このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。
この作品はオリジナルキャラクターを含みます。
この作品は執筆を終了しています。
波の花
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- 1 : 2016/08/30(火) 18:05:16 :
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初投稿作品です。
いろいろ拙い部分も多いかもしれませんが、至らない部分はアドバイスなどを頂けると幸いです。
少しだけ性的な描写を含んでいますのでそういったものが苦手な方はオススメできません。少しくらいなら大丈夫という人であれば、セーフかなと思います。
コメントは大歓迎です。お気軽にお願いします!
では、お付き合いください。
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- 3 : 2016/08/30(火) 18:08:48 :
眼下に広がる冬の日本海は暗く荒々しい波が押し寄せ、岩にぶつかっては砕けて波の花が風にころがる。
小さな岬の突端に置かれた小さな石組みの前で汐見勇治 は静かに佇んでいた。
身を切るような潮風の冷たさが彼の心細さをより一層深いものにするような気がして、胸を締め付けられるような思いにかられる。
彼女──橘帆波 が行方知れずになってもう10年。まだ15だった彼も今年で25になった。
15の夏に彼女がいなくなってから、現実から目を背けるように勉強して学生時代を過ごし、それなりの企業に就職した。
それで何かが変わったかと言われれば、何も変わってなどいないだろう。今でも波の花を見るのが好きだった彼女を死なせてしまったと言う自責の念から抜け出せずにいるのだから。
いっそここから身を投げられればどれほど楽だろうか。だが、そんな事が勇治に許されるはずもない。
あの日彼女を殺した勇治に、この科から逃げる権利などないのだから。
彼女は勇治の元に塩の入った小さな巾着だけを残していった。
塩は古来より死を呼ぶとされている。そんな話を帆波から聞いた事がある。それでなんとなく、彼女が死に際に残したこれは彼女の最後の呪いのような気がして、彼女が罰を与えてくれるような気がして手放せずにいた。
「こんな事で許されるはずないのにな……」
勇治が自嘲気味につぶやいていると、ふと背後から人が歩いてくる音が聞こえる。
振り返るとそこにはひとりの女性の姿があった。長い黒髪の、年は勇治と同じくらいだろうか。すらりとしたモデルのような女性だが、顔立ちは美しいというよりどちらかといえば可愛らしいといった方が似つかわしい。
彼女は勇治を見つけるとゆっくりと歩み寄り、物珍しげに眺めながら口を開く。
「こんなところに人が来るなんて珍しいですね。観光ですか?」
「あーいや……ちょっと波の花を眺めに」
彼女の問いかけに勇治は少し悩んだ末に海を指差す。
「そうなんですか。私も好きなんです波の花」
「……へ?」
彼女の言葉に素っ頓狂な声が漏れる。なんだか一瞬彼女が帆波に見えた。当然気のせいであろうが、波の花が好きだった帆波を連想させるには十分だった。
だが、帆波は勇治のせいで死んだのだ。こんなところで成長して生きているはずもない。
「どうかしました?」
「いや。なんでも。ちょっと昔の事を思い出しただけです」
自らの思考を誤魔化すように告げる。そう。帆波は死んだ。もうこの世にはいない人なのだ。いくら未練がましくとも他人にまで重ねたところで彼女が帰ってくるわけでもない。そんな風に強引に思考を引き剥がす。
「昔のこと、か……」
そんな風に遠くの海を見つめる彼女の表情はひどく悲しげで、寂しそうに見えた。
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- 4 : 2016/08/30(火) 18:09:51 :
「何かあったんですか?」
ふと先ほど彼女がしたような質問が口を突いて出る。あまり詮索することでもないだろうに、何故か聞かなければならない気がした。
「私記憶がないんです。だから昔の思い出ってなんだか羨ましいなって」
そう言って彼女ははかなげに笑う。
ふたりの頬をなでる冷たい潮風の香りがどこか懐かしく、寂しげで、遠いあの日に置き去りにしてきた大切なものをより遠くに連れていってしまうようなそんな気がした。
だが、彼女にはその懐かしむ記憶がないことを思えば、その物悲しいほどの寂寥は勇治に計り知ることなど到底できようもない。
彼女の心の隙間には冷ややかな波風は酷く沁みることだろう。
「やっぱり寂しいですか?」
どんよりとした雲り空が彼女の心に影を落としてしまう前に。少しでも理解を示してあげられたならそんな風に考えていた。
