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残骸と亡骸
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- 1 : 2015/12/29(火) 17:32:05 :
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彼女は浮遊したように見えた。けど、確かに落ちていた。
そう、地面に向かって落ちていた。
【アサ】
毎日、決まって屋上で会う女子生徒がいた。話したことは一度もない。俺と目が合ったとしても、何でもない顔をしてすぐに逸らしてしまう。酷く無愛想な女子生徒だ。
【キョウ】
毎日、決まった時間に屋上に現れる男子生徒がいた。会話したことは今までない。これからもない。いつも私を見かけては気まずそうな顔をする。酷く生き辛そうな男子生徒だ。
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あらすじ:
高校2年のアサは不良になりきれない普通の少年だ。彼は以前より行きつけになっていた学校の屋上で、最近よく出くわすようになった女子生徒に話しかけた。キョウと名乗った無愛想な女子生徒は所謂不登校であり、自身に暗い事情があることを仄めかす。そんな彼女に同調したアサは、話の流れから自身が一年前に起こしたある罪を告白することになる。それは正反対に置かれながらも苦しみ続ける二人の、短くも貴重な時間の幕開けだった。
胸糞注意の暗い話です。ヒロインが飛び降ります。そこに救いなんておそらくありません。
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- 2 : 2015/12/29(火) 17:33:56 :
【アサ】
学校は嫌いではないが、間違っても好きではない。というか、学校が好きな奴は頭がきっとおかしいとすら思う。
起きて学校に行くのがまず怠いが、授業を受けるのは更に怠い。大学なんて入れるならどこでもいいんだから、授業を受けなくてもいい権利があれば最高なのに。そう思いながら、俺はいつも学校に通っていた。
俺の通う学校は、大した偏差値でもない公立高校。古びたコンクリートの校舎は日が当たりにくい場所にあるせいかいつも暗くて、そこに通う俺たち生徒の気を滅入らせる。
友達なんて呼べそうな奴は俺以上に不真面目で、全員不登校の常連だ。いっそ俺もそうしたいのに、未だにサボり癖程度で済んでいるのは単なる偶然にすぎない。多分俺ももう暫くしたらそいつらに仲間入りすることになるだろう。学校なんて通うだけ無駄だし。
「アサくーん! まーたサボり?」
「ったりめーだ。一限高井だろ? 適当に病欠ってことで」
「また先生から呼び出しくらうよー」
「そんときゃそんときだ。んじゃな委員長」
片手を振って背を向ける。お節介な委員長は苦手だし、中途半端に正義を振りかざすクラスメートはもっと嫌いだった。
俺の学校での居場所はただ一つ、屋上だけ。立ち入り禁止と書かれたそこは入り口に頑丈な施錠がされており、見た目ではその先への進入をきちんと拒んでいるように見える。だが実際は違う。どこのどいつの仕業かはわからないが、鍵の代わりの南京錠は少し力を入れさえすれば簡単に外れるようになっていた。多分、壊れているんだと思う。
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- 3 : 2015/12/29(火) 17:34:56 :
南京錠を外し、建て付けの悪いドアを開けた先は見通しの良い空間が広がっている。三階ですら日が届かない校内と違い、ここはどこにいたって青い空が目に入る。誰も足を踏み入れない為か地面は白くひび割れもない。
自分一人がここ一帯の所有者になったかのような感覚は、押し付けられてばかりいる学生という身分には悪くない感覚だった。
「ん……」
しかし俺はその見慣れた景色の中に馴染まない物を見つけていた。それはすぐ左側のフェンスの前に無造作に投げられたカバンと上履きだった。それも、間違いなく女物だった。
初めてそれを見たときは本当に驚いたが、何度目にもなると最早見慣れたものだった。そう、この空間を占領しているのは俺一人ではない。もう一人、確かに存在しているのだ。
俺は投げ捨てられた女子生徒の持ち物に一瞥をくれると、すぐ横のフェンスに手を掛けて軽々と乗り越えた。学校の屋上にあるフェンスというのがみんなこういうものかは知らないが、この学校の屋上のフェンスは端からだいぶ離れた場所に設置されている。だからフェンスを越えただけではすぐ落ちるわけでもないし、下が見えるわけでもなかった。
フェンスの向こうの空間は端まで三メートル。横はそれこそ校舎の長さだけあるから、それなりに広い。俺はどんどん歩いていって、この屋上への入り口があるところの真後ろに辿り着いた。そこが俺の定位置で、彼女の定位置だった。
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- 4 : 2015/12/29(火) 17:35:29 :
【キョウ】
今日もいつも通りの時間に姿を現した彼に向かって、私はいつも通り視線を投げかけた。やっぱり、今日も気まずそうな顔をしていたから、私からすぐに目を逸らしたのだけど。
私は所謂“不登校”。親がうるさいから学校には行くものの、授業に出ることは絶対にない。学校は大嫌いだった。
うちは家族が複雑で、ほぼ家庭崩壊している。精神を病んだ母と定職に就かないくせにギャンブル狂いの父、そして高校生の私、三歳年下の弟の四人家族。家は貧乏だし、母は毎日訳もわからない妄言ばかり、父はそれを見て見ぬ振り。弟は普通だが、姉として弟には頼るわけにはいかない。家には私の居場所なんてなかった。
だからといって、学校だって同じ。大人しいくせに友達が多い弟と違って、私は昔から人が苦手だった。当然友達はいないし、何かと貧乏だったせいで高校に上がるまではイジメのいい標的だった。今はアルバイトが出来るから私個人はだいぶ裕福で、知らない人ばかりの学校を選んだ為いじめにもあっていない。でも、やっぱり私には未だに友達がいなかった。
人が苦手なのにも一応の理由がある。私は自分の家族のことを人に知られることを酷く恐れていた。昼夜問わず喚き散らす母や、パチンコで負けて酒に酔い暴れる父。それに怯える内気な弟の泣き声。そんなものに耐えきれなくなった私の叫び声。当然何度も警察を呼ばれたことがある。ただ警察は母が病気であると知ると、一言病院の受診を勧めて帰ってしまう。それで治るなら誰も苦労しないのに。だから私は人が嫌いだった。自分以外の人間が嫌だった。
