このSSは性描写やグロテスクな表現を含みます。
この作品は執筆を終了しています。
1945、N国の青年より
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- 1 : 2015/01/01(木) 13:20:17 :
- 気付いている方もそうでない方もいらっしゃると思いますが、今年は戦後70年にあたる年です。そこで、戦争の話を書いてみようと思いました。
また、コメントも制限させていただきました。執筆後制限を解除するので、もし感想等ありましたらそのときいただければ幸いです。
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- 2 : 2015/01/01(木) 13:35:56 :
- 1943年10月
戦争真っただ中にあるN国
この国の首相が、学徒出陣を命令する一つの法律を公布した。
当時俺は、18歳。
高等学校に籍を置いていた俺に、この法律は全く関係ないものではなかった。
しかし、戦地へ赴くことになるのは2年先の未来である。と遠いことのように思っていた。
だが1年後
1944年10月
徴兵適齢が20歳から19歳に下げられた。
俺は、心の準備もし終えぬまま、当初の予想よりも1年早く海軍の訓練を受けることとなった。
お国のために戦える。そんな期待に胸が躍る。
そうなる筈がなく、むしろ心の中は恐怖でいっぱいだったのを覚えている。
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- 3 : 2015/01/01(木) 15:57:02 :
- 1945年3月
俺たち飛行科予備学生は、飛行訓練の全課程を修了した。
訓練期間は僅か五カ月であり、実戦において敵機を撃ち落とすことのできる技術は、当然身についていなかったように思う。
しかし、軍にとってはそれで十分だった。ただ、飛べさえすれば・・・
そして今日
訓練を終えた予備学生は皆、ある一室に集められた。全員が集まって10分後、俺たちに飛行技術を指導した郷田教官がいらっしゃった。
「諸君、五カ月に及ぶ訓練、ご苦労であった。思えば・・・」
教官は、厳しい訓練を耐え抜いてきたことに対するねぎらいの言葉や、これから戦地へ赴くことに対する激励の言葉を俺達に掛けてくださった。
彼は指導者として素晴らしい方であったと思う。とても厳しく、俺は何度も叱られたが、それが俺達予備学生のことを思ってのことであるのは痛いほど伝わってきた。
俺達の中には訓練中に命を落とすものも多くいた。
彼は、死者が出た時は必ず哀悼の意を表し、彼らのこれまでの努力を称えた。教官の中には、飛行機を駄目にしてしまったことを咎め、死んだ者を罵倒する者もいたから、彼がどれだけ生徒思いであったかがわかる。
「以上だ。これからN国海軍の兵士として、お国のために、皆が守りたい者のために戦ってくれ。ところで・・・」
教官の表情が途端に暗くなられた。
ああ、遂にこの時が来たか。
俺は、覚悟を決めた。
教官もまた、覚悟をお決めになったのか、話を続けた。
「今や日本は未曾有の危機の時である。」
「特別攻撃に志願するものは前へ。」
俺達は、誰一人として動かなかった。
当然だ。いきなり「死ね」と言われて死ぬ奴はいない。
それを見た教官は、一瞬、今まで見たことがないほど悲痛な表情を浮かべた後に、再び言い放った。
「志願するものは前へ。」
何人かの男が、一歩前に出た。
それにつられるように、一人、一人、また一人・・・終いには全員が前に出ていた。
教官が二度言ったことで、「志願するものは前へ」という言葉は命令と等しい効果を持っていた。
それでも俺は、前に出なかった。
「明生(あきお)!」
俺は、教官に名前を呼ばれた。
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- 4 : 2015/01/01(木) 23:09:36 :
- 俺は、死を何よりも恐れていた。
臆病な性格ではない。むしろ、自分で言うのもおかしいが、勇敢な性格だと思う。
そんな俺が、死を人一倍恐れるのには理由がある。
10歳の夏、俺は川で遊んで溺れたことがある。
中州で遊んでいた時、雨で急に水位が上昇して流されてしまったのだ。
その時、俺は無数の手に自分が引きずり込まれる夢を見た。何とかその手を振りほどいた瞬間、俺は目を覚ました。
もしあのまま引きずり込まれていたら、俺は死んでいたのだろう。そう思うと同時に、怖くなった。
俺は夢の中で、一瞬引きずり込まれた先にある何かを見た。その何かが、何とも言えない不気味で恐ろしいものだったからだ。
それ以来、俺は死を恐れるようになった。あの何かに引きずり込まれることを考える度に、耐え難い恐怖に襲われた。
しかし、先ほど言ったように、俺は元々勇敢な性格だ。だから、兵士として九死一生の戦場へ赴く覚悟はできていた。
そこで死んだら、俺の力不足だ。そう思っていた。
だが、十死零生の特攻にだけは絶対に行きたくなかった。だから俺は、教官が特攻の志願を募る直前に、絶対に志願しないという覚悟を決めたのだ。
「貴様、志願しないのか!」
教官が怒鳴った。
「志願しません!」
俺は言った。
「・・・分かった。」
一瞬、教官の表情が緩んだような気がした。しかし、すぐにいつもの厳しい表情となった。
「以上で、解散とする。」
そう言うと、教官は部屋から退出なさった。
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- 5 : 2015/01/02(金) 16:23:39 :
- 「はぁ、これで俺達、特攻要員になっちゃったのか。」
誰かが言った。それを聞いた皆の顔は青ざめていた。
当然だ。
死ぬのが怖くない人間はいないのだから。
「何をそんなに落ち込んでるんだ。お国のために死ねるんだぞ。光栄なことじゃないか。」
そう皆に言ったのは、景暁(かげあき)だった。
彼は、俺達飛行科予備学生の中でも優秀な男であった。
嫌味くさい部分もあったが思いやりのある男で、皆は彼をリーダーのように思っていた。そして、彼もそれを自覚していたように思われる。
そんな彼の言葉に、皆の顔色が少しだけ良くなった気がした。
「それに、俺達はまだ特攻隊員って訳じゃない。気楽にいこうぜ。」
そう言うと、彼と彼と仲が良い数人は部屋を後にした。
彼の言う通り、皆はまだ特攻要員であった。
特攻要員とは、特攻の命令を出されることを承諾した兵士という意味であり、まだ特攻で死ぬことを運命づけられてはいなかった。
だが、特攻隊員は違う。
特攻隊員は特攻要員の中から得ればれる。そして一度特攻隊員に選ばれれば、いつ特攻命令が出されてもおかしくないという状況になる。
それは、死刑執行を待つ死刑囚と何ら変わらない状況であった。
「明生。」
俺は名前を呼ばれた。
「・・・導隆(みちたか)。」
彼は、俺の小学校からの幼馴染であり、無二の親友であった。
「まさか、本当に志願しないなんてね。正直驚いたよ。」
「あれは強制じゃないんだから、志願するしないは個人の自由だろ。」
「そうだけど・・・」
彼が何を言いたいのかはわかる。特攻の志願を拒否するということは、お国のために命を捧げたくないと意思表明しているようなものだ。
この国では、そのような者は非国民と呼ばれ蔑まれた。
つまり、俺だ。
この時点で既に、同期生からの冷たい視線を感じる。
「でも、自分で決めたことを最後まで貫き通すことが、明生のいいところだからね。それを失ったら明生はただの我が儘野郎になっちゃう。」
「それはひどくないか。」
俺がこう言うと、導隆は笑った。
彼が俺を見る目はとても暖かいものだった。
彼が俺の親友でいる限り、俺は自分の意思を貫いていける。そう強く確信した。
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- 6 : 2015/01/02(金) 17:06:10 :
- その日の午後6時
俺達は夕食を食べるため食堂にいた。
俺の席は導隆の隣である。向かいの席に座っているのは、想馬(そうま)という同期一の体力を誇る男だ。
「明日からまたN国のため、死力を尽くして戦えるよう、英気を養ってくれ。では、いただきます。」
「いただきます。」
俺達は、夕食を食べ始めた。
味はと言うと・・・
「いつも通り、美味しくないな。」
「文句言っちゃだめだよ。僕達の食事は整備兵とかに比べたらマシな方なんだから。」
導隆の言う通り、俺達飛行科を始めとする前線で戦う兵士に与えられた食事は、比較的恵まれていた。
整備兵となった高校の同級生の食事を見たことがあるが、はっきり言って不味そうだった。その上、量も食べ盛りの青年の腹を満たすには明らかに不足していた。
「おいお前!」
景暁の怒鳴り声が聞こえた。
誰だ、食事中に怒鳴られる可愛そうなやつは。
「お前を呼んでるんだよ!明生!」
俺かよ。
「何だよ急に。」
「お前、非国民の癖に食事にケチつけてんじゃねぇぞ。」
お前だって、いつも不味いと言ってるじゃないか。
そう言いたい気持ちもあったが、俺は一言「悪い。」と謝るだけにした。
「非国民のクズ野郎が・・・」
彼はそう言い捨てて、再び食事を始めた。
俺も、食事に戻ろうとした。その時、俺は感じた。
同級生から向けられる、底の見えない怒りを。
でも、本当は怒りじゃない。彼らが俺に抱いている本当の感情は・・・
「嫉妬。もしくは、単なる八つ当たりだ。だから、気にするな。」
想馬が俺に言った。
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- 7 : 2015/01/02(金) 23:34:15 :
- 「皆本当は、はっきり自分の意思を通したお前が羨ま・・・お前、聞いてるのか。」
「いや、悪い。お前に励まされるとは思わなかったからよ。」
俺と想馬は特別仲が良いというわけではなかった。食事の時の席が近い。それだけであった。
「事実を言ったまでだ。だが、あいつらの気持ちは痛いほど分かる。俺だって・・・」
彼は、その続きを言わないまま食事を再開した。
「とにかく、明生は周りのことなんか気にしなくていいってことだよ。」
導隆にそう言われた俺は「分かった。」と返事をして食事に戻った。
その後は、いたって平穏に時が流れた。
食事を済ませた俺達は、寝室へと向かった。俺と導隆は寝室も同じ部屋だ。
あ・・・想馬とも同じ部屋だったな。
でも、寝室が同じ部屋だからと言って特別仲が良いというものではなかった。何故なら、俺達の寝室は大広間のようなところで、25人の同期生と同じ部屋になるからだ。
これだけ大人数だと、ほとんど関わらない奴も出てくる。まして、あまり社交的とは言えない俺は5、6人程度の者としか親交を深めなかった。
午後9時
就寝時刻となり、俺は眠りについた。
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- 8 : 2015/01/03(土) 00:08:16 :
- 5日後、午前9時
朝食を終えた俺達は、郷田教官に招集をかけられた。
「諸君、今回集まってもらった理由は一つ。諸君らの中から、特攻隊員が選出された。」
遂にこの時が来たか。
特攻要員である皆の心がざわついたのを、俺は感じ取っていた。
「選ばれたのは5名だ。今から名前を呼ぶ。」
その瞬間、部屋中が沈黙に包まれた。
言葉や動きだけではなく、心までもが停止していた。
「熊田剛!」
「はい!」
最初に呼ばれたのは、天才故に少し天然だった剛。彼とはあまり関わる機会はなかった。だが、彼はここで死ぬべき男ではない。そんな気がした。
「伏見勝!」
「はい!」
勝とは比較的仲が良かった。彼は、学徒出陣で軍隊に入るまで教師を目指して努力していた。そのためか、面倒見のいい性格であった。彼もまだ死んでもらっては困る男だ。
「次は・・・山田想馬!」
「はい!」
想馬が呼ばれた。
彼ともっと仲良くなりたい。そう思っていた矢先のことだった。それに、5日前に励ましてもらった借りも返していない。だから、彼にはまだ生きていてもらいたかった。
「佐藤健介!」
「はい!」
こいつは・・・よく分からない。
でも、居なくなってはいけない気がした。
あれ、変だな。俺って誰だか分からないような奴の死すら悲しむほど良い奴だったっけ。
「最後に・・・瀬良景暁!」
「はい!」
景暁だと・・・
俺は、彼のことがあまり好きではなかった。最近はむしろ嫌いだった。