それが帆波に似ているからなのか、自分と同じように過去から時が止まったままだからなのかはわからない。
ただどちらだとしても、それは結局勇治が彼自身を慰める為だとわかっているから、あまりに歪で、醜い己の姿が嫌になりそうになる。
「初対面の私なんかのこと気にしてくれるんですか?優しいんですね」
違う。
「そんなんじゃないですよ」
優しいんじゃない。ただ自分が救われたいだけだ。
形は違えど自分と同じように過去から時が止まってしまった人を見つけて安心しているだけ。そして帆波に似ている彼女を心配するような素振りを見せて、自分は罪を償っているんだと納得したいだけだ。
そんな思いだけが積もっていく。
「そんなことないです。多分あなたは優しすぎるほどに優しい……ような気がします」
だがそれでも彼女はやめようとしない。
「気がするって……俺はそんな上等な人間なんかじゃない。ただ……自分が可愛いだけの人間だ」
彼女の言葉は暖かく、安らかで、きっと彼女のような人を優しいというのではないだろうか。
だがその優しさが今の勇治には深々と突き刺さる針のように感じられる。
「初対面の私がこんなこと言うのはきっと変ですよね。でもなんだかわかる気がするんです」
「やめてくれ!!!俺は……俺は……ただの浅ましい腰抜けだ……!」
思わず勇治が叫ぶ。すると彼女は悲しそうな顔をする。そしてそれをかなりぎこちない笑顔に変える。
「ごめんなさい。私無神経でしたね……あなたとはまだ会ったばかりなのに」
いや、違う。そうじゃない。そう言いたかった。
彼女は悪くない。悪いのは自分の方だ。そう伝えたかった。だが、さっきの言葉の後にどう口にすればいいのか勇治にはわからない。
「急に大声あげてごめんなさい……俺かえりますね」
勇治はただ何を口にしていいかわからず、うつむ気加減に告げて足早に逃げ出そうとする。
あの時と何も変わっていない。また逃げ出すのだ。何度後悔したかもわからないのに結局、汐見勇治という人間の根底の卑しさは変わらない。
遠く離れ、互いの姿が小さくなる。そんな時勇治の背後に叫ぶような声がかけられる。
「私毎日ここにきてますから!!!」
ところどころ波が岩肌にはじける音で聞き取りづらかったが、勇治の耳には届いていた。
だがもう一度彼女と顔を合わせられるのか、勇治にはその自信がない。だから返事もせずに車に乗り込んで逃げるように走り出した。
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- 5 : 2016/08/30(火) 18:12:07 :
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次の日、勇治が自宅で目を覚ますと窓に大きな雨粒が強い風とともに吹き付けていた。
ガタガタと音を立てる窓枠から外を眺めると、かなりの風と雨なようで、休みのせいもあってか外を歩く人影は少ない。
とりあえずテレビを点けてみると、お天気キャスターが珍しく冬の台風の進路予測を報じている。
『本日明け方頃から、明後日の夜にかけては強い風と雨が予想されます。海や河川などに注意してお過ごしください』
「あちゃー本格化は明日って……仕事どうすんだよ……あ……」
ニュースキャスターの言葉を聞いて思い出す。昨日の彼女とのやり取り。最後に告げた言葉を。
──わたし毎日ここにきてますから
そんなはずはない。いくら何でもこんな大雨で風の強い日にあんな場所にいるわけがない。
馬鹿馬鹿しい。そんなわけがないのに、なんだか彼女がいたらと思うと喉に魚の骨が引っかかったような気持ち悪さを感じてしまう。
「んなアホなことがあるか。もっかい寝よ」
そう言って再び布団に横になって目を閉じる。
しかし、結局妙な引っ掛かりが取れることもなく気になって眠って忘れようにも眠れない。胸の中に何かが吹き溜まって、淀んでいる様な感覚が勇治を妙な苛立ちに駆り立てる。
「ああ!!くそっ!!」
勇治は布団から飛び起きて身支度を始め、何かに追われているかのように、慌てて家を飛び出すのだった。
外に出ると大粒の雨が勇治に降りかかる。傘をさしても、強い風のせいでうまく雨を凌げない。
ただ車を取りに行くだけで完全に濡れ鼠といった様相だ。
「何してんだ俺……」
本当に自分が何をしたいのか、この愚行に何の意味があるのか彼自身にも理解できなかった。
理由があるとするなら、こんな日にまたあの場所で帆波に似た彼女の身に何かあるようなことがあればという焦りにも似た感情だ。
あまりに参差錯落ともいえる自分の感情に困惑しながらも、勇治は車を岬に向けて走らせるのだった。
岬の少し手前に車を止め、辺りに彼女の姿がないかを探す。
