安全保障を学ぶ
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- 1 : 2017/12/08(金) 00:57:24 :
- テスト
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- 2 : 2018/02/04(日) 15:41:20 :
- 地政学のすすめ
地政学の研究で知られるマッキンダーの地図。
ユーラシア大陸の中央で強調されているのがハートランド。
地政学は最近になって国民の常識になりつつある国際政治学の研究の一つだと思います。
それは非常に喜ばしいことであって、私としても地政学の研究には多くの時間を費やしてきたので、そうした盛り上がりに少しでも寄与できれば幸いです。
地政学というのは一言で言うと、国際関係を地理的な要因で説明する手法、もしくはその手法を用いた国際政治学の研究領域のことを言います。
国際政治学を専攻する場合、とりあえず基礎として地政学を学んでおくメリットとして、その国家がどこにあるかを覚えてしまうというのがあります。
地理を十分に勉強しないまま国際政治学の研究をしようとする学生もいるのですが、自分の研究対象とする地域にある国名くらいは熟知しなければ、地域研究など到底不可能なことは理解しておく必要があります。
地政学の基本概念についてですが、次の三つが特に重要です。
・ハートランド ユーラシア大陸の内陸部にあって沿岸地域から直接的には接近できない地域。
今ロシアの内陸部から中央アジア地域がここに含まれます。
・リムランド ユーラシア大陸の沿岸部にある地域で、ハートランドを取り囲む地域。
ヨーロッパ、中東、インド、東南アジア、中国沿岸部、朝鮮半島がここに含まれます。
・シーレーン ユーラシア大陸それ自体を囲い込む海上の航路帯。
リムランドの外側にある海上交通路が含まれます。
地政学が一般に基礎とする考え方というのは、「ハートランドを支配する大陸勢力と、シーレーンを支配する海洋勢力がリムランドの支配をめぐって絶えず競合している」というものです。
現在、地政学的な大陸勢力であるロシアは、海洋勢力であるアメリカがリムランドの西端である東ヨーロッパをNATO、EUに再編成することを阻止しようとしていますが、ベラルーシとウクライナ以外のほとんどはすでに失われており、それがハートランドの支配にとって脅威になっているという情勢判断になるわけです。
こうして考えれば地政学の分析は決して難しいものではありません。極端に言えば、地政学的に重要な地域を覚えてしまい、あとは大陸勢力と海洋勢力の勢力均衡という構図を当てはめればよいのです。
実は地政学を学ぶ上で最大の問題は地政学それ自体ではなく、地図を正確に読む能力が問われる点なのです。
正確な地理上の知識によって裏付けられなければ、地政学は体裁の良いプロパガンダに堕落してしまいます。
もし熟練した地政学の研究者であれば、キエフとモスクワの間にどれだけの都市が分布し、その間の鉄道、幹線道路の配置を脳裏に呼び起こし、ロシア軍が進攻経路として使用する可能性が高い経路がどれかを特定することができるでしょうし、もしアメリカ軍が真剣に軍事行動を起こす場合、どの国家に軍事通行権を要求しなければならないかを判断することもできるでしょう。
もし地政学を研究する前からこうした能力を身に着けている方がいるならば、それは称賛するべき素晴らしい「戦局眼」です。
しかし、そうでないならば地図を読む習慣を身に着けることから始めなければなりません。
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- 3 : 2018/02/04(日) 15:42:56 :
- 地図で地政学を考える
地政学を研究するためには地図の知識が不可欠であり、また地図を解釈するためには独特な技法が必要となります。
地図上で戦略分析を行う具体的な分析の方法について、コリンズ(1998)は地域研究で戦略分析を用いるために次の5つの事項に着目することを提唱しています(Collins 1998: 340を参照)。
・地政学Geopolitics
・中核地域Core Area
・戦略的運動Strategic Mobility
・連合Coalition
・施設Infrastructure
地図上の大国領土とその大国が指導する衛星国の領土には、必ず戦略的に重要な地域が含まれています。それは経済的理由によるもの、軍事的理由によるもの両方を含みます。
こうした中核地域の間の部隊の移動を可能にするのが回廊地域です。それが分かれば、国家が連合関係、同盟関係を通じてどのように外交を展開するかが分かるだけでなく、軍事基地のような施設が設置されている理由も説明がつきます。
これだけではイメージしにくいと思いますので、コリンズが紹介するソ連の地政学的な分析の要点をここで示しておきます。
「戦略分析とは奪取、保持、破壊、ないし管理することで目だった優位をもたらす大きな政治的、経済的、軍事的、文化的意味がある目標を含む敵の中核地域をも評価する。
冷戦期の米国の分析は全面核戦争が勃発した場合にヨーロッパのロシアにおいてソビエトの国家安全保障にとって死活的に重要であった複数の地域を特定していた。すなわち、モスクワ、レニングラード、ドネツ流域の重工業地帯、ウラル山岳地帯、バクー周辺の油田地帯である。
二次的に重要な中核はタシュケント、クズネツク流域、バイカル湖、ウラジオストクは地域的に重要であるが、ソビエト連邦はこれらがなくとも強大な国家として存続することが可能である」(Collins 1998: 341)
すでに十分な地理の知識(この場合は地名とその位置の知識)があれば、冷戦期のソ連にとって死活的に重要な戦略要点はヨーロッパ正面に偏って分布していたことが直ちに分かります。
したがって、ソ連の防衛計画では主たる戦力をヨーロッパ正面に配備しなければならず、その国境線の広さにもかかわらず、戦略正面が地政学的な環境によって著しく制限されているということが言えるわけです。
この分析から東ヨーロッパの国々で緩衝地帯を構成するためにソ連がワルシャワ条約機構を置いて一元的な連合作戦の態勢を整え、かつバルト三国やベラルーシ、ウクライナまでをソビエト連邦に組み込まなければならなかった理由が説明できます。(詳細は以前の記事を参照)
地政学はある意味において地図上でその大国が重視するべき戦略正面を特定する技法であり、戦略学の一部と考えることもできるでしょう。
しかし、私の考えでは、地政学はそれほどの専門知識を必要とするわけではないと思います。
むしろ地政学は自然地理学と人文地理学の両方にまたがる地理に関する幅広い一般教養が必要ではないかと思います。
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- 4 : 2018/02/04(日) 15:45:49 :
- 海洋戦略の戦略要点、チョーク・ポイント
今日、世界経済を支えている航路帯の中には、船舶の往来が特に集中する交通の要所がいくつかあることが知られています。
軍事地理学や地政学の用語では、こうした地点のことをしばしばチョーク・ポイント(Choke Point)と呼びます。
今回はそのチョーク・ポイントを重要度に応じて分類して見せた論文を紹介したいと思います。
Alexander, L. M. 1992. ''The Role of Choke Points in the Ocean Context,'' GeoJournal, 26(4): 503-509.
