言うならば、せいぜい外野から好きなようにしろ。俺はお前の意志を気に入っているから、こちらの都合でそれを諦めさせはしない」

    「私は何としてでも貴方を守ってみせる。それはけして変わらない。だから……」


    ――貴方に従おうとは言えなかった。傍にいて見ていなければ、守れるものも守れない。いつどこで命を落とすかなんてわからないのだ。その瞬間に私がいなければ、私の目的は絶対に果たせない。だから、彼に従えるわけがなかった。


    「もうすぐ壁外調査だ。この雨が上がればまた訓練漬けの日々が待ってる」


    窓の外を眺めたままリヴァイは静かに言う。雨がしとしと啼いていた。まるで私の落ち込んだ心を代弁でもしているようだとぼんやり思う。


    「リアよ。来週ハンジと町へ行く。お前もついて来い」


    うな垂れていると、いつの間にかリヴァイの顔が目の前にあった。驚いて僅かに声を上げるが、リヴァイはそのまま続けた。


    「特に買うものはねぇが、花を買いたい。壁外調査の前くらいは墓地へ行かねぇと落ち着かないからな……」


    彼はこの時期になると、決まってどこかへ行ってしまう。それが墓地であるとは薄々気づいていたが、こうして直接言われるのは初めてだった。

  106. 141 : : 2014/02/23(日) 22:23:54

    「墓地?」

    「調査兵団の墓地だ。俺が死なせた連中も多く眠っている。奴等にはもう言葉は届かないが、せめて花を手向けたい」


    だからお前も選ぶのに付き合え、と彼は言う。


    「ハンジがいるのにわざわざ私に選ばせようなんて、変わってるな」


    花の知識ならきっとハンジの方がもっているはずだ。私が行く意味がわからなかった。それでも、誘われたのは単純に嬉しくて、先ほどまでの落ち込んだ気持ちが少しだけ晴れるのを感じる。


    「ハンジのセンスはズレているからな。こういうものは普通の女の方が向いているだろうと判断しただけだ」


    それに、と続ける。


    「お前が来て、もう1年半が経つ。そろそろお前も休日くらいは本部の外に出るべきだ。どうせここから一歩も離れていないんだろう?」


    図星だったため何も言えない。私は基本的に一人で外に出るのは好きではない。それなら兵団にいて掃除や洗濯をしている方がずっと気分が良かったのだ。


    「とにかく、もう決まりだ。ハンジにも伝えておく」


    半ば強引に決められてしまったが、私はどこか気分が良くなっていた。マリウスのこと、私のこと。問題は山積みだったけど、私には大切な人がいて、その人からも大切にされている。それだけで頑張れた。頑張ろうと思えた。


    (だから、今は考えても仕方ないのかもしれない)


    その時になってみれば、自然と身体が答えを出してくれる。マリウスのことも、私のことも。ならばもういいじゃないか。――そう思った。


    雨音がどこか心地よく鼓膜を揺らす。温かい室内で、私はリヴァイにそっと微笑みかけた。


    「わかった。――貴方に従おう。リヴァイ」


    その言葉は今日一日で一番心地よい響きを持っていた。





  107. 143 : : 2014/03/05(水) 01:01:21


    「懐かしいな。ほら、あの路地裏で私とリヴァイは出会ったんだ」


    翌週。運良く晴れた昼下がり、私たちは町へ出かけていた。リヴァイの用事である調査兵団の墓参りは午前の内に済ませてしまったため、午後からはただの暇潰しとして花を買った町に再び戻ったのだ。

    もう外出なんて数か月ぶりになるため、私は浮かれてはしゃぎ回っていた。リヴァイはともかく、ハンジはそんな私を見つつ一緒になってはしゃいでくれたから、私はとても気分が良い。そんなわけでハンジと二人でリヴァイを連れ回し、やがてその路地裏に辿りついたのだった。


    「へー、今は随分と小奇麗じゃん?」


    私が指差した先を見て、ハンジが感嘆の息をつく。そこは私とリヴァイが出会った路地裏の入り口とも言える場所だ。だがそこは1年半前が嘘のように綺麗に片付いていて、あの時の冷たい空気は少しも漂っていなかった。


    「まあな。もうああいう連中は他に移っただろう」


    リヴァイは先ほどから騒いでいる私たちを煩そうに見つめていたが、腕を組んだ不機嫌そうな顔のまま教えてくれた。どうやらあまりの治安の悪さを懸念した憲兵団によって、綺麗さっぱり浄化されたらしい。もう私を捕らえた連中も、身売りの女の子もここには存在しない。それはある意味で、私を過去に捕らえていた鎖の最後の一本を解く出来事だった。


    「なあ二人共。せっかく三人で出かけたんだから、何か記念の物を買わないか?」


    だからつい嬉しくなって、私はそんな言葉を口にする。二人は驚いた顔をしたが、ハンジが何か言うより先にリヴァイが喋った。


    「……記念?」


    別にその日が出会った日だったわけではない。なんの記念日でもないはずの日を祝うなんて馬鹿げている。リヴァイの顔にはそう書いてあったから、私はつい笑ってしまった。


    「ああ、なんせこうして3人で出かけられる日がいつまで続くかなんて、誰も知らないのだから」


    私たちは兵士だから、いつまでもみんな一緒にいることなんて、きっと叶わない。そんな当たり前のことはここにいるみんながよく知っていた。だけど、たとえ誰かが欠けたとしても、この出会いを悪いことだとは思わないし、過ごしてきた時間は私の宝物だ。だから3人が確かに今日、ここに存在していた証を何か残したいと思った。


    「いーんじゃない? せっかく今日は荷物も軽いんだし。ほら、リヴァイも行くよー」


    リヴァイはまだ今一つ腑に落ちないという様子だったが、ハンジに服を掴まれ、渋々後を付いてきてくれる。辺りの店を適当に練り歩きながら、ハンジと共に店主をからかう私を彼はどこか優しげな眼差しで見つめていた。

  108. 144 : : 2014/03/05(水) 01:02:54

    「きょ、巨人人形だってよぉおおおおお」


    ある店の前で足を止め、物品を物色していると、少し先の店を見つめていたハンジが声を上げた。慌てて飛んでいくと、その店の品物だろう。――気色悪い、お世辞にも買いたいとは思えない不気味なヒトガタのそれをハンジが振り回していた。興奮しているらしい。私は魔除けの巨人人形と書かれた札を掴み、見せつけるように彼女の眼前につき出すが、全く関心を示してはくれない。


    「ハ、ハンジ……それは魔よけだ。愛玩用じゃない」


    流石に動揺してハンジから人形をもぎ取ろうとするが、一度上がってしまった彼女のテンションを下げる術なんて私は持ってはいない。


    「ねえねえ買っていいよねぇ?ハンジさん買っちゃうぜぇええ?」


    とうとう涎を垂らす勢いになってきたハンジは、店主を困らせていることも知らず、その人形を隅々まで調べ始めた。どうやら彼女的にはとてもよく出来た素晴らしい人形らしく、その鼻息はどんどん荒くなる。


    「おいリヴァイ……これ高いぞ」


    とうとう困り果て、遠巻きにこちらを見ていたリヴァイに助けを求めるが、彼は舌打ちを一つしてたった一言。


    「……放っておけ。どうせこいつの金だ」


    と言っただけだった。仕方なく私は諦め、ハンジを解放してやる。そして店主に向かって質問を飛ばす彼女を横目に、隣の店で足を止めたリヴァイの下へ。


    「……ロケットペンダントか。こりゃ結構な値打ち物だな」


    店頭に出されたアクセサリーの中から、彼は一つのペンダントを手に取り、それをジッと見つめた。


    「なんだ、わかるのか。珍しい」


    銀色に光る珍しい形の装飾品をよく見ようと、リヴァイの手元を覗き込みながら私は呟く。彼は私が知るかぎり装飾品に興味を持つタイプの人間ではない。それに彼が持つそれは女性の物に見えた。むしろこういう物ならエルヴィン辺りの方がずっと詳しいだろうに。そんな物に一番縁の無さそうな男なのに物の価値がわかるなんて不思議だった。そんな風に思って呟くと、リヴァイは何でもないように答える。


    「まあ、色々やっていたからな」

    「そういえば昔はゴロツキだったんだよな。なるほど、そういうことか」


    きっとアクセサリーも彼が盗む物の内に入っていたのだろう。そういう事を生業としていれば自然と物の価値がわかるようになってもおかしくない。そう結論付けて満足したのに、何故だかリヴァイは苛立ったように眉をひそめていた。


    (怒ってる?)


    こそ泥みたいだと思っているとでも思われてしまったのだろうか、と少しだけ自分の口が軽いことを後悔したが、リヴァイはその一瞬だけでその表情を解く。そしてそのペンダントを握ったまま、はっきりとした声でその店の主に声を掛けた。


    「おい店主。これをくれ」

    「ほう……そちらのお嬢さんへのプレゼントですかね。そっちの女性……はないですものね。へへへ」

  109. 145 : : 2014/03/05(水) 01:03:40

    隣の店で今なお叫び続けるハンジのことを言いながら店主は機嫌よく笑った。いつもならハンジに対する暴言だと怒ったかもしれないが、流石に今日の彼女のテンションには私自身付いていけないと感じていたため咎めず終わる。それより、今リヴァイはこれをくれと言った。そっちの方がずっと大事だ。


    (私に? 何で……)


    先程自分が言った言葉だったが、まさかリヴァイが私のために何かを買ってくれるなんて思わなかった。そんなつもりで言ったわけではないために罪悪感が湧く。しかし、彼はほんの気紛れだとでも言うような態度だったため、私の罪悪感はすぐに少しだけ照れくさい感謝の気持ちに変わる。


    「これマジ最高だよ! 超よく出来てるじゃんクソ最高だよそこのおっさん!」


    そんなハンジを睨みながらも懐に手を入れるリヴァイ。だが私は、店頭に書かれたそのペンダントの値段を見て不安になった。彼が気紛れでプレゼントしてくれるにしては高価なものだったのだ。


    「これ結構高価だが、いいのか?」

    「ああ。今日は金が余ったからな。ほら、お前のだ。首に掛けとけ」


    そう言って私に買ったばかりのペンダントを押し付けるようにくれるリヴァイ。長めのそれをすぐに首に掛け、ロケットを開く。……私だって女だ。装飾品に縁のない生活をしているとはいえ、流行りものを知らないわけもない。ロケットペンダントというものの存在くらいは知っていた。そしてそれには現在最先端である写真というものをはめることも。


    「写真……ないぞ?」

    「撮ればいいだろう」


    その言葉に、さも当然のように答えるリヴァイ。今度は彼に私たちが連れられる番だった。

  110. 146 : : 2014/03/05(水) 01:04:28


    写真は高い。それを簡単に撮ろうと言えるのは、単純にリヴァイがそれなりの金持ちだったからだ。調査兵団に居れば住居と食事には困らないし、彼は衣類を殆ど持たない。それにそれらをとても長持ちさせるため、結局リヴァイは衣食住に金を掛けることはないのだ。次に娯楽だが、リヴァイに娯楽が必要かと訊かれたら必要なさそうだと答えるだろう。つまり娯楽にも彼は金を使わない。兵士長就任の際に祝い金として貰ったらしい金は殆ど私を買う時に使ってしまったようだが、それを全く気にしないのも彼らしいと思った。

    少し前まではウォールシーナ内にしか写真屋というものは存在しなかったらしいが、今は何とかウォールローゼ内にも数軒の店がある。貴族たちが喜ぶような技術はやはり庶民には浸透しにくいのか、その店もまだまだ儲かっていなさそうに見えた。

    中に入ってリヴァイが金を渡すと、店主は困った様に私たちを見回した。――当然だ。いかにも休日の調査兵団兵士ですと言わんばかりの格好をした私たちが、少し前まで着飾った貴族の特権だった写真撮影をしようと言っている。当然出直した方がいいと言われたが、私たちはそれを押しきった。


    「この格好だからいいんだ。見慣れた格好だからこそ意味がある」


    そう言ってからロケットペンダント用の写真であることを告げる。いざ撮影という時、自然に抜けようとしたリヴァイを店主が無理矢理押し込めてくれ、何とか無事に撮影は完了した。店主の予定では背の高いハンジを椅子に座らせて、その後ろに私とリヴァイが立つというお洒落な写真のはずだった。だが実際の写真は、淑女ぶるのが嫌だというハンジの意見を取り入れてみんなで並び立つというつまらない構図。それでもバランス的に中心に入ったハンジが、両腕を私とリヴァイの肩に置くという構図は不満そうなリヴァイを除けば私たちらしいと好評だった。
  111. 147 : : 2014/03/05(水) 01:05:25

    「……覚悟はしていたが、やはりまだ高いな」


    帰り道、馬に揺られながら会話を楽しむ私とハンジにリヴァイは溜め息混じりに呟く。それは金を浪費してしまったという風ではないものの、少しだけ不満そうでもあり、寂しそうでもある響きを含んでいる。


    「まだ金持ちの娯楽ってくらいにしか浸透してないもん。これからが楽しみではある技術だけどね」

    「ハンジは巨人を撮ってみたいんだろう?」

    「もっちろん! だってぇ、巨人のあんなところとか、こーんなところをバシャバシャ残せるんだよ?最高じゃない?」


    ハンジは買ってしまったらしい巨人人形を振り回しながら機嫌良く笑う。


    「……いい加減その気味わりぃ人形をしまえ」


    そんなハンジを危ないから止めろと咎めるリヴァイ。私は彼の馬と同じ黒い色をした馬の背に乗って首に掛けたそれをそっと撫でる。


    「二人のおかげでいい記念になった」

    「うんそうだねー。私もメチャクチャいい買い物したよー」


    私とハンジはお互いの顔を見て微笑みあった。そんな私たちを舌打ち一つで見守るリヴァイも、今日のことはきっと悪くは思っていないと思う。だって彼もいつも眉間に浮かんでいる深い皺が、今は比較的見えづらいから。それだけ穏やかな気持ちなんだと思ったのだ。


    「帰ったらエルヴィンに自慢してやろう。きっと泣いて悔しがるぞ」


    私は笑う。きっとこれで終わりだった。本部へ戻ればこことは違う別の世界が待っている。それは私たちがいなければならない世界だ。どんなに願っても、そこからはけして逃げだせない。でもそれでいい。

    午前中に済ませた墓参り。墓前に立ったリヴァイは私たちには何も語らなかったが、その背中が彼の心の中に描いた全てを代わりに教えてくれた。――必ず巨人を絶滅させる、と。それが彼の悲願であるならば、私はそれを叶える力となろう。きっとリヴァイの夢は叶うから、それまで彼を守り抜こう。私は兵士たちの墓前でそう誓った。いつ私も彼らと同じところに行くかはわからないけれど、私より先にリヴァイをそちらには送らないようにする。それが死んでしまった彼らに出来る、私なりの精一杯の手向けだった。

    だから私は再び決意する。――戦おう。リヴァイを守るために。私の目的を果たすために。今日はきっとその決意を固くしてくれた。あの調査兵団本部という感情が混ざりあったところから一時私を解放することによって、余計な考えを捨てさせて真っ白な状態にしてくれたのだ。


    「私たちは戦おう。失うものはきっと大きいけれど、でも……戦おう」


    ペンダントを握りしめて呟く。両側を馬で駆ける二人が頷いた気がして、私の心に熱い思いが込み上げた。


  112. 148 : : 2014/03/05(水) 01:06:53


    「グリム」


    再びの雨に見舞われた調査兵団。ただの兵士が皆そうであるように、私もまた、暇をもて余していた。訓練が休みになった日は何をしても自由だ。壁外調査を来週に控えた今、この機会に家族に会いに行く兵士や手紙を書き記す兵士は多かった。しかし、私には帰るべき家もなければ手紙を記す相手もいない。おかげで暇をもて余してしまい、ついグリムに声を掛けてしまった。


    「あ――ナタリーか。つい驚いてしまったよ」


    中庭に通じる通路はこの季節にしては冷えたが、彼はそんな中を立ち尽くし、ぼんやりと遠くを眺めていた。そんなグリムは驚いたように肩を震わせてから、照れくさそうに頬を掻いた。


    「こう雨が続くと頭がふやけそうだよね。ナタリーはこれからどこかへ行く予定かい? 何もなければ少し話そうと思ったんだけど……ああ、勿論君次第だけど」 


    多分、他の兵士のように家に帰るかを訊いているのだろうと思ったので、私はすぐに首を振る。一応これからハンジの部屋に行こうとはしていた。だが、暇潰しで彼女の大切な時間が失われるというのも躊躇われたため、グリムが話し相手になってくれるのはありがたかった。


    「私には帰る家がここ以外にない。前に話しただろう? リヴァイに引き取られたって」


    一応、名目上で私はリヴァイに引き取られた孤児、みたいな扱いになっている。兵士長が金で女を買った、なんてたとえ本当のことでも言えないことはわかっている。けれど、何となくその建前はリヴァイらしくない気がして私は好んでは使わなかった。


    「あ……それは悪かった」

    「気にするな。それより、グリムの方こそ一日だけでも帰らないのか?」


    私はずっと気になっていたことを尋ねる。するとグリムは考える素振りを見せてから、困ったように答えた。


    「実家には帰れないんだ。カラネス区だし、日帰りでも十分行って帰れる距離だけど、何となく両親に会いたくなくてね」


    そこまで聞いて、私は以前の話を思い出していた。そういえばグリムは両親に訓練兵団に入れられたと言っていたっけ。その時の確執がまだ残っているのだろうか。


    「兵士になって後悔しているのか?」


    争い事よりも本に埋もれる方が似合う彼は、困りすぎではないかと思うくらい下がった眉を更に下げ、あはは、と軽く笑う。


    「後悔か――。してないとは言い切れないね。でも、もう仕方ないし、今は班長って役職も頂いた身だ。職務を全う出来たらいいなって常に思うよ」

    「よくやってるじゃないか。――マリウスのことだって、グリムがどうにかしてくれたから助かってる」


    あの日以来、元からそんなに良くなかった私とマリウスの関係は悪化した。勿論、互いに公私は弁えているつもりだ。しかし、他のグリムや班員たちに気取られないわけもなく、すぐに私たちは引き離された。

    グリムは私たち両方の言い分を聞かずとも理解してくれていた。元からそういう所だけは鋭い男だし、何よりマリウスの死にたがりに気付いたのはグリムが先だったからだ。そしてグリムは知っていてなおも私にマリウスを託したことを詫び、自分がマリウスの面倒をみようとまで言ってくれた。
  113. 149 : : 2014/03/05(水) 01:08:18

    「……最初にみんなの前で言ったことは建前さ。本当は君ならマリウスをどうにかしてくれれるんじゃないいかって思ったから、彼と君を近付けた。でも、結果をみれば何もしない方が君たちの為だったね」


    本当にごめん、と謝る。


    「誰も悪くない。むしろ私がもっとマリウスに優しく当たってやれば違ったかもしれない」

    「君は十分優しいよ。それに、マリウスには優しさが必要だったわけじゃない。君はよくやったさ」


    控えめに伸びをしながらグリムは続ける。


    「彼をどうするか、今も決めかねているんだ。当然わかるだろうから今更だろうけど、壁外に連れて行けば相応のリスクがある。最悪、死んでしまうかもしれない」

    「……それは避けたいな」


    呟くと、小さく頷くグリム。


    「僕はさ、技量は並みだし頭も良くない。でも、班員を死なせないことには人一倍気を遣ってるつもりなんだ。だからネス班長にマリウスの話を聞いて、実際彼と会ったとき、僕は彼を何としてでも生かさなければならないと思った」


    死にたがりを生かす。グリムの意見は他の誰とも違うものだった。リヴァイとも、そして、多分私とも。


    「マリウスが死ぬことを望んでいてもか?」


    それはグリムの信念には反しないのかと問う。以前言っていた、死に方を選べる人間は幸せだと思うという話とは矛盾している気がしたから。


    「殺して欲しいと懇願してきた大切な人がいたとして、君はどうする?」


    グリムは穏やかな口調のままだったが、そこには確かな後悔が今なお見え隠れしている。だから私は彼の言ったことが彼の昔話のことだと理解出来た。


    「――殺すか、殺さないかか?」


    小さく訊くと、グリムは緩やかに首を振る。


    「相手を尊重するか、自分を尊重するか……そして、そのどちらも選ばないという“逃げ”の選択をするか」


    考えた。でもどんなに考えても私には答えは出せない。それを見てグリムは笑う。


    「ごめん、意地悪だったね。そうだなぁ、僕は思いの強さというものが存在すると思うんだ」

    「思いの強さ?」


    それは好きか大好きかみたいな違いのことだろうか、と訊く。


    「そうそう。ちょっと好きって人と愛してるって人がいたなら、後者の方が強い感情を抱いていると思うだろう? 僕は人間は感情をぶつけあって、より強い方を尊重するべきだと思うんだよ。勿論、さっきの話のように“逃げる”って選択肢もあるけどさ。……僕は大事な時に逃げた。自分を尊重していれば、彼女を幸せにすると誓えたのにだ。もう、そんなことを繰り返したくないから、僕は僕の意志を貫くって決めたんだ」

  114. 150 : : 2014/03/05(水) 01:09:18

    「死にたいと本気で思うなら、グリムの死なせたくないという気持ちに勝てってこと?」


    尋ねると、彼は頷く。


    「そうだね。僕は誰も死なせたくないから。でも流石にどうしてもって人は止められないよ。……でも、勝手な思い込みかもしれないけど、マリウスはそうじゃないって思うんだ」


    もし、マリウスが本気で死にたいと思うような死にたがりなら、きっととっくに死んでいるだろう。でも未だマリウスは死んでおらず、ぎこちない態度ながらも訓練にもきちんと参加している。だからマリウスは本気で死にたいわけじゃないと、グリムは言っているのだ。