特攻志願を募ったあの日から、俺は事あるごとに彼に怒鳴られた。その度に俺は、周囲から身も凍るような冷たい視線を向けられた。
ほとんどの奴らにとっては景暁が正義。その正義に否定される俺は、悪とされていた。
要は、景暁が居なくなれば俺へと向けられる冷ややかな目も少なくなるのだ。彼が居なくなることにはメリットしかない。
最高だ。
最高。
最高な・・・筈なのに・・・
辛い。
俺はおかしくなっちまったのか。
自分に害しかない人間の死にすら苦しんでいる。
どうやら俺は・・・
いや、人間は・・・
死というものを、とことん嫌うようだ。
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- 9 : 2015/01/03(土) 16:23:32 :
- 「以上だ。特攻隊員に選ばれた者達は、N国のため、守るべき人のため、必ず特攻を成功させるよう、訓練に勤しんでくれ。では、解散。」
郷田教官が退出なさった。彼の目に、涙が浮かんでいるような気がした。
教官が退出なさった後、部屋中がざわつき始める。
「代われ!」
誰かが言った。
「そうだ、代わってくれ!」
「俺が、俺が・・・」
彼らの親友であると思われる男達が次々に、特攻隊員に代わってくれと懇願した。その男達は誰もかれも必死で、中には泣いている者もいた。
「お前ら馬鹿か!」
部屋中が静まり返った。
怒声を上げたのは、景暁だった。
「こんな名誉ある任務、譲る奴なんている訳ないだろ。今回選ばれた面子を見る限りじゃあ、優秀な奴から特攻隊員に選ばれるみたいだし、代わりたいんなら、俺達よりも優秀だって証拠を見せてみな。落ちこぼれ諸君。」
景暁は、俺達を見下すような顔をして言った。
「何だと!」
「調子に乗るなよ景暁!」
特攻要員達の怒りを一身に受ける景暁。
彼は、笑っていた。
彼の先程の発言が、この場を治めるためにわざと口にしたものだということを、俺は理解していた。
それはたぶん、俺だけじゃない。
罵声を上げた奴以外・・・いや、景暁へと怒りをぶつけた彼らでさえ、景暁の真意を理解していた。
理解していても、彼らは景暁に怒りをぶつけた。
そうするしかなかったのだ。
それ以外に、親友を先に逝かせることとなった自分への怒りを鎮める手立てがなかったのだ。
やがて、騒ぎは収まった。
特攻隊員に選ばれた5人は、特攻の訓練を行うべく部屋を後にした。
残った特攻要員達の表情は、疲れ切っていた。
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- 10 : 2015/01/03(土) 23:04:36 :
- それから、予備学生から選ばれた5人を含む15人の特攻隊員は、特攻の訓練を開始した。
特攻の訓練は、オクタン価の高い実戦用の航空燃料で行われる。
それは文字通り、死ぬための訓練だった。
そして、彼らが訓練を開始してから5日が経った日の午後6時
俺達はいつものように食堂にいた。
しかし、いつもと違うところがあった。
「導隆、想馬がいないみたいだけど、何かあったのかな。」
「さあ・・・訓練が長引いているんじゃない。」
「でも、景暁や剛は普通に来てるぞ。」
「うーん・・・居残り訓練とかかな。」
「俺、ちょっと探してくる。」
「え・・・」
俺は、食堂を出て訓練場へと向かった。
この時俺は、何故想馬を捜しに行こうと思ったのかが不思議であった。訓練場へ向かっているということは、俺は導隆の意見に賛同しているということだ。それならば、捜しに行く必要などない。
にも関わらず、捜しに行くことを選んだ自分の考えが理解できなかった。
やがて、俺は訓練場に辿り着いた。そこには誰もいなかった。
入れ違いになったのか。それとも、食堂に来ないのは別の理由か。
俺は少し考えた後、自分や想馬の寝室に向かうことにした。
他に、考え付く場所がなかったからだ。
寝室に近付くと、明かりが点いていることに気が付いた。
恐らく、想馬が点けたものだろう。
そして、俺は寝室の扉の前に辿り着いた。
「うう・・・愛実・・・」
泣きながら、女性の名前を呼ぶ声がした。
想馬の声だった。
俺は、静かに扉を開けた。
するとそこには、涙をボロボロこぼし、手を震わせながら遺書を書く、想馬の姿があった。
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- 11 : 2015/01/04(日) 15:44:53 :
- 「想馬。」
俺は、彼の名を呼んだ。
「明生か・・・何か用か。」
想馬は俺に背を向けたまま尋ねた。
「夕食の時間になっても来ないから、気になって捜してたんだよ。」
「そうか。それは迷惑をかけたな。」
彼はいつも通りのさばさばとした口調で答えた。
彼を始めとする特攻隊員の5人は、死の宣告を受けてからもいつもと変わらぬ様子を見せていた。
いや、むしろいつもより明るく振舞っていたような気がする。
もちろんそれが本心であるとは思っていなかったが、扉を開けてから名前を呼ぶまでの間、想馬から垣間見えた本音に俺は衝撃を受けていた。
「すぐに行く。だからお前は先に食堂に戻ってくれ。」
想馬のこの言葉に、俺は素直に従ってはいけない気がした。
特攻隊員の本音を知った者として、何かしてやらねば。
そんな使命感が心を支配した。
「愛実さんって、恋人か?」
何とか言葉をかけようと、頭を振り絞った結果、単に自分が一番気になっていたことを質問してしまった。
「・・・妹だ。どうしてその名前を知っている。」
「扉を開ける前に聞いたんだ。それで、気になっちゃって・・・」
事情を説明しながら、俺は新たな疑問を抱いていた。そして、その疑問の答えをどうしても明らかにしなければいけないような気がした。
結局、俺は聞いてしまった。
「妹さんを残して逝くことに、心残りはないのか?」
この質問を聞くと、想馬は俺のほうを向き、言い放った。
「心残りがないわけないだろ!だからこうして遺書を書いているんだ!だから!だから・・・」
彼は再び、涙を流し始めた。
「涙が・・・止まらないんだろうが・・・」
俺は何て無神経な質問をしたのだろう。
後悔すると同時に、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「俺も、他の奴らと同じだ・・・お前が羨ましい。力に屈することなく、自分の意思を貫き通したお前が・・・」
「そんな大したことじゃないよ。とにかく、落ち着いたら食堂に行こうぜ。飯はしっかり食べないと。」
「すまない。」
想馬は一言謝ると、深呼吸を始めた。
想馬。
俺がしたことは、本当に大したことじゃないんだ。
俺がただ、心底死にたくなかっただけなんだ。
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- 12 : 2015/01/04(日) 19:06:02 :
- 10日後、午前9時
特攻隊員の5人が招集をかけられた。
しばらくして解散した後、俺は想馬にその内容を尋ねた。
彼は「二日後に出撃することになった。」と答えた。
とうとう出撃の時が来たか。
いつか来ると分かってはいたものの、ショックで俺は何も言えなかった。想馬はそんな俺に一言「ありがとう。」と言ってその場を後にした。
結局俺は、彼に何もしてあげられないのだろうか。
「二日後か・・・もう、想馬や景暁達ともお別れになるね。」
訓練の合間の休憩時間、俺は導隆に彼らの出撃のことを話した。
「なあ導隆、あいつらには本当に死ぬことしか道はないのかな。何でもいいから、1パーセントでもいい、生きる道はないのか。」
「明生、そういうことはもっと小さな声で言ってね。非国民だと思われちゃうよ。」
「もう思われてるから構わねぇよ。それに、仲間が生きることを願って何が悪い。」
「皆がそう言い張れるぐらいなら、特攻なんてものも・・・今のは無しね。」
「ああ。」
想馬だけじゃない。導隆も本当は、特攻なんてしたくないんだよな。
たぶん景暁だって、あんなこと言ってるけど本当は・・・
「可能性はかなり低いけど、0ではないよ。」
「え?」
「彼らが生きる可能性だよ。」
「それってどんな・・・」
「飛行機の不調だよ。もし離陸後に自分の機に不調が現れれば、この基地であればK島に不時着することになっている。」
「不時着。その手があったか。」
「でも、離陸前にはしっかり整備をするのが基本だし、不時着なんて予備学生の僕らにはかなり難しい芸当だから、生存率は限りなく0に近いと思うよ。」
「良いんだよ、方法があるなら。」
俺はこの時、あることを思い付いていた。
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- 13 : 2015/01/04(日) 23:29:08 :
- 午後5時
「想馬。」
俺は、訓練を終えた彼を呼び止める。
「何の用だ。」
「お前にいいことを教えてやろうと思ってな。ここじゃまずいから、場所を移そうぜ。」
俺は、想馬を引き連れてまだ誰も居ない食堂へと向かった。
「何だよ、そんなに人に聞かれちゃまずいのか?」
「まあな。実は、お前が生き延びる方法が分かったんだよ。」
「な・・・それは、どういう・・・」
「飛行機の調子が悪いことにしてK島に不時着するんだ。」
そうだ。何でもいいから自機の不調をでっち上げれば、不時着できる。不時着自体は難しいけど、想馬なら・・・
「お前、やっぱりすごいな。そんなこと、本気で思うなんて。」
「これで、妹さんともまた会えるぜ。」
「いや、無理だ。」
彼が発した予期せぬ言葉に、俺は呆然とした。彼は続けた。
「まず、俺達のような未熟者に、不時着は難度が高すぎる。だが、それより問題なのは不時着の後だ。」
彼は一息ついてから、再び話を続けた。
「不時着後は、K島で基地の整備兵が来るのを待つこととなる。つまり、嘘がバレてしまうんだ。そうなれば、反逆罪として死罪になるがオチだ。」
「それなら、整備兵が来る前に島を出てしまえば・・・」
「鱶(ふか)がうようよ泳いでいる海をか?そもそも鱶なしで考えても、とても泳ぎ切れる距離じゃない。」
俺は、何も言い返せなかった。
「とにかく、反逆罪を犯してまでそんな成功するとは思えない作戦を実行するよりかは潔く特攻で死ぬ。心配するな。俺はお前が思っているほど死を恐れちゃいないよ。それともう一つ・・・」
急に、想馬の顔が険しくなった。
「他の特攻隊員にはこの考えを絶対に言うなよ。それが、彼らのためだ。」
「分かった。」
俺が返事をすると、彼の表情は普段通りのものとなった。
俺はまだ、彼が生き残る可能性を捨てる理由を理解できないでいたが、それは言わないことにした。
俺達は、寝室へと向かった。
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- 14 : 2015/01/05(月) 15:15:12 :
- 午後6時
俺達は食堂で夕食を食べていた。
想馬を始めとする特攻隊員の面々も普段通りに食事をしていた。
明後日からもう、彼らと食事をすることができなくなってしまうのか。
「いよいよ明後日だ!」
誰かが声を大にして言った。
景暁だった。
「今から出撃が待ち遠しくてうずうずするぜ。」
そんなこと、いちいち大きな声で言わなくていいのに。
「そんなに死ぬのが嬉しいのかよ。」
俺は景暁に聞こえないように呟いた。
午後9時半
就寝時刻は過ぎていたが、尿意を催したので厠へと向かっていた。
その時、偶然にも景暁に会った。
「誰かと思えば非国民明生じゃねぇか。こんな時間に何してんだ。」
「厠だよ。お前だってそうだろ。」
「まあな。」
俺達は、微妙な距離を保ちながら厠へと向かった。
それから小便を済ませるまで、俺達の間では一言も言葉を交わさなかった。
だが、厠を出た直後、景暁がふと口にした。
「二日後か・・・」
彼の顔は、悲愴に満ちていた。
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- 15 : 2015/01/05(月) 18:45:49 :
- もしかして、こいつも本当は・・・
「お前、本当は特攻で死にたくないんだろ。」
「明生!」
景暁が俺の胸ぐらを掴んだ。
「俺はお前みたいな非国民とは違う!特攻で死ぬのは本望だ!」
声を張り上げる彼の顔は、やはり辛そうだった。
「訳分かんねぇよ。死ぬのが本望だなんて・・・お前ら、狂ってるよ。そうだ。お前らは狂信者だ。」