目次
1.狭隘な国際水路を通じた交通のレジーム
2.チョーク・ポイントの性質
3.最重要のチョーク・ポイント
4.二次的なチョーク・ポイント
5.その他のチョーク・ポイント
チョーク・ポイントは各港湾の間の海上交通路の連絡を保つ上で、極めて軍事的な価値があります。その典型的な事例としては、地中海と黒海を結ぶボスポラス海峡やダーダネルス海峡が挙げられます。
水域が狭隘で封鎖が容易なために、この海域の往来が制限されると海上交通路それ自体の連絡が遮断されてしまいます。
ただし、著者は全ての海峡がチョーク・ポイントとしての価値があるわけではないことを指摘しています。戦略的な重要性に応じてチョーク・ポイントとしての価値を判断する方法として次のように示されています。
評者が要約すると、その判断基準として著者が特に重視するのは次の三つの性格です。
・狭隘性、封鎖の容易性
・代替不可能性
・沿岸諸国への影響
これら三つの基準から見て最も重要度の高いチョーク・ポイントと分類されるのは、以下のようになります。
・ジブラルタル海峡
・バブ・エル・マンデブ海峡
・ホルムズ海峡
・デンマーク海峡
・トルコ海峡(ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡)
・スエズ運河
・パナマ運河
これらと比較すれば以下の例は、重要度が若干低下するものの、二次的に重要なチョーク・ポイントと判断できるものです。
・マラッカ海峡
・ドーヴァー海峡
・ベーリング海峡
・スンダ海峡・ロンボク海峡
・バラバク海峡
・大隅海峡
・津軽海峡
・対馬海峡
著者の分析によれば、チョーク・ポイントの役割に関しては三つの要因が及ぼす影響を考慮するべき事項があります。
第一に地政学的な変化であって、例えば冷戦期と冷戦後ではソ連海軍の太平洋艦隊の大幅な減勢によって、津軽海峡と対馬海峡の重要性は低下したことは、地政学的な変化によってチョーク・ポイントの性格が変化した事例です。
第二に経済地理的な変化による影響があり、イランや湾岸諸国にとってホルムズ海峡の海上交通路が生命線であること、中国にとっては台湾海峡とルソン海峡が重要であることの理由は、この経済地理的考慮から説明できます。
第三が環境的考慮による影響であり、1989年3月のエクソンバルディーズ号原油流出事故で大規模な原油の流出が発生した際に大規模な生態系の破壊が生じたことがあります。
著者はこうした事故に見られるように、環境保全の必要から海上交通が規制される可能性があることにも注意を促しています。
この論文が貢献したことは、地政学で頻繁に用いられるチョーク・ポイントという概念に一定の尺度を導入し、その重要性を判断するための基準を明確化したことだと思います。
さらに著者の分析枠組みによって二次的に重要性が高いチョーク・ポイントに大隅海峡、津軽海峡、対馬海峡という日本人にとっても間近にある海峡が数えられている点は示唆的だと思いました。
著者が指摘するようにチョーク・ポイントは海上封鎖の対象となりうる場所であり、その海域は隣接する海域の海上交通に甚大な影響を及ぼします。
こうしたチョーク・ポイントの保全を考えることは、海洋国家としての安全保障にとって原点であるべきではないでしょうか。
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- 5 : 2018/02/04(日) 15:48:31 :
- ハートランド、リムランド、オフショア
地政学の基本は国際関係の出来事を地図上で考察することにあります。
しかし、単に地図上で国際関係を分析するだけが地政学の要件と言い切ることはできません。
ある地点で生じた出来事が他の地点に及ぼす影響を、あくまでも地域単位ではなく地球規模で考察することが地政学の要諦だと言えます。
マッキンダーが考案した地政学の分析モデルの概要。
世界全体がユーラシア大陸の中心部(pivot area)、沿岸部(inner or marginal crescent)、ユーラシア大陸の沖合の大陸・島嶼(lands of outer or insular crescent)の三地域に区分されている。
研究者の間でも議論が分かれる点ですが、基本的に地政学の分析モデルは世界全体を三つの地域に区別することによって成り立っています。
第一の地域はハートランドと呼ばれる地域であり、ユーラシア大陸の中枢部にあって沿岸地域から容易に接近することができないだけでなく、厳しい大陸性の気候のため人口稠密地ではない内陸部のことを指します。
第二の地域はリムランドと呼ばれる地域であり、これはユーラシア大陸の周縁部にあって海洋から近接することが容易であり、農業生産に適した穏やかな気候のため人口が密集しやすい地域のことを意味しています。
第三の地域はオフショアと呼ばれる地域で、ユーラシア大陸から交通が隔てられた沖合の陸地を総称する用語として使用されます。
ただし、これらの地域の境界が常に明確であるわけではありません。このような区別が重要な意味を持つ理由として言えるのは、どの地域を勢力圏として確保するかによって国家の対外政策の方向性が大きく異なるためです。
例えばマハンの学説では世界を一つに結ぶ海上交通路の価値を重視する観点からオフショア各地に基地を建設することが重要であると考えられています。これはシーパワーの理論としても知られている議論です。
しかし、マッキンダーの学説ではハートランドを支配することが戦略的に重要であると考えられており、その理由としてユーラシア大陸の各地に通じる交通路の中心を確保していることが挙げられています。これがランドパワーの理論的な根拠となっている分析の要点となります。
さらに、別の見解としてスパイクマンはリムランドに独特な特徴に注目して、そこがランドパワーとシーパワーの両方の影響を受ける地域であると判断しています。
リムランドに勢力圏を構築した大国は、必然的に大陸方面と海洋方面の両方の脅威に対処する必要が生じますが、その脅威にはランドパワーとシーパワーの対立という側面だけではなく、リムランドの内部で展開される対立も含まれています。
地政学にもさまざまな考え方があるのですが、以上の三つの地域概念を押さえておけば、その大部分を自分なり理解することは十分に可能です。
例えば、既に述べた地政学の知識を使えば、中国はリムランドの国家であり、日本はオフショアの国家であることが分かります。
リムランドの国家はランドパワーとシーパワーの両方の影響を受けるため、その安全保障戦略では海洋方面と大陸方面の両方に資源を配分する必要があるということが考えられます。
こうした分析をさらに進めていけば、中国がウクライナの問題、イスラム国の問題によってロシアと米国の両方からの圧力を免れていることや、東シナ海、南シナ海を中国のコントロール下に置かせないことを日本の政策目標とするのであれば、地政学的にリムランドの国家である韓国との協力よりもむしろ台湾、フィリピン、インドネシア、オーストラリアとの協力関係に高い優先度を置く必要がある、などの判断を得ることが可能です。
地政学を学ぶために、マッキンダー、スパイクマン、マハンの著作を読むことが重要だという意見には一理あるのですが、私の意見では学説を勉強するよりも実際に地図を片手にして歴史に親しむことのほうがはるかに重要です。
例えば、真珠湾攻撃の直後に日本海軍で、ハワイ、セイロン、北オーストラリアのいずれを次の攻撃目標とすべきかが議論になったことがありました。
これは地政学的な研究課題として大変興味深い論点ではありますが、純粋な地政学の理論上の問題として考えるべきではありません。
なぜなら、この問題は地理上の特性だけでなく、敵である英国と米国の戦略を十分に考慮に入れる必要があるためです。
地政学の理論はあくまでも思考に一定の方向性を与えるものにすぎないのであって、実際の問題解決に当たっては具体的な地理上の知識が必要となることに注意が必要でしょう。
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- 6 : 2018/02/04(日) 15:52:39 :
- 領土拡張のための「成長尖端」
今回は、地政学の用語の一つ、成長尖端(Wachstumsspitzen)についての説明を取り上げたいと思います。
国家は対外的にその領土を拡張するための予備的段階として、ごく小規模な地域を獲得しておくことがあります。
これは政治学、特に地政学の分野で、成長尖端と呼ばれることがある地域です。
ハウスホーファーは成長尖端を分類することができると考えており、その分類は次の通りとされています。
(1)消滅した成長尖端
(2)後退しつつある成長尖端
(3)潜在的になった成長尖端
(4)徐徐として増大しつつある成長尖端
(5)迅速に増大しつつある成長尖端(飯本、1929年、48-49頁)
この分類の基礎は、領土を拡張しようとする国家がその成長尖端を重要視する度合いである、と言えるかもしれません。
つまり、政治的関心が消滅した成長尖端が一方にあれば、他方で極めて強い関心を示して国力を投下してくる成長尖端もあり、時間の経過によって力点は地理的に変化しうることが前提とされています。
成長尖端は前方基地の建設や部隊の進駐のように軍事的な形態として出現する場合もありますが、必ずしも軍事的手段だけによる領土の拡張だけを指すわけではありません。