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- 5 : 2015/12/29(火) 17:36:19 :
どこにも居場所がない私は、それでも義務だから学校へ通っていた。でも最近屋上の鍵が壊れていることを発見して、それからはずっと屋上へ通っていた。教室へはもう行かないつもりだった。
私はすぐ左のフェンスに手を掛ける。すぐにカバンが邪魔なことに気付き、適当に投げ捨てた。すると今度は風になびくスカートを靴で踏み付けてしまいそうになったから、上履きも脱ぎ捨てる。
誰もいない空間に自分だけの居場所を探すように歩いていくと、ちょうど入り口の裏手に見晴らしの良い場所を見つけた。ただ、どうやらそこは私だけの場所ではないようだと気付いたのは、本当にすぐのことだった。
彼は初めて会った時、先客がいることに驚いて大袈裟に目を見開いてみせた。きっと私よりも前からここを自分の場所にしていた人なんだろう。でも彼は何も言わず、すぐに私の横を通り過ぎて日陰に入ると、そのまま横になって寝てしまった。だから私はそれからずっとその場に留まることが出来たのだ。
そして今日も彼は同じように私の横を通り過ぎる。こんなに見晴らしがいいのに、こんなに空が美しいのに、彼はそれには興味を示さない。ただこの開放的な空間を味わいたいだけなら、別にこの場所に固執しなくてもいいのに。それなのに彼はいつだって見晴らしの良いこの場所に来ていた。
だから、いつも通り寝転んで目を閉じた名も知らない彼の方を向いて、私は一人考えた。この人はどういう事情でここにいるのだろうと。私はあんな生き方だから、同じような人なら雰囲気で大体わかる。でも目の前の男子生徒からは普通な雰囲気しか感じられない。ただのサボりなんだろうか。
「なぁ、アンタ。名前はなんていうんだ?」
「え……っ?」
その時、閉じられていた筈の彼の瞼が開かれ、唇が言葉を紡ぐ。あまりの突然さに私は後退りし、情けない声を上げてしまった。
これが私たちの初めての会話。
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- 6 : 2015/12/29(火) 17:37:18 :
【アサ】
「え……っ?」
思った以上に間抜けな声を出して後退った彼女を見て、俺は申し訳なさを感じた。驚かそうとしたわけではないから、すぐに謝る為に身を起こして口を開く。
「悪りぃ。驚かせるつもりじゃなかったんだ。急に頭に疑問が浮かんだものだから」
いつもみたいに睡魔に身を任せていた俺を現実に引き戻した疑問。それは何度も頭の中で繰り返していたのに、終ぞ口に出したことのなかった疑問だった。
「いつもここにいるけどさ、アンタもサボりかな、と思って。こういうのって普通気になるだろ?」
言いながら彼女を観察する。驚いてしまった自分に驚いたという顔で、戸惑ったように瞳を揺らせていた。それを見て、やっぱりタイミングが悪かったな、と反省する。
「こういうのって俺から名乗るべきだよな。俺は2年の浅井克敏(アサイカツトシ)。呼ぶならアサでいい」
「私は……」
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- 7 : 2015/12/29(火) 17:38:26 :
名乗るべきかどうかを考えている、というような沈黙を置いた後、彼女は意外な程強い口調で名を告げた。
「葛城 恭(カツラギキョウ)。私も2年よ」
「キョウか。響きは古風だな」
一応褒めたつもりだったのだが、彼女は不快に思ったらしく、一歩距離を離して堅い口調で問うた。
「で?」
「は? あ、ああ」
俺は一瞬呆けた顔をした。それでもすぐに彼女に訊きたいことがあったことを思い出して口を開く。
「あー、アンタもサボりか?」
「……まあ、そういうことになるわね」
そこで会話が終わってしまう。別に彼女と話したかったわけではない。単純な好奇心を埋める為に声を掛けたはずだった。なのに、何故かその沈黙が嫌で慌てるように言葉を捻り出す。
「真面目そうなのに、サボるんだな」
それは彼女には不愉快な言葉だったに違いない。ふん、と軽く鼻を鳴らし、鋭い目で睨まれる。
「……そっちこそ。見た目だけなら全く不良には見えないわ」
言われてみて初めて気付くってこともあるものだ。俺は彼女にそう言われて初めて僅かな不快感を感じたからだ。なるほど、失言だった。
「……悪りぃ。見た目じゃわからないよな」
立ち入り禁止の屋上でサボる。俺がしているのは間違いなく問題行動だ。それなのに見た目が不良らしく見えないからという理由で、赤の他人に自分の背後を勘繰られるようや発言をされれば良い気はしない。コイツはきっとこういう事情があるからこういうことをしているんだ。そう勝手に思われるのはとても不快だ。
だから、それを気付かせてくれたキョウという女子生徒に対して途端に興味が湧いた。彼女はきっと同類だ。いや、違うにしても、少なくともコイツなら俺の気持ちが理解出来そうだ、と。
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- 8 : 2015/12/29(火) 17:40:17 :
【キョウ】
自分をアサと名乗った男子生徒は、私を興味深そうに見下ろす。私は自分で言うのもアレだが、かなり真面目な外見をしていた。というか、正直地味なくらいだった。
伸ばしっぱなしの黒髪が特徴の、シャツのボタンを一番上まで留めた女子生徒。ネクタイもきっちりしているし、スカートだって膝までを保っている。だからこそ、教師連中は私が授業をサボるのに対して甘い。といっても、許してくれるわけではない。ただ、私に対しては少し優しく叱ってくれるというだけだ。
私はそれが嫌いだった。私は不良だ。他と同じただのサボりだ。確かに見た目は優等生っぽく見えるが、それはあくまで見た目でしかない。態度を変えるのは気に入らなかった。
だから、彼が私の外見を指摘した時、私は自分の心がざらついた地面に擦り付けれたような気分になった。不快だった。思わず言い返してしまったのもその為だった。酷い言い方をしたのも自覚はしていた。でも、気付いてくれないよりはいくらかマシだと思ったから言った。
それが、彼は言った。「見た目じゃわからないよな」と言った。予想はしていなかった。予想していたのは自覚なしの謝罪の言葉だった。社交辞令のように口から飛び出る勝手な言葉のはずだった。でも、彼は理解の言葉を発したのだ。意外だった。