「ふざけるな!」
彼は俺の顔面を思い切り殴った。
かなり痛い。しかも、鼻血まで出てきた。
「てめぇ、さっきから好き放題言いやがって。何様のつもりだ!」
「本当のことだろ!自ら進んで死のうとしている奴らが狂信者じゃなきゃ何なんだよ!」
「・・・死にたい訳ないだろ!」
彼が叫んだ。
今まで誰にも言わずに隠していた本音であったのだろう。彼はしまったというような顔をした。
それからまた、さっきまでの表情に戻りこう告げた。
「生きたくない人間が、いる訳ないだろ。」
尚更訳分かんねぇよ。
だったらどうして、特攻なんかに志願した。
どうして
どうして
どうして・・・
不意に、涙が零れ落ちた。その涙が痛みによるものではないことをはっきりと自覚していた。
「どうして、自ら居なくなっちまうんだよ!もっと一緒に居たいのにどうして!うあああああ!」
堰が切れた。
涙が止めどなく流れ落ちた。
声を枯らすまで、泣き叫んだ。
「何だよ。非国民の臆病者の上に、寂しがり屋だったのか。」
しばらくして泣き止んだ俺に、景暁が言った。
さっきまでとは打って変わって優しい声だった。
「どうして、特攻なんかに志願したんだよ。」
「お前みたいに強くないからだよ。」
彼は、この言葉を最後にこの場から去って行った。
何だよ、強いって・・・
俺のどこが強いって言うんだよ。
こんなに臆病で、寂しがり屋で、泣き虫の俺のどこが・・・
強いって、何だよ。
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- 16 : 2015/01/05(月) 21:51:50 :
- 2日後、朝
「・・・いよいよ今日か。これでもう想馬とも、景暁とも・・・」
午前8時
俺達は特攻隊員達と最後の挨拶をするべく指揮所に集まった。
彼らの乗る飛行機の発動機は既に回っており、唸るような爆音が辺りに鳴り響いていた。
「想馬。」
俺は、想馬を呼び止めた。
「頑張れよ。」
「ああ。やるからには必ず成功させる。だから、そんな辛気臭い顔をするな。」
彼は笑顔で俺に言った。その笑顔は、とても爽やかなものだった。
「行くな。」と言いたかった。でも、それを言ってはいけないことも分かっていた。俺はそれを言葉にしてしまわないようにぐっと堪えた。
「じゃあな。」
午前9時
特攻隊員達は水杯の儀式を終え、各々の飛行機へと向かった。
そして、一人、また一人と飛行機に乗り込んでいく。
全員が乗り込んでから間もなく、車輪止めが外され、飛行機がゆっくりと動き出し、それから離陸した。
俺は導隆や他の同期生と共にその様子を見守った。
彼らの飛行機に何かしらの不調があって、K島に不時着していないものかな。
こんなことを願うなんて、やっぱり俺は非国民のようだ。
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- 17 : 2015/01/06(火) 00:16:48 :
- 「全員集まったな。」
俺達予備学生を含む飛行兵全員が飛行長によって集められていた。
目的は一つ。戦果の通達だ。
「では、今回の特攻の戦果を発表する。」
果たして、想馬達は無事特攻に成功したのだろうか。
「勇敢なる15名の隊員による特別攻撃の結果、駆逐艦3隻を沈没せしめた。特攻は成功したのだ!」
成功という二文字を聞いて、飛行兵達は歓声を上げた。
その3隻の沈没の中に同期生が成功させたものがあるかどうかは知ることができないが、15人で駆逐艦を3隻も壊したのだ。彼らの死は無駄ではなか・・・
え、駆逐艦?
空母じゃなくて?
俺は気付いてしまった。
そもそも、特別攻撃の標的は空母である。
空母を壊されればその中にある飛行機や多数の乗組員も失うこととなる。そうなれば、圧倒的な物量を誇る敵国と言えども大きな痛手となる。
しかし、当然だが空母のガードは堅い。
そこで、命を捨てて機体ごと爆弾を空母に叩きこむのが特別攻撃。特攻だ。
それを成功させたのなら、尊い命を失った以上の価値がある・・・かもしれない。
だが、駆逐艦を破壊したところで戦局はほとんど動かない。
大国である敵国にとって駆逐艦の数隻、失ったところでそこまで大した痛手ではない。
一人の死で船一隻を沈めるということは一見するとかなりの戦果に見えるが、現在の戦局から言って、その程度の戦果が成す意味などない。
つまり、彼らは・・・
無駄死にしたのだ。
特攻などに出ず、通常の飛行兵として戦場に出ていれば、数十機を撃墜する優秀な飛行機乗りになっていた可能性もあるのに・・・
彼らの命は、ここで終わってしまったのだ。
皆が歓喜の声を上げるなか、俺は必死に涙を堪えていた。
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- 18 : 2015/01/06(火) 15:29:20 :
- 午後6時
俺達は、いつものように食堂にいた。
そして、いつものように夕食を食べていた。
隣には、いつものように導隆が座っている。
正面は、いつもと違って空席だ。
俺は食事中、前をを向く度に泣きそうになった。
「想馬は無事特攻を成功させたんだ。それなのに、こんなに悲しんでいたら、彼に申し訳ないよ。」
見かねた導隆が俺を慰めた。
しかし、彼もまた辛そうな表情をしていた。
例え、特攻を成功させたとしても、友を失うことは誰にとっても辛い。
加えて今回の特攻が、成功とは言えないことに皆も心の奥では気付いていた。
皆はいつものように振る舞っていたが、食堂の雰囲気はいつもとは明らかに違っていた。
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- 19 : 2015/01/06(火) 18:53:54 :
- 2日後
俺達は再び郷田教官によって集められた。
目的も、前回と同じ。
特攻隊員に選出された者の発表だ。
今回は、3人の名前が呼ばれた。
もう二回目になるからか、騒ぎ立てる者は少なかった。
俺が感じた悲しみも、前より遥かに少なかった。
たった一回経験しただけで、命という恐ろしく尊いものが消えていくことに慣れてしまったのだ。
人は慣れの生き物というが、それが人間の本質のような気がした。
それから8日後、選ばれた3人は太平洋へと飛び立っていった。もちろん、誰も帰ってこなかった。
それから約10日に一回ペースで3~6人の同期生が特攻隊員に選ばれた。彼らはそれから1か月以内に死んでいった。
その度に、食堂の空席が増えていく様子を俺は淡々と冷淡に冷静に他人行儀で冷ややかに平気で眺めていた。
悲しみがないと言えば言い過ぎにはなるが、同期生が若くして死んだことに対する感情としてはあまりに薄っぺらいものだった。
始めのうちは、そんな自分が怖かった。
友達が死んだ。仲間が死んだ。それなのにどうして俺はこんなに冷静でいられる。想馬や景暁が特攻へ行ったときはもっと苦しんでいたじゃないか。俺は、どうしちまったんだ。
そのような自問自答を繰り返した。
しかし、遂にはそれにも慣れ、自問自答を行うこともなくなった。
代わりに、俺はどこか喪失感を常に抱くようになった。
その時には、5月の中旬になっていた。
-
- 20 : 2015/01/06(火) 22:13:33 :
- 「かなり空席が目立つようになったね。」
「ああ。そうだな。」
今日も普段通りの訓練を終え、俺達は食堂にいた。
隣の導隆は、このように健在である。
俺は導隆と話を続ける。すると突然、今まで話したこともない奴に話し掛けられた。
「お前ら、辛気臭い話ばかりしてないで、たまには楽しい話をしようぜ。」
「え・・・」
「君は、確か一平(いっぺい)だよね。急にどうしたの?」
先程述べたように、彼とは話したことがなかった。遠目で見た感じの印象では、俺の苦手なタイプではない。しかし、同期生であっても機会がなければ関わることは結構ある。実際、同期の中の3割の人間とは話したことすらなかった。
「いや~、俺の周りの奴らがみんな死んじまって、話し相手がいなくて困ってたんだ。だから、友達になろうぜ。」
一平は笑顔で言った。
こんな不謹慎なことを笑顔で言う奴がいるとは。しかも、同期とは言えほぼ初対面の人間に。
「良いよ。僕らもいつも二人だったから、話し相手が増えるのは大いに歓迎するよ。」
導隆が先に許可してしまったので、俺も流れで許可してしまった。
出会いとは、前触れもなく起こるものなんだなあと思った。
次の日の朝食の時間
一平は以前想馬の席であった俺の向かいの席に座っていた。
「お前、勝手に席を替えて良いのかよ。」
「別に良いじゃねぇか。それより、お前ら聞いたか?」
こいつ・・・
昨日から思っていたが、彼はかなり話したがりなようだ。しかも、こちらの言うことにはほとんど耳を傾けない。
話してみて分かった。こいつは俺の苦手なタイプだ。
昨日のうちに断っておくべきだったと少し後悔した。
「何を?」
導隆が苦笑を浮かべながら聞き返した。
「伝説の撃墜王、日向勘兵衛(ひなたかんべえ)少尉が、明日からこの基地に来るらしいんだ!」
「それ、本当か!?」
一平の発言で、皆がざわつき始めた。
「本当だ。郷田教官が言ってた。」
撃墜王。それは、俺達飛行科予備学生にとってはヒーローのようなものだ。
だから、皆が浮かれ出すのは半ば必然である。かくいう俺も、気分が高揚してきた。
だが、それ以上に・・・
「食べ辛い。」
十数人が一平に詳しい話を聞くために俺達の席の周囲に集まってきたのだ。
断固拒否すべきだった。
俺は強く後悔した。
-
- 21 : 2015/01/07(水) 00:23:27 :
- 「勘兵衛少尉に会ったら、何か聞きたいこととかある?」
訓練を終えて休憩しているところに一平が尋ねてきた。
やれやれ、とんだ厄介者と仲良くなってしまったようだ。でも、勘兵衛少尉のことは興味があるし、他の話をされるよりはマシか。
そんな打算的な考えから、俺はその問いに真面目に答えた。
「俺は、ここまで生き延びてきた秘訣を教えてもらいたいな。」
俺がこう答えると、一平は意外そうな顔をしていた。
「はいはい、普通なら撃墜する秘訣を聞きますね。どうせ俺は非国民ですよ。」
「そんなこと言ってねぇだろ。確かにちょっと意外だったけど、良いと思うぜ。」
無理に合わせてる・・・訳ではなさそうだな。
「でも、勘兵衛少尉は俺達予備学生なんかと話してくれるかな。」
「そこは問題ないだろ。俺らも階級上は少尉なんだし。」
今まで気にしてこなかったが、俺達予備学生は、N国海軍に入隊した時点で既に少尉の階級を与えられている。
上から9番目と言えば、あまり偉く聞こえないかもしれないが、一般兵が少尉になるのに大体10年かかることを考えると、かなりの特別待遇であることが分かる。
少尉以上の人間を士官と言うのだが、下から上がってきた士官は特務士官と言われ、階級上は少尉でも、士官学校卒の少尉よりも下の身分として見られていた。酷い時には特務中尉が士官の少尉に怒鳴られることもあるぐらいだ。
俺達は特務士官ではなく士官。
戦果の一つも上げていないのに、撃墜王の勘兵衛少尉よりも偉いということだ。おかしな話だ。
でも、こういう時には便利だ。
「そうだな。なら見つけ次第話し掛けようぜ。」
「見つけ次第って、明生は勘兵衛少尉の顔が分かるのか?」
「いや、分からん。」
「じゃあ話し掛けられないだろ。」
「そうだな・・・まあ、有名人なんだから、そのうち分かるだろう。」
我ながら、雑な回答だ。
-
- 22 : 2015/01/07(水) 16:06:09 :
- 次の日、食堂
俺の安易な考えは、結局的中した。
「勘兵衛少尉、お会いできて光栄です!」
「勘兵衛少尉!」
「勘兵衛少尉!」
これが軍の食堂の風景なのだろうかと、半ば呆れるほどのものであった。
「話し掛けるのは、また今度にしようか。」
導隆の提案に、俺は賛成した。
一平は頑として今すぐ話し掛けたいと言い張ったが、ここは俺達が譲らなかった。
ちなみに、この時勘兵衛少尉の姿を見ることはできたのだが、その印象は、思ったより小柄だなというものだった。
しかし、彼からは歴戦の兵士としてのオーラのようなものが感じられた。
翌朝
俺達が早めに食堂に行くと、勘兵衛少尉が既に席に座っていた。
これはチャンスだ。
そう思った俺達は、少尉に話し掛けることにした。最初に話し掛けるのは、一平である。
「か、勘兵衛少尉。お、お会いできて光栄です!じ、自分は、円谷一平というものであります!」
緊張しすぎだろ。