例えば、未開の地域における植民市の建設と自民族の移住、宗教、言語、文化の普及、さらには現地における自国資本による経済的活動の掩護なども、こうした成長尖端を構成しうる活動です。
どのような形態をとるとしても、成長尖端それ自体は極めて狭隘な土地であり、それ自体が直ちに領土の拡張を可能にするというわけではありません。
成長尖端はあくまでも本格的な領土の拡張を行うための予備的な段階として形成されるに過ぎず、国家の対外政策としてそれ以上の領土拡張が困難と判断されたならば、放棄されてしまう可能性もあります。
さらに、成長尖端の歴史的事例をいくつか示しておきたいと思います。
1453年、オスマン帝国の皇帝メフメト二世はビザンティン帝国の首都であったコンスタンティノープルをついに陥落させました。
メフメト二世はこの都市の重要性を認めて政府機関をすべて移転させており、バルカン半島に軍隊を前進させるための橋頭保として活用しています。その後、バルカン半島は北のハプスブルク家と南のオスマン帝国によって分割され、長期にわたり独立を失うことになりました。
1819年、イギリス東インド会社の書記官だったトーマス・ラッフルズはマレー半島を領有するジョホール王国からシンガプーラ島に商館を建設することを許可され、1824年には同国から正式に割譲されました。
これがその後のイギリスの東南アジア地域における最大の拠点シンガポールとなり、アジア進出の重要な足がかりとなっています。
このように、僅かな土地を足掛かりとして確保しておくことは、その後の勢力圏の拡張を円滑にする上で役立ちます。
もしも国家の勢力が相対的に劣勢であったとしても、成長尖端は極めて小規模な土地であるため、支配を維持するための費用は小さく済ませることができます。
自国の国力を回復し、他国に対して優勢な状況となってから、行動を起こすまで様子を見ることができるので、優れた領土拡張政策と言えます。
これらの判断を逆の立場から考えると、膨張主義の国家による領土拡張を効果的に封じ込めるためには、まず相手国に成長尖端となる土地を決して獲得させないことが重要であると言えます。
成長尖端には、現状維持を試みる国家の防衛線を突破するための小さな間隙としての機能があるのですから、支配している土地の面積が小さくとも、その土地を支配することの政治的、戦略的な意味までもが小さいと誤解してはなりません。
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- 7 : 2018/02/04(日) 15:58:24 :
- オフショア・コントロール
オフショア・コントロール(offshore control)とは、現在米国で研究が進んでいる対中戦略の一種です。
すでに中国は第一列島線、第二列島線によって地理的に区切られた防衛圏を形成する構想を明らかにしており、近年の中国の海洋進出はこのような構想を実現するための活動と考えられています。
この中国の戦略に対抗するため、米国では当初、海軍と空軍の協同連携によって中国の重層的な防衛線を潜入突破することを目指す戦略構想、エアシー・バトルの研究が始まりました。
しかし、予算見積の結果を受けて、エアシー・バトルは国防予算の制約上、実行可能性に乏しいことが批判されるようになりました。
結局2015年現在では抜本的に戦略の見直しが進められることになっており、そのエアシー・バトルの代替案として浮上したのがオフショア・コントロールです。
今回は、海上自衛隊幹部学校から出されている研究論文を紹介し、特に日本の立場からオフショア・バランスを考察した部分を中心に紹介します。
文献情報
平山茂敏「オフショア・コントロール戦略を論ずる―「戦争を終わらせるための戦略」と日本の選択」『海幹校戦略研究』2014年6月(4・1)6-26頁
(http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/4-1/4-1-2.pdf)
この論文は、米国のオフショア・バランスがどのような戦略であるのかを解明するために、この構想の提唱者である米国防大学のハメス(T. X. Hammes)の研究内容を調査しています。
その調査結果をまとめると、オフショア・コントロールとは中国と米国の限定戦争を想定した上で次のような構想が盛り込まれています。
(1)中国の沿岸から第一列島線までの海域に潜水艦部隊等を進出させ、中国海軍がその海域で海上優勢を確立することを拒否する。
(2)中国の第一列島線上に位置する海域または空域を防衛する。
(3)第一列島線から外側の海域または空域に対する支配を強化し、特に中国の船舶に対してはチョークポイントを封鎖する。
チョークポイントの封鎖はいわば中国の軍艦、商船の両方を海上交通路から排除するという海洋戦略であり、米中の対立が長期化する可能性を考慮したものです。
また著者はこのオフショア・コントロールに対して中国がとりうる可能行動について検討し、次のような対抗戦略がありうると論じていることを紹介しています。
(1)米国の同盟国、特に韓国、日本、オーストラリアにある米軍基地の使用を妨害し、オフショア・バランスの実行に必要な同盟国の協力を阻止する。
(2)米国の同盟国を直接攻撃することで米国との戦争に巻き込まれる恐怖を与え、同盟国を個別に米国の陣営から離脱させる。
(3)米国の同盟国に対する中国の海上封鎖により、特に韓国全域と西日本に対する海上交通路に対して脅威を及ぼす。
(4)直接の戦闘を回避しながらも、世界規模で通商破壊を実施する。
(5)米国と同盟国周辺への機雷敷設
(6)無人機攻撃
(7)宇宙空間およびサイバー空間での攻撃
(8)金融上の攻撃
このように著者はオフショア・コントロールという戦略の全体像とそれに対して予想される中国の反応を整理した上で、これが日本の安全保障にとって直接的に関係することを強調しています。
「日本は米国と日米安保条約で結ばれた同盟国であり、地理的には米中がせめぎ合う第1列島線上に長大に横たわっていることから、オフショア・コントロール戦略の影響を避けることは出来ない」(同上、19)
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- 8 : 2018/02/04(日) 16:00:30 :
- 続
そこで著者は四種類の日本の戦略を比較検討を行っています。
第一の選択肢はオフショア・コントロールへの全面参加であり、「日本が米国と肩を並べて戦い、オフショア・コントロールの一翼を担う」ということが予定されています(同上、20頁)。
第二の選択肢は部分参加であり、「米国支持の姿勢を明らかにするが、中国が日本又は在日米軍基地への攻撃を行わない場合は、防衛出動を命じることができないため、直接的な戦闘活動以
外での支援を行う」という戦略です(同上)。
第三の選択肢は少し分かりにくい表現ですが「部分的不参加」と区分されており、「米中いずれに対する支持も表明しない。紛争に際しての中立性を主張し、紛争に直接参加する米軍部隊による在日米軍の基地使用は拒否し、紛争に参加する米軍機に限り領空通過も拒否する」という戦略構想となります(同上21頁)。
第四の選択肢は全面不参加であり、「米中いずれの支持も表明しないが、在日米軍基地の使用は拒否し、全ての米軍機の領空通過を拒否する等、実質的には中国寄りの行動を取る」と説明されています(同上21頁)。
日本が米国の味方という立場でオフショア・コントロールに参加すれば(第一、第二の選択肢)、それは中国との敵対を意味するため、沖縄の基地は中国の弾道ミサイルの攻撃目標となるだけでなく、中国に対する経済的封鎖に参加する場合には対中貿易の停止という形で日本経済に影響があると予想されます。
この事態を避けるために、より中国寄りの立場で中立(第三、第四の選択肢)を選択すると、それは事実上の「中国側参戦」と米国に見なされ、中国に対する経済的封鎖の一環として中国に寄港する日本の船舶も監視または拿捕の対象となる、と著者は指摘しています(同上23頁)。
著者は極端な第一と第四の選択肢は非現実的であり、実行可能性があるのは第二、第三の選択肢だと判断しています。
というのも、第一の戦略案を採用する場合、中国が在日米軍基地に攻撃を行うことが前提となるので、中国にとって最も不利な状況を意図的に進んで行うことがないと想定する限りにおいては、非現実的な案と言えます。
また第四の案は日本が完全に米国の陣営から離脱する戦略であり、それは日本にとってほとんど利点がないので、そもそも戦略としての適否を検討するに値しません。
そこで、第二と第三の戦略が問題となりますが、著者は相対的に見て第二の選択肢のほうが日本にとっては有利ではないかと結論付けています。
「現実的選択は部分的参加か、部分的不参加に限られるが、自主的に対中貿易を中断する部分的参加が、強制的に中断させられる部分的不参加よりも、グローバル経済へのアクセスが保証されることから日本にとっては望ましい」(同上24頁)
いわば、このオフショア・コントロールという米国の戦略を踏まえ、日本として選択すべき戦略は、世界経済との接続を分断される事態を回避するため、進んで対中貿易を中断する処置が必要となるということです。