    「壁外調査には参加させるのか?」


    訊くと、暫く沈黙してからグリムは困ったように笑う。


    「うん……。多分参加してもらう。僕の班の一員としてね。ナタリーもやりづらいとは思うけど、連携はとれているみたいだから任せて大丈夫だよね?」

    「命が懸かれば流石に公私の区別はつける。マリウスだってきっと人を巻き込みたくはないだろう」


    何一つ確証は持てないが、今は仕方ないと諦めるしかなかった。付き合いが浅い私たちにはマリウスの本心なんてわかるはずもないのだから。


    「彼自身が自分のことを見つめない限りどうしようもないからね。……マリウスだってまだ15歳だ。気の毒ではある」


    そう、しっかりしているように見えてもマリウスはまだ子供といっても差し支えがない年齢。兵士でさえなければもっとゆっくり自分と向き合って成長出来たはずが、ここにいることで最短での成長が求められる。その苦しみを私たち年長者は理解しなければならない。

    「彼は今、3つ上――あ、君も歳は同じなんだね。とにかく、マリウスから見て先輩の兵士と同室になったそうだ。仲良くなってきているって噂を聞くから、それでどうにかなるといいな……」


    グリムは大きく息をつく。ただでさえ精神が休まらない壁外調査前だというのに、私たちは余計なものまで抱えてしまったな、と苦笑する。


    「また次も生き残ろう。そうしたら、今抱えている悩みも杞憂だったと笑えるだろう」

    「ナタリーが言うと、何だか力強い感じがする。――本当にそうなればいいなと思うよ。はぁ、来週が不安だ」
  115. 151 : : 2014/03/05(水) 01:09:55

    「そうだな……。最近は天気も悪い。途中で降られたらおしまいだ」


    曇天に目を向け、あまりの雲の黒々しさに溜め息をつく。壁外調査中に雨が降れば、道はぬかるんで馬の速度も出せず、しかも視界は悪くなる。逃げるにしろ戦うにしろ圧倒的に不利だ。私はまだ雨の壁外は体験したことがないが、以前リヴァイに少しだけ話を聞いた限り“最悪”になるそうだ。グリムも私の言葉を受け、不安そうに空を見上げた。


    「僕たちは役目を果たすことだけ考えるしかないからね……」


    不利ではあるが、雨でも十分に逃げられるし、戦える。その為の訓練を重ねてきた私たちだが、雨というものはやはり心をざわつかせた。


    「今回は訓練すら中止になる大雨ばかり。こんなのに降られたらひとたまりもないだろうね……」


    グリムはそう呟くが、不安を振り払うように頭を数回振り、こちらに笑いかけた。


    「……まぁ、とりあえず。ベストを尽くすしかないってことだね。仕事のことも、マリウスのことも」

    「ああ。不安だらけだが、きっとこんなものはいつものことだ。ずっと未来で笑い飛ばせるまで、お互いに頑張ろう。宜しく班長」


    私もそんな彼に応えて笑い返す。空は変わらず透明な雫を地上へと振り撒いていたが、私はこの雨がやがて降り止むことを信じていた。



  116. 152 : : 2014/03/05(水) 01:11:22



    翌週。あの前代未聞とばかりに降り続いていた大雨は止み、道はぬかるみながらも馬を走らせるくらいなら問題ない程度まで回復した。

    そんな中、私たち調査兵団一行はウォールマリア内地――つまり壁外へ来ていた。壁外調査は無事決行され、今はちょうど最初の休憩を挟んでいる最中であった。


    「周囲の巨人を警戒しろ! 一人では行動するな。喰われるぞ!」

    「は!」


    ありとあらゆる所で兵士の声が響く中、私は廃墟となった家の屋根から周囲を警戒していた。その耳に時折静かな泣き声が届く。……ここまで来るのにも死者が出る。その友人に違いなかった。

    少し先に見えるテントでは、エルヴィンやハンジがこれからの進路を決めている。その出前には救護班が負傷者に肩を貸していた。そして一つ向こうの屋根にはミケ。私の真下にはリヴァイが立っている。巨人の気配はなく、このまま行けば手に持った煙弾は必要なさそうだと安心していたところに、下から遠慮がちな声が掛かる。


    「ナタリー。もうすぐ交代だ。君は休んでくれ」

    「班長自ら部下を呼びに来るなんて、そんな暇よくあるな」


    からかったつもりだったが、グリムは慌てたように腕を振って否定した。


    「ち、違うさ。僕たち班長は進路が決まるまで仕事がないから、せめてこれくらいやろうと――」

    「知ってるさ。わざわざありがとう」


    屋根から地面に下りて礼を言うと、遠くから同じ班の男がやってきた。彼が引き継ぐらしい。


    「班長。ここにいたのか」

    「ああ。ナタリーと交代だよね。頼むよ」

    「承知している」


    彼はそう言って私には何も言わないまま屋根に上がった。いつものことだったため、私は別に気にしていないが、グリムは少し寂しそうな顔でそれを見送った。


    「マリウスは?」


    私は後ろを振り返りつつ尋ねる。交代したということは、彼はここからでは見えにくい一つ向こうの屋根に向かったはずだった。


    「休憩中は何も。ここまでよくやってくれたよ。他班はもう死人が出たのに」


    今日は運が良くない。大雨の影響で腐った木が道を塞ぎ、調査兵団は予め決められた進路をだいぶ逸れてしまっていた。この休憩地点も普段では訪れない場所で、いつも使っているところよりも見晴らしは良い分、屋根などが崩れやすい場所だった。


    「さっきちらりと小耳に挟んだのだけど、どうやらこれから更に少しだけ進路を西にとって、あの森を迂回するように進むことになるらしい」


    彼が指さした先にあるのは鬱蒼とした森。普段ならいつもの道から外れてしまっても、巨人に遭遇しても逃げ切れるだけの広さがあるあの森の道を通って安全に元の道に戻る。しかし、今は入り口が一本の大木に塞がれて通れなくなっているため、その森も迂回するしかない。
  117. 153 : : 2014/03/05(水) 01:12:05

    「だいぶ離れるな……あの辺りはどうなっているかもわからないのに」

    「一応人が住んでいた場所だ。問題なく立体機動も出来ると思う。ただ……」


    そう言ってグリムもマリウスがいるであろう方へ目を向けた。


    「マリウスが心配だよ。もう疲れきった表情をしている。もしこれ以上予定が狂えば精神を病んでしまう勢いだ」

    「そんなに悪いのか?」


    さっき見たときは不安そうながらもしっかりした働きを見せていただけに驚く。グリムはどこか困った顔をして、指先で替刃をいじりながら答える。


    「ナタリーには弱いところを見せない気なのかもしれないね……。さっき通常種から逃げただろう? あの時も逃げた僕以上に青い顔をしていたよ」


    ははは、と笑うが、いつも以上に覇気がない声だった。私はそんなグリムの肩を軽く叩いてやり、元気を出すよう言う。


    「グリムは班長らしく、いつも通り先頭を走ってくれればいい。あとは私が頑張ろう。……万一の時だって、私が囮になれば他の奴らが倒してくれる。――そうだろう?」


    他の3人は嫌いだったが、けして頼りにならないわけじゃない。彼らもまた、この地獄を何度も生き残ってきた強い兵士たちだからだ。そんな兵士たちがいる限り何も心配はいらないのだと、グリムを励ました。


    「僕は班長だから、勿論みんなを信頼しているよ。でもどんな精鋭でも一瞬で死ぬのが調査兵団だからね……常に不安なところはあるさ。でも、ありがとうナタリー。君がいればどうにかなる気がする」


    困ったままの顔でもう一度笑うと、グリムは私の背後を指さした。


    「休むといい。多分もうすぐ出発だ。僕はちょっとマリウスのところに行ってくるよ。話したいこともあるしね」

    「承知した。また後で会おう。班長」

  118. 154 : : 2014/03/05(水) 01:13:06

    私は馬の様子でも見ようかと歩き出す。休憩とはいえ、ここでは特にやることもない。喉も渇いていなかったし、壁から出てそんなに経っていなかったため、体力も十分だったのだ。


    「ん……あ、リヴァイ」


    私の馬を撫でる人に気付いて近付いてみると、それはリヴァイだった。彼は私の方に振り向き、腕を組んで口を開く。


    「今は休憩か?」

    「ああ、私の馬がどうかしたのか?」


    一応周りに人がいないことを確認しながら訊くと、彼は馬の艶やかな黒い背中を撫でながら言った。


    「いや、この馬がだいぶ前に俺を振り落としたことをふと思い出してな……。随分と立派になったものだと感心していたところだ」


    その声や目には怒りを含んでいなかったから安堵する。以前リヴァイの馬が負傷したとき、代わりの馬として彼が乗ったのが今私が乗る馬だ。結局リヴァイを振り落としてしまった後は、すぐに彼の元の馬が回復したこともあり、予定通り私の馬として譲られていた。あの時はこの馬も臆病だったが、私が時間を掛けて接する内に、今では人にも慣れている。巨人から逃げるのも、脚が速いこの馬のおかげでだいぶ楽だった。


    「リヴァイを振り落とす馬なんて珍しいよな。よく私が乗れているってたまに思う」

    「馬は愛情をもって接すれば必ず応えてくれる生き物だ。お前の世話が良かったんだろう」


    リヴァイはそう言って軽く馬の背を叩くと、腕を組んで私と向き合う。


    「これからの進路の話はもう聞いたか?」

    「ああ、森を迂回するそうだな」

    「他の連中は今からでも戻って、時間を掛けてでも安全な道を行こうと提案したらしいが、エルヴィンやハンジはそうは考えていないようだな」


    確かに、今回の目的地へはこちらから行く方が早く着く。だが、本来の民家が密集する道と比べ、これから進むのは平野が中心の道。民家はまだらで、巨人と遭遇してしまった場合の危険は増す。

  119. 155 : : 2014/03/05(水) 01:13:54

    「リヴァイはどう思う? この決断」


    尋ねると、少しばかり考えてから彼は答えてくれる。


    「……戻って本来の道へ進んでも、結局は時間と命の無駄だ。それなら一か八かで進むのも悪くない。とにかく、俺はエルヴィンの命令に従うだけだ」


    実に彼らしい回答に、私はどこかほっとする。すると、リヴァイは力強い眼差しを向けて私に言った。


    「油断して死ぬなよ。ここからはお前たちが一番しんどい場面になる。くれぐれもくだらねぇことに気をとられて死ぬな」

    「ああ。今回は心配事も多い。そう簡単に油断は出来ないさ。だから大丈夫だ」

    「例の新兵か。いるのか?」


    私は頷いて答える。リヴァイは遠くの方を見つめながら小さく息をついた。


    「……この状況でそれは面倒だな。だがお前にはいい経験になるだろう。俺が思うに、お前は少し壁外を甘く見ている節がある」

    「甘く?」


    そんなつもりはなかったため、私は眉をひそめた。しかし、リヴァイは腕を組んだままの姿勢で厳しく言う。


    「ここは戦場だ。それも何が起こるとも知れぬ地獄。ここでは人間なんてもんは塵並みの価値しかもたねぇ。すぐ捻り潰され口に放りこまれておしまいだ。だがお前はまだその恐怖を知らない。特に、親しい者の死をな」


    彼の眼がまるで射るかのような鋭さをして私を睨んだため、思わず臆して後ろに一歩下がる。それでも口だけは何も気にすることはなく、自然に言葉を紡いでいた。


    「確かに経験はないが、常に命を危険に晒しているという自覚はあるつもりだ。だから、けして甘く見ているわけじゃない」

    「……ならいい。これからも注意しろ。お前、そろそろ持ち場に戻れ。俺はエルヴィンのところへ行く」


    そう言い残しリヴァイはその場を立ち去ろうとする。


    「あ――、リヴァイ。また、今度は壁内で会おう。必ず」


    その小柄な背中に一声だけ掛け、私も自分の班が集まる場所へと歩き出した。


  120. 156 : : 2014/03/05(水) 01:16:04


    馬の蹄が地を蹴る音が続く中、私たちはひたすら前へと前進していた。

    私たちが進むその道は、予想通り崩れた家屋が点々とあるだけの平野だった。身を隠す場所もないところでの前進命令はただ不気味であったが、私たちはエルヴィンの判断を信じて地を駆けていた。

    私たちの班は右翼側、初列の一番右端から二番目の位置にある。初列の中では荷馬車に近い場所にあり、中央に近い最前線の策敵班より安全な代わりに、ここが突破されれば荷馬車までの間に策敵支援と伝達を請け負う若い兵士しかいないという責任がある。この班はそんな重要なポジションにあった。


    「……静かね」

    「うん。人間以外何もいないって感じだ」

    「気味わりぃな。嵐の前の静けさって感じで」

    「ふむ。俺もそう思う。嫌な感じだ……」


    先頭を行く四人の会話を聞きながら横のマリウスを盗み見る。手綱を握る彼の表情はしっかりしているように見えたが、唇が僅かに震えているようにも見える。


    「マリウス。私と位置を交換してくれ」


    そう言って馬を彼の方へ向けた。今の並びではマリウスの方が外側になる。それを入れ換えることで、僅かでも彼の気が紛れればいいと思ったのだ。


    「あ、はい」


    小さく頷いて馬を減速させ、彼は私の後ろから回り込むようにして位置を交換した。

    そうして暫く何もないまま進み続ける。ようやく左にある森の終わりが見えた頃だった。不意に短い声が上がる。


    「きゃっ!? あ、雨?」

    「おいビックリしたじゃねぇかよ。ん、確かに降ってるな」


    私も片手を出して確かめてみる。待つまでもなく冷たい雫が手のひらを濡らした。


    「うぅ……雨」


    マリウスの悲痛そうな声を聞き、私は助けでも求めるように前を走るグリムを見た。彼は黙ったまま前を見続けていたが、いよいよ雨足が強くなってきたというところで口を開く。


    「まずいな……。視界が悪い」


    突然降りだした雨のせいか、遠くの方はうっすらと霧がかかったようになっていた。もうずっと見えていた森も霞んでしか見えず、これ以上悪くなってしまえば危険も増える。私は僅かに沸き上がった不安を誤魔化すように立体機動装置のグリップを撫でた。

  121. 157 : : 2014/03/05(水) 01:17:03

    「おい、見ろ煙弾だ。参ったな……すぐ右から黒。あれは奇行種だ」

    「くっ……近いわよあれ。すぐそこで上がったばっかだもの!」


    いつもは落ち着いているはずのその声に少しの焦りを感じ、私は弾かれたように顔を上げる。


    「――グリム!」


    指示を仰いで声を掛ければ、彼は信煙弾を撃って他の班へと回してから振り返って言う。


    「全員剣に手を掛けるんだ。向こうの班が上手くやっていればいいが……」


    私は言われた通りにグリップを握る。その先に刃の確かな重さを感じ、これから起こるかもしれない戦闘に備え、一層強く握りしめた。


    「奇行種が相手だから、ナタリーとマリウスは決められた通りにやってくれればいい。特にマリウスは今回は無理に囮になろうとしないで、生きることに専念するんだ。緊急事態の際は君が伝達の任務を担う。わかるね?」


    私たち策敵班の役目は危険を排除し、伝達班まで伝えること。もし全滅してしまえば私たちの意味はなくなる。それは避けなければならなかった。


    「は、はい」


    弱々しくもしっかりとした返事を返すマリウス。彼もまたグリップを掴みながら前を見据えていた。新たな煙弾が撃たれないということは、巨人は排除したのか。それともまだ戦っているのだろうか。――わからない。


    (緑の煙弾はまだか――?)


    私たちは右翼側にいる。だから、中央にいるはずのエルヴィンからの煙弾は左を見ていればわかるはずだった。長距離策敵陣形は広範囲に展開されているとはいえ、調査兵団の総兵士数からすれば伝達にそこまで時間は掛からないはず。なのに、グリムの撃った煙弾がエルヴィンに届いているという確証が得られず、私は唇を噛んだ。


    「っ! おい、左へ避けろ!」


    ハッとして手綱を引くと、すぐ横から独特の臭気と共に奴が顔を出す。貼り付けたような笑みを浮かべた不気味な四足歩行のそれ――巨人だった。

  122. 158 : : 2014/03/05(水) 01:18:02

    「奇行種か!?」

    「ナタリー! 馬を走らせろ!」


    グリムの声を追いながら全速力で走る。巨人は勢いよく突撃したせいで明後日の方向へ倒れていたが、すぐに身体を起こして眼球をぐるりと回してこちらを見た。


    「くっ――!」


    奇行種なら倒さなければならない。そう思って十分に巨人から距離を取れない私。奴はこちらを見た後、私から興味を無くしたように、貼り付けた笑顔を他所に向けてしまう。それはまさに奇行種の行動だった。


    「みんな立体機動に移れ! 奇行種だ!」

    「おう! 獲物を逃がすなよ」


    グリムの一声で4人が一斉に馬から飛び上がる。狙っているのは奴の脚。


    「っち、動きが早いぞ!」


    足にアンカーを刺すものの、巨人が走り出したため切りつけるのは困難だった。私は自分の出番とばかりに馬を走らせ、奇行種の眼前を封鎖する。勿論、奇行種がこんなことで止まるわけがないし、注意すら引けないこともわかっている。


    「無理はするな!」


    グリムの注意を耳に入れながら、こちらに向かってくる奇行種を待ち構える。奴は私など見えないかのように勢いよく突進し、私を馬ごと踏み潰す勢いだ。


    「ッ!」


    互いの距離が10メートルになる。私はアンカーを打ち出し、ワイヤーを勢いよく巻きとった。正面から巨人の眼前に飛び込み、狙うは両方の眼球――。


    「はっ!」


    短く息をはき、同じタイミングで剣の先端を奴の眼球に突き刺す。驚いてのけぞる巨人の手から逃れるため、刄身を引き抜かず突き刺したまま破棄し、すぐに飛び去る。


    「おい! やったぞ」

    「言われなくてもわかってるって!」


    それでもご苦労さんと労われ、私は一瞬だけ気を緩める。しかしそれは一瞬で、すぐに周囲の様子を把握しようと努めた。

  123. 159 : : 2014/03/05(水) 01:19:16

    奇行種は両目を押さえており、グリムたちが今まさにそのうなじに切りかかるところだった。だからそっちは大丈夫。それ以外に目を向ける。

    空は厚い雲で覆われ、地上に雨粒を落としていた。そこには色のついた煙は見えない。調査兵団は今なお変わらず前進を続けていた。

    駆け寄ってきた愛馬に飛び乗り、無事に討伐された巨人を見下ろすみんなのところへ駆ける。


    「煙弾はない。これは前進し続けろという命令なのだろうか……」


    それぞれの馬に乗りながらみんなの会話が続く。


    「変だ。いつもなら一度誰かが信煙弾を撃てば団長から緑の煙弾が返ってくる。たとえ前進でも、だ」

    「そうね……まるで先頭に伝わってないみたい」


    一同は顔を見合わせる。そんな私たちに、グリムが声を掛けた。


    「馬を走らせよう。それと、状況を確認するために誰か隣の班に訊きに行ってくれ」

    「俺が行くぜ。さっきは何の役にも立たなかったしな!」

    「頼む」


    遠く走って行った彼を見送ってから、私たちは馬を方向転換させて再び走り出した。


    「マリウス。大丈夫か?」


    隣を確認すると、マリウスは青い顔でそっと頷いた。その手に握られたままの剣を収めさせ、私はグリムに問いかける。


    「あれから何も見えないが、上手くいってるのだろうか?」

    「いや、見るんだ。あっちに赤い煙が見える」


    グリムが見つめる先にはいくつかの赤い煙が伸びていた。その方向からして、前方から通常種が現れたのだろう。


    「あの位置って大体中央? なら平気かしら」

    「多分ね。でも気は抜けない」


    そして暫く走り、先程隣の班へ向かった兵士が戻ってきた。彼によると、隣でも緑の煙弾は確認していないとのこと。奇行種との戦闘で見逃したという線は薄まり、全員の不安は一層増す。


    「僕の撃った信煙弾を隣の班が引き継いだのは確認した。けど、そこから先は見てないんだ」

    「さっきより雨足が強いし、もしかしたらこの天気で煙弾が消えたのかも」

    「いや、むしろ色が溶け混んだという方が正しいだろう。奇行種用の煙弾は黒。この天気じゃロクに使えない……」


    みんなが忌々しげに見上げる雲は黒い。まるで常に危険が迫っているとでもいうかのような厚い雲は、当分の間なくなりそうにはなかった。
  124. 160 : : 2014/03/05(水) 01:20:27

    「あ、緑の煙弾です!」


    黙っていたマリウスが弾かれたように声を上げる。それに釣られるように空を見上げると、そこには薄くではあるがしっかりとした緑の煙弾が見えた。


    「進路は東だ……。森はもう抜けたのか!」

    「あ、班長。私が撃つよ!」

    「宜しく頼むよ」


    やっと団長からの反応が得られて一同は息をつく。だが、そんな私たちを一喝するようにグリムが固い声を掛けた。


    「――班を二つに分けよう」


    その提案は驚くべきもので、誰もが一瞬何の反応も出来なかった。


    「え……え?」

    「おい班長! 何だよそれ、どういうことだよ?」


    グリムを挟んで先頭を走る二人が先に反応した。グリムは苦々しい声で説明を始める。後ろを走る私には彼の表情は見えなかったが、きっと険しい表情なんだろうと、その声から察することが出来た。


    「よく考えてくれ。この雨がどれだけ続くかは僕たちにはわからない。だけど確実にさっきより酷くなっている。視界もお世辞にも良いとは言えないね? 僕たちが倒したあの奇行種を知らせた信煙弾は、雨が降り始めた当初のものだ。雨が今この状態になってから確認した煙弾の色は赤と緑。どっちもはっきりした色だよね。それと比べて黒の煙弾はこの空に溶け混みやすく、とても危険だ」

    「それが何で班を分けることに繋がるんだ!?」

    「こんな時に適当なことは言わないでよ?」


    焦ったように叫ぶ仲間の兵士たちに私も同意したい気分だった。濡れた服が肌に張り付き不快感は強まるばかり。その苛立ちが沸々と心を焦がしている。


    「グリム」


    急かすようにグリムを呼ぶと、彼は深く息をはいてから説明を続けた。


    「いいかい? 黒の煙弾が使えないかもしれないということは、どこから巨人が現れるかわからないということだ。今ここで試しに煙弾を撃つわけにもいかない。任務を遂行するためには固まっていない方が効率的だし、何より安全だ」