恐らく、それだけ会うのを楽しみにしていたのだろうが、普段あれだけ話したがりな一平の意外な姿が、滑稽だった。
「自分は、藤原導隆であります。」
「自分は、工藤明生であります。」
俺達も名乗った。すると、少尉が言った。
「何か用か。それとも、昨日の奴らみたいにただ会いに来ただけの暇人か。」
この人、けっこうキツイ人だ・・・
「ひ、飛行機乗りとしての心構えを、ま、学びに来ました!」
「ほう。具体的には?」
「あ、え~と・・・」
こいつ、聞くことを絞って来なかったな。仕方ない。
「ここまで生き延びてきた秘訣を教えてください。」
この質問に、少尉は目を見開いた。
「お前、明生と言ったな。」
「はい。」
「覚えておこう。」
それは、果たして良い意味なのか。それについて考え出すより先に、少尉は言った。
「良いだろう。お前達に飛行機乗りに一番大事なことを教えてやる。」
少尉は笑みを浮かべていた。
-
- 23 : 2015/01/07(水) 20:54:35 :
- 「それよりもまず、明生の質問に答えるとしよう。生き延びるための秘訣・・・それは、臆病であることだ。」
「臆病?」
俺達三人は全員、目を丸くした。
「突然敵が現れるんじゃないか、待ち伏せされているんじゃないかと言ったように、常に最悪の事態を考え、周囲への注意を怠らない。臆病なほどにだ。後は自身にそれなりの能力が備わっていれば、生き延びることはできる。もちろん、運が無ければそれでも死ぬがな。」
「なるほど。」
俺は納得した。導隆も納得したようだが、一平はまだ困惑していた。
「一度の空戦で俺よりも多くの機を撃墜した奴は結構いた。だが、そいつらのほとんどは数か月で死んでいった。その結果、ただ長く兵士をやっているだけの俺が撃墜王になっちまったんだ。」
そう言って、少尉は悲しそうな顔をした。
今まで死んでいった友のことを思い浮かべているのだろうか。
「それで、ひ、飛行機乗りに一番大事なことって、な、何ですか。」
一平はいつまで緊張しているんだか。
「それは、どんなことをしてでも生き延びることだ。」
導隆と一平は、再び目を丸くした。俺は・・・
僅かに顔を綻ばせた。
「生き延びてるうちに、次第に撃墜数も上がり、階級も上がっていく。幾ら腕が良くても、一回で死んじまったら意味が無い。そうは思わんか?」
「それは・・・」
導隆は何も言えなかった。少尉の言っていることが、暗に特攻を否定しているからだ。
しかし、いや、だからこそ俺は、言ってやった。
「思います。」
「やっぱりお前は俺が思った通りの男のようだ。今からお前達に生き延びるための技術、不時着の仕方について教えてやる。」
-
- 24 : 2015/01/07(水) 23:19:21 :
- 「まさか、撃墜王に不時着の仕方を教わるとは・・・」
訓練に向かう途中、導隆が言った。
「俺はもっと、敵を撃墜するコツとかを教えてもらいたかったな。よりによって何で不時着の方法なんだろう。」
「撃墜する機会なんて俺達にないからだろ。」
俺は、一平の問いにこう答えた。
冷めた言い方かもしれないが、これが現実だ。俺達が特攻以外で出撃することはない。現に、特攻志願を断った俺でさえ、一度も空戦に出撃していなかった。
「でも、それを言うなら僕達に生き延びるのが大事だって言うのも皮肉だと思うよ。」
導隆の言うことは一理あった。だが、俺はそうは思わなかった。
「少尉は、本当はみんなに生き延びてほしいからそれを言ったんじゃないのかな。不時着のコツを教えたのだって、もし生き延びるチャンスを得たらそれを確実にモノにしてほしかったんじゃないのか。」
「そうなのかな。」
導隆の反応は微妙なものだった。
翌日、俺達は郷田教官に集められた。
要件は特攻隊員に選ばれた者の発表であることは言うまでもない。
今回は、6人の同期生が特攻隊員に選出された。
今となってはもう、そのことで騒ぎ立てる者はいなかった。
彼らの親友さえ、目に涙を浮かべる程度だった。
-
- 25 : 2015/01/08(木) 21:30:55 :
- その日の夜
俺達はやはりいつものように夕食をとっていた。
すると、勘兵衛少尉が話し掛けてきた。
「特攻隊員が選ばれたそうだな。」
「はい。」
「となると、俺にも直掩機としての出撃命令が来そうだな。」
直掩機。
それは、特攻機に襲い掛かる敵機を撃ち落とし、特攻機を守る任務を請け負う機を言う。
いざとなれば特攻機の代わりに弾を受けろとも言われている彼らは、特攻の瞬間を目の前で見ることができる数少ない男達であった。
「少尉は今までにも幾度となく直掩機として出撃してきたんですよね。」
「ああ。」
「では、その少尉から見て特攻と言う作戦をどう感じられましたか。」
俺のこの質問に対し、少尉は少し黙り込んでから答えた。
「それに答えることはできない。」
「答えることができない。」という答えは、質問に対する答えになっていた。
だから俺は「分かりました。」と返した。
「だが、これからもし機会があれば、ちゃんと答えてやろう。」
そう言って、彼は食堂を後にした。
-
- 26 : 2015/01/08(木) 23:54:56 :
- 12日後
先日選ばれた特攻隊員達の出撃の日がやってきた。
俺達はいつものように、彼らとの最後の挨拶のために指揮所へと集まった。
特攻で死に逝く同期生への思いが日に日に薄れるなかでも、この時だけはどこか辛い気持ちになる。
それを感じて、自分に残っている感情を確認し安堵するとともに、それを失うことに対しての不安を抱いていた。
そんな中、導隆が勘兵衛少尉の姿を見つけた。
「勘兵衛少尉!」
彼が、少尉を呼び止める。
「直掩の任務、頑張ってください。」
「が、頑張ってください。」
導隆と一平が激励の言葉を彼に掛ける。
それにしても、一平はまだ少尉との会話に緊張しているようだ。
「その言葉は俺ではなく、特攻隊員に掛けるんだな。」
「あの、少尉。」
俺が、少尉を呼ぶと彼は体を俺のほうへと向けた。
「何だ。」
「彼らの死が、無駄死にで終わらないようにしてあげてください。」
「それは心の奥底からの言葉か?」
「え・・・」
彼の問いに、俺は困惑した。
綺麗事を言おうとしたつもりはない。だが、今言った俺が口にした言葉が心からの言葉ではないような気がした。
「お前はもともと、死に価値を見出すような奴じゃないはずだ。だが・・・ここまで来た以上、そう願うしかないのも事実か・・・」
俺は少尉に心の中を全て見透かされているような気がした。
それは嫌な人には気味が悪いことだろうが、俺は素直に嬉しかった。
-
- 27 : 2015/01/09(金) 19:50:03 :
- 午後2時
14機の特攻機が、直掩機とともに滑走路から飛び立っていった。
その夜
基地にいる飛行兵が飛行長に招集を掛けられた。
目的はもちろん、戦果の通達だ。
今回の戦果は駆逐艦2隻の沈没。飛行長は成功と伝えたが、その二隻の沈没は空母に辿り着くことを諦めた特攻機が最後のあがきとして行ったものであることはこの場にいる誰もが分かっていた。
今回の特攻も失敗したのだ。
それでも、皆は歓声を上げた。
特攻隊員の死が無駄死にではなかったと、必死に自分に言い聞かせるように・・・
次の日
特攻の結果を毎回成功と伝えながらも、上層部は特攻の相次ぐ失敗に焦っていたのだろう。
前の特攻からまだ24時間すら経っていない今朝、次なる特攻隊員が選出された。
今回選出されたのは4人。
そして、その中には一平も含まれていた。
-
- 28 : 2015/01/09(金) 23:41:33 :
- 「あはは、選ばれちまった。」
廊下に出た直後、彼は笑って言った。
「相談したいこととかがあったら、いつでも聞いてやるからな。」
特攻隊員の笑顔の裏には、死に対する未練、恐怖との葛藤がある。そのことを俺は、想馬と景暁の姿を通して知っていた。
「心配してくれてありがとな。でも、覚悟はしてたから大丈夫だよ。」
まただ。
想馬や景暁と一緒。
本当は辛いのに、偽りの笑顔でそれを隠す。
何故そんなことをするのか。理由はいろいろ思い付くが、本心からは理解できないでいた。
「てなわけで、俺は特攻の訓練があるからまたな!」
「お、おい!」
一平は瞬く間に走り去って行った。
「こうなった以上、僕達にできるのは笑顔で彼を送り出すことだけだと思うよ。」
導隆の発言にも、やっぱり俺は同意できなかった。
死にたくない人間が死ぬのをどうして笑顔で送り出さなければいけないのかが、理解できなかったからだ。
しかし、ここで彼と議論してもどうしようもないので、俺は何も言わないことにした。
一平にも、想馬のときのように、俺は何もしてあげられないのだろうか・・・
-
- 29 : 2015/01/10(土) 17:44:26 :
- 午後6時
「特攻訓練どうだった。」
「やっぱり、いつもやってる訓練とは違うな。こっちの方が数倍緊張感がある。」
導隆の質問に答える一平は、やっぱり笑顔である。
「ったく、まさかお前が俺のところに来るとは思わなかったぜ。」
「か、勘兵衛少尉!」
「一平、少尉のところに来たってどういうこと。」
「実は、特攻訓練の指導者は勘兵衛少尉なんだ。」
再び導隆の問いに答える一平。
「でも、少尉の指導はとっても厳しくて、初日にして何度辞めたくなったことか。」
「当たり前だ。特攻ってのはただ体当たりするだけじゃない。実際には半端じゃない技術がいる。だから、無駄死にしたくなかったら死ぬ気で技術を身に着けるんだな。」
「はい!」
少尉は、自分の席へと戻った。
「大変そうだな。」
俺は一平に声を掛けた。
「まあな。でも、今まで何にもできないでいたから、こうやってお国のために何かできるのは嬉しいよ。」
お国のためか・・・
俺はもう、彼らのことを狂信者等とはこれっぽっちも思っていない。
それは景暁の本音を聞いたからというのもあるのだが、それ以上に分かったことがあるからだ。
彼らの言う「お国のため」
彼らがこれを言うのは、お国のために戦えと教え込まれ続けたからかもしれない。でも、決して強制的に言わされているわけではなく、増して狂信愛国者になっているわけでもない。
この言葉は、単純に故郷、そしてそこに住む家族、恋人、友人を守るためという意味なのだ。
でも、彼らがこの言葉を発することに俺は今でも抵抗がある。
何故なら、「お国のため」という彼らの発言が、未練を残したまま自分が死ぬことに対する言い訳に聞こえるからだ。
「とにかく、頑張れよ。」
「おうよ。」
一平が、俺達の前で笑顔以外の表情を見せることは二度となかった。
-
- 30 : 2015/01/10(土) 22:59:03 :
- 10日後
一平の出撃の日が訪れてしまった。
俺は結局、彼に対して何もしてあげることはできなかった。
俺達は、いつも通りに指揮所へと集まった。
「一平!」
俺と導隆は、一平のもとへ駆け寄った。
「行くな。」と言いたかった。でも、それを言ってはいけないことも分かっていた。
だから俺は「頑張れよ。」と言った。
導隆は「成功することを願ってる。」と声を掛けたが、俺にはとてもそんなことは言えなかった。
飛行機に不調が起こることばかり祈っていたからだ。
「じゃあな。」
一平は、笑顔で別れの挨拶をして去って行った。
彼の笑顔も爽やかだった。
「別れの挨拶は十分にできたか?」
後ろから、勘兵衛少尉に尋ねられた。
「少尉も直掩機として出撃するんですよね。」
「ああ。俺はな。」
「お願いがあります。一平が敵の防衛ラインまで侵入したときは、彼を守ってあげてください。彼を、無駄死にさせないでください。お願いします。」
俺は深々と頭を下げた。
「任せろ。そのときは必ずあいつを空母まで送り届けてやる。」
少尉は堂々と宣言した。
それを聞き、彼ならば一平を守ってくれる。そう確信した。
「しかし、"侵入したときは"なんて言うあたりはやっぱりお前らしいな。」
そう言い残し、彼も去って行った。
「どういうこと。」
導隆の質問に、「俺も分からない。」と知らん振りをした。
もちろん本当は、少尉が俺らしいと言った意味は分かっていた。
-
- 31 : 2015/01/11(日) 15:12:02 :
- 正午
特攻隊員達は水杯の儀式を終え、各々の飛行機へと向かった。
全員が乗り込んでから間もなく、車輪止めが外され、飛行機がゆっくりと動き出し、それから離陸した。
いつも通りだった。
「全員集まったな。」
いつもと同じく戦果の通達のために集められた俺達。
「では、今回の戦果を発表する。勇敢なる14名の隊員による特別攻撃の結果・・・空母1隻を大破せしめた。」
空母!