この研究論文の成果として、米国がオフショア・コントロールという戦略を採用した場合、日本が最も妥当な戦略を選択しようとすると、中国の経済的封鎖の必要から日中貿易を全面的に停止する必要が出てくること、しかもそれは長期化する可能性があることを明らかにしたことでしょう。
全体としてみれば横ばいの状況であり、日本の輸出入全体に占める中国の割合は小さくありません。参考として2014年の米国との貿易規模を挙げると、日本の輸出総額は1294億4100万ドル、輸入総額は717億5100万ドルです(同上)。
このことは、オフショア・コントロールが米国の戦略として採用されたならば、日本の対中貿易は経済的リスクを抱えることを示唆しています。
まとめると、日米同盟を強化して中国を封じ込めつつ、日中貿易を拡大することは、オフショア・コントロールという米国の戦略の下で両立しえません。
日中貿易の停止はオフショア・コントロールに欠かすことができない要素であり、もし米中の対決が決定的なものとなれば、日本が中立の立場で中国との貿易を継続すれば、それは米国への敵対行為と見なされるものと考える必要があります。
無論、まだ米国がオフショア・コントロールという戦略を明示的に採用したと決まったわけではありません。しかし、それはありうるシナリオの一つであるということを理解しておくことが日本にとって必要でしょう。
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- 9 : 2018/02/04(日) 16:13:34 :
- 国家の「中核地域」をいかに考えるべきか
政治地理学の研究者たちは国家の中でも政治的、経済的な中枢として機能する地域があり、それを「中核地域(core area)」と呼んできました。
中核地域の特徴として挙げられるのは高い人口密度、多くの天然資源、充実した交通手段、高度な資本集積などです。
これらの特徴から中核地域は純粋に地理学の観点から重要であるだけでなく、戦争において最重要の攻撃目標としての価値があると判断されます。
学説1 中核地域とは国家の歴史的起源である
地理学者のパウンズとボールは国家の中核地域について歴史的な観点から考えなければならないという立場をとっていました。中核地域は形成されてから間もない国家が最初に領有している領域のことに他なりません。例えばフランスの歴史でいえばパリが中核地域となり、イギリスの歴史でいえばロンドンが中核地域を構成するということになります(Pounds and Ball 1964)。
中核地域はその国家がその後にどれだけ拡張可能であるかを強く規定していると主張しています。例えば、もしその国家が初期に保有する中核地域の生産力が他の国家のそれよりも優れており、そのために余剰生産物をより多く供給することができるとすれば、それだけその国家は軍備をより素早く整備し、自国を防衛し、さらには他国を征服しやすくなると考えられます(Ibid.)。
つまり、その国家が大国へと飛躍するか、中小国のままで終わるかは最初にその国家が有する核心地域の優劣によって大部分が決定されてしまうと考えられるのです。
学説2 中核地域は国家の歴史的起源とは限らない
しかし、パウンズらの議論を批判的に考えると、中核地域が自然環境によって制約される度合いを過大評価している可能性があるようにも思われます。
ヘクターなどの研究者は、パウンズらの議論を受けて、スペイン、ポルトガル、フランス、イギリスの中核地域に関する調査研究を実施しており、それらの中核地域では強力な統治機構が整備されているという共通した特徴があることを明らかにしました。
それは都市部に居住する商人と農村部に居住する地主の間の利害関係を調整し、均衡させるための組織でした。ヘクターらは中核地域が形成されるためには自然環境だけが重要なのでなく、複雑な利害関係を処理して都市と農村の共存を可能にする統治能力の優劣もまた必要であることを指摘したのです(Hechter and Brustein 1980)。
学説3 中核地域の定義は一通りではない
中核地域を巡る議論が展開される中で、地理学者ブルクハルトは中核地域が明確に定義された概念ではなく、少なくとも三通りの意味に整理することができるということを論じました(Burghart 1969)。
・領域の拡大がその周囲に近代的な領域国家を形成する胚域としての「中心的中核地域」。
・領域拡大に失敗した胚域としての「起源的中核地域」。
・ある国家が現在において政治的、経済的に最も重要な領域としての「現代的中核地域」。
一つの国家にも複数の中核地域、それも機能や重要性がそれぞれ異なる中核地域があってもおかしくありません。いわば、その国家の形態によって中核地域の成り立ちや政治的、経済的、軍事的機能も変化してしかるべきです。
また、これまでの中核地域の分析は西欧の国家の事例が中心に展開されており、非西欧の事例に適用可能かどうかが不明確であるという問題がありました。
結論、安全保障における中核地域の問題
こうした中核地域の議論を振り返ってみると、それは国家の成り立ちやその形態によって複数の中核地域があり得ると考えるべきだと分かりました。しかし、安全保障の観点からこれをどのように理会すべきなのでしょうか。少なくとも次の二つのことが言えます。
まず、我が方にとって中核地域はその国家の有する国力の源泉であり、それは国家の安全保障において重点的に防衛すべき戦略陣地を形成しています。
首都はもちろんですが、首都以外の中核地域についても陸海空各戦力を継続的に配備するだけでなく、中核地域を結ぶ交通・輸送手段についても特別な軍事的注意を払う必要があります。
次に敵にとって中核地域を攻撃されることは国力を最も効率的に破壊されることです。したがって、特に長期的な武力紛争が予想される場合には早期からこれらを戦略上の目標に設定し、効果的な攻撃を加えるか、中核地域としての機能を奪うように孤立化させなければなりません。
中核地域の概念は単に政治地理学の研究で重要なだけでなく、このような軍事地理学の分析でも援用することが可能であり、例えば核戦略のような領域では対都市攻撃の計画で、核弾頭の配分問題を考える際に中核地域の分析を活用することができます。
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- 10 : 2018/02/04(日) 16:17:48 :
- ハートランドの支配ではなく、リムランドの支配を重視せよ
国際関係、特に安全保障を研究する人間にとって、地理は常に重要な研究対象とされてきました。その国家が世界においてどのような地理的位置に存在するのか、どのような形状、形態の国土を持っているのかによって、その国家が選択すべき政策は大きく変わってくるためです。
さまざまな研究者がこの問題に取り組んできましたが、特に米国の政治学者ニコラス・スパイクマン(Nicholas J. Spykman)は、地理が国際政治に与える影響を体系的に分析した功績で知られています。
今回は、彼の著作『平和の地政学』を取り上げ、どのような内容だったのかを一部紹介したいと思います。
マッキンダーの地政学の理論で示された地域区分では、世界が3個の地域に区分されている。
ユーラシア大陸の中心にある枢軸地域(pivot area)またはハートランド、その周辺にある内側三日月地域(inner crescent)、さらにその外方にある外側三日月地域(outer crescent)とそれぞれ名付けられているが、スパイクマンはいくつかの名称を修正しながら使用している。
この研究では、国際情勢を分析する目的で、最大の大陸であるユーラシア大陸に着目した上で、世界を3個の地域に区分できると想定しています。
第一の地域はハートランド(heartland)であり、これは外洋の海上交通から地理的に隔絶されたユーラシア大陸の内陸部をいいます。第二の地域はリムランド(rimland)であり、これはハートランドに隣接して位置するユーラシア大陸の沿岸地域をいいます。第三の地域はオフショア(off-shore)であり、これはユーラシア大陸と海で切り離された島嶼や沖合の大陸のことをいいます。
こうした区分の仕方は著者の独創ではなく、マッキンダーの過去の研究成果を踏まえたものとなっています。
興味深い点は、マッキンダーが国際政治で優位に立つために重要なのは、ハートランドの支配に他ならないと主張したのに対して、著者はそうではないと批判したことです。著者はマッキンダーの学説を次のように紹介しています。
「マッキンダーは、「ユーラシア大陸における政治面でのおおまかな動きは、ハートランドから外に向かおうとする遊牧民がリムランドに対してかける圧力によって説明できる」と主張している。ロシア帝国は海へのアクセスを求めたが、19世紀にはユーラシア大陸周辺の沿岸に勢力をくまなく拡大していたイギリスのシーパワーにその進路を妨害されている。イギリスの帝国的なポジションは、ユーラシア大陸を海洋側から周辺の海の公道に沿って圧倒的な海軍力を維持して維持することによって成り立っていたのだ。このポジションを脅かす唯一の脅威はユーラシア大陸の沿岸部に競争相手となる新たなシーパワーが登場することや、ロシアのランドパワーが沿岸部に到達することであった」(邦訳、スパイクマン『平和の地政学』100頁)