外は海の近くだからか市街地よりも風が強い。辺りの木は今にも折れるんじゃないかというほどに大きくしなり、海を見ればかなり波も大きく荒れている。さらに雨脚も早く感じられて、彼女の姿を見つけようにもあまりに視界が悪かった。
勇治は車の中から探すことを諦め、外に出る。
これだけの風と雨の中では傘も意味も為さず、一瞬でたたむ羽目になった。
いつものようにあの石組みの前までの道を彼女を探し歩く。雨が体温を奪っていくのがわかる。寒さに膝が、手先が震える。
こんな中待っているわけがない。そうあればいいと自分に言い聞かせ前に進む。
しばらく、辺りを見回しながら歩くと石組みの辺りまでたどり着く。
そしてそこに人影がないことに安堵する。こんな時にこんな場所に来るバカは自分だけで十分だ。
自分が道化のように空回りしているだけなら誰も傷つかずに済む。
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- 6 : 2016/08/30(火) 18:14:39 :
もうあんな思いは御免だ。あの時のようなことだけは──そう思っていた時だった。
「やっぱり来ていると思ってました」
そんな声が後ろからかけられる。
勇治がゆっくりと後ろを向くと、そこには彼女がいた。名前も聞いていない彼女。
雨に濡れて寒いせいか桜色の唇を紫にして身体中を小さく震わせながら笑っている。
「なんで……なんで……!馬鹿じゃないのか……こんな日に!」
そんな勇治の言葉に彼女は笑顔を不満そうなものに変える。
「むっ……馬鹿は失礼ですよ。それにあなただって同じです」
「馬鹿は俺だけで十分だ!もし、何かあったらどうするつもりだよ!」
必死の形相で訴える勇治を見て、彼女はくすくすと笑う。
「やっぱり優しい方ですね。よかっ……た……」
彼女は徐々に消えゆくような声で告げると勇治にしなだれかかった。
近くで触れているからわかる。彼女の身体は冷え切っているはずにも関わらず熱っぽく、呼吸も荒い。
「くそ……!だから言わんこっちゃない!」
勇治は慌てて彼女を抱き上げると、車に向けて走る。その最中にも彼女は苦しそうに勇治の腕の中で喘ぐ。彼女の身体は今でも小刻みに震えていた。だが、勇治にしてやれるのはしっかりと抱きすくめてやることくらいしかない。
やっとの思いで車に戻ってくる。急いで彼女を後部座席に寝かせると、少しでもマシになればとトランクに積んであったタオルケットをかけてやる。
そして慌てて車を発進させるのだった。
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- 7 : 2016/08/30(火) 18:17:56 :
「……ん……ぅ……」
彼女は目覚めると知らない場所のベッドに寝かせられていた。散らかっているわけではないが、お世辞でも綺麗とは言えない部屋。誰かがここに住んでいることがはっきりと伺えるほど生活感にあふれている。
だが何故ここにいるのかが思い出せずにいる。先ほどまで雨に降られていて、勇治と出会った。そこまではある程度覚えている。しかし、その後は所々しか記憶がない。
慌てて自分の状態を確認するが、元の服とは違う服を着せられているが、全くサイズがあっておらず、すぐに男性ものだろうということは推測できた。よく見れば下着もつけていない。
自分の状況を理解できずにいると、奥からひとりの男が歩いてくる。
「起こしてしまいましたか?まあでもちょうど良かった」
そう言って彼は湯呑みをひとつ彼女に手渡す。
「生姜湯です。あったまるかなと思って」
彼女は身体を起こして受け取り少し口をつけると、不思議そうな目を勇治に向ける。
「ここは……?それにこの服……」
「えっと……ここは俺の家です。急に意識を失ったからどうしていいかわからなくて。服はその……濡れたままだと身体を冷やすと思ったから……すみません」
勇治の言葉を聞いて彼女は急に恥ずかしくなったようで、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「いや!あの……み、見てないですから!ちゃんと見ないようにしましたから!」
慌てて弁解しようとする勇治だったが、それを見て彼女はおかしそうにころころと笑う。
「おかしな人ですね。私がご迷惑をおかけしたのに」
「いや、あの……あはは……」
彼女の言う通りではあるのだが、なんだが気まずさが抜けず勇治は頭を掻いて笑うのだった。
そんな折、彼女は思い出したように口を開く。
「そういえば、お名前を聞いてませんでした。えーと……わたしは、ナミカって言います」
「俺は勇治です。なんだか今更な気もして、照れ臭いですね」
そう言って勇治は笑う。
「そうだ。ナミカさん体調どうですか?お昼ご飯食べられそうなら今から作ろうと思うんですけど」
「え……?でもそんな悪いです。ご迷惑をおかけした上に、お昼ご飯までいただくなんて……」