ということは・・・
「加えて、駆逐艦2隻を沈没せしめた。今作戦は大成功だ!」
歓声が沸きあがった。
今までの名ばかりの成功とは違う、本物の成功。この報告を聞き、皆が歓喜した。
俺も、一平がいなくなったことに対する悲しみを抱きつつも、この戦果に喜びの声を上げた。
皆の士気が上がっていくのを感じた。
午後9時
俺達は布団の中にいた。すると、扉をノックする音が聞こえた。
「こんな時間に誰だろう・・・」
一番ドアに近い位置にある布団に入っていた男が、扉を開けた。
「か、勘兵衛少尉!」
少尉?
「明生は居るか。」
「は、はい!」
「呼べ。」
「はい!おーい、明生!」
俺はすぐに布団から出て扉の前へと歩み寄った。
「話がある。来い。」
「はい。」
俺は部屋を出て、勘兵衛少尉に同行した。
恐らく話とは、今日の特攻の話だろう。しかし、それなら何故導隆のことは呼ばなかったのだろうか・・・
-
- 32 : 2015/01/11(日) 18:51:59 :
- 「あの、話とは一体何でしょうか。」
答えのおおよその予想はついていたが、一応俺は尋ねた。
しかし、少尉の答えは俺の予想とは違ったものだった。
「お前に謝りに来た。すまなかった。」
最初俺は驚いた。何故なら、一平の特攻は成功したと思い込んでいたからだ。しかし、冷静になって考えると特攻に成功したのが誰なのかは分かっていなかった。
「俺は一平を守り切れなかった。申し訳ない。」
少尉が頭を下げた。
「謝らないでください。あれはその・・・ダメもとで言ったようなものですから。それに今回の特攻は、空母を1隻破壊して大成功だったと聞いています。一平も直接的ではないにしろ、その成功に貢献できたはずです。」
「おい!お前今、成功って言ったか!」
少尉は急に青筋を立てて俺に尋ねた。
「は、はい。」
「戦果の通達はちゃんと受けたのか!」
「はい。」
突然のことに慌てながらも、俺は事実を答えた。
少尉が何に怒っているのかが分からなかった。何かまずいことを言ってしまったのだろうか・・・
その答えは、すぐに分かった。
「残念だが、その戦果は完全な嘘だ。今回の特攻では、1隻たりとも船を沈めちゃいない。戦果は0だ。」
この言葉を聞き、俺は奈落に突き落とされるような感覚を覚えた。
-
- 33 : 2015/01/11(日) 22:03:55 :
- 「え、あの、それは・・・どういう・・・」
余りの動揺で、俺はしどろもどろになる。
「上層部が伝えた戦果は、お前達の士気を下げないための嘘だったってことだ。」
そんな・・・
俺は、地面に膝をついた。
「じゃあ・・・一平は、何の成果もあげられずに死んだってことですか。」
「ああ。すまない。だが、言ってしまえば予備学生の特攻は全て無駄死にであると言っても過言ではない。」
「どういうことですか。」
「導隆を呼ばなかったのは、これから話すことを特攻に志願してしまったやつに聞かせるのは余りに酷だからだ。まず、結論からハッキリと言おう。特攻に、成功なんてことはあり得ない。」
衝撃だった。
俺はもともと、特攻については否定的な考えを持っていた。
しかしそれは、特攻という作戦そのものよりも十死零生の作戦であるからという単純な理由からだった。
特攻そのものは、人道的な面を除けば戦争において有効な作戦だと思っていた。
だから、特攻で死んでいった者たちのことも、彼らなりに守りたいものを守るための礎になろうとした者たちだと認識していた。
だが、少尉の発した言葉は特攻隊員の全ての死を無価値であったと結論付けているようなものだった。
彼らはただ心中しただけ。
そう言っているようにすら聞こえた。
-
- 34 : 2015/01/12(月) 00:06:26 :
- 「なんでそんなことが言えるんですか!特攻隊員の死が全部無駄だなんて・・・どうしてそんな言い方ができるんですか!彼らの死を尊重する気にはなれないんですか!」
「そこを咎めたってことは、無駄死にだということは内心分かってるんだろう。」
「それは・・・」
また本心を見透かされた。やはり少尉は俺のことを正確に理解している。
「でも、万に一つでも成功したなら、その人の死は無駄ではないと思います。」
「表面的にはそう見えるな。だが、もっと深く物事を考えることで、その考えは変わってくる。」
もっと深く・・・
「まず特攻の難しさについて話しておこう。特攻はただ敵艦に突っ込めば良いように聞こえるが、それは大きな間違いだ。空母にたどり着くまでには、多数の戦闘機が待ち構えている。それを数機で突破することができるはずがない。まして特攻機は重い爆弾を抱えているんだ。しかも、搭乗員は予備学生を始めとして経験が浅い。」
語り始めた少尉の口調は、教官が練習生に指導するような話し方になっていた。
「戦果報告で駆逐艦の沈没がある場合があるだろう?あれは、その防衛ラインを抜け、機動部隊に辿り着くことを諦めた機によるものだ。」
「それは、気付いています。しかし、中には機動部隊に辿り着ける機もあるんですよね?」
「だが、それは僅か数パーセントだ。」
そこで、ふと疑問が生じた。
「一平は、辿り着けましたか。」
その問いに、少尉はうつむき、また顔を上げてから答えた。
「ダメだった。今回の特攻機に防衛ラインを突破した機はない。」
やっぱりか・・・
少尉が防衛ラインの話をし始めたときから、そうだろうとは思っていた。しかし、事実として突きつけられると辛い気持ちになった。
「そこを突破できてもまだ難関が残っている。それは対空砲の存在だ。敵軍の対空砲は恐ろしいものだ。だが、その実態を司令部は何も知らない。いや、知っていて知らないふりをしているのかもしれない。」
少尉の目が、僅かに潤んでいた。
-
- 35 : 2015/01/12(月) 15:09:51 :
- 「そもそも、急降下で体当たりするのにも技が必要だ。開戦時からの熟練搭乗員なら成功するだろうが、若い搭乗員では無理だ。敵の対空砲から逃れるためには、できるだけ深く突っ込む必要がある。浅い角度で突っ込むと、まともに対空砲を浴びる。しかし深い角度で突っ込んで急降下すると、速度が出すぎて機体が浮く。そうなれば方向舵の利きが悪くなり、体当たり寸前に角度や方向を変えることは極めて困難になる。それで海に突っ込んでしまう。」
少尉は今までに見たことが無いほど饒舌になっていた。
「一平にもこのことを教え、深い角度での急降下の訓練をさせた。彼の才能は素晴らしかった。だが、どんな天才でも10日の訓練で熟練搭乗員並の技量を手に入れるのは不可能だ。」
少尉の頬を一縷の涙が伝っていた。
「仮に、そんなことができる天才が居るのなら、それこそ特攻などではなく、通常の空戦で戦わせるべきだ。その方が、最終的に挙げる戦果は大きくなる。特攻に成功が無いと言うのはそう言うことだ。」
少尉は、一旦話すのを止め目を擦った。
そして、再び口を開いた。
「特攻と言うのは軍のメンツのための作戦だ。だから、お前はこの先何を言われようと、何があっても、特攻に志願なんてするな!」
少尉のこれまでの話は、全てこれを言うためのものであったと悟った。
大丈夫ですよ。俺は何があっても特攻には志願しません。だって・・・
俺は臆病で、非国民ですから。
部屋に戻った後、俺は導隆に一平が特攻に失敗したこと。それに対して勘兵衛少尉が謝っていたことだけを告げた。
少尉が語った特攻の真実はもちろん、今回の戦果が嘘であるとも言わなかった。
-
- 36 : 2015/01/12(月) 19:10:12 :
- この日から1か月間、特別なことは起こらなかった。ただ、食堂の空席だけが増えていった。
7月上旬のある日
俺と導隆を始めとする同期生6人を含む、25人の兵が司令部に呼び出された。
「諸君等にS基地への異動命令が下された。」
S基地。
そこは既に敵国に占領されているO島に出撃するための基地だ。
S基地での戦死者はここK基地の数倍になるという話を聞いている。恐らく、人員不足になっているのだろう。
「本来ならば急を要するのだが、輸送船の関係で、出発日は1週間後となった。そこで、諸君等にその間休暇を与える。では、解散だ。」
「休暇だってね。」
「ああ。何か月ぶりだろうな。」
俺は、休暇の間の予定を導隆と話し合った。その結果、二人で故郷に帰ることを決めた。
「母さんに会うのも久しぶりだな・・・」
俺達は荷物を纏めるとすぐにK基地を出発した。
出発直前には、勘兵衛少尉に呼び止められ「元気でな。」と一声掛けられた。
少尉は今日も特攻訓練の指導があるらしく、忙しそうだった。
K基地から俺達の故郷までは、電車を使っても15時間かかる。
俺達は、電車の中で夜を明かした。
-
- 37 : 2015/01/12(月) 22:48:19 :
- 次の日の午前10時頃
俺達は家に一番近いバス停でバスを降りた。とは言っても、俺はここから1時間近く歩かなければならない。
「この辺で一先ずお別れだね。」
「ああ。3日後の4時にまた会おう。」
そう言って、俺達は別々の方向に歩き出した。
以前述べたように、彼とは同じ小学校に通っていたのだが、家の位置は結構遠い。だから当時は、学校以外で会うことはほとんどなかった。
バス停から俺の実家への帰路は、一面田んぼが広がっている。季節は夏。田んぼは一面緑に覆われていた。
あぜ道を歩いていると、すがすがしい風が吹いてきた。
本当は匂いなんて分からないはずなのに、その風から故郷の匂いがしたような気がした。
ちょっとの間だけど、生きてるうちに帰って来れたな。
俺は感慨にふけりながら、歩を進めた。
1時間ほど歩き、俺は実家の前まで来ていた。
今回の帰省をまだ親には伝えていない。現在、家には母さんが一人でいる。父さんは医者で、今はどこかの基地で軍医をしている。兄弟は居ない。この時代には珍しい一人っ子だ。
果たして、母さんはどんな反応をするだろうか。
俺は、玄関の引き戸を引き、家の中へと入った。
「ただいま!」
俺は、家全体に伝わるような声で叫んだ。すると、パリンと皿が割れる音がした。
ちょっと驚きすぎじゃないか。
俺がクスッと笑うと、母さんが玄関へと出向いてきた。
「明生・・・」
「母さん、久しぶり。」
-
- 38 : 2015/01/13(火) 21:31:39 :
- 母さんに再会してから、俺はすぐに昼飯を食べた。久しぶりに食べる母さんの料理はとても美味しかった。
食事中、母さんから戦況のことを聞かれて困った。大本営から流れる情報は嘘ばかりで、母さんは俺に華々しい話を期待していたからだ。
大本営の情報は間違いで、N国は今厳しい状況にあるよ。
とは口が裂けても言えない。そもそも、休暇をもらう際に海戦の状況については一切喋ってはならぬと言い渡されていた。
俺は、新聞で書かれているようなことをそのまま話してごまかした。合わせて、俺の実家の滞在期間が三日であることも話した。
戦況についての話が終わった頃には、俺は昼飯を完食していた。母さんはそれを見て尋ねた。
「今から、斎藤さんの家に一緒に行けるかしら。」
何故急に?