マッキンダーは19世紀にハートランドを支配し、ランドパワーとして勢力圏を拡大していたロシアが、シーパワーのイギリスの抵抗を受けた事例を示し、これがランドパワーとシーパワーの対立という歴史的パターンに従っていると考えていました。
確かに、19世紀の歴史を振り返ると、ロシアは中東、中央アジア、東アジアにわたって広範囲に勢力圏を南下させる政策を採用しており、それが1853年に勃発したクリミア戦争の遠因にもなっていました。
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- 11 : 2018/02/04(日) 16:18:41 :
- 続
マッキンダーは間違えたのか
マッキンダーはランドパワーとシーパワーの対立を一つのモデルとして考えたが、スパイクマンはそのような対立は純粋な形で起きたことがなく、リムランド国家の行動がより重要であると指摘した。第一次世界大戦でイギリスがフランス、ロシアと同盟を結び、ドイツ、オーストリアと戦ったことは、ランドパワーとシーパワーの対立という単純な構図で説明できないと指摘されている。
しかし、著者はマッキンダーがランドパワーとシーパワーの対立というパターンにこだわった結果、いくつかの事実を無視しているのではないかと指摘しています。
「マッキンダーは自分の理論を強く確信しており、すべてのヨーロッパの本質は1919年に主張した「ランドパワー対シーパワーの戦い」というパターンに従うはずで、しかもロシアが最終的に打ち倒されるまでこの戦いの本当の姿は見えてこない、と主張している。つまり、当時のイギリスのシーパワーはハートランドを支配するランドパワーに対して戦っている、と考えていたのだ。しかしこの解釈に従うと、フランスがランドパワーとして果たした役割を説明できないし、ロシアが東部戦線で3年間も耐えたという事実を無視しているようで無理がある」(同上、100-101頁)
マッキンダーの研究が最初に発表されたのは、英露協商が締結される前の1907年のことであり、その研究は当時の時代背景が影響している部分が少なくありませんでした。
著者はマッキンダーの分析の枠組みを参照しながらも、より多くの歴史的事例を取り入れた定式化をやり直す必要があると考え、純粋な意味でのランドパワーとシーパワーの対立という地政学的モデルから離れるべきだと主張しています。
「要するに、今までの歴史の中では、純粋な「ランドパワーとシーパワーの対立」は発生していない。戦いの組み合わせを歴史的に見れば、「リムランドの数カ国とイギリスの同盟国」が、「リムランドの数カ国とロシアの同盟国」に対抗したり、イギリスとロシアが支配的なリムランド国家に対抗するという構図があった。したがって、マッキンダーの格言である「東欧を支配するものはハートランドを制し、ハートランド支配するものは世界島を制し、世界島を支配するものは世界を制す」というのは間違いである。もし級世界のパワー・ポリティクスのスローガンがあるとすれば、それは「リムランドを支配するものがユーラシアを制し、ユーラシアを支配するものが世界の運命を制す」でなければならない」(101頁)
これはマッキンダーの研究に対する重要な批判でした。ハートランドに位置するランドパワーと、オフショアに位置するシーパワーの中間に位置しながら、どちらの勢力にも従属せず、独特な振る舞い方をする可能性があることが示されているためです。
そもそも、リムランドに位置する国家は大国として勢力を拡大するために必要な人的、物的資源に恵まれている場合が少なくありません。
もしリムランドに現状打破を意図する国家が出現すれば、それはハートランド、オフショアのいずれの方向に対しても自在に勢力圏を広げることが可能であるため、ランドパワーとシーパワーと随時同盟関係を切り替えておけば、さまざまな正面に勢力を指向することが政策的に可能となるのです。
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- 12 : 2018/02/04(日) 16:18:48 :
- 続
日米関係の焦点は極東のリムランドだった
1922年、ワシントン会議は史上初の軍縮会議として知られており、米国の主催の下で日英仏伊等9か国が参加した。
この会議の結果、日本は主力艦の保有量については対米7割の水準を受け入れることになり、海上兵力の整備で外交的制約を受けることになった。
ランドパワーとシーパワーの対立というマッキンダーの分析を批判し、リムランドの重要性を認識することによって、著者は第一次世界大戦以降の日本の政策とそれに対する米国の政策をより適切に理解できるようになると考えました。
著者は第一次世界大戦後の米国と日本の対立について次のように説明しています。
「日本は1915年に中国に対して二十一カ条の要求を突き付けることによって、その動きを開始した。その後の1918年には、同盟国と共にシベリア出兵を行っており、自国の利益を強く主張している。もしこの時に反発する勢力がなければ、日本はこの紛争でアジアのリムランドを完全支配していたかもしれない。
1921年から22年にかけて行われたワシントン会議では、日本の極端な二十一カ条の要求が部分的にしりぞけられ、同時にシベリアと山東半島からの撤退も実現した。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約よりもワシントン会議での諸条約に注目してみると、我々はこの会議の権力闘争で勝利を収めることができたおかげで、敵を比較的に狭い地域に押し込めることができたのだ。しかしそれでも彼らがリムランドの支配と広大な潜在力を求める拡大政策を再開させるまで長くはかからなかった。第二次世界大戦はこの政策が継続していたことを証明しており、日本は1931年、そしてドイツは1936年から、積極的にその活動を再開しているのだ」(同上、102頁)
ここで述べられている二十一カ条の要求とは、第一次世界大戦でヨーロッパ諸国が中国問題に介入できる国力がないことを利用し、日本が中国の袁世凱政府に承認させた要求のことです。
山東省にあったドイツ権益を日本が継承することや、南満州、東部内蒙古の日本の利権を強化すること等がその具体的内容として含まれていました。
その後、日本は獲得した中国の権益を他の列強に事後的に承認させるため、ロシアや英国、米国との外交交渉をまとめています。第一次世界大戦の最中にロシア革命が起こると、日本は社会主義を敵視する米国等の列強とも連携してシベリアに軍隊を派遣しました(シベリア出兵)。
著者はこうした日本の行動と米国の対抗措置は、朝鮮半島をはじめとするリムランドの支配を政治的に重要視したものであり、1921年に行われたワシントン会議は海軍軍縮と極東問題を審議するための交渉であったというよりも、本質的にリムランドに対する日本の勢力を抑制することを狙ったものだったと説明しています。
その成果によって米国は(少なくとも1931年の満州事変までは)日本の勢力圏の拡大を抑え込むことが可能となったのです。
むすびにかえて
地図上で国際政治を研究する人にとって、地政学は何か特殊な学問体系というよりも、日常的に参照する分析ツールのようなものと言えます。原理は単純なのですが、さまざまな事例や状況に当てはめることで、その概念が持つ意味をより深く理解することができるようになるのです。
スパイクマンの研究はハートランド、リムランド、オフショアという三つの地域に世界を区分することによって、世界情勢の動向をより体系的に説明することが可能になることを示唆しており、特にリムランド国家の動向が国際政治を研究する上で大きな意味を持つという洞察を示しています。
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- 13 : 2018/02/04(日) 16:24:41 :
- 軍事地理学 ①
国家は領域(territory)、人民(people)、主権(sovereignty)の3つの要素から構成されると言われています。地理はその国家の特徴を規定する最も重要な要因の一つと述べても過言ではありません。しかし、具体的にどのような視点から国土の地理的特徴を考えればよいのでしょうか。
今回は、軍事地理学の観点から、国家の政策に与える影響を理解する上で、立地、面積、形態という三つの視点が重要であることを紹介したいと思います。
その国家はどこに立地しているか
ロシアは世界最長の海岸線を持っているものの、その大部分が北極海に面している。海上交通を拡張する際に、さまざまな制約がある立地であり、領土や勢力圏を拡張しやすい正面は、陸続きとなっている東ヨーロッパ、南コーカサス、中央アジア、東アジアが挙げられる。
国家の発展にとって立地は極めて重要な問題であり、特に海上交通を発展させる余地がどれほどあるかによって、その経済力、軍事力の拡張可能性にも大きな差が生じてきます。
海洋は陸地を分割する天然の障害であり、陸上交通を制約しますが、同時に海上交通を促進するという二面性があります。つまり、沿岸部を起点にすることで、さまざまな地域に海上交通を展開することが可能となるのです。
この問題について研究者のコリンは次のように述べています。