彼女がそう言って断ろうとすると、お腹がかすかにくぅーっと情けない音を鳴らす。
「あぅ……」
まるで昼食をねだるかのように主張してしまったようで、恥ずかしくなり赤面する。
それを勇治は愉快そうに笑う。
「元気そうで何より。今から作るから少し待っててください」
そう言って彼は再び台所に戻っていった。
しばらくして勇治が戻ってくるとテーブルの周りが綺麗に整頓されていて、その前にちょこんとナミカが座っていた。
「ごめんなさい。勝手に触ってしまって……一応この辺りにまとめて整理してありますから」
彼女はひとつひとつどこにしまったのかを説明してみせる。
「恥ずかしながらどうにも片付かなくて。助かります」
「そう言っていだけてよかったです」
そう言って彼女は嬉しそうに笑う。なんだか、勇治はいつも以上に心が緩んでいるような気がした。
彼女が張り詰めた心に少し余裕を与えてくれているのだろうか。そんな取り留めもないことを考えてしまう。
「そうだ。苦手な物とか聞けばよかったんですが、すっかり忘れてて……一応食べやすいようにたまご粥作っちゃったんですけど大丈夫ですか?」
申し訳なさそうに尋ねる勇治に、ナミカは笑顔で大きく首を縦にふる。
「大丈夫です!それどころか大好きですよたまご粥!」
「よかったぁ……出来てから気づいて、ダメなものとかあったらどうしようかと」
「平気ですよ。私好き嫌いありませんから!」
自慢気なナミカに既視感を覚えて、思わず勇治は笑ってしまう。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないです。冷めないうちに食べちゃってください」
こうしてふたりは昼食を済ませるのだった。
「ふぅ……ご馳走様でした。おいしかったです」
「お粗末様です。口にあったみたいでよかった」
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- 8 : 2016/08/30(火) 18:19:07 :
- そんな他愛もない話をして、少しお腹がこなれてきた頃。ナミカが尋ねる。
「あの……ずっと気になっていたんですけど、あの時の『馬鹿は俺だけで十分』ってどういう意味なんですか?」
「あーそのことか……」
勇治がバツが悪いといった様子で少し目を背けるような素振りを見せる。
「あ、もしかしてまた私やっちゃいましたか……?」
申し訳なさそうに伏し目がちに告げる。それに勇治は首を横に振る。
「いや。いいんです。昨日のは俺が悪かったんですから。あなたが俺の知り合いによく似てたからつい熱くなってしまって」
そう。あれほどまでに熱くなることもなかった。ただの社交辞令として受け取って流せばよかったはずなのにそれができなかったのは勇治自身に余裕がなかったからだ。
「そうだなぁ。すこし、昔話に付き合ってもらっても構いませんか?」
ナミカは何も言わずただ一度小さく頷く。すると、勇治は少し笑顔を作った後話を始める
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- 9 : 2016/08/30(火) 18:21:17 :
10年前。勇治にはとても仲の良い幼馴染がいた。彼女の名前は橘帆波。
真面目でありながら、明るく、人懐こい性格や可愛らしい容貌からか、学校では人気者だった。だが、多くの人の輪の中心にいながらも彼女は勇治のことを見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきて嬉しそうに声をかけるのだ。
彼女に対して勇治はそれほど目立つ人柄でもないし、特別容姿が優れているわけでもない。
それ故に同性からはやっかみの目も多くあった。
その頃から彼女への恋慕の感情は確かに勇治の仲にあったし、彼女自身がどうであったかはその当時誰にも確かめられない事だったが、事実というものは多分にして重要視されない。そして、学校という小さな箱庭における集団生活において、わずかな悪感情ですらその生活に大きく影響を与える。
結果として勇治は周囲からいじめにあう。
勇治もまた帆波への恋心から長らくいじめにも耐え続けた。たとえ唾を吐きかけられようとも彼女がいつも心配してくれたから、どれだけ辛くても頑張ろうと思えた。
しかし、彼女が勇治を庇えば庇うほどに彼への風当たりは強くなっていった。
そんなある日。その日もまた勇治は同学年の男子生徒から暴行を受けボロボロになっていた。そしてそこに、彼を心配した帆波がやってきた。
彼女を見た男子生徒達は逃げ出したが、彼らの瞳は報復を覚悟しろと物語っているように見えた。
そんな時に勇治の心に魔がさした。
なんで俺はこれほどまでにひどい仕打ちを受けなければならないのか。
救われていると思い込んでいたが、元はと言えば帆波が俺に構わなければこんなことにはならなかったんじゃないのか?