    彼は言った。あの時に撃った信煙弾が隣の班に届いたのは雨が強まる前である。だがその直後に雨が強まり、隣の班が撃ったと思われる信煙弾は他班には伝わらなかった。だから進路を知らせる団長の煙弾が返ってこなかった。それはつまり、黒の煙弾が使えないということであり、奇行種が現れた時に他班に伝達する手段が一つ失われたということである。だが口頭での伝達は時間が掛かる。しかも奇行種は優先的に討伐するという調査兵団の方針上、伝達に割ける兵士はいなくなってしまうことが多い。すると、万一先程のように他の班が巨人を逃した場合。私たちにそれを伝達する術がないということは、巨人がどこから現れるのかを教えられないということである、と。

  125. 161 : : 2014/03/05(水) 01:21:54

    「ここに全員がいれば全滅するかもしれない。でも班が分かれれば違う」

    「それでは戦力が分散する。それに他班に伝達する人間がいなくなるぞ」

    「それは考えたさ。でも僕たちの班は人数が多いから、二つに分かれても何とかなるはずだ。それに、そんなに距離を空けるつもりはないよ。お互いがすぐそこに見える位置に並べばそれでいい。そうじゃないと危険だと知ることが出来ないだろう? あくまで一回の襲撃で全滅しないための処置だ。巨人の体当たりの範囲に全員が入らなければそれでいい」

    「ちっ――わかったぜ班長。そういうことならやってやるぜ」

    「僕はナタリーやマリウスと一緒にいようと思う。君たちなら安心して任せられるけど、彼らはそうはいかないからね。悪いけどマリウスを戦わせたくないから、君たちには外側を頼む」

    「ぶっちゃけ班長がいないのは不安だけど了解したわ。距離はどれくらい離れるの?」

    「4、50メートルで十分だ。もし霧が深まるようなら近寄ってくれ」

    「承知した」


    グリムは的確に指示を飛ばし、ベテランの3人はそれに従い馬を走らせた。後には私、グリム、マリウスの3人が残る。


    「班長。僕たちはどうすれば?」

    「僕たちは基本的に彼らが取り逃がした巨人を相手する。敵の数が多ければ一緒に戦うけど、基本的には生き残ることを優先するんだ」

    「私も向こうでなくて良かったのか? 通常種が現れれば私の出番だ」

    「その時は君に頼むよ」


    その馬は速いからね、と私の馬を指して言う。


    「わかった」


    私たちはひたすら馬を走らせる。エルヴィンが撃った煙弾を追いかけ、ただその荒れた大地を駆けた。常に耳は遠くの音を聞き、目は周囲の物を見る。巨人の影に似たものを見ればすぐに剣に手を伸ばし、人の声を聞けば馬を向けた。


    「巨人がこうもいないと逆に不気味だ……」


    先頭を変わらず走るグリムの呟きに同感した。壁外に出てこんなに静かだったのは初めてだ。雨のせいもあるかもしれないが、巨人が雨を嫌うなんて聞いたこともない。それが余計に気味悪かった。


    「あれから赤の煙弾が3回撃たれただけだもんな……。それも全部中央の策敵班によるものだ。何故こちらには巨人共がこないんだろうか」

    「わからない。……そろそろ方向も変わる頃だと思う。空を見上げていて損はないだろうけど。こう何事もなく順調に進むと僕も気後れしてしまうよ……」


    先頭の方を見ながらもグリムは警戒を怠ることはなかった。その為その声はいつも通り語尾が萎んでいるにも関わらず、どこか力強い。比較的ベテランである3人を欠いた今、技術面で頼れる人間は班長であるグリムだけだ。だから彼もいつも以上に警戒を強めているに違いなかった。


    「先輩たちはさっきから消えたり現れたりしていますが、一体どういう意図があるんでしょうか?」


    おずおずと会話に入ってきたマリウスを一度だけ振り返って見つめてから、グリムはすぐに右側へと視線を投げる。そちらの方向にはあの3人がいるはずだったが、今はすっかり濃くなった霧で見えなくなっていた。


    「多分、あちらからはこっちがよく見えているんだと思う。そうじゃなければああする意味がわからないからね」

    「危険……じゃないんでしょうか? もしあっちに巨人が現れても、僕たちはすぐに反応できません」

    「そうだね……ちょっと距離を詰めようか。ナタリー、悪いけど行ってくれ」

    「了解した」
  126. 162 : : 2014/03/05(水) 01:22:59

    私はすぐに馬を右に向ける。まるで重さでもあるようにずっしりとして見える霧を潜り、影でしか見えない3人の下へ駆けると、馬を並列させて叫ぶ。


    「班長から伝令だ。霧が濃いため少し向こうに寄るように!」

    「霧が濃い? こちらからだと普通に見えるが――?」

    「向こうからだと全く見えない。10メートル程寄って――」


    その時、私の横からズサリという土を弾く音が響いた。ハッとして振り向くと、二体の巨人が二人を追って不気味に腕を振りながら、まるで玩具に飛び付く子供のような調子で走っている。


    「っく! まさか後ろから来るなんて――っ」


    背後から巨人が現れるのは珍しいことでもないが、今は状況が悪かった。巨人たちはまだ二人に引き付けられられているが、いつこちらに標的を変えるかわからない。私たちは咄嗟に馬を追いたて、走る速度を変える。通常種とは極力戦わないのが調査兵団の常だからだ。

    巨人に追いかけられている二人は私たちに被害が及ばぬよう、こちらから遠ざかっていく。グリムはあくまで自分たちだけで切り抜けるつもりのようだった。


    「戦うか!?」


    走りながら他の連中と顔を見合わせるが、みんなの反応は薄い。私は唇を噛み、一人剣を抜いてから手綱を引いた。


    「煙弾を頼む! 私は向こうを援護する!」

    「ちょ、待ちなさいよ!」

    「すまない」


    そう言い残し、遠ざかりつつある二人を追って馬を走らせた。二人の馬よりも私の馬は速い。絶対に追い付けると、私は確信していた。

    ぬかるんだ土を踏みつけながら馬を走らせる。叫んで巨人の注意を引き付けることも出来るが、こちらに引き付けてベテラン組を危険に巻き込むことは避けなければならないため、出来る限り静かに接近する。


    (だいぶ離れたな……二人はどこに?)


    巨人の姿を頼りに追ってはいるが、グリムとマリウスの姿はまだ見えない。霧があるせいか、それとも雨に濡れた前髪が邪魔だからなのかはわからなかったが、とにかく二人は消えてしまっていた。


    (まさか、もう撒いたのか?)


    その可能性を考え、それはないと頭を振る。巨人は変わらず前進しているからだ。その先に二人がいることは間違いない。


    (――っいた!)


    とうとう二頭の馬とそれに乗る二人の姿を見つける。私は更に加速し、東に向かって走る二人と並んだ。

  127. 163 : : 2014/03/05(水) 01:23:49

    「ナタリー! 何故ここに……」

    「後だ。このままじゃ隣の班とぶつかる。二人は戻ってあっちと合流してくれ。私が後を引き受ける」


    戸惑いや焦りを含んだグリムの顔を見ながら、状況が良くなると祈って余裕そうに笑ってみせた。


    「それは無茶だ! それに二人と一人じゃ二人の方に引き付けられるじゃないか! 僕も君と囮になる。マリウス、君は――マリウス?」

     
    後ろを振り返ったグリムが驚愕に目を見開くのを見て、私も思わず振り返る。さっきまでそこには巨人から必死で逃げる青い顔をしたマリウスがいた。しかし今、彼はそこにいない。それどころか、巨人が二体とも減速し始めた。


    (――まずいっ)


    頭に浮かぶのは一つ。マリウスが巨人に捕まった。

    しかし巨人はまだマリウスを捕らえていない。それならと彼の馬を探すと、遥か後方に止まっていた。その背には主はおらず、近くにも姿は見えない。


    (どこだっ!?)


    グリムと共に巨人から距離をとって馬を止め、マリウスの姿を探す。視界の端から端までをくまなく探し、やっと地面に転がる小柄な姿を見つけた。しかし私が見つけるのと同時に、マリウスに大きな影が迫る。


    「危ないっ」


    私は咄嗟に巨人の手のひらにアンカーを打つ。巨人が驚いて腕を引きこちらを注目した瞬間を見計らって、アンカーを抜いた。巨人は私を確認すると、首を左右に大きく振りながら追い掛けてくる。私はそれを確認しながら馬を走らせるために手綱を強く握った。後はマリウスが離脱して馬に乗ればいい――はずだった。


    「っ!?」


    視界の端に見えたのは、安心したように身体を弛緩させたマリウスを覗きこむ、もう一体の巨人の顔。私は彼を助けようと咄嗟に行動したため、もう一体をすっかり忘れていたのだった。泣き出しそうな表情を仮面のように貼り付けたその巨人は、無防備なマリウス目掛けて手を伸ばす。しかし私も先程アンカーを刺した一体に迫られていた。逃げなければこちらの命が危うい。この状態ではもう助けられない。

  128. 164 : : 2014/03/05(水) 01:24:50

    (くっ――!)


    私は馬を止め、今来た方向に走り出す。マリウスのところへはグリムが立体機動で向かっていたが、あれでは間に合わない。


    (お人好しでもないのにっ!)


    毒付きながら馬で駆ける。私を追う巨人の足の間を潜り抜けると、ちょうどもう一体がマリウスを掴んだところだった。


    「マリウス!」


    泣きそうな表情とは裏腹に、巨人は豆を放り込む気軽さでマリウスを口に入れた。


    「マリウ――っ!?」


    だが私の叫びは途中で遮られる。口の中へ消えたと思ったマリウスが地面へと放り投げられていたからだった。私は驚きに目を見開く。そしてその名を呼んだ。


    「グリム!」


    絶対に間に合わないと思っていたのに、グリムは確かにそこにいて巨人の口からマリウスを救出したのだった。しかし、彼は今にも閉じられそうになる巨人の上顎を押さえながら喰われまいと必死になっている。それを見て私は巨人の身体の適当な位置にアンカーを打ち、すぐに立体機動に移った。


    「っはぁ!」


    そしてアンカーを打った地点を適当に切り付けた。私の力ではうなじを削ぐことは出来ない。それなら一瞬でも巨人の注意を逸らせればそれで良かった。


    「ぅぐっ……」


    それなのに、次に聞こえたのはくぐもったようなうめき声。一瞬で私の血は凍りつく。――遅かったか?


    「グリムっ!?」


    私は巨人の身体から飛び去る。もう一体の巨人がこちらに迫ってきていたからだった。そちらも同時に相手しなければ危ない。だからグリムの姿を確認することが出来ず、せめて名を呼ぶ。


    「マリウス! グリムは!?」


    地面でこちらを見ながら顔面蒼白で震えるマリウスに問う。彼からはグリムが見えているはずだ。だから訊いたのに、マリウスは目を見開いたまま答えない。

    私は元々私を追っていた巨人にアンカーを打ち、高く飛んだ。――マリウスは今は使えない。グリムは安否不明で、最悪死んでいるかもしれない。切り付けたことにより、巨人二体の関心は私に向いていた。こちらに向かって腕を伸ばす二体をすり抜けるように飛んで巨人の後ろに回ると、そのまま脛を切り付ける。

  129. 165 : : 2014/03/05(水) 01:25:33

    (くっ……やっぱり浅いかっ!)


    他の3人が今ここにいたらどんなにいいだろうと思ったが、いない以上考えても仕方なかった。しかし、私一人で巨人二体の相手をするのは無謀すぎる。巨人を少しずつ二人のいるだろう位置から離すことは出来ても、私には止めをさすことは出来ないのだ。


    (グリム――生きていてくれっ)


    祈るように一度ぎゅっと目を瞑り、すぐに目の前の巨人を睨む。リヴァイから教えられている通り、わざわざ正面から突っ込んだりはしない。今は出来るだけ下の方から注意を引きつつ、巨人共を引き離すのが先決だった。

    巨人の身体にアンカーを打ち、叩かれない程度まで接近して私を見つけさせる。奴らは頭が悪いから、まるで獲物を見つけた動物のように一直線で私を追う。二体を交互に相手しながら、接近し、離れてという行動を繰り返す。


    「――っ!」


    巨腕が頬を掠め、その爪が肌に食い込むのを感じた。すぐに頬を雨以外の液体が流れるのを感じたが、それを拭う暇もなく、もう片方の腕を回避する為にアンカーを引き抜いて落下する。


    (くそっこれじゃあキリがない――っ)


    いつまでもこうしてはいられない。刃はすぐにボロボロになってしまうし、ガスだって限界がある。それが無くなってしまえば私は終わりだ。

    血と雨とが混ざり合い、飛ぶ度にマントに赤い線を描く。随分と深く切ってしまったのだろうか。私は一度近くの木の枝へと飛び移る。そして口の中にまで入り込んだ血の味を確かめながら、ふと地上へと目を向けた。


    (マリウス――頼む戦ってくれっ)


    今や遥か後方にぽつんと存在する点となったマリウス。彼らしき地上の影を見て、私は心の中で叫ぶ。いくら戦闘が苦手だと言われたからといって、彼だって訓練兵を卒業した兵士。戦えないわけがない。その技術を確かにもっているのに戦わないだけだ。

    グリムの姿はここからではわからない。本当にさっき喰われてしまったのか、それとも私が見えないだけであの場所にいるのか……。死んでいてほしくない。生きていてくれ――そう願ってから、力を入れて握っているせいで上手く動かない腕を使って頬の血を拭った。
  130. 166 : : 2014/03/05(水) 01:26:19

    こちらへと不気味に駆け寄ってくる二体の巨人を睨み、再びその身体にアンカーを突き刺そうとした。その時、私の目は自分の首元にぶら下がる銀の煌きを捉える。それはあの時リヴァイに貰ったペンダント。ジャケットの中にしまっていたのだが、先ほどからの激しい動きのせいでとうとうマントの上に出てきてしまったのだろう。それを強く握り締める。


    (――まだ私は死ねない)


    死ぬわけにはいかない。たとえ一人だとしても、私は兵士だ。そして私には目的がある。……だからここで死ぬわけにはいかない。


    (生きよう。生きなきゃ。生きて帰ろう)


    そう、こんな醜悪な顔をした“敵”には負けたくない。負けない。


    「まだ――私は戦えるッ」


    指先でトリガーを引けば、アンカーが待ち焦がれていたかのように勢いよく飛び出した。的は巨人の肩。どこでもいいわけじゃない。確実に巨人の動きを封じる為に考えた結果だ。

    昔、空中で姿勢を制御することに慣れた頃。誰かが私の立体機動を見て呟いたことがあった。――まるで本物の翼が生えているようだ、と。それはある意味で正しい。私の背中には翼がある。他の兵士と同じ自由の翼。そして、もう一つ。


    (リヴァイのくれた翼がある)


    ワイヤーに引かれるように飛んでいるだけなのに、まるで空を翔るような感覚。刃を構え、目の前で不気味な表情を浮かべる巨人に切りかかる。勿論、奴らだって無防備ではない。すぐに両腕を振り回して私を振り払おうとした。それを掻い潜るため、もう一つアンカーを打ち、先に打った方を一度引き戻す。軌道を修正して今度は巨人の背後に回ると、二体目の巨人がそこには待ち構えている。さっき引き戻したアンカーを今度は巨人の頭部へと打ち込み、一気に上に飛び上がる。すると私がいた位置を巨人の腕が掠めた。


    ――力が足りないこともわかっている。私では倒せないのもわかっている。だけど私はマリウスとは違う。死ぬ気はないし、戦わずに震えることもしない。私は私の理由で戦っているんだ。死なないことも出来るのに、その選択をせずにここで果てるわけにはいかない。

  131. 167 : : 2014/03/05(水) 01:27:55

    何度目かの逃避が終わり、ようやく私は本命である巨人の肩へアンカーを突き刺す。そこを削ぎ落とせれば一分間はゆとりが生まれる。その一分で脚の健を削げばうなじが狙える。やらなければ死ぬだけだ。だけど、やれば生きることが可能性がある。ならば私はそれに賭けよう。


    「はぁあああっ!」


    声を上げて自分を鼓舞し、熱くなった血を更に奮わせる。真っ直ぐに切りかかれば、それに気づいた巨人が私を捕らえようと腕を伸ばす。だが、それは僅かに届かない。


    「――はッ!」


    刃が肉を削ぐ確かな感触。そしてその傷から噴出す熱い血液。それを全身に浴びながら私は踵を返し、再び同じ場所目掛けてアンカーを打つ。


    (一度で駄目なら二度)


    それが駄目なら何度でも。何度でも削いでやる。

    私の特技は立体機動。その技術ならあのリヴァイにだって劣らない。だから私は巨人に捕まるなんて不祥事は起こさない。


    「ナタリー!」


    その時、私の耳は人の声を捉えた。そのいつ聞いても覇気がない声は、一々姿を確認せずとも誰のものであるかわかる。――グリムは生きていたのだ。


    「グリム! 向こうを頼むッ!」


    無事を喜ぶのは後だ。今は目の前の敵に集中しなければならない。だから私はグリムにもう一体を任せ、もう一度巨人の肩を削いだ。もう一度、もう一度。


    (まだか――?)


    血は変わらず噴き出るが、それもすぐ止まってしまう。私の削ぐ速さが巨人の回復速度を下回るというのか――。


    (いや、大丈夫だ)


    グリムが復帰したということは、もう巨人を倒す必要もないということ。後は適度に動きを止めて戦線を離脱すればいい。そしてマリウスを回収して馬に乗ってしまえば私たちの勝ちだ。戦える人間が二人いればそれが簡単に出来る。――未来が見えた。


    「ナタリーっ! 後ろだっ!」

    「え――」
  132. 168 : : 2014/03/05(水) 01:28:54

    次の瞬間。私の身体は大きく吹き飛ばされていた。自分ですら理由がわからず、呆けたまま地面に向かって落ちていく。その視界の端に3体目の巨人が見えた。


    (なんで……)


    さっきまでそこに巨人なんていなかったのに。そう思いながら私は落下する。しかし、その私の身体を何かが掴んだ。巨人だった。


    「止めろッ!」


    グリムの叫び声でやっと我に返る。慌てて抜け出そうと足掻くが、しっかりと捕らえられていて身動き一つ出来なかった。


    「ぁ……」


    終わりか、と一瞬思った。その時、グリムがこちらに向かって飛んできた。そして私は再び宙に投げ出される。彼に助けられたのだと悟ったのはアンカーを射出して体勢を整えてからだった。グリムは私を捕らえていた巨人の腕を削いでくれたのだ。

    二人で木の枝へと降り立ち、暫しの会話をする。


    「よく生きて……」

    「ああ。それよりマリウスを」


    彼は刃に付いた血を払うように数回振ってから、背後を向いて叫ぶ。


    「マリウス! 早く馬に乗ってみんなのところへ走るんだッ!」


    ところどころがボロボロになったマントを羽織るグリムの姿を、私はようやくまともに見ることが出来た。すぐに目に付いたのはその指先。庇うように左手で押さえられた右手が血で染まっている。


    「グリム……指が」

    「二本くらい大したことないよ。生きているだけマシだ」


    彼は蒸発しかけた巨人の血を拭いながら苦しげに笑う。自分で止血したのだろう。適当な布で適当に巻いたその傷からはまだ血が滲んでいた。無くしたのは左手の小指と薬指らしく、その状態でトリガーの操作が出来ていたのは、ほとんど奇跡と言って良かっただろう。


    「離脱しよう。これ以上は深追いになる」


    私はその言葉に頷く。二人で木から下り、馬を呼びながら地面を走る。当然巨人が後ろからついて来たため、私はグリムと視線を交わし、二手に分かれて走ることにした。

  133. 169 : : 2014/03/05(水) 01:30:03

    「マリウス! 何をしているんだ早く逃げろっ!」


    何とか立ち上がったものの、未だに馬に乗らないマリウスを叱咤する。後ろを振り返る余裕はないが、巨人は私の方に三体とも付いてきているようだ。


    (運がいい。これなら――)


    私は一呼吸置いた後に勢いよく振り返り、再び立体機動に移る。マリウスと手負いのグリムが無事に馬に乗るまでの時間を稼ぐつもりだった。しかし今度は三体の巨人が相手。当たり前だが捕まる危険は増す。


    「ナタリー! 深追いは禁物だ!」

    「早く馬へ! 二人が行かないと私は逃げられないっ!」


    アンカーを打って接近し、すぐに抜いては走る。そんないつもの動作を続けながら声を張る。


    「――はっ!? マリウス! 危ない回避しろッ!」


    取り逃がした一体がもたもたしているマリウスに目を付けたのか、急に進路を変えて走り出す。私はすぐにその巨人にアンカーを打ち、マリウスに迫った巨人の脚を狙った。さっきと状況は同じだが、今度はグリムには頼れない。次は私の番だ。


    (でも――間に合うか!?)


    いや、間に合わせる。さっきのグリムが成し遂げたように、私も成し遂げればいいのだ。

    私はガスを勢いよく吹かして巨人まで一直線に飛ぶ。後ろでグリムが叫ぶ声と、巨人の足音を耳に流しながら対象を睨んだ。


    「はぁッ!」


    声と共に身体全体を使って剣を振る。すると、薄くしか削いでいないにも関わらず、巨人はゆっくりと動きを止めた。


    (――やった!)