「いかなる海洋にも接近できない国家は、全世界に対して軍事力を投射することはできなかった。1848年から大西洋と太平洋、そして全ての大陸に向かって開放され、また保護されていた不凍港を持つ米国は、一地域から別の地域に素早く軍事力を展開することが可能であった。世界の列強でこれだけの行動の自由を享受した勢力は存在しない。大西洋、太平洋、北極海に面するロシアは、世界最長の沿岸を持っているが、その艦隊は外洋に進出するのに不便であり、毎年の冬季には港湾が雪で閉ざされるため、艦隊がそこに閉じ込められてしまう。例外は黒海にある基地と、メキシコ湾流が極寒の海水を温めるノルウェー北端付近の基地だけである」(Collins 1998: 11)
どれだけの面積を支配しているのか
アメリカは962万平方キロメートルを領有する国家であり、これは全世界で比較するとロシア、カナダに次いで三番目の国土面積であり、中国の領土とほとんど匹敵する広大さである。ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴなどの大規模都市を国内に複数保持している。
国土面積から国家を大国家、中国家、小国家に分類する学説もありますが(国松 1957: 238-40)、国土面積が直接的にその国家の政治的地位を決定するわけではありません。オランダやイギリスのように、小国家であっても全世界に勢力圏を広げた事例もあります。とはいえ、軍事地理学の視点から考えると、国土面積が特定の軍事作戦の成否に影響するということは十分ありえることです。
「陸上、海上において防御者は縦横に機動が可能なだけの空間をより好むものである。必要があれば、再編成、増援、再展開を行うための時間的猶予を獲得するために空間を敵に差し出すこともある。これは補給路が伸びきった敵の侵攻が限界に達した際に、攻勢に出るためのものである。小さなルクセンブルクはひどいイタチごっこを演じてきたが、帝政ロシアはナポレオンの侵攻を弱体化させるために縦深防御を活用した。モスクワは1812年に占領され、焼き払われたが、冬の訪れると取り戻された」(Collins 1998: 17)
また、政治学者のモーゲンソーは核兵器が登場したことで、国土面積の優位がますます重要な意味を持つようになっていることを次のように指摘しています。
「国力のひとつの源泉としての領土の規模の重要性は核戦争の可能性によって高められている。核保有国は、敵国に対する核の脅威を確実なものにするために、その核施設ばかりでなく工業中心地や人口集中値を分散するに十分な広がりを持つことのできる領土を必要としている。各破壊力が広大な範囲に及ぶのに、自国が比較的小規模の領土しか持っていないということによって、イギリスやフランスのような伝統的な国民国家は、核の脅威を信憑性あるものにする能力において、極めて不利な条件を持つことになる。アメリカ、ソ連、中国のような国家が主要な核大国の役割を果たすことができるのは、まさに準大陸的規模の領土を持っているからである」(邦訳、モーゲンソー『国際政治』122頁)
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- 14 : 2018/02/04(日) 16:24:56 :
- 続
国土が狭ければ、それだけ兵力を集中しやすいと言えますが、その反面で後退行動により時間的猶予を獲得することもできませんし、核攻撃に対する脆弱性も増してしまう場合があるということです。こうした特徴を理解しておけば、大国家、小国家のいずれにもそれぞれ利害があるということが分かります。
細長く、不連続な国土は軍事的に不利である
日本の領土は南北に伸長しているだけでなく、複数の陸地によって領土が分裂しているため、少なくとも形態的には最も防衛が難しい形態であると言える。南北に兵力を移動させることが難しいだけでなく、鉄道、港湾、空港を攻撃するメリットが敵にとって大きいため、それらを保護することが防衛上重要となる。
国土の形態はさまざまな方法で分類することができますが、円形の国土が理想的であるという考え方が軍事地理学にはあります。その理由とは、国土の中心に部隊を配置しさえすれば、そこから理論上どの国境線上に対しても最小限の時間で部隊を展開できることにあります(Collins 1998: 18)。
例えば、研究者の服部は領土の形態を団塊形態と伸長形態に区分した上で、「団塊形態を領土の幾何学的中心からいずれの国境線へもおおむね等距離にあるようなものであるから、いずれの方向へも同一時間で国境への兵力移動を行うことができる」(服部『防衛学概論』220頁)と論じています。これはまさに円形に広がった国土が軍事上の利点を持つことを示唆する議論です。
しかし、それは理論上の議論であって、現実の国家の領域にそのような形態は見られません。現実的な国家の領域の形態を考えるためには、伸長形態(elongated shapes)、不連続形態(discontinuous shapes)、分裂形態(fragmented shapes)という3種類の特徴に注目すべきとコリンは論じています。
・伸長形態 イタリアやチリなどのように、領土が特定の方向に向かって細長く広がっている国土形態です。敵が侵攻する方向によっては大きく縦深を確保できるのですが、側面を取られて国土が容易に分断される恐れも大きく、さらに国土面積が小さくても、中央に配備した兵力を国境にまで移動させる際に時間を取られやすいという特徴があります。
・不連続形態 一つの陸地に領土があるものの、国土と国土の間に他国の国土があるため、飛地になる箇所がある国土の形態です。アラスカ州を領有するアメリカや、カリーニングラード州を領有するロシアのような国がこれに該当します。その国家が攻勢作戦を実施する場合、飛地を利用して兵力を二正面から前進させることもできますが、防衛の場合には飛地が孤立しやすいため、やはり防衛上不利な形態と言えます。
・分裂形態 日本やフィリピンなどのように、複数の陸地によって領土が構成されている形態のことです。著者はこの特徴として「分裂形態は主に日本やフィリピンのような島嶼国家に主に見られ、各個撃破されやすい。最も注目に値するのがインドネシアの事例であり、これは数千の島々によって構成されており、多数の無人島がそこに含まれている。それは東南アジアの沿岸およそ3000マイル(4825キロメートル)を構成しており、これは米国の大西洋岸と太平洋岸の距離に匹敵する。広く分割された土地においては協調された攻勢または防勢作戦を実施することが困難であり、ティモールのようないくつかの事例では、分離独立運動を助長した」と説明しています(Collins 1998: 24)。
むすびにかえて
これらの要素を総合的に検討すれば、理論上どのような国家の領土であっても、その軍事的な利点と欠点の両方を判断することが可能となります。また、そのような地理的特徴をどのような政策、戦略によってカバーしているのかを検討することもできます。
普段何気なく眺めている地図も、このような視点に基づいて詳細に読むことを心掛けると、さまざまな特徴を見出すことができるようになります。
例えば、日本の国土の立地、面積、形態を改めて考えてみると、東アジア地域の海上交通の要域に立地しており、また九州や北海道から前進してくる敵に対して縦深を確保することはできますが、太平洋の海上優勢を握られてしまうと、直ちに首都圏が危険に晒されるほどの国土面積しかありません。さらに南北に細長く伸長しており、また島国という特性上、領土における兵力の移動は海路や空路に依存せざるを得ず、全体として各個撃破されやすい形態である、ということが分かります。
ここで述べたことは、軍事地理学の初歩ではありますが、さまざまな時代、地域に成立した国家の地理的特徴を軍事的観点から研究する際の出発点となるものです。見慣れた地図でも、読む人の視点が変われば、新しい発見があるはずです。
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- 15 : 2018/02/04(日) 16:28:42 :
- バランシング
東アジアは世界でもトップクラスの規模の経済力、軍事力を持つ国家がひしめき合う特異な地域です。世界最大の軍事力、経済力を誇る米国を筆頭とし、それに政府統計上は世界第二位のGDPを記録し、陸海空軍の近代化を推進している中国が続き、さらにヨーロッパ情勢でも大きな影響力を持つロシアもいます。この東アジア地域には潜在的な紛争地域が広範に分布している点も特徴であり、朝鮮半島、台湾海峡、尖閣諸島、南シナ海の問題解決は容易なことではありません。
今回は、こうした東アジアの国際情勢を一から理解するために、その地理的要因の影響を検討し、この地域の政治的安定性を考察したロバート・ロスの有名な論文「平和の地理学:21世紀における東アジア」を取り上げ、その内容の一部を紹介してみたいと思います。
文献情報
Ross, Robert S. "The Geography of the Peace: East Asia in the Twenty-First Century," International Security. Vol. 23, No.4(Spring, 1999), 81-118.