俺がそう思っているのを察したのか、母さんは続けた。
「三日後にはまた戦地へ戻っちゃうでしょ?だから、今のうちにお嫁さんを貰っておいてほしいなあって・・・」
なるほど、そう言うことか。
こういう話はよく聞いたことがある。。
「でも、なんで斎藤さんの家なの?」
「なんでって、他に親しい間柄の女の子は居ないでしょ。」
そうだった。
「なら行ってみるか。光香さんのところに。」
帰省の疲れが残っていたが、光香さんを訪ねることを決心した。
-
- 39 : 2015/01/14(水) 00:32:41 :
- 斎藤光香さんとの交友は、導隆よりも長い。始めて会った日がいつなのかは覚えていないが、物心がついた頃には彼女とは既に仲良しだったことは分かる。
そんな彼女に恋愛感情を抱いたことがないと言えば嘘になる。しかし、いきなり結婚といわれてもピンとこなかった。
「ごめんください。」
斎藤家の玄関で、まず母さんが挨拶した。
「あら、明生さん。よくいらっしゃってくれました。」
光香さんの母が頭を下げる。反射で俺も頭を下げた。
「光香、明生さんがいらっしゃったわよ。」
光香さんの母が光香さんを呼ぶと、足音が近付いてきた。
「明生さん。立派になられましたね。」
彼女の第一声はこれだった。俺は、ありがとうございますとお礼を言った。
すると、彼女の母が立ち話も何ですからと、俺達を家へと上げた。
今まで何度も彼女の家を訪れたことがあるからか、求婚しに来たにも関わらず至って平常心だった。
「それで、今日はどういった御用で?」
この質問を受け、俺は母さんの目を一瞥した。それで、母さんの言わんとしていることを察した俺は、少し黙り込んだ。
ここまでは平常心だったが、いざ口にするとなると緊張する。
十数秒後、ようやく決意を固めた俺は口を開いた。
「光香さんを、僕のお嫁にください。」
深々と頭を下げる。母さんもそれに続いた。
「もちろん良いですよ。娘とも結婚するなら明生さんとと以前から話しておりました。」
「不束者ですがよろしくお願いします。」
光香さんも頭を下げた。
やけにあっさりだと思うかもしれないが、この時代の結婚はそういうものだったと思う。
-
- 40 : 2015/01/15(木) 00:32:19 :
- その後、親同士の話し合いが行われた。その間、俺と光香さんは二人で散歩をすることにした。
「明生さんがお国の英雄だなんて信じられません。」
彼女がクスクス笑いながら言った。
「俺もそう思います。」
「やっぱり"俺"ですよね。さっき明生さんが自分のことを"僕"と呼んだ時すごくおかしくて、笑ってはいけないのに笑いそうになりました。」
俺は恥ずかしくなって顔を赤くした。
「それにしても、こんなに立派になられて・・・泣き虫だった子供の頃が懐かしいですね。」
「それは忘れてください。」
それから、少し思い出話をした。
日が沈みかかってきたころ、俺は改まって言った。
「光香さんに、言っておかなければならないことがあります。」
「はい。」
彼女は俺の目をじっと見つめて答えた。
「大本営ではN国が優勢であるように報じていますが、本当は負けています。」
彼女は黙ってうなずいた。ここに居る人たちも本当は大本営の発表など信用していないのだと分かった。
「俺は明日、ここを出て隊へと戻ります。次に向かう場所は今までよりもさらに過酷なところです。戦地に行くようなことがあれば、死んでしまうかもしれません。」
「はい。」
「もし、俺が戦死したら、俺の家のことは気にせず、別の男と一緒になってください。」
「生きて帰ってきてはくださらないのですか。」
「約束はできません。俺は、光香さんを生娘のままにしておきたいのです。もし俺が死んで、別の男と一緒になるときはそのほうがいいでしょう。」
少しの間、静寂が流れた。そして、彼女が頬を赤らめて口を開いた。
「それは困ります。」
「何故です。」
「逆にお尋ねします。なぜ、私をお嫁さんに欲しいと言ってくれたのですか。」
「あなたを好きだからです。」
「私がなぜあなたのところにお嫁に来たか分かりますか。」
「何故です。」
「好きだからです。」
その言葉を聞いた時、俺は彼女のために必ず生きて帰らなければいけないと思った。
-
- 41 : 2015/01/15(木) 21:55:23 :
- 次の日
俺の家で祝言を挙げた。祝言には、近所の家の人たちや村長が自宅に訪れた。
宴会が済んだ後、俺は光香さんと二人きりになった。俺が改まって「光香さん、今後もよろしくお願いします。」と言うと、彼女はもう結婚したのだから呼び捨てで構わないと言った。
俺は、彼女を光香と呼ぶことにした。光香もまた俺を明生と呼んだ。子供の頃はそう呼んでいたので違和感はなく、すぐに慣れた。
その夜、俺は光香を抱いた。
次の日は、午前はゆっくり過ごしたが、昼食後は出発の準備に時間をとられた。
そして午後三時
光香や多くの村人に見送られながら、俺は家を出発した。
集合場所のバス停に辿り着くと、導隆は既にバス停前にいた。
挨拶を交わすと、彼がお互い三日間でしたことを言い合おうと言うことになった。
俺が光香との結婚のことを言おうとしたとき、ちょうどバスがバス停に到着したので、俺達はバスに乗り込んだ。
他の乗客は居なかった。
「光香さんと結婚なんて、羨ましい限りだよ。」
導隆も当然、光香のことを知っている。
「綺麗でおしとやかで、明生には勿体無い。」
「失礼だな。実際そうだけど・・・」
俺が照れながら言ったので、導隆はそれをからかった。
「そういう導隆は何をしてたんだ。」
「僕も結婚した。」
「お前もかよ。お相手は?」
「お父さんの知り合いの娘さんで、雛菊(ひなぎく)さんって言うんだ。」
「親に決められたのか。」
この時代にはよくある話だが。
「うん。でも、彼女はとてもいい人だよ。」
「これから上手くやっていけそうか?」
「もちろん。」
そう言いつつも、彼の表情はどこか哀しみをはらんでいた。
俺達に「これから」が訪れる保証はどこにもないことを思い出してしまったからだと思う。
-
- 42 : 2015/01/16(金) 00:18:28 :
- 3日後
俺達は輸送船でS基地へと向かった。出発したのは夕暮れ時だった。そして、S基地へと到着する頃には真夜中だった。
空には満月がちょうど南の位置に浮かんでいた。
基地に着いてから最初の朝、訓練場へと向かった俺達を出迎えたのは俺達の指導役となった佐々木大尉だった。
彼の第一印象は、優男だった。
初日の訓練では、常に笑顔を絶やさず俺達を叱るようなことも無かった。威厳こそ無いが、部下思いの人なのだろうと俺は思っていた。
しかし、S基地に来て二日目にして、俺の人生を揺るがす事件が起きた。
導隆や同じくK基地から来た同期生と朝食を食べている時だった。
「明生君。」
佐々木大尉に名前を呼ばれた。
「朝食は食べ終わったかな。」
「はい。」
「それは良かった。君に用がある。ついて来てくれ。」
彼は笑顔でこう告げた。
俺は、食器の片付けを導隆に任せてから佐々木大尉に同行した。
そして、辿り着いた部屋は・・・
「尋問室?」
なぜ・・・
「入りなさい。」
俺は、突然の出来事に呆然として動けないでいた。すると、彼が言った。
「怖がることはないよ。君がお国を思う兵士であるならすぐ終わる。もちろん、尋問する気なんて僕にはさらさらないから。」
彼はいつもと同じく笑顔だった。しかし、俺にはいつもと違って不気味に思えた。
「入りなさい。」
もう一度言われ、俺は仕方なく尋問室へと入室した。
「どうぞ座って。」と言われて着席すると、彼は尋問室の扉を閉めた。
-
- 43 : 2015/01/16(金) 21:32:17 :
- 大尉が着席すると、彼はすぐに話を切り出した。
「実は昨夜、君のことを"ここの"飛行長から聞いたんだ。飛行長によれば、君は特攻志願を拒否したんだってね。」
尋問室に辿り着いた時から予想はしていたが、やはりこのことか。
「何か理由があるのだろう。僕に教えてくれるかな。」
死にたくなかったから。
とは、口が裂けても言えない。俺は少し間をおいてから答えた。
「空戦で活躍して、戦果を挙げたいからです。自分は以前から飛行機乗りとして、撃墜王になることを夢見ていました。」
「そうか。では君は、お国のことより自分の夢に重きを置いたということかい?」
痛いところを突いてくる。だが、これに対する反論は既に用意していた。
「自分は操縦技術には自信があります。特攻により一回の飛行で死ぬより、通常の飛行兵として戦ったほうが最終的な戦果は大きいと思っております。」
「なるほど。確かに、君の操縦には光るものがある。このまま訓練を積み、修羅場を潜り抜けていけば現在K基地に居る日向勘兵衛並の飛行機乗りになれるかもしれない。」
論破できたのか?