最早ただの八つ当たりだった。
彼女に想いを寄せて、ひとりで勝手に抱え込んだとは自分だ。帆波が完全なる善意で彼を庇っているのもわかっていた。
なのに勇治は一時の感情に流されしまった。
「なんで俺なんかに構うんだ!!!ほっといてくれよ!!お前が俺に構わなきゃ、俺はこんな目にあわずにすむんだよ!!」
身勝手に叫び散らした。ただ勇治を救おうと必死になってくれていた彼女を遠ざけてしまった。いつだって彼女は勇治のために何かを全力でしようとしてくれていた。
なのに勇治はそれを全て否定した。
勇治は確かに救われていたはずなのに。
辛いことを全て帆波に押し付けた。
彼女は一瞬泣きそうな顔を浮かべた後に笑った。酷く下手くそな笑顔だった。
泣きそうなのを全く隠せないそんな悲しい笑顔。
そして彼女言った。
「ごめんね勇治。いっつも私、自分勝手に突っ走って勇治を傷つけちゃって。ごめんね」
それだけ言って彼女は走って帰っていった。彼女は確かに泣いていた。
彼女に罪なんてない。そんなこと勇治はわかっていたのに。彼女を引き止めて、俺が馬鹿だったとごめんと謝れたらどれほど良かっただろうか。
だが、勇治にそんな勇気はなかった。ただ口をパクパクとさせ、彼女の背中を見送ることしか勇治にはできなかった。
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- 10 : 2016/08/30(火) 18:22:43 :
それから数日。勇治は学校へ行くことはなかった。彼女に会わせる顔がなくて、どうしようもないほどの罪悪感に押しつぶされそうになっていた。
ただ自分がしでかしたことを自覚して、ようやく彼女の痛みを理解したというのに、結局は謝る事すら満足にできない臆病な性根が嫌で嫌で仕方がなかった。
それでもなお、勇治は踏み出せずにいた。
そんな中でも帆波は毎日勇治の家を訪れていた。あれほど酷いことを言ったのに、学校の帰りにこっそりと手紙を持ってきた。
誰にも見つからないようにしてるから許してほしいという旨と、謝罪が書き連ねられた手紙。
それを見るだけで勇治は自らの情けなさと、彼女の想いが心に深々の杭を打ち込んでいるような痛みにただ手紙を涙で濡らすことしかできなかった。
勇治に帆波と顔を合わせるだけの勇気があったのなら、彼女に会ってお前は悪くないんだと告げられたのかもしれない。
伝えたいという想いと会わせる顔がないという勇気と臆病が彼の中でせめぎ合う日々はそれからしばらく続いた。
そしてある日。帆波からまた手紙を受け取る。
その中はいつもとは少し違っていた。明日の夕方にあの岬に来てほしいと。彼処なら普段誰も来ないからきっと大丈夫だと書いてあった。
勇治はこれを勇気を振り絞る最後のチャンスだと思った。
帆波がくれたチャンス。これを無為にはできない。彼は臆病風に吹かれ続けた自らの心を奮い立たせ、彼女に会うことを決めた。
そして次の日。勇治が岬を訪れると、そこには既に帆波の姿があった。
彼女は勇治の姿を見つけると、涙を流しながら本当に嬉しそうに駆け寄ってきた。そしてこう言った
「ごめんなさい。私が……私のせいで勇治が……ごめんなさい」
彼女は涙を流し、勇治にしがみついて手紙に書いてあったような謝罪を並べ続ける。私のせいで、私が悪い。ごめんなさい。
そのひとつひとつが勇治の中で今まで以上に鋭い杭となって突き刺さる。だがそれも自業自得だ。彼自身それを甘んじて受けるためにここに来たのだ。
「……謝るのは俺の方だ。帆波は何も悪くない。いつもお前は俺の為にって頑張ってくれてたし、俺はそれに救われてた。なのに俺は酷いことを言って、自分が悪いのなんてわかってたことなのにお前から逃げ続けた。ただ顔を合わせるのが怖くて。本当にごめん。俺は最低だ」
緊張で乾き、張り付く喉を必死に鳴らした。思いつく限りの自らの罪を、これまで溜め続けた過ちを全て吐き出すかのように。
どれほど勇治の独白は続いただろうか。それはわからない。ただそれが終わる頃には帆波は泣き止んでいた。
勇治が心中をぶちまけるということは、それ即ち帆波への恋慕は切っても切り離せない感情だった。つまり半ば告白じみた内容であったのはいうまでもない。
帆波もまた彼の独白に驚きを隠せない様子だった。
「えっ……えっ……?勇治はわたしのことが好きってこと……?それでそれで……ええええ!?」
彼女は赤面しながら身悶える。
「こんな時に言うのはどうかと思ったけど、でも帆波にした事に本当に報いるには俺の全てを伝えないとっておもったんだ。帆波がくれた最後のチャンスだから。もう逃げないって決めたんだ」
勇治の眼差しは真剣そのものだった。それに応えるように、帆波も緩んだ表情を引き締めてこほんと咳払いをする。