東アジアの地域特性を考える意義
著者は1990年代の研究者の多くは東アジアの先行きについて悲観的な見通しを持っていたことを紹介しています。そもそも国際関係論にはリアリズムとリベラリズムの二つの理論的立場があるのですが、リベラリズムの立場に立つ研究者は、平和維持の基盤とされている自由民主主義(liberal democracies)、経済的相互依存(economic interdependence)、さらに多国間制度(multilateral institutions)のいずれもが欠けていることを懸念していました。
またリアリズムの立場に立つ研究者は、中国の台頭によって勢力の移行(power transition)が進み、地域秩序の再編成をめぐる対立が激化するという別の理由から、不安定化に向かう恐れが大きいと見ていたのです(Ross 1999: 81)。
著者は東アジアが不安定化する恐れがあるという判断それ自体には同意できるとしていますが、そもそもこれらの研究には東アジアに特有の地理が考慮されていないことが問題であったと次のように述べています。
「経済発展や技術水準、教育水準といった数多くの要因が大国の地位を支えているが、地理は大国としての地位の前提条件を有するかどうかを決定するものであり、どの国家が大国になれるのか、21世紀において東アジアが二極化に向かうのか、多極化に向かうのかを決定する」(Ibid.: 82)
また、この論文が発表された1999年の時点では、米国を中心とする一極構造が議論されていた時期でした(Ibid.: 83)。しかし、著者は世界の超大国としての地位を米国が獲得できたからといって、あらゆる地域で際限なく影響力を及ぼすことができるわけではないと批判しています。
著者によれば、世界全体が一極構造であったとしても、地域単位で見れば二極構造や多極構造が形成されることは十分にあり得る状況であり、現に東アジアでは米国と中国の二極構造が形成されてきていることが議論されています(Ibid.)。
大陸勢力と海洋勢力による勢力圏の二極化
東アジアにおける米国と中国の二極構造の特徴は、その勢力圏の分布の仕方にあります。中国は大陸をより大きく支配する勢力圏を構成していますが、米国はこれに対して海洋を支配する勢力圏を構成する傾向が見られます。著者は中国がこれまでにも大陸で地続きになっている諸国に対する影響力の拡大を重視してきたことを次のように説明しています。
「ポスト冷戦の東アジアにおける二極的な地域構造は、大陸を支配する中国と海洋を支配する米国によって特徴付けられている。北東アジアでの北朝鮮の立地は、中国の国境に接しており、また戦略的、経済的に孤立していることから北朝鮮の経済と安全保障は中国の覇権を必要としている。中露国境地帯においては、中国が通常戦力で優位に立っている。ロシア政府は兵士に十分な給与を与えることも、兵器産業に投資することも、また軍事施設を維持することもできておらず、ロシア軍の物的能力と士気は低下している。(中略)中国は東南アジア地域を支配下に置いている。ミャンマーは第二次世界大戦以来、中国の事実上の保護国である。1975年の東南アジアからの米軍の撤退によって中国の地域的な影響力は拡大され、タイは米国との関係強化から中国との関係強化に転換した。中国政府だけがソ連とベトナムの脅威からタイの安全保障を担うだけの信用があった」(Ibid.: 84)
(記述内容については1999年の論文からの引用である点に注意して下さい)
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- 16 : 2018/02/04(日) 16:29:31 :
- 続
著者は、中国が指導的地位を握る勢力圏は東アジアの大陸部のほぼ全体に及んでいると述べていますが、その例外が韓国だとして言及しています。朝鮮半島の南部を領有する韓国は、米国との軍事同盟を維持してはいますが、地理的に見れば中国の影響を受けやすい場所に位置している国家です。現に台頭する中国との関係に配慮する動向が韓国の政策には見られることも指摘されており、「1990年代中頃から中国政府と韓国政府は戦略的関係を強化している。両国は日本の軍事的能力に対して大きな懸念を共有している」と書き記しています(Ibid.: 85)。これは対日政策という観点で見ると、韓国と中国の地政学的な利害に一致する部分があることを示唆するものです。
このような中国の動向に対し、米国は東アジアの海洋部分を主に支配しようとしてきました。ただし、長期的に見ればその勢力圏は次第に後退しつつあります。1975年にタイから撤退し、1991年にはフィリピンから部隊を撤退させたことはその具体的事例です(Ibid.)。
とはいえ、依然として米国はシンガポール、マレーシア、インドネシア、ブルネイで基地施設を利用することを認める合意を取り付けており(Ibid.)、何よりも日本の基地に海上戦力、航空戦力を配備し続けることで、東アジア各地に対する戦力投射能力を確保することに成功しています(Ibid.: 86)。
この広範な戦力投射能力によって米国の東アジアにおける勢力圏を海上において保持することができています。
米国の勢力に対抗する中国のバランシング
こうした著者の議論で特に注目すべき主張としては、東アジアの地理的特徴が政治的安定を強化する方向で作用している、というものがあります。
すなわち、東アジアの勢力均衡として陸上勢力と海上勢力の二極構造のパターンを示していることは、多極構造のパターンを示す場合と比べて政治的に均衡しやすいだけでなく、相互に相手の勢力圏に対して軍事行動を起こすことが難しくなるため、紛争のリスクを軽減すると判断されているるのです。なぜこのような判断が導かれるのでしょうか。
論文で著者は「東アジアが安定化するかどうかは両国が相手の勢力圏に進入していく戦略的能力と野心にかかっている」と書き記しています(Ibid.: 92-3)。しかし、東アジアのように勢力圏の境界が海と陸で区分されている場合、海上を支配する米国の攻撃正面は陸上に向かい、陸上を支配する中国の攻撃正面は海上に向かうことになります。したがって、潜在的な攻撃者は既存の兵力に加えて、攻撃正面の地理的環境に適した装備体系や運用方法を新たに準備しなければならなくなってくるのです。このような地理上の影響が東アジアで現状打破を引き起こすことを難しくしていると著者は考えているのです。
中国はかつてのドイツやソ連と同じように現状打破を試みるだけの潜在的な国力を持っており、海洋権益を獲得しようと、海軍を強化してくる事態も考えられます(Ibid.: 94)。しかし、中国の海上戦力は米国に匹敵するものではありません(Ibid.: 96)。中国が自らの勢力圏を海上に広げようとしても、米国の勢力に対抗できるだけの能力がありません。それだけでなく、航空戦力の運用が海上戦争の勝敗を大きく左右する現代の安全保障環境において、中国は空軍でも米国に劣後しているという問題点を抱えているとも指摘されています。
「東アジアにおいて米国は絶対的観点、相対的観点のいずれから見ても、衰退している勢力ではない。米国は二極構造における大国であり、次の四半世紀にわたってその地位を維持するだろう。米国の海洋国家としての戦略的な縦深と離隔は、中国を含む沿岸諸国の海域と空域を支配し、また海軍と空軍が負うリスクを最小限にしたまま突破することを可能にする。これらの能力によって、米国は国際社会における資源を利用できる状態を確保しつつ、敵対する大国の海上戦力を無力化するだけでなく、さらには沖合における同盟国と資源に対して手出しできないようにさせることもできる。米国は次の四半世紀もそうした資源と能力を保持することになるだろう。米国が中国に疑念を持つのと同じように、中国が米国に疑念を抱くことは必然的なことである。米国は中国の領土的統一に対して挑戦することができる唯一の勢力である」(Ibid.)