「しかし、そうなるには最低でも一年は必要だ。ところがこの戦争はもう一年も続かない。」
一年も続かない?どういうことだ。
「現在の我が国の戦況のことは大まかにしか知らされていないだろうから言っておく。我が国は敵国との物量格差により、窮地に陥っているのが現状だ。後一年もすれば我が国の資源は尽きかねない。そうなる前に、勝つしかないんだよ。」
そんなの無理に決まっている。
3年以上も苦戦している相手を一年で倒せるわけがない。そんなことができるのならとっくに我が国が勝利している。
もし、大尉の言ったことが事実であるなら、司令部の人間はもう勝ち目がないことを知っていながら特攻をさせていることになる。
こんなバカなことがあるのだろうか。
この時、少尉の「特攻と言うのは軍のメンツのための作戦だ。」という言葉が頭をよぎった。まさにその通りであったと、今になって痛感した。
「一年以内で最も戦果を挙げられる作戦は特攻なんだ。それを分かるんだ。明生君。」
大尉は歪んだ笑みを浮かべていた。
-
- 44 : 2015/01/17(土) 00:38:09 :
- 「まだ納得がいかないという顔だね。」
「はい。自分なら特攻で挙げる戦果よりも大きな戦果を空戦で挙げられます。」
まだ言い包められる訳にはいかない。
しかし、次の大尉の言葉が俺をさらに追い詰めた。
「それだけの才能を持っているなら、特攻に出れば空母を沈められるはずだ。百数十機の戦闘機を破壊するよりも、空母1隻沈める方が大きな戦果だと思うのは僕だけじゃないよね。」
彼は、勘兵衛少尉とは全く逆のことを言っていた。そのことが逆に俺に対して絶対的な説得力を与えていた。
少尉の意見が正しいとするなら、この意見は間違いであると判断するのが普通だ。しかし、俺にはこの意見は少尉が述べたものと同じ事実を全く違う視点から述べたものであり、少尉の意見と同様に正しい事実であるように感じられたのだ。
とにかく、俺は何も言い返せなくなってしまった。
俺は反論するための思考を放棄した。それと同時に、俺は悟った。
「もう分かっただろう。お国のために特攻を志願するんだ。」
俺がここまで特攻を拒否し続けられたのは、俺が強いからじゃない・・・
「特別な理由がない以上、そうするのが兵士の義務だ。」
俺の意思が特別固かったからでもない・・・
「志願するんだ。志願すると言え。」
俺は守られていたんだ。郷田教官に・・・
いや、彼だけではない。
「飛行長にも君を説得するよう言われた。君は司令部に逆らうのかい?」
K基地の飛行長を始めとする全ての上官方に、守られていたんだ。
特攻拒否という俺の意思を、彼らが何も言わずに見守ってくれたから、俺は今日まで特攻を志願しないで来れたんだ。
「志願すると言え。言うんだ。」
正しい選択をして来られたんだ。
「上官の言うことが聞けないのか!明生!」
俺は、ここで折れるわけにはいかない。彼らの助けを無駄にしてはいけない。
「志願しません!」
俺は叫んだ。
大尉の顔に底すらない悪意を垣間見た瞬間、俺は殴られた。
-
- 45 : 2015/01/17(土) 21:21:56 :
- 「この非国民が!」
2回、3回、4回、5回・・・
俺の顔面に拳が叩き込まれた。
「志願しろ!」
「嫌です!」
俺は鼻血垂れ流しながら叫んだ。
「それなら地獄のような戦場へ送ってやろうか!」
「望むところです!」
絶対に折れない。九死一生、いや、九十九死一生の戦場でも良い。だけど十死零生の特攻にだけは行くわけにはいかないんだ!
俺のためにも、少尉のためにも、光香のためにも・・・
「君の家族が酷い目に遭っても良いということだね。」
「え・・・」
どうして家族が出てくる・・・
「特攻を拒否した非国民。そんな事実が君の故郷に知れ渡ったら一体どうなるだろうね。」
止めろ・・・
「今まで何故その話が流れていなかったのかは疑問だけど、もう隠し通せるとは思えないな。」
止めてくれ・・・
俺が堪えていることに気が付いているらしく、大尉の顔には笑みが戻り、口調も穏やかになっていた。
「改めて言うよ。特攻に志願するんだ。」
-
- 46 : 2015/01/18(日) 00:53:16 :
「明生・・・」
尋問室から退室した直後、導隆に名を呼ばれた。どうやら彼は、ずっと尋問室の前で待っていてくれたらしい。
「導隆君じゃないか。明生君を待っていてあげたんだね。」
佐々木大尉の表情は、いつも通りの笑顔になっていた。
「今日の訓練は休みだ。明日また会おう。」
「あの・・・」
導隆は大尉を呼び止める。
「明生を殴ったのはあなたですか。」
「そうだよ。」
冷ややかな笑みを浮かべ、大尉は答えた。
立ち去っていく大尉を導隆は鋭い眼差しで睨み続けていた。
「大丈夫?」
大尉の姿が見えなくなってすぐ、導隆に声を掛けられた。
「大丈夫だ。大したことはないよ。」
「・・・結局、特攻志願は拒否できたの?」
「聞こえてたのか。」
「一部はね。だから、結果は知らない。それでどうなの。」
導隆が俺の目をじっと見つめる。
俺は思わず目を逸らしてしまった。
「まさか志願したの。」
返事はしなかった。しかしそれは、回答になっていた。
「どうして志願したんだ。殴られたから?」
俺は首を横に振ってから言った。
「志願すべきだと思ったからした。」
こんな嘘、見抜かれないはずがない。だが、彼がそのことをこれ以上問い詰めてくることはなかった。
「今からでも遅くない。撤回するんだ。」
「もう無理だ。それに、俺は覚悟を決めたんだ。撤回なんてする必要はない。」
「君は生き残るべき人間なんだ。」
生き残るべき人間?
「それは皆に言えることだろ。」
「そうだけど、君は僕が今まで会った人間の中で誰よりも生き残るべき人間なんだ。」
「どうして。」
「命の重さも、儚さも、大切さも、惨めさも、全部を誰よりも理解しているからだ。」
俺は何も理解していないよ。
「特攻志願は既に決まったんだ。安心しろ。後悔はしてないよ。」
これで家族を守れるなら、俺はそれでいい。
-
- 47 : 2015/01/18(日) 23:29:41 :
- それから5日間、俺達は平凡な日々を過ごした。
佐々木大尉の笑顔がなくなることも、不気味なものに変わることも無かった。
しかし、一つだけ変わったことがあった。
それは導隆が戦争が終わった後の話をしきりにするようになったことだ。
彼は俺の生きようとする意思を呼び戻そうとしているのだろう。有難迷惑だとは思っていない。むしろ、俺を最後まで生かそうとしてくれていることに感謝している。
だが、その意思が俺の行動を支配するようにはならなかった。
数か月前まではあれほど死を怖がっていたのに・・・
多くの仲間があっさりと死んでいくのを見てきたからか。
それとも、その死が大切な者の為だからか。
どちらにせよ、死はもうそれほど怖くなかった。
そして5日後
俺達は集会所に集められた。
目的は、特攻隊員の発表だ。
これが俺の特攻要員としての初めての発表だ。ハッキリ言って緊張する。
できるものなら選ばれたくない。死への恐怖は薄れたが、死にたいわけではないのだ。
「では、今回特攻隊員に選ばれた12名の名前を呼ぶ。」
「臼井栄太!」
「はい!」
「遠藤重蔵!」
「はい!」
一人、また一人と名前を呼ばれていく。
あと8人・・・7人・・・6人・・・
呼ばれるな!呼ばれるな!
死への恐怖は薄れていたはずだ。
覚悟はできていたはずだ。
しかしいざ瀬戸際となると、俺は死に物狂いで生にすがりついていた。今まで死んでいった特攻隊員もこんな気持ちになったのだろうか。
あと3人・・・2人・・・
「藤原導隆!」
「はい!」
導隆!?
そんな・・・嘘だろ・・・
あいつが・・・死ぬ?
俺はとうとう・・・一人に
「工藤明生!」
工藤明生、誰だ?
あ・・・
俺だ。
「はい!」
「以上だ。選ばれた12名はこれから特攻訓練に励み、必ず攻撃を成功させてくれ。では、解散だ。」
-
- 48 : 2015/01/19(月) 22:13:13 :
- 「明生がこんなに早く選ばれるなんて・・・」
集会所を出てから、導隆が呟いた。
「どうせ死ぬんだ。それが早いか遅いかの違いだよ。」
「本当にそう思っているの。」
「もう何を言ったって意味はないんだ。諦めて事実を受け入れようぜ。俺達が死ぬまでにできることは、特攻しか残っていないんだ。」
自分が口にしたこの言葉に俺は改めて気付かされた。
もう家族に会うことができなくなったことを。
残りの人生は後10日前後だということを。
その日から、俺達は特攻訓練に勤しんだ。
死ぬための訓練を死ぬ気で行った。
やってみて初めて実感したのだが、勘兵衛少尉が言っていたように深い角度での急降下は想像を絶するほどの難易度だった。
何度やっても機体が浮く。
無理にそれを抑えると方向舵が全く利かず、標的に突っ込めそうにない。
しかし、これができなければ俺の死は本当に無意味になってしまう。そうなってしまえば故郷に残してきた光香に申し訳が立たない。
訓練中に幾度となく命を落としそうになったが、俺は何とか生き延びていた。
一つ新たな発見があった。それは、導隆の点検技術の高さだ。
以前からそういった細かい作業が得意で、点検技術が高いことも知っていたが、それが熟練搭乗員から見ても優れているものなのだとついこの間になって知った。
俺は彼に出撃前の点検の最終チェックをお願いした。彼は快く引き受けてくれた。
訓練を始めてから3日後の夜
俺達は遺書を書いた。
俺は両親宛と光香宛の二枚を書いた。動揺はなく、悲しみの余りに字が書けなくなると言うことも無かったが、書いている最中はしばしば涙を拭き取った。
それ以外は特に何かが起こることはなかった。
そしてあっという間に、特攻隊員に選ばれてから15日が過ぎた。
-
- 49 : 2015/01/20(火) 22:10:32 :
- 8月4日
俺達は遂に、出撃日を言い渡された。
出撃日は4日後の8月8日ということになった。
特攻隊員に選ばれてからかなり時間がたっていたため、そろそろだろうと心構えはしていた。だから、動揺はそれほどなかった。
8月6日
H県に新型爆弾が落とされたことを聞いた。
物理学を学んでいた同期によれば、落とされたのは原子爆弾という恐ろしい爆弾であったらしい。
俺達だけでなく、N国にも終わりが近付いているかもしれないと思った。
8月7日、特攻前日
俺は導隆と基地の外を散歩した。集落を離れ、山のほうを歩いた。
8月のK州は厚い。しかし、流れ出る汗が殊更に気持ちよく感じた。
導隆とは思い出話に花を咲かせた。
沢の近くを歩いているとき、俺達は燕子花が咲いているのを見た。その花は、今まで見た花で一番美しかった。
それだけではなく、目に入るものすべてが愛おしく、美しく感じられた。
蝉の鳴き声も耳に入ってきた。今まで小うるさいものとして聞いてきたはずの音が、一流の音楽家が奏でるメロディーよりも美しくいと思った。
基地へと帰る直前に見た夕日の美しさは、例えようがないほどだった。
-
- 50 : 2015/01/21(水) 21:58:08 :
- 翌朝未明
俺達は指揮所で司令官の言葉を聞いた。
その後、水杯の儀式を行った。
当たり前の話だが、今まで何度も見てきたけれども、自分がやるのは初めてだ。
水杯の儀式を終え、俺達は滑走路の飛行機へと向かう。到着後すぐに自分の飛行機に不調がないかを点検した。
「導隆、頼めるか。」
一通り点検し終えてから、最後の点検を彼に頼んだ。ちなみに、俺が見た限りでは不調はなかった。
「任せて。」
彼は俺の頼みを承諾すると入念に点検を始めた。
「特になさそうだけど・・・」
「やっぱりか。」
どうやら順調に飛び立てそうだ。
そう思っていた時彼が一瞬、目を大きく見開いた。
そして・・・
「そうか、君は・・・」
彼は確かに呟いた。俺が事情を尋ねると、彼は「何でもないよ。」と言ってから「異常なし。」と俺に告げた。
「特攻、必ず成功させような。」
俺が彼に声を掛ける。
「うん。」
飛行機に乗り込んで間もなく、車輪止めが外され、飛行機がゆっくりと動き出し、それから離陸した。
俺の横に導隆の機があった。操縦席には彼の姿が見えた。
とうとう特攻に出てしまったが、彼と逝けるのなら悪くないな。
編隊は南に向かって飛んだ。
東の空がほんのりと明けてくるのが見えた。
-
- 51 : 2015/01/22(木) 22:58:53 :
- お母さん、光香、ごめん。俺は今日ここで死ぬよ。
俺は心の中で叫んだ。
俺の一生は幸せだったよ。
この言葉を最後に、俺は一切の未練を断ち切った。
ここからは敵艦に体当たりすることに全ての神経を注いだ。人生の最期を少しでも華々しくするために・・・
ところが出撃後一時間もたたないうちとき
機体の調子がおかしくなった。
機体が時々振動を始め、発動機から潤滑油が噴き出した。油は風防にかかり、すぐに風防の前面は真っ黒に染まった。前方の視界は全く利かなくなっていた。
しかし、俺は機体の角度を変えながら飛び続けた。
前が見えなくなったぐらいで引き返せるか。
しかし発動機の調子はどんどん悪くなっていく。出力が大幅に減り、速度が出ない。
分隊長機が横につき、手振りで「どうした?」と聞いてきた。俺が発動機の不調を伝えると、彼は「引き返せ」と手で指示した。
俺は「嫌だ」と答えた。しかし、機体の揺れは激しさを増していく。
隊長はもう一度「戻れ」と指示をして、俺の機から去っていった。
それとほぼ同時だった。
「導隆!」
彼の機が、俺の横を通り過ぎて行った。
彼の姿が視界にあったのは一瞬だったが、俺は確かに見た。彼が俺に向かって敬礼しているのを。
「あいつ、分かってて・・・くそ!」
俺は何とか発動機を蘇らせようと色々なことをやった。だが、無駄だった。俺は編隊から取り残された。
「導隆!」
俺は力の限りの声で叫んだ。そして泣きながら機首を反転させた。
-
- 52 : 2015/01/22(木) 23:21:15 :
- ここからどうする。
S基地までは戻れそうにない。不時着できる島は・・・
A島だ。
俺は地図でA島を探す。西におよそ50浬だった。
発動機が持つかは運次第という距離。もし止まれば死ぬ。敵機に出くわしても死ぬ。全ては俺の運にかかっていた。いや、それだけではない。
「不時着なんて、訓練したことねぇよ。どうすればいいんだ・・・」
いっそ諦めるか。
そう思いかけた時、俺は導隆のある言葉を思い出した。
「君は生き残るべき人間なんだ。」
彼は俺に細くて今にも千切れそうな生きる希望という一本の糸を垂らしてくれた。彼のためにも、諦めるわけにはいかない。
だが、それと同時に今まで体験した色々な情景が蘇ってきた。
死が間近に迫り、走馬燈を見たのだ。
小学校で導隆と遊んだこと、学徒出陣で兵士となった日、景暁、想馬が特攻へと飛び立っていく様子、一平が空へと消えていく瞬間・・・
そして勘兵衛少尉から教わった不時着の方法を。
「少尉、あなたから教わったことを実行します。」
俺は機体を軽くするために爆弾を切り離そうとした。しかし、何度やっても落ちない。投下できないようにされていたのだ。
なんて冷酷なことをするんだ。これでは不時着さえもかなわない。司令部の意向は特攻へ出たからには全員死んで来いというのが本音だったのか。
諦めかけた俺の頭に流れ込んだ記憶、それは川で溺れ死にかけた時のあの記憶だった。
体中に寒気が走った。
思い出した。俺は死ぬのが何より怖い、臆病者だった。
だから、臆病者らしく・・・
絶対に生き残る!