それだけではなく、彼は私を興味深そうに見つめている。普通は私のあの物言いで伝わることなんてない。ただの嫌味でしかないはずの私の言葉に、彼は真の意味を見抜いて見せた。そして、冷たい私の言葉に気を悪くすることもなく私を見ている。
「アサ、だったわよね?」
「ああ。アサでいい」
私は沈黙の中、初めて私から言葉を発した。彼は不思議な人だ。他とは違う。他のボンクラな連中とは全然違う。そんな確信があった。恐らく、彼も同じだったに違いない。私からの突然の問いかけに対し、少しだけ驚いたものの答えてくれた口調は、戸惑いよりも幾らか明るかったからだ。
「同じ学年なのに、顔を見たことがないけど」
「これでも毎日教室には顔出してるぜ? てか、俺もアンタの顔見たことない」
当たり前だ。私は教室にすら行かないことが多いし、行っても大抵遅刻する。クラスメートでさえも私の顔を覚えていない連中がいると思うくらいだ。
「教室に行ったら陰口言われておしまいよ。あんな私を蔑むつまらない所、価値ないわ」
「なるほどイジメか。男は割とオープンだけど、女は陰湿だよな。あー、でも人間なんてみんな変わった奴はトコトン嫌うしな。アンタ変わり者っぽいからそいつらのこともわかる気もするよ」
「イジメって感じじゃないわよ。ただの陰口。イジメだったらとっくに学校なんて捨ててるもの」
私の言葉もズレていたが、彼の言葉も普通とはズレていた。それが堪らなく愉快だった。
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- 9 : 2015/12/29(火) 17:41:59 :
「イジメって、教師が役に立たないよな。イジメた方を呼び出して問い詰めて、謝らせたらそれで解決だろ? 全然わかってねぇよな。ボコられた方はそれで許せるわけねぇのに」
「そうね。でもそれでもいい方よ。クラス中に味方がいない孤立した奴が人気者にイジメられたら、悪いのはイジメられた方なんだもの。馬鹿みたい」
「アンタは逃げるのか? 我慢するのか?」
「逃げる派。昔イジメられたけど、普通に登校拒否よ。玄関先で隠れてたら担任が迎えに来て、保健室に連れて行かれた記憶があるわ」
「まあ、逃げるが勝ちだよな。そうでなきゃ……壊れる」
経験がないと言うわりに、彼の言葉は同情が薄かった。何というか、こちら側の人間の考え方。慣れているというか、なんというか。不思議な感じだと思った。
「でさ、イジメならここにいないってのがわかったついでに、ここにいる理由を話そうぜ。せっかくだし」
何となく、彼がそれを聞きたがっていたのが雰囲気からわかっていた。でもただ聞きたいではなく、お互い話そうと言う。私は彼に興味があった。私に近い価値観を持ったアサという男子生徒は初めてだった。どうせくだらない話だから、話すことに抵抗はない。
「……面白そうだし、暇だからそうしましょうか」
だから私はそう言った。風の吹く屋上で、初めて会話した男子生徒に向かって。
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- 10 : 2015/12/29(火) 17:42:50 :
【アサ】
俺はキョウが隣に座るのを待ってから口を開く。こういう状況なら、やっぱり俺の方から話すべきだと思ったからだ。
「俺さ、普通だろ?」
一番初めに口から飛び出したのはそんな問い掛けだった。彼女は何のおかしいこともないという体で頷いて肯定してくれたから、俺は先を続ける。
「自分が普通である自覚があるって、意外と辛いんだと思う。これから未来に何があるかは知らないけど、どんなに未来が変わっていったとしても俺は何も変わらない。一般人の道を当たり前に歩いていくんだ。それがいつからか馬鹿らしくなって、人と違うってことに固執しだしたのが多分始まりだ」
「中学生ならありがちね。それが高校生なら、子供っぽいと思うけど」
彼女は嘲笑う。その考えに至ることすら平凡であると嗤う。だが俺は別に気にならなかった。きっと彼女でなくてもそういう反応を示すからだ。
「そういうのって、きっと世間では中二病とか言うよな。あの頃――去年の俺は本当にそうだった。人と違う何かが欲しくて、勉強も頑張ったし、スポーツだってやった。当然みんなは褒めてくれたし、俺だっていい気分だった」
でも、そういうものは長い間続かないのだ。
「それがさ、いつか当たり前になってしまった。誰も俺の頑張りを認めてくれなくなった。だからそれがわかった時、俺は頑張るのをすぐに止めた。やりたくないのに無理をしていたからな」
「結局、普通の人だったわけね」
キョウに先を越され、俺はただ頷いた。
「毎日がつまらなかった。ちやほやされない平凡な自分がとてつもなく馬鹿に思えた。だから……手を出したんだ」
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- 11 : 2015/12/29(火) 17:43:29 :
きっかけは単純だった。その日の俺はいつにも増してイライラしていた。そんな時、ふと隣を見たら普段からパシリにあってるクラスメートがいたわけだ。単なる憂さ晴らしのつもりだった。
「むしゃくしゃしていた俺は、そいつをこき使うようになった。どうしようもないクズだよ。アンタの逆で、俺は加害者だったんだ。イジメている間は俺は偉かった。蹴れば相手は縮こまって怯えたし、暴言は心を折っていた。俺は自他共に認める目立たない男だ。教師は何も知らなかったし、気付かれないように脅すのは俺の得意分野だったみたいだった」
「それでも、今はしていない。それどころか、友達にそういう人がいたんでしょ?」
キョウは少し不思議そうな顔をしている。当然だ。こういうもので心変わりをする奴なんて滅多にいない。普通はそのままガキ大将のように仮初の権力にしがみついているだけだからだ。でも、俺は違った。
「そいつがさ、ある日急に不登校になった。つまらなかったさ。そいつは俺以外の大勢からイジメられていたから、そいつらが少し強く殴ったって程度に思ってた。でも、違った」
翌日、俺は何人もの生徒と一緒に校長室に呼び出された。そしてそいつが飛び降りたことを教えられた。でも、幸運なことに木に受け止められて骨折だけで済んだと告げられた。
「おかしいよな。教師は俺たちがそいつと仲が良いって思い込んで呼んだんだ。そいつはイジメてる俺たちしか接点がなくて、そのせいで一緒にいることが多かったから。だから、そいつが何でそんな真似をしたかって純粋に訊く為に呼んだそうだ」