「私はずーーーーーっと前から勇治の事好きだった。それこそ幼稚園の頃からだよ幼稚園。なのに勇治ときたらどれだけ私がアプローチしても無反応。私が必死にアピールしてるのに無反応。本当は鬱陶しがられてるんじゃないかって不安で……なのにあんな事言うからほんとに嫌われたと思ったし、本気で怖かったんだから。手紙を渡しても返事すらくれないし……もうほんとに……」
そう言って帆波は泣き出してしまう。
勇治は本当に気づいていなかった。彼女が勇治に構うのはただ幼馴染のくされ縁みたいなものだと思っていたからだ。
彼女がまさか自分に好意を寄せているなんて思いもしなかった。
気持ちの整理がつかない勇治にはどうすることもできず、帆波が落ち着くまでの間、彼女の髪を撫で続けた。
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- 11 : 2016/08/30(火) 18:23:41 :
彼女が泣き止む頃には日が落ちかけていてかなり暗くなってきていた。
しかし、そんな暗い空とは対照的に勇治の心は軽やかで明るい。
「なあ。帆波。すこし岬を下って、お前の好きな波の花を見て帰ろう」
「ええー今から?あの道暗いと危ないよ。ここは潮の流れも速いから落ちたら大変だし、また明日にしようよ」
帆波は不安そうに告げる。だが、今の勇治には大した問題とは思わなかった。
「大丈夫だって!ほんとにちょっとだけだからさ!」
その時勇治は完全に浮かれきっていた。
先にある脅威を計れぬほどには。
渋々といった様子で帆波も了承したが、勇治は暗い道を駆け足で下っていく。
「走ったら危ないよ!勇治ってば!」
そう声を上げながら、帆波は勇治の後を追う。
「平気だって。割と足元見えてるし!」
その時だった。勇治は足元の小さな岩の突起に足を引っ掛けて体勢を崩す。
死んだ。そんな言葉が自分の脳内を過る。
だが、勇治の身体は強い力に引っ張られ、海側とは反対側に引き戻される。
「ったた……危なかったぁ……」
そして帆波にお礼を言おうと、振り返る。しかしそこに彼女の姿はなかった。
「おい……帆波……どこだよ……おい!!」
そして勇治は気づく。足元に彼女が持っていた小さな巾着が落ちていることを。
「嘘だ……嘘だろ……俺のせいで……」
岩場から下を覗き込んでも荒い波が岩肌にぶつかって砕けるのが見えるだけだ。ここは水深もかなり深く、潮の流れが速い。
もしここに帆波が落ちていたとしても、上から見つけるなど到底不可能だろう。
場合によっては沖合に押し流されてしまう可能性すらある。
「誰か……誰かを呼ばなきゃ……!」
勇治は自分の犯してしまった罪の重さに震える膝を強引に動かし走り出した。まだ間に合うかもしれない。今ならまだ助かるかもしれない。
そんなわずかな希望にすがるように自分の家族に声をかけて回った。そして町中から大人が出て船も出してもらい、帆波を探した。
しかし帆波は遺体すら見つからなかった。
彼女の両親は勇治を責めはしなかったが、それを勇治自身が許せなかった。
あの時帆波を殺したのは勇治の浮かれた心と、軽率な行動だ。彼女はきっと勇治を恨んでいるだろう。
勇治がいなければ、彼女は死ななかった。勇治がもう少し思慮深ければ彼女は死ななかった。
あげればきりがない。
そして最後に拾った巾着の中には塩が入っていた。塩は昔からその音から死を連想させるとしてその言葉が不吉とされた。
そんなことを聞いたのを思い出し。彼女の呪いかもしれないと、自罰のように持ち続けていると勇治は語った。
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- 12 : 2016/08/30(火) 18:46:45 :
- 勇治の話を聞いたナミカは声を上げる。
「違う!!……と思います」
なにやらしりすぼみになりながらも、ナミカは告げる。
「違う?何がですか?」
彼女の言葉に勇治は怪訝そうに眉をひそめる。
「だって!帆波……さんは、きっと勇治さんに生きていて欲しくて助けたんでしょう?それなのに恨むだなんて……」
ナミカは泣きそうな顔になりながら告げる。
「そんなはずない。俺が……俺がいなければ……」
勇治は俯く。自分の愚かさが起こした過去は拭い去ることはできない。帆波が死んだのは自分のせいだ。
それを彼女は生きて欲しくてなんてどの口が言えるだろうか。少なくともそんな願いを、希望を持つ権利は今の勇治にはない。
「馬鹿なこと言わないでください!!!」
そう叫んだのはナミカだった。
彼女は勇治の頬を力一杯叩く。そして勇治のすぐ横に歩み寄ると胸ぐらをつかんで目を合わせる。
「なんで……なんでそんなこと言うのよ……バカ……」
その時に彼女は泣いていた。彼女がなぜ泣いているのか、勇治にはわからない。