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- 17 : 2018/02/04(日) 16:29:40 :
- 続
つまり、東アジアの状況は二極構造といっても、米国が中国に対して優位に立っている側面があるということになります。勢力均衡の考え方に基づけば、中国は米国の軍事的優位に対応するためにバランシング(balancing)をする必要があり、現に中国は市場経済への転換、技術移転の推進、特に海軍と空軍の技術革新によって国力の底上げを進めています(Ibid.: 97)。
とはいえ、このバランシングは直ちに勢力均衡の安定を損なうものではなく、むしろ地域の安定性を強化すると考えることもできます。東アジアの勢力圏が地理的に分離されている限り、二大勢力は互いに干渉せずにすむためです(Ibid.: 99)。
「平和的・協調的大国秩序」の主張
著者は、このような議論をしていたからといって、21世紀の東アジアの情勢を楽観視していたというわけではありません。弾道ミサイルのような装備の開発が進むと、従来よりも相手の勢力圏に対して打撃を与えることが技術的に容易となるため、攻撃者にとっての地理上の障壁が小さくなることが予測されたためです。
この論文の結論としては、そうした技術環境の変化を踏まえた上で、中国の軍事的拡張主義に対して米国が過剰に反応しないように提言されています。つまり、米中関係が軍拡競争に陥らないように努め、可能な限り友好関係を模索すべきとされており、論文では次のような議論が示されています。
「米国が地域の勢力均衡に対する貢献を維持し続けるであろうという保証も、中国がその野心を限定するであろうという保証も、また米中両政府が台湾の問題を平和的に管理できるという保証も存在しない。地理と二極構造の望ましい効果を別とすれば、戦域ミサイル防衛のような21世紀の武器体系は安全保障のジレンマ(security dilemma)を悪化させ、軍拡競争を引き起こし、二国間もしくは地域の緊張を高める可能性がある。ここから言える最善のことは、構造と地理によって東アジアは相対的に安定しており、平和的な秩序をこの地域において見通す上でより大きな自信と、大国間の協力を最大化するように努力する機会を政策決定者に与えてくれる、ということである」(Ibid.: 117-8)
このように著者は、米中関係の将来像としては「平和的で協調的な大国秩序」を目指すべきと論じています(Ibid.: 118)。この議論から導き出されるのは、中国に責任ある大国として振る舞うように求めるという政策です。しかし、このような著者の提言がどこまで妥当性を持っていたのかは、2016年現在の状況から見れば、議論の余地が残るところでしょう。
むすびにかえて
東アジアの地域情勢が二極構造のパターンをとり、中国と米国の勢力圏がそれぞれ地理上の障壁によって分離されていることは、勢力均衡の安定性を強化する要因となっていることは確かでしょう。これは東アジアの地域情勢を理解する上で重要な点です。しかし、地理上の障壁は絶対的な障害ではありません。また、長期的に見て米国が東アジアで軍事的優位性を維持し続けることができるかは予断を許さない状況があります。
東アジアに領土を有する日本としては、どのような地理的環境の下に国際情勢が展開しているのかを正しく理解することが重要となります。また、米国と中国の勢力圏が朝鮮半島、東シナ海、南シナ海でせめぎ合う中で、中国軍と米軍の勢力関係が今後どのように推移していくのかを見積ることも欠かせません。こうした要因を総合することによって、日本にどのような防衛力が必要なのかを判断することができるようになるためです。
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- 18 : 2018/02/04(日) 16:33:13 :
- 学説紹介 ラッツェルの政治地理学と空間運動(räumliche bewegung)
国家は成立すると同時に領土の占有を行い、そこに住む人々の生活を法令、課税などの方法で統制を加えます。
この地理的範囲は決して固定的なものではなく、時間の経過によって大きくなることもあれば、小さくなることもあります。
政治地理学の研究で国家の空間支配がどのように変化するかを考察することは重要な問題です。今回は地理学者ラッツェル(Friedrich Ratzel)がこの問題についてどのように考えていたのか、その見解に対して研究者からどのような批判が加えられたのかを簡単に紹介してみましょう。
国家とは空間運動を行う有機体である
ロシア(地図上部)と英領インド(地図下部)に挟まれた位置関係にあるアフガニスタンだが、ロシアが南に向かう空間運動を加え、それに対抗するイギリスと両国から圧力を加えられる位置関係にある。
(Ratzel 1897: 111)
ラッツェルは国家を有機体の一種として捉えるべきと主張したことで知られています。つまり、ラッツェルにとって国家は他の有機体と同じように増大し、成長し、移動する存在なのです。
この移動する国家という考え方から空間運動(räumliche bewegung)という概念が導かれているのですが、これは国家が空間的に支配を及ぼしている領土が拡大し、また縮小するプロセス全体のことを指しています。
ラッツェルはこの空間運動が歴史上、広く認められる事象であり、特に対抗となる国家は空間的拡大を志向することには法則性があると主張しました(Ratzel 1897: 154)。
さらにラッツェルは大国が空間運動を起こす際に選択する方向に地理的なパターンがあると考察し、自然障害が国境形成に与える影響にも規則性があるのではないかという議論を展開しています。
例えばラッツェルは河川のことを政治的方向線(politische richtungslinien)と呼んだのですが、これは河川が海上、内陸の両方を結ぶ重要な交通路であり、国家の歴史を振り返っても河川に沿って空間運動をとった事例が多く見られることが理由とされています(Ibid.: 529)。
また、ラッツェルは文献で地理的地平線(der geographische Horizont)という用語を使っているのですが(Ibid.: 159)、これは国家が空間運動で支配する地域の限界のことです。
平原のような地形であれば、地理的地平線は前に向かって推進しやすいのですが、山脈や沿岸に達すると推進力は弱まるため、山地は政治的に境界地帯となりやすい地域だと言えます(Ibid.)。
強い批判を受けたラッツェルの学説
ウィットフォーゲルはナチス・ドイツから米国に移り住んだ歴史学者であり、中国の研究で知られている。彼が提唱した征服王朝という概念は中国史における周辺民族の位置付けを見直すことに寄与した。政治地理学では環境決定論に反対したことでも知られている。
ラッツェルは各国がそれぞれ空間運動を展開し、それらが相互に干渉し合う地域で政治的境界が発生してくると考えました。
このラッツェルの観点から地図を眺めると、無数にある国境がいずれも各国の空間運動がぶつかり合った結果として形成されたものとして分析することができるようになります。
ただ、このラッツェルの見方は行き過ぎた環境決定論ではないかという疑問が出されることになりました。
有機体として国家を位置付け、その空間運動に一貫した法則性を見出そうとしたラッツェルの姿勢は、地理が政治に及ぼす影響をあまりにも直接的に関連付けているのではないかと疑問を持たれたのです。
ドイツ出身の歴史学者のウィットフォーゲル(Karl August Wittfogel)はラッツェルの学説が行き過ぎた決定論と見なして特に強く批判したことで知られています。
こうした批判が出たことで、法則性を強調する環境決定論から距離を置いた環境可能論と呼ばれる立場が登場しました。
これは自然環境が人間社会のあり方を一方的に規定するのではなく、あくまでも可能性を与えているに過ぎないという立場に基づく説であり、フランスの地理学者として有名なブラーシュ(Paul Vidal de la Blache)もこの潮流に属しています。
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- 19 : 2018/02/04(日) 16:33:21 :
- 続
むすびにかえて
現代の研究ではラッツェルが空間運動の法則を文字通りの「法則」として分析するよりも、彼の思想の一部として分析することの方が一般的になっていると言えるでしょう。
しかし、政治地理学でラッツェルの業績が完全に忘れ去られたわけではありません。
少なくとも、政治地理学の学説史においてラッツェルが残した著作は古典的な地位を占めていると言えるでしょう。
アフガニスタンや朝鮮半島など、歴史の中で何度も戦争が繰り返される地域がある地理的理由を考える上で、ラッツェルの分析には参考になるところが多いと思います。
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