驚いたし、心の奥が冷たくなったのも感じた。それでも俺たちはまず、自分がその原因を作った張本人だと思われていないことに安堵した。飛び降りたのは自分たちのせいだとわかっていたのに、その罪を悟られなかったことに安堵したんだ。
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- 12 : 2015/12/29(火) 17:45:14 :
「その夜、俺は眠れなかった。何で眠れないのかわからなかった。散々自問自答を繰り返して、やっと自分の良心が叫んでいることに気付いた俺は、次の日に学校を休んでそいつの家に電話を掛け、部屋を教えてもらってから病院へ行った。謝るつもりだった」
勢いよく飛び出したわりに、病室に入るのはとても勇気がいることだった。震える腕をもう片方で抑えて、俺はゆっくりドアを開ける。そして目の前に広がった白い部屋にそいつの姿を見た。
「骨折なんてきっと嘘だと思った。だって、包帯だらけで痛々しくて、あり得ないくらい疲れて見えたから。そいつは俺を見た、俺は何も言えなかった。そしたら……」
そいつは俺を見て怯えるわけでも、泣くわけでもなかった。それはおよそ俺がしていた予想を大きく裏切るものだったのだ。
「そいつは言ったんだ。“アサくん。今日は何しようか?”ってな。笑って、言ったんだ」
全てを理解した時、俺は病室を飛び出していた。とんでもないことをしてしまった。それはそいつが死ぬよりずっと酷く、残酷なことだった。俺は……。
「俺は、そいつの心を壊していたんだ」
俺はよく、蹴る前に言っていた。“今日は何しようか?”と。それは当然俺の暴力の合図で、そいつはそれを聞く度に怯えたから、とても気分が良かった。それはどこを痛めつけようかという問い掛けなんだ。だから、そいつが俺にその言葉を言うはずがない。笑顔で言うはずがない。
「それからすぐにそいつは転校した。……去年の話だ。知ってる奴もいるだろう」
謝る相手はもういない。壊れてしまったから。だから俺は許されるわけもなく、今日までを罪深く生きている。そいつが飛び降りたのと同じくらいの高さから、自分のしたことを見つめている。
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- 13 : 2015/12/29(火) 17:46:25 :
「今のダチにそういうのが多いのは、別に他の誰かを代わりに助けたいからってわけでもない。それは俺の罪滅ぼしにはならない。俺のしてきたことはそいつしか許せないからな。でも、それは永遠に失われた。でも、もしも俺がって思ったら、どうしようもなかった。……まぁ、俺のダチは賢いから、耐えずに逃げることを選んだんだが」
その時に俺と同じ後悔をした連中と、今まさに当事者の連中。そいつらがダチだった。俺は結局、自分の子供じみた願望を最悪な方向に曲げて最悪な末路を辿った。
キョウは流石に黙ったままだった。それがどういう理由かはわからない。俺はこの話を比較的誰にでもしている。話すのには慣れているから、反応を見れば次に相手が何を言うかはわかってしまう。だが、彼女は小さく頷いただけだった。
「後悔しているのね」
当然だ、と言い返そうとしたが、キョウの方が先に言葉を発する。
「良いこと言ったわね。……そう、罪はその人にしか許せない。許されない限り、人は一生咎を背負い続けるわ。許す存在に代用は効かないから、貴方は永遠の咎人ってことになる」
慰めでもなく、だからといって責めるわけでもない。彼女からは、静かな哀愁が漂っていて、しかもそれにはどこか哀れむような色がある。
「アンタ、引かないんだな」
「私変人だから。見ればわかるでしょう?」
フェンスの向こうに上履きすら脱ぎ捨てた彼女は靴下だけの足を指差しながら笑う。当然のようにそう笑って、今度は自分の番とでも言うように息を吸った。
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- 14 : 2015/12/29(火) 17:47:33 :
【キョウ】
私は彼と違い、自分のことを洗いざらい打ち明けることはしないと決めていた。だから言葉を選ぶのに一拍置かなければならなかった。
「私は貴方と真逆。他の人と違うことで悩んでたわ」
私が小学生の頃、世間はナンバーワンとかオンリーワンを叫んでいた。そういう曲に感化され、そういうドラマや小説が好まれ、そういう教育が敷かれ、当然のようにそれを享受してきたのだ。
「ナンバーワンとかオンリーワンって言葉、私は嫌いなの。だって普通がいい、埋れていたい。なのに、家にも学校にも居場所がなくて……それでも、そんな私をみんなは知らない。知られたくない、でも、知られないのも辛い。矛盾した思い」
「俺はオンリーワンって言葉に何度か救われたけどな。そのままでいい、お前はそれでいいって言葉、辛い時程すがりたくなる」
アサは呟く。私は自分の意見を押し付けているわけじゃない。あくまで自分がおかしいことを理解した上で、意見を言っている。
「世間はそうだってこと、わかってる。……私が今まで貰った中で一番嬉しかった言葉は“私だってキョウと同じくらい辛いんだから”という、先輩の言葉だったわ。それはきついランニングが続いた時に私が愚痴って、その時貰った言葉なんだけど……あの時は、そんな些細な言葉すら救いだった」
幼い頃の私は、所謂“何でも出来る子”だった。それを周りは褒めてくれたから嬉しかったし、自分の家の異様さにも気付かなかったから、その頃はとても幸せだった。自分が他と違うという子どもなりの小さな優越感をもっていた。
でも、いつからか私は知る。他人を知り、私は初めて客観的に自分を見つめた。普通の家庭とは何かを知った。お母さんが家にいるのに何もせずに寝てる家は私のところしかないと知った。お父さんがパチンコから帰らない家はいけないと知った。こんなに貧乏な家も今の時代じゃ全然ないことを知った。
「普通でない自分が嫌いだった。当たり前を享受出来ないことを恨んだ。勿論、世界には私なんかよりよっぽど大変な人がいる。日本にだっている。でも、だからといって私は文句を言っちゃいけないの? そんなのはおかしい。……そう、思った」
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- 15 : 2015/12/29(火) 17:48:54 :
「キョウがどんな大変な環境にいるかは知らないし、俺にはきっと理解出来ないだろうけど、……辛いのはわかるつもりだぜ」
同情はいらない。けど、彼の言葉は不思議とすんなり心に落ちていく。変にわかったつもりでいるのとは違うからだろう。だから素直に受け取ることが出来る。
「ありがとう。世の中にはこういう話をすると、決まって世界にはもっと大変な人がいるんだから頑張ってみなさいよって言う人がいるじゃない? 私アレが大嫌いなの。だって、不幸を理解しているから自分が不幸だって知ることが出来る。その知識もない人は、果たして本当に不幸なのかしら? 私は昔幸福だった。それと全然状況は変わらないのに、今は自分が不幸だと知っている。違うのは知識だけ」
無知は罪。そうは言う。だが、無知は人によっては幸福かもしれない。人は不幸を知り、それを自分と照らし合わせることを覚える。私は出来ることなら自分の記憶を消したかった。今の環境を嘆くのは甘えであるとわかっていたから。だから、それを不幸だと思う自分こそが消えるべきだと思ったのだ。それがいつしか願いだった。
「私はきっと不幸よ。でも、不幸じゃないだろうと言う人も多くいるでしょう。それは否定しない。きっとそうだから。でもね、少なくとも“私は”“私を”不幸だと思ってる。だから私は不幸なの。苦しいから逃げたいの。立ち向かうのに疲れたの。もう頑張りたくないの。……だから、いつかここから飛び降りてやろうって思ってる」
私は目の前の途切れた地面を見つめる。ここはもうフェンスの向こう側で、私の願いに一番近い場所なのだ。
「それ、つまり死にたいってことだよな……?」
アサは恐る恐るといった様子で訊いてくる。当然だと、私は頷いてやる。
「すぐではないし、貴方の前でやるつもりなんてないと思う。一応、これでも人の迷惑は考えてるし、出来れば死に方は綺麗な方がいいもの」
笑ってみせた。本当にそれは冗談みたいな本気なのだ。いつかきっとそうなる。それはいつかわからないし、今はそんな気もないけど、いつかは絶対そうなるという確信があった。あくまで予定なのだ。
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- 16 : 2015/12/29(火) 17:50:49 :
「立ち向かえなんて言わない。逃げていいと思う。きっとそれが正解だから。……けどよ、もっと他に方法はないのかよ? 助けてくれる人はいないのかよ?」
流石に慌てたようにアサはまくし立てた。今日初めて話したというのに、彼は私の心配をしてくれるのか……。それは嬉しいことに違いない。でも、先ほどの彼の話を聞いた後だと少し哀れでもあった。
「いても、きっといつか私から離れるだろうから」
私は酷い人間だ。自分のことしか考えられない。同じ環境にいる弟のことすら考えてない。自分より幸福そうな奴が恨めしかった。口にこそ出さないが、呪ったこともある。自分より不幸な人間がいれば、同情すると共に安堵した。……そんな、罪深い人間なのだ。
だけど、そんな私でも時に思うのだ。近しい人が不幸にあわないように、と。同じ目にあうのは私だけでいい。自分が一番不幸なら、それでいい。下なんていなくたっていい。そういう、汚い自分と真逆のことを思う時がある。
「人は嫌い。私を知れば知るほど遠ざかってしまうから。だから嫌い。傷付くのはいつだって私だった。なら、最初から誰も助けてくれない方が気が楽なのよ。だから、貴方も私と関わるだけ、きっと後悔するわ」
私は彼を拒絶する言葉をやんわりと告げ、くだらないお喋りを終わりにした。
「ん……」
アサがこちらに手を伸ばし、それを結局引っ込めるのが見える気がした。最初に思った通り生き辛そうな人だと思った。だから、言ってやった。
「本当に辛い人ってね、全部を諦めてしまうの。これが自分の運命だと諦めて、手を伸ばすことすら出来なくなるの。そうなったらもう誰がどんなに叫んだって、届かない、救えない。だから、もし貴方が過去を悔いていて、誰かを救うことで罪を軽くしようと思うなら、諦めていない人を助けてあげて」
私とアサは、おそらく反対にいる人間だ。普段ならすれ違っても気付かない、歩む道を違えた存在。それがこうして屋上で道を交え、語り合っているなんて笑える話だ。アサは普通の人で、私はその逆。表面だけなら、お互いの立場はそれぞれが欲するものなのに。
「羨ましいなんて、思わない」
「え?」
ふと呟いた言葉は風に乗り、きっと彼にはほんの少しも届かなかった。だから私は背中を向けたまま口の端を上げる。そうして笑って、今度は彼にも聞こえるように言った。
「今日は、これで話はおしまい」
それが終了の合図になった。
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- 17 : 2015/12/29(火) 17:51:43 :
【アサ】
キョウと言葉を交わしてから、一ヶ月が過ぎた。
「おはよう」
「よぉ」
「――今日は随分遅かったのね」
「へへ、教師から逃げて来た。出席が危ういんだと。馬鹿らしい」
彼女は俺の姿があれば、ほんの少しとはいえ声を掛けてくれるようになった。しかし、そんな小さな関係を続ける内にキョウの表情が段々と暗くなっていくのが気になっていく。
「キョウは、出席平気なのか?」
「……さぁ」
いつも通り背を向けた彼女からは何の表情も読み取れないはずなのに、声色から何となく察せてしまう。
「何か、あったか?」
多分、訊いてはいけないことだったのだろう。でも訊かないわけにもいかず、そのまま口に出してしまう。
キョウは半分だけ振り返り、長い髪をかき上げるようにしてから言った。
「……学校、やめたわ」
「はぁ!?」
唐突な告白を聞き、思わず驚いて立ち上がってしまう。キョウはそんな俺を冷ややかな目で一瞥し、続ける。
「どうせ授業なんて受けないし、お金の無駄だって思ったの。その時間があるならバイトしたいし」
「だ、だってお前、それなら学校に入れないんじゃ……」
「入れるわよ。ここ、セキュリティーなんてないし。制服を着れば一発」
そう言って薄く笑う。その目は嘘なんてついていないとでも言いたげだ。
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- 18 : 2015/12/29(火) 17:52:47 :
――でも、それなら何故キョウは屋上にいるんだ? バイトをしたいなら、この時間からすればいいじゃないか。
「屋上にはなんでいるんだよ。バイトしたいんだろ?」
「……さぁ、何でだろう。わからない」
キョウは本当に寂しそうに言う。自分自身、わからなくて困っているといった様子だった。
「なんか、全部がどうでもよくなっちゃった。だけどせっかく気に入った場所を見つけたから、そこにいたいだけなのかもね」
「どうでも――いい?」
彼女の口から発せられると不穏な響きのする単語だと思った。全部がどうでもいいなんて、それってまるで絶望しているみたいじゃないか。
「ちょっとした……お金の問題よ。お金と、家族の問題」
キョウは悲しそうな顔で呟く。いつもしっかりした口調で話す彼女と正反対の、とても儚い表情で。
「それ、大丈夫なのか?」
「さあ。私の努力次第だと思う」
どこか曖昧な返答。キョウはいつも大事な事を隠すように話すから、別に気にならないはずなのに。それでも引っ掛かってしまう。
だけど、所詮自分は赤の他人だ。キョウの友だちでも何でもない。そんな自分に出来ることなんて、せいぜいささやかな言葉を掛けるくらいしかない。特に俺のようなクズにはそれくらいしかしてやれることはないのだ。
――俺みたいな、人を自殺に追い込んじまったクソ人間には。
「……無理、すんなよ」
キョウは何も言わないまま小さく溜息をつく。そして何かを探すように空を見上げて言った。
「無理なら生まれた時からしていたかもね」
その言い方があまりに寂しそうで心苦しくて、俺は思わず耳を塞ぎたくなった。でも俺は何もせずにそこにいた。いつものように座りながら、立っているキョウを見ていた。
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- 19 : 2015/12/29(火) 17:53:36 :
【キョウ】
「本当に、馬鹿げた話だったわよ。あんなの」
父が出て行った。浮気だった。それも、相手は私の知り合いの大学生だった。
どうせ、仕事をしないで実家からの援助をアテにギャンブル尽くしの父だ。いない方がいい。母は最近ずっと悪く、近所にたくさん迷惑を掛けてしまっている。病院に行ってくれないから、どれだけ悪いのかもよくわからない。そんな状態で私と弟は残されてしまったのだ。
私には学校をやめるという選択以外に自分たちを守る術がなかった。弟は中学生で、私が食べさせてやらなければならない。バイトで貯めたお金は全て生活資金になりそうだ。
父はどうやら相手を妊娠させてしまったらしく、相手のご両親の怒りの電話が毎日絶えない。私のせいではないのに、その電話を受けなければいけないのは苦痛でしかなかった。
「……私、将来結婚しないって決めてるの。変人だから迷惑を掛けるし、私には家族ってよくわからないし」
「そ、そうか? それって勿体無いな」
アサは私の様子が少し変わっていることに気付いているようだ。ぎこちなく笑ってみせるが、それが心からでないことが丸わかりだった。
「大人になって就職して、結婚して子供を産んで、苦労しながらも育てていくっていう、よくある幸せを“当たり前の幸せ”って呼ぶとする。そして、それを絶対に得られない人がいる。その人はどうすればいいのかしら?」
「え……それは、やっぱり別のことで幸せになればいいんじゃないか?」
「まぁ、そうなるわね」
アサは訝しげに眉を顰めた。わかっているなら訊かなければいいのに、という顔だ。
「じゃあ、別の幸せを探してもそれが見つからなくて、“当たり前の幸せ”の方が余計に欲しくなった場合、どうすればいいのかしら?」
「ん、それは……」
言葉につまって顔を伏せるアサ。……いじめているわけじゃなく、純粋な疑問だ。だから、彼がわからないならそれでよかった。
「ごめんなさい。難しい質問だったわ」
「……キョウはどう思うんだ?」
「え……?」
「そんなこと言うくらいなんだ、考えくらいあるんだろう?」
今度は私が言葉につまってしまう。あるといえばある。けど、それをどう言葉にすればいいかがわからない。
「私は……そうね。どうしようもないと思う。だって、欲しいものは手に入らないんだもの。頑張って諦めるしかない」
単純なことだ。それを出来るかどうかは別として。
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- 20 : 2015/12/29(火) 17:54:28 :
「キョウはその“当たり前の幸せ”が欲しいんだろ?」
アサは鋭く私の核心を突いてくる。話してもいないのに、見透かされているようだった。
「そうね」
私は素直に白状する。誰もが得られる幸せに、せめて手が届くようになりたい。最初から何の努力もなしに幸せになりたいだなんて、ワガママは言わない。
そこらにいる人がみんなその権利を持っているのに、私は生まれつきその権利を剥奪されている。そんなのはあまりに酷い。なのに、努力では溝は埋まらないのだ。神のちょっとしたイタズラでこんなところに生まれてしまったから。
「生まれたくなかった」
私には母と同じ病気になるリスクがある。心の病なんて環境でなるものだと思ってた。だから心を殺していれば平気だと思ってた。でも、実際はなりやすい遺伝子なんてものがあるらしく、当然私や弟には遺伝している。私が子供をつくれば、その遺伝子は受け継がれていく。
だから私は自分の意思とは関係なく、結婚が出来ないし、子供を産むことが出来ないだろう。それに身内に病人がいるような娘を嫁にもらいたい家があるわけない。私は自分をピリオドとすることで、悲しい連鎖から逃れなければならない。でも、それはとても辛いこと。自分が思っている以上に。
「……そんなこと言うなよ」
「誰にも押し付けられないものを背負うのが辛いって、貴方ならわかるでしょ? 私はもう限界。疲れちゃった」
私を助けてくれるものなんてない。この世界はまだまだ私みたいな人に厳しくて、とても生きていけそうにないのだ。これならまだ、逃げ出せるだけイジメられる方がずっとマシだ。殺されるわけじゃないし、誰かを殺したくなるわけでもない。……私は違う。暴れた勢いで殺される危険もあるし、耐えきれなくなって殺してしまうかもしれない。そんな状況、望んでなんかいないのに。
「昼からバイトなの。学校やめたから、それだけ働かないと。弟を学校に行かせないといけないし、生活費だって……」
「身体……壊すなよ」
アサはそれだけ言って背を向けた。何も言えないという意思表示だろう。私ももう彼と話す気力なんてなかったから、いつも通り眼下の景色を見渡す。
何故こんなにたくさんの建物があって、そこに大勢が生きているのに、私はそこから遠退きたいと思うのだかわからない。いや、本当は混ざりたいんだ。それなのに絶対に混ざれないから、諦めているだけ。諦めて、死にたいだけ。
ここから飛んだら楽になれるだろう。痛みと屍を晒す恥ずかしさと引き換えに安息を得られる。……とても良い条件だと思った。弟さえいなければ、すぐそうしていた。
「ねえ。私がここから飛ぶって言ったら、見ていてくれる?」
だからそう、口に出して問うた。
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- 21 : 2015/12/29(火) 17:56:01 :
【アサ】
キョウが本気なのは、彼女の表情を見ればわかった。だから俺は慎重な答えを迫られる。
死なせたくないとか、迷惑だからとか、そんなものじゃない。俺にはそれなりにキョウと一緒にいた記憶がある。それを最悪な形で終わらせるのはもう御免だった。
「俺は自分のせいで一回飛ばれてる。正直、もう嫌だ」
「でしょうね」
日の光を浴びたキョウの背中は淡く光っていて綺麗だと思う。なのにいつの間にか消えてしまいそうな、そんな儚い印象も同時に受けた。
あいつは俺たちのイジメによって心を壊した。そして飛んだ。でもキョウはイジメからは逃げたと言った。それにまだ心を壊してはない。彼女のことだから、嘘ではないだろう。だからきっと、相当に家にいることが嫌に違いない。
……家庭の事情に他人が踏み込めるわけがない。一番デリケートな問題で、解決が一番難しい問題だからだ。だからキョウの悩みはたとえ俺でなくても聞いてやることは出来ない。それがもどかしい。
「……いい人だって、私は思うわ」
「誰がだよ。もしかして俺か?」
「そう。殆ど会話もなかったのに、私が飛び降りるって言った時の顔が悲しそうだったから」
キョウは振り返り、ほんの少しだけ笑顔を見せる。その何もかもが儚い。見ていて何故だか苦しかった。
「死って何かしら。全ての終わりなのはわかる。でもそれじゃあ漠然としすぎていて、よくわからないって思わない?」
「……突然そんなこと言われても、俺にはわからない」
「そういうこと、あんまり考えなさそうだものね」
少しだけイラっとしたが、キョウが先を続けた為、抗議の言葉は途中で飲み込んだ。
「私は死は汚いものだと思ってる。だから出来れば勝手に命尽きるまで死にたくないって思う。でもね、死は同時に解放なんじゃないかって、そういう思いもあるの。なら、多少汚くても死にたいような、そんな感じもする」
「生きたいのに死にたいか。矛盾してるんだな」
「そう思う? ねぇ、ここから飛び降りたら、私どれくらいグチャグチャになるんだろう。内臓とか全部飛び出るんでしょう? 安っぽい映画みたい」
キョウは笑ってみせるが、心からの笑みではないのは誰が見ても明らかだった。俺は立ち上がってキョウの隣に行き、彼女と一緒に下を覗く。
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- 22 : 2015/12/29(火) 17:57:06 :
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「……ここ4階の上だから、落ちたら死ぬだろうな」
「中庭に飛び降りたら、見つかるまできっと時間が掛かるわよね。……本当に汚い。私が私でなくなっても、汚いものを晒すのは抵抗があるかも」
「なら止めろよ。嫌な言葉だけど、生きてたら楽しいことを見つかると思うし」
俺はそう言ってキョウの顔を覗き込む。だがキョウは笑った。いや、嘲笑っていた。
「……馬鹿ね。それが見つからないから、お互いこんなところにいつまでもいるんじゃない」
反論も出来なくて、俺は言葉を失った。キョウはそんな俺を見ても何とも思っていないようだった。キョウは多分、自分が一番大切というタイプだ。でも自分を大切にすることが出来ないから、どんどん自分を傷付けていくんだ。
いや、別にキョウだけじゃない。俺だって自分が一番大切だ。みんなみんなそうに違いない。でも、それを誰も肯定してくれないから、許してくれないから俺たちはここにいるしかない。自分がこれからどう生きればいいのかわからない。それはつまり、自分を大切にするという行為を見失うことに他ならない。
「キョウが死んだら、俺はまたここで一人になっちまう。そんなの嫌だ」
「私には関係ないじゃない。それに、私は別に寂しくないわ」
そのくせにキョウはいつも決まって俺がいるこの場所にいる。
「キョウが死ぬなら俺も死んだ方がいいかもしれないな。どうせこのまま同じ時間が続くんだ。キョウが言った通りだよ。どんなに待ったって、いいことなんてあるわけない」
「そうね。でも、私一人でいいわ。汚いのは私だけで充分だもの」
そのままゆっくりと端へ歩いて行き、ギリギリのところで立ち止まる。思わず危ないぞと言いかけて、彼女が本気であることを思い出して言葉を飲み込む。本気で止めるなら、刺激してはいけない。
「そんな顔しないで。生きている限り人はいつか死ぬって決まってる。だから最期くらい自分で選びたいの。私は生まれも育ちも選ばなかったし、未来すらもう興味ない。全部神様にくれてやったわ。それならこれくらいいいと思わない? ――ねぇ、だからもう楽になりたい。これ以上辛いのは嫌よ」
「キョウはここで死んで未練はないのか?」
俺はゆっくりと彼女に歩み寄る。逃げられないようにゆっくりと。こちらに背を向けたキョウは、それに気付いたのか薄く笑っていた。
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- 23 : 2015/12/29(火) 17:58:08 :
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「未練なんて……ないわけないじゃない。たらたらよ」
「じゃあ――」
「手に入らないなら、諦めるしかない。そう言ったし、今でもそう思ってる。……でもね、私は信じていたの。いつか心優しい人が私を助けてくれて、それで私やっと普通になれるかもしれないって。そうなるなら私、家族なんていらないって思った。そんな自分は大嫌いだけど、仕方ないって思ってた。だから信じてた。いや、信じてる。今この瞬間も信じてるわ」
だけど、と続けた。
「私の夜が明ける日は来ないって、この前思ったの。どんどん泥沼になって、このままじゃ私きっと駄目になる。その前に終わりたいって思うのは、はたしてワガママなのかしら?」
キョウは涙を流していた。それなのにまるで可笑しいとでも言うように笑っている。俺は何も言えなかった。それでも無理やり言葉を探す。今の彼女に必要な言葉はなんだろう。付き合いの浅い俺にはわからない。
「貴方は死んではいけない。だって償わないといけないんでしょう? なら絶対駄目。私と違って貴方にはその義務がある。ねぇ、もういいよね? 私」
結局、俺にはキョウを止める言葉を見つけることは出来なかった。とうとう背を向けてしまった彼女は、そのまま眼下に広がる街を眺めながら、楽しそうに、けど悲しそうに掠れた声で笑っている。
「――キョウは、それでいいのか? そんなんで充分なのか?」
だから俺がまともに言える言葉なんて、キョウが偽っている笑顔の1%も切り崩せない馬鹿げた言葉だった。そしてキョウは即答する。
「――これでいいわ。充分ではないけど、充分に妥協した結果だもの」
そう言ってまた乾いてしまった声で笑う。
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- 24 : 2015/12/29(火) 17:59:01 :
「ねぇ、今の私ってとても惨めに見える?」
ふとそんな事を訊いてきたから、俺は返してやった。
「どうだろうな。……わからないよ」
「私もよくわからない。あはは……ねぇ、やっぱり約束守れない。私ここで死のうと思う。見ていてとは言わない。そうしたら厄介なことになるかもしれないから。だから、遠くにいてくれればいい。でも、出来れば私が今日、ここにいたことを忘れないでほしい」
俺は答えられずに黙っていた。キョウはその沈黙を察したようにまた笑う。
「私が死ぬ理由なんて、たくさんあるわ。その一つにも貴方は入ってない。むしろ、貴方はとても良い人だと思うくらい。だから気にしないで。無理かもしれないけど、何も貴方はしていないんだから」
――何もしていない、か。
「俺にはキョウを助けられないんだろう? 相談にのってやる。それでも駄目か?」
俺に出来る最後の事だった。だがキョウは背を向けたまま首を振る。否定。
「駄目じゃないけど、それだと足りないから」
「そうだよな」
「うん、そう」
キョウはまだそこにいる。俺もまだここにいる。お互い何も言わないまま、数分そのままでいた。そして、その沈黙を静かにキョウが破る。
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- 25 : 2015/12/29(火) 17:59:50 :
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「俺、ここにいるぜ。もう止めないけど、ここにいる」
「後悔するわよ。多分」
「別にいいさ。ずっと後悔だらけの人生だったんだ。今更キョウ一人くらい増えたって、俺のしたことがこれ以上重くなるわけでもないからな」
「……馬鹿ね。でも、そんな貴方のこと、結構気に入っていたかもしれない。アサ」
キョウは笑う。その笑顔がようやくいつもの彼女だったから、俺は思わずホッとした。そして、多分それが合図だった。
彼女は浮遊したように見えた。けど、確かに落ちていた。
そう、地面に向かって落ちていた。
俺は思わず走り出し、落ちていく彼女に向かって手を伸ばす。
キョウはそんな俺を満足そうに笑って、こちらに手を伸ばしてくれた。
――これはどこまでも自己中心的な俺たちの話。
【完】
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- 26 : 2015/12/29(火) 18:01:59 :
- お疲れ様です!
次の貴方の次回作に期待してます。
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- 27 : 2015/12/30(水) 10:34:01 :
- 乙です
次回作期待
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- 29 : 2017/05/24(水) 15:45:23 :
- 天才かと思ったら天才だった。次作の公開予定日などありましたらご教示願いたい。
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- 30 : 2023/07/04(火) 09:47:28 :
- http://www.ssnote.net/archives/90995
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http://www.ssnote.net/archives/90991
http://www.ssnote.net/groups/633/archives/3655
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2 : 2021年11月6日 : 2021/10/31(日) 16:43:56 このユーザーのレスのみ表示する
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16 : 2021年11月6日 : 2021/10/31(日) 19:01:59 このユーザーのレスのみ表示する
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36 : 2021年11月6日 : 2021/10/13(水) 19:43:59 このユーザーのレスのみ表示する
理想は登録ユーザーが20人ぐらい増えて、noteをカオスにしてくれて、管理人の手に負えなくなって最悪閉鎖に追い込まれたら嬉しいな
22 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 20:37:51 このユーザーのレスのみ表示する
以前未登録に垢あげた時は複数の他のユーザーに乗っ取られたりで面倒だったからね。
46 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 20:45:59 このユーザーのレスのみ表示する
ぶっちゃけグループ二個ぐらい潰した事あるからね
52 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 20:48:34 このユーザーのレスのみ表示する
一応、自分で名前つけてる未登録で、かつ「あ、コイツならもしかしたらnoteぶっ壊せるかも」て思った奴笑
89 : 2021年11月6日 : 2021/10/04(月) 21:17:27 このユーザーのレスのみ表示する
noteがよりカオスにって運営側の手に負えなくなって閉鎖されたら万々歳だからな、俺のning依存症を終わらせてくれ
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