ヒリヒリと痛む頬は、普通のそれよりも効いた気がした。何か心にまで突き抜けるようなそんな衝撃があった。
ナミカが涙に潤む瞳を勇治に向ける。
「バカです……そんなんだから鈍いって言われるんですよ」
ナミカは勇治に顔を近づけ、唇を触れ合わせる。
勇治には何が起こっているのかわからなかった。突然に口付けをされたその事実に困惑を隠せない。
しばらくしてナミカが唇を離す。勇治は自分の置かれている状況に理解が追いつかず超えを上げそうになる。
「な、なななななにを……!」
しかし、それは二度目の口付けに阻まれた。唇を吸われ、そして時に甘噛みされる。ゆっくりとナミカの舌が勇治の唇の上を這い回り、焦らすように、催促する様に小さな水音を立てる。
勇治の中で何かが切れる音がする。
彼女の求めに応える様に、彼女の舌に自分の舌を絡める。先ほどまでより激しく水音が頭の中に響く。呼吸をするのも忘れるほどにお互いを激しく求め合う。柔らかで優しい口付けが勇治の凝り固まった心を甘やかに溶かしていく。蠱惑的で淫靡な誘惑。甘く優しい快楽の中に勇治は少しずつ意識を溶かしていくのだった。
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- 13 : 2016/08/30(火) 18:48:17 :
次に勇治が目覚めた時、外は相変わらずの雨だった。だが、一つ昨日の朝とは違うことがあった。
隣で少しあどけなさの様なものを残した寝顔を無防備に晒している女性。
やってしまったという想いがないわけではない。これは帆波に対する裏切りになるのかもしれないと考えもする。
だが、勇治は以前帆波に抱いたものと近しい感情をナミカに抱きつつある。
勇治に寄り添うように眠るナミカの横顔を眺めながら、考え事をしていると彼女が目を開ける。
「んぅ……おはよう勇治……」
寝ぼけているのか昨晩までずっとそのままだった敬語もどこかへ行ってしまったようだ。
「おはよう」
そう言って勇治は彼女の髪に指を通す。すると彼女はくすぐったそうに目を細める。
しばらくして目が覚めてきたのか、彼女は勇治を見て何か気づいたような顔をする。
「もしかして、帆波さんのこと考えてました?」
勇治からすれば図星をつかれたとも言うべきか、彼女はなかなかにして鋭い。それとも勇治が特別わかりやすいのかは定かではない。
「あたりですね。そのことでひとつ私からお話があります」
そう言って彼女は服を着ると、勇治の前にちょこんと正座する。
「怒らないで聞いてください。本当は私はナミカという名前ではありません。記憶喪失も嘘です」
唐突な彼女の告白は勇治にとって衝撃的なことだった。それこそ頭がおかしくなるのではないかというほどに。
「いや……あ、うん。続けてくれ」
頭を抱える勇治を見て、少し不安そうにしながらも彼女は続ける。
「落ち着いて聞いてください……私の本当の名前は……」
「本当の名前は……?」
一瞬の静寂。ふたりの喉が鳴る。
「私の名前は橘帆波って言います」
そう言って彼女は花のように笑う。
その次の瞬間。勇治の大声が近所一帯に響き渡った。
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- 14 : 2016/08/30(火) 18:50:44 :
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「どういうことだ。説明しろ。流石にこれは嘘や冗談じゃ済まないぞ」
鬼気迫る勢いの勇治に気圧されながらも、帆波は頷く。
「実は海に落ちて、気を失った後、次に気がついたら知らない家にいて、怪我してるところを韓国の老夫婦に拾われたらしくて。当時記憶も身寄りもなくて、言葉も通じない私を学校に通わせたりして育ててくれたの」
とても信じがたい、もし本当なら奇跡どころの騒ぎではない。だが勇治は彼女がこんなタチの悪い嘘をつく人間だとは思いたくなかった。
「ただ最近になって猫が木から降りられなくなってるところをた助けようとして落っこちて、頭を打ってしまって、その時に記憶が戻りまして……1週間前にこっちに帰ってきてたの」
最早ため息しか出ない。記憶喪失が頭を打ち付けたら治っただの、猫を助けようとしただのバカバカしいが、帆波ならあってもおかしくないと思えてしまう。
「じゃあなんでこんな嘘を……?」
「怖かったの……勇治には新しく好きな人ができて、新しい居場所があるかもしれない。もしそうならそれを壊してしまうかもしれないって。でも勇治はあの時のことをまだ気にしていて、それで言い出そうにもとても言い出せなくて……」
彼女は俯く。自らの嘘を悔いているように勇治には見えた。これがもし本当ならとんでもないことだ。彼女の両親にも話さなければならない。
「しかも、私のお守りを呪いだなんて言い出した時は後ろから殴ってやろうかと思ったわ。勇治に渡そうと思ってた物なのに。それに、他にも言いたいことは一杯で結局我慢できなくなっちゃった」
「だって……絶対俺のこと恨んでると思って。帆波は俺のせいで死んだって……もう俺どう償っていいか分からなくて……」
冷静だった思考が少しずつ馴染んでくる。それに伴って自分の中に溜め込んだ10年分の想いが少しずつあふれ出してくる。
「私はちゃんと教えてあげたじゃない。塩は死をって聞こえるから不吉って言われてたけど、生きていて欲しいという意味を込めて"波の花"って呼ぶんだよって」
「だって……そんなこと……俺……余裕なくて……ただ、ただ帆波がいないって思ったら、帆波が俺のせいでって思ったら……なのに誰も俺を責めなくて……」
ただ支離滅裂な言葉が、堰き止めていた物が決壊するように流れ出してくる。
「ただ俺は……お前のせいだって言ってくれれば。自分を罰して欲しかったんだ……こんなに弱くて、卑しい俺を……」
「勇治は優しいよ。私が言うんだから間違いない。いつだって誰にだって優しくできる。私が私だってわからなくても優しくしてくれた」
滂沱の涙を流す勇治を帆波は包み込むように抱きしめる。離れ離れになった10年を緩やかに埋めていくかのように。傷ついた10年を溶かしていくかよように。
子供のように泣き叫ぶ勇治をただいつまでも優しく撫で続ける。
「これからはまた一緒に居られるから。ごめんね勇治。今は泣いていいから。きっと明日は一緒に笑おうね」
彼女のぬくもりに触れて、泣き疲れた子供のように勇治は彼女の胸の中で眠った。
-
- 15 : 2016/08/30(火) 18:52:52 :
- こんなにぐっすりと眠ったのはいつぶりだろうか、勇治が目覚めると夕方だった。
彼女が本当に帆波であったことも、そもそも彼女と出会ったことも夢だったのではないか。そんな風に思えてならない。
隣に帆波の姿はなく、部屋の中に人の気配もない。
一気に不安がこみ上げてくる。全部が嘘だったのではないかそんな不安。
結局部屋中探しても誰もいない。こんな狭い部屋に隠れる場所などあろうはずもない。あったであろう彼女の靴も、かけてあった服もない。
「はは……そう……だよな」
ひとり玄関先でへたり込む。
長い長い夢の先の虚無感。
そんな時玄関の扉が開く。
「あれ?起きてたんだ。こんなところで何してるの?」
そこにはレジ袋を幾つか下げた帆波の姿があった。勇治は思わず彼女に抱きついてしまう。
「ええ!?急にどうしたの?」
「全部夢かと思ったんだ……ごめん。すごい怖かったんだ……」
子供のようにすがりつく勇治の髪をまた帆波は優しく撫でてくれた。
「10年だもんね。仕方ないよ。ゆっくりこの時間は埋めていけばいい。私はどこにもいかないから」
「ごめん……俺ガキみたいだ……」
「そうだね」
帆波は嬉しそうに笑う。
勇治はようやく実感する。帆波が帰ってきたのだと。これからはもうあんな想いはしなくていい。
想いが通じたのだろうか。
生きていて欲しい。そんなあのお守りに込められた願いが、こんな奇跡を起こしてくれたのだろうか。
それはわからないが、今度こそあの日できなかったことを果たしたい。今回は後悔のない形で。
勇治は立ち上がり、帆波の瞳をしっかりと見つめる。
「帆波。次、晴れたら。あの岬にお前の好きな波の花を見に行こう」
fin
-
- 16 : 2016/08/30(火) 20:31:46 :
あとがき
この作品のテーマである波の花という言葉。
"塩"と"死を"が似ているから、"波の花"という言葉を使って死を遠ざけた。なんて飛んだこじつけに見えるかもしれません。私もそう思いました。でもこれってよく考えるととても素敵なことではないでしょうか。
たったそれだけのことにすら気を使うほどに言葉を使う相手に生きていてほしいという想いであったり、願いがあるというのは実に素晴らしいことだと思いませんか?
現代では"死ね"なんて言葉を軽々しく使ってしまうということも往々にしてあります。ある意味表現や伝え方の形が変わったというのもあるとは思いますが、私は相手のことを想い、言葉にまで気を使うという表現の形はとても素敵なものだと思いました。
こう言った古い表現や、少し変わった表現に触れるのはとても新鮮で楽しかったです。もし良ければ、これを読んでくださった方々もちょっとしたところに気をかけてみてはいかがでしょ
うか。
初投稿で至らないところが多いと思いますが、もし良ければコメントでアドバイスを頂けたりすると作者は大喜びです。
ではここまでお付き合い頂きありがとうございました!
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