    私はマリウスに早く逃げるように指示し、こちらを向いた巨人を含めた三体を睨む。


    「大丈夫か!?」


    遠くから馬に乗ったグリムがこちらにやって来るのが見えた。私は大丈夫だと一声掛け、自分の馬のところへ走る。ここに三人が固まるのは危険だ。それをすぐにグリムも察し、ようやく馬に乗ったマリウスと共に駆け出す。

    急いで馬に飛び乗ると、グリムたちとは少し外れて走り出す。巨人は二人の方に二体、私が一体連れている。私だけでも巨人を撒けば状況は良くなるはずだった。

    しかし、向こうの二人は馬を高速で走らせているようには見えない。――グリムは手負いだが、馬に乗るのは問題ないようだ。それならマリウスが問題なのか。

    私は駆けながら考える。さっきからマリウスは調子が悪い。完全に戦意を消失していて巨人と戦えず、しかも逃げるのもままならない。まるで初陣で初めて同期が目の前で死んだ時の新兵だった。


    (あれでは追い付かれる――)


    私は少しずつ向こうに寄りつつ、自分も速度を落とす。だいぶ距離に間が開いたため、まだこちらは距離に余裕があった。それに向こうの動向を把握したいという思いが強かったのだ。
  134. 170 : : 2014/03/05(水) 01:31:16

    後ろを振り返り、巨人との確かな距離を再確認してから馬を少しだけ向こうに向けた。声が何とか届く距離までゆっくりと近付き、言葉を喉から振り絞る。


    「どうしたッ!? 追い付かれるぞ!」


    「マリウスの馬が速く走らないんだ! 怪我をしたのかもしれない!」


    ぞっとする。この状況で機動力を失えばそれは死を意味する。


    「班長……もう逃げて下さい。僕は――」

    「駄目だ。君が進むのを止めれば巨人は君のところへ行くだろう。死ぬのは許さないよ」


    さっきから同じ会話を続けているのだろう。二人の疲れたような声が聞こえてきた。


    「運が良ければ僕は後ろの班に拾ってもらえます。伝達班なら馬もいる。助かります」

    「駄目だ。君は行かせない」


    私はそこまで聞いて再び彼らから離れて加速する。とにかく私が連れている巨人だけでも撒いた方がいいと判断したからだ。

    二人から遠ざかって加速し続けると、暫くしてやっと巨人がついてこなくなった。諦めたらしい。


    (戻ろう)


    手綱を引いて再び二人のところへ走る。先程より少しではあるが、巨人に迫られていた。こちらの巨人は二体いるせいか、諦めも私が連れていた巨人の倍悪いようだった。


    「ナタリー……」


    馬を隣に寄せると、グリムは私が巨人を連れていないことを確認して、安心したように息をついた。


    「グリム。私が一体ずつ巨人を引き離す。それでどうだ?」


    そう提案すると、マリウスの方が答えた。


    「それだと時間が掛かります……。それに危険も大きい。もう替刃もガスも限界じゃないんですか? 僕さえいなければお二人は無事に戻れる。だから僕は――っ!」

    「マリウス。君を壁内へ帰還させるのが僕の目標だと教えたはずだよ。ナタリー。出来るかい?」


    私は考える。二体を個別に引き離すなんて難しいことだ。それに私一人が囮になったところで巨人が標的を変えるか――。けど今はやるしかない。


    「やる」


    私はそう言って手綱を強く握る。この馬の脚力はみんなが褒めた程だ。何も問題さえ起きなければ、逃げ切ることは簡単に出来るだろう。


    「頼む……僕は万一の時戦えないかもしれないから」


    グリムはそう笑う。止血したはずの指からは血が滲んでいた。痛みも激しいに違いない。

  135. 171 : : 2014/03/05(水) 01:32:11

    「――ごめんなさい。でもやっぱり僕は……」

    「マリウス?」


    その悲しげな声に思わず振り向いた私の目は、思いきり手綱を引いたマリウスを捉えた。そのくすんだ青い瞳に諦めの色を見て、私は反射的に叫ぶ。


    「駄目だマリウスッ!」


    みるみる距離が離れる私たち。巨人はマリウスの馬が止まったことに気付くと、二体とも歩みを止める。そして馬上の彼に向かって腕を――。


    「させない」


    私はすぐにアンカーを射出する。マリウスを囲んだ巨人が彼を摘まみ上げるのを見過ごすわけにはいかなかった。


    「っ!? グリム!?」


    その私の横にもう一本のワイヤーが見えた。後ろから誰かが私と同じように飛んでいる。誰であるかはすぐわかった。――グリムだ。


    「はあぁああああッ!」


    声を上げて刃を肉に振るう。とうとうマリウスを捕らえてしまったその巨腕に。


    「ぇ……?」


    しかし、私の攻撃は外れる。いや、そもそも攻撃出来やしなかった。抜けるはずないと思っていたアンカーが抜け、私は宙に放り出されたまま支えを失う。


    (浅かったか!?)


    それでも慌てずにもう片方のアンカーを打ち、何とか落下は防いだが、その間にもマリウスは危険に晒されていた。


    (グリム――)


    しかし私は彼がいることに気付いていた。大丈夫。グリムなら――。


    「――っく」


    その時、もう一体の巨人が彼に向かっておもむろに腕を伸ばした。そして虫でも追い払うように手をヒラヒラと振る。


    「ぐぁあッ!」


    再び巨人の腕にアンカーを打った私が見たのは、巨人にワイヤーを叩かれて落下するグリムだった。


    「グリム!」


    思わず叫ぶが、巨人にじろじろと観察されているマリウスの方が先だ。もう喰われるまで時間がない。早く助けなければ――。

  136. 172 : : 2014/03/05(水) 01:33:29

    だが、私の位置からは後二回アンカーを打って位置を変えないと、もう一体の巨人に邪魔されてしまう。完全に私をマークしてしまっている巨人から逃れてマリウスを助けるのは困難だった。


    (っく……)


    諦めるわけにはいかない。そう思い、トリガーに指を掛ける。雨粒で濡れて指が滑るが、それも気にならないくらい強く握りこむ。

    一つ目のアンカーはこちらを見ている巨人の肩に。ワイヤーで身体を支えつつ、ガスを吹かして奴の背後であるマリウスを掴んだ巨人の真横に回り込む。そしてもう一つのアンカーを射出し――。


    「くぅ……ッ」


    しかし思うようにはいかない。すぐに私をマークする巨人によって阻まれてしまう。


    (もう、無理か――っ!)


    諦めたくないと思っても、それが困難な現実を前に唇を噛む。目の前の巨人の肩越しにマリウスの姿がまだ見えているのに、それを助けに行くことは私には出来ないのだ。


    「マリウス――ッ!」


    喉を嗄らす勢いで叫び、巨人の腕に刃を衝きたてた。そんなことで目の前にいる邪魔な巨人は退かないし、マリウスを捕らえている巨人が彼を離すことはない。私の足掻きはあまりに小さすぎる足掻きだった。


    「マリウスッ!」


    私はその瞬間を見ることだけは避けたくて、とうとう巨人の口に頭から放り込まれようとしている彼から目を逸らす。そんな私の耳に静かに風を切る音が届いた。


    「――グリム!?」


    大きく崩れる巨人の身体。それに巻き込まれるようにして私の目の前にいた巨人も地面に崩れ落ちる。アンカーを引き抜いて地上に降りると、そこにはマリウスを巨人の固く握られた拳から救出しようとするグリムの姿があった。


    「ナタリー! 手伝ってくれ。早く引っ張り出して離脱しよう」


    気絶しているのか、マリウスはぴくりとも動かなかった。それをぐいぐいと引っ張りながらグリムは叫ぶ。私はすぐに二人の下に駆け寄って尋ねた。


    「削ぐか?」

    「頼む――もう時間がないッ!」


    私はマリウスを傷つけてしまわないように注意して剣を振るおうとした。しかし、私はグリムによって後ろに突き飛ばされる。

  137. 173 : : 2014/03/05(水) 01:34:35
    「ッ!?」


    間髪いれず私のいた位置に巨人の拳が振り下ろされた。先ほどから私に執着している巨人だ。崩れ落ちたといっても身体を破損させているわけでもないこの巨人は、後ろにいる私たちの姿を探していたらしい。巨人は私と二人を引き裂くように、再び目の前に立った。


    「ナタリー。聞いてくれ」


    その時、巨人の後ろにいるグリムの声が聞こえた。マリウスは無事救出出来たのか、それを確認する術はない。私は巨人から逃げるために地上を走りながら返事をする。


    「何だ?」

    「ごめん。マリウスは引っ張り出したけど、僕の方が無理そうだ。本当にごめん」

    「え?」


    私はすぐに回り込み、二人の前に躍り出た。そして見たのは地面に転がり、意識が戻ったのか頭を抑えているマリウスと、巨人に足から銜えられているグリムの姿だった。


    「ッ!? 今助ける!」


    私はすぐに彼を助けようと駆け出すが、巨人の口に消えようとしているグリムは口を懸命に開いて言葉を紡いだ。


    「駄目だナタリー。マリウスを連れて逃げろ……。僕が喰われている間にッ――」


    彼を頬張る巨人は、一飲みで彼を喰い殺すことはしなかった。その代わりに弄ぶような動きで彼の足を、腰を砕こうと少しずつ力を入れているのが見なくても理解出来た。


    「させないっ!」


    私はすぐに巨人に向けてアンカーを打つ。だがそれはもう一体に阻まれ、簡単に抜けてしまった。


    「ナタリー。お願いだ――マリウスを! ぐ、あぁッ」

    「グリム――ッ!」
  138. 174 : : 2014/03/05(水) 01:35:15

    私はどうすればいいのかわからず、でもグリムを見捨てるなんてことも出来ないまま、迫り来る巨人の腕を凪ぎ払う。


    「マリウス! そこからなら間に合うだろうッ!?」


    グリムに近いところにいるマリウスに声を掛けるが、意識が朦朧としている彼には届かない。その間もグリムの呻き声はずっと耳に届いている。


    「ぐぅぁあ……ぅ、ナタリー。君たちは逃げろ。今ならきっと、逃げられるっ……。頼むから、僕はいいから逃げてくれっナタリー!」

    「駄目だグリム――! お願いだから持ちこたえてくれっ」

    「僕は無理だ。もう……骨が折られている。ぅ、うぁあっ! は、早くッ!」

    「グリム――ッ!」


    その声を最後に、私の身体は意思と関係なく勝手に動き出した。マリウスの腕を引き、自分の馬に向かって走り出す。――グリムに背を向けて。


    「グリム……グリムっ!」


    口から彼の名を絶えなく漏らす。小さくなっていく彼の声が聞こえないように、その苦痛に歪む表情を頭から追い出すために。降り続ける雨を身に受けながら、私たちを追いかけるもう一体の巨人から逃れるために、ひたすら前を向いて走った。


  139. 175 : : 2014/03/05(水) 01:35:37



    その後、彼の犠牲によって無傷で逃げ延びた私たちは、後ろからやってきた伝達班によって助け出された。二人を乗せて走った私の馬は疲労で体力を消耗していたため、私たちは二人共新しい馬が宛がわれ、その後ようやく別れた自分の班と再会を果たす。

    グリムだけが戻らないことと、私たちの様子から全てを察した三人は何も訊くこともなかった。その配慮を素直に有難いと感じながら、私は慣れない馬上で涙を一粒だけ溢す。それはすぐに大粒の雨に混ざり、頬を流れ落ちて消えた。




    そして二日後。調査兵団は今回も多大な犠牲を払い、壁内に帰還した。

  140. 176 : : 2014/03/05(水) 01:36:26


    血と土と灰と、その他の色々な臭いが混ざり合うところに私は立っていた。

    壁外調査から帰還した翌日。私たちは死んだ兵士たちの身元を確認し、火葬するための作業に追われていた。何度繰り返したってこの作業は慣れない。心がすっかり荒んでいると自負する私ですらそう思うのに、他の兵士たちはどうなんだろう。――今までの壁外調査ではよくわからなかった。だが今の私には彼らの気持ちがよくわかる。やるせなくて悲しい、そんな感情が。


    「そっちはどうだ」

    「……はい、確認終わりました」


    昼間だというのに真夜中のように静かなこの場所では、多くの兵士がこの作業に参加していた。どの班の誰であるかを確認し、遺族に返せそうなものがあればそれを取っておく。身元を確認した後は火葬に備えて別のところへ並べる。それは機械作業のように淡々と行われる。そうでなければ生き残った者の負担があまりに大きいからだ。

    死んだ者の身体が五体満足である可能性はとても低い。大抵は身体のどこかを欠いていて、一番悪い時は半分しかないこともあった。いや、一番悪いのは身体さえ持ち帰れない兵士だろう。今回の遠征でもそんな兵士は数人存在した。――グリムもその一人だった。

    元々、壁外で死んだ者を連れて帰ることは難しい。彼もそうだっただけだ。だから悲しむ必要なんてないのに、彼を良く知る人間に最期を迎えた姿であったとしても会わせてやれないのは悔しかった。


    「……おい」


    その声が良く知る声だったため、自分が呼ばれたのだと気づく。振り返ると、そこには疲れた顔をしたリヴァイの姿があった。更に後ろにはハンジやミケの姿もある。

  141. 177 : : 2014/03/05(水) 01:37:25

    「――ああ、リヴァイか」


    幹部である彼らには調査報告という仕事がある。そのため彼らはこの作業には参加せず、こうして出てくることすらとても珍しいことだった。


    「今帰ったところだ。今回は火葬に間に合ったみてぇだな……」


    私にはその実感はないが、今回の壁外調査での損失は予想以上に少なかったそうだ。特に若い兵士の死者は悪天候にも関わらず少なく済んだ。しかし、その代わりに今まで第一線で活躍していたベテランの兵士が何人か死んでおり、調査兵団内の士気は最悪だった。それでも一つ壁の向こうにいる連中を含めた調査兵団のスポンサーたちには関係ない。珍しく税を無駄にしなかった私たちはそれなりに労われ、次の調査も問題なく行われることになったと聞いた。


    「ヴィル、マー? おい、冗談だろ? おまっ……ぇ?」

    「フィーネさん……フィーネさん……。俺が、俺がもっと強ければっ! まだ言ってなかったのにっ! まだ、何も……」

    「班長……くそッ! 誰か最期を看取った奴はいねぇのか? くそぉッ!」


    亡骸に取り付いて泣き崩れる兵士たちを見つめながら、リヴァイはそっと呟く。


    「ヴェルマー・ドナートと、向こうはフィーネ・アイゲン。……そうか、死んだんだな」

    「知っているのか?」

    「奴らが新兵の頃からな」


    リヴァイの横顔はいつも通りに見えたが、声はどこまでも沈んでいた。その彼の肩に手が乗せられる。ハンジだ。


    「やっほー。――お疲れ」


    眼鏡の奥に光る瞳はいつもよりずっと疲れた色をしている。疲れているのはここにいる全員がそうだった。


    「……グリムは残念だったね。彼は良い班長だった。みんなに信頼されていて、彼もその信頼に応え続けていた。惜しい人間を亡くしたよ」

    「ああ……」


    私は向こうを見つめたまま返事する。確認を済ませた遺体がどんどん増えていく。積み重ねられ、火葬しやすいように丁寧に地面に並べられていく。その様子をじっと見つめながら、私はすすり泣く兵士たちの声を聞いていた。
  142. 178 : : 2014/03/05(水) 01:38:28

    「ぁ、リヴァイ兵長。すみません」


    すると、背後から一人の若い兵士の声が掛かる。振り向いたリヴァイに釣られるようにしてそちらを向くと、まだ顔つきも幼い小柄な兵士が何かを彼に差し出していた。


    「これ、うちの先輩の遺品なんですけど……」

    「名は?」


    リヴァイが問うと、その兵士は自分の名前と死んだ兵士の名前を告げた。


    「あのどこか気の抜けた兵士か。以前吊るし上げた記憶がある。奴も死んだのか」

    「はい……奇行種の大群に襲われて。先輩は怪我をしていたにも関わらず最後まで勇敢に戦って、全員で全部仕留めたんですけど、結局傷が深くて駄目で……っ」


    泣き始めた兵士の背中をハンジが優しく擦る。再び話せるようになるまで泣きじゃくった後、彼はリヴァイに向けて緑色の布に包まれた何かを差し出した。


    「先輩、よく話してくれたんです。兵長が自分を導いて下さったんだって。すごく尊敬してる人だから、お前も兵長の命令はしっかり聞けよ、って。――先輩、死ぬ前になってもオレの手を握って言うんです。兵長に礼を言わなきゃ、兵長に……って。だからこれを兵長に持っていてほしくて。きっと先輩もそれを望むだろうと思います。どうか受け取って下さい」


    兵士が布を開くと、そこに包まれていたものが淡く光る。男物のシンプルな指輪だった。


    「……ああ、受け取ろう。――あのお人好しな馬鹿のことだ。どうせ馬も人間も助けようとして突っ込んだんだろう。奴が新兵の頃、それを幾度となく注意したが、奴は結局奴らしく生きて散ったんだ。お前もこれ以上気に病むな」


    若い兵士はハッとしたような顔をしてから、顔をぐしゃぐしゃに歪めて大きな目から大粒の涙を零した。それを袖で強く拭いながら、ひたすらリヴァイに礼を言う。


    「兵長、どうもありがとうございます。……ありがとう、ありがとうございます」

    「礼を言う暇があるなら早く行って弔ってやれ。俺たちが働く分、奴らが楽になるのも早くなる」

    「はい――。オレ、もっと強くなって先輩を越えます。そうしていつかオレに後輩が出来たら、今度はオレがそいつを助けてやろうと思います」


    そう言って力強く敬礼し、彼は向こうへ去っていった。リヴァイは受け取った遺品を暫く見つめた後、それを大事そうにポケットに収める。


    「あの子、長生きするといいね」

    「ああ……」


    二人が兵士を見送る姿を見ていた。二人共もう歳は30近い。自分より若い兵士が先に死んでいくのはどんな気持ちなのだろう。私にはまだわからなかったが、きっとこんな経験を二人はもう何度も繰り返し見てきたのだ。自分の周りの人を喪いながら、何度も。

  143. 179 : : 2014/03/05(水) 01:39:41

    「お前も仕事に戻れ。早く弔おう」

    「ああ。それじゃあまた……」

    リヴァイに促され、私はずらしていたマスクを上げて二人の下を離れた。



    日が西に沈み始めた頃、身元確認が終わった遺体を火葬するためにようやく火が焚かれた。辺りは熱い蒸気と煙に満たされ、兵士たちの鳴き声は炎が爆ぜる音にかき消されていく。

    ここでは火葬が基本だが、こうして人を燃やすのはいつだって後ろめたい気持ちになった。服が燃え、皮膚がただれて剥がれていく。その過程を巨人が絶命した後に準えてしまうことに罪悪感を覚えているのか、それとも単に人が燃えるという行為を嫌悪しているのかはわからないが、私はその光景からはいつも目を背けていた。


    「リヴァイ、ハンジ、ミケ……」


    しかし今日は違う。遺体がただの骨になっていく様子を見つめる三人の下へ行き、私もそれに加わる。


    「ナタリー。いいんだよ、無理しなくて」


    私が普段この場にいないことはハンジには話していた。だから彼女は私を気遣ってそう言ってくれる。だが私は首を振って答える。


    「いいんだ」


    骨が爆ぜる音を聞くと、人の脆さを改めて感じる。昨日まで壁外にいて、命の儚さを何度も体験したはずだ。それなのに、一度壁の中に戻れば日常に紛れて気持ちは薄れていく。あんなに生きることに必死だったのに、こうして死んだ兵士を前に生きているのは辛かった。


    「悔いが残らないように生きるって難しいな」

    「……そうだね。いつだって後悔だらけだよ。何年生きたって同じさ」


    無言で立ち尽くすリヴァイとミケに挟まれたハンジは、前に立つ私の肩にそっと手を置く。私は振り返って彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。


    「でもね、私たちは生きている。息を吸って吐いて、自由に動き回ることが出来る。だから死んだみんなの分も働いて、一刻も早く自由を取り戻さなければならない」


    ハンジはそう言って両側に立つ男たちの顔を見た。私もそれに続いて二人の表情を覗きこむ。

    それぞれの瞳は燃え盛る炎を反射して爛々とした光を見せている。そこに映し出された決意の色を例えるなら、彼らの前にある赤い炎ではなく青。ずっと強く、それでいて静かに燃える青い炎だった。私は改めてハンジの顔を見る。灰が付いてしまった眼鏡の向こうに揺れているのは二人と全く同じ色。


    「……空に昇っていくね。みんな」


    煙を見つめながらハンジは呟く。私も頷いて空を見上げた。


    「ああ――きっとみんな自由になれただろうな」


    そして全ての遺体の火葬が終わり、私たち兵士は最後に敬礼して殉職した兵士を弔った。心臓に拳を当てながら、私は空高くへと消えていった煙を見送った。


  144. 180 : : 2014/03/05(水) 01:40:30



    数日後、私はエルヴィンの執務室に呼び出されていた。

    遺体を持ち帰れない兵士たちは、書類上では行方不明という形で処理されることが多い。しかし、実際は本物の死者と行方不明者は区別するため、確かにその兵士が死んだという証言が出来る人間がここに集められていた。これらは遺品の整理などに必要なことだ。

    私の他にも数人の兵士が集められたが、それらは私より先に報告を済ませて帰っていった。そして最後に残った私は中央に据えられた机の向こうにいるエルヴィンに向かって口を開く。


    「グリムの……、ハンゼン班長の死を見届けたのは私です」


    グリムは最後まで言わなかったが、彼のその名前が通り名であり、本当の名前ではないことは前から知っていた。そもそもその名はどちらかと言えば姓だ。名前じゃない。それでも私は違和感を感じつつも、教えられたその名前で彼を呼んでいた。だから書類上では“グリム”の名では通じない。私はどこか寂しさを感じながらも、ハンゼンという間違いなく本名であろう彼の姓を使って報告を始める。


    「――以上で報告を終わります」


    彼の最期を報告し終えると、いよいよ涙が溢れてくる。


    「ああナタリー。よく報告してくれた。彼の家族も息子が立派に生きたことをきっと誇りに思うだろう」


    涙を溢す私に向かってエルヴィンは優しく声を掛けてくれる。しかし私は首を振って言った。


    「私がもっと強ければ助けられた……。私が悪いんだ――っ」
  145. 181 : : 2014/03/05(水) 01:41:59

    「ナタリーは悪くないさ。誰も悪くないよ」

    「ハンジ……?」


    執務室の重い扉がノックなしで開けられる。耳に届いたはっきりした声に伏せていた顔を上げと、そこにはハンジがいた。そして彼女に連れられるようにして、マリウスの姿もそこにある。


    「っ!? マリウス……」


    グリムを喪った私たちの班は解体されることとなり、新しい班が決まるまでの間はそれぞれ各自で訓練するよう言い渡されている。そのおかげもあって私はマリウスと会うことなく今日までを過ごしていた。


    (どうしよう……)


    私は彼から目を逸らし、ハンジと目を合わせた。彼女は私がどんな気持ちでいるのかを理解してくれていると思ったから、ここにマリウスを連れてきたことを抗議する意味もあった。


    「あ、ああ――。エルヴィン。この子だけど、話があるって言うから連れてきた」


    しまった、とでもいう風な顔をしてから、彼女はマリウスを机の前に押す。


    「あ、え、っと……。僕はマリウス・シャハトです。今日はその……」


    マリウスはそう言い掛けて私の方を見ると、気まずそうにうつむいてしまう。


    「……すみません。やっぱり今日は帰ります。お忙しいところ失礼しました」


    私がいると不都合でもあるのだろう。彼はそのまま小さく声をしぼり出し、退室を申し出た。私はエルヴィンが何か言うと思って彼の方を見るが、ハンジの方が先に口を開く。


    「今言わないと、君はいつまでもそのままじゃないのか? 私に話すのだって辛そうだったんだ。その状態で日を改めて、その時きちんとエルヴィンに話せるかい?」


    珍しく強い口調だった。それに怯えたのか、マリウスは小さく肩を揺らす。


    「僕は……」

    「私は君をよく知らないけど、ナタリーと同じ班であることは知ってる。これから話す内容を聞かれたくないのなら、ナタリーには出てもらうよ?」


    その様子を見てハンジは悪いと思ったのか、今度は比較的優しく言う。


    「いや……どうせ、いつかは知られてしまうことです」


    諦めたようにそう呟くと、彼はエルヴィンの目を見て言った。


    「――団長。僕はもう調査兵団にはいられないと思います。本当に今更ですが、駐屯兵団へ移動したいと考えてここに来ました」


    私は何も言えなかったが、自分の心の奥から黒いものが溢れてくるのを感じた。それを気取られないように拳を握り背中に隠す。


    「そうか」


    エルヴィンはただそれだけを言って沈黙する。マリウスは再び俯き、消えそうなくらいの小さな声で話し始めた。


    「もう全部終わってしまって、今からでは遅いということはわかってます。だけど、僕はここにいていい人間ではないと思うんです。班長が亡くなって自分なりに考えて、これが最善だと思いました」

    「最初は彼、私のところへ来たんだ。だけど私には駐屯兵団に移動させてあげるなんて権限ないじゃん? だからエルヴィンのところへって思ったんだけど。タイミングが悪かったね。ごめん」


    ハンジは私の方を向いて言う。やっぱりハンジには私が彼を避けているなんてお見通しだったみたいだ。

  146. 182 : : 2014/03/05(水) 01:42:46

    マリウスを見るとグリムを思い出して辛かった。それもその最期の姿ばかりを思い出してしまい、帰還して数日は彼と出会う度隠れて嘔吐したくらいだ。……自分でも、人間一人の死に何故そこまで感傷的になるかわからない。グリムが私の生活で占めていた割合なんてほんの少しだ。彼には世話になったし、最後までそれを返せなかったのはとても辛いことではあったけど、それだけだ。そのはずなのに、私はきっと誰よりもグリムの死に動揺していた。


    「マリウス・シャハトといったね。今すぐには無理だが、向こうに連絡をとってみよう」

    「ありがとうございます……。では僕はこれで」

    「ああ、下がれ」


    マリウスは返事をし、敬礼してから退室しようと振り返る。


    「マリウス」


    私はドアに手を伸ばした彼を咄嗟に呼び止めてしまった。彼は驚いたように肩を震わせ、ゆっくりとこちらを向く。


    「マリウスは……グリムの死をどう思う?」


    訊いてはいけない質問だ。そんなことはわかっている。でも、私はそれを訊かずにはいられなかった。このまま彼を見逃せば永遠に彼と話すことはなくなる。その前に、気持ちの整理をしたかった。


    「班長は……」


    マリウスは口ごもる。そんな彼をハンジは不安そうな顔をして見ていたが、私はそんなことは構わずにもう一度問う、グリムの死をどう思うか、と。


    「僕が死んで、班長が生きていれば……そうであったなら良かったと、今でも思います。あの時僕が死んでいればよかった。死にたかっ――ぁっ!」

    「マリウス――っ!」
  147. 183 : : 2014/03/05(水) 01:43:45
    私は勢いよくマリウスに飛び掛り、胸倉を掴んでドアに押し付ける。マリウスはくすんだ青い瞳を伏せたまま、こちらを見ようとしない。


    「なぁ……マリウス。教えてくれないか? アイツはなんで死んだんだ? 知ってるんだろう?」


    小柄な身体を揺すり、その目がこちらを見つめ返すまで、まるで彼を射るように睨む。それでもマリウスはこちらを見ようとはしない。床に誰かいるかのように視線を固定したままだった。


    「グリムは……アイツはっ! アイツは私とお前の為に命を投げ出したんだ。私を、マリウスを助ける為に死んだっ! 私たちの身代わりになったんだ――。でもお前は、あの時死にたかっただって!? なんで、なんで未だにそんなこと……」


    とめどなく感情が溢れ、言葉に還元されないそれは涙になって頬を伝う。だがそれはいつしか流したそれとは違う。どこまでも冷たい涙。

    グリムは私たちを庇った。そして死んだ。それはもう変えられない事実で、彼がしたことは気高い行為としてこれからも伝えられることとなるだろう。けど、グリムが守った命は、最初からどこまでも死に飢えていたのだ。もう、どうしようもないほどに。


    「マリウスっ! グリムは、グリムは――っ」


    その言葉を口に出そうとして、それでも私の冷たくなった心は止めようとした。けど、溢れ出た気持ちの奔流が止められるはずもなく、結局激昂という形で押し出されてしまう。


    「そんなの、ただの無駄死にじゃないか……っ! なぁマリウス……アイツは何の為に死んだんだ? 私たちを生かして代わりに自分が死んで。あの醜悪な巨人に生きたまま骨を砕かれて。その結果に何の成果があったんだ?」


    マリウスは何を答えない。人間じゃないみたいだと、私の冷静な部分が感じる。今のマリウスに何を言っても、きっと私の望む答えは返してはくれない。そんなことはわかってる。それでもやめない。止まらない。


    「お前が心からあの時を悔い、アイツに感謝したのなら、きっとグリムは救われた。でも、これじゃアイツはあまりに救われない……。こんな生きる気もない抜け殻の為にたった一つの命を張って、それで馬鹿みたいにあっさり死んだなんて……。マリウスは知らないだろう? グリムは一番大切な人の為に生きることが出来なかった人間なんだ。一番大切なものを守れなかったアイツがどんな気持ちであの時を迎えたか、マリウスは知らないだろう?」


    それは最早ただの決めつけだ。私はグリムについてどれだけのことを知っていただろうか。……全然知らない。そう、それでもきっとアイツはこんなことになったらきっと無念に違いない。そんな決めつけでマリウスを責めた。――いっそ彼の頬を張りたかった。けれど私の腕はマリウスの胸ぐらを掴んだまま、それきり動こうとはしない。だから私はひたすら話すしかなかった。


    「ぅう……何で? どうしてこんなことにならないといけなかったんだっ」


    私は本来ならマリウスを責めてはいけないのだ。だってグリムを死なせたのはマリウス一人ではない。あの場にいたもう一人。つまり私の責任でもあるのだ。だから私は彼を責めてはいけない。けど、それじゃああんまりじゃないか。自己犠牲という最大の対価を払った代償がこれじゃあ……。

  148. 184 : : 2014/03/05(水) 01:44:29

    「ナタリー。もう止めなさい」


    次に掛ける言葉を探すように口を開けたり閉じたりを繰り返し、感情を上手く纏めようとする私。その私の背中にエルヴィンの落ち着いた声が掛かる。


    「……無理だよエルヴィン。どうか止めないでくれ」


    私は彼の穏やかな声を耳から追いやる為に頭を数回振る。それなのに、彼の言葉は先を続けた。まるで私の行いを優しく咎めているような声色だった。


    「君はマリウスを責めてはいけない」


    ――ああ、知っているよエルヴィン。言われなくたってわかってるさ。


    「でも、私は……」


    最終的にグリムを見捨てたのは誰だったか。私が一番よく知っているじゃないか。まだあの時アイツは生きていた。声だって聞こえていたし、必死で抵抗している音も耳には届いていた。それを見捨てたのは私なんだ。マリウスは判断出来る状態ではなかったから、完全に私の独断専行。私にマリウスを責める資格なんてない。グリムを殺したのは私だ。


    「君は生きるために必死だった。だからきっと今君の心にあることは罪ではない。生きようと足掻き、その結果こうなってしまったのはもう仕方ない。過ぎたことだ。そしてそれはマリウスも同じだ」

    「私はそんな風に割り切れないっ……。自分の保身のために仲間を見捨てた。でも私は」

    「ナタリー」


    床に崩れ落ちようとした私をそっと抱きかかえる腕があった。その感触と名前を呼ぶ声で誰だかわかる。ハンジだ。


    「もう止めた方がいい。これ以上は二人のためにならないよ」

    「それでも私は……マリウスを許せない」

  149. 185 : : 2014/03/05(水) 01:45:36

    ああ、今ならわかる。きっと私はグリムを気に入っていたんだ。アイツが死んで心にぽっかり穴が開くくらい、その人柄が好きだったんだ。おどおどして、いつもどうしようもない奴だと思っていた。それでも訓練が始まればまるで別人のように凛々しい顔をするところを面白いと思っていた。彼の過去を聞き、その信念を知ってからはグリムをよく見るようになった気がする。その志も優しさも、誰よりも立派だということを知ったからこそ彼についていけたんだ。それなのに、こんな突然別れがやってきて。それもこんなにも残酷な別れ方で……。


    「入れ」

    「失礼します。――あー」


    その時、突然エルヴィンの声がしたと思ったら背後のドアが開いた。ハンジに抱きかかえられたままそちらを見ると、背の高い男がこちらを見て顔を引き攣らせていた。


    「用件と名は?」

    「はっ。ジョゼフ・リオットです。マリウスがこちらにいると聞き、迎えにきました」


    それでもエルヴィンに問われれば模範的な敬礼を見せ、ハキハキと答える。


    「迎え? 何故だ」

    「はい。急ぎの用事でしたが……お取り込み中、でしょうか?」


    私が腕を放した時のままの状態で、マリウスも床に崩れ落ちていた。それを横目で見ながら躊躇いがちに尋ねる。


    「いや、もう話は終わった。二人は退室しなさい」

    「はっ!」


    エルヴィンの許しが下りると、彼はそのままマリウスの傍に行って腕をとって立たせる。そしてもう一度私の方を見て、ハッと息を呑んだ。しかしそのまま何も言わず、マリウスの肩を抱くようにして執務室を後にする。


    「ナタリー。落ち着いたかい?」


    ドアが閉められて暫くしてから、私に優しげな声が掛けられた。顔を上げた私はハンジとエルヴィンの顔を交互に見てから息を吐く。


    「……ああ、少しだけ」

    「今は休みなさい。訓練も無理に参加しなくていい。新しい班が決まり次第、リヴァイに伝えよう」

    「ありがとう」


    今も支えられている自分を情けないと思った。それでも私は流した涙を拭い、二人に礼を言って立ち上がる。


    「もう、大丈夫だ。これくらい」




    それから予定通り班は解体され、私とマリウス・シャハトが直接顔を合わせることはなくなる。しかし、結局彼は調査兵団に留まることとなったらしく、訓練で彼の姿を目撃することは今までとは変わらなかった。

    そしてグリムを喪った私の心にも少しだけ変化が訪れていた。私たちを庇って死んだ彼の死に様は、それを選ぼうとしていた私に多大な影響をもたらしたのだった。しかし、私の目的は変わらない。今までと同じようにリヴァイの為に生きること、それが私の全てだったから。



    だけど、心に空いた穴を埋めることはとうとう叶わなかった。しかし、その空いた穴を抉るような出来事は私の予期せずところで着々と進んでいたのだった。そう、リヴァイを恨む者の登場によって。


  150. 188 : : 2014/05/14(水) 21:47:41



    その悪夢ような壁外調査から1年が過ぎ、暑いくらいの季節になった。調査兵団はそれからも数回遠征を行ってたくさんの死者を出し、それらの悲しみを背負う内に過去の悲しみを忘れていった。

    私は19歳になっていたが、相変わらずリヴァイとは同室だった。そもそも兵舎は男女の部屋がはっきりと分かれているのだが、幹部の部屋がある階は特殊な構造になっているため、それは特に気にはならない。しかし私以外の多くはそれを良しとせず、一般の兵士と同じようにすることを望まれた。

    もちろん、私はそれを拒否した。今や私はリヴァイの傍でないと寝られないようになっていたのだ。壁外では班の人間と並んで休むのだが、その時は上手く眠れず、見張りの隣で夜を越す事が多い。リヴァイなしでは眠れないようになったのは、あの壁外調査の後からだったと思う。それを知ってからは誰も部屋について口出ししなくなった。リヴァイ本人も好きにしろと言うだけで何も言わないため、私はこうして今も彼の傍にいることが出来る。

  151. 189 : : 2014/05/14(水) 21:48:52

    「……おい、お前。最近やつれたか?」


    今朝もまた、昔からの決まりのように別々の部屋で着替えてから、二人でベルトを付ける。忙しいリヴァイと話せる貴重な時間はこの時と就寝前の僅かな時間だけなので、私はこの時間が好きだった。


    「そうか?」

    「ああ、見ない内に肉がなくなった」


    そんなことはないと思った。むしろ自分では増えたと感じていたくらいなのに。


    「きちんと訓練している」

    「クソ、筋肉じゃねぇ、普通の肉だ。女のくせに筋ばってやがるぞ。もっと食え」


    いつもならハンジが言いそうな台詞を口にして、彼は淡々と装備を身に付けていった。


    「食事があまり入らないんだ。病気じゃないから安心してくれ」

    「お前だけ特別にするわけにもいかん。せめて他の兵士と同じ量は食え」


    こういう小言には慣れたつもりだったのに、リヴァイに言われるのと他に言われるのではだいぶ違う。私は溜め息をつきながら返事をする。


    「善処する」

    「ああ。今にもぶっ倒れそうな骨女は見ていて目障りだ」


    そこまで言うことないのに、と思いながら彼を見ると、いつも通り懐にナイフらしき物をしまっているところだった。


    「そういえば、リヴァイは何のためにそれを? それはナイフなんだろう?」


    今まで目についていながらも、その存在を疑問に思ったことはなかった。護身用かもしれないし、ロープを切るときにでも使うかもしれない。それ以前に、リヴァイがナイフを持っているていうことがあまりにしっくりくるものだから、気にもとめなかったのだ。

    リヴァイは私の視線に気付き、懐にしまった折り畳み式のナイフを取り出す。そして表面を撫でてから刃を出してみせる。


    「……これがそうだとよくわかったな」

    「ここに来る前はよくそいつで脅されたからな。見ればわかる」


    それは最早懐かしい記憶だった。あの頃恐ろしいと思っていたものと、現在恐ろしいと思うことはあまりに違う。今ならあの男たちの前でも怖がらずにいられそうだ。ナイフなんて巨人に比べれば怖いものではない。

  152. 190 : : 2014/05/14(水) 21:49:52

    「これは非常用だ。立体機動装置に使われているワイヤーも切れる。……勿論、暴徒にも対応出来るがな」

    「暴徒?」

    「俺は昔から恨みを買いやすい。背中を狙う奴もきっと多いだろう。そういう連中から身を守るための武器は必要だ」


    私は淡々と話す彼の横顔を見て思う。――リヴァイは人に恨まれるような人間ではない。少なくとも、私には仲間思いの人にしか見えない。そんなリヴァイを殺そうと思う人間など、本当にいるのだろうか?


    「私にはリヴァイを殺そうとする人間なんていないように思える」

    「いや、俺はここに来る以前にも色々やったからな。一通り悪いことはやった。そこで買った恨みもある。それに調査兵団でも……」


    そう言って口ごもり、何でもないと呟く。


    「……私にリヴァイは守れるだろうか」


    それを受けて私も呟く。グリムが死んでから、私はそこに自信が持てなくなっていた。守るという意志はある。けれど、グリムすら助けられなかった私に何が出来るのだろう。あの時と同じ状況になった時、果たして私は動けるのだろうか。

    そんな不安を心中に溜めながら、私はリヴァイを見つめる。それに答えるように、元通りナイフをしまいながら彼はそっと言う。


    「お前に守られるようなことにならんよう気を付けるだけだ」

    「そうか。……私は不安なんだ。あれからずっと」


    私は俯き口を動かす。リヴァイは手を動かしながら顔色さえ変えずに私の話を聞いてくれた。それを嬉しいと感じながら、私は彼に話し続ける。

  153. 191 : : 2014/05/14(水) 21:50:37

    「死ぬ覚悟はある。兵士になった時にとっくに出来てる。……だけど、私にはまだ人を喪う覚悟は出来てなかった。それも自分の代わりに誰かが死ぬなんて、考えてもいなかったんだ。もう1年経つのに、今でもグリムの最期の声が耳から離れない」


    まるでそれは拷問だ。私に手を伸ばす兵士たちは大勢見てきた。その多くは見捨てざるを得なかった。見捨てるのは心は痛かったけど、どこかで仕方ないと思っていた節はあったのだ。だから耐えられた。人間か巨人か、はたまた自分のかもわからない血を浴びながら空を飛んだ。それが普通だったし、これからも続く悪夢のような現実のはずだったのだ。――でも、グリムの死はそれとは違う。彼は別に死ぬ必要なんてなかったのだ。私に力があれば、マリウスにほんの少しの意志があれば助けられた。けれど、グリムは私たちのせいで自分を犠牲にすることを選ばざるを得なかったのだ。

    その死に方は私が選べる選択の一つと奇しくも合致していた。グリムは私とマリウスを助ける為、そして私はリヴァイを守る為。誰かを守る為に自分を犠牲にする方法を、私はグリムの死によって、既に目の当たりにしていたのだ。

    私はこの命さえも、リヴァイを守るために投げ出す覚悟だった。それでもあの光景を見てしまうと、自分を重ねてしまうと……もう、わからない。私は残される者の苦しみを知ってしまった。その苦しみを理解してなおも残す側に立てるのか。あれと同じ状況になった時に、私はリヴァイを庇えるのか。

    グリムがどんな気持ちで私たちを庇ったのか。――夜になるとそれを考えることが多い。私たちのような馬鹿な部下二人と、優秀な班長である自分の命。天秤に掛けるまでもなく、兵団にとっては後者の方が重いだろう。一度巨人から救出されれば、指が無くたって脚を引きずったからって、あのグリムが逃げられないわけがない。そう、私たちのような部下さえいなければ。そこにいたのが他の班員であったならば。……なのに、実際いたのは意識が朦朧としている新兵と、一人では到底巨人に太刀打ち出来ない私。それも二体の巨人に翻弄されて助けることはおろか、逃げるだけで精一杯という体だった。グリムには班員を死なせないという信念があったことを聞いた。そして、大切な人の為に人生を、命を懸けられなかった苦い記憶があることも聞いた。それを知っていてなお、彼を死なせてしまったのは私の責任なのだ。

  154. 192 : : 2014/05/14(水) 21:51:35

    「もう1年も経った。忘れろ」


    私が考え始めると、リヴァイは決まってそう言ってくれる。それをわかっていても私は考えざるを得ない。過去は変えられないし、グリムは戻ってこない。わかっていても、思わずにはいられないのだ。あの時に戻りたい、と。


    「お前にどうこうされるほど俺はガキではないし、弱いつもりもねぇ。だから大人しく強くなれ」

    「わかってる。でも……」

    「お前の悪い癖だな。そうやってどうにもならんことをいつまでも考えていても仕方ねぇだろうが。――俺はもう行くぞ」


    リヴァイはそう言って腰を上げる。私も慌てて立ち上がると、彼は怪訝そうな顔で眉をひそめた。


    「急ぎか?」

    「ぇ、あ、いや。朝食に行こうと思って……すまない」


    私は言いながらこの前したばかりの約束事を思い出し、尻すぼみになりながら謝った。


    「10分後に来い」


    そう言い残し、リヴァイは特に気にせず部屋を出ていった。

    望まれるならばと、何度もリヴァイの下を離れる努力をした。しかし彼がいない夜にはとうとう耐えきれなかった。それでも私たちは一応男と女。こっちの感情関係なしに一緒にいればよくない噂は立つし、実際もう私たちが同室であることは兵団中にバレているだろう。それでも私とリヴァイは人前ではその素振りを見せないようにしていた。一緒に部屋を出ないのもその一つだった。

    私はきっちり時間を待って廊下に出る。人気のないそこは僅かに熱気をもっていて、隠れていない首もとにまとわりつくそれがどこか気持ち悪かった。
  155. 193 : : 2014/05/14(水) 21:55:04




    朝の食堂は案の定込み合っていたが、私を見つけるが否や静かなざわめきへと変わる。毎日こんなことを繰り返しているのだから不思議だ。


    「ハンジ」


    私は食事のトレーを持ってハンジのいるいつもの場所に近寄る。そこにリヴァイはいるが、あえて話し掛けずに座る。


    「おはようナタリー。よく眠れた?」

    「ハンジこそ寝たのか? ん、顔色がいいな」

    「あはは! モブリットに怒られちゃって。流石に4徹目はマズイってさ」


    昨日まで隈で酷いことになっていた目は元通り輝いている。それに安心して息をつき、私はスプーンを手に取った。するとハンジは声色を変えて言う。


    「しっかり食べなよ。君、最近痩せたでしょ? 自分で気付いてる?」

    「リヴァイに言われたばかりだ。自覚はない」

    「せっかく普通体型になってきたって安心してたのに、それじゃまるで骸骨だよ」


    以前は幹部と同じだった食事も、私が兵士になってからは他の一般兵士と同じものに変わった。勿論それには肉が滅多に入らず、しかも量もたいしてない質の悪いものだ。それでも自分には多いくらいなので、私はいつも少なめに配膳してもらうのが常だった。ハンジは私の持ってきたトレーに並んだ食事を見つめ、真剣な声で続ける。


    「君は兵士だ。いざというとき非力では困る。この食事だって、みんなと同じ量を食べてやっと必要量なんだ」

    「私は胃が小さいんだ。仕方ない」

    「人の胃のサイズは皆ほぼ変わらないよ。……ナタリー。最近何かあった? ここ数ヵ月でそんなになったんじゃないのか?」


    私は言われて思わず俯く。食事が喉を通りにくくなった理由に心当たりがあったのだ。スプーンをスープに浸したまま置くと、淡々と食事を続けるリヴァイを見た。勿論、彼は何も言わない。


    「少し面倒なくらいだ。心配されるほどのことじゃない。ちょっと好奇の目に晒されるのが苦手なだけだから」

    「ああ……あの話は本当に悪かったね」

    「私よりもリヴァイに謝ってくれ。大変なのは一緒だ。それに、そのことじゃない」


    私には困っていることがあった。以前私は右翼策敵班にいたが、新しく配属されたのは荷馬車護衛班。陣形の中央にあり、班の人数もそれなりに多い。そして訓練でも何かと中央にいることが多いため、とても目立つ。――いや、私でなければ目立たなかったのかもしれない。

    兵士たちにとって、私は噂の渦中の人物で、しかも人と関わらない性格をしているからか、誤解されれば解けない。しかも相手がリヴァイで、更にハンジたちとも仲がいい。そんな私は物好きの目に晒され、陰で良からぬ話をされるのが常だった。

    調査兵団はこんなところだ。娯楽なんてないから、みんなの関心は噂話と恋愛話が殆ど。この話も元を辿れば一番最初に噂を流したハンジが悪いのだが、誰も正式に否定したり止めさせたりしないのは、兵士たちの数少ない娯楽を奪わないためだと聞いた。だからリヴァイさえも不快そうに眉をひそめ、眼光を鋭くさせながらも何も言わずに好きにさせている。

  156. 194 : : 2014/05/14(水) 21:56:28


    そんな渦中の人物が目立つところにいれば、声も自然と大きくなるものだ。そして、それに混ざって違う声も聞こえた。それが最近の悩みなのだ。


    「ああ……もしかして、恋愛絡みかい?」

    「わかるのか?」

    「私の耳に届くくらいには有名だよ。って言っても、私も他から聞いたんだけど」


    人の良さそうな顔で笑うハンジの方を向き、私は忌々しいくらいの出来事を語る。


    「私は男なんて興味ない。それに、奴らは私のことを何一つ知らない。噂に踊らされた好事家なんて頼まれたって御免だ」

    「うちの男はしつこいから、大変でしょう?」

    「調査兵団に入って2年だが、こんなに好かれたのはここ半年になってからだ。前の班にいた頃は……」


    言い掛けて止める。もう昔の話は口に出したくなかったのだ。昔、といえども未だに夢に出る鮮明なあの記憶が、蘇っては私を苦しめる。口に出してしまえば、それが酷くなるに違いないと確信していた。


    「……今の班は上手くいかないんだね」

    「ああ。知らなかったよ。あの班は私のことを受け入れてくれていたんだな。今のところではみんな私をどう扱えばいいのか悩んでいて、結局誰も話し掛けてはくれない。班長とも命令されるだけの関係だ。それを物足りないと感じるとは思わなかった」


    私は一人が好きだ。でも独りは嫌いだった。仲間という概念なんてよくわからないけど、多分グリムが作ったあの班はそう呼ぶに相応しいものだったのだろう。私はそれすら気付かないまま無くしていたのだ。


    「今やナタリーは討伐補佐上位の存在。何も考えずに空いたところに配属するわけにはいかないんだよ。それでも相性は大事だからね」


    ハンジは申し訳なさげに言いながらパンを千切る。私も急いでスプーンを握った。


    「相性か」


    その時、向かいでパンを口に運んでいたリヴァイがポツリと呟く。一瞬驚いたが、聞き間違いではなさそうだと彼の方を向いた。


    「リヴァイは誰にでも合わせられるから良いよね。それこそ、一人でもいいくらいだし」

    「てめぇが言うな糞眼鏡。自分も一人でだって討伐出来るだろう。今更他の人間と協力しないと何も出来ないなんて、か弱い女ぶるつもりか?」

    「あはは! まさか。確かに相性なんて私にはあんまり関係ないとは思うけど、補佐がメインの兵士だとそうは言ってられない。特に最近伸びてるナタリーだ。成長を妨げる因子は取り除くべきじゃない?」


    私はそれなりに強くなった。いや、もう2年近くも兵士としてやっているのだから当然かもしれない。よく見る顔がいなくなっているなんてことを繰り返す内に、自分もそれっぽくなっているだけだろう。それでも、前と比べれば格段に強くはなっていた。

  157. 195 : : 2014/05/14(水) 21:58:13


    「コイツがいられる班なんてねぇだろう」

    「どこも同じかなぁ。私の顔が利くところはいっぱいいっぱいだし……」

    「私は構わないよ。みんなが無視してくれるならいいんだ。男たちは避ければいいし、一応話も通じる。それに、骨だらけになれば寄ってくる物好きも減るだろう」


    私はスープを音なくすする。そしてパンを千切りながら言った。


    「私の取り柄なんて、せいぜい立体機動くらいだ。この通り、身体は肉や脂肪とも無縁だし、色気もない。好かれるような性格もしていない。やっぱり連中は物好きだ」

    「ナタリーは綺麗な顔立ちをしていると思うし、性格だって悪くないよ。ね、リヴァイ?」


    ハンジは明るく話を振るが、リヴァイは小さく鼻を鳴らして一言。


    「目はいい」


    と言って、元通り黙々と食事を再開する。


    「目かー。ナタリーって随分と黒っぽい瞳の色をしているよね。顔立ちと合わさって東洋人みたいだ」

    「よく言われるけど、東洋人って私は知らないんだ。ハンジはわかるのか?」


    昔からよく東洋人に見えると言われ続けてきたが、私は未だにその人たちがどんな人なのか知らない。ハンジなら知識も広いし、知っているかもしれないと期待する。


    「こうして壁に人類が囚われる以前。人にも色々と種類があったんだよ。東洋人っていうのは遥か東の地からやってきた人たちで、残念だけど今はもう生き残っていないらしい」

    「死んだのか?」

    「うん。元から壁に辿り着いた数が少なかったそうだ。多分何千、何万キロも先から逃げてきたんじゃないかな。辿りついた人がいること自体奇跡的だって記述もある」


    そんな人たちと私が繋がっているかしれないなんて考えられないけど、顔すら見たことのない父のこともあり、私は少しだけ胸が好奇心で高鳴るのを感じた。自分のルーツかもしれない話を聞くことは結構私には楽しいことだったみたいだ。


    「壁外はどれくらい広いんだろう。人に種類があるくらいには広いんだろう? 私も世界を見てみたいな」

    「禁書には途方もない数字で世界の広さが書かれているけど、この狭い壁以外を知らない私たちには実際に見るまで想像もつかないよね。私もウォールマリアを越えた本当の壁外には数えるくらいしか行ったことがないから、早くこの目で見て調べたいよ」

    「……塩だらけのでけぇ湖だったか」


    リヴァイは早くも食事を終えたようだ。腕を組んで退屈そうに話を聞いているが、そのわりに話には入ってくるところが彼らしい気がした。


    「そう、海って言うんだ」

    「ああ海か。でも存在しないって聞いたことがあるぞ?」


    海というものの話は、壁内で聞ける数少ない外の話だった。お伽噺に登場するそれはこの世界の大半を覆う塩水で、全ての生物はそこから産まれたなんて話もある。にわかには信じがたい話なものだから、普通の人は存在するなんて思っていない。なんせ壁内では塩は宝だ。それが大量にあるという時点で信じられるわけがない。

  158. 196 : : 2014/05/14(水) 21:59:19

    それでもハンジは流石研究大好き人間だ。楽しそうに禁書で知り得た知識を披露してくれる。それを私とリヴァイは時折感嘆したり呆れたりしながら聞いていた。


    「だから私は海というものが本当に存在すると確信しているんだ」


    そう結び、ハンジは満足したように笑ってみせた。既に私も食事を終え、食堂の兵士たちも移動を開始している中、彼女の声は高い天井によく響いていた。


    「話はそれで終わりか?」

    「うん。もう訓練も始まるしね。どうかなリヴァイ。貴方も海に興味が出てきたんじゃない?」


    空の食器を重ねながらハンジはリヴァイに訊く。同じように皿を重ねていたリヴァイは、下らないとばかりの目を彼女に向けたが、笑顔のままのハンジを見て観念したように言う。


    「――まぁ、行けるなら行ってもいい」

    「だよね! 塩の湖だなんて嘘みたいなものが実在するとしたら、それってとっても興味深いよ。今から調べたくてウズウズする」


    ハンジは手をわきわきとさせながら息を荒くする。その前に積まれた重ねた食器と自分の食器を一緒にしながら私も言う。


    「巨人を絶滅させたら、きっと全員で見に行こう。元々調査兵団は壁外を調査する兵団なんだ。ウォールマリアさえ取り戻せばいくらでも調べられ、あっ!」

    「あ、悪ぃ!」


    そしてちょうど皿を乗せた盆を持ち上げた私は、誰かに肩を強くぶつけられて体勢を崩す。慌ててテーブルに寄り掛かり相手を睨むと、そこには若い男がいた。余程急いでいるのだろう。私の方すら見ずに一言だけ謝って立ち去ろうとする彼を、リヴァイは苛立ちながら引き留める。


    「おいてめぇ、食堂で走るな。怪我をしたらどうするつもりだ」

    「へ、兵長!? それにそっちはハンジ分隊長……。じ、じゃあ君は……あ」


    彼は大慌てでリヴァイからその隣のハンジに目線を移す。そして再び私に目を合わせ、ハッとしたように息を飲んだ。


    「あー」


    ぼんやりと私の顔を見つめる彼を見ていてやっと思い出した。以前、あんまり思い出したくないマリウスとの最後の一件の時、マリウスを迎えに来た兵士だ。あの時も顔を見られたが、今回は更にじっくりと見つめられ、気まずさや恥ずかしさを通り越して呆れてしまう。

  159. 197 : : 2014/05/14(水) 22:00:25

    「私の顔に何かついてるか?」

    「あ、いや……ぶつかってすまなかった」


    男は謝ったが立ち去ることをせず、その場に立ったまま。私は男を訝しげに見つめてから溜息を吐き、リヴァイの方を再び向く。思った通り、彼は不機嫌そうに眉を寄せていた。私もリヴァイと同じ気分だ。だから露骨に機嫌が悪そうな顔をしてみせ言った。


    「もういいだろう? 私は行く、訓練に遅れてしまっては大変だからな」


    そうしてハンジに目配せすると、彼女はなんとも面白そうな顔をしている。私やリヴァイには不愉快な出来事でも、ハンジにとっては面白いのかもしれない。でもそれはあくまで彼女の都合だ。私の知ったことではない。しかし、急にあたふたしだした男によって私の抗議の言葉はおさえざるをえなくなった。


    「あー、それが、俺じゃないんだがあんたに用がある。あんた兵長たちといるってことはナタリーだろ? クソッ、例のナタリーがよりにもよって……」

    「は?」


    どういうことだ、と私は尋ねる。すると、男は困ったような怒ったような複雑な顔で答えた。


    「俺のツレがあんたに。早くあの返事をくれとさ」

    「ああ……。返事ならもうした。あれ以上言えることはない」


    3日程前だろうか、私に冗談半分といった様子で言い寄ってきた男がいた。ツレとは多分その彼のことだろう。


    「あれじゃ納得いかないそうだ。訓練後にそのまま残っていてほしい。ツレが話をしたいそうだから」

    「随分と急だな。私の都合は無視か?」


    やや怒り交じりで言うと、彼は大慌てで手を振る。


    「無視しているわけじゃねぇよ! ただ、あんたにどうしても話したいって。俺も急にあんたを探して伝えろなんて言われたから知らねぇけど、あいつはそんなに悪い奴じゃねぇから!」


    あんまりにも必死なものだから、私もなんだか話くらいならと思えてくる。仕方ないと大きく息を吐き、私はいつの間にかいなくなっているリヴァイの代わりに、ハンジに向かって口を開く。


    「こういうことだから、夕食は遅れるかもしれない」

    「ああわかったよ。モテるっていいね」

    「そういうものじゃないし、いいものでもない。迷惑だ」

    「まぁまぁ、本人は真剣なんだろうし、邪険にはしないであげなよ」

    「ああ、わかってるよ。じゃあ先に行く。また後で。貴方もさようなら」


    とりあえず男に別れを告げ、自分のトレーを持ってその場を立ち去る。時計を見ればだいぶ遅い。私は普段から早めに行動するようにしているため問題はないが、人に混じって訓練場に行くことは避けたかった。慌てるように足を速め、食器を返して食堂の入口へ向かった。

  160. 198 : : 2014/05/14(水) 22:02:17




    訓練後にはうるさかった人混みも嘘のように静まり返っている。大体の人間が死んだような顔をして兵舎へと向かっている中、私は重い装置をぶら下げたままその場に残っていた。

    問題の男はどこにいるのかなかなか姿を見せず、訓練場は疎らに人間を残しただけで殺風景。すっかり手持ち無沙汰な状態で、それでも人をまたなければいけない状況にいい加減私も苛立ってきていた。


    (あともう少しだけ待って来なければ行こう)


    足で適当なリズムを刻みながら遠くを睨んでいると、やがてそこに背の高い人影が現れる。それはどんどんとこちらに近付いてきていたから、その影こそ件の男であるとわかった。


    「よぉ! 待たせたな」


    毛先を遊ばせた金髪の男は、歯並びのいい白い歯を見せつけるようにしながら笑う。私は腕を組みつつ文句を言った。


    「待ちくたびれた。もう夕食が近いが、一体なぜすぐ来なかったんだ?」


    呼び出されたからにはそれを尋ねる権利があるだろうと思った。だが男は途端に困った顔をする。


    「あー、ちょっと用事が……」

    「用? 班長にでも呼ばれたのか」

    「いや、ダチに………」


    思わず顔を顰めると、男は慌てて口を開く。


    「違うんだっ! その、アイツモテるからさ……。どうすればいいか聞こうと思って。でもジョゼフの野郎、やっぱり今回はノータッチって。アイツも君に惚れたのかなぁ、あはは」

    「で? すまないが忙しいんだ。お喋りする暇があったら早く帰りたい」


    私にとってそんなことはどうでもいいことだった。それよりもみんなとの夕食の方がずっと重要で、こんなつまらないことに時間を割くつもりなど毛頭なかったのだ。

    だから私はハンジとの約束を忘れ、つい苛々をぶつけるような話し方をしてしまう。


    「生憎私は忙しい。先客があるんだ。だからいつまでも誰かに構っている余裕なんてない。付き合ってくれという言葉への返答はしたはずだ。他を当たってくれ」

    「その理由を知りたいんだ。でないと引き下がれない。リヴァイ兵長と付き合ってるって噂は嘘なんだろう? なら別に俺と付き合ってもいいじゃないか。俺、チャラいって言われるけど、ちゃんと君のこと大切にするし!」


    男は必死な形相だったが、それでも私の心にはいまひとつ響いてこない。


    「悪いが私は人を恋愛の意味で好きになるということがよくわからないんだ。だからきっと誰とも付き合えない。それでもというのなら、せめてリヴァイ以上に強くなって彼を助けてやってほしい。そうすれば、少しは興味も湧くだろう」

    「兵長よりって……そんなの無理だっ!」

    「なら諦めた方がいい。第一私は厄介者だ。貴方とは合わないだろう」

  161. 199 : : 2014/05/14(水) 22:02:57


    そう言い切り、私は男に背中を向けた。これ以上何かを言うつもりはない。もうこれだけ言えば引き下がってくれると踏んだからだ。そしてその読みは当たり、すぐに背後から男が悔しそうに砂を蹴る音が聞こえた。だが、私は最後まで何もなく帰ることは許されず、すぐに彼の声が背中に掛かる。


    「俺はレオ・エヴァルト。これでもいい男として名が通ってる。だからこれだけ言われたらきっぱり諦めるよ……。でも惚れたからには忠告しておいてやる。ジョゼフは俺よりずっと諦めが悪い。今のアイツは敵なしだ。女だろうがなんだろうが、ジョゼフに狙われたら覚悟しておけよ」

    「わかった。注意する」


    半分だけ振り返った状態で返事する。ジョゼフというのは確か今朝食堂で話しかけてきた男だったと思う。あの様子では全く警戒するに値しない普通の男だが、注意しろと言われたのだから気には掛けようと思った。

    それに、ジョゼフがエルヴィンの執務室で会った男だったのなら、マリウスも彼の近くにいるはずだ。調査兵団から抜けて駐屯兵団へ行くと言ったのに、結局留まったマリウス。……出来ることなら会いたくない。駐屯兵団に行ってくれたなら良かったのに、何故まだ調査兵団にいるのか……気にはなるが、会いたくないという気持ちが強すぎた。


    (いけない。夕食の時間だな。ハンジたちを待たせている)


    気持ちを切り替えれば、今日は全員揃うだろうかとか、メニューはいつもと同じだろうかなんてことですぐに頭がいっぱいになってしまう。そんなこんなで私は嫌なことと面倒なことから意識を追いやり、食堂へと足を進めた。



  162. 200 : : 2014/05/14(水) 22:04:38



    その夜、いつも通り入浴を終えた私は、部屋に戻るために早足で歩いていた。夕食の時も着替えを取りに部屋に戻った時も、リヴァイの姿は何故かなかった。もしかしたらもう戻っているかもしれないと、逸る気持ちを抑えられないまま道を急ぐ。そのまま角を曲がった時、私は大きな姿にぶつかりそうになって慌てて立ち止まる。


    「あっ……ミケ」

    「ナタリー。リヴァイの部屋に戻るのか?」

    「ああ。もしかして今まで会っていたのか?」


    ミケがそっちの方向から来たらしいということと、入浴前からリヴァイを見かけないことからそう判断した。専らエルヴィンの執務室で話し込んで、時間が遅くなるから誰かの部屋に、ということになって、私もいないことだし、広いからリヴァイの部屋にという話になったのだろう。彼らにはよくあることだ。


    「次回の遠征の話だ。前回リヴァイの周りは死者が多かった。新しい者を入れるのなら早い方がいいからな。それで俺やエルヴィンと部屋で話し込んでいたというわけだ。話は存外早く片付いたが、……まぁ、お互い色々抱えている。久々にリヴァイと晩酌でもと思ってな。俺はこの時間まで残った」


    私は唇を噛む。リヴァイはいつだって何も言わないが、彼が自分のしていることに罪悪を感じていないとは限らない。

    今のリヴァイの仕事は前列中央の索敵班に混ざるような配置で、彼らの取りこぼした巨人を倒すことだ。当然戦闘を主とするため、他よりも危険度が上がる。ほぼ毎回死人が出るのに、彼らがそこにいるのが効率がいいのか、いつもリヴァイたちはそこにいた。

    リヴァイの班は特別で、他は志願すればどうにかなるところ、ここは基本的には選抜された兵士しか入ることを許されない。選ばれるのは優秀な兵士ばかりだが、彼らは指名されても断る権利をもつ。それでもリヴァイに憧れる兵士やベテラン故の志の高い兵士は多く、この班は必ず作られてきた。

    でも、ベテランを集めても死者が多いという現実は、他の兵士たちには恐ろしさしか感じないらしい。いつしか死に急ぎ班と呼ばれ、指名されることを死刑宣告と呼ばれていることをリヴァイは当然知っている。……自分より若い兵士を無駄に死なせることになっているなんて、彼の心が痛まないわけがない。だからリヴァイは班の編成の時期は口数が減り、どことなく重い雰囲気を醸し出すのだ。よく考えたら、今朝もそんな様子だった。他の兵士たちにはいつも以上にとっつきにくくなると言われているけれど、それが彼なりの悲しみ方であり、自分への怒り方なのだ。


    「決まりそうか?」

    「ああ、なんとかな。だがリヴァイは不満そうだ。やはり若い奴を入れるのには抵抗があるらしい。候補の中2年前に入団した19歳の兵士がいるんだがな、いくらなんでも若いと言うんだ。あいつにしては珍しい」

    「私と同じか……。だが兵士は経験と実績だ。歳じゃないだろう」

    「ああ、だからリヴァイにしては珍しいんだ。お前といて影響されたんだろうな、あれは」

  163. 201 : : 2014/05/14(水) 22:05:54

    ミケはおそらく冗談半分で言ったのだろうが、私には耳が痛い言葉だ。私を除けばリヴァイの周りはいくらか歳のいった人間しかいない。だからこそ歳の離れた若い兵士たちを兵士として扱える。けれど、私の存在があれば、自然と彼らを意識するものだ。そして意識してしまえば、その若さゆえの飛び出た考え方や、先に対する考え方を耳に入れることもあるかもしれない。知ってしまえば彼らは途端に兵士から人間になる。――死なせづらくなる。


    「……まるでリヴァイでないみたいだ」

    「そうだな。あれでは人類最強の名が廃る。――今、エルヴィンが長距離索敵陣形を見直しているらしい。おそらく大きな変更があるだろう」

    「ならリヴァイのところも――」

    「ああ、おそらくな。それまでの辛抱だ。それに陣形が変われば何もかもが変わる。もしかすると班も編成し直さねばならないかもしれん。俺も今から不安に思っているところだ。流石に自分の班を解体とはいかないだろうがな」


    ミケの言葉にハッとして顔を背けた。


    「――すまない。私がいるから迷惑をかけてる」


    私がいるからリヴァイがおかしくなって、そのせいで他の人にまで迷惑をかけてしまう。彼らが長い時間をかけて積み重ねてきたものを切り崩してしまっている。本来なら私はここにいるべきではない。一般兵ならそれらしく、ここでない場所にあるべきなのだ。幹部たちの個室があるこのフロアは彼らのものであり、私の居場所ではないはず。なのに私は自分の勝手な都合で規則を曲げてここにいる。そして兵士長であるリヴァイと同室という禁忌とも言えるほどの規則破りを公認させてしまっている。その結果がこれだ。


    「これでも私はリヴァイに甘えているつもりはないんだ。……ただ、また失うのがどうしても怖い。明日が今日と同じように終わるなんて誰も保障してくれないから。もしものことを考えたら彼の側でないと眠れないんだ。だから部屋だけは……。情けないな、これでも兵士なのに」

    「そう気を落とすな。失うことが怖いのは俺も変わらない。だが、それを恐れているからこそ、俺は戦う」

    「ああ。私もそう出来るようにならねばな。――リヴァイのことは私からもどうにかしてみる。彼が迷っているのは私のせいだ。尻は自分で拭うよ。ありがとう、おやすみなさい」

  164. 202 : : 2014/05/14(水) 22:07:04

    ミケに礼を言ってすれ違おうとする。すると私の肩にミケの大きな手が置かれた。


    「……あまり気に病むな。あの男は元々、誰よりも義理と人情に厚い男だ。お前がいなくてもいつかこの壁に突き当たっただろう。――俺はリヴァイよりも兵歴が長い。もう慣れてしまったが、あいつは慣れる暇もないままあの地位にのし上がった。ただ、お前も少しはリヴァイから離れろ。何度も訊いたが、ハンジでは駄目なのか?」

    「……そう出来れば誰にも迷惑をかけないのにな」

    「俺にはリヴァイがお前に対して何かをしたようには思えないんだが。――まぁいい。結局はお前たちが解決すべき問題だ。ハンジならともかく、部外者である俺やエルヴィンに言えることなんて何もないのかもしれんな。今度こそおやすみ」

    「ああ、いい夢を」


    振り返って手を振れば、ミケもそれを感じて振り返らずに手を振ってくれた。私は彼が角を曲がり、その足音が聞こえなくなってから部屋へと向かう。


    (リヴァイから離れるなんて……)


    彼が私を気に掛けなくてもいいように、せめてハンジのところへ。彼女は私を歓迎してくれるだろうし、私も仕事で忙しいはずのハンジに迷惑を掛けるようなことはしないだろうから、何も問題はないはずだ。長時間一緒にいることさえしなければ、リヴァイも元に戻るだろう。みんなが望む人類最強の兵士、リヴァイ兵士長に。

    みんな恐れているのだ。何らかの拍子にリヴァイが戦いから退いてしまうことを。――みんな知っているから。この地獄のような世界で何かを変えようとするのなら、それだけ多くの対価を支払わなければならないことを。調査兵団にとっての対価は自分の命や仲間たちの命に他ならない。……正直のところ、きっとみんな自分のことはどうだっていいのだ。自分が死ぬことは、とうの昔に覚悟している。その瞬間がくれば恐ろしいだろうが、その恐ろしさすらも覚悟の内だ。だが、仲間の死に慣れることは出来ない。慣れたように感じたとしても、それは恐らく麻痺してしまっただけなのだ。だからその辛さを、苦しみを知っているからこそ、みんなは人を壊すものがほんの小さな綻びであることを疑わない。私たちは元々十分すぎるものを背負い続けてここに立っている。そう、もうこれ以上の苦しみを背負うことなんて出来るわけがないんだ。人にとっては些細なきっかけでも、積もりに積もった苦しみの許容量を超えてしまうことはあれば、侮るわけにはいかない。

    リヴァイの昔話を聞いた日のことを思い出す。あの日彼は泣いていた。涙を流さずに、それどころか涙一滴すら見せなかったけれど、でも泣いていた。壁外調査で自分がいながら5人も死なせてしまったと。まだ若い兵士だったのに、死なせてしまったと。

    リヴァイはいつだって立ち止まらない。これまでも死んだ兵士の意志を引継ぎ戦ってきた。人類最強と呼ばれ、兵士長になり、多くの部下を抱え、あの戦場を駆けてきた。その姿は勇ましく、まさに英雄そのものだ。だがその英雄を支えるものはこの世界には存在しない。あるのは重く深い悲しみ、焦燥、そして、怒りだけ。

    だからこそ、私は彼を支えようと思った。私にはリヴァイの背負うものは背負えない。彼はけして自分の背負ったものを手放さないから。でもその代わりに、私は彼を助けることが出来る。その為に私は兵士になり、調査兵団にいる。


  165. 203 : : 2014/05/14(水) 22:08:02



    そんなことを考えながら歩いていくと、いつの間にか足が扉の前で止まっていた。ドアノブに手をかけ、深く息を吸い込んでから静かに開ける。カチリという小さな音と立てて開いたドアの向こうには間接照明だけの薄暗い空間が広がっていた。


    「あれ……リヴァイ?」


    光源である机の上のランプに目を向けると、そこにはリヴァイの背中があった。名を呼んで近付いた私は、すぐに彼が椅子に座ったままの状態で寝入っていることに気付く。


    (……珍しい。こんなところで寝てしまうなんて)


    神経質で潔癖な性分故にベッド以外ではけして寝ないリヴァイ。その彼にしてはありえないことだった。酒もはいっていることだ、きっと当分は目覚めないだろう。

    その手に握られたままの書類をそっと引き抜き、皺にならないように丁寧に広げて置いておく。チラリと見えた内容はやはりというべきか、次の壁外調査の班の編成についてだった。紙面には小さい字で幾つかの名前が綴られている。

    私はその名を一つずつ指先でなぞりつつ思う。ここに私の名前があったならいいのに、と。そうすれば、きっと誰よりも長生きして彼を助けるのに。

    だが、現実は非情だ。私の名前はそこになく、守るべき人はどこまでも遠い。リヴァイの班に抜擢されるなんて、私には夢のまた夢の話なのだ。


    (ルーカス・フランク、クンツ・クラネルト、ゲッツ・ウンケル、エトムント・ゲーベル、レオ・エヴァルト。……羨ましいな、この5人は望めばリヴァイと共に戦えるんだ)


    もっと強くならなければ、と私は拳をつくって自分を鼓舞した。それから隣の部屋へ行き、ブランケットを持ってきてリヴァイの背中にそっと掛ける。疲れきって眉尻が下がったその顔からは、兵士長や人類最強なんて肩書きは読み取れない。そこにあるのはただの人間の顔。それも重責を抱えて潰れそうになっている人の顔だ。私はその背負った重みにはなりたくないと、再び思う。

  166. 204 : : 2014/05/14(水) 22:08:38

    人類最強の兵士は絶対に生き残る。幾人もの親しい人の亡骸を見送って、自分だけはそのまま生き続けなければならないんだ。人類の為を考え、自分を殺して生きるんだよ。――そんなハンジの言葉を思い出す。彼女は私がただ、生きてここにいればいいと言ったけれど、それはきっと違うのだ。私はこのままではきっと彼の重みになってしまう。背負うものの一部になってしまう。それではいけない、いけないんだ。

    私は彼との年の差の分、彼より長く生きなければならない。彼が年をとり、戦えなくなったその先の未来を生きるのだ。それを諦めるとしたら、それは彼が危険に晒された時だけ。

    でも、もう私にはわからない。だって、グリムは私たちを庇って死んだ。死ななくても良かったのに、放っておけば自分は助かったのに、それでも死んだ。……私はそんなの御免だった。戦場で死ぬのは仕方ない、見捨てるのも仕方ない。あの場なら、マリウスを放棄して逃げることが最善手だった。――でも奴は死んだ。お人好しにも、私たちを庇って。

    私はリヴァイを守りたい、出来ることならずっと彼の傍にいたい。彼を傷つけたくない。それには勿論精神的な部分も含まれる。……私は自分の存在を軽視していたのだ。認めよう、もう既に私は彼の生活の一部となってしまっている。半年関わっただけだったはずのグリムでさえ、私の心に傷を残した。ならばもう2年以上も共にいる私とリヴァイでは、悲しみも比ではないんだ。だから私は簡単には死ねない。――リヴァイの為に死ねない。

    けれどそれでは私の存在意義が揺らぐ。リヴァイの為に命を懸けられない自分など、何故調査兵団にいるんだ? もうわからない。考えられない。

    それでも、全てはリヴァイの為に。これだけは絶対に変わらない。たった一つの、私の本当だ。


    腕を組んだまま眠るリヴァイの険しい寝顔をもう一度見やり、その眠りが深いことを確認してから私はランプを消す。月明かりを頼りに隣の寝室へ足を進めると、背後で紙がカサリと音を立てた気がした。






  167. 207 : : 2014/10/31(金) 23:01:53




    翌日は久しぶりの休日だったが、外は生憎の雨。洗濯は出来ないが、掃除はどんな時でも欠かさないのがリヴァイの教えだ。朝起きた時には既にどこかへ出かけていた彼の代わりに部屋を片付けるのは、人が思う以上に誇らしいことだ。なんせあの潔癖のリヴァイが自室の部屋の清掃を人に任せるのだ。そんなことは並大抵の人間に務まることではない。まぁ、同じ部屋で暮らす以上お前も何かしておけということかもしれないが。

    とにかく私は日課の掃除を終え、朝だというのにすっかり暇を持て余してしまった。流石にリヴァイの机までは手を付けるわけにもいかないから掃除はもう出来ないし、雨が降っている以上個人でやれる訓練はそうそうない。そこまで考えて、私は自分の身近なところに掃除を必要としている部屋があることを思い出した。ハンジの部屋だ。

    リヴァイは多分また打ち合わせなのだろうが、ハンジはこういう時でも部屋で何かをしていることが多かった。研究室の方に立てこもってしまっている時もあれば、自室で書類仕事に追われていることもある。同じ分隊長のミケとも違えば、幹部全体からも外れている。多分それが彼女の仕事なのだろうが、調査兵団の頭脳というのも大変なのだろう。彼女の部屋は荒れ放題好き放題で、部屋というより倉庫状態。班員たちが気を利かせて掃除をしている時はいいのだが、いつもそうはいかないだろう。ならばせめて暇な時でも私が。そう思い、最低限の掃除用具を持って部屋を出た。


    「おいジョゼフ……ここらでやめておけよ。もし兵長が出てきたらどうするつもりなんだ?」

    「兵長が今いないのは確認済みだ。お前は心配しすぎだぜレオ。そんなんだから振られるんだ。いいから俺を見ておけよ」

    「……なんだ。お前たちか」


    廊下の隅にこちらへ向かってくる二人組を見つけ、私は溜息をつく。人を覚えるのは苦手だが、流石に覚えている。昨日散々私の予定を狂わせてくれた男たちだ。二人は咄嗟にしまったという顔をするが、ジョゼフ――だったか? はすぐに持ち直して笑顔で片手を軽く挙げた。


    「よぉナタリー」

    「ここはお前たちがいるところではないだろう。なんでいるんだ?」


    バケツとモップを手にして凄んでも貫禄なんて出るわけがないが、親しんだ廊下に面倒な連中の足跡を残すわけにはいかない。二人の態度から対した用はないのだろうと予想をつけ、私は鋭く言う。


    「用がないなら早く帰れ。ここの通行人は忙しい連中ばかりなんだ。お前たちの相手をする暇なんてない」

    「ジョゼフと俺は君に会いに来たんだよ」

    「お断りだ。私だって忙しい」

    「レオ。お前は黙っておけ。俺がやる」


    ジョゼフはふふんと鼻を鳴らし、偉そうに一歩前に出た。なんだこいつ、この前と違って自信ありげじゃないか。……もしかしてリヴァイがいないからか?


    「あんた、やっぱり兵長のところにいるんだな。あ、いや、いいんだぜ? 別に俺は気にしねぇし」


    もしかして、これは人の弱みでも握ったつもりなんだろうか。


    「――貴方がどう思おうがそれは勝手だし、私は興味ない。もう私は行くぞ。用事があるんだ」


    さも呆れたという体で横を抜けようとすると、以前私に想いを告げてきた男が溜息をつく。


    「ジョゼフ……こいつは強敵だと思うぜ? それに昨日も説明したけど、彼女兵長にしか興味がないって――」

    「それが燃えるんじゃねぇか! いいかレオ。男に生まれたからには大物に手を出すのは当然だ。それがデカけりゃデカいだけいい。村にいた時だってデカい魚を狙って一日中釣りしただろ? 女だって魚と同じだ。ここにいるのは俺が待ちに待った超特大獲物なんだ。想像してみろ。兵長の隣にいた女が自分の隣にいるところをな。やべぇだろ? あのちょっと腕っ節が強いチビの女だぜ? 俺はナタリーを初めて見たときから決めてたんだ。絶対コイツを俺の女にするってな。お前は振られちまったことだし諦めはつくだろうが、俺は絶対諦めねぇぞ」


    熱く語っているジョゼフの注意が私から逸れているのを良いことに、私は彼の横を無事に通り抜けることに成功した。私がいなくなれば彼らもここから去るだろう。レオという奴が意外と常識人らしいから多分大丈夫だ。案外、人は見かけによらない。まぁ、それはリヴァイの人相のおかげで既に知っていたことだけど。




  168. 208 : : 2014/10/31(金) 23:03:25



    早足で廊下を歩き、ハンジの研究室のドアの前で立ち止まる。掃除をしようと思うのは彼女の部屋だが、まずは顔を見せるのが礼儀というものだ。時間が時間だからこちらで変な薬剤を調合しているかもしれない。ノックはいらないと言われていたからそのまま入るだけなのだけど、私は一度立ち止まって中の空気を思う。薬屋の娘だから研究室の強烈なニオイはむしろ懐かしいくらいなのだが、一応覚悟を決めてドアノブを捻った。


    「ハンジ、いるか?」

    「ん? ああ、ナタリーか。よく来たね」


    彼女は黄色の液体が入った試験管を緩やかに回しながら返事をくれた。その液体からだろうか。室内は可笑しな臭いに満ちていて、長時間篭っていたら鼻がおかしくなりそうだった。


    「頼むから臭うやつの時は窓を開けてくれ……。これじゃみんなに嫌がられるぞ」


    ここで言うみんなとは、彼女の班員を指す。今日は休日だから一人もいないが、普段ならこっちは誰かしらが何かしらをしていて当たり前だ。この臭いが休み明けまで残ってしまったらあまりに気の毒だろう。


    「あはは、流石にみんなが来るまでには消えるよ。それに窓から風が入ったら大変だ。書類が飛んでしまう」

    「ジャケットにそれが染み込んだら悲惨じゃないか。ただでさえ風呂に毎日入らないんだから、そういうことはきっちりさせないと」


    風呂嫌いでもないくせに、ハンジはこういうところに甘い。それに彼女なりの理由があることを知ってはいたが、それを許せるかどうから別だった。


    「君と同じだよナタリー。やるべきことを前に、余計なことに割く時間なんてないんだ」


    ハンジはいつもそう言う。確かに、彼女にとって一番は研究。知を満たす為なら寝食惜しまない。程度の差こそあれ、リヴァイに対して盲目気味になりがちな私とそうは変わらないから、それ以上私では言えない。


    「貴女の私室を掃除しようと思って、許可を貰いに来たんだ。ハンジはいつもそう言うが、私はやっぱり汚いのも臭いのもよくないと思う。もう、湯を節約しろなんて言われないんだからきちんとしてくれ」


    それでも自分の気持ちだけは伝えておいて、私はハンジが口を開くのを待った。しかし、少し腕組みをして考え込むような素振りを見せた彼女は、部屋の掃除の許可以外のことを話し出す。


    「ナタリー。悪いけど、それ全部置いてくれないかい? 話がしたい」

    「話? 別にいいが……」


    掃除をしようと思ったのだって、元はと言えば暇だからだ。ハンジさえ忙しくなければ私だって彼女と話すのは好きなのだから、断る筈はない。

    私はバケツを邪魔にならない所に置き、書類で埋れていない椅子を引き寄せた。ハンジも備え付けの机から椅子を引き出し、向かい合うようにして座る。その様子から、何となく楽しい話でないことがわかった。


    「……ナタリー、単刀直入に言おう。リヴァイの部屋から出て行くんだ」


    ああ、とうとうハンジまでか、と思う。誰に言われなくてもきちんと理解出来ていた。でも、決定的なものが足りなかったから、こんなに長い間それに甘えていたのだ。

    私の沈黙を心の揺らぎであると認識しているハンジは穏やかな、しかし強い意志を感じさせる口調で続ける。


    「状況はわかっていると思うから説明はしない。今朝早い時間にエルヴィンから言われたんだ。もう、二人は同じ場所にいない方がいいだろう、と。元々今の状態は緊急措置でしかなかった。想定外だったんだ」

    「わかってるさハンジ」


    搾り出した声はしゃがれていたが、返事をしないよりいくらかマシだ。それでも、そんな私を哀れに思ったらしく、ハンジは優しい目を向けてくれた。


  169. 210 : : 2014/10/31(金) 23:05:11


    「私はわかってるつもりだよ。だが、君は一般兵で我々は幹部だ。私だって出来ることなら君の好きなようにしてもらいたい。けど――」

    「リヴァイはけして弱い人じゃない。どこまでも情に厚く、それでいて責任感が強い人だ。私はリヴァイの強さを信じてる。……だから、そんな彼の強さが揺らぐなら私はどうなろうと構わない」


    何とかそれだけ言う。頭の中はもういっぱいいっぱいだった。彼から離れたら私はどうすればいいんだろう。どうなってしまうんだろう。……わからない。私は一人ぼっちだ。それに戻るだけなら、何も怖くはないはずなのに……。それなのに今の私は、リヴァイのいない部屋に帰る自分を想像して震えを抑えられない。


    「こんなことを言っても仕方ないけど、ナタリーを見つけたのが私だったなら、こんなことにはならなかった。……そんな考えが離れないよ。私だったらそもそも君を兵士になんてさせなかった。少しのお金を握らせて、町に置いてきた方が君の為になったかもしれない。私たちは君の人生を大きく狂わせ、今はこうして君の居場所すらも奪おうとしている。ナタリー、君は本当なら恨んでいいんだ」

    「……何があっても、私を助けてくれたのはリヴァイだ。彼は私を人として生きさせてくれている。それがどんなに私にとって幸せなことなのか、ハンジにはわかるか?」


    お前は人じゃない、人形だ。そう言われて過ごした日々。私はまだ覚えてる。あの冷たい部屋も、みんなの声も覚えてる。いつだって私だけが部屋に残されて、次々と消えていく女の子たち。壁が壊されてから、家も仕事もない女の子が、あそこにはたくさんいたんだ。私は特に売れそうな人形として生きさせられた。生きるとか死ぬとか、そんなことよりもあそこから逃げたかった。でも、あいつらはそんなことも考えられないくらい私を殴って蹴って、けして傷が残らないようにだけど、たくさん打たれて――いつしか私の心が折れてしまった。

    でも、あの日私はあの路地裏で、とても強い瞳を見た。とても鋭い瞳。静かな湖面のようでいて、強い闘志を秘めた熱い瞳だった。その持ち主こそがリヴァイだった。彼は正しく私の救世主なのだ。


    「私はリヴァイの為になるのなら、自分を制御してみせる。知らない人間は苦手だから、誰かと相部屋にならないならどこだろうと平気だ」

    「――それで、明日リヴァイが死ぬかもしれなくても、か?」


    ハンジの射るような目は、けして冗談を言うような目ではなかった。それなのにどこか茶化したような口調だったのは、私の真意を引き出したいからに他ならない。それがわかるから、心の引き出しを丁寧に調べながら真剣に答える。


    「不安だよ。あの強かったグリムが死んだように、リヴァイがいつ死ぬかなんてわからない。……でも、それでも私はリヴァイの為に生きたい。邪魔にはなりたくないんだ」

    「そう、か……」

    「元々リヴァイとは朝と夜しか関わりがない。食事も今は別だし、訓練だって……。だから、それが少しだけ短くなるだけだよ。なぁハンジ。これから会えなくなるのなら、せめて今日だけはあそこにいたい。それくらいはいいだろうか?」


    ハンジは小さく頷いてくれた。それは了承というより、肯定だった。


    「エルヴィンだってそれくらいは待ってくれるさ。リヴァイには今のおかしな状態を普通にするとしか伝えないらしい。この時期に余計な心配は減らした方がいいからね。私も賛成だ」

    「リヴァイが駄目でも、ハンジの部屋には行ってもいいか? 今まで通り掃除をしたり、話をしたり、たまには薬草の話をして過ごしてもいいだろうか?」

    「勿論だよ。一番最初に言ったじゃないか。私を頼ってくれって。今でも変わらないよ」


  170. 211 : : 2014/10/31(金) 23:07:11


    ありがとう、そう言おうとしたのに、途中で言葉が詰まってしまう。それを見てハンジは微笑み言った。


    「ナタリー。君はまだ子供だね。頑張って背伸びをしていて、時々私ですらわからなくなるけど、やっぱり君は子供だね」

    「……怒ってるのか?」

    「嬉しいんだよ。時が経ち人間関係も変わる中、人はどんどん変わる。その中で君は私の知るナタリーだというのが、無性に安心するんだ。普通なら成長を喜ぶべきなんだろうけどね」


    私にはよくわからないが、ハンジがそれでいいのならいいのだろう。それに、確かによくはわからないけど、ほんの少しだけなら理解出来る気がしたから。


    「私の部屋の掃除はいいから、今日はナタリーが好きなようにして過ごすといい。荷物の整理もあるだろうし」

    「そうだな……。私の部屋はもう決まっているのか?」

    「エルヴィンに訊いてみるといい。ナタリーの性格はよくわかってるだろうから、流石に個室を手配してくれたはずだ。手配、といってもここは空き部屋だらけなんだけどね」


    ハンジは苦笑する。死人が出ればそれだけ空き部屋が増えていく。新兵は年に一度しか入らないから、人は年末にかけて減る一方だ。今が夏とはいえ、もう既に幾つか部屋が余っているのだろう。


    「じゃあ、私は部屋に戻るから。また後で来る。今日は一日こっちだろう?」

    「ああ。ちょっと気になることがあるんだ。そうそう、エルヴィンのところに寄るなら、向こうが話し合ってる最中だと気まずいだろう。執務室の扉は案外薄いから耳を近づければそれなりに会話が聞ける。最早君に秘密がどうこう言っても無駄だし、時期的に大したことは話してないと思うから、それで確認するといい」

    「おいおい、そもそもそんな状態だからこういうことになってるんじゃないか。……まあ、いいか。ありがとう、やってみる」


    私は腰を上げ、隅に置いてあるバケツを手に取った。そして扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けようとした時、ハンジが呟く。


    「ナタリー。……すまないね」

    「気にするな。いつかこうなるなんて、誰でも予想出来たことだ」


    ドアを開けた途端にどんよりとした空気が湿気た空気に混ざる。ハンジの部屋より幾らかマシなその空気を肺にたっぷり送り込んでから、私は振り返った。椅子に座ったままのハンジの表情は髪に隠れて見えなかったが、私は最後に言葉を掛けることにした。


    「じゃあまた。本当に気にしないでくれ。私ももう吹っ切れてるから」


    返事は待たずにドアを閉める。そして私は執務室に向かって歩き出した。






  171. 212 : : 2014/10/31(金) 23:09:17



    執務室は階段から程近い場所にある。そこまでバケツを持っていくのは憚れるため、先にリヴァイの部屋に戻ってから行くことにした。幸いジョゼフたちはもう帰っていたようで、部屋の前は人気がなく閑散としている。気を持ち直し、私は部屋の扉を開けた。

    雨音が反響する誰もいない部屋は、いつもの石鹸のような清潔な香りが満ちている。それを嗅ぐのが私は好きで、ここに帰ると息を吸い込んでしまうのが癖になってしまっていた。


    (それも、今日で終わりなのか……)


    初めてこの部屋に入った時は、この部屋がどれだけ居心地がいいのかよく知らなかった。どうせここも見た目だけで、実態は私が思い描いていた地獄とそう変わりはないと思っていた。……でも、リヴァイに諭される内に変わっていった。ここはリヴァイの部屋だが、確かに私の部屋だったのだ。それを教えてもらった。

    バケツを決められた場所に置き、私は改めて部屋を見渡す。他の誰よりも広い個室は、私がここにいることを想定して隣の空き部屋と繋げてしまったからだ。私がいなくなればこの部屋はどうするのだろう。このままで使うのか、それとも取り付けたドアを塗りたてて壁に戻してしまうのだろうか。……私がいなかった頃のように。


    (私がいない日常。リヴァイはどう思うんだろう)


    考えても仕方がないのに、よく彼が座っていた椅子を見てしまうと思わずにはいられなかった。それでも私は気を取り直し、エルヴィンの執務室へ向かう為に部屋を出た。



  172. 213 : : 2014/10/31(金) 23:11:12



    執務室の扉は他とは違い、ずっと立派な見た目をしている。勿論外に声なんて漏れるわけがない。


    (ハンジの言うことは本当なんだろうか?)


    その塗りが綺麗な扉を見れば、扉に耳を近づけたくらいでは中に人がいるのかなんてわからなそうに見える。そもそもこんなことでそんなことをするなんて気が引けた。誰かに見られては言い訳出来ない。


    (やっぱり、普通にノックして入った方がいいだろうか……)


    ハンジは余程の事がない限りノックをしない。だから耳を近づけるだなんて行動に出たのかもしれない。いや、でもハンジの性格を考えれば、そもそも中に誰がいようと気にせずに扉を開けるだろう。ますます不思議になる。


    (もしかして、あれは冗談だったんだろうか?)


    こうしていつまでも扉の前で立ち往生しているわけにもいかない。やはりここは普通にノックをすべきだと判断し、私は軽く拳をつくる。その時、中から物が落ちる音が聞こえ、思わず驚いて手を引っ込めてしまった。神経を研ぎ澄ます。すると、ぼそぼそという音が聞こえてきた。それは声だった。


    「リヴァイ。それは……ない」

    「……だが、……反対だ。これ以上……真似……は……じゃねぇ」


    エルヴィンとリヴァイの声。だがはっきりとは聞き取れない。一瞬躊躇したが、私はハンジに言われた通り耳を扉に近付けてなかを伺った。二人の声音が思った以上に真剣で、それがどうしても気になってしまったのだ。


    「ハンジの下へ送ればあいつはおそらく兵団を去った。俺はあいつをなんとしてでも兵士にする必要があった。てめぇにそう言われたからな。だから趣味でもねぇガキの面倒をみてやったんだ」


    「説明はしたはずだリヴァイ。彼女は特別な環境から来た存在。きっと恩人であるお前を敬うことになる、と。だからナタリーには利用価値がある。お前の為に命を張れるという人間は貴重だ。必ず言うことをきくからな」


    (何だ……この会話)


    重心が傾き、ジャケットについたボタンがドアにぶつかって小さな音を立てた。だが、そんなことには中の二人は気付かず、話は続いていく。


    「……嫌な野郎だ」

    「今回ばかりは同類だろう? あんなに慕われているはずなのに嘘を重ねているお前も充分悪人だ」


    私の話。それも良くない話なのはすぐにわかった。多分、私はすぐに立ち去るべきだったと思う。でもそれは出来なかった。その続きを聞いてしまったから出来なかった。


    「俺の出身の話か? あながち間違いじゃねぇだろう。苦労はした。流石に泥を啜った経験はなかったがな。あの時のあいつには、多少大袈裟に言う必要があっただけだ」

    「お前には二つの可能性を示した。一つは彼女がお前を尊敬すること。そしてもう一つはお前に恋愛感情を寄せることだ。あの子を利用するには、そのどちらかにさせる必要があった。リヴァイ。お前はよくやってくれた」

    「……あいつが勝手に懐いただけだ。お前に言われたように言葉を掛け、お前に言われたように行動した。俺はすぐに兵団を出て行くと思ったんだがな。そうなった方が俺としては良かった。今のあいつは正直どうしようもない」


    身体から力が抜けていく。辛うじて立っていられたのは奇跡に違いない。


  173. 214 : : 2014/10/31(金) 23:13:38

    「――あの子は言わば盾だ。あの子の代わりはいても、お前の代わりはどこにもいない。上からお前を前線に置くように言われている以上、彼女は必要だ。それでもお前がもう一緒にいられないと言っているからこういうことになっている」

    「ッチ……。豚共らしい考えだ。あいつらは俺が民衆にウケていると思い込んでいるらしいからな。だから殺したがる。しかし、たかがあいつ一人を移動させる為だけにミケや糞眼鏡まで騙しやがって……。まるで俺が腰抜けみてぇな話になっているじゃねぇか」

    「ハンジは賢いからな。ミケと纏めてではないと信じない。それに、二人に信じられているのは単にお前の行いが良いからだろう。部下思いで情に厚い兵士長ならありえる。そういう思い込みが必要だった」

    「……こうなるならあいつをここへ連れて来ない方がマシだった。俺はもう懲り懲りだ」


    私の身体は糸が切れたように下へ引かれ、床に無惨に転がってしまう。そしてけして小さくない音を立てる。奇跡は、二度も起きない。


    「――なんだ今の音は」

    「俺が行く」


    耳に辛うじて入ったその声に、私は電気が走ったように大きく反応した。しかし私が重たい身体を起こした時、ちょうど扉が開いてしまう。そこに立っていたのはやはりリヴァイだった。


    「……リヴァイ」

    「お前、いつから……」


    眉間に皺を寄せたその顔は、わざわざ私から訊かなくてもわかるといった顔だった。このタイミングで廊下で転ぶわけがないし、転んだくらいで泣きそうな顔をするわけがない。しかし私は答えた。


    「驚かせてすまない。ちょっと、考え事をしながら目の前を通りがかったら転んだだけだ」


    ぎこちなく笑みさえ浮かべてみせる。リヴァイは多分、少しだけ困った顔をしていたんだと思う。そう、私はその顔を見ることが出来なかった。それより先に立ち上がり、涙を堪えるように目を瞑ったからだ。そしてもう一度、訊かれてもいないのに大丈夫だと笑う。


    「私はまだ用事があるから、行ってくる――」

    「……おい」

    「急いでいるんだ。すまない」


    リヴァイに崩れそうな笑顔を見られないように、慌てて背を向けて走り出す。珍しく慌てた様子の声を背中に受けながら、私は一目散に階段を駆け下り、彼から一歩でも遠い場所を目指した。




  174. 215 : : 2014/10/31(金) 23:15:36



    やっとの思いで辿り着いた場所は、多分数度しか来たことがない場所だった。薄暗い材木だらけのその場所で、私は肩で息をしながら汗を拭う。そして爪が食い込む程強く拳を握り、目をギュッと瞑った。


    (――ありえることだった)


    リヴァイが私を連れて来たことを後悔していることを、考えていなかったわけじゃなかった。


    (――私を受け入れられないのもわかってた)


    いつだって私は彼を困らせて、自分の考えを強行していたから。


    (――でも、一度だって考えたくなかった)


    普段なら、きっと聞いてしまっても平気だった。自分の都合の良いように解釈して、笑うことが出来た。――でも、それをするには今の私は不安定すぎた。まだハンジから話を聞いて、一時間も経っていないんだ。それなのに次から次へと悲しいことが積み重なって行く。


    (私は調査兵団にいない方が良かった……そんなこと、考えたくなかった)


    ずっと思っていた。何故私は何の能力もないのに兵団に居続けることが出来るのだろうと。立体機動くらいしか取り柄がない私が何故ここまで大切にしてもらえるのかと。……ずっと思っていた。グリムに昔訊いた時は、それなりに彼の言うことに納得したけど、それでももやもやとしたものは収まらなかった。

    彼らは馬鹿じゃないし、お人好しなんかじゃない。他の誰よりも調査兵団と人類のことを考えて生きてきた人たちだ。そんな人たちが単なる情で動くわけがない。……だって、あの人たちはいつも自分のことすらいつも後回しなんだ。自分の命さえも後回しなんだ。――ほら、わかっていたんじゃないか。元からみんな、私なんて見ていなかったことに。便利だから一緒にいただけなんだって。……わかっていたんじゃないか。

    リヴァイは私にわざわざ優しくしてくれるような人じゃない。ずっと一緒にいて、それは誰よりもわかっていた。彼は多分、本当の意味で巨人を絶滅させることだけにしか興味がない。だから、その過程の一つとしてしか私を見ていない。だからいつだってリヴァイの瞳は熱かったんだ。どんな時でも前を向いていたから、熱さを宿せたんだ。……私、わかっている。なのに甘えていただけじゃないか。今この瞬間でさえ、リヴァイが来てくれることを祈ってる愚か者じゃないか。こんなだから、リヴァイは私から離れたがっているのに!


    「でも……、本当に誰でも良かったのなら、私じゃなければ良かった! 私が気に入ったなんて嘘をつかないでほしかった……! そうすれば私はリヴァイのことを――」


    口から出た言葉に自分自身で驚き、慌てて首を振る。……ここでそれを否定してしまえば私はおしまいだ。それだけは駄目だ。


    (リヴァイを大切に思う自分を否定してしまったら、私はもう生きていけないんだ……!)


    彼は私の救世主で、英雄と呼ばれるべき人。それは絶対に変えてはいけない。悪いのは全て私だから、私が悪いのだから彼を裏切ることだけは絶対にしてはいけないんだ。


    (……利用されているならそれでもいいじゃないか。元より私はリヴァイに買われたんだから、そうされて当然だ。だから、私は寧ろ喜ばなければいけないんだ。私にはきちんと存在価値があったんだから。もう、悲しむのはいけないことじゃないか――)

  175. 216 : : 2014/10/31(金) 23:18:52


    人形はやめたはずだった。人間になったはずだった。リヴァイがそうしてくれたはずだった。……でも、今の私は彼の身代わり人形になることを望まれている。そう望まれて、いつの間にかなっていた。また人形に逆戻りだ――っ!


    (それでも私は生きていける……。リヴァイが望むならどんな姿にでもなってやる。それが彼への恩返しになるなら、私はなんだってしよう。それが一番幸せなんだから)


    なのに、なんで胸が苦しいのかわからない。目頭が熱くなって、息をするのも辛い。……ここは何処だろう。なんで私はこんなところまで走ってきてしまったんだろう。……大切な人から逃げるような真似をして、なんでこんなところで息を切らしているんだろう。私はリヴァイを想っていて、命まで懸けられる程その気持ちは大きいはずなのに。何故これくらいで挫けなければいけないんだろう。


    (わからないよリヴァイ……。私はもう、どうすればいいのかわからない)


    後から後から流れる涙が止まらない。自分の意思とは関係なく目尻を伝い、頬を濡らして地面に落ちていく。本当に馬鹿みたいに自分勝手な涙だった。だって、私には泣く資格なんてないのだ。私はただリヴァイの為に生きていればいいのだから。それを正しく認めて貰ったんじゃないか。今更泣かなくてもいいじゃないか。――だけど、


    「リヴァイ……リヴァイ……」


    自分の胸の辺りを掴み、みっともなく嗚咽を漏らしながら名前を呟く。


    (こんなに苦しいなら、生きていたくなかったよ。……リヴァイ。貴方と会いたくなかった)


    「お、ナタリーじゃねぇか! おい……お前、泣いてんのか!? それに今兵長の名前を――」


    聞き覚えのある声に、急いで目元を拭う。すっかり腫れてしまった重い瞼を強引に開けて前を見ると、そこにはジョゼフの姿がある。


    「資材置き場なんかで何やってんだお前……。何があった?」

    「――関係ない。今は放っておいてくれ」


    首を振り、ジョゼフを拒絶するように背を向けようとする。その肩を掴まれ、私はジョゼフの方を向かされた。


    「何を――!」

    「こんなに目を腫らせて……。兵長と何かあったんだな。それも、ただ事じゃなさそうだ」

    「違う――! リヴァイは関係ない」


    彼の目を見る。いつもの戯けた目ではなく、琥珀色のその瞳はとても真剣だった。それがいつかのリヴァイと被るから、涙が流れてしまうのに――!


    「離してくれ。私は別に平気だ。少し大変だっただけなんだ」

    「あのクソチビ……ナタリーに何をしやがったんだ!」

    「リヴァイをそんな風に言うのは許さない――! 頼むから……一人にしてくれ」


    手首をしっかりと掴まれてしまい、暴れても離してくれない。ジョゼフはすっかり頭に血を上らせてしまったようで、私の話も聞かずに怒っている。


    「初めて会った時も、お前は泣いていた。マリウスと同室だから、あの日に何があったかを知ってる。その時と同じくらい今のお前は泣き腫らしているんだ。放っておけるわけねぇだろう! ここには俺しかいねぇんだぞ!」

    「本当に、リヴァイは何もしてないんだ。全部私のせいなんだ……」

    「もしお前が悪かったとしても、お前がそんなに苦しんでる時に追いかけても来ねぇ奴は最低だ!」

    「リヴァイを悪く言うなッ! 彼の苦しみも知らないくせに、私の前で彼を貶すな……っ!」


    自由な方の手でジョゼフの胸を強く押す。それでも少しも動じないジョゼフは、私の手を強く握って言う。


    「何度だって言ってやる。あいつはクソのクズ野郎だ。お前自分がどんな顔してるか見えねぇからそんなことが言えるんだ。俺でなくても同じことを言うって顔してんだぞ!? この世の終わりを見てきて生きる希望もねぇって顔だ。それの原因が兵長だって言うなら、俺が行って殴り倒してやる」

    「本当に違うんだ……。私が勝手に甘えていて、それが思い通りにいかなくなったから悲しくなっただけなんだ。だからリヴァイは絶対に関係ない。もう泣かないから、お願いだからもう私に構わないでくれ……」

  176. 217 : : 2014/10/31(金) 23:21:50


    嗚咽を交えながら懇願する。ジョゼフの瞳を見るのが怖くて、視線はずっと下に向けたままだった。ジョゼフはそんな私を真っ直ぐ見据えたまま言う。


    「――元々俺はこれから兵長に用があるんだ。レオの件でな。個人的には吊るし上げる気でいた。だがもう、お前を見ていたら一発殴らなければ気がすまねぇ……。あいつは人間じゃねぇ、人間の皮を被った化け物だ。……許せねぇ」


    そう言って拳を握るジョゼフの手を慌てて抑える。


    「そんなことをしたら私はお前を絶対に許さない。私はリヴァイを守ると決めているんだ……!」

    「そのリヴァイ兵長にお前は傷付けられているんだぞ! いい加減に目を覚ませ! あいつはお前のことなんて何とも思っちゃいねぇんだぞ!?」

    「わかってるさッ!」


    驚く程大きな声が喉から出る。周りの空気が張り詰めたように静まり返り、自分の心臓の鼓動すら聞こえるような静寂が訪れた。それを私は更なる大声で破る。


    「リヴァイが私なんてどうでもいいと思ってることなんて、誰よりも私が一番よく知ってる! 私はずっと傍にいたんだぞ!? 壁外から戻った後の彼を知ってるか? いつも通りに見えるのはリヴァイを知らないからだ。彼はな、ずっと死んだ奴らを心に刻むように目を閉じているんだ。そんな光景に立ち会ったことはあるか? ああ、そうさ。私はリヴァイを困らせてばかりいた。そのせいで彼に嫌われているようだ。それどころか、私を連れてきた理由すら誰でも良かったなんてものだった。偶然私だっただけなんだ。――でも、それでも私はリヴァイと一緒にいたいんだ。偶然だとしても、確かにリヴァイは私を救ってくれた。人間として認めてくれた。それだけで幸せだって思えたんだ。私は彼がいないと生きる価値がない。だから、どんなに苦しくても辛くても、たとえ私が死ぬとしても、絶対にリヴァイを守ると決めたんだッ!」


    ――そうだ。私わかってるんじゃないか。偶然でも構わない。あそこで朽ちるよりずっと良い。“リヴァイに助けてもらった”その事実は絶対に変わらない。そこに彼の気持ちがあったかなんて考える方が馬鹿らしいんだ。元より私は、ただリヴァイを守るとことだけを心に刻んでいればよかった。……自分のことなんて考えてはいけない。それが私自身との決め事だったはずなんだ。私の命は私のものじゃない。既にリヴァイに捧げている。なら、私は彼の為に否応なしに命を懸けるべきだ。


    (そこに私の意思は関係ない。私への気持ちも関係ない)


    リヴァイは私が死んだとしても、絶対に傷付かない。それはさっき証明されたようなものだ。

    なら、私は今やっと迷いなく、リヴァイを守ることが出来る――?

  177. 218 : : 2014/10/31(金) 23:23:42

    「――リヴァイの為に、死んでもいいんだ」

    「え……」


    口から零れ出た小さな言葉に、ジョゼフはその動きを止めた。


    「ナタリー。お前今、なんて……?」


    両肩を掴まれて、しかし今度は私の顔を正面から見据える。その瞳から目を逸らすことが出来ないから、当然私はジョゼフの瞳を見ることになる。彼は戸惑いつつも怒っていて、声を荒げた。


    「お前……何を言っているかわかってるのか!? 死んでもいいなんて調査兵団にいる以上言っていい言葉じゃねぇぞ! 第一お前はさっきから何を話しているのかわかってんのか!?」


    肩を揺すぶられ、抵抗しない私の身体は前後に大きく揺れる。


    「兵長の為にって……。ぶっ壊れてやがるぞ! あんな野郎よりお前を大事に出来る奴は大勢いる。俺やレオもだし、あいつと比べたらそこらのクズの方がマシに決まってる! 何で兵長に拘る?」

    「リヴァイは……“あんな野郎”なんかじゃない。英雄だ」


    舌を噛みそうになりながらもそれだけ言う。ジョゼフは怒りのあまり顔を赤くしていた。


    「英雄だと? ふざけんな! あいつは昔俺を馬鹿にしやがったし、レオを殺そうとしてやがるんだぞ……っ!」

    「これ以上リヴァイを侮辱するのは許さない。大切な事に気付かせてくれたことは感謝しているが、もう私はここを去りたい。手を退けてくれ。そうでなければ、私は永遠にお前を憎むだろう」

    「――くっ」


    どこかを噛んだのか、ジョゼフの唇は血が滲んでいた。私はそれには言及せずに肩にある彼の手を掴んで退ける。


    「もう私の事は忘れた方がいい。お前も、お前の親友も」


    余計だとも思ったが、最後にそれだけ言葉を掛ける。どこか重いものが流れたような感覚の中、私は少しだけ軽くなった足を兵舎へと向けた。


    (さっきの行動を謝ろう。そしてもう、リヴァイに迷惑を掛けないように静かに生きよう)


    貰ってから肌身離さず持ち歩いているペンダントを握り締め、私は再びエルヴィンの執務室へと歩いていく。

    温かい思い出はたくさん貰った。もう、充分過ぎるくらい幸せを貰った。……だから私は一人でも歩いていける。

    もう迷いはない。不安は全て消えてしまったから。――命を懸けよう。そして私が今生きている恩を返そう。それが私の使命だと言うのなら、喜んでそれを果たそう。


    (もう、私は迷わない)


    選んだ道が正しいかは、私にはわからない。しかし、私は過去を振り返らず進むことを決めた。その先に何が待ち受けていようと、ただ突き進むことに決めた。






    そして、翌月の壁外調査にて。ジョゼフ・リオットの無二の親友であり、私に恋心を打ち明けてきた男、レオ・エヴァルトが死亡した。

    彼はリヴァイの新しい班員となったばかりであり、指名制であったリヴァイの班では最年少ということもあって、調査兵団の士気は酷く落ちこむことになる。






  178. 219 : : 2020/10/11(日) 11:11:47
    高身長イケメン偏差値70代の生まれた時からnote民とは格が違って、黒帯で力も強くて身体能力も高いが、noteに個人情報を公開して引退まで追い込まれたラーメンマンの冒険
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    【キャロル様教団】
    http://www.ssnote.net/archives/86972

    何故、登録ユーザーは自演をするのだろうか??
    コソコソ隠れて見てるのも知ってるぞ?
    http://www.ssnote.net/archives/86986

    http://www.ssnote.net/categories/%E9%80%B2%E6%92%83%E3%81%AE%E5%B7%A8%E4%BA%BA/populars?p=53

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sun1722

渡瀬なつ

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