-
- 53 : 2015/01/23(金) 22:39:54 :
- 二十分後
視界にA島を捉えた。上空に敵機はない。
その時、発動機が止まった。
あとは滑空しかない。しかも風防は真っ黒で視界はゼロ。着陸の角度を間違えれば爆弾が爆発する。上昇ができないのでやり直しも不可能だ。
死を覚悟せざるを得ない状況。だが、俺は諦めない。
滑走路に入る手前で、機体を傾けて飛行場全体を見渡した。その距離を、角度を、頭に刻み付けて機体を戻す。
そして、目をつむった。
すると、飛行場の様子が瞼の裏に浮かび上がった。
降下する機体を水平に戻し、着陸態勢を取る。
高度50・・・40・・・30・・・20・・・
10・・・5・・・1
その瞬間、衝撃が機体全体を襲った。
しかし、爆発は起きない。この衝撃は車輪が滑走路を叩いたものだった。
機体はそのまま滑走し、やがて止まった。
奇跡だった。後にも先にも、こんなことはできっこない。
俺は、生きたのだ。
-
- 54 : 2015/01/23(金) 23:46:46 :
- 操縦席から降りた時、海の方から浜風が吹き込んできた。
清々しい。
生きているという実感が沸いてくる。
空を見れば雲一つない晴天だ。
「ひとまず、助かったんだな。」
だが、安心するのはまだ早い。再び内地に戻り、特攻隊として出撃することに変わりはないのだ。
しかし、俺はこのまま流されるわけにはいかない。導隆に救われた命を絶やすわけにはいかない。
変わりないなら変えてやる。
この日の夕刻
基地の通信員から、この日の特攻は俺を除いて未帰還だと知らされた。
導隆は死んだのだ。
次の日
俺は輸送船でS基地へと向かった。
そして、輸送船を降りて基地に戻ってからすぐに俺は脱走した。
基地から抜け出した俺はK州地方に留まることにした。実家に戻ることも考えたがすぐに却下した。そのルートは基地からの追手に先回りされる可能性があるからだ。
しかし、そもそも追手などなかったと思う。国家の存亡の危機にあるN国軍に、たかが一脱走兵を追いかける余裕などないのだ。
次の日
8月9日にN県にも新型爆弾が落とされたという話を聞いた。また、S連邦が宣戦布告してきたことも聞いた。
そして、8月15日
『朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク・・・』
玉音放送をK州の道端で聞いた。
特攻から一週間後の事だった。
もっと早かったなら。
怒り、悲しみ、後悔、無力感・・・ありとあらゆる負の感情が沸き上がってきた。
だが二つ、それとは違う感情があった。そして、それらは他のどの感情よりも強かった。
その感情は喜び。
生きていることへの喜び。
そして、感謝。
「ありがとう。導隆・・・」
-
- 55 : 2015/01/24(土) 21:21:51 :
- 次の日
俺は電車に揺られていた。目的はもちろん、実家に帰るためだ。
光香と、母さんと、また会えるんだな・・・父さんはもう、帰ってきてるかな・・・
だがその前に一つ、どうして行っておきたいところがあった。
バス停を降りた時には、次の日の朝になっていた。
一つ大きなあくびをしつつ体を伸ばす。
「良い天気だな。」
そう呟いてから、俺は家とは逆の方向へと歩き出した。
バス停を離れて15分後
俺は目的地に到着していた。その目的地は、導隆の家である。
「ここに来るの、久しぶりだな。」
出来れば、彼と来たかった。しかし、その望みは今となっては叶いようもない。
玄関の戸の前に立ち、深呼吸をする。
それから戸を叩いた。
「すみません。」
すると、「はい。」という返事と共に足音が聞こえた。そして、引き戸が開かれる。
「どなたでしょうか。」
現れたのは見たことがない女性であった。
導隆の母親とは会ったことがあるし、姉や妹はそもそもいない。とすると、目の前のこの人物は一体誰なのだろうか。
「工藤明生と言います。導隆の親友です。」
「導隆さんの!」
「あの、失礼ですがあなたは?」
「私は雛菊と申します。導隆さんの妻です。」
-
- 56 : 2015/01/24(土) 22:16:45 :
- 「どうぞおかけになってください。」
「はい。」
家へと上げてもらった俺は、客間の座布団に座る。
「今お茶をご用意しますね。」
「すいません。」
雛菊さんは台所へと向かう。
導隆の家は、昔とほとんど変わっていなかった。そのためだろうか、彼との思い出が独りでに思い出される。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
俺は一口お茶をすすった。入れたばかりなので少し熱い。
「導隆のご両親は?」
「買い出しにお出掛けになっています。」
「そうですか。」
「もう一時間ほどでお帰りになられると思いますので、それまでゆっくりしていてください。」
「その必要はありません。私はあなたとお話したいです。」
「私ですか?」
「はい。最初はご両親とお話ししようと思っていましたが、あなたの方にこそ話しておくべきことだと思いました。どうか、話を聞いていただきたい。」
「構いませんが・・・」
「ありがとうございます。」
もう一口お茶をすする。
「私は導隆に・・・あなたの夫に、命を救われました。」
-
- 57 : 2015/01/25(日) 17:30:42 :
- 俺はS基地に移ってからのことをありのままに話した。
雛菊さんは黙って話を聞いてくれた。
「飛行機に故障があるのに出撃させるなんて、もし不時着さえままならない状況だったなら大変ですよね。でも、彼は私にそれをさせた。生きる道を与えてくれたんです。」
「世間一般に言わせれば、非国民なことこの上ない行為ですね。」
「はい。しかしそれを言うなら私の方こそ非国民でしたよ。そして、彼の非国民な行為によって救われた。」
「救った対象が非国民だなんて、私の夫はとんでもない非国民だったんですね。」
雛菊さんは笑顔で言った。
彼女に冗談を言う余裕があることが分かって、少し安心した。
「導隆さんは死ぬまでに、戦果を挙げられたのですか。」
「いえ、恐らくゼロです。」
彼女がショックを受けるかもしれないと思ったが、俺は正直に答えた。しかし、彼女の反応は全く逆のものだった。
「それは良かった。」
くすっと笑いながら答えた。
「導隆さんはとても人の命を奪えるような人には見えませんでした。そしてそんな彼だからこそ、私は喜んで結婚しました。」
雛菊さんは一口お茶を口に含んでから、続けた。
「それにしても誰の命も奪わずに、逆に一人の命を救う兵隊さんなんて考えられません。」
「私もそう思います。」
「彼は本当に優しい人でした。本当に・・・」
彼女が初めて笑顔を崩した。そして涙をぼろぼろに流し、声を上げて泣いた。
俺は彼女が泣き止むまで、黙って見守っていた。
「今日は来てくださってありがとうございました。導隆さんのご両親にも二人がお帰りになり次第、あなたがお話ししていただいたことを伝えておきます。」
「ありがとうございます。」
俺は玄関の戸を開けて、導隆の家を発とうとする。
「明生さん・・・」
雛菊さんが俺を呼び止めた。
「最後にお願いがあります。どうか、幸せに生きてください。彼が救った命を大切になさってください。」
俺は振り返って答えた。
「もちろん承知しています。私は必ず幸せに生きます。長生きします。だから、あなたの方こそお幸せに・・・」
それから彼女に背を向け、足を前へと進め始めた。
-
- 58 : 2015/01/25(日) 19:46:22 :
- バス停に戻ってきたときには、太陽が南中していた。
晩夏の太陽が照りつける中、俺はさっきとは反対に、家へと向かう方へと歩き出した。
約1か月ぶりに歩くあぜ道には、前と同じすがすがしい風が吹いてきた。故郷の匂いも感じた。
またここを通ることができたのも、導隆のお陰だ。
いや、彼だけではない。
想馬と、景暁と、郷田教官と、一平と、勘兵衛少尉と・・・
彼らと出会えたから、俺はこうして家へと帰ってくることができたのだろう。
今まで出会ってきた全ての人達が、俺をここまで運んできてくれたのだろう。
そして今
俺は実家の玄関の戸の前に来ている。
ゆっくりと戸を引く。
玄関には偶然にも光香がいた。
彼女は俺を見て大きく目を見開いた。
そして、目に涙を溜めながら彼女は言った。
「おかえりなさい。」
「ああ、ただいま。」
-完-
-
- 59 : 2015/01/25(日) 20:31:12 :
- この作品は戦争そのものよりも、命についてを主題にして書きました。拙い文章であったと思いますが、読んでくださった皆様へ感謝申し上げます。
感想等頂けたら嬉しいです。
-
- 60 : 2015/01/31(土) 13:33:27 :
- とても良い物語でした。1日二回の更新をずっと楽しみにしていました。これからもこのような物語を書いてください。よろしくお願いします。
-
- 61 : 2015/01/31(土) 18:13:09 :
- >>60
ありがとうございます。とても良い感想を頂けて感激です。また機会があればこういう話を書いてみたいと思います。
-
- 62 : 2015/04/09(木) 00:49:49 :
- 永遠の0のパクリ乙
-
- 67 : 2020/10/03(土) 08:56:39 :
- 高身長イケメン偏差値70代の生まれた時からnote民とは格が違って、黒帯で力も強くて身体能力も高いが、noteに個人情報を公開して引退まで追い込まれたラーメンマンの冒険
http://www.ssnote.net/archives/